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(No.276)07/01/01

▼新年明けましておめでとうございます。今年の目標ははっきり見えています。簡単なことです。「その日の仕事は、12時までに済ませる」これです。今日のメルマガを仕上げたときにそう決めました。だらだらと12時過ぎても仕事してもそれほどよいものは生まれません。
▼夜型の生活は、結果として午前中の能率が下がって損をしている気がします。睡眠時間が足りないのです。さらに悪いことに、眠っているときにいびきをかいていることが判明しました。これは健康な睡眠の状態とは言えないと思います。そういうマイナスを考えると、自分の生活パターンは決定的に間違っているという疑いが生じたのです。
▼睡眠4時間でバリバリ働く人もいるでしょう。ですが私はその人と比べようとは思いません。同じことをした場合、私は午前中の時間あまり脳が働いていません。それよりも、できれば6時間、睡眠を取って午前中を効率よく過ごしたいと思ったのです。私は少ない睡眠時間ではどうしても働けないと分かったのです。
▼このところよく眠れて5時間、悪くすると3時間というときがありました。結局は無駄がどこかで能率が落ちていて、睡眠時間を失っているのです。もっと効率よく働いて、睡眠時間を十分に確保する。これがささやかな今年の目標です。





(No.277)07/01/07

▼出会う人には出会うものなのでしょうか。昨年京都のノートルダム学院小学校の修養会の時に泊めてもらった修道院で一人の女子大生の話をした。たまたまノートルダム女子大に通っていた学生の中に浦上教会出身の子がいて、その子の名前とか当時の様子を詳しく話して思いがけない名前にしばらく会話が弾んだ。
▼1月3日に、箱根駅伝の復路を正座して観ていたときに、玄関のチャイムが鳴った。前日の2日に「明日教会見学を希望している方がいますが、教会にはいることができるでしょうか」と島のホテルから電話がかかっていた。来たな、と思って玄関に降りてみると、何と京都で話題になった女の子と、その家族が訪ねてきているではないか。
▼「京都で君の話で盛り上がったんだよ。『浦上教会でその名前だったらあの子しかいないよ』って言ってさ。あの当時、男の子みたいな格好して真っ黒に日焼けして教会に来てたもんなー」。けれどもこの前会ったその子は、すっかりレディーになっていた。母親に言わせると、最近女性に変身したらしい。
▼会うべき人には必ず会う。そういう気がしている。愛する人にも、自分を育ててくれる人にも、何かを教えてくれる教師にも。出会いにはすべて意味がある。人だけではない。土地も、食べ物も、本も、とにかくすべてのものが、出会うべくして出会っていて、意味があるのである。





(No.278)07/01/14

▼どうしても気になったのでベッドのそばにICレコーダーを置いて眠っているときにいびきをかいているかどうか録音してみた。確かにいびきをかいていた。今回は3度にわたって一定時間いびきが録音されていた。疲れ具合などでいろいろ違うのかも知れないが、「絶対に自分はいびきなんかかいていない」と信じていたから、ショックは大きい。
▼録音したものを聞いていると、どうしても自分だとはシンジラレナーイ。けれどもICレコーダーが嘘をつくはずもないから、覚悟して音に耳を傾ける。1度目はかすかにグーグー言っている感じ。2度目はグオーッという音も混じっている。3度目はけっこうな音量で、ゴォーゴォーと言っているようだった。
▼ションボリしている。研修会のときには大部屋で眠ったり、キャンプでは子供たちのそばで眠ったりしてこれっぽっちも迷惑などかけたことがないのだと思っていたのに、こんないびきをかいていたのだろうか。それとも最近太ったことで、体に負担が掛かってきたということだろうか。
▼証拠を目の前にしても自分の寝息なのだとは思えなかった。もっと気持ちよく、ぐっすり眠っているものとばかり思っていた。皆さんも健康には十分お気をつけください。





(No.279)07/01/21

▼最近2度にわたって15時30分の「長崎発伊王島行き高速船」に2分遅れで乗れないという憂き目にあった。汗だくになって走れば間に合ったかも知れないが、「駆け込み乗船」も格好悪いし、それに冬場に汗かいたのを冷やしてしまうと風邪を引く。ここはおとなしく、次の16時25分に乗ることにした。
▼口をとがらせて長崎の大波止ターミナル待合所に入り、15時30分に客が乗船した後のがらんとした座席に座ってふて寝(ムッとして寝ること)をしようとしたら、待合所の出口付近に伊王島の人が一人悠然と座っているではないか。遠くから背中をぱっと見て、あーあの人だと分かる人だったが、この人は15時30分に間に合っていたはずである。なぜそこにいるのか。
▼時間まで寝ることにしていたが、船を1便余裕で見送った人を観察しようと決めたら興味がわいてきて、眠かったのに目が冴えてきた。その人はいったん自分の荷物を置くと喫煙所に行ってタバコを一服し、荷物のことなど気にせずにトイレに行き、戻ってきてお茶を買い、物思いにふけりながらお茶を飲んだ。それは何も時間を持て余してのことではなく、どうやらいつもの仕草のようだった。
▼船を1便やり過ごすなどという「暴挙」は、40歳の私にはとてもできないことだが、このご老人はそうやって自分のペースで船を「利用」し、自分の生活を楽しんでいるのだろう。それに引き替え、自分は船の時間に振り回され、忙殺されながら過ごしていると感じた。これが「生きている」実感のある人と「息をしている」実感しかない人との違いだろうか。





(No.280)07/01/28

▼教区広報誌「よきおとずれ」の割り付けの日。この日はノートパソコンと紙の資料を入れたカバンを抱えて編集室に出勤する。出社の途中で税金の納付のため、会計室を訪ねた。言われた額を支払っているときに、机の上に置いたカバン、ノートパソコンが入ったカバンが「縦置き」の状態から転がり、床に落ちてしまった。
▼虫の知らせがあったのかも知れない。この日はノートパソコンをカバンに入れるとき、底にプチプチの緩衝材を詰めていた。それが命綱となって、パソコンにスイッチを入れたとき、何事もなく起動した。落ちたときは正直青ざめたものだ。
▼やれやれと割り付けを終えて島に帰る。帰りにカバンを何度か持ち替えたのだが、なぜか気付いたときにはほぼ間違いなく右手で持っていた。自分は左利きなので、左の方が腕力もある。それなのに、どんなに持ち替えて歩いていても、気が付いたときには右に持ち替えていた。カバンを持っていると意識したときはすべて右で抱えていたときだった。
▼右で持ってばかりいるとどうしても腕が疲れるので、左に持ち替える。すると左はもっと早く疲れてしまい、結局右に持ち替えるのである。変な癖だなぁ、と思いつつも、大いに興味を持つ事象だった。想像だが、無意識のうちに左を守ろうとしていたのかも知れない。左腕は繊細なことにも使われる腕なので、十分に考えられることだと思った。





(No.281)07/02/04

▼一週間で5人、説教集「取って食べなさい」つながりで出会った。北海道の人が2人、長崎県佐世保市の人が1人、長崎県南松浦郡新上五島町の人が1人、長崎市内の人が1人。まったく面識のない人も、よく知っている人もいるが、インターネットがなければまずこんな恵みは味わえなかっただろう。
▼インターネットがなければ、と言ったが、実際は「時間と場所の垣根を越えて会話したい」という人間の奥底にある願いが、このような形になったのだと思う。人間は対話しなければ生きてはいけない。対話しなくなったひとは、すべての窓を板で打ち付けて棺桶に入っているのと同じである。
▼自分は会議することや人を集めてエイエイオーとするのがどうしても苦手で落ち込むことがある。集まって知恵を出し合うタイミングを失い、助けてもらえるときに助けを求めず、そうして自分で自分を苦しくしている。イエスはこんな時こそ、「会議をしてみなさい。助けを求めてみなさい」と呼びかけているのだろう。
▼「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」とは、対話に出て行きなさいということかも知れない。そうであれば、神こそ世界と対話するために「光あれ」と呼びかけ、人間と対話するために独り子を遣わし、先頭切って漁をしておられる方である。インターネットは人間の発明に違いないが、考え方によっては人間の内なる声が「世界中の人と対話しなさい」と呼びかけた結果なのかも知れない。





(No.282)07/02/11

▼2月9日金曜日、昼にご飯に卵を落とし、醤油をかけたものと、インスタントラーメンを食べた。1時間後、突然吐き気を催し、頭痛にも悩まされ始めた。何だろうと思いつつも、病院は行きたくないので布団をかぶっていたがどうにも吐き気と頭痛は回復せず、まずはトイレで食べたものを少しでもはき出そうと努力した。
▼少しだけ、胃の中のものが出てきた。しばらくトイレでうずくまって、もう少し吐き出したら吐き気のほうは少し引いたが、頭痛はいっこうに引く様子がない。あきらめて布団をかぶっていたが、途中何度か電話に呼び出され、宅急便を受け取ったりと、うめきながら半日過ごした。
▼土曜日、午前中少しだけ頭の痛みがあったが、昨日の吐き気は全くなく、朝から普通に食べ物も入った。頭痛も午後には引いて、今は何事もなかったかのようにしている。健康への危険信号だったのか、風邪だったのか、食あたりか、鳥インフルエンザか。いったい昨日の半日は何だったのだろう。
▼半日失ったからといって仕事が減るわけではない。減らないだけでなく積み上がっている。どうしてこんなに要領が悪いのか。いつも机に書類を積まない同級生がいたが、あのきれいな机はからするとおそらく頭の中も同じようになっているのだろう。うらやましい限りだ。今日もこうじ神父は、いつ雪崩が起きてもおかしくない机の上で、壁掛けの時計をにらみながら過ごしている。





(No.283)07/02/18

▼長崎県にお住まいの方はニュースでご存じだと思うが、五島列島の最北の小教区「仲知(ちうち)小教区」の巡回教会「江袋教会」が全焼した。初めは本当のこととは思えなかったのだが、翌日、翌々日のニュースで続報を流す中で、真っ黒に焼けこげた教会跡が映り、これは現実なのだと思い知らされた。
▼報道によると、現役の教会としては日本最古のものだったらしい。現役の教会というのは、私の理解では「教会に信徒がいて、日曜日ごとにミサが捧げられている教会」と考えているが、そのような形式の教会としては最古のものだという。五島にそのような教会があることを今回の惨事で初めて知った。
▼また出火原因は、漏電の可能性が高いということだが、漏電であれば馬込教会だっていつどうなってもおかしくない。転勤してきた当初の司祭館も、古い配線が張り巡らされた建物の中にいて、これはどこから出火しても不思議ではないと感じたのを思い出した。「かわいそうに」では決して済まされない。古い教会すべてが認識を新たにしなければならないと感じた。
▼私はすぐにお見舞いを送り届けた。私が当地の主任司祭と仲が良かったからではない。むしろ反対かも知れない。けれども、すべての司祭が今回の出来事に心を痛めていることをすぐにでも示したかったので、仲のいい司祭ではないものが真っ先にお見舞いを届けるべきだと考えた。「再建してもらって、さらに信仰深く生きていきたいと思います」とテレビのインタビューに答えていた婦人の言葉が強く胸を打った。




(No.284)07/02/25

▼2月は28日あるわけだけれども、今月過ごした時間は、28日ではとても収まらないほどたくさんのことがあった。嬉しいこと悲しいことあったけれども、28日でこれだけのことが起こりうるのだなとあらためて世界をデザインされている方の深遠な設計図を思った。
▼それに比べて、人間の描く設計図の浅はかなこと。「やめた方がいいのになあ」ということを懲りずに繰り返したり、「そのタイミングで実行すると、変に誤解を招くと思うがなあ」と思っているところで予定だからと計画に縛られた行動に出る。なぜそこで計画し直さないのか。
▼人間の計画なんてもともとたかが知れているのだから、多少迷惑が掛かっても「えー」と言われるくらいなら取り下げた方がいい。私は自分の計画にこれっぽっちもこだわりがないから、「こうすべきではないでしょうか」と言われて、それが自分のアイディアを凌駕していたらあっさりとこちらの言い分を取り下げる。
▼デザインを描いては棄てられ、上司に見せてはやり直しを命ぜられ、どれだけ自信を持って説明に臨んでもすべてを覆され、そうして究極のものを練り上げていく現場を放送で見たことがある。何度も突き返されたりしなければ、自分の我を棄てることはできない生き物らしい。私に繰り返し「NO!」を突きつけてくださる数少ない人に、今月の締めくくりに感謝の言葉を述べたいと思う。




(No.285)07/03/04

▼「うっそー!」ということが3つ。人は当てにならないと他人のことだけ考えていたが、今回は自分が当てにならなくなってきたのだと思い知らされた。「こじか」という子ども向けの読み物に毎月4本原稿を送っているが、締め切りを過ぎてようやく完成したと思ったら編集部から「神父様、今月依頼しているのは5月分の原稿でした。届いたのは、6月号掲載の原稿です・・・」。えー!そんなー。
▼目の不自由な方に声の情報をお届けする「マリア文庫」。毎月15分の宗教コーナーを用意している。その文章の中で2月9,10,11日のの3連休に触れて「土日は忙しいので、せめて月曜日くらいは休もうと」という部分があって、録音したものを聞いてみたら「せめて日曜日くらいは休もうと」と吹き込んでいた。あり得ないと思った。
▼あり得ないと思ったのに、同じ次の録音でもう一度しくじった。電車である高校生とバッタリ会ったのだが、「まさか電車でこうなるとは」という部分を「まさか電話でこうなるとは」と録音していた。ガックリ力が抜けた。
▼ガックリ力が抜けたのを、スイッチを入れ直してやり直すというのはものすごく力が要る。何せ「やったー。書き上げたー」と思った直後から書き直さなければならないのだから、とんでもなくエネルギーが必要になる。うーむ、来月分をうっかり書いてしまったのだから、来月安心だと思えばやり直しもできる。そう心に言い聞かせて、もう一度パソコンモニターとにらめっこだ。




(No.286)07/03/11

▼ミッションスクールの中学3年生のための1日黙想会を終えてきた。中学生はこちらからのせてあげるとどんどん付いてきてくれる。ある人は高校生の指導がまだしもしやすいと感じているらしいが、私は相手が誰であれ、マイペースでどんどん入り込んでいく。
▼今年は3年生に卒業までのことを振り返って、もしも小学6年生に「わたしたちの中学校においで」と呼びかけることはできますか、という問いかけをしてみた。学校に誇りを持って卒業し、先生を十分尊敬できて、自分たちが卒業生として自覚を持って次に歩み出すなら、きっと母校を推薦できるはずだ。そういう流れで話を進めた。
▼最終的には話の内容を一枚の「生徒募集」のポスターにまとめることで表現させたのだが、実に内容豊かで、想像をはるかに超える出来のいい作品が次々と発表されていた。今年は生徒が本当によく応えてくれた年だったと思う。もちろんこれまでの年もすばらしい生徒に違いないが。
▼ここ数年続けてお世話になっている中学校だが、今年の黙想会を終えて来年は何か変化があるかも知れないという予感があった。中学校に関わっている先生方にも入れ替わりがあり、それはまた自分に対する評価の変化にもつながるだろうし、来年はまた違った体制になるかも知れない。またお世話になることがあれば、その時は自分も新たな気持ちで臨みたい。




(No.287)07/03/18

▼小教区の黙想会も無事に終えようとしている。去年と同様、引き受けてくれる神父様を探してお願いした。快く引き受けてくれた。いつもは顔を合わせることも少ないので、今回は思いがけず自分にとっても説教師の神父様を知る機会となった。
▼黙想会は夜の部と昼の部に分かれる。夜の部は長崎本土に仕事に出ている人がおもに参加し、昼の部は高齢者の方や夜に仕事をしている漁師の人が参加しているようだ。今年の説教師のことを知らない人もいると思うし、名前を聞いて「知ってる知ってる」と言っていたのに名前違いだったということもあったようだ。新しい風を送り込んでもらい、感謝の気持ちでいっぱいである。
▼ふと思い出して、古書を検索してみた。ここ10年ほどは探すことも思い付かなかったが、時間が経過したのでもしかしたら手放した人もいるかも知れないと思っていた。思った通り、その本が5つの古書店で見つかった。便利なものである。この古書検索システムのおかげで、見つからなかった本をずいぶん手に入れることができた。「日本の古本屋」というサイトなので、皆さんもお試しあれ。
▼「古書」で思い出したが、「古紙」と言えば古新聞、古雑誌。これらを回収する車は現在はとても重要な役割を担っている。世の中何でもリサイクル時代である。ところで、回収車に書かれた文字を見ておやと思ったことがあった。「古紙」ではなく、「故紙」と書いてあったのだ。初めて見たわけではないが、あの漢字を使うのにはそれなりの理由があるのかも知れない。もしも理由を知っている人がいたら、教えてください。この世に生きとし生けるものの、←これは余計でした。




(No.288)07/03/25

▼ようやく伊王島にもADSL高速電話回線がやってきた。と言っても長崎市本土ではすでに光回線が利用可能なので、ようやくという感じなのだが、これでいくつかの部分でストレスを感じずに済むようになる。
▼一つは、添付ファイルの送信。これまでは3MBほどのファイルを添付して送信するときに、3分かかるか、5分かかるか、そんなことを心配しなければならなかった。これからは10秒もあれば送信できるようになるだろう。
▼二つめは、アップデートファイルの更新。30MBくらいのアップデートファイルを更新する場合は、2時間、場合によっては3時間はパソコンを動かせなかった。他のことに時間を充てればよいのだろうが、なかなかそこまで気の利いた時間管理はできない。せいぜいシャワーに行ってご飯を食べて、忘れるくらいしか対処法がなかった。いまは3分もあれば十分である。
▼三つめは、今まで見ることができなかった映像クリップを、今回初めて開くことができるようになった。それまでは映像を見ようにも、10分の1映像が流れると止まってしまい、また10分の1流れて止まるという調子だった。流れるような映像!車が走っている、バイクが飛んでいる!わけないか。




(No.289)07/04/01

▼日曜日はもちろん4月1日。待ちに待った4月1日。いったいどこの国の習慣か知らないけれど、エイプリルフールにだまされたーと怒らないでください。昨年からの一年で思い出せる範囲の「嘘ネタ」、それも特別ひっかかった嘘を挙げてみる。最近はかなり警戒するのでそう簡単にはひっかかってくれないが。
▼パソコン関連で。パソコンに明るくない先輩から「部屋の模様替えをするけれども、パソコンを置いた机を動かすときに、コンセントを抜いても大丈夫だろうか」と聞かれたことがあった。私はまじめに、厳粛に、「そーっと、コンセントは抜いてください」と言った。きっとまじめな人だから、音も立てずにそーっと抜いたに違いない。
▼ヒラメという魚について、「カレイとヒラメのちがい」と断って、「カレイはごはんにかけてたべますが(カレイライス)、ヒラメはごはんにかけません」と言ったこともあったっけ。まじめに聞いていたなぁ。あんなダジャレ、さらっと流してくれないとね。
▼そういえば、ヒラメにはえんがわという部位がある。最高に美味な部位で、思い出しただけでも喉が鳴る。ところがえんがわを知らない人も結構いるようで、「ヒラメには、えんがわがあるんですよ」と言ったら「ウソ!」と言うので、この人は知らないのだなと思い、「えんがわのほかにも、軒下とか、裏庭とかあるんですよ」と追加しておいた。その人が親しい友だちに「ヒラメの軒下ってどの部位?」と聞くまでは黙っておくつもり。




(No.290)07/04/05

▼興味深いサービスを見つけた。地図サービス。人工衛星から世界中を眺めるような仕組みになっていて、興味ある土地は拡大して詳しく見ることができる。それも、都市部になると洗濯物まで区別できそうなくらい詳しくなる。上空30メートルとか、そういう高さで遊覧飛行をしているような正確な地図になっている。
▼アメリカの衛星が捉えた世界中の地図が元になっているのだと思うが、こんなに詳しい写真をアメリカは自由に利用し、世界中を偵察しているのだろうかと不思議に思ってしまう。この精度の地図が公開されているのであれば、非公開(軍事目的)の衛星写真は犯人捜索や行方不明者なども空の上から見つけることができるのではないだろうか。
▼懐かしい場所を拡大してみてみた。福岡の大神学院は、上空15キロからでも緑に囲まれた土地として発見することができる。接近して周囲の住宅と比べても、その広大さは群を抜き、大学の施設と遜色ない広さであることが分かる。もちろん大学と同等の教育を受ける場所であるから、当然と言えば当然かも知れないが。
▼海外の有名な場所、例えばフランスのエッフェル塔、アメリカフロリダ州のディズニーランド、バチカンのサンピエトロ大聖堂、ロシアの赤の広場、まるで世界一周旅行をしているかのように世界各地を巡ることができる。この衛星地図を大きなスクリーンに映せば、本当にちょっとした旅行気分か。いやいや、今日は司祭の日だから司祭らしい一日を過ごそう。




(No.291)07/04/06

▼「明日の記憶」という映画を観た。主人公は今をときめくハリウッドスター、渡辺謙。いろんな見所が詰まっているが、記憶が壊れていく過程は他人事とはとても思えない。1度目は「そのうちこうなるのかなぁ」という見方をしていたが、2度目の鑑賞では「あの場面はすでに始まっている、あのシーンはまだ自分には当てはまっていない」と、かなり深刻に観ていた。
▼いちばん恐ろしいと感じるのは、ほんの少し前の記憶が思い出せないということ。実際の体験。(1)「あのサイトをインターネットで開いてみよう」と思ってブラウザを立ち上げてみたけれども、「開いてみよう」と思ったサイトが分からなくなっている。
▼(2)住まいの二階から一階に降りるとき、「そうそう、ついでにあれを下に降ろしておこう」と思って階段を降りたのに、肝心のものを手に握らずに降りてしまっている。(3)聖木曜日に祝別された油をミサの帰りに持ち帰る、その容器は島を出発する時に当然持って行くはずだが、船に乗ったときに「しまったぁ」と思い出した。(4)「うーん、何を書こうかなぁ」とデスクチェアーのリクライニングで思いっきり背伸びしたらそのまま寝てしまい、風邪を引きそうになった。
▼こんなことはまだまだ先のことだとばかり思っていたが、すでにこうした症状に悩まされている。いつだったかの葬式ミサの中で、(5)省略されるはずの平和のあいさつを声に出して言ってしまい(「平和のあいさつを交わしま・・・うっ」)、葬儀の場であるにもかかわらず「主の平和」と危うく平和のあいさつを交わしそうになった。悲しい事実が積み重なると、十字架を背負っている気分になる。明日はどうなっているのだろうか。




(No.292)07/04/07

▼うちの教会学校の子どもたちは優秀というのか何というのか、お手上げです。聖木曜日、夕方7時の典礼の練習のために6時半から来なさいと伝えておいたところ、5時から来て司祭館のチャイムをピンポンピンポン、1人鳴らした後は鳴らさなくてよいといくら言っても各自ちゃんとピンポンと押してやって来る。
▼侍者には2人頼んだつもりだったが、いつもやってくるメンバーが全員揃って1階の部屋で時間までは大騒ぎ。こちらは復活徹夜祭の原稿とか、復活祭の原稿とか、考えるために静かな環境で過ごしたいのに、連中は決してそれをゆるしてくれない。
▼聖金曜日、今度は12時からピンポンピンポン。何の用だとイライラしながら聞くと、「今日は3時から何かあるでしょ。だから12時から来たの」とのたまう。そう言えば、3時からは十字架の道行きだった。司祭が忘れていたところを、子どもたちが教えてくれたと言うことだ。えらいえらい。
▼3時の行事が終わり、やれやれと思っていたら子どもたちが「1度戻っても何だから、もう戻らないで7時までずっとここにいます」だって。母親に電話をかけて、「お母さん、もう賄いさんの家に今日はずっといるけんね」。賄いさんの家じゃないぞ。司祭の家だい。そんなことで怒っても、子どもはどこ吹く風。子どもには勝てないのだなぁ。




(No.293)07/04/08

▼復活徹夜祭はいつも何かが起こる。そして学生時代に習い覚えた言葉に戻ることになる。「典礼は、練習通りにいかないのが典礼です」。今回は「ことばの祭儀」の中で旧約聖書の朗読後に「祈願」を唱えるところを1度飛ばしてしまった。
▼188殉教者の列福はいつ発表されるのか。報道の準備をしていてもローマの発表はこちらの予想通りに行くとは限らない。結局、「ローマの言うままにすればいいのです」ということなのだろうか。こんなことを言ってはいけないのだろうが。
▼私たちは今当たり前と思っていることを当たり前としてしまうので、どうしても自分中心にものを考えてしまいがちである。パソコンでできることを手作業でしているのを見ると「時代遅れだ」と思ってしまう。けれども結局は手作業でしたときのほうが作業の仕上がりが緻密だったりする。
▼私が知らない世界ではあるが、建築士の設計図は、今でも手書きのもののほうが値段が高いらしい。そんなものかなあ、と思うけれども、そんなものなのだろう。今すべての場面でパソコンが取り上げられたらどうする?そう考えたら、私はどこかで手書き、手作りの良さをもう一度見直すことも必要かも知れない。今年の復活祭、何が言いたかったのだろうか。




(No.294)07/04/15

▼土曜日、久しぶりに会う青年(女子)が教会を訪ねてきた。1999年の夏にイスラエル巡礼に参加(ずっと2000年と思っていたけど、1999年だったのね)していたメンバーのひとりだ。その人は、今年校名を変更して男女共学になった大学から教会を訪ねてきますという連絡だった。そう言われたが私は首をひねった。彼女は1999年の巡礼の時にどう考えても大学生だったはず。なぜ今年2007年に、大学からですという連絡で電話してきたのか。
▼その答えは実際に会ったときに解決した。この女性が友だちと連れだってやって来たのではなかった。外ががやがやと騒がしいので何だろうと思ったら、明らかに大学生がわんさかと教会に上がってきている。その、引率らしきメンバーの中に当人を見つけたのだ。何とこの女性は、大学の教師になっていたのである。
▼教会の中を案内することもそっちのけで、久しぶりにあった当人と懐かしい話をした。巡礼に行った1999年当時のまま、変わらぬ姿に思わず「並んでいても学生とあまり変わらないでしょ」と言ったら「そうなんです」と言って笑っていた。当時の印象としては、「キャンディキャンディ」のような人だったと思うが、今は見違えるようなレディに変身していた。
▼この7年間でどんな変化が起こっているのか、想像でしかないが、かなりしっかりした目的意識を持って生活してきたのだろうという印象を持った。巡礼以後、引率した大司教は4年後になくなっているが、今でも命日近くに当時のメンバーで集まって追悼ミサをお願いしているという。忘れてはいけないものは決して忘れることなく、変わるべき目標に向かっては大胆に変わっていく姿がまぶしく思えた。
▼これは余談だが、今回のような内容を公表して、実際の関係者の目に触れたりするのだろうか。1999年当時のメンバーでこの記事を読む人、つまりメルマガの読者か、ホームページの訪問者がいるのだろうか。1人もいないとすれば、メルマガのこと、もう少し宣伝した方がいいのかも知れない。こういうものもあるよ、という提案として。




(No.295)07/04/22

▼長崎で、市長候補(現職)が銃撃され、命を落とした。暴力に訴えて黙らせようという態度は、絶対にゆるされるものではない。市長の命を奪って、自分も死のうと思ったなどと言っているようだが、本人は生きているのだし、亡くなった現職市長に説明が付かない。裁判の中で動機や経緯が明らかにされることを望む。
▼事件は火曜日に起こった。市長選挙はどうなるのだろうと思っていたら、補充の立候補を受け付けて、投票日に変更はないとのこと。1週間の選挙日程の中で、補充の立候補者に与えられた日数はわずか3日。不公平だと思う。また候補者の死亡までに期日前投票した人の票は、無効票として処理されるという。
▼ちなみに私は、期日前投票を火曜日の午前中に済ませた。ということは、私には再度市長に投票することはできず、新しい候補者を含めた中で検討することもできないということだ。私に落ち度があるのなら、期日前投票が無効になっても文句はないが、私を含め期日前投票を無効にされた人たちは納得できないに違いない。
▼おさまらないので、市の選挙管理委員会に救済策を考えてくださいとメールを入れた。併せて総理官邸にも救済してくださいとメールを入れた。メールの返事を待っているが、今のところどちらからも何の返事もない。無視されたか?今日、寝る前にもう一度メールを入れてみるか。




(No.296)07/04/29

▼ふ5424。ピンクのナンバープレート。ここまで話してピンと来る人は相当バイクのことに詳しい。バイクの免許を取得して初めて手に入れたバイクが125ccのアメリカンバイクだったが、250ccのバイクを取得するに当たって手放してしまった。
▼ところが、いざ250ccのSUZUKIカタナを手に入れてみると、島から本土に持ち出すのに大変な目に遭う。片道2000円、しかも日帰りしたくても帰る頃には輸送船が出ていない。するとどうしても余計に時間もお金もかかることになる。
▼4月の転勤で隣の教会に恩人の神父様が引っ越してきたので、ときどきは顔を出したい。そういうときに適当な交通手段がない。ということで、別にスクーター(100cc)を手に入れることにしたわけ。贅沢してるなぁ。
▼「お魚料理入門」(DVD付属)という本を見つけて、買い求めた。釣った魚を最高の状態で食べるために、勉強しようと思っている。素材が良くても、包丁でダメにしてしまっては元も子もない。一通りDVDを見たが、まあまあためになると思う。料理の腕をもう一ランク上げたい方は、ぜひご購入を。




(No.297)07/05/06

▼以前助任司祭で赴任した教会の信徒と、その教会で奉仕しているシスターが伊王島にやってきた。対岸の港から、プレジャーボートでやって来た。雨の日、カッパを着て、60馬力の船外機を積んだボートで25分くらい。馬込の港に入ってきたとき、しびれて失神しそうにかっこよかった。
▼午前中は雨。まったく晴れる見込みのない雨。午前中に教会と灯台と灯台記念館をぐるっと回り、昼食はホテルのバイキングがちょうど予約できたので食べに行き、1人温泉に入って残りはこうじ神父のリクエストで伊王島周辺をボートで遊覧してきた。
▼イサキが連れそうな灯台下のポイント周辺では船をスローにして、じっくり下調べ。ボートの船長も喜んで付き合ってくれて、おかげで本当に自分で行くときの参考におおいになった。これから梅雨時期になれば、イサキがバンバン上がるようになる。その時の楽しみが増えた。
▼船長は大変ユニークなアイディアの持ち主だった。以前からこういう明るくてユニークな人だったのだろうが、当時はそこまでの記憶はない。いちばんおもしろかったのは、家庭ミサの日、ミサの中の先唱(あわれみの賛歌、感謝の賛歌、平和の賛歌など)をどのタイミングで声に出したらよいか分からずに、こうじ神父がタイミングを計って小さく合図をするからその時に言いなさいと打ち合わせをしたのだと打ち明けてくれたこと。そういうこともあったかなあと今になっては懐かしい。
▼本当は、もっと違うことを話したかったかも知れない。また、他の参加者もたくさん話したいことがあったかも知れない。シスターも、シスターとして話したかったことがあったかも知れない。でも、一日いっしょに過ごして、みんな思いっきり休日を楽しんだことに変わりはない。




(No.298)07/05/13

▼三男の弟を訪ねて諫早に母と出かけた。三男の弟は障害者福祉施設にいる。昼食を終える頃に施設に到着し、一通り施設を案内してもらった。職員室で母親はこれまでの弟の生活の様子の報告を受け、外出の許可願いを出し、昼の時間と、夕食を食べて帰ってくることを申し出て弟と出かけた。
▼初めは、諫早駅前の大型店で買い物をし、それから時間があったのでどうするか考えた挙げ句に大村空港に行き、飛行機の離発着を見に行くことにした。楽しく過ごせるかどうか自信はなかったが、これが思いのほか気に入ったようで、空港の屋上では身じろぎもせず、瞬きもせずに飛行機を見入っていた。
▼いろんな場所に行ったことがないだろうからと思って空港に連れて行ったのだが、最終的に屋上への登り口を発見したのは弟だった。本能のような嗅覚があるのか、屋上への通用口にまっすぐに向かっていった弟を見て、教えられている自分がひどくうろたえていたのが分かった。
▼施設に戻ると、弟は一目散に通常の生活に戻り、私たちを見送ることもなく施設の中に消えてしまった。それでも、その日の外出はひどく嬉しかったらしく、次の日も空港に行ったことを先生に話していたのだという。何かわだかまりが解けて、弟と心を通わせることができるようになったかも知れない、そう思った一日だった。



(No.299)07/05/20

▼結婚式の中での話。「人間はどんなに才能ある人でも一つずつしなければならないことをこなしています。解決しなければならない問題も一つずつ解決します。緊急事態になり、対処しなければならないときはなおさら、最優先の問題、次に優先すべき項目、落ち着いてからでもできる課題と順番を決めて取りかかります。」
▼「朝起きてから、すべてのことを一つずつこなします。朝起きたときの最優先事項は何でしょうか。私は、『祈ること』を最優先事項にしていただきたいと思っています。朝起きた。そのことだけでも、実は感謝すべきことだからです。目が覚めたことを感謝するために、なにがしかのお祈りをする。ぜひ考えていただきたいのです。」
▼「今日一日が無事に終わった。このこともまた、当然のことではありません。防弾チョッキを身につけていても、命を守れるとは限らない時代です。家族が、夫婦が、今日一日無事に過ごせた。十分感謝することができるはずです。どうぞ、祈ることを優先課題に取り入れてください。」
▼「参列者の皆さんも、どうぞ新たな生活に入る二人のために、祈ることをもう一度考えてください。どこにいても、いつでも、お二人のためにすぐにできること、必ず役に立つことです。どうぞ、結婚した二人に、あふれるほどの祝福を願って、これからも祈ってあげてほしいと思います。」



(No.300)07/05/27

▼5月の第3週は1つの家族から2つの葬式が出た週だった。そのうち、1つは長崎にあるカトリックの葬儀社を会場にして通夜と葬儀ミサをおこなった。葬儀社には30人くらい入ることのできるホールがあって、場合によっては会場として使わせてもらうことがある。
▼通夜が終わって翌日の葬儀ミサでハプニングは起こった。開祭にあたり、招きをした直後、葬儀社の職員が「ご聖体のためのホスチア(パン)は、わたしたちは準備していませんけど」と耳打ちをしてきたのだ。さすがにこれには青ざめた。
▼「何とかならないかなあ。わたしは動けないし」すると職員が「浦上教会に行ってきます」と言ってその場を離れた。浦上教会まで往復となると、最低でも30分は必要になる。説教が終わるまで、どう考えても25分。へたをすると20分で説教まで終わってしまう。どうする?何か話し続けておくか?そうこうするうちに職員が戻ってきた。無事にホスチアを用意している。大事に至らなくてよかった。
▼この出来事を機に、私のほうから葬儀社に緊急のためのホスチアを提供しておこうという気持ちになった。そこで、横浜の知り合いに頼んで東京からホスチアを取り寄せ、葬儀社に少し分けておこうと思っている。もちろん、こうじ神父が忘れたときのためであって、必ずその時はやって来ると考えている。



(No.301)07/06/03

▼先週はいつの間にか300号に達していたのですねー。この一週間で大きな動きがありました。188殉教者の列福がいよいよ本決まりになったことです。まだ日程と場所は未定ですが、年内開催の可能性もこれで残ったということです。十分な準備が最優先で、それが無理なら実りあるものにするためには来年になってもいいと思っています。
▼300号で価値のあるものにはどんなものがあるでしょうか。プロ野球選手の300勝、300号ホームラン。これらは価値ある数字です。でもプロ野球選手の記録と比べるには差がありすぎます。創刊した雑誌の300号。これはどうだろう。雑誌にもよりけりだけれども、意味はあるでしょう。比較するとしたら、雑誌300号くらいかな。
▼ま、それでも通過点です。すでに今回301号ですし。あれっ?って感じで300号来たのですから、まだまだまだまだ。メルマガはかるく300号まで来るのに、ダイエットのためのエクササイズはどうしてずっと続けられないんだろう。3日続けてちょっと休み。4日続けてまた休み。続くものと続かないものの違いはどこに?
▼遅ればせながら、最近結婚式のラッシュです。その中で、カトリックではないけれども真剣にカトリック教会での結婚を望んで相談してきているカップルがいます。感心だなぁと思うと同時に、こんなに教会での結婚に魅力があるのに、そこから信仰生活に導かれていくカップルは皆無に近いのはなぜだろうと思い悩みます。カトリック教会の結婚観を伝える中で、信仰に導かれる人が現れないかしら。そう思うこの頃です。



(No.302)07/06/10

▼いつか書いたかも知れないが、世の中に「絶対」ということはない。一度も失敗したことがないから、一度も失敗しないと言い切れない。「9日の10時に納骨」と記憶していたので、共同墓地で10時に待っていたけれども、11時になっても本人たちが来ない。
▼どうもおかしいなあと思って司祭館に戻り、ホワイトボードを見たらちゃんと9日10時納骨と書いてある。やっぱり今日だよなー、そう思うけれども本人たちが来ないので電話してみたら、「16日の10時で約束しております。どうかしましたか」と言われた。「そうかー。来週だったんだね。今週とばかり思って、間違ってたよ」そういうのが精いっぱい。本当はがっくり力が抜けて、何かに当たりたい気分だった。
▼ある人から、「スケジュール帳、ちゃんと活用してるの?」と言われ、自分としては結構書き込んでいるんだけどねと答えたけれども、どうも致命的な欠陥があるような気がしてきた。別のある人のスケジュール帳の使い方と比べると、まるでなってないと感じたからだ。手帳をこまめに記入するその人は、「すぐに書く」ということが決定的に違っていた。
▼そう言われれば、自分は思い出したときに書いていた。思い出したときでは、記憶違いもあるに違いない。すぐに書けば正確に記録できるのは当然である。そうだ。手帳というのは、「手に書く」代わりの品物なのだから、すぐに書かなければ効果は上がらないのだ。そんなことも気が付かなかったのか。その程度で自分の仕事を果たしてきたと思い込んでいたのだろうか。



(No.303)07/06/17

▼黙想会とは、あらためて指摘を受けることがこんなに大切なことなのかということを学ぶ場なのかも知れない。「全世界の平和と救いのためになりますように」とどれだけ唱えてきたか分からないのに、指摘を受けるとなるほど、とうなずくことになる。現場をいったん離れてみると、指摘に素直になれるということだろうか。
▼黙想会期間中にまじめな本を読んでいた。「沈黙を聴く」というタイトルで、市販されてはいないが示唆に富む内容だった。人は心から溢れるものを詩に書き留めたり絵にしたりして表現するわけだが、この溢れ出る源となっている心は、「沈黙」の状態であるときもっとも豊かなのだと知った。
▼この話を読んでいる人は疑問に思うかも知れない。なぜ沈黙の心から、音楽や文学や絵画が溢れ出てくるのか。実は私もまだ答えにたどり着いていないのだが、「沈黙」の中に自分を置かなければ、本当は何も聞こえてこないということが何となく分かったのである。そしてまた、いかにふだんの生活で「沈黙を聴く」ことができていないかということにも気付かされた。
▼また、現場に戻ってきた。現場に戻ってから最初に私の心に入ってきた「言葉」は、「高知県は四国だったんですか」だった。せっかく黙想会を終えてきたのだから、せめて「そうそう。高知県は四国にあるんだよ」くらいは言ってあげようと思う。「高知が四国になければ、いったいどこにあるんじゃ」とは、たとえ喉まで出かかっても飲み込むことにしよう。



(No.304)07/06/24

▼伊王島の馬込教会が、多くの人から慕われていることが今週はっきり分かった。火曜日に、翌日の水曜日11時に教会を訪問したいという連絡をほぼ同時刻に電話で受けた。まったく別々の場所から電話が入ったが、電話のかかってきた時間はほぼ同時刻だった。
▼ちなみに、そのうちの1組は若い夫婦で、横浜からの巡礼者だった。それも、7年前に太田尾教会にも訪ねてきたことがあるらしく、7年越しに、2つの教会でバッタリ会ったことになる。別れ際に、「次はまたどこかで、3度目の再会をしましょう」と言われた。そういうことがあるかも知れない。その時は、夫婦2人くらいだったら司祭館に泊まっていいので、晩ご飯を司祭館で一緒に食べましょう。
▼金曜日には、都合3組の教会訪問者を迎えた。もちろん、一般の観光客はもっとたくさんきているわけだが、その中でも時間を打ち合わせて来ている人たちが別にいる。この日は1組は夏休みに小学生キャンプに来る予定があって、その下見に来て島をいっしょに回った。残りは勉強会のような形で教会に来て、成り行きで教会の説明をすることになった。
▼そうそう、月曜日にもとある修道院のシスターご一行がやって来た。このシスターたちは浅からぬ縁があって、いろいろ話に花が咲き、お土産ももらって(ほかの一行にももらったりもしたが、真っ先に思い出したので書いた)そうとう満喫して帰っていった。考えてみると、伊王島は住んでいる自分たちが考えるよりも、はるかに魅力的なのかも知れない。



(No.305)07/07/01

▼インターネット上にホームページが現れてから10年くらいになるだろうか。それ以前にもあったかも知れないが、10年以上前には専門的な技術者でなければページ作成や作成したページの更新はできなかった。それがようやく10年前くらいから、素人でも制作・サイト転送・更新作業ができるようになった。
▼初めの頃は<HTML><HEAD><TITLE>ようこそ「話の森」ホームページへ♪</TITLE></HEAD></HTML>みたいなことをひたすら覚えて記述していたのだ。信じられないかも知れないが、それができなければホームページなど作れなかったのである。今は、記述の文法を覚える必要は全くない。進歩したものである。
▼文法を知らなくてもよくなった反面、いったん思い通りにいかなくなるとなぜそうなのかは全く分からなくなってしまう。最近気付いたことだが、過去の説教を一覧する頁に音声もリンクさせていたつもりが、実際クリックしてみると全く聞こえない。なんてこった。分からないから、結果として音声が聞こえる状態に、過去にさかのぼって300回修正をし始めている。文法が英語のほかにも必要になるとは思いもしなかった。
▼おそらく、現時点では今週の説教からさかのぼって50週分くらいは録音説教が聞こえる状態になっていると思う。確認したので、こうじ神父のパソコンからホームページにアクセスした限りでは問題なく聞こえるようになっている。以前の方式でも聞こえていたはずなのに、何がどうなっているのやら。大規模な修正作業は、時間を取られる割りに報いは少ない。猫の手も借りたいくらいだ。



(No.306)07/07/08

▼結婚式の説教。再婚のカップル。年金受給世代。男性はベテラン溶接工。私はこのカップルに、次のような話をした。「溶接の仕事は、まことの愛を学ぶすばらしい職業です。溶接した金属は、『表面上』くっついていても、外から力が加わればあっけなく折れてしまいます。夫婦の愛も、『表面上』くっついているように見えるだけでは、外から思いがけない力がかかったときにもろいのです。
▼確実に、金属が溶接されている状態は、『表面も、内部も、完全に一つに解けてつながっている』のです。夫婦も、『内部まで、つまり心も固く一致している状態』が、まことの愛で結びあわされている状態です。このように確実につなぎ合わされているとき、金属であれば力をどれだけ入れても柔軟に曲がって力を受け止め、決して折れたりすることはありません。夫婦のまことの愛も、心までつなぎ合わされているとき、外部から仮に力がかかっても柔軟に受け止め、折れることはないのです。
▼さて、夫婦の心の中までつなぎ合わせるものは何でしょうか。心をつなぎ合わせるものは、表面をつなぐようなこの世の物ではありません。心をつなぎ合わせるもの、それは『信仰』です。どうぞ、これからの生活、しっかりとつなぎ合わされた夫婦であるために、信仰を大切にしていってください」。
▼この説教がよほど良かったのか、高島から船を下りて伊王島のターミナルに戻ったとき、入れ違いで船に乗って長崎の大波止に向かう一行から「やぁ神父さん、今日の結婚式の説教はとても心に響きました。神父さんとてもユニークですなぁ。あー、俺も溶接工になっていれば、あんな説教で結婚式をしてもらえたのになぁ」と声をかけられた。ありがたいお褒めの言葉に、しばらくは長崎に向かう交通船を見送った。



(No.307)07/07/15

▼今、肺炎をこじらせて入院し、人工呼吸状態に陥っている人がいます。今、癌が末期の症状にさしかかり、積極的な治療を受けられずに最後の日を待っている人がいます。今、臓器の癌におかされ、それでも未来に希望を持って今日を生きる青年がいます。うっかり海に落ちて救急車で運ばれ、寝たきりになっている人がいます。私は今日、この人たちのために祈ります。
▼これまでに、司祭であるがゆえに出会い、秘跡の仲介をし、ある場合には転勤で別々になり、ある場合には最後に立ち会って神さまのもとに送り出した人々がいます。今、思い出せるだけの人々を心に留め、その人々のために祈ります。
▼私の過ちで、苦しめてしまった人のためにも祈ります。思い出せる人もいますが、気付かずに苦しめてしまっている人もいることでしょう。謙虚にゆるしを乞い、いやしが与えられますように祈ります。どんな形で償いをするのがよいのか、探し続けます。
▼今日の説教で例に挙げた家族、大好きな人、そして私自身のためにも祈ります。務めが課されている祈りはたくさんしてきましたが、本当に祈ってきたのだろうかと考えると疑問です。まだまだ祈りの道は長く、健康を取り上げられて本当に祈ることができるのか、誤解され、裏切られ、憎まれても祈ることができるのか分かりませんが、とにかく、だれかのことを主に祈ってみたいと思います。



(No.308)07/07/22

▼「伊王島にキャンプに来た○○教会学校のみなさんこんにちは」「こんにちはーー!」久しぶりに耳をつんざくような甲高い声を聞いた。とある教会の子どもたちが伊王島にキャンプに来ている。いつも見ている子どもたち以外の子どもを見たので、新鮮な感動があった。
▼こうじ神父は高島に昼から出かけたので土曜日のスケジュールには付き合っていないが、夜に戻ってきてバーベキューに参加した感触では、かなり楽しんで1日目を過ごしたことが伝わってきた。引率をしてくれていた保護者、教会学校スタッフ、助任司祭の指導が行き渡っているのだろうと思った。
▼せっかく来てくれたのだから、十分に楽しんでいってほしいと思うが、明日は明日で教会の境内清掃があり、なかなか関わってあげられないのがもどかしい。子どもの名前も、1人でも2人でも覚えて、次につなげられればなお都合がよい。伊王島の子どもたちも、少しでもいいから交流させることができれば何か刺激を受けるだろう。
▼そうそう、写真を撮っていない。そうだった。短い時間だったけど、何かを与えてくれた子どもたちだったと思う。もう間に合わないけれども、今考えれば日曜日のミサの共同祈願に四番目を追加すればよかった。うーん。今からでも間に合わないだろうか?保護者か、教会学校のスタッフに作ってもらえば、日曜日のミサはすばらしい祈りをささげられる。お願いしてみよう。



(No.309)07/07/29

▼なんだかこのコーナーにふさわしくない愚痴っぽい話ですが、今年のペーロン大会、馬込教会地区(正式には馬込地区)からチームは出さないのだそうです。事情は詳しく聞いていませんが、人数が揃わないとか、チームを引っ張るリーダーにリーダーシップがなくてまとまらなかったのだとかいろいろ聞こえては来ています。
▼私たちは何かに付け「応援する」ことのすばらしさを知っています。けれども、応援するのは何かをしているその人、そのチームを応援するのであって、何もしない、最初からあきらめている状態を見て応援してあげようとは思いません。当然のことです。
▼私たちは応援したいのです。チームがそこにいて、強いか弱いかは二の次で、懸命に努力している姿を応援したいのです。老若男女、応援する人には事欠きません。ですが応援する対象が今年はないのです。応援したいと言っているのに、なぜ出場できないのでしょうか。
▼さらになぜという思いに駆られる話が聞こえています。馬込地区は出場をあきらめたけれども、大明寺地区は久しぶりに出場すると言うではありませんか。いったいどういうことなのでしょう。頭を抱えてしまいます。人数的にも、練習環境も、馬込のほうが揃っていると思えるのに、なぜ・・・。
▼今年は、ちょっと拍子抜けです。あと一週間あるので、もう一度考え直して、体勢を立て直してチームを組んでほしいものです。それこそ、「求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい。」一週間、願い求めてみます。



(No.310)07/08/05

▼先々週あたりに体脂肪率25.0%という話題に触れたが、2週間経過して体脂肪率は23.5%位まで下がった。下がったといっても、まだ「やや肥満」であって、一つも自慢にはならない。ただ、汗をかいて努力すれば、体は内部から変わるのだということだけは、この2週間で実感できた。
▼運動はしても食事の管理ができていないのか、2週間で体重は1キロくらいしか落ちなかった。まああっという間に落ちてしまっては「なーんだ、簡単じゃん」と過信してしまうのでそれはそれでいいのだけれども、欲を言えば3キロは痩せたかったなぁ。
▼いちばん変化を感じたのは腹筋運動。ウエストが3センチ細くなったが(たったの3センチ?)そのおかげでベルトをもう一つ細い場所で閉めても苦しくない。あと3センチ細くなったら、着ることができなかったあのスーツ、このスーツを着ることができそう。あと首周りがもう少し細くなったら、ずいぶん楽になりそうだ。
▼来週は細々と続けている英語の勉強のことを話そうと思っているが、これも話せば長い話になる。どこから話してよいのか分からないくらいだが、来週になれば話はまとまっているかも知れない。不思議なもので、前の週には山ほど話すことがあってもその週になるとそんなに話すことってあったっけ?みたいになるから不思議だ。



(No.311)07/08/12

▼予告通り、英語の勉強のことを話そうと思う。これも話せば長い話になる。ある人から「あんたは英語できるはず、わたしはかつて英語を駆使していた中田神父を知っている」とまで言われた。そういう時期もあったわけで、もう少し辛抱して勉強を積み重ねれば、がらくたの道具ではなくて使える道具になるのではないか。
▼100回の絵手紙シリーズを終えたら、英語シリーズに入ろうかと思っている。目標は、100語から150語程度でまとめられた文章を覚えて、いつでも引き出しから出して使えるようにしておくこと。ある出版社の本を使おうと思っている。
▼さまざまなテーマを取り上げていながらなおかつ単語、熟語、語法、文法、文章の展開、英語を使う人の思考方法など総合的に学ばせてくれる優秀な本だと思っている。初めは丸暗記だが、暗記していつでも引き出しから出せるようにしておけば、いつかそれらを組み合わせて新しいものを生み出せるようになるかも知れない。
▼100語の文章を読み終えるのは2分とかからないが、暗記するとなると10時間くらいかかるかも知れない。気の遠くなるような道のりだが、何かを達成するのだったらこれくらいのハードルを置いても良いのではないかと思っている。ハードルに足を引っかけて膝をすりむいて、松葉杖をついて歩くようになってもやり遂げ・・・たい。



(No.312)07/08/15

▼いやー、英単語集ものすごく難しい。丸暗記って意気込んでいたけれども、すごく難しい。こんなに難しいの?って思うほど。ビリーズブートキャンプのほうがまだまし。ビリーズブートキャンプもかなりハードだけれども、まだ体を動かして汗をかくほうが、頭を動かして汗をかくよりもやさしいと思う。
▼それは覚悟の上のことだろうし、それでもやるのだろうから勝手にどうぞって感じなのだけれども、頭で汗をかくのはつらいねー。まあこの話は今回はこの辺にして、思いがけないことを思いがけないときに思い巡らしたのでその話を書き残しておきたい。それは司祭館を出て、駐車場に向かっていたほんのわずかの時間に受けた神からの照らしだった。
▼「わたしは、あなたをあがなった」。こんな感じのメッセージだっただろうか。直感のようなものなので言葉に言い表すのは難しいのだけれども、あえて言葉にすると、「わたしは、罪深い人間と、聖そのものであるわたしとを交換して、あなたたち人間をあがなった」という説明になるだろうか。
▼罪に満ちた人間と、聖そのものである神とはまったく釣り合わないので本来交換できないはずである。それを、神はみずからすすんで、交換してくださった。そんなメッセージを、司祭館から車庫までのわずか30歩ほどで受けたのである。どこで何が示されるか分からない。長いこと祈っているから照らしを受けるとも限らない。神は思いがけないときにやって来るのかも知れない。



(No.313)07/08/19

▼土曜日は早朝のミサ、10時半から○○教会をお借りしての結婚式、午後5時20分のミサ前に高島教会で幼児洗礼式、午後5時20分から高島教会の主日のミサと、いつもながらそうとうに中身の詰まった一日だった。走り抜けた感じ。
▼今週、一度釣りに行った。アジ、エソ、イトヨリなどが釣れたが、最近釣っていちばん興奮するのはアジかも知れない。何せ口が弱くて身切れしやすく、最後の取り込みの場面で海に「ポチャン」と落ちて逃げられることがあるからだ。逃げられるのもご愛敬で、そこまで含めてスリル満点なのが、アジ釣りと言える。
▼結婚式では「誓い」ということについていろいろ話してみた。私たちは「約束」は日に何度もすることがあるが、「誓い」を日に何度もするわけではない。「誓い」は「約束」よりも頻度が少なく、そうとうに重い意味合いがあることが分かる。「誓い」はある意味「担っていくもの」であり、生涯にわたって、片時も忘れずに担っていくものという意味合いがあると思う。
▼新郎新婦が誓うものは何か。一言で言えば「あなたを生涯にわたって愛します」「命に代えても愛し抜きます」ということ。それは生涯にわたり、片時も忘れずに担っていくものである。だが人間は完全ではない。生涯にわたって担う「誓い」を、イエスが共に担ってくださる。イエスが先に模範を示し、生涯にわたって共に担ってくださる。イエスへの深い信頼があれば、夫婦は生涯にわたる「誓い」を担っていくことができる。



(No.314)07/08/26

▼1年ぶりに郷里の五島に帰った。帰っても何もない田舎。ケータイが圏外になり、ちょっと連絡取ったりメールを受信するために外の車庫に出て戻ってくる。何度かメールでやりとりするためには、家にいながら連絡取れない。悲しい。
▼火災で全焼した新上五島町北部の江袋教会を休暇を使って訪ねた。初日は父親が運転するトラックで出かけたが残念ながらアポイントメントを取らずに行ったために主任司祭に会えず。アポイントが取れて、翌日、帰りの船を気にしながらママ原チャリ(=母親のスクーター)で出向く。
▼詳しいことはここに書かないが、やはり目で見て、地元の人の声を聞いて、何かをつかむことは大切だと思う。そういう意味では、今回の休暇はものすごく収穫があった。この休暇中にどうしても果たしたかったことが実現できてよかった。
▼帰ってきてみると、また現実が待ち受けていた。時間が止まったような休暇から、嵐のような現実に引き戻され、また日々を走り抜ける。



(No.315)07/09/02

▼先週の絵手紙「ざーま」は「すごく」という意味でした。さてカトリック中央協議会から呼び出しがかかり、急きょ東京行きが決まりました。8月31日(金)に招集がかかり、9月4日(火)出発。飛行機のチケットもほぼ正規の価格で申し込むことに。といっても向こう持ちなんだけどね。こういう旅行を何と言うのだろうか。
▼釣りだとエサの付け替えからかかった魚の取り外しまでしてもらうことを「大名釣り」と言ったりするが、「大名旅行」という表現があるのかしら。中央協議会に出向いたら、カトリック新聞社と話し合いの時間を持つと言っていたけれども、果たしてどうなることやら。
▼いやぁ、コロダイは大きかったねー。ものすごく引きの強い魚で、漁師が手釣りの時に使うビシヨマで指を切るケガもしましたが、それを差し引いてもお釣りが来るくらい引きを楽しませてもらいました。感じとしては・・・2キロのマダイを釣り上げた感じでしょうか。釣りをしない方々には伝わらないと思いますが、久しぶりに興奮する釣りでした。
▼猛暑が続いた夏、だれも釣りに出ない日中に一人釣りに出て、今年はクラブ活動を何度か楽しませてもらいました。仕事に終わりはありませんので、行けるときに釣りに行く。季候が良くなってからでは、忙しくて釣りに行けなくなるかも知れません。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(2テモテ4・2)。折が良くても悪くても、私は釣りに行きます。



(No.316)07/09/09

▼9月4日火曜日、日帰りの東京出張。朝7時15分の飛行機に乗って、夕方4時5分の飛行機で帰った。何ともないと思っていたが、木曜日に疲れが出て、あくびがどうにも止まらなかった。あくびの出るような会議だったからではないのだが、東京は島に住むこうじ神父にとってはちょっと場違いな気がした。
▼会えないはずの人に何人か会った。本来休みが取れないことになっていた人が当日の午後休みになり、車で東京を案内してくれて、羽田まで送ってくれた。偶然昼からの時間に空きができたことにも、偶然では説明できない神さまの計画を感じた。それはもう一人の同級生神父との面会にも当てはまる。
▼この同級生神父とは福岡で4年間初期の養成段階で共に過ごした。優秀な学生だった。大学の通信教育を共に学んでいたが、自分はほとんどがC評定でギリギリ合格、彼はほとんどがA評定で楽々合格が多かった。東京でまず女子修道会に1人の修道女を訪ねに行ったら前日に休暇を取ったばかりだと言われ、お隣の男子修道院に同級生の神父がいることを聞いて10年ぶりの再会を果たした。
▼彼は前日まで黙想会で出張し、翌日からも黙想指導で出かける予定になっていて、間の1日でたまたまいたのだが、たまたまいたとは思えず、深い神の配慮を感じた。会うべき人には会える。自分自身の信念をここでも再確認することができた。彼は最近母上を亡くしており、その時に声をかけてあげることができなかったので、今回遅くなったけれども声をかけてあげることができてよかった。東京でのある意味思いがけない収穫だった。



(No.317)07/09/16

▼今月1ヶ月間利用し続ける典礼の備品に「毎日のミサ」という冊子がある。もうかれこれ17年ほど使い続けていると思うが、この冊子の表紙には毎月印象的な写真が使われている。ここ1〜2年ほどは日本のあちこちの教会の写真を使っていると記憶している。
▼9月の「毎日のミサ」に使われている教会の写真は、ある意味ではほとんど知られていない教会だと思う。なぜかというと、この教会が建てられている施設は、国立療養所菊池恵楓園で、ハンセン病施設の中にある教会だからだ。
▼知られていない教会だが、意外にもこうじ神父は何度か足を運んでいる教会である。なぜかというと、自分が協力しているボランティア団体マリア文庫は、年に1度、桜の季節に菊池恵楓園に訪問しているからだ。
▼訪問は、ハンセン病で、なおかつ視力が失われている方々に会うためである。もはやハンセン病を発症する人はいないという理由もあり、ここに留まっている方々はかなりの高齢の方である。私たちの年に一度の訪問を、いつも心待ちにしてくれている。楽しみに待ってもらっていると心の底から感じることのできる訪問である。
▼この教会の写真を1ヶ月眺めながら毎日ミサを捧げるわけだが、今月のうちにいつか取り上げよう取り上げようと思っているうちに今日まで来てしまった。この写真を見るたびにイエスは全世界の人々にみことばを告げておられるのだとの思いが迫ってくる。



(No.318)07/09/23

▼こうじ神父は41歳なのだが、世の中で男性の41歳は厄年らしい。過ぎた週、かなりションボリする出来事があった。財布を落とし、盗まれたのである。今になって考えると、失わないで済むはずのお金だったと思うと悔しさがこみ上げてくる。
▼いきさつはこうだ。巡回教会のある高島のパソコンプリンターの調子が悪くなり、どうしてもメーカーに送っての修理が必要になった。その間代替機を送ってもらうことも可能だが、たまたまただでもらったプリンターがあったので、伊王島から持ち込んで使うことを思い付いた。
▼伊王島から、高島の司祭館に着くまでには、船で島と島を移動し、高島に着いたらバスに乗らなければならない。少額のお金が必要なので、財布をポケットに入れてプリンターを両手に抱えて船に乗った。バスは乗車するときにすぐ代金を払うので(どこまで乗っても100円)、船の中で100円を用意し、財布はポケットにしまったつもりだった。
▼プリンターを両手に抱えていたのがまずかったのだが、高島の司祭館ですべての用事を済ませて帰ろうとしたとき、財布がないことに気付いた。どうせまた、どこに置いたか分からなくなったのだろうと思い、お金がないので信徒に車で送ってもらい、何とか船に乗った。
▼夕方5時、長崎本土の「石橋交番」というところから、電話がかかってきた。「なかだこうじさんですか。財布が届けられています。現金は一切ありません。領収証やメンバーズカードだけが残っています。確認に来てもらえますか」。
▼お金はン万円。本来、プリンターを運んできて帰ってくるまでに必要なお金は、数百円。財布を持っていかず、小銭をポケットに入れておけば済んだのに、余計なことして失ってしまった。それにしても、海に捨てることもなく、道端に捨てるんだなぁ。それ以上に、ちゃんと拾ってくれる人も、まだまだいるんだなぁ。



(No.319)07/09/30

▼体重76.0キロ、ウエスト85.5センチ、体脂肪率23.0で運動は止まっている。チェックシートというのを郵送したので5000円は確かに返ってきたが、毎日欠かさず運動するのは私にとっては海のことを考えずに1日過ごすことくらい難しい。比較がまず分からないか。
▼記者会見を見学して(最初は司会者に予定されていた)思ったことは、偉くなると大変だなぁということ。あのひな壇に並ぶところまで偉くならない方がいいなぁとしみじみ思った。記者会見そのものは50分くらいの出来事だったが、打ち合わせや準備を含めると1日がかりの大仕事である。そんな場所に飾られるのはご免こうむりたい。
▼最近「すぐ忘れる男、決して忘れない女」という本を手に入れた。忙しくてまだ読む暇がないが、このタイトルだけでも「そうそう」と思ってしまう。内容をざっと目を通した限りでは、そんな安易な中身ではないみたいだが。造りが違うから、意見も感じ方も違うというのはよく分かる。
▼話変わって絵手紙。30回くらいは絵を描いたかなと思うが、ひとまず100回目で区切りとします。何の脈絡もないのですが、その後は自分の向学心のために毎週英語学習書に掲載されている英文を暗記していくことにします。毎週1テーマずつ暗記できればいいですが、無理かも知れません。とにかく、覚えたことを紹介できるようにしていこうと思います。これって、厳密に言うと著作権の問題が発生するのかな?




(No.320)07/10/07

▼こうじ神父は過去15年間ミサを捧げ続けて、どうしても集中できずに間を取ったことが1度ある。祭壇そばで仕えている小学2年生の侍者のコンビが、聖変化の時に鳴らす鈴を構えて次のような会話をしていたときのことだった。「(当の本人)ねぇ、もうそろそろ鈴を鳴らすときかな」「(相方)早く、今鳴らして」「(当の本人)ねぇ、さっきは鳴らさないといけなかったよね。今度鳴らすのはそろそろかな」「(相方)今、すぐ鳴らせ」
▼「(当の本人)うまく鳴らすことができないなぁ。今度こそちゃんと鳴らすよ。いつ頃かな」「(当の本人の両親が信徒席から身振り手振りで)何をもたもたしてるんだ。早く鳴らせ、鳴らせ!」「(当の本人)あっ、お父さんお母さんが手を振っている。お父さーん、ぼくここにいるよ」。この日は侍者のやりとりがあまりにおかしくて、腸捻転を起こしそうになり、しばしミサを中断したのだった。
▼ところが、今の小教区に来て、それを超えるハプニングに遭遇した。ミサの聖歌で、「心の貧しい人は幸い」という歌があるが、1人がとてつもなく音が外れてしまい、はてしなくもとの歌から離れてしまったために誰もその人を正しい歌に連れ帰ることができず、その人が唸って、みんな黙ってしまったことがあった。私はその間司祭1人で唱える祈りの部分にさしかかっていたが、途中で祈りの言葉を思い出せなくなり、ミサの儀式所を確かめてもう一度唱え直す羽目になった。
▼その祈りの部分はこれまで3500回以上唱えてた祈りなのに、それでも一瞬祈りが飛んでしまった。それ以後私はさらに集中力を高め、意識を唱えるべき祈り一点に注ぎ、祈ろうとするのだが、それでも今も祈りが続けられなくなることが何度か起こっている。人間は鍛錬することで過去を乗り越えることができる。果たして今受けている試練は、どのようにして乗り越えればよいのだろうか。



(No.321)07/10/14

▼前置きがほとんど無くて新企画に入ってしまうことになった。「今週の絵手紙」は100回掲載のうち3分の1ほどしか手書きのものはなかった。100回ということはほぼ2年続けたので、このへんで品を変えることにした。昔から英語は使えるようになりたいと思っていたが、今回からのコーナーを続けることで、自分自身英語の洗い直しをしようと思う。
▼第一回目は、コーナーそのものの説明も兼ねて、「ちょっとひとやすみ」を使って紹介することにした。ずっと勉強をしていく中で、毎週はっとさせられる何かを見つけて取り上げてみたいと思う。今回は、以前「絵手紙」コーナーで取り上げたカトリックの教え(2007年1月28日)を易しく説いている本の紹介。
▼この本は北米ではよく知られている本らしいが、意外なことにこうじ神父はその本の中にミスプリントを発見した。そこで私だけでは自信がないのである修道会の神父様に朝でなく夜でなく昼に尋ねたところ、どうやらミスプリントで間違いないとのこと。それを聞いたとき、内心「あー、まだまだ英語も鈍ってはいないなぁ」と思ったのだった。
▼ところが、ちょっと自慢げに思っていたらその神父様からこう言われた。「この本、懐かしいデース。私たちが小学校低学年のときに、一生懸命暗記した教科書デース」ということだった。ようやく理解できたのは小学校低学年の教科書だったのだ。どうりで難しい本は買っても読めず本棚に積みっぱなしになるわけだ。
▼久しぶりにその本を引っ張り出してみたら、この頁にミスプリントがあるということでドッグイヤーの印まで付けている。ところが、この2頁の中のどこが間違いなのか、あらためて見るとどうしても見つからない。1時間ほど目を皿のようにして読み返してみるが、それでも見つからなかった。そこで、みなさんにも披露して、どこにミスプリントがあるのか見つけてもらえればと思っている。



(No.322)07/10/21

▼高島に土曜日に渡るのも今年は来週までだ。11月に入ったらさっそく「冬時間」で日曜日の馬込教会のミサのあとに渡ることになる。土曜日の高島のミサは夕方のミサになっていて、高島は夕方の便は割合簡単に欠航になるからだ。
▼どうかすると土曜日夕方のミサをしている間に島内放送が流れ、「長崎発○○時○○分の便は高島へは行かず、伊王島で折り返し運行になります。ご注意ください」といった放送が流れる。こちらは何が何でも伊王島に帰らなければならないわけで、帰りの便が突然運行中止になってはいけないので土曜日のミサ日程は10月いっぱいまで(夏時間)にしているのである。
▼冬時間の日曜日に切り替わると、いろんなことが切り替わる。まず土曜日に高島に行かない。ということは説教をギリギリまで考える時間ができることになる(ギリギリまでサボる口実にもなる)。日曜日、馬込教会の8時のミサは何が何でも9時に切り上げなければならない。9時12分には高島行きの便に乗っていなければならないのだから。
▼馬込教会の司祭館では朝食抜きになる。それまでの9時からの遅い朝食にありつけないが、代わりに高島で「朝食昼食兼用」が11時に出る。この食事にありつく頃は心理的には1日の務めは終わったという感覚になっている。当然午後からもいろいろ予定が詰まっていることもあるが、あとは「まじめにやっているふりをしつつ」こなしている感がある。高島の「ブランチ」を終え、一息ついて昼の便で伊王島に戻る。
▼ということでがらっと生活が変わる。こうじ神父はこの小教区で1年を半分ずつ別々の過ごし方をしているのである。今週の英語の勉強は、英文というのはどうしてこんなに長く長く後ろにつながっていくのだろうかと、思い知らされた一文です。それに対して、日本語はどちらかというと「前に前につなげていって、後ろは短い言葉」だと思います。



(No.323)07/10/28

▼カトリック教会は西暦2000年を大きな区切りとして意識をして過ごした。たとえば、「贖いの大聖年」という呼び方で、大きな恵みを受ける年になることを世界中に知らせた。具体例としては、2000年のこの1年は、一定の条件が揃えば全免償が与えられた。全免償とは、人間が神に対して果たすべき償いを、すべて免除してもらえるということである。
▼別の例としては、各国に働きかけて、旧約聖書の伝統にのっとり、負債をすべて免除し、自由を取り戻す活動に積極的に参加した。途上国は先進国から多額の債務を担っており、しばしばそれは債務超過、債務不履行の状態になっているのだが、2000年を機会に負債をすべて水に流してほしいとキリスト教指導者たちは先進国指導者たちに働きかけた。
▼結果どうなったかを正確に把握していないが、アメリカのクリントン大統領始め、世界中の先進国指導者たちがこの提案を受け入れ、債務を帳消しにしたと理解している。もともとの働きかけはロックバンドの「U2」というグループのボーカル、ボノボさんが提唱し、それが世界中に広がって大きなうねりとなったとされる。ボノボさんは熱心なキリスト教徒だったのかも知れない。
▼話は長くなったが、この第三の千年紀(ミレニアム)を機会に動き出した壮大な一つの企画を紹介したい。アメリカのとある修道院で始まった企画だが、現代の超一流写本家を集めて、かつての聖書写本のような現代版の写本を制作し、例えば100年後とかの次の世代に残そうという企画である。
▼手法は古代の聖書写本の製作法で、作るのは未来に向けての現代的な写本。画期的な企画だと思った。古代の聖書筆写法にならい、本物の鳥から羽ペンを作り、インクを含ませて羊の皮で作った紙(羊皮紙)に文字をつづっていく。
▼写本が制作された時代の言語はヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語だったわけだが、今回は現代英語を用いた。イラストもふんだんに配置する。しかも現代のセンスでまったく新しく描く。こうした取り組みで制作された現代版写本を印刷したものが、長崎純心大学に寄贈された。



(No.324)07/11/04

▼買っても買ってもほとんど使わないものを今年も買った。年間のスケジュール帳。見開き1ヶ月のカレンダー風の書き込みが始めに設けられていて、そのあと見開き1週間の縦組みの日程表が用意されている。大変便利そうである。
▼こうじ神父は過去これに類するスケジュール帳を何年か買い求めているが、どれも4月か、よく頑張って6月くらいで使うのをやめている。今年などはスケジュール帳がどこに行ったのかすらも分からず、葉書大のカレンダーをパソコンで印刷してここ2ヶ月ほどは過ごしている。何のために買ったのか、それすら分からない状態。
▼けれども、世の中には「買うことが、買う目的」というものは案外あるものだ。例えば年賀状。書かない年もあるが、毎年必ず買う。年賀状ソフト。去年のものでもきっと問題なく作成できるが、毎年バージョンアップするたびに買い求める。必要かなー、と思いつつも毎年買う物って、案外あると思う。
▼そういう中で、来年は決して買うまいと思うものがある。英語の学習教材。単語集も速読の本も、長文読解も、文法書も、もう要らないでしょ、というくらいに買ってきたのに何か目新しいものが出れば買い続けてきた。開いたこともないものもあるくらいだから、買う必要は絶対にないはずである。だから、せめて来年だけは、買わないことに決めた。もしも書店でこうじ神父が語学教材のコーナーに立っているのを見つけたら、それだけで注意して結構。
▼このメルマガに目を通す頃にはすでに終わっている行事だが、福岡の大神学院で「召命の集い」が行われる。今の主催者は何を意図しているか確かめていないが、私にとってはこのイベントは「司祭・修道者を希望する子どもたちを育成する絶好の機会」と思っている。願わくは今でもそうであってほしいが。
▼この集いに馬込教会の子供たちを3人連れて行く予定である。この子たちが、こうじ神父が巣立った母校を通して、司祭召命に関心を持ってくれればと願っている。連中はおそらく福岡に遊びに行くと思ってワクワクしているに違いないが。神学院が気に入ったら、いっそのことそのまま置いて帰ろうか。



(No.325)07/011/11

▼絶対最後まで使い切れない「手帳」だが、11月はマメに書き込んでいる。たとえば、「11月9日(金)、250ccカタナのエンジンがかからなくなる。気合い入れて坂道の上まで運び、押し掛けをするも維持できず。しかたなくお世話になったことのあるバイクショップに連絡を取り、入院させることに」。まずはレントゲンを撮って、症状を見てもらうことから(笑)。
▼マメにメモを取っていると、見えなかったこと、見過ごしたことが見えてくる。10日間書き込みを続けているだけでも実感できるのだから、継続して、つまり1年間書き続ければ、いろいろ見落としていたことが見えるようになるのではないか。そう思うとメモ魔になるのも悪くはないかも。
▼手帳の効用は誰にも負けないくらい分かっているつもり。でも、「手帳は面倒」としか思えなかったので続けられなかった。ただ、今回に限っては、おもしろさが分かりつつあるので、続くかも知れない。ついでの話だが、続くためには楽しみが必要だ。デザインだったり、手帳の仕組みだったり。その意味で、選びに選んだ今回の手帳は正解かも知れない。
▼尊敬する枢機卿がお亡くなりになった。77歳。一般の報道でも流れたので多くの人が聞いたことのある方だと思う。ほとんど知らない人だったが、今年黙想会の指導をしてもらって、人柄であるとか、バチカン内部の様子とか、私たちにはいっさい知られていない部分をたくさん教えてもらった。この枢機卿が最後に巡礼したのが五島列島であったことも親しみを覚えた。



(No.326)07/11/18

▼中学、高校、大学と10年間も英語を勉強すれば、しかも「苦手科目」でなかったとすれば、いくら何でも英語の基礎はできているはずである。そのことを最初に経験したのはフィリピンでの研修だった。わずか10日間の日程だったが、いよいよになれば英語は口をついて出てくるものだと実感した研修だった。
▼10日間のうち、1週間は日本からの研修生同士で共同生活、あいだで3日間ホームステイという日程だった。ホームステイ期間中、ホストファミリーは日本語を知らないので、完璧に英語付けの生活となった。どうやって過ごしたのか、思い出せなくなってきているが、ホームステイから帰って研修生と残りの日程を過ごし始めて効果が現れた。
▼研修スタッフのIさんが、用事で私たちの班の部屋をノックした。昼寝をしていた時間だったが、起きた私の口から出たのは"Yes. Who is it?"(はーい、どなた?)だった。私はまったく意識していなかったのだが、Iさんが、「おっかしいー。神父さん、今英語で返事したよ」と指摘したのだ。それで分かったのだが、私は「はーい、どなた?」と言わずに、"Yes. Who is it?"と言ったようなのである。
▼過ぎた週は嵐のような1週間で、大事なものを失った週だった。ションボリしていたが、それでも通夜・葬儀ミサが中町教会を会場にして1度、葬儀社の建物を会場にして1度、1週間の中に2度入っていたのでできるだけ移動の船の中で頭を整理しようと努力した。
▼ぼんやり出来事を振り返っているときにフッと脳裏に浮かんだ言葉があった。"Too much. Too fast."実際には正確な引用ではなかったが、かなり前によく勉強していた通信講座のテキストにあった一節が思い浮かんだのだった。テキストに当たってみたところ、正確には次の1文だった。"Too much had happened, too fast."
▼何ともやりきれないが、この言葉が日本語を介さずにダイレクトに理解できた瞬間だった。悲しい場面で、自分も同じ悲しさを覚えて、母国語を介さずに理解できた瞬間だった。



(No.327)07/11/25

▼「オアシス運動」と言えば、「おはようございます」「ありがとうございます」「失礼します」「すみません」。頭文字を並べて使用することはよくある。キリスト教では"AMDG"(Ad majorem Dei gloriam、より大いなる神の栄光のために)などがあるが、それよりもひんぱんに使われているのは"INRI"であろう。
▼"INRI"は少し解説が必要だが、"Iesus Nazarenus Rex Iudeorum"(ユダヤ人の王、ナザレのイエスの略。ラテン語では"J"が"I"に置き換えられることが頻繁に起こる)という意味になる。もちろん、この言葉はイエスが十字架にはりつけにされたときの罪状書きである。
▼この文字は2つのものに頻繁に使われている。1つは当然のことだが十字架に使われる。もう一つは驚かれるかも知れないがカトリックの墓地の墓碑によく用いられている。少なくとも長崎ではよく見かける。この、"INRI"についてこの前わが目を疑う事件に出くわした。
▼納骨を依頼されていた家庭の墓碑に、本来"INRI"と刻印されているはずの文字が、なんと"INORI"と刻印されていたのである。いったいどこの墓石会社だったのか知らないが、真似をしたまではよかったがまったく違う言葉「祈り」にすり替わってしまっていた。
▼初めはその刻印を見ていなかったのでよかったのだが、途中で"INORI"に気付いてからは、あまりの衝撃に言葉を失い、自分が唱えるべき祈りを唱えることができなくなってしまった。生きていると、何が起こるか分からないものだ。祈りが唱えられなくなるような衝撃は今後二度と起こらないのかと思っていたが、長生きしてもっとたくさんネタを集めたいと、今日は思った。



(No.328)07/12/02

▼年賀状の季節がもうやってきた。どう考えても三が日の務めのような気がするが、司祭館に勤務しているSさんはその辺はきちんとしている。「お願いがあります。年賀状の裏面と、表の差出人を印刷してもらえないでしょうか」。嫌とも言えず引き受けることにした。
▼ところが、最近パソコンプリンターの調子が悪く、どれも「帯に短したすきに長し」。2階にあるパソコン用インクジェットプリンターは印字状態がすごく悪く、さすがのSさんでも分かりそうな質。かといって1階のインクジェットプリンターは裏面の画像をスキャンすると途中に線が1本入る故障機。
▼そこで、2世代前のものと思われる「レーザープリンター」を接続して印刷することにした。まず裏面を60枚印刷。葉書が熱で丸くなってしまったが、表面の印刷前に少し曲がりを戻したので問題ないと思っていた。ところがそう簡単ではなかった。
▼少しの反りで、このレーザープリンターは紙詰まりを起こし、異常を報告してくる。異常のメッセージを解除させるのに一苦労。そうこうしながらようやく印刷を終えたのが1時間半後。こんなに時間を取られてしまうと、親切をしたのに疲れのほうが上回った。今日は配信を終えたら、祈りを手早く済ませてさっさと寝よう。疲れ果てた。
▼東京に出かける。また、何か東京の土産話があったら報告するのでお楽しみに。



(No.329)07/12/09

▼前もって知らせてなかったかも知れないが、東京にカトリック新聞社諮問委員会出席のために上京した。かなり緩い時間で日程を組み、東京見物、横浜中華街と山下公園見学まで叶えることができた。
▼もともと、ギリギリ1ヶ月前に諮問委員会出席の知らせを受け、何とか特割(早割?)のチケットを入手したわけで、安いチケットを取ろうとすれば、おのずと都合の悪い時間しか空いていないということになる。出発には早すぎる時間だったり、帰るにはずいぶん間延びした時間だったり。
▼東京では、1度行って見たいと思っていた店に横浜在住の人から案内してもらった。「エポペ」である。その日に決めてふらっと行ったわけだが、教会関係者とおぼしき人が入れ替わり立ち替わり入ってきて、この新宿歌舞伎町の真ん中で信仰について語り合うことができた。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18・20)。
▼東京での収穫は、「密度の高い経験ができる」ということだった。東京駅構内で、人がそれぞれの方向に縦横無尽に動き回っている。誰もぶつからずに、誰にも声をかけずに何万何千という人が行き交い、それでも出会う人とは手を振って出会ったことを喜び合う。とても不思議な大都会だった。
▼考えを改めさせられたことがあった。東京の人は地方の人よりも余計に歩いていると思った。電車の乗り継ぎ、動く歩道の上で、エスカレーターでも、どこでも早足で人が歩いていた。きっと東京の人は、違う意味で長生きできる境遇にいるのかも知れない。



(No.330)07/12/16

▼どうしてこんなことが起こるのだろうか。金曜日、実家の父に頼まれて佐世保市役所近くの整形外科に手術入院している叔父を見舞いに行った。父が五島から船でやって来て、遅れてこうじ神父が大波止ターミナルに到着。合流して車でバイパスと高速を飛ばして叔父を見舞いに行った。
▼叔父は重い腰痛の手術だったそうだ。それでも佐世保市内でも有名な病院らしく、術後の経過は良好のようだった。聖体拝領もさせて、午後2時に佐世保市内からでた。この日の夜、スポーツジムで、散弾銃を使った惨劇が起こるとは、誰が考えるだろうか。
▼その日のニュースでは、犯人が逃走したことまでしか報道されなかった。死者が2人、けが人が6人出た。そのニュースに胸を痛めていたところに、土曜日の朝にはカトリック教会の敷地内で散弾銃を使って容疑者が自殺するという最悪の結果になってしまった。どうして犯行にいたった経緯を語ることなく命を絶ってしまったのか。悔しい。
▼容疑者はカトリック信者だった。カトリック信者は命の尊さをしっかり教えられているはずなのに、いったいどうなってしまったのだろうか。カトリック信者であるかどうかに関わりなく、なぜ他人と自分の命に手をかけたのか、理由を知りたかった。



(No.331)07/12/23

▼クリスマスがやってくる。おそらく今年、ケーキは一人でローソクを立て、一人で消して一人で食べる。だから、クリスマスはこうじ神父にとってはミサの終わり、信徒と談笑して見送ったところで終わったようなものだ。あとのケーキとシャンパンは、おまけのようなものかも知れない。
▼まだ取り付けていないが、司祭館の一部屋をカギかけて閉じた空間にできるように計画している。これまでその必要を感じなかったが、どうやら必要性が出て来た。それもだれかが共同で暮らしていれば問題ではなかった部分だ。一人で暮らすと、何もかも一人の責任になる。一人ってときどきおもしろくない。
▼同じ信仰を持っている人同士だと、国籍や年齢が違っていても信仰が同じことのほうが上回るらしい。「へー、あなたもカトリックですか」この言葉でまったく知らない人とでも親密になれるから不思議だ。だから、遠くにいるあの人も、洗礼を受けて同じ信仰を持ち、親しみを感じることができる。そういう意味では、誰も一人ではないのかも知れない。
▼年末年始はガソリンスタンド、銀行、公共機関、いろんな物が動かない可能性がある。早め早めに準備をして、ひとときの自由を満喫したい。できれば、「書き初め」ならぬ「釣り初め」をしたいものだ。年賀状書いてないけど、「でもそんなのかんけーねー」か?



(No.332)07/12/24

▼クリスマスおめでとうございます。幼子を育てたことのない私は、これから成長しているイエスさまを見つめるマリアとヨセフのまなざしを知ることはできませんが、毎日が驚きの連続なのかなと思います。あくびをしても、くしゃみをしても、かわいくてしかたない、楽しくてしかたないといったところでしょうか。
▼今年はクリスマスの聖劇に映画「マリア」から感じたことを取り入れました。掲示板http://8214.teacup.com/koujimaga/bbsに、劇の台本を掲載したので、ご覧下さい。今回の聖劇のポイントは、キャスティングと、「セリフを間違っても、アドリブを利かせて乗り切る」という点です。
▼聖劇の台本を練るとき、すでに「あの子がこの役を選ぶであろう」そういう予想を立てて書き上げました。当然、「どの役をしたいか、手を挙げなさい」と選ばせておきながら、「この役を選んでくれ。頼む」といった気持ちでそれぞれの役選びを見守っていました。予想通りのキャスティングになり、第1段階はクリアです。
▼次の難問は、「予想通りに選んだA君が、予想を裏切る演技ができるか否か」ということです。A君は博士のラクダを道案内する使用人1で、普段からみんなにからかわれるおっとりした性格の子です。セリフは博士の第一声のすぐあとにやってきます。博士に、「もうずいぶんラクダを歩かせました。ラクダをやすませるために、しばらくおりてください」と促す大切な役割ですが、最後の最後まで、うまく演技をこなせませんでした。
▼簡単に言うと、「ラクダを休ませる」のが仕事ですが、A君はセリフを暗記することで精一杯で、仮にセリフを思い出せなくても、「ラクダを休ませなければならない」という使命が理解できていないのでした。案の定、セリフが出てこなくて、苦し紛れにこう言ったのです。「博士、もうずいぶんラクダを歩かせました。ラクダを歩かせるために、しばらくおりてください」。
▼そこへほかの子どもたちのつっこみが入ります。「ラクダをまた歩かせたらダメやっか!なんでまた歩かせるとや」。その通りです。ラクダを休ませなければならないのに、彼は自分に与えられた重大な使命が理解できていないのでした。A君、キミはラクダを休ませたくないのかなぁ。



(No.333)07/12/25

▼クリスマス劇がどうなったか、この配信の時点(12/24、正午)では何とも言えない。けれどもその結末は、ビデオにしっかり収めることにしている。この辞典で確実に言えることは、彼らは今年の聖劇を通して成長し、イエス・キリストを決して他人とは思わなくなったということだ。
▼3年このかた、クリスマスミサの前に短い聖劇をおこなっている。お年寄りに喜ばれているのは当然だが(お年寄りは孫を見ているだけで嬉しいものだ)、クリスマスを自分たちらしく祝うことでクリスマスの意義が深まることを全信徒が知り、小教区全体が成長していくのだと思う。何かをやってみなければ、何も起こるはずがない。
▼本音を言えば、感動する劇にまで完成させたいもどかしさはある。占星術の学者を襲う兄弟の盗賊が登場するが、この兄弟が忍び足で学者の一行に近づく細かさが足りない。のこのこ現れて、「命が欲しかったら金を出せ」と言っている。のこのこ現れた盗賊に誰がビビったりするだろうか。
▼細かさを求めたいけれども、年に一度寸劇をする子どもたちにそれは無茶な要求かも知れない。よくやったなぁと褒めて、クリスマスプレゼントをあげることにしよう。ちなみに、プレゼントの中身は、聖家族のイラストがあしらわれたコップと、お皿です。「いいよ」。



(No.334)07/12/30

▼今週の説教は悪夢のようだった。3時から書き始めて、5時に書き終えた。原稿を書いても、頭の中で考えが整理されているわけではない。1時間半後に、ちゃんと説教できるのか自信は全くない。こんな説教が今年の最終説教であったことに、この1年を象徴するものがあるような気がした。来年への反省としておきたい。
▼お笑い芸人が昨日29日のある番組で「今年は良い年にしたいと思います」とぼけたところを「あと3日しかねぇよ」と突っ込まれていました。自分自身のようでおかしくもあり、あわれにも感じました。今年1年をまとめると、どういう年ということになるのだろうか。見落としのたくさんあった1年と言うのが当たっているかも知れない。
▼あと20分で司祭館を飛び出さなければならないが、あと20分で配信を済ませなければならない。どうする?ケータイ用メルマガ(ミニまぐ)は、全体を2000字以内に縮めなければならず、その作業まで含めて残り20分は、どう見ても無茶ということになる。
▼「メルマガ届かないなぁ」そう思って寝床に付いた方々もいらっしゃるに違いない。寝床に付かなかった私に免じて、今週号遅れたことをゆるしてもらいたい。次の1月1日号までは、まだまだ息が抜けない。今年の抱負が何だったのか、思い出せないまま、大明寺のミサ、馬込のミサ、高島のミサ、葬儀ミサと続く日曜日のとある1日が始まる。




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