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13/01/01(No.628)

▼新年明けましておめでとうございます。今年は「巳年」、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(マタイ10・16)を心に留めて過ごしたいと思います。大晦日には過ぎた一年が自分にとってどんな成長をもたらしてくれたか、どんな失敗を犯したか、おいしい飲み物を味わいながら考えました。正式なものではないですが、遺言も書きました。
▼もはや、「老化」「認知症」は始まっているとしか言いようがない。異常行動だと自分が感じた昨年末の行動を報告する。ミサ中、叙唱の前に「主はみなさんとともに」「また司祭とともに」「心を込めて神を仰ぎ」「賛美と感謝をささげましょう」と交互に唱える部分がある。「また司祭とともに」という返事が聞こえたとき、瞬間的に両手を開き、「全能の神、父と子と聖霊の祝福がみなさんの上にありますように」という派遣祝福の言葉を危うく言いかけそうになった。
▼危機的な異常行動もあった。ミサの聖体拝領を終わらせて、残ったご聖体が入ったままの「チボリウム」を手にしていて、何を考えたのか祭服を着替える香部屋にチボリウムを抱えたまま移動した。香部屋に入って、「何をしに、ここに来たのだろう?」とゾッとして、それから祭壇に戻ってチボリウムを聖櫃におさめた。
▼日常でもゾッとすることがあった。食事のあとに、お茶を飲みたいなぁと感じ、いつもの茶葉を使ってお茶を飲もうと考えた。ところが、わたしはお茶っ葉を「コップ」に入れ、空の急須を掴んで湯沸かしポットのところへ向かったのである。
▼空の急須を眺め、怒りがこみ上げてきた。「物に当たる」ということがあるが、わたしは自分自身を、何かに投げつけて粉々に砕きたい気持ちになった。当然そんなことができるはずもなく(そんな意気地も無く)、怒りのやり場もないまま、お茶の粉がたくさん混じったお茶を飲んだ。今年はこれらの不運・不幸を振り払って、良い年であってほしい。



13/01/06(No.629)

▼久しぶりに実家でゆっくりしていた。妹夫婦も帰省していて、甥の○○君も、乳児から幼児に成長していた。泣き顔が面白くて、「泣く状況」を作って泣いてもらった。映像にも収めたので、一年楽しめそうだ。
▼母親へのお土産に、、デジタルフォトフレームを買った。甥の写真をスライドショーにできる。お世話は妹がしてくれた。妹は幸いに、パソコン音痴ではない。なかには
そういう人がいてくれないと困る。
▼ポケットルーターを里帰り出発前に買ってきてくれと頼んでいた。2000円くらいだったが、「買ったよ」と連絡を受けたので安心していたが、帰省の日に「長崎空港に降り立って気づいたけど、ルーターを忘れちゃいました。」えー!でも、忘れっぽいところは兄弟姉妹なんだなぁと思い、何だかホッとした。
▼休暇中に説教案を練るのは至難の業だ。残念ながら静かな環境はない。日中はずっとテレビがつけっぱなしだし、部屋を変わっても障子一枚で区切られているだけ。これでじっくり考えろというのがどだい無理である。
▼だからできなかったとは言い訳したくない。そんなことを言っていたら、続けてはいけない。何とか劣悪な環境でも、光を見つけ、その光で現在の環境を照らす。そうして、福音の光を届けなければならない。
▼三男の弟も正月休みを取って帰省していた。箱根駅伝の復路、大平台のヘアピンカーブで、「大平台のヘアピンカーブだ」と声を弾ませたのを見た時、弟のものすごい記憶力に驚いた。特殊な事情で、電話帳をまるまる一冊記憶できる人がいると言うが、弟もそういう事情なのだろう。
▼ことしの初嘘。「マラソン頑張ってますね」と言うので、「箱根駅伝の8区を今年は走るので、年明けから忙しいです」と言った。往路は5区までしかないので、嘘だとはっきり分かるだろうと思っていましたが、「見逃しましたかねー。走ってなかったようですが」と言って来た。まぁどうでもいいのだが、後で考えると往復10区間で競う駅伝なので、8区というのは存在するのである。嘘は言うべきではない。



13/1/13(No.630)

▼健康(美容)とお金の話。健康や美容にお金を費やしている人を、かつては鼻で笑っていたが、それは間違いだったような気がしてきた。もちろん当時そのことに気付くのは難しかったと思う。健康であることを謳歌(おうか)していたので、健康や美容のためにお金を払うなど、もったいないと思っていたからだ。
▼ところが、今は少し違う。理由は2つある。1つは、かつては十分な運動で、健康を維持できていた。たとえば休暇の日に朝から晩までテニスをして、体がヘトヘトになるまで動かし、それで体内部の悪いものを排除できていたと思う。だが今はそうはいかない。
▼天気が良くておまけに用事も入っていない、これはテニス日和だと思っても、現状では4人集まらないとテニスのお誘いはない。いつだったか、「人数が揃わないので今日のテニスは中止です」という連絡が入り、その日ふて寝していたことがあった。
▼もう1つは、運動をしなかったらお金を使ってしまうということだ。テニスが中止になれば、自分一人でみっちり走り込んで、汗を流せばよいと思うかもしれない。だがなかなか、マラソン大会の前にでもならないと、走り込みは難しい。暑い盛りや、急に寒くなった時など、すぐ「今日はやめておこう」と自分に言い訳をしてしまう。そして、物を食べたり無駄な買い物をしたり、お酒を飲んだりしてお金を使う。
▼だから、わたしは運動を、お金を使っていることと同じだと思うようにした。運動ができる休暇の日、あるいは平日や週末でも、いろんなことでお金を使うことがある。お金を払ってスポーツジムに通っている。そう思って運動の時間を過ごすということだ。
▼「この運動は、お金に換算するといくらいくらになる。」そう言い聞かせて、運動を続けようと思う。46歳の太めの体を動かすためには、高尚な動機ではどうも納得させづらいのである。お金に換算するのがいちばん手っ取り早い。とてもドロドロした考え方だが、今日の運動が5千円消費したのと同じだと思えば、わたしには重大な意味がある。



13/1/20(No.631)

▼家電のことでちょっと困っている。地デジ化される前は、案外手軽に録画したビデオなどをパソコンに取り込み、映像を再利用して楽しむことができた。ところが地デジ化以降、録画した映像をDVDにコピーしても、パソコンでは再生できないという事態が生じている。皆さんはそういう経験が無いだろうか。
▼さらに。わたしがメインに使用しているテレビは、三菱のREALというシリーズで、HDDとブルーレイ一体型になっている。この1台で録画・再生ができるので、重宝している。しかし、このテレビには「出力端子」が付いていない。あくまでも想像だが、録画した映像が簡単に出力端子で取り出せるとなれば、不正ダビングにつながるということだろう。
▼もちろん不正ダビングはいけないのだが、ビデオデッキにダビングするということはあるだろうと思う。そもそもなぜ出力端子をもってそのまま「不正ダビング」と決めつけるのか。
▼そのせいで、テレビ・HDD・ブルーレイ一体型のわたしの機器から外に持ち出せず、眠っている貴重な映像がいくつもある。きっと、眠ったまま、いつかは削除される運命をたどるのだろう。何か方法はなかったか・・・と思っていたら、AVセレクターのことを思い出した。画像写真は先週紹介している。
▼すでに撮りだめたものについてはいかんともしがたいが、AVセレクターがあれば、映像を一体型テレビに流すか、ほかの機器に流すかを選ぶことができる。もしかしたら、パソコンで楽しめるDVDを作ることもできるかもしれない。そう思って、発見するのに費やした時間を自分に納得させることにしようと決めた。
▼おまけの話。パソコンをタイマーでシャットダウンできる無料ソフトを発見。試してみたら、ちゃんとシャットダウンさせていた。使えそう。



13/1/27(No.632)

▼穴があったら入りたい。クリスマスにプレゼントを頂き、「そのうちに」と思って延び延びになっていたものを最近楽しみ始めている。それは紅茶。詳しくは知らないけれども、わたしの経験によると、この手の紅茶は一缶1500円はするので、合計で4500円かもしれない。
▼しかも箱を空けてみると、缶に貼られたラベルに「Merry Christmas!」と書かれているではないか。プレゼントしてくださった方、本当に、申し訳ありませんでした。ご本人に直接連絡することは可能だが、直接話す勇気も無く、「全能の神と、兄弟の皆さんに告白します」という形でお詫び申し上げます。
▼香りがいい!飲む前に、しばらく香りをかぐ。わたしはそんなに鼻は利かないが、いい香りがする。それは、紅茶をはぐくんでくれた大地の香りだろうか。ようやく紅茶を入れるポットが届いたので、紅茶を山盛り入れてお湯を注ぐ。ポットはハリオ製。本当は何でもよかったのだが、たまたまこれを手に入れた。マリア文庫のメンバーが、「これはいい品物です」と言っていたから、良い品物なのだろう。
▼一口含んで、しばらくしてから飲み込む。頭が冴える!コーヒーもいいけど、紅茶はまた違った楽しい飲み物だ。この紅茶で、原稿がすらすらと書けそうな気がしてきた。そういう気がしているうちに、さっさと原稿を書いてしまおう。今のところため込んだ原稿がないのが、残念と言えば残念だ。



13/2/3(No.633)

▼司祭団マラソン大会は苦い思いをさせられる結果となった。19人が10キロの部を完走した。そのうち3人は新人で去年との比較がない。あと16人。12人は、1キロ毎のラップタイムを大幅に伸ばしている。具体的には15秒以上伸ばしている。
▼残りは4人。うち3人は、1キロ毎のラップをいくらか伸ばしてきた。具体的には10秒以内。あと1人残っている。1キロ毎のラップがまったく伸びなかった人。実はそれがわたしだった。わたしは1キロ5分24秒でカバーした。
▼しかし去年も1キロ5分25秒だったので、ほとんどの司祭がタイムを伸ばしてきたので、相対的にタイムを落とす結果となり、順位を2つ下げて7位に終わってしまった。走り終わった時は「うーん、やられたなぁ」としか思っていなかったが、浜串に戻り、データを分析するころになってじわじわと悔しさが湧いてきた。
▼何度見ても、ほかの司祭はかなりラップタイムを伸ばしている。何度見ても、自分だけがラップタイムを上げられずに終わっている。他の見方ができるのかもしれないが、わたしにはそうとしか思えない。一体どういうことなのだろう。なぜ自分だけ、タイムをあげることができなかったのか。
▼いろいろ考えるうちに、いくつかの数字が思い浮かんだ。1.気温。今年は去年と違い汗ばむ陽気だった。2.体重。去年は73キロと、減量に成功して臨んだ試合だった。今年は体を絞りきれなかった。
▼3.ウェア。これは最後まで触れたくなかったのだが、やはり覆う面積が広いと、通気性が悪くなる。さまざまな人から「去年のウェアは目のやり場がないから、やめて欲しい」と言われて断念したのだが、やはり次はもとに戻したい。



13/2/10(No.634)

▼間違って本を注文した。普通であれば、発送する前にキャンセルできる。だが今回は事情が違う。AmazonのKindleストアで購入した洋書である。Kindle書籍とは、ダウンロードして読む書籍のことで、購入すると即座にタブレット等にダウンロードされて読むことができる。
▼だがメリットばかりではない。今回は興味を持った洋書を注文したのだが(まだまだ日本語のKindle書籍は少ない)、よくよく見たらそれはスペイン語だった。アメリカで発売されている書籍だったのであまり気にせずに「買う(BUY)」のボタンをクリックしたのだが、ダウンロードされてきたのはスペイン語だった。
▼英語もトボトボしか読めないのに、スペイン語が読めるはずがない。なぜうっかりスペイン語版を購入したかが問題だ。もしかしたら、現在アメリカでは書物を売り出す時に英語版とスペイン語版を同時に並べることが積極的に行われているのかもしれない。
▼返却することもできず、しばらく呆然としていたが、しかたなく英語版をよく確認して購入し直した。書名はここでは紹介しないが、表紙が酷似していれば、全体の1%くらいは、間違うのではないだろうか。あるいはそれも見越しての販売戦略か。
▼ダウンロードして読む書籍は、洋書に限って言えば印刷されたものよりかなり安い。資源を消費しないから、コストが掛からないだろうし、在庫を抱える必要も無い。そうした事情もあるのだろう。今回間違って購入した本は、10ドル50セント、ダウンロード書籍としては高いほうだったかもしれない。



13/2/17(No.635)

▼大都市の交通について。普段バスやJRの電車を利用しない田舎暮らしの自分にとっては、大都市に来たときの公共交通機関の利用は大変な苦労である。今回もずいぶん苦い思いをした。
▼今年の黙想会指導司祭と佐賀で軽く打ち合わせをしてからJRの特急で博多に移動し、地下鉄に乗り換える。計画に沿って天神・中洲川端・福岡空港と地下鉄を乗り継ぐ。路線図では一直線の停車駅なのだが、出口を間違えると簡単に目的地を見失ってしまう。天神でビックカメラに行くだけで、30分あまりウロウロした。おまけにお目当ての品物を店頭で買う時間が無くなり、結局宿でネットショッピングする始末。
▼福岡空港も一時期とは隔世の感があった。まるで羽田空港のように広く複雑になっていて、時間も無くなってくるし慌ててお土産を買ってみたらANAの袋に詰め込まれた。行きの航空会社はJALだというのに。しかもお土産の一つは東京で真っ先に会う人のために買ったのに完全に渡すのを忘れて持ち帰って来た。
▼羽田には定刻の17時30分に到着したが、宿に着くための地下鉄を見つけられない。今回の外出のために、乗り換えのシュミレーションをパソコンソフトを駆使して何度も繰り返し、iPadにも地図や路線経路情報など、念には念をいれて準備したにもかかわらず、地下鉄乗り場を駅員に尋ね、さらに「よく分からないけどとにかくこの電車に乗るか」と決心するまでかれこれ30分かかってしまった。地上に上がってからもほぼ宿泊先まで来ているのに宿が見つけられない。先に宿で待機してくれていた面会人に自分を見つけてもらって事無きを得た。
▼下調べを入念にしていても、最後は近くにいる人のお世話になっている。本当に大都市の交通には泣かされる。大都市での移動はわたしにとっては例えるなら「漂流」である。たどり着くかもしれないし、着かなければ手当たり次第見つけた人に「おーい、助けてくれー」と叫ぶ。たまにしか上京しない人達は、皆さん似たような体験をしているのだろうか。



13/2/24(No.636)

▼東京の続き。お話しできた人との話題の中で、「すれ違う人と接触」という話題についてまず書きたい。満員電車の中で、または朝の通勤時間帯に、すれ違う人と接触するということは十分起こりうる。ただし「ぶつかったから謝れ」と言われても困ることもある。
▼お互い急いでいる中で、自分が前に進もうとしたときにたまたま正面からやって来る人がいるとしよう。ほとんどの場合すれ違うことになるが、こちらも人混みの中で歩いている、相手も人混みをかき分けている。そんな中で正面衝突を避けるのは、なかなか難しいのではないだろうか。だから「ぶつかったから謝れ」と思って欲しくないのだ。
▼東京で2泊してさえ、たくさんの人とすれ違い、接触しそうになることが何度もあった。五島列島に住んでいて、向かってくる人と接触しそうになることなど皆無である。だから、「ぶつかった。謝れ」と言われたことのある人には本当に同情する。かわいそうである。その人が五島に住んで、のんびり暮らしていたら、決してそんなトラブルに巻き込まれたりしないのに。そんな中でも、話を伺ったその人はけなげに東京暮らしをしている。
▼東京での具体的な話は、プライバシーにもかかわるので控える。東京からの帰りの便。わたしはあえて、通路側の席を指定して購入した。荷物を出し入れするのに、窓側にいると迷惑をかけることになるので、あえて迷惑をかけないで済む通路側を帰りの便では予約した。当然窓側にはだれかが座るはずである。どんな人が座るのだろうかと考えた。
▼何とかフライトの前にメルマガ配信を済ませたくてギリギリまで粘った。そのせいで「お客さま。長崎行きの飛行機に搭乗予定ではありませんか?」と声かけまでされてしまった。さんざん粘ってようやく機内に乗り込んだので、ほとんどの席が埋まったあとに自分の席にたどり着いた。やはり通路側の席は正解だった。
▼わたしの席の隣、窓側には、黒縁メガネのきゃしゃな男性が座っていた。離陸してしばらくしてから客室乗務員が飲み物を配り始めた。「何にいたしましょうか。」窓側の席の人が「温かいお茶をください」と返事をしたとき、隣りの人が女性だと初めて気がついた。まったく化粧っ気もないからてっきりきゃしゃな男性だと思い込んでいたが、声を聞けば間違いだったと言わざるを得ない。それからの時間はかなり居心地が悪かった。
▼飛行機を降りて、わたしはがまんの限界でトイレへ。トイレを済ませて高速バスの列に並んだが、残念ながら最初のバスには乗れなかった。次のバスに回されて早い順番で乗り込んで出発を待っていると、運転手が「あと●人乗れますよ。乗りますか?」と声をかけている。
▼目一杯お客を乗せてドアが閉まり、わたしのそばで「すみません。座らせてください」と声をかける人がいる。見れば飛行機で隣に座っていた人ではないか。わたしはビックリして声が出なかったが、相手から「飛行機でもご一緒でしたね。失礼して座らせてもらいます」と言って隣に座った。小一時間、緊張して座っていたことは言うまでもない。



13/03/03(No.637)

▼インターネットブラウザも人によっていろんなものを使っていると思うが、ブラウザによって、できることとできないことがある。ふだん何気なく使っている人も多いだろうが、嫌でも意識させられることが起こった。
▼ネット上のストレージを利用できるさまざまなサービスをご存知だろう。その中でわたしは「スカイドライブ」と最初に出会ったのでそれを利用しているが、Google Chromeを使ってファイルをアップロードしていたのが、いつからかアップロードできない状態になった。何度試みても、「不正な文字のファイルはアップできません」という警告を受ける。
▼仕方なく、ファイル名をすべて小文字のローマ字表記に変えてみた。ところがそれでも状況は好転しない。しまいにはなぜアップロードを受け付けないのか分からなくなってしまった。しばらくその状態が続いたのだが、あるとき同じファイルでも、firefoxからアップローとしたときは受け付けてくれて、Google Chromeからアップロードしようとすると拒否されることが分かってきた。
▼理論的に原因が理解できて、対処法も分かったというわけではないが、Chromeが得意にしている部分と、firefoxが得意としている部分が違っていて、使い分ける方が簡単だということが分かってきた。今回も、firefoxでアップロードすると、ファイル名を気にすることなくすんなりアップロードできた。
▼ネット上の中継を再生するときは、今度は反対の現象が起きる。firefoxでは再生してくれない中継があり、このサイトをGoogle Chromeで確認すると中継もスムーズに再生してくれる。
▼全部を満たしてくれるのは実のところInternet Explorerなのだが、わたしがこのブラウザを大嫌いなので、問題がこじれているというわけだ。嫌いな理由を書こうとすると、あと1回分このコーナーを消費してしまう。



13/03/10(No.638)

▼もしも、気を悪くする方がおられたらおゆるしを。司祭の自炊について。長崎教区司祭は食事を軽視すると痛い目に遭う。4度目の赴任地で、賄い方を探せず3ヶ月自炊をした。しかしどうにも司祭本来の仕事が回らなくなり、教会役員に泣きついて社会福祉協議会で働いていた信徒に職場を辞めてもらい、司祭館の賄いに入ってもらった
▼何せミサが終わって朝食に取りかかり、食べ始めるのが8時。食べ終わって皿洗いまで終わるころには9時近く。教会の台帳を開いてここ数年の小教区の動きを把握しようと努めるも、あっという間に10時を過ぎる。
▼11時になれば昼食の準備。1時間も掛かって料理を作り、10分でそれを食べる。片付けにすぐに取りかかりたいが、連続テレビ小説は見たいので台所は午後1時以降に後回し。朝と昼の料理で疲れ果て、買い出しをしたらもう子供たちが教会学校に来る。
▼要理をして、また台所に行って料理本で前日作らなかった料理を作ってみる。夕方5時から料理にかかり、6時に食べるが、7時のNHKはどうしても見たい。クローズアップ現代も見てしまい、片付けは夜8時。その頃には結婚予定のカップルがやって来て、夕食の片付けは夜10時になるか、諦めるかである。
▼自炊に追われ、通し番号になっている台帳の記録も滞り、日常の掃除洗濯も破綻し、そのうち司祭館はゴミ屋敷となり、生物学的に死ぬか、死んだ司祭となるかのいずれかの運命が待っている。だから、食生活がきちんとできる体制を守ってもらう必要があると思うのだが。



13/03/17(No.639)

▼ふとしたことで、だれかを思い出したりする。「あの人はどうしているかなぁ。」それまでまったく思い浮かばなかった人が、ふと思い出される。そんな時、不思議とその人から連絡が入ったりする。皆さんにはそういう経験がないだろうか。
▼わたしはたくさん体験してきた。だれかが助けてくれるというか、だれかがその人を思い出させ、その思い出す相手の人にも働きかけてくれている。そんな気がする。この前も、「あの宿題は今週のうちに決着したいけど、どうなっているかなぁ。」ふっと、そんなことを思った瞬間に、facebookを通して仕事が進んでいることを知らせる連絡が入った。
▼その瞬間まで、抱えていた宿題のことを思い出さなかったのに、思い出した途端に繋がった。「あの人は今、どうしているんだろう。」それは何年も連絡のなかった人で、その日の晩に、しかもそのタイミングでしか電話に出ることができないちょうどのタイミングで電話がかかった。それはとても偶然とは思えない。
▼たくさんの出張と外出を繰り返す中で、人が亡くなったりする。それも、出張を理解してくれているかのような旅立ちで、そのタイミングでしか通夜と葬儀ミサを組めない、それをちゃんと心得てわたしに最後の務めを託して旅立っていく。こんなことを数限りなく経験してきた。
▼もし、そうした偶然とは思えない巡り合わせを数多く経験するなら、この人生に神が関わっていることをごく自然に受け入れてくれるのではないかと思う。「神」と呼ぶのがどうしても受け入れられない人も、「この目に見える世界を超える存在」を感じることができるのではないだろうか。



13/03/24(No.640)

▼頻繁に移動する生活をしていると、移動の荷物にため息が出る。もっと言うと、イライラする。荷物を抱えて浜串から福見に移動する。浜串の司祭館を出るときに司祭館の玄関に鍵をかける。
▼ポケットから鍵を探すのに、どちらかの荷物を地面に置くか、無理矢理もう一方の手で持とうとする。両手でやっと抱えていた荷物を片手で持とうとすると、当然余計な負担が掛かる。
▼やっとの思いで鍵を閉めても、車で移動するときはまた荷物を地面に置くか、片方の手ですべて持って鍵を開かなければならない。ようやく車に荷物を詰め、乗り込んで福見に到着。だが車から荷物を出して、車に鍵を閉めるのに荷物を地面に置くか全部片手で持つ化しなければならない。
▼だいたいこの時点でイライラは頂点に達している。それなのに、移動した先の福見教会の司祭館の玄関の前で、またもやため息をつく。司祭館の玄関を開けなければ、中には入れない。「もーいや!」と独り言をつぶやく。週に2回か3回、この繰り返しである。
▼その結果たどり着いた結論は、「荷物は、片手で持てる分量にしなければならない」ということだ。しかも、瞬間的に片手で持てる分量というのではなく、常に、片手で持てる分量にしなければ、このストレスからは解放されない。
▼イライラが身体にどのような影響を及ぼすのか分からない。血圧に影響があるかも知れない。食事の消化に影響があるかも知れない。体重に影響があるかも知れない。どう考えても、良い影響はなさそうである。だが今日も、両手に荷物を抱えて巡回教会に向かっている。



13/03/28(No.641)

▼ここ数年、聖週間の説教を「聖なる三日間の典礼」が始まるまでに用意し、印刷して信徒に配ったりしている。もちろんこのメルマガを利用している人なら、パソコンから「話の森」ホームページに入ると、PDF形式での聖週間の説教をひとまとめにして受け取ることができる。
▼始めたきっかけは、わりあい高尚な理由だったと思う。「『聖なる三日間の典礼』に、すべてあずかることのできない人もいるに違いない。そういう人に、せめて説教だけでも届けたい。」最初はその一念だけで続けていたが、最近はそうでもない気がする。
▼それはつまり、「続けてきたからやめられない」「続けてきたのを中止して、みんなに何かを言われたくない」そんな低俗な動機に変わりつつある。本当に、読者の利便性のために続けているとは言えない気がする。
▼たしかに役には立っているだろう。前任地では教会の玄関にある説教プリントを手に取って「こんなことまでしているんですね」とたいへん喜ばれたこともある。だから結果的には意味あることをしているのだが、その何というか、熱意が以前ほど湧かない。
▼けれどもこの取り組みは続けようと思っている。聖週間を自分自身実りあるものにする助けになっているのだから。だれかのために準備して、自分のためにもなっているなんて、こんなにありがたい仕事はそう見つからないはずだ。
▼何年も続けているから、そのうちに数年分まとめて見るのもよいかもしれない。自分がその年の聖週間にどんな過ごし方をしていたのか、そのあたりも見えてくるだろう。この時期がやって来ると、「あー、脇目も振らずに身を投じるのも悪くないなぁ」と思う。



13/03/29(No.642)

▼生と死の境目は、そんなに極端な切り替え作業をする場所ではないのかも知れない。わたしが知っている何人かの人は、集中治療室にわたしがたどり着いて間もなく医者から「○時○分、ご永眠です(ご臨終ですだったか?)」と宣告を受けた。
▼かつてわたしの中では、生死の境目というのはかなりはっきりしていて、とても大きな変化がそこで見られるものだという思いがあった。言ってみれば、生きている人が突然死体になるような、そんなものだと思っていた。しかし事実はそうではなかった。
▼わたしが父を看取ったときもそうだったが、さっきまで息をしていたのが呼吸が亡くなり、死の宣告を受ける。体はまだ温かい。手を握ろうと思えば握ることもできる。だがその相手はすでに死亡していて、徐々に、死体になっていくのである。
▼本人にとっての、生死の境目はどんなものなのだろうか。もしかしたら、「あれ、今死んだのかな?」くらいの変化しかないのかも知れない。突然の停電のような変化ではなく、痛みが感じられなくなったり、手で触る感覚がなくなったり、そうやってゆっくりと「死んだのだな」と納得するのかもしれない。
▼初めて聞く人はビックリするかもしれないが、病者の塗油は仮に本人が医者から死の宣告を受けても、体が温かいうちは(1時間くらいか?)秘跡を授けることになっている。医学的には死の宣告を受けているが、魂はゆっくりと肉体を離れる、ということなのだろう。
▼時に病者の塗油を授けに行く司祭は、残酷な場面に遭遇することがある。秘跡を授けている間に容態が急変し、医者から宣告を受けたりする。すると、家族は泣いている一方で、秘跡を授けに来た司祭に感謝の言葉を述べなければならなくなる。
▼司祭も、医学的には間に合っていない場面で授けているとき、かける言葉が見つからなかったりする。生死の境目では、神だけがふさわしい言葉を知っている。神だけが知っているふさわしい言葉は何だろうと、たまに思い巡らすことがある。



13/03/30(No.643)

▼御復活おめでとうございます。これからもたくさんのメルマガの読者とtwitterやfacebookの方々とのふれあいがあって、充実した日々を過ごしていきたいと思っています。もう十分暖かいので、マラソンも復活しなければならないのですが、まだ冬眠しています。
▼ボートのほうは、4月にもなることだし、陸揚げしている「さざなみ号」を戻して、ボート釣りに行こうと思っている。釣りは例外はあるとしても、たいてい「見えない相手との駆け引き」をする楽しみがある。
▼魚が口を開けるのを見ながらする釣りもあるかも知れないが、ほとんどは竿先の動き、手に伝わる釣り糸の微妙な変化で相手を捕獲するのだから、繊細な感覚が要求される。ぴくりと竿先が動いたのを、揺れる船上で捉えなければならない。あるいは、ほんのわずかウキが上下したのを見逃さないようにしなければならない。
▼「魚の動きが読み取れるのに、なぜ教会の動きが読み取れないのか。」聖書の言葉をもじってみた。教会の動きは、「信徒発見150周年」である。250年近く司祭がいなかったのに、信仰を守り伝え、司祭がやっと戻って、その司祭に自分たちが受け継いできた教えが間違っていないか確認に行った。
▼信徒が250年の歴史を繋いだ。司祭ではない。150年経って、やはり信徒が信仰を受け継いでいくために、現代に何が必要かをもう一度考えるときが来ていると思う。これから長く司祭が与えられない教会もやって来るだろう。そんな厳しい時代を乗り切って、教会が復活するために、このタイミングで何か手を打つべき時が来ていると思う。



13/03/31(No.644)

▼個人で活動するtwitter(ツイッター)のアカウントを2つ取得している。1つはプライベートの活動のため、もう1つはカトリック教会のためと思って活動しているもの。プライベートのアカウントは、500ツイートを超えた頃からちらほらフォロワーが現れ、楽しく交流している。
▼もう1つのアカウントは実験を兼ねていて、「自分のためにはまったく役に立たないけれども、もしこんなツイートが流れていたら、ほかの人は役に立つのではないか」そういう思いで続けている。
▼こちらは、300ツイートを超えたあたりから認知されてきて、どこにも、だれにも宣伝していないが、とうとうプライベートアカウントのフォロワーを追い越してしまった。この実験から推測できることは、やはりこの手のツイートを必要としている人がいるということだ。
▼繰り返しておくが、わたしはこの手のツイート(情報と言ってもよいが)は不要である。例えて言えば時計のようなもので、わざわざ身につけていなくてもどこかで時計を見つけるし、身につけていても丸1日時計を見ないことだってある。わたしにとってはあらゆる場所で目にするので、この手のツイートは不要なのである。
▼ただ、第三者にとっては、ちょっとは役に立つツイートなのかもしれないと思って開始した。その点に狂いはなかったようである。おそらく、まったく自分を伏せて活動しているアカウントで流すツイートなので、フォロワーのタイムラインで流れたときに個人的感情を持たずに判断できて、カトリックのちょっとした情報収集に貢献しているのだろう。



13/04/07(No.645)

▼生まれて始めて、ネット通販の詐欺に遭ったか?と思った。保存食品をとあるネットショップから注文していた。同じ商品は他にも取り扱っているショップがあったが、選んだショップが送料も含めていちばん安く、迷わず選択した。
▼ところが、1週間たっても「注文を受け付けました」という連絡が来ない。注文直後のメールは機械が自動的に出しているので届くわけだが、同じ注文が店舗にも届いて、それを見て客に「注文を確認しました」とか「ご利用ありがとうございます」とかのメールを出すわけである。
▼あまりに返事が遅いので、どうなっているのだろうと該当するショップのリンクをたどってみると、「棚卸しのため現在連絡できません」という案内になっていた。わたしはそのメッセージを素直に取ることができず、「しまった!注文だけさせておいて、店をたたむつもりだったのか」と勘違いしてしまった。
▼どうなることかと気を揉んでいたら、10日ほどしてからショップからの連絡が来た。もうしばらくしてから発送するという。とくに連絡が遅れたことについての言葉はなかったが、悪気はなかったようなので、ひとまず安心した。
▼あとになって考えてみたが、従業員がいなくて、一人で頑張っている店舗だったのかもしれない。すべてを一人でこなすというのは骨が折れるもので、ふだんの業務に、年に一度の仕事が重なったりすると、ふだんの業務が後回しになることはあるかも知れない。わたしも年度初めの4月などは、ついふだんのことが後回しになったりする。そういうことだったのだろうかと、一人で納得した。
▼注文した保存食品は、かなり昔から試してみたいと思っていたもので、いろんな条件がかみ合って、今回食べてみる機会を得た。まとめ買いをしたので、しばらくは食べ続けようと思う。食品名は書かないが、朝食のために買ってみた、とだけ書いておこう。



13/04/14(No.646)

▼こんなこと滅多にないことだが、土曜日の午前中に大司教館にいて原稿をまとめている。この後11時半のジェットフォイルで長崎の大波止香から上五島の奈良尾港に帰るのだが、仮に土曜日に長崎にいたとしても、朝7時40分のジェットフォイルですっ飛んで帰るのが普通である。
▼いくつかの理由で、それをしなかった。1つは、4月からのジェットフォイルの運航時間を見ると、平日にも長崎発の11時半の便があるのだが、平日は下五島の福江直行で奈良尾には立ち寄らない。ところが土日には、この便が奈良尾を経由して福江に向かうルートに変わる。上五島に土日に観光客を呼び込む作戦なのだろう。
▼すると、早起きして7時40分に乗るよりも、早起きして説教の原稿を長崎でまとめ、配信の準備を済ませてから11時半の便に乗るほうが時間を効率的に使える。少なくともわたしはそう考えたので、今回の選択をした。
▼7時40分の便に乗り、福江経由奈良尾着で10時に到着して、それ以降浜串の司祭館に戻って原稿がまとまれば幸いだが、もしまとまらなかったら大変なことになる。それよりは、長崎で頑張っておけば、もしも完成しなくても、五島に帰ってからは続きをすればよいわけだ。
▼原稿を準備中に、特別養護老人ホームに入所している浜串の信徒が亡くなったと連絡が入った。14日と15日で通夜・葬儀ミサとなるが、16日はよきおとずれの編集会議、17日はマリア文庫の音訳奉仕者養成講座の開校式、重ならなくてほっとしている。亡くなられたかたは、わたしの予定を感じ取っておられたのかも知れない。
▼とか何とか言っていたら、緊急に病者の塗油を授けてほしいと連絡が来た。わたしは長崎にいるのだから、こういう場合は近くの教会の司祭に授けてほしいものだ。結果的にわたしを待って間に合わなかったとしたら、五島にとどまっている司祭にお願いしたほうがよほどよいと思う。小教区の垣根を越えて秘跡をお願いする、信徒のほうの理解もお願いしたい。



13/04/21(No.647)

▼人には積極的に行動するタイプと、周りから頼まれたり勧められたりして動き出すタイプがあると思う。わたしは「よっしゃ。任せなさい」というタイプではないので、周りからぜひお願いと言われて何とかやってみることが多い。今回の百周年記念の歌もそうだ。
▼1年ほど前から、「百周年を記念して、歌を作ってみては?」という意見は上がっていた。保育園の園長がとくに乗り気だったので、当然園長シスターが作詞作曲するものだと思っていた。少しも疑っていなかった。
▼その作詞作曲するだろうと思っていたシスターが異動になったので、「シスター。大司教さまをお迎えする立場から、来賓で招いてもらう立場に変わったね」と冷やかし、「百周年の歌はどうするの?」と尋ねたら、「わたしは文章力がないので、神父さまが書いてください。わたしはそれに曲を付けます」と言う。
▼そんな無茶な。小中学校の時、音楽の先生に迷惑がられ、5段階評定で「2」だったわたしが、作詞などできるはずがない。しかし、もしわたしが作らないとなると、百周年の記念の歌の計画は水泡に帰してしまう。それは避けなければならない。後に引けなくなり、苦し紛れに詩を書いた次第である。
▼幸い、これに曲を付けてみましょうということになり、最初に戻ってきた楽譜には、わたしが歌詞の三番として考えたものが一番として上がってきていた。作曲するシスターにとって、三番として用意した歌詞が、一番にふさわしいという判断なのだろう。そこで一番として考えていた詩を二番に、二番として考えていた詩を三番に当てて空白部分に入れることになった。
▼ところが、いざ歌詞を曲に合わせようとすると、ピタリとはまらない。「わが子の手を引いていく」としていた所を「わが子の手 引いていく」と直したり、「いつか子供たちが この手を引いてくれるでしょう」としていた所を「いつか子供たちが この手引いてくれるでしょう」と直したり。ずいぶん苦労した。
▼そうして四苦八苦して詩を曲に収め、今回「福見教会とともに」というタイトルで送り出すことができた。「よっしゃ。わたしに任せなさい」というタイプの人間ではないが、何とか福見教会の信徒に、また未来の世代に、小さな贈り物を用意できたかもしれない。
▼ヨハネ福音書に「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(6・27)というみことばがある。百周年の歌を口ずさむ人々が、永遠の命に至る食べ物を得ることができれば、これ以上の喜びはない。



13/04/28(No.648)

▼今回の福見教会献堂百周年・高井旅教会献堂五十周年記念事業は、考えれば考えるほど、準備していないこと、やり直さないといけないこと、配慮が必要なこと、見落としていることが出てくる。社会人としての常識も問われる。
▼だれでも分かりそうなことなのだと思うが、いかに自分が一般社会の常識をわきまえていないか思い知らされることばかりだった。たとえば、お祝い事に包む謝礼は、新札を用意すると知った。そう言えば、受け取ったことはあるが、用意して渡したことがなかった。
▼日本人のきめ細やかさの表れであるが、お祝い事は早くから日程が決まっているので、新札を用意することで心に留めていましたということを相手に伝えることになるらしい。反対に、弔意を表す香典には新札は用いないそうだ。
▼お祝いを包む封筒、「水引(みずひき)」は神事に用いられることから、神経質に考えれば手作りで教会の催しにふさわしい物を用意するくらいの慎重さが必要だったかもしれない。気にしなければ気にしなくてもよいのかもしれないが、あまりにも無頓着だった。
▼祝賀会の準備、食事を担当している婦人部のみなさんの財布はどうなっているのだろうか。わたしはまったく関知しなかったが、婦人部としてみればもっと早くから声を掛けてもらいたかったかもしれない。
▼考えれば考えるほど、頭が痛い。髪の毛が少なくなっていく。苦労したことは決して無駄にはならず、大いに勉強になったのだが、しばらくは「○○周年」には当たらないで過ごしたいというのが本音だ。



13/05/05(No.649)

▼百年前のことを知る材料は2つあると思う。1つは残されている資料、1つは語り継がれた証言。どちらも大切だが、どちらも一長一短あると感じた。残されている資料は、いったん書き残した年代や数字が、後の検証で疑問が付くことがある。
▼人から人への証言は、残念ながら受け継いだ人が旅立っていったり、土地から離れてしまうことがあり、証言を集めるのが難しくなる。しかも記憶は曖昧になることがあり、確かめようもない。そこで、両方を照らし合わせることになる。
▼福見教会の献堂百周年について、終わったから言うが、年代はもっと後ではないかという疑問が直前に投げかけられた。直前に言われてももう後へは引けないので、計画を推し進めたが、献堂は1924年ではないかという資料もある。
▼わたしたちは、かつて記念誌作成に当たった人たちのご苦労を無駄にしたくなかったので、記念誌が採用した1913年を献堂の年と判断した。今さらどうにもならないのだから、献堂百周年を1つのはっきりした記録として、後世の人は受け継いでくれればと思う。
▼浜串教会も、次に記念の年が来る。それは行政が整えてくれた看板によると、1967年が現在の聖堂の献堂の年となっているからだ。すると、4年後に50周年ということになる。だが、面白い事実が出てきた。
▼記念誌には、昭和41年、つまり1966年と記されていて、ではどちらが根拠があるのかということになる。偶然その根拠が出てきた。病人訪問をしている家庭で、「この湯呑み、浜串教会献堂の記念なんですよ」と言って、外見は珍しくない湯呑みを見せてもらった。そこには、「浜串カトリック教会聖堂司祭館落成記念・1966年7月」とある。
▼これは決定的な証拠だと思った。だから、50周年は2016年である。記念するにしろ、記念しないにしろ、この面白い発見は信徒全員で、共通理解を持たせたいと思っている。結論として、残された資料のほうが、雄弁に物語るということだ。



13/05/12(No.650)

▼みなさんの中で、すでに最新OS「Windows8」を利用している人はいるだろうか。わたしも必要性は感じないものの、話題には乗り遅れたくないのでメインのパソコンではなく、休眠中のパソコンに「DSP版Windows8」を導入した。
▼DSP版というのは、詳しいことは知らないが、古いWindowsが入っていないパソコンに、新規導入が可能な版である。ご存じないかもしれないが、今回のWindows8は古いWindowsが導入されているパソコンにアップグレードの形でインストールすることを前提にしている。なぜそうなっているのかは知らないが、基本、Windowsが入っていたパソコンにしかWindows8は導入できない。
▼ただし、DSP版については、まっさらのパソコンであるとか、ほかのOSで動かしているパソコンとかを再利用することができる。今のところWindows8を本格利用するつもりもないので、DSP版を休眠中のパソコンに入れてどんなものかを見てみようという企みだ。
▼インストール自体はあっさり完了した。だが、今回まったく違うデザインに変更されているので、隅々まで操作してみたいと思っても何をどう操作すればよいのかすら分からない。これは手ごわいOSである。
▼もうWindows8が登場してしばらく経つので、どこかで「よく分かるWindows8」みたいなものが出てくる頃。それを参考にしながら、本当の意味でこのOSが使い物になるのか知りたい。今の時点では、Windows7がはるかに使いやすいし、ソフトの対応状況も安心できる。この安心感がWindows7に勝れば、Windows8に移行してもかまわないと思う。



13/05/19(No.651)

▼皆さんは虫の知らせを信じるだろうか。何となく、その知らせが来そうだ。そういう予感というのは、あるのではないかと思っている。ついこの前も、「船舶検査の案内が全くないけれども、一体どうなっているのだろう。」ふとそんなことを思ったその日に、船舶検査案内の封筒が届いていた。
▼それまでの一週間、まったく何も思い出さず、まったく気にも留めていなかった船舶検査だったが、ふと思い出してみたらその直後に案内が入った。それはつまり、偶然と言うよりは、何かの知らせを感じて思い出し、準備をさせてもらっているのではないかと思うのである。
▼準備をさせてもらっているのは本当にありがたい。だれかと街中で偶然に出会う。偶然ではあるが、先にこちらが相手を見つける。先に見つけたその一瞬の差で、こちらは準備をすることができる。さまざまな「何かの知らせ」をもらって、人は準備の時間を与えられ、助けられているのではないだろうか。
▼準備の時間を与えるのはだれか。時間を前もって与えることができるのは神以外にいない。だから、「虫の知らせ」は神の知らせだと思っている。「虫の知らせ」はないかも知れないが、「神の知らせ」は当然あるだろう。その知らせに敏感な人はずいぶんお世話を受けるし、知らせに鈍感な人は、助けてもらうチャンスを何度も逃しているのだと思う。



13/05/26(No.652)

▼とある予約センターに電話で予約を入れた。前もってインターネットで同じ会社の予約システムを利用し、おおよその見当を付けてから電話で予約をしたわけだ。電話で予約をしたのは、窓口に出向いて予約をするのと同じ狙いである。
▼つまりネットで検索をした場合よりも、お得な料金やサービスが受けられるかもしれないと思って、わざわざ電話予約をしたわけだ。電話をかけると、対応の担当者が「今回はどのようなご用件でしょうか」と紋切り型の応対。「バラエティ豊かな商品が用意してあるのか」と突っ込みたい気分を押さえて、「予約をお願いします」と言った。
▼これこれの条件でお願いと言ったら、「そのような条件ではご用意できません」と言う。そんなはずはない。ネットではお願いしようとしている条件が提示され、それをそのまま伝えているだけなのだから。そこでしかたなく、「ネットでこれこれ検索して得られた情報をもとに予約をしているのですが」と伝え、ネット上で可能だったケースを当てつけに話したら、「なるほどですね」と答えたあと、お決まりの「少々お待ちください」と来た。何が「なるほど」だ。
▼「折り返しお電話いたしますので、電話番号をお願いします。」そんなに難しい注文なのか?と次第にいらだちを隠せなくなったが、それでも辛抱して電話を待つ。もうかかってきてもよいはずなのにという時間をはるかに過ぎて、どうでもよくなるくらい時間が経過してから返事の電話がかかった。
▼「お待たせ致しました。では内容をご説明いたします」「説明って、何か新しいことでもあるのですか?」いちおうクレームを付けてから説明を聞いた。案の定、わたしの手元にある資料のオウム返し。把握している内容を音声ガイドのように再生して終わった。わたしは最後に「そういう予約をわたしはしましたよね」と言ったが、どうやら伝わらなかったようだ。



13/06/02(No.653)

▼教会に集まってくる子どもたちと自分の年齢が、確実に親子ほど離れてきた今、いまだから感じたり考えたりすることがある。水曜日の夜、教会学校を終えた中学1年生の男子1人と女子1人が、「神父さま、帰り道こわいので、一緒に家まで歩いて行ってください」と言ってきた。
▼可愛いなぁ、とまず思った。30代の時なら、一緒にはついて行っても、可愛いなぁとは思わなかっただろう。それと同時に、この子たちと関わりはじめて4年、何かの絆が生まれてきているのかなぁとも感じた。
▼平日朝6時のミサに、2人ずつミサのお手伝いをする侍者がやって来る。「何時に起きたの?」と聞くと「朝5時」という。実際には5時40分くらいにしか来ないが、それでもたいしたものである。そんなこどもが侍者服を着る前に「あー疲れた」と背伸びをした。
▼何気ない仕草で、別に何も考えずにしたことだろうが、わたしは朝疲れていても「あー疲れた」と背伸びをするわけにはいかない。羨ましいというか、微笑ましい。「昨日夜更かししたんでしょ」と聞くと、「うん」と言う。10時まで起きていたそうだ。
▼こうした場面が繰り返されているので、これからは、どこに行っても親子、ある場合はそれ以上年齢差があることを自覚して、接する必要がある。絶対に、「お兄さん」ではあり得ない。わたしが近づけば一歩下がる子どもたちを見て、「どうして近づいてくれないのだろうか」と頭を抱えていたが、そうではない、近づきがたいのである。



13/06/09(No.654)

▼黙想会に参加するため、長崎本土の長崎市内に5日間滞在した。こまごましたことは気にしないが、通信環境は離島とは隔世の感がある。宿泊先のカトリックセンターで、自由時間にクラウドに置いているさまざまなファイルにアクセスしたいが、通信手段を確保できるか心配していた。
▼わたしの記憶しているかぎり、カトリックセンターは1階にカフェがあり、ここでは無料のWi-Fiネットワークを利用できることは知っていた。だが自室は5階、これだけ離れているとカフェの無線LANは利用できない。かと言って、1階までわざわざ降りて行くのも辛い。どうしたものかと心配しつつカトリックセンターに入室した。
▼ところが、5階の自室で無線ネットワークを確認してみると、なにやら非常に強いシグナルのサービスがあるではないか。SWS1dayという表記になっている。おそるおそるつなぐと繋がった。しかし、ブラウザを開くとソフトバンクと1日分の契約をするようにとの案内。なるほど。ソフトバンク利用者でなくても、1日単位での契約ができるわけか。490円はちと痛いが、便利さに負けて契約をした。
▼通信速度も問題なく、すこぶる快適である。お金がかかっていることを忘れてしまいそうである。黙想会の説教会場は大司教館だ。大司教館の説教会場では無線LANが不自由なく使えるので、説教会場でメモを取り、それをiPadで写真に撮り、facebookにアップしたり、DropBoxにアップしておく。
▼カトリックセンター自室に戻ったら、大司教館で作ったものをソフトバンクWI-FIスポットEXサービスで受け取る。これは便利だ。多少の出費はあるが、今年は部屋でポテトチップスも食べていないし、まじめに過ごしているので自分としては納得している。
▼ただし、今回のサービスは24時間限定のサービスである。明日も契約を更新することになるだろう。睡眠時間も、大司教館で講話を聞いている時間も、24時間の中にカウントされている。お金はかかる。でもそれでも、本土は便利だなぁ(泣)



13/06/16(No.655)

▼イノシシの話。上五島に住んでいると、鹿とイノシシに頻繁に遭遇する。だれもが遭遇するわけではないと思うが、夜に車を走らせたり、早朝に移動を繰り返す人なら、鹿とイノシシに遭ったことのない人のほうが珍しいだろう。
▼木曜日の納骨、午前10時過ぎの約束だった。それで朝9時半ころに浜串から岩瀬浦小学校の前を通って福見に移動していた。天気もとてもよかったので、その日はバイクで移動した。岩瀬浦小学校の隣には、施設があり、そこに「中山」というバス停がある。
▼わたしはバイクでのんびりその道を流していた。すると目の前に、道路脇の溝に鼻を突っ込んでいるイノシシがいるではないか!とっさにバイクを減速し、ギアを下げ、いったんはそおっと通過した。しかし未練があり、ケータイで写真を撮影しようとUターンして反対車線から近づいてみた。
▼このイノシシは、よほど溝にたまっていた泥の中の虫(ミミズか?)に気を取られていたのか、まったく逃げる様子もなかった。しかしケータイで確実に姿を捉えようとしたとき、バイクのマフラー音にようやく気づいて、その場を離れ、残念ながら写真に収めることができなかった。
▼イノシシが逃げた先は、わたしが接近するために近づいた反対車線だった。これはまずいと思い、少し離れて様子を見ていると、「中山」という停留所の脇の茂みに隠れてしまった。その茂みは周囲が100mくらいの小さな茂み、人が大勢いたなら、イノシシを捕まえることができたかもしれない。
▼いや、ケガをする危険のほうがはるかに大きい。ただでさえ墓地からの帰りに足をすべらせ、肩胛骨の打ち身で痛い思いをしている体である。これ以上あえて危険に近づく理由はどこにもない。あとで考えたら、いつか道路でイノシシが事故に遭ったのを撮影した場所もまったく同じ場所だった。これからあのバス停周辺は、要注意である。



13/06/23(No.656)

▼プロ野球もおよそ半分の試合を消化して後半戦に入った。あいかわらずわたしの応援する広島カープは見た目には3位か4位だが首位から10ゲーム以上離されて蚊帳の外。気持ちはチャンピオンシップ戦に残りたいと思っているが、今の状態でCS戦に残っても、相手に花を添えるようなものかもしれない。
▼プロ野球は統一球問題で揺れに揺れた。コミッショナーは「知らされてなかった」と言うが、何の責任も感じていないのだろうかと唖然とした。「お飾り」のような日本のコミッショナーの立場を考えれば、それも致し方ないのかもしれず、記者会見はむしろ可哀想でもあった。
▼それはともかく、広島に行って、マツダスタジアムで野球を観戦する名案はないのだろうか。広島まで往復するには、新幹線が現実的だが、新幹線で行くと25000円はかかりそうだ。しかも時間がかかる。昼から飛んでいって、ナイターを観戦して、帰りは翌日。ゆっくり広島を見物する時間も欲しいし、何か名案はないだろうか。
▼1つだけ、名案がないわけでもない。ただ、この書き込みは最近見ている人が少なくないので、見た人からの意見が回り回って・・・ということもなきにしもあらずだから、発言は控えなければならない。
▼広島のチームカラーは赤である。赤いユニフォームが似合うとは思っていないが、前田智徳選手の背番号のユニフォームは、かっこいいからぜひ着てみたい。そのためには、体づくりをして、ユニフォームに恥じない姿になる必要がある。そういえば生活習慣病検診も受ける時期が来ているし、やはり運動を始めなければならないようだ。



13/06/30(No.657)

▼何か、押し入れで電子音が鳴っている。「大きなのっぽの古時計」が鳴っている。一体何だ?朝の6時半。たまーに、この電子音が聞こえる。なぜだ?4年目にようやく理由が飲み込めた。日曜日だけ、朝の6時半に、2階の事務机に座っているからだ。どうやら朝6時半でセットされた目覚ましなのだろう。
▼しかし、この電子音に覚えがない。毎日、わたしが聞くことのできない平日も、「大きなのっぽの古時計」は鳴り続けているのだろうか。だが、音は聞こえても場所を特定し、目覚ましと思われる未確認物体を見つけ出すのはおそらく無理だろう。不可能に近い。わたしの荷物の中でこうした「気掛かりな物」を発見するのは砂漠で1円玉を探し出すようなものだ。
▼4年前に浜串に転勤してきたとき、荷物整理中にお気に入りのカッターナイフが見つかった。「処分した覚えはないので、どこかにあるはずだが」と気にはなっていたが、すべての物を動かす時にようやく巡り合えた。今度は目覚ましだが、またどこかに転勤するときまで遭難信号を発してくれるだろうか?それが問題だ。
▼こんな話題を取り上げているからだろうか。同じ物を2度買った夢を見た。代金は600円くらいのものだが、絶対に2つ必要ないものを買ったという後悔で落ち込んでいたら朝4時半に目が覚めた。なんとも目覚めが悪かったので、30分歩いてシャワーを浴び、朝のミサをささげた。
▼最近、何かに取りつかれたかのように歩いている。1万歩が目安。1週間前は1時間半もかかっていたが、今は1時間15分以内で1万歩に到達する。日によって十分時間が取れない日もあるが、まとまった時間でなくても足し算して1時間15分歩けば効果が期待できるらしい。どんなに忙しい日でも15分を5回探す。1ヶ月は続けてみたい。



13/07/07(No.658)

▼日課の1万歩散歩は続いている。この前防波堤をてくてく歩いて波止場の際(きわ)を眺めていたら、「アオリイカ」(ミズイカ)を発見した。たいてい生きものはペアで行動するので、必ず相棒がいるに違いないと思ったらすぐ側にいた。
▼歩いていたその日は昼過ぎ、薄曇りだが波は静かで、海の中を覗くには好都合な天気だった。たまたま見つけたアオリイカだったが、わたしの経験によればアオリイカはものすごく視力が良い。だからあまりじろじろ眺めているとその場から離れてしまう。
▼それで、見つけたアオリイカを長く観察するために、少し離れて見るようにした。散歩のほうも歩く速度を落とすと運動にならないので速さにも気を配りつつ、何度も行ったり来たりしながらイカを眺めた。幸い、イカはわたしに気づいていないようなので、長く観察することができた。
▼近くに、だれかイカ釣りに来ている人がいないかと見回したのだが、残念ながらいなかった。まぁいちばん日の高い時間にイカを探している人はいないだろう。もしいたら、教えてあげて釣らせてみて、腕を見てみたいところだったが、お願いする人が見つからなかった。
▼話のネタにするためにも、証拠写真を撮影したいと思ったが、人影が見えるとイカは敏感に察知して離れてしまう。逃げられずに撮影できるだろうか。カメラを向けている間逃げなかったとしても、海の中を撮影するのは至難の業である。カメラで海を撮影すると、海面が反射して、肉眼でははっきり見えているものも、カメラ越しに覗いたら何が写っているのか分からない場合が多い。
▼一か八か、思い切って撮影することにした。4枚撮影したうち、何とか1枚だけが使えそうだったので、堤防の場所を撮影したもう1枚と組み合わせてみた。30センチくらいはあるだろうか。



13/07/14(No.659)

▼土曜日に、年に一度の地域主催「地曳き網」が、後浜串(うしろはまくし)地区で開催された。昨年は天気が悪くて中止になっているので、2年ぶりの開催である。地曳き網の中心になっているのは小学生の育友会。言ってみれば、小学生を喜ばせるための網曳きである。<BR>
▼午前9時に、沖合に網を入れ始めた。わたしはいくらか裏事情を知っているが、この日に向けて漁師に協力してもらって湾内に1週間ほど魚のえさになるものを投げ込むらしい。魚をおびき寄せ、しばらく滞在してもらって、一網打尽にする計画である。<BR>
▼網は投げ入れられたが、浜では漁協の長老格が何やらぶつぶつ言っている。どうやら網の入れ方がイマイチのようで、「どうしてあんな入れ方をするのだろう。かくかくしかじかの手順で網を入れて、急いで湾を締め切らないと、魚が逃げてしまうではないか。」素人のわたしが見ていても、確かに要領が悪い。どうしてなのだろうか。<BR>
▼別の長老格に話を聞いてみると、沖合で網を投入するのはその年の育友会で選ばれた人のようで、必ずしも選りすぐりの漁師が作業をしているわけではないらしい。それで合点がいった。綱が砂浜で今か今かと待っている子どもに届くまで、予定では30分だったようだが、1時間近くかかって子どもの元にたどり着いた。<BR>
▼この日は満潮が11時17分。つまり綱を引いている間にも潮は満ちてくる時間である。足場は悪く、なぜこの時間に?と思ったりもしたが、昼ご飯の時間もあるのでこの時間なのだろう。狭い場所で苦労して長い時間綱を引いた。小学生のかけ声が、大人にも元気を与えてくれて、本当にありがたかった。<BR>
▼頑張った甲斐があって、いろんな魚を目にすることができた。イトヨリだけは、底引きをしている関係で15cmにも満たない物がたくさん入っていたのが可哀想だった。もっと長生きしていれば、わたしがふだん釣り上げているような30cmくらいにはなっていただろうに。



13/07/21(No.660)

▼よく膝も痛めずに、日課の1日1万歩が続いているものだ。準備体操も、歩いたあとのケアも、きっと不十分なはずなのに、頑丈なからだを与えてもらい、感謝している。もちろん疲労はじわじわと重なってきていて、歩き始めはあちこち痛かったりするが、今のところ後に引くようなことはない。
▼長崎の浦上教会の下に、「天主公園」という公園がある。用事で長崎に出張した時、最近はよくこの公園で日課をこなしている。松山町には、「旧陸上競技場」があり、立派なトラックと周回道路が今も利用できる。ただその場所まで行くために、およそバス停3つぶんの距離を歩かなければならず、「歩き始めるために歩いて行くのはちょっと」ということで、天主公園を利用している。
▼7月16日も天主公園を歩いた。この日もフライパンの上にいるような暑さだった。わたしが歩いた時間、クマゼミが猛烈な勢いで鳴いていて、何も聞こえないくらいだった。不思議なもので、クマゼミがあれだけ鳴くと、むしろ、静かな場所にいるような錯覚を覚える。そんな中でみっちり歩き終わった。
▼この暑い最中、なぜクマゼミは、あんなに元気なのだろう。観察することにした。セミの抜け殻を探すことから始めたが、なかなか見つからない。歩いている間に、地面に落ちていた抜け殻は見つけたが、どこかにつかまり、背中が割れた、期待していた抜け殻がなかなかない。
▼ようやく見つけた。登って、最初にたどり着く葉っぱにつかまって脱皮している。木に登ったのだから地面から出てきた場所もあるはず。木の根元を見ると、穴が何ヶ所も開いていて、どれだか分からない。適当にこれだろうと決める。
▼こんな、ふつうの公園。ここで、出張時も1万歩歩いている。先月の28日から開始して、ようやく3週間になる。お腹のへこみ具合はまったく感じられないが、ママさんミニバレーに参加して、アタックが面白いように決まるので、体のキレは間違いなく戻っている。まずは1ヶ月続け、3ヶ月くらいで効果が現れてほしい。



13/07/28(No.661)

▼わたしは「結果オーライ」の典型的な人間だと思っている。「結果オーライ」とは、「結果的に期待していたことに期待通りに答えることができれば、それで構わない」という考えだ。それまでのプロセスを大事にする人とはたぶん波長が合わない。
▼ただ自分が期待されている結果に答えられなければ、そのまま責任問題となるから、求められるものは厳しい。途中でサボっていても結果が出れば構わないが、必ず結果を出さなければならない。
▼そういう心構えで生きてきた。釣りに行ってきて、「強烈なアタリだったよ。楽しかった〜」と言って魚を見せることができなければ、それは何の意味もない。確かにその魚を見せて初めて、その話は信用できる話になる。途中のプロセスでどれほど魅力的なことが起ころうとも、結果につながらなければだたの独り言になる。
▼いよいよ夏本番。わたしのイトヨリ釣りも結果が大事になってきた。今回2つの場所で釣った。今までずっといた場所を離れて、去年よく出掛けた場所に行ってみた。去年の場所が、期待に応えてくれた。去年もそうだったが、いつも釣っている場所はなぜかそこそこの大きさのイトヨリばかりが釣れていた。
▼今年初めて、もう1つ当てになる場所(去年よく行った場所)に行ったのだが、釣れた時の喜びをどう表したら良いだろうか。「期待に応えてくれてありがとう」その一言に尽きる。この場所は教えるわけにはいかないが、まだまだ未開拓、まだまだ大きいイトヨリが居そうな場所である。



13/08/04(No.662)

▼今年の夏休みは、まだ一度も子どもたちが司祭館のチャイムを鳴らさない。「子どもたちの鳴らすチャイム」とは、「海水浴の見張りをしてください」という合図である。面倒くさいが、チャイムを鳴らしてくれば行ってやってもいいのだが、と思っているけれど、一向にそのチャンスは巡ってこない。
▼先日、その理由が飲み込めた。子どもたちが水浴びをしている輪の中に、わたしはボートでの船釣りを終え、戻ってきた。すると、高校を卒業して大学進学した女の子が、子どもたちの面倒を見ているではないか。
▼なるほど。これでは自分に依頼が回ってくるはずがない。しかも、その大学生が見ている子どもの中には、自分の弟・妹がいるのである。これでは、わざわざわたしを呼びにチャイムを鳴らしに行くはずがない。おそらく、今年は一度も招集はかからないだろう。
▼そうなると、わたしが泳ぎに行くのはいつになるのか。あえて泳ぎに行く必要もないが、何だか構ってもらえないのでアピールしようかなという気持ちになっている。アピールしても、構ってもらえないかもしれないが。
▼「自分を喜ばせる見方」「神を喜ばせる見方」これはその人の目の付け所でずいぶん違ってくる。自分の不幸を嘆くのは、客観性があるかも知れないが、それは「自分を喜ばせる材料がないこと」を嘆いていることでもある。
▼「これは、神に信頼を寄せるまたとない機会だ」そう考えるなら、「神を喜ばせる見方」に立って一歩を踏み出せる。「自分を喜ばせる見方」に囚われてはいけない。囚人には自由がない。囚われず、神の招きに心を開こう。



13/08/11(No.663)

▼またもケータイを水に濡らしてしまった。たくさんのデータがそれこそ水泡に帰した。その上に、いろんな面倒くさい作業をもう一度施さなければならず、余計な時間を使った。いくつか、その面倒くさい作業を並べてみる。
▼その1、お財布ケータイ。電子マネーとして楽天Edyを使っていたが、水に濡れると残っていた残高を引き継ぐ作業が必要になる。これが面倒。書類を整え、申請をして新しいEdyに引き継ぐことになっているが、手続きを見ただけで気力が失せてしまった。1600円ほど残っていたが、結局放棄した。
▼その2、メールの設定。わたしはメールの相手によって何通りもフォルダを分け、振り分けをしていた。たとえば広報関係のメールは広報フォルダに振り分けられて受信できるようにしていた。この設定も最初から設定してあげなければならない。しかも受信フォルダと、送信フォルダの両方にである。
▼その3、画面デザインも、出来合いのものからいろいろいじって自分好みのデザインに変更している。さらに、電話の着信音、メールの受信音、好みにしていたものを維持しようとすれば、切り替えてから元に戻るまでは相当なエネルギーを使う。
▼その他。カレンダーも最初から作り直しになる。マナーモードも自分の好みに合うように微調整が必要。さまざまなことをもう一度覚えこませ、チューニングしてと、新しいものをいつもどおりに使えるようになるまでけっこう手間がかかった。
▼もともと水に濡らした自分が悪いとはわかっているが、それでも全部を救い出すような画期的なアイディアは用意してほしいものだ。たくさんの「普通に使えるまでにする作業」を省略することができれば、万一のときでも安心だと思うが。それとも、さまざまな権益や思惑が働いていて、利用者目線からの希望は届かないのだろうか。



13/08/15(No.664)

▼夏真っ盛り。読者の皆さん、どのように過ごしているだろうか。まず、異常気象で記録したことのないような雨に見舞われている方々、被害まで被っているかもしれない方々には、心からお見舞い申し上げます。
▼メルマガを発行している長崎県南松浦郡新上五島町では、危険を感じるような雨を今年は経験していない。十分に雨の被害を思いやることはできないかもしれないが、祈りの中で思い出している。
▼今年の夏休みも折り返しを過ぎ、思い出に残る夏にしたいとできることを精一杯果たしている。説教でも触れたが、親しくしている神学生は、違う教会でさらに修道会の神学生ではあるけれども、ずっと応援していきたいと思っている。
▼本心は、同級生のわが小教区の男子も神学院に行ってもらって競い合って欲しかったが、本人をその気にさせることができなかった。わたしの力不足である。せめて、入学したその神学生を温かく見守ってあげたい。
▼それにしても、神学生を連れて行ったポイントに前もって出かけた時、竿を海中に絞り込んだ大物は何だったのだろうか?10mくらいは引き上げていたのだが、また海底に潜ろうとした時に、慌ててリールのドラグを手で押さえてしまったのである。
▼あの場面は、ドラグからラインが出ていくのに任せて、しばらく魚に暴れさせておけばよかったのだが、慌てているものだからそれを実行できなかった。細いラインがあっさり切られ、「何ものだったのだろうか」という謎だけが残ってしまった。
▼毎年夏に夢見る別の話。いつかどこかで、応援しているプロ野球のチームを現地で試合観戦して応援したいものだ。チーム名はあちこちでちらほら出したかもしれないが、わたしは広島カープファンである。だから、赤いものにはとても親しみを覚えている。ぜひマツダスタジアムで、いつか声援を送りたい。できればマエケン先発の日に。



13/08/18(No.665)

▼メールマガジンで日曜日の説教案を配信し、ホームページやブログでもアップしている。パソコン・ケータイ・スマートフォン・タブレットで見る分には、これで構わないのだが、もう一つ気になる読者を思い出した。毎週のこの説教案を、プリントアウトする人たちのことだ。
▼わたしも経験して感じることだが、ホームページやブログはそれを閲覧する分にはそのままの状態で十分だが、いざ印刷して紙に落とすとなると、制約のないホームページなどは規定の用紙(A4とかB5とか)にうまく収まらないことが多い。
▼印刷できないことはないが、それでも印刷に適した物が用意されていれば、本当に助かるのではないかと思う。わたしは最近あまり印刷しないが、ホームページによっては、印刷に適したレイアウトに整えてくれるサービスを初めから用意しているサイトもある。
▼そこで、一手間省くことができるように、PDFにしたものをアップしていくようにしたい。これで、印刷して利用する人はすぐに利用できるようになるだろう。印刷して手に持つ人たちがだれであるかはここでは明らかにしないが、そこまでして利用してくれるのだから、その人たちが喜ぶことをしてあげたい。
▼インターネットが急速に普及して、紙媒体はみるみる勢いを失いつつあるが、印刷したいという要望は時代が変わっても残ると思っている。ますます便利になるように、できる一手間はこちらで用意してあげたいものだ。



13/08/25(No.666)

▼何か別の話題を取り上げようと考えていたのかもしれないが、どうも「今、この時点で」思い出せないので頭を切り換える。2004年の説教案は、かつて「取って食べなさい−−主日の福音説教C年」として自費出版しているが、今週たまたま説教案を練る時間が工面できず、当時のものを拝借することにした。
▼物理的に不可能だったわけではない。しなければならないことを後回しにして、したいことをした当然の報いである。ついでになるが、自分で書いた過去の説教案を流用するのでさえ気が引けるのであるから、他人の説教案を無断で借りて説教をしている人がいるとすれば、相当良心の呵責があるに違いない。
▼過去のものを借りるにしても、そのままは使えないからいったん全部に目を通してみる。すると、すぐに「タイプミス」に気がついた。わりと早い段階で「いちばん考えなければならないのは・・・」という部分があるが、「いちばん考えなければ『ら』ならないのは・・・」(二重括弧『』は強調のため追加)となっていた。
▼当時は気付かずに放置されていたのだが、時間を置いて読み返したことで見つけることができた。ちなみに自費出版した文庫本はどうなっているかというと、やはりここでもタイプミスのまま印刷されている。協力者を仰いで校正をしたつもりだが、見抜けなかったらしい。
▼文庫本にした2004年(C年)の原稿量は、本文だけでおよそ18万文字、それを僅かな人員で校正したのだから無理もないが、今読み返しても悔しい。後にこうして原稿を拝借しようと読み返した1回分でさえミスタイプが見つかるのだから、全部読み返せばまだ穴は見つかるだろう。
▼より良いものを残そうという努力は、やはりどんなに歳を重ねても怠ってはいけない。今回のことを通して痛感した。ということは、たまには自費出版した年度の説教案を拝借して、流用することも無駄ではないかも知れない。いや、単なる言い訳に過ぎないか。



13/09/01(No.667)

▼29日から31日まで休暇を頂いた。休暇に入る前、司祭団ソフトボール大会の練習が上五島地区・下五島地区の司祭団合同で行われたが、少し落ち込むことがあった。去年もそうだったと思うが、去年以上に打撃に力不足を感じた。
▼左打者は上五島地区・下五島地区の司祭団合わせて2人しかいない。2人そろって練習に参加することが少ないのでこの目で確かめたのではないが、どうやらわたしの打力のほうが劣っていて、いざ試合になると控えに回される可能性がありそうなのだ。
▼やはり、レギュラーメンバーには力のある選手を使いたい。守備が際立っていれば話は別だが、わたしの守備は外野のライト、他の選手でも十分守れる守備位置である。そうなるとやはり、打力のあるなしが、メンバー入りの条件になるだろう。
▼休憩時間に、もう1人の左打者の打力の話が出た。「フェンス直撃したからねー。」自分はフェンスどころか、外野に飛んだ球はすべて捕球された。それはつまり、パワーがなくなってきたことを如実に物語っている。これはまずいことになった。
▼あと1ヶ月後には試合である。1ヶ月で筋力をアップするとか、飛距離を明らかに伸ばすとか、そんなことはまず無理だと思う。すると、後は何が残っているか?うーん、後は確実性か。
▼3割打者では司祭団では強打者とは言わない。5割でも足りないだろう。おそらく6割打者で強打者と認められるのではないか。確実に捉える練習だったら、あと1ヶ月でも間に合うかもしれない。最後までボールをよく見て、強い打球を飛ばす。このための素振りの練習を、地道にするしかない。



13/09/08(No.668)

▼さまざまな健康補助食品がテレビのコマーシャルで紹介されている。ヒアルロン酸を宣伝する商品、ビルベリー(ブルーベリー)を宣伝する商品、ほかにもたくさんあるだろうが、以前はこれらのコマーシャルを「関係ない」と思っていた。
▼だが最近は、自分にもこのコマーシャルが訴えかけているのではないかと思うようになってきた。当然コマーシャル自体は不特定多数の人に向けて呼びかけているのだから、自分に思い当たることがある人だけが「自分に呼びかけているのではないだろうか」と思うわけである。
▼どうでもよいコマーシャルと思っていたのが、妙に気になるコマーシャルになっている。さまざまな否定しがたい症状が、コマーシャルに目を留めさせるのだ。前日に婦人会とのソフトバレーをして、翌朝起きてみたらとても体が重いとか、それでなくても朝スッキリしないとか、睡眠時間は足りているはずなのに目覚めが良くないとか。
▼それでもたぶん、健康補助食品の世話にはならないと思う。たとえ親にはそれらを買ってあげたとしても、自分は買おうとは思わない。「だまされたと思って・・・」という宣伝文句もあるが、わたしは買わない。
▼理由ははっきりしている。毎月数千円の出費をしたくないのである。毎月出費するなんて耐えられない。ほかに無駄な出費が毎月あったとしても、健康補助食品の出費はわたしには納得がいかない。
▼だからもしそれらの補助食品を同級生が使い始め、「これいいよ。使ってごらん」と言うのなら、わたしにも毎月プレゼントして欲しい。それだったら使っても構わない。まぁそれでも、あちこち無理の利かない部分が出てきていることは確かだ。いたわりながら毎日を過ごそう。



13/09/15(No.669)

▼夏休みに切符の変更などで何枚かの切符は無駄になってしまった。31日の高速船の最終便に間に合うように、JRの切符と船の切符を前もって購入していた。しかし31日の長崎−五島間の船は30日に早々と全便欠航となり、切符を切り替える必要があった。
▼31日に長崎−五島間の船が動かないとなると、31日に上五島に帰り着くただ1つの方法は、「博多−五島」間を運航しているフェリーになる。
▼ただしこのフェリーは夜11時半に出港するため、運航するかしないかを決定する時間には、すでにJRの切符も長崎−五島間の船の切符も無駄になってしまう。運航決定を確認せずに見切り発車で切符の払い戻しに行くことも可能だが、そうした場合もしも運航しないという決断がくだれば、さらにひどい目に遭う。
▼そういうわけで、払戻にも行けず、いくつかの切符は無駄になってしまった。台風接近にもかかわらず自分の計画を優先させたのだから、その結果は甘んじて受けなければならない。高井旅教会の土曜日夜のミサだけ、どうしても行くことができず、上五島に1人助祭がいるので「みことばの祭儀と聖体拝領」をお願いした。
▼五島はとても住み良い土地だが、ときどき不便さを痛感する。それでも、五島に生まれ育ったことは感謝の気持ちでいっぱいである。九州視覚障害者情報提供施設大会でも、五島の出身であることを知った人から五島のことをあれこれと聞かれた。ついでの話だが、鹿児島のカトリック信徒の人から「毎週ブログを見ていますよ」と声をかけられた。



13/09/22(No.670)

▼今年のプロ野球は、期待が破裂寸前まで膨らんでいる(笑)。わたしは広島カープのファンだが、ペナント終盤で3位に踏みとどまっている。4位の中日、5位のDeNAはまだ油断できないが、何とかこのままシーズンを終われそうな雰囲気である。
▼3位でシーズンを終了すれば、CS(クライマックスシリーズ)が待っている。この仕組みがセリーグに導入されてから1度もお世話になったことがなかったので、楽しみで楽しみで夢が膨らみ、破裂しそうである。
▼もとより、それ以前から22年間優勝とは縁がない。だが、である。今年は、「もしかしたら・・・もしかする?」と思わせる頑張りを見せてくれている。その1つ、首位の巨人に9月14・15・16日の3連戦で3タテを食らわせたのだ。あの巨人(どの巨人?)にである。
▼こんなに調子良いのが怖いくらいだ。いざCSに入った時に、これまでの広島カープだと「あー、期待させるだけさせておいて、やっぱりかぁ」となるわけだが、巨人に3タテの実績を残しているから、「逆転優勝?」みたいなことを期待してしまう。
▼広島がまだ強かった1980年代、わたしは大神学院の学生で、山本浩二・衣笠祥雄・北別府学・大野豊と豪華なメンバーが揃った時代だった。楽しかったなぁ。日本シリーズの中継を観ながら、学生みんなの冷たい視線を浴びつつ、一人広島を応援してたっけ。だって大神学院生と言ったら、ほとんどが巨人ファンだったから。
▼1984年以来日本一には無縁だし、1991年以来リーグ優勝さえ果たしていない。だから楽しませてもらえればそれだけでもオッケーなのだけれども、仮に、阪神を叩いて、巨人も負かしてリーグ優勝できたら、広島対楽天(と仮定して)の日本シリーズだ。これってかなりビミョーかも?



13/09/29(No.671)

▼7打数4安打。トータルでは5割7分1厘ということになる。予選は4打数3安打だったので7割5分。決勝戦では3打数1安打なので3割3分3厘。総合的には奉公に出されずにレギュラーメンバーに残る6割までは到達できなかったが、予選の3安打が効いていたのか、決勝戦でもレギュラーメンバーで使ってもらうことになった。
▼アウトになる選手はたいてい決まっている。そういう気がした。わたしは7番打者で使ってもらったが、最初の打席は2アウトで回ってきて、簡単なファーストゴロに終わった。2アウトで回ってきて、仲間たちは内心「これでチェンジだ」と思ったに違いない。案の定、わたしは後ろに回すことができなかった。
▼2打席目以降は立て続けにヒット、予選の最終打席は3ランホームラン。ということはほかの誰かがアウトになる役回りになったということになる。アウトにならない選手はなかなかアウトにならない。これは不思議である。なんとなーくアウトになりそうな人はやはりアウトになる。その流れを断ち切った試合は、うまく点数を積み重ねている。
▼その典型的な例が、決勝戦だ。わたしは1打席目と2打席目、あっけなく凡退した。しかも2アウトの場面でである。明らかに試合の足を引っ張っている。いよいよ顔向けできなくなっていた時に、1塁のコーチャーをしてくれていた某先輩が、2打席目終わってから声をかけてくれた。
▼「お前の苦手な外角を攻められて、まんまと罠にはまっているぞ。今度は引っ張らずに、センターに返すように打ってみろ。」何でもかんでも引っ張って敵の術中にはまっていたのである。
▼最終打席、まっすぐに打ち返そうとバットを最後まで振り抜かずに押し出すようにしてボールに当てた。うまくセンター前に抜けてくれた。1塁に到達した時、コーチャーの某先輩から「それだよそれ。きれいにセカンドを抜いたなぁ」と結果を喜んでくれた。アウトになる予定の人間が後につなぐと次々に良い方に回っていく。7点差をひっくり返した時、五島チームに何とも言えない一体感を感じた。



13/10/06(No.672)

▼ここのところ、自分で自分にため息をつくことが多くなってきた。以前だったら自分に腹が立っていた所だが、血圧が上がるのではないだろうかと心配して、腹を立てることは少なくなってきた。しかしため息をつく場面には事欠かない。
▼婦人会のミニバレーの練習を終えて司祭館に戻って来る。着替えて風呂に入ろうとしていると、紙ゴミが目に留まったのでそれを手に取り、ゴミ箱に投げ込む。だが実際に投げ込んだのはこれから洗濯する着替えだった。
▼病人訪問。1人目の自宅に到着し、家庭祭壇で対面。その瞬間に「しまった。ご聖体を持ってきていない」と気づき、「おばあちゃん、このままちょっと待っててね」と言って聖堂にもどり、聖櫃からご聖体を取り出す。考えられないと思いつつも、事実忘れたのである。
▼先週も味噌汁を鍋にかけて黒焦げにしてしまった。いろいろ考えると、自分自身の行動でありながら、自分自身で責任を持てなくなってきている。それは否定しようがない。しまいには自分で握っている車のハンドルも、責任を取れなくなる時期が来るのかもしれない。
▼車の運転は、そういう危険を感じたらすぐに免許を返納しようと思う。わたしは車に未練は無い。さまざまな車に乗る機会が与えられたが、どの車も何かしらトラブルに見舞われた。事故であったり違反であったり、あまりいい思い出がない。だから未練は無い。
▼自分にため息をつく生活は楽しくない。もっとここ最近の変化を楽しみながら、自分を受け入れながら暮らしていこう。これ以上若くなることはないのだし、これ以上の記憶力を望むこともできないのだから。



13/10/13(No.673)

▼先週はお風呂のお湯を沸かすボイラーが壊れ、ずっとお風呂に入れなかった。と言ってもまったく体を洗わなかったわけではなくて、巡回教会の福見教会司祭館に行ったり来たりして風呂に入った。
▼この原稿を準備している段階では電気店の人が新品のボイラーを取り付けているので、出張から帰ったら不便は解消されているはずだ。何でもそうだが、不便になった時、それまでいかにありがたい暮らしをさせてもらっていたかが分かる。
▼出張は「教区広報担当者全国会議」という長ったらしい名前のもので、これを読んで反応するだろうなぁと思う人が数名いるのだけれども、予定が詰まっているので、予定を立てている人以外には個人的な声かけはせずに行こうと思っている。「言ってくれればいいのに」と言われそうだなぁ。
▼出張の名目に偽りはないのだが、わたしは「教区広報」の委員長ではない。そこだけが気が引ける。代理だから、ちゃんと報告を委員長にしなければならないなぁと出かける前から出かけた後のことを考えてしまう。
▼それでも、ちょっとした旅行だから、まったく違う環境で、長崎のことを考える機会になるかもしれない。あるいは、長崎のことをたくさん尋ねられて、長崎の良い所を見直す機会かもしれない。
▼12日(土)大学院生のインタビューがあるようだ。11日(金)の朝に電話があり、1週間かけて上五島の教会を訪ねてまわり、論文の研究テーマを深めるのだそうだ。どうやらあちこちの教会でインタビューを断られ、電話の声では藁にもすがる思いが伝わってきた。
▼わたしは足で稼いで資料を準備する論文を用意したことがないので、こうした論文を準備している人の苦労を十分理解してあげることができない。ただあっちでもこっちでも断られて意気消沈して自分に電話する学生をほうっておくのはちょっと可哀想である。
▼もちろん他の教会がていねいにお断りするにはそれなりの理由があるだろう。だからなおさら、最後に困り果ててやって来る人に協力する。何だか最後の砦みたいだ。最後の砦と言うと聞こえは良いが、最後の砦は善人かもしれないし、悪人かもしれない。



13/10/20(No.674)

▼東京に出発した日曜日は、浜串での朝のミサの時から右足の親指付け根に痛みを感じ、ミサ中は悟られないようにがまんしていたが、荷物を抱えて移動し始める時にはすでに痛みが隠せないほどになっていた。スーツケースにはローラーが付いているにもかかわらず、スムーズにケースを押して歩くことはできなかった。
▼痛みは東京に行くともう限界にまで達していた。東京で会いましょうと連絡を取っていた人には正直に現状を話すと、「それは痛風ではないでしょうか」と言われ、東京をあちこち歩く間もずっと気遣ってくださり、申し訳ないことをした。
▼痛みが引く様子もなく、メールで連絡を取れるカトリックの医師に現状を報告すると、痛み止めのクスリを買い求めるようにとの指示。「ロキソニン」という錠剤を毎食後に飲む。すると、痛みがうそのように軽くなり、東京での教区広報担当者会議を無事にこなすことができた。
▼夜8時からの懇親会で、なぜわたしが広島カープを応援するのかを力説した。名前がそもそも「山本浩二」からもらっていることは話したが、人には赤い血が流れており、本性的に広島カープのファンになることができるように神から創造されているのだとホラを吹いた。
▼研修会の最終日は、聖イグナチオ司教殉教者だった。殉教者だから祭服は赤である。最近サッカーで「日本を青く。世界を青く」というキャッチフレーズを耳にするが、それをもじって、「今日と明日(聖ルカ福音記者)は、世界中の教会が赤の祭服でミサをします。今日と明日(セ・リーグ巨人対広島のファイナルステージ)、日本を赤く染めましょう!」とまくし立てた。
▼以前の「ちょっとひとやすみ」で、広島カープの試合を、広島で応援する方法が1つあると言ったことがある。それは、わたしが広島で働くことだと内心思っている。ただし自分から手を挙げることはしない。それは神が決めることだから。でももし、もしそういうことになれば、考えてみる価値はある。



13/10/27(No.675)

▼不摂生をしているから今回のような痛みが発症するのだろうか。必ずしもそうとは言えない。自己管理をするに越したことはないが、真面目に取り組んでいても痛くなる人もいるだろう。今回のことで1つだけ分かったのは、すぐに問い合わせることのできる人(医師)を知っておくことだ。
▼東京で激痛に襲われた時、最初に打ち明けたのは東京で面会した2人の恩人だった。そのうちの1人から「連休中ですが、診察してくれるところはいろいろあるので、どうしても耐えられない時は受診してください」とアドバイスを受けた。しかし、道行く人すべてが他人の東京で、どうやって病院を見つけたらよいだろうか。恩人には申し訳ないことをしたが、結局病院はさがさなかった。
▼次に問い合わせたのが、カトリックの医師である。遠方ではあったが、メールで東京に来てからのことを思い出す限りメモして伝えた。その後のことは先週の「ちょっとひとやすみ」に書いたので省略するが、やはり困った時に頼れる人を持っていなければならないことを痛感した。
▼なぜか司祭は医者嫌いである。例外もいるのかも知れないが、わたしは例外の司祭を知らない。手遅れになって医者に診察してもらい、ご丁寧に「手遅れです」と宣告される司祭が多い。長崎教区に100人くらいの教区司祭がいて、何らかの不安材料を抱えている人の割合はどれくらいだろうか。
▼一般企業でも、社員の健康管理には相当気を遣っていることだろう。そういう一般企業と比較するなら、長崎教区司祭の危険度は何倍も高いはずである。長崎教区司祭の何人が、身体の異常を感じた時すぐに問い合わせることのできる医師を知っているのだろうか。



13/11/03(No.76)

▼10月31日、夕方の福見教会のミサで、子どもたちに問いかけた。「今日は何の日ですか。」すぐに子供の1人が手を挙げて、「ハロウィンです」と答えた。100%、わたしからお菓子をせしめるために答えた答えなのだが、わたしはそれだけでお菓子を巻き上げられるのは面白くないので、続きの質問をした。
▼「では明日は何の日ですか。」途端にだれも手を挙げなくなった。11月1日の「諸聖人の祭日」がなければ、「ハロウィン」も何も意味がなくなるのに、まったく諸聖人の祭日は無視された。説明をして、「諸聖人があるから、ハロウィンがあるんだよ」と話す。
▼更に、「では11月2日は何の日ですか。ここまで答えられないとお菓子はあげられないなぁ。」すると子どもたちはがぜん真剣に考えるようになり、「だれか答えて!」とお互いに目配せするようになる。
▼奇跡的にだれかが、「死者の月」と答えた。「それは、11月全体の教会の呼び名だねぇ。そこまで分かっていたら答えられるよ。11月2日は何の日でしょうか。」何とか死者の日と言ったような気がしたので、ハロウィンの仮装がなくても楽しい子どもたちに、お菓子をあとで配ってあげた。



13/11/10(No.677)

▼11月9日には大司教の小教区公式訪問があり、10日には上五島地区堅信式があるのだが、この原稿を書いている金曜日時点では(最終的には土曜日の夜中に書き上げたが)どんなことが起こるか分からないので、4日に実施された「土井ノ浦キリシタン洞窟ミサ」について少し書いてみたい。
▼上五島の教会に赴任してから4年になるが、土井ノ浦小教区ではいつの頃からか毎年「キリシタン洞窟ミサ」を実施するようになっている。「キリシタン洞窟」とは、五島でのキリシタン迫害時代に、迫害を逃れてキリシタンが隠れ住んだと言われる洞窟があり、その洞窟のある無人島に上陸してミサをささげ、先祖の信仰を思い起こし、自分たちの信仰を確認するものである。
▼無人島で、しかも10月11月は季節風が吹き、予定を組んでもその日に上陸できないこともある。そのため、4年間で2回しか、実際に上陸してミサをすることは実現していない。あとの2回は、現地の近くまで船を出し、場所を見てから土井ノ浦教会に戻ってミサをしている。
▼幸いに、今年の洞窟ミサに参加することが出来、実際に上陸してミサをささげた。参加した信徒は100人を超えていた。上五島地区のほとんどの司祭も参列し、迫害を逃れて信仰を守ることを選んだ先祖たちの強い気持ちをミサの中で思い巡らした。
▼100人以上のミサを無人島で実施するために、土井ノ浦小教区の主任司祭はじめ、信徒の皆さんは本当に苦労されていると思う。そのご苦労を心からねぎらいたい。祭壇として使用するテーブル、司祭のためのパイプ椅子、電子オルガン、簡易放送施設、その他の道具、またミサが終わったらその場で立派な食事も振る舞われた。
▼食事は、五島では昔からお祝い事に用意されているまんじゅう(ふくれ餅)、現地でさっとゆがいて用意するそーめん、さらにブリの刺身。刺身は鮮度を維持するため氷をびっしり敷き詰めた発泡スチロールの箱が用意され、さらに身が低温やけどをしないようにビニールを敷いてその上に美しく盛りつけされていた。美味しいはずである。
▼ただ心配事もあった。一つの小教区が準備する行事としては経費の負担が大きすぎるという点だ。上陸するために海上タクシーもチャーターしている。何か、重い負担にならないような工夫があればいいと思った。



13/11/17(No.678)

▼先週の上五島地区堅信式。受堅者代表挨拶をしたのは●教会の受堅者だった。ほぼ100%原稿を手に持って読み上げるものと思っていたが、その中学生は原稿を手に持っていなかった。堂々と、自分の言葉で、大司教へのお礼の言葉を述べた。
▼わたしは大いに感心した。なかなか自分の言葉でこうした挨拶を述べる人はいない。最近社会では謝罪会見ですら原稿を読み上げ、深々とお辞儀をしているが、そういうのは謝っている気持ちが伝わらない。そんな風潮にあって素朴な言葉でいいから、自分の言葉で言い切った今回の受堅者代表挨拶に敬意を表したい。
▼子供たちを含め、信徒の信仰教育に重大な責任を持っている司祭は、洗礼者ヨハネのようであるべきだというのがわたしの持論である。ヨハネ福音書3章29節に「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている」とある。
▼いつでも主人公は信徒であるはずだ。信徒にスポットライトが当たるように立ち回る。信徒にキリストの光が当たるように振る舞う。それが司祭の仕事だ。何か遠回しに主任司祭に光が当たるように仕向けるとか、主任司祭がちやほやされないと虫の居所が悪いというのは、どこの世界にもありがちだが、司祭にあってはそういう話は聞きたくない。
▼これだけ言ったのだから、「いろいろ言っておいて、お前も同じか」と言われないように、よくよく気をつけようと思う。洗礼者ヨハネは、徹底して洗礼者ヨハネでなければならない。花婿であるイエスに常に信徒を近く留まらせる。司祭にそれ以外のことは要らない。
▼おまけ。2004年の原稿を参考にしたところ、2004年の原稿に誤変換していた箇所を見つけた。(誤)「苦しい重いだけを積み上げてきた」は(正)「苦しい思いだけを積み上げてきた」とするべきだが、誤変換した原文のほうも、よく読めば味わいがある(笑)



13/11/24(No.679)

▼さまざまなものが、「自分で手に入れた」と思った瞬間に、手からこぼれ落ちていく。もともと、自分のものでないから、こぼれていくことをそれほど悲しむ必要は無いのだけれども、つい自分が手に入れるはずのもの、自分に当然権利があると思ってしまうから、しばしば失ったことを悲しみ、嘆く。
▼洗礼を受けることになったお父さんはすでに後期高齢者である。若いときにキリスト教を学ぶ機会があり、もう少しで洗礼を受けられる所まで来ていたのに、手からすり抜けていった。それから縁があって結婚することになり、その時にも違う司祭から結婚のための準備講座を受けたが、その当時の主任司祭を通しても洗礼の恵みにあずかることはできなかった。
▼チャンスを2度も逃してしまうと、たいていの場合は「自分には向いてないのかもしれない」とか「自分にはふさわしくないのかもしれない」と考えてしまうのではないだろうか。よくぞ、半世紀以上経過してからもう1度教会の門を叩いてくれたと思う。心から感謝したい。
▼わたしも、このお父さんのことは赴任直後から耳にしていたので、神さまの大きな愛で、この方の心に何かきっかけを与えてくださいますようにと願っていた。何がきっかけになったのか、年齢を重ねる中での心境の変化なのか、はたまた福見教会百周年なのか、とにかく何かがあったのでこの日を迎えることができたのだと思う。
▼主任司祭にとっても本当に感謝である。半世紀以上のためらいの中で、4年前でなく、4年後でもなく、今洗礼を受けようと希望してくださったから、わたしがその場に立ち会うことになった。仮にわたしの赴任時代に洗礼を受けなくても喜ばしいことに変わりはないが、やはりその場に立ち会うのがいちばん嬉しい。
▼本人が気に病んでいることが1つあるようだが、何も心配は要らない。心配を取り除いてくれる人たちがこの福見教会にはたくさんいる。神の家族として力を貸してくれる。どうか、この人生を福見で生きてよかったと言える日々を過ごしてほしい。



13/12/01(No.680)

▼先週メルマガの配信でトラブルを引き起こしてしまった。2000文字の縮小版を作って、昔の2000文字までしか受信出来ないケータイのための説教を別に配信しているのだが、その原稿を誤って通常のメルマガを配信する人たちにも配信してしまった。申し訳ない。慌てているとこんなことになる。
▼研修会の内容をちょっと紹介する。グループ毎に提言をまとめるための討議がおこなわれたが、初日は年齢別のグループだった。いちばん高齢のグループは、司祭になって50年とか、そういうベテランのグループである。そのグループが、まとめの発表の時間に会場全体が騒然となるような事態を招いた。
▼詳しく話せないので、「ちょっとだけ」話すのだが、最年長のグループの発表者は「わたしたち自身が、司教さまへの提言です」という言葉から発表を始めた。わたしは「へぇ。すごい発表だなぁ」と思いながら聞いていた。発表は持ち時間を大幅に過ぎ、それでも終わらなかった。
▼「わたしたち自身が、司教さまへの提言です」ここでは提言すべきことがあるから発表している。それは当然のことである。すると、「わたしたち自身が、司教さまへの提言です」というのは、どういう意味なのだろうか。「今、手を打たないと、わたしたちのような司祭になります」という意味なのだろうか。
▼わたしはこれから、もうしばらくあの発表の意味を考えてみようと思う。なぜなら、わたしたち40代の世代では、「わたしたち自身が、司教さまへの提言です」という名言は出て来ないのだから。その意味が分かるように、その意味が間違って解釈されないように、もう少し考えてみようと思う。


13/12/08(No.681)

▼去年はこんなにモテただろうか?モテ期か?秋の小学校運動会のときから、何となくその兆候はあった。運動会の来賓で呼ばれて出席して、借り物競走などでプログラムに借り出されると、「神父さま〜」と保育園児から黄色い声援を受け、手を振ってもらっていた。隣の人から「さすが神父さまへの声援は違いますねぇ」と冷やかされたりしたが、まったく声援の理由に思い当たる節がなかった。
▼今回もそうである。なぜ羊飼いの羊役から、わたしだけを選んで手を振ってもらう理由があるのか。ほかの人には一切目もくれず、わたしだけに手を振っていた理由は何か。少なくともわたしにはその理由が思い当たらない。その幼子はカトリック信者の家庭の子でもないし、申し訳ない話だが、わたしもどこのだれかも知らないのである。
▼クリスマス会の間、椅子に座っているわたしの前を通り過ぎる保育園の子供たちが、代わる代わる「神父さま〜」と言って手を振っていく。この場面では何の妨げもないのでわたしも手を振って返す。子供たちは満足した顔で次の演目に向かっていく。しかしわたしは、「なぜそこまでわたしに手を振ってくれているのか」ますます謎が深まっていく。
▼ためらいと、戸惑いすら覚える。ある園児はわたしの手を握り、「神父さまの手、あったかい」と言った後、まるで自分の父親であるかのようにわたしの膝の上に座り、しばしわたしに抱っこしてもらってまた離れていった。何だったのだろう?
▼わたしはこの保育園の子供たちと何回触れ合っているだろうか。ほとんど、数えるほどしか触れ合っていない。夏祭り、運動会、七五三、クリスマス会、卒園式、これくらいか。年に5回で、だれがその人になつくだろうか?考えれば考えるほど謎である。
▼亡くなった「やなせたかし」氏は、「子供は本能で相手を見抜く。子供には嘘やごまかしや中身を水で薄めたようなものは通用しない」とインタビューで答えていた。わたしに喜々として手を振り、近寄ってくる園児たちはわたしの何を見抜いているのか。しかし少なくとも、わたしが何もかも見抜かれていることは、わたし自身感じていることである。


13/12/15(No.682)

▼無料のソフト(フリーソフト)のインストールは時に高い代償を支払わされる。さまざまなフリーソフトが出回っていて、たしかに恩恵もある。たとえば、ある音声ファイル形式を他の音声ファイル形式に変換するソフト。特にmp3変換ソフトは多種多様のものがあり、どれか1つはお世話になっている人もいるだろう。
▼または、圧縮・解凍ソフト。これも定番のものがあり、それ以外にもたくさんの類似品がある。わたしもたいていのソフトは定番ソフトを使っているし、恩恵のほうが多いわけだが、今回は手痛い仕打ちを受けた。どれかの無料ソフトをインストールした後に、パソコンの動作が極端に遅くなったのである。
▼たいてい、動作が遅くなるのはハードディスク内のファイルがあちこちにあるせいであり、デフラグという作業をすれば解消する。だが今回はどうもそういった原因ではなさそうである。デフラグをかけたが、まったく問題は解消されなかった。
▼パソコンの動作は、押し車を押して歩く高齢者のような動きになった。さっそうと歩いているのを常とする人にとって、漢字変換が押し車で歩く人の速度になれば、それは耐えられないほどのストレスである。漢字変換だけではない。ファイルの開閉、インターネットブラウザの開閉、すべてが押し車を押して歩く高齢者のような動きになった。
▼そこで原因を取り除くためにネットに当たってみたところ、最近インストールしたフリーソフトに思い当たるなら、いったんそれをアンインストールすべしというアドバイスだった。日常的にいろんなフリーソフトをインストールしてはアンインストールする繰り返しなので、どれがどれか分からなかったが、いろいろアンインストールするうちに劇的に動作が機敏に戻った。たしかにどれかがイタズラしていたのである。
▼あえて付け加えるなら、中国製のソフト(あるいは中国のメーカーが買収し、取り扱っているソフト)には要注意、である。会社名まで名前を出したいくらいだが、そのメーカーは勝手におまけのソフトをインストールさせようと誘導し、知らないうちにさまざまな余計なソフトが追加されてしまう。
▼本当に利用したいソフトをインストールし始めているのでつい「はい」のボタンを押し続けて作業を進めていると、途中でまったく関係の無いソフトがねじ込まれ、インストール前のパソコンの状態をいじられてしまう。その被害からもとのパソコンの状態に戻すのにブラウザの設定、不要なソフトのアンインストール、さまざまな苦労をさせられた。
▼ただ、本当に重宝するソフトであることは間違いない。だが、さまざまな誘導をするのである。中国製の日本語変換ソフトがねじ込まれたり、ブラウザのトップページを中国版のスタートページに強制的に変更されたり、ほとほと迷惑を被った。しまいにはファイルの残骸が残ってしまい、パソコン立ち上げ時に毎回ファイルの残骸がイタズラするような環境になってしまった。本当に高い代償を支払わされた。


13/12/22(No.683)

▼大浦教会から福岡の今村までの徒歩巡礼に向けて、訓練が始まった。第3回目の訓練に、わたしは初参加した。曽根というところから、仲知というところまで歩き、弁当を食べて折り返し曽根まで歩いた。19.5kmだったが、人生で初めてこんな距離を歩いた。
▼歩数計で30000歩(興味のある方はfacebookの3月17日の画像参照)。こんな歩数見たことない。だが実際の徒歩巡礼の時はおよそ4万歩になるらしい。3万歩で息切れし、折り返して仲知からの最初の上り坂では酸欠で頭に血が回らず、3回くらい瞬間的に気を失いかけた。
▼こんな調子で当日の徒歩巡礼を迎えられるのだろうかと心配だが、計画の発案者であるI神父さまによると「当日は今日ほどきつい上り下りはないから、今日を乗り切れたなら大丈夫」と言ってもらった。参加者は発起人の50代司祭と、わたしと、後輩司祭4人と、バックアップに回る同級生の司祭で合計7人。
▼今まで履いていたジョギングシューズでこの日の訓練に参加したが、帰り道は親指が窮屈に感じ、思い切ってシューズを新調した。今回のシューズで、2月中旬のの徒歩巡礼には参加する。ソックスは、恩人から買ってもらったタビオのソックス。これは本当に優れもので、20km歩いても靴擦れもマメもできなかった。
▼クリスマスが目の前に近づいた。救い主の人生は「降りていく人生」だと思う。もっとも貧しいお産の場所に降りていき、もっとも命が守られてよいはずの時期に命を狙われる環境に降りていき、罪人や徴税人の仲間と中傷されてもその人々のもとに降りていった。
▼だれもが関わりを避けようとする重い皮膚病の人に近づき、目の不自由な人に光を与え、十八年間出血の止まらない女性をいやした。すべての人のもとに降りていった。きっと現代にも、さまざまな重荷を抱えて暮らす人のもとに降りていって、希望を与えてくださる。希望が持てないときにこそ、希望が必要なのだ。


13/12/24(No.684)

▼御降誕おめでとうございます。まだ一息つくには早すぎるけれども、まぁケーキでもつついて、2013年を振り返りたい。今年起こったことを考えると、得したことはあまり思い出せなくて、損したこと、損失と感じることの方が多かった。
▼いろいろ相談出来る医師が上五島から故郷に戻られた。カトリック信徒の医師だったので、わたしにとっては損失だった。まぁ今でも連絡は取れるのだが、診察をしてもらえなくなった。個人的な親しみを持てる医師がいるといないとでは安心感が違う。
▼お金を失った。失ったというか、貸した金はどうせ返ってこない。失ったのだから損失だ。損失があったら、「取り戻す」か「損失をカバー出来る価値を別に見出す」か、どちらかを考えなければならないが、今年はそのどちらもできなかった。どうして借りに来る人は「ちゃんと返せる」と言うのだろうか。
▼分析・判断があと少し届かなかった。「この人はもう少し働きかけたら変わるかな」という想定のもとに押したり引いたりしたつもりが、その人はもはや興味を失ってしまい、距離ができてしまった。わたしもそれ以上踏み込めず、人間関係で損をした。
▼多少の得もあったかも知れない。「無理なのかなぁ」と思っていたことが好転し、喜ばしい日を迎えることができた。人間の力を越えた働きを感じた。不可能を可能にするのは、やはり神の力なのだと再確認した。感謝と賛美を忘れてはいけない。
▼子供がなついてくれた。4年目で、何となく心を開いて話せるようになった。どこで距離が縮まったのかは覚えていないが、小学校低学年から中学3年まで、話しかけることができて話を聞いてあげることも出来るくらいになった。打ち明け話をしに来る子供に「へぇ。そうなんだ」と相づちを打つ自分が、我ながら滑稽ではあるが。


13/12/25(No.685)

▼「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2・18)主の降誕(日中)の説教案を書きながら、最も説教のメッセージに耳を傾ける必要があるのは自分自身だという反省を持った。26日(木)に「生活習慣病検診」というのを受けるのだが、ここ数年この検診を受けて、言われることはだいたい予想が付いている。
▼「コレステロール値が高い」「体重を落としなさい」「軽めの運動を続けなさい」「食事を年齢相応に減らしなさい」等々。だから検診に行っても行かなくても同じなのだが、ここで踏ん張らなければならない。「同じかも知れないが、真剣に耳を傾けなければならない。」
▼たぶん、検査項目のいくつかに引っかかり、また来年になれば保健指導員から呼び出されて小言を言われ、「生活指導ですか。はいはい分かりました。やりますやります」と返事をして半年近く改善に取り組み、たまに努力が実ったら保健指導員に褒められたりして指導期間をやり過ごす。
▼だが、来年また検診を受けると、同じような項目に引っかかり、また同じことがその先に待っている。無限に同じことを繰り返すのだが、「でもそれでも・・・」謙虚に耳を傾けなければならない。
▼しかし、保健指導員は「彼に合う助ける者」なのだろうか。わたしの生活習慣病検診を担当する医師は、「彼に合う助ける者」なのだろうか。いつも「了解了解。真面目に聞いてますよ」と調子を合わせるが、現状維持が精一杯である。助けてもらっているのだろうか。
▼多分、助けてもらっているのだろう。そう思って今年もできるだけ耳を澄まして話を聞いてくるつもりである。健康を維持したくないわけではないし、わざわざ病気になりたいわけでもない。だから真剣に聞こうと思っている。ただ現実は、同じ過ちを繰り返しているのである。


13/12/29(No.686)

▼今年最後の雑談。最近便利だなぁと思ったのはインターネット回線を利用したラジオ。たとえばNHKのネットラジオ「らじる★らじる」。これを利用すると、NHKのラジオ第1・第2・NHK-FMが、雑音のないクリアな音質で聞くことができる。わたしは勉強していないが、NHKのラジオ講座をしている人にはきっと有り難いと思う。
▼仕組みはどうなっているのか知らないが、雑音がないのは本当にありがたい。五島列島でラジオを聞いていれば、韓国の電波が邪魔をして聞きづらいという体験はだれもがしている。また、車で移動中さまざまな電波と干渉してがまんしながら聞くこともある。場所によっては(「今里バス停周辺」のことだ)雑音でまったく聞こえなくなるときもある。
▼それに比べ、「ネットラジオ」の音質はすばらしい。ただネットという制約はあるので、インターネット回線に繋がっていなければ、ラジオは流れてこない。ただ、家の中にいてラジオを安定して聞き続けることが困難な環境にある人には、どんなにありがたいことだろう。
▼まったく話は変わるが、木曜日から金曜日にかけての深夜に、デザイナー対談がおこなわれていた。工業デザイナーの奥山清行氏と、建築家の安藤忠雄氏の対談だ。彼らの仕事は、ネット上で展開される出来事とは真逆の場所にあると思う。ネット上の出来事はある部分「仮想現実」だが、デザイナーが手掛けることは「未来に残る現実」だからだ。
▼とても興味深い話だった。奥山氏がトラクターをデザインすることになって、彼の考えによると、「トラクターをデザインするのはきっかけで、自分は『農業』をデザインするのだ」と言っていた。農業に魅力を感じ、農業にあこがれるようにデザインしたそうだ。
▼安藤氏はご存知のように、独学で建築の分野での地位を築いた。「勉強出来ない子は無理して勉強せんでもええ」ときっぱり言っていた。説明が必要な発言だが、勉強出来ない子が学校の勉強で人間を量られるのはかわいそうだとおっしゃっていた。その通りだと思う。学校の勉強ができなくても、世界を変える人もいるのだから。
▼奥山氏、安藤氏、共に言っていたのが「無駄の大切さ・無駄の意味」だった。空白とか無駄が、人に何かを考えさせる。空白や無駄のないデザインは面白くないし、われわれの手掛ける仕事ではないと。「一切無駄を省いた○○」のような商品は、言ってみれば「面白くも何ともないガラクタ」なのである。
▼年の瀬押し迫って、「仮想空間」に足を置いて暮らしつつある自分に、現実の生活に足を置くように、もう一度考えさせられるひと時をもらったと思う。デザイナー対談は、もし再放送があるなら、今度は録画して繰り返し学びたい。



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