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(No.335)08/01/01
▼カレンダーを貼り替えた。1つは、教区報「よきおとずれ」の年間発行計画が記されている年間カレンダー、もう一つは取引のある銀行からもらった年間カレンダーで、世界遺産候補に挙がっている教会など4つをイラストであしらったものだ。どちらもこれから1年の生活に欠かせないものだし、また1年が始まるのだなという気持ちにもなる。
▼紅白歌合戦を観ながら、説教を書いた。ほとんどは音声をゼロにしていたが、「友達の詩(うた)」だけは音量を10に上げて聞いた。1回聞いただけでは内容をつかめそうになかったのであとで繰り返し聞いてみたいと思うが、心に響く歌を聞かせてもらった。
▼「ゆく年くる年」でカトリック中町教会が中継されていた。今年は外が大荒れの天気だっただけに、この時間に、この天気にもかかわらず、こうして祈っている姿が全国に流れたのはよかったなと思った。伊王島の馬込教会でもしも真夜中のミサをしたらNHKはやって来るのだろうか。来ないだろうなぁ。
▼今年の抱負、何にしようか。「どこまで行けるか、どこまでできるか、やってみる」くらいにしておこうかな。ちなみに2007年の目標は「その日の仕事は、12時までに済ませる」だった。かなり実行できたと思う。歳のせいか、12時になったら仕事が済んでなくても布団に入っていた。今年の抱負は現実に逆行している気がする。
(No.336)08/01/06
▼5日の土曜日に、会いたくない車に会いたくない場所で、会いたくない状況の中で出会った。それは清掃車で、町内でも特に狭い路上だった。こちらは250ccのバイク(KATANA)、清掃車と二輪車だから、当然こちらが道を譲らなければならない。ある程度余裕のある道であればいざ知らず、極端に狭い道路だったからたまらない。
▼その道は自分から見るとやや上り坂だった。清掃車と離合するスペースを作るためには、バイクを押しながら、しかも端に寄せなければならない。ところが、バイクの左は崖になっていて、降りて左端に寄せる余裕はない。そこでバイクにまたがったまま、足で地面を蹴って左端に寄った。幸い、左側の崖から転落することだけは免れた。
▼お互いにクラクションを軽く鳴らし、「どもども」みたいな感じでその場を別れたが、帰ってきてみると、なぜか太ももがぱんぱんに張っている。知らずに踏ん張ったらしく、緊張から解放されて初めて痛みが襲ってきたらしい。認めたくないことだが、歳はどうしても隠せない。
▼前回清掃車とはち合わせしたときのことを思い出した。その時はきつい下り坂で、足を着き損ねてバイクを右に倒してしまい、そのままバイクショップに入院したのだった。「また清掃車(怒)。どうしてここで会うかなぁ・・・。」そう思ったが今回は運がよかった。こうじ神父にとって、清掃車は「目の前を横切る黒いネコ」のような存在だ。
(No.337)08/01/13
▼釣りのうんちくを紹介。釣りをしている人はのんびり、ぼーっとしていると思われがちだが、実際はその正反対で、非常に繊細で敏感なやりとりを繰り広げている。ぼーっとしているだけの人は、釣りに来ているのではなくて、釣りの場所に来ているだけなのである。結局はエサを取られるのが関の山で、釣ることなどできない。
▼ウキを使った仕掛けでマダイを狙っているとする。120gの錘がぶら下がっている長さ1mほどのウキが、100m先までプカプカ浮いて海の上を漂う。魚がエサを口にすると、ウキが僅かに沈む。それはたとえて言えばパン食い競争でパンに食いつこうとする子どものようなものである。
▼子どもが今パンに口が触れただけなのか、それとも本格的に食いちぎって逃げようとしているのか、遠くから見極めなければならない。まだ魚がエサに対して触れただけなら、待たなければならないし、食いちぎって逃げようとしているのであれば針がかりさせなければエサだけ取られてしまう。
▼合わせを入れて針がかりさせることができるためには、繊細さ、機敏さが必要だ。海底の魚(底もの)を釣るときにも、たいてい相手は険しい岩礁帯に身を潜めている。海底すれすれをエサで誘うが、海底は起伏が激しく、ちょっと気を緩めると仕掛けが岩に引っかかり、釣りをする前に仕掛けをとられてしまう。5mから0mに一気に変化する起伏に合わせて、仕掛けを上下させることができなければ、満足できる釣果は期待できない。
▼今回、私は船頭から驚きの目で見られていた。これだけの険しい海底で釣りをして1度も仕掛けを失わずに釣り続けたからだ。しかも仕掛けを入れるたびに空振りすることなく釣り続けたので、驚いたのだろう。ウキ流し釣りの時にも、7回流して5回クロを釣ったので、すこぶる感心してくれた。この様子だと、今年の夏も喜んで連れていってくれるに違いない。
(No.338)08/01/20
▼伊王島には2つの教会が建てられている。1つは小教区の本教会である馬込教会、もう1つは大明寺教会である。歴史は大明寺教会のほうが古く、明治13年に建てられ、長崎港内の各地へ宣教に出かける拠点となっていたそうである。この建物は外は民家のような造りだが、中は見事なコウモリ屋根の教会だという。
▼さて2つの教会はその後どうなったか。大明寺教会が建てられている島「伊王島」と馬込教会が建っている「沖ノ島」とでは季節で風の影響が正反対になる。夏は沖ノ島が被害を受け、冬は伊王島のほうが被害を受ける。昭和2年と5年に大きな台風が襲ったが、馬込教会は甚大な被害を受け、大明寺教会は被害を免れた。
▼馬込教会は直後に教会を建て直すことになる。大明寺教会はその後も明治時代の教会を維持し続けたが、老朽化も進み、維持が困難となり、昭和48年に建て直すことになった。その際、旧聖堂は解体され、愛知県犬山市の明治村に移築されることとなった。平成7年に明治村5丁目で復原再建され、現在に至っている。
▼さてなぜここまで大明寺教会の話を引っ張ったか。小教区の主任司祭でありながら、旧大明寺教会を見たことがないというのでは情けないと思い、思い切って見学することにしたのである。誰にも言わず、といきたかったが、内緒にしておけない性格なのでここに書き込みして出発しようと思っている。年内の予定をしているが、見学が終われば報告を入れたい。
(No.339)08/01/27
▼先週、ゾッとする思いをした。金銭が絡んでいるので、厄年の災難だと言えなくもない。始まりはオークションの落札だった。と、ここまで書いたらもっと深刻な話が飛び込んできたので、もうこの話は書けない。深刻な話のことで頭いっぱいなので、その深刻な話から逃れるために、やっぱりオークションの話を書くことにした。
▼ン万円の商品をオークションで落札することに決めた。オークションと言っても、指定された金額で入札すればそのまま落札というタイプの商品だった。今思うと、徹底的に調べれば、ほかにもっと安い値段で同じものが手に入り、トラブルにも巻き込まれなかったのかも知れない。それはあとになって分かった話。
▼その商品は、通常の落札後の手続きと同じで、売り手が落札した自分にメールを送り、商品の代金を振り込むことと、送り先を指定してくれという指示をしてくる。いつものように入金し、送り先を知らせ、4日後の日曜日にはもう玄関先に届いていた。喜び勇んで商品を開けてみると、何だか付属品は揃っているが、肝心の本体が見あたらない。おや?と思ってもう一度確認。やはりない。
▼その上、本体を包んでいたと思われるビニール袋が、初めから開封され、空の状態で入っていた。「やばい。これは詐欺だ」。そう思ったが、考え直し、会社に連絡を取ることにした。すると会社は日曜日は休日。電話は鳴るが、誰も応答しない。会社ごと逃げたのかと思って血の気が引いた。
▼FAXを用意し、本体が入ってなかったことと、このままでは大変困るということを伝えて、翌日の返事を待った。翌日、結局こちらが催促の電話をかけたのだが、FAXはすでに読んでおり、メーカーと交渉しているという。それにしても、最初に客に電話をするのが筋ではないのか。ここで怒ったら損をすると思い、冷静に会社の対応を聞き出すことにした。
▼幸い、会社は自らに落ち度があることを謝罪し、至急同じ物を配送し、問題のあった商品と取り替えるという。23日に商品が届くので、その際配達員に落丁品を渡してほしいということで解決した。この会社はこちらに負担をかけないように対応してくれたので本当に助かった。だが似たような状況で、被害に遭う人が世の中にはたくさんいるのだろうと思うと、自分じゃなくて良かったでは済まされない。
(No.340)08/02/03
▼何から書いたらよいのか分からないくらいたくさんのことが起こった1週間だった。いちおう、明治村のことを整理して書いてみたい。大村空港からJALで小牧(名古屋)空港に降り立ち、空港の玄関から出ている連絡バスで西春駅まで移動(終点なので間違えることはない)、西春駅から名鉄で犬山へ向かった。
▼犬山駅は、交通の要所らしく、いろんな方面への路線でどれに乗っても犬山を通っていた。それで、迷うことなく犬山にもたどり着いた。犬山で宿を取ったホテルも、歩いて5分なのですぐに見つけることができた。翌日国宝の犬山城を見学し、犬山駅に戻ってバス乗り場に向かった。ここでも「明治村行き」の大きな案内板が出ていたので迷うことはなかった。
▼非常にスムーズな乗り継ぎで明治村に到着し、入念に検討していたコースを基本に、気分の向くままに村内を見て回った。平日だったせいか、京都の路面電車や鉄道の体験乗車は、貸し切りだった。どうせ1人で貸しきりなら、運転席に乗せてもらいたかったなぁ。無理だろうけど。
▼大明寺教会は、いい場所に引っ越したなぁという感じを持った。賑やかな場所に置かれていたら、とても祈りの雰囲気を保つことはできなかっただろう。静かで、しかもひっきりなしにアベックが入ったりしないので、祈りやすかった。それに比べて聖ザビエル教会はアベックが何とも思わずにおしゃべりして中を歩き回り、祈りの雰囲気を保つのは難しいと感じた。観光地に行ったのだから致し方ないが、皆がそれぞれの建物の本来の姿を尊重してくれればいいのにと思った。
(No.341)08/02/10
▼元気があれば明治村の続き。結果的にだが、行きはJAL、帰りはANAという選択は正解だったと思う。JALは名古屋の中心街に降り立ち、ナゴヤドームも見ることができた。翌日の夕方帰ることを考えれば、行きと帰りの航空機が逆だったら、おそらく名古屋の中心街遊覧飛行は楽しめなかったかも知れない。
▼セントレア(名古屋新国際空港)はとても行き届いた空港で、食事のできる店がふんだんに入っていて、目移りした。お土産もあれこれ選ぶことができたし、トイレも広々としたスペースを確保して、荷物を持ち込んだ人でも安心して用を済ますことができそうだった。ちなみに犬山からセントレアまでは直通の電車が通っていて、乗り継ぎがなかったこともあって景色を見る前にグーグー居眠りしてしまい、記憶がない。
▼ついでに犬山城のことを書くと、この城は各階に行き来する階段がとても急な作りになっていた。理由があるのかも知れないが、この城の殿様やお姫様は、あれでは上り下りが大変だったに違いない。さらに最上階では素晴らしい眺めを楽しむことができたが、その眺めを楽しむ「テラス」は、高所恐怖症の私にはあまり楽しいとは思えなかった。ガイドのおじさんから笑われてしまった。
▼愛知県には母方の兄(叔父さんに当たる人)がいて、連絡すればきっと案内してくれたと思うが、旅は自由な気分を味わうものだろうから遠慮した。いろいろ詳しい場所を教えてくれただろうけれども、不便を承知で、それでも1人で十分楽しめた。
▼教会学校の子どもたちに「愛知県の明治村に行くけれども、お土産なにがいいかい」と尋ねたら、間髪入れずに「中日ドラゴンズの帽子がほしい」と言われ、ずっこけた。明治村のお土産と言ってくれるものと思っていたが、子どもたちにとって愛知県行きはナゴヤドーム行きと同じ意味なのだろう。帽子は買わなかったが、ドラゴンズのストラップを買ってきたら子どものように喜んでくれた(事実子どもです。笑)
(No.342)08/02/17
▼ひょんなことから知ったこと。ドコモのFOMA(フォーマ)は、一度に受信できるメールの文字数が5000文字なのだそうである。それならと、パソコン用の説教のメルマガをケータイのアドレスで登録して、パソコン用の原稿(約3000文字)のままケータイにも配信してみた。すると難なくFOMAではパソコン用のメルマガを受信することができた。
▼ケータイは非常にすぐれた機器である。買い物の支払いもエディ機能で「チャリーン♪」と済ませることができるし、空港のチェックインでも最近利用できることが分かった。長崎市内のバスでも、バス専用のスマートカード機能をケータイに持たせることもできるようだし、他社のではあるがキーボードまで備えた電話機も見たことがある。
▼そう考えると、これから進歩していくのはもしかしたらパソコンなのではなくてケータイなのかも知れないと思った。パソコンはどんなに小さくしても持ち歩けるものではない。ノートパソコンもあるが、少なくとも私は持ち歩いて家に帰ってきた頃にはすっかり肩が凝っているという苦い経験がある。大学ノート一冊の重さと厚さのノートパソコンは、しばらく登場しそうにもない。
▼そうすると、発想の転換が必要になってくるかも知れない。説教のメルマガを本当の意味で手のひらに届けるためには、パソコンへの配信ではなく、ケータイに届くほうをもっともっと研究しなければならないのかも知れない。FOMAの利用者は、ケータイメルマガの利用者のほぼ9割に達していると聞く。これだったら、本来の3000文字説教の配信先を、積極的にケータイユーザーに広めていく方向で進めていいと思う。新しい展開が見えてきそうだ。
(No.343)08/02/24
▼明治村の見学で撮影したデジカメ画像をようやく現像に回した。できあがったものを模造紙に貼って、大明寺教会で展示することにしたが、模造紙に貼る仕事を教会学校の子どもたちに手伝ってもらうことにした。実はこうして教会学校を1回サボったのだが。
▼模造紙の上には、あらかじめ割り付けのためのスペースをマジックで囲んで用意し、そこに割り付けて欲しい写真も無造作に置いて子どもたちに配置を考えさせることにした。模造紙は2枚あり、1枚は犬山市の国宝犬山城と大明寺教会以外の明治村の写真を配置することにし、1枚を明治村の大明寺教会聖堂だけに重点的に使用することにした。
▼もろもろの写真を貼る模造紙には明治村とこうじ神父が書いたが、大明寺教会を特集する模造紙には子どもに題字を書かせようと思い、「誰か書いてみないか。○○、書いてみるか?」と向けると、まんざらでもなさそうだったので任せることにした。すると、「大」は問題なく書いたのだが、続けて「寺」と書いてしまったから大騒ぎ。「大明寺教会って、まともに書けないわけ?」とほかの子どもから突っ込まれ、たじたじ。上から紙を貼り、「明」と書いて続きを書かせた。花を持たせようと思ったのが裏目に出てしまった。
▼区画ごとに写真の配置を決め、分担してセロハンテープで貼り付けるのだが、写真の配置をやってみたい者はいるかと聞くと、みんな尻込みしてなかなか手を出さない。この子が良かろうと思う子がいた。「やってみるか」と言うと、迷わず写真をにらみ、パパパと配置を決め、「さああとは貼り付けてくれ」と指示を飛ばし始めた。あの子には特別なリーダーの資格があるのかも知れない。
(No.344)08/03/02
▼昨晩、愛する妻を亡くした人の通夜に参列した。その方は、長い闘病生活をまっとうし、若くして神さまのもとに旅立っていった。妻を亡くしたご主人の2つの姿を見た。通夜の式中見た夫であり子どもの父親としての背中と、参列者に挨拶をしている時の涙の溢れる姿。
▼どちらも偽りのない姿だと思う。もっともっと長く一緒にいたかったという気持ちと、これからは子どもに母親の分も愛情を注いでいこうという父の姿が痛いほど伝わってきた。私はなかなか言葉が見つからなかったが、「知らなかったとは言え、お見舞いにも行けずにごめんなさい」と喪主であるご主人に声をかけた。
▼「10年間病と闘いました。一時は快方に向かっていたのですが、最近再入院してそのまま逝ってしまいました。もっと長く一緒にいたかったんですけど」。ご主人は最愛の妻と一緒にその長い10年間を病と闘ってくださったのだろうと思った。だから、奥さんはきっと感謝の言葉を残して神さまのもとに旅立ったに違いない。
▼亡くなった奥さんは、神さまのもとで生きていると思う。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)。来週の福音の箇所だ。この神の命は来世で与えられるのではなく、今この世で与えられ、それが神のもとで完全に満たされると私は信じている。
▼父親が、母親の役もこれから果たしていく。大変だなぁと思う。子どもさんが愛情をいっぱい受けて、この悲しみをいつか思い出として語ることのできる日が来ればと願う。生きておられる間に奥さんを見舞うことができなかったが、日曜日の11時15分からの葬儀ミサに合わせて、永遠の安息をミサの中で祈ろうと思う。もし、祈ってくださる方がおられましたら、一緒に手を合わせていただければ幸いです。
(No.345)08/03/09
▼2月25日から、一定のカロリーの中で一日の食事を収めるように努力している。だいたい2100kcal。あまり運動しない30代40代男性の摂取カロリーから150kcal差し引いた量だ。これまでが活発な運動習慣を維持している人のカロリー分食べていたところからドーンと落としたので、常にお腹が空いている。それでイライラしている時すらある。
▼最近単品のおおよそのカロリーが分かるようになってきた。ご飯一膳252kcal、パンにバターを載せると233kcal。皿に盛りつけた野菜が50kcal、トマト半分、キウイ半分、いずれも15kcal。素うどん350kcal、パスタメニューはおおよそ650kcalなど。カレーやカツ丼は、おいしいだけにかなりのカロリーになる。
▼最近までもりもり食べた上に間食を無制限にしていたことを思うと、早めにセーブしようと決心して正解だったと思う。生活習慣病になってからしぶしぶ食事制限を強要されるのでは悲しすぎるからだ。満腹まで食べたい気持ちはあるが、もうそれは思い出にしまってしまおうと思っている。
▼そろそろ体重も落ちなくなってきた。はじめは1kgストーンと落ちたのだが、今はそれっきり見える変化はない。ところが、船の乗り降りの時、巡回教会に籍を置いているある信者が、隣にいる友だちとひそひそ話をしているのが聞こえてそれが嬉しかった。「神父様ちょっと痩せてきたんじゃない?」ひそひそ話で言っているのだから、お世辞でないことは確かだ。
▼「分かるー?砂糖を一袋、置いてきたんだ」そう言いたかったが自分一人で喜びをかみしめることにした。自分で決めている範囲内で、どうやって楽しく食べるか。今はパズルのように楽しんでいればそれでいいと思う。単に体重が減ったから健康になったというわけでもないし、そういうものはいちいち気にせずマイペースで続けたい。
(No.346)08/03/16
▼連続テレビ小説「ちりとてちん」に出てくる「四草兄さん」が得意にしている(と思っているが)「算段の平兵衛」は、私にとって非常に興味深い人物。考えてみれば「算段」を駆使するさまは、自分自身の日常生活に重なる所があって他人事とは思えない。
▼黙想会中のことだった。説教師に招いたのはかつてこちらの小教区の主任司祭をしていた神父さま。懐かしい信者は喜んでもらおうととびきりおいしい魚を差し入れに来る。おかげで平目(ヒラメ)はじめ、さまざまな海の幸に舌鼓を打った。
▼ただし料理をさせられる賄いはたまったものではない、毎日「鯛や平目の舞い踊り」となれば、目も回る忙しさになる。つい愚痴もこぼれる。「包丁が切れなくて、大変だわ」。それを聞いて私はまず一言。「包丁が切れれば包丁が切れて怖くて使えないと言うし、包丁が切れなければ切れなくて困ると言う。いったいどっちなの?」
▼さすがに言いすぎたかと思い、包丁をすべて砥石で研いであげることにした。そこで一計。包丁を研いだふりをしたらどう反応するか、様子を見てみることに。砥石を十分ぬらし、包丁をすべてその脇に置いて、次の料理を待った。案の定、こんな答えが返ってきた。「包丁研いでもらったおかげで助かりました。よく切れるようになっています」。
▼「包丁が切れるようになったね。それ、研いでないよ」「え!じゃあどうしてこんなに並べて置いてあったんですか」「本当に包丁を研いでいるかどうか、使って分かるかなと思って。分からないようなので、これからはまじめに包丁を研ぎます」。これからは違いが分かるようになるだろうか。「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。イェー」。
(No.347)08/03/20
▼聖週間(受難の主日)が始まると、たいていの司祭は説教で大忙しになる。本来は、ふだんよりももっと静かな時間に自分をおいて、黙想を深めるべき日々だが、結果としては説教を木・金・土・日の4連続続けるのでそのことで頭はいっぱいになり、たくさんの時間が奪われることになる。本末転倒のような気がする。
▼準備のことで私は深く考えさせられたことがある。神学科3年生の1年間だったと思うが、助祭に進むかどうかの判断を迫られた時、自分はよく準備ができなかったからためらっていると指導司祭に言ったことがあった。
▼すると指導司祭は私の顔を見ながら、「あなたの気持ちでは準備ができていないかも知れない。けれども、神さまはあなたの考えとは違った方法で準備を進めてくださったのだと思います。あなたは助祭に進む準備ができています」と言ってくれた。そう言われて背中を押され、嘆願書を出した思い出がある。
▼準備は、受ける対象についての準備である。洗礼を受ける準備、堅信を受ける準備、復活祭に向けての準備。さまざまあるだろう。けれども、私たちが準備している対象は、じつは神がその恵みを与えてくださるのであり、突き詰めれば人間の準備に左右されたりはしないとも言える。神が恵みを与えるために、神が準備もしてくださるという考えである。
▼そう思えるようになれば、私たちはできることを精一杯しておけばそれでよいのだと言える。準備が足りなくても、人間が人間に恵みを与えるのではないから心配しなくていい。そう考えると、188殉教者の準備も、あまり力まなくてもよいのかも知れない。福者の恵みを与えるのは神であって、完璧な準備をすることで人間が恵みを創り出すのではないのだから。浮き足だってはいけない。
(No.348)08/03/21
▼聖なる三日間の典礼も、時代の流れなのか、参加できる人が限られてきている。日曜日に欠かさず出席する人でも、夜7時からの典礼になると参加できない人がいる。おそらく、その人は夜7時20分の船に乗って島に戻ってくる人なのだろう。5時きっかりに仕事を終えることができる人は参加できるのだろうが、そんな職場に勤めている人はごくわずかである。
▼そうであれば、夜8時からに変更すればいいのかというとそういうわけにもいかない。高齢者の人は夜8時に組めば帰りが遅くなると心配して来ることができなくなる。やはり夜7時に組むしかないということになる。聖金曜日などは、午後3時に典礼を組むのが原則だが、そんな時間に受難の典礼を組んだりしたら、本当にその場で受難に遭う人くらいしか参加できないということになるかも知れない。
▼いろんな矛盾や悩みを抱えながらも、聖なる三日間は進んでいく。それは、イエスが十字架に張り付けになったその時の事情と重なるような気がする。あの日、全世界がイエスの出来事に注目していたわけではない。全世界にテレビ中継されていたわけでもない。ごくごく限られた場所で起こった出来事だった。
▼その日のその時間に、すべての人が同席することはできないし、その必要もないかも知れない。けれども、その日その時間の出来事が、誰にとっても大切な意味があることは、時間がかかっても、手間がかかっても、見返りがなくても、告げ知らせるべきである。そうして、あの日あの時の限定的なニュースは、今全世界で知られるようになった。
▼だから、すべての人が参加できるような算段は、無理する必要はないと思えるようになってきた。この日の出来事を意識している人は、午後3時に何をしていようとも思い出すだろう。それが話題に上れば、立派な出来事の参加者ではないだろうか。そう自分に言い聞かせて、しっかりと目の前の典礼に集中したい。
(No.349)08/03/22
▼一度行き違うとなかなかもとには戻れないものだ。電話の応対で、私が話をややこしくするようなことを尋ねたことで、すぐに受話器を置ける話が10分以上のやりとりになってしまった。今になってみると私の方に非があるのだが、すぐに分かってもらえると思っていただけにいまだに残念な思いに駆られている。
▼くれぐれも念を押しておくが、この話がもとで復活徹夜祭の説教ができたわけではない。結果的に同じ話になっただけである。その電話の相手とは翌日すぐに会うことになって、司祭館で会うこともできたが、司祭館までの道が分からないかも知れないと思い、ターミナルまで迎えに行った。
▼3人で船を下りた一行を車に乗せ、車の中で電話がうまく伝わらなくてと言って、島は初めてですかと尋ねたら、「神父さん去年わたしたちは司祭館に来て、お願い事をしていきましたよ」と言われた。何も覚えていない。その瞬間にこれは失礼なことをしたと思い、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
▼ところが行く手にはちゃんと復活したイエスが立っていてくださるもので、気を悪くしたであろうことも顔に出さず、和やかに接してくれた。次に会うのはいつかも分からない出会いでは、その瞬間にしくじってしまうともう取り返しがつかない。イエスはそんな時にも行く手に立って、力を貸してくださる。
▼ようやく、聖週間のゴールが見える所まで来た。このメルマガが349号、明日の復活の主日が350号となる。2002年の3月10日付第1号から概算で、6年間メルマガを続けてきたことになる。まだ長いフルマラソンの序盤だと思っているが、これからも何度も復活の喜びを迎えながら、メルマガと付き合っていきたい。読者の皆さんの応援を、よろしくお願いいたします。
(No.350)08/03/23
▼あー、朝の5時半。昨晩11時に復活徹夜祭が終わり、それからちょっとだけ乾杯して、うー、それでも明日の説教を考えなきゃーと思って机に向かったものの、30分ほどでダウン。布団に潜り込み、気が付いたら3時半。ひぇー!それからうなり声を上げながら考えあぐねた結果が今日の説教です。
▼助けられたーと感じたのは、3時半に目が覚めたこと。6時までぐっすり眠る可能性もあったわけだから、神さまは優しいなぁと思いました。けれども神さまは厳しさも持っているわけで、目が覚めたらあっという間に書けましたとはいかず、今日は寝不足です。
▼「わたしたちにその意味を教えてください」という部分では、説教の準備を再開した時自分一人で何とか形を付けようとあくせくしていた時間にはいい答えは見つからず、「このままだと信徒の皆さんに申し訳ないなぁ」という気持ちになった時、それが「(馬込の)わたしたちにその意味を教えてください」という願いとなり、答えが見つかったのかも知れない。そう思った。
▼まだ、まだまだ息の抜けないことばかり。15日の締め切りを過ぎてできていないものがあるし、25日の締め切りのものが2つ控えている。これは何かで気分転換でもしなければやってられないと思っていたら、ステーキが長崎本土から海を渡ってやって来た。うー。これを食べて気分転換しよう。でも、700kcalだなぁ。
(No.351)08/03/30
▼説教の原稿を書こうと思った時、まだ夜の7時半頃だったので、「あー、これは12時前に眠れるな」と思いながら解説書を読んでいた。実際この時間なら、12時をまたぐことはないだろうと思っていた。ところが体は思った以上に参っていて、思いに体がついてきてくれなかった。
▼似たようなことはほかにもあって、天ぷら定食を頼んで、さあ食べるぞと思って天ぷらを箸に取り、つゆに浸したのだと思って口に運んでみると、何と天ぷらを冷たいお茶に浸けて食べようとしていたのだった。テーブルの向かいに座っていた人が、「いやー、お茶に浸けたあと、どうするのかなぁと思ったら、口に運んだなー」と、疲れている私をねぎらうように声をかけてくれた。
▼餃子を食べるために「餃子のタレ」を準備してみると、関係のないものを餃子のタレに浸けて口に運んだこともあった。「うー、酸っぱい・・・」そう思ったが口から出すこともできず、気まずさと、自分に対する腹立たしさで、餃子の代わりに惨めな思いを味わった。こんな自分が許せないが、「単なる間違い」では済ませられないのも事実である。
▼どこかで耳にした言葉だが、「人間は人生の半分は自由が利かなくなった体をだましだまし生きなければならない。自由が利く時間なんてあっという間に終わってしまう」のだそうだ。認めたくないが、現実は足もとまで忍び寄ってきている。
▼認めたくないものも認め、前に進むしかない。こんなはずではないと思っても、目の前にいる自分しか、ほかにはいないのだから。また朝が来れば、1日が始まる。午前中のミサ、午後の命日祭のミサ、夜の実行委員会会議。その他もろもろ。いつまでたってもどこまで行っても相変わらずの忙しさだが、何か慰めも待っているだろうと思いつつ、いったん布団に潜ることにしよう。
(No.352)08/04/06
▼選抜高校野球の決勝戦を見ながら説教を書いていた。「ながら」はよくないのだが、9年前に選手で選抜優勝した若い監督率いる沖縄尚学がまたもや優勝するかという興味の尽きない試合だったので、ついついはまってしまった。結果はご承知の通り、「選手で優勝、監督で優勝」という、何ともドラマチックな結果になった。
▼最近高校野球を見ていると涙が出そうになる。何とも情けない話だが、高校生がはつらつと試合をしているのが、涙をそそるのである。それだけでもおじさんになったのだと痛切に感じるのだが、涙が目にたまってくるうちに、野球ではなくてもっと違うことで泣きたい気持ちになっていることと重なり、つらくなる。
▼泣いたり笑ったりが人生ではあるけれども、うれし泣きではなく別れの涙はやはりつらい。どうしても別れなければならないこともあるだろうけれども、それを知った上で明るく振る舞うのは胸が引き裂かれる思いがする。一日でも、やはり別れは先に伸びてほしい。高校野球を観戦していたのに、いつの間にか違うことと重ねて考えていた。
▼しかしどうしても別れなければならないのであれば、準備をしておいた方がよいのだろうか。準備をすれば、別れなければならないことを表に出すような気がして、失礼になるのではないかと思ったりもする。別れることではなく、今を大切にすることのほうが大事ではないのかとも思い、悩ましい。
▼知らせなければ「なぜ知らせてくれなかったのか」ということになるだろうし、知らせると「こんな場にふさわしくない」という思いもある。一週間に一回の書き込みが、ずっと同じ話題の経過報告では申し訳ない。もう少し考えてから、あるいはいよいよの必要を感じたら、ここでもお知らせするかも知れない。
(No.353)08/04/13
▼「今日かも知れない、明日かも知れない、3ヶ月後かも知れない」というような事態に準備するのは、どんな心境なのだろうか。最近の事例では、福岡教区の新しい教区長任命がそれに近い心境だったかも知れない。2年ほど前に当時の教区長が亡くなり、今か今かと待ち続けてようやく次の教区長が任命された。
▼それでも、今回の人事でまたもや大分教区には「司教空位」の期間が発生するわけで、大分の教区民は「今日か、明日か、何ヶ月後か、来年か」そんな待ちかたをすることになる。それは身を焼かれるような思いが、長い期間続くことを意味する。神はこの期間を使って、何を教え、示そうとしているのだろうか。
▼こうじ神父にも、今まさに身を焼かれるような事態が起こっていて、「それはいつになるのか、3ヶ月後か、半年後か、年内いっぱいか、あるいはそれ以上か」誰にも分からないまま日々を過ごすことになりそうな気配である。こんな時、どんな心でいたらいいのだろうか。その日が今日であっても、来年であっても、心は平安で満たされている。そんな境地は、どうすればたどり着けるだろうか。
▼心の準備をするのもどうかなと思えるし、かと言って何もしないでその日を迎えるのも悔いが残るのではないかと思ったり、本当に身を焼かれる思いがする。どうにもできないのだけれども、何かできることはないのかと、本当に悩む日々になりそうだ。「明日のことまで思い悩むな」(マタイ6・34)。その通り、と腹を決めることが、今の自分に可能だろうか。
(No.354)08/04/20
▼今週は種々雑多な話。ひんぱんに乗り降りする高速船「コバルトクイーン」に携帯電話を忘れた。原因は、高島の役員から電話がかかり、信徒が亡くなったので、通夜と葬儀ミサの日程を組んでほしいという伝言を受けたことに始まる。日程を思案していると携帯電話から電池切れの警告が聞こえてきて、「かけ直すから」と言っていったん電話を切った。たまたま、持ち運んでいた携帯電話の電源コードがあったのでこっそり高速船の電源コンセントの場所に差し込み、電話をかけ直して話を済ませた。
▼ところが、いざ船を降りる時には携帯電話のことは忘れてしまい、電源コードに差したまま忘れてきたというオチである。船を降りて慌てて連絡を取り、携帯電話を確保してもらったが、船員さんは「この人は勝手に船の電源から充電している」と思ったに違いない。実際、電源コードを差したまま放置してきたから、伊王島→高島→伊王島→携帯を忘れたことを思い出した→大波止→伊王島と走って船が伊王島に戻ってくるまでかれこれ1時間くらいは充電したことにはなる。印象を悪くしてしまった。
▼携帯電話は、何としても取り戻さなければならない理由があった。個人の電話番号もあったし、メールの内容も個人情報。さらに、今回の携帯は「お財布ケイタイ機能」を組み込んでいるため、コンビニで数千円分の買い物ができてしまう。この携帯を拾った人が悪意のある人であれば、大変なことになっていたところだ。
▼携帯版の説教メルマガ(2000字に縮小したもの)を発行しているが、読者に「最近の携帯は5000字まで受信可能なので、PC版のメルマガを携帯で受信すれば本来の説教が読めます。希望者は携帯のアドレスをこうじ神父に連絡してください」と案内したら、すぐに8人連絡してきてくれた。確実に読んでくれているという証しでもあり、縮小版ではない本来の説教を読みたいという人がいるという証しでもある。大いに勇気づけられた。
▼財布にあれこれ入れている会員カードやポイントカードを点検してみた。するとポイントカードのうち2枚は、期限切れになっていて使うことなく処分となった。ミスタードーナツのポイントカードはそんなに惜しいとは思わないが、JRのパスネットはまだ数百円残っていたのに、どうやら2008年の3月14日で使用できなくなるらしい。惜しいことをした。関東で利用できるパスネットをなぜ所持しているのかって?それはヒミツ。
(No.355)08/04/27
▼5月連休を前に、ひょっこり五島に帰り、父親の様子をのぞきに行った。日帰りの強行軍、例えて言えば東京から飛行機で2時間の土地に日帰りするようなものである。帰ってきてから後悔するのだが、日帰りはあとで疲れがどっと出るのでやめておけばよかった。
▼前の日に時間を明記してFAXして出かけた。心配なので様子を見に行ったのだが、本人は今後の運命を神さまに委ねきっているのか、いたっておだやかな様子だった。「急に見舞いに来たりしてどうしたんだ?」と言われると、何も言えなくなってしまう。
▼この日のために「自分史」を書くためのノートを用意して持って行った。いつ話をして渡そうかとそのことばかり気にしていたがとうとう最後まで話を切り出すことができず、「これを置いて行くけん」と言って渡しただけで、詳しい説明はできずじまいだった。その場で「自分史」のノートであることは確かめてくれたが、それ以上は触れることができなかった。
▼いろいろ心配していたことを聞き出したかったのだが、結局は4、5時間ほど自分が実家で羽を伸ばしてきただけのような見舞いだった。2年前の父の日に合わせてマッサージ器を買ってあげたがだれも使わないので、この前も自分が全身マッサージコースを3回も繰り返して使って帰った。
▼これからも、無理してでも帰って様子を見に行ってあげようと思う。心は離れていないと言っても、その場にいてあげることは何にも代えがたいと思うし、中学に入る時からずっと世話になりっぱなしだったから少しでも親孝行しようと思う。帰り際、父親に「おおきに」と言われたが、父親にそう言われたことが何だか寂しかった。
(No.356)08/05/04
▼こうじ神父は「方言」に特別な執着がある。方言でなければなかなか表現できない言い回しがあると思っている。郷里の方言で「あよー(あおー)」とか「あよなー(あおなー)」という言い方があるが、これを標準語でどう言い換えるか、適当な言葉が見つからない。私の記憶では、「あよー」は「何とまぁ」で、「あよなー」は「たまらなくイライラする、何とまぁ」ということになる。
▼当然、方言に執着を持つ私は、伊王島の方言をひそかに収集しようと試みている。方言の収集源は、76歳のおばあちゃんである。だがこのおばあちゃんがなかなか方言を口にしない。うっかり口を滑らせないと言った方がよい。そこでしかたなく、方言が出るような会話に持って行くことになる。そうしてようやく、2つの方言(厳密には3つ)を聞き出すことができた。
▼1つは、「なっきー」という言葉。いわゆる足の「すね」のことらしく、語源は「泣くほど痛い場所」らしい。標準的な使い方は「この前なっきーば思いっきり打ってさ。あざになっとっとばい」。これはなかなかお目にかかれない掘り出し物の方言だと思う。方言によっては多少の揺れはあるものの(例:うすらごと→「うそ」の意。「うっすらごと」「うーすらごと」とも言う)、共通しているものも多いからだ。
▼もう1つは、「ちけ」という言葉で、「ちけ持ち」という使い方があり、雨降り前に起こる偏頭痛持ちのことらしい。もしかしたら差別用語ではないだろうかとの心配もあるが、まぁ、ここでは論議しないでおく。実は水曜日の夕方、私が原因不明の強烈な頭痛に悩まされ、2時間何もできなかったことを76歳のおばあちゃんに話したところ、「神父さまはちけ持ちなんですね」と言われた。ここで意味が分かった。
(No.357)08/05/11
▼いよいよその時が来た。父が肺ガンを発病し、今年1月にほぼ末期と言える状態であることが判明した。それから3ヶ月、手術への道を信じて抗ガン剤の点滴を受けたが、手術可能なまでにはガンは縮小しなかった。さらにガンは転移し、副腎を肥大させ、残りの時間も少ないことが分かってきた。
▼金曜日のミサに選ばれていた福音朗読は、ペトロがイエスに「わたしを愛しているか」と問われる箇所だった。復活のあとの出来事という設定だから、ペトロにとって最高法院でイエスを三度知らないと言い、十字架のもとから逃げてしまったあとである。ペトロにとっては逆境の中での問いかけだった。
▼ところが、ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」(ヨハネ21・15)と答えている。ギリシャ語での正確な意味合いはここで問わないことにして、ペトロが逆境の中でそれでもイエスを愛していると答えたことに心を打たれた。感動したと言うよりも、私は今その言葉にためらいがあるからだ。
▼今月なのか来月なのか、あるいは再来月なのか、いずれにしても聖母被昇天頃までには父とこの世の別れをしなければならない。こんな状況の中で、「わたしを愛しているか」と問われているのだ。「はい、主よ」と、ためらわずに答えられるとは正直言えない。何とかなりませんか、何とか避けることはできませんかと、そのことしか頭には浮かばない。
▼聖体拝領と病者の塗油の秘跡を授ける準備をして木曜日に見舞いに行った。これまで何十回も、中には明らかに黄疸が出て、最期が迫っている人を前にしても、平常心で病者の塗油の秘跡を授けたが、さすがに木曜日は声が震え、祈りを唱えながら何度も言葉に詰まった。父は秘跡を受けて涙を流し、それを見た自分ももらい泣きをしてしまった。
▼今になってみれば、髪の毛がすべて抜けてしまう前に、いろんな写真やビデオを撮っておけばよかったと思う。まだ生きているのだし、悔やむのは早すぎるわけだが、ほとんどこれといったことをしてあげられなかったのではないかと胸を引き裂かれる思いがする。
▼木曜日に見舞いに行く時に、途中で「あー、ミサの準備をしていけばよかった」と心底思った。できれば来週にでも、ミサの準備をしてもう一度見舞いに行こうと思う。故郷の鯛ノ浦教会でのミサは記憶に残っているだろうが、本当に父を前にしてのミサは一度も捧げたことがない。その記憶も父に残してあげたいと思う。
(No.358)08/05/18
▼父親の残りの時間もいよいよ短くなってきたようだ。担当医も、そのことを認めざるを得ない状況だと教えてくださった。また、今週のどこかで、水曜日か、木曜日かに上五島に帰り、病室でミサを捧げてあげたい。今度は、私が長男息子であることを分かってくれるだろうか。
▼いつどんな状況になっても親は子供のことが心配なようで、一人ひとり思い出しては、「あいつはとうとう結婚できずに終わるのだろうか」とか「どう言ってあげればあいつはおれの言うことを聞き入れてくれるのだろうか」とか言って、さんざん家族の心配をしていた。自分の心配は最後までしないのかも知れない。
▼皆さんは、両親とお別れしなければいけないというその日を考えてみたことがあるだろうか。特に長男、長女の方は、お別れの時に何を言おうか、どんなことを言葉にして集まった人々に最後の様子を知らせようかとか、考えてみたことがあるだろうか。こうじ神父は、ここ数年の間、「母のお別れのあいさつ」については考えたことがある。
▼具体的に、どんな説教をするかまで、考えている。それはある意味、まだまだ時間があると思っているので、考える余裕があったのだろう。もしかしたら、年齢から言っても順番が先に回ってくるだろう父の将来を予想するのが怖くて避けていたのかも知れない。今は避けることなく、考えなければならないところまで来た。
▼すでに何度か、父の葬儀を果たしている先輩を見てきている。いろんな話を説教の時にしている様子を実際に聞いている。ただ、いずれの場に立ち会っても、しっくりとは来ない。もしかしたら、今まででいちばん身近に感じたのは、一年後輩の司祭が説教した時の経験が自分には一番近いかも知れない。
▼今思い出せることは、謝っても謝りきれないことばかりだ。「バカな息子を赦してほしい」という題で説教したいくらいだ。せめて、最後の親孝行に、父について精一杯の見送りの言葉を用意してあげたい。そして、会話が成り立つ間に、少しでも最後の言葉を聞き取ってあげたい。
(No.359)08/05/25
▼月に1度、教区の広報紙「よきおとずれ」を発行するために委員と集まっている。今月はひんぱんに父親のもとに帰ったりしたために、紙面準備の多くを手伝ってもらった。まさに「おんぶに抱っこ」の状態だった。こんな仕事柄、身内の家族のことを引きずってはいけないのだが、編集委員には相談にまで乗ってもらって、本当に助けられた。
▼この教区報「よきおとずれ」には、「みことばとともに」という箇所がある。1面ではあるが、もしかしたらほとんどの人がこの箇所に目も留めていないかも知れない。けれどもこの箇所もそれなりの思いを込めて選んでいる。6月号のためには、マタイ26章36節「イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、『わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた」を選んだ。
▼全然、何を意図して選んだのか分からないかも知れない。6月は、「イエスのみ心の月」と呼ばれている。そこで、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた弟子たちが、イエスの思い(み心)をどう考えたのだろうかと思ったのである。
▼実際は、弟子たちは眠ってしまい、イエスから「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(26・40-41)と叱られている。それでも、私は弟子たちをかばいたいと思っている。
▼「あー、どうしよう」「あー、このあとどうなるんだろう」私たちもこのような思いは経験したことがあると思う。眠れないという人もいるだろう。ところが私は、「どうしよう」と思ってもすぐ眠ってしまうタイプである。悩んでも、3分ともたない。だから、あの時弟子たちが眠っていたのは、何も悩まなかったのではなく、私と同じタイプだったのではないかと考えるのである。
(No.360)08/06/02
▼私は亡くなった父・輝明の長男息子です。ごらんの通りカトリックの神父になり、今こうして父の通夜と明日の葬儀ミサを勤めることになりました。私はテレビドラマの1シーンのような、母と子どもたちに最後の言葉を残して去っていくことを空想していましたが、実際にはこれといった遺言も遺してもらえませんでした。
▼5月に入ってから都合4回見舞いに行きました。その1回目、病者の塗油と聖体拝領をさせながら、「どうしてミサの準備を調えてミサをしてあげなかったのだろうか」とものすごく後悔しまして、その次の回からはミサの道具をそろえて病室でミサをするようにしました。
▼金曜日は、「イエスのみ心の祭日」でした。父は、ミサをささげながら、もうすぐそこに近づいていた「イエスのみ心」を受け入れました。翌日のミサは、「聖母の訪問の祝日」でした。マリアさまが父を迎えに訪ねてきてくれたと思います。そして今日から始まる6月は「イエスのみ心の月」です。いよいよ、イエスのみ心を受け入れて、旅立ったのかなと思いました。
▼お集まりの皆さまとの関わりは、何を話したらいいのでしょうか。「輝明とアキラと正一」から話すのがわかりやすいでしょうか。中野では、「輝明とアキラと正一がその辺にいなかったら、どこで悪さをしているか気が気じゃなかった」という話を聞いたことがあります。エイプリルフールに「ケーキ」と嘘言って箱に入れたカエルを渡したりするようなイタズラをしていたそうです。その輝明がとうとう「どこにいるかわからない」から「約束された場所」に行くことになりました。まさか約束の地に行ってまでいたずらはしないだろうと思っています。
▼「金曜日が山場です」と担当の先生に言われていましたが、その山場も乗り越えてしまいました。意識は無いはずなのに、手を動かしたりまばたきをしたりして、最後の最後まで子供たちに期待を持たせてくれました。
▼私が病者の塗油を授けると、その人はたいがいすぐに神さまのもとに呼ばれるのですが、5月7日入院の日にも、5月30日金曜日の「イエスのみ心の祭日」に授けた時も、天国に行くどころか元気を取り戻すような感じさえしました。よく頑張ったなぁと思います。聖パウロの言葉を借りるなら、「世を去るときが近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです」(2テモテ4・6-8)という感じでしょうか。「神さまが決められた道」を、必死に歩き通してくれました。
▼気の短い人でしたし、「おどか人」でもあったので、中野の皆さんはじめ地域の人には多大な迷惑をかけたかもしれません。父に代わってお許しを願いたいと思います。ずいぶん憎まれ口を叩いたようですので、お願いするのも気が引けますが、私に免じて父のためにお祈りをお願いいたします。
▼母が残されてしまいました。母にも声をかけていただければ幸いです。
(No.361)08/06/08
▼伊王島に戻ってきてからも、後から後から香典をいただいている。人々の温かい心に触れ、葬儀の時以上にじわっと涙が溢れてくる。そう言えば、あとから父を失った悲しみが襲ってきた。神さまのもとに送り届けたその日よりも、あとになってからのほうが悲しくつらいのはどうしたものだろうか。
▼一週間経った今週の説教でも、「父が泥まみれになって家族を養ってくれたこと」を話していて、うっかり涙が出そうになった。ここは「振り返り」であって、「お涙ちょうだい」のつもりで書いたわけではなかったのに、取り乱してしまった。いかんいかん。
▼今回の父の一件で、15年ぶりに兄弟そろって集まった。1人、事情で集まれなかったが、中には本当に15年ぶりに会ったという弟もいた。冗談のような話だが、生きていたんだなぁとしみじみ思った。
▼まとまりのない「ちょっとひとやすみ」だが、これでも2時間かかってようやく思い付いたのがこれだけ。最後に、今回父のためにメルマガの読者の皆さまからもたくさんの心のこもった弔意をいただきました。この場をお借りして感謝申し上げます。
▼海外からも英文の励ましのメールをいただきました。英検4級の力しかありませんが、返事を書きました。読者の皆さまにたくさん力をいただきました。メルマガを出し続けて本当によかったなと思っています。ありがとうございました。
(No.362)08/06/15
▼先輩の教区司祭たちは海千山千の強者たちばかりだと思う。中浦ジュリアンを取り上げた説教で、「わたしはローマに行った中浦ジュリアン神父である」と自分を証ししたことが心に響いたなぁと言いながら昼食の会場に入ったが、食事中はその話題が思わぬ展開をすることになった。
▼「わたしはローマに行った中浦ジュリアン神父である。さすが中浦ジュリアン神父だね」「いやぁ、○○さんも負けてないでしょ。○○さんなんか、3回はローマに行ってるもん」「わたしはローマに3回行った○○○○神父である。どうね」。茶化しているのか本気なのか、こうやって食事の席を和ませている先輩方には恐れ入った。
▼今年の黙想会を終えてみて、1つのことに気付かされた。黙想会は、発見の場だと思う。何か小教区での司牧活動に行き詰まりを感じている時、司祭としてさらに力を得たい時、黙想会で立ち止まって考え、十字架のもとにたたずみ、発見を得てまた任地に帰っていく。その大切なひとときなのだと思う。
▼大切なひとときなのだが、黙想会で本当に何かしらの発見をするためには、黙想会に集まるまでに現場で問題点や自分の不足欠点に悩み苦しむというこれまでの真剣な歩みが前提になっているはずである。前提となるこれまでの生活が、何となく暮らしている、お気楽に暮らしている、問題意識もなく暮らしているのであれば、黙想会に行っても発見などあるはずがない。
▼今年も、葬儀などが飛び込んで最終日まで留まることのできなかった司祭がいた。彼らが急いで準備して小教区に戻る姿を見ていると、黙想会に来るまでが本当は勝負なのだとつくづく感じた。そんな反省に立ってみると、落第点だったなと言わざるを得ない。
▼告白ついでに、黙想会最終日の前日、カタナでぶらっと島原教会に行ってきた。殉教者をたくさん輩出した雲仙・島原。ここに足を止め、しばらく祈り、自分のこれからの歩みのために取り次ぎを願い求めてきた。有意義な単独ツーリングだったが、激しい筋肉痛は今も肉体から去っていない。
(No.363)08/06/22
▼東京の「日本カトリック会館」での研修会のために上京した。2泊3日。木曜日の夜は集まった教区の広報担当者と懇親会の場を用意してもらった。同席した広報担当者の中で、中学生の時に洗礼を受けたという人の体験が非常に鮮烈で心を揺さぶられた。
▼この方は新聞配達中に盲腸になり、何と教会の敷地内でバッタリ倒れ、教会の婦人会に救急車を呼んでもらって、一命を取り留め、それから教会学校の補助員などを経験したりする中で教会との縁を感じて導かれていったそうである。本人も話していたことだが、教会の敷地内で倒れていなかったら洗礼を受けることはなかっただろうし、また教会の敷地内でなければ、救助が遅れて命に関わっていたかも知れない。
▼その方は「倒れたことが縁で洗礼を受けるなんて変な話ですよね」と言われていたが、私は真顔で「そんなことないですよ。パウロは馬から落ちて倒れてから回心したんですから」と言ったら、「ははは。わたしはパウロのようですね」と喜んでくださった。こんな巡り合わせ、神さま以外にだれがセッティングできるだろうか。
▼懇親会が終わり、私は横浜の信徒の方から声をかけてもらって、銀座のバーに連れていってもらった。前回カトリック新聞の諮問委員会の折には歌舞伎町の「エポペ」に連れていってくれた人である。生まれて初めてカクテルというものを飲み、おーこれはおいしい、と舌鼓を打ちながらひとときを楽しんだ。軽食も注文したはずだが、店を出るまでとうとう運ばれてくることはなかった。
▼バーテンダーの1人は、世界大会でも勝利したことのある人だと聞いた。世界屈指のバーテンダーの前で、コチコチになってオリジナルカクテルを飲んでいる中年を想像してほしい。もっと自分を磨いて、どんな場に出ても落ち着いて構えていられる人間に成長したいと、あの時強く思った。
(No.364)08/06/29
▼思いがけない形でオフラインミーティングが実現した。香港からの旅行者で、22日(日)に馬込教会を訪問する予定だった女性が23日(月)にやって来た。日曜日に会えなかったので、どうなったのかと気にしていたが、月曜日の正午頃に電話がかかってきた。
▼日曜日に来ることができなかった理由を日本語でていねいに話してくれた。この女性の電話に最初に応対したのは司祭館に勤めるSさんだったが、彼女は英語はまったく話せないので、訪問者が懸命に話している日本語で用件を聞き、メモを作ってくれていた。渡されたメモによると、20日にその人は来るということだった。
▼「もう一度電話するそうです」。再度電話がかかってきて、同じように日本語で会話していたが、なかなか要領を得ず、"Can you speak English?" と尋ねたところ、"Yes, I can." という返事だったので、英語で話し始めると会話はスムーズに進んだ。正確には彼女は22日に教会を訪ねようとしていた。おそらく、「にじゅうににち」と言ったのを「にじゅうにち」と聞き違えたのだろう。よくあることである。
▼23日の午後3時、ようやくその人が教会を訪ねてきた。英語でいろいろ聞いていると、何と彼女はこうじ神父のブログの読者で、父の訃報を読み、2年前に亡くなったご自分の祖父のことと重なったそうである。目に涙を浮かべながら、悲しかったでしょうと慰めてくれた。彼女は日本語のブログを読むくらい読解力があった。そのおかげで実現したオフラインミーティングだった。もしかしたら父がブログの活動を応援して、引き合わせてくれたのかも知れない。
▼どちらも、英語を話すには話すが、それほど上手とは言えないレベルだった。それなのに、女性は私の話す英語が流暢だと言って、「アメリカに留学経験がありますか」と聞いてきた。おだてられ、うっかり調子に乗りそうになった。実際は、私は言いたいことが十分に表現できず、自分を呪ったくらいだった。もっとスキルアップして、話したいことはちゃんと話せるようにしたいと強く強く思った。
(No.365)08/07/06
▼今、個人的に意地になって続けていることがある。縄跳び。小学生の時に皆さんもよく取り組んだに違いない。42歳のおじさんが今になって縄跳びを思い付いた理由はただ1つなのだが、これが思うようにいかない。最初、1分間飛び続けようと縄を回し始めたら10数秒でさっそく失敗してしまった。
▼そんなはずはないと、再び挑戦するも、30秒程度で中断。それを繰り返しているうちに息が上がり、リズムよくと頭は思ってもオットセイが縄跳びしているようだった。でもこんなたとえを使ったら、オットセイに失礼かも知れない。
▼縄跳びを始めたら、当然昔できていたことはいまでもできるものだと思い込んでしまう。8の字、2重飛び、後ろ飛び、後ろ2重飛び。ほかにも「ハヤブサ」とかいろんな技があるそうだが、実際に飛んでみると先の3種類は飛ぶには飛んだが、後ろ2重飛びはついに飛ぶことができなかった。
▼絶対飛んでみせると意気込んでも、ヤンバルクイナが飛べないのと同じように、オットセイは昔のようにはどうしても飛べない。しかたなく何度も失敗しながら、15分ほど時間を消費してシャワーを使った。その日は体も心も適度な疲れを感じ、夜もぐっすり眠ることができた。
▼思い付いて縄跳びをしたのは6月14日の土曜日だったが、翌日曜日の朝6時半、けたたましく司祭館のチャイムが鳴った。日曜日の朝6時半と言えば、大明寺教会のミサが始まっている時間である。ビックリして飛び起き、玄関に行ってみたら修道院のシスターが立っていて、「もう時間過ぎてますよ!大明寺教会に連れて行ってください」と角を出していた。到着した時にはすでに6時45分、大明寺の信者には寝坊したことを説教中に謝ったのだった。
▼今はようやく「その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6・34)に近づいてきている。とりあえずその日の疲れが翌日、翌々日に出るという状況ではないようである。ちなみに、縄跳びはいちばん効果的にエネルギーを消耗します。ジョギングよりも短時間で同じ効果が得られます。
(No.366)08/07/13
▼ラジオ放送に「FEBC」というキリスト教の放送があるのをご存じだろうか。周波数はAMの1566kHzである。こうじ神父は知ってはいたが、放送そのものは聞いてはいなかった。5年ほど前にインターネットでこの放送のことを知り、放送が終了して、それがカセットテープになったりCDになったりしてから購入する程度だった。
▼先週くらいから、このラジオ放送を聞くようになった。生放送は、その場の雰囲気が伝わり、録音とは違うすばらしさがある。ぜひ聞いたほうがよいと思う。このキリスト教放送局については、ウィキペディアにも紹介があり、聞いてみたくなるような記事が掲載されている。
▼このウィキペディアの記事を読んでいて、別のことに目が留まった。「日本の放送法では宗教放送局が認められていない」という1文である。勉強不足だったと言えばそれまでだが、宗教放送局が認められないのはなぜなのだろうか。法律が悪法なのだろうか。この表記が目に留まってから、「法律を変えたい」とまで思うようになった。
▼もちろん実際には法律を改正することは無理かも知れない。けれども放送に宗教がそぐわないという考え方は、一方的な考え方なのではないだろうか。「番組の一部としては許可するけれども、放送局を持つことはいけません」という姿勢が、なぜか無性に腹が立った。こんな考え方のほうが一方的だろうか。
▼宗教放送局が認可されるようになった社会を想像してみた。朝から晩まで、宗教の宣伝に1つの周波数が利用されるようになるだろうか。私はそうは思わない。もっと健全な放送のジャンルがきっと育っていくと思う。例えば、いのちのはじまりについて、どんな理由があったにせよ、いのちに手をかけてはいけませんと、リスナーに訴えかける。
▼もちろん宗教的な価値観が背景にあるわけだが、それが特定の宗教の宣伝に使われるとは思わない。いのちの大切さを、宗教放送局が堂々と社会に訴えかける。そういうチャンスが与えられるはずである。ある日ある時間だけの放送ではなくて、いつでも、イエスとの印象的な出会いについて放送されている放送局があるなら、それはとってもステキなことではないだろうか。
▼話がそれたが、FEBCは韓国から日本に向けて一定時間(夜)日本語放送を流している。私はこういう活動はもっともっと知ってもらうべきだと思う。この機会に、声を大にして宣伝しておきたい。
(No.367)08/07/20
▼スクーターのバッテリーが逝ってしまい、まったく始動できなくなってしまった。それ以降もキックでエンジンをかけて動かしていたのだが、6月にまったく乗らずに7月2日、キックでエンジンをかけようとしたがどうしても、どうしても、どうしてもかからなかったのでバッテリーを購入することにした。
▼バッテリーをスクーターから取り外し、古いバッテリーの型番をもとに注文をしようということで、プラス(+)のドライバーを1本持って車庫に向かった(これが間違いのもとだったのだが)。いざネジの部分にドライバーを当ててみると、ネジのくぼみが思ったよりも小さく、慌てて司祭館にサイズの違うプラスドライバーを取りに行った。
▼司祭館の玄関に戻ってみると、子だくさんの若い夫婦がおばあちゃんに「拝観できないみたいだね。帰ろうか」と言っている。「うーん、しょうがない」と思って「お祈りしていきますか?こちらで待っていてください」と言って教会に案内した。そして本来の目的のため別のドライバーをまたも1本だけ持って、車庫に戻った。
▼今度はネジのくぼみにはピッタリ合うのだけれども、ドライバーが貧弱で、力を入れようとしてもうまく力が伝わらず、ネジが回らない。天を仰ぐ。するともう1本、役に立ちそうなドライバーを思い出した。取っ手がT型になっていて、効果的に力を伝えられる。あのドライバーならうまくいくだろう。
▼そう思ってまたもそのドライバーを「1本だけ」取りに行くと、先ほど教会に入った家族が「お祈りしてきました」と礼を言って帰っていった。ちょうどよかったなぁと思いつつ、ドライバーを手に取り、車庫へ。今度は成功。カバーを開ける。バッテリー発見。ところが、バッテリーはナットで固定されていて、ナットを緩めないと取り外せない。
▼だんだん頭に血が上りながら、今度はペンチを探してきて、ナットを緩めようとした。すると、ナットの角が、ペンチで傷つけられ、つぶれそうである。再度天を仰いだ。ということは、レンチが必要だ。ここでようやく、「工具セット」を取りに行くことになる。工具セットには当然、ドライバーもペンチもレンチもあったのだが、ものすごく遠回りをしてしまった。
▼ようやくバッテリーを取り出し、「ふーん、この型番なのね」と眺めながら、汗だくになって取り出したバッテリーに文句を言った「世話やかせやがって」。あとは戻ってネットショップを検索し、該当するバッテリーの注文を入れようと机の前に向かったが、取り出したバッテリーはどうやら車庫に置いたままらしい。何とか型番を思い出そうとするも、「CT・・・わからん!」またも車庫に出向くことになった。
▼最終的にバッテリーはYahooオークションで入手となった。通常のショップは「品切れ」「入荷待ち」ばかり。待ちきれず、少し高いと思ったが2580円で落札して手配した。近日中に届くらしい。楽しみだ。それにしてもヘトヘトになった。
(No.368)08/07/27
▼このメルマガを発行してすでに368号となっています。全部読み続けているのは私一人です(笑)。それにしても100回、150回、もしかしたら200回以上読んでくださっている人がいるかも知れません(★200回以上読んでおられる方がいれば、ぜひ名乗り出てください。その方にはこれから書く内容のものを「無料プレゼント」としてお届けします)。
▼メルマガをスタートしたのが2002年3月10日ですが、録音説教をずっと録りだめていました。原音のままで通常の音楽CDを制作しようとすると、単純に考えても70枚を超えてしまう量です。それは非現実的なので、録音形式をmp3形式にしてデータCDとしてまとめてみました。すると、第1号の録音説教から第364号までの分がCD3枚に収まりました。
▼CD3枚に収録された音声説教のファイル数が、なぜか368ファイルありました。メルマガは6月29日までで364回発行のはずです。おかしいなと思い返していたら、そのうちの2つは思い出しました。1つは、かつて堅信式が行われた日曜日で、その日の自分の説教と、当時の大司教の説教が収録されています。
▼もう1つは、日曜日が12月24日になっていた日があって、メルマガは日曜日夜の「主の降誕(夜半)」を発行して通常の日曜日の説教は録音はしたけどメルマガは配信していない分です。これで364号+2つのおまけ。あと2つおまけがあるのですが、いったいどんな事情だったのでしょうか?
▼うまくCD3枚に収まったことだし、これは何かの形で恩返しをしたほうがいいなぁということで、皆さんにお裾分けします。ただし実費+制作費を切手で郵送してください。費用の内訳としては、CD1枚30円×3枚で90円、CDに貼り付けるラベルシール(後述「今週の関連画像」を参照)が1枚20円×3枚で60円、郵送する封筒と、包装用のプチプチ、プリンターのインク代をあわせて150円、送料が140円。実費はあわせて440円です。プラスチックのCDケースはご自分で探してください。
▼あとは制作費。手際よく作ったとしても、たぶん30分はかかります。最近の最低賃金は時給いくらなのか知りませんが、700円の半分とすると、350円。実費と制作費を足すと、790円となります。四捨五入して、800円でいかがでしょう。ご希望の方は、送り先の郵便番号、住所、氏名を書いたメモと、切手800円を同封して中田神父のところまで連絡ください。
〒851-1201 長崎県長崎市伊王島町2丁目617 カトリック馬込教会 中田輝次神父
▼念にも念を押しておきたいのは、「mp3形式のデータCD」は、通常のCDプレーヤーやCDデッキでは再生できないということです。あくまでも、mp3形式のデータCDが再生可能なプレーヤーをお持ちの方のみ、利用できます。絶対間違えないでください。あとで「再生できない!お金返して!」と言われても困りますので。
▼ちなみに、mp3形式データCDを再生可能な持ち運び型のプレーヤーとして、「MX(マクサー) ポータブルCD/MP3プレーヤー(MPCD-IW、税込3680円、送料別)」「ソニーCDウォークマン (D-NE730、税込8190円、送料別)」などが販売されています。価格は店舗によってばらつきがあります。何度も繰り返しますが、「mp3対応プレーヤーでないと、再生できません!」
▼しかしながら、パソコン(ノートパソコンも同じ)のCDドライブは、ほぼすべてのもので再生可能です。パソコンで試聴する分には、まったく問題ないと思います。「パソコンで聞くよ」という人は、よかったら切手800円を同封して予約してください。また、最近流行の「デジタルオーディオプレーヤー」に転送して聞くことももちろん可能です。以上、こうじ神父からの「営業」でした。
(No.369)08/08/03
▼さっそくCDの依頼を受けた。切手を送ってくださった方もいらっしゃったが、200回以上の読者が声を上げてくださった。意外と言っては失礼かも知れないが、いるんだなぁと感心した。さらに脱帽したのは、創刊当初から欠かさず読んでくださっている人がいたということ。
▼「全部読み続けているのは私一人です(笑)」と、いささか自虐気味に書いたのだったが、その方は「神父様、ことに寄ったら貴方お一人ではないかもしれません」と声をかけてくださいました。それはもう脱帽の域です。発行人すら記憶していない詳細なメルマガからの出会いの喜びを伝えてくださいました。感謝申し上げます。
▼もしかしたら、私は高所恐怖症が解消したかも知れません。そこまでしか言うことはできませんが、谷底が170メートル以上の高所を歩いてみて、何ともないような気がしてきました。解消してなかったらごめんなさい。
▼ここからは、先週見た夢にお付き合いください。あまりにリアルで、途中で夢じゃないかと疑う要素が見あたりませんでした。よく作り込まれていて、おもしろかったのでご報告します。正夢になる日が来るやも知れませんので、その時は笑ってください。
▼転勤した夢でした。任地も明確に意識していました(ここでは伏せておきます)。下見に行こうと思って、その教会を訪ね、たまたまその日のミサをしようと思い、そこにいたシスターに「今からミサをしたいんだけど、いいかな」と声をかけました。
▼すると、その若いシスターは「勝手にすれば」とつれない返事です。「いいのかな、そんな返事の仕方して」と私が言うと「主任神父でもあるまいし」と言い返されました。「あ、そう。覚えときましょう」と言って祭壇の準備をし、ミサを始めました。何事もなく進んでいたミサでしたが、「主の祈り」(交わりの祭儀)の部分になって、突然式文が思い出せなくなり、どうしてもミサを進めることができません。
▼あちこち本を開くけれども見つからない。しだいに自分がどこを唱えていいかも分からなくなっていると、小さい子供が祭壇に上がってきて、「ご聖体まだ?」と言っています。まもなく年配のシスターが子供に近づき、「あのね、神父様はミサの途中が分からなくなってしまったから、もう少し待とうね」と子供に言い聞かせる始末。目の前でそう言われている私は絶句し、金縛り状態になりました。
▼さらに、中央玄関当たりでは、別の司祭がミサを始めました。どうやら当地の主任司祭なのでしょう。「・・・聖霊の交わりが皆さんと共に」そう言った途端、聖堂内にいた大人、子供、修道女がいっせいにそちらを向いて「また司祭と共に」と応じています。
▼「あー、まだ私は地域の信者に受け入れられていない。しかたない。これから徐々に受け入れてもらえるように努力しよう。それにしてもなぜ、祈りが思い出せないのだ・・・。ミサが思い出せない。うう・・・」ともがいている頃にようやく目が覚めました。
▼よくできたストーリーだったなぁとほとほと感心します。あまりにできすぎているわけでもないし、はじめに受け入れてもらえてないのもありそうな話だし、本当にこれは現実なんだと思ってここから出発しようと覚悟を決めていたところでした。ビックリして目が覚めたのが12時半、ベッドに腹ばいになり、軽く除湿をかけてそろそろ風邪ひきそうな状況になっていました。ただの夢とは思えない脚本、演出でした。
(No.370)08/08/10
▼ちょっと時間が経ってしまったが、7月にカトリック新聞の諮問委員会が開かれ、委員の端くれである私も東京出張をしていた。会議は夕方に設定されていて、翌日夕方の便で帰る私は、会議後の時間から翌日の夕方まで、結構時間を使えるのだった。
▼午後6時からの会議が9時に終わった後、まっすぐ宿泊先のカトリック会館には帰らず、待ち合わせていた知人と「月島」に向かった。「月島」と言えばNHKの連続テレビ小説の舞台でもあり、話題作りにはちょうどいいと、場所の選定の絶妙さをベタ褒めした。
▼「月島=もんじゃ」というイメージは連続テレビ小説の受け売りだが、せっかくの月島なのでもんじゃ焼きを食べることにした。2品注文したと思うが、目の前でじゅーじゅー焼いてもらってふーふーしながら食べると、話しながら、聞きながら、みんなで食べるのにはもってこいの食べ物だなと感心した。おいしかった。
▼ご馳走になって安心して泊まり先に帰り、翌朝は事務局長の神父様と一緒にミサをささげた。いつも思うのだが、チャペルで司祭2人でミサをささげるという環境の変化は、はじめは戸惑っただろうなぁと何度来ても思う。私だったら、毎日欠かさずささげる気力があるだろうかとふと思った。
▼荷造りを済ませてこの日の訪問先に向かう。この日の見学リストも前日の知人の勧めた場所だ。1つは築地、もう1つは東京大学。どちらも「行ったことがない」ただそれだけなのだが、何か刺激を受けることができればと思って訪ねていった。
▼地下鉄を乗り継いで築地へ。朝10時に到着したが、それでも忙しそうに動いている関係者を見ていると、何かワクワクするものを感じた。こちらが突っ立っているものだから、「じゃまだ。どけ」という目をして目の前をびゅんびゅんテーラーで走って行く。その、「じゃまだよ」という扱いが何ともすがすがしかった。実はそういう扱いを期待していったのかも知れない。
▼築地を見学し終えると、またも地下鉄で東京大学に向かった。大学はいつも感じるのだが、簡単にたどり着けそうでたどり着けない。広大な敷地だから少々見当違いをしてもたどり着けると思っていたのだが、東京ドームに行ってみたりあちこち歩き疲れてようやく東大正門にたどり着いた。
▼校内に入ってまず探したのは「安田講堂」。私の中ではあの小説家が屋根に登って演説している白黒の記録映像が浮かぶ。それから学生紛争。今はまったくその面影もないが、自分自身も古いんだなと思い知らされた。
▼「東大赤門」が見つからず、知人に電話をかけてみると「なーんだ」というほど簡単に見つかった。つくづく土地勘がないとあらためて思い知らされる。赤門の前には将来の受験生とおぼしき中学生のご一行が、説明を受けたり記念写真を撮ったりしていた。私も記念に1枚撮影。普通は東大に合格した人がここで撮影すると思うのだが。まぁいいか。
▼その後、せっかくなので学食を食べに行った。カツ丼。特別変わった味はしなかったが、東大生の中で食べたということだけが田舎者には経験できない経験である。そして最後はどうしても生協に行って東大グッズを買って帰り、教会学校の子供にプレゼント。東大のシャープペンで勉強すると、東大に行けるかも?
▼さあて、校内を出て山手線のどこかにたどり着かなければ、飛行機の時間が残り少ない。そう思って構内をウロウロ、校内を出てもなかなか地下鉄もJR駅にもたどり着けず、泣きながら地下鉄に入って、「お茶の水」あたりで山手線に乗り換えた。次回東京に行く時には、ハンディナビゲーション(Mio P350など)を必ず持って行くぞと決めた。
(No.371)08/08/15
▼このメルマガを読んでくださっている世代は、どんな世代なのだろうか。若い世代なのだろうか。それともご年配の世代なのだろうか。一概には言えないかも知れないが、年代は高いかも知れないと思っている。
▼はっきりした根拠があるわけではない。何となくそう思って、もしかしたら、「ちょっとひとやすみ」の内容は、まったく興味も関心もない話題が多いのではないか、と不安になった。もし読者の世代が高ければ、私が思い付いたことを話すだけで終わらず、いろんな世代の人に楽しみにしてもらえる工夫が必要かも知れない。
▼などと殊勝なことを言いながら、まずはパソコンの話。最近動きがひどく鈍いと思うことがあり、ハードディスクを疑ってプロパティを見てみたら、9割近くファイルが詰め込まれていることが分かった。これでは動きが悪いはずである。
▼そこで2倍の容量のハードディスクに引っ越しをしようとしたところ、引っ越しソフトを使ったにもかかわらずうまく引っ越しができなかった。準備した機材が無駄になってしまった。しかたなく、ハードディスクに圧縮をかけてみたところ、インターネットには繋がらないわ、プリンターを認識しないわで大変な目に遭い、しかたなく圧縮を解除して通常の状態に戻した。
▼これで戻らなかったら・・・費やした時間も無駄、買い物も無駄、さらにパソコンもがらくた同然に・・・と恐れていたが、さすがに某有名メーカーパソコンは出来がいい。さんざんいじめたが、ちゃんと元に戻ってくれた。インターネットにも繋がったし、プリンターも元通り。失った時間だけは戻らなかったが。
▼その日の夜、雨が少し降った。前に降ったのはいつだろう?梅雨の時か?それほど久しぶりの雨だった。雨か・・・と思って窓を開けっ放しにしていたら今度はお腹を冷やしてゴロゴロ言い始め、トイレでうずくまってしまった。もう間に合わないと思いつつも、トイレから出て来てタンスをあちこち開けて、腹巻きを取り出した。今はようやくお腹も落ち着いている。
▼世の中こぞってオリンピック。けれども周りをよく見れば、オリンピックそっちのけで紛争している国もある。どうなっているのだろう?ますます、平和は単にスポーツを開催するだけでは訪れない、主の平和が皆さんと共にあるようにと願わなければ平和は実現しないと再認識させられた。
(No.372)08/08/17
▼四男が伊王島に来た。11月に予定を入れに来た。考えてみれば8つ年が離れているとしても34歳である。お年頃ということになる。今年は、家族に大きな変化が始まる年になっているようである。
▼こういう時におもしろいのは、張り切る人が必ず1人や2人はいるということである。自分のことのように張り切るからおもしろい。そんなに張り切るのだったら、全部おたくが引き受けてくれたら?と時には言いたくなる。
▼けれども、そんな人もやはり1人や2人は必要かも知れない。だれかがお節介焼かなければ、進む話も進まないというものである。問題は、お節介までで済めばいいのだが、というところだろうか。いやいや、あまり余計なことは言わないことにしておこう。
▼今年は夏休みで五島に帰る時、教会学校の小学生を同じ日程で実家に連れて行こうと思っている。上五島の生活を通して、上五島のカトリック教会をくまなく見学させ、信仰生活を体験させるのが目的である。何かを感じてくれればと心から願う。
▼上五島には、伊王島の馬込教会のような「島に溶け込んだ教会」がたくさんある。下五島にもあるだろうが、上五島生まれの私は上五島をひいきしたい。頭ヶ島(かしらがしま)教会、大曽(おおそ)教会、冷水(ひやみず)教会、青砂ヶ浦(あおさがうら)教会、かつての江袋(えぶくろ)教会。まだまだ青い海に映える教会がたくさんある。
▼最後になるが、上五島の信者がどんなに自分たちの教会を大切にしているかを伝えたい。それは台風の夜だった。教会の役員が司祭館を訪ねてきて、「何も飛ばされていませんか?教会をのぞいてみましたが、大丈夫のようです」と言いに来た。自分の家の心配以上に、教会の心配をしてくれる。それを当然のことと思っている信者がたくさんいる。それが上五島の教会である。
(No.373)08/08/24
▼聖母被昇天の日に横浜から若い夫婦が私を訪ねに来てくれた。これで2年連続、合計3回目の面会となった。夫婦は長崎の教会を訪ねるとふだん通っている教会とは違う新鮮な気持ちを受け取り、充電できるのだと言っていた。今年も目一杯エネルギーを蓄えることができたそうだ。
▼2人はメールマガジンを楽しみに読んでくれているのだが、聞くと配信が木曜日に届いたり、本文が届かずにタイトルだけだったりしているらしい。じつはこの症状は初めて聞いたわけではなくて、日曜日に予約配信したメルマガ届かないので日曜日に再度配信するというようなことがこれまでにも発生していた。
▼そこで読者の皆さんにお願い。メルマガの配信先に特にこだわりがなければ、E-magazineから配信を受けている読者の方は、(a)『めろんぱん』に配信先を変更してほしい。遅配や不達のトラブルは、今のところE-magazineに集中している。E-magazineには申し訳ないが、配信先を変える方法がいちばん確実である。
▼現在メルマガの発行スタンドは5社利用しているが、パソコンからでも、ケータイからでもパソコン用のメルマガを購読手続きが確認できたのは『めろんぱん』1社だった。他はケータイのアドレスでは申し込みできなかったり、指定のURLをケータイで表示できなかったりでうまくいかなかった。ケータイで通常のパソコン用メルマガの配信を希望する人は、この会社をお勧めしておきたい。
▼ほかにも、メルマガのことで「こうしてほしい」とか「こういうことはできないのか」というような声があれば、ぜひ寄せてほしい。皮肉なことだが、メルマガについての声を聞くいちばん多いパターンは直接出会ってからである。メールで配信している活動なのに、である。声を聞かせてもらうと、独りよがりな部分や、確かにそのほうが効率的だなとか自分では見えにくいことが見えたりする。力を貸してほしい。
(No.374)08/08/31
▼近頃の小学生は順応が早いのだろうか。五島の実家で3泊4日、しかも馬込教会の教会学校で小学生は1人だから、たった1人での教会巡礼キャンプとなった。私は前もって、この子が小学生とは全く縁のない実家(残念ながら母親にとっての孫が誰もいませんので)にいて取り残されないようにと、こちらの教会学校での様子を撮影したビデオとか、クリスマス寸劇のビデオとかを用意して、時間を持て余さないようにと考えていた。
▼ところが実際は、家のいつもながらの料理をパクパク食べてくれたし、「風呂だぞ」と言ったらその場でパンツ一丁になって風呂場に行って、「神父さま、シャワーはどうやってお湯を出すんですか?」と裸ん坊になったままで尋ねてくれた。いやはや、今どきの子供は物怖じしないのである。
▼もう一つ、家で退屈しないようにと、「Wii Fit」を購入して先に送り届けていた。それも家族とのスキンシップに役立ったらしく、特に次男とは本気になってゲームのスコアを競い合ったり、時間をどう消化するかなど何の心配も要らないくらいに楽しんでくれた。夜は10時頃に寝付いたが、小学生くらいの子はいったん眠ると頬をつねっても顔に落書きされても何も気づかないものらしい。いいように遊ばれていた。落書きはしなかったけど。
▼教会巡礼の途中、中田神父が好んで食べる五島うどんの店にその子を連れて入ると、店の店員がカウンターしか空いてなかったのに、「お父さんと一緒にテーブルで食べようね」と言ってテーブルをすぐに調えてくれたのには参った。確かに、10歳の子供と42歳のおじさんでは、親子と思われるのが当然かも知れない。他にも「お父さんと旅行に来てるの?」というシーンがあった。
▼郷里での朝はふだんより早い。起きて教会のミサに行けるのかしらと思っていたが、思いのほか早く起きて一緒にミサとラジオ体操に参加してくれた。以前と比べると参加者が少なくなっている故郷の朝のミサに連れていったのは、少々申し訳ない気持ちになった。今は夏休みでも小学生はあまり来ないようだ。
▼物怖じしない小学生は思ったことをポンポン口にする。「○○兄ちゃん(次男)はどうして結婚しないの?」すると弟が「余計なお世話じゃ」と痛い所を突かれてムキになっていた。他にもいろいろあったが、振り回された母も弟も、突然「孫」「甥っ子」が現れた気分だったかも知れない。振り回されながらも、楽しかったのではないだろうか。
(No.375)08/09/07
▼以前励んでいた「なわとび」は膝が持ちこたえられず、中断してしまった。それに変わって今楽しみながら続けているのはWii Fitというゲーム機。要するに任天堂のWiiと組み合わせたFitnessのゲームソフトである。そのまんまの説明だが。
▼どんなものだろうとまずは小学生を連れて五島に帰省した時に一緒に楽しんでみたのだが、さすがに全世界でゲーム機を売り上げているメーカーだけあって、飽きさせない作りになっている。フィットネス効果がどれほどかは疑問だが、楽しみながら続けられそうである。
▼秋らしい風になってきた。そして季節の変化は、188殉教者の列福式がもうそこまで来ていることのしるしでもある。広報部として列福式実行委員会の責任の一端を担っている者として、身の引き締まる思いである。広報部のスタッフのご苦労も、責任者としては頭の下がる思いである。
▼月に一度病人訪問をして聖体を運んでいるが、一ヶ月があっという間にやってくる。歳を取ったか?すぐにやってくるけれども、各人の病状は刻一刻と変化し、中には先月祈りが言えたのに今月は一緒に言えなくなっているとか、先月はベッドから起き上がってくれたのに今月は起きられないとか、さまざまに変化する。できるだけ一人ひとりの状態を覚えて、次の変化に備えたい。
▼秋はスポーツの秋。また、食欲の秋。運動もしないくせに食欲旺盛な私は、次に何を釣ろうかとたまに行く釣りのことを考えている。秋は海上が穏やかな時は陸上よりも涼しい季節風が吹き抜け、気持ちがいい。さらに竿が曲がる瞬間があれば、言うことはない。また、魚との知恵比べを楽しみたい。
(No.376)08/09/14
▼今日本語の本でまじめに読み続けているのは「ローマ教皇歴代誌」という本。まじめに読んじゃいられないほど俗っぽい歴史だけれども(言い過ぎていたら申し訳ありません)、264代の歴史はいちおう目を通しておいたほうがいいだろうということで読み始めている。ただ今東西の教会が決定的な分裂を生じた1054年あたりを読んでいる。
▼ローマ側はレオ9世、コンスタンティノープル総大司教はミカエル・ケルラリオス。どちらも頑固で、まったく妥協しようとしなかったとある。「そして、1054年7月16日、ついにローマ側はコンスタンティノープル総大司教とその一派を破門にし、その代わりに相手からも破門を宣告された」(「ローマ教皇歴代誌」1999年初版、105頁)。
▼使徒座に就いた正統教皇のなかで聖人の列に加えられた教皇は78人、福者教皇8人、対立教皇の中からも2人が聖人に加えられている(同293頁)。そんな「パパ様」に忠実を誓い、イエスのために命をささげた殉教者が無数にいて、その中の188人が11月24日に列福されるのである。真剣にカトリック教会とは何なのか、カトリックの信仰とは何なのか、考えざるを得ない。
▼今週は十字架称賛の祝日に当たっている。十字架と言えば、伊王島のいちばん高い場所に金属製の大十字架が設置されている。2年前に、信徒で協力して山頂に運び上げ、設置後にみんなで祈りを唱えて喜び合った。昔からその山は「十字架山」と呼ばれているらしく、以前から記念の十字架を設置したいという声を聞いていた。
▼せっかくの祝日だから、この日に合わせて山登りをしてみようと思っている。設置した時はみんなで手分けして草刈りをし、参道を作り、きれいにしたのだったが、この2年でまた荒れてしまっているかも知れない。チャンスがあれば、信徒にも声をかけて、一緒に登ってみよう。十字架をたたえるためにカルワリオの山を登るつもりで登れば、何か見えなかったものが見えるかも知れない。
(No.377)08/09/21
▼敬老会の話。敬老会の招待者には福引きの賞品がもれなく当たることになっていた。その中に特別賞が混じっていて、今年も「主任神父さまが魚を釣ってきて、プレゼントしてくれます」という目録が入っていた。今年は目録の中に、「馬込の自治会長も釣ってきてくれます」というひとことも加わっていた。さらにボリュームアップということか。
▼そこで○曜日に、約束を果たすべく、午前中の会議を終えて戻ってきてから釣りに出かけた。その日の朝食時に、賄いさんに「会議戻って昼から特別賞の景品の魚を釣りに行くけど、手伝いに行かない?」と聞いてみたら、「行きます」ということだったので戻って準備して2人で出発した。
▼出かけてみると、型は小さいけれど、そこそこイトヨリも釣れ、シロサバフグ(長崎地方では「金ブク」とか、「カナト」と言う)も混じって、これなら持って行けるねという釣果になった。あと30分もしたら戻ろうかなぁ、と思っていた矢先、賄いさんの竿が突然海の中に突き刺さった。
▼「あっ!大きいのがかかりました」。見ればすぐ分かる状況だったが、漫才をしている暇はないので、竿が折れないように竿を立ててあげる手伝いだけして、リールは賄いさんに巻くように指示。すると35cmのマアジが上がってきて大喜びしたが、そのあと私がこう言った。「これ、どうする?これも賞品にしなくちゃいけないかな・・・」
▼話し合いの結果こうなった。「見なかったことにしよう。だれも釣らなかった。そして、司祭館に持って行こう」。そこまではよかったのだが、場所を移動してまた次の1投目に、竿が勢いよく海中に曲がって突き刺さった。今度は「3段引き」というマダイ独特の引きをしている。姿を見る前からマダイだと分かる。取り込んでまた2人で顔を見合わせ、「どうする?」
▼こんどは賄いさんがこう言った。「特別賞にはこう書いてありました。『主任神父さまが釣った魚をプレゼントします』と。これはどちらも私が釣ったのですから、差し障りはないはずです」。ごもっとも。今回に限って頭の回転が速く、特別賞の方には「35cmのマアジなし・38cmのマダイなしのお魚詰め合わせ」を持って行き、喜んでもらった。司祭館も、その日は宴会をした。
(No.378)08/09/28
▼最近「窓を閉めたかな」と確認に行くことが増えてきたが、とうとう行き着く所まで行き着いた。恥ずかしいことに、「社会の窓」を開けたまま、船で長崎に行ってきて、帰ってきたのである(念のために説明しておくと、「社会の窓」とはズボンのファスナーのこと)。その間一度もトイレに行かなかったらしく、司祭館に戻ってトイレに入った瞬間、すべてのことがよみがえってきた。
▼船に乗る時に行列に並び、親しい人と笑い話をした。カトリックセンターの広報室に行って、教区報の仕事をしてきた。帰る時に食事をしようとレストランに入った。ちょっと時間があったので、100円ショップをウロウロした。すべて公共の場に出かけたのに、だれにも何も言われなかった。何も言えない状況だったのか・・・。
▼日曜日、市内の中町教会で聖トマス西と15殉教者のミサの後、JRに乗り早岐に移動して、ある人の壮行会に参加する。その人は家具屋さんで、持っている技術を海外で教えてくるために海外青年協力隊に飛び込んでしばらく日本を離れることになっている。配偶者、子どもたちもよく背中を押してくれたなぁと驚いている。
▼この人との出会いは、以前いた地区で手話ミサをしていたことから関わりが始まった。手話のできる人ということで夫婦で手話の集まりにやって来て、ミサの手話通訳を手伝ってくれるようになった。そのうちに、配偶者の方は洗礼を受けたし、私は個人的に家具の仕事を依頼したこともあった。
▼その彼が、ある時海外に行くことを決意し、家族に打ち明けたそうだ。家族はびっくり、一度はもっと早い時期に出発することになっていたが、紆余曲折あって今回の壮行会となった。技術を習いたいと熱心に集まってくる人に、持てるすべてを注ぐのはたまらない快感だろう。ぜひ、思いのすべてを注入して、夢を実現してほしい。
(No.379)08/10/05
▼細かい字を読もうとして近づけた時にショッキングな体験をした。グッと近づけてみるとまったく読めなくなった。もちろん遠ざけても読めないので、眼鏡を外してみると、何と読めなかった字が読めたのである。これはいわゆる「老眼」の兆しだろうか。
▼もしもこれが老眼の兆しであれば、さらに読者の皆さんにお尋ねしたい。何かをしなければならないだろうか。それとも、何もしなくて大丈夫なのだろうか。そういうことすら、初めての体験で自分では何とも判断のしようがない。
▼このことと関係があるのか知らないが、最近は仕事を投げ出して眠ることが多くなった。ちょっと前なら何が何でも仕上げてから眠っていたところを、「ダメ、もう続かない。寝よう」と諦めが早い。諦めが早いと言うよりは、続かないのである。そして、途中で仕事を投げ出し、眠っていることが多い。
▼社会の窓事件もあったし(読者から「世界の窓」ではないかという指摘も受けた)、だんだん自分が自分でなくなっていく感じがして非常に寂しい。自分でなくなっているのではなく、本当は変化していると受け止めるべきなのだろう。どうも、最近の変化を受け入れられずにいる。
▼ぼやきばかりではおもしろくないので、列福式関連の話題を1つ。4日(土)に長崎教区内の小教区広報担当者に集まってもらい、列福式の式典中の取材要綱を説明する集まりを開いた。準備は優秀な事務次官が調えてくれていたので、私はただ「にわか大臣」として説明をする役である。
▼壇上に立って「えー、私が広報部の部長であります。取材活動全般についてご説明しますので、あとで質問などあったら聞かせてください」みたいなことを話した。するとなんとなく自分がひとかどの者であるような気分になり、また責任の重さをひしひしと感じ、役割や責任が、人を育てるのだなとあらためて実感できた一幕だった。
(No.380)08/10/12
▼俳優の緒方拳さんがガンで亡くなった。71歳だった。父親と同じ年齢だったことが、胸を打った。本来なら「へぇ。亡くなったんだ」で終わることが多いのに、71歳という年齢が特別な気持ちにさせたのだと思う。緒方さんの代表作と言われても分からないけれども、偉大な俳優だったことは分かる。それだけに、命を縮める病気を何とも恨みたくなる。
▼今年のノーベル賞が次々に発表されている。その中に日本人が4人もいて、そのすべてが理科系の学者だというので驚いている。物理学賞などは日本人が独占したらしい。これは凄いことに違いない。世界の学問の進歩に、日本人が貢献しているというのだから、これまた身近に感じ、会ったこともないのに日本人であることに誇りを覚えたりする。
▼こうした世界的な学者の貢献で、ガンに代表されるような困難な病気を、命を縮める要因から取り去ってほしいと思う。そうして、人間の命を縮めるものは病気ではないという時代が来てほしいものだ。命を縮められてしまうのは、42歳の今でも恐ろしいと感じる。平均寿命までは、期待していたいものだ。
▼平均寿命まで期待できると仮定して、晩年は何をしたいか。晩年は若い主任司祭のお手伝いを細々としながら、いろんな人と釣りに行きたい。特に、教会にまったく来ない人と、釣りに行ってみたい。まったく来ない釣り好きの人にも、何か言い分があるに違いない。そんなことを聞き出して、若い主任司祭の力になりたい。
▼別に釣り好きの人でなくてもいいから、教会に足が向かない人のところに自由に出入りして、話を聞きたいものだ。今はいろんなことに縛られているから、教会にいちばん遠い人たちとは、やはり私からもいちばん遠い人たちである。ぜひ、晩年はそういう人のもとを訪ねることを生きがいにしたい。
(No.381)08/10/19
▼長崎にあるカトリック大学のフレッシュマンセミナーに、講師として今年も声が掛かった。去年よりも1つ、歳を取っているわけで、フレッシュマンとの距離も去年よりも少し感じながら「いのちの大切さ」について授業をしてきた。人が人のいのちを大切にできないニュースが流れるたびに、いのちについて立ち止まって考える必要性がますます高まっていると感じる。
▼今赴任している小教区でこれまでの中で最大のヘマをやってしまった。会社であれば配置転換だろうか。減給だろうか。はたまた厳重注意だろうか。少し気の緩みがあったのかも知れない。そのことで小教区の活動にも支障を来してしまった。ばん回できればいいが、後々まで尾を引くのではないかと心配である。
▼何か思い出して書こうと思っていたらしいが、どうやら忘れてしまったらしい。何かの時のために手帳も携帯しているし、いざとなったら携帯電話にでも何でもメモは取れるのに、どうして何の手も打たずにここまで来たのだろう。前よりも歯車がうまく回らないとつくづく思う。そんな自分を受け入れながら、前へ進むしかないのだろうか。
▼思い出すまで数日この原稿を放置していた。忘れていたことか分からないが、任天堂のゲーム機"Wii Fit"は順調にトレーニングを続けている。以前ブームに乗っかってブートキャンプをやってみたが、練習内容のハードさに継続はしなかった。それに比べると40日間以上継続できているのだからたいしたものだと思う。
▼結果、30日過ぎたあたりで体重が1kgくらい落ちて、その状態からリバウンドしなくなった。まだ体脂肪率が26%あるのでまだ目標には遠く及ばないが、この体脂肪率についても薄紙をはがすような変化ではあるが減っている。急には減らないし、急に減らしても続かないかも知れない。
▼最近就職内定をもらっている大学生が、「もっと良い内定をもらえるのではないか」と不安になり、就職活動を終われない人が多いらく、名付けて「内定ブルー」と呼ぶらしい。私は現在「ココウォーク」に行ってみたいと思うが、行ってみるとつまらなくてもう行かなくなるのではないかと不安で行けない状態に陥っている。これって「ココウォークブルー」なのだろうか。
(No.382)08/10/26
▼10月22日はまるでアクションドラマ「24(Twenty-Four)」のような1日だった。朝6時、月に1度だけの修道院チャペルでのミサをささげた。この日は教会聖堂でのミサはお休み。ところがこの日に限って、かつて長崎でよくテニスをしていたS神父さまのお父上と叔母?のシスターが前日から伊王島に宿泊し、22日朝にミサに行く予定をしていたらしい。
▼朝、修道院のミサを終え、司祭館に戻って朝食のパンを食べ、コーヒーを飲んで一息ついていたら朝9時に司祭館のチャイムが鳴る。上述の2人が「教会でお祈りさせてください」と訪ねてきたのだった。一緒に祈り、かつてお世話になったご子息の神父さまの話をして話が弾み、送り出した。
▼その後午前10時頃、例の神父さまからメールが来る。「父が訪ねてきましたか」。せめて前日に知らせてもらえれば。修道院のミサを変更できたのに。悔いが残った。そのことをメールで返事していると郵便物が届く11時になったので郵便受けを見に行くと長野県の保育士から手書きの手紙。以前馬込教会を訪ねたことがあり、メルマガを読んでいて、説教集がほしいとのこと。急いで準備した。
▼昼からは日鉄伊王島鉱業所閉山35周年慰霊祭(名称が長いなぁ)にカトリック側の追悼をするために出席。追悼の式典が終わると、日鉄伊王島鉱業所に縁のある人々で親睦会。この親睦会に顔を出し、結構いい気分になって帰る。戻ってちょっと居眠りしていると、あれあれという間に夕方になり(ロザリオの祈りが夕方5時半からなので、祈りには顔を出した)、なかなかお腹が空かないので先にWii Fitで30分の運動を済ませる。
▼シャワーを浴び、終わった頃に電話。とあるカトリック教会の広報部員で、子どものための全国誌「こじか」に記事を寄稿している神父さまですねと電話した理由を述べ、広報紙に「こじか」の記事を出典を明記して掲載させてほしいと言われ、大丈夫だろうと思ったので(厳密には著作権の問題が発生するかも)掲載O.K.ですと答えた。
▼1日で、こんなにたくさんのことが重なったのは珍しい。1週間で起こるようなことが1日に凝縮されて起こった。思い出せなかったこともあったかも知れないが、これほど複雑な出来事は神さまでなければ計画・立案できないに違いない。神さまは必ず存在するとこの日も思った。
(No.383)08/11/02
▼どこでどういう出会いがあるか、神さましか分からない不思議を感じる。もしかしたらずっと前に訪問予定を伺っていたのかも知れないが、京都教区の信徒が2人、長崎巡礼を機会に馬込教会まで足を延ばしてくれた。朝8時50分の船に乗って、9時半頃に司祭館のチャイムを押して声をかけてきた。
▼実は8時40分に掛かってきた電話で、訪ねてくることは分かっていたはずなのに、私は司祭館で締め切りを3日も過ぎた「こじか」という原稿の仕上げをしている最中で、頭をかきむしり、「うー、この忙しい時に誰?」と思ってドアホンに出たのだった。電話であらかじめ訪問を知らせてきていた人に、心の中では謝っていた。
▼この方々、現在の自分たちの教会事情を少し教えてくれた。1週おきに司祭がミサを捧げてくれるそうだが、日曜日であっても毎週ミサに参加できるわけではないらしい。教区の中心教会では当然毎週日曜日ミサがささげられているが、地方になるとそうでもないというのは残念だなぁと思った。
▼ところが、2人は私のことを知っていたらしく、メルマガを毎週読み、説教だけは毎週日曜日目を通すことができるからありがたいと言ってくださった。むしろありがたいのはこちらのほうで、どれくらいメルマガがお役に立っているか、毎週葛藤している自分にとって大きな慰めとなった。
▼説教集も3冊買ってもらった。mp3形式のデータCDも、絵葉書も買ってもらった。その上に、寄付までいただいた。ミサの中で、神さまが与えてくださった出会いに、感謝したい。
(No.384)08/11/09
▼自分が考えている意見が絶対ではない。それは机の上では十分わかっていることなのだが、いざ実際の場面になるとそれを受け入れるのは非常に難しい。他人の話を聞き、強調点を見つけたり妥協点を見いだしたりして前進していくよりも、自分の意見を押し通して周りを押さえつける。自分の意見を通すための労力、果てしないエネルギーの消費は何とも思わないのに、他人の意見を聞く労力はどんなにわずかでも払いたくないのである。
▼列福式の準備のためには、いろんな人が関わるので、いろんな場所でぶつかり合う。一方の意見を尊重すれば他方の意見はないがしろにされ、どちらの意見も譲れないのでまとまらない。実行委員会の広報部に所属していて、広報部の意見をまともに却下されてしまうと、広報部の意見が絶対正しいという気持ちになってきて、相手に耳を貸せなくなってしまう。
▼11月になっても、まだ確定できずにいる部分もある。どこかで折り合いを付けること、どこかで譲ること、どこかに妥協点を見いだすこと。「これだけは譲れません」と言って殉教者は信仰のために殉教していったのだけれども、現代のキリスト者は「これだけは譲れません」という部分をそれでもなお譲って、殉教しているのかも知れない。
▼生活に当てはめて、「これだけは譲れません」と言えるものはなんだろうか。仮にその「譲れないもの」を譲歩するように言われた時、私はどんな態度に出るだろうか。社会的な死か、あるいは「死んだふり」か。それとも部外者になるか、中枢に潜り込んで大事件を起こすか。いろいろご想像にお任せするが、内部はいたって「人間的」です。
▼話変わるが、「カトリック中央協議会」というホームページで、11月24日(月)の「ペトロ岐部と187殉教者列福式」の模様を、インターネットで中継する。「一般視聴」と、「優先視聴」があり、優先視聴は申込をした上でカトリックの施設や団体に配分される。メルマガの読者も、ぜひ視聴して見守ってください。
(No.385)08/11/16
▼「予知能力」と言っては大げさだが、「何となく感じる」とか「胸騒ぎがする」とか、そういったことを自分は「ある」と思っている。過ぎた週、とても天気が良く、週に一度のお休みを取るにはまたとないその日、私は午前中立ったり座ったり落ち着かなかった。理由は、釣りに行きたくてたまらなかったからである。
▼ところが、あれだけ海が「おいで〜」と誘っていたにもかかわらず、結局は行かなかった。その日の午後、佐世保市のある家族から電話が掛かり、所有している漁船で高島に行き、先祖の墓地を確かめてきたところだが、帰りに自分に会っていきたいと電話が掛かってきた。その瞬間思ったことは、「釣りに行ってなくてよかったなぁ」ということだった。
▼高島の墓地を確かめた家族は、15トンはあろうかという漁船を馬込漁港に入れ、遅めの昼食をご馳走してもらい、楽しく談笑し、お土産に一夜干しまでいただいた。馬込教会では家族そろって祈りを捧げ、キリシタンの子孫は確実に生きている、殉教者の信仰は現代に受け継がれていることをこの目で見ることができた。
▼そういうことで、「まもなく起こるかも知れない出来事」を心の中に示してもらうことは起こりうると思っているし、私にはどうやらそういう部分が与えられているようだという思いも持っている。もちろん、それを私利私欲のために使おうとは思わないし、使えるほど強力でもない。もしこの能力が欲望のために使えるのなら、とっくに私は佐世保競輪に行くかWINS佐世保に行ってお金儲けをしているに違いない。
(No.386)08/11/23
▼24日は列福式。当然、列福式関連のネタでこのコーナーをまとめるべき所だが、まず最初に書きたいことは、「わたしの勉強部屋のテレビが壊れた」こと。現在修理に出していて、いつ戻ってくるのか、修理が可能なのかも分からない状態。ということで、列福関連のニュースがどのように報道されているのか、目の前でチェックができない。いちいち寝室に行って確認している。テレビを流しっぱなしにして、列福式報道がなされた時に耳を傾けるということはまずできない状況にある。
▼もちろんメリットもある。すべての出来事にはメリットデメリットがあるもの。今勉強部屋ではいっさいの雑音が入ってこない。電話は鳴るけれども、電話の応対はほとんどが列福式関連で、応対すればするほど問題は解決、少なくとも解決に向けて前進するから歓迎である。ときどきこうして「強制的な静寂」の中に自分を置くのもよい。どんな音を自分が欲しているか、どんな環境に自分を置きたがっているかがよくわかる。
▼列福式で実行委員会本部に首を突っ込んだすべての人々に、心からご苦労様と申し上げたい。私は広報部に属しているので、広報部で汗を流し、言いたいことをこらえて関係部署と交渉・問題の調整に当たってくれた部員のS氏・F氏には、よくここまで投げ出さずに仕事をこなしてくれた。今回の列福式で表に出る人はねぎらいの言葉を受けるだろうが、広報部は私がねぎらわなければだれも声をかけてはくれないだろう。本当にありがとう。
▼広報部以外にも、それぞれの部署は精鋭揃いだったので、本当によくやってくれている。敬意を表したい。一つひとつの部署を上げてたたえたい所だが、典礼部に感謝したいと思う。私は大神学生時代、典礼の教授から習ったことで一つだけ忘れない教えがある。それは「予定通り行かないのが典礼というものです」。名言だと思う。最後まで頭を抱えて現場を取り仕切り、この式典を成功させてくれたのは、突き詰めると典礼部のメンバーである。本当にご苦労さま。わがまま言い放題の外部の声にも耳を傾け、うまく式典をまとめ上げてくれた手腕に拍手。
▼この列福式はきっと参列した人、日本のカトリック教会、日本社会に何かをもたらすと思う。今後は式典が何をもたらしてくれたかを見極めたいと思う。福者たちを通して神さまが与えてくれるものが、日本の教会を力強く前進させてくれることを信じて、今回の「ちょっとひとやすみ」としたい。当日、くれぐれも風邪を引かないように。
(No.387)08/11/30
▼そのH氏のこと。彼はカトリック点字図書館の館長に、信徒として初めて就任した人である。それまでは司祭が館長を務めていた。司祭も不足していたこともあるが、それ以上に信徒で切り盛りして独り立ちしていくために、信徒の館長が選ばれたのではないかと思う。彼は初代の館長として、カトリック点字図書館がカトリック中央協議会におんぶされた状態でいるのをとても心配し、社会福祉法人に生まれ変わることを悲願としていた。
▼「社福になれば、人件費の7割が東京都から出るんです」。へぇ、そんなに出るんだ。素直に驚いた。確かにそうなれば、おんぶされた状態ではなくなる。ただ、行政機関は新たな負担は絶対に引き受けたくない。事実、カトリック点字図書館の社会福祉法人申請は困難を極めたそうである。東京都にはすでに社会福祉法人として活動している点字図書館が3つ存在し、4つめの社会福祉法人の必要性を都は感じていなかった。
▼「新たに設立するだけの必要性とか、根拠を示してください」東京都はそう言って、暗に拒否をしたそうである。そこで困り果てた挙げ句、「考える図書館」構想を打ち立てて、東京都にカトリック点字図書館がユニークな図書館であり、都にとっても有意義であると主張した。「考える図書館」の中身は忘れてしまったが、都はその主張に新鮮さを感じたらしく、すぐに前向きな姿勢に変わったという。カトリック中央協議会にとっても喜ばしいことだった。
▼こうして、カトリック点字図書館は「社会福祉法人 ぶどうの木」に生まれ変わった。「考える図書館」として、メッセージを発信する、物言う図書館がスタートした。H氏も大役を果たし、軟着陸を終えたところでT氏に館長職を引き継ぎ、現在は元のあん摩の仕事で生計を立てている。それにしても、バイタリティ溢れる人だった。77歳になったとき、あんなに活動的に生きていられるだろうか。本当に頭が下がった。
(No.388)08/12/07
▼手帳を新しい物に変えた。2009年の手帳は去年よりもずっとシンプルになっていて、大きく書き込みの部分を取っているのが特徴である。1日あたりの書き込み部分がしっかり取れるようになっている。2008年12月から使い始めている。
▼これがいいと思って買って、月刊のスケジュールにはぼつぼつ記入しているが、1日ごとの書き込みにはまだ1回も書き込みをしたことがない。おかげで今週「ちょっとひとやすみ」に書くはずのステキな出来事も、貴重な出会いも、何もかも記録に残らない羽目となってしまった。申し訳なし。この1週間はとても中身の濃い1週間だったに違いないが、残念無念。
▼メモは大事。最近斎藤茂吉氏の長男(故人)のインタビューを見た。するとその人も晩年まで頭脳明晰であったにもかかわらず、手帳に克明にその日あったことをメモしていると言っていた。手帳のおかげで40年近い記録がさかのぼれるらしい。そこまでは行かなくても、明日からでも実行して、私もこれから30年先までの記録を書いてみようかな。30年先と言ったら、72歳か。生きてるのかな?
▼メモが残れば良きにつけ悪しきにつけ人生を振り返ったり将来に活かしたりすることができるに違いない。人間の記憶は当てにできない。私のそばには76歳のご婦人が奉仕してくれているが、彼女を見ているとそれは明らかだ。最近できたショッピングモール「みらい長崎ココウォーク」を、「店の名前は『ちょっと寄ってみらんね』だ」と言い張るくらいだから、記憶なんて当てにしてはいけないのだ。
▼本当は、気がついた時、思い出したその時に書きつけるのがよいのだが、悲しいことにそうできない時に思い出したりする。ミサの途中であったり、船に乗っている時だったり、お風呂に入っている時だったり。そんな時は、どうやって思い出したこと、気付いたことを残せばよいのだろうか?もし、よい方法を知っていたら教えてほしい。
(No.389)08/12/14
▼12月に入って、新しい手帳に切り替えた。来年は、列福式が行われた今年のように忙しくはならないだろうが、今年手帳を真面目に使ってみて、何もない時でも結構書くことはあるものだと気付いた。12月1日から書き始めたのではないが、今年から久しぶりに日記を付けるようにしようと思っている。
▼手帳に書きつけるようになって分かったことだが、何を書いて、何を書かないかで、自分の傾向がよく分かってくる。今のところ、ほとんど、大切なことは書かずに、どうでもいいことを書いている。ということはつまり、毎日をどうでもいいような過ごし方をしているということかも知れない。
▼最近どうにも眠くてしょうがない。10年ほど前のことだが、朝は毎日と言っていいほど眠くてしょうがないと言っていた先輩司祭のことを思い出す。実はその先輩は病気を抱えていた。肺炎を患っていて、酸素が脳に行き届いてなかったために、毎日眠気と闘っていたのである。もしかしたらそういうことなのか。それにしても、早く寝ても遅く寝ても朝眠いのはなぜだ?
▼ウィーフィット、100日達成。2.5キロしか体重減ってない。3ヶ月で2.5キロは悪くないのかも知れない。ただし、確実に毎日ゲーム機でフィットネスができているわけではないので、もっと規則正しい生活に近づける強靱な精神力が必要である。どうしても眠い日はサボってしまうし、外で歩き回った日は言い訳をして運動しない。こんなことだから、ゲーム機にもナメられてしまう。
▼いよいよ底冷えのする時期に入ったようだ。勉強部屋の暖房は、無理を言ってエアコン暖房と床暖房の両方を組み込んでいてどちらも選択可能だが、できれば床暖房はもっと寒くなるまで延ばしたいと思っている。今から床暖房にすがってしまうと、足もとが暖かいためについ眠くなり、仕事をサボってしまうからだ。かといってエアコンを使っても頭がぼーっとするばかりで、効率的ではない。寒くない程度に、勉強に集中できる方法ないかな。
▼今年は年賀状書きをしない。年賀状は少し来るかも知れない。けれども、今年は喪中の身。いつものようににぎやかな正月とはいかないと思う。いつもは箱根駅伝をはりきって応援しながら年賀状の返事を書いているわけだが、今年はどんな正月になるのだろうか。
(No.390)08/12/21
▼忘れていた。テレビの故障のこと。よく知られていないメーカーのテレビだったが、神奈川県の修理工場に「着払い」で送り、検査の結果待ちだった。検査の報告は、「当社の不具合であり、お客様が費用を負担することは一切ありません」とのことだった。ありがたやありがたや。
▼いまだに手帳には2日分とかまとめて書き込んでいる。まだ習慣が身についていない証拠だ。そう言えば、自分の知り合いの修道女が2人、ブラジルに派遣されていくらしい。地球の裏側。日本とは環境が違うので、少しずつできることを積み上げて立派な奉仕をしてほしい。修道女って、本当は度胸あるんだなぁ。私は行けと言われても無理かも。
▼列福式の反応がぼつぼつ届いている。列福式がよい縁となって、神さまの恵みが家族に届いたという話も聞こえてきている。すばらしいことだ。やはり、神さまは時にかなって必要な配慮をしてくださるのだと思う。私たちでは目が行き届かないような大きな視点でも、小さな視点でもである。
▼弟から、お嫁さんの故郷の果物が届いた。「日向夏」と言って、ちょっと変わった食べ方をするミカンだ。皮を薄くむいて、皮と一緒に食べる。皮を取ってしまうと酸っぱくてとてもじゃないが私は食べられない。「おいしい食べ方」というメモには、醤油をちょっと差して食べてみてと書いてあったが、私は「どうでしょー、いわゆるそのー」と思っている。
▼「めろんぱん」というメルマガの発行スタンドが、12月29日(月)から来年1月4日(日)まで業務を休止するらしい。そうなると、メルマガの来年1月1日と1月4日号の配信をしてくれないということになる。それで困っている。
▼2つの選択肢がある。その1。がんばって12月28日までに1月1日号と1月4日号を書く。その2。あきらめて1月5日以降に配信してもらえなかったものを配信する。こんな時こうじ神父はどう出ると思っておられるだろうか。今現在、私の頭の中ででは、「2を選択すると思わせておいて1に打って出る」というシナリオであるが、できるのだろうか。
(No.391)08/12/24
▼クリスマスにお子さんの洗礼を祝うことができました。救い主である幼子イエスを迎えた喜びが2倍になった気持ちです。この子の将来に乾杯。ということでこっそりミサ用のワインを失敬してきて、クリスマスケーキをほおばりつつ、祝杯を挙げようと思います。ただし、ひとりぼっちですが。
▼年末年始に向けて、説教案は快調に書き続けています。この分だと、「めろんぱん」を発行スタンドにして当メルマガを読んでおられる方は、12月28日に来年1月1日号と1月4日号を受け取ることができるでしょう。やはり、遅いよりも早いほうが読者のためには意味があると思います。
▼今、沸々とわき上がっているのは、「今週の○○」は、やはりいまいちなのでどこかで切り替えようかなということです。「今週のワンショット」というのは私も興味があるので、デジカメ片手にもう一度いろんな写真を撮ってみようと思っています。前もそんなことをしたのですが、続きませんでした。はてさて、今度はどうなりますやら。
▼11月に彫刻家舟越保武展を見学に行った。彫刻はある意味私の中に血が流れていると思う。決して威張っているわけではないが、血統には工房を構えて教会の聖像を作ったり修復したりしている人がいるので、まったくゼロではないと思う。加えて、自分も興味があるのでどこかでトライしてみたいという気はある。
▼ただし、彫刻も元になるのはデッサンである。私はデッサンはまったくできない。興味もない。だから、やはりまともな彫刻は無理だと思う。しっかりしたデッサンがなければ、作品は根拠のないものになるからだ。根拠は要らないが、ちょっとは「へぇ。こんなことができるんだね」という所は見せたい。あー、そう言っていたら、ケーキのクリームをナイフでいじって彫塑したくなった。
(No.392)08/12/25
▼月曜日、行政センターで入手する書類を受けて、それを五島の次男に送った。詳しくは書けないが、もっと早くに送ってやれば弟も安心しただろうに。悪かったなぁ。それと、行政センターで書類を受け取った時、2枚綴りの領収証をもらったが、司祭館に戻ったらメールが追っかけてきて、「2枚綴りのうち、下の1枚は、行政センターで処理すべき紙でしたので、受け取りに行きます」という内容だった。
▼ほかの担当だった人がその場で応対してくれて、それで書類のミスが起こったのかなとか思った。取りに来てくれるのはありがたいが、持って行ってもいいけどなぁとも思うが、持って行く口実がない。でも月曜日はもう1つ何か用事を入れていたようなのだが、どうしても思い出せない。そんな時のための手帳ではないのか?と突っ込まれそうだが、あの手帳は書きたいことだけしか書かないので、あまりためにならない。
▼そうしていると、今度は司祭館手伝いのSさんから電話。「神父さま、ちゃんとインフルエンザの予防接種には行ったでしょうね。わたしは金曜日に前もって連絡して、月曜日に来ますからと予約を入れていたのです。わたしの責任になるのでちゃんと行ってください」。「はいはい、分かりました」と返事をして、あーこれで出ていく口実ができたと安心した。
▼予防接種に行くと、だいたい予想した通りのことが展開した。まず受付に行くと巡回教会のひとが窓口をしているので、「あら、怪我したんですか」と聞かれた。「予約が入ってませんかね」と聞きたかったが聞かなかった。どんな予約をSさんはしたのだろうか。それはそうと、「予防接種をお願いします」と声をかけて待合室に行くと今度は馬込の人が2人いて、「どうしたんですか?具合でも悪いんですか」と心配してもらった。
▼「具合悪かとさね」と言ったら顔色が変わったので、「うそ」と言ってすぐに否定した。予防接種だと言うと、「わたしたちは費用が安かとですよ。いいですねぇ。若いから。わたしも高い費用を払ってでも若い人に入れてもらいたいわ」。あまり喜べないぞ。とか何とか言っていたら順番が回ってきて、「チクッとしますよ」と言われて注射が終わった。司祭館に戻ると痛みが出て来て、あとではぼーっとしてきて、結局夜6時から8時半までは布団にもぐっていた。
▼23日、久しぶりの平日の休日。ちょっと気晴らしに、いつもと違う場所に出かけてみた。まぁやることにたいした変わりはないのだが、バーチャルとリアルの違いとだけ言っておこう。大いに楽しんだし、次の日からの忙しい期間への充電になった。これから新しい年に向かって、エンジン全開で説教書くぞ。
(No.393)08/12/28
▼今年の最後、いとこの葬式をすることになった。どうして?と思う気持ちもあるが、神さま自身への信頼と神の計画への信頼を問われているかも知れない。まだ1度も、親戚で近い年齢の人を送ったことがないので、今回の葬式は考えさせられた。ご両親共に生きておられるわけで、一人息子を失ったこれからをどう生きていくのか、本当に心配だ。
▼年賀状を書く必要はなくなったわけだが、今年はなぜかいろいろの心づくしが届く。もしかしたら私のことを心配してなのかも知れない。そうであるとすれば、私はもう少ししおれていなければ同情票をもらえないことになる。こういう時、中年太りしていると損をする。それでも、前よりも髪が抜け落ちているので、その面では同情してもらえるかも。
▼机の上を片付けたい。それはつまり積み上げた仕事を片付けなければ片付かないのだが、私の机は永久に表面を見ないで終わるのかも知れない。何ものせずに机の天板が見えている場所は、今のところどこもない。どうしてこんなに片付けが悪いのか。いっそのこと全部段ボール箱に押しやって、見なかったことにしたいくらいだ。
▼今年もあと2日となり、できたこととできなかったことを振り返る時期が来た。できなかったことがはるかに多いが、たくさんの人の協力で、列福式の広報活動に携わり、一定の足跡を残すことはできたと思う。ほかにも何かできたかも知れないが、あまり長期の計画を立てずにその日暮らしをしているゆえに、特別思い出すこともない。
▼何も思い当たる節はないけれども、決まり切ったこととして1年間やり通したことはまるまる1年分積み上がった。このメルマガがそうだし、録音説教がそうだし、視覚障害のある方に毎月届けた宗教の話の録音がそうだし、子ども向けのカトリック雑誌「こじか」に1年間掲載した記事もそうだろう。そうしたことは、確かに形になったと言えば言えないこともない。
▼ただ、それらは私の記憶には残らないだろう。なぜなら自分のためには何一つしていないのだから。あとで報酬という形で何かが返ってくるかも知れないが、それも忘れた頃にやってくれば、何の報酬だったかなとこちらが考えるくらいだから、お金のために働いたのでもない。かっこよく言えば、「だれかのための仕事」である。だれかが、それを覚えてくれて、「あの時あの記事で勇気づけられた」とか、そういうことがあれば本望である。
▼残すところあと3日。あと3日後にも、元気で皆さんと会えますように。もしそうでない人とは、3日後に復活して、私とまた会ってください。
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