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12/01/01(No.569)
▼新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。NHKの紅白をちらっと見たら、「ふくしまが好き」と歌っていた。訴えかける力があった。歌っているからではなく、本当に福島が好きだから、それが伝わって来たのだと思う。それが素直に表現できているから、下手な細工もなしに伝えているから、伝わるのだと思う。
▼わたしにも伝えるものがある。しかし、過ぎた一年、本当に伝わったと言えるだろうか。訴えかける力があっただろうか。本当にイエス・キリストに魅せられて、それが伝わっただろうか。表現にこだわり過ぎたり、下手な細工でごまかしたりしなかっただろうか。
▼年末の押し迫った中、県外から旅行者が巡礼に来て、わたしにも一目会いたいということで訪ねて来てくれた。この人は夏に五島巡礼をしている人で、この年の瀬になぜ?と思っていたら、1人ではなく2人で来ていた。いわゆるカップルである。
▼ちょうど会いに来た時はすぐにでも走り込みに出ようかという時だったので、せっかく来てくれていたのだけれども短い時間会話しただけだった。だが話の続きがきっとあるに違いないと感じ、夕食をご一緒させてほしいと持ちかけたら、喜んで引き受けてくれた。
▼奈摩に「やがため」という旅館がある。ここに2人は宿を取っていた。車で食事に向かうと言ったら、「迎えに来ます」ということだった。三菱の電気自動車で来てもらい、帰りはタクシーで帰る予定だった。食事は会話も弾み、福見教会では大切な場面もあったと聞いた。
▼食事も満足して、帰ろうかとしていたら、「帰りも車で送ります」と言う。甘えて帰りも載せてもらったのだが、それが失敗だった。浜串に帰りついたときには、車の残り走行距離は3キロになっていて、充電ステーションまでもたどり着けない状況だった。
▼困り果てて、わたしの車を乗って帰るよう提案し、あとのことは明日また考えようと勧めると、「そうします」ということになり、何とか2人宿に帰ることができた。翌日はレンタカー会社が車の引き取りと、貸した自家用車の返却に来てくれた。電気自動車も、もっと走行距離が延びてくれないと、こんなことはまだまだ起こるだろう。
12/01/08(No.570)
▼実家に3日間滞在していちばん驚いたこと。それは孫ができると孫見たさに祖母となった母が信じられないような努力をするようになるということだった。パソコンの「パ」の字も知らないで一生を終えるのかと思っていたが、茨木にいる孫とコミュニケーションを取るために、Skypeを使えるようになっていたのだ。
▼別にSkypeを使ったからと言って驚くことではないが、問題はパソコンを、まるでテレビのスイッチのように電源を入れて、母の娘でありわたしの妹でもあるKと示し合わせた時間にSkypeを開いて(ここでは、パソコンが立ち上がると同時にログインする設定になっているのだが)、まるで電話をかけるかのようにやり取りしていることである。
▼不思議に思わないだろうか?うっかり他のソフトを立ち上げでもすれば、Skypeとディスプレイ上でダブって表示され、「孫が見えない、娘が見えない」と大騒動になるに違いないのである。Skype上でも何が起こるかわからないのに、それらの対処法も学ばずに、ひとまずSkypeを立ち上げてパソコンを終了させている。たいした度胸である。
▼きっとわたしだったら、パソコンの原理や仕組みから理解して、そのコミュニケーションソフトを使うことだろう。いきなりやってみるという冒険は、とてもではないがわたしにはできない。つまり孫の存在は、それらすべての不安材料を忘れさせて、いきなり行動させる力を持っているらしいのである。
▼実家のパソコンは3年しか使ってなかったのにビデオ表示に問題があって使い物にならず、6万ちょっとの最新型に買い換えて帰って来た。解雇されたこれまでのパソコンは、例によってわたしがいったん引き取り、3000円切るビデオカードを新調した上でいろいろいじるための実験材料にしている。
▼さんざんいじり倒して、再利用が可能であれば、また実家に持って帰ろうと思っている。ルーターでパソコンを2台つなげば、1階と2階どちらでも孫の顔が眺められるわけだ。そういうわたしも、親のためならどんな努力でも買って出るのかもしれない。
12/01/15(No.571)
▼どうやら初夢を見たようだ。すぐに書き留めるなどしなかったので、残念ながら思い出せない。初夢は忘れたが、ここからは夢でなく現実でよかったという話。40後半のおじさんも、ユニクロは大好きだ。長崎本土に渡ったついでに、コーデュロイの生地のズボン(パンツ、とは言いにくい)を買いに行った。
▼ズボンに関して、わたしはサイズで迷わなくてもよいように、ケータイの電話帳にメモを取っている。1年前に買ったメモに従って好みの色を選び、試着室に持って行った。試着して、困ったことになった。「お客さま、サイズが大き過ぎるようですが。」
▼1年前のウェストのズボンをはいたまま、両手がすっぽり入った。きっとわたしの顔は緩みっぱなしだったに違いない。それでも必死にうれしさを隠して、店員にお願いした。「すみません。このズボンからワンサイズか、ツーサイズ細いものと取り換えてください。」店員は何事もなかったかのように、ツーサイズ細いものを用意して、「お客さまにはこれでちょうどよいかと思います」と言ってくれた。
▼すべての面で、減量の効果が表れている。寒さが寒いと思うけれども受け入れられるようになった。これまでは寒いと思っただけで一歩も外に出ようとしなかったのだから、大きな変化である。また、さまざまなことが億劫でなくなった。体を動かすことと関連しているから当然のことだが、体重が気になっていた頃は何をするのも面倒だと感じていた。
▼表情にも変化が表れて来た。丸々と太った顔をしていたのが、心なしか細くなり、気分も晴れ晴れとしてきた。勢いがついて、メガネも購入。ずれないという触れ込みなので、スポーツの時に重宝すると期待している。
12/01/22(No.572)
▼申し分ない天気になった。風はあるが、日差しはかなりきつい。本来ならこのタイミングで外に飛び出して、5キロか、それ以上走ると汗もしっかり出せて気持ちいいはず。ところが、メルマガの配信が午前中に果たせず、残念ながらランニングは夜に持ち越し。
▼気が付いたら1月21日、1月31日の大会当日まで10日となっている。12月1日走り始めた時はずいぶんあるように思っていたが、時間は本当にあっという間に進むものだ。司祭団マラソン大会のお世話をしてくださる若手の司祭からケータイにメールが届いて、距離、コース形態などの概略を教えてもらった。
▼イメージしてきた練習通りなのだが、やはり本番は何が起こるか分からない。メールを送ってくれた若手の司祭も、「足がつらないように、注意してください」と書き添えられていた。それはそうだ。練習をしていても、いつも以上に力が入れば、けがをする危険はある。十分注意して本番に臨みたい。
▼大人の黙想会を例年通り3月の月夜間の期間に設定した。上五島は特に、漁業に従事する人が多いので、月夜間に黙想会を設定する教会が多い。この機を逃すと、遠洋漁業に従事する人は黙想会参加の機会を失ってしまう。そうやって、信者としての務め(ゆるしの秘跡・聖体拝領)を果たしている。本当に感心する。
▼説教師に、郷里の出身で修道会の司祭を依頼し、了解を得ていたのだが、ご本人から連絡があり、代理を立てて来てもらうとのこと。ちょっと残念。切り替えて、来てくださる説教師の話を楽しみにしたい。面識がないので、長崎に行った折に、どこかで顔をつないでおかねば。
12/01/29(No.573)
▼メルマガ配信のタイミングについて。メールチェックをしていて、これまで「メールマガジン配信完了」というメールが届いても、特別気にしていなかったのだが、今回は嫌でも気になる時間にこの案内が来た。
▼「まぐまぐメールマガジン配信完了」という件名で、1月22日(日)23時37分に案内メールが届いていた。実際にこのメールを見たのは月曜日だったから、ふだんであれば読みもせずに削除していたことだろう。だが届いた時間が気になり、目を通してみた。
▼「?」「!」目を疑った。おもな部分を抜き出すと、「件名:こうじ神父今週の説教No.572→配送予定日時:2012/01/21 13:57:10→配送完了日時:2012/01/22 21:23:20→発行部数:236」となっているのである。
▼明らかに、土曜日の14時少し前に配信したのに、配送されたのは日曜日の21時過ぎだという。しかも、「※ご注意・実際にメールマガジンが読者さんの手元に届き始めるのは、これからです。配送経路の混雑具合によっては、読者さんにメールマガジンが届くまで時間がかかる場合があります。ご了承ください。」とまで釘を刺している。
▼てっきり数時間のうちには配送されていると思っていたので、今回の案内には正直驚いた。そこでまぐまぐから配信を受けている230人くらいに問い合わせたところ、何人かの人から「土曜日、午後2時頃には配信されていましたよ」とていねいな返事をもらった。どうやら実際は問題なく届いていたようである。
▼今回のハプニングがかえって、何かが起こった時には気にかけてくださる人がちゃんといることを教えてくれた。久しぶりに連絡を受けた人もいたし、中には初対面と思われる人も声をかけてくれた。多くの熱い声援があるから、このメルマガは成り立っている。感謝の気持ちがあふれて来た。
12/02/05(No.574)
▼困ったことになった。日頃利用しているプロバイダーのメールサーバーが故障して、メインのメールアドレスでの送受信ができなくなってしまった。受付の人に「故障、どうなってますか」と問い合わせたら、「復旧のために努力しています」という返事だった。
▼1日置いてまた電話したら、「送信はできるようになりましたが、受信はまだ復旧できていません。また、いつごろ復旧できるかも、現在見通しが立っていません」ということだった。そう言われても、毎日のことだからどこかで決断しなければならない。つまり、メインのメール用に現在のプロバイダー提供のアドレスを使い続けるか、別の物を用意するかだ。
▼半日考えて、新しくWebメールを用意して、これをメインのメールアドレスにすることにした。本来は、プロバイダー提供のものが安心なのだが、これからメールを送って来る人が「メールを送りましたが、読んでもらえたでしょうか」ということがあってはいけない。残念だが、今のままでは危険が高まっていて、待っていられないと感じた。
▼インターネット検索や、Webの閲覧は問題なくできている。だから、現在のプロバイダーは活かそうと思う。だが、こんなことが度重なると、やはりプロバイダーそのものにも魅力を感じなくなる。ぜひ最大限の努力をして、この難局を乗り切ってほしいものだ。
▼マラソン大会。くどいようだが、4位の先輩とは8秒しか差がなかった。上り坂ではすぐそこまで近づくのだが、下りになると逃げられる。その繰り返しで、最後のゴール前もあと少しの気力が自分に足りなかった。
▼ただ、ゴール前に追い越して4位になったら、来年の目標を失っていたかもしれないから、それはそれでよかったのかもしれない。今年は、順位を一けた台にすることが目標だったが、来年は、タイムを競うマラソンにしたい。
12/02/12(No.575)
▼今年の26聖人殉教記念ミサは、2月5日がちょうど日曜日に当たっていたので、日曜日に26聖人殉教記念ミサをするという方針がちょうど2月5日に当たっていたので良かった。ただ、会場となる西坂の殉教記念公園に向かっている時点で雨が降っていたので、残念ながら会場を中町教会に移動するのだと思っていた。
▼ところが、いつまでたっても会場変更のお知らせが入らない。長崎市内の人に尋ねてみても「変更はありません」としか言ってこない。これだけ雨が見えているのに、主催者は何を考えているのだろうと思った。26聖人記念館で祭服に着替えている時点でも、傘なしでは立っていられない状況だった。
▼ところが、ミサが始まるというそのときに、雨はほぼやんでしまい、傘をささずに済む程度におさまった。この時点で、わたしを含め多くの人の疑問も不満も消えてしまったかも知れない。雨のやんだ曇り空は、40分以上続いた。
▼説教が終わって、ミサの奉献文も唱えた頃、またもや雨。司祭たちはしばらくがまんしようとしたが、それも長くは続かず、次第に傘をさしはじめた。全員が傘をさす頃には、傘にあたる音で大司教の声が聞こえないくらいだった。「完全に、本部の判断ミスだ。」そう言いたかったが、ある1つの出来事でわたしは考えを変えた。
▼ミサは、「派遣の祝福とあいさつ」で終わる。派遣のあいさつをしたのは中町教会の主任司祭だった。「2012年の26聖人殉教記念ミサを終わります。行きましょう。主の平和のうちに。」本人がどういう意図でこう言ったかは分からないが、「2012年の」と言ってくれたことが、救いの言葉に聞こえた。
▼「いろんなことがあり、いろんなことを感じた今年のミサでしたが、無事に今年の殉教記念ミサを終わりました。行きましょう。主の平和のうちに。」そういう意図はなかったとしても、そう感じた人はいるはずだ。だから、わたしたちは語る言葉が本人の意図しないことも伝えてくれるかも知れない。そう思って言葉一つひとつをていねいに語りたい。
12/02/19(No.576)
▼誕生日が近づいてきた。来月の話だが、最近は年に1度だけの特別ご褒美として、誕生日ワインを購入している。1966年生まれなので、1966年のワインを購入するわけだ。最近始めた習慣だが、購入し始めた頃と比べると、購入をためらい始めている。
▼というのは、1966年物というのは、つまり46年物のワインということになる。わたしがネットで調べる限り、数千円のワインは見つからない。1万円をくだらないのである。今回調べた結果、12800円のワインがようやく見つかったので、それを注文することにした。
▼偶然か、あるいはネット大手なのか、去年と同じ店舗からの注文となった。担当者からは「ご注文いただき、ありがとうございます。遠い場所からの注文に、ネットで出会うことのできる縁を大切にしたいと思いました」みたいなメッセージが付いていたが、去年も同じ時期に購入したのに、気付いてくれよと思ったりもした。
▼商品が届いて、味見をしたら、また感想をここに載せようと思っているが、去年からはさらに贅沢なことをしている。誕生日が1週間違いの同級生が同じ新上五島町に赴任してきたので、彼にもプレゼントしようという計画だ。
▼ちょっと彼とは心をゆるせる部分があって、それは彼も、お酒を飲んだら真っ赤になる共通点があるということ。上五島の司祭たちは、ほとんどがお酒に強くて、ちょっとわたしとかとは違う人種だと思う。まぁその点、同席したときに顔が真っ赤になる人がもう一人いるのはほっとする。
12/02/26(No.577)
▼初聖体式が、来週日曜日、3月4日と迫ってきた。毎年、主任司祭からのプレゼントはロザリオなのだが、「五大陸ロザリオ」というのを手に入れたので、それをプレゼントする予定である。
▼ロザリオがそれぞれの神秘ごとに色分けされているロザリオで、「青・黄・緑・赤・白」それぞれが大陸を表している。世界平和のために祈る趣旨らしい。子どもにそれが理解できるとは思わないが、「今、青の何個目を唱えているのよ」と促して、ロザリオを繰る練習にはなるだろう。
▼先週ワインの話をしたと思うが、そのワインが無事に届いた。1本は、「シャトー・ローザン・ガシー1966年」、もう1本は「シャトー・カルディナル・ヴィルモリーヌ1966年」となっている。名前を聞いても、実際には口に含んでも、どれくらい美味しいのかも分からず飲むのだから、これ以上の贅沢はない。
▼味が分かる人が、「この値段にふさわしい」と納得して味わうなら、それは贅沢ではないと考える。味の分かる人が飲んでいるのだから、ふさわしい楽しみ方だ。わたしは味も何も分からずに美味しいであろうワインを飲もうというのだから、贅沢なのである。
▼1本は、紹介していた同級生の司祭にプレゼント。1本は、自分で飲むが、予定では、黙想会の指導に来てくれる説教師の司祭と飲む予定。どのみち1人では飲み終えることはできないのだから、2人で楽しく飲めれば一石二鳥である。
▼そう言えば、説教師の司祭に泊まってもらう部屋が、テレビも何もないため困るだろうと思い、配線工事を予定している。にわか工事を引き受けてくれた信徒の方と、屋上の配線を見に行った。どのように分配すればよいかを検討するためである。
▼登ってみて分かったが、やはりわたしは高所恐怖症なのだと再確認した。手すりも何もない屋上に立ってみて、真ん中にいてさえも足がすくんで動けない。これはたまらないと、信徒のかたに訳を言ってすぐ降りることにした。信徒のかたは客室まで何メーター、屋上から垂らして何メーターと、屋上から2階の窓をのぞき込んでいた。落ちはしないのだろうが、わたしだったら気を失っているだろう。
12/03/04(No.578)
▼いつも使っているわたしのパソコンは、電源スイッチを押すとOSが立ち上がり、通常の仕事が始まる。パソコンを終了するときは電源スイッチではなく、OSの「シャットダウン」という操作で作業を終わる。
▼電源スイッチで始まったのだから、電源スイッチを押して終わってもよさそうなものだが、そういう「不統一」が、ご年配の人にパソコンを難しくしている小さな原因の1つなのかもしれない。小さな原因も、積もり積もれば膨大なものになる。
▼「シャットダウン」は、OSの作業だけではない。あるパソコンソフトは、作業を終了するときに同時に何をするか、選べるものもある。つまり、そのパソコンソフトにさせている作業を終わったら、「シャットダウンするか、スリープするか、何もしないか」が選べるものもある。
▼映像の変換という、ちょっとややこしい作業を深夜におこなっていた。作業が完了するまで時間30分と表示されて、「これが終わるまで待たないといけないの?もう眠くてしかたがない」そう思ったときに、「あー、作業終了時に、シャットダウンするようにセットしておけばよいのか。その手があったな」と思い、シャットダウンすることを選択した。とんでもなく眠い中、這うようにしてベッドに潜り込んだ。
▼朝、3時間しか眠っていない中で目覚ましが鳴る。つらいのをこらえて起き、執務室に行ってみると、何とパソコンの電源は切れていないではないか。「シャットダウン中です」というメッセージのまま、フリーズしてしまったらしい。こんなに信用できないものなのかとガッカリしたが、しかたなく電源スイッチを長押しして、強制的に電源を切った。やはり人間のほうが、コンピューターより賢いらしい。
▼シャットダウンと言えば、パソコンには1日何回もシャットダウンさせているくせに、自分に対してシャットダウンを命じられたら、相当頭にくるだろうと思った。あともう少しで作業が終わるのに、来客がある。食事だから降りてこいと言われる。電話が鳴る。どれも決して相手に責任はないのだけれども、シャットダウンさせられたことは相当つらいと感じてしまう。頭ではパソコンから離れるべきだと思っても、体が理解していない。
▼転勤にしてもそうだろう。ちなみに転勤の時期だからこの話題を取り上げているだけで、ほかに意味は無い。これまで継続していた司牧上の展望を手放し、シャットダウンさせられる。新しい任地での新しい出会いはあるが、やはりいったん手がけたことから離れるのはかなりエネルギーが必要だろう。
▼シャットダウンできずにフリーズしているパソコンの電源スイッチを長押しするとき、パソコンが少し傷つくのかもしれないなぁ、そう思いながら電源スイッチを押した。人間であればなおさらである。簡単に電源のオンオフみたいな割り切りはできないから、本当にその人の立場をよく汲み取ってあげて、と遠くから申し上げたい。
12/03/11(No.579)
▼保育園の卒園式に出席した。関わりの深い3人の年長さんを含め、5人が卒園式に臨んだ。最近の卒園式はかなり親しみやすい形になっていて、幼い頃こんな卒園式があったらすてきだっただろうなぁと思った。
▼保育証書を渡され、1年生になってからの夢を語り、証書を保護者に感謝を込めて渡す。ほかにもいろいろあったが、あー、お父さんお母さんには胸にぐっとくる場面だなぁと今回は特に思った。
▼園長先生が、お祝いを述べているときに胸が詰まり、言葉を継ぐのにしばらく時間が掛かった。あれは何を意味していたのだろうか。これまでの保育の思い出を振り返っていたのだろうか。それとも、何か園長を務める上での思う所があったのだろうか。
▼保育園にいる間はそれほどなついてこないのだが、小学生になると不思議となついてくる。面白い現象だ。恐がらなくなってくるからなのだろうか。とくに侍者をしてくれる子どもは、侍者としての務めが一人前になってくると、口は二人前言うようになる。
▼いつだったかも、ミサ前のゆるしの秘跡が少し長引いて、香部屋に戻ってみると侍者の小学2年生女の子2人が口を揃えて「神父さま遅いよ〜。もっと早く来なきゃ。着替えているうちにミサが始まっちゃうよ」と言う。
▼「なに〜生意気な」と思うけれども、あー、ここまで立派に育てたんだなぁと自画自賛する。放任主任司祭のもとで、よくぞここまで育ってくれた。感謝感謝。これから、子分が侍者に入ってくるからよろしくねと、今は心の中で思っている。その子どもたちから、保育園年長と、小学6年生、両方の卒業お祝いに招待された。
12/03/18 (No.580)
▼ここ1〜2ヶ月、新上五島町の動きについていけてない。3月に入ってスーパーに2度立ち寄ったが、レジ袋が有料になっていることをすっかり忘れていた。2月にさんざんお知らせをしており、あー、これはマイバッグが必要だなぁと何度も記憶するきっかけはあったのに、いざ有料になってから買い物をしてみると、「レジ袋はどうなさいますか」と聞かれてしまった。
▼「すみません。買います」。3月に入ってからの最初の買い物は、黙想会で説教指導をする神父さまのために休憩時間のおやつを買いに行ったとき。あれこれ買ったので抱えて車に積み込むには無理があり、しかたなくレジ袋を買った。ちなみに、このおやつは、説教師の神父さまはまったく手を付けず、わたしが全部食べ尽くしてしまった。
▼2回目の買い物は、大きなペットボトルで飲み物を買った。レジを通るときにしまったと思ったが、これは手に抱えて車に運んだ。2度あることは3度ある。そのまま罠にはまっては悔しいので、次回はよく注意したい。
▼釣り大会が18日に予定されていて、現時点では天気が心配だ。深い海では天気なんて関係ないだろうが、カサゴ釣り大会は浅い海での勝負。釣果に大きく影響しそうだ。去年はボートに相乗りしてくれる人がいたが、今年はだれか相乗りしてくれるだろうか。それとも、だれかの指示を受けて、相乗りに指名された人が送り込まれてくるのだろうか。
▼甥っ子が久しぶりに実家に来た。妹が半年ぶりに連れてきてくれていた。生まれたときに渡しそびれたプレゼントをもって、顔を見に行くと、わたしだけがメガネを掛けていたせいか、驚いて大泣きされた。写真を撮ってもらったが、顔を公開する許可はもらっていないので、いつか大きくなってから、こんな時もあったよという形で紹介できる日が来るかもしれない。
12/03/25(No.581)
▼長く放置していたが、ある女子修道会から、「希望の聖母」について、写真をお借りしたいという依頼(だったと思う)があり、どうぞと返事をした。その際、「希望の聖母に結びつく祈りがあれば、ぜひ寄せてください」ということだったので、「既存の祈りはありません」と答えた。
▼すると、シスターはあと一押ししてきて、「では、神父さまが何か祈りを作ってくださいませんか」と頼まれた。「うーん、考えてみます」そう返事して、放置したのが半年前ではなかっただろうか。もうきっと、依頼した先方は諦めているに違いない。わたしは、ときおり気にはしていたわけで、もう自分でも放置しているのが申し訳なく、祈ってみることにした。
▼希望の聖母に今日を託す祈り
(浜串教会の岬に立つ)希望の聖母よ、
わたしたちの一日の始まりに
そばにいて、見守ってください。
天候に左右され、危険と向き合う漁に出ます。
厳しい競争が待っている学校や職場に出ます。
肩を落としそうになるとき、励ましてください。
わたしたちの願いを、いつも取り次いでください。
あなたがわたしたちの願いをイエスに取り次ぎ、
イエスが必ず願いに応えてくださいます。
いつも、わたしたちの希望でいてください。
道に迷うとき、確かな道イエスを指し示してください。
そしてすべての務めを終え、眠りに就くとき、
明日も見守ってくださる母でいてください。アーメン。
12/04/01(No.582)
▼聖週間が始まった。この1週間は1年のどの季節よりも頭の回転を速くして過ごさなければならない。受難の主日の説教に始まり、聖木曜日・聖金曜日・復活徹夜祭・復活の主日と、連続で説教が続き、それをメルマガで配信させなければならないからだ。
▼さらに加えて、できればこの説教を材料にして、小さなプリントを作りたいとも思っている。それは、聖なる三日間をすべて参加できない人のため、また、この三日間を病院で過ごす人たちのためだ。
▼ここ数年は、プリントも用意してきたのだが、去年はプリントの売れ残る率が多くて(もちろん無料。販売したわけではない)紙の無駄ではなかろうかと思ったが、ほんのわずかだが「とてもありがたい」という声もあったので、今年も続けようと思う。
▼浜串教会の聖書朗読担当は、間違いが無いように決められていて、特に毎月第1日曜日は中学生と決まっている。ということは受難の主日の聖書朗読は中学生が担当ということになる。それは自動的に、福音朗読の受難の朗読も、中学生が役割分担に加わって手伝うということを意味している。この「ちょっとひとやすみ」を書いている時点では結果がどうなったのかは分からないが、きっと予想通りにはならないと思っている。
▼聖週間が始まると復活のお祝いがやって来る。やはり復活祭は、洗礼式があって、新しい神の家族が増えることがいちばんの楽しみだが、ここ2年、その喜びが味わえていない。ひとえに主任司祭の努力不足である。何か知恵を絞って、洗礼の喜びを皆で味わえるように、働きかける必要がある。
▼先週の新司祭初ミサの会場では、ある教会の主任司祭が、とある家族に働きかけて、その場で洗礼の約束を取り付けたと聞いた。何という早業。きっと何かが違うから、働きかけも力がありその結果も違ってくるのだろう。次の季節に向けて、すでに動き始めなければならない。
12/04/05(No.583)
▼今年の聖週間三日間の典礼説教原稿は、長崎市内に滞在して、一気に書き上げている。今浦上教会からかなり距離のある場所にいるが、浦上教会の鐘が聞こえてきた。この距離ではとても聞こえてこないだろうと思っていたが、実際には聞こえるようだ。
▼ちょっと哀愁を帯びた鐘の音。この場所も浦上教会の管轄だから、鐘が聞こえれば教会のことを思い出すし、祈りを思い出すし、自分を振り返ることもある。教会の鐘を鳴らすことができる地域は、それだけでもありがたいと思ったほうがよい。
▼鐘を鳴らすことが住民感情に照らしてはばかられる地域もあるだろうから、教会の鐘が聞こえる地域は、それだけでもカトリック教会の存在が受け入れられている証拠である。教会の鐘が聞こえてきたから、教会に導かれたと言ってきた洗礼志願者を知っている。
▼今年も、聖香油のミサのために長崎本土に皆で集まった。長崎市内にいる司祭たちは、五島列島からどんな思いをして集まったか知るはずもないだろう。今年は「もうこの場で海に放り出してくれ」と叫びたくなるほど海が荒れていた。船酔いして、ある人は嘔吐して、やっとの思いで上陸したのである。
▼そんなことも知らずに、上五島は出席が少ないなぁと思うなかれ。上五島に赴任しているからすべての司祭が海上時化に強いわけではないのだ。こんなつらい思いをして、しかも9000円も交通費を払ってやって来ているのに、バス代150円でやって来た司祭たちと同じ扱いでは、あまりにも不公平だとは思わないか?
▼だから、いつも思うことだけれども、「集まって当然だ」「来ないのが間違っている」と平然と批判したり、不愉快な態度をする方には、「おまえも五島から出勤してみろよ」と言いたい。聖香油のミサだけではない。教区行事全般にわたって、たとえば1年間、五島から出勤してすべてを体験してから物を言ってほしい。
▼1回9000円の交通費、しばしば荒れる天気、車と船を乗り継いでの片道2時間近い時間の浪費、場合によっては日帰りしなければならない。2時間の行事のために、毎度4時間費やして、1年間長崎での行事をこなしてから、言いたいことは言ってほしい。
▼そんな艱難辛苦を経て、離島は本部の行事に協力している。地方のことを本土と同じに並べて考えている人たちは、腰に手ぬぐいをして、五島の司祭の足を洗ってはいかがか。
12/04/06(No.584)
▼準備万端して聖香油のミサのために長崎市内に上陸したつもりだった。聖木・聖金曜日・復活徹夜祭の原稿のアイディアも浮かんだので、そのメモもUSBメモリーに入れた。これで良しと思ってやって来たのに、実際にUSBメモリーを開いても、どこにも資料が見当たらない。
▼どういうこと?と思ったが、ないものは仕方がない。頭の中にうっすら残っている記憶を頼りに書く以外にない。うっすら残っている頭髪の光っている部分から、脳の中身も霧のように蒸発してしまいそうだ。
▼こんなに悔しい思いをして、聖なる三日間の原稿を書くことになるとは。運の悪いことに、浜串に電話を掛けて資料を読み上げてもらおうにも常勤のシスターもいない。日曜日から水曜日まで、特別な許しを得て佐世保に出かけてしまった。
▼このピンチだから、本来書きたかった内容から、ずれているかも知れない。どんなことがあっても自分の資料を活用できるように、次回からはUSBメモリーで持ち運ばず、クラウドに置いて取り出すことにしよう。
▼前の日にさんざん文句を言っておきながら、こんなざまでは、上げた拳の降ろしようがない。結局、だれも人を裁けない、ということなのだろう。昨日はある特定の人を裁いてしまったが、大変申し訳なかった。
▼受難の主日の説教だったか、「追及」とすべきところを「追求」と変換したまま配信している。追及されればひとたまりもない箇所だったが、心優しい皆さんは黙ってスルーしてくれたようだ。スルーできることもあるが、ついムキになって物を言ってしまうこともある。弱い人間である。
▼けれども、やはり人は人を追及してはいけないと思う。追及している人も、別の視点からは追及される人である。そのことを棚に上げて、あるいは見ないふりをして誰かを躍起になって追及するのは、むごいことではないか。
▼警察も、これ以上は危険が及ぶと判断すれば、暴走車両を追いかけない。管轄のエリアの外に出て行くまで追いかけているだけかも知れないが、それでも、追い詰めて事故を起こさせるよりはましである。
▼どうかすべての人が、誰かを躍起になって追及するのをやめて、代わりに十字架を背負ってほしい。イエスの十字架を背負う姿は、わたしたちが追及することをやめないならば、無駄になってしまうのではないだろうか。
12/04/07(No.585)
▼聖香油のミサに出向いたとき、海上は大時化だったと話したが、明けた聖香油ミサ当日は、さらに天候が悪化し、暴風になった。長崎本土で朝を迎えたが、土砂降りの雨。サッシを揺らすほどの強い風。これではさすがに、当日船に乗って聖香油のミサに参加しようと思った人たちは足止めを食うだろう。
▼案の定、すべての船会社が早々に欠航のお知らせを出してきた。大時化の日に船に乗ると、身近にいのちの危険を感じる。飛行機は上空1万メートルを飛んでいるから、危ないのは危ないけれどもたいていの場合は眠ることが可能だ。
▼電車にしてもバスにしても、事故が起こらないとは言えないが、目的地まで眠ったままでも時間を過ごせる。ところが、海上が3メートルの波の日に船に乗れば、ぐっすり眠れる人は誰もいないと思う。実際の船の揺れを半分に見積もっても、波が3メートルの日は、体が1メートル50センチ上下することになる。
▼それを80分も90分も、場合によっては2時間以上辛抱しなければならない。中学のときから神学院に入学して司祭を目指す神学生は、だから辛抱強くなるのだと思う。この苦労を買ってでも、司祭になろうと頑張っているのだから、日常生活で少々のことがあっても心は折れない。ホームシックに仮にかかっても、帰る家は80キロ海の向こうなのだから。
▼五島列島から進学・就職で本土に渡る人も同じことだ。どんな思いで海を渡って本土で苦労しているか。だから、ある時期その人たちが教会のことがなおざりになり、背を向けたとしても、彼らは必ず復活するのである。
▼いろんな苦労を本土でするかも知れないが、その苦労がいつか、五島の生活を振り返ることになり、信仰を守る気持ちにもう一度意義とか価値を見いだすのだから。五島のカトリック信者が「やっぱり信仰は大切だ」と復活するための3日間は人によってさまざまだろうが、必ず3日目はやって来ると信じている。
12/04/08(No.586)
▼カトリック信者が日本でカトリックの信仰を表明するのは難しいのだろうか。家庭の中で1人だけカトリック信者だという人をわたしは何人も知っている。その人たちの中で、あからさまに家族から悪く言われる人がいることも知っている。
▼「家社会」が根強く、家の宗教、家の伝統を破壊するとして、カトリックの信仰を捨てて、仏教になってくれと言われている人がいる。実際、見た目はすっかり仏教徒として暮らしている人もいる。もちろん、洗礼を受けて仏教徒からカトリック信者になっている人もいる。
▼問題はいろいろ複雑だ。だが、そうした問題も、「家」の中だけで解決しようとしないで、もっと幅広い人に意見をもらって、難しい問題をみんなで考えてみてはいかがだろうか。「家」社会の中で、「家」の中だけで答えを探すなら、きっと制約されてしまうに違いない。
▼ところが、現代のわたしたちの暮らしは複雑に絡み合った社会である。「家」だけに縛られているわけではない。地域社会に開かれている部分もあるし、ちょっと工夫すれば、家庭の問題、地域の問題であっても全国に意見を求めることも可能である。そういう手段が現在は幸いにそろっている。
▼だから、抱えている問題を閉じ込めず、勇気を出して発信してはいかがだろうか。家庭の主婦、子どもたち、そして問題を抱えている人と知り合った友人知人、教会の家族。いろんな人が置かれている事情によりよい提案をしてもらうことを期待して、現状を発信する人になってもらえないだろうか。
▼いろんな人が、発信する人になってくれれば、発信されたメッセージを受信する人がきっと現れるはずである。メッセージを受信した人の中には、「こうしたらよいのではないか」という提案をもっている人がひょっとしたらいるかも知れない。
▼ヨハネ福音書はこう語っている。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ1・1)ことばはつまり、「発信」を担う根源的な素材である。だから神は、発信することをやめないお方なのではないだろうか。
▼イエスは「わたしに従いなさい」(マタイ9・9)と招いている。生涯、発信し続けたイエスが、「わたしに従いなさい」と言っているのだから、それぞれの立場で、発信する人が現れて、もっとたくさんの人で問題解決に当たるきっかけを作ってほしい。
▼司祭・修道者・信徒・カトリック信者でなくても、どのようにカトリックの教えを日本に位置づけるか、幅広く考えを巡らせてほしい。
12/04/15(No.587)
▼聖土曜日、復活徹夜祭に入る日の朝。メルマガ「復活の主日号」に使う写真素材を求めて、浜串漁港を散歩していた。ふだんも朝は散歩などしないし、聖土曜日は朝のミサがないため、本当は朝寝坊しても構わないのだが、朝7時に散歩しているといろんな景色が新鮮に見えた。
▼犬の散歩をしている人。用事で近所の家を訪ねている人。水産会社の事務所に朝一番で出勤してくる人。あー、それぞれの朝の光景なのだなぁと思って、あいさつを交わしたり、ただ眺めて通り過ぎたりして、だんだんと漁船に近づいていった。
▼いよいよお目当ての旋網(まきあみ)漁船が視界に入ってきた。最初は船だけを撮影していたが、船だけだと面白くないし、しかも船だけを撮ろうとすると東を向くことになり、やけに太陽がまぶしい。そこで遠回りして、浜串の集落を背景に、漁船をとらえようと考えた。イメージとしては、「旋網漁船とそれを支える家族」というような光景である。
▼船をいったん通り過ぎ、振り向いて、浜串の集落が背景に収まるよう向き直った時だ。積み荷である網が陸上に広げられていて、その中に網を繕っているお父さんたちが4、5人いたのである。まず、ギョッとした。向き直ってそこに人が見えるということは、いったん隣を通り過ぎているということだ。
▼わたしはまったく気付かずに、網を繕う人々の横を通ったことになる。ふつうに考えれば、作業をしている大人が5人もいる場所であれば、それに気付きそうなものだ。ところがわたしはまったく気付かずに、素通りしたのである。
▼作業をしていた人たちは、わたしに気付いただろうか。彼らは気付いただろう。だが黙々と作業をしていて、無駄な会話はしたくなかったのだと思う。そこに人がいたことに新鮮な驚きを感じながら、迷惑にならない距離でお父さんたちの作業をカメラに納めた。
▼復活後、イエスは漁に行こうとしていた弟子たちに声をかけた。もしかしたら、船を湖に浮かべる時から、イエスは水辺に立っていたのかもしれない。弟子たちはイエスにまったく気付かず、舟を沖に出し、漁に取りかかり、漁は徒労に終わった。そんな時、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」(ヨハネ21・6)と声をかけられたのではないだろうか。
▼考え事をしていたり、別のことに意識が集中していると、目の前にいる人、目の前で繰り広げられている大事な出来事さえも見落としてしまうのだろう。黙って網を繕っているお父さんたちが、わたしに「おはよう。調子はどうだい?」と声をかけてくれるイエスのように見えた。
12/04/22(No.588)
▼長崎市の旧市営陸上競技場は、現在公園のようになっているが、トラックは今も残っていて、多くのランナーが集まる場所になっている。わたしも、ひさしぶりにトラックを、何と15周も走ってしまった。「年齢を考えろよ」と同級生に言われることがあるが、今回もその声が聞こえそうだ。
▼夕方4時半にグランドに到着。テキトーに準備体操をして、ぼつぼつ走り始める。この時点ではほとんどトラックを走る人はいなかったため、5周、7周と周回を重ねていくと、わたしのランニングシューズの跡が土にくっきり残っているのが分かる。何だか嬉しかった。
▼5時になると、高校の陸上部が大挙して押し寄せ、「いち、に、さん、し。ごー、ろく、しち、はち」とかけ声掛けながらのストレッチが始まる。陸上部のストレッチを見ただけでも、わたしの準備体操がまったくなっていないことがよく分かる。
▼入念に、わたしが費やした時間のゆうに3倍の時間を掛けてストレッチをした後、おもむろにトラックの周回が始まる。わたしの亀のような走りはあっという間に追いつかれ、「失礼しまーす」と言いながら右側から20人くらいの集団が抜き去っていった。
▼何度も何度も抜き去られたが、あまりにもレベルが違うので悔しさなど湧いてこない。男子の陸上部からも周回遅れにされたが、後では女子の陸上部からも周回遅れにされた。女子がわたしを抜き去っていった時、女子の香りがしたと言ったら変態だろうか。
▼グランドを走るといつも刺激を受ける。陸上部もそうだが、自分のペースを守って歩いたり走ったりしているすべての年齢層の人、それぞれの目的のために周回している人に刺激を受ける。そんな人々に囲まれて、15周6キロのロードワークを楽しんできた。
12/04/29(No.589)
▼アメリカのAmazonに本を注文したい用事があって、サイトを開き、注文しようとした。すると、「ちょっと問題が発生いたしまして、お客様の住所には本を発送できません」みたいなメッセージが届き、本を注文できなかった。
▼以前にもそうしたことがあったので、仮に長崎本土でわたしが仕事をする広報委員会の住所をお借りして、本を注文しようと試みたが、それでも「ちょっと問題が・・・」となる。何が不満なのだろうか、何が気に入らないのだろうかと思ったが言うことを聞いてもらえず、ある本については断念した。
▼どうやら、アメリカのAmazonには、アメリカ・カナダ以外には発送しない商品があるらしい。なぜなのかそこまでは調べなかったが、日本に知られるとまずいものがあるのだろうか。あるいは、送料の問題があるのだろうか。一部の本については輸入を断念した。
▼ところが、である。諦めきれない本もあったので、ダメでもともと、日本のAmazonでアメリカの出版社の本を探すと、希望の本がヒットするではないか。なぁんだ、ということで今回は日本の書店を通して購入することにした。と、この時点で考えたが、円のレートによっては、海外の書店からの発送を断ることがあるのではないか、と思ったりした。
▼正確なことは分からないが、アメリカ・カナダ以外販売しないというのは、ちょっと不満がある。情報を知ることが出来、費用が少々かかっても構わないと言っているのに、それを売り渡さないというのは不親切だ。日本から検索できないならしかたないが、立派に検索できるのに売らないのは残念である。国同士の取り決めがあるのかも知れないが、頑張って欲しいものである。ちなみに、今回注文したのは次の商品。New American Standard Bible: Complete Old & New [DVD] [Import]
12/05/06(No.590)
▼あー、しまった!月の第1週は中学生の典礼当番。直前の教会学校の時に必ず日曜日の聖書朗読を割り振りさせて練習もさせる。それが中学生のクラスを受け持つ主任司祭の仕事だった。せっかくの直前の水曜日、連休の合間で勉強に来てくれていたのに、割り振りをするのを忘れてしまった。
▼どうしよう?いちおうどうするかの解決策は頭に浮かんだので、それを実行するしかない。忘れたことはしかたがないが、1つ忘れた代わりに、1つ収穫があった。今の中学生(去年もだったかもしれないが)、学校の勉強はかなり苦手の様子。平均60点台を右往左往しているらしい。
▼そんな成績を取ったのは中学1年の1学期中間試験の時しかないので(それでも平均67点)、彼らの苦悩があまりよく分からないのだが、それにしても平均80点を超す生徒が目の前に1人もいないというのはある種の驚きである。むしろ平均80点とか85点というほうが珍しいのだろうか。
▼その、悩める中学生に勉強を教えながら、どう教えたらこの子たちの心に響くのだろうかといつも試行錯誤している。そんな中で、先週は予想外に集中して取り組んでくれた。カトリック教会の聖歌集に、「典礼聖歌集」というものがあって、その聖歌集の印刷に「ヤーウェ」と書かれている部分を、中学生の手ですべて「主」に修正しようと呼びかけたのである。
▼「やりたくない。」すぐに反抗的な態度の意見が出た。想定内の答えなのだが、わたしはそれを理詰めで説得しようと言葉を並べていたら、「意外とおもしろそうじゃない」という声が上がり、わたしの理詰めの説得は遮られて作業が始まった。
▼取り組み方はこうだ。今回はまず、どこに修正すべき単語があるかを探し出すことに集中したかったので、「Aさん。あなたは1頁から20頁までを担当してください。Bさんは21頁から40頁です」と、7人に担当頁を受け持たせた。すると見つける作業はまるでゲーム感覚、我も我もと発見した子がわたしに場所を教えてくれ、すぐに8箇所の修正箇所が見つかった。
▼問題がここで起きた。ある子は、聖歌集の頁ではなく、曲の番号だと勘違いしたようで、たとえば聖歌161番から180番までと考え、その部分を探し続けていた。すると間違いの箇所が見つかったのだが、同じ箇所を201頁から220頁まで正しい方法で探していた子も見つけ、「なぜ同じ場所を2人探していたのか」で言い争いになった。
▼女子の言い争いは男子より熾烈である。「バカじゃ?」とまで言われて、相手は「なんであんたからバカ呼ばわりされないといけんと?」ときた。それもそうだ。だれも平均80点台などいないのだから。そこでわたしが仲裁に入る。
▼「はいはいそこまで。頁と曲の番号を間違って探した子がいたからって、あとを振り返らない。前を向いて次の修正箇所を探そう。もし2人が重なって探したことで、頁が漏れてしまったとしても、責任はわたしが取る。」ようやく言い合いが収まった。この子たちの心に火を付ける「やる気スイッチ」を見つけたような気がした。
12/05/13(No.591)
▼とても長いが、1991年11月4日、聖スルピス大神学院(現日本カトリック神学院福岡キャンパス)での召命の集いの説教全文を紹介する。説教のタイトルは「イエズスさまみっけ!」
▼むかーしむかしのそのむかし。かくれんぼが遊びのなかでいちばん人気のあった時代がありました。かくれんぼをするときは、最初に場所を決めてしまいます。「隠れるところはここからここまで!」そして鬼を一人決めたら、ほかの人はすぐ隠れます。「もーいいかい」「まーだだよ」「もういいかい」「もういいよ」。みんながそう言ったら、さっそく探しにいきます。そして、見つけたら、こう言います。「太郎君みーつけた」。
▼隠れているときは、ものすごくドキドキします。「ぼくは、すぐに見つかってしまうんじゃないかな。でも動いたときに見つかったら困るなぁ」。ときどき、自分が隠れたところに、ほかの友だちが来ることもあります。「困ったなぁ、あっちに行ってくれないかなぁ」。神学生は、自分の息が鬼に聞こえてるんじゃないかと思って、「はーっ」と息を止めたりしました。でもきつくなって、はぁはぁ息をしていたら、見つかってしまったことがあります。「コージ君みーつけた」。
▼いつも、鬼のことが気になっているから、かくれんぼは面白いんですね。もう見つかるんじゃないか、まだ大丈夫かな、ちょっとほかのところに行ってみようか、でも見つかるかも知れない。ぼくと、鬼になっている人の気持ちが、どこかでつながっている。だからスリルがあるし、ドキドキするわけです。
▼鬼になっているほうはどうでしょうか。鬼も、どこにみんなが隠れているか、頭をひねって考えます。ものかげに隠れているかな。あの木のうしろにいるのかな。鬼も、近づくときはそーっと行かないといけません。あー、いるいる。あの木の陰にいるぞー。見つからないように、そーっと近づいてぇ。「みーつけた」
▼鬼も、隠れている子に気がついて、「いまから見つける」というときはわくわくします。やっぱりこれも、鬼と、隠れている子の気持ちが、つながっているから、スリルがあるし、わくわくするんだと思います。
▼今日読まれた、イエズス様のお話に入りましょう。イエズス様はぶどうの木のたとえ話をして、弟子たちにこんなふうに呼びかけました。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」。イエズス様の呼びかけは、わたしたちにとって何よりも大切なものです。それはどうして?それは、イエズス様が言っている通り、呼びかけにわたしたちが応えれば、わたしたちはすばらしい実を結ぶからです。すばらしい実って、いったいどんなものなんでしょうか。
▼「すばらしい実」というのは、みんなが、イエズス様につながって実らせた、一つ一つの善いおこないです。困っているお友だちを助けてあげたことがあるでしょう。それは、あなたが、イエズス様とつながって、イエズス様に教えられてできた、とっても善いおこないです。バス(または電車)の中で、おじいちゃんおばあちゃんに席をゆずったことはないですか。それも、イエズス様に導かれてできたおこないです。善いことができたのは、イエズス様につながっていたから、イエズス様に教えられたからなんです。イエズス様も、きっぱりと言っています。「わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」。
▼みんなは、今まで、いろんな善いことをしてきました。イエズス様につながっていると、これからも、善いことがたくさんできます。かくれんぼの話を聞いて気がついたと思うけど、「つながっている」ときには、気持ちがわくわく、ドキドキします。みんながイエズス様につながっているときにも、わくわく、ドキドキするし、そんな気持ちになるすばらしい体験を、イエズス様に教えられてできるんですね。小学生のときだけではありません。中学生、高校生、大人になっても、おじいちゃんおばあちゃんになってもできるんですよ。
▼だから、一人ひとり、イエズス様とつながりながら、大きくなるようにしましょう。しばらく、大人になったときのことを考えてみてください。「ぼくは大きくなったら、何になろうか。学校の先生になろうか。そしてその時は、イエズス様と気持ちがつながっている先生になろう。そうすれば、イエズス様に導かれて、わくわくするような善いことができるに違いない」。「わたしは、かわいいお嫁さんになりたい。それも、イエズス様と気持ちがつながったお嫁さんになりたい。そうしたら、きっとわくわくするような結婚生活ができるから」。ほかの人は、大きくなったら、どんな人になるのかなぁ。どんな実を結ぶのかなぁ。
▼最後に、ちょこっとだけ、わたしの宣伝をします。わたしは、神父様になるために、今まで準備を続けて、今年の三月に、やっと助祭になりました。助祭になると、こんなふうに、福音のあとの説教をすることができます。
▼今、わたしは、わくわく、ドキドキしています。それは、これまで、何とかかんとか、イエズス様につながって、イエズス様に導かれて、こんなすばらしい務めをすることができるようになったからです。もし、イエズス様とつながっていなかったら、こんなすばらしい仕事、わくわくする仕事はできなかったでしょう。もし、イエズス様につながってなくて、助祭になっていても、説教のときにこんなにわくわくすることもなかったと思います。もう一つおまけに言うと、今わたしは、うしろが気になって、足もガタガタしています。
▼みんなも、大きくなったとき、どんな人になりたいか、今日のこの集いの中で考えてみてください。イエズス様とつながって、イエズス様に導かれてできる、すばらしい仕事があるはずです。その仕事を見つけたとき、きっとみんなは、イエズス様とつながって幸せになれた自分を見つけていることでしょう。実はその時が、「イエズス様を見つけたとき」なのです。
12/05/20(No.592)
▼ついにと言うか、とうとうと言うか、アップルのiPadを購入してしまった。たいてい新しい物好きなので興味はあったのだが、今回は半年くらい前から「買って、使いこなせるだろうか」「いやいや、アップルの宣伝に乗せられてないか」と、ずいぶんためらった挙げ句に購入した。
▼購入理由もはっきりしていた。さまざまな資料を持ち歩くためである。PDFにまとめたお知らせ、説教案を練るための資料、要理のテキスト、書きかけのワードやエクセルの文書、マリア文庫に届けている朝礼の動画、個人的に出先で楽しみたい動画、とにかくいろんなものを持ち歩くためである。
▼目的ははっきりしていたのだが、実物はやけに不親切で、あーこうやって使うんだなと分かるまで30時間くらい要した。Windowsパソコンを20年近く使っているのだから、ちょこちょこっと触れば使えるようになるのだと思っていたが、そうは問屋が卸さない。使い方は、自分で身につけてねとばかりに、分厚いマニュアルもなければ、ガイドのDVDもなかった。
▼仕方なく、触れる部分をいろいろ触ってみた。最初は「この野郎」と思ってたたき割ってやろうかと思うほど悪戦苦闘した。30時間が経過して、今になってみると、シンプルで直感的な操作方法は、いかにも洗練された、こだわり抜いた逸品だと分かる。よくたたき割らなくてよかったと思う。
12/05/27(No.593)
▼どうしたことか、去年8月に交換したケータイ電話が不調で、ひんぱんに電源が落ちて困っていた。そこで、再度ドコモショップに行ってケータイ電話を交換することにした。また5000円分のポイントが消えた。修理という方法もあったが、修理も4700円かかるらしく、それなら交換してくれと頼んで、交換することに。
▼この文章を書いているうちに、その交換用ケータイが届き、急いでデータの移行をしている。説教を書くタイミングにこんなトラブルだから、本当に困ったものだ。うまくデータは移行できたが、細かい設定や、おサイフケータイ絡みは自分で引き継ぎの作業をしないといけない。面倒だ。
▼初めショップで相談した時、「修理と同じ4700円くらいで、この場で交換できる機種はないの?」と尋ねたら、「あります」というので「どれ?」とさらに聞くと、「いろんなサービスや割引を組み合わせて、スマートフォンなら交換可能な機種があります」と言われたが、上五島ではほとんどメリットがないので、そこは思いとどまった。
▼ケータイ(スマートフォン)がほぼ国民の2人に1人行き渡った。ケータイを持たないのは乳幼児と修道者くらいか。修道者も最近は持っている人もいるので、乳幼児だけだ。こんなに広まって、通信業者は定期的にお金が入って、さぞ笑いが止まらないだろう。
▼過ぎた週に葬儀を依頼されて長崎市外海町に出かけたが、親戚の修道女から「あなたのお母さん、ケータイ持ってるの?」と聞かれ、かえってビックリした。最近の孫を抱えた祖父母は、ケータイどころかパソコンも駆使して、孫と通信している。
▼修道女はそのことを知らなかったらしい。そんな時代遅れの生活をしている人種が、ある意味幸せだなぁと感じた。
12/06/03(No.594)
▼いつだったか、「説教を考える時、聖堂に行かないのですか?」と聞かれたことがある。わたしは思っていることを素直に答えた。「机で、うーんと唸って考えないと、出てこないねぇ。」質問した人をとてもガッカリさせる返事をしてしまったが、実際聖堂に行って黙想して、説教を準備していないのでそうとしか答えようがなかった。
▼もちろん聖堂で祈ることでヒントが湧くことは山ほどある。ご聖体のイエスが照らしを与えてくれることは数え切れない。ただわたしが返事をしたのは、「毎週、説教を準備するのは聖堂で、ですか?」という質問に対しては、「聖堂ではないなぁ。ほとんど机のパソコンの前でだなぁ。」としか答えようがないということである。
▼机の上はいつも散らかっていて、机の面はどこにも見えないけれども、わたしはここで、パソコンをにらみながら、イエスと向き合っている。ほとんどの音を遮断して、イエスが何かを語ってくれないか、何かヒントをくださらないか、じっと腕を組んで待っている。それは聖堂で同じことをしてもよいのかもしれないが、現実は違うことをしている。
▼けれども、もしかしたら、変えてみれば変わるのかもしれない。つまり、自分のスタイルはこれだと決めているけれども、自分で勝手に決めているだけで、変えられるのかも知れない。もっと言うと、もうこれ以上働けないと思うほど働いているつもりだが、ぜんぜん働き方が足りないかもしれない。与え尽くすと説教で言ったが、与え尽くしていないかもしれない。
▼たいてい、イエスのために何かを成し遂げた人は、徹底的にへりくだることを求められる。それがあって初めて、イエスの道具になれる。ペトロ、パウロがその典型だろう。もし、もしもわたしがイエスの小道具として必要であれば、必ず砕かれて、へりくだり、すべてを失って、それから始まるのだと思う。
12/06/10(No.595)
▼見逃すと次は105年後という「金星が太陽の前を通過する」天体ショーをこの目で見た。確かに太陽の中に、ホクロのような点が見えた。日食グラス(実際は下敷きのようなもので、定規の目盛りが入っているので定規として使用できる)をどうぞと譲ってくれた人がいたので、その人の好意に甘えて、空を覗いてみた。
▼天体ショーなど、と思っていたのだが、実際に空を見上げて、太陽の中の黒点を見た時は、「おお、見える!」と柄にもなくワクワクした。テレビのアニメコマーシャルで、「周囲の変化にまったく関心がなくなると、認知症のサインです」というのがあったが、どうやらまだ認知症は発症していないらしい。
▼写真が手に入った。どうやって撮影するのか分からないが、太陽はオレンジ色、金星は黒点で撮影されていた。こんなに立派に写るものなのだなぁととても感心した。写真に収めたことからすると、写真を譲ってくれた人も、天体ショーを見逃したくないと思った人なのだろう。105年後なんて、今生きている人の1%も存在していないのだから、99%の人の中でワクワクする人がいても不思議ではない。
▼土曜日に、「やもめの献金」という福音朗読がミサに選ばれていて、「生活費の全部を入れた」という点をイエスは高く評価していた。そこで「自分の務めを、生活(費)の全部を入れて果たしているだろうか?九分九厘ではなく、一厘も残さずすべて全力投球しているだろうか」というような話しをした。自分への戒めでもある。
▼要領のいい人は、9割で全力投球しているように感じさせることができるだろう。もしかしたら、7割でも、全力で果たしているように見せることができるかもしれない。けれども、神の前には7割である。神は、生活費のすべてを入れたやもめを高く評価した。わたしはこれまでの20年、7割しか使ってこなかったと思う。これからの20年は、わたしが望もうと望むまいと、神からすべてを投入するように、要求されるに違いない。
12/06/17(No.596)
▼ざあざあと音を立てて雨が降っている。いよいよ梅雨だ。部屋の中で、湿気がこもりそうな場所をよく除湿しないと、梅雨あけたときにカビカビになってしまう。と頭では考えるが、いろんなものがこの時期を越えると使えなくなってしまう。管理が悪いのがすべてだが、もったいない話だ。
▼先週と今週にかけて、長崎教区の司祭たちは黙想会に参加している。今年ははっきりと、前半の黙想会と後半の黙想会という期間を設定し、ある程度参加者が分散して、黙想会も集中できるように、また小教区での対応も、ある程度他の司祭がカバーできるように、そのようなねらいで実施されている。
▼わたしは後半の部を申し込んだ。理由は説教師。今年の後半の部の説教を担当しているのは同級生の司祭である。同級生と言っても、修道会の司祭で会の中ではもう責任のある立場に立っている。翻訳者としても日本の教会レベルで貢献しているし、単なる同級生ではなく、尊敬する同級生だ。
▼後半の部には、同級生がほかにも参加するのだろうと思っていた。ところが蓋を開けると、自分しか申し込んでいなかった。後半の部が、会場を長崎市立山の黙想の家に設定しているのも起因しているのかもしれないが、後半の部の全参加者は12人である。
▼おそらく前半の部には70人以上参加しているのだろう。これでは、分散させるという目的も、より集中して黙想してもらうということも、絵に描いた餅のような気がするが、少なくとも後半の部の参加者は、両方の益が得られることになるだろう。
▼黙想会が楽しみである。いろいろ理由がある。説教が楽しみだという理由が最上位だが、ほかにも楽しみにしていることがある。ここに並べるほどの理由ではないけれども。
12/06/24(No.597)
▼黙想会に参加してきた。長崎市立山にあるイエズス会の黙想の家が会場だった。文字通り山の上だったので、夕食の時の長崎の夜景は別世界だった。そんな場所でテレビもなく、小さな机とベッドだけの部屋に寝起きしながら、ひたすら聖書のみことばに耳を傾けた。
▼同級生の司祭が説教師を務めていたのだが、同級生のわたしがいたので、さぞやりづらかっただろう。先輩であれ後輩であれ、学年が違えばまた気持ちも違うだろうが、同級生だけはやはり意識したのではないだろうか。
▼彼の指導のもとに、おもにマタイ福音書を読み続けた。わたしたちにとって電気と水は大切で、その中でも電気は止めても水は止めないほど、水は大切なわけだが、パレスチナでその水に当たるのが「ぶどう酒」なのだと聞いたとき、「ぶどう園と農夫のたとえ」とか、「ぶどう園の労働者のたとえ」とか、もっと真に迫って読み進めることができた。
▼また、黙想指導を依頼されるときのことを考えた。彼が示してくれた態度は、自分が黙想指導をするときのお手本として受け止めたい。技巧に走らず、大切な点をしっかり掘り下げる。それが黙想指導者の本来あるべき姿だと、言葉ではなく態度で教えてくれた。
▼テレビもラジオもない生活だったが、物足りなさは感じなかった。さすがにネットを繋げないのは忍びなかったのでちらほらネットをつないでメールチェックはしたが、畑に隠された宝を見つけて大喜びする商人のように、黙想の家で豊かな生活を味わうことができた。
12/07/01(No.598)
▼土曜日の朝7時半は、とある民放を決まって見ることにしている。トーク番組で、毎週司会者がいろんな分野の人と対談し、ゲストの魅力に迫る。そういう番組。毎週楽しみにしているが、6月30日の男性ゲストは妙に親近感を覚えた。
▼そのゲストは50歳の俳優で、最近は日本の映画、ドラマに欠かせない存在になっている。少し前、倉本 聰(くらもと そう)脚本のドラマに主人公で出演していて、ますますこの俳優が好きになった。その俳優が、最近の心境として、「無理して人に好かれようと思わなくなった」というようなことを言っていて、そうかぁ・・・と感心してしまった。
▼それまでは、人に好かれる俳優でありたいと、余計な力が入っていたという思いがあったのかも知れない。「わたしのこと嫌いですか?結構ですよ−。嫌いで。」そこに至るまで、いろんな回り道をしたのかもしれないが、堂々としているなぁと惚れ惚れした。
▼番組を見る時、だれでもゲストに集中しがちだが、わたしは司会者がどうやってこのゲストの魅力を引き出すのだろうかということにも興味を持って観ている。ゲストの飾らない自然な言葉を聞き出すには、司会者の腕がどうしても必要だ。収録は自分をさらけ出さなくても終わるわけだから、短い時間にどこまで引き出すか、他のトーク番組も含めて大いに勉強になる。
▼わたしは話すことが多い仕事だが、それでも聞き出す務めにもしばしば回る。その人が、言いたくないことをすべて司祭に言わなければならない場面があるし、今まで一度も、だれにも打ち明けなかったことを洗いざらい聞くこともある。すべてを話し終えるためには、わたしが緊張させたり、ためらわせたりしない配慮が必要だ。そうしたことをトーク番組はいろいろ教えてくれる。みなさんがよく観るトーク番組は何だろうか。
12/07/08(No.599)
▼facebookというのをご存知の方もいると思う。ご存知なくても、懐かしい人を探すのに威力を発揮するものと思ってこの先の話を読んで欲しい。まだわたしは使い切れていないけれども、友だちがもしかしていないかと思って検索をしてみた。
▼検索の絞り込みのために、「長崎南山高校」と「慶應義塾大学」を条件にして絞り込んだ。すると4人がヒットして、少なくとも2人は名前を見てだれかすぐに分かる人だった。あえて名前は伏せておくが、1人は「あ〜、今はここで働いているんだ」と懐かしくなった。1人は、「この人は、本当に活用しているとしたら、見直したなぁ」という人だった。
▼ほかにも、「長崎南山高校」だけで検索すると、「あー、この人は元神学生だ」という人が目に付いた。友だちになろうかなぁ、という気持ちも少し働いたが、友だちになるほど友だちでもなかったような気がするので、やめておいた。
▼しかし、先に紹介した2人のうち前者は、ちょっと友だちになってもいいかなぁと思いつつ、にがい思い出もあったりして、判断が難しいところだ。友だちになれば、あれからどうしてましたかと懐かしい話が聞けそうな気がするが、一方ではにがい思い出を蒸し返されそうな気もして、ちょっと微妙なところ。
▼だが、もしも相手からも「長崎南山高校」「慶應義塾大学」と条件を付けて検索をかけてもらえば、わたしに行き当たるわけだから、あえてわたしから動き出す必要もないかも知れない。もしかしたらもう検索したかもしれないし、それでいてわたしをスルーしたかもしれない。そう考えると、今回見つけた2人は、これからも目が離せない。
12/07/15(No.600)
▼あれれ?という感じで600号を迎えた。600号と言っても、メルマガの600号であって、主日説教は1000回くらいはしていると思う。特に感想はないが、600号になってネット環境がずいぶん変わってきたので、その辺を少し話しておきたい。
▼まずはツイッター。読者の中にもツイッターを楽しんでいる人がいると思うが、ネット上で思いを伝える道具がホームページ、ブログ、メールの3種類だったのに、このツイッターと後述するフェイスブックの登場で地図が塗り変わってきている。
▼ツイッターで情報の取っかかりを得た人たちが、ブログやホームページやメルマガを利用するようになる。ホームページを見てメルマガを知る人だけだったのが、ツイッターでメルマガを知るようになると、速くしかも多くの人に広がる可能性が出て来た。
▼もう1つの大きな変化はフェイスブック(facebook)の登場だ。原則実名での交流だから、ツイッターでつながる人よりも近い人、言ってみれば足もとの人たちがつながることになる。2重3重のつながりが出てくるので、メルマガには大きなメリットだ。
▼こうしたネットでの環境の変化は、若い世代には確実に受け入れられている。あとは、上の世代の人たちだ。未だパソコンでなくワープロ専用機を手放さない人たちに、どうやったら今のツールを身近に感じてもらい、使用してもらえるようになるだろうか。
▼ワープロ専用機は、それ自体としては完結していて便利だと思う。ところが外部との接続ができないし、新しい機能を追加することができない。中身を一新することもできない。そうしたことが、「変化」を阻み、「変化を好まない人種」に作り上げていると思うのだが、どうだろうか。
12/07/22(No.601)
▼子供たちの夏休みが始まった。さっそく「泳ぎたいので、監視をしてください」と頼まれ、目の前の海に連れ出された。3人の子供たちが浮き輪1個を取り合いながら、まったく足の届かない海に何度も入っては上がり、キャーキャー声を上げて遊んだ。
▼何度も何度も「神父さまは泳がないの?」と聞かれた。「まだ海の水は冷たそうだし、今日は遠慮する」と、オジサンは弱腰。泳いでもいいかなぁ、と思ったりもしたけれども、そのあと日課のランニングをするつもりだったし、夜にはミニバレーがあるわけだし、そんなにクタクタに疲れては仕事にならないからと、遠慮したのである。
▼しかし「あの時泳いでおけば・・・」なんてことにならないかと、今になって心配になってきた。気まぐれな子供たち、「神父さまは泳いでくれない」と決めつけられ、次はお呼びがかからなくなるかもしれない。そうなるとこの夏を台無しにすることになる。
▼この泳ぎに誘われた日、うっかり忘れていたが修道会経営の保育園が夏祭りを催していて、誘いがかかっていたのだった。「夏祭り、行きますか?」と確認されてようやく思い出したが、行ってみると毎年恒例の「ケアレンジャーショー」が祭りの終盤に組まれていて、毎年のことながら演技のまずさ、それでも園児たちが興奮するその素直さに、心を洗われる。
▼この書き込みが社会福祉協議会に届くとはとても思わないが、正義のメンバー「ケアレンジャー」よりも、悪のメンバー「ヨンナカッチェ」(よんなか=「良くない」「悪い」)に特別惹かれる。悪のメンバーに入隊できるものなら、今すぐに入隊したい。今年さらにその気持ちが高まった。
12/07/29(No.602)
▼たぶん何か書く予定があったのだと思うが、忘れてしまった。この次からは書くべきネタが思い付いたら、すぐメモを取るようにして、活用できるようにしようと思う。瞬間瞬間で、書きたいことが変わってくるし、書こうと思ったことよりも重いことが直前に発生するかもしれないから、柔軟に対応するためにはメモを取る。これしかない。
▼後輩の司祭が脳出血で手術を受けた。高度な手術は離島では受けられないのか知らないが、ヘリコプターで大村市に搬送されたそうだ。大村市には国立病院があるし、設備も離島より整っているのだろう。脳出血が人間の病気やケガのなかでどの程度重いものなのか分からないが、二三日ではとても帰って来られないことは確かだ。
▼病気にかかったことは確かに残念だし心配だ。ただ、「そういうこともあるだろうよ」と思われるとしたらどうだろうか。外見や、行動から推測して、「あの様子では、その病気にかかっても不思議ではない」と思われているとしたら、それは本人の責任も出てくるのではないだろうか。
▼後輩の入院と緊急手術で、該当する小教区はだれか他の司祭がカバーしなければならなくなる。当然協力はするが、「そもそもこうなった原因があるのではないか」という思いが頭の隅にあれば、負担の感じ方も違ってくる。はっきり言えば、それは本来回ってくるはずの負担ではないでしょうと思いたくなる。
▼もちろん今はいろいろ言ってはいられない。困っている小教区の人たちは、牧者のいない羊だ。今こそ手を差し伸べる時だ。8月5日には小学生のドッヂボール大会も控えている。11月11日には堅信式もある。それまで中学生の準備も必要だ。小教区の諸活動もあるに違いない。手分けして、分担してあげよう。
▼「お互いさま」「明日はわが身」そういう面もある。だから、せめてできる努力はして、「なぜあれだけ努力していたのに病気したのだろうか」と、その程度の自己管理は欠かさないようにしよう。利用できる検診は積極的に活用しよう。せめて牧者として任されている羊を置き去りにしないために、心を砕こう。
12/08/05(No.603)
▼オリンピック。4年に1度の祭典。この一瞬にすべてをかける。「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない」という声もある。体操の個人総合で金メダルを取った内村選手は、「だれがいちばん強いか」を証明したのだと思う。
▼オリンピックはトップレベルの選手がその力を発揮するわけだが、一般の人にも多くのことを教えてくれると思う。かつて「山下泰裕」という柔道家がいた。1980年のモスクワオリンピックを日本がボイコット(ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻したことに抗議して)して出場を逃し、涙を流したのは今でも忘れない。4年後1984年のロサンゼルスオリンピックで、彼は世界一強いことを証明した。
▼彼ほどその力を証明するチャンスを待たされた人はいないだろう。聞けば、モスクワオリンピックで代表に選出された選手のうち、ロサンゼルスオリンピックに再び出場したのは山下選手だけだったらしい。さらに4年待って、強さを証明できたのは山下選手だけだったということになる。
▼「待つ」ことで、彼は強さを証明した。だったら、だれかを愛して待つことができる人は、「最もその人を愛している人」ではないだろうか。また、だれかをゆるすために、長い時間待つことができる人も、「最もその人を愛している人」ではないだろうか。
▼だれよりも長く待てる人は、だれかを最も愛していたり、だれかを最も理解していたりするものだ。オリンピックの競技者は、自分が最もその競技を極めていることを、4年に1度証明しに来ているのである。
12/08/12(No.604)
▼どうしてこんなにメモを取らないのだろうか。メモを取ればきっとこのコーナーに書き切れないほどの出来事が一週間のうちにあると思うのだが。今回も何かあったような気がするが、またも思い出せず口をとがらせている。
▼インド料理を出す店に入った。基本的にはナンとカレーだが、チキンとかも付いて1600円程度のメニューを注文した。辛さは1から10まで選べて、3がマイルドと表示されている。わたしは最近はいつも辛さ5倍をお願いしている。コースメニューの名前がおもしろい。「ミサセット」という名前だ。
▼だがご飯にサラダにナン、グリーンカレーなどがセットになっているので、あれではミサはできない。なぜミサセットという名前になっているのだろうか。そうとうお近づきになったら、メニューの名前の由来を聞いてもいいと思っている。
▼今年も、平和祈願祭ミサと翌日のミサを浦上教会でささげることができた。浦上教会は長崎教区の司祭にとって思い入れのある教会だ。だからたまにミサに共同司式で参加すると、いろんなことが思いを巡る。こまごましたことは説明を省くが、浦上は長崎教区の司祭にとって入口でもあり、出口でもあるのだ。
▼その浦上のミサで、ことしも黄色い声の少年に会えた。その子は母親からいわゆる「ミサ祭服」「ミサ道具」を手作りしてもらっていて、教会の侍者で覚えてきては、家庭でままごとのミサをしているらしい。将来はもちろん司祭になりたいと言っている。中にはこういう子供もいてよいと思う。こういう憧れを持たせた司祭は、その報いを一生失わないだろう。
12/08/15(No.605)
▼思い出した。「夏の祈り」の話だった。「夏の祈り」という映画が8月4日から上映されていて、ちょうど取材で長崎本土に出かけるから、ついでに見に行こうと思っていたのだった。取材の前日、8日午後5時半からの上映に間に合うようにと、早めに出かけた。
▼実際には1時間前に到着し、「早かったか」と思ったのだが、入館しようとした時、手元に携帯電話がないことに気付き、どうしようか迷った挙げ句、宿泊先の大司教館にバスで戻ることにした。
▼1時間で確実に戻ってくる自信はなかったが、携帯電話が手元にないと、いろんな連絡が入った時に3時間以上連絡が遅れるので、それよりはと思い、取りに行った次第。戻るために中央橋バス停に行ってみると、県営バスが待機していたので、すぐに乗った。
▼バスは順調に進み、帰りのバスにも首尾良く乗れて、ちょうど1時間で映画館に戻ってきた。映画のチケットを「大人1枚」と窓口に告げると、先に割引のチラシが渡され、「これを持っていると300円引きになります」と言われ、1500円のチケットを渡された。よく意味が分からなかったが、とにかく1800円が1500円になった。
▼映画は、三ツ山の「長崎原爆ホーム」に入所している1人の被爆者を中心に撮り下ろしたドキュメンタリー映画だった。たんたんと、被爆者の日常生活が描かれ、生活の中に溶け込んでいる祈りが映画全体を貫いていた。
▼ほかにも、平和を願う人々の祈りが映画の中に織り込まれていた。8月9日の平和祈願祭ミサの中で祈る人や、平和公園で行われる記念式典で祈る人なども取り上げられていた。途中、名前の分かる人があちこちで登場したが、驚いたことに、ここ浜串にいる中学2年生がずらり映っているではないか。
▼顔つきは小学生の頃だが、どういう事情で映画に出演していたのか分からなかった。あとで分かったことだが、小学校の修学旅行で、平和学習の流れで浦上教会を訪ねていたところ、撮影に来ていた場面にちょうど重なったらしい。懐かしい子供に会いに来た前任者の司祭もそこに居合わせて、バッチリ祈っている様子が映った。
12/08/19(No.606)
▼最近USBメモリーに音楽を入れて、それを車内で聞いている。昔からあったUSBトランスミッターが近頃はUSBメモリーやSDカードに対応して新たに販売されていて、お安いのを買ってシガーソケットに差し込み、FMの電波で飛ばして車内に流す仕組み。この説明では分かりづらいが、実際の仕掛けを一度見たら、あーそういうことかとすぐに分かると思う。
▼好みの音楽をUSBメモリーに入れて再生させるわけだが、並び順というか、再生したい順番がある。いろんなCDの寄せ集めだから、好みの順番で再生できるようにと、フォルダにも頭に01(アルバム名)、02(アルバム名)とか機械的な順番をつけて、強制的に数字の順番に再生させる予定だった。
▼だが実際に再生しているのを確認してみると、思い通りに再生できない。なぜだ?アルバム01の次にアルバム05、その次はアルバム50、さらにその次はアルバム40である。どういう順番なのだ?理解できない。
▼もし、USBメモリーに思い通りの順番で再生させるのに適したフォルダ名の付け方をご存知の方がいたら、教えてほしい。もしかしたら、数字だけのフォルダにしてしまった方が機械は正しく読み込んでくれるのだろうか。試してみよう。
▼突然の悲劇で弟さんを亡くした知り合いがいる。お祈りしてほしい。誰にも予想できず、時間を戻すことはできないが、悲しみの淵にいるこの知り合いを、祈りで支えて欲しい。メルマガ読者450人、ブログの閲覧者100人の祈りがあれば、悲しみの淵にあっても支えを感じることができるかもしれない。
12/08/26(No.607)
▼わたしが小学生の頃、さまざまなヒーローアニメがあったが、その中に「科学忍者隊ガッチャマン」という番組があった。ヒーローものだから、「正義は勝つ」の論理があり、悪の組織「ギャラクター」は科学忍者隊にやられてしまうというパターンだった(ネットで検索すると、ギャラクターが勝利したり、作戦は失敗するも一つの都市を壊滅させたりしたこともあったらしい)。
▼ところが最近民放(最近マスコット犬が熱中症で死んだあの番組)を観ていて気付いたのだが、6時56分頃から約1分間、登場人物は変えずに「ゆる〜いガッチャマン」が放送されていることに気付いた。自分としてはこんな科学忍者隊も悪の組織ギャラクターも認めたくはないが、まったく別物として観れば観られなくもない。
▼毎日くだらないと思いつつも観ているが、その中で次のような回があった。(ギャラクター)「これまでにギャラクターのアジトがいくつも科学忍者隊によって壊滅させられている。この本部だけは絶対に悟られてはならない。」(NHK受信料徴収担当)「すみませーん。NHKです。こちら受信料の支払いがお済みでないようですね。」(ギ)「ここは悪の組織だから、受信料なんか払いません。」(NHK)「平清盛って、そんなに映像よごれてますか。」(ギ)「あれはリアリティーを出すためだから」(NHK)「しっかりご覧になってますね」(ギ)「観てません!週刊誌に書いてあったのをたまたま見ただけだから」
▼この手のやり取りが続き、ついに悪の組織ギャラクターの本部がNHK受信料を払うことに同意する。くだらないと言えばくだらないのだが、今回は自分も反省する所があった。ツイッター、facebookに「今週はプール遠足で金・土にまたがって出かけるので、木曜日にメルマガを出します。高校野球決勝は録画を観ることになります」と書いたのだが、誘惑に負けてライブで観てしまった。
▼だれかに「見逃し三振で1回表終わっちゃったね」と聞かれたら、ついつい「見逃しはないよなぁ。そういう調子だから1回裏、3回裏は満塁のピンチになるし、先制されることになるんだよ」と答えてしまいそうである。ちなみに、NHK受信料はここ浜串は共同アンテナなので自動的に徴収されて不払いになる可能性はない。
12/09/02(No.608)
▼休暇中、あれもこれもしたいと思い、大きなバッグを抱えて休暇に入ったが、思うようにできなかった。静かな環境が、わたしにとっての大事な休暇だが、残念ながらその理想は叶えられなかった。テレビがつけっぱなしであったり、さまざまなことで静けさは与えられなかった。
▼そういうわけで9月3日締切の作業は終了できなかったわけだが、締切を過ぎたわけではないので希望を捨てたわけではない。ギリギリまで努力するのみだ。休暇中にできなかったこともあるけれども、休暇でしかできないこともいろいろ叶ったので、良しとしよう。
▼休暇に入る頃だったか、嬉しい話が舞い込んできた。プライベートな話では、尊敬し、今でも連絡をくださる大学の先生が、長崎に来る時にまた浜串を訪ねたいという連絡が入っていた。それは予想外の喜びで、待たせてはいけないと思い、確認の電話を入れ、久しぶりの再会を約束した。
▼もう一つは、結婚式が入ることになった。新しい生活を祝福し、送り出すのはいつも喜ばしいことだ。最近結婚式なんか司式はおろか見たこともなかったので、本人たち以上にウキウキしている。結婚式には何を着ていこうかなぁ(笑)みたいな。
▼2013年度のカレンダーに、五島の写真家が撮影した写真で作られたカレンダーを信徒に勧めた。わたしの見込み以上に注文が舞い込んでいる。注文に二の足を踏む人が多いのではないかと思っていたが、そういうことは全くないようだ。集計がまだ終わってなかったが、注文の期日の関係で、だいたいこれくらいという見込みのもとに注文した。
▼現在、3人の司祭が療養中。1人は引退司祭で、散歩中に倒れられた。1人は大先輩で、転倒され左足を骨折。1人は10歳も後輩。9月初旬には長崎の病院へ転院するとの話。病気はどれも他人事ではない。病気するかもしれないという覚悟もだが、まずは健康な生活が第一だろう。
12/09/09(No.609)
▼宮崎での研修会の途中、金曜日の朝に南宮崎教会を訪ね、ミサをささげさせてもらった。ザベリオ宣教会の神父さまが迎えてくださり、わたしと2人きりでミサをささげた。前もって研修の参加者に、「朝のミサに、宮崎で参加しましょう」と誘ったのだが、全員「朝起きる自信がありません」と断られ、1人で南宮崎教会に行ったのだった。
▼実は南宮崎教会の信徒の方が来てくださっているのではないかと淡い期待を持って出かけたのだが、実際には司祭が1人で待っておられたのだった。「あー、誰もいないか」簡単な説教を準備していたのだが、説教もする必要ないかなぁと思ったが、一応考えてみたことを披露した。
▼福音の箇所は、「新しいぶどう酒は新しい革袋に」という内容を含んだ箇所だ。わたしは、「新しいぶどう酒は聖霊だと思います。この聖霊を、生活の中に保ち続けるために、わたしたちはつねに新しい革袋であるべきです。古い革袋ではいつか破れてしまい、新しいぶどう酒である聖霊は流れて失ってしまうかもしれないからです。」だいたいこんなことを話したのだった。
▼話し終えた頃にこの教会の司祭が、「わたしに一つだけ付け加えさせてください」と申し出てきた。初めての体験だった。この司祭はこう言った。「ぶどう酒は、保つだけではなく、皆に分け与えてあげるのがよいと思います。聖霊がぶどう酒、それはよいアイディアです。聖霊であるなら、多くの人が喜ぶはずです。多くの人に、分けてあげるなら、多くの人が聖霊に満たされます。いかがですか。」ごもっともだと思った。
▼後で聞いた話。研修が終わってわたしたちが案内してもらった宮崎在住のマリア文庫の会員さんは、何ともう一つの宮崎市内のカトリック教会に所属している信徒だった。しかも、この日の朝、所属の教会に行ってミサに参加したという。さらに偶然は重なる。その、もう1つのカトリック教会の現在の主任司祭は、わたしの2年先輩のY神父さまだった。
▼そこまで把握していれば、南宮崎教会に行かずに、もう1つの教会に行ったのにと悔しかったが、明らかに宿泊先から近かったのは南宮崎教会だった。残念と言えば残念だが、貴重な経験をしたわけだし、今回は痛み分けということだろう。
12/09/16(No.610)
▼今、訳あって自炊中。久しぶりに「エレナ」というスーパーに出向いて、買い物をしてきた。一言断っておくと、目の前の漁協のストアにも買い物に行ったけど、牛乳2本、チャーハンのもと、レトルトカレーを買ったくらいだったから、ここでは割愛。
▼レシートに書かれた順に列挙する。塩ラーメン。みそラーメン。塩あじそら豆。みそかつおにんにく。人参。キャベツ。白ネギ。伊万里小ネギ。以上。今回は写真ではなくて、その実物のレシートを添付している。
▼上記の買い物が何を意味しているか。つまり、わたしが買い物に行けば、このような物を買う(こんな物しか買わない)ということだ。たかがこれだけの買い物だが、考えに考え抜いて、30分もウロウロして買ったのである。
▼まず塩ラーメンとみそラーメン。この3年間、ほとんどインスタントラーメンを口にしなかった。夜食に食べる人もいるかも知れないが、幸か不幸か、わたしが赴任してきてからというもの、台所にはインスタント類はいっさい見つからなかった。だから、ふだん口にしない物の代表格として、これを買った。
▼そら豆。1週間経過したがまだ手を付けていない。これはビールのおつまみで買った。ところがビールを飲む暇もなく、葬式が入ったりしたもので夜に一人でゆっくり過ごせなかった。もう少し自炊生活は続くので、いずれ食べる機会もあるだろう。
▼にんにく。ご飯のお供にと、買ってはみたがまだ炊飯器を使っていない。これもご飯を炊けば、どうしても必要になる予定。ちなみに漁協で買ったチャーハンのもとも、レトルトカレーも、ご飯を炊かなければ出番はない。
▼人参とキャベツ。わたしの頭の中で「温野菜」に必要な野菜。この野菜と、ベーコンを少し加え、みそを小さじ2杯ほど入れてから蒸気でしんなりさせる。温野菜は朝食用。食パン1枚を焼いてマーガリンかバターを載せ、一緒に食べる。
▼白ネギと小ネギは、うどんを食べるため。五島うどん(有川うどん)を美味しく食べるのに、ネギは欠かせない。少し麺が余ったら、水分を切って焼きうどん。ネギがまたよく合う。ただし、焼きうどんは余った麺に限る。最初から焼きうどんだと、美味しすぎて食べ過ぎてしまう。
▼まぁこんな感じで、今月はゴソゴソ、自炊しないといけない。
12/09/23(No.611)
▼9月23日は甥っ子の1歳の誕生日。甥が生まれようが姪が生まれようが、そんなこと知ったことかと思っていたつもりだったが、いざ生まれてみると「バカじゃないのか」と思えるくらいに気にしている。
▼他人に甥や姪の成長ぶりを聞かされても「バカじゃないのか」と本気で思っていたのだが、今は自分が「親バカ」ならぬ「叔父バカ」ぶりである。世の多くのジジババがケータイに写真を入れているように、さまざまな写真をストックしていて、たまにとっかえひっかえ待ち受け画面に使っている。
▼「初節句」は、ためらったが祝ってあげた。ためらったのは宗教絡みではなく、おきまりの祝い方だから嫌だったという理由だ。ちょっとアドバイスをいただいて、「のぼり」を贈った。のぼりと甥っ子が写った写真が送られてきたが、その場にいなかったくせによかったよかったと一人で喜んだ。
▼誕生日に何かを贈ることも考えたが、1歳では何を贈るのも難しいので、メッセージカードを送った。NTTにまんまとはめられ、キャラクターの電報を打ったら3650円也。いい商売してるわ。
▼一言だけ、信仰につながる言葉を添えた。「神と人とに愛される人になってください」「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」(ルカ2・52)知恵が増し、背丈も伸びることを願うだけでは神父であり兄である自分としては芸がない。
▼いつか、この言葉を母親である妹に教えてもらい、自分がその時からどのように愛されて育ったかを思い起こす時が来てくれればいい。甥っ子と話しができる歳になったら、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」(使3・6)と言おう。
12/09/30(No.612)
▼最近2つの特筆すべき事があった。まずインターネット通販で買い物をしようとして、2度ならぬ3度までキャンセルせざるを得ない状態になった。3回の買い物すべてを思い出せないので、災害時の非常用懐中電灯のことを書いてみる。
▼台風14号の際、五島列島は怖くて眠れないような時間を過ごした。台風のときに巡回先の教会付属の司祭館になくて困ったのが懐中電灯だ。これは必要だと思い、手回しで充電できる便利そうなものを見つけて注文した。
▼送料込みでだいたい2000円くらいだっただろうか。良心的な値段だと思い、1個注文してみた。しばらくして店舗から確認メールが来たのだが、五島列島に商品を届けるには、中継料が必要だという。しかも1000円も。
▼これでは高すぎる。仕方なくキャンセルの連絡をした。数時間で、「キャンセル承りました」という連絡が来た。「相変わらず早いなぁ。」それが最初の注文だった。実はこれに懲りずに、他社で似たような値段の同じ商品を見つけ、注文をかけてみた。送料込みで1980円。
▼するとこの会社からも、「中継料1000円をいただきます」ときた。冗談じゃない。広報委員会とかマリア文庫など、長崎で受け取ってくれそうな住所に送ってもよかったのだが、そこまでするほどの商品だろうかと思っているうちに注文する気持ちが薄れてきた。
▼もう一つは、亡くなった自分の父親が夢枕に立ったということだ。これまで一度も亡くなった父の夢を見たことはなかったが、先々週だったと思う、父と親しく話しをした。まったく内容は覚えていない。けれども一人の人間として、互いを尊重して和やかに会話した感触は残っている。
▼父は何か話したかったのだろうか。何か伝えたいことがあったのだろうか。父ともう一度夢で会えるなら、わたしは何を話そう。今どこにいるのかを聞くかもしれない。
12/10/07(No.613)
▼10月のロザリオの月に合わせて、出席カードを作成した。5月の聖母月にも出席カードを作った。作るのが嫌だとは言わないが、わたしのアイディアではわたしでさえも「ありきたりかなぁ」と思う。できればいろんな人のアイディアを参考にしたい。
▼いろんなアイディアを参考にしたいが、それをどこに求めれば与えられるのだろうか。わたしの情報不足かもしれないが、かゆい所に手が届くようなそうした材料、資料、サンプルといったものはどこにあるのかという情報がない。わたしはこの状態は長崎教区の貧しさだと思っている。
▼いろんな資料が、もし権利関係の問題がないのであれば、自由に利用できるようにネット上にアップしてくれたらいいのに。ときどき長崎教区では「これこれのプリントができました。実費200円で配布致します」とか案内が来るのだが、実費だけでまったく儲けがないのであれば、わざわざ紙ベースで配布しなくてもよいと思う。
▼ネットでダウンロードして、ほんのちょっと自分なりのアレンジをする。そうしてもっとバリエーションが増えれば、どこかのだれかが作った物が長崎の、ひいては日本のどこかの教会で役に立つことがあるのではないだろうか。
▼わたしは保護者の皆さまへという案内状を書くのが面倒だと感じることがある。結局は案内状、お知らせを作って出すのだが、わたしよりも面倒に感じている教会、教会学校関係者は、わたしの作ったお知らせでさえ参考にさせてもらいたいと思っているかも知れない。
▼そうしたどこでも使いそうな資料、どこかが作っていればぜひ参考にしたい文書のひな形、ありとあらゆる「こまごましたもの」を集めたサイトがあれば、役に立つのではないだろうか。もちろん、雑然と寄せ集めても不便だろうから、整理整頓してアップしたほうがよいとは思うが、いろんなものが集められた時、宝の山になるのではないだろうか。
▼まぁそうは言っても最初の一歩は言い出した自分がしなければ始まらないのだろうから、そういうものを目指して、動き出してみようと思う。2013年ロザリオの月出席カードをアップすることから始めようと今計画中である。もし賛同してくれる人がいれば、アップしてもかまわない資料やイラストなどをメールで送って欲しい。アップするサイトの準備や、資料を共有するためのルールも考えなければならない。
12/10/14(No.614)
▼客人が神奈川から浜串に来てくれた。大学の授業をこなして、その足で長崎の大波止から船に乗り、五島に渡ってきてくれた。初めに会ったのは浦上教会の助任で新米司祭の時だったか。その時から約20年、細く長くお付き合いさせていただいている。
▼客人は大学の先生である。専門はモンテッソーリ教育。子供への深い愛情を持って、子供を研究している。今年はどんな話に花が咲くだろうか。わたしのほうからは、長期にわたって健康で学問の道を続けていくために心がけていることがあれば教えていただきたいと思っている。
▼ノーベル賞を受賞した京都大学の教授は、平均すると研究に従事する人は9割が失敗で、残る1割成功すればよいほうなのだとか。たくさん失敗しても、恐れるに足らず。むしろどんどん失敗しなさいという懐の深さはには驚かされた。
▼わたしは1割の成功をしてきただろうか。1割には達していないかもしれない。5分くらいかもしれない。19回は失敗で、20回に1回しか成功を収めてなくて、神にその成功をおささげできていないのではないだろうか。
▼客人は文系の教授だが、1割ヒットで立派という意見はどう見るのだろうか。ご自分の研究者としての人生は、打率で例えるならどれくらいの率のヒットを打ったのだろう。わたしに与えられている現役の時間はまあもってあと20年だろう。あと20年で、1割打者になるためには、たぶん2割近い打率を残さなければならない。
12/10/21(No.615)
▼頭が痛い。メルマガを午前中からどうしても取りかかれず、午後になってもとうとうできず、夜に書こうとしたがそれでも頭が痛くて、とうとう夜中の1時になってしまった。今もまだ痛いが、何とか片付けて布団に潜らなきゃ。
▼こんなに体調がすぐれないのは初めてだ。金曜日に食事に招待され、遅くまでいたのが響いているのだろうか。そうなると、この頭の痛みは二日酔いか?初めての経験で、何が何だかさっぱり分からない。
▼たくさん飲めるわけでもないから、飲んだ量も把握しているつもりだ。一つ気になっているのは、テーブルの向かいの人から「顔色が悪い」と言われたことだ。初めて言われた。いつも顔が真っ赤になるのに、「顔色が悪い」というのは何だったのだろうか。
▼昨日から信心用具の移動販売の人が来ている。どれくらい買い求めてくれているか分からないが、いくらかでも協力できたらいいと思っている。それぞれ必要のある人と、それで生活している人と、それぞれの事情があるから、うまくかみ合って欲しいものだ。
12/10/28(No.616)
▼心あるかたから血圧計をプレゼントしてもらった。毎日、血圧を測っている。まぁ言ってみれば精神安定剤のようなものだが、自分の体が発している信号をキャッチしてあげなさいという神さまの声に、従おうと思っている。
▼メールアドレスを教えてもらっている上五島病院の先生に「血圧計をもらいました。今計ったところ、上が118で、下が78、脈拍は70です」と、画像を添付して様子をメールでお知らせした。
▼「正常な範囲の値です」と、先生から連絡が入った。ところが自分が送った添付ファイル付きのメールを読み返して、とんでもないことに気がついた。わたしが医師に送った添付ファイルには、プレゼントされた血圧計のパッケージの箱と、中に入っていた本物の血圧計とが写し出されていたが、本物の血圧計には数値が表示されていないではないか。
▼では何を見て、数値を医師に報告したのだろうか。すぐに分かった。パッケージの箱に移し出された血圧計に、報告したそのままの数値が表示されていた。どうやら考えもなしにパッケージの数値を読み上げて、報告していたらしいのである。
▼慌てて、血圧を測り直し、メモにとって、その数値を報告しなおした。先生はどう思っただろうか。慌て者だなぁと思ったかもしれない。そのせいか、やや下の数値が高かったような気がする。
▼こんなドジを踏むなんて、かつては考えられなかったことだが、こんなことを平気でするようになったのは、もはや年齢のなせるわざとしか思えない。こんなヘマをして、笑われたりする年齢になったのだと、受け入れることにした。
12/11/04(No.617)
▼いつか見つかればいいなぁと思っていたものがひょっこり見つかった。見つかったということは、裏を返せば、家捜し(やさがし)をしたということであり、果てしなく無駄に時間を使ったという意味でもある。それは横に置いといて。
▼見つかったのは「系図表」。限られた部分しか取り扱われていないが、この系図をたどっていくと、6人の神父にたどり着く。自分以外に、ということだから、自分の系図の中に神父が合計7人存在することになる。「ほんまかいな?」ということで、これから系図をたどる旅をしたい。
▼わたしの父方の祖父は、中田七右衛門と言う。その兄弟に中田倉吉がいて、倉吉は中田イトと結婚した(中田倉吉については、「鯛ノ浦六人切り」というテーマでいつか別に話したい)。倉吉の子供から、中田武次郎神父が出た。ちなみに、お告げのマリア修道会の谷中フジノ(のちに会長を務めたと思う)も倉吉の子供である。これで1人。
▼中田七右衛門は、中田寅吉と島田チヨの子供である。島田チヨには兄弟がいて、それがのちに島田喜蔵神父になる。これで2人。ちなみに、中田七右衛門は自分の息子の一人に喜蔵という名前をもらって付けた。その中田喜蔵はわたしの洗礼の代父で、わたしは中田喜蔵から霊名トマスをもらっている。
▼島田喜蔵神父の父は島田文作、母は自勢(ジセ)。このあたりからは確実に調査ができていないが、下五島浦頭(うらがしら)の出身であったジセの祖父が山本伊五郎となっている。その山本伊五郎の妻シモのいとこ(兄弟の子供)が、ブラジルに渡った中村長八神父である。これで3人。
▼前に戻って、中田倉吉の妻イトは、中田幸右衛門とミヨの子供である。中田幸右衛門の兄弟に卯之助という人がいて、卯之助の子にのちに神父になる中田藤吉がいる。これで4人。中田藤吉神父の兄弟市右衛門はキヨという人と結婚し、その子にのちに神父になる中田藤太郎がいる。これで5人。
▼あと1人、山口福太郎神父も、中田幸右衛門をたどっていくと見つかる。だがわたしにはそれを証明するすべがないので、いるということだけ触れておきたい。もちろんだれを中心に見るかで見え方は違うが、とてつもない重い物を背負ったような気分である。
12/11/11(No.618)
▼本来ここでは堅信式後の様子を紹介できれば、新鮮な話題で盛り上がるのだが、それは来週に。まったく話題が逸(そ)れてしまうが、最近のパソコン関連のネタを。3年間中身をいじることなく使っていたパソコンを、今回いじることにした。
▼周辺機器を2つ取り替えた。パソコンの中身を取り替えているのに「周辺機器」というのも変な話だと思うが、そのままこの言葉は使わせてもらう。1つはハードディスクの交換。もう1つはDVDドライブの交換。
▼ハードディスクは、3年前に今のパソコンに移行する際、「SSDドライブ」を採用していた。「非接触型」のハードディスクで、高速かつ低消費電力ということで飛びついた。当時は80GBで十分と思っていたが、3年経ってみるとアップアップとなり、特に映像や音楽の録画・編集作業に支障を来していた。
▼今回2倍以上の容量を持つ180GBのSSDに換装する。久しぶりにパソコンの分解をしたので少々手こずったが、従来のHDDと比べるとSSDがいかにコンパクトになっているかがよく分かった。例えると、従来のHDDはポッキーくらいの大きさで、SSDはカセットテープくらいの大きさだ。
▼80GBのSSDのデータをそっくり180GBのSSDに引っ越して換装し(作業内容は割愛)、パソコンを立ち上げる。パソコンは何事もなかったかのように立ち上がり、プロパティを開くと180GBの容量で75GBの使用、100GBほどが空きスペースとしてちゃんと表示された。
▼次に、DVDドライブの換装。こういう時、SSDとDVDを一気に換装しないほうがよい。もしも認識しないなどのトラブルがあると、面倒である。手間は掛かるが、1パーツずつ換装することをお勧めする。DVDドライブも、地デジを録画したDVDディスク、ブルーレイディスクを再生できるものに置き換わった。2つの周辺機器は合計で19000円。
▼もしこれらの換装を業者にお願いすると、部品代に加えて技術料を最低でも1万円は請求される。自己責任という不安はあるが、1万円を払うほどの作業だとは思わないので、自分で換装した。まったくトラブルなく動いている。
▼周辺機器ではないが、最近手に入れた便利グッズをもう1つ。皆さんはエクスプローラーで自分のパソコンの中に入っているデータ(文書・音楽・画像・動画)などの一覧表をエクセルデータとして持っておきたいと思うことはないだろうか。
▼わたしは何百何千というファイルを保管しているので、いつかそのリストを用意したいと思っていたが、一覧をいちいち手入力する気力はない。そこで何か便利なソフトはないものかと思っていたら、あるところにはあるものだ。ファイル一覧をエクセルデータに変換してくれるフリーソフトを見つけた。
▼大変重宝している。最近わたしは書籍を業者に送ってPDF化しているのだが、変換した書籍も数百冊になってきて、管理が大変になっていた。今回ファイル一覧をエクセルデータにできるようになって、どんな蔵書があるのか、どんな分野の蔵書があるのかないのか、そういうことが一目で分かるようになった。ある大先輩に、ぜひこのソフトは紹介したいと思っている。
12/11/18(No.619)
▼先週の堅信式、上五島地区の中学2年生57人と、成人信徒2人の合計59人が、大司教から堅信の秘跡を受けた。堅信式当日は、午後2時の開始に向けて12時半からリハーサル、1時から歌の練習をしてその時を待った。
▼例年であれば、大司教の到着を受堅者一同で迎えるのだが、今年はそのセレモニーは省かれていた。大司教が断るはずはないので、どこかで「省きましょう」という話し合いがなされたのだろう。緊張感を持って堅信式のミサに参加するためには、大司教を整列してお出迎えするセレモニーはあったほうがよいと思うのだが。
▼堅信式から3日たって、教会での要理の勉強の時間に感想文を書かせてみた。感想文は、課題を与える側になって初めて気がついたのだが、対象となる出来事をどの程度理解し、どのように受け止めていたのか、その出来事にたどり着くまでにどのような困難を乗り越えたのか、その出来事から何を学び、これからに活かしていくのか、それらを総合的に把握するためにとても参考になる。
▼今年の受堅者たちも、さまざまな受け止め方と活かし方を披露してくれた。どんなことに着目して作文を書けばよいのかは教えたが、何を書きなさいまでは指示せず書かせてみた。実に豊かな反応が返ってきた。もう少し、気付いて欲しいなぁと思う作文もあったが、それでも真剣に向き合って書いてくれたのだから良しとしよう。
▼堅信式当日の説教で、「これからは聖霊の七つのたまものを受けた人として接し、意見に耳を傾け、尊重してあげたい」と公言したが、確かに聖霊の恵みは、子供たちに働いたようである。見違えるように、「聞くに値する意見」「聞いていてなるほどと思う意見」を出すようになってきた。
▼以前の子供っぽい意見は卒業した。信仰年を過ごしている子供たちが、堅信の秘跡で頂いた聖霊の七つのたまものにこれからも信頼して、大きく羽ばたいていって欲しい。
12/11/25(No.620)
▼25周年の司祭が司式をした感謝ミサに一緒に参加してミサをささげた。多くの感謝の言葉を聞いた。自分のために祈ってくれた人、自分を影になり日向になり支えてくれた人。その感謝の言葉を繰り返し聞きながら、わたしはあと5年もすればやって来る25周年に、どんな言葉を絞り出すのか考えてみた。
▼25年を迎えるためには、そのスタートがあったわけだが、司祭に叙階されるまで福岡の大神学院で育ててくれた司祭がこんなことを尋ねた。「なぜあなたは(何のためにあなたは)司祭になるのですか。」いろいろなことを答えたが(教区のためとか、キリストをまだ知らない人のためとか)、それでも指導司祭は問い続け、「なぜあなたは司祭になるのですか」とわたしを追い詰めた。
▼最後に彼はこう続けた。「自分自身のために司祭になるのではありませんか。この人生、すばらしかったと言えるために、司祭の道を選ぶのでなければ、司祭への道を選ぶべきではありません。」今でもこの言葉はわたしの中で問い続けている。「なぜ司祭になったのか。」
▼もちろんわたしの努力で司祭になれるわけでもないし、司祭職を何かほかの選択肢と天秤に掛けて選んだわけでもない。だからこの道しか自分にはないと思っているが、今すでに20年この道を曲がりなりにも歩いてきて、「なぜ司祭になったのか、何のために司祭になったのか」と自問自答する。
▼それなりに、決して忘れられない体験もしている。記憶に残る出会いもある。それでも、「なぜ司祭になったのか」この問いに十分に答えることができていない気がする。たとえば、ここ数日体調がすぐれないが、もしも病気だったらどうしよう・・・と考えてしまうのである。今の生き方に迷いがないのであれば、病気になっても迷いはないはず。それが実際はそうでもない。
▼だから、「なぜ司祭になったのか」と真剣に考えたら、「うーん」と返事に困ってしまう。そこそこ何かを果たしてきたけれども、その「そこそこの人生」のために司祭職を選んだのだろうか。特にここ数日の体調不良の日々の中で考えた。
12/12/02(No.621)
▼11月25日午後2時、88歳の先輩教区司祭が亡くなった。3ヶ月の闘病生活、直前まで老人ホームにいて、ミサをささげて入所者の信仰生活に奉仕しての旅立ちだった。寝たきりになることもなく、無気力になることもなく、本当に立派な司祭生活だったと思う。
▼日曜日午後に知らせが入ったので、月曜日の巡回教会のミサではミサに参加している信徒と修道者にお知らせを入れて、その日の説教ではわたしにとっての先輩の思い出話をしてあげよう。そんなことを思い描いていた。その晩は少し床に就くのが遅かったかも知れない。
▼見知らぬ医者がわたしに選択を迫った。「いずれにしてもおたくは亡くなりますが、手術をしますか、それとも痛みだけを取って残りの時間を過ごしますか」と言う。「そんなこと急に言われても、決められるか!」と怒ったが、すぐに「待てよ。これは夢だ」飛び起きて目覚まし時計を見ると5時45分になっているではないか。
▼巡回教会まで15分。完全に遅刻である。肩身の狭い思いで香部屋に行き、ミサを始めるにあたり、先輩司祭が亡くなり、通夜と葬儀がこれこれの時間に決まったとお知らせしてミサに入った。福音朗読は、「やもめの献金」だった。
▼そこでわたしは、「わたしの知る限り、亡くなった先輩司祭は、ミサの30分前に香部屋に来て待っておられた。それに比べわたしは、5時45分に布団を飛び起きて、顔も洗わずミサをしている。先輩はミサをささげるためにいわば生活費のすべてをささげて備えていた。あまりに違いすぎて恥ずかしいが、見倣いたい」
▼火曜日、浦上教会で葬儀ミサがささげられた。説教師はわたしが福岡の大神学院時代の神学院院長で、哲学神学の教授だった司祭である。どんな説教をするのだろうかと固唾を呑んで見守っていたら、わざわざ「やもめの献金」を朗読に選び、「先輩司祭は、自らをすべて、司祭職のためにささげた。有り余る中からではなく、持っている物をすべて、生活のすべてをおささげした。まさに、今日選んだ朗読に登場するやもめの生き方だった。」と説教したのである。
▼わたしは、「それ見たことか」と内心思った。「やもめの献金」を選んで説教すると、だれが想像しただろうか。けれどもわたしは、同じテーマで説教をしたのである。レベルは天と地ほどの開きがあるが、本当に嬉しかった。もちろん、調子に乗ってはいけないが。
12/12/09(No.622)
▼福見教会のミサをまた、また、またも寝坊してしまった(泣)11月26日(月)に寝坊したのは先週書いたが、12月3日(月)聖フランシスコ・ザビエルの祝日に、この聖人に献げられた教会のミサに寝坊した。はっきり言ってこの2回目で皆さん呆れていただろう。
▼そういうミスを犯していながら、この前の金曜日12月7日にも寝坊してしまった。ケータイを目覚ましにしているのだが、ケータイではもう起きることができないと思い知らされた。司祭館の玄関のチャイムが鳴ってようやく寝坊したのだと気付いたが、その瞬間もケータイは枕元で鳴り続けていたのである。
▼しかも金曜日は、前晩の木曜日に福見教会の司祭館に泊まり、教会から5mしか離れていない司祭館で寝坊してしまうという失態。さらに悪いことに、教会の敷地内には釣り鐘があり、その鐘もけたたましく鳴ったにもかかわらず、寝坊したのである。あーあ。
▼おそらく、釣り鐘も鳴ったのだろう。しかしこの前に関する限り、釣り鐘が鳴ったことすら覚えがない。5mしか離れていない場所でガンガン鳴り響いているはずである。2週間で3回寝坊したから、もう見放されているだろう。自分の責任だから仕方ない。
▼いろいろ原因はある。床に就いた時間があまりにも遅くて、起きることができなかったとか、5時15分にちゃんと起きたけど2度寝してしまったとか、ヘトヘトに疲れていて体が重かったとか。まぁいろいろだが、結果がすべてだ。このままだと、「あたりまえ体操」の「クビ」バージョンになってしまう。そうなる前に、目覚まし時計でも買うか。
12/12/16(No.623)
▼ネット上で運用しているサイトがおもに3つある。ホームページ「話の森」「i-mode話の森」、ブログ「こうじ神父今週の説教」、掲示板「こうじ神父今週の説教」。このうち、掲示板はあまり更新作業や書き込みのチェックをしていないが、ブログとホームページはわりあい手をかけている。
▼そのおかげか、ブログもホームページも毎日だれかが閲覧に来てくれている。ありがたいことだ。ブログは、だれかの目に留まりやすいようにと、3つのまったく同じブログと、記録保管のための1つのブログを更新している。
▼その中でgooという会社のブログは、アクセス数を見ることができて、この記録によると、圧倒的に土曜日の閲覧数が多く(230アクセスくらい)、次に日曜日(140アクセスくらい)、ほかの平日が100アクセスくらいである。これでも結構な数ではある。
▼意外だったのは、ホームページへのアクセス数だ。ことによると、ホームページを見ている人は誰もいないのではないか、誰もいないのであれば記録として残すつもりで更新作業をすれば良いではないかと自分を納得させていたが、最近アクセス解析のサービスにホームページ「話の森」を解析してもらうようになり、実体が分かるようになった。
▼それによると、ホームページも心優しい方が閲覧してくれているようで、毎日15アクセスくらいは記録されている。これはこれで喜べる数字だと思った。もっと娯楽性の高いホームページとか、情報満載のホームページであれば四桁くらいのアクセスはあるのかも知れないが、説教をちびちびと植林したホームページが15アクセスというのは感心だと思う。
▼責任を感じる部分もある。ホームページはがらっとデザインを変えるのは至難の業である。また、もともとのデザインの見栄えがないので、その点でも見劣りするのは否めない。そうしたさまざまの理由により、もっと役に立てそうだが使いこなせていないのが実情だ。
▼ホームページの更新は、ホームページビルダーを利用している。現在のバージョンは17、いちおう最新版だが、たいして機能を使っていないので、宝の持ち腐れのようになっている。はじめの頃こそデザイン一新とかをよくしていたが、今となってはどうすればデザイン一新ができるのか分からなくなっている。ぜひだれかに手を入れてもらいたい。
12/12/23(No.624)
▼NHK-BSの受け売りなのだが、アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏が7年前にカリフォルニア州シリコンバレー内にあるスタンフォード大学の卒業式のスピーチを依頼され、あの"Stay Hungry. Stay Foolish."という言葉を残したスピーチの話。彼は意外にも自身の3つのつらい体験を話して、スピーチを身近なものにしていた。
▼1つは、彼が養子に出されたこと。次は、大学を6ヶ月で中退したこと。最後は、創業者でありながら、アップルを10年後に追い出されたこと。そして彼は、信念をもって取り組んだことは、たとえ1つ1つは点であっても、あとで1本の線につながる。だから信念を持て。そういうことを語った。
▼ジョブズ氏は点が線につながることを「直感」「運命」「人生」「カルマ」と語ったが、わたしはそれは「聖霊の働き」だと思う。関連のなさそうな、一見バラバラに思える出来事を結び合わせるのは人間にはできない。人間にはできないのだから、それは神の働き、聖霊の成せるわざだと思うのだ。
▼しかしなかなか、信念をもって自分が取り組んでいることを貫き通すのは難しい。信念をもって貫いてみたら、「あなたは会社に損失をもたらしている。会社を出て行ってくれ」と追い出されたのである。もちろんあとでは彼は呼び戻され、アップル再建を見事に成し遂げるのだが、大抵の人は追放された時点で失望し、夢をあきらめてしまうだろう。
▼ではわたしたちは、聖霊がいつか「点」と「点」を結び合わせて「線」にしてくださると信じて、目の前のことを取り組んでいるだろうか。それほどの信念をもって、情熱を注いで日々を過ごしているだろうか。自分のしていることに、本当に意味と価値を見いだせているだろうか。だれが何と言おうが、自分だけはその働きを信じているだろうか。
▼そこまで考えると、岩をも砕くような情熱を注いでいるとは言えないのかもしれない。あちこちに残された「点」が、「起点」になるほどしっかり刻まれていなければ、「点」をたどって「線」にすることはできないだろう。
▼すると、それぞれの「起点」となる場所で(それがどこなのか、初めから分かっている人などいないのだが)精一杯のことをしなければならない。「あとで疲れるからほどほどに」と言っていては、その働きは「起点」にはなってくれない。
12/12/24(No.625)
▼クリスマス夜半のミサの説教は、先週の木曜日に突然降ってきた。この「突然降ってくる」イメージはとても大切で、その時のイメージはしばしば良いアイディアとなって後押ししてくれる。
▼木曜日は、わたしにとっては気分転換の日でもある。平日に、浜串教会ではなく巡回先の福見教会でミサをするからだ。ふだん顔を付き合わせていない人たちが集まり、子供たちも巡回先の子供たちと触れ合える。さらに保育園の子供たちも集まる日なので、とても癒される。
▼木曜日の夕方の福見教会でのミサ、わたしは園児を前にして正直にこう言った。「クリスマス前なのに、クリスマス会とかで何回もお話をしているうちに、説教のネタがもうなくなりつつあるのよ。困っちゃってね。」園児たちはわたしの気持ちを理解したか知らないが、同情はしてくれた。
▼本当に慌ただしくこの時期は毎日が過ぎていく。どうやったらクリスマスをゆったりと過ごせるのだろうかと不思議になる。クリスマスから正月にかけて、10日間くらいで5本の説教の準備である。ゆっくり過ごせるはずがない。
▼そろそろ、マラソン大会の仕上がりも心配になってきた。練習して、筋肉痛になって次の日は好天なのに練習をサボる。すると翌々日は雨になり、「雨だから練習休もう」と自分に言い訳する。この繰り返しで、ここのところ週3回走ればよいほうである。今回は目標を下げざるを得ないか。
12/12/25(No.626)
▼したくないことをしてもらうのがこんなに難しいとは思わなかった。依頼先に連絡を取った。最初からしたくなさそうだったが、できない理由を探したり創作したりして、最終的に「できない」と断られた。失敗するかもしれないけどやってみようという姿勢が見られず、ガッカリきた。
▼もちろん、今回自分が果たせば済むことを人に頼んで断られたのだから、最終的には自分が動けば済むことなのだが、まぁわたしにも機械的にこなせない「説教の準備」というものがあって、手が離せないから頼んでみたのだが、今回で完全に、「おれに頼むなよ」ということだとよく分かった。
▼この「ちょっとひとやすみ」を書いている時点で、依頼して断られて戻ってきたことを果たせる残り時間はあと3時間か、4時間である。本当はこの時間を説教に当てたいのだが、そのための時間をあきらめざるを得なくなった。用件そのものは5分で終わるが、5分のために30分かけて用件を済ませるための場所に行かなければならない。その時間がもったいないのである。
▼いや、待て待て。ご年配の方々を見よ。バスの到着までゆうに30分はあるのに、早くからバス停に座っている。絶対に定刻にしか船は出発しないのに、30分も前から待っている。そんな人のことを思えば、移動の行き帰りに1時間かかってもたいしたことではないのかも知れない。そう思うことにした。
▼他に方法もなく、自分で30分かけて出向き、5分の用事を済ませてきた。実際にはついでを思い付いたので行った先で30分くらい滞在した。帰り着くまで合計1時間30分。帰ってきてから2時間後、「頼まれていた用事を引き受けてもいい」と連絡が来た。今ごろ言ってきても遅いわ。失った1時間半はもう戻ってこない。
12/12/30(No.627)
▼皆さんは、1日に3本、栄養ドリンクを飲むことはあるだろうか?わたしはある、と言っておこう。栄養ドリンクオタクなのではない。病人訪問の日に、家庭訪問しながらご聖体を授けて回るのだが、「マラソンの練習大変ですね。どうですか。これを1本飲みませんか」と、「鷲のマークの大正製薬」あの栄養ドリンクを渡されるのである。
▼朝9時。Aさんのお宅にお邪魔し、聖体を授けて少し様子を聞いていると、「大正製薬」を飲めと言う。これでこの日1本目。10時。「マラソンの練習大変ですね。どうですか。これを1本飲みませんか」これでこの日2本目。
▼午後4時。巡回教会の病人訪問に向かい、ご聖体を授け、様子を聞く。するとここでも「マラソンの練習大変ですね。どうですか。これを1本飲みませんか」都合3本、1日で「大正製薬」を飲むことになる。ある場合は「あんたがた○○○○」に変わることもある。
▼今のところ、3本飲んだからと言って体の変調はないが、1日あたりの摂取目安はある。たぶん2本だと思う。そうなると、どれかを断らなければならない。「今日は要らない」と言うためには、何か理由が必要である。向こうは「せっかく用意したのに」と思っているだろう。
▼そんなこんなで、気の弱いわたしは日に3本、栄養ドリンクを飲むことがある。人によっては眠れなくなるとか、続けざまに飲むと鼻血を出すとか、さまざまな症状が出るらしい。もしもわたしが鼻にティッシュを詰めて歩いていたら、栄養ドリンクを4本飲んだのだろうと思って欲しい。
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