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11/01/01(No.511)

▼新年明けましておめでとうございます。今年も、思ったことを思ったとおりに書きますが、よろしくお願いいたします。過ぎた1年、思ったとおりに書いてみたら、ずいぶん迷惑をかけた人もいましたので、その点はもっと慎重にも慎重を期して文字にしたいと思います。やはり、文字は後世に残りますので。
▼家電エコポイントで国内消費がぐっと押し上げられた。専門家ではないのでたぶんそうなのだろうとしか言えないが、自分も御時世の流れに乗って、省エネ家電(液晶テレビ)を買い換えた。買い換えの特典までは活用しなかったが、エコポイントの申請もしたし、エコポイントで取得できる商品にも交換してもらった。ちなみにEdyのポイントに交換。
▼何だか面倒臭い手続きがあるのだろうかと思っていたが、インターネットが利用できる人であれば、ホームページから申請書にちょちょいと入力したものを印刷すると、あとは保証書とか、領収書を張り付けて郵送するだけ。これくらいなら、ものぐさなわたしでも何とかできる。おかげで、ちょっとしたものをコンビニで買う時に、「シャリーン」というEdy独特の音を聞くことができるようになりそうだ。
▼正月の三日間は、予定通りというか、届いた年賀状をまとめて返事する予定。どうしていつもこうなのだろうと思うが、わたしの能力ではこの状況をどうにも変えられない。政治家のように、そばで秘書の人がいろいろ準備をしてくれればありがたいのだが。だが給料も払えないので、絵に描いた餅だ。
▼今年は、五島に赴任している都合上、どうしても司祭団マラソンには参加しなければなるまい。練習といった練習は積んでいないが、恥をかきに、福江(五島市)に行く予定。おそらく25日くらいが当日と思うが、過去の栄光(新司祭の時から4年間は、連続2位だった)は捨てて、まったくの裸一貫で走るぞ。走れば、次の目標ができるというものだ。



11/01/02(No.512)

▼今この原稿を、2010年12月31日、巡回教会の福見教会司祭館で書いている。そうなった事情をここで書いてみたい。12月30日は木曜日で、朝は浜串教会のミサ、夕方は福見教会のミサをささげている。そして、金曜日が福見教会で朝ミサなので、木曜日は福見教会司祭館で泊まることにしている。
▼30日の午後、迷った挙句にノートパソコンを抱え、福見教会に移動した。これが結果的に幸いした。福見教会で夕方5時半にミサを終え、夜になり、天気が急変する。角砂糖くらいの粒の雹が降り、エアコンの暖房では部屋が暖まらなくなった。それでもここには石油ストーブやファンヒーターを使おうにも灯油を備えていない。仕方なく布団を被り、早めに寝ることにした。
▼朝起きると、景色が一変していた。一面の雪景色。めったにない積雪。朝起きて気がついたが、軒下の雪は、何度も落ちて積み重なり、腰の高さにまで達していた。司祭館から教会に移動するときも、「ギュッ、ギュッ」と雪の音がする。ミサ後に、信徒が声をかけた。「神父さん、これでは浜串には帰れないよ。普通のタイヤでは、スリップして転落だよ。」そうかもしれない、と思った。
▼朝食は、修道院にお願いして来客の部屋で食べさせてもらった。昼前には移動できるのだろうと思っていたが、昼も動けなかった。それで甘えて、昼食も修道院でお世話になることに。その間も天候が回復する兆しはなく、福見教会司祭館に留め置かれて、ずっと説教を書いていた次第である。ノートパソコンと、b-mobile3G(通信機器)を持っていってなかったら、どうなっていただろうか。持って行かない日もあることを思うと、神様の導きがあったとしか言いようがない。
▼この日、31日は朝からずっと福見教会司祭館にとどまり、夕方5時に高井旅教会のミサをささげて、タクシーを雇って高井旅教会から福見教会経由(オルガン奉仕のシスターを送るため)、そして浜串教会に帰った。おそらく1月1日も、同じようにしてタクシーで帰らなければならないかもしれない。あ、でもシスターたちが浜串に来るから、なんとかなるか。でもならないかも。



11/01/09(No.513)

▼どうやら風邪をひいたらしい。鼻が詰まってきた。目も充血している気がする。3日間郷里に帰省していた時に、気が緩んだのだろうか。弟がたばこを吸うのが気になっていて、のどが痛いのはたばこのせいだろうと思っていたのだが、そうではなかったのかもしれない。
▼長く足が遠のいていた人に会って来た。今回すぐ近くになったのに、なかなか足が向かず、失礼していたが、2時間ほど話してきた。とても喜んでくれた。こんなことなら早く行けばよかったのにと思うが、やっぱり敷居が高かったのだろう。
▼いくつか取り組んでみようと思っていたこともあったが、結局どれも実行できず、ごろ寝していた。1つだけ、会員の皆さんへの朝礼をアップしたっけ。これはあの環境の中でよく作ることができたなと感心している。絶対に途切れてはいけない業務の1つだったから、アップできてホッとしている。
▼風邪の原因に思い当たった。汗をかいたのを、そのまま放置していたのだった。暖房を入れた部屋にいたので大丈夫と高をくくっていたが、汗が冷えてしまって、風邪をひいてしまったかもしれない。これが原因であれば、まったく自分のせいである。家にいたせいにして申し訳ない。
▼1月の最初の喜びは、誓願式ということになりそう。親戚のシスターが、いよいよ修正誓願を宣立する。浦上教会時代は、中学生で歯を矯正しているところだったっけ。プレゼントを用意しなきゃ。喜んでくれるかどうかわからないけど、心に決めているものを包んであげよう。これからの長い道のりを、プレゼントした物と一緒に歩いてくれたら、これ以上の喜びはないなぁ。



11/01/16(No.514)

▼今回の説教案は、とりとめのない話になってしまった。今週は、「キリスト教一致祈祷週間」となっているが、こんなにばらばらな話をしていては、一致できるものもできなくなりそうだ。準備が悪かったと、つくづく反省している。
▼さて、お告げのマリアの誓願式のことを先週書いたが、「終生誓願」の「終生」が、「修正」になっていた。それこそ、終生誓願を立てた修道女から指摘を受けて初めて分かった。パソコンに漢字を任せっきりにしていると、こんなことになる。
▼その誓願式だが、何回か顔を出していると、出席する動機もいろいろ違いが出てくる。わたしは明らかに、「関係者がいれば出席、いなければ欠席」これで出欠を決めている。今回は親戚がいたので出席だが、出身教会か、赴任している教会か、どちらかに関わりがなければ、欠席していたかもしれない。
▼さらに腹黒いわたしは、こんなことも考えた。祝賀会で、「出身教会の主任神父さまは○○神父さまです。召命のきっかけをいただいた神父さまは○○神父さまです。」こんな紹介が祝賀会の途中に入るのだが、「誓願を立てた○○シスターには、親戚に○○神父さまがいらっしゃいます」なんて紹介が入ったりするのかなぁと、淡い期待を持っていた。
▼実際には、そういう紹介は微塵もなくて、ちょっと凹んでしまった。欲の皮が突っ張っているから、そういうことになる。自分の中にある偽預言者・偽善者の一面を見た思いだった。それからすると、何度も紹介を受けていたI神父さまは、紹介を受けることを予測して、わざと出席を辞退したのだろうか。そうだとしたら、わたしとは雲泥の差である。



11/01/23(No.515)

▼最近壁掛け時計の場所を変えた。事務机から真正面に見える壁に、転勤してからすぐに壁掛け時計を設置したのだが、座って眺めても立ち上がって眺めても、ちょうど室内蛍光灯が反射して文字盤が見えない。そこで、場所を90度変えて、事務机正面右に時計を移動。ここは、まったく蛍光灯の反射がなく、くっきり見える。
▼これは都合いいと思い、喜んでいたが、1週間、2週間と過ごしていくうちに、考えられないような不便さが発生した。時計を見ようと、無意識に目をやるのが、いつも事務机正面の場所なのだ。
▼本当に都合のよい場所、便利な場所は、無意識に眺める場所であるはずだ。急いでいるとき、考え事がまとまらないとき、何時だろうと思って時計を眺める。目をやると、そこに時計がない。そこで、「あぁ、そうか。時計は正面から真横に移動したのだった」と考えて時間を確認する。
▼思いだしたときには、真横を見て時間を確認するわけだが、無意識に時計を確認しようとして、どうしても正面の壁を見てしまう。「ここにはもう時計はないの」そう言い聞かせているのに、からだは受け入れてくれない。
▼やはり、真横の時計では、用を足してくれないのだろうか。いやそんなはずはない、と思いながらも、正面の壁に戻そうか、もう1ヶ月近く思案している。1ヶ月も迷っているのなら、迷わず正面に戻した方がよいのでは?



11/01/30(No.516)

▼司祭団マラソンに12年ぶりに出場してきた。準備もなしに、走りに行った。11キロを走る今回の目標は3つ、「途中で決して歩かない」「必ずゴールする」「チャンスがあれば何人か追い抜く」。3つとも、実行できた。けれども、タイムはみじめなもので、1時間7分20秒という惨憺たる結果だった。
▼司祭になって最初の6年間は走りに行っていたので、指示された11キロコースは十分にイメージできた。折り返しのコースの中で、序盤でやって来る小さな峠を越える部分がポイントになる。
▼折り返すのだから、終盤の山場にもなる。ここまで走り続けていなければならない。そうなると、まったく練習していない身分では序盤から勢いよく走るわけにはいかない。そこで折り返すまではじっと我慢して走ることを考えた。
▼作戦はうまくはまり、折り返してからみるみる足が軽くなって、しっかり地面をとらえて走ることができた。この時点でようやく、「練習していれば、前半からもう少しペースを上げることができたのに」と悔やみながらの後半戦となった。それでも、一度も足を止めずに走るために、気を抜かずに走った。
▼前半で1人、走っては歩き、走っては歩きしている後輩をとらえ、追い越した。「抜き去った」とはお世辞にも言えない走りだったが、やはり追い越すと気分はいい。折り返して次のターゲットをと思ったが、折り返してすぐに1人抜いた後は、なかなか標的が見つからず、一人旅で苦労した。
▼終盤、あと1キロというところで、ターゲットを補足。この時点ではゴールまであと少しという気持ちが追い風になり、並ぶ間もなく追い越した。そうしてゴールしたのだが、ほとんどの参加者がお互いの健闘をたたえ合っていたのが、とてもショックだった。「やっと帰って来た」みたいな目で見られていたのだ。これは耐えられない。
▼温泉につかった後に信徒の皆さんの準備してくれた食事会でごちそうになった。成績発表があり、当然わたしは最後の方で名前を呼ばれた。「一言ありますか」と聞かれたので、「1時間を切ることができず、ショックです。来年は、1時間前後の人はわたしのお尻を拝むことになるでしょう。覚悟してください」と、大見栄を切って来た。わたしは必ず実行する。来年は、1キロ5分の計算で、55分のゴールを設定タイムにしたい。



11/02/06(No.517)

▼最近話題の情報機器と言うと、スマートフォンとそれを大きくしたようなタブレット型の通信機器だ。面白いなぁとは思うけれども、要らないかなぁと思ったりもする。ところが、大阪を会場にしての視覚障害者の施設長が集まった研修会で、今触れた情報機器が研修内容に取り上げられていたのには驚いた。
▼具体例を挙げて申し訳ないが、アップルのアイパッドは、全国的に利用が始まっているインターネットを使った視覚障害者の読書サービス「サピエ」には大活躍することを実演して見せてくれた。「サピエ」というサイトには、膨大な量の図書が、視覚障害者が利用できる形で登録されている。これを、移動時にも、自宅でも垣根なく利用できるのだから、わたしは目を丸くして見ていた。
▼問題は、どの情報機器も指で触れて操作することが前提になっているということだ。ボタンもタッチスクリーンなので、基本的には見て触ることになる。画面上のたくさんのボタンを、どうやって押し分けるというのだろうか。ところが、この情報機器を、駆使している達人が、実際にはいるというのだ。
▼わたしはにわかには信じられないが、あり得ないことでもないのかなと思った。研修会1日目の夜に親睦会を持ったが、食事をするときに視覚障害者はわたしたちと全く同じように食事をしていた。彩りを見ることができないだけで、あとはおそらく何も変わらないのだろう。ということは、情報機器では彩りは関係ないのだから、駆使する達人がいても不思議ではないということになる。
▼それでも、わたしは先に述べた情報機器にお世話になるのはまだまだ先のことだと思っている。みんなが、「使ってないの?遅れているね」と言われたら、考えることにしたい。それよりも、ノートパソコンがもっともっと進化して(1kg以内で、16インチ以上、しかも高速処理)、情報機器の先頭を走ってほしいのが本心である。



11/02/13(No.518)

▼この数週間、メルマガ配信で頭を悩ませている発行スタンドがある。以前にも書いたかもしれないが、まともな発行ができず、困っている。申し訳ないが、名前を書いておく。E-Magazineという発行スタンドである。手を焼いている。
▼2月6日のメルマガ発行の際、土曜日の午後2時ごろ3時ごろ、4時ごろにメルマガの配信をかけた。都合5回、メルマガの配信をかけたが、とうとう配信してくれなかった。しかも、配信済みのログには、今回の画像にある通り、配信済みのリストとしてちゃんと掲載されているのである。
▼だから、わたしにはもう責任がない。配信会社側は、「1日のメルマガの量が膨大になって」とか「1日の配信回数を1回と想定していたので」とか説明しているけれども、配信が完了したというリストに載っていれば、こちらも安心するわけだし、それ以上こちらが何も手を出せない。だから、「E-Magazineから配信が届かない」と言われても、わたしには手の施しようがないのである。
▼できるだけ、他社のメルマガ発行スタンドに移っていただければありがたい。メルマガの最後に掲載しているように、PC用のメルマガはほかにも数社利用している。都合のよいものにぜひ乗り換えてほしい。該当の発行スタンドには申し訳ないが、この発行スタンドでは過去にも何度か、配信してもらえなかった前科があるのだから。
▼乗り換えをお願いしたいが、ほかの発行スタンドは仮申し込み・本登録の形が多く、ケータイで受け取っている人には不便だと思う。だから申し訳なく思っている。こんなに迷惑がかかっているのに、わたしとしては謝るくらいしかできることがない。本当に悔しい。この悔しさをどこにぶつけたらよいのか。
▼悔し紛れに、2月6日の分を2月8日(火)の夜7時5分ごろに配信をかけた。これで6回目だが、7時5分に、夜8時の配信予定と指示をして配信を書けたところ、夜7時29分59秒に配信されたようである。
▼経験上、このE-Magazineという発行スタンドが無事に配信を受け付けてくれるのは、0分から15分くらいに、該当するメルマガの配送予約を入れて、お祈りしながら待つ、そういう場合だ。「配信はしたけど、ちゃんと届くのだろうか・・・」こんな心配をするのはもう懲りた。もう疲れた。なので、このメルマガの最後にあるいろんな発行スタンドを見て、どれかに乗り換えていただければと思っている。



11/02/20(No.519)
▼遠い遠い先の夢。神学生になるために最初のお世話をした人が、いつか司祭になること。これはどんな司祭にとっても最上の喜びだろう。もしかしたら、そのような夢が、現実になるかもしれない。
▼神学生になるためには、神学院に入学することから始まる。神学院に入学するためには、主任司祭が書類を整えてあげる必要がある。もちろん、本人が入学試験に合格することが前提になるが。
▼わたしは、かつて1人の小学6年生が神学院に入学するに当たって、書類を整えてあげたことがある。その子が、今年は朗読奉仕者に選任されることになった。朗読奉仕者の次は祭壇奉仕者、その後は助祭、司祭と進んでいく。
▼ただし、あまり実感はない。なぜかというと、今触れた神学生の場合は、「司祭になりたい」と相談を受けて、「行ってごらん」と勧めたわけではないからだ。実は、両親が本人を連れてきて、「神学院に入ることにしていますので、書類をお願いします」とお願いされて書類を整えたからだ。
▼今後、もっと関わりを持って、「神学院に行きたいです」「そうか。行ってごらん」「はい、行ってみます」そういうやりとりをして、神学生を送り出し、育ててみたい。そしてその暁に、その子が司祭になるのをこの目で見届けてみたい。2月20日の長崎教区の司祭叙階式の日に、こんなことを思った。



11/02/27(No.520)

▼葬儀のため、先週の日曜日は叙階式ミサに参加できなかった。よって、「今週の1枚」は掲載する写真がない。大変申し訳ない。教区の広報委員なので、そのうち写真が利用できるようになるかもしれないので、その時には追って掲載する予定。
▼「泣いて馬謖を斬る」という中国のことわざがあるが、E-Magazineは廃刊することにした。「最近説教が届かない」と前任地の信徒の方から言われ、「やっぱりそうか。ここはもう利用できないな」と判断した。「泣いて・・・」は、実質この発行スタンドがいちばん読者数が多かったからである。
▼メルマガが届かないのに、どうやって届いていない読者に「撤退のお知らせ」をするのか。わたしもわからないが、とにかくこちらとしては誠実に、E-Magazineからの配信作業をして、確かに配信の準備を整えた上で、撤退する以外にない。これまでも、E-Magazineに限らず配信作業は続けて来たのだが、E-Magazineから配信を受けている人には本当に申し訳ないと思う。
▼もしかしたら、撤退することでこれまでの読者320人がすべて消えてしまうかもしれない。配信されなくなったなぁ・・・で終わる人もいるに違いない。何人かは、配信の必要性を理解してくださり、自発的に配信先を探すかもしれない。とにかく、最大の顧客を失うのは痛恨の極みである。
▼無料のメルマガというスタイルは、営業としてはなかなか成り立たないらしい。そうなると、よほど体力のある会社でないと、続けていくのは難しいだろう。E-Magazineからは、自分は撤退するが、会社の運命はどうなるのだろうか。ちょっと気になる。



11/03/06(No.521)

▼3月6日、小教区で釣り大会を企画した。楽しみにしていた。自分自身が釣りが好きだということもあるが、自発的に計画し、わたしは商品を準備して参加するだけでよかったから、本当の意味で自分たちの行事を目にするということになる。
▼どうやってこの計画を成功させるのか、どうやってこの大会を盛り上げるのか、これからも続きそうな行事なのか、いろいろと見てみたいと思う。継続していく行事にはそれなりの理由がある。魅力的だとか、みんながその必要性を十分理解しているとか、何かがあるから続くわけで、その理由を、この釣り大会から探してみたいと思う。
▼前任者の司祭と、その前任者が赴任した「わたしの前任地」の信徒が、この大会に参加する。招待状を出して呼んだ形になっているが、本当は請求されたのではないかという気もしている。きっと、懐かしいこの大会の中で、のびのびと活躍するのだろう。
▼実は来週も、釣り大会が予定されている。来週は子ども釣り大会。2週連続で、公務で釣りができるなんて、こんなにありがたいことはない。船の調子をもう一度点検して、楽しみたいと思っている。いずれの大会も勝負を争うことになっているが、わたしは釣りができればそれでいいと思っているので、勝負は勝負の好きな人に任せたい。
▼初聖体の2人。本当におめでとう。2人しかいないのに、いつまでも名前が覚えられなくてごめんなさい。最近ようやく、2人の区別がつくようになったよ。これから教会学校も始まるし、神父さまは本当に楽しみにしている。お祈りも、みんなにくっついてのお祈りだけじゃなくて、これからは先唱もするから、がんばろうね。



11/03/13(No.522)

▼いま、地震と津波で壊滅状態になっている街をヘリコプターで報道しているテレビにくぎ付けになっている。これが、本当に人々の住んでいる場所だったのだろうか。すっかり流されて、家の基礎だけが残った平野。すべてを奪い去った無人の場所。何をどう言葉にすればよいのかわからない。
▼中学生の時、長崎で1度、大きな地震に遭遇したことがある。まだ人々が活動を始める前のごく早い朝に、ドスンという音で下から突き上げる揺れを感じた。わたしたちも全員まだ寝ていたのだが、ワァワァ言いながら集まったのを覚えている。
▼もう1つ、長崎に住んでいる間に大きな火事にも遭遇した。神学校からすぐ見える場所が、火柱を上げて燃えた。地震と火事、別々のものだったが、今回の災害は地震と津波と火事が、同時にやって来たということだから、言葉を失ってしまう。
▼今回、災害の映像を見ながら、津波が集落を飲み込むその時に、火災が発生するのを初めて見た。水が押し寄せているのに、火災になるということを初めて知った。また、津波が去った後にも、あちこちで火の手が上がり、場所によっては火の海になっていた。
▼これでは助かる人も助からないのではないかと、心を痛め、何とか犠牲が大きくならないようにと祈るしかできなかった。13日(日)に予定していた子ども釣り大会は、相談の上で中止することにした。長崎県にも、津波警報が出ていて、この雰囲気で釣り大会は、控えるべきだとの結論に至ったからだ。
▼災害に遭われた方々のために、心から祈りをささげる。読者の皆さんにも、祈ってもらいたい。そして、もし読者の中に、災害に遭われた方がおられたら、お見舞い申し上げます。



11/03/20(No.523)

▼黙想会の説教は疲れた。ヘトヘトになった。最終日の夜、ベッドにドサッと落ちた。うーん、しばしば黙想指導をするような人たちは、一体どんな工夫をしているのだろうか。これは、釣りにでも行かなければエネルギーのゲージは上がらないと思った。
▼最近、喜ばしいことがあった。関わっている「声の奉仕会マリア文庫」(目の不自由な人のためのボランティア団体)のもとで録音図書を利用している利用者の方から、電話がかかって来たのだ。電話のきっかけは、「横断歩道の信号機認識のために鳴っている音は、どんな意味があるのでしょう」という投げかけを毎月収録を求められている録音メッセージに込めたことだった。
▼教えてもらったことは、横断歩道が一直線のものなのか、交差している横断歩道なのか、そういうことを耳で聞きわけるための工夫が施してあるのだという。長崎市内には、交差している横断歩道もあるので、今度目を閉じて立ち、確かめてみたい。
▼また歩道に敷き詰められている点字の案内板は、丸いぶつぶつのものと、短い線を組み込んだものがあって、丸いブツブツでいったん止まることになっているという。教えてもらってなるほどと思うことがたくさんあった。
▼震災から1週間。未曾有の大惨事に言葉もない。今報道は、「自分たちに今できること」ということに力を入れているようだ。いちばん適切な方法で、被災した方々の心に寄り添ってあげたい。「頑張れ」ではなく、「一緒にいるよ」と、声をかけたい。



11/03/27(No.524)

▼豪快な神父さまだった。一面では慎重な面もあったのだと思うが、わたしにとっては大分の司教さまになる浜口神父さまは豪快な人だった。大曽教会時代には学生だったわたしたちとよく休暇中にテニスをして楽しんだ。
▼楽しむというのは思い出だからそう言うのであって、テニスコートを開放する午後10時から、コートをナイター利用者に明け渡す夜7時まで、昼食をはさんでぶっ通しでテニスの相手をした(させられた)。ここにもう1人司祭が絡んでいるが、それは浜串小教区の当時の主任司祭である。
▼2人とも、神学生のわたしや後輩O神学生、H神学生に比べれば「おじさん」なのだが、体力、技術とも、全く歯が立たない。それほどエネルギッシュな先輩だった。テニスのほかにも、マラソンもこなし、過去にはホノルルマラソンにも出場経験がある。
▼どのように説得したのか、浜口師は溝部司教さまに口説かれて高松教区派遣司祭として働きに行かれた。活躍ぶりは風の便りに聞こえていたが、もしかしたら高松教区の後継者として高松教区は招いていたのかもしれない。あくまで想像。
▼大分教区は、近い先輩後輩司祭がいて、親しみを感じる。宮原司教さまが叙階された時も、大分に出向いた。今回も、はりきって叙階の様子を見届けに行こうと思う。木枯らし紋次郎・・・いや、浜口末雄師のこれからの大分での活躍を、心からお祈りしたい。



11/04/03(No.525)

▼ある日の朝の、漁協の案内放送。「ただ今、浜串漁協センター前にて、アジ1キロ200円にて販売しております。ご利用の方はお早めにお買い求めください。繰り返し・・・」この集落では、アジは1キロで200円らしい。
▼このアジを買い求めて、朝からアジの刺身を食べている。もっと言うと、あえて買わなくても、「神父さまに食べさせてあげて」と、わざわざ買ってきてくれる人がいるので、最近は買わずに待っている。すると、「果報は寝て待て」ということで、ちゃんと手に入る。
▼アジの刺身は、読者の皆さんはしょう油で食べるのだろうか。わたしはもっぱら、「ヌタ(酢ミソ)」で食べる。それも、酢がきつめのほうがお好み。元来は酸っぱいものは嫌いなのだが、酸っぱい「ヌタ」が幼いころの味なので、これでないと落ち着かないのである。
▼こうして朝からモリモリ食べるので、運動不足になる。「『〜になる』で落ちを付けずに、運動したらどうだ?」と言われそうだが、週2回2時間ずつのミニバレーと、たまのテニスと、たまの魚釣り以外は、今のところ積極的に運動はしていない。もちろん宣言したとおり来年の司祭団マラソンは1時間を切るつもりだが、練習にはまだ気持ちが乗らない。
▼転勤でやって来た司祭たちは、ちょっと緊張気味だった。上五島での司祭生活は、きっと忘れられない思い出になるだろう。上五島でしか味わえないことを、いろいろ味わって、1日1日を積み上げてほしい。いろんな出会い、純粋な子どもたち、熱心な信徒、かけがえのないこれからの日々にエールを送りたい。
▼そう言えば、気になっている人と話をする機会があった。電動シニアカーで移動するおじさんと、ようやく話をした。移動は電動カーなのに、船に乗り、アラカブ釣りに欠かさず出ているおじさん。「おとうさん釣れてる?」「昨日はあまり釣れとらん。一昨日は23匹釣れた。いつも同じ場所にしか行かない」これだけだった。おじさんにしてみれば、緊張していて、ようやくこれだけの言葉を絞り出したのだろう。1年分の会話。貴重な会話だった。



11/04/10(No.526)

▼最近、趣味の釣りに2週連続で行った。「うちの主任司祭は全然運動しない」と、心配をしてもらっているが、ケータイに付属のウォーキングカウンターがある日1万2千歩を記録してびっくりした。その日、その時間に歩いた覚えはない。よく考えると、ボートの上で2メートル近い波と格闘していた時だ。3時間、大きな波に揺られていたのが、どうやらカウントされたらしい。
▼その後、長崎本土に出かける日があり、翌朝、滞在した大司教館から船に乗るターミナルまで、朝の6時に起きて歩いて向かった。この日も9千歩を超えていた。これで、今月分の運動は終わり。あとは、週2回のミニバレーと、月3回くらいのテニス。これくらいか。ひどい日は、1階の食堂と、2階の執務室と、トイレに行くだけで、数百歩しか歩かない日もある。総合検診はきっと赤信号だろう。
▼ミサのお手伝いをしてくれる侍者に、新人3人が加わった。女の子ばかりだが、2年生の子がよく1年生の面倒を見てくれて、うまくローテーションは回りそうである。まだ戸惑っている侍者に、こちらが動きを合わせて、侍者デビューの日はなんとか無事に終えた。
▼マリア文庫(視覚障害者のためのボランティア)の関係で、熊本の国立ハンセン病施設を訪問した。わたしは事情があって現地で合流。会員の皆さんはタクシー会社のマイクロバスで先に訪問地に入っていた。わたしは特急と新幹線、さらに私鉄を乗り継いで現地に入った。おかげで、九州新幹線に一足先に乗ることができた。早い。静か。
▼最近、長崎の行き帰りが相当体に堪えている。帰って来るとぐったりとなって、何かをしようという気になれない。こんな生活いやだなぁと思っていたのだが、通勤2時間という人は都心にはざらにいるのだろうから、それを考えたら五島−長崎の往復は変わらないかもしれない。そう思うようにして、これからも頑張ろうと思う。



11/04/17(No.527)
▼過ぎた一週間は外に出てばかり。広報誌の割り付け、音訳養成者の講座で講話、鹿児島で九州視覚障害者情報提供施設の大会、広報誌の校正と、ほとんど教会を留守にしていた。
▼先週の熊本とあわせ、今週もまた新幹線「さくら」に乗った。静かで、早い。ただ今回の鹿児島行の新幹線では、悲しいことに切符を失くしてしまい、どうしても見つからなかったので買い直す羽目になった。
▼どうして無くしたのか、思い出せない。自動改札を通過したし、何両目のどの席まで、切符を見て確認し、車両に乗ったのに、座席に座る前に切符を確認してから座ろうと思ったら、切符が見当たらなかった。
▼ショックで、鹿児島で過ごした時間はわたしの中では遠い思い出のようになっている。どこかで切符を手放したのだと思うが、数十メートルのどこかで落としたのであれば、周囲の人も「落としましたよ」と言ってくれそうなものだ。本当にわからない。
▼ショックを受けたと言えば、月曜日にもガッカリする出来事があった。長崎の大波止ターミナルで、五島産業汽船の窓口に帰りの切符の引換券を差し出したところ、窓口の女性が「鯛ノ浦には車を置いて長崎に出ましたか?」と尋ねられた。
▼はいと答えると、車種を聞いてきたので、「ホンダの・・・」とそこまでは出たのだが車の名前が出て来ない。「えーっと、ナンバーは228、紺色です・・・名前・・・思い出せません。」とうとうその場で名前が出ずに、正式な切符と引き換えた後、待合所で車の名前を思い出そうと真剣に悩んだ。
▼頭の中で、車が出て来た。しばらくしてようやく、「あっ、SM-Xだった」とようやく思い出し、恥ずかしかったが窓口に戻って「車の名前、思い出しました」と告げた。「中田さんですね。SM-Xでしたか。到着時に駐車場に回しておきます。」と答えてくれた。きっと、「この人認知症だわ」と思ったに違いない。



11/04/21(No.528)

▼受難の主日の説教をメールマガジンで配信した直後、いろんな人からメールでお便りをいただいた。メールマガジンが役に立っているのだと、あらためて実感する一コマである。
▼身近な人に役に立てる人になることはだれにでもチャンスが巡ってくるが、見ず知らずの人にも役に立つということはそうチャンスがあるわけではないので、わたしにとってはかけがえのない仕事だと感じる。
▼最近長崎でインターネットを使ってメッセージを発信している人を知らないかと聞かれたことがあるが、わたしは把握していない。確かなことは言えないが、司祭がみずからメッセージを発信している例はないのではないかと思う。寂しい限りである。
▼長崎教区でインターネットを使ってメッセージを発信しているサイトを検索するが、同業者を見つけることができない。違う教区の司祭はあちこちでサイトを立ち上げている。どこかに立ち上げているのかもしれないが、一時間探してみたが、見つからなかった。
▼あちこちサイトが立ち上がっているのは心強いのだが、長崎教区には45歳のわたしよりも後輩が36人もいる。何かが立ち上がっていてもおかしくないのだが、わたしはそれを聞いたことがないし、見たことがない。
▼どういう事情かは分からないが、後輩たちが一日も早く、ネット上での活動に着手して、経験を積んでほしい。長崎教区からの発信がいろいろ出ることで、今までとは違った交流や、関心を持ってもらえるはずだ。わたしがこの活動を継続できるのも、せいぜいあと30年なのだから。



11/04/22(No.529)

▼受難の主日の説教の時、原稿の誤変換に気がついた。配信してから気づいても遅いのだが、少なくとも2箇所、パソコンを信じすぎて誤変換していた。「十字架に貼り付けにされている」これは、パソコンの「コピーして貼り付け」という感覚だ。イエスさまがコピーして貼り付けでは、薄っぺらいものになってしまう。
▼同じ段落に、「向き合わなければ鳴りません」これも誤変換である。土曜日の前晩のミサから、都合4回もこの誤変換を見て説教をしたが、本当に嫌気がさしてしまった。ミスに気づかないわたしに責任があるのだが、だんだんミスに気づかないようになっているのかもしれない。悲しいことだ。
▼聖香油のミサに参加した。このミサの後、司祭の集いも開かれ、25周年、50周年、60周年、そして司教に叙階されることになった被選司教さまがお祝いされた。この先輩方を見ながら、長くこの務めを果たすために、健康にはくれぐれも気をつけなければならないと感じた。
▼いくら何でも25周年は迎えることができるだろうが、50周年はよほど健康に留意しないと、お祝いしてはもらえないだろう。ギリギリそこまでたどり着けるかもしれないが、今年は60周年の対象者もいる。立派だなと思う。
▼矛盾しているかもしれないが、ある意味「この世」に死ななければ、長生きできないのではないかと思った。「この世」は命を縮める要因に溢れている。タバコ(受動喫煙も含めて)、パチンコその他のギャンブル、食べ物の好き嫌い、過度の飲酒、生活習慣。数えればきりがない。
▼それら「この世」に死ぬことが、この世でも生きることにつながるのではないだろうか。予測できないことは仕方がないとしても、みずから望んで不安要因を抱えて生きる必要はどこにもない。十字架上のイエスが、「わたしに従いなさい。」と呼びかけている。



11/04/23(No.530)

▼御復活おめでとうございます。今年は洗礼式も準備できず、司祭としては働きが足りなかったと感じている。証しが足りなかった、そのことに尽きる。洗礼に導くことだけが証しではないだろうが、それぞれの家庭の信仰生活に、もっと司祭が手をさしのべることができたはずである。次の復活祭までには、そういう報告ができるようにしたい。
▼今週、2度、福音を役割分担して朗読した。司祭と、語り手(C)と、群衆(S)と、他の登場人物(A)である。ちなみにC・S・Aのうち、Cは福音史家の語り(celeriter、速やかに)の頭文字、Sは群衆のせりふ(sursum、高く)だそうだ。Aも、きっと受難音楽のラテン語の指示の頭文字なのだろう。詳しい人がいたら、返事ください。
▼その受難朗読だが、本来の「速やかに」「高く」など、もっと積極的に取り入れた方がよいと思う。今回の朗読では、思い入れがあるのか、かなり抑揚を付け、声を変えたりして朗読している担当者がいたが、そこまでの指示はなされていない。
▼一般的にそうだが、朗読にことさら感情移入してしまうと、聞いている者は抵抗を感じるものだ。声を変えてまで聖書朗読する必要を、わたしは感じない。演劇であればその必要もあるだろうが、聖書朗読はあくまで神のみことばの朗読だと思う。
▼話し方の講師が、「笑いを誘う話をするときに、本人が笑いながら話してもうまく伝わりません」と言っていた。そうだろうと思う。あくまで、聞き手が笑うためにそのような話に触れるのであって、本人が笑っていては聞き手は引いてしまう。
▼あまり出番の来ないキリスト役を務めながら、「キリストの声」とはどんなものだろうかと考えた。受難音楽上は、T(tenere、ゆっくり)という指示があるそうだ。キリストの声、いろいろ考えが巡る。このミサの後、45年物のワインを飲みながら、考えてみるか。もっとも、ワインが回れば、考えることもできないだろうが。



11/04/24(No.531)

▼今年も、聖週間の説教と「ちょっとひとやすみ」を一つにまとめ、パンフレットにして信徒に配った。紙がもったいないと思う人もいるかもしれないが、聖週間の説教を通して、次の聖週間まで神の救いの計画と、イエスの愛に、少しでも触れることができればと思ってのことである。
▼それにしても今年は時間が足りなかった。出張が重なって、どうしても腰を据えて説教に取り組めなかった。ある時は新幹線の中で、ある時は船の中で、ある時は宿泊先で、四苦八苦して考えた。考えてばかりでは頭だけのようだが、福音朗読から何か聞こえてこないかと、何度もテキストを読み、耳をすませた。
▼パンフレットは、当然一人の手では作れない。いつもだれか協力を仰いでいるのだが、今年はだれに頼もうかと考えあぐねていたが、いいメンバーを思い出した。中学生だ。確か6人はいたと思うので、お願いしてみよう。できれば、このパンフレットを真っ先に中学生に読んでほしいところだが、はたして興味を持ってくれるだろうか。
▼昨日のワインは甘すぎた。調べた範囲で銘柄を紹介すると、フランスワインで、ヴァル・オーリス バニュルス グラン・クリュ Banyuls Grand Cru 1966年物。1966年物というのは、つまり自分の生まれ年ワインということである。
▼ちょっと飲むのはおいしいけれども、グイグイ飲むには甘すぎると思う。ミサワインも、かなり甘いが、それ以上だったかもしれない。とにかく、一度に空けてしまうほどお酒に強くもないし、あの甘いワインではお酒に強くても飲み干せないのではなかろうか。
▼昨日の「ちょっとひとやすみ」を読み返すと、「キリストの声」を思い巡らすと書いてあったが、ワインを一杯飲んだ時点で、その計画はボトルの中に沈んで消えてしまった。キリストの声は、これからもずっと追い続けよう。もしチャンスがあれば、十年に一度開かれるキリストの受難劇を観て、そこでも考えてみたいと思う。



11/05/01(No.532)

▼亡くなった松永神父は3人が同期で叙階した中の1人だった。だから1人が通夜の説教をして、1人が葬儀ミサの説教を受け持った。どちらも、泣きたい気持ちを必死にこらえて、精いっぱい努めを果たしてくれた。30代らしいなぁとは思ったが、心を打つ説教だった。
▼自分も、同期は3人である。同級生で、後で叙階した司祭がいて、どちらで考えても3人である。だれかが先に死ぬ。その時、彼について自分は何が話せるだろうかと、真剣に考えたし、自分が先に死んだら、自分のことを彼らはどう話すのだろうかと考えた。
▼お互いに、本当に何かを分かりあっているだろうかという不安がよぎる。同期だから、同級生だからと、ことさら意識していないものだから、いざという時のことを考えさせられた。あらためて亡くなった司祭と、その同期生たちが深いきずなで結ばれていたのだと、感心させられた。
▼ふだんは結構時間を当てにして生きている。あと20年とか、30年は働けるものだとたかをくくっている。もしかしたら、そんなに時間はないのかもしれない。命にかかわる病を得るかもしれないし、突然の災難に巻き込まれるかもしれない。それなのに、どうしてふだんの生活は真剣さが足りないのだろう。
▼無駄なことをたくさんしているし、お金の無駄遣いもするし、だれかが触ったらびっくりするようなものさえ机の上には積み上がっている。おまけにみすみすチャンスを逃すことだってある。こんな体たらくで、悔いのない人生を送れるのだろうか。最後に、後ろを振り返らずに旅立つことができるのだろうか。
▼復活節は、イエスが死んで、復活したことを過ごす季節である。わたしたちは、イエスに倣って何かに死んで、新しい人になっているのだろうか。



11/05/08(No.533)

▼小さなチャペルでミサをすることがたまにある。または、都合があって一人でミサをすることがある。そんな時の体験。ミサの準備を一人でして、さてミサを始めたところ、肝心のミサ典書(儀式書)を出してない。
▼えーい、と思って、儀式書を引っ張り出さずにミサを続けた。毎日のミサというパンフレットを頼りに、開祭の儀、回心の祈り、集会祈願、第一朗読、答唱詩編、アレルヤ唱、福音朗読、パンとぶどう酒をそなえる祈りと、順調に進んだ。叙唱は毎日のミサに幸い付録で印刷されていた。
▼いよいよ奉献文。第二奉献文を唱え、信仰の神秘まで進んだ時に頭が真っ白に。その後の司祭が一人で唱え続ける祈りが、言えそうで言えないのである。何度か言い直したりしてみたが、どうしても確信が持てず、仕方なく儀式書を取り出して確認。
▼儀式書を開くと、あら不思議。儀式書を見なくてもすらすら出てくる。置かないと、出てこないのに、置くと読まなくても言葉があふれてくるのである。きっと、ミサの会衆が集まっている場ではなおさらそうなるのだろう。
▼不思議である。一人ではどうしても唱えられないのに、会衆が集まった場だとすらすら出てくるし、儀式書がそこに置いてあるだけで、ちゃんと唱えることができる。ただ、違うことも考えた。
▼自分が仮に入院した時、または異常な状態に置かれて、ミサの儀式書が手に入らないとき、パンとぶどう酒を手に入れて、ミサの奉献文を暗唱できなければ困るだろうなぁと。そういう場面が絶対起こらないとは言い切れないのだし。
▼だから、もう一度静かにミサをささげる時が来たら、どうすれば儀式書のない困難な場面でも確実にミサをささげることができるかを考えておきたい。一つのヒントになると思ったのは、やはり歌ミサである。抑揚をつけて、歌いながら唱えると、結構間違えずに進めることができるのだ。
▼入院したら、きっとミサは歌ミサになるだろう。歌ミサなんて、生涯ささげないと思っていたが、いつかそんな時が来るかもしれない。その時は見舞いに来てください。



11/05/15(No.534)

▼最近たくさんの巡礼団が来て、浜串教会でミサをささげてくださっている。巡礼にやって来る方々は、長崎教区の場合「長崎巡礼センター」に問い合わせて巡礼の申し込みをする。巡礼センターは、行き先の教会と連絡を取り、巡礼ミサなど、時間に差し支えがないか確認してくれる。巡礼センターには細かい連絡など、本当に頭が下がる。
▼さまざまな巡礼団がやって来るが、5月14日は恩師が巡礼団の同行司祭だった。わたしが中学高校とお世話になったカトリック校に、かつて教師、後に校長として関わってくれた先生だ。巡礼団を連れて司祭館を訪ねてくれたときに、「校長先生」とおどけてみたら、「違う違う。今は一介の主任司祭だよ」と、笑って答えてくれた。
▼巡礼にやって来る方々の熱意に、本当に感心する。関東から、また東北からも、五島を訪ねてくる。そして、五島の教会に何かを得て、力づけられて帰っていく。わたしたち五島の教会の当事者は、外からやって来る人々が心打たれるこの五島の教会に、どんな思いで接しているのだろうか。
▼灯台もと暗し、と言うが、外からやって来る人が感じる感動を、地元の人々は気付かずにいるのかもしれない。五島にあって他にないものを、わたしたちはよく知り、よく理解するようにすべきだ。それを失わないように、しっかり継続できれば、わたしたちの教会は存続できるのではないだろうか。
▼NHKの番組で、国宝や重要文化財レベルの仏像を所蔵していながら、維持管理できずにそれを手放したり、盗まれたり、博物館に保管を委託したりしているという話が取り上げられていた。
▼地元にあって、価値があると思うものでも、環境を横に置いてでも、安全な場所に移さざるを得ないのは残念なことだ。五島の教会がそうならないと言い切れるだろうか。どうしたら、価値あるものを維持していくことができるか、後世に残していくことができるか。よく考えなければならない。



11/05/22(No.535)
▼巡回教会のミサで、いよいよパンとぶどう酒を準備するときになって司祭用のホスチアがパテナ(カリスに備え付けられている、司祭用のホスチアを載せる皿)に載っていなかった。あれれ?と思ってミサ中に香部屋に直行。ところが慌てていたのか、どうしてもホスチアが見つからない。
▼実際には、だれが見ても分かるいちばん目立つ場所にホスチアはあったのだが、慌てているときはそれが目に入らない。たぶん、視野は本当にせまくなっていて、直径10センチとか、そういう部分しか見ていないらしい。
▼当番を務めていたシスターが平に謝っていたが、わたしが20年前だったら叱り飛ばしていただろうが、今は年を重ねた。「シスター。まぁそういう時もあるさ〜。」この日は、自分も車の鍵とかが束ねてある鍵束を見つけることができず、10分もの間探し回った。実際には手に持っている鞄のサイドのポケットに入っていたのだが、気が動転しているとそれに気付かないのである。
▼何か、鍵束の音はするけれども、どこを探しても手に触れない。あきらめて車を離れ、教会に戻ってみてシスターたちに探してもらうがそれでも見つからない。これには参った。最後は見つかったが、自分がこういう状態だから、人に厳しくすべきではない。
▼NHKの平日19時半の番組で、高齢者を叱るのは教えることにならないので、「叱らない介護」を目指すようにと取り上げていた。教会のしていることも、離島などに来るとちょっとした高齢者介護だ。叱らず、褒めて、信者を導く必要があると思う。



11/05/29(No.536)

▼九州商船の新造船「フェリー万葉」に初めて乗船した。従来のフェリーと組んで運航しており、奇数日の運航と偶数日のダイヤがあり、奇数の月と偶数の月でまたそのダイヤが入れ替わるという、なかなかに覚えるのが難しい。
▼ダイヤを覚えないまま奇数の5月の偶数日に長崎からフェリーで帰ることにしたら、うまく12時10分発がフェリー万葉に当たった。船の外観もちょっと変わった感じがしたが、内部は昔作った船とは全く違うデザインになっていた。高齢者のためのバリアフリー船室があったし、一般客室もゆったりとした部屋割りになっていた。
▼ロビーも、バーカウンター風になって、甲板部分への出入り口は全面ガラスの自動ドアだった。おしゃれになったなぁと感心した。2階甲板に上がる階段の手すりに、最近病院でよく採用されている「波打つ手すり」が採用されていた。あー、これはいいアイディアだなと感心した。
▼テレビは従来のブラウン管テレビから、大型の液晶テレビになった。これは当然の流れだろう。ずっと前から思っていたことだが、このテレビを使って、ターミナルを離れる様子を提供してくれればいいのにと思っていたのだが、実写ではなかったが操縦室で見ているであろうGPS地図(衛星地図)で船のアイコンが出港・入港する様子を映像で流していた。
▼やっとこの思いが形になった。なぜかと言うと、船に乗船してから、しばらくは退屈するし、ましてや上陸するまでの10分くらいは、手持無沙汰で長い時間に感じていたからだ。これからは、船が陸を離れる様子、船が接岸する様子をモニターで見て楽しむことができる。やはり自分だけではなくて、ほかの多くの人も感じていたのだろう。
▼まだ、視察できていない場所がある。フェリーには2種類の客室がある。2等客室と、2等指定客室だ。2等指定客室には、古いフェリーでも最近利用したことがなかったので、一度お金を払って入ってみたいと思う。2等指定客室の利用者は立ち入り禁止部分がないが、2等客室の利用者は一部立ち入りが制限されている。機会があったらその辺もまた写真を提供したい。



11/06/05(No.537)

▼試行錯誤の挙句に、ケータイで日曜日の説教をダウンロードして聞くことができるようになった。たぶん、スマートフォンでも聞くことができるのではないかと思うので、ケータイでメルマガを受信している人はお試しあれ。そして、「聞くことができた」「聞けなかった」など、声を聞かせてもらえればありがたい。
▼ただし、ダウンロードには通信料金がかかるので、定額制の料金を選んでおくことをお勧めする。詳しくは知らないが、「パケホーダイ」「パケホーダイダブル」など、通信料金を気にせずに利用できるコースに入っていないと、とんでもない請求が回って来るかも知れない。そこまでは責任持てないので、御注意を。
▼太田尾小教区のみんなが浜串を訪ねて来てくれた。当日は真夏のような日差しの日で、お年寄りにはちょっときつかったのではないだろうか。それでも久しぶりの人々に囲まれて、「にわか太田尾主任司祭」を味わわせてもらった。にぎやかな人々がやって来てくれていると、原稿を書いた時点では想像している。
▼中には、前もって出席がかなわないと聞いている人々もいる。この7〜8年で、病気になったり徐々に体力を奪われたりして、ここまで来るにはちょっと心配ということになったのだろう。楽しいひと時を過ごすことができたと、巡礼団の人からぜひ報告してほしい。とくにわたしの霊名のお祝いのときによく時代劇の踊りを披露してくれたおじいさんに。
▼この日曜日、上五島ではトライアスロン大会が開催され、島じゅうが熱気にあふれる。トライアスロン競技には全く縁のない体型をしているが、厳しい練習を積んだ成果をぜひ発揮してほしい。日曜日のミサの聖書朗読をできずに応援に回った中学生も、代わりに精いっぱい応援してくれ。



11/06/12(No.538)

▼黙想会中、すまないとは思ったが外に出て買い出しをした。これには訳がある。期間中は、基本的にカトリックセンターと大司教館に缶詰めである。そうすると、のどが渇いたりすると何か飲み物が必要になる。
▼かつては黙想会中は各部屋に小さなポットが用意され、お茶を自由に飲むことができた。最近は経営の効率化か、そういうサービスはなくなってしまった。そのため必要に迫られて、カトリックセンター内に備え付けの自動販売機で飲み物を買うことになる。
▼最近500ミリリットルのペットボトルは150円である。1本目は、何も考えずに買って飲んだが、翌日2本目を買おうと自動販売機の前に立ってみて考えた。この調子で4日連続で500ミリリットルの飲み物を買い続けると600円必要になる。600円あれば、2リットルのペットボトルが2本買えるのではないか?
▼そう考えて浦上教会下のスーパーに行ってみると、案の定、2リットルのペットボトル入りがお買い得の値段で売っていた。中には、2リットルで158円のものすらあるではないか。迷わずわたしはその158円を買い、カトリックセンターに戻った。
▼2リットル入りだと言っても、これを数日に分けて飲むのはそれなりの意志の強さが必要である。ついたくさんあると、一度に飲んでしまうからだ。前日に飲んだ500ミリリットルの空き容器に移し替え、それを1日分として夜の水分補給に充てた。
▼2リットル容器から飲むと、ついつい飲みすぎてしまう。だが、500ミリリットルの容器に移したことで、計画的に水分を補給できた。おかげでこの黙想会期間中は、暴飲暴食もせず、健康的な生活だった。



11/06/19(No.539)

▼苦し紛れと言うか、頭が回らなくて、昔使った説教の原稿を取り出してみた。まずは当時のそのままの原稿を読み返してみたが、そのままではちょっと納得できない個所もあり、わずかに手直しした。それでも、今になっても理解できない個所もあったのだが、この分については説教を4回こなす中で、消化したいと思っている。
▼大雨が九州を襲った。特に南九州では、災害をもたらしているようだ。道路の冠水、床下・床上浸水など。雨が降れば、当然水かさが増す。雨の中で何か写真を撮影できないかと思って、ふだん通る道の中で目を配っていたら、「滝」を連想させる場所に目がとまった。
▼「滝」が現れるその場所は、浜串教会に出入りする急こう配の峠にある。晴れた日でも、水が流れていることがある。ということは、ふだんからあちこちの水が集まる場所なのだろう。雨が降り続くと、水量がさらに増して、写真のような「滝」になる。
▼この「滝」で、座禅を組むことを考えた。座禅と言っても、修行をするつもりではなくて、洒落で、「滝と言えば座禅かなぁ」くらいの感覚である。ただ、写真を撮影した時点で、これは相当な水量であり、洒落では済まなくなると思った。これだけの水量ともなれば、覚悟が必要になるかもしれない。
▼そんな、「聖霊降臨」の頃の雨が梅雨の時期と重なり、今は楽しみの釣りも出ることができず、気分転換の必要を感じている。思い切って、福江の教会の巡礼にでも行ってみるか。



11/06/26(No.540)

▼6月26日(日)は大分教区司教の叙階式。どうしても参加したくて、あらゆる方法を探った。ところが、前日25日(土)はことごとく自分が乗りたい航路の便は欠航になる。ガッカリし、心が折れそうだった。当日どうなったのか、前日に原稿を書いているので知らない。
▼知り合いの方は、朝6時50分の、わたしとは別航路の高速船に乗って佐世保にいったん上陸するのだと聞いた。長崎上陸を望んでいる自分としては、佐世保に上陸から移動というのは想定していないので、行けるルートがありそうだというのはうらやましいが、長崎からのルートでダメなら、今回は諦めるしかない。
▼長崎の教区長見三明大司教が今回の叙階式を司式する。わたしの記憶では、見大司教が司教叙階式を執行するのは初めてではないかと思う。それもあるので、どうしても行きたいと熱望しているのだが、ちょうどのタイミングに、いちばん来てほしくないコースで台風が来てしまったのだ。
▼諦め・・・るか。そうなると、日曜日以降の過ごし方は別のことを考えよう。山積みになっている本を片っ端から読んで整理するとか、次に予定が控えている原稿を思い巡らしてみるとか、まぁいろいろある。26日は7月9日(土)10日(日)にまたがっての馬込小教区巡礼の締切日でもある。
▼現時点で巡礼申し込みはほんのわずかだが、15人集まれば船の団体割引対象になる。「あきらめるな」という呼び掛けは、今度はここで響いてくるかもしれない。諦めなければ道は開ける。最近身近に体験した事じゃないか。



11/07/03(No.541)

▼大分の司教叙階式にはとうとう行くことができなかったが、参加者から詳細な様子を聞くことができた。また別の人には、写真も提供していただいた。直接参加にはかなわないが、それでも雰囲気はうかがうことができた。
▼そういうわけで、先週の写真は送っていただいた叙階式の写真を掲載している。「フェリー太古」については、また機会があれば紹介したい。この船は夜11時30分に博多を出港し、6時間かけて青方、9時間かけて福江に到着する。ずいぶん長い航海だと思うかもしれないが、6時間睡眠すると思えば、上五島の青方には実際にはロスなく到着することになる。
▼このフェリーを活用するとしたらこういうプランだろう。上五島を出発し、長崎(または佐世保)での予定をこなす。今回のように大分に向かってもよい。夕方に福岡に移動し、食事と、ショッピングを楽しむ。博多港のすぐそばには入浴施設があるので(調査済み)、ここでゆっくり疲れを取り、船に乗り込む。
▼上五島で降りる人は、朝6時に青方で下船する。さらに旅を続けるなら、福江に朝9時に下船して、レンタカーを借りる。この際、三菱自動車の電気自動車「アイ・ミーヴ」を借りると良い。電気自動車の特性を試すまたとない機会になる。
▼上五島から出発したと仮定しているので、上五島に戻るために11時50分福江発のフェリーか、または夕方の16時30分のジェットフォイルに乗船し、奈良尾で下船する。仮に鯛ノ浦から長崎に、または有川から佐世保に出ていたとしても、その後は何とかなるだろう。何とかならなかったらお許しを。



11/07/10(No.542)

▼教区報「よきおとずれ」の記事のために、巡回教会の写真を撮影して原稿をまとめた。特別念入りに取材して原稿を書いたわけではないが、福見教会は再来年100周年を迎え、高井旅教会は今年6月に50周年を迎える教会である。
▼高井旅教会については、大々的なことは計画しないことになっているが、教会役員との話し合いの中で、希望していることがいくつか出ていて、それらを形にして未来の世代に残してあげたいと思っている。
▼問題は福見教会で、こちらは100周年でもあるし、大司教さまをお呼びして、何か記念行事を計画したいと願っている。ただ、上五島では青砂ヶ浦教会の100周年などをすでに経験しているが、とてもあのような盛大な行事は実行不可能であり、何が可能かと頭を悩ませている。
▼福見教会紹介の原稿をまとめるとき、教会が海岸の丸石で石垣を組んだ土地の上に建っているということに触れているのだが、何か、この丸石がヒントにならないかと個人的には思っている。波に洗われて丸くなった石を、石垣に用いているわけだが、石が丸くなるためには、いったいどれだけの時間が必要なのだろうか。
▼石が丸くなるのに、仮に100年かかるのだとしたら、丸い石を積み上げて造られた石垣は、すでに100年前の石を使用しているということだ。その上に教会を建設し、100年が経過しているのだから、石は200年経過していることになる。ひょっとすると、それ以上の年月を経ているかもしれない。
▼基礎が、200年の時を刻んでいるとしたら、それはみんなで考えてもらうきっかけにすればよいと思う。200年前に何があったのか、200年の間に何が起こったのか、そうしたことを考えると、わたしたちの信仰の歩みはわたしたちだけのものではなくて、次の世代につないでいく価値があるものだと気づくかもしれない。大げさだろうか。



11/07/17(No.543)
▼メルマガで発行している内容は、ほとんどそのまま、ブログで掲載している。ブログはひと頃は5誌か6誌発行していたと思うが、現在は「gooブログ」「BIGLOBEウェブリブログ」「AutoPage(TeaCupブログ)」「はてなブログ」の4誌である。
▼4誌も掲載してどうするのかと思われるかもしれないが、4つのブログで情報を集めている人はそんなにいない。だからどれかのブログだけしか利用していない人が、毎週カトリック教会の説教に触れる機会をだれかが作ってあげることは今のネット社会にあっては大切な使命だと思う。
▼もちろん、もっと優れたものがあればそれに越したことはないが、出来は良くないとしても、毎週懸命に準備してアップしている。「家を建てる者の退けた石」かもしれないが、ブログを通してイエスへの信仰へと道が開かれるかもしれない。そういう願いで、ずっとずっと続けている。事情が許す限りは、いつまでも続けていたいと思う。
▼そのブログだが、「gooブログ」は管理人に過去7日間の閲覧数を把握できるサービスが与えられている。延べの閲覧数と、IP閲覧数とがあるが、確実に何人閲覧したかを知るためにはIP閲覧数が適している。7月1日から7日まで7日間のIP閲覧数を見ると、120・165・131・106・106・85・90となっている。
▼データから分析すると、週末から週明けが最も多く、いちばん少ない数の85で考えても、85人はブログを読んでいるということになる。これはgooブログに限った話だから、実際にブログを読んでいる人はそれ以上、100人はいるだろう。
▼そしてこの人たちは、おそらくメルマガを必要としない人たちだから、メルマガを受信して読んでいる人に、ブログを閲覧している100人を加えた人数が、「こうじ神父今週の説教」の利用者ということになる。メルマガは、もはや頭打ちだが、これからはブログの閲覧者が増えていくようになるかもしれない。自問しなければならない。「聞く耳のある者は、聞きなさい。」



11/07/24(No.544)

▼今年の夏の始めは、「小学生合同黙想会」から始まった。説教でも少し触れたが、とても真面目な先輩が合同黙想会の指導をした。浜串教会は、主任司祭がただただ黙想会を楽に終わらせたい一心で合同黙想会に参加したのだが、小学生に気の毒な思いをさせたかもしれない。
▼5つの教会が小学生合同黙想会に参加した。浜串、青方、大曽、青砂ヶ浦、曽根である。その中の1つの教会の先輩が指導をした。内容は「ミサのすばらしさについて」といった感じで、ミサの構成がイエス・キリストの生涯全体と重なるというとても明快な説明があり、さらにミサはわたしたちの生活全体と結びついていることもきっちり説明してもらった。
▼論点は明快、説明も十分であったが、小学1年生から6年生まで合計120人いる今回の参加者を前にしては、いささか力が入りすぎていたかもしれない。子どもたちもそうだが、一緒にいた保護者にも、40分の話が80分に聞こえていたかもしれない。
▼ただ、ソフトな語りをするとか、楽しく話すとか、そのあたりは持ち味があったり、得手不得手があったりするので、今回の先輩にあれこれ言うのは酷だろう。むしろ、先輩らしいと言うのが正しいかもしれない。わたし自身は論点も説明をつくした内容もすべて吸収したので、いつか真似して話すことはできる。それはありがたかった。
▼心配なのは、来年の小学生合同黙想会だ。今年みっちり絞られた子どもたちが、はたして来年も参加したいと言ってくれるかどうか。また、今週は小学生に続いて中学生が同じ話を聞いての黙想会になっているが、昼食までは辛抱して聞いても、昼食を食べたらボイコットをするのではないか。心配の種は尽きない。



11/07/31(No.545)

▼先週言いたい放題のことを並べてしまったが、今週は弁明しておきたいと思う。実はこの内容は先週の「ちょっとひとやすみ」に続けてすぐに書いておいたものである。だから、先週の内容と同時に、今週の「ちょっとひとやすみ」の内容も、考えていたということを弁明しておきたい。
▼小学生合同黙想会のミサはすばらしかった。祭壇を囲み、一つのパンから分かち合い、感動的な平和のあいさつをした。わたしは頭では子どもたちが祭壇を囲んでミサをする様子を描くことはできるが、それを実践しようという気持ちにまではなれない。
▼ところが、先週から話している先輩司祭は、こともなげにこの「祭壇を囲むミサ」を実行した。わたしの頭の中には、「まじめで頭の固い先輩が、そんな大胆なことをするはずがない」という頭があったのだが、実際には大胆だった。これまで一度でも、子どもたちに祭壇を囲ませてミサをしたことがないわたしは、あっけにとられた。
▼子どもたちは、祭壇を囲んだあの日のミサのことを忘れないだろう。もし一時的に忘れたとしても、もう一度祭壇を囲む日が来た時、自分たちが小学生の時に同じことをしたと思いだすだろう。それほど、この日の出来事は子どもたちに焼きついたと思う。
▼では、次に子どもたちが祭壇を囲む日はいつか。小学生合同黙想会で共通の体験をした地元の司祭たちが、それぞれの教会で同じことをしてあげる時がその時ではないだろうか。ただ人数が・・・いや、いろいろ考えていてはいつになってもそのチャンスは巡ってこない。わたしはどうも尻込みしそうだが・・・。



11/08/07(No.546)

▼「8月7日は日曜日のミサが7時から6時に変わったんだって」いつの間にかそういう話が出回って、ミサの時間で混乱している御年配がいると聞いた。2人の人が「ミサの時間が変更になったと聞いたそうですが」と尋ねて来た。
▼どうやら8月9日の夕方のミサを、朝8時に変更したことが、いつの間にか日曜日のミサを変更したことになっているらしい。この「はっきりしないミサ時間」を触れ回った人と、その話を聞いて惑わされた人は、主任司祭に名乗り出てほしい。主任司祭はお知らせの効果がなかったのだろうかとけっこうショックを受けている。
▼お知らせはしっかり入れているし、主任司祭の出張予定の表にも、同じことが書かれている。これ以上何を、どうお知らせしたらよいのだろうか。お知らせのメモを用意しなければならないのか?
▼お知らせのメモを毎週用意していたら、わたしは週末、雑用ばかりで説教を考えることができなくなる。事務を専門に扱う人を雇いたいのは山々だが、それを可能にする人件費はどこにもない。
▼今回の件では本当に心を痛めている。お知らせして、混乱している。どうすれば正確にお知らせが伝わるのだろうか。わたしは内心は、ミサの時間を6時と聞き違えた人は、6時からずっと待っていてほしいと思っている。つまり、わたしは悩みたくないのである。



11/08/14(No.547)

▼イノシシはこわい。どこから飛び出すか分からない。峠を上り、下った瞬間に、イノシシとぶつかった。ごろっと転がしてしまった。その日は11時の船にどうしても乗る必要があって、そのまま放置して移動した。
▼無責任なことをしたせいか、車はオーバーヒート。急いで招いた自動車整備工場の店員によると、ラジエーターが破れてしまい、エアコンも壊れているらしい。車は引き取ってもらい、保育所の園長にも来てもらって、自分はターミナルに連れて行ってもらった。
▼修理にどれくらいの費用と日数が必要か分からないが、場合によっては買い換えることになるかもしれない。保険会社にも状況を説明したが、「車両保険」というのを掛けていないと、修理費は出ないらしい。「対人対物賠償」というのを掛けていた記憶があるので大丈夫かもと思っていたが、役に立たなかった。
▼1日経過して、修理工場から電話がかかった。修理費用はおよそ7万5千円になるという。7万5千円なら、買い換えまではいかない。辛抱して、あと一度車検を通すことにした。一時は、三菱自動車の「デリカ●●」を買ってみようかなぁ、とまで考えたのだけれども、実現しなかった。
▼「イノシシ保険」という専用の保険があるとかないとか。上五島では、「イノシシ」「シカ」が頻繁に道路に出てくるので、保険が必要だと思う。イノシシで車を取られることを思えば、2千円とか、3千円保険料が上がっても、それは我慢できる。2倍になるなら話は別だ。
▼今年10月に、車検が切れる。まあ、車検を通したとして、あと2年乗れば上等だろう。次回検討してみたい車は、ハイブリッド車。まだ電気自動車は時期尚早。もちろん、電気自動車という選択肢もないわけではないが、何せ車種が限られる。それなら、燃費もかなりよくなっているガソリン車でも構わないだろう。2年後に、またこの話をする予定。



11/08/15(No.548)

▼ひとりごと。8月9日夜の平和祈願ミサに参加し、教区報「よきおとずれ」の編集作業をし、紙面に割りつけて印刷所に回す。この一連の作業のため、9日(火)から12日(金)午前中までずっと大司教館に滞在していた。
▼大司教館には最上階に引退司祭の居住スペースがあり、引退司祭のためなのか、小さなチャペルも設置されている。わたしは滞在中の水・木・金、個人的なミサをした。こんなに立て続けに個人的なミサをしたのは初めてである。
▼「主は皆さんと共に」「また司祭と共に」どちらも自分で言わなければならないのだが、わたしの脳裏には、はっきりと浜串の平日のミサに参加している人たちが浮かんでいた。わたしは浜串に来てまだ1年半も経っていないのだが、わたしが思い浮かべることができたのは浜串の人々だけだった。
▼嬉しいというか、習慣は恐ろしいというか、長く滞在し、記憶している人々ではなく、目の前の人々が思い浮かんだことを、驚きつつも感謝しながらミサをささげた。面白いことに、「主は皆さんと共に」「また司祭と共に」と一人で口ずさんでも調子が出てこない。ましてや長い長い奉献文を一人で唱えていると、いつも同じ言葉なのに続きが出てこない。いてもいなくても、司祭は一人で唱えているはずなのに、いないと続かないのである。
▼やはり、みなさんと共にミサをささげるということは、素晴らしいことなのだと気づかされた。大司教館に、長崎のことをするためにいるのに、浜串に戻りたい気持ちになった。自分の居場所というか、待っていてくれる場所は、今は浜串なのだと、あらためて実感したひと時だった。



11/08/21(No.549)

▼今年も●●県から、懐かしい人がやって来てくれた。さんざん他愛のない話をした。この時点ですでに今週の説教と生き方の姿勢がずれていると思われるかもしれない。ただ、何でもない話を山のようにしたことで、すべてを笑い飛ばすあの自由さは、いったいどこから来るのだろうかと考えてもらうきっかけになればよいと思っている。
▼今月は●●県からもう1人来訪者の予定がある。その人とも1年ぶりの再会だ。再会前に、期待を膨らませ過ぎてしまったので、当日までに予定していた計画はちょっと難しくなったことを伝えなければならない。こういうお調子者の面が、まだまだ足りない部分、欠点なのだと思う。
▼ここからは興味ある人と興味ない人でまったく分かれる話。最新のコピー機はたいていスキャンしてPDFのデータに変換する機能を持っているが、ここ浜串でもわたしはその恩恵に十分浴している。大量のPDFデータのうち、今いちばん力を発揮してくれているのは説教の材料にしている資料だ。
▼これまでは、面倒でもその資料となる本を持ち運んだり、該当する日曜日のページだけをコピーして持ち歩いたりしていた。ところがそれもだんだん負担となって来て、PDFデータならどんなに助かるだろうかと考えていた。今は本当に助かっている。
▼ただ、このPDFのデータ化に若干の難がある。なぜか、サイズの小さな本をスキャンすると、B5か、A4の大きさでスキャンしてしまう。例を挙げれば、B6なのにB5横としてデータ化するため、左半分が本来のスキャンデータ、右半分が無地の空白というデータになってしまう。A5のスキャンの場合も同じ。
▼そこで、データに加工を加えることになる。すべての頁で、右半分は無駄なので、左半分だけを画像の中で切り取って画像として1頁ずつ保存し、最後にすべての頁を合成して本来願っていた形のデータとする。こんな面倒なことを、ちまちまと繰り返している。これも専門の事務員に頼みたいところだ。
▼その作業の中で、いちばん面倒なのが、全体から必要な半頁だけを切り取って保存し直す作業である。その他の作業は省略のしようがないが、この部分だけ、何とかならないかと思っていたら、意外なところに解決の糸口が見つかった。
▼Windowsだけに限った話なのだが、Windowsの標準ソフトに、「ペイント」というソフトがある。どういうわけか、このソフトは画像の四辺につまむ部分があり、右辺のつまみをつまんで中央部分までスライドさせると、画像そのものを左半分だけに縮めることができる。
▼これは便利だ。今までは左半分を切り取って、新しい画像として保存するか、切り取った画像を新しい画像として表示させ、もとの切り取られて白紙になった画像に上書きするか、どちらかしかなかったのである。
▼おかげで、本のデータ化はすこぶる順調。順調とは言っても、手持ちの●千冊の本でデータ化にふさわしい本をすべてデータ化するには、道のりは遠いのだが。専属の事務員がいたらなぁ・・・。



11/08/28(No.550)

▼ついてないけれども、人とたくさん出会った1週間だったかも。250ccバイクに乗っているときに、今年流行の「局地的な豪雨」に見舞われ、水が入ってはいけない部分に水が入り、3度エンストを起こして動かせなくなった。さんざん電話して、中古車販売をしている若い青年社長にバイクを見てもらえることになった。本人がバイク好きだという。
▼雨の中で、カバンに入れていたものはすべて水に濡れてしまった。携帯電話も使えなくなり、5000円も払って交換する羽目になった。2011年以降のデータはすべて失ってしまった。それでも、ケータイを失ったおかげで知り合えた人もいた。同じ経験をした人だったり、子供たちが同じ経験をしたんだと話しかけてくれる人だったり。嬉しかった。
▼先週も、巡礼者が来てくれた。今回の巡礼者はかなり五島に入れ込んでいる方で、巡礼帳にほぼすべてのスタンプが押されていた。船をチャーターしででもお目当ての教会に行こうという熱意には頭が下がる。本来の職業の話や、どのようにして自分がカトリックの信仰に導かれていったのか、カトリックの信仰ゆえに思い悩んでいることとか、勢いよく話してくれた。
▼日本では、カトリックの信仰は現実には少数派だ。1億2千万人以上いる中で、日本人のカトリック信者は40万人くらいだろう。100分の1で120万人。さらにその3分の1なのだから、0.33%しかいないのである。1000人いて、3人か4人なのである。特に首都圏では、カトリック信者に出会った場合、カトリック教会を知る窓は、出会った希少なその人がすべてとなる可能性がある。
▼わたしは、先週来てくれた人と言い、その前に来てくれた人と言い、カトリック教会を知る窓として十分に役割を果たすことのできる人たちだと思う。願わくは、もっともっとたくさんのカトリック信者が、自分自身は最初で最後、出会うかもしれないカトリックを知る窓なのだと思って、日々を過ごしてほしい。



11/09/04(No.551)

▼久しぶりに英語を話した〜って感じだった。「旅行者ですか?」「そうです。上智大学院の研究生として東京に住んでいます。」「あー、四ツ谷の上智大学ね。わたしは慶応大学の通信教育を卒業するために東京に行ったから、四ツ谷の麹町教会に日曜日ごとにミサに行ってました。」
▼「そうですか。いやぁ、あなたの英語はファンタスティックだ」「いやいや、そんなに上手ではありませんよ。あなたのこれからの予定は?」「高井旅で18時30分のバスに乗って次の予定地に行きます。」「じゃああの道を使うと近道です」「助かります。本当にありがとう」「ちょっと待って。この時間だと歩いたら間に合わないよ。車で送るから。」
▼「え?本当に?助かります。」「ところで子どもたちはミサの後なぜ帰らずにいるのですか?」「彼らはミサの後教会学校の時間なのです。」「なるほど。ではすぐに戻ってあげてください。」「ところであなたは五島の教会について心配していますか?」「心配していますとも。(本当は、高齢化、少子化、過疎化などの現象を説明したかった)」
▼「それはほかの司祭たちも同様ですか?」「同じです。どの司祭も、五島の教会の将来を心配しています。」「それは上五島だけですか?福江も同じですか?」「福江も心配です。同じ問題を抱えていますから。」
▼これだけの内容を、片言ではあるが英語でやり取りした。さらにメールアドレスを伝えたので、東京に戻ったらメールが来るだろう。何か、彼の研究の助けになれるかもしれないし、彼と交流を持ち続けたら、ある日役に立つかもしれない。



11/09/11(No.552)
▼9日(木)と10日(金)にかけて鹿児島に行ってきた。視覚障害者のためのボランティア団体「マリア文庫」のメンバーとして研修を受けるためだ。五島から船で前日に長崎入りし、翌木曜日8時半の特急に乗る。新鳥栖駅で新幹線に乗り換え、11時半頃に鹿児島中央駅に到着。会場はサンロイヤルホテル鹿児島。初日は13時から研修が始まり、夜の懇親会で終了。懇親会で知っている人と酷似している人に会い、間違って声を掛けた。
▼金曜日は午前中いっぱいの研修。研修は実践的な内容の講話を聞くことができて、本当に役に立った。マリア文庫のメンバーで参加したほかの人たちは、午後から鹿児島見物。わたしは見物はパスして、13時半の新幹線で博多に移動。別行動を取った理由は、レンタルバイクを利用してドライブをするためだ。
▼バイクの話はいつかもう一度詳しく話すが、最近まで乗っていた250ccカタナは廃車にして、400ccの中古のバイクを購入する予定にしている。乗りたいバイクが見つかったのだ。そして博多のレンタルバイクショップで借りるのも、購入予定のバイクで、言わば「試乗」というわけだ。
▼バイクの名前はお楽しみということにして、この日バイクを借りて博多駅周辺を走り回った。最初はおっかなびっくりで道路に乗りだしたが、乗り心地は想像以上に良くて、走りながら笑いが止まらなかった。気が変になったのかと思われるほど、笑いながら走った。約10キロの周回コースを自分で設定し、4時間のレンタル時間の内3時間ぶっ通しで走り続け、記憶では周回コースを6周走ったと思う。
▼「走ったこともない場所を、レンタルバイクでよくまぁ走れるものだ」そんな疑問もあるだろう。ご心配なく。便利な地図ソフトがあって、ある程度のイメージトレーニングを積み、左折のポイントを頭にたたき込んだので、まったく不安はなかった。ドライブシュミレーションで使用されていた景色は、実際の景色とほとんど違いがなかった。たいしたものだ。
▼周回コースのポイントは、4回やってくる左折それぞれの景色だ。ガソリンスタンドでの左折、新幹線線路をくぐっての左折、高速道路ををくぐっての左折、自動車メーカーの大きな看板を正面に見ての左折。乗車姿勢の全く違うバイクだったが、1周回ったときにはもう違和感はなくて、楽しいばかりだった。あとは、楽しかったとは言え疲労しているのは間違いないので、疲労があとでどれくらい出るかである。それでも、実感としてスポーツタイプのバイクほどではないと思っている。
▼バイクのレンタルを終えたあとは、持ち帰りのフライドチキンを食べて博多港へ。博多からの夜間フェリーに乗り、6時間半かけて上五島の青方港へ。五島に到着した土曜日は、朝9時から保育園の運動会を見学。子どもたちに力をもらって、また1週間を乗り切りたい。



11/09/18(No.553)

▼ショック〜。ショック!現在の普通車に乗り始めたのが2002年10月15日、10年は乗るぞ〜って決心して乗り続けていた。現在の任地に来てから9万5千キロを超えたので、「これは、10万キロの記念のメーター表示が見れるぞ」とひそかな楽しみを持っていた。ところが、気が付いたら10万9キロを差しているではないか!
▼小生はちょっと変わった趣味があって、トイレットペーパーの最後の芯になる瞬間が好きだったり、バターを使い切った瞬間が好きだったりする。司祭館のお手伝いがシスターだったりすると、使い切る前に取り換えられていたりしてささやかな楽しみを奪われることがある。車のメーターに関しては、だれにも邪魔されないと思っていた。
▼ところが、メーターはどうやらガソリンを給油する直前あたりで10万キロに達したらしい。最近は給油もギリギリまで走ってから給油なので、給油直前の状態には注意を払っていない。そこが落とし穴だったのだろう。浜串まで帰って何気なく見たら、キリ番を見落としていたのである。
▼何という失態。悔しいの何のって、この悔しさのやり場がない。10万キロ走ったので、まぁこの車もご苦労さまってところか。もちろん、もっと20万キロ乗る人もいるだろうが、わたしは次のことを考え始めている。すぐに実行というわけではないが。
▼とにかく、メーターを戻してでも10万キロの記念は見届けたかった。あと1万1111キロ110メートル走って、記念にするか。あるいは、12万3456キロ7890メートルの記念を記録するか。



11/09/25(No.554)

▼お産で里帰りしていた妹に男の子が生まれた。体重は何と3950g。これでもちょっぴり割り引きしている。予定日を一週間も遅れていないのにこんなに大きいというのは、予定日の立て方がまずかったのではないか。
▼出産が金曜日の夕刻だったので、翌日土曜日の午後に妹に会いに行った。あいにく男の子は処置が必要とかで妹とは別に見守られている。3日くらいは処置を受けるそうだ。母体の中でうんちやおしっこをした羊水を飲んでいたらしく、経過観察。
▼病院の3階に上がり、胸躍らせて「家族です。妹の○○○○に面会に来ました」と受付に伝えたら、「お父様ですか」と尋ねられ、「兄です」と答えたら、「ご主人さまとご両親さましかお会いできません」とつれない返事をされた。
▼「兄ではダメなのか・・・」としょげていたら、しばらく考えた挙句に看護師が、「今は・・・赤ちゃんが別室ですから、結構ですよ」と言う。最初から妹と旦那にだけ会えればよかったのだ。部屋に入ってみると、妹しかいなかった。ご主人は出産に立ち会い、お子さんを見届けてから土曜日の朝に出発したそうだ。
▼いやぁ、画像しかまだ見てないが、金太郎のように丸々太っているぞ。きっと実物を見れば、もっと目を丸くするに違いない。「太」という字が名前に入っているが、これはすでに丸々太っているのを見越していたかのようだ。大きいばかり言ってたら、妹に怒られそうだ。
▼あ〜。これでおじちゃんになってしまった。歳はおじちゃんと言われても仕方のない歳だが、「神父さま」と呼んでくれないかなぁ。そう呼ぶように妹にお願いしておこう。それにしても、母になると何だか貫禄が付くものだなぁ。



11/10/02(No.555)

▼「ついに」と言うか「遅まきながら」と言うか、ツイッターを使い始めた。「え〜、今頃?」と言われそうだが、今回ばかりは「ツイッターの何が便利なの?ツイッターでどんな便宜が得られるの?」との疑念がぬぐい切れず、ためらっていた。
▼使い始めたのは実は半年ほど前だと思うが、何の反応もなく、何の注目も浴びず、自分も何が面白いのかさっぱり分からず、書き込んだものも削除してしまって、しばらく放置していた。しかしこれではこうじ神父の名折れと思い、参考書を1冊読み上げて、最近ようやく再開した。
▼いろいろこれまでの苦闘を書くこともできるが、それは面白くないのでやめておく。むしろ、今もう一度ツイッターに向き合っている自分を褒めてやりたい。4ヶ月近く放置して、後で考え直したのだから。もちろんツイッターを操れるまでには至っていないが、放置はしないと思う。
▼ツイッター上の名前は「中田こうじ」または「thomaskikansha」ということにした。これから何をするとか、特別決めているわけではないが、面白いよと人に教えることができるまでにはなりたいと思っている。長崎教区司祭にはケータイメールすら受信だけ可能で返事が書けない人がゴロゴロいる。その中で、わたしはトップランナーでありたい。



11/10/09(No.556)

▼先週のアンケート開始はすぐに反応があった。詳しいことは載せられないが、これからも続けて頑張れと激励してくださったものと受け止めている。「今のメルマガに不足していることは何ですか」という質問にも、「あー、足りないよね」と率直に思った。これからも続けて、アンケートを出してもらえたら幸いである。
▼ツイッターの話。これも、案外早くにわたしの書き込みを見つけてくれて、面識のない方のフォローを受けている。何を書けばよいかも少しコツがつかめて来て、要するに今思ったことを参考に書けば、「つぶやいた」ことになるというのがわかって来た。まだまだだとは思うが、ツイッターのようなコミュニケーションの道具はますます広まるだろうから、しっかり学んでいきたい。
▼先週、メルマガをきっかけに浜串のわたしにお会いしたいという人がいることを浜串の信者から聞いた。人づてに聞くのがいちばん嬉しい。なぜかということ、浜串の信者もメルマガの詳しい活動は知らないのに、その人から会いたい人のことを伝言してもらうのだ。
▼よほどその会いたいという人がわたしのことを浜串の信者に説明して聞かせたのだろう。浜串で会うなら、海もある。山も少しある。教会もある。魚もある。その日はぜひ空けて、楽しみに待ちたいものだ。
▼しかし、メルマガにこう書いたことを根掘り葉掘り聞いて、その人とはいつ会うのですか、どんな人ですかとしつこく追及する人、放っておいてほしい。これまでもあれこれチクチク言われたが、何の関係があるのかと言いたい。
▼thomaskikanshaは、「機関車トーマス」から発想を得たもので、自分の洗礼名がトマスだから、これが面白いのではないかと思ってツイッターのハンドルネームにした。でもこれを探索の手がかりに、また根掘り葉掘りスパイのように嗅ぎまわるのだろうなぁ。



11/10/16(No.557)

▼嵐のような一週間だった。11日、バイクをデポに受け取りに行って、教区本部で保健指導、午後はマリア文庫の定例会議。12日、教区ホームページ会議とよきおとずれ割り付け準備会議。午後はバイクで伊王島にお忍びでツーリング。16日(日)に馬込教会の行事があることを聞きつけたが、案内も何もなかったので動けず。残念無念。
▼13日、バイクを連れていったん五島に帰る。フェリー積み込みが20分前からなのに、食事で時間を取られて遅れて待機場所に行ってみると、係の人から「早くしろ!」という手招き。さらに、大波止ターミナルの館内放送は、「バイクでご乗船のナカダコウジさま、至急バイクのほうにお戻りください。バイクでご乗船のナカダコウジさま・・・」と放送され、恥ずかしい思いをした。
▼五島に帰ると、夕方の福見ミサと子どもの要理、さらに教区報よきおとずれの原稿を1つ書く。日曜日の説教も書きたかったが、疲れて着替えもせずに畳の上で大の字。気がついたら14日朝で、朝ミサを済ませてまた長崎へ。船の時間まで説教を書く。
▼だいたいメドがついたので、午後の教区報よきおとずれの割り付け会議が終わって五島に帰ってからミニバレーに参加したあとメルマガ発行をしようと考えていたら、14時45分に15時45分のジェットフォイルの欠航が決まり、五島に帰れなくなってしまった。
▼五島に日帰りできないとなると、今度は予定が変わったことをいろんなところに連絡する必要が出てくる。まず船会社に、帰りの切符を変更する電話。帰ってから作り置きの夕食を食べる予定だったので、夕食のお断りの電話。翌日朝、ミサができないのでミサが休みになることを漁協の放送で流してもらうための電話。修道院へも電話(しなかったけど)。
▼おまけに、15日(土)からカトリック神学院1日体験入学に参加を予定していた子どもの1人が吐き気の症状があり、休ませてほしいとの連絡あり。それで、同行してくれる大人の信徒に、「1人不参加が出たので2人だけ連れて行ってほしい」と連絡。すると同行する大人から、「子どもの船の予約は、こちらでキャンセルしておきます」という連絡。あー、その連絡もしなければならなかったのだった。気が利くなぁ。
▼さらにさらに。15日(土)は、実は地域のミニバレー大会に参加予定だったので、参加できなくなった旨の連絡。メンバーからは「できれば帰ってきてほしいなぁ」と言われたが、こればかりは何とも。これから、日曜日のミサの時のお知らせを作らなきゃ。



11/10/23(No.558)

▼新上五島町に「情報化推進室」という担当がある。また利用しているプロバイダーのことで悩むことがあり、プロバイダーにじかにFAXが通らない、もし情報化推進室が指導・監督しているなら、何とかしてくれとまたも不平を漏らしてみた。
▼間もなくして、情報化推進室長という方からていねいなメールが届いた。この方は現在のプロバイダーを利用し始めた時の対応のまずさに不満をぶちまけたこともよくご存じだったようで、そのことも含めてとても親切に問い合わせに返事を下さった。
▼この情報化推進室長は、本当に話の分かる人だと感じた。利用者の目線というか、利用者が喜ぶツボをよく押さえていて、今回のことでプロバイダーにこれこれの指示を出し、徹底するように通知しましたと、どんな対応をしてくれたのかがよく見える返事をもらうことができた。
▼やはり、どの世界にも、話のよくわかる人はどこかにいるものだと思った。だれもかれもが話がわかるとは思わないが、自分の言いたいこと、感じていること、こうあるべきだという方向性など、分かってもらえないと嘆くことばかりではない。どこかで、「あー、この人話ができる」そういう人と巡り合うものだ。今回の情報化推進室長はそういう人だと思った。
▼人はそれぞれ見たいもの感じたいもの、知りたいもの持ちたいもの、いろいろ違っている。同じ感性の人はそう簡単には見つからない。だが、探していればいつかたどり着くものだ。「求めなさい、そうすれば、与えられる」(マタイ7・7)というものなのだろう。
▼日常生活のこともそうだが、心の奥深くの悩みとか、願いに応えてくれる人もなかなか見つからない。満足できる回答が得られない。本当に与えられたという実感がない。けれども、わたしはそうした心の飢え渇きに答えてくれる人を1人知っている。「この人は話せる。この人は話がわかる」そういう人を確信を持って言うことができる。そこに信頼を置いて日々を過ごせるなら、どれだけ多くの人が幸せな日々を送ることができるだろうか。



11/10/30(No.559)

▼人を接待するのは何と難しいことだろう。仙台からある家族が浜串を訪ねて来てくれた。聞けば、説教のブログでわたしを知り、ぜひ訪ねたいということで今回の訪問が実現したのだという。
▼説教のブログを読んでいる人はたくさんいるわけだが、その中でもこの家族は特にわたしの説教のブログとかかわりを持っていた。所属している教会は、毎週日曜日に司祭がミサをささげるわけではなく、月のうち半分は「みことばの祭儀」をするそうだ。
▼訪ねてきた家族の息子さんは、その教会の主任司祭から「みことばの祭儀」の担当を任され、福音朗読の後に何かの話をしなければならないそうで、インターネット上で説教を公開しているホームページをあれこれ検索し、最終的にわたしの説教を使おうと決めたのだという。
▼数あるカトリック司祭の公開された説教の中で、わたしが準備したものを使ってくれて本当にありがたい。一度お会いして、感謝の気持ちを伝えたいという思いで、今回仙台から訪ねて来てくれたのだそうだ。
▼わたしは、ご家族の話を聞きながら、頭の中では「何か接待をしなければ」ということがグルグル回っていて、マルタとマリアの姉妹の、マルタの気分だった。ところが実際は、これといった接待もできず、ただただ話に聞き入って、顔を見ていただけだった。
▼あとになって考えれば、大震災の体験をしたご家族なのだから、その時のことをもっと詳しく聞くこともできただろうし、「みことばの祭儀」がどのように進められているのか、もっと掘り下げて聞いて、可能なら「こういうことも加えるといいですね」といったアドバイスもできたかもしれない。
▼そう思うと、人形のように相手をしていたことが残念でならない。「今度は仙台で」というあいさつを受けて、家族を見送った。11月に岩手に視察と研修に行くのだが、そのときは無理かもしれないが、あらためて仙台に行く機会があれば、ぜひ伺いたい。



11/11/06(No.560)

▼来週(日)午後2時から上五島地区の堅信式が行われる。大司教さまがおいでになり、おもに中学2年生を対象に、聖霊の恵みを願う式である。かつてはこの堅信式の準備に親も子も必死になり、堅信が受けられなかったら大変と、神経をすり減らしていたものだ。
▼その伝統は今でも少しは受け継がれていて、やはり堅信式を受けることは大切だという認識はあるようである。ただそれが、万難を排して、というものでなくなっていることも肌で感じる。かつていた任地では、うちの子は受けさせなくてもよいと告げられ、わたしが親を納得させて堅信を受けさせたこともある。
▼準備のための取り組みも、ずいぶん様変わりした。これまでは教会の教えを網羅した「公教要理」という手のひらに収まるほどの小さな本を丸暗記して、教会の教えを隅々まで学んだものである。確か400問くらいの問答集で、わたしもある程度は勉強した。
▼「ある程度」と言ったのは、2つ理由があって、1つは中学1年から神学校に入ったので、「公教要理」を暗記する必要がなくなったことと、要領がよかったので丸暗記はしなかったからだ。
▼小学6年、中学1年、中学2年が堅信の準備を3年かけて行うグループだったと思う。わたしは小学6年の時にこのグループで共に学んだ。学期ごとにいつも口頭試験があり、「秘跡とは何ですか」「秘跡にはいくつありますか」とか、学期中に習った部分を試験範囲にして、主任司祭が口頭試験をする。
▼ほとんどの生徒は、すべての試験範囲を完全に暗記して試験に臨んでいた。残念ながら暗記が苦手な子は、すべてを覚えることができず、さらに緊張のために頭が真っ白になって、試験をパスできない子もいた。彼らは補習を受けたり、場合によっては落第して一緒に堅信を受けられない子もいたらしい。
▼わたしは、その試験の会場で、質問される10問だけを必死に覚えてその場をいつも切り抜けていた。主任司祭の質問の傾向をうかがっていると、1人目には「1、11、21、31・・・」と質問をしており、念のため2人目も3人目も確認したが、「2、12、22、32・・・」「3、13、23、33・・・」と規則的に質問を当てている。
▼これはつまり、自分の順番を確認すれば、そこだけ覚えておけばよいということがわかり、慎重に自分の順番を確認し、35番目であれば、「5、15、25、35・・・」だけを10個覚えて試験に臨んだのである。もちろん、ほかの質問があてられたら1つも答えられないが、小学6年生時代の3回の試験とも、すべて満点で切り抜けた。
▼そんな記憶と、今の堅信を受ける子供たちとをどうしても比較してしまう。かつての学ばせ方も問題があったかもしれないが、今の子供たちには本当にどう教えてよいのかわからない。去年と今年でも違う。そんな中で、苦労して学び、祈り、ミサにあずかった子供たちが、5日(土)の晩にリハーサルをして、いよいよ13日(日)には堅信を受ける。



11/11/13(No.561)

▼久しぶりに、何だか力んで説教を書いた。たいてい物事は、力むと良い結果を生まないものだが、どうしても今週の説教は、力を抜いてさらっと書くことができなかった。「手塩にかけた」とまでは言わなくても、ほぼ2年付き合って、面倒を見た中学生が、晴れて堅信の秘跡を受けるからだ。
▼自分の年齢が45になっているせいか、中学2年生は自分の子どものように見える。言うことを聞くときも、言うことを聞かないときも、どちらであっても可愛いものだ。きついことはさせたくはないが、あとで困らないように言うべきことはきっちり言ってあげたい。本当のご両親の心配が少し分かる瞬間である。
▼わたしが小学6年生の時、中学生の先輩たちが3学年同時に堅信を受けた。ものすごく大人に見えた。当時の主任司祭が、「聖霊の賜物で輝いているのが見えるぞ」と言ったが、当時小学6年生の時は見えなかった。今なら、きっと見えると思う。
▼説教を心を込めて語り掛けるように書いてみたのはいつ以来だろう。思い出せない。もちろんいつでも語り掛けてはいるのだが、親が子に語り掛ける、兄や姉が妹や弟に語り掛けるように書いたのは、しばらくぶりではないだろうか。
▼もしかしたら、語り掛けを聞いた当の本人たちはどこ吹く風かも知れない。心に残ってくれれば幸いだが、1年50回の説教のうちの1回に過ぎないかも知れない。それでも、送り出すわたしは精一杯の気持ちで送り出したい。一生に一度の、消えない印、消えない記憶の晴れ舞台に。



11/11/20(No.562)

▼イエス・キリストがおいでになった場面は、ローマ皇帝の命令で、人口調査が実施されていた最中の出来事。人口調査というのは、ローマの必要のため実施されたはずである。戦争に駆り出す男性がどれくらいいるのか、税収はどれくらい見込めるのか。この人口調査はユダヤの人々にとって気持ちの滅入ること、苦しいことだったはず。
▼そんな、喜びのない場面で、イエス・キリストの誕生の物語が展開されている。イエス・キリストが実際に宣教活動を始めたとき、人々はかつての預言者の預言を思い出した。「 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ4・16)自分たちの先祖が待ち望んだ方が、目の前におられる。人々はイエス・キリストに自分たちの期待を重ね合わせただろう。
▼今回の「ちょっとひとやすみ」に紹介した福音書のメッセージ、「 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」このメッセージは被災地にも当てはまると信じる。被災地の方々、本当に苦しみの中から這い上がろうと、毎日を過ごしているに違いない。その方々をそばで支え、見守るためにも、イエス・キリストはお生まれにななった。わたしはそう信じている。
▼被災地の方々ばかりではない。この「ちょっとひとやすみ」を読んでいる方の中にも、「今年はクリスマスの気分ではない」と思っている方もいらっしゃるだろう。けれども、イエス・キリストの誕生は、どの時代にも見られる「暗闇に住む人々」のためのものだったのである。
▼「わたしはクリスマスを祝う気分になれない。」そう感じている方に、わたしは力を込めて呼びかけたい。イエス・キリストは、そのような落ち込んでいる方々のためにまず生まれてきてくださった。クリスマスは、悲しんでいる人々のために、最も大きな慰めを届ける出来事なのだ。ぜひ、このメッセージを周りの人に届けていただきたい。



11/11/27(No.563)
▼無事に、巡礼旅行も終えて来た。初日、車で外海方面に出発するにあたり、祈りを唱えてから運転中神の保護を願って出発しようと思い、「では祈りを唱えてから出発しましょう。初めの祈り・・・。」と呼び掛けてみた。
▼すると、後部座席の人が、ロザリオの祈りを唱えますと言い出し、まあそれもいいでしょうとその人の先唱に続いてみんなでロザリオを唱え始めた。ところが、このロザリオ形式の祈り(主の祈り1回、アヴェ・マリアの祈り10回、栄唱1回)が、いつまでも繰り返され、いつになっても終わらない。
▼出発して45分、最初の訪問地である「黒崎教会」に到着。ここでようやく祈りが止まった。それまで、一心不乱に車中で祈りがささげられた。わたしは途中で案内したい場所もあったのだが、それもかなわず、ずっと祈りに付き合わされた。1週間分の祈りを45分で唱えた感じだった。
▼外海地方の巡礼は無事に終わり、その日の残る訪問地、26聖人記念館、浦上教会での聖体訪問、赤城聖職者墓地での歴代浜串小教区主任司祭への祈りを無事に終え、温泉施設で温泉と食事を楽しんだ。ここでご年配ならではのハプニングが。
▼温泉施設は各自にロッカーが貸し出されることになっている。その中に着替えなどを入れて、ロッカーのカギを腕に巻いて温泉に入る。鍵は、腕輪のようになっていて、腕に巻きつける。鍵が飛び出したりすると危険なので、折りたたみ式の果物ナイフのように、鍵本体が収納できるようになっていた。
▼ところが、それが理解できなかったお年寄りの方がいて、鍵が折りたたみのナイフのように収納されている状態だったのを、鍵がなくなったと勘違いし、「わたしの鍵がない。浴槽で鍵を落とした!」と大騒動になった。
▼もちろん、折りたたまれて収納されていたのだが、本人も、周囲も、鍵がなくなったのだと思い込み、浴槽を穴のあくほど見て、それでも見つからないと大騒ぎしたが、あらためて手首に巻き付けている紐の先に付いているビニール製のカバーを確認すると、ちゃんと折りたたまれて収納されていた。もう一つ面白い話があったが、この辺で。



11/12/04(No.564)

▼一週間近く、風邪をひいて体調をこわしていた。11月27日(日)のミサと説教を音声で聞いた人は、ガラガラ声だったのをご存知かもしれない。鼻水も出たし、本当につらい1週間だった。
▼月曜日は、ひたすら布団をかぶって寝ていた。食事とトイレでベッドを離れた以外は、ずっと横になっていたと思う。あ、1度新聞代の請求が来たので支払うために1階に降りたか。だからウォーキングカウンターも数百歩しかカウントしていなかった。
▼年末になり、そろそろ年賀状のことが気になってくる。本家のおじさんから「喪中のあいさつ」が届いたが、わたしには服喪の相手が思い浮かばない。わたしには知らされていない人なのか、それとも、忘れているだけなのか。
▼ツイッターが生活の一部になった。半信半疑だったころのことを思うと、なぜあんなに食べず嫌いで過ごしていたのかが不思議でならない。フェイスブックは登録だけして何も触ってなかったが、ある時のぞいてみたらいっぱい書き込みがしてあったので驚いた。
▼よくよく眺めると、ツイッターでのツイートがそのまま表示されている。それで分かったのだが、フェイスブックは知らないうちにツイッターとのリンクをするように設定してあったのだろう。
▼わたしも何が何だか分からないうちにフェイスブックを登録したのでよく覚えてないが、あんなふうにツイッターのツイートが掲示されるのであれば、しばらくお休みしても大丈夫だろう。
▼グーグルカレンダーを使い始めた。広報のほかの委員とスケジュール調整をするためである。ちょっとしたグループウェアだ。12月は忙しいはずなのに、特別書き込みが入っていない。もしかしたら、漏れがあるのか。
▼漏れと言えば、木曜日の強風で傘を車のドアで挟んでしまい、そのせいで先端部分に穴が数個あいてしまった。これでは傘の役目を果たさない。急いで適当な補修用具を買って、傘の穴を塞がなきゃ。「バケツに穴が穴があいてる バケツに穴があいてます」という歌を30年ぶりに思い出した。



11/12/11(No.565)

▼毎年保育園のクリスマス会に招待してもらい、みことばの祭儀の部分でクリスマスについての話をしている。救い主の誕生は、どんな人にも、どんな場所でも、どんな状況でも、喜びを届けてくれる出来事だと話した。
▼もとになっている話は、ちょっとまえにあるこども向け雑誌で用意した話なのだが、聞いている人を考えながら、少し手を加えて話してみた。クリスマスをケーキを食べるためのイベントくらいにしか受けとめていない人々にも、何かを考えさせるきっかけになればと思っている。
▼お金と頭は使いようで、同じだけ時間があってもお金の使い方、頭の使い方が悪ければほとんど得ることはない。しかし、与えられた時間の中で、うまく頭を使い、必要なお金を使えば、納得できる働きができると思う。今回そういうアイディアが浮かび、早速実行してみたいと考えた。
▼ここ何週も、本当に追われて生活している感じがする。時間は限られているのに、なかなか動き出さず、結果として追われることになる。この流れをどこかで変えたいものだ。少しでいいから、次はどう動く?こう動いた場合と、こう動いた場合、どちらがよりよい結果に結びつきそうか?そういうことを考えている自分でいたい。
▼年末年始、多くの人がゆく年くる年をそれぞれ振り返るのだろう。わたしは、神に感謝して、神に希望を置く。そのための時間としたい。明らかに、一年一年あっという間に過ぎるようになってきている。おそらくあと25年くらいがまともに働ける時間なのだろうから、その間に自分にできる「声」の働きを果たして、「声の主」とまみえたい。



11/12/18(No.566)

▼運動は体の機能を育てていると改めて確認した。風邪をひいてしばらくしてから12月1日になり、仕方なくランニングを始めた。風邪も治っていないのに、無茶だったかとも思ったが、呼吸がきつくなるくらいまで心拍数を上げて、またそれを通常に戻す。そうして、体の機能を高め、風邪を追い出したのかなと考えた。
▼走っているときに困ることがあった。もともと風邪をひいているのだから、鼻水が出る。走って心拍数が上がると、より多くの酸素が必要になるが、鼻が詰まっては呼吸ができない。仕方なく鼻をかむことになる。鼻をかむときに注意が必要だ。走りながら鼻をかむことになるが、ティッシュはないから、手で鼻をかむことになる。
▼これは経験者にしか分からないが、手で鼻をかむのはなかなか勇気のいることだ。手は汚れる可能性があるし、ほかにも来ているウェアを汚す可能性もある。だから練習とまではいかなくとも、走りながら鼻をかむとどうなるのかをよく理解していないと大失敗を犯す。経験者が言うのだから本当のことだ。
▼おかげで走り出してから体が強くなってきたのか、風邪も次第に良くなり、今は鼻水も出ていない。風邪薬と、体を強くする努力。その両方で、風邪を乗り越えた。マラソン大会までは走りもするだろうから体の調子も保てるが、今回は試合を過ぎても体を極端に遊ばせないように心がけよう。


11/12/24(No.567)

▼五島には「かんころ餅」という食べ物がある。おもな材料はサツマイモで、生のサツマイモを5ミリ程度で平たくスライスし、それを湯がく。柔らかくなったら竹で組んだ棚に並べて干す。冷たい風が、湯がいたサツマイモを透明感のある干物にしてくれる。
▼次に、スライスしていったん干したサツマイモを蒸す。柔らかくなったら餅つき機でつき、粘りを出す。餅のようになったところで適当な大きさにとりわけ、丸めたり、棒状に整えたりして熱を取る。これでかんころ餅の出来上がり。
▼ほとんどが焼いて食べる。柔らかいうちは焼かずに食べる。サツマイモ本来の甘みがしておいしい。昔、コメの餅が食べられなかった時代に作られたものだと思う。家庭によって独特の味があり、ほとんどが家庭や近所で消費されていたが、今ではその素朴な味がかえって付加価値となり、商品としても出回っている。
▼もちろんかんころ餅も美味しいのだが、竹で作ったいわゆる「かんころ棚」に干してある湯がいたサツマイモのスライスもけっこうおいしい。小学生のころは、山の中でチャンバラごっこや陣取り合戦をして、おやつに棚に並べてある干しサツマイモを食べた。もう時効だとは思うが、断って食べたのではなく、黙って盗んで食べた。
▼食べたままにしておくと犯行がばれるので、ほかの干しサツマイモも均等に動かして穴が開いたままにならないように全体を動かした。これは想像だが、自分よりも昔の子供たちも同じことをしていただろうと思う。だから、少々食べられてもそれを犯人探ししなかったのではないか。
▼最近は、紫のイモを使ったかんころもある。ピーナツを砕いたものが混ざっていたり、明らかにハチミツの甘さが感じられたり、多種多様なものが販売されている。販売するようになってから、いろんな「奇妙な」かんころが出回るようになった。家庭の味だったころ、本当にイモの甘味だけだったかんころが、わたしは好きだ。



11/12/25(No.568)

▼ご降誕を迎えた。一人一人、どこでこの日を迎えたのだろうか。もちろん健康で体調も問題なく夜半のミサ、日中のミサに参加した人もいるだろう。ほかに、わたしが知っている範囲でも、さまざまな事情でミサに参加できなかった人がいる。
▼体調を崩して自宅で迎えている人。12月中に病院に緊急搬送され、今も集中治療室にいる人。家族に病気の重大さが知らされ、見た目は安静にしていながらも、命の危険と向き合っている人。日頃養護老人ホームに入所していて、ミサに参加したくてもずっと参加できないまま今日を迎えた人。
▼幼子イエスが、そうした一人一人を知らないはずがない。イエスご自身、宿屋にお産の場所が見つからず、ふさわしくこの日を迎えたかったけれども迎えることができなかったのだから。同じ残念な状況に置かれている一人一人を、知らないはずがない。
▼そこで、クリスマスに本当にクリスマスプレゼントを必要としている人に、プレゼントを用意しようと考えた。すべての人に届けることができないのは残念だが、少なくとも、何人かには届けることができるだろう。それは、24日の「主の降誕・夜半のミサ」を収録して、mp3で利用できるようにするというものだ。
▼つねづね、説教の部分だけはホームページにもアップしていたし、メルマガのリンクからもたどれるし、ケータイでダウンロードできるようになっている。それを、今回は拡大して、ミサの全体(説教前・説教・説教後の3分割)をお届けしようと思っている。
▼もしかしたら、いつも、ミサの全体をネット上にアップした方がよいのかもしれないと今ふと思ったが、それは利用者の皆さんの反応を見て考えたい。反響が大きければ継続したいし、反響がなければ、復活徹夜祭とか、たまに実施してみる程度になると思う。
▼病院にご主人が入院した奥さんから、「毎日ミサに通っていた主人がミサに行けなくなっていたので、日曜日のミサの収録をこの前いただいて本当に感謝しています。カセットテープが擦り切れるほど、何回も聞き直しています。」と言ってくださった。こういう声は、準備した苦労をすべて忘れさせるものだ。







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