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24/1/1(No.1274)

▼お年玉、今年の出費はいかほど?転勤して、平日の侍者の数も変わった。さて、いかほどだろうか?中田神父が小学生の時、主任司祭がお年玉として岩倉具視の五百円札をくださった。「お札」ということにいたく感激したことを覚えている。



24/1/7(No.1275)

▼この福江教会に来て8ヶ月以上経ったが、いつになったら部屋の開け閉めを間違えずにできるようになるのだろうか。いつになったら、聖堂に不自由なく出入りできるようになるのだろうか。
▼ホスチア(ミサで用いるパン)を香部屋に運ぼうと、聖堂の正面玄関の扉を開けた。昨年12月から観光で訪ねた人も堂内に入ることができるように「エリア」を設け、「堂内のここだけお通りください」と促している。
▼主任司祭がここで足を止められた。観光客がいないことを確かめ、ロープをまたいで香部屋に向かった。考えてみると北門(信徒会館側)はいつでも開いているのに、8ヶ月経っても最初にそこには向かわず、観光客と同じ扱いを受けて気がつく。いつまでこんな感じの暮らしなのだろうか。



23/1/14(No.1276)

▼下五島の堅信式が一週間後にやって来る。45年前、五島の子どもたちにとって大司教様は遠い長崎からやって来る方だった。今は「遠くからやって来る」感覚ではないと思うが、本当に待ち望んでいた方、待ちに待った大司教様という感覚なのか知りたい。
▼「堅信を受ける子どもたちに総仕上げのお話をお願いします」と助任に言われて30分話しをした。大司教様の名前もあまりピンと来なかったようだった。待ちに待った方なら、もっと目を輝かせても良さそうなものだが。大司教様は、この子どもたちにどのようにして「炎のような舌」で現れた聖霊を注いでくださるだろうか。



24/1/21(No.1277)

▼地区ごとに、堅信式の日程と地区合同なのか単独なのか、いろいろ経験してきた。浦上教会は1月の第2日曜日、下五島地区は第3日曜日となっている。大司教様と次に会うのは26聖人ミサあるいは司祭研修会あたりだが、次年度に向かって動き出す頃か。
▼今年は、目の前の堅信式に集中だ。堅信の秘跡を授けてくださいとミサの中でお願いしたり、聖香油を大司教様のそばで持ってあげたりする。今になって思うが、いろんな地区長神父様が大司教様のそばに付いて何をしていたのか見てなかったのだと痛感する。ミトラ(司教帽)の下の「ズッケ」は、いつ外すのか?いつまたかぶるのか?全然見てなかったことに唖然とした。



24/1/28(No.1278)

▼満身創痍。最後の一週間、マラソン大会の練習を強めにおこなった。右足にけいれんが。肉離れだろうか。湿布を貼ったりしてあと2日に迫った本番を待っている。年齢には逆らえない。中田神父のマラソン挑戦は、半距離のウォーキングに変更となった。
▼レース後も、日々のウォーキングは続けようと思う。これまでは大会が終わったらお約束のように運動もやめていたが、今年は続けよう。ウエストが明らかに細くなった。去年のズボンに両手が入っている。



24/2/4(No.1279)

▼二十六聖人が近づくと、45年前中学生だったとき、「朗読劇」を聞かせてもらったのを思い出す。毎年、同じカセットテープを流していたと思うのだが、あのカセットテープは今どこにどうしているのだろうか。
▼二十六聖人の劇は、有名俳優(女優)を使った作品があると思う。これも、いつか手に入れて観てみたい。



24/2/11(No.1280)

▼連続休暇をいただいた。助任二人は先に連続休暇を入れていたので、最後になった。五島列島から出ることはほとんど無いので、たまの休暇も新鮮だ。長距離バスに乗ったり飛行機に乗ったり、楽しく過ごせた。
▼何より幸いだったのは、緊急の連絡が無かったことだ。おかげで目一杯の休暇を使うことができた。緊急の問い合わせ(誰かが亡くなって洗礼名が分からないとか)があっても、スマホで返事ができる態勢はできているが。休暇は楽しいが、業務が1ミリも進んでいないのが、残念と言えば残念。


24/2/18(No.1281)

▼福岡のカトリック大神学院に最初に来てくれたカナダ人スルピス会司祭の一人は、四旬節にタバコをやめて、そのお金をグランド整備、具体的には芝生を購入し、植えるために使ったそうだ。その芝生の緑鮮やかな大神学院も、2月23日の閉校式で閉校となる。その後どのように活用するのか、あるいは手放すのかまだ聞いていないが、また一つ歴史が終わることになる。
▼大神学院の規則を破って夜にラーメンを食べに行ったことがある。勝手口から抜け出して、「約束の時間」にまた勝手口を開けてもらうことになっていたが、無断外出から帰ってきたときに勝手口に立っていたのはカナダ人のスルピス会司祭だった。
▼「どこに行ってましたか。」私はとっさに「ゴミを捨てに行ってきました」と嘘をついた。するとそのカナダ人司祭は「あなたは立派です」と行って中に入れてくれた。正直に言っていたら、ずっとこの司祭から「ナカダさんは規則を守りません。司祭にふさわしくありません」と言われ続け、召命の道を続けられなかっただろう。全能の神と、兄弟の皆さんに告白します。



24/2/25(No.1282)

▼大神学院が2月23日の閉校式ミサをもって正式に閉じることになる。90年の歴史に幕を下ろす。その後の活用については「召命を考えるすべての人のため」の活用策が検討されている。もしかしたら、もっと早くその方向に舵を切っていたら、まだ生き延びられたのかもしれない。
▼挨拶と、ミサ説教を通して伝わってくるのは、90年の歴史は模索を続けながらであったが確かに長崎教会管区の司牧宣教に貢献してきた、神に感謝したいというものだった。しかし小教区司祭も、教区司教も、時代に応じた形で神学生を送り出せず、このような事態に至ったことは決して忘れることはない。
▼神学院の院長は、予想しない挨拶を用意していた。ここでは話せないが、参加した人は忘れないだろう。参加した全員が、いったん90年の歴史に幕を下ろす。いただいたすべての恵みに感謝します。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。



24/3/3(No.1283)

▼馬込教会時代に、川上神父様をお呼びして黙想指導をしていただいたことがあった。馬込教会を懐かしんでのお話がほとんどだった。余程、馬込小教区時代が懐かしかったのだろう。中田神父にも思い入れのある教会がある。自分はそこまでの年齢ではないので懐かしさはあまり感じないが、たくさん思い出を作らせていただいた。
▼川上神父様と直接の面識は無いが、「君が鳴らさなければベルはベルではない」という本を出しておられて、この本には非常に感銘を受けた。亡くなっていく司祭の名前が本部事務局から届くとき、「あの人も亡くなったか」と振り返りながら生前の記憶を振り返る年齢になってきた。どうか神様のもとで、ゆっくり休んでください。



24/3/10(No.1284)

▼今年は3月31日が復活祭。つまり4月14日が異動日。それから逆算すると2月中に「照会」があって、3月には「本辞令」が出たのだろう。長崎教区は相変わらず書面での辞令にこだわっていたが、去年から様変わりした。
▼去年は自分が該当していたわけだが、辞令を司祭に公表するのにもインターネットが使われた。教区のホームページに発表があり、時代が変わったのを感じたのだった。大司教様が変わっても人事異動の苦労は変わらないと思うが、小手先のことではなく何かが大きく動き出しているのかなと感じている。



24/3/17(No.1285)

▼58歳になった。そして叙階記念日(3月17日)となった。1992年叙階で、32年目に入る。もうこれからは「いくらでも時間はある」とは言えない。本当に成す(やり遂げる)べきことのために時間を使わなければ、きっと後悔する。
▼私以上に時間が短いかもしれない人がいる。私はその人のために何ができるのか。「残り時間が少ない」というよりは「残り時間が残酷に削られていく人」がいる。その人は私にとって大切な人。教えたり教えられたり、長い時間を共有してきた人。その人のためにできることは何か?



24/3/24(No.1286)

▼聖木曜日からの聖なる三日間のことを、学期最後の教会学校ミサで話した。小学生なので、聖なる三日間が大事だよと言ってもあまりピンと来ない。それでも、両親とよく相談して聖なる三日間に続けて来てほしいとお願いした。
▼大人の黙想会でも、聖なる三日間、それと聖金曜日の十字架の道行(福江教会は午後2時半)に参加してほしいとお願いした。こちらはチクチクと、針を刺すような言い方をした。「イエス様は誰のために十字架にかかったのですかね?私以外の誰かですか?私のためにもですよね。それでいて、参加すればできるのに参加しない、傍観者でいるというのは、十字架の道行を完成させることになるでしょうか?」果たしてどのくらい響いただろうか?



24/3/28(No.1287)

▼最後の晩餐の席でイエスはパンを裂いて弟子たちに渡し、「みな、これを取って食べなさい」と言われた。伊王島馬込教会でたまたま司祭館建設の時期に赴任していたので落成記念にと思い説教集を文庫本にした。説教集のタイトルを考える必要があったが、たぶんすんなりと「取って食べなさい」というタイトルにしたのだと思う。
▼その文庫本説教集も、とうとう在庫は無くなった。司祭館落成後に追加で印刷した「A年説教集」が、部屋を見回した範囲で五冊残っている。それだけである。ある意味「取って食べてもらい、何も残っていない」ということだ。受け取ってくださった方が消化し、糧としてくださり、信仰生活が豊かになっていればと今も願っている。消化不良を起こしたり、下痢をしたり、ましてや「体内にまだ残ったまま」など、ご迷惑をかけていないかも心配である。



24/3/29(No.1288)

▼聖金曜日の午後2時半から、十字架の道行が予定されている。前任地で走だったように、今年の四旬節から「等身大の木の十字架」を使って十字架の道行ができると思っていた。しかし準備が間に合わず、受難の主日と聖金曜日のみ木の十字架を担ぐことになった。
▼この原稿は3月16日に書いているので実際にはどのような結果になったかは分からない。良い結果になっていることを願っている。
▼こちらでは、「侍者旅行」が実施されている。3/16から3/17にかけて、一人助任司祭が同行している。ただ気になるのが、スケジュール通り進んでいるのか、予定に狂いが生じているのか、報告が無い。「報告せよ」とLINEしたら返事が来た。しかも、交代で浜脇教会前晩のミサに行くのだが、私に預けるはずのものを忘れて侍者旅行に行った。



24;3/30(No.1289)

▼何か、これまでの信徒が味わったことが無い体験を得させるためには、主任司祭が頭を使わなければならない。いろんな教会で新しい体験を積んでもらえるよう工夫したわけだが、その中でも田平教会での取り組みは忘れられないものがいくつもある。
▼復活徹夜祭の取り組みも、その一つだった。暗闇の中でローソクを祝福する「光の祭儀」を、会衆がいくらかでも見ることができるようにと、スクリーンに映し出すことを考えた。これはきっと、私がどこへ赴任しようと、続けられていく。ここ福江教会でもその提案をして、すんなりとではなかったが了承されて今年から実施する。田平教会での取り組みは、今でも私のアイディアの基本線である。



24/3/31(No.1290)

▼今年度、少なくとも前半は主任司祭・助任司祭・助祭の体制でスタートする。助祭を迎えるわけだが、いろいろ制約がある。司祭の立場からの言い前だが、ミサ・ゆるしの秘跡・病者の塗油などができない。
▼その制約を踏まえて、三つの小教区の司牧をすることになる。福江教会・井持浦教会・浜脇教会のミサ配分表を試しに作ってみたが、綱渡りのようなタイトなスケジュールになった。これをいつまでも続けることはかなり困難だと感じる。助祭様が司祭に叙階される日が、今から待たれるところだ。



24/4/7(No.1291)

▼何もかも初めてのことだ。助任司祭を送り出すこと。新しく助祭を迎えること。これまでの司祭三人で三小教区の担当を、司祭二人と助祭一人で三小教区を切り盛りすること。とにかく模索の日々である。
▼中田神父がこちらに来たとき、ミサの当番表を今回異動する助任司祭が割り振っていた。それがこれから主任司祭の割り振りとなる。しばらく司祭は二人なので、体調を崩したりしないか、当番表がそもそも不可能な配分になっていないか、昨年度よりも気の抜けない一年となりそうだ。



24/4/14(No.1292)

▼人事異動が完了し、これから新体制。頭のリセットが必要。年齢を重ねると頭のリセットはだんだん難しくなる。経験を積むと、経験を持ち込んでしまう。新しいことへのチャレンジも、そのための頭の切り替えも難しくなる。
▼「芯の通った信仰」を説教の中で考えてみた。芯の通った考え方があれば、貫いていける。私にとって、貫いていきたいことは何か。それが、「中心にイエスへの信仰がある」と証明する行動に繋がっているか。



24/4/21(No.1293)

▼天気予報を見るとき、海上の波とか、もっと言うと自分が住んでいない地域の天気とか、そういうのが気になる。五島市も狭いようで広く、島の東側と西側、北側と南側とでは天気に違いが出る。
▼五島にいて長崎の天気を気にするとか、福江にいて田平(平戸)の天気を気にするとか。済んでいる実感がないわけではないが、転勤族の宿命とでもいおうか。電話の応対で前任地の教会の名前を言うまではよくある話だが、「まだ行ったことのない教会」の名前をうっかり口にした。行ったことないし行こうと思わないのになぜその名前が出たのか。



24/4/28(No.1294)

▼浜脇小教区から、二家族の洗礼の申込を受けている。小教区としては小さな家族だが、大きな喜びを生み出す小教区と言える。私たちは「大家族」だった時代を知っているから、どうしても小さな家族になったときに戸惑ってしまう。
▼しかし、こうして小さな教会家族に大きな喜びが与えられるのは、「教会が生きている」証拠である。どの教会にも当てはまると思うが、「大きな喜び」がそこにあるとき、その教会家族は「生きている教会」なのだ。それぞれ、「大きな喜び」を見つけてほしい。



24/5/5(No.1295)

▼浜脇小教区から、二家族の洗礼の申込を受けている。小教区としては小さな家族だが、大きな喜びを生み出す小教区と言える。私たちは「大家族」だった時代を知っているから、どうしても小さな家族になったときに戸惑ってしまう。
▼しかし、こうして小さな教会家族に大きな喜びが与えられるのは、「教会が生きている」証拠である。どの教会にも当てはまると思うが、「大きな喜び」がそこにあるとき、その教会家族は「生きている教会」なのだ。それぞれ、「大きな喜び」を見つけてほしい。



24/5/12(No.1296)

▼木曜日にカトリックのミッション校が井持浦教会とルルドに巡礼に来て、前もってお願いされていたので教会案内とルルドの説明をしようと待機していた。2班に分かれていて、昼前の班は私が説明をしたが、昼からの班は私が聖堂で待っているとガイドの人がルルドに誘導して、ガイドが説明をし始めた。「じゃあ必要ないじゃん」と思った。
▼修学旅行生は中学3年生だったが、聖堂内でよく話を聞いてくれた。感心だった。話の終わり、「5月12日にルルド祭125周年行事があります。天気を心配しています。良かったら、君たちからも行事が無事にできるように祈ってもらえないだろうか?」そう言って今回の125周年のために用意した祈りのカードを配り、祈ってもらった。



24/5/19(No.1297)

▼聖体拝領を助祭がしている間、主任司祭はそれこそ「祈りと御言葉の奉仕に専念」しているのだが、祭壇の上のものを片付ければ時間短縮になると思うこともある。
▼ただ一方では、「いずれ司祭になって単独でミサをすれば一人でしなければならなくなるのだし、今のうちに訓練させておこう」という思いもあり、そのままにしている。
▼助祭時代の準備過程にしなければならないことのリストを受け取った。こんなに必要なのかと思ったりもする。これから助祭を預かった者として、この養成準備を見守っていく。司祭叙階まで、本人も見守る側もそれぞれ気を引き締める。



24/5/26(No.1298)





24/6/2(No.1299)





24/6/9(No.1300)





24/6/16(No.1301)








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