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(No.217)06/01/01

▼説教を3時間で書き直した。事情は話さないが、「書いてみたいこと」を書くのではなくて、「結果として伝えたいことを書くことができればよいではないか」ということである。説教は目の前の信徒あっての務め。目の前の信徒がどう思うだろうかということも頭の一方になければならない。
▼別にご機嫌を取るということではない。言わなければならないことは言う。けれども、なりふり構わず言うと、結局は聞いてもらえない。言いたい放題言っても理解してもらえなければそれは一方通行になる。聞いてもらえるように言うことは、始めは不本意と感じるかも知れないが、「心に納めて、思い巡らす」中で昇華されていくものだ。
▼12月31日は、「年の晩」と言うらしい。20代の頃はその一年を振り返って思いつくことを12月のカレンダーの裏に書き付けて一年間大事にしまっておいたのだった。最近はとんとそんな約束事もしていないが、2006年は40歳に突入する年でもあるので、もう一度原点に返って何かを書き付けてみようかな。
▼自分は飽きっぽいのが欠点だと思うが、それでも27年間机にのっかっている鉛筆削りもあるし、13年前に司祭になったときに書いた決心のメモもまだ残っている。そういう意味では律儀な面もあるわけで、何か一つでも二つでも、長続きするものを持ちたいと思っている。今大切にしたいものが一つあって、もうすぐすると一年になる。長く保ちたい。



(No.218)06/01/08

▼小型自動二輪の免許を取得するために、あ●ご自動車学校に入校した。ここで書いたこと以上のことはないので追って質問は受け付けないが(しつこいのがいるんだこれが・・・)、学校には高校生や大学生とおぼしき連中がうようよしていて、もうすぐ40歳の人間にはちょっと場違いな気がした。
▼それでも乗ってみたいと思っている125ccのヤマハのスクーターで女神大橋を渡ったりしたくて、寒い中視線を感じる中入校式に行ってきた。なぜ125ccなのかと言うと、伊王島までの交通船は、125ccまでしか積んでくれないからだ。
▼もう一つ小型免許を取りに行く理由がある。最近やたらとスーパーカブがパンクする。加えて冬の暴風にさらされると簡単にこけてしまって、ミラーが割れたりご近所に迷惑を掛けたりでいらいらが募っていた。そういう事情もある。
▼いろいろ調べてみると、125cc以下は継続車検が不要などメンテナンスで有利らしい。100ccでは何となく頼りない気がするので、125ccをチョイスしようと思っている。どれくらい乗り回すかちょっと疑問だが、春に向けて楽しみが一つ増えた。





(No.219)06/01/15

▼実際の自動二輪研修が始まった。バイクは100kg以上ありそうで、押して八の字をかいてくださいと言われて回り終えたときには疲れてしまった。あと10回くらいは教習があるようだ。送迎バスに乗せてもらって大波止のバス停留所近くで降ろしてもらう。すると足下に100円が落ちていて拾った。ここからがこの日の運の始まり。
▼夕方4時に生まれて初めてとある会社に苦情のメールを入れた。修理に商品を預けたところ2ヶ月経っても何の連絡もない。そこで「修理はいらないから返してくれ」とメールを入れたところ、電話が5時にかかってきた。「申し訳ありません。商品が宅配の手違いで業者に止まっておりました。これからわたくしどものところに届けさせ、それからの修理になります」。
▼「時間はかかっても構いません。どうなっているか心配していました」「申し訳ございません。2ヶ月も経過してしまいまして、お客様に修理代をお願いすることはとんでもないことですので、わたくしどもで処理させていただきます」「そうですか。ではお願いします」「ご心配をおかけいたしました。これからもよろしくお願いいたします」
▼これからもどうよろしいのか分からないが、100円拾ったあげくに修理代までタダになって、今年は交渉ごとがうまく行く年かも知れない。見落としているものをよく見ることで何かを拾うかも知れない。あるいは、まるまる相手持ちで、何かの事業の恩恵を受けるのだろうか?バイクの教習はいいことずくめだ。





(No.220)06/01/22

▼やったことのないことはできるはずがない。坂道発進をやってみなさいと言われても、やっぱり無理。だから先生一度でいいからお手本を見せてからそれからはいどうぞと言って欲しいのよ。そうしないとできないままお金を払った授業時間を無駄にしちゃうわけ。ある意味、先生のおかげで授業時間が無駄になったんだからね。
▼やったことのないものは思い浮かばない。人のために祈ってあげたらどうですかと言いながら、自分がいかに人のために具体的な祈りをしてこなかったかがよく分かる。この原稿を書いているのが夜中の2時過ぎ、本来なら布団でぐっすり眠っているはずの時間まで説教が書けなかったのは、実際に祈ったことがないから原稿としてまとまらないのだ。
▼最近あらためて「親分はイエス様」という証しのビデオを観た。「主人は悪いことしてないと言っていますが絶対悪いことしています。だからイエス様、この洗濯物を着るたびに悪いことしたくなくなるようにしてください」「主人が今からコップの水を飲みます。イエス様!この水と一緒にあなたが主人の心を潤してください」熱烈な祈りによって変えられた人の体験に身震いがした。
▼「ミッション・バラバ、あの活動はちょっと・・・」という方もおられるだろうが、内容云々を論じる前に、彼らほど私たちは祈ったことがあるだろうかと真剣に反省させられる。闇の世界にいる主人をイエスの証し人にするために祈り明かして朝になった、涙ながらに祈って朝を迎えた経験が、私たちに何度あるというのだろうか?そう言いながら、もう眠いのでメルマガ配信が終わったら布団に潜ります。





(No.221)06/01/29

▼聖書を最低でも一日10章読めば、何日間でカトリック教会が認めている旧約聖書続編も含めて新旧の聖書を通読することができるだろうか?またそういった計算は、どのようにしてはじき出すのがいちばん正確なのだろうか?
▼単純素朴なこうじ神父の考えでは、「実際に実行すれば、何日で通読できるのか正確につかめるじゃん」という結論に至りまして、聖書の通読にはいることにしました。いつから入るのか、あるいはいつから入ったのかは教えません。聞きたくてたまらない人がうるさくかぎ回るので話せないのです。
▼なぜそんな決心に至ったのか。それは、「いのちのことば」というパンフレットに載っていた記事がきっかけでした。そこには、何と聖書の通読(おそらく旧約聖書続編を除いた66巻)を500回以上成し遂げた人からのアドバイスや、7日間で通読したという強者の体験談が載せられていたのです。
▼7日間で通読するとは、いったいどういったたぐいの人なのでしょうか?牧師先生でしょうか、一般信徒なのでしょうか。まあそれはさておき、実験を通して何日間で通読できるものなのか、読了したらご報告します。読み終えたら嬉しくて話さずにはいられないだろうけど。





(No.222)06/02/05

▼自動二輪の教習も第2段階に入っている。ただし長足の進歩はなくて、相変わらず遅々とした歩みではあるが。第2段階に特徴的なことは「コース」を覚えることで、現在Bコースを指示通りに周回するという教習を受けている
▼この「コース周回」にあたってはっきり自覚させられたことがある。それは、コースの理解のしかたが甘すぎたということだ。先生から「コースは覚えてきましたか」と言われて、「はい。きちんと覚えてきました」と答えたのだが、いざ覚えたなりにコースをたどって帰ってきたら、「これが、覚えてきたという走りなのですか」と言われた。
▼もう一度先生が期待している走り方を実演してもらったところ、確認のしかた・合図の出し方・車線変更のしかた、どれ一つとして自分は満足にコースを理解し、消化していないことが分かった。バイクに乗ってから降りるまで、どこをとっても気を緩める場所などないのである。
▼そう考えると、自分の取り組み方がいかにいい加減だったかが分かってくる。気を緩めたとたんに先生の満足する走りから離れてしまい、実際にはそれが減点の対象になって、検定で不合格ということになりかねないのである。おそらくは、今に始まったことではなく、生活のあちこちで、いかに気がゆるんでいるかを物語っている出来事だったのだろう。ゆるんでいるのはお腹だけではなかったということだ。





(No.223)06/02/12

▼うーん今週ほど緊張を強いられる週は久しぶりです。説教に集中しなければならない時間にトリノオリンピックにかまけてしまい、時間を無駄にしてしまったあげくに委員会立ち上げの準備、教区の広報誌の記事がまだ確定できていない、さらに黙想会はどうするのかなど、焦ってばかりで何も手に着かず。
▼人間は一度に一つしかできないのだから、あきらめて一つずつ片付ける以外にないのだけれども、それにしてもあまりにも手際が悪すぎます。そして肝心なときの集中力がなさ過ぎます。こんな人間がだれに何を言えましょう。それこそ、「だれにも何も話さないように気をつけなさい」ということです。
▼さらにもう一つ悩ましいことがあります。それは、今週前半で自動二輪の卒業検定を入れているということです。合格する保証はどこにもありませんが、これほど緊張させられている感覚はここ最近味わったことがありません。心地よい緊張感と言えば聞こえはよいですが、そんな生易しいものでは決してありません。
▼一発で合格できると分かっていれば、乗るバイクの手配も必要です。一度不合格になってから、それからバイクの入手に取りかかったほうが安全かなあと思う気持ちもあります。今のところ、手に入れようとしているバイクは「懐かしい〜。だけど人気なかったよね〜」と言われそうなYAMAHA SR125です。ご存知の方いますか?





No.224)06/02/19

▼「あなたはだれですか」。もしも神さまにそう尋ねられたら、何と答えるでしょうか。「なかだこうじです」。神さまは私の名前など、百も承知のはずです。何と答えたらよいのでしょうか。「中田神父です」。それもまた、神がそうなさってくれたことですから、誰に物を言っているのか?ということになるでしょう。
▼私の今の心境だったら、「わたしは挑戦し続ける者です」と答えるかも知れません。思い立ったことを実行し、日々の雑事をこなし(逃げ回って積み上げているものもあるが)夢に描いたことにも手を伸ばす。そうして、日々挑戦していることを神さまに申し上げるだろうと思います。
▼「なかださ〜ん。前回はこの課題ちゃんとこなせたじゃないですか。どうして今日は同じことが同じようにできないんですか?」39歳にもなってこういうことを言われると、やっぱり内心ムカッと来るわけですが、それでも挑戦し続けなければ扉を開くことはできません。課題をクリアすることもできません。
▼今この時点で、神さまがちょっとした機会を捉えて「挑戦するチャンス」を作ってくれたのかなあ、そう感じた自動二輪の教習でした。それでも、十分意義を認めつつも、しばらくは戻らないぞ〜。もう懲り懲りだからね。あばよ〜。





(No.225)06/02/26

▼何もしないと、本当にダメになることが最近よく分かってきた。運動をまったくしなければ、筋肉は明らかに落ちる。まだ大丈夫と思っていても、重い荷物を持ち上げようとして怖くなった。痛めてしまってからでは修復はできない。
▼今立ち上げ始めた計画が頓挫しかけている。今初めて頓挫とはお粗末だが、よく考えればこちらに非があったかも知れない。本当に、相手の気持ちを分かって動き出したのだろうか。声を上げれば、骨折らずとも人が集まると思っていたのかも知れない。
▼うまくいかなければ、どん底からでも始めなければならない。今もがいておけば、自分のこれからの姿勢を作るためにも、今ここにいるみんなのためにも、残せるものを残すしかない。自分の中にも、みんなにも。今ここが踏ん張りどころと心得よ。
▼最近「不合格を知らせる使者」と感じる人に出会った。だから今のうちに、不合格であれば「再試験」を、どん底を怖がっているならどん底にはいつくばる勇気を、取り戻したい。初めての教会で電話越しにこてんぱんに悪口言われたとき、お前はその家庭に出向いて、謝りに行ったじゃないか。あのときの姿勢を今こそ思い出せ。





(No.226)06/03/05

▼そろそろ転勤に引っかかっている人は荷造りで大忙しといったところか。誰がどこに行くかはまったく興味のないこうじ神父なので、今年の転勤の事情も詳しいことは知らないが、興味がなくても職務上情報は入ってくる。
▼こうじ神父は教区の広報誌の編集長も兼ねている。転勤の内容も公示することになる。いつかは掲載するのだから、転勤に関わる人以外は、静観していてもよさそうなものだが、あの人はどこに行って、この人はあそこに行くらしいと大騒ぎする人は何者なのだろう?
▼この原稿を書いているのは土曜日の正午頃だったが、目の前の長崎港は珍しく鏡のような海面で、静けさと海の深さ、雄大さを感じさせるものだった。強風が吹き荒れ、波しぶきで海面が真っ白になる日とは大違いである。
▼それでも、海が荒れるというのは表面に過ぎない。たとえば水面下40mの場所では無縁な話だ。要するに、大騒ぎしているのは表面のわずかな部分だけである。そんなものはいちべつにも値しない。天地がひっくり返るかのように大騒ぎする人間は、いったい何者か。





(No.227)06/03/12

▼先人はこう言いました。「四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳従う。 七十にして心の欲する 所に従って、矩を踰えず。」で、どうなのよってことですが、四十になったことを最初に記念するこのメルマガが、締め切り時間に間に合わなかった。惑わずなんてとんでもなくて、迷いに迷って書けずに困っている。
▼つまりその、平均寿命が今よりも短かった時代には、上記のような心境に多くの人があこがれ、その境地にたどり着いたのかも知れない。言い訳がましいが、現代は四十にして迷いに迷ってまだ道半ば、というところだろうか。
▼絵手紙にも断ったが、杏の花をデジカメに撮ってブログに掲載した。ちょっと前まではそこに梅の花が咲いていようがまったく関係がなかった人間だったが、今の心境を素直に表現すると、「あー、杏の花って、桜の花びらみたいだなあ」というところだろうか。かつては何とも思わなかった目の前の出来事に、少し目が開けて、花が美しいと感じられるようになった。
▼全国の四十歳になった読者の皆さん。今週号は七転八倒してお恥ずかしい限りの説教になってしまいました。四十歳の仲間に入れてもらうには申し訳ないスタートを切ってしまいましたが、今さらどうにもなりません。こんな私ですが、どうか仲間に入れてください。





(No.228)06/03/19

▼350万部を売り上げたマンガ「ドラゴン桜」のモデルになった英語教師がNHKの「プロフェッショナル」に登場した。録画したものをあとでチェックしたのだが、それでもどんどん引き込まれていった。おーすごい、と思ってみていたのだが、なぜか録画は途中で切れていた。
▼そんなぁ。これからと言うときに。どうやらそれ以前の番組の放送が押していて、通常の時間よりも遅れて放送が始まったらしい。再放送を調べてもすでに時遅し。プンプン!最後はどんなメッセージを語ってくれたのだろうか?気になって気になって仕方ない。
▼そんな消化不良の中でも、「回り道のほうが、ある意味で効果が上がる」というようなことを言っていたのが印象に残った。そう考えてみると、自分は果てしなく回り道をしているのだが、本当にそのことが結果として戻ってくる日が来るのだろうか。
▼125ccのバイクはイイ。Uターンも思わず真剣に取り組んでしまうし、8の字や低速でのスラロームを何度も繰り返し、満喫している。ある直線道路では80キロ出してみた(真似しないでね)。でも信号一つもない島の中で暴走族しているだけなので、そのうちに女神大橋、第二西海橋、大島大橋、橋という橋を渡ってみたいなぁ。





(No.229)06/03/26

▼まだまともにバイクも倒せないくせに、島じゅうゴロゴロ転がして遊んでいます。一度山道で軽トラックとはち合わせして、思いっきり前後のブレーキを踏みました。いわゆる「急制動」ってやつです。
▼状況としては、こちらこうじ神父側が谷底に落ちる崖、軽トラック側は山肌の崖でした。もしも急制動でタイヤがすべったりすれば、真っ逆さまに崖を転げ落ちていたかも知れません。我ながら、ゾッとしました。
▼「よきおとずれ」という広報誌で、月曜日の割り付け時にはなかった状況が発生し、急遽土曜日の初校の時に割り付けを見直す事態になりました。たいていこういう場面で飛び込むのは訃報記事と相場が決まっています。こんな時に死ぬなよなぁ。
▼そうとばかりも言っておられず、仕方なく私の判断で「編集記」に当たる部分を取り外して訃報記事を入れた。初校を終えたつもりで司祭館に戻ってみるとFAXが入っていて、亡くなられた神父様の功績を考えて、最下段ではなくもっと上の段に割り付けてみてはという内容のFAXだった。確かに。やはり人の支えなしには物事は成り立っていかないのである。





(No.230)06/04/02

▼伊王島には「遠見山」という見晴らしのよい山がある。けれども地元の人にとっては「十字架山」と呼ぶほうがよく知られている。この2年間、興味はあったが一度も訪ねたことがなかったのだが、きっかけを得て現地を見に行った
▼伊王島にもこんな高い場所があったのかと思うが、長崎本土の「稲佐山」とほとんど変わらない高さにその場所があった。畳8畳ほどのスペースだろうか。今では古びてしまった柱が一本、その場所に立てられていた。
▼「これは十字架の縦の木です」同伴した信徒がそう言った。日蘭友好400周年を記念して、この場所に信仰のしるしを立てたのだという。そして今年、馬込教会の信徒は立ち上がってもう一度十字架を立てることにした。
▼今回は長くこの場所を守るつもりがあるのだろう。鉄製の相当高さのある十字架を作って海岸で組み立てをしていた。もう一度ばらして現地に運び、あらためて「十字架山」として整備するのだという。今年は信徒を引っ張っていくのではなく、どうやら信徒に引っ張られていくのかも知れない。





(No.231)06/04/09

▼聖週間を迎えるに当たり、心の面で準備になる経験ができた。平戸ザビエル記念教会で「ザビエル生誕記念ミサ」にあずかったこと。朝の9時半に伊王島を出発して、昼の2時頃に平戸に到着。
▼平戸は確かにフランシスコ・ザビエルが宣教に訪れた場所。この平戸で宣教に命をかけたイエズス会士を思い出し、感謝をささげた。こんかいは「よきおとずれ」の取材だったのでミサをささげなかったが、ミサにあずかったという滅多にない体験になった。
▼始めは一人で出かける予定だったため、平戸までの100キロの道をバイクで行こうと思ったのだが、婦人会の方が2名一緒に行きたいということになり、バイクはいっさい乗らずに巡礼することになった。車中での会話もかなり面白かったが、ココでは割愛。
▼あとで考えると、平戸までバイクで行くなんて自殺行為である。大型バイクで行くならまだしも、小型で行けば帰ってきたときにはもう説教の準備どころではなかっただろう。せめて車の場所までバイクで行きたかったが、同伴の方がいるのでそれも遠慮した。正解だったと思う。






(No.232)06/04/13

▼メルマガの号数は、あらかじめ一年間を通して番号を振っているのだが、聖木曜日の説教を書いていざ配信しようとしたところ、聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日の分については番号が割り振られていなかった。
▼ということは、メルマガを配信していなかったのだろうかと思って去年の分を見てみると、ちゃんと番号が振られている。一瞬「メルマガ出さなくても良かったのに、準備し始めて損した」と思ったのだが、去年に倣って発行する方向で微調整。
▼年間を通して振り分けたメルマガの通し番号も、これから修正しなければならない。無料メルマガの分(4紙)、有料メルマガの分(1紙)、ブログの記述などはHTMLの記述なのでさらにややこしい。音声ファイルを動かすメモも修正が必要だ。
▼ちょっとずれると全部修正するというのは、昔のワープロでよくやっていたことだが、パソコンに移行してからもこのような繁雑な作業に付き合わされることになるとは思いもしなかった。今週は多くの方々には洗礼の恵みや復活祭の喜びといった恵み深い一週間であるが、舞台裏の裏方である司祭にとっては過酷な一週間となりそうだ。





(No.233)06/04/14

▼聖金曜日の典礼は午後3時頃に行うというのが理想だが、現実はそうも行かない。ほとんどが夜に行っていると思う。けれども、午後3時に十字架の道行きをしている教会はたくさんあるだろう。私たちの馬込教会もしかり。
▼十字架の道行きは、たいていの場合聖堂内で行うところが多いと思うが、私の知っているいくつかの教会には十字架の道行きのコースが教会の敷地内にあったり、広い土地を提供してもらって散策コースのように道行きの各留を設定している教会もある。
▼馬込教会はそんな立派なものはないけれども、試みに教会の地域をコースに見立てて十字架の道行きを行ってみた。一定の間隔で家庭の前に十字架とローソクを準備してもらい、それを道行きの各留に見立てて教会まで上がっていく。聖堂内でも道行きの後半部分を唱えて聖堂内で道行きが終了した。
▼階段の上り下りもあることだし、どれくらいの参加が見込まれるか見当もつかなかったが、開始時間に開始場所に行ってみると、ちょっとオーバーかも知れないが黒山の人だかりになっていた。こんなにたくさんの人が理解と協力を示してくれて、参加してくれるのかと思うと胸が熱くなった。





(No.234)06/04/15

▼ミサをささげる司祭のそばで、手伝ってくれる人を「侍者(じしゃ)」と言うが、小学生の時はいつも問題なく来てくれていたのに、中学1年生になったとたんに来ることができなくなった。聖木曜日・聖金曜日の典礼は夜7時だというのに、どうしてくることができないのだろうか?
▼原因は2つあるかも知れない。一つは、中学生になって部活に拘束されているということ。6時半まで平気で部活をしているので、必ず来なさいと言うのも酷な気がする。もう一つは、中学生はお腹がすく。部活から帰ってすぐに食事をするとなると、おそらく教会での典礼のことは思い出せないに違いない。
▼原因はもう一つあるかも知れない。もう一つなのか、根本原因なのか分からないが、宗教的な配慮の重大さを家庭・家族がどう捉えているかだ。この三日間に関しては、6時までに家に帰してもらって、6時半までにご飯を食べ、7時に教会に送り届ける。ここまで配慮してあげるのが親の務めだと、保護者が固く心に決めていれば、結果は別なものになるのかも知れない。
▼日本中で、徹夜祭の中で洗礼式が行われる。大人の洗礼を受ける方の中には、子供を抱えた方もいらっしゃるに違いない。ぜひ、信仰が生活の底を流れる人になってほしい。信仰が生活の表面的なもの(人の目を気にするとか、優先順位は最下位であるとか)にならずに、まっすぐにキリストに向かって歩み続ける日々を送って欲しいと願う。





(No.235)06/04/16

▼主の復活おめでとうございます。今年は洗礼式を伴う徹夜祭でしたので、本当にお祝いといった感じでした。けれども浮かれてばかりもいられないニュースも入ってきました。五島のF教会では8名の方が洗礼を受け、長崎本土のN教会では16名の方が洗礼を受けたということです。
▼洗礼式を伴う復活徹夜祭は、夜の9時から開始してたっぷり1時間45分かかりました。洗礼をお受けになる方は、この長い長い典礼の中に沈められ、そして取り上げられ、そうしてみなさんの仲間入りをしたのかも知れません。長かったなあ。
▼今年の典礼を振り返りながら、あらためて典礼学を教えてくださったL教授の言葉がよみがえりました。「典礼は、どれだけ準備をしてもその通りにならない。それが典礼というものです」。
▼うーん。当たってます。あれだけ準備したのに、そこを間違える。確認したのに本番では道具が出ていない。タイミングを確認したのに、主任神父がそのタイミングを忘れていた。でもそんなドジばっかりの教会にも、主は復活しておいでくださいます。あらためて、「主のご復活おめでとうございます」。





(No.236)06/04/23

▼永沢まことさんという画家の本が目に留まった。線画(ペンでのスケッチ)を何より大切にし、絵の具はその線画にお化粧をする程度なのだと書かれてあった。今の自分のレベルとは比較のしようもないが、心惹かれて買い求めた。
▼これからの絵手紙の参考にと思っているが、とても参考にと言えるレベルではなく、ただただため息をつきながらパラパラとめくっている。それにしても水彩画がこんなにすばらしいものなのかとあらためて考えさせられた。
▼なるほどなるほどと、うなずくことがたくさんあってどこから紹介してよいか分からないが、とにかく良い本と出会ったと思う。本との出会いは人との出会いだ。その人と実際に会わなくても、本にその人のすべてが読み取れる。掲載されている一枚一枚を食い入るように眺めながら、自分の絵手紙を先へ進めていきたい。
▼締め切りのある原稿を一つ思い出した。どうしよう?すでに一週間も締め切りを過ぎている。それに、本当の締め切りが明明後日のものまで近づいてきた。あー、締め切りよ。どうして君はそんなに冷酷で同情の余地がないのか。けれども君がいないと世の中の多くの人間はしなければならないことをしないんだよね。





(No.237)06/04/30

▼「ながさきさるく博覧会」が開幕している。その中のイベントとして、月末の土曜日に(メインは晩7時からの講演会)”市民セミナリヨ2006「長崎の宗教と文化」”というものがある。全体で7回、講演会とその内容に関係する場所の見学会、ミニコンサートという組み合わせとなっている。たいへん意欲的なイベントである。
▼この説明だけでは分からない方も多いと思うが、長崎さるく博の「さるく」は「歩いて回る」ということ。長崎の各名所を歩いて回って、長崎を楽しんでもらおうというコンセプトである。長崎県の観光課に宣伝をお願いされたわけではないが、当然教会関係は歩いて回るコースに組み込まれていて、10月の閉幕まではきっと賑やか(正直言うとうるさくなりそう)なのだろう。
▼さて初めに紹介した市民セミナリヨ2006だが、教区の新聞の編集長としては当然出席すべきイベントなのであるが、実際には土曜日の晩に行事を組まれても、とてもじゃないが取材はできない。高島教会のミサが終わって帰りの船に乗るのは晩の6時37分、それから大浦天主堂まで足を伸ばしたとしても完全に遅刻である。
▼取材しないわけにはいかないので、今月はもう一人の編集委員に出席してもらっているが、次回からは主催者側に記事をお願いしようと思う。その上で、できれば顔を出してみたいものだ。ちなみに29日(土)オープニングを飾るのは長崎教区の大司教であるが、出席してこちらの落ち度で失礼があってはいけないので、ある意味出席できなくて良かったと思っている。





(No.238)06/05/07

▼一つ前に赴任していた教会の葬式に出ることにした。転任直前に洗礼を授けた成人の女性である。何度も死線を乗り越えて洗礼の恵みにあずかり、健康であればまだまだ生きられたであろう残りの時間を手放して神のもとへ旅だった。
▼洗礼名はマリア。洗礼名の話を切り出したときに彼女は疑いもなく「クリスマスに洗礼を受けるのだから、洗礼名はマリア以外考えられません」ときっぱり言った。「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」というイエスの言葉がはっきり聞こえた思いがした。
▼巡回教会で重篤な病人が出たので月曜日にでも見舞いに行こうかなと思っていたところ、「月曜日はお忘れではないですよね。ハンセン病の療養所を訪問する日ですよ」と釘を刺された。見舞いを予定していた方には申し訳ないが、翌日に予定を組み直そうと思う。
▼今週は聖書講座の前半が木曜日に組まれている。ずいぶん前から頭に引っかかっていたので、この日に向けてすべての日程を調整していたのだが、今日一日ですべてにリセットがかかった。
▼どんなに人間が計画を立てようとも、神がお決めになった計画にはあらがえない。すべては神が用意した不思議な連関の中で動いているのである。運命論ではなく、こんなにすべての事態を一つの入れ物の中に納めることができるのは、まさに神業としか言いようがない。





(No.239)06/05/14

▼先週は「あ、この内容を来週のちょっとひとやすみに書こう」とか思っていたのに、その場になると思い出せないものですね。74歳になる司祭館の賄いさんが、「最近忘れたりすることがあるので、メモを取っておかなきゃ」と言っていたようでしたが、74歳でしたら少しくらい忘れたほうが、かわいいかもしれませんよ。
▼いったい何を書こうとしていたのか。よく分からないが今浮かんだことをつらつらと。大型商業施設に立ち寄ったときのこと、いろんなバイクが駐輪場に並んでいるのを眺めていると、明らかに定年後と分かる一人の男性が駆っているバイクが進入してきた。そのバイクはライダーに似合わずピカピカの大型車で、おろしたてといった感じだった。
▼誰がどんなバイクに乗ろうが勝手だが、思わず「すげぇ」と思い、駐輪後にはしげしげと眺めてしまった。最近駐輪場では品定めするように眺めて回ることが多いので、そのうちに職務質問を受けたりして。職業は?何と答える?
▼ここまでの記事を書くまでに2度居眠りしてしまった。書き始めたのは午後9時だったのに、書き終わったのは11時40分を過ぎていた。相当お疲れだ。明日は明日で総会が控えており、まだ配信が終わったからと言ってすぐに眠れるわけではない。顔を洗って、もう少し頑張るか。ところでいったい何を書く予定だったのだろう?





(No.240)06/05/21

▼うーん、どうやら母の日だったようだが、小型のミュージックプレーヤーに説教を238回分録音してプレゼント。それでおしまい。でもそんな話を先週書こうとしていたのではない。おそらく(と言っているところが頼りないが)聖書講座の話をしようとしていたのではないだろうか。
▼聖書講座の勝手な予想では、たいていがシスターのずらっと並んだ「社交倶楽部」のような場で話をするものだと思っていたわけです。シスターなら受けそうなダジャレも用意しての講義開始だったのですが、3分ほどしてとある教会の主任神父様が生徒の席に着席して私の講義を聴き始めるではありませんか。
▼「みなさん今週から詩篇の『賛美』のグループについて話します。その前に鉛筆を見ていて気が付きました。鉛筆は人間が作った物ですが、いろんな濃さの物がありまして、HB、B、2Bとかあります。3Bなんていうのがあれば『賛美』につながるものとして買ってこようと思ったんですが残念ですねぇ。ありませんでした。
▼でも、シャープペンの芯を見ていたら、ありましたよ3Bが。ほーら。やっぱり『賛美』も『3B』も、どちらも人間が作った物なんですねぇ。」「そんな話はナンセンス!もっと準備をしっかりしなさい!」とはっきりものを仰りそうな先輩が聴講していたので、ここまでのダジャレは飲み込んで、とうとう最後まで話すことはありませんでした。





(No.241)06/05/28

▼お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう」(アモス8・5-6)
▼さすがにここまであくどいことは考えないが、自動二輪の制約が解けるまで長くて待ちきれない。自動二輪で二人乗りするためには免許取得後1年を経過してからでなければ許されない。なんと長いことか。それにしても自分より体重の重い人を乗せたら、シーソーのようになってひっくり返ってしまうが、その辺は十分に気をつけなければならない。
▼どうせ、小型限定の免許では飽き足らず、普通自動二輪の免許を取りにいくわけだが、そうやって排気量の大きなものに乗れるようになっても、自動車専用道路とか高速道路を二人乗りで走るためには免許取得から三年が必要となる。できれば振り落としたい人を後ろに乗せて高速道路を100キロで走りたい。高速を降りたとき後ろに乗せた人がいなくなっていたら・・・もちろん実行はしないけどね。
▼そう言えば、高速道路とかで便利なETCは、バイクのためにこそ普及させてほしいアイテムだと思う。バイクに乗るときに皮の手袋を装着するが、この状態で財布を開いてコインを取り出すのは至難の業。そうなると手袋をはずしてお金を払い、また手袋を装着してゲートを出る、それまでのうちに後続の車にクラクションの一つや二つ、きっと鳴らされるに違いない。
▼聞くところによるとETCをかつてのハイウェイカードのように提示すれば支払いが済むという話だが、これだとかなり後ろにも気を使わずに済むかもしれない。高速でもしも出会ったら、クラクション鳴らさないでね。





(No.242)06/06/04

▼亡くなられた福岡教区教区長松永久次郎司教様のためにお祈り申し上げます。最近集中力がないのか、説教案を準備してからパンフレット「聖書と典礼」を確認してみると指示された箇所と違う箇所で説教の準備をしていたりする。気が付くのは土曜日夕方の高島教会でのミサ。福音朗読に望んでみると準備したテキストと違う箇所が。
▼当然有効な手段もなく、ううう、とか言いながら土曜日夕方のミサを終えて伊王島に船で帰って来るなり説教を考え直し。何時間も費やして説教を考えたのに、テキストが違っていたためにもう一度やり直し。しかも失った時間は次につながる時間ではない。その損失感というか、喪失感は言葉では言い表せない。
▼こんな時、自分に思いつくことは二つ。逃げるか、逃げないけど目を背けるか。どっちも同じじゃん。それでもメルマガ配信の時間がやってくるので、仕方なく正面向いて考え直し、ギリギリまでかかって配信。いつもいつも自転車操業。お金を借りまくっている人って、こんな感じなんだろうか?
▼結局、自動車学校にも再入校。二輪課の部屋に行って、「ちわっす。また戻ってきました」って挨拶したら、「おー、中田さんじゃないですか。きっと戻ってくると思ってましたよ」と言われた。歓迎されているのか、「だから言わんこっちゃない。最初から普通自動二輪を受けていれば良かったのに」と言われているのか。後者のような気がする。





(No.243)06/06/11

▼鼻の中に指を入れていたら痛いと思った次の瞬間鼻血が出た。生きているんだなあと実感。それはどうでもよいことだが、絵手紙がどうも間に合わない。描こうと思っているし、描いているときはいつも喜々としているのだけれども、心の余裕がないのか、なかなか向かおうとしない。
▼机の上にかわいそうな年賀状が転がっていた。なぜかわいそうかというと、年賀状がメモ書き代わりに使われて、送った人の思いも付かない形で使われているからだ。処分もできず、引き出しに押し込もうとして差出人を見たところ、あるシスターからの年賀状だった。
▼「あー、馬込出身のシスターだな。」そう思って引き出しにしまおうとしたとき、シスターの住所に釘付けになった。「○○○○女子修道会」と書くべき所を、「女子柔道会」と印刷していたのだ。間違いないか、あらためてよく見るけれども、何度見ても「柔道会」となっている。
▼かなり、強い修道会らしい。もしかしたら、あいさつ代わりに背負い投げをするのかもしれない。そう思って振り返ると、何となく強そうな気がしてきた。今年出した年賀状すべてに同じような印刷であいさつしたのだろうか。ますます強そうな気がしてきた。





(No.244)06/06/18

▼限定解除の審査のために教習に行った。5時間の教習で先生から「卒業検定を受けてみてください」と言われ、多少不安もあったが卒検を受けたところあっけなく受かってしまった。卒検の日と、5時間の教習のあいだに面白い光景に出くわしたのでここで書いてみる。
▼一つは、55歳くらいの女性の生徒のこと。この人はまだ習い始めだったが、何と自分たちと同じ400ccで教習に来ていた。感心だなあと思って尋ねてみると、「旦那と一緒にツーリングしたくなったので受けに来ました。乗りたくなったから仕方がない」ということだった。
▼当時はバイクにしがみついているといった表現が当てはまるくらい見ていても危なっかしかった。教習が終わって横一列にバイクをそろえるときにも勢いよくやってきて「あぶない!」といいながら生徒は飛び退き、先生は必死に飛び込んできたバイクを取り押さえていた。それでもそのチャレンジ精神がすばらしいと思った。
▼卒業検定の日、思いがけない人と再会した。2月に小型限定を受講していたときに同じく小型限定を受けに来ていたちょっと年上の男性が、何と大型バイクの卒検に臨んでいた。自分が小型バイクを乗り回しているうちに、この男性は大型バイクの教習にせっせと通っていたのだろう。見事に合格して、一緒に写真に写ることになった。
▼前回の合格者の写真は、みんなでバイクにまたがって写真に写っていたので、今回も当然そうするものだと思い自分はバイクにまたがってポーズを取ったところ、後で渡された写真を見てみると自分一人がバイクにまたがり、残りの卒業生は自分の後ろで気をつけをして立っているではないか。何だか親分とその子分みたいで、ちょっと恥ずかしかった。





(No.245)06/06/25

▼過ぎた一週間は黙想会の週だったが、「○○は□□でなければならない」という決めつめのような思いが自分の中に巣くっていると感じた。ある取り組みについて「こう取り組むべきだ、ほかには考えられない」というような融通の利かない態度がまん延しているのである。
▼たぶんそれは、自分自身の中に変革の余地が少なくなってきている、はっきり言えば歳を取ってきているということの明らかな兆候だと思う。いろいろな方法を受け入れられない、いろんな存在様式を受け入れられない、そのような「硬直化」が随所に現れ始めている。
▼その一方で、ある面については「お前さ、そろそろ歳考えたほうがいいんじゃない?もうそんなことをする歳じゃないよ。若いなあとは思うけど」と言われた。年齢の離れていない人にそんなことを言われると「考え方が年寄り臭いなあ」と思う。
▼だがあくまでそれはほんの一面であって、全体的には「あ!あんなことは受け入れられない。あんな取り組み方は考えられない」と、多様性を受け入れられず、心の中で拒絶し始めている。何かきっかけを見つけて、自分の中で変えられないと思っている部分が本当に変えられないのか考えてみたい。





(No.246)06/07/02

▼月の初めは病人訪問。家庭、病院、老人ホームなどにいて教会に通うことのできない人々にご聖体を運んでいく。今回は伊王島ではなく高島での見舞いの話。ターミナルを降りてすぐの場所に老人ホームがあり、男性の方が入所している。この方は訪ねていくと必ず玄関で待っていてくださり、迎えてくださる。
▼老人ホームを出ると高島教会に戻る。しかし船を下りた時点ですぐにバスに乗っていないため、病人見舞いをした日は山を越えて教会に行かなければならない。ちょっとしたハイキングである。今は梅雨の真っ最中。当然むしむしするし、汗はだらだら流れる。最近は恥も外聞もなく、シャツを脱いで肌着のまま山登りをする。
▼毎月思うことだが、この病人訪問の日だけは誰か車を持っている人に連絡をしておいて、車で送ってもらうようにすればいいのにといつも思う。ところがその時になると連絡を忘れ、結局は山登りをすることになる。今日も汗びっしょりになって、あごからしたたり落ちる汗をコップに入れたら、コップが一杯になった。ウソです。
▼けれども、山登りはもういやと言いつつ、伊王島に船で戻ってくるときには何だか仕事したなって感じになって帰ってくる。それはそうだろう。毎月見舞いに行って玄関で必ず待っていてくれ、終わりがけには「来月の訪問は○日ですね」と、一ヶ月後の訪問を指折り数えて楽しみにしている。それだけ喜ばれているのだから、楽して見舞いをせず、これからも山登りをして見舞いに行こうと思う。山登りは嫌だけど。





(No.247)06/07/09

▼大変ありがたいお便りをいただいた。「メルマガをずっと読ませていただいています」。特別な便りには聞こえないかも知れないが、自分がまだ浦上教会で修業していた時代に縁があって勉強会に来ていた方からの便りだった。こちらからはずいぶんご無沙汰しているのだが、機会あるごとに便りをくださって出会った縁を大切にしてくださり、どれだけ感謝しても感謝し尽くせない。
▼メルマガを読んでいるという読者と具体的なつながりがあると、あー、懐かしいなあ、今頃どうしているかなあと当時のことを思い出す。現在は腕白なお子さんに振り回されての生活のようだが、場所は遠くても距離をこえてつながっているという感じになれる。やはりメルマガはすばらしいコミュニケーションの道具だと思う。
▼どこかで書いたかも知れないが、一年365日生活スタイルを変えずに礼拝の務めを果たしている人々がいる。その態度は神の存在を雄弁に物語る。このメルマガも、比較するには申し訳ないほどの内容ではあるが、毎週欠かさず(曲がりなりにも)発行していることが証しになっているとしたら幸いなことだ。
▼毎週必ずメッセージが届く。それはつまり、神は毎週(毎瞬間)必ずあなたに声をかけるのですよという呼びかけなのである。下手な説教で穴があったら入りたいくらいなのだが、たぶん健康が許す限り、メルマガの発行は継続できると思う。もしかしたら、継続したことが評価されて、自分がどうしても続けられなくなったときに、長崎のほかの司祭が意志を継いでくれるかも知れない。
▼そうして何十年も、この活動が継続されたらすばらしいと思う。あるいは第1号からの読者がいるのかも知れないと思うと、関わりを保ち続けること、何かが続いているということは本当にすばらしいことなのだと実感できる。





(No.248)06/07/16

▼以前赴任していた教会でお世話になった人を街中で見かけた。夕方5時半過ぎに、飽の浦方面から旭大橋を降りてきて左折して国道202号線に左折して合流するその瞬間だった。その人は通勤用の二輪車に乗っていた。一瞬の出来事だったが、ヘルメット越しに私はその人の顔を確認して間違いないと思った。時間帯からして、仕事を定時で終え、自宅に帰るところだったのだろう。
▼私は駅から歩いて大波止に向かう途中だったので、その人とは左折で一瞬すれ違っただけだが、当時の教会に対する奉仕の様子や、家族のこと、信仰の捉え方など思い出して大波止までの道のりでその人のことをずっと考えていた。頑張っているんだなあ、最後はそう思ったわけだが、一瞬の出来事で、できることとできないこと、それぞれ一つずつ見つかった。
▼できることは、その人のために心の中で神さまに祈ってあげること。たまたまでも、その人と出会った。偶然人生のある一時期出会った。そういう「縁」というものを大切にして、その人のために祈ってあげることは、どこにいてもできるすばらしい働きである。
▼できなかったこと。バイクからの信号が青になって走り出したその人を、私があえて引き留めて話をすることまではできなかったということ。事故につながるということもあったが、何も声をかけるまでもないだろう、そういう思いも働いた。
▼時間も出来事も過ぎ去る。私がいたことを決して忘れないでと、そこまで自分のことを押しつける気はない。お役に立てたなら幸いだし、あとで忘れられても自分がその時にすべきことをしたのであれば、後のことは気にしない。
▼メルマガを通しての奉仕も、忘れないでなどというつもりはさらさらない。ただ、関わった時期にできるだけのことをする。単純にそれだけのことです。このような謙虚な心構えを、イエス・キリストが支えてくれるを願いたい。





(No.249)06/07/23

▼毎週毎週何かがネタになってくれる。まだインターネット人口はテレビほど広がっているわけではないので、今週のネタは本人に伝わることはまずないだろう。金曜日に思いがけない人から電話がかかった。その人からは2度3度と車を買うお世話を受けている人だ。
▼この社長は、実にまっすぐな性格の人で、人情も厚く、教会に対する誠実さも信頼に値する人だが、おそらくお酒が進んでいろんな顧客を思い出している中で私のことを思い出し、電話をしてきたのだろう。声を聞いて元気そうだなあと安心し、ついこちらもバイクに乗って若ぶっていることなどを自慢してしまった。
▼社長の人柄なのか、「また遊びに来てくださいよ」と言われると、行ってみたくなるのだから不思議だ。週が明けたら、時間を見つけてぜひ伺いたいと思っている。当然、バイクに乗って見せびらかしついでに顔を出すつもりだ。
▼初めはその社長の仲介で軽自動車を提供していただいた。次はホンダの普通車を紹介してもらった。一度三菱を知り合いに譲ってもらって乗っていたが、現在はまた社長からホンダのS-MXを手に入れる仲介をしてもらった。社長にほとんど儲けはなかったと思うが、こんなわがままな神父の願いにも誠実に応対してくれた。
▼その社長の工場に出向いて相談に行ったときのことは忘れられない。事務所とおぼしきトタン屋根の小屋(申し訳ない)に立ったとき、窓口に次のような案内が掛かっていた。「ただ今暑くて仕事にならないので飲んでいます」。正確にはもっと違った表現だったかと思うが、何とも面白い人だと思い、気に入ったのを覚えている。自分をさらけ出せる人は掛け値なしに好きだ。





(No.250)06/07/30

▼小学生と中学1年生混成で宿泊学習を行っている。なぜだか分からないが「腕相撲しよう」と3人に挑まれた。たかだか小学生。それでも突っかかってくるところが面白い。しまいには2人がかりで「勝ち」を取りに来た。勝つとでも思っていたのか。
▼1人の小学生が悪ふざけが過ぎるので取り押さえようとしたら今度は自分に悪ふざけをしかけてきた。参ったと言わせようと思って脇腹をくすぐっていたら、逃れようとしたのか思いっきり爪を立てて腕をひっかかれた。この野郎!と思ったが相手は子供。場所が違っていればじゃれ合っているふりをしてお灸を据えていたところだ。
▼今原稿を書いている間も右腕は痛む。引っかかれた場所から体液がしみ出している。爪も相当に汚れていたのだろうか。ずいぶん赤く腫れてきて、明日のミサに響きそうだ。これも今日一日子どもたちを司祭館に泊めた思い出ということか。





(No.251)06/08/06

▼長崎地区では金曜日の午後4時から「愛し君へ」が再放送されている。「愛し君へ」と言えば馬込教会(なぜそうなる)。ドラマの最終回、主人公とヒロインが結婚式を挙げる。結婚式の司祭はこうじ神父。最初で最後、ドラマのちょい役で出させてもらった記念すべきドラマだ。
▼役者はドラマをとおしていろんな人になるが、ちょい役で出た自分はいつまでもその時の自分から変われなくて、「この馬込教会は『愛し君へ』というドラマの最終回に使われました。その時結婚式に立ち会った司祭はわたしです」といつまでも繰り返し言っている。
▼俳優、女優はどんどん変化していくのに、まったく時間が進んでいない。進歩がないということだ。すでに2年2ヶ月過ぎているのに、過ぎた時間はどう活かされているのか。ドラマで見せる演技や表情はすべて何かしら意味がある。ドラマでさえそうなのであれば、実際の人生はどれほどの人情や機微が織りなされていることか。
▼オフラインミーティング。ネット上でしか知らない人と、実際にあって交流を深める活動だ。8月5日午後、伊王島沿岸のボートの上でオフ会を開いた。ようするに釣りをした。説教の原稿にある通り、マダイ、アマダイ、イトヨリ、エソ、ヒラアジを釣り上げた。交流になっていただろうか?





(No.252)06/08/13

▼久しぶりに外部から引き受けた結婚式を執り行った。おおむね、次のような話をした。人間は「絶対」という言葉を使えるほど強い者ではない、そんな弱い人間なのに、永遠の愛を誓う。その不思議さを考えておこうと。
▼明日自分が絶対に生きているなどと、誰も言うことはできない。明日まで呼吸が止まらないように自分で配慮することすらできない。それなのになぜ、一組の男女は生涯にわたる誓いを交わすことができるのか。それは、神の助けがそこに働くから。
▼神は、絶対的な方である。二人の誓いを、必ず、永久に守りましょうと神は誓うことができる。だから、不確定な人間の誓った言葉を支えて真実な誓い、永遠の誓いとするために神は働いてくださる。神が支えてくださって人間の生活は確かなものとなる。そんなことを大まか話したと思う。
▼筋肉の力が失われ、物を持つことができなくなり、食べ物を飲み込むことができなくなり、自発的に呼吸することができなくなり、死ぬことも生きることも自分で選べなくなっていく病気がある。配偶者がそのような病気になったとき、生涯にわたる愛を注ぎ続けることができるだろうか。
▼愛を注がれている配偶者は、愛されていることに苦しむことがあるかも知れない。それでも愛し、愛される夫婦の力の源は何だろうか。私は、神の助け、支え以外に考えられないと思うのだが。





(No.253)06/08/15

▼こんなことを聞いたことがないだろうか?「15日は地獄の釜が開くので、海へ行ってはいけない」。別の言い方もある。「15日は死者が生きている人を引き込むので海へ行ってはいけない」
▼こうまで言って8月15日に海に出ないように戒めるのはなぜなのだろうか。詳しいことは知らないけれども、何か根拠があるのかも知れない。それなのにギリギリまで釣りに行こうかなあと考えていた私を含めての一行は何を考えているのだろうか。
▼今回は3人の予定だった。自分が「これこれの理由で釣りは控えた方がよいのではないか」とメールを入れたら怖くなったのか、電話がかかってきて取りやめになった。こちらとしては地域の目もあるし、やはり取りやめて正解だと思っている。
▼8月15日に向けてのコラムとしては、かなりピンぼけしているかも知れない。もっとこの日に向けて、戦争の悲惨さとか平和への熱い思いを吐露すべきかも知れない。もしかしたら、こういう書き方すら、ずれているのかも知れない。いずれにしても、自分が前日に考えていることは、この程度だ。
▼どこかで書いたかも知れないが、40歳になってみると間違いなく「折り返しを過ぎた」という感じがする。どう考えてもあと40年だ。思考回路も肉体の健康も、この先40年以上維持できるとはとても思えない。そう考えると、これでいいのかという思いがますます強くなるのだが。





(No.254)06/08/20

▼だんだん知名度が上がってきているのだろうか。前回の結婚式の男性が東京で結婚講座を受けるために目黒の教会に行って「結婚式を馬込教会で挙げてもらう予定です」と伝えたところ、「『こじか』の記事を書いている中田神父さんですね、知っていますよ」と言われたそうだ。
▼今日高島に出発する前におばさん体型の女性が司祭館のチャイムを鳴らして「教会でお祈りしたいので入らせてください」と言ってきた。隣にはターザンのような髪型をした男性がいて、「ターザンとその相棒か」と心の中で思っていたら、「本を書いている神父様ですよね」と確認をしてきた。ぞんざいに扱わなくて良かった。
▼明日20日は大漁祈願祭。翌日から伊勢エビの解禁。20日に網を入れて、21日の夜中に網を引き上げて今年後半最初の伊勢エビ漁。ぜひ豊漁になって、伊勢エビを2匹司祭館に差し入れして欲しい。1匹はゆがいて食べ、1匹は刺身で食べる予定。うまいぞー。





(No.255)06/08/27

▼いつだったかフッと心に浮かんだこと。3月に40歳になったわけだが、考えてみると2度目の成人式のようなものだし、同級生に久しぶりに会いたくなってきた。ふるさとでも同級生のお母さんから声をかけられ、懐かしさがわいてきた。同級生の人がこのメルマガを読んでいたら、ぜひ声をかけて欲しい。
▼昭和40年4月から41年3月生まれで、東浦小学校の卒業生、あるいは長崎南山中学、高校の同級生、よかったら2度目の成人式をどこかで集まれないだろうか。みんなおじさんおばさんになりかけているかも知れないけれども、何か一つは今でも輝いているものがあるだろうから、この指止まれ。
▼と思ったが、昭和40年生まれはもうすでに41歳になっているか。案内状が遅かったかなあ。それなら、昭和41年生まれ限定でもいい。昔の思い出話でも、今一心不乱に傾注していることでも、温め続けている将来の夢でもいい。語ってくれ、聞かせてくれ。
▼成功している人もいるだろう。失敗した人もいるだろう。いろいろいるだろうけど、同じ同級生じゃないか。同じ学校の卒業生じゃないか。同じ先生に学び、同じ女の子に熱を上げ(俺じゃないよ)、同じ青春をくぐってきた者同士じゃないか。何でもいいから、同じ土俵に立って、勝ち組も負け組もなかったあの頃に戻って語り合いたいなあ。





(No.256)06/09/03

▼賛否はいろいろあるかも知れないが、説教案を6年前のものから練り直してみた。たぶんこれからも続けていくことになりそう。今回は相当に苦し紛れで6年前のものを見直してみたのだが、過去の引き出しを開けてみれば「玉石混淆(ぎょくせきこんこう)」、自分で「おお」、と思う部分もあるし、「これは違うなあ」という部分も見えてくる。
▼そういう振り返りも含めて、前の前のローテーションを見直してみようと思う。まあどう言い訳しても半分はネタ切れかも知れない。けれどもメルマガとして世に出ていない部分なので、古くて新しい発見とまったく新しい発見とをこれからもお見せできるのではないかなと考えている。
▼そうは言ってもメルマガは2002年の3月10日から始まっているわけだから、6年前にさかのぼったとしても2008年3月頃にはもはやさかのぼれない状態に逆戻りすることになる。その時は前の前の前のローテーションにまた戻るか?今のところそれは未定。たくさんの引き出しをもう一度全部開いてみて、何かの発見に結びつけて行くつもりだ。
▼「プロフェッショナル」という番組があるが、説教する司祭は何かしらのプロフェッショナルであるはずだ。9月24日放送予定の旅番組の収録が過ぎた週にあって取材に応じた。ディレクターが「神父さんの話は分かりやすくてすばらしい」と褒めちぎっていたが、自分にとってプロフェッショナルとは、「事実を事実以上に難しくしないこと、できれば事実よりも分かりやすくすること」かも知れない。難しかったかな。





(No.257)06/09/10

▼バイクツーリングの途中、郊外のショッピングセンターに立ち寄った。実はこの店の釣り具コーナーには大変お世話になっていて、その日も道具を漁るために立ち寄っていた。けれどもめぼしい道具はなく、昼時でもあったので食品コーナーに立ち寄り、惣菜を二つと牛乳を一つ取ってレジへ向かった。
▼高菜ピラフ230円、野菜コロッケ120円、おいしい牛乳105円。この3つをレジに運んだ。ところがレジに立っていたアルバイトの学生店員が、「合計225円です」と言う。一瞬その店員の顔を見て、複雑な思いをいったん飲み込んでこう言った。「本当に?」
▼複雑な思いが頭をよぎった。「はい、じゃあ225円ね」とすましてレジを通過したらどうなるのだろうか。レジの店員はあとで責任を取らされるのだろうか。さらに念入りに「二百・・・いくらでしたっけ」と尋ねたならば、アルバイトの店員は再度225円と言うだろう。そうなると私の責任はもっと重くなる。そんなこともいろいろ考えた。
▼「あっ、すみません。高菜ピラフはレジ通してませんでした。合計455円です」。結局何事もなく、いちばんまともな形ですべてが収まった。あの店員、私の一件でバッチリ目が覚めて仕事に集中できただろうか。それとも相変わらずその日一日ずさんな仕事をし続けたのだろうか。もう一度会ってみたいものだ。





(No.258)06/09/17

▼ごくごくまれに起こること。10円玉で周囲にギザギザの付いたものを見つけること。最近はまずないことだが、500円札や伊藤博文の千円札を目にすること。もっとまれなことは、裁断ミスしたお札を発見すること。
▼裁断ミスした出版物は、これはないとも限らない。昨日までに、一度だけ自分の蔵書の中で見かけたことがある。今日、新たに裁断ミスした書物を発見した。それも新共同訳聖書だ。その聖書を手に入れたのは7月だったが、裁断ミスに気付いたのは今日のことだった。
▼高島教会に台風の心配をしながら船で渡っている途中、聖書の通読を高島で続けるためにと、備え付けに運んでいた聖書を開いてみた。何ヶ所か、折り目の付いた場所があって、扱い方が乱暴だったかなと思い、直していた。その中に、どう見てもどう考えても自分でこしらえた折り目とは思えないものが見つかった。
▼それが、裁断ミスで織り込まれたページだ。初めは単純な折り目で開けばそれで終わりかと思ったが、実際は単純ではなかった。中央では折り目が食い込み、開いたページは余白がついていて、開くと端がはみ出てしまう。脇腹がはみ出ている人は普段どうしているか。隠しているに違いない。同じように、折り曲げたまま隠すことにした。





(No.259)06/09/24

▼ぐおおお〜。眠い。大きな声では言えないが、朝6時半のミサ、昼12時半のミサ、夕方5時20分のミサ、夜7時10分のミサと、4回ミサをした。もしどこかに訴えたい人がいたら訴えてもらって結構。気が付いたらそうなっていたのだからしようがない。
▼過ぎた週もオフラインミーティング。15年くらい前インターネットがまだ月額3万円とか5万円だった時代、「パソコン通信」が主流で、通信速度は400bpsとか1200bpsとかだった時代にネット上でだけ知り合った人が会いに来てくれた。たぶん13年ほど音信不通だったと思うが、出会うべき人とは出会うようになっているらしい。
▼伊王島に来るとお約束のように釣りに行くが、今回はチャンスがなかった。司祭館で一泊することになったにもかかわらず、風が強くてとてもボートに乗るような天気ではなかった。さらに追い打ちをかけるかのように台風被害でボートを係留していた桟橋は陥没。周囲の目を考えれば釣りを断念するのは仕方ない判断だったと思う。
▼ダメだ。もう書けない。





(No.260)06/10/01

▼GSX250Sカタナを航送船に特別に乗せて伊王島に持ち込んだ。2000円と言われた。金曜日の朝にお願いしますと○○運送事務所に出向いてお願いしていたのに、船を運航する船員たちには木曜日と伝えられていたらしくて、「ちゃんと約束した日に来てもらわないと困りますねー」といわれのない文句を言われた。
▼航送船は車専門の運搬船。金曜日もトラックが2台、自分の前に並んでいた。航送船にトラックが後ろ向きで進入し、このトラックの運転手は伊王島に到着するとそのまま前進して上陸することになる。自分も船に乗りなさいと促された。後ろ向きで進入するの?と思いはしなかったが、8年前に西海市大島行きのフェリーで車を何度も運んだことを思い出して懐かしかった。
▼久しぶりに高速船ではなく遅い船で伊王島を目指したので、景色をのんびりゆっくり味わうことができた。急いでいては見落としてしまう景色もある。いつも急いでいる自分には、得難い貴重な時間となった。本心を言えば、早く上陸して走り回りたかったのだが。
▼これから伊王島でのカタナライフが始まるが、長崎でそれ以前に目にした光景が浮かんできた。船の待合所でのこと。杖をそばに置いていた高齢者の女性が、体を「くの字」に曲げて向かいの人と長話をしていた。30分以上話し込んでいただろうか、その間一度も体を起こすことなく、「くの字」になったままだったのだが、私はその光景を見てバイクの「前傾姿勢」を思い出した。
▼あの高齢者のように、30分間体を「くの字」に曲げたままでいられたら、バイクの前傾姿勢なんてへっちゃらだろうに。一度も起こさなかったのだから、よほど腹筋背筋に自身があるに違いない。少なくとも私にはできない芸当だ。あの高齢者の完全な前傾姿勢を身につけるためには、あと30年はかかるのだろうか。いや40年か。





(No.261)06/10/08

▼今回中学・高校時代の同級生の依頼でノートルダム学院小学校6年生と関わることができた。実際利発な子供たちばかりで、きっと将来は社会に出て大きな貢献をする人に育っていくのだろうと思った。そんな子供たちに私のあのような話しが本当に役に立ったのだろうか。
▼役に立ったとすれば、説教で書いたとおり「どれだけイエスに触れさせることができたか」この一点に尽きると思う。「少年イエス」をテーマに取り上げたわけだが、イエス・キリストがこれまで以上に身近に感じられ、子供たちのそばで歩みをともにしてくれて、共に成長してくれる姿を感じ取れたら十分である。
▼いたずら好きのこうじ神父をも十分喜ばせてくれた。私の薄くなった頭のことを「これはトップシークレットですが、みなさんにはすべてを正直に話して何も隠し事をせずにこの修養会を始めましょう」と話した。そして最後のお別れになる話しの場面で、「みなさんはわたしのトップシークレットを知っていますが、あとでお母さんに尋ねられても『トップシークレットはトップシークレットです』と答えてください」と言ったら全員がうなずいてくれた。
▼さらに「来年は中学生になるわけですが、ちなみに来年も6年生の人は手を挙げてください」と言ってみたら、「はい!」と数名の男子生徒が手を挙げた。「なかなかやるじゃないか」と本当にワクワクさせてくれる子供たちだった。録音をあらためて聞いてみると、いちばん楽しんでいたのは自分だったような気がしてならない。





(No.262)06/10/15

▼一年ぶりに東京に行ってきます。教区の広報委員会が年に一度研修を行うために集まります。東京に行っても名所を見て回るわけでもなく、息を呑むような大都会を堪能するわけでもありません。だたただ、研修会場で先生のありがたい講義を受けて、各教区の報告をして、全国に関わる二三のニュースを聞いて帰るだけです。
▼その中で、初日の晩に、ささやかな会合が開かれます。メルマガつながりです。だれかは「口外するな」と言っていましたが、このメルマガの配信される頃であれば問題にはならないと思って、こうして話しています。それに、最初の段落であれだけ東京行っても何もないと言っているのですから、次の段落でこのような展開が待っているのは容易に想像つきます。
▼私は、残念ながらつきあいが下手です。幅広く、いろんな人と交流を持って、人脈を持つというようなことがからっきしできません。それなのに、今回の会合では合計13人もの集まりになるのだそうです。不思議としか言いようがありません。何を話したらいいのか、どんな話が飛び出すのか、楽しみというより心配しています。
▼東京も長崎も、それぞれ人が住んでいて、それぞれの現実があるのだと思います。東京で長崎の生活はできないでしょうし、長崎で東京の基準は当てはまらないと思います。それでも、お互いの良さがあって、それがまずはメルマガで触れ合って、こういう出会いが生まれてくるのでしょう。神に深く感謝します。





(No.263)06/10/22

▼東京にも親切な方がいます。夜の何とかブリッジを車で走ってもらいました。・・・レインボーブリッジ。そうそう、それそれ。東京タワーが夜景に映えていました。レインボーブリッジ渡るとき、観覧車が見えました。東京地検のそばを通りました。国立劇場、帝国劇場、国会議事堂、どれもがテレビで見た光景でした。
▼それらテレビで眺めていたものを肉眼で見ていると、あーここが東京なんだなって実感できます。20年前、スクーリングでお世話になっていた時代に麹町教会に通っていましたが、四ツ谷駅の雰囲気は懐かしくて涙が出そうでした。「よつや」って、間違ってたらごめんなさい。現在眠くて確認する元気なし。
▼麹町教会にも足を運びましたが、本聖堂ではザビエル巡礼コンサートが行われていて、直接入ることができず、脇にある「ザビエル聖堂」というのかな、小聖堂に入って静かに祈りました。都会の中にあって、別世界の静けさを味わうことができました。なぜか、あの場所では長崎と変わらない落ち着きを感じることができました。
▼東京で集まりを持ちましたが、たくさんの方と再会できました。中にはお便りまで届いたりしていましたが、この場を借りてお礼申し上げます。こうじ神父は東京にいて長崎を探していたと気付きましたので、やはり自分の活動の場は長崎なんだと再確認しました。お互い、置かれた場所でキリストを証しできたらと思います。





(No.264)06/10/29

▼私は苦労人が大好きです。カージナルスの田口壮選手、涙が流れました。ワールドシリーズの優勝おめでとうございます。外野の守備には定評があったけれども、パワー不足で自分をどのようにアピールすればいいのか分からなかった時代を経験しています。それでも、メジャーでどうしても必要な選手として監督に認めてもらって今年すべてが花開きました。
▼彼はマイナー時代の苦労を話したがりませんが、その時期に覚えてきたことは、「いつでも結果を出せることが彼に求められている」ということでした。いつでも結果を出すためには、技術的なことは言うまでもありませんが、それを支える強靱な精神力も必要になります。
▼代打に出て必ずヒットを打つ、守りに出て絶対に長打を許さない。チャンスが来るまでじっとベンチで待っていて、声が掛かって必ず結果を出す。スタメンよりも大変かも知れません。でも彼はその重圧に屈せずに見事に結果を出し、「信じられない」といって無邪気にシャンパンファイトに興じていました。
▼苦労人が好きな理由はもう一つあります。自分自身が、練習嫌いで泥まみれになるのが嫌いだからです。努力はするけれども、努力を見せるのが嫌いなのです。無い物ねだり、自分にまったく身に付いていないものを他人に見るとき、純粋に尊敬し、頭が下がります。





(No.265)06/11/05

▼11月3日、福岡の大神学院に「召命の集い」で出かけた。「簡単に」行ける予定だった。ところがある場所で右に行くか左に行くかで間違えた。何となく、「間違ったかな」という感じはあったのだが、とりあえず先に進めば何とかなるだろうと思っていた。
▼けれども実際には40分のロスタイムを作ってしまい、子供たちに文句を言われることになる。子供たちはまったく自分のことしか考えないので、「まだ着かないの?あと何キロ?腹減って死にそう。吉野家の牛丼食べたい」と、言いたい放題のことを言われた。
▼原因はあとで追求することにしたいが、最終的には原因が分かっても今後の役には立たないかも知れない。というのは、大神学院から車で10分くらいの場所まで、福岡都市高速が延びていたからだ。帰りはこの都市高速を使ってノンストップで走ったが、実に快適だった。
▼ちょっとご無沙汰しているうちに福岡の街並みは変わっていた。とんでもないところまで都市高速が延びていただけでなく、全体の景色も、こんな場所合ったかなあと思いながら大汗をかいてウロウロ回った。私にとっての「召命の集い」は、大神学院に行けるかどうかの「証明の集い」となった。





(No.266)06/11/12

▼「短気は損気」と言うが、短気で得をするのは釣りの時だけ。あとは良いことなど一つもない。だから私は損ばかりしていると思う。幼い頃は腹を立てる機会もそうなかったのかも知れないが、短気で何かしくじったとか、そういう覚えがなくて、自分はのんびりしているのだと思っていた。
▼ところがその考えは間違いだったことが今になるとよく分かる。ある時間にそうなっているはずのことが実際には期待通りになっていないと言って腹を立てる。それが朝一番から始まって夜までその繰り返しである。どうかすると朝に腹を立てたことで胃が痛くなり、半日不快な思いを引きずることになる。
▼何が不快かと言うと、腹を立てた自分に腹が立つのである。どうして独り相撲を取るのか。相手は怒ってもしょうがない相手じゃないか。物に当たっても物は反省もしないし学習もしない。何が気に入らないのか、などなど、すでに精神的に不健康なのである。こんなことばかり繰り返していると、食べ物で血圧が上がる前に、脳が指令を出して動悸や息切れが起こることになるかも知れない。
▼話を変えておこう。説教集最後の三巻目、A年説教集の表紙ができあがってきた。さすがデザインの専門職、良くできているなあと感心する。あとは説教の中身だ。11月20日までにすべてが完了して印刷に回され、クリスマスには仕上がってくることになっている。クリスマスプレゼントとして、小教区のみんなには無料で配布する。私は神にすがって生きるので、赤字か黒字かはまったく気にしないのである。





(No.267)06/11/19

▼長崎で開催されていた「さるく博覧会」も終了した。どの程度の盛り上がりだったか、評価は専門家に任せるとして、この博覧会のタイアップイベント「長崎市民セミナリオ」について少し話しておきたい。
▼あまり聞き慣れない言葉だと思うが、「セミナリオ」というのは「神学校」を意味する言葉で、もとをたどると「苗床」という言葉から来ている。学問や教養を身につけさせる「まなびや」のことだが、「長崎の宗教と文化」についてのセミナーが開かれた。
▼月に1度のペースでキリスト教、仏教、神道それぞれの代表者が国宝の大浦天主堂を舞台に、長崎における宗教と文化に及ぼした影響を発表し合った。参加者は延べで3000人ほどだったと聞いているが、異なった宗教指導者が国宝の大浦天主堂に集い、それぞれの宗教がもたらしたものを率直に語り合う場を持ったというのは、過去に例がない。
▼ここですべてを語れないが、長崎に根付いた宗教がどのように影響し合い、どのような時代を歩んだのか、たくさんの収穫を得たすばらしい企画だったと思う。最後にこの企画にたずさわった人で懇親会を開き、招待していただいた。講演をした先生方に声をかけていただき、感激して帰ってきた。





(No.268)06/11/26

▼初めて大型自動二輪の免許を受けるために大村に行った。最近は手続きも簡単になっているようで、心配していたが書類も簡単に作成できた。視力検査では、「視力が回復していて、普通免許のときにはメガネが必要なくなっています。大型自動車のときにはメガネを使ってください。条件を書き換えておきます」なんて言われてビックリ。そのあと予備審査のために試験場の車庫に連れて行かれ、倒した750ccのバイクを引き起こし、8の字をその場で周回して、最後にスタンドを立てるところまで審査を受けた。こんな予備審査で不合格になってはたまらない。思ったより簡単だったのでホッとした。
▼そのあとが面白かった。技能試験の会場に行く前に「コースはどうやって覚えるのですか」と書類審査の係員に尋ねたら、「え?覚えてきてないんですか?」と言われて、そうかあ、ちゃんと下調べしないとダメだなあと不安になった。待合所にさっきの係員が試験官としてやってきて、諸注意をしたあと一人ひとりの受験の順番を通知した。自分は大型の1番目で、これは絶対やばいと思って、泣き顔で「申し訳ありませんが、昼に変更してください」と言ったら、「できません」と試験官に拒否された。
▼けれどもたまたま、「午前中に受けたいんですけど」という若者がいて、これはチャンスだと思い、「この人と変わってもらいたいです」と申し出たら、しぶしぶ試験官が「今回だけですよ」と言ってくれた。これで何とかまともな受験ができる。午前中の時間を使ってコースを覚えないといけない。試験の待合所にコースが貼り付けてあるけれども、それを見ただけではとても暗記できそうにないし、困ったと思っていたら受験生の中にコース表を見ている若者がいて、「ねぇ。そのコース表、貸してくれない?コンビニでコピーしてくるからさ」と言ったら、「ぼくは覚えているからよかったらあげますよ」と親切に答えてくれた。
▼この様子を、受験順番を変わってくれた若者が隣で聞いていて、「このコース表のことも知らなかったし、もしも知らないままだったらコースはどうやって覚えるんですか」と自分に尋ねるから、「いちおう、コース表は待合所に掲げてあったよ」と指さしたら、初めて知ったというような顔をしていた。ダッシュでコンビニに行き、2人分コピーを取ってきて、昼の受験に備えた。午前中の受験に変わってもらった若者は落ちてしまった。コース表をただでくれた若者は、余裕たっぷりで合格して帰った。自分は・・・、減点超過で、あえなく撃墜(笑)。でも手応えはあったので、試験場で免許を取ろうと思う。





(No.269)06/12/03

▼先週の「ちょっとひとやすみ」に大型自動二輪を受けて落ちた話を書いたら、それが引き金になって中年女性とこんな会話になった。「えー、それじゃバツイチじゃないですか」。「バツイチって、意味分かって言ってるの?この場面で使う言葉じゃないと思うけど。それじゃ2回落ちたらバツ2になるわけ?」自分で言っておいて自分で大笑いしていた。
▼運転免許試験場は毎度試験官が違っていたり前回はクリアできていた課題をしくじったりするので簡単ではない。合格したら正々堂々と報告するし、その時は免許証の絵手紙でも書くから、今しばしお待ちを。今日は過ぎた一週間でいちばんの笑い話を紹介。
▼冬になると高島の巡回教会は前日の土曜夕方ではなく日曜日にミサをしている。理由は、冬の荒天にミサをしに行くと、出かけた時間帯には船が出ても、帰りの夜の船は欠航になることがあるからだ。高島で足止めを食ってしまうと、翌朝の大明寺教会、馬込教会のミサができなくなってしまう。
▼そこで、天気が落ち着く日曜日の昼前にミサをして、昼食をご馳走になって帰ることにしている。先週はイカ刺しと、カワハギのフライを食べてアサヒスーパードライを1本飲んだ。のどを潤したそのあとに、眠気が襲ってくることになる。12時30分に高島ターミナルで船に乗った。この時間帯、出発はいつも12時40分である。そのうちにうっかり眠ってしまい、事件は起こった。
▼「キンコンカンコン。本日はコバルトクイーンにご乗船いただき、誠にありがとうございます」。船内放送を聞いて飛び起きた私は、寝ぼけてとんでもない行動に出た。船室から飛び出して昇降口に行き、船員に「降ろしてください」と言ったのだ。船員は、「ダメです。もう船は動き出してるから。教会の先生、本当に降りるんですか?」「寝過ごしてしまったんです」「降ろすことはできません」。
▼私の頭の中では、「高島を出発→伊王島に到着→伊王島を出発する際のアナウンスが聞こえた」という感覚だった。降ろしてくれないというのでしかたなく船室に戻って大明寺教会の役員に電話をかける。この日は戻ってすぐに納骨の約束をしていたからだ。納骨は午後1時。「伊王島乗り過ごし→長崎の大波止→伊王島に逆戻り」となると2時18分になるから、「寝過ごしたので納骨は2時半に変更」と正直に船の中で電話。
▼船が動き出して10分。見慣れた島が目に飛び込んできた。伊王島だ。なぜ伊王島が見えてくる?そこから慌てて電話をかけ直した。「○○さん、ゴメン。さっきの連絡取り消し。予定通り1時から納骨です。寝ぼけてたみたい」。ここは正直に話したほうが面白い。伊王島で船を降りるとき、「さっきは船がまだ動き出してなかったのですね」と船員に言ったら、「だから先生がどうして降りるって言うのか、分からなかったんですよ」。
▼そりゃあそうだ。もしも高島で降りていたら、2時半では済まされず、さらに30分以上遅らせなければならなかっただろう。そんなことにでもなれば昼に楽しみにしていた「ジャパンカップ」でのディープインパクトの雄姿も見損ねていたかも知れない。あんなに強い馬なのに今年限りで引退、しかも残りは有馬記念1レースのみというのは実にもったいない話だ。今後語り継がれる1頭であることは間違いない。おっと、コースを外れてしまった。これで「バツ2」か。





(No.270)06/12/10

▼葬儀が1日2回も続いた。朝、船の中で見かけたおばあちゃんが、その日の昼には容態が急変してその日のうちに亡くなった。同じ日、十日間くらい「今日か明日か」と気になっていたおじいちゃんが亡くなってしまった。
▼その日の夜9時、先におばあちゃんが亡くなったという電話が入った。「亡くなりましたか。通夜と葬儀の時間を明日にでも話し合いましょう」。そう言って電話を切ってから1時間もしないうちにおじいちゃんが亡くなったという電話が入った。「えー。2人亡くなっちゃったなあ。落ち着いて聞いてね。2つの巡回教会で死者が出てしまったから、通夜と葬儀はそれぞれこういう時間でないと組めません。だから、都合もあるでしょうが、こういう時間帯で進めていきましょう」。
▼すぐに、両方の遺族たちに折り返し電話を入れた。木曜日、夜6時から1つめの通夜。6時37分の船で移動し、7時半に2つめの通夜。最終便の船に乗り、司祭館に戻る。金曜日は9時57分の船に乗り11時から1つめの葬儀ミサ・告別式。火葬の祈りまで済ませて12時40分の船に乗って移動し、13時半から2つめの葬儀ミサ・告別式。火葬の祈りを済ませて15時半の船に乗って司祭館に戻る。
▼船も便利なこともある。渋滞がないのでほぼ定刻に島から島に移動することができる。だが一日中船に揺られてそれが二日連続となるとちょっと体ももたない。絶対に口を付けない栄養ドリンクとかサプリメントと言われるものを、使ってみようかなという誘惑に駆られる。サプリメントって、使うの抵抗ありませんか。





(No.271)06/12/17

▼寒気がやってきた。吹き付ける風が海を荒れさせ、日常の足となっている交通船はジェットコースター並みに揺れ出す。ふだんは少々の波であれば興奮する自分なのだが、この地にやってきて冬の海に毎週繰り出してみると、ワクワクどころではないのがよく分かる。学校に通っている高校生などは、毎日この荒波に通っているわけだから、頭が下がる。下がるけれども、教会に来てくれないからぜひ来てくれ。頼む。
▼「英文法・語法のトレーニング 必修編」という本を買った。もう一冊「戦略編」というのも次のために準備しているが、必修編で初めて英文法が「そういう仕組みだったのか」と分かった気がした。25年前には分からなかったので丸暗記して試験を受けていたのだが、文法はどの言葉の文法でも「仕組み」であって理解して適用させるもののはずである。それが、この歳になってようやく理解できた。これで、また英語の勉強をやろうという気になった。
▼ずいぶん駆け足ではあったけれども、ようやく聖書の通読の目処が立った。通読し始めてから7ヶ月とちょっとということになる。本当は、まだ読み残しがあるので威張ることはできないが、今月いっぱいですべて読み終えることになりそうだ。かなり努力して読めば、8ヶ月で新約聖書、旧約聖書、旧約の続編も含めて読み終えることができると分かった。また、次のマラソンに向けて体調を整え、スタートを切りたい。ブログは途中大幅にサボってしまったけれども、読み終えたことは間違いないのでご心配なく。心配かな。
▼そう言えば大型自動二輪を試験場で受験している話はどうなった?実は3度目の挑戦も失敗に終わった。ありえない話だが、今回はエンストを2度もしてしまった。自分としてはありえない失敗だった。だが現実は受け止めなければならない。この分だと大型自動二輪免許取得は年を越しそうだ。4回受験してダメなら教習所で自信を付けてから試験場に行ってみようかな。年末年始、本来は挨拶状を出すところですが、今年は霊的な父と慕っていた中田武次郎神父様が亡くなったので、喪に服し、年賀状の挨拶は控えさせていただきます。皆様はよいクリスマスと新年をお迎えください。





(No.272)06/12/24a

▼運転免許試験場のこと。受かっている人の話を聞いてみると、どうやら○○教習所でみっちり練習して受験しているらしい。手にしていたコース表に、さりげなく○○教習所の印鑑を発見した。受験○回目、またもや不合格になったその足で○○教習所に相談に行った。
▼「試験官は何か言いましたか」そこで正直に「一本橋がわずかに時間が足りてません、スラロームはわずかですが時間が超過していました。ほかにもカーブでふらつきが見られます。進路変更のときに合図を出しながらすでに車体が動き始めています、などを言われました」
▼「あー、それだけ指摘されるようだったら回数重ねても合格は難しいですね。ほぼ完璧に乗りこなせてないとダメですから」ときっぱり。「うちで5回くらい練習されてから受験なさるといいですよ」とも。そーんなに難しいのか。何より致命的だったのは、試験官から「うまく乗れてますよー」と言われた挙げ句に落とされたということだ。
▼これで、年内の合格は遠のいてしまった。それに、そもそも試験場で合格する理由さえも怪しくなってきた。どうしても乗りたいものもない。ただ単に「免許持ってるよ」という資格オタクに過ぎない。だったら十分練習させてくれる学校に行って、素直に卒業まで指導を仰いだ方がよいのではないか。そうかもね〜。





(No.273)06/12/24b

▼主の降誕おめでとうございます。今年のクリスマスでいちばんの喜びは小学生が一人洗礼を受けたことです。900人ほどの島で何かが起こると、それは島全体でのちょっとした話題になります。馬込教会からの小さなさざ波が、それこそ「波及」してより多くの島民に及ぶといいなあと思っています。
▼ちなみに、すでに復活祭に向けて洗礼の勉強をしている方もいます。この方はある人の奥さんです。まだまだ勉強に来ても緊張から解放されず、コチコチになって話を聞いています。どうしたら緊張を解いてあげることができるのでしょうか。
▼実は、まだ洗礼を受けてくれそうな人が一人二人いますが、ちょっと声をかける機会に恵まれません。おそらく神の計画しておられる時が満ちて初めて、物事は動くものなのでしょう。誕生されたイエスが確実に社会を導いてくださることを信じて時を待ちたいと思います。
▼ところでビスケット1枚のカロリーを消費するためには25分歩かなければならないそうです。そうすると、夜遅く執筆中にかじったチョコレートや、書き上げたので乾杯、といったことを繰り返した場合、カロリーを消費するためにはいったいどれくらい歩かなければならないのでしょうか。あくまでも仮に、ということでかじったとか今お腹をさすっているということではありません。





(No.274)06/12/25

▼クリスマスの実感。いつもこの日になるとそんなことを思います。どの時間に、あるいはどんな状況で、クリスマスが来たなと喜ぶことができるのでしょうか。今年も答えが見えずにこの日を終えようとしていました。
▼もちろんこの文章を書いているのは午後5時だったので、まだ一日が終わっているわけではないけれども、書いている時点で、「終わったなあ」とは思っていました。けれども一つだけ、「クリスマスが来たかな」と感じた瞬間がありました。
▼懐かしい、浦上教会時代の主任神父様、初めてお仕えした主任神父様から電話がかかってきたのです。そう言えば、「誰かクリスマス頃に海の幸を送ってあげたい人はいませんか」と信徒に言われて、「一人いるよ。○○神父様。送ってくれる?」と言ったらすぐに準備してくれたようです。
▼「クリスマスのご馳走の来たばい」。懐かしい声でした。少し、声が細くなっているような気もしましたが、かつての主任神父様の声に間違いありません。そしてその会話は、短くても共に寝起きをし働いたた者にしか分からない喜びがあるのです。誰にも理解できないかも知れませんが、この一瞬はクリスマスの喜びを分け合えたのかも知れません。





(No.275)06/12/31

▼新年の挨拶は直後のメルマガでおこなうつもりだが、今年は忙しい一年となってしまった。自分で忙しくしている部分もあるが、忙しさを隠れ蓑に、しなかったこともたくさんあるので申し訳ない気持ちもある。
▼事務処理がずいぶん滞った。ひとえに私の怠慢である。隣に事務員を置きたい気持ちだが、「自分でしろ」と言われるのが関の山かも知れない。雪崩がいつ起きてもおかしくない書類の山の中で、ほんのわずか見えている机にキーボードを載せて、一年間そのまま仕事を続けた。年末年始で片付けてみるかな。片付けないだろうなあ。
▼本を読まなかった。本はぼちぼち買ったけれども、ざっと目を通して、そのままになってしまった本がたくさん積まれている。ざっと見ただけで忘れられる本もかわいそうだ。もう少し読書の時間を「取り分けて」作る必要を感じた。本を読まなければ私の頭は余計なことに時間を使おうとする。その戒めのためにも、読書はぜひ必要だ。
▼徹底的に祈った時間がなかった。知り合いの中には事実私たち以上に生活の中で祈っている人々がいる。正直、その姿勢は尊敬に値する。決められた時間以上はなかなか時間を作らない私などは、恥ずかしい限りだ。
▼健康診断をしなかった。人間ドックにも入らなかった。風邪も引かなかったが、お腹も引っ込まなかった。きっと何とかシンドロームだ。間違いない。先生に言わせるとそこまで放っておくほうがシンジラレナイ。この一年間、お世話になりました。





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