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19/01/01(No.981)

▼新年明けましておめでとうございます。カトリック新聞に前田万葉枢機卿様のインタビュー記事が載っていた。予想はしていたが、大司教の時よりも激務のようだ。お体に十分留意してください。健康のために短いお祈りをささげます。
▼12月29日から教会敷地内に設置されている「案内所」が年末年始の業務を閉めている。年に一度、「はい、田平教会です。1月3日まで拝観を停止しております。外観のみ見学ください」と案内をする時期だ。もちろん主任司祭が案内する。
▼12月29日、この記事を書いている時点で案内業務の電話がかかったのは一本。今境内内で歩いて回っている家族?が一組。この家族の子供は公園か何かと混同しているのか、すごくはしゃいだ声だ。誰も声をかけない期間だから、公園と見間違えてくる人もいるのかも知れない。
▼これからすぐに黙想会が始まる。1月2日は、帰省者のための黙想会が田平教会の恒例行事だ。初めは「毎年黙想会をするのか〜」とため息をついていたが、ものは考えようで、ここで話したことがあとで実になることもあるだろうから、黙って引き受ける。ちなみに今回話す内容の半分は、佐世保地区でも講師として話すことになっている。
▼自分の中では、今年は「献堂百周年を受けて、一歩前に出る田平教会信者になりましょう」というテーマを持っている。私たちが受け継いだ信仰の宝物を、「守る」姿勢で接するよりも、「一歩前に出て、人々に示す」姿勢で接して欲しいからだ。
▼そういうつもりで、来月の教会新聞「瀬戸山の風」には書こうと思っている。思いついたことを書く。何度か読み返してみて、「これで行こう」と思ったらテーマと言うよりも思ったことを書く。「いきなり書いた」「相談して欲しかった」そう思う人は、動きが一歩遅いのではないだろうか。


19/01/06(No.982)

▼銀祝の祝いに佐世保の親戚から贈ってもらった「黄金」。ではなく「ルームランナー」。一昨年はみっちり使ったが、去年の司祭団マラソン大会を終了したらパタッと使わなくなった。申し訳ないと思いつつ、もう一度使うきっかけがなかなか来なかった。結局今年のマラソン大会に向けて、一年ぶりに使う羽目に。
▼いろいろ細かな設定はないが、10分、20分、30分の設定タイムがあり、4種類の運動メニューがある。これだけあれば、自分のレベルなら十分である。もし使い続けて故障したら、十分使ったということで報告して、その時点でさらに上級の機械を買ってもよい。
▼寒い時期にトレーニングすると、お風呂が困る。お湯をためておくにも、自動で止まらないので見に行かなければならない。20分でお湯がたまるが、トレーニングは40分、できれば50分続けたい。すると20分使ってお湯をために行き、戻って20分続け、お湯を止めに行ってさらに戻って10分。この行ったり来たりがどうも。
▼快適に暮らすために住まいの改築をする人もいると思う。幸いに風呂場は文化財に含まれない。改築して快適なお風呂環境を利用できる期間は限られているが、私の時代にしたことで恩恵を受ける人たちがまだまだいる。そういうことだ。



19/01/13(No.983)

▼カトリック教会の典礼用の聖書は、新共同訳聖書が使われている。カトリック教会にはフランシスコ会訳聖書という立派な聖書があるが、未だ典礼用の聖書に採用されていない。新共同訳聖書の使用が長くなってきたので、切り替えるのはさらに難しそうだ。
▼長く同じ聖書を朗読していると、その聖書の引用句を覚えてしまう。新共同訳聖書とフランシスコ会訳聖書とではニュアンスの違いがあると思うのだが、私が思い出せるのは新共同訳聖書だけになってしまった。フランシスコ会訳聖書を親しく読む努力が足りない。
▼そう言えば、中学生の勉強の始めは、天主の十戒を唱えさせている。「初めの祈り」でない理由は二つあって、「初めの祈り」はもう練習する必要がないだろうということと、この子たちが頻繁に天主の十戒を唱えて、覚えて欲しいからだ。堅信組の祈りの試験の遠い準備でもある。
▼似たようなことだが、私もふだんの聖書朗読に、フランシスコ会訳聖書を読むのが良いかも知れない。新共同訳聖書の朗読はもう十分やってきたのだから、フランシスコ会が心血注いで完成させた日本語訳聖書を体に覚えさせるために、今すぐ取りかからないと間に合わなくなる。
▼自分がどうこうできる問題ではないが、フランシスコ会のこれだけの大作を、日本の司教団はどう根付かせるのだろうか。ちなみに昨年末に「聖書協会共同訳」というのが出版された。新共同訳聖書のようなものだと思うが、今後この聖書がカトリック教会の典礼用聖書として採用されれば、ますますフランシスコ会訳聖書の典礼採用は遠のくのだろうか。



19/01/20(No.984)

▼とうとうトレーニングはルームランナーばっかりになってしまった。外を走りに行くとそれなりの格好をしなければならないし、寒い上に日焼けする。ルームランナーだと30分のトレーニングを30分でこなせるが、外に出るとそうはいかない。まぁ、簡単に言えば怠けているのだ。
▼始めてルームランナーの斜度を利用してみた。1.5度、3度の傾斜をつけることができて、3度の傾斜で使用している。たかが3度だが侮るなかれ。これまでのフラットな状態でのトレーニングより30%くらい負荷がかかっているように感じる。なかなかいいぞ。
▼外を走ると「土曜日は説教を考える時間が欲しいから休み」と簡単に口実を見つけていたが、ルームランナーは短い時間でもトレーニングできるから言い訳はできない。やるか、やらないか。それだけだ。カレンダーにもトレーニングした時間の「30」という書き込みをすることにした。
▼世の中、ブログは掃いて捨てるほどある。最近またブログを追加した。AmebaブログとLineブログ。何かどこかで目にとまる人が、日常生活をいったん足を止めて心を神に向ける場所になれば。説教の原稿は拙いが、理想は高い。
▼水が、ぶどう酒に変わる。平凡な人間が、神の指のわざを届ける道具に変わる。人間は弱くて、間違いも犯すし何者かであるかのような勘違いもする。そんな「ガラクタ」を、神は辛抱強くご自身の道具として使ってくださる。常に、取り扱うことの重さを、忘れない、自分に言い聞かせる、そんな積み重ねで日々を過ごしたいものだ。



19/01/27(No.985)

▼いよいよ司祭団マラソン大会だ。厳しい天気が予想されるが、スタートラインに着く自分の姿は思い描くことができる。たいした練習は積んでないが、正月からほぼ毎日、40分ほどの練習をした。順位争いのレースはできないが、楽しく走って帰りたい。
▼教会報の「瀬戸山の風」に「それでもマラソンに行く『おかしな』理由」として記事を書いた。辛い思いをして、納得していない順位を走る姿に「頑張れ」と声をかけてもらう。自分でも変人だと思う。それでもよい。苦しい思いをして年の初めを乗り切れば、一年の苦労などたいした苦労ではなくなるはず。
▼しかも今年は、司祭団マラソン大会を終えた後も、ルームランナーに乗っている自分を思い描くことができる。今年の収穫はこれかも知れない。司祭団マラソン大会も、かなり長い「毎日の練習」の一環。そういうイメージを描けているので、ことしこそもたついた身体とおさらばだ。
▼金曜日の中学生の教会学校で、「毎日続けることは英雄的行為だよ」と話した。毎日ルームランナーに乗る(およそ150キロカロリーを消費)のを「英雄的行為」とは決して思わないが、またいつか中学生に「英雄的行為」に触れる時に、毎日続けていたら自信を持って「たとえ」として紹介できる。


19/2/3(No.986)

▼今年のマラソン大会は、本気で「通過点」だと思っている。トレーニングをする中で当日を迎え、今日(土)も練習を再開している。カレンダーにもトレーニングに掛けた時間を真面目に記録している。あと1〜2ヶ月もすれば、私の顔はヘルメットの中でも隙間ができるだろう。
▼暴飲暴食もしなくなった。全くしないというわけではないが、トレーニングのおかげなのか、急に体重が増えることもなくなった。あちこち疲労は残るが、痛めて翌日練習を休むという場面は全くない。とても良い状態だ。案外これが唯一心配な点かも知れない。
▼2月5日は日本26聖人殉教者の祝日。教区主催のミサは明日3日に26聖人記念館前の広場でささげられる。都合があって行けない。5日に、田平教会でミサをささげる。この田平教会は26聖人にささげられた教会だ。26人の司祭を輩出することを目指してささげられた教会だ。
▼現時点で22人なので、26人目を見ることは私はないが、いつの日にかそういう日が来て欲しい。そう願ってミサをささげようと思っている。私たちは現実が22人であっても、26人になることを悠然と願ってミサをささげる。
▼「今こういうことをして何になるのか。」今を見て考えればそうだろう。しかし教会の歩みは50年とか、100年の歩みでもある。私は揺らぐことなく、まかれた種が実を結ぶことを信じ、悠然とミサをささげる。



19/2/10(No.987)

▼「イエスのことばに信頼して一歩を踏み出すと、状況は一変する。」果たしてそうであろうか。そうであって欲しい。放蕩息子のたとえは、父親の財産を無駄にしてしまったが、かつて父に愛された日々を思い出し、立ち直った。財産は無駄になったが、父のことばによって生きる者となった。
▼大好きな韓国ドラマの中で、「イ・サン」というのがあって、その中である人物が牢に入れられ、牢の中からこう言う。「大きな権力を手にした者は、転落も早いものだ。今の私がそうであるように、いずれそなたも同じ目に遭うであろう。」野心に駆られた人物が、野心に燃える同じタイプの人に忠告する。そして同じことがドラマでは起こった。
▼私たちは神の手の中にあるのだから、神の言葉に信頼を置いて一歩を踏み出すのでなければ、やはり世の中と同じ目に遭うのではなかろうか。神の言葉に信頼を置いて再出発するために、この世のものをどれだけ失っても、再出発さえできれば。実はそこまでの気持ちには到達していないのだが、そうでありたい。そう信じたい。
▼いよいよプロ野球もキャンプ情報が入り出し、自分もじっとしていられなくなってきた。日南キャンプを視察しに行こう。今年の目玉は長野選手。自分としては、「巨人の看板」を引きずっていないか、その辺を見てみたい。すっかりチームの一員となってチームを盛り上げてくれていたらと、心から願っている。


19/2/17(No.988)

▼田平から宿を取った都城市まで車で走った。6時間もかかった。帰りも6時間。片道5千円くらい浮くけれども、数人で行くならまだしも、一人で行く時は交通費がかかっても公共機関で行くべし。都城グリーンホテルに到着した時は、ばったり倒れてしまった。
▼一通り、周囲の町を見渡す。都城駅周辺も、結構な都会だった。ここでは夕食だけしかお金を使わず、明日の日南市油津にある天福球場までの道のりと、明日球場に着いてからどの選手を見ることができるだろうかと思うとじっとしていられなかった。
▼翌日。朝早くから朝食をとって、ナビの言われるままに一時間ちょっと車を走らせた。そう言えば思い出した。朝、車を見たらボンネットも屋根も凍っていた。「宮崎だよね?ここ」首をかしげる。車のエンジンをかけ、暖房を入れてしばらく氷を取り除く。
▼一時間ちょっとのドライブが、どこをどう走ったかは分からない。気にもしていないが、日南市の漁港がナビに現れた時、道路に立て看板が見えた。「カープキャンプ観戦駐車場はこちら。」正確な表記は覚えていないが、その看板を見た時「キター!」と思ったのは確かだ。ひょっとしたら、それで満足して田平に帰っても構わない、それくらいの興奮だった。
▼駐車場に車を置くと、人が集まっている場所があり、のぞいてみると球場行きシャトルバス乗り場だった。30分おきにバスが運んでいるそうで、ウキウキして乗ると、同乗した年配の人たちが得意げに自分のひいきの選手が昨日はああだった、今日はどうだろうかと話をしている。それだけで、「盛り上がってるなぁ」と思ったのだった。
▼準備体操を重ねている頃に球場に入った。長野選手を探していたのだが、お恥ずかしいことに見つけられない。そうこうしていると近くにいたファンが「あ、あれ長野じゃ?」と言っている。慌ててカメラを向ける。熱心なカープ女子の用意していたカメラに驚く。長さ50cmはあろうかと思われるレンズをセットしたカメラを一脚にセットしていた。それに比べたら私のEOS Kiss X9がオモチャに見えた。



19/2/24(No.989)

▼堅信式が先週終わり、ほっとした。この子たちが田平教会、平戸地区の希望となっていく子供達だ。よく話を聞いてみると、全員部活のキャプテンだという。人気・実力が無ければ、そう選ばれるものではない。
▼初聖体が今週行われる。女の子一人と、男の子二人。頭の回転の良さそうな子供がいる。その子が必ずしも教会に親しんでくれるとは限らないが。ただ、頭のいい子は将来何かを成し遂げ、結果を残す。それが回り回って、歳を重ねた自分に届いてくれたらと願うばかりだ。
▼先週と今週、子供のために説教を考えてみた。子供は勘がいいから、話が真実かどうかをすぐに見抜く。私の説教は、子供達に真実と受け止めてもらえるだろうか。騙せる人を騙せても、子供を騙すことはできない。
▼とても良い話をいただき、ボートが利用できるようになった。いろいろ備品が必要になる。そろえていく楽しみがある。ただ、「ここは結果を出せる場所だ」と言える場所をまだ見つけていない。これからいろんなことを試して、人を乗せて案内できるようになりたい。


19/3/3(No.990)

▼メガネがいまいち合わなくなってきたのでメガネを新調しに行ったが、新調する前のメガネのほうがしっくりいくというのはガックリというもの。その場では店員とよく相談して選び、作ってもらったのに。
▼これから、四旬節は黙想会のシーズン。あちこちの黙想会に手伝いに行くことも。長崎教区は教区全体として四旬節を過ごしているということか。喜ばしいことだ。この黙想会を通して、今週の福音が求める「自分の目から丸太を取り除く」季節につなげたい。
▼暖かい冬だった。雪を見たのは一度だけだったのではないか。ある先輩司祭が「暖冬の年は猛暑になる」と言われた。どのような影響でそうなるのか分からないが、経験があるのだろう。夏が好きでなくなってきたので、今年は何を楽しみに過ごそうか。
▼8月12日振替休日に、広島の恩人を頼って広島巨人戦のチケットを入手できないかお願いしていた。最近のニュースでも取り上げられたとおり、マツダスタジアムのチケット入手は困難を極めている。残念ながら、恩人が八方手を尽くしたにもかかわらず、チケットは入手できなかった。
▼ところが阪神広島戦を今年は予定に入れている。阪神主催のゲームだ。このチケットを入手するために、「不本意ではあるが」ファンクラブに入った。入会金2700円を払ってでも、チケット売買サイトで入手するよりも割安なのだ。
▼田平教会に「阪神ファンクラブ入会案内」が届いた。想像できるだろうか?この真っ赤なファンの家に、虎ブル発生。会員冊子など、読みもせずに机に積み上がっている。いったい誰が、この情景を想像できただろうか。



19/3/10(No.991)

▼陸の地図は普通に「地図」と呼ぶが、海の地図は「海図」と呼ぶ。海図もいろいろあって、海底の地形を詳細に示したものから、プレジャーボートに「少なくともここは岩があって危ないよ」くらいの地図もある。釣りに必要なのは詳細な海底の地形だ。
▼長崎県北部に当たる海図は、転勤をしらされたときにすぐに入手した。これで釣りするぞ!と思ってワクワクした。実際その地図を頼りに何度が海に出て、地形が正しいか、地形が教える魚に出会えるのか確かめた。ただ私の腕が悪くて、あまり活用できなかった。
▼その「長崎県北部版」をあらためて見ると、さらに狭い範囲に四角の囲みが見つかった。193番という数字も見える。これはつまり、「このエリアに関する詳細な地図がありますよ」という案内だ。早速海図ネットショップを当たり、2700円の品物だが送料1300円くらい払って(たけぇ!)手に入れ、眺めている。
▼まるで、「平戸瀬戸は俺の海だ」みたいに気持ちが大きくなって眺めている。これまでの「長崎県北版」よりも詳細な地形図になっている。これを見ると、この前まで釣りをしていた場所がどのような地形か、確かに手に取るように分かる。
▼では、なぜこの海図をもっと早く手に入れなかったのか。理由は二つある。一つは、長崎県北部版を手に入れたとき、確かに平戸瀬戸エリアの海図を示す囲みは合ったと思うが、私の見立てが甘かった。つまり、「自分は平戸瀬戸のようなちっちゃなエリアにこだわらずに平戸全域で釣りをするのだ」こんなふうに考えていた。
▼もう一つは、赴任して早速平戸瀬戸に行ったその最初、速い潮の流れに手こずり、「これはもう釣りにならない。私の腕では太刀打ちできない」と観念したのだった。だから平戸瀬戸の海図があっても仕方ないではないか。そんな気持ちだった。
▼今は違う。もう一度挑戦する気持ちがわいてきた。お客様が来るので。天気次第だが、アラカブをお客様と釣って、味噌汁を味わいたい。その夢の実現のために、平戸瀬戸の攻略法を探ろうと思う。


19/3/17(No.992)

▼司祭の恵みを頂いたとき、真っ赤に焼けた鉄のようだったと思う。まだ熱量があり、どのような形にも変わることができた。数年の助任生活でハンマーでたたいてさらに鍛えられ、立派になった。人前に出しても恥ずかしくない状態に仕上げてもらい、それから主任となって派遣されていった。
▼しかし今はどうだろう。鋼の表面には錆が目立ち、腐食が進み、脆くなっている。粘りもなく、力が加われば折れてしまう。そんな状態だろうか。腐食の進んだ鉄はもはや「鉄くず」。残念ながら解体処理しかないだろう。
▼いっそのこと、もう一度溶鉱炉に投げ込まれたらと思う。身をこがず思いをするかも知れないが、溶かされてもう一度形を与えられるなら、残りの20年か25年かを良い形で奉仕できるのではないだろうか。幸いに私たちには家族がいないから、溶鉱炉で溶かされてゼロからの出発でも何も問題は起こらないのだから。
▼最近毎日のようにルームランナーに乗ったおかげか、一年前のズボンに両手がすっぽり入るようになった。朝ミサに二度寝して慌てて駆け込むにしても、ズボンにベルトを通さずに行くと大変なことになる。ズボンがぶかぶかなので、ミサ中に内股に歩いてズボンが落ちないようにしなければならない。
▼身体が絞れて、ズボンが落ちるのも、肉体をいったん溶鉱炉に投げ込んで形を与え直してもらうようなものだ。数年ぶりに77キロ台に突入した。これまでどれだけ重い身体を引きずって歩いていたのだろう。こうなったらもう少し目標を高く据えて、75キロ台を目指してみたい。



19/3/24(No.993)

▼教会の典礼上の規定では、四旬節中は主日に葬儀・結婚式をミサを伴う形で行うことができない。そうなると「ミサを伴わない儀式」ということになる。やはり当人たちには「ミサをしてもらいたい」という気持ちがあるので、こちらとしても心苦しい。
▼21日(木)に高齢のご婦人が亡くなった。通夜と葬儀の日程を組む。連絡が21日の夜だったので、「日曜日を葬儀に指定するかもしれない」と思っていたが、ご遺族から「日曜日になるとミサの葬式はできないんでしょ?」と尋ねられた。規定を説明したことをよく承知していて、先に聞いてきたのだった。
▼「そうなんだよ。金曜日に通夜、土曜日に葬儀ミサがいいね。」私もミサをささげて送り出したかった。そして実際にそのようになったのでほっとしている。ただこのようなケースはこれからも考えられる。一つ一つのケースに説明をするのかと思うと、もっと緩和してもらえないかと思うこともある。
▼もちろん、結婚式を四旬節中に、というのは本人たちによく説明しておくべきだ。だが葬式は、個人の死は、誰にも止められない。そう考えると葬儀ミサだけでも、規定を緩和してもらえないだろうか。
▼葬儀をして送り出した故人は、司祭の親戚がいて、大変お世話になった歴代主任司祭もいる。私はただ、3年間お世話しただけなので、関係の司祭が来てくれるなら、謝礼もそっくりお渡しするのでお願いしたいくらいだ。
▼土曜日はただでさえ忙しいので、葬儀が入った土曜日はこんなものだと、今回のことで頭と身体が同時に理解するだろう。頭では理解できても、身体がうまく受け入れるかどうか。身体と頭は繊細だ。頭が付いていかないこともあれば、身体が受け付けないときもある。


19/3/31(No.994)

▼田平小教区は教会報を出している。月末に発刊しているので3月は30日に編集して30日と31日のミサで各地区の連絡員さんが配布する。当然(だと思っているが)主任司祭は毎月原稿を提出するので、月末のタイミングを意識していなければならない。
▼ところが今月3月に限っては編集会議のその日まで原稿のことを思い出しては忘れの繰り返しだった。結局、編集会議が午後に開かれるという30日の午前中に慌てて提出した次第。考えは少し前からあったものの、慌てたことに違いはない。
▼司祭になって最初の赴任地で、「薬にも毒にもならないことは書くな」と主任司祭から言われたことがある。これはいつも肝に銘じていた。しかし、ここ田平にいたって最初の主任司祭にお詫びをしなければならないかもしれない。とうとう、「薬にも毒にもならない記事」を書き始めているのではないか。そう思うことがある。
▼薬にと思って、あるいは毒を吐いて、記事を書くと、それなりに厳しい反応が返ってくる。それは覚悟の上、と思っていたが、「薬を薬と思ってくれなければ、毒を毒と思って警戒してくれなければ、書いても同じか。」どこかでそう思っている自分もいる。
▼何というか、少し燃料が燃えなくなってきたのだろうか。洗礼者ヨハネのような「燃えて輝くともしび」であるはずの使命を見失いつつあるのか。務めをこなすだけで、思考を停止させているのか、とにかく自分が自分でなくなるような感じか。
▼自分と向き合い、自分に声を掛ける必要を感じている。



19/4/7(No.995)

▼司教様と暮らす日々は、想像した通りではなかった。ふだん大司教と毎日暮らす秘書とか、関係者の方々の思いに初めて触れた三日間だった。たいして気を遣わない私でも気を遣ったのだから、ふだん神経の細やかな人は、どれほどだろうか。
▼大阪に大型連休は足を伸ばすことにした。とは言え連休後半には「クルシリヨ」という錬成会が長崎黙想の家で計画されていて、少なくともその感謝のミサには参加しなければならないと思うから、大型連休の計画は大阪行きとクルシリヨ感謝ミサ・茶話会の2つを予定している。
▼事務的なことでは、教区評議会総会が5月3日の日付指定で行われるので本来は参加すべきだ。ただ今回は異動する司祭たちの日程もあり、流動的だと思う。私に届いた参加案内には「欠席(委任します)」と出したが、場合によってはあらためて教区評議会に「出席します」で出し直す必要があるかもしれない。
▼大阪では人に会う。田平を離れて子供達に引き取られたご老人だ。私が田平に来て出会った恩人である。田平がよほど懐かしいのか、大阪に来てからは元気がないと聞いている。私はイエス・キリストではないが、元気が出るきっかけになればと思い、田平教会報「瀬戸山の風」を届けに行く予定。
▼「予定はそれだけ?」勘ぐられるのも当然である。なぜなら別のときに「野球観戦のチケットを買うため、不本意ながらタイガースファンクラブに入った」と触れたことがあるから、「この連休で大阪に行くなら、それだけではないでしょう」と言われて当然なのだ。
▼ご推察の通り。ただ広島阪神戦(ビジターゲームだから阪神広島戦か?)は自由に観戦させて欲しい。


19/4/14(No.996)

▼「逃した魚は大きい。」これは釣りの定説?だが、分からないでもない。私は二度、ラインをぶち切られて魚を逃したことがある。どちらも経験不足と言えば経験不足だが、もう少し考えると準備不足、心の準備不足である。
▼一度は伊王島港の目の前で。想像だが、あれはスズキとか、シーバスと言われる魚だったのではないか。みるみるうちに竿が海中に突き刺さり、建て直す暇もなくブチッと糸を切られた。あの日はアジ釣りをしていて、アジの仕掛けにスズキがかかったとしたら、ひとたまりもない。
▼もう一度は浜串で。こちらもタイラバで経験を積み始めている頃。しかも竿は本来スズキなどを強引にたぐり寄せる固い竿だ。もう少し柔らかめの竿であったなら、また違ったかもしれない。さらに悪いことに、ラインを引き出されたくないものだからそのままなら取り込めたはずのドラグのテンションを強くしてしまった。綱引きとなり、あっけなく引きちぎられた。
▼魚を逃がすのは「予想していないときに釣れた」からであり、「予想や見立てが甘い」からであり、最終的には「何が釣れるか分からない」という心の準備が足りないためである。これらのことを総合して、「逃した魚は大きい」のだ。
▼それからすると、今回仕留めたタイは運が良かった。準備は良かった(1キロ未満の魚を想定して道具のセッティングをしていた)わけだが、格闘し始めて「ショックリーダーに傷がなかっただろうか?頼むから切れないでくれ!」この一念で格闘して仕留めた。あとでぶら下げる秤にかけたところ、7キロの大物だった。浜串時代の4.3キロを楽々越えて新記録となった。
▼オチがさらに面白い。私はタイラバ釣りでは基本的に300円〜400円の疑似餌を使っている。しかしこの日は、釣るつもりが端からなかったので、5個入り260円のタコベイトを結んで釣りをしていた。だからあのタイは、人生(人じゃないが)最後に口にしたのが52円のタコベイトだったわけだ。これは残念。すべて無駄なく食べた。安らかに。



19/4/18(No.997)

▼NHK総合、日曜日朝の番組で「演芸図鑑」というのがあって、三遊亭圓歌師匠の落語が披露された。だが三遊亭圓歌師匠は亡くなったはずだが、と思っていたら四代目が決まり、七月に襲名披露を行うとのこと。それを周知するために、各地を回っているのかなと思いつつ、新しく三遊亭圓歌を襲名する師匠の落語を聞いていた。
▼人情話というジャンルなのかなと思った。演目は「母のアンカ」というもので、幼い頃母親の太ももに足をくっつけて寝ていた少年に、生計のために大阪に出稼ぎに出ている母親から電気アンカが届く。これで寒い日も温かくして眠った少年がのちに大人になり、母にこう尋ねる。
▼「お母ちゃん。当時は新婚旅行は宮崎鹿児島がブームだったよね。どうしてお母ちゃんは宮崎鹿児島の温泉に就職しなかったの?どうして大阪の紡績工場に行ったの?遠かったから二年に一回しか会えなくて寂しかったよ。宮崎鹿児島だったら、毎週会えたのに。」
▼母はこう答えた。「サトシ。お母さん知恵が足りなかったね。ごめんね。」涙を絞り出すような落語でもらい泣きした。たしかに宮崎鹿児島に就職していたら、毎週でも会えたかもしれない。だがそうなっていたら、この落語は完成せず、四代目襲名の日もまた違っていたかもしれない。
▼すべては出会うべくして出会っている。起こるべくして起こっている。神はやはり、愛のほかに与えることがないのだと思う。神の愛に応えて、私たちも愛に背くものを願ったり人に与えたりしてはいけない。



19/4/19(No.998)

▼皆さんにも、「今年こそは」という何かがあるのではないだろうか。私が今思いつくのは、「今年こそはエアメールをフランスに送るぞ」ということ。ここ田平に来てから復活祭とクリスマスにフランスから手紙が届いている。それなのに一度も、返事を出していないのである。
▼相手は、田平出身の幼きイエズス会のシスター。几帳面に手紙を書いてくださるのだが、フランスの住所を見るたびに「あー、自分が書いた住所で届くだろうか」とひるんでしまい、今まで出せずじまいなのである。ただの言い訳だが。
▼そのシスターが一度、ふるさとに帰ってくる機会があって、お目にかかったことがある。高齢ではあるが、気骨のあるシスターで、フランスでもバリバリ活躍していそうな雰囲気を持つ方だった。私はどうしても、今年の復活祭には手紙を届けたい。
▼幸いに、親戚には私の後輩に当たる司祭もいて、いよいよとなればこの神父様に住所を書いてもらえば済む。そんな大船に乗った気持ちで、「今年こそは」手紙を届けるのだ。
▼「今年こそは」ですでに達成していることもある。ルームランナーで身体に刺激を与え続け、体重はここ数年で一度も到達していない77キロ台になっている。体脂肪率がまだ23%台、まれに22%台の時もあるが、こちらもできれば20%台に持っていきたい。健康的な身体、もっと言うと「おじさん体型」を脱したいのである。すでに脱しつつある。
▼皆さんの「今年こそは」は何だろうか。イエスは死んでいる人に「出てきなさい」と言い、三十八年間寝たきりの人に「起き上がり、床を担いで歩きなさい」と呼ぶ。だから不可能と思える目標でも、イエスに信頼を寄せて始めよう。イエスが声をかけてくだされば、不可能も可能となるはずだ。



19/4/20(No.999)

▼広島カープは復活するだろうか?延長戦1イニングでの12失点はプロ野球新記録だとか。開幕から4カード連続で負け越した場合の優勝の確率は0%だとか。気になる材料には事欠かない。四月にこれだけ出尽くしたら、もう不安材料はなくなるでしょ。
▼復活の主日までのささやかな楽しみは、朝が遅いこと。聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日朝のミサをしない。聖金曜日はもちろん終日ミサができないけど。だから朝7時までゴロゴロするのだ。ゴロゴロというのは、悲しいことにどうしても目は覚めるので、それでも布団から出ないということだ。
▼今年の運は、4月8日(月)にすべて使い果たした。7キロの鯛の話はすでに触れたが、さすがにこれ以上はなかろう。大鯛の実績のある場所に誰か連れて行ってくれれば別だが、自力であれ以上の魚に巡り会うのは無理だと思う。そういうことで、運を使い果たしたので残る8ヶ月は運ではなく実力。もしくは運ではなく運命。
▼どうやら今年は、聖週間の説教をプリントにして小教区で配れそうである。ただプリントにして配って、喜んでくれる人がいるのかどうか疑っている。誰かは喜んでくれると思うが、その「誰か」が誰なのか、皆目見当が付かない。
▼何通りかの冊子を考えている。A5サイズとか、B5サイズとか、PDFの形も同時に作るか。たとえば20部用意してすべて無くなれば、来年は40部くらい作ってもいいと思う。ただ、私のアイディアは独りよがりなのか、歓迎されない場面に出くわす。
▼「預言者は故郷では歓迎されない。」私がここで考える「故郷」は「教会」である。このメルマガ、ブログでもカトリックで読まれている人からの反応よりも、カトリック以外の人からの反応が目立つ。もちろんカトリック、それも身近な人もいるが、思いがけないカトリック以外の人の反応には驚く。復活のイエスの働きを届けることがまず第一で、誰に届くかは問題ではない。


19/4/21(No.1000)

▼話のネタを新聞から拾う人がいる。司祭も話のネタを新聞から拾うこともあるが、最終的に司祭が語る材料を拾う場所は聖書である。聖書、特にイエス・キリストの生涯を綴った福音書が、私たち司祭の話の引き出しだ。
▼司祭はまとまった話を求められるとき、当然準備が必要になる。材料を拾ってくる。新聞もあるかもしれない。テレビもあるかもしれない。しかしそれらをまとめる中心線は、やはり福音書であり、イエス・キリストの言葉である。一度時事ネタを満載した講話を聞いたことがあるが、最後に思ったのは「結局何が言いたかったの?」ということだった。
▼私たち司祭がいくらかでもお役に立てることがあるとすれば、それは福音を語るときである。福音を語らなければ、もっとお金になる話も、もっと生活が便利になる話も、専門家は世の中にいる。司祭が太刀打ちできるはずがない。そこで司祭は、司祭でしか活きてこない分野を深く掘り下げるのである。
▼27年目に突入した。なんと27年である。同じことを、同じように、である。それでもよい。引き出しは豊富になっている。深く掘り下げた実感もある。司祭の働きで死にかかった人が明日に希望を置いてみると、前を向いて帰って行ったこともある。それだけでよい。



19/4/28(No.1001)

▼司祭になったとき、浦上教会に放り込まれて、右も左も分からず、一週間は食べた食事の味も分からずに過ごしたことを懐かしく思い出す。人の輪に飛び込んでいくこともできず、先輩たちがたくさん信者に囲まれ、子供達に囲まれているのを見ては自分を恥ずかしく思っていた。
▼時が経ち、人の輪に入っていくこともできるようになった。それでも基本的ににぎやかな人ではないので、いつもエネルギーを必要としている。「自分の社交性の無さは、もともと司祭職に不向きだったのではないか?」そんな悩みをいくらかでも和らげてくれる出来事があった。
▼私は中学時代からの同級生がいる。その中でも特別に意識してきた同僚がいる。「張り合う仲間」と言ったら良いだろうか。お互いに決して「お前は俺のライバル」と言ったりはしないが、どこかで猛烈に意識して司祭生活を送ってきた。
▼思いがけないことで、その同僚から自分への評価を聞く機会があった。彼は私に「人を喜ばせる才能の持ち主」と評したそうである。私には全くの想定外だったが、彼は私を一言でそう言ったらしい。
▼その、彼によれば「人を喜ばせる才能」のおかげで、私は社交性の無さを埋め合わせ、教会家族に飛び込み、または組織を動かし、多少なりとも影響を与えてきた。私はただ懸命に努力しただけだったが、同僚はそれを「人を喜ばせる才能」と見切っていたわけだ。
▼この26年27年、その同僚と本音で話したことはない。今後もその予定はない。たぶん死ぬまでない。けれども、私を評価してくれていることを私も評価し直して生きようと思う。せっかく同じ時代に生き、一緒に叙階の恵みにあずかり、決して顔を見ないのに相手を意識し続けているのだから。



19/5/5(No.1002)

▼それにしても予想通りというか、危惧していた通りというか、阪神に負けてしまった。カープが逆転するような展開ではなかったのが、むしろ幸いだったか。タイガースファンに取り囲まれて観るカープ戦、これもかなり刺激的なものだった。
▼教区評議会総会で、聖フランシスコ病院が長崎教区の宗教法人の中に包括されるという説明を、大司教様が司祭だけの場ではなく信徒代表のいる場で話された。粛々と進められる事案だとは思うが、手を広げると抱きかかえているもののうち何かを落としてしまうようなことにならないか、多少心配ではある。
▼聖フランシスコ病院の経営状況と、国全体が抱える医師不足の中で、どれくらいこの病院を包括することで長崎からカトリックの精神を発信していくことができるか。見守っていきたい。言わば畑違いの分野を持つことが、新しい力となることを心から願う。
▼司祭館に帰ってみると、たくさんの報告事項が待っていた。一つ一つに耳を傾け、ようやく日常に帰る。座っている椅子、向き合っているパソコン、いつになっても片付かない机。ようやく日常が戻ってきた。旅行中の毎日清潔に整えられた部屋、いつの間にか取り替えられている備品といった暮らしは、貧乏人にはなじまない。
▼新しい司祭を地区に迎えた。バイクに乗ってやってきた。派手にやって来た。先輩司祭は百戦錬磨。またがっていたバイクを降りた若い主任司祭に、「お前、誰だ?」迎えている信者のご婦人方は先輩司祭たちが「誰?」といったのを真に受けて、違う人が主任司祭のはずだと探す。平戸地区の手荒い歓迎を受けて、新しい主任司祭の一日が始まった。



19/5/12(No.1003)

▼1000号過ぎたよ。990号あたりでは、「今か今か」と思っていたのだけれども、いざ1000号になってみると、忘れていた。ほんと、情けない話。この「ちょっとひとやすみ」を読んでいる人の中で、有料版を購読しておられる人がいるはず。その方は名乗り出てください。1000号記念を差し上げます。
▼「キリ番」と言って、記念になるような番号、数字を残す人もいると思う。クルマに乗っていれば、1111キロで写真を残すとか、12345キロを残すとか。1000号は立派な記念だったと思うが、何もイベントせずに通過点になってしまった。1500号はあるかもしれないが、2000号は絶対に無いぞ。
▼毎週発行しているメルマガを「毎週プレゼントが届く」と表現して喜んでくださった方がいて、「こんな声を掛けてくれる人もいるんだ」と、すごく嬉しかった。なかなかメルマガの反応にお目にかかれないが、こうしてたまに来る声援はありがたいものだ。
▼大阪で田平の人を訪ねたことを何人もの人から声かけられた。「喜んだことでしょう〜」とみんなが言っていた。甲子園とセットで行ったわけだが、それでも田平の人を訪ねていったことがこんなに話題になるとは。田平を懐かしむ人は、他にもおられる。機会を見つけて訪ねたい。



19/5/19(No.1004)

▼ネタに事欠いてぐーたらエッセーを。旅行に出て宿泊すると部屋に備え付けの「アメニティ」を利用する。だが利用はしても、ほとんどは使い捨てで終わる。まれに立派な部屋に泊まると「持ち帰ろう」と思えるような備品を見る。今回持ち帰ってきた。
▼ふだんあまり整髪料を使わないが、現在使用中の整髪料は、可能なら出先でも使用したいと思うのは当然だろう。だがそんなアイテムに限って持って行くには大きすぎる。私の整髪料も「大容量300g」とあって、仮に中身が少なくなってきていても、容器が小さくなるわけではないのでどうしてもかさばってしまう。
▼そういうわけで、「小分けする容器があればいいなぁ」と思った矢先、今回利用した宿の「シェービングジェル容器」に目が留まった。「これを使い切って、中を洗って詰め替えれば、出先で重宝するではないか!」まぁそんなところである。
▼問題はどうやって詰め替えるかだ。使い捨ての小さな容器は口も小さい。ケーキに生クリームを飾る(何と呼ぶのか知らないが)道具みたいなものを尋ね回ったが適当なものがない。あれこれ探しているうちに「注射器」を思い付いた。やはりその手のものがあった。早速注文。
▼実にこちらの希望にマッチした商品が届いた。これで整髪料を注入。ジェルタイプの整髪料が少しずつ詰まっていく。少し苦労したが、無事に完了。こうなると面白くなってもう一本詰め替えてみたくなる。こうして二本詰め替えたところで悪い癖が出た。詰め替えたら満足したのである。



19/5/26(No.1005)

▼保育園行事の聖母祭に参加してきた。計画から準備まで、カトリックではない一般の保育主任が今取り組んでくださっているそうだ。よく考えられた聖母祭だった。子供達は「五本指の祈り」という祈りをしていた。教皇フランシスコがまだアルゼンチンの司教だった時に人を祈りに招くのに用いたものだそうだ。ネットで調べた。
▼聖母にバラの花びらを撒く「花蒔き係」に選ばれた園児たちが、「五本指の祈り」の節目節目で「あめのきさき」という聖歌に合わせてバラの花びらを撒く。中には真上に撒いていて自分の頭に降ってきてマリア様に届いていない園児もいた。懸命さは、マリア様に届いていたと思う。
▼評議会メンバーの親睦会というか、今年度奉仕してくださる皆さんと食事を交えて交流を深めた。新旧交代会が年度の終わりにある。これはご苦労さんかいなので、ねぎらいの意味だが、年度初めに「よろしくお願いします」との思いを込めて食事を取ってもよいのではないか。
▼この食事会で「世の中は実績を強調して活動や人物の理解を得ようとしますが、私たち教会の活動は、『右の手のすることを左の手に知らせない』そのような活動です。だれかに強調したりしませんが、神様は目に見えて実績を作る活動も、目に見えない隠れた奉仕も、すべてよくご存知です。信頼してそれぞれの持ち場での務めを果たしてください」と励ました。
▼教会は目に見える形の中で、神様の目に見えない活動を引き継いでいる。目に見えない活動を見てくださっている神を信じていなければ、活動の力も湧いてこない。信仰が土台にあっての奉仕なのである。



19/06/02(No.1006)

▼中村倫明被選司教様と言えば、過去に私は横柄な態度を取って被選司教様に悲しい思いをさせたと思う。この場を借りてお詫びしたい。被選司教様が小神学校で働いていた時代、私は生意気な大神学生であった。
▼ある日、大神学生が小神学校に立ち寄った。夏休みに入る頃だったかもしれない。大神学生は大勢でやって来ていて、小神学校の食堂でもてなしてもらっていた。中村倫明被選司教様は好意で麦茶をついでくださっていたが、麦茶がなくなった。
▼「麦茶のおかわりください。」私はその場で中村被選司教様に言った。顔色が変わった。たたみかけるように私は言った。「今は神学校の神父様で、私たちに麦茶をついでくださっているのですから、わたしたちの求めに応じて当然でしょ。」当時はそう思っていたのである。
▼中村被選司教様は文句一つ言わず、黙って麦茶のやかんを補充して持ってきた。今になって思うと、あまりに横柄な態度だったと言わざるを得ない。たしかに大神学校時代、神学院祭という行事の中で上級生が「ボーイ」の格好をして給仕をする伝統があった。
▼私たち下級生はボーイをしている先輩を呼びつけ、「ナイフが落ちたので取ってください」などと言っていた。中にはわざと落としてボーイ役の先輩に取らせていた人もいたかもしれない。そんな延長線上で、「麦茶、おかわり」と言ったわけだ。
▼中村被選司教様は当時のことを覚えていないかもしれない。人格者なので、覚えていても「忘れた」と言うかもしれない。そんな先輩が司教様になる。私は心から敬意を表したい。そして親愛の情を持ってこれからも「倫明さん」と心の中で呼びかけたい。



19/0/0(No.1007)

▼黙想会は聖霊の照らしがある場所だと思う。自分で言うのもなんだが、ふだん司祭館にいて机に向かっていては得られないものを得ることがある。「だったら聖堂にこもって祈ってみろよ」と言われそうだが、いつもの環境では気づかないことがあるのだと思う。
▼私たちの黙想会は司祭の黙想会なので、司祭同士で学ぶ姿を見ることになる。司祭どうして祈り、司祭同士で赦し合う。小教区の主任とか助任とか、その他の責務にあるとか、そういうことから離れて、一人の司祭として、自分を見つめ、互いを見る。
▼共同でミサをする。そこは全員司祭でささげるミサ。その緊張感がとても心地よい。全員司祭という環境で、指名された司祭がミサの福音朗読後に説教をする。25年過ぎた私でも、説教台に立ちたいとは思わない。
▼若気の至りか、司祭十周年の時に説教の機会が与えられ、大神学院で大勢の先輩司祭を前に説教をしたことがある。九州管内の多くの先輩たちがいる中で、「新司祭の時、朗読担当の信徒が読み間違いをしようものなら飛んでいって間違いを指摘していました。五年経つと、優しく諭して間違いを指摘するようになりました。」
▼「十年経つと、私が行かずとも私が教育した典礼委員が注意しに行くはずと思い、様子を見ていましたら、間違って福音朗読を読んでいたその信徒が『キリストに賛美』と言うまで誰も注意しに行きませんでした。ついでに説教もすればよいのに、とさえ思ったほどです」そんなことを話した。
▼十年も経つと、その場を楽しむほど、変化したのだなと可笑しかったのである。だがこの説教は先輩方を立腹させたようで、ミサ後にお叱りを受けることになった。何かの視点が足りなかったのだと思う。それを解消して話す機会は、金祝のミサの時か。



19/06/18(No.1008)

▼すごく体調が悪く、午前中横になっていて、午後からも3時まで頭が回らず、説教と向き合うことができなかった。黙想会で英気を養ってくるつもりが、疲れて起き上がれない。年に一度か二度、気圧の関係で身体が動かないときがある。そんな一日だった。
▼申し訳ないけれども、説教案はA4一枚、原稿用紙で3枚程度だろうか。実際の説教の時間は6分くらいだろうと思う。5分弱かもしれない。張り切って現場に戻ってきたつもりだったが、黙想会を充電の場にすることができず、田平教会の皆さんにすぐには還元できそうにない。
▼黙想会を指導してくれた酒井司教様はオプス・デイ出身の司教様ではあるが、私が知る範囲の酒井司教様はどんな色にも染まっていない司教様だと思う。司教様が司教様としての働きを十分発揮できるように、続けて祈りたい。
▼そう思えるようになったのは韓国の王朝ドラマを観るようになってからだ。朝鮮の歴代の王はそれぞれの理想を掲げて王座に就くが、両手両足を朝廷の重臣に押さえつけられて思うような働きができないというのがドラマのパターンである。ドラマだと思って観ているけれども、他人事ではないと思える部分もある。だから、司教様としての働きが十分にできることを心から願っている。



19/0/0(No.1009)

▼最近「音声入力」を状況に応じて利用するようになった。初めて音声入力をしている場面を見たのは一人の先輩で、食事会の席だった。にぎやかな場所で正確に声を文字に変換し、検索させていた。それを見て「隔世の感があるなぁ」と思ったものだ。
▼実は音声入力そのものは昔からあったし、何度も取り入れた時期があった。だがどれもしっくりいかなかった。変換の能力が見劣りしたのが最大の原因だが、マイクつきのヘッドフォンをセットして利用するという「見てくれの悪さ」もあったかもしれない。
▼しかし先輩が実行していたのは、単純にスマホに呼びかけるというものだった。ただそれでも私は飛びつかなかった。今度は「スマホに話しかけている姿」に抵抗を感じたからだ。それから2年、とうとう見てくれを捨てて、利用する気持ちになった。
▼理由の一つは、変換の能力が格段に向上したこと。おそらくネットを仲介して変換しているのだろう。ネットの向こうでは大型のコンピューターネットワークがフル稼働しているに違いない。ネットの向こうで作業させる。こうなると自分のパソコンにソフトを入れて利用する音声変換が到底追いつけないのは当然である。
▼もう一つは、「ものは考え方次第」ということか。長崎に出かけて時間を持て余すとき、自分のノートパソコンがあれば仕事できるがそれがない。そういうときに、メモ書き程度なら音声入力でも十分である。メモを出張先で作り、持ち帰る。すると文字がいくらかでもできあがっているのでとても助かる。こういう用途なら使えるかなと思った。



19/0/0(No.1010)

▼もはやどこで何を言ったのか、いつ頃何を言ったのか、分からなくなってきた。かつて松永司教様がそのようなことをおっしゃって、それ以来メモを取るようになったと言っておられたが、自分のような者がメモを取らずに書いたことがダブったりするのは避けられるはずがない。
▼ある日のこと。教会聖堂内「長崎大司教区の聖堂維持協力金」の箱に、段ボール箱を献金箱の中にはめ込もうと考えた。計ってみたところA4サイズで10センチくらいの深さの箱がよさそう。空き箱を見つけて箱の天井をくり抜いて準備した。
▼箱は準備したが、たまたまそれを献金箱にはめ込むまでに日数を要してしまい、数日後に用意した箱を司祭館で探すがなぜか見つからない。あくまで推測だが、「ゴミ」だと判断されて捨てられたのだろう。あくまで推測。
▼天井をくり抜かれた箱が無造作に応接室テーブルに置かれていれば、使用済みの箱と思われても仕方ない。あきらめて別の箱を探す。あらためて見つけた箱を献金箱に当てはめてみると、意外や意外、サイズがぴったり。あらためて探した箱は、それこそ与えてくれる神様の立場から考えて与えられた、以前の箱よりも目的に叶った箱であった。
▼願い求める私が用意した空き箱が使えず、いったんは気分を害したが、新たに「もっと目的に叶った箱」が神から与えられた。「その日その時に必要なもの」を配慮してくださる神が、与えてくださる側の立場に立って願いを叶えてくれたのだと思う。
▼中田神父の理解では、願う側の立場に立って叶えられるというよりも、与えてくださる、叶えてくださる神の立場に立って与えられている。この考え方が受け入れられるなら、思い切ってこう言えるだろう。私たちが願うとき、「私たちの願いはすべて叶えられる」のである。



19/07/07(No.1011)

▼雨が続いている。九州南部に住む皆さんには、お見舞いを申し上げます。途方に暮れている人、悲しみを乗り越えようとしている人もいるでしょう。司祭はさまざまな人を思い出して祈っているので、ぜひ祈りが神様を動かしてくださると信じ、希望を失わないでいただきたい。
▼今年は思ったような天気にならない。梅雨だから雨が降るだろうと思っても、降らない地域があるし、降りすぎる地域も出てくる。私たち長崎県北部の人は、「あまり降らないなぁ」と思っている。
▼いつも7月のメルマガは霊名である聖トマスに関連して何かを書いている。教会新聞の記事もそのように書けば良かったかもしれないが、その時に浮かんだことを書いてしまい、季節感がない。季節を味わいながら生きる人でありたいものだ。
▼遊んでばかりの中田神父は、「夏休みはどうやって遊ぼうか」そんなことばかり考えている。霊名の祝いをしてもらうのも、かしこまって祝いを受けるのではなく、「どうやって楽しもうか」そんな考えで頭はいっぱいになっている。
▼そんな中、3つの物が少し気持ちを現実に向けさせてくれている。一つは25年近く使い、汚れてしまったものを買い直す機会が与えられた。毎月訪問する病人訪問バック。新調したら、私が病人になるであろう70歳過ぎまで、約20年間新鮮な気分でお見舞いに行けるようになる。
▼一つは夏物のスーツを買うことにした。ベージュのスーツを持っていたのだが、どれだけおなかを引っ込めてもズボンが入らなくなっていたので、ここが買い換え時と、今の体型に合うものを紳士服売り場で買った。これも20年は着るかもしれない。
▼一つは夏のスーツを若々しく着こなすシャツ。司祭のシャツを着用すれば当然きちっとした着こなしだが、自分としては年齢相応の見栄えに満足せず、40代の見栄えがする着こなしが目標にある。その着こなしを見事に叶えてくれるシャツが届いた。これは20年はもたないかな?



19/07/14(No.1012)

▼この2年で司祭館玄関に大きな変化が生じている。ほぼ毎日、クモが玄関前の階段にクモの巣を張っている。玄関前には階段があるが、階段の両脇に木が植えてあり、これを使って巣を張ろうとするのである。
▼なぜそうなったのか、疑っている原因があるが、それは後半に回すとして、このクモの糸のせいで私は毎日迷惑をこうむっている。朝ミサに行くたびに、このクモの巣に触れてしまい、顔にクモの糸をかけられるのだ。
▼このまえ霊名の祝いの食事会で中島みゆきの「糸」を歌ったが、さながら私の朝の日課は「♪縦の糸は私、横の糸はクモの巣」である。「♪織りなす布は、いつか誰かをからめ取って司祭召命が生まれ得るかも知れない。」なんと悠長な。
▼実はこうした状況の原因になっているのが「階段に手すりを付けたこと」ではないかと疑いを持っている。クモは風に乗って巣をかける場所に飛び移るが、これまでだと距離があって諦めていたのを、手すりができたおかげで「巣をかけてみようかな」という気になったのではなかろうか。
▼しかし手すりはどうしても必要だと判断して設置したので今さらどうこうできない。そうなると対処法は限られてくる。頻繁に階段を上り下りすること。だが面倒なので、田平教会の皆さんが頻繁にミサを頼みに来て、クモが巣をかけるのを諦めさせて欲しいな(笑)



19/07/21(No.1013)

▼15試合戦って1勝13敗1引き分けだって。「それ、どこのチーム?」と言いたくなる。ここまで広島カープが負け込むとは思っていなかった。考え方も取り組む姿勢も、何も変わっていないだろうに、こんなに負け続けるとは思わなかった。
▼ちょうど良い頃合いだ。私が球場に乗り込んで、祈りながら応援しよう。この日マツダスタジアムに聖職者は何人存在するだろうか?1人か?2人か?いずれにしても一桁しかいないだろう。その限られた職種の人間が、全身全霊の祈りを込めて応援してくる。
▼生物の進化論にはあまり興味は無いが、文化や芸術は進化するのではないかと考えている。進化なのか適応なのか分からないが、たくさんの人の工夫と努力が、いつも時代に必要とされるものを生み出してくれる。
▼「笑い」はさんざん研究し尽くされて、数千年経過しているはずだ。もはや現代人を笑わせることなど不可能のように思われるが、今も新しい笑いを提供してくれる人が現れる。ありがたいことだ。私も漫才を見ていたら、大笑いしてしまった。



19/0/0(No.1014)

▼「教会の祈り」(時課の典礼)の「寝る前の祈り」に、「良心の糾明」がある。正直、毎日毎日糾明しているわけではないが、「これは間違いだったなぁ」とか「なかなか直らないなぁ」と思う後悔が時々ある。
▼信徒の名前を聞いて、聞いたことのない名前だとする。それは私が把握していないだけなのだが、かなりの確率で「教会から遠ざかっている人だろう」と思い込んでいる。自信過剰というか、すべてを把握しているかのような傲慢が顔を出す。
▼よくよく話を聞くと、名前を知らない理由が見えてくる。知らないわけだ。もちろん最初の見立て通りに「教会生活から遠ざかっている」という場合もある。いろんな事情があり、それもよく聞いてみるとなるほどと思う。
▼ただその人たちがどのように今後教会とつながるのかは、別の問題。せっかく何かの機会があって教会との接点ができても、そこから、「私はこれからも教会につながるべきだ」と思う人ばかりではない。私を避けて、教会に来ない人すらいる。私にも責任の一端がある。
▼しつように頼む事情がここにある。私たちはあきらめが早いのか、「仕方がない」と割り切ってしまう。事情はどうあれ教会とはっきりしたつながりができた人を取り込んで「再び教会の中で生き生きとさせる」その使命が私にはある。



19/08/04(No.1015)

▼あまり褒められた話ではないが、「教会の祈り」(時課の典礼)を唱えていて、「第一唱和」を終えるときに「栄唱」が指示されていないことがたまにあって、「なぜだろう」と本気で思っていた。最近解決した。
▼本当に恥ずかしい話だが、「第二唱和」が「第一唱和」の続きである場合は、「栄唱」が指示されていない。ああそうだったのだと最近気づいた。まったく気づかずによく唱えていたものだと呆れる。
▼「教会の祈りの唱え方を説明してください」という人がいるので、説明してあげたら意外と説明することで自分が理解できていなかったことがあったと気づく。理解してはいたが、面倒に思ってサボっていたことも説明をしたことでもう一度正確に唱えるようにした部分もあった。
▼長く務めを果たしていると、25年に一度しか出会えない人や、50年に一度しか出会えない人に出会うものだ。「教会の祈りを教えてください」など、一生現れるとは思えない部類の人だ。
▼その人は私の説明でおおよそのことを理解したと思うが、その後自分で教会の祈りを唱えるのだろうか。また、25年に一度しか会えない人、50年に一度しか会えない人は、今後新たに現れるだろうか。



19/08/11(No.1016)

▼台風が気になる。15日から妹夫婦が五島の実家に帰省予定だが、果たして飛行機、船は運航するのだろうか。甥っ子に18日に長崎空港を出発する前に会えればと思っているが、それも無事に五島に帰省していればの話だ。
▼田平教会でも台風の動きが気になる。侍者を連れて16日天草に巡礼に出かけたい。だが島原と天草を結ぶフェリーは運航するのだろうか。台風10号に命じる。日本に近づく前に弱い台風になってくれ。
▼8月11日の夜に祝い日前の赦しの秘跡の時間を組んだ。お知らせは田平小教区限定で実施した。しかしどこで聞きつけたのか、違う教会からも来ているような気がする。来年からは、地区全体にお知らせしてみようか。
▼8月9日、長崎に原子爆弾が炸裂した。11時2分、浦上で赦しの秘跡の最中であった。司祭も、信徒も犠牲になった。私は11日の赦しの秘跡の最中、そのことを思い出すと思う。何の予告もなく、秘跡を授けている最中に天に召される。
▼罪の赦しを受けている最中に天に召される。そして、順番を待っている最中に天に召される。考えさせられないだろうか。



19/08/15(No.1017)

▼8月10日(土)の午前に聖母の被昇天の説教を書いた。午後からは8月11日の「年間第19主日」の説教を書く。いかにも綱渡りな準備だ。どうしても聖母被昇天の説教は年間第19主日の説教の前に済ませておきたくて、少し無理をしながら準備した。
▼8月15日はカトリック信徒の家では「ふくれまんじゅう」を作って祝うのが風習である。「酒まんじゅう」みたいなものだ。たいていどこでも「ふくれまんじゅう」と呼んでいるが、長崎市伊王島町では「ぼんと」と呼んでいた。不思議な呼び方だが、理由がある。
▼喜びを表現するのに「盆と正月が一緒に来たような喜びだ」と言うことがある。この「盆と正月」の頭だけ取って、「ぼんと」なのだそうだ。甘い物がなかった時代に、それだけ重宝されていたということだろう。
▼その土地土地に行って、「ふくれまんじゅう」をご馳走になる。味は確かにすばらしい。それでも「家庭の味」が一番だと思っている。母の「ふくれまんじゅう」には祈りが練り込まれていた。単にふくれまんじゅうを作るだけでなく、信仰の伝達を行いながら作っていた。田舎ではこうして信仰が受け継がれていたのである。



19/08/18(No.1018)

▼最終的に責任を持つ人と、最終的な責任を負わなくてよい人とは違う。24日にカトリックでない人同士の結婚式を控えているが、18日にはリハーサルを予定している。リハーサルでは「責任は私が取るので、結婚式で間違ったらどうしようとか、心配なさらずに当日臨んでください」と必ず言うことにしている。
▼ただ、その責任を負う人がミスを犯せばそのミスは取り返しが付かなくなる。たとえば、教会での挙式に必要な書類が不備のまま結婚式に臨んだとか、あるいは必要な許諾(主任司祭許可証とか)を得ていない司祭が挙式したとなると、場合によっては結婚式の有効性に疑義が生じることになる。
▼これはたとえだが、責任を持つ人がミスを犯して大笑いを一つ。侍者を連れて(金)(土)の一泊二日で旅行に出た。車三台で、総勢15人。巡礼先は鉄川与助が手がけ、世界遺産集落の教会となった天草の「崎津教会」。当地の主任神父様に貴重なお話をいただき、信徒会館をお借りして昼食もいただいた。
▼この日の最初の訪問地。記念に集合写真を撮って天草の一日巡礼が本格的に始まった。岬のマリア様を見学し、大江教会の巡礼、ロザリオ館で館長の解説まで付けてもらった資料見学。無事に天草の日程を終え、鬼池港からフェリーで天草をあとにしようとしたその時だった。
▼主任司祭が「リュックサックが見つからない」と言い出した。「よく考えてみて。」みんなが心配する。訪ねた場所に電話をかける。いずれも「見当たらない」という悪い返事。これはすべて行程をさかのぼってしらみつぶしに当たるしかない。残りのメンバーはフェリーに乗せ、主任司祭ともう一人が残った。
▼「良い連絡が入る前に、動き出して探さないと帰りの船に乗れなくなる。」返事ももらえないままにもう一度崎津へ。そこへ大江教会に常駐するシスターから電話があった。「青いリュックでしたね?崎津教会の入口に無造作に置いてあったそうです。大江教会にはなかったので、崎津教会に移動してみたら保管してくれていました。」
▼電話の内容で思い出した。崎津教会をあとにするとき、最後に集合写真を撮って帰ろうという話になった。リュックを無造作に地面に置いて集合写真に写り、そのまま車に乗った。「リュックをその場に置いたのを確かに思い出した。」本人の弁である。責任者のミスは取り返しが付かない。



19/08/25(No.1019)

▼珍しく他の人をボートに乗せて釣りに行った。きっかけは中学生の侍者に「釣り、好きだよね。ボートに乗って釣ってみないか?」と誘ったことだった。すると中学生の侍者は二つ返事で「行きます」と答えた。
▼数日して中学生の保護者が「中学校の友達も行きたいと言っているのですが、誘っても大丈夫でしょうか?」「いいよ」と返事。ちょっと、準備する道具が増えるが、船の上は楽しくなる。22日(木)を予定していたが天候が荒れたので一日ずらして23日(金)に変更。簡単に変更できるところが中学生。
▼半袖半ズボンで待っていたので「長袖長ズボンを用意しなと私は乗せることはできない」と初っぱなからきつく言ってしまった。それでも従ってくれて、いざ出港。少し出たところで仕掛けを準備し、扱い方を説明して練習。
▼現場に移動して釣り開始。40mから50mの場所で海底に仕掛けを落として10mから15m巻き上げる。この繰り返し。最初に侍者の同級生のAくんに当たったらしく、「あっ!」と声を上げるもそれっきり。
▼まもなくBくんに強烈な引き。本人は鯛と思ったようだったが走り方からして青物。無事取り込んでみるとブリの子で長崎では「ヤズ」という大きさの青物だった。すぐにA君が反応。「それ、僕がばらした魚だと思うな」このあとA君は5回連続でばらし、自力ではついに釣ることができなかった。
▼侍者の子は最終的に「ナベタ(学名:イラ)」を釣る。中田神父はキジハタと塩焼きサイズの鯛をかけ、その竿をA君に渡して釣り上げさせた。何とか船頭の務めを果たし、中学生も皆、ボートでの釣りに興奮した釣行だった。



19/09/01(No.1020)

▼少し前に沖縄の高校生が財布をなくし、見ず知らずの男性がお金を貸してくれて、その恩人と再会してお礼を言った話が取り上げられていた。とても美しい話だ。「お返しのできない人をもてなす」ということは、どんな場面でも美しいものだ。
▼きっと「お返しのできない人」に示した善意は、神様が報いてくださるのだろう。神にはその義務はないが、神の御心に叶う善意には、神も喜んで報いてくださるのではないだろうか。それがどんなに小さなわざであっても、神が報いてくださるときには溢れるほどにはかりをよくして、報いてくださるだろう。
▼お返しのできない人へのもてなしは、簡単にできるものではないが、お返しのできない人へのもてなしに気持ちが向かえば、同じ方向で私たちはイエスと出会うのだと思っている。イエス・キリストを送ってくださった神は、お返しのできない人間を憐れんでくださったのだから。
▼大人になると、お返しのできない人へのもてなしが純粋にできないようになるのかも知れない。計算してしまって、純粋なもてなしに影を差すことになる気がする。いつもイエス・キリストを人類に使わしてくださった父なる神が、私たちの模範である。



19/09/08(No.1021)

▼無くした物を見つけるのは何にもまして喜ばしいものだ。四年前、転勤の時に六年間行方不明になっていたカッターナイフが見つかった。もらい物であまり使用しないハンドバッグの中に入っていた。六年間使用しなかったが、六年間探していた物でもあった。
▼半径80cmの傘が二度無くなったことがある。半径80cmはとても大きな傘で、納骨の時に大いに役立っていた。雨の日、納骨をしていると儀式書を持って傘を持つのは不可能である。だれかに傘を持ってもらうと、二人同時に入ることができず、申し訳ないが持ってくれる人は傘の恩恵にあずかれなかった。
▼そこで探し求めたら、8千円くらいしたと思うが、二人同時に入れる大きな傘が見つかり、愛用していたわけだ。ミサの後にこの傘を持ってあいさつすると決まって「大きな傘ですね」と聞かれる。ただ聞くだけでなく「何に使うのですか?」と聞く人もかなりいた。
▼そのたびに「これは納骨の時の苦労から探し求めた物で・・・」と説明する。途中からは面倒になり、「大きいことはいいことだ」とはぐらかしていた。この傘を二度無くしたのだが、一度目は浜串で、二度目はここ田平に来てからだ。平戸ザビエル祭のミサが平戸ザビエル教会で行われ、天気が心配で大きな傘を手に取って出発した。待ち時間があり、司祭館で待たせてもらおうと、司祭館にお邪魔するときに傘を置いてしまった。
▼平戸ザビエル教会の司祭館にお邪魔するのは月に一度、多くて二度。傘が見つからないと探し始めるが、平戸ザビエル教会の司祭館に置いてきた傘が、田平教会の司祭館にあるはずがない。どこをどう探しても見つからない。諦めかけたところ、定例の地区司祭会議で平戸ザビエル教会の司祭館におじゃました。何事もなかったかのようにそこにあるではないか。
▼見つけたのは見つけたが、もしかしたら平戸ザビエル教会の主任司祭、一学年先輩、地区長神父様の傘かも知れない。恐る恐る尋ねてみた。すると「いや、自分のじゃない。三回使わせてもらったけど。」安心した。二度失った傘を持ち帰りながら、愛着はさらに深まったのである。



19/09/15(No.1022)

▼「夏の名残」がまだ残る。今年は夏の西日を避ける「ゴーヤーカーテン」を早めに用意してもらい、それが功を奏したのか、大きなゴーヤーが実り、何度も料理に出してもらった。
▼食事のお世話をしてくれる賄いさんも、「今年はたくさん実っていますから、司祭館だけでは食べきれません」と言う。それで修道院にもお裾分けすることができた。実家にも持ち帰ったかも知れない。
▼ゴーヤーは苦いので、なかなか「大好きだ」という人はいないかも知れない。ただ夏バテをせずに乗り切ったことは食事に依るところが大きいと思うから、ゴーヤーは貢献したのではないだろうか。
▼もう一つ去年と違うのは、ゴーヤーの葉が西日をほとんど通さないくらい栄えたと言うことだ。ある日は夕暮れかと思うほど部屋が暗くて、外を見たらカンカン照りになっていた。これはすごい。
▼ゴーヤーつながりでもう一つ。月に一度家庭訪問している信者のおばあちゃんと、野菜談義をする。今年は「ゴーヤーがしげったよ!」これでおばあちゃんと楽しい会話になる。このおばあちゃんがいなければ、ひょっとしたらそこまでゴーヤーカーテンにこだわりはなかったかも知れない。



19/09/22(No.1023)

▼「ざんねんないきもの事典」という図鑑がある。絵本と言うべきか。初めて見たとき、「あー、こう言う見せ方はアリだな」と思った。確かにそういう面があり、動物の違った面を知ることができて興味深い。
▼実は人間が、どの生き物にもまさって残念な生き物なのではないかと思った。雄は求愛行動をして雌にふられても、涙を流したりはしないだろう。人間は思いっきりふられて涙を流す。なかには「死んでやる」とさえ言う奴もいる。生き物全般はふられても決して死なない。何もなかったかのように、次のチャンスを探すだろう。
▼先週の説教で、最後の最後に噛んでしまった。一人の人を意識して最後を結んだつもりだったが、意識しすぎたか。あまりの格好悪さに、説教後に沈黙の時間を持ちながら自分がいかに「ざんねんないきもの」か考えた。人間は噛むが、人間以外はきっと噛んだりしないだろうな。何とざんねんないきものか。
▼人間はざんねんないきものだが、他の生き物には到達できない領域にときおり到達する。ざんねんないきものである反面、自分を見つめ直し、自分を磨くこともできる。誰かを見返そうとか余計なことを考えるとざんねんないきものに逆戻りするから、過ぎたことに未練を残さず、自分を見つめ、自分の長所を磨く。すると自分を納得させることはできる。
▼いよいよ長崎教区は補佐司教をいただき、大司教と補佐司教の二人体制になった。叙階式ミサは、いったいどれだけの人が入ったのか、聖堂内に入りきれない人もいて、堂内に入れた人でも席がなくて三時間立ちっぱなしの人も出た模様だ。これからの長崎教区への期待の大きさが分かる。
▼私は叙階式のミサの中で、新司教の祭服がどうにも気になった。肩パットが入っているのではないかと思うほど、肩が盛り上がっていたからだ。ミサ中に何かやらかすために、仕込んであるのかも知れないと思ってしまったが、結局司教用のスータンのデザインが肩パッドのように見えたのかも知れない。どうかこれからは肩を怒らせず、自然体で。



19/09/29(No.1024)

▼昔「笑うに笑えない話」を聞いたことがある。かつては「赦しの秘跡をお願いします」と司祭館を訪ねる人がいた(私も経験がある)。主任司祭はたまたま来客をもてなしていた時だった。ひとまず司祭は「よく糾明(自分の罪を振り返ること)をしておきなさい」と言付け、司祭館に戻った。
▼運悪く、来客の応対をしていた主任司祭は告解人が待っていることを忘れたらしい。来客と談笑し、送り出してから告解人のことを思い出した。慌てて聖堂に行ってみると、長い時間待たされたその人は辛抱強く司祭が来るのを待っていた。
▼ひょっとしたら、司祭が談笑している笑い声も聞こえていたかも知れない。それでも自分が忘れられているとは夢にも思わず、じっと糾明を続けていた。こういう場合、人にもよると思うが、「しびれを切らして帰る人」と「じっと待ち続ける人」とに分かれるだろう。ひょっとすると第三の可能性「待つには待つが、主任司祭に腹を立てる人」の可能性もあるだろうか。
▼皆さんは気の遠くなるほど待たされた場合、どのような態度に出るだろうか。感覚的には、私だったら腹を立てて待つと思う。だが腹を立てるのもそう長くは続かないだろう。腹を立てるのも通り越して、結果的に辛抱強く待てるかも知れない。
▼振り返って私は、「その時が来る」のを辛抱強く待ったことがあっただろうかと自問自答する。答えにたどり着くまで問い続けるとか、自分の血と肉になるまで掘り下げるとか、与えられるまで願い続けるとか。どれ一つ実践してこなかった。簡単に手に入る答えに飛びついて、その場しのぎの対処を繰り返して、与えられなければ目先を変えてきた。
▼神様は必要な体験があれば必ずそれを体験させる。「その時が来るのを辛抱強く待つ体験」は、きっと誰にでも必要な体験だ。それを避けてきたのであれば、神様は私を決して放っては置かない。「そのまま待て」と言われて、「よく待った。よろしい」と言われるまで待たせる体験を必ず要求する。
▼「そのまま待て」これがいったいどれくらいの時間なのか。一ヶ月か半年か一年か。誰にも分からない。だが私はただの一度も「辛抱強くその時を待つ体験」を積んでいないのだから、どれだけ待たされるか分からないけれど「よろしい」と言われるまで待つ体験をしてみようと思っている。
▼「御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ、はしためが女主人の手に目を注ぐように、わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ、憐れみを待ちます。」(詩編123・2)実際には「時課の典礼(教会の祈り)」の翻訳が親しみがあるが、主人(女主人?)の手に目を注ぎ、その憐れみを待つ。「近くに来なさい。」



19/10/06(No.1025)

▼辛いもの。好きな人多いねー。辛さが10段階まで選べるとして、あなたは「何辛」を選ぶ?私は「3辛」で十分。「5辛」を一度試して、「二度とこんな辛さで食べるか」と思った。まずはそういう前提で今週の話に入りたい。
▼田平教会に辛いもの好きのシスターがやって来た。話を聞けば私ならアウト、という辛さを平気だと言う。それでも「参った」と言わせたくて、辛いものが好きな人のつてで激辛のインスタント食品を手に入れてもらった。
▼「食べても知らないよ。」そう言ってシスターには渡したが、どうやら食べておいしかったらしい。「また面白いものが見つかったらおごってください。」何という強者だろうか。半径一メートルは近づきたくないような激辛食品をおいしかったとは。
▼パッケージの見た目からも、「危険だよ」と訴えかけているようだ。二つ買ってもらい、一つは私のためだと言うが、とんでもないので棚に並べてしばらく遠ざけていた。神様は必要な体験は必ずさせる。これが私の信念。
▼とうとうその体験の時がやって来た。縁を切るために、存在を消すために、食べることに。お湯を注ぎ、辛さの素となるソースを恐る恐るかけ、かき混ぜる。汁なし担々麺のようになった。これを食うのか?
▼いや、きれいさっぱり縁を切るためだ。私の視界から消えてもらうためだ。そう思って一口食べた。ぶわっと、汗が噴き出してきた。顔からポタポタ汗がしたたる。こんなことなら激辛大好きシスターに二つともあげるべきだったか。
▼だが20分で苦しみは消えた。二度と食べようとは思わないが、食べられないほどでもないな。しかもこれで縁を切って、視界からも消える。万々歳。ついに離れることができた。



19/10/13(No.1026)

▼パソコン・スマホの永遠の課題、誤変換。文字入力をしていて閉口することがある。「なかだしんぷ」を変換。すると「中田新婦」が現れる。なかには目を覆う変換候補も。私が一度も文章に入力したことのない変換候補は、何度か私を悩ませてきた。
▼しかし考え方によっては、私が悩まされるのは、目を覆うその言葉を知っているからであろう。100%知らない単語であれば何も反応しないわけだ。さらに「文字に過ぎない」現象を超越する人間であれば問題は無いはず。これからはその品のない言葉さえも超越して、メルマガを1100号1200号と継続していきたい。
▼ちなみに私は今53歳であるから、衰えはあってもメルマガをぼちぼち発行できるとするなら、あと20年は継続可能かも知れない。一年に55回出すとしたら、20年で1100回出すことができる。最終的に引退の頃には2500回なんてこともあるかも知れない。世界新記録?
▼しかしこの活動をこれからも安定して継続させるためには、どこかの時点で協力を仰がなければならないだろう。たとえばミサの録音をネット上にアップしているが、その作業のために小一時間必要である。
▼40代とか50代で活動時間、睡眠時間を一時間削るのは容易いかも知れないが、これが60代70代となれば、そうはいかないだろう。協力者が一時間提供してくれてその一時間私は別の活動に充てたり、場合によっては休息を取ったりできれば、どんなにありがたいことだろうか。
▼現在接近中の台風19号。田平教会、田平町からははるか遠くだが、接近しようとしている東海・関東・東北地方のみなさまのために、ささやかながら祈りをささげたい。昼食を終えてメルマガ配信、ホームページ更新、ブログ更新(これらにも一時間かかる。毎週合計二時間)を終えたら、ロザリオの月にふさわしく、ロザリオを一環となえたい。



19/10/20(No.1027)

▼「流れについて行けなくなる」これが自分の中で感じる「老化」の最たるものである。教会の諸行事に使えるようにと、およそ一年前に一眼レフカメラを買った。まぁEOS-Kissと言えばどの程度のものか分かるだろう。
▼このカメラはモニター画面が180度開き、画面そのものも180度回転させることができる。つまり自撮り用にもってこいのカメラだということだ。自撮りが大好きなのではない。関わっている視覚障害者ボランティアの会員に、責任者として毎週朝礼動画を届けている。その朝礼動画撮影のためには、カメラの中に自分がどのように収まっているのか確認するために、自撮り機能が必要なのだ。
▼ボランティア団体の会員のために使用しているので、これは純粋に教会のためとは言えないが、司祭活動の一環として使っているのでご理解願いたい。いつの日か、黙想会の動画を撮って小教区のためにお役に立てる日が来るかも知れないので、使用で購入してはいないことを断っておく。
▼ではどこが今週の話題「流れについて行けない」という部分なのかと言うと、このカメラを活用するために「リモコン」を買ったわけだ。ON/OFFの操作だけなのだから何と言うこともないと思っていたが、思わぬ落とし穴があった。
▼ある祝賀会の折、「このカメラで撮影して欲しい。手元のリモコンで撮影できるから」と伝えてカメラを預けた。ところが撮影ができなかったようである。残念な結果だったが、リモコンで撮影するには実は本体の設定を変更し、「リモコン撮影」を明示してあげる必要があった。それが分からなかった。
▼今は理解できている。危うく、私は「流れについて行けなくなる」年寄りの悲哀を味わうところだった。53歳だが、気持ちは40歳くらい。すべて通用するわけではないが、どこまでも「老化」には抵抗するぞ。



19/10/27(No.1028)

▼長崎教区に二人の司教様が与えられていることはすでにご存知と思う。教区長の見大司教様と、中村補佐司教様。その補佐司教様が田平で隠退生活を送っている神父様を電撃訪問なさったようだ。
▼引退した神父様は隣に住む弟さんの車で床屋に連れられて散髪に出かけていた。補佐司教様はまず引退した神父様の住まいを訪ねたらしいが留守。お隣に尋ねると引退神父様の弟さんの奥さんがいて、「主人の車で床屋に行ってます」ということだった。
▼ある意味幸い。引退した神父様がどこに行くかを告げずに出ていたら、病院に薬をもらいに行くか、食材の買い出しに行くか、散髪に行くか、あるいは教会の案内所に「ニュースはないか?」と訪ねてくるので、そのすべてを回らなければならなかっただろう。
▼フットワークの軽さを感じた。長崎教区は大きな仕掛けの時計のようで、フットワークに問題があったと思う。しかし補佐司教様のフットワークがあれば、長崎教区に活気が戻ってくる。大司教様と補佐司教様、良い特徴を出し合って長崎教区を導いてくださることになった。
▼うっかりしていたが、人に勧めてみて我が身を直す羽目に。「長崎教区に司教様が二人与えられたのだから、これまで司教様のためにお祈りを一つしていたのであれば、二人司教様がいる分、お祈りを二つささげてほしい。」人に言っておきながら自分が実行していなかった。
▼経験が教えてくれること。1回できることは2回できる。2回できることは3回できる。3回できることは頑張れば4回できる。ただし、4回できたとしても5回できるかは分からない。。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」(マタイ18・21)ペトロは7回までならできたのだろうか?



19/11/03(No.1029)

▼自分に背を向けて生きてきた。53歳なのに、53歳を認めない行動をとり続けていた。たとえば24時間のうち6時間睡眠に充て、18時間活動時間があるとして、18時間目一杯計画を入れる。頭も体も相当がまんしているのに、それを認めようとしなかった。
▼時間の使い方だけに終わらない。人生は一度きりだから一人の人生を生きるのでも手一杯のはずなのに、一人何役も演じて生きてきた。一人芝居をして、何人分もの人生を演じて、何人分もの人生の時間割を組んできた。これでは時間も足りないし、一つの人生すら完結できない。
▼一つの人生を完成させる生き方を選び、完結させるべきだ。そう気づいた。しかし現実は酷なもので、日本人の平均寿命で考えると、平成29年度のとある統計で男性81.09歳、女性87.26歳だという。すでに私の年齢で当てはめれば残り28年、ひょっとすると27年しか残っていないかも知れない。
▼すでに背を向けて生きてきた時間がかなりあり、それを挽回するころには余命宣告を受けているかも知れない。そう考えると今53歳とは言えない。「もう53歳で、一刻の猶予もない」と考えるべきだ。
▼人にできなくても自分にできることがある。人がしてこなかったことで自分が続けてきたことがある。身近な世代がすでに失っている部分で自分に残されている部分がある。それらを総動員して、一人の人生を、完成させ完結すべきだ。



19/11/10(No.1030)

▼11月、死者の月だからか、ミサ依頼が増えている。先祖のためが多いが、中には「田平小教区のすべての死者のため」「田平教会墓地に眠るすべての死者のため」こうした依頼もある。これらの依頼には意味がある。
▼誰しも、先祖のためにはお墓も建てるし祈りもささげる。しかしそこまで手が回らない人や、すでに身近な縁者がいない人たちもいる。先祖のためにミサをお願いしない、そこまで手が回らない人に代わって、寛大にミサをささげてくれているのである。
▼だから、「田平教会墓地に眠るすべての死者のため」というミサの依頼を受けると、この人がどれほど寛大な人か、すぐに分かる。自分の先祖のためにももちろんミサを依頼してくれるが、それだけに終わらない人が田平教会にはいる。
▼頭ヶ島教会の献堂百周年の祝いに出席するため、日曜日から五島に行くことにしている。五島に行くので、釣り竿を持っていきたいところだが、残念ながらその時間はなさそうだ。「頭ヶ島教会の記念行事を口実に釣りか」と、知っている人に言われたら元も子もない。ここは大事なポイントだ。
▼頭ヶ島には、大事な思い出がある。幼きイエズス修道女会のシスターがこの頭ヶ島教会から出ているが、その子が中学生のときに「○○。君がシスターになったら、神父様は逆立ちでも何でもするよ」と言ったのだ。
▼私は「ふしあな」だった。彼女は立派にシスターになり、今も働いている。私は逆立ちの約束を果たしていない。もし今、逆立ちでもしようものなら手首は骨折して病院送りだろう。野球ではたとえ9番打者でもバットを持って打席に立っているのだから、クリーンヒットを打つ可能性はある。彼女は神様が私に見せてくれたクリーンヒットだ。



19/11/17(No.1031)

▼今年すでに2回、バイクのバッテリーを放電させてしまい、押しがけをしている。何とも恥ずかしい話だ。しかも短い期間で2回目のバッテリー上がりを起こした。自力ではどうにもならない時、バイクを車にロープで坂道の上に引っ張ってもらい、押しがけをしてもらう。
▼今年最初のバッテリー上がりの時、田平出身の神父様のお父さんに助けてもらった。車とバイクをロープでつなぐのにやや苦労したが、無事坂道までたどり着く。ギアをセカンドに入れて坂道でギアをつなぐとエンジンが回った。念のため30分走って帰る。
▼ところが一週間すると、またもや動かない。この日は11月15日、10時半から保育所の園児がやって来て七五三の行事がある。それまでに何とかしようと今度は自力でバイクを坂道の上まで押し、押しがけの態勢に入る。すると運悪く、そこへ園児のご一行がやって来るではないか。
▼急いで坂道に進入し、ギアを入れるが、回りそうだったがかからなかった。二段坂になっているのでそのまま次の坂に進入。これでかからなければまたロープで上げてもらう羽目に。幸い二段目の坂でエンジンが回り、しばらく教会敷地をぐるぐる回る。
▼私はただでは転ばない。七五三の「神父様のお話」では「さっきバイクに乗ってたのを見たでしょ。あれはね、動かなくなってたのをやっと動くようにしていたの。自分でバイクは動けないから、お世話する人がお世話しないとダメだよね。」
▼「みんなもそうだよ。さくら組のお兄さんお姉さんは、自分ではしたいことができない小さなお友達のお世話をしてあげてね。」バイクが自分で走り回れず、世話すべき人が世話をして走ることができるともっともらしい話につなげて七五三の話を乗り切った。
▼土曜日は何とかバイクは動いてくれた。「やまびこロード」をどこまで走れるのか走ってみた。すると降りた場所はなんと松浦警察署のすぐそばだった。福岡方面に抜ける時、利用できるのか田平教会の若いお父さんに聞いたところ、「信号がないぶん、少し早いですよ」ということだった。



19/11/24(No.1032)

▼十字架上でのイエスの最期は、「いけにえ」であり、「最後の晩餐」の中心的な部分である。十字架のイエスを、遠くから眺める人、近くであざける人、死にたくないので面と向かって命乞いをする人、様々な思いの人が交錯している。もちろんマグダラのマリアや母マリア、愛する弟子もいるし、回心した犯罪人もいる。百人隊長もいる。
▼様々な人が交錯し、様々な思いが渾然一体となっているのだ。それはまさに、私たちが11月24日に体験する教皇フランシスコとささげるミサそのものではないだろうか。最近はやりの「ワン・チーム」とか「ワン・ボイス」であれば幸いだが、そうとばかりは言えないだろう。この大きな行事に社運をかけている会社もあるだろうし、感謝と賛美の思いでミサにあずかっている人ばかりではないと思う。
▼それでも、ミサはささげられる。イエスが様々な思いの人を引き寄せ、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)と叫んだように、すべての人を背負って救いのいけにえはささげられ、まっとうされたのと同じように。教皇フランシスコと共にささげたミサが、一度限りで、果てしない影響を日本にもたらすことになるだろう。
▼どんな条件の下でも、イエスの力は働く。今回は教皇フランシスコを通して、必ず働く。私たちがそれをこれからずっと思い巡らし、掘り下げて生きるなら、必ず収穫を得られる。できるだけ多くの人と見たこと体験したことを分け合おう。
▼「みことばの分かち合い」と口を酸っぱくして長崎教区は言ってきた。なかなか根付かない。言いたい人が言いたいことを言っているのが今の「みことばの分かち合い」の現状だろう。本当に誰もが、「私も感じたことを分かち合わせてください」という姿になっていなかった。
▼今回は違う。言い方は大胆すぎるかも知れないが、教皇フランシスコという「みことば」を、皆で分かち合う。口のなめらかな人だけが「私が分かち合います」と発言するのではなくて、誰もが、口下手な人もすべて、分かち合うことができる。きっと生まれて初めて、「本当のみことばの分かち合い」とは何か、今回の教皇フランシスコとの時間が教えてくれる。



19/12/1(No.1033)

▼教会には大量の郵便物が届く。選別して、掲示板に貼るもの、教会で配布物として利用するもの、主任司祭が目を通して終わるもの、見もしないものなどがある。「見もしない」と言うと失礼だが、一度か二度目を通して、必要を感じないものはその後は見ていない。
▼カトリック・プロテスタント合同の取り組みとして、「キリスト教一致祈祷週間」は有名である。ただ有名だからと言って誰の目にも重く受け止められているとは限らない。「あ、これね」で終わっている教会とか、主任司祭も多くいるだろう。
▼かく言う私も、「あ、これね」で終わって、主任司祭が目を通すだけとか、せいぜい教会の入口四か所において終わり、という扱いだったのだが、今回の冊子は特に目を引いた。パウロが宣教旅行に行く途中船が難破してしまう場面が取り扱われている。その後マルタ島に上陸して、パウロは手厚くもてなしてもらうという話である。
▼きっと毎年すばらしいテキストと黙想のヒントを与えられていたのだと思うが、主任司祭の怠慢でそれが教会で活用されていなかった。今回は活用しようと思う。冊子は少ししかないので、まずは1月2日に予定されている「帰省した人の黙想会」の材料にしたい。
▼それにしても教皇フランシスコはタフなお方だ。どんなに疲れていてもそれでも私たちを勇気づけ、私たちにご自身を与え尽くしてくださる。並の精神力ではない。日本の教会はきっとそのことを受け取ったはずだから、これからの日本宣教に活かしていかなければならない。



19/12/8(No.1034)

▼自炊生活が始まった。先の「しゃぶしゃぶの豚肉・豆腐・エノキ」は、野菜をたくさんもらったので「鍋」をしようという魂胆である。土鍋にこれでもかと野菜を入れ、アドバイスを受けながら鍋を火にかけた。野菜がしんなりしてきたところでだし調味料をお玉一杯分投入。味見してみると私には少し「甘い」と思ったが、薄味でちょうど良い。
▼野菜が十分火が通ったので、豚肉と豆腐を入れ、適当なところで食堂に。実際に食べてみると昼に食べ切る分量では無くて、これをもう一回食べることになりそう。でも残ったのは三分の一だから、メインは早速頂いたお肉を焼こうか。ここまで料理して食べることしか書いてないが、誰が洗うのよ?ということだ。それは鍋の蓋を開けてのお楽しみ。
▼料理を始めると、説教など二の次である。ほんとに。マジで。内心はそう思っているけれども、もう少し慣れたら、説教もちゃんと「料理」できるようになるかも知れない。A神父様も自炊、B神父様も自炊、C神父様も自炊、ついに私も自炊。神学院はこの状況を何と心得る?神学の講義も大事だが、料理を教えてはいかがか?料理をして、掃除をして、その上に神学を学び続け、説教を準備する司祭をどう育ててくれているのか?
▼まぁ、とやかく言っても始まらない。誰の邪魔も入らず、したいようにする時間は与えられた。しないといけないことは増えたが、したいようにできることを幸いと思うことにしよう。もはやこれからの心配は冷蔵庫に入れたものを食べずに処分するような羽目にならないことだ。言っておくが、それ以外は今の中田神父には「二の次」だ。マジで。



19/12/15(No.1035)

▼保育園のクリスマス会に出席してきた。去年は私がうっかりしていたため見ることができなかったが、今年は決して忘れないようにと思っていたので参加できた。入口を通ってみると「席を用意しています」というので案内されるまま向かうと小学校の校長先生が座っている隣の席だった。
▼「田平教会です」とひとまずあいさつしたが、それ以外は何も言葉を交わすことは無かった。それもそうだろう。「教育関係者」の目からは、「宗教関係者」は違う畑の人に見えているはずだから。私のほうからは教育関係者は大いに関係ある人なのだが。
▼校長先生2人は第1部をもって席を外し、退出された。第2部は聖劇だったが、聖劇は「宗教関係」ということなのだろうか。私は久しぶりに聖劇を観て、今までに無い新鮮な驚きがあった。その中で園児を二人取り上げたい。
▼一人は、「大天使ガブリエル」である。大天使は天使を引き連れて登場したが、この園児だけは一切手抜きなしで任せら得た演技をこなしていた。「どこまでが手抜きでどこまでが手抜きでない」のか。私の基準は明確である。
▼大抵、舞台の袖に来ると誰でも手を抜くものだ。多くの観客は舞台の袖、消えかかっている場面はあまり気にしていないのだから。ギリギリになると、両手を羽ばたかせていた天使も手を下ろして走って奥に退く。それは許される範囲だと思う。
▼しかしこの園児は違った!舞台の袖に来ても、完全に消えるところまできっちり演技を続けていた。これは指導する先生のおかげか、この園児の天才的なセンスか、どちらかなのだが、私はこの園児のセンスだと信じたい。なぜなら引き連れていた天使たちは舞台の袖に来るとさっと演技を終了していたから。最後の最後、消えてしまったその時まで美しい演技をしていた大天使ガブリエルに拍手を送りたい。
▼もう一人はマリア様である。当然、劇の終わりの場面では幼子イエス様がお生まれになり、マリア様とヨセフ様が幼子を見守る場面となる。今年の幼子イエス様役はじっとしていない活発な子だった。そのままだと「しずけき真夜中」を台無しにしてしまう。
▼ところがマリア様は、なんと幼子の為に用意されていたおもちゃで気を引いて、あやしていたのだ。私がヨセフ様だったら、幼子イエス様をあやして「おとなしくしてね」となだめることなどとても思い付かない。幼子役の乳児はおもちゃにも飽きて投げ捨ててしまった。するとマリア様は目の前にあった「黄金・乳香・もつ薬」を揺すってコトコト音を出し、幼子をなだめ始めた。「最優秀主演女優賞」に値する名演技であった。



19/12/22(No.1036)

▼教皇フランシスコの訪日は、今年最大の神様からのプレゼントだった。私たちに宣教者のあるべき姿を植え付けてくれた。最近読み続けている教皇フランシスコの人柄を紹介する本に、教皇になる直前の修道女への黙想の中で「イエスは戸口に立って叩いているのではなく、今や外に出してくれと戸を叩いている」と語ったという場面があった。
▼日本でのキリスト教の宣教も、きっとそのような状況だ。さまざまな宣教の手詰まり状態を、外に原因を求めて(宗教への無関心、経済優先の社会、価値観の多様化)、自分たちがイエスを閉じ込めてしまっていることを棚に上げているのだと思う。
▼教皇フランシスコは外へ出て宣教した。アルゼンチンで布教していた時も、バチカンに移られてからも。私たちは外に出もしないで、外の状況をああでもないこうでもないと議論している。外に出てみれば分かる。外に出なければ、拾える声も拾えない。
▼小学生と中学生の赦しの秘跡をしてクリスマスの準備をさせた。子供達がクリスマスに向けて少しずつ準備し、その日を迎えるのを見るのは大きな希望だ。子供のときにどんなクリスマスを過ごしていたかを覚えたなら、きっとこの時期は教会に足が向く、そんな大人に成長していくだろう。



19/12/24(No.1037)

▼主の降誕おめでとうございます。聖地巡礼で巡るベツレヘムの「聖誕教会」は言わずと知れたキリスト生誕を記念する教会。この聖誕教会はイスラエル領土にあるかと思いきや、「パレスチナ領土」にある。つまり、エルサレムから10kmしか離れていないのに、パスポートを提示して入国手続きを経なければならない。
▼イエスの誕生は、人の住む宿屋ではなく、家畜小屋であったとされる。それはユダヤ社会から拒絶されてしまったという暗示だったかも知れない。現在の聖誕教会もユダヤ人の住む場所ではなく、パレスチナ住民の住むベツレヘムに置かれている。ベツレヘムという場所は変わらないのだけれども、イスラエル国外であるというのは考えさせられる。
▼イエスは誕生してすぐにヘロデに命を狙われ、エジプトに避難した。早くから避難民の生活を味わったわけだ。避難民の生活、移住移動者の生活は、私もよく分かる。同じ場所に根が生えるほど住むわけではないから、イエスの宣教生活の心境は、どの司祭にも理解できるものではないだろうか。
▼イエスは呼ばれたところに宿を取り、食事を受けた。あるときは「ぜひあなたの家に泊まりたい」と願って宿を取ることもあった。食事は我が家が一番おいしいと考える人が多いと思うが、「我が家」も考えもので、毎年誰もいない司祭館でケーキのローソクを眺めるのもなぁ、と思うわけだ。



19/12/25(No.1038)

▼かつて浦上でお仕えしたK神父様は、よくお祝い日にご馳走の食事会を開いてくれた。考えてみれば主任司祭と助任司祭がいる生活なので、一人でケーキをつつく場面にはならない。そんな中でにぎやかにクリスマス、復活祭を祝った。とても懐かしい。
▼他にも、日頃から親しくしてくれている家庭にお邪魔して食事の招待を受けることもあった。当時は大勢で押しかけていたので、その家族はかなり忙しかったに違いない。しかも主任司祭の話、助任司祭それぞれの話、まったく同じではないので聞くのも疲れたことだろう。
▼「ひとり焼き肉」があるから、「ひとりクリスマス会」もあるのだろうが、私は望んでは「ひとり・・・」は避けたいので、寄せてもらうなどしてにぎやかにクリスマスを祝おうと思う。24日は幸いに「クリスマスの集い」があるから良しとして、今年はアタックしてみる。
▼できれば、思いがけない家、思いがけない声かけになるような場所がいい。イエス・キリストは家畜小屋で生まれ、そこに居た家畜は、「思いがけない客」の相手をしたわけだ。



19/12/29(No.1039)

▼田平小教区内には、引退した田平出身の先輩司祭がいる。以前メルマガ890号と1028号の「ちょっとひとやすみ」で登場しているが、金曜日に司祭館を訪ねてくれた。ご降誕を迎え、馬小屋に御子様を礼拝に来てくださった。歩いて10歩もない司祭館に住む私が聖堂にわざわざ御子様を拝みに行かないというのに、先輩司祭はシニアカーで、寒い中おいでくださった。まったく頭が上がらない。
▼その神父様が私を喜ばせてくれた。「主任神父様に届けてもらった教皇ミサで支給された祭服でご降誕のミサをささげたよ。どうもありがとう。」私に洗礼を授けてくれた神父様から「ありがとう」と言われる日が来るとは夢にも思わなかった。
▼ついでにこんなことを尋ねた。「あの祭服一式を見て思ったのだが、祭服のストラは上に着けるものか、中に着けるものか?」「神父様、最近通達が出てですね。カズラを着用するときのストラは中に着けると指示されているのですよ。」「おーそうだったか。初めて聞いた。大事なことを聞けて良かった。どうもありがとう。」ますます恐縮の至りである。
▼恐らくその通達は、現役の司祭には届いたが、引退の司祭には届いてないのかも知れない。ひょっとすると、「小教区内の管理者は主任司祭なのだから、引退司祭に知らせるべきだ」ということだったのかも知れない。教区本部にもいろいろ余裕がなくなってきているのだろう。私か、前任者が知らせれば済んだ話だということにしておこう。
▼最近、「今日に限って説教の前に雑談しませんでしたね」と声をかけられた。「最初の話に興味があるのだな」と思ったがそうでもないらしい。「面白くは無いけれども、いつものことがいつも通り行われないと変な感じがするもので、どうしたのかなぁと思っただけです。」どうやら面白くなくても定着はしているらしい。




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