(No.045)(03/1/1)

▼新年明けましておめでとうございます。今年の抱負は、「さらにもう一つ」というのが浮かびました。司祭十一年目ですので、単純にそう考えました。
▼さらにもう一つとは、二十代のときには何ともなかったことなのですが、三十代後半になると、「え〜?もう一回やるの?いいけど・・・」とためらったりします。けしからんと言われそうですが。
▼新年に昨年の話題で申し訳ありませんが、小学生のクリスマス会の中で、「モーニング娘。」の「ラブレボリューション」という歌(踊り?)を子供たちが披露してくれました。でもって私も飛び入りでステージで踊っちゃいました。
▼小学生の女の子たちがかっこよく踊る中で、まったく異質な人間がひとり混じって、「うう〜ラブレボリューション。イェー!」なんて踊ったわけです。
▼あとで保護者が撮ったビデオを見てびっくり。ウィスキー樽のようにお腹の出たおじさんがそこにいたのでした。でもいいんです。まだまだやるぞー!








(No.046)(03/1/5)

▼2002年?2003年?平成十四年?平成十五年?今年のレコード大賞は?まだちょっと戸惑っています。ちなみに今年のレコード大賞は、12月まで分かりませんよね。
▼冒頭にも書きましたが、メルマガの母胎である「話の森」ホームページは引っ越しとなります。ご迷惑をおかけしますが、新しい引っ越し先をクリックして、「お気に入り」を差し替えてくださいませ。
▼メルマガを続けて読んでくださっている方、今年もよろしくお願いいたします。あまり読んでない、届いても届きっぱなしの方、部数の増加に貢献してくださり、ありがとうございます。今年もどうぞよろしく。
▼「今週の聖人」コーナーは、3月をもって終了させていただきます。温めている新しいコーナーが、4月から登場です。どうぞお楽しみに。
▼こちら大島で、雪が降りました。ワーイ。ということで、ビデオクリップです。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/knkouji/yukida.wmv








(No.047)(03/1/12)

▼テレビのコマーシャルの受け売りで申し訳ないですが、海外の算数教科書には、「□+□=9」「適切に答えを入れてください」という問題の出し方をするそうです。
▼日本だと、間違いなく「5+4=□」「答えを入れてください」でしょうね。それは、「多様性を受け入れていく社会」と、「単一性を重んじる社会」との違いなのかも知れません。
▼今年、「さらにもう一歩踏み込んで」ということを念頭に置いているのですが、今週の福音を黙想する中で、あーこの調子でいけば何とかなるかもとかすかな感触を得ています。今年も、また髪の毛を犠牲にしながらの格闘となるのでしょうか。
▼みなさんのお住みになっている土地では、今年の冬は暖冬なのでしょうか。厳冬となるのでしょうか。寒がりの私には、雪のちらつく今年の冬はひどく堪えます(雪のビデオクリップ、見てくださいました?)








(No.048)(03/1/19)

▼聖地巡礼大ピンチ。定員割れになるとせっかくの巡礼も取りやめになるとか。あわてた私は里帰りしてまでも、「巡礼のススメ」を話しました。
▼「巡礼はとてもためになります。百聞は一見に如かずですよね。説教台で言葉をならべて解き明かすよりも、よほど見に行ったほうが感じるものです」焦っていたので、顔に出ていたかも知れません。
▼今、3年前に巡礼にいっしょに出かけた神父さんに、巡礼のときに撮りだめたビデオをお借りできないか交渉しているところ。ビデオソースは、四月からのメルマガの材料になる予定。
▼すばらしい時代になったとつくづく思います。聖地の様子が、ストリーミングビデオでも流せるようになりました。ただしそれでも、自らの足で聖地に立つことには敵(かな)いませんが。








(No.049)(03/1/26)

▼今週のお説教は大変苦労いたしました。文章を書き終えるのに苦労したのではなくて、「保存できずに」泣いたのでした。
▼最近ワープロソフトが重くて、エディタソフト(私は「秀丸」)を使っているのですが、とっても軽いけど、ちゃんと保存していないとえらいことになります。
▼とっても軽快に文章を綴っておりました。そこへ「パチン」「ドスン」。ブレーカーが落ちてしまったのです。原因は、エアコンと、電子レンジと、電気ヒーターとパソコンが一度に電力を奪い合ったためと思われます。
▼あと4・5行というところでの惨劇でした。すべてのアイディアを一から練り直して、書き直しましたが、最初から最後まで書き直すのはさすがに疲れました。
▼イエス様のためなら、パソコンなど簡単に捨てられ・・・ません。まだ修行が足りませんですます。








(No.050)(03/2/2)

▼今週号は、とってもとっても嬉しい「記念号」です。ついに五十号を迎えることができました。パチパチパチ。有料メルマガが1人と、無料メルマガが2人増えました。このことに関連して、記念号に花を添える暖か〜い話を一つ。
▼月曜日のことでした。夜8時にメールチェックをしたところ、2通のメールが入っていました。どちらも、メルマガを申し込みますというメールでした。2通同時に、同じ時間に受信して、びっくりでした。
▼一通は、「メルマガ読んでみて、ね、ね、お願いだから」と誘っていた方からで、「あれ?メルマガって、自分で申し込むものなんですか?ごめんなさい。今から申し込みます」というものでした。
▼もう一通は、手話にたずさわるある女性の方で、ろうあ者の方にこのメルマガを読ませてくださるようなことが書かれてありました。えらい人もいるものです。お役に立てて良かった〜!








(No.051)(03/2/9)

▼2月3日、節分の日。おとなりのカトリックの保育園から「当日赤鬼になってください」と頼まれ、いやでもないくせに「え〜」とか言って引き受けました。
▼たしか土曜日に頼まれたのだけれど、もうその時から、「どんなパフォーマンスしようかなあ」とか頭はそのことばかり。
▼結局、インターネットで公開したとおりの結果になりまして、豆を投げるのは二人くらいで、あとは行き場を失って右往左往するばかり。
▼もっと子供たちが、「勇気を出して立ち向かおう」と思うくらいで押さえないといけないと思いつつ、来年も自分に頼みに来ないかなあと思っているこうじ神父でした。








(No.052)(03/2/16)

▼メルマガのようなものを出していると、発行者はちょっぴり部数が気になるもの。一つのの発行スタンドでは「ニュース:その他」「教育:その他」ほかに「ライフスタイル:その他 」というジャンルに所属をおいて発行しております。
▼で、気になるランキングですが、無料版の発行元の一つ「パブジーン(Pubzine)」を見に行ってみてください。はるかに数を伸ばしている聖書関連のメルマガもありますし、近いところに位置しているものもあります。
▼もちろん内容はそれぞれオリジナルなのですから、比べる必要もありませんが、もまれて鍛えられるということはあると思いますので、今後も一つの励みとして精進してまいりたいと思います。
▼バレンタインデーには、保育園のお子さんから高齢者に当たるご婦人まで、数えきれるほどのチョコをいただきました。まだお腹には若干の余裕があります。








(No.053)(03/2/23)

▼食事中に「今週の説教」を読む人はまずいらっしゃらないという仮定での「初聖体」のお話。
▼初聖体の前に、子供たちには大きな難関が待ちかまえています。それは、「初告解」です。赦しの秘跡の流れがとんでしまって、頭がまっ白になってしまうケースがままあります。
▼とある男の子でした。緊張は伝わりましたが、とてもりっぱな赦しの秘跡を済ませました。私と子供とはついたてなしで向き合っていまして、「安心してください」と言いました。その瞬間に事件は起こりました。
▼「ジャー、ジョボジョボ」。「あー、やったなあ」と思うが早いか、シスターと保護者が飛んできました。あと始末のために飛んできたのですが、私は何だか、それでもすがすがしい気持ちになりました。
▼その少年は、すべてを委ねたのだと思います。緊張して、おしっこ漏らしそうな状態まで含めて、すべて委ねたのです。その子があの日のことをいつまでも覚えているかどうかは分かりませんが、私には美しい記憶として残っています。








(No.054)(03/3/2)

▼記録媒体。記録方法はある意味1回しか変わりませんでしたが、記録媒体は何度変わったことでしょうか。でもそのうちの一体いくつが残ったというのでしょうか?互換性がどうのこうの言われましたが、おそらく、そういうことは二の次で、問題なのは「どう記録したか」ということだと思います。
▼どう記録するかは、二つの問題に分けられます。一つは、デジタルで記録したか、アナログで記録したかです。たしかにこれは決定的な違いだったと思います。もう一つは、デジタルでもアナログでも構わないのだけれども、「時を記録したか」ということではないでしょうか?
▼たとえば日曜日のお説教は、デジタル記録をすれば永久に保存されることでしょう。けれども、話の中に、その当時が記録されているかどうかは別問題です。そう、その当時を、お説教の中に記録する。これがあるから、お説教は進化したり、悪くすれば退化していくし、3年前と今とでは違ってくるのだと思います。
▼黙想会の原稿を書き上げました。振り返ると回りくどかったかなあ。これが、今の私をありのままに記録した姿です。








(No.055)(03/3/9)

▼パソコンを過信してはいけない。ハードディスクを入れ替えようと思い、何の気なしに作業を始めたところ、今週は何十時間も浪費してしまいました。おまけにWindowsXPからWindowsMEに逆戻りする羽目に。
▼現状報告を正直に。メールアドレスを一切失ってしまいました。連絡してくださる方は、お名前か、ペンネームだけ一筆書き加えて、メールアドレスを送ってください。
▼2003年1月1日からの全データはほぼ壊滅です。今後、そのことで多少のご迷惑をおかけするかもしれません。平に、ご容赦願います。
▼結論。私の「四十日の試練」は、黙想会の日、灰の水曜日とともに始まったのでした。(追伸・先週のお説教に、タイプミスがありました、気が付いた方は遠慮なくお知らせください)








(No.056)(03/3/16)

▼先週は第55号で、松井選手とリンクさせて話をすればよかったのかもしれませんが、私はアンチ巨人で、広島ファンと来ています。「55」がチラッと頭をよぎりましたが、あえて放っておきました。
▼先週と今週で2つの保育園の卒園式に出席しました。保育園の先生の涙は、卒園していく園児のすがすがしさ・たくましくなった姿を物言わず語る涙なのだと思います。そのうちの何人かは、教会学校に上がってきて、また新しいドラマを展開してくれることでしょう。
▼3月いっぱいで、「今週の聖人」は終了させていただきます。身近な雰囲気を伝えるために、無料版では「ちょっとひとやすみ」を音声ストリーミングで聞くことができるようにしたいと思います。有料版では、その上に、ちょっとしたビデオクリップを流す予定です。お楽しみに。








(No.057)(03/3/23)

▼とうとうアメリカがイラクを攻撃しました。ミサイルが爆発する音が、私には深い悲しみの音に聞こえました。映像で、ミサイルが爆発する音は、「ドン」とか「ドカン」ではなく、「ドーーーーン」「ドカーーーーン」と、不気味な地響きを伴った音でした。
▼私事で申し訳ないのですが、この期間ほど、両親のことを片時も忘れなかった時間はないでありましょう。実は時を同じくして、イスラエルの巡礼に出かけていたのです。
▼どうしてこんなに争うのでしょう?「自由をもたらす戦い」「解放をもたらす戦い」と大統領は演説しました。ですが、はたして「自由をもたらす」のは「戦い」なのでしょうか?
▼聖書は、自由をもたらすのは「戦い」ではなくて「律法」だと教えます。「自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります」(ヤコブの手紙1章25節)。神が私たち人間に授けてくださった掟こそが、人間に自由をもたらすのです。








(No.058)(03/3/30)

▼桜がみごとに咲き誇っています。はじけるような咲きっぷりを見ながら、「力」をいただく思いがしました。
▼4月の新企画に向けて、「デジカメ」と「ハンディカム」を抱えて景色のよいところに出てみたのですが、「よかれ」と思って撮影して持ち帰ってみると、たいした映像ではありませんでした。
▼広い広い空間を切り取るということは、やはり一つの「技」です。私は美術は万年「2」よくて「3」でしたので、そのことを痛感した次第です。
▼四月からは、「ビデオクリップ」を配信してみたいと思っていますが、続けているうちに少しはましになるでしょうか?もしかして、「継続しても力ならず」だったりして。








(No.059)(03/4/6)

▼不慣れなハンディカムを片手に、長崎県西彼杵郡大島町の景色を撮影に行きました。
▼さすがにテレビ局のような映像は願うべくもありませんが、こんな場所から福音の分かち合いを発信していることを知っていただけたらと思います。
▼目標は1分だったのですが、1分のつもりで撮影したコマは2分をちょっと越えました。これは、以後の戒めとして活かしていこうと思います。
▼自分が1分と思ったことは、他人様には2分に感じているはずなのです。回りくどい展開、自分だけが分かったつもり。さまざまな幻想をうち破って、仕える者となれるよう、これからも道を歩み続けます。








(No.060)(03/4/13)

▼過ぎた週は雨続き。チャンスに恵まれませんでしたが、その中で「教会新聞のお手伝いをしてくださる婦人会の皆さん」と「枝の主日にそなえて枝を準備する皆さん」にスポットを当ててみました。
▼今回は、明らかな失敗があります。それは、撮影しているこうじ神父自身が大きい声を出してしまったことです。音声のバランスからすると、少し声を抑える必要があったと思います。
▼ただ、見方を変えれば、普通に会話している様子が、そのまま収められているということになるかもしれません。「おーい」「はーい」の世界です。
▼今月は、身近な足元の紹介に終わるかもしれません。目標としているのは、福音の分かち合いに貢献できるような映像をお届けすることです。それはイエス様の歩いた土地という意味もありますが、身近な場所に実を結んだ福音にも目を向けたいと思っています。








(No.061)(03/4/20)

▼復活徹夜祭の映像を、何とか収めたつもりですが、うまくいってなかったかもしれません。この原稿を書く時点では、復活徹夜祭を終えていませんので、実は何とも言えないのです。
▼光の祭儀がうまく収まっているなら、その後の闇から光へという流れをお届けできると思っております。ご復活の喜びが、メルマガを購読しておられる皆様にも届いたでしょうか?
▼実は、週末は雨でした。別の映像を考えていたのですが、急遽このような映像に切り替えたものです。何と言いましょうか、「ひらめき」がありまして、結果としてはこの映像がよりふさわしいものになったと言えるかもしれませんね。
▼ガンガンお説教を準備し続けた一週間でした。けれども、今年は今年で、新しい復活の喜びが得られたと個人的には思っております。遅くなりましたが、皆さん、主の復活おめでとうございます。








(No.062)(03/4/27)

▼「主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい」。詩編127の言葉です。最近、身近な場所で味わう機会をいただきました。
▼教会の敷地のすぐ隣で、新しい家の建設が始まりました。土地を更地に変え、地鎮祭が行われ(神式でした)、コンクリートを敷き詰め、柱が立ち、餅まきをします。瞬きする間もないほど、あっという間の出来事でした。
▼そういえば、「礎の石」がありませんでした。「家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった」。使徒言行録4章の言葉ですが、コンクリートが固まる前に、夜中にこっそり教会の石を投げ込んでおけばよかったかなあ。
▼ビデオクリップに収めている間、「木の香り」が何ともいえない心地よさを感じさせてくれました。木の香りがお届けできないのが残念です。








(No.063)(03/5/4)

▼いろんな人と巡り会います。命の危険にさらされている人とも巡り会います。生きているけれども、日の光を直接見ることがかなわない人とも巡り会います。
▼そこで、「太陽の輝き」をテーマに撮影に出かけてみました。最終的にはテーマからずれてしまったかも知れませんが、海面に映る日の光の反射は、個人的には満足しています。
▼いつか別のテーマではあっても、「燃える太陽が沈んでいく夕日」を撮影したいと思っています。住んでいる家から日が沈む空を眺めることができますので。
▼イエス様は「空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか」と仰います。レンズに、神様のみわざを収める日はいつのことでしょうか








(No.064)(03/5/11)

▼親戚の結婚式に招待され、妹の結婚式にも出なかったくせに、出席して恥も外聞もなくビデオ撮影を敢行しました。招待でしたので、カメラを握ることができたというわけです。
▼誓いを交わす二人。もともと「誓い」は命がけなのではないかと。「軽い誓い」とか「重い誓い」などなくて、神の前に誓ったことは、命がけなのだと思っています。
▼二人で誓いますが、そこに神がとどまっておられます。相手に誓いを申し上げますが、相手の中に神様を見て、誓いを申し上げているのだと思います。
▼配偶者のうちにとどまるキリストにお互い命を委ねあうとき、夫婦は自分に生きるのではなくキリストに生きるものとなるのでしょう。羊のために命を捨てる、若く美しい光景を見せていただきました。








(No.065)(03/5/18)

▼太田尾小教区では、お知らせのプリントなどは各家庭専用に設けられた「状差し」の中に入れることになっています。「状差し」という言葉、この教会に来て、30過ぎてはじめて覚えた言葉でした。
▼いろんなものをこの「状差し」に入れます。月初めは、教会新聞、教区の新聞、会務報告、行事お知らせなどです。現状そのままの映像がビデオクリップに流れると思いますが、たまっている状差しも見えるかも知れません。
▼教会の「組織」とのつながりは、わりあいこうした「ローテク」(「ハイテク」に対する言葉)のほうがうまくいくのかなあ、と思ったりします。実は紙の伝達よりも、「神父がミサ後に一声かける」ほうがよく伝わったりしますが。
▼神を信じていれば、組織はいらないという考えも一理あるでしょう。けれども、木はいきなり幹につながってはいないと思います。組織は幹と枝を結ぶパイプなのかも知れません。








(No.066)(03/5/25)

▼小学生のロザリオ。大人が唱えているときと違い、リズムよく唱えるという芸当はできませんが、子どもたちの「間の悪さ」「テンポの悪さ」はそれはそれでかわいいものです。
▼ロザリオの一連は、主の祈りを1回、聖母マリアへの祈りを10回、栄唱を1回です。子どもが10人くらい集まるので、聖母マリアへの祈りは一人1回ずつ回そうというのが約束事になっています。
▼それなのに、子どもたちの中にはどうしてもそれが飲み込めずに、順番が回ってきても「ぼおっ」として、「○○ちゃん、順番よ」と言われて、はっと気づいて唱えることもしばしば。
▼聖母月のロザリオ。いっぱい唱えて、いっぱい言えるようになったでしょうか?身によくついた?








(No.067)(03/6/1)

▼聖母行列を五月最後の日曜日に行いました。あいにくの雨で、外を回ることができなかったのですが、六年続けてきましたので、信徒の方にもとても好評です。
▼なんと地域のカトリックでない方までもが、「マリア様の行列は何時からですか?あれだけは見てみたい」という方がおられるのですから驚きです。
▼かつては聖母行列・聖体行列はひんぱんに行われていたのではないかと思っています。ふるさとの「五島列島の教会」では、漁船で船団を組み、大漁旗を掲げて聖体行列をしていた時期もありました。
▼聖母像は物言わぬ像ですが、神がおられることを、神に心を捧げた聖母と、その聖母を囲んで祈る信徒が証明しているのだと思います。これも、「新しい言葉」を語っている一つのしるしではないでしょうか。








(No.068)(03/6/8)

▼久しぶりに大島造船所に出かけました。「船の祝別(お清め)」をするためです。2年前にも、同じ依頼主に祝別をお願いされたことがあります。
▼船は250メートルくらいの大きな「バラ積みタンカー」で、担当の人の話では5万トンくらいと言っていました。フィリピン人のキャプテンと打ち合わせをし、式に入ります。
▼主要な場所に案内されて、聖水をかけ、香をたき、あやしい?英語で祈りを唱えました。最後にブリッジでミサをささげて終了です。
▼英語は、度胸です。もちろん流暢に話せるに越したことはありませんが、伝えようという熱意と、とにかく言葉にしてみようという度胸。あとは聖霊が、神の言葉に変えてくださる?








(No.069)(03/6/15)

▼「山上の説教」を実行しました。聖霊降臨の日に、真っ赤な祭服を身につけて、炎のような?説教を響かせました。
▼この聖霊降臨の日、私たちと同じ高い場所でミサをささげた共同体はどれくらいあったか分かりません。ですが、いちばん近い場所で、聖霊を注がれたような気がしました。
▼あまり大げさな言い方と思われるかも知れませんが、今日のミサで、この緑の芝生を、この山を、礼拝を通して清めたという思いも持っています。
▼ぜひ、ぜひ来年も同じ企画を打ってみたいと思います。ただし、もっと綿密に打ち合わせしないと、良いものも積み上がっていきませんが。








(No.070)(03/6/22)

▼六月の初めに参加した黙想会の時の話。同室の○田神父さん、○崎神父さん、○原神父さん、すべて「激しいいびき」をかく人で、3時4時頃に目が覚めると一日疲れたままです。
▼ですが、起こされてもただでは起きたくないので、何かないかと考えていたら、ちょうど浦上教会の早朝のミサの時間帯でしたので、ベランダでその様子を見入っていました。
▼早朝6時のミサに、けっこうな人数の人が吸い込まれていきました。私は一方向からしか見えませんでしたから、おそらくその倍は参加しているのでしょう。
▼「あー、○○さんだ」「○○のおばちゃんは、最近はタクシーか」「親子二代で参加だ」。懐かしさもあり、新鮮さもあり、いびきをかいて寝ている同室の神父様方に密かに感謝したのでした。








(No.071)(03/6/29)

▼中学生の勉強会が成人信徒の講座と重なったある金曜日に、シスターにお願いして「信仰宣言」をしっかり覚えてもらう課題を出した。私の関わっている「手話」の動作付き。
▼「手話」は実は二の次だったのだけれども、期待していたことは、「丸暗記よりも、手話を加えたら少しは理解を伴うのではないか」という狙いがあったから。結果をビデオカメラに収めてもらい、あとでチェック。
▼戻ってきた映像を見ながら、「シスターやさしいなあ・・・」と声を漏らしてしまった。カメラを見て手話付きの信仰宣言を唱えているけれども、どう見ても「まねっこまねりん」で、意味は理解していないことが手に取るように分かったからだ。
▼再度、次の週におさらい。私は心を鬼にして、「丸暗記するから、手話の動作と言葉が大幅にずれるんだ。全然なってない」と、徹底指導。けっこう私も優しい神父かも。








(No.072)(03/7/6)

▼カトリック教会では洗礼を受けて霊名(洗礼名)を頂きますが、誰でも霊名の聖人の日にはお祝いをする習慣があります。
▼司祭も有り難いことに、日ごろの感謝を込めて、霊名の祝いを教会でしていただくことがあります。私の霊名はトマスで、祝日は7月3日です。
▼先週の日曜日、保育園をお借りしてお祝いをしていただきました。そのときの様子、ほんの一部ですがお届けいたします。
▼今年は、それほど人数が集まりませんでしたが、司会をしてくださった方は、気分が高揚していつの間にか司会を引き受けてくださいました。婦人会の踊りも最高でした。








(No.073)(03/7/13)

▼長崎でのショッキングな事件に、心を痛めておられる方もたくさんいらっしゃると思います。どうにかして、その少年の心には命の尊さと、命へのいつくしみの気持ちが育ってもらいたいです。
▼未来を奪われた4歳のお子さんには、神様の深い愛が届きますように、神様がこの世での未来を置き換えて天国での永遠の幸福で満たしてくださいますようにと祈ります。
▼ビデオクリップは、お休みしようかと思ったのですが、共に祈り合うという意味で、浦上教会の鐘を流します。以前使用したものですが、お祈りくださいませ。








(No.074)(03/7/20)

▼「マネーの虎」という夢をつかむ人を応援する番組で、「フランスロール」という洋菓子を取り上げていたのを覚えておられる方もいらっしゃると思います。ミーハーな私は、実物を求めて出店先に出向きました。
▼ビデオクリップにある通りで、開店直後に行ったのに行列が出来ていました。1時間ほど待たされて、ようやく一口食べてみて、おいしいんだけど、もうちょっと待ち時間を短くして欲しいと思いました。
▼周囲を撮影していたら、とあるご婦人が2個ずつ買い求めていたのですが、隣のベンチに座った中学生に親しげに話しかけ、持っていた1個をあげたのです。自分は1時間も待ったのに!!!
▼夢にかけて、厳しい社会の荒波に飛び込んでいくチャレンジャーたち。イエス様が送り出した12人の弟子たちに重ねて見つめていました。その日の成功を、彼らは誰と喜び合うのでしょうか。








(No.075)(03/7/27)

▼「オルゴール」と聞いて、皆さんは何を連想しますか?箱に入った小さなもので、曲が一つ収められている。たぶんそんなところでしょう。
▼ビデオクリップで紹介したオルゴールを見て、驚かれたかも知れません。何と大きな仕掛けでしょう。譜面もミュージックブックを使っていろんな曲を演奏出来るようです。
▼発想のスケールが違うなあ、と思いました。そう言われれば、巨大なパイプオルガンにも当てはまるかも知れません。天にも届きそうな音色で、ヨーロッパの大聖堂ではミサに参加した信徒は皆うっとりだったのでしょう。
▼印象に残る音は、耳が記憶します。たくさんの音を覚えて豊かに育った人は作曲家になるでことしょう。たくさんイエス様のお話を覚えた人は司祭や修道者に・・・であったらいいなあ。








(No.076)(03/8/2)

▼ビデオクリップとは関係ない話ですが、太田尾教会の司祭館からは、夏に夕日が沈むのを楽しむことが出来ます。長崎教区でも恵まれた環境かもしれません。
▼完全な丸い太陽が、雲に沈み、水平線に沈むまで、約16分といったところでしょうか。はじめはゆっくりとした動きですが、いよいよ沈む頃になると、見る見るうちに沈んでいきます。
▼自分では勝手に「ロマンチックだなあ」とか思っているのですが、隣に誰かいるわけでもないし、語る相手もいませんので、勝手に皆さんに「ロマンチック」を押しつけております。
▼ただ一つ、以前ビデオクリップで紹介した「新築の家」が、すでに完成してでんと居座っておりまして、勝手な話ではありますが、「景観を損ねて」いるような気が・・・。








(No.077)(03/8/10)

▼皆さんは「劇」を披露したことがあるでしょうか?練習から始まって、観客の前で緊張しながら舞台に立つ経験は、祭壇の説教台で役に立っているような気がします。
▼紹介しているビデオクリップは、「女子修道会志願者」たちが、小学生のキャンプで披露してくれた「ファチマの牧童」という劇です。ファチマはマリア様出現の場所として知られており、フランシスコ、ルチア、ヤシンタの三人が出現を受けたとされています。
▼役者大好きの私としては、「もう少し感情表現のメリハリを」と思いましたが、中学生高校生の演技に、最後は拍手喝采がわき起こりました。
▼どうでも良いことですが、神学院(司祭養成の学校)では女性役がどうしても不足しており、ちょっとそれっぽく演技できればすぐ「主演女優」に抜擢されます。私は8年間のうち7年間、主演女優を貫きました。








(No.078)(03/8/15)

▼この日の「聖母被昇天」の説教に後付けで「ちょっとひとやすみ」を書いています。もちろん当時の様子と記事を書いている今とは大きくかけ離れているのですが、過去を埋め合わせできるというのは人間のすぐれた一面ではないかと思います。
▼過去を埋め合わせると言えば、「はてな」という面白いサービスを見つけました。(http://www.hatena.ne.jp/)。その中の、「はてなダイアリー」という機能を使えば、過去にさかのぼって日記を作成することができます。
▼もちろん本来の使い方ではありませんが、こういう使い方をすることで、書けなかったはずの過去の日記を書くことができ、失った時間を埋め合わせることができるのかも知れません。
▼私たちはたくさんの過ちを犯し、取り返しのつかないことをしています。それらは神にしか埋め合わせすることはできません。日記が埋め合わせできても、過去が変わるわけではありません。そう思うとき、私の心は神への賛美にあらためて向かいます。








(No.079)(03/8/17)

▼今年の夏に大粒の汗をかいておられる方に、残暑見舞い申し上げます。私はとうとう大粒の汗をかくことなく、夏らしくない夏を終えそうな予感です。
▼そんな中でも、朝一番にじわっと汗ばむ日課をもっていることは幸いでした。朝のミサを終えてのラジオ体操。子どもたちは年々少なくなってきているので残念ですが、それでも欠かさず来てくれる子もいたりします。
▼欠かさず来る子も、期間限定の子も、体操して一日を始めれば、頭すっきりです。いつだったか朝一番に電話をかけたときに、「えらい朝から元気ねぇ」と困ったような声で言われたことがありました。
▼そんなこんなで、ラジオ体操第一、さん、はい!(映像が見づらい点がございます)








(No.080)(03/8/24)

▼こちら長崎では、教会学校の夏の行事として、ドッヂボール大会を開いています。教会によっていろいろチーム編成があるようですが、一般に教会学校によく来る子どもを、夏休みのミサとラジオ体操に来たあとに、または時間を決めて練習を積んでいるようです。
▼毎年優勝候補に挙がるチームもありますが、教会によっては「今年も参加できて良かったね」というチームもあり、それぞれが大会当日は喜びを分け合うのでした。
▼太田尾小教区は、この5年ほどで優勝候補のチームと参加できて良かったチームと、両方を味わっております。どのレベルの参加であっても、我が子(?)のプレーには熱が入るもの。
▼「おら、落ち着かんか。あー、なんばしよっとや〜。タイセイ!しっかり狙えって!」ビデオクリップを編集してみたら、思わず奇声を上げていたこうじ神父でした。








(No.081)(03/8/31)

▼八月の最終週、郷里の上五島有川町に帰省しました。寝床を三日間変えただけの帰省で、釣り三昧でも、家の手伝い三昧でもなかったわけですが、長男息子がそこにいるだけでも、孝行しているのかなと勝手に解釈しております。
▼雨にたたられた三日間ではありましたが、鯛ノ浦小教区が誇る石造りの巡回教会「頭ヶ島教会(かしらがしま)」教会だけはビデオに収めてきました。迫害を逃れて当時無人島だった頭ヶ島に住み着き、のちに文化財にまでなった石造りの教会を建てたご先祖の熱意は、重みとなって教会を支えていました。
▼ビデオクリップでも触れたのですが、積み上げられた石には「漢数字」が掘られています。決して、絶対に、ヨーロッパ建築にはあり得ない「日本文化の受容」をそこに見た思いです。欧米のキリスト者があの文字を見たら、「飾り・彫刻」と思ってしまうのでしょうか。








(No.082)(03/9/7)

▼私にはとても奇妙な傾向がありまして、たとえば包装用フィルムが中途半端にくっついているのが好きで、あえてそのままにしておいたりします。几帳面な人は、そんなことは許せないでしょう。
▼似たような(?)例としては、500円で買ってきた傘のタグ(値札)をそのままぶら下げて使用し続けたりします。「値札、付いたままですよ」と知らない人からも言われますが、それが快感だったりします。
▼そんなこんなで、今回ビデオクリップでは「雷の鳴る空」を撮影してみました。本当は稲光とゴロゴロの間は間隔があるのですが、ハサミを入れております。
▼字幕に、「な〜つのおーわーり〜」と入れていますので、歌手森山某の甲高い歌を口ずさみながらご覧になると、けっこういけてるかも知れませんよ。








(No.083)(03/9/14)

▼9月11日がやってきました。その日0時を、祈りで迎えようと、眠い目をこすって時計とにらめっこしていました。0時になったとき、主の祈りを唱えました。
▼「わたしたちの罪をおゆるしください、わたしたちも人をゆるします」。本当だろうか、本当に、私は人を許しているのだろうか。都合の悪いことは人にかぶせ、競争で人を振り落とす日々なのではないか、繰り返し2年前の映像が流れる中で考えたのです。
▼「悪からお救いください」。いまだに悪夢から逃れられない人がたくさんいます。どうか、どうか救ってくださいと、思いはさらに強くなったのでした。
▼飛行機でビルを壊すことはないけれど、小さな針で人の心に傷を付けている私。だから、私にできるときは、傷ついた人を受け止めてあげたいと思う今日この頃です。








(No.084)(03/9/21)

▼説教本文には、「途中で何を考えるべきか」を問いましたが、三年前にイスラエル巡礼に出かけたときには、かなりはしゃいで「ひんしゅく」を買っていた私です。よくまあ今日の説教が言えたものだと。
▼かつて、「巡礼して教会が定める恩典にあずかる」と言えば、それはローマへの巡礼に限定されていたのだそうです。これまたかなり高飛車なものの言い方だと、個人的には思ったりもします。でも歴史的にはそうなのですからあれこれ言えません。
▼圧倒的な偉容というのでしょうか、風格みたいなものが、私みたいな者は祈る心を呼び起こさせるのですが、荘厳さを嫌ってローマやエルサレムを避ける方々もいらっしゃるとか。神様はいずこにても、巡礼者に恵みを与えるのかも知れません。
▼もしも、皆様巡礼に興味を持っておられるようでしたら、まずはお出かけになることをお勧めしますが、そうもいかない方には、サンパウロという出版社から出ている「エゲリア巡礼記」をお勧めします。古代の女性が残した巡礼記で、絶品です。








(No.085)(03/9/28)

▼いよいよ行き詰まった!今週のビデオクリップ、ありゃ何じゃ?きっとそのようなご批判を受けるのではないかと、戦々恐々としております。
▼ビデオクリップが始まってからでもすでに半年が過ぎてしまいました。何かを伝えよう、文字だけではなくて何か「五感に届く『よろこびのしらせ』」を。そうして始めた試みですが、受け入れてもらっているのでしょうか。
▼今日のみ言葉からのメッセージは、誰に言うまでもなく私が悔い改めるべきメッセージだと感じております。あの団体はうさんくさい、あの活動は閉鎖的、あんなことには小教区としてタッチしたくない・・・等々。
▼半分ずつ、原因があるのでしょう。そして、私たちはしばしば結論を急ぎすぎるのかも知れません。「やめさせてはならない」とは、少し弾力的な返事だったのかなと思うのでした。








(No.086)(03/10/5)

▼女の子って、いったいどこで脱皮するんだろうと、今日思ったのですが、幼稚園に通っているとある女の子が、「あのね、あしたね、運動会なの」と話してきました。
▼それほどなついていたとかそういうことはなくて、昨日と今日とがまったく別の日、別の人といった感じでした。この機を逃すまいと思って、「今日はいっぱい話してくれるんだね」とは言わず、「へえ〜、本当?」と水を向けました。
▼聞いたところではすごく足がはやいということだったので、「きっといちばんだね」と返事をしたら、「でも、○○ちゃんと○○ちゃんがいるから・・・3番かもしれないの」ということでした。
▼なりふり構わず、応援に行こうかなあ。まるで別人のように、話しかけてくれたしね。「○○ちゃ〜ん、神父様が応援してるから大丈夫だよ!」








(No.087)(03/10/12)

▼本日大島町の町民体育祭。15地区ほどに分かれているのでしょうか?それぞれに選手をそろえて、いろんな競技に参加します。
▼点数が入る競技があって、獲得した点数で最終的に順位が決まります。その中でも男子リレー・女子リレーは重要。上位に食い込むと大きな点数が入り、順位がぐっと上がります。
▼赴任して3・4年は選手だったのですが、6年目の今年は間に合っていたのか、お呼びがかかりませんでした。応援にまわりますが、応援ではあってもつい力が入っちゃうんですよね。
▼「そこ、ほらあ、抜かれる!抜き返して!」実際はもっと激しい言葉をかけることも。「あなたに一つ欠けていることがある。周りがびっくりするような言葉遣いはやめなさい」。








(No.088)(03/10/19)

▼ミッションスクール考。キリスト教の精神に則って学生(小・中・高)を導く、崇高な使命を帯びています。目標はよろしい。けれども、案外ミッションスクールはいろんなことも言われます。
▼たとえば私の母校。昔の言い方だとPTAなんかなかったです。先生のげんこつが落ちただけで、PTA問題になる現代からすると、私たちの時代は教育というか、しごきもあったかなあ〜。
▼ミッションスクールって、それぞれって感じです。お互い干渉しないと言えばきれいな言い方だけど、向こうは向こう、こっちはこっちみたいな。でもこれからはそうはいかないと思ったか、わりと交流を進めているという話も。
▼その地域で本当に影響を及ぼすミッションスクールになるためには、もっともっと交流をもって、もっとスクラム組んで、プッシュプッシュしてもらいたいです。あくまで個人的な感想ですが。








(No.089)(03/10/26)

▼詳しいことは知りませんが、「巡礼・それに対応するもの」は、おもな宗教に共通かも知れません。太田尾教会の婦人会主催で、来月「天草巡礼」に出かけることにしています。
▼その下見という「名目」で、水曜日に婦人会長とご主人を連れて出かけてきました。「天草四郎」という名前にすぐ結びつく信仰の街という印象があります。
▼まずは信徒の方々によって信仰の雰囲気を保っているのですが、行政としてもそのイメージで売り出しているようでした。あちこちで「キリシタンなにがし」という案内・行事紹介が目に入りました。
▼興味深いことに、熊本県に属しながら、かつては教会の区域としては長崎教区に属していた時代があったのだそうです。どうりで、教会周辺のたたずまいが、外海町のそれとにているなあと思った理由がよく分かりました。








(No.090)(03/11/1)

▼メルマガをお読みくださっているすべての方々へ。こうじ神父は配信しているメルマガの母体であるホームページを運営しておりますが、現在イラストを募集しております。
▼ボランティアで「募集要項に合致するイラスト」を書いてくださる方(フリーで使用できる画像を見つけてくださる方も)を求めています。
▼欲しい画像のリストは、最後に並べておりますが、思いつくままです。「だまって」「なんの見返りも求めず」描いてくださる方を募集中です。
▼もしも、こんなわがままなお願いに応えてくださる方がおられましたら、だまって、添付メールの形で送ってください。届いた画像は、トップページにて「だまって」掲載させていただきます。

▼共通のお願い事: 画像はGIF形式、100×100程度、256色まで。
▼掲載期間 おおむね、1ヶ月程度

↓募集したいイラスト(静止画像・動画も可)一覧↓

(1)「おりが良くても悪くても福音を宣教しなさい」(2テモテ4:2)を表現したイラストを数種類。
(2)「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する」(マルコ1:38)を表現したイラストも数種類。
(3)「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒言行録4:20)を表現したイラスト数種類。
(4)わがままなお願いで、申し訳ありません。








(No.091)(03/11/2)

▼このメルマガに対する「ちょっとひとやすみ」も後付けです。死者の月に当たって、「死者の日」の説教を発行するべきだったのですが、どうしてもどうしてもまとめることができず、とある神父様の記事を引用させていただきました。
▼まったく、何も書けない日はあり得ません。それでも書けなかったということは、どれだけその週に遊んでいたか、怠けていたか、もがき苦しまなかったか、ということなのです。
▼さらに、この日の日曜日、私は苦し紛れの説教をしたのですが、その日に限って、苦し紛れの言葉がある家族を苦しめることになりました。「例えば」と言って話した例が、そのまま当てはまってしまった家族が参加していたのです。
▼何といういたずらでしょうか。そうしてわたしはとある家族の心を痛めたであろうという思いで、その日曜日ずっと、自分自身苦しい思いをしたのでした。








(No.092)(03/11/9)

▼熊本県天草に巡礼旅行に行ってまいりました。信仰の里、天草四郎の里、そのたたずまいを確かに感じさせる土地でした。
▼とても信心深いおじちゃま・おばちゃまをマイクロバスに乗せて、運転手のこうじ神父も肩が凝ります。そこで宿屋での夕食時には、疲れを吹き飛ばすために、一肌脱ぐことにしました。
▼一人のおじちゃんが演歌を歌います。この方は「だれかが歌えば、それに合わせて踊る」のが得意。この日は不肖こうじ神父がその役を買って出て、「旅がらす」「三度笠姿」そんな調子で踊りを披露。
▼やんややんやの喝采でしたが、「いいぞー、アバレンジャー!」と声がかかったときはガクッと来ました。気持ちは梅沢富美男だったのですが・・・








(No.093)(03/11/16)

▼配信が一時間以上遅れてしまい、申し訳ありません。パソコンつけっぱなしで布団に滑り込み、目が覚めたら(普段から目覚ましはかけずに暮らしています)6時前でした。ありゃ?
▼寝坊と直接関係ありませんが、最近珍しい夢を見て、金縛り状態に合いました。夢の中でミサをささげていたのですが、ある部分まで唱えたところで急に途中を飛ばして「ミサ聖祭を終わります。行きましょう、主の平和のうちに」と結んでいました。
▼自分でも、「あれっ?途中飛ばしたみたいだなあ。これではミサは成立しないぞ」と気付いたので、飛ばしてしまったお祈りのページを探すのですが、いくら探しても見つかりません。思うように手も動かない、儀式書が手に着かない。もがいていました。
▼しばらくは辛抱して待っていた会衆の皆さんが、「神父さん、もういいですよ。無理みたいですから」と言って帰ってしまいました。「ちょっと、待って!」と言ったのですが、誰もいなくなり、それでも唱え直そうともがいているところで目が覚めました。意味がある夢だったのでしょうか。








(No.094)(03/11/23)

▼熊本・国立ハンセン病療養施設を訪問いたしました。ご存知の方もおられるかと思いますが、ニュースで取り上げられもした療養所です。私たちの一行は「目の見えない方々」に録音テープで声の奉仕をする「マリア文庫」の定期訪問でした。
▼2時間ちょっとの訪問でしたが、今年も勇気と力を入所者から頂いて、帰ってきました。複雑な思いの中で今日まで生き抜いた人が、心から私たちの訪問を喜んでくださり、別れを惜しんでおられる様子を見て、「心から喜びが溢れるって、すばらしい」と思ったのでした。
▼私たちは表面上の喜びをたくさん持っているあまり、薄っぺらな喜びで満足しがちです。嬉しくて嬉しくて、そんな経験が少なくなって、人に届ける喜びも、深い喜びが届けられなくなってきたのではないでしょうか。
▼福音のメッセージは、つねに内面の深い喜びに目を向けさせてくれます。一つでも二つでもそれらを拾い、分かりやすく、生活に繋がる形で届けることができるように、これからも日々精進したいとの思いを新たにした訪問でした。








(No.095)(03/11/30)

▼クリスマスに向けて洗礼志願者のお勉強中。この前、その中の一人の方の何気ない言葉に「感動した」。洗礼を受けるときの「洗礼名」(霊名)は何にしましょうかと聞いたところ、「クリスマスの日だから、マリアがいいと思います」。
▼なるほど。確かに、ごもっとも。ごもっともだけれども、ご本人は確信をもって言われたのだと思いました。マリアがいいのか、テレジアがいいのか、はたまた「カルカッタのテレサ」がよいのか、そんなこと考えるだけの予備知識のない方が、「マリアがいい」と仰ったのは、純粋な気持ちですばらしいと思いました。
▼いろいろ考えた挙げ句に洗礼を受ける人もいらっしゃいますが、明日でも受けますという方の純粋さも驚嘆に値します。この大胆さはどこから来るのでしょうか。
▼クリスマスに、クリスマスケーキとシャンパンを前にひとりぼっちで祝ってはいても、その年に洗礼の恵みが与えられれば、「一人っきりのクリスマスもいとたのし」なのであります。








(No.096)(03/12/7)

▼「なんでだろ〜、なんでだろ〜」。今年流行した言葉のうちの一つですが、ちょっとお借りして今回はまとめてみます。
▼「日曜日が終わると、すぐに金曜日が来るのはなんでだろ〜」「部屋の鍵を忘れて取りに行ったら、車の鍵を忘れてしまうのなんでだろ〜」
▼「そよ風吹いたら、頭の部位によって通りかた違うのなんでだろ〜」「雨の降り始め、雨粒が地肌に当たるの何でだろう〜」「ねぇ神父様、ちょっとお辞儀してみて」と言われて頭に来るのは何でだろ〜???
▼「なんでだろ〜なんでだろ〜。なぜだ、なぜだ、なぜだなんでだろ〜」








(No.097)(03/12/14)

▼国土交通省九州運輸局・長崎運輸支局へ行ってまいりました。何のことはない、小型船舶四級免許の「再発行」のためです。自動車の免許証のようなものです。
▼どうして再発行なのかというと、まあ、再発行になるような事態になったわけでして。どこを探しても見つからないので、あきらめて運輸局に問い合わせたら、1350円で再発行します、ということでした。
▼うーん、ケーサツではそうはいきません。視力検査でケチが付いたり、なんだかんだ言われた挙げ句に、高ーい交通安全協会に強制加入させられて・・・それからすると船の免許の再発行なんてチョロイもんです。
▼国土交通大臣殿・・・紛失した理由、紛失した日時と記入する欄がありましたが、いつなくしたのかも分からなくて困っていたら、受け付けてくださった若い担当の方が、「今週紛失したんですよね」とウインクしてきました。けっこうステキな方だったかも?








(No.098)(03/12/21)

▼ちょっと前に、どうしても欲しい本がヤフーオークションに並んでいたので、一般的な新書程度の値段で入札してみました。ただ、これが最終的にはエキサイトすることに。
▼入札の終了10分前までは自分の希望価格で推移していたのに、ギリギリになって値段がつり上がり、「おや?自分以外にも欲しい人がいるんだな。でも譲らないよ」と、あと500円だけ、そんな気持ちで最高価格を更新したのです。
▼ところが、何人かで値段の更新が繰り返され、5分席を外しているうちに、一般的な新書の2倍の値段に跳ね上がっていました。げぇ!そんな高い本じゃないけど、でも非売品だし、欲しいよなあ・・・
▼じつはこの本は五年越しの想いが込められている一冊でしたので、痛い出費でしたが、新書の2倍と、新書2冊の送料くらいの価格を入札して落札しました。オークションも、けっこう疲れます。








(No.099)(03/12/24)

▼いよいよ年の瀬を迎え、今年一年を振り返る頃になりました。「ちょっとひとやすみ」まで目を通してくださっている方がどれくらいおられるのか分かりませんが、皆様にとってはどのような一年だったのでしょうか。
▼私自身は、「今年特別なことは何一つしなかったなあ」という反省がまず頭に浮かびます。一年前のメルマガに何を書いたか定かではありませんが、どうも、「去年と変わりなく」という惰性で一年を過ごしてしまったのではないかと、悔いが残ります。
▼それでも、収穫はあったのではないかなあ、と感じるテーマもありました。クリスマスイブの説教が二週間前に上がるなんて、奇跡としか言いようがありませんし、これまでに何度か「間に合わない」と思い、そのたび読者の皆さんの顔(見たことないけど)が浮かんで励まされたのでした。
▼今回のイブのメッセージ、ちょっと裏話を披露すると、ほぼできあがっていた文章を夜の12時頃に「言いたいことはこんなことじゃないんだよなあ」と消してしまって、それから新たに書き直して生まれました。やはり、どうしても伝えたいことが見えてくるまで、神様は私を活かしつづけてくださったのでした。








(No.100)(03/12/25)

▼クリスマスおめでとうございます。こうじ神父は「根」が悪いのか、「クリスマスが終わらないと」クリスマスにならないと感じるタイプの人間です。職業柄でしょうか。
▼本メルマガも(当メルマガというのでしょうか)、なんと百号。100号。パチパチパチ。振り返ると、001号として発行したのが2002年3月9日ですから、21ヶ月と2週間ほどで達成したことになります。
▼いろいろ紆余曲折があり、私自身も「こんなんでいいのかなあ」と思う時期もありましたが、読み続けてくださる(解除しないでくださっている)方々の好意が、今日の私を支えてくださったものと感謝の気持ちでいっぱいです。
▼ちょっとひとやすみから読んでくださる方がいらっしゃいます。正しい?読み方だと思います。あるカトリック雑誌の購読者は、いちばん最後に載せていたとある神父様の連載記事が続くあいだは購読しますときっぱり仰る方がいたとか。このメルマガもしかり、です。
▼スポーツマンではないので、100本塁打は打てません。でも私にも、100号を迎えるものがあって良かったと思います。100号に携わっただけでなく、創刊号から100号までこれたのですから。これが今年のメリークリスマスでしょうか。








(No.101)(03/12/28)

▼もういくつ寝ると、お正月。今年も一年が暮れようとしています。一年を通してメルマガにおつきあいくださった皆様に、心より感謝申し上げます。特に、メルマガの発行スタンドを変更していただいた方には、手を煩わせてしまいました。
▼手続きを依頼してくださった方にも、感謝申し上げます。理由は、どういう形であれ、「メールアドレスを使うのを避けよう」と思ったからです。信仰を越えて読んでくださっておられる方もおられました。返事をしたいと思った方もおられたことだけはここで紹介させていただきます。
▼今年前半は、突っ走った前半でしたが、後半はちょっとバテてしまったような感じです。もっと一年を通して「走り続ける」元気が必要だと思いました。
▼聖家族が一年の最後のメルマガになるというのは、印象的です。新たな年も、皆様の家族に、このメルマガを通してイエス様の祝福が豊にありますようにとお祈り申し上げます。

ページの先頭へ