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15/01/01(No.746)
▼新年明けましておめでとうございます。「一年の計は元旦にあり」で、今日何を思い巡らし、思ったことを果たそうとどれだけ熱意を持つかが、この一年を決めると思う。今年は特に信徒発見150周年でもある。
▼説教にも書いたが、カトリック信者はミサに集い、ミサの中で見たこと、受けた恵みを社会の中で証しし、自分たちがミサの中で受けたものはもっと多くの人々に知られるべきだし、その中の何人かは告げ知らせたことをきっと必要としていると思っている。
▼証しをし続ければ、「あなたが話していることは、わたしが本当に必要とし、求めていたものだ。それはどこへ行けば受けることができるのか」と尋ねる人がいると信じている。証しする人はいろんな人がいていい。証しするものが唯一のもの、普遍なものであれば、誰かの証しがある人に響くことがあるだろう。
▼社会の中で証しをするのだから、社会の真ん中にいて証しをするほうが効果が上がる。それは、置かれた社会の中に適応し、その社会の中で受け入れられる人になるということだ。「溶け込む」という言い方をしてもよいかもしれない。
▼ただ、今年はそれだけでない道を歩く人が必要だと思う。信徒発見150周年だから、ある意味わたしたちが社会の中で発見される年になるべきだ。これまでは迫害が始まると、カトリック信者は社会に溶け込まず、容易に発見されて命を落としていたかもしれない。
▼迫害が進むと、今度は決して発見されないように社会に溶け込み、信仰をひた隠しに伝えていった。迫害の終わりになって勇気を振り絞って大浦の司祭のもとに信仰を打ち明け、信徒が発見された。
▼その子孫たちであるわたしたちは、社会の中でカトリック信者であると知られ、発見されるべきときが来ていると思っている。信徒発見150周年記念だと言って大げさな行事や事業を立ち上げるよりも、まずはわたしたちが社会の中でカトリック信者であることを発見してもらう。それが今年必要なのではないだろうか。
15/01/04(No.747)
▼初夢を見たが、意味不明だ。自転車で映画を観に向かっているという設定で始まった。途中で横断歩道を横切ろうとすると、横断歩道の両端に大人の男性が10人くらいずつずらっと並び、全員がたばこの煙をふかしていた。
▼わたしはその大人たちを怒鳴りつけ、「あなたたちがそうやって横断歩道を塞いだら、小学生が横断歩道を通れないじゃないか。」怒鳴った時に大人たちが驚いたような顔をしたところで場面が変わり、映画館らしき建物に入る。窓口で「大人一枚」と告げると女性職員が「1300円です」と答えた。
▼ところが手元に財布がない。この時点でようやく夢だと理解した。わたしは疲れていたり緊張したまま寝ると同じパターンの夢をさまざまなシチュエーションで見る傾向がある。そのパターンとは、「たどり着けない・間に合わない・達成できない」などのパターンだ。そのパターンに沿って、さまざまなシチュエーションの夢が展開する。
▼今回は映画館に行ったのに財布が見つからずに映画を鑑賞できないという夢。ある時は急いで目的地に行こうとするのに家の鍵が見つからず、とうとう家を出られずに目的地に行けない夢。ある時は探し物をしていて、どれだけ探しても見つからない夢。パターンは同じで、さまざまなシチュエーションで展開されていく。だれか夢を解き明かしてくれる人がいたら聞かせてほしい。
▼1月3日(土)は今年初めての穏やかな天気だった。釣りに行きたくてたまらなかったが、説教案づくりを優先する日なので、どうしてもこの日は出ることができない。元日に返事を出した後に2日に届いた年賀状に返事を出すために郵便ポストに向かっていたら「あれ?いい天気ですよ。釣りに行かないのですか?」と言われ、行きたかったのでとても辛かった。
▼そう言えば、年賀状は昨年11月に購入したのに、なぜ元日になって投函しているのだろうか。
15/01/04(No.748)
▼もう絶対に買わない物。まず三菱のテレビ。わたしに言わせればポンコツだ。理由を2つ挙げておく。まず1つ、予約録画。あれこれ予約録画をして、いろんな番組をつまみ食いするわけだが、ある時予約番組を途中まで観てそのままにしておいたら、次に観ようとした時またも最初から再生し始めた。
▼普通に考えれば、途中から再生するはずである。だが何かの条件でレジュームが効かなくなり、最初から観る羽目になる。ポンコツの最たる例だ。これと似たようなことが、メニューを進めていった時にも起こる。
▼「再生」を選択して、その先の選択肢には「初めから再生」と「途中から再生」の二通りが見えているが、実際に選択できるのは「初めから再生」しかない。これをポンコツと言わずに何をポンコツと言うか。
▼わたしが三下り半を突き付けるもう1つの理由。NHK-BSを観ていた時、気が変わってNHKの地上デジタルにチャンネルを切り替えた。その際、副音声が同時に流れることが時々起こる。副音声は英語だ。
▼だれがNHKのニュースを観ようとしている時に二カ国語放送になるのを求めるだろうか。そのたびにボタン操作で副音声をミュートする。二カ国語放送が必要な場面はわたしにはほとんどない。英語放送を英語のまま聞く必要を感じることはある。だが、二カ国語放送は邪魔なだけだ。こんな時にわたしから「このポンコツめ」と罵倒されている。
▼「まず三菱のテレビ」と語り始めたらこんなに長くなってしまった。他にももう買わないという物があるのだが、長くなりすぎるのでこれで終わり。
15/01/11(No.748)
▼もう絶対に買わない物。まず三菱のテレビ。わたしに言わせればポンコツだ。理由を2つ挙げておく。まず1つ、予約録画。あれこれ予約録画をして、いろんな番組をつまみ食いするわけだが、ある時予約番組を途中まで観てそのままにしておいたら、次に観ようとした時またも最初から再生し始めた。
▼普通に考えれば、途中から再生するはずである。だが何かの条件でレジュームが効かなくなり、最初から観る羽目になる。ポンコツの最たる例だ。これと似たようなことが、メニューを進めていった時にも起こる。
▼「再生」を選択して、その先の選択肢には「初めから再生」と「途中から再生」の二通りが見えているが、実際に選択できるのは「初めから再生」しかない。これをポンコツと言わずに何をポンコツと言うか。
▼わたしが三下り半を突き付けるもう1つの理由。NHK-BSを観ていた時、気が変わってNHKの地上デジタルにチャンネルを切り替えた。その際、副音声が同時に流れることが時々起こる。副音声は英語だ。
▼だれがNHKのニュースを観ようとしている時に二カ国語放送になるのを求めるだろうか。そのたびにボタン操作で副音声をミュートする。二カ国語放送が必要な場面はわたしにはほとんどない。英語放送を英語のまま聞く必要を感じることはある。だが、二カ国語放送は邪魔なだけだ。こんな時にわたしから「このポンコツめ」と罵倒されている。
▼「まず三菱のテレビ」と語り始めたらこんなに長くなってしまった。他にももう買わないという物があるのだが、長くなりすぎるのでこれで終わり。
15/01/18(No.749)
▼五島で幼いころ気に登って食べた「こっぽ」という果物、本当の名前が知りたくなった。上五島の実家は意図的にそうしていたのか、果物の樹が家の周囲にずらりと植えてあった。玄関先には「ビワ(ヒワとも言う)」が植えてあったし、裏にはグミの木とキンカンの木があった。
▼家を囲んでいた崖を登ったすぐには栗の木、梨の木、ヤマモモの木があった。さらに夏ミカン、スモモの木もあったと思う。そして問題の「こっぽ」の木が、自宅の段々畑のいちばん高い畑の脇にあった。
▼もしかしたら、「こっぽ」の木は植樹したものではなく、単にそこに自生していたのかもしれない。それはともかく、簡単に木に登ることができたし、甘酸っぱい実は最高のおやつだった。
▼ただ、この果物の話をしても、話の合う人が見つからない。同じ上五島の人とは理解しあえるが、五島から遠い長崎市内、県内県外の人とは共通の話題にできないのである。「キウィによく似た・・・」と言えば、「それはキウィでしょ。キウィ」と最初から決めつけられてしまう。
▼たしかにキウィと味も形もそっくりなのだが、わたしが幼いころキウィなる輸入果実は存在しなかった(と思う)。キウィを店頭で見かけるようになったとき、「巨大で毛むくじゃらなこっぽだなぁ」とわたしは理解した。しかもほとんどが酸っぱくて食べられない。輸入品には悪いが、「輸入品だからこんなにまずいのだろう」と本気で考えたものだ。
▼最近はネット上で調べることができるわけだが、いろいろ検索してもわたしの疑問を解決できるサイトにはたどり着けない。思いがけない収穫だったのは、「こっぽ」を収穫に行ったという上五島のブロガーの記事にたどり着いたことだった。
▼大きさは、キウィのように巨大でなく、ぶどうの粒を2個くっつけたくらい。毛むくじゃらでなく、表面はすべすべしている。味はキウィフルーツと全く同じ。実を割った中の様子も同じ。「じゃぁキウィでしょ?」と言われそうだが、上五島の人たちはキウィでは決して納得できないのである。
15/01/25(No.750)
▼このメルマガも750号まで来た。「ナナハン」である。ちょっとアクセルを回すと、すっ飛んで行って、乗っている運転者を振り落とす勢いがあるのが「ナナハン」だが、このメルマガはどうだ。相変わらずのグダグダではないか。
▼騙されてもそれを認めようとしない話について。特殊詐欺が厄介なのは、騙されているのに騙されている自覚がないということだと思う。自分の息子を助けなければならないという一心で、お金を指定口座に振り込み、何とかパックにお金を入れる。
▼直接騙しに来た人に大金を預ける。それもこれも自分の子供を助けるためと思っている。「騙されてますよ〜」いくら大声で言っても心を閉ざして耳を貸さない。本当に可哀そうである。だがよく考えてみよ。自分は騙されないと言っているが、すでに騙されていないか。
▼気心の知れた人との貸し借りとか、信用できる人との貸し借り。貸し借りと言いながら、ほとんどが返ってはこない。それでも手を変え品を変え、信頼できる人が近寄ってくる。信頼できる人だから、騙されている感覚がない。そうやって騙されているのではないか。
▼もはや、騙されない人は誰もいないのかもしれない。そうなると残された道はますます少なくなる。その信頼できる人も切ってしまうか、騙され続けるか、騙されたものはもともと手元になかったものと思って自分自身は別の金策を考えるか。
▼イエスは信じ続けたが、人間に騙され続けたこの地上の生涯だったかもしれない。それでも騙され続けて、騙す人を赦し続けて、救いの計画を全うされた。一度も騙されない人生を目指すのではなく、騙されても騙されても、自分の人生は自分で決める。騙す人に振り回されない人生でありたい。
15/02/01(No.751)
▼今年も徒歩巡礼が近づいてきた。トレーニングは積んできたが、実際歩くのとトレーニングとは少し違うから、今の準備で大丈夫だろうかという不安はどうしても残る。去年の徒歩巡礼のためには長い距離を歩くこともしてきたが、今年はすべて、浜串教会から中ノ浦教会までの一往復9kmのみのトレーニングでここまで来た。
▼自分の中では、負荷のかかる峠越えを積み上げてきたので、距離が延びても対応できると思ってはいるが、実際に歩くと思ってもいないことが起こり得る。本当の長さを歩いていないことが本番で不安を感じさせ可能性がある。
▼とにかく、今回はこの練習で本番に臨むと決めた。それが間違っていたなら、一緒に参加してくれる相方には迷惑をかけるが、わたしがサポートに回って相方を助けることにしよう。あと10日。もう今さらこれまでの準備をやり直すことはできない。本番でトレーニングが正解だったかどうかを試すだけだ。
▼実はまだ、今回の徒歩巡礼で確実にお世話になる2つの教会に連絡を取っていない。このメルマガの発行の時点ではいくらなんでも連絡を取っているとは思うが、どちらもずっと上の先輩なので、連絡を取るのにどうしても気後れするのである。急がねば。
▼わたしは地図を印刷して通過する国道にマーカーを引いても道に迷う人間である。万全の準備をして、それでも珍道中になることがしばしばある。相方がそうでないことをひたすら念じている。相方も全くの方向音痴だったらどうするか?それが最後の難関だ。
15/02/08(No.752)
▼今年もいよいよ徒歩巡礼に行くことになった。期間は10日(火)から12日(木)の3日間。去年、大浦天主堂から今村教会に向けて歩いたので、今年はその折り返しのコース。言ってみれば、去年片道しか歩いていないので、今年折り返して完成ということだ。
▼去年の話を覚えていない人も何人かはいるかもしれない。その方々はブログ「こうじ神父今週の説教」(http://blog.goo.ne.jp/knkouji)2013年12月15日の分を読み返して、それからまた戻ってきてほしい。繰り返すのが面倒だ。
▼そうは言ってみたものの「ひとでなし」と言われそうなので「話の森」ホームページ右上の部分に今村の信徒発見についてまとめてくれた先輩の記事を転載しておく。これを読めば当時の事情が詳しくわかる。この出来事に触発されて、巡礼を志したということだ。
▼お世話になる2つの教会の神父さまに連絡を取った。出発地点の教会である今村教会の主任神父さま。今村教会の現在の主任神父さまはかつて学生時代に教会司牧実習で1年お世話になったことがある。快く受け入れてくださったので力を得て徒歩巡礼を開始できそうだ。
▼もう1人の教会は諫早教会の主任神父さま。今村→佐賀→諫早と歩いて、2日目の夕方にミサをさせてもらうことになっている。「歓迎します」と二つ返事をもらった。大先輩であるが、気さくに申し出を受けてくださり、ホッとしている。
▼翌3日目は、大浦天主堂でミサをささげるのが理想的だが、わたしは自分の小教区の巡回教会である福見教会に急いで戻り、ミサをささげようと思っている。子供たちが待っている。子供たちに「たった今歩き終わったよ」と報告できる。ちょっと威張れる。
15/02/15(No.753)
▼3日間に及ぶ徒歩巡礼を無事に終えてきた。正確には巡礼には該当しないかもしれないが、浦上キリシタンが今村キリシタンを発見し、そのうちの何人かを伴ってほぼ今回のルートを辿って喜び勇んで長崎に帰り、大浦の司祭に報告に行ったことを想像しながら歩くことができた。
▼最初司祭2人で始めた徒歩巡礼だったが、相方が太ももを痛めて初日で戦線離脱となったのは精神的にきつかった。2日目から単独徒歩巡礼となったわけだが、志を同じくする人が隣にいない中で歩き続け、前に進むのは徒歩そのものとは別のきつさを感じた。
▼ただもともとの計画では、いざとなったら1人ででも成し遂げようと思っていた折り返しコースの徒歩巡礼だったから、当初の計画通りと言えば言えなくもない。初日から1人で徒歩巡礼を始めていたら、本当に完遂できていたか今となっては分からない。1日だけとは言え、共に歩いてくれた後輩司祭には感謝している。相方をしてくれたこの司祭は、ゴール地点の大浦天主堂そばでわたしを待ってくれていた。
▼今年の3日間徒歩巡礼のゴール、国宝大浦天主堂でしばらくお祈りし、帰りのジェットフォイルに乗り込むため、大浦から大波止までの移動に2人でタクシーに乗り込んだ。運転手がわたしのリュックサックを見て「旅行なさってるのですか」と聞くものだから、事実をありのまま「たった今、諫早から大浦まで歩いてきたんですよ」と答えたら、「お客さんご冗談でしょう」と言わんばかりに運転手から大笑いされた。
▼わたしはムッとして「今日だけじゃなくて、福岡の大刀洗というところから都合3日間で90km歩いて大浦に来たんだよ(「それでも笑うか」と心の声)」と答えると運転手は黙ってしまった。厳しい徒歩巡礼を成し遂げたその事実が、相手を圧倒し、黙らせたわけだ。その後も同乗していた後輩司祭と、最終日諫早からの道のりで起こったことをあれこれ話して大波止に向かったが、運転手は一切口をはさむことはなかった。
▼わたしの歩いた距離はたかだか90kmだが、26聖人の歩いた距離は京都から長崎である。道行く人、連行した役人たちを黙らせるには十分すぎるほどの迫力があったに違いない。わたしが歩いた諫早長崎間の約6時間25kmでさえ一般の人を黙らせたのである。26聖人の道のりが日本の人々に及ぼした効果は計り知れないと思う。
▼そう考えると、キリスト者はキリストを知らない人やキリスト教を信じない人に対して、自分が何かしら圧倒するもの、良い意味で黙らせるものを持っておく必要があると思う。「信仰のために100km以上離れた2つの教会の間を3日間で歩いて結ぶことができる」たとえばこのような、口をはさませない圧倒的な証しを、何かしら持っておく必要があると思うのである。
▼それは別に、若いからとか体力があるからできるような証しでなくても構わない。何十年と続けてきた朝夕の祈りだって、十分に圧倒的な証し、人を黙らせる力ある証しである。そうした証しがかつてはそこここにあったから、司祭が250年奪われても、またキリシタンのうちの何人かが殉教したり流配されたりしても信仰が伝承されてきたのではないだろうか。
▼来週に続く。
15/02/22(No.754)
▼先週は大見え切ったが、一つだけズルイことをしたので謝っておきたい。徒歩巡礼をした相方と、2日目から車でバックアップしてくれることになった後輩司祭、ほか多少なりとも関係する人たちが今週の「ちょっとひとやすみ」を読んでいないことを願いたいが、2日目のコースでは姑息なまねををした。
▼「今村巡礼折り返しコース」の2日目は、厳密には平良町多良駅から諫早市(ホテル)の約34kmである。だが初日で相方がリタイアし、正直わたしの気持ちは折れていた。このまま先のルートをまともに歩いたら、この日予定していた午後5時半の諫早教会でのミサに間に合わないのではないかと心配になったのである。
▼そこで一計を案じた。車でバックアップしてくれる後輩司祭が、わたしと、リタイアすることになった司祭を乗せ、宿泊した佐賀駅隣のホテルから平良町多良駅まで運んでくれた(後輩が車でのバックアップを引き受けてくれたのでこの移動が実現したが、もともとこの区間はJRで繋ぐ予定だった)。
▼多良駅到着は8時15分。2日目から車でバックアップしてくれた後輩と、リタイアし、その車に乗って長崎に帰る後輩を見送れば、本来ここから歩き始めなければならないわけだ。だがわたしは前の晩に下調べをし、「9時4分にやって来る各駅停車で次の肥前大浦駅まで乗り継ぎ、そこから歩こう」と前もって決めていたのである。
▼多良駅から肥前大浦駅は一区間に過ぎないが8kmある。2時間弱の計算だ。本来8時15分に徒歩でスタートすれば、肥前大浦駅付近を10時頃通過することになる。1時間遅れの9時4分、誘惑する電車が到着した。ためらうことも恥じることもなく切符を買い、一区間乗車した。肥前大浦到着が9時17分。瞬間移動して約45分稼いだ形だ。これでこの先の徒歩巡礼にもかなり余裕が持てるようになった。
▼肥前大浦駅から歩きだして、午前11時に去年の「大浦天主堂→今村天主堂コース」2日目にちゃんぽんを食べた店を通過した。うまいちゃんぽんの記憶がよみがえったが、残念ながらまだお腹が空いていない。そりゃそうだろう。泣く泣く先を急いでいると、11時半頃に予期せぬことが起きた。朝から車でのバックアップに回ってくれていた後輩司祭が、自分の進行方向に立って待ち構えているではないか。
▼わたしは心臓が飛び出るくらいに驚いた。8時15分に「じゃあな」と見送り、それから小一時間潰して9時4分JRに乗ったのがバレたかと思ったからである。そんなことを知る由もないバックアップの後輩司祭から痛いところを突かれた。「先輩えらい早かったですねー。12時頃に去年のちゃんぽん屋あたりでちょうど合流かなと思って様子を見に来たら、ずいぶん進んでるじゃないですかー。」
▼『お、おー。かなりペースを上げたからなぁ。11時に例のちゃんぽん屋を通過したけど、まだお腹すいてなかったからやり過ごしちまったよ(汗)』「先輩そろそろ12時ですよ。少し先に別のちゃんぽん屋があるので、そこで一緒に食べましょう。先に行って待ってます。」『そ、そうだな。そうするか(大汗)』さらに1km進み、指定された別のちゃんぽん屋で合流、ちゃんぽんを食べたが、さすがにほとんど食べた気がしなかった。
15/03/01(No.755)
▼小教区の黙想会が始まる。小教区の黙想会には説教師を招いて黙想指導をしてもらう。理由は2つあって、1つはいつも主任司祭の話ばかりで変化がないから、違う説教師に指導をしてもらえるということ、1つはゆるしの秘跡のこと。主任司祭のゆるしの秘跡に抵抗がある人もいるので、こういう時に違う司祭がいてくれるのはありがたい。
▼黙想会の説教師には頭を悩ませる。適材適所を考えるからだ。接待のことがあるのでけっこう後輩司祭を呼ぶことが多いのだが、今年は1年先輩を招いている。たぶん、特別緊張して接待しなくても済むと思っているのだが。
▼黙想会の間、主任司祭はふだん感じていないことをいろいろ感じるようになる。ふだん主任司祭は助任司祭でもいなければ独居者だから、夜に人の動きを気にしていない。だが黙想の指導司祭を呼べばそうはいかない。夜更かしも控え、共同生活をしている修道院のようだ。
▼そうは言っても楽しい部分もある。食事の時に一人で食べるのはやはり味がしないものだが、複数で食事をすれば会話もあるし、食事もおいしく感じるだろう。また自分では手に入らない情報もいろいろ耳にするだろうし、これからの長崎教区のことも話せる。
▼わたしが黙想指導に呼ばれたのはいつが最後だろう?覚えてないが、そう言えば最近呼ばれなくなったなぁ。呼ばれないのはきっとお役に立てないからだ。あるいはわたしが呼ばれると気を遣って疲れると感じて敬遠しているのかもしれない。それらはすべて、自分の不徳の致すところである。そろそろ、黙想会に呼んでもらえないかなぁ。
15/03/08(No.756)
▼3月1日に長崎教区の司祭助祭叙階式が執り行われた。2人の司祭叙階と1人の助祭叙階のお恵みをいただいた。2人の司祭のうち、1人は助祭のあと司祭叙階まで3年を要した。「必要な時間」だったから3年を要したのだと思うことにしている。
▼叙階式ミサの直前にご両親に声をかけて、「この3年たいへんな思いをされたでしょう」とねぎらったが、ご両親の答えは意外なものだった。「わたしたちも待ちましたが、本人がいちばん気にしていたでしょう。この時間が、恵みの重さをより感じさせてくれたと思っています。」
▼わたしはこのご両親の返事は立派だと思った。ヤキモキして、気が気ではなかったはずである。だがこの3年を前向きに受け止め、これからにつなげていく姿勢に、わたしは心を打たれた。本人にとっても恵みの重さを理解する時間となっていたらと思う。
▼さて春は桜鯛の季節。産卵のために浅場に大挙して鯛がやってくる。去年から今年の冬、たくさん鯛を釣らせてもらった。一つ心残りなのは、釣った魚をよりおいしくいただくためには、その場ですぐに処理をしなければならない。血抜きとか、神経締めといったことだ。
▼血抜きに関してはわたしもあれこれ試してはみたのだが、間違いなく完了できたとは言えない。包丁をエラのところからブスッと刺すとたしかに血がドバッと出るから、それでおおよそうまくいっているとは思うのだが、よく参考にする動画などで見られるような「急所に当たって、魚がけいれんを起こして、まもなく即死する」という流れに持っていくことができない。
▼エラに包丁を入れることで血を出させても、しばらくは口をパクパクさせているし、即死してはいない。苦しんでいるようで魚がかわいそうである。何か良い道具はないかと思い、漁師さんがよく使う魚鈎を取り寄せようかとも思ったが、急所を仕留めることができなければこれもまた苦しませることになる。
▼そこで、違うアプローチを取る道具を見つけた。フィンランドFiskar製の魚用ハサミである。別にフィンランド製でなくても構わないのだが、調べていくうちにこのハサミにたどり着いた。日本円で1260円だったかな。ネット通販のアマゾンで購入することができた。
▼どこが良いかと言うと、剪定ばさみのようになっているので、エラの部分から差し込んで固い中骨を断ち切ることができそうな点である。ほかには刃の部分に加工が施されていて、細かい鱗をもった魚(カサゴとか、ハタとか、コチとか)の鱗取りができそうである。さて出番はいつやって来るか。今週か、来週か。
15/03/15(No.757)
▼3月17日、長崎で信徒発見150周年の記念ミサが行われる。3月15日から記念ミサは続いているのだが、3月17日が信徒発見の日であり、17日の午前10時のミサが中核のミサとなる。
▼早くに司祭への案内が来ていたのに申し込みが遅れたので、参加できないかと思っていたが、教区広報の事務をしてくれている方が広報枠でわたしの出席を確保してくれて何とか参加できることになった。こんな大事な案内を後回しにしていた自分が恥ずかしい。
▼広報枠で150周年記念ミサに参加させてもらうのだから、それなりの仕事は果たさなければと思っている。わたしなどより委員長が大変だ。記憶にも記録にも残る記念行事の広報という重責を果たさなければならない。3年前にわたしは委員長を降板、188殉教者の列福式なども経験したが、今回の行事も大変なプレッシャーだろう。
▼3月17日は個人的には司祭に叙階された記念日である。長崎教区にはいろんな日付で叙階を受けている司祭がおられるが、いちばん多いのは3月19日だろうか。調べてはいないが、里脇枢機卿さまが教区長だった時は必ずこの日だった。
▼それ以降の教区長になってからは、さまざまな事情で叙階の日が変わり、誰もその変遷を説明できないと思う。叙階式は、できるだけ共通の日が良いとわたしは思っている。たとえば「日本の信徒発見の聖母の祝日」などは、うってつけの日だと思うが、教区はそう思っていないのだろうか。
▼このメルマガが発行される頃には、あるいは今年の異動に当てはまっている司祭たちが信徒の皆さんに新しい任地を公表しているかもしれない。わたしの間違いで今週でなく来週だったらお詫びする。それぞれ新しい任地での健闘を祈っている。特に新司祭には、最初の赴任地は一生の宝物。ぜひ主任司祭に学び、それぞれが目指す司祭像を見つけてほしい。
15/03/22(No.758)
▼大浦天主堂での信徒発見150周年記念ミサが無事終わった。プチジャン神父のとっさの機転で隠れて信仰を守っていたキリシタンに光が当てられ、信仰の自由も得てキリシタンは自分の信仰を公にできるようになった。
▼今回の記念ミサと教区シノドスの閉会式で、150年前の出来事に今再び光が当てられ、今の時代にもカトリック信徒が社会に対してメッセージを発する必要性が再確認された。記念ミサは参列したすべての人に、自分たちがこの出来事を引き継ぐのだという自覚を持たせたのだと理解している。
▼参列者みなに自覚を持たせたと信じたいが、わたしの隣にいた先輩司祭はお疲れの様子で式中のほとんどの時間うつらうつらしていた。先輩というだけでなく、わたしにとっての恩人司祭でもあるのだが、疲れているのが見ないでも伝わっていたので、そっとしておいた。
▼式典中はたいてい前もって次のような案内がある。「携帯電話の電源をお切りください。」一度だけ、iPhone(アイフォン)の着信音が鳴った。それ以前にも写メを撮って「カシャ」と音を立てていたので「電話の着信が鳴らなければよいが」と思っていたのだが、悪い予感は的中した。
▼前もって注意をしてもルールを守らないのはお偉い方々である。なぜなら自分たちが登場する前に協力のお願いは終わっていて、自分たちが注意を受けることは少ないからだ。今回とある高位聖職者のiPhone(アイフォン)が高らかに音を立て、一瞬その場が凍りついた。
▼まぁそれはそれとして、わたしたちが信徒発見の舞台となった大浦天主堂で150年前の出来事を再認識したことには十分意味があった。皆が「ワタシノムネ アナタノムネト オナジ」という信仰を表明し、明日に向かう力を得たのだから。
▼ところで、「ワタシノムネ アナタノムネト オナジ」「サンタ・マリアのご像はどこ」この感動的な場面がプチジャン神父の自作自演だったと言ったら皆さんはどう反応するだろうか。「何を馬鹿なことを」と憤慨するだろうか。わたしもそれはないと思うのだが、興味のある方は「福音宣教」4月号「信徒発見の真相にかんする新見解」という記事を読んでほしい。この記事をどのように理解したらよいのか、正直戸惑っている。
15/03/29(No.759)
▼今年も何とか、聖週間一週間分の説教を猛烈に書いて準備しようとしている。この「受難の説教」を書き始めたのが火曜日、発行は土曜日(先週は土曜日に発行できなくてごめんなさい)、するとあと残された時間はどれくらいあるのか。
▼さらに今週の予定との兼ね合いもある。25日(水)は子供たちと長崎の国宝大浦天主堂と日本26聖人記念館に巡礼に行く。これだけでも時間はなくなっていくが、27日(金)は視覚障害者の支援をするボランティア団体「マリア文庫」の年1回の行事「国立ハンセン病療養所 恵楓園」の盲人会の方々を見舞に行く。するとどれくらい時間は残されるのだろうか。
▼それでも、浮かばない説教を書くわけにもいかず。そうこうしているうちにこの日まで追い詰められてしまったわけである。追い詰められてから、どれくらいこの状況を押し返すことができるか。勝負というわけだ。
▼幸いに、火曜日の時点で聖金曜日の説教案のヒントは浮かんでいる。聖木曜日の説教は今年3月1日の司祭助祭叙階式直前にインタビューした小ネタを風呂敷いっぱい広げて展開することとし、復活徹夜祭と復活の主日日中の分は水曜日の巡礼の間に黙想することにしよう。
▼復活後の人事異動は大胆なものだった。明らかに人事の刷新が行われた。これまでがよくなかったというわけではなく、中堅を責任ある立場に抜擢して、これからの長崎教区の態勢を整える意図を感じる。もしかしたらこの人事の中で教区長の頭には後継候補のこともあるのかもしれない。
15/04/02(No.760)
▼聖木曜日、どのように1日を過ごすのが適切だろうか。説教でも考えた通り、互いに仕え合う、奉仕するために1日を用いるのが適切だと思う。聖週間の典礼の儀式書に、司祭にとってヒントになる指示が書いてあった。
▼聖木曜日の典礼を進めるにあたっての指示の中に次の点も含まれている。「聖体はミサの中だけで授けられる。病者には一日中、いつでも授けに行くことができる。」
▼聖金曜日の指示の中にも似たような記述がある。「きょう、聖体拝領は主の受難の祭儀中にのみ信者に授与されるが、この祭儀に参加できない病者には一日中いつでも授けに行くことができる。」
▼つまり、聖木曜日、聖金曜日に司祭が実りある時間の過ごし方をするためには、病人を見舞い、聖体を授けることがおおいに勧められるということだ。幸い、聖木曜日は通常の病人訪問の予定を組んであるので、わたしにとっては良い機会が与えられた。
▼病人訪問する人の中に一人、手作りのCDを持って行く人がいる。わたしは以前から視覚障害者の支援ボランティア団体「マリア文庫」にミサの録音CDを届けていたが、いつだったかその話を聞いた家族が興味を持ってくれて、「そのCDを主人にも聞かせてあげたいのですが」と相談してきた。
▼もともと制作しているものをもう1枚造るだけのことだから、お安い御用と引き受け、それからもう3年くらいは続いているだろうか。この病人に関しては、少し遅れてではあるがミサの様子を聞いて、毎週礼拝が叶わないその補いをしている。
15/04/03(No.761)
▼聖金曜日は断食の日でもある。大斎・小斎と言って、通常大斎は1食のみ普通に食べる。あと2食は断食にふさわしい食事。小斎は肉を使った料理を食べない。もともとヨーロッパで確立した断食の規則だから、このようなスタイルだが、日本人にはアワビもサザエもあるので、日本(アジア)に適合した規定を設けたほうがよいと思う。
▼それは横に置いといて、断食をしていれば当然お腹がすく。妄想する。肉は出てこないが、魚が食べたいなぁという欲求はある。魚を常時食べていると、毎日食べても飽きない魚と、毎日食べるのはちょっと、という魚がある。
▼アジ・イワシは、毎日でも食べられる。アジを包丁ではなく、指で三枚(骨と、左右両側の身でいわゆる「三枚」)に開き、刺身で食べれば毎日でも食べることができる。もちろん少量(三切れとか、五切れとか)ということで、五匹とか十匹毎日食べるという意味ではない。
▼では毎日食べるのはちょっと、という魚は何か。意外に思うかもしれないが、わたしにとってそれは鯛である。養殖の鯛ではない。広い海で釣り上げた天然の真鯛のことだ。たとえ天然の真鯛でも、毎日となるとちょっと辛い。特に去年は数えるのも面倒になるくらい釣り上げたので、見ているだけでもお腹がいっぱいになってしまう。
▼まぁこんなたわごとは、五島列島に赴任しているから言えるのであって、この先で海と隔絶された小教区(想像すらできないが)に赴任すれば、こんなたわごとは口にしなくなるだろう。今のうち、今のうち。
▼断食で意識はもうろう。早く12時過ぎて、土曜日になってほしいものだ。だが土曜日も聖土曜日。断食の務めはないとしてもイエスの死を悲しんで喪に服す時間には変わりない。聖土曜日の、実り豊かな過ごし方を知っている人がいたら教えてほしい。
15/04/04(No.762)
▼ご復活おめでとうございます。知り合いの話では、日本の商業の中にクリスマス・ハロウィン・バレンタインなどが定着し、盛り上げるのも頭打ちなので、次のターゲットはイースター(復活祭)なのだそうだ。芸能人やタレントが「ハッピー・イースター!」とはしゃぐ日が間近に来るのだろうか。外箱だけの真似は、日本お得意の芸だ。
▼復活したキリストの光が世を照らす。キリストの光に自分が照らされていると感じ、神に感謝する。そうやって、静かにまことの復活の喜びが日本に行きわたる日をわたしは信じたい。それが何年何百年かかるとしても、日本にキリスト教が最終的に受け入れられたと言えるのはこの復活の喜びが理解できた時だと思っている。
▼今週すでに4月に入っているが、生活環境に大きな変化が生じた。司祭館のためにとある修道会がこれまで奉仕してくれていたが、ことしはシスターを派遣できないらしく、わたしは完全な独身生活が始まった。メルマガの読者の中で、完全な独身生活をしておられる方がいたら、声をかけてほしい。そして、独身生活の心得とか秘訣を教えてほしい。
▼4月5日で早くもゴミ屋敷の前兆が見える司祭館。料理も洗濯も掃除もして、なおかつ司祭として委ねられた信徒のためにも働いていく。わたしにはとてもではないが両立可能だとは思えない。以前に書いたかもしれないが、一食分の料理をして食べて片付ける。それだけで疲れてもう何もしたくなくなる。
▼もちろん、完全な独身生活ならではの気楽さはあるだろう。だがその利点を加味したとしても、デメリットはあまりにも大きい。この負のスパイラルから抜け出せる日はいつか。来年か、再来年か。それとも、もうこのアリ地獄から抜けることはできないのか。
▼気の早い話だが、来年の復活祭は3月27日、ここ数年で最も早くなる。3月27日の2週間後は4月10日、4月10日を起点に1か月前は3月13日、2か月前は2月14日。バレンタインのチョコが来る日だ。中身はどんなチョコだろうか。チョコっと気になる。
15/04/05(No.763)
▼ここ数カ月で、かつての大神学院でお世話になった教授たちが次々に亡くなった。カナダ人で、8年間霊的指導司祭だった司祭、そして教義神学を4年間教えていただき、院長としても導いていただいた日本人の司祭だ。亡くなった連絡が入り、どちらも出席すべき恩人だったが、とうとう恩を返せなかった。せめてもの償いに、心を合わせてミサをささげた。
▼それぞれ、タイプが全く違う司祭だった。指導司祭だったカナダ人司祭はわたしの印象では物事を合理的に考えるタイプ。結果オーライという点ではわたしの性格にぴったりだった。日本人の教義神学教授で院長としてかかわった司祭は、言い方は適当ではないかもしれないが、「テキトー」な司祭だった。また「歩く思想事典」という異名を取り、授業はまるで聖書思想事典のコビペのようだった。
▼この両司祭は確実に亡くなった。特に反面教師のような生活だった一方の司祭は、待たされそうである。すぐに天国で合流とはいかないだろうが、いずれそうなるのだろう。だが本当に、2人とも天国にいるのだろうか。疑っているわけではない。ただまったく性格の違う2人が、至福の状態でいられる天国とはどういう場所なのだろうか、と想像してしまうのである。
▼神とわたしの間で至福を味わうというのは理解できる。ただ、大神学院時代に教授同士で激しくやり合った人たちが、仲良くいられるのだろうかという疑問をぬぐえないのである。彼らの少し前にも、もっと性格のきつい教授が旅立っている。それらのメンバーが一堂に会して、どのような天国になっているのだろうか。
▼「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。」(ヨハネ14・2)住むところがたくさんあれば、揉めなくても済むのかもしれない。
▼実はわたしも司祭として相性の合う司祭も合わない司祭もいる。彼らと天国で同席して、火花を散らしたりしないか心配である。無論、火花を散らすような精神状態ではまだ天国には迎え入れられないだろうが。
15/04/12(No.764)
▼結果的に事無きを得た話。聖週間の説教を前もって受難の主日前に準備して配信する作業をした中で、危うく失敗するところだった。それは、聖なる三日間に対応する「今週の一枚」のリンクと、録音説教のリンクの日付が間違ったまま配信されるところだったのである。
▼まずどのように間違っていたかだが、今年の聖週間のメルマガ配信の土台になる資料は、かなり前から作成してある。「土台になる資料」とは、たとえば「○○○○主日/マルコ○○○○」というような下書きの資料である。およそ2年前に作成されていた。
▼その中で、2015年の聖なる三日間の日付を、4月9日(木)・10日(金)・11日(土)と思い込んでいたのである。実際にはすべて一週間早いわけだが、2年前作成した時には正しい日付だと思っていた。
▼復活の主日(日中)までのすべての配信予約を完了し、あとは実際に配信されるだけという段階になって、聖なる三日間の「今週の一枚」のリンクと、録音説教のリンクの日付が間違っているような気がして確かめてみたら、やはりずれていた。このまま配信していたら、正しくリンクを作成したと思い込んでいるわけだから、きっと間違いに気付かなかっただろう。録音説教も永遠に聞けずじまいになるところだった。
▼この間違いに気付いたのはヒョウタンからコマ、想像もできないような偶然からだった。復活の主日(日中)の「ちょっとひとやすみ」に目を通していたところ、「おや?」と思う部分が見つかり、このまま配信すると重大な間違いになる可能性が考えられた。そこで4月5日の配信予定の「ちょっとひとやすみ」を書き換え、配信し直そうとした時に偶然聖なる三日間の部分の間違いにも気付いたのである。
▼復活の主日(日中)の「ちょっとひとやすみ」を書き変えねばならないと気付いたのは3月27日の金曜日、すでにマリア文庫の会員と熊本の国立ハンセン病療養所の入所者を慰問するために熊本に向かう時だった。この日までに、受難の主日から復活の主日(日中)まですべての配信予約は終えてあるから、復活の主日(日中)の「ちょっとひとやすみ」だけの間違いだと思い込んでいたら、聖なる三日間のミスはそのまま配信されていただろう。直前に関連する間違いにも気付くことができ、ほっと胸をなでおろす。
▼配信スタンドにログインし、再配信が可能かを確認。あるマガジンスタンドは「編集し直して再配信」が可能だったが、あるスタンドは「配信予定としているものをいったん解除し、あらためて正しいものを用意して再配信」というスタイルだった。
▼いずれにしても、受難の主日までに、すべての配信予定が正しいものに差し替えられ、事無きを得た。「間違ってないだろう」「間違ってないはず」は、人間が犯しがちな最大の間違いであると、今回は学習した。
15/04/19(No.765)
▼何をどう考えても、とっかかりが見つからないというのは本当につらい。準備が足りないからだと言われればそれまでだが、火曜日から何となく準備に取り掛かっていたにもかかわらず、それでも土曜日にまとまったものが用意できなかった。メルマガの読者にもお詫びしたい。
▼今年の司祭異動で引退される4人の司祭のうち、1人は小神学生時代にお世話になった大先輩である。わたしが司祭召命の道を外れ、自分の学力に天狗になって別の進路を探ろうとした高校三年生の時に導いてくださった。
▼話せば長くなるが、学校を3日欠席して郷里に帰り、神学校を退学して別の道を歩きたいと親を悲しませた。だが小教区の主任司祭も、神学校の校長も、さらには大神学院の郷里の先輩も、わたしのことを心配し、心から祈ってくれていたので考え直すことができた。
▼今になって思うと、明確な別の進路があったわけではなかったと思う。実際に神学校を退学していたら、もしかしたら後悔していたかもしれない。曲がりなりにもこうして20年以上司祭として歩んでいるのは、当時の校長先生を務めてくれた司祭のおかげである。
▼その大先輩が引退する。一時代の幕が下りるような気がする。教区にとってもご意見番のような存在であったので、これから誰が、教区のご意見番を果たしてくれるのだろうか。はたして教区長は、どのような意見に耳を傾けて今後のかじ取りをしてくださるのだろうか。
▼今年の人事異動を見ると、誰をそばに置こうとしているのかよくわかる。ぜひ、これからのかじ取りに、それらの諸先輩方が体を張って貢献してほしい。耳に優しいことばかりでなく、耳に痛いことも、時には体を張って届けてほしい。
15/04/26(No.766)
▼88歳の女性の葬儀ミサに参列した。中町教会で行われたミサで、中町教会の主任司祭と共に司式をさせていただいた。関わりがあったということで説教もさせていただいた。この女性が洗礼を受けて教会の葬儀で旅立つまでには長い長い前置きの話がある。
▼この方には3人の子供さんがいて、そのうちの1人が純心高校にお世話になる間に学校の先生であったシスターに導かれ、洗礼を受けた。さらに修道女となったが、家族の中ではカトリックの洗礼を受けた人は誰もいないので、十分理解してもらえなかった。
▼それでもシスターとなった子供の生き方が、長い時間をかけて両親に理解され、2007年に父親が、2008年に母親が洗礼を受けた。その両方の洗礼にわたしが関わったので、葬儀ミサにも参列することになったわけである。
▼福音宣教はこれが唯一という方法はないと思う。かつては「これが福音宣教」と受け止められた向きがあって、それを強引に推し進めて宣教師にも宣教地の人々にもさまざまな失敗があった。習慣も文化も異なる人々に単一の習慣・文化を押しつければ、当然ひずみも出てくる。
▼そうではなく、やはりその土地の特性に合った宣教の姿勢が必要である。もっと言うと、一人ひとりに合った宣教の方法が考えられてよいと思う。ある人は信じたいと願っているその時をつかんで導き、根本的なことを確認させて洗礼を受けてからさまざまなことを教えてもよいと思っている。
▼ある人は長い時間をかけて、それも何十年という長い時間の中で、信じるに値するのかをその人が見極めて、それから洗礼に導くこともあってよいと思う。だから福音宣教の中で結果として洗礼に導けるかどうか、目の前の結果に一喜一憂しないで取り組もう。
15/05/03(No.767)
▼4月29日、連休の初日に鯛釣りに行った。「鯛釣り」というからには鯛を釣りに行ったわけだが、ここ何度かの釣行は大スランプに陥っていた。その流れで29日も出かけたから、最初から当てにはしていなかった。
▼自分が実績を積んてきたエリアが3つあって、Aはおもに鯛の実績のあるエリア、Bはキジハタの実績のあるエリア、Cは五目釣りみたいなエリアである。何度か連続で落胆して帰ってきているにもかかわらず、29日はエリアAに直行した。
▼朝6時くらいが満潮。現場到着が朝9時。当てもなく釣り始めた。1時間くらいしてからだったと思うが、前あたりがあったので「おや?」と思った次の瞬間、久しく経験のなかった重さがロッドに伝わった。
▼「これは!」大物だということはわかったが、まだ鯛かどうかの確信はなかった。ドラグを緩めにセットしていたので、激しく糸が出る。糸が止まったので巻き取ろうとすると、違和感を感じた獲物がさらに逃げようと暴れる。不本意ではあるが、リールのドラグを少し強めに締める。
▼ようやく巻き取れるようになったが、2m巻くと5m逃げる。仕方なくあと少しリールのドラグを締め、巻き取るスピードを速める。この頃には自分がかけた魚が鯛であると確信していた。あとは慎重に間合いを詰め、素早くタモ網で取り込むだけだ。
▼キター!バネ秤を持ってなかったが、おそらく3kgを超える鯛だろう。およそ1年振りの大物だ。もちろん上には上がいるわけだが、自分にとっては記録して記憶に残せるクラスの獲物だ。明らかにタモ網の直径よりも大きい。久しぶりに手が震えた。
▼ただ大きすぎるのも問題で、クーラーボックスに入らない。釣り針を外し、早くいけすに入れてあげたい。慌てている時に限ってそうだが、なかなか釣り針が外れない。そうこうしているうちにあり得ないことが起こった。釣り上げた鯛が暴れてジャンプし、海に落ちたのである。
▼「まずい!」逃げられてはギャラリーに威張ることができなくなる。「取り逃がした」と言っても信じてはくれない。幸い、すぐに海中には潜らず、プカプカ浮いていたので、もう一度タモ網で取り込み、何とか針を外していけすに入れた。
15/05/10(No.768)
▼5月6日に2人連れで浜串教会司祭館に客が訪ねてきた。2人とも、5月2日から3日間かけて国宝大浦天主堂から今村教会に巡礼を敢行したメンバーである。無事に巡礼を終えたということで、わたしを訪ねに来てくれた。
▼なぜわたしを訪ねに来たかと言うと、わたしはこの巡礼メンバーに途中の地図を印刷し、巡礼中もメールで道案内をしてサポートしていたからである。地図は大いに役立ったらしい。それを聞いたときは嬉しかったが、詳しく聞くと珍道中だったことが分かった。
▼わたしが手渡した地図は、A4印刷の20枚ほどの地図で、おおよそ1時間で歩く範囲を1枚に収めるように印刷していた。詳しく説明が必要な場面はそれよりも縮尺を大きくして、仮に道を間違っても別の道から本来のルートに復帰できるように考えられていた。
▼ところが2日目、それでも大きく道をそれてしまい、その日の巡礼は困難を極めたらしい。2日目の大まかな流れは、諫早を出発して海沿いの道を歩き、平良町の多良駅まで歩き、多良駅から17時15分発のJRで佐賀駅に移動するというものだった。
▼どこで道を間違えたのか不思議に思っていたら、想定外の場所で道を間違えたらしい。わたしは「諫早市街を出て海沿いの道を道なりに歩く」と地図に書き込み、それを頼りに歩くことができると思っていたが、巡礼者たちは、「諫早市街を出る」時点で道を間違えたのだそうである。
▼それは想定していなかった。諫早駅付近に国道207号線が交わる十字路があって、207号線に沿って歩けば海沿いの道に出ることができる。だがこの交差点で道を間違えると、長崎市に逆戻りするか、大村市に北上してしまう。
▼ここで巡礼者たちは大村市に北上する道に侵入し、30分ほど歩いたところで地図上の道路から逸れていると気付き、近くを通る人に道を聞くと、この道は207号線ではないと言われた。そこで慌てて引き返し、本来の道に戻ったそうである。本線に戻るまで1時間のロスをしてしまった。
▼1時間のロスは、この日の行程では致命的なロスになる。なぜなら、最後に17時15分のJRに乗車する必要があったからだ。1時間以上待てば次の電車がいないわけではないが、この日は合羽を着ても雨が体に入り込む強い雨降りの日で、濡れたまま1時間も待てば体調を崩す危険もあった。
▼何とか本来の道に復帰したが、時間を取り戻すべく無理をしたらしく、それで足を酷使し、歩くのが難しくなったと言う。わたしは途中途中ショートメールで様子を確認していたが、いよいよ歩くのが難しくなったというメールを見たとき、「多良駅の隣の肥前大浦に17時に着けば、佐賀行きの電車に何とか間に合います」そう伝えたが、彼らは辛抱して歩き、ギリギリ17時5分に多良駅に到着したそうである。
▼「2日目の出発地点で間違えたとは恥ずかしくてとても言えないよねと、2人で司祭館に来る前は話していたんです。」だが話してくれたおかげで、巡礼報告は愉快なお土産話になった。
15/05/17(No.769)
▼「曲がりくねったまっすぐな道。」そんな道あるはずがないと思うかもしれない。けれどもよく考えてみると、人生は自分で決めた道をまっすぐに歩いているつもりでいて、なんと曲がりくねっていることだろう。これこそ自分に与えられた天職だと悟ってまっすぐに突き進む仕事であっても、その仕事によってたどる道のりはなんと曲がりくねっていることだろう。
▼わたしは司祭職を、これこそ自分に与えられた職務だと受け止めているが、現実の司祭職の道のりはなんと曲がりくねっていることだろう。司祭職に限らず、奉献生活にある方々も、いっさいを奉献して生活してあとは平穏無事かと言うと、その道はどれほど曲がりくねっている。「曲がりくねったまっすぐな道」ことば遊びのように聞こえるが、真実を言い当てていると思った。
▼イエス・キリストのご生涯は、御父への従順を貫く生涯だったが、その道のりもまた曲がりくねった道だった。人類の救いのために生まれた場所は宿屋ではなく家畜小屋。羊飼いと東の国の博士たちに礼拝を受けたが地上の王に命を狙われ、エジプトに避難。神の国を人々に知らせたのに、イエスをねたむ人々にことごとく反対され、十字架にはりつけに。イエスご自身はまっすぐに御父の望みを果たして生涯を全うしたが、その道のりは紆余曲折に満ちていた。
▼もう一つのセリフ「上へ上へと下って行った」これも奇妙な歌詞。けれども、何かを言い当てている気がする。イエスが天に挙げられるのはへりくだって、死に至るまで従順だったからでもある。その様子をパウロは、フィリピの信徒への手紙の中で次のように表現した。
▼「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリピ2・6-9)
▼神はキリストを上へ上へと高く上げたが、高く上げられたキリストは下へ下へと下っていくご生涯だった。「上へ上へと下って行った」まさにこの道をたどられたのではないか。素朴な信仰の中で育った工務店のお父さんが歌った「曲がりくねったまっすぐな道」の歌は、不思議な形でイエスのご生涯を、わたしたち人間の人生を言い当てているように思った。
15/05/24(No.770)
▼聖母月、公言していたロザリオに集まる人々へのお魚のプレゼントがなかなか一筋縄ではいかない。台風が邪魔をしてくるし、釣りに行くチャンスが巡って来た日に小潮で魚の活性が上がらなかったり、最終週は司祭の黙想会で大司教館に缶詰めである。
▼こういう場合、すぐに白旗を上げるのが手っ取り早い。「白旗」と言えば、母の日に、母親にお魚を釣ってお刺身を食べさせてはあげたのだが、その様子をうかがわせる写真を撮影するのをすっかり忘れてしまった。そのせいで関連する写真をメルマガ第768号に一枚も用意できなかった。すぐに白旗を上げて謝っておきたい。大変申し訳ない。
▼今回の「ロザリオ参加者全員にささやかなお魚のプレゼント計画」も、ほぼ絶望的である。黙想会から帰ってきて31日に釣り大会があるが、この日だけで鯛を40匹釣り上げられるはずがない。
▼まぁ、話としてはわたしにとっても魚を楽しみにしている信徒にとっても盛り上がっただろうから、それで勘弁してほしい。聖母月に限らずチャンスがあれば小教区の信徒に喜んでもらえるようにしようと思う。月曜日の休みなどは特にそうだ。休暇の月曜日に釣りをすれば、自分のリフレッシュとお魚を喜んでくれる信徒と、両方にメリットがある。
▼そう言えば小学生時代の同級生が前日に電話で確認をしてから訪ねてきた。「こちらに赴任して釣りをしているそうだが、ぜひ自分も連れて行ってくれ」ということだった。ということで同級生を連れて3時間ボート釣りを案内した。1時間は船頭であるわたしの腕が悪く、釣れる場所に案内できなかった。
▼不本意ながら、小物が簡単に釣れる沿岸に連れて行き、カサゴ釣りを1時間した。案の定カサゴがポンポン釣れたが、わたしとしては鯛を釣らせてあげたかったので、消化不良のまま帰らせるとわたしが納得できない。
▼そこで残り1時間は、釣れるか釣れないか分からないけれども、自分がここと思う場所で、自分が用意した釣り道具で、釣りを付き合ってくれと頼んで残り1時間鯛ラバでの釣りを決行した。
▼30分は何の反応もなかった。わたしもかなり焦っていたが、直後にイトヨリの当たりが自分に来た。鯛は釣れなかったが、こんな釣り方で釣れるんだよという「しるし」にはなったかなと言って、わたしの心の中では釣りは終了していた。
▼その10分後だった。同級生のリールが音を立てた。「ジーーーー」と道糸が出ていく。このチャンスを逃したら最後だ。自分の仕掛けは回収してボートに置き、同級生のやり取りのサポートに徹する。少しドラグを緩めに設定していたのでなかなかリールが巻けない。もう少しドラグを締め、後は同級生の竿さばきの能力を信じて見守ることにした。
▼ユラユラと上がって来たのは2kg弱のマダイだった。同級生が喜んだのはもちろんだが、わたしは責任を果たせてホッとしたし、同時にあらためてここは秘密の場所にしておかなければと思った。こうして鯛ラバ釣りの面白さをまた一人味わって帰った。
15/05/31(No.771)
▼"Contemplatio Amorem"と言っていた気がする。ラテン語でありながら、正確にはどのように言われたか自信がない。いずれにしても、「神の愛を観想すること」と理解できる。神の愛がどれほどであったかを観想すれば、わたしたちの取るべき態度はおのずと明らかになるということだ。
▼司祭、修道者、信徒はそれぞれの生活の場があり、それぞれ違っている。だが、神の愛を観想し、神の愛にどのように答えていけばよいかを考えれば、それぞれの場で求められている生活が必ず見つかるはずだ。
▼神は、人間に憐れみをかけ、一滴の涙を流せばそれで人類のすべての罪を赦すことができたはずである。その神が御子を世に与えてくださった。これほどの愛に、司祭、修道者、信徒は、それぞれの場所で愛を返すように求められている。
▼司祭であるわたしは、福音と向き合い、福音が語るように促している声を言葉にし、それを語り続ける。できるだけ分かりやすく、語りかける声を忠実に届けようと思っている。
▼6月28日には、たまたま修道者に向かって講話をするチャンスがある。そこで修道者はどのように神の愛に答えていくかの参考になるような例をあげてみたいと思う。信徒には、来年の黙想会で話すことにしよう。
▼黙想会の説教師が紹介してくれたDVDを手に入れた。フランスのルルドで聖母マリアの出現に立ち会った聖ベルナデッタを扱った映画である。子供たちにぜひ見せてあげようと思い購入したが、150分以上の大作である。5回に分けよう。
15/06/07(No.772)
▼おそらく上五島でいちばんゆうちょATMの前で長く居座って機械を占有しているのはわたしだと思う。わたしは3ヶ月に1回くらいしか郵便局窓口に姿を現さず、ほとんどはATMで入金処理をしている。
▼どんな入金の用件か、読者は容易に想像がつくと思う。教会では日曜日ごとにミサ献金が集められ、主任司祭はそれを台帳に記録し、年度ごとの予算決算で本部事務局に報告する。具体的な金額は割愛するが、日曜日に信徒が仮に200人集まり、1人50円ずつ献金すれば、金額も硬貨の枚数もそれなりの数になる。
▼これを毎週ゆうちょ銀行に持ち込むと、通帳にも記録が残って重宝するが、持ち込む側に立って考えると毎週は煩わしい。そこで1ヶ月分まとめて入金に赴くことになる。当然先ほどの約4倍の硬貨の数になる。しかも教会は3教会あるわけで、それぞれの通帳ごとにATMに張り付いて何十枚何百枚もの硬貨を入金することになる。
▼仮に100円硬貨で4万円の賽銭を持ち込むとしよう。ATMは一度に100枚までしか硬貨を受け付けない。複数回に分けて入金するため、硬貨をあらかじめ100枚以内に小分けし、通帳を機械に差し込むとすぐに片方の手のひらに硬貨を100枚乗せる。
▼硬貨の投入口は店舗によってはガマ口のように大きく開くこともあるが、上五島ではすべてのATMが貯金箱の口のように細いスリットから硬貨を投入する形になっている。ここに、片方の手のひらに山盛り積み上げた100枚の硬貨をもう片方の手で手際よく滑り込ませる。
▼ご存知かどうか分からないが、ATMの現金投入には制限時間がある。いまだに制限時間を把握していないが、制限時間内に紙幣・硬貨を投入しなければ勝手に機械が投入口を閉ざし、その時点で投入されている金額で計算をし始める。だから制限時間内に手早く、確実に投入するには熟練した技が必要なのである。
▼日常生活でスリルを味わいたい方、硬貨を100枚用意して、ぜひATMに立ち寄って入金作業を体験されるとよいと思う。制限時間内に投入しなければという焦りで、スリル満点間違いない(硬貨100枚の最小金額は100円であるが、100円で入金作業を受け付けるかどうか、まだ試したことはない)。
▼今は制限時間内に安全確実に投入できるようになったが、かつては制限時間で投入口が閉められ、腹立たしい思いをしたことが何度もあった。機械に当たっても仕方のないことであるが、人間と機械の真剣勝負が、毎月岩瀬浦郵便局や奈良尾郵便局、あるいは青方郵便局で繰り広げられているのである。
15/06/14(No.773)
▼何ヶ月ぶりかに(「何ヶ月かぶりに」と、どちらだろうかと悩んだ結果、「何ヶ月ぶりかに」を選択した)診療所に行って薬をもらいに行った。診察手帳に「血液検査」と前もって書かれていたので、今回はそのつもりで行ったのだが、1つ誤算があった。
▼「血液検査」は織り込み済みだったが、血液採取の時に脇に「紙コップ」が置いてあった。「あれ?」と思ったが、尿も採取してきてほしいということだった。わたしはほぼ毎日、朝8時にトイレで大小を済ませる生活をしている。困ったと思った。
▼尿採取のためにトイレに行ってみると、意外なことにすんなり尿が出た。8時にトイレに行って病院に来たのに9時過ぎにちゃんと尿を採取できた。次から、薬をもらう以外に何かが予定されている時には「尿検査」もあるに違いないと心の準備をしておこう。
▼血液と尿の検査結果がそろったところで、担当医の診察。数値を見て「すべて正常値の範囲内に収まっています」と説明してくれた。このあとわたしが言われたのは「このまま、今の生活を維持してください」という言葉だった。
▼内心わたしはニヤッとしたのだが、「今の生活」とはどういう生活だろうかと思い返した。4月から食事の賄いをしてくれるシスターの派遣がなくなり、なんとなく自炊をしている。そして6月にしてはやけに日焼けしている。これが「今の生活」である。
▼自炊。「なんとなく」であって、三大栄養素がどうのこうのとか、そんな気のきいたレベルではない。ただ食べているだけである。しかも1ヶ月もしないうちに自炊に疲れ、同級生の司祭のところに晩ご飯を転がり込んだり、差し入れが来ればそれだけ食べて栄養のバランスを考えなかったりの生活である。
▼もう1つ、釣りに去年よりも行くようになった。月曜日によく集まっていた司祭たちのテニスも去年から今年は全く実施されておらず、月曜日はもっぱら釣り三昧である。おかげで釣りの腕前はかなり上げたと思う。釣った魚は、晩ご飯をごちそうになりに行く同級生の司祭に持って行ったり、近くに配ったり。この前病人見舞いに行っている家に差し入れた。すると栄養ドリンクが1ケース返って来て、かえって世話を焼かせてしまった。
▼鯛ラバでの鯛釣りは、リラックスと集中力を同時に試される。これまでの経験で、釣ってやろうと焦っていると魚は殺気を感じ、警戒して逃げ去ってしまうように思う。あくまでもリラックスして、魚に気配を悟られないようにする。魚が喰いつけば、今度は魚の動きに合わせてやり取りし、取り逃がさない集中力が必要になる。
▼3kgの鯛や2kgのキジハタ(ノミノクチ)が釣られまいと逃げる。魚が逃げるとき慌てると、0.8号の道糸に3号のショックリーダーというラインシステムは簡単に切られてしまう。リラックスと集中。それが釣りにも人生にも必要なのである。
15/06/21(No.774)
▼6月28日にお告げのマリア上五島地区の「四季の静修」という集まりがあって、今回はわたしが講話の担当となっていて、会場も浜串教会で行われる。講話を1時間くらいする予定だが、かなり早くから依頼されていたにもかかわらず、なかなか完成しないでいる。
▼言い訳がましいが、予定調和というか、いよいよにならないとすべての材料は揃わないもので、あーこれですべてが揃ったと感じないと、講話も完成しないことになっているようだ。自分のことなのに「ようだ」とは何事かと思われるかもしれないが、しばしばギリギリまで完成しないのである。
▼中心となるキーワードはかなり前から浮かんでいた。それは「わたしたちを見なさい」という言葉で、神殿で物乞いをしている人にペトロが語りかけた言葉である。それに続くペトロの言葉は次の通り。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
▼ペトロの証しを、修道者の皆さんも生きる必要があります、というのが大きなテーマだが、このテーマを肉付けするこまごまとした材料集めが、かなり日数を要したわけだ。最近でも18日、特別養護老人ホームにカトリック信徒のお見舞いに出掛けて思うところがあり、これも材料の一つとなる予定である。
▼ギリギリまで材料が浮かんでは消え、浮かんでは消えして、そのうちに本当に必要なものだけが消えずに残っていく。そこまで待って、原稿にしたためるわけだ。こういう準備の仕方を可能にしているのは現代のさまざまなIT機器だと思う。
▼わたしの尊敬する大学教授は、葉書大のカード4枚で、1回の講義を進めていた。カード4枚しか、講義に持ち込んでこなかった。敬服するが、真似は出来ない。カードと筆記用具では、おそらくわたしのような人間は準備はできなかっただろう。現代文明に感謝である。
15/06/28(No.775)
▼お告げのマリア修道会上五島地区の静修のために講話を依頼されていたが、先週の初めにようやく形になり、2回声に出して読み、録音も試してみた。録音した時点では60分を切るくらいだったが、実際に50人くらいのシスターを目の前にして話す時に、どれくらいの時間になるだろうか。
▼わたしは原則、原稿を用意して原稿に沿って話をする。メモがないと話の順番すら正しく思い出せない頭しか持ち合わせていない。ところがわたしが聖スルピス大神学院に在籍していた時、葉書大のカード4枚だけで授業をこなしていた哲学の教授がいた。
▼同じことをしなさいと言われたなら、わたしは90分の講話を埋めるためにパソコンを使ってA4レポート用紙20枚びっしり原稿を用意しないといけないだろう。それを、かの教授は4枚のカードのみでこなしていた。中学時代から原稿を用意しなければ発表も何もできなかったわたしとは雲泥の差である。
▼わたしの印象では、原稿を用意する人と用意しない人の差は、頭の中に原稿があるか、そうでないかの違いだと思う。わたしの頭の中はいつも空っぽであり、もし原稿がなければお手上げである。
▼一度出張先に原稿を持ち込むのを忘れ、青ざめたことがあった。明らかにしたくはなかったが、その時は司祭館のパソコンをパスワードを開いて立ち上げてもらい、ネットで原稿を送信してもらった。本当に、手元に原稿がなければ、頭の中は空っぽなのである。
▼そのような非力な頭脳ゆえ、パソコンの資料を失うとわたしはお先真っ暗の人間だ。頭の中にすべてがある人がうらやましくなる。きっとそういう人は、「慌てる」という経験がないに違いない。パソコン依存症のわたしだから、パソコンが使えない場所に派遣されたら、きっと今のわたしではなくなると思う。
15/07/05(No.776)
▼病人訪問のときに使用する儀式書、もう23年も使い続けているが、ビニール製の表紙に押して貼られた銀製の文字も、完全にすり減って分からなくなっている。時の流れ、時間だけがなしうる業だと思う。
▼さてこの儀式書、手にしっくりなじむのはよいのだが、ハンドバックに持ち歩いていざ取り出すと、上下逆さまに儀式書を開くことがしばしばある。最近はこういった小さなことがストレスを感じさせる。
▼ときどき、「逆さまに開くことが多いということは、一旦逆さまにして開けば、正しく開くことが多くなるのではないだろうか。」そう思って儀式書を開く前に逆さまにして開いてみる。また、上下逆さまになっている。
▼聖体拝領の儀式を病人の前で執り行いながら、儀式を行っている司祭は儀式書が上下逆さまになったことに苛立ち、腹を立てながら聖体拝領の儀式をすることになる。何ともお恥ずかしい話である。
▼50歳を前にして小さなことにストレスを感じたりイライラを募らせることが多くなった。司祭館を出る際玄関の鍵を閉めるが、頭の中は次の動作「車に乗る」ということで占領されていて、鍵束の中から車の鍵を選んで玄関の鍵穴に挿そうとする。
▼「違う違う」と思い、そこでイラッと来て車に向かい、いざ車の前に立つと今度は玄関の鍵を握っている。車の鍵穴にはさすがに玄関の鍵は入らないが、連続して間違えたことにまたイライラする。いずれにしても、以前よりも行動が矛盾していることが多くなり、イライラは募るばかりである。
▼昨日も、シャワーを浴びていて試供品のシャンプーを忘れないうちに使おうと思い、小さな袋を破って手に取り、使用したら予想以上に粘りがありまったく泡立たない。変だなと思ってよくよく見ると、まったく同じ大きさ・デザインのコンディショナーの試供品だった。コンディショナーを使った後に、あらためてシャンプーを使うこの苛立ち。どのように表現すればよいだろうか。
▼この日は追い打ちをかけるように、洗濯に回す前に体を拭いてからと思って広げて準備しておいたタオルを無視して、洗濯したてのタオルを体拭きに使い、途中準備しておいたタオルに気付いてまた腹を立てた。こうした「小さな苛立ち」で、胃ガンにでもなったら最悪の人生である。
▼そう言えば、最近聖堂内で聖体を安置する聖櫃の鍵が故障した。ここ1ヶ月ほど、スムーズに開けたり閉めたりできなくなっていたが、とうとう閉めれば開かなくなり、開ければ閉まらなくなるという状態になった(この聖櫃に限っては、「開かない、閉まらない」とイライラして無理にこじ開けたりはしていない。これだけは弁明しておく)。某修道会で販売している聖櫃、何十万円するのかなぁ(泣)
15/07/12(No.777)
▼スキージャンプのテレマーク。わたしはこれは男性が考えた悪しきルールだと勝手に思っている。というのは、スキーのジャンプ選手が着地するときに要求されているテレマークに、着地を安全にするためとか、そういう合理性は感じられないからだ。
▼さてなぜ着地の時のテレマークが悪しきルールだと切り捨てているかというと、安全のためにとっているポーズではないとすれば、これはもう難しい着地をあえてしているとしか考えられない。なぜ難しいことを選ぶのか。それには理由がある。
▼男性はしばしば、より難しい方法を好み、それを恰好良いと考えがちである。わたしはそれを釣りの時に感じた。この一年ずっと鯛ラバで釣りをしてきた。初めは簡単に鯛が釣れるからという理由だった。だが簡単に釣れ始めると、それに飽き足らなくなる。
▼鯛ラバを操作する道具の定番は、「ベイトリールと対応するロッド」である。たしかにこれが鯛ラバには最も適していると思う。だが男性という生き物は愚かというか変わっている生き物で、最も適しているものが何かを理解していてもあえて違うことをしようとするのである。
▼わたしはあるときから「ベイトリールと対応するロッド」というタックルでの釣りをしなくなった。代わりに「スピニングリールと対応するロッド」で鯛ラバを操作し、釣っている。まれに「ベイトリールと対応するロッド」も持ち込み、それで鯛を釣ることもあるが、簡単に釣れてしまい、面白くなくなったのである。
▼しかし今は、少し難易度が上がる「スピニングリールと対応するロッド」の組み合わせにも飽き足らなくなってきた。こんなことを言うと「調子に乗りすぎ」と言われそうだが、「スピニングリールと対応するロッド」のタックルでも簡単に釣れるようになってきたのである。
▼「簡単に釣れればそれで良いではないか」と言われるかもしれない。そこは、男性と女性とでは違いがあると思う。男性は、簡単な方法に次第に飽きて、より難しい方法で達成できないかを探すのである。そしてわたしは、より難易度の高い鯛の釣り方にたどり着き、今その方法で達成感・満足感を追い求めている。
15/07/19(No.778)
▼先週のメルマガをあらためて確認すると第777号に届いていた。自分で言うのもなんだがおめでたい。全く意識していなかったわけではないが、当日には忘れていたらしい。通過点とはそういうものなのだろう。
▼だれかに指摘されて、花束でも受け取れば、あーここまで来たかと感慨深く思うかもしれない。だが記録は過ぎ去るので、すぐに次の目標に向かって切り替える。1000号がわたしの当面の目標だ。
▼冬山では雪崩が起きる。ところがわたしの身近では夏でも雪崩が起きる。雪崩が発生する世界で一番低い山。それはわたしの机の上だ。先日も1枚のプリントを探しているうちに雪崩が発生した。山のように積み上げた資料が、滑って床に散乱したのである。
▼部屋はプリントやら冊子やらで足の踏み場もなくなってしまった。いつだったかソファーがきれいになって「ドヤ顔」をしたことがあったが、それ以降まったく「断舎利」は進んでいなかったのか。
▼申し訳ない話だが、それ以降一切進んでいない。ソファー自体は今すぐにでも寝そべることができるくらいきれいに片付いている。ただそれ以外は、ソファーの片づけで満足してしまったのか、何も進んでいなかったのである。
▼机に積み上げていた紙類を、雪崩が発生して仕方なく片付けた。3分の1は不要な紙だった。3分の1はすでに事務処理済みの書類だった。3分の1は、言い訳がましいが、できるだけ近くに置いておきたい書類・冊子だった。だが今回は最後の3分の1も机に置くのをやめた。そうしないとまた元の木阿弥になりそうだからである。
▼今は机が見えている(これも変な言い方だが)。少なくとも今年いっぱい、机が見える机で仕事をしようと思う。パソコンキーボードしか置かれていない机は、こんなに広かったのか。これでようやく普通の人と同じスタートラインに立った。
15/07/26(No.779)
▼先週上五島地区でたくさんの奉仕をしてくださっている修道会が中心になって「子どもの集い」を開き、小学生の女子と一泊する中で召命について学ぶ場を作ってくれた。そのことに関連してだが、司祭・修道者召命は深刻な問題を抱えていると思った。
▼今回の「子どもの集い」には同じ修道会の志願者も集いを盛り上げるために参加してくれていた。人数は10人もいなかったと思う。修道会が長崎教区全体で抱えている施設を考えると、もっと先輩の志願者が中高生志願者の2倍の20人いるとしても、合計で30人、これは心配だと思った。
▼今話したのは一つの女子修道会の話だったが、司祭召命はそれ以上にピンチである。もちろん年に一人ずつは長崎教区にも司祭が誕生しているが、裾野である神学生は極端に少ない。上五島に中学高校の神学生は何人いるかと言うと、教区の神学生はゼロである。かろうじて、修道会の神学生が一人いるだけ。
▼上五島の肩を持つわけではないが、かつては上五島は召命の宝庫だった。ほかにもそういう表現が当てはまる地域があるかもしれないが、上五島は神学生に対して良くも悪くも厳しい接し方をして厳しく育てられたので、かなりの確率で各教会から司祭が誕生している。巡回教会からも誕生している。
▼だが今はどうだ。神学生は一人で、その神学生が通っている修道会の神学院には中学生が二人、高校生はいないそうだ。長崎教区のカトリック神学院の中高生も激減している。原因はさまざまあるだろうが、司祭が子供たちを振り返らせるだけの魅力がないというのが、最大の原因ではないだろうか。
▼ただし上五島に、これまで神学生を送り出し、司祭叙階まで導いた経験のある一人の司祭が赴任していて、学ぶところが多い。その司祭が赴任した教会は、3年で生まれ変わっている。荒れていた中学生が教会を大事に思うような子供に変わり、小学生も引きつけられて神学院に入学する。
▼わたしの見たところ、圧倒的に司祭にしかできない仕事で秀でているのが魅力なのだと思う。ミサをささげる。司祭ならだれでもささげている。だが圧倒的な力でミサをささげているかと言われればそうではないだろう。
▼ロザリオの信心、その他の祈りの場に司祭が一緒に祈る。似たような祈りの場でどの司祭でも一緒に祈るが、圧倒的な存在感があるかと言われればそうではない。司祭としての圧倒的な存在が感じられず、上五島全体の司祭召命が枯渇しているのではないだろうか。
▼今からでも遅くはない。侍者にすら居眠りされている司祭ではいけない。圧倒的な存在感、迫力で、ミサをささげている時間があっという間に終わってしまった。そういうミサをささげよう。少なくともその覚悟でささげるなら、状況は変わるに違いない。
15/08/02(No.780)
▼久しぶりにY・Kさんが大阪から五島の親戚を訪ねてきた。Y・Kさんは母親がわたしの母と姉妹になる。まずはわたしの母親を訪ねに来たわけだが、わたしもたまたま上五島に赴任しているということで浜串教会まで訪ねに来てくれた。
▼ところが、母親とわたしの弟には会うことができたようだが、わたしはあいにく留守していて、ここまで訪ねて来たということにあとで気付くこととなった。梅雨が明け、久しぶりにバイクでも動かそうかと様子を見たら、バイクのシートにメモがはさんであった。
▼「御元気ですか?多忙の様ですね。今後の御健闘を祈ります。」確かに訪ねてきたことは分かるが、これだけでは返事のしようがない。急いで実家に問い合わせ、住所を聞き出したかったが、実家に訪ねたときにも住所などのメモは残さなかったらしい。
▼このY・Kさんには小さいころから憧れがあった。苦労して学業を終え、初めは英語に力を注ぎ、英検一級を取得。しかし日本には英検一級の有資格者は五万といて、それでは一芸に秀でた仕事ができないと判断。当時新興勢力だったロシアに注目し、ロシア語をマスター。
▼ロシアで仕事を手掛ける大手建設会社は通訳の確保に苦労していたので、Y・Kさんは引っ張りだことなり、億単位の事業契約が成立するたびに成功報酬を得ることとなった。身内の中では飛びぬけて成功をおさめた一人と言える。
▼こんなことがあった。まだわたしが司祭になりたての頃、休暇で実家に帰省していたらY・Kさんから電話がかかって来た。わたしが電話に出ていると分かると、すぐに会話を英語に切り替えてきた。"How are you?"
▼わたしも応戦する。"Fine. Thank you."しかし、次の質問に一言も答えられず、悔しい思いをした。"What is your occupation?"occupationさえ分かれば、"What is your name?"と何ら変わらない質問だったのだが、答えられなかったのである。occupationは「職業」とか「身分」を問うているわけだから、"I'm a priest of Nagasaki diocese."と答えればよかったのである。
▼これくらいのことも分からないのかといった雰囲気が電話の向こうから伝わった。悔しくて歯ぎしりした。学生時代真剣に勉強したはずなのにちょっとしたことに躓き、答えられない。それ以来、英語で尋ねられたら英語で返事できるくらいには英語力を身につけておくべきだと痛感した。
15/08/09(No.781)
▼8月6日は広島原爆の日、続く9日は長崎原爆の日。教区広報の関係で長崎原爆の日には長崎に滞在することが多かったが、今年は日曜日と重なり、長崎行きを断念した。地上でこれ以上ない苦しみを味わったに違いない多くの犠牲者のために、この日は一日祈りをささげた。
▼20年近く愛用した釣り用クーラーボックスが壊れてしまい、買い替えることとなった。辛抱して使ったのだなぁと感心するかもしれないが、話のオチを聞けば感心できないかもしれない。ボート釣りでベンチ代りにクーラーボックスに座っているうちに、蓋が割れ、ベンチとして使用できなくなったのである。
▼最近ときおり見るCMに、カップラーメンに載せられたティッシュボックスが嘆くというのがある。「わたしは本来こんな使い方をされるために生まれてないの。あースキルを生かして働きたい!」というものだ。まさにそういう状況である。
▼クーラーボックスをベンチ代りにするそれなりの事情もある。小さなボートにはパイプ椅子くらいの高さに作られた部分がない。すべてが船べりよりも低く設計されていて、座って釣りをするのには少々窮屈なのである。
▼そこで大きめのクーラーボックスを椅子の代わりにすると具合がよく、大漁した釣果を持ち帰るためと、釣りの時のベンチ代りとに長年貢献してきたのである。最大の原因は何か。クーラーボックスの経年劣化という部分もあるだろうが、自分自身の体重増加が致命的だったと言わざるを得ない。司祭になった時の体重は68kgだったが、いまや79kgあるのだから。そりゃあクーラーも重いわな。
▼新調したクーラーボックスもすでに使い始めているがここで問題発生。これまで通りベンチとして使用してみたところ「バキッ!」という悲鳴にも似た音が聞こえた。持ち帰って慎重に検査したが今回は割れてはいないようだった。
▼購入早々クーラーボックスを破壊しかけてしまい、これでは先が思いやられるということで、ホームセンターでプラスチックの椅子を購入することを考えている。いや椅子でなくても、厚手のまな板のようなもので間に合うかもしれない。どちらか考えて、新調したクーラーボックスをまた20年使えるようにしよう。
15/08/15(No.782)
▼10日ほど前に病者の塗油を授けた福見の老婦人が火曜日に亡くなり、水曜日通夜、木曜日葬儀ミサを済ませた。ここ数年特養の「福見の園」に入所していた方だった。もともとの出身は高井旅の人で、旧姓は高井旅に多い姓だった。
▼葬儀ミサに参列する中に、小学生のいる福見の家族が出席していた。「これは幸い。侍者をお願いしよう」と思い立ち、会衆席に座っているその小学生にミサの30分くらい前に声をかけに行った。
▼小学生は自分に声がかかるのを予感していたのか、手を振って自分はここにいると合図をしている。「今日の葬式のミサで、侍者をしてくれる?バイト代を・・・」わたしは葬式と結婚式の侍者をしてくれた時はバイト代を出すことにしている。それで侍者のお願いと合わせてバイト代を払うと言おうとしたのだが、その声は意外なことでさえぎられた。
▼「神父さま、バイト代もらえるんですよね。」わたしが言いかけたことを、小学生に先に言われてしまった。「う、うん。もちろんだよ。バイト代は500円ね。」先に言われて動揺したが、いずれにしても払うのだから、どちらが先に確認しても問題はない。「10分前になったら侍者服に着替えなさい。」そう伝えてわたしも香部屋に向かった。
▼侍者の小学生には確実にバイト代をあげたい。そこで念のため財布を確認した。財布を開いて驚いた。ぱっと見たところ500円硬貨がない。念のため硬貨を全部取り出して数えたが、454円しかないではないか。
▼これは困った。お札もこの日に限って5千円札しか入っていない。だれかに100円借りれば500円になりはするが、それも恥ずかしい。常設している献金箱を開けばお金があるかもしれないが、葬儀ミサの前にふさわしくない。ミサの開始が迫っている。どうすればよいか。そこで妙案を思い付いた。次回に続く。
15/08/16(No.783)
▼葬儀ミサの侍者に雇った小学生に払うバイト代500円が454円しか手元にない話の続き。これを葬儀ミサの説教に使えないかと考えた。笑い話のようだが、本気で使えないか考え始めた。ミサが始まるまであと10分。前もって用意した材料ではないので一発勝負。それでもこのネタが使えるチャンスはもう二度と廻って来ない。賭けてみようと思った。
▼説教の中心部分は、「わたしたちは自分にも他人にも、完全なものを与えることができない。だが神は違う。神が、『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう』(マタイ11・28)と約束されたのなら、完全な休みを、憩いを与えてくださる」という内容だ。
▼説教の掴みとして、「葬儀ミサの参列者の中に地元の小学生が見えたので、侍者に来なさい、バイト代500円上げるからと約束したのですが、わたしの財布には454円しかありませんでした。それでその454円を封筒に包んで渡しました。今日は約束より少ない額で侍者を務めております」と前置きした。
▼「人は約束しても、約束通りのものを与えられないことがしばしばあるものです。わたしがそうでした。また参列者の皆さんも、旅立って行く故人に『これだけのことをしてあげたい』と思い描いていたこともあるでしょう。ですがその結果は、完全には果たせなかったのではないでしょうか。」
▼「人間は約束を完全に果たせませんが、神は完全に約束を果たします。そしてその神を、故人は信じて生き、旅立ったのです。わたしたちも、この世を旅立つ故人に倣って、信じてきた神が、いま約束を完全に果たしてくださるとの信頼を寄せましょう。」だいたいこのような内容の説教をした。
▼説教と葬儀ミサは故人や遺族にとって体を持っている時の最後の祈りの場となる。その葬儀ミサの説教なのだから、何か遺族の心に響く話をしてあげたいし、参列者にも思い出すきっかけとなる説教をしたいと思っている。そういう中での今回の説教なのだが、ご批判があれば甘んじて受けるつもりである。
15/08/23(No.784)
▼暑さと寒さ。若い時とそうでないときと、年老いてからと三度変化するのだろうか。わたしは寒さが苦手で冬はどこにも行きたくない、こたつに入って何もしたくないという生活だったが、今は寒くても釣りに行くようになった。手はガチガチ震えているのに、なぜここにいるのだろうと自分に問いかけながら釣りができるようになった。
▼暑さはいくらでもがまんできた。だが暑さが耐えられなくなってきた。思考力は鈍り、暑くて動きたくない、外に出たくない。着る者も少なくて済むから夏が好きだったのに、今はすっかり夏が苦手となってしまった。
▼歳をさらに重ねるとどうなるのだろうか。わたしは病人見舞いに行って、夏でも冬でも、戸が少し開いていることを気にするお年寄りを見て考え込んでしまう。少し風が通るだけで気になるようなのだが、それは敏感になっているのだろうか。
▼敏感になっている割には、部屋の電気が消されていても平気なようである。わたしが部屋に入った時、悪いとは思いながら勝手に部屋の電気をつける。そうでもしないと暗くて儀式書が読めないのである。
▼横道にそれたが、暑さと寒さの入れ替わりは長い人生の中での不思議な体験の一つなのだと思う。長い人生、不思議なことの一つくらいないと楽しみがないか。
15/08/30(No.785)
▼メールマガジンを毎週発行する際、「まぐまぐ」「めろんぱん」「メルモ」「メルマ!」の4社を発行スタンドに利用している。ところが今月17日、そのうちの1社「めろんぱん」から「9月30日をもってサービスを終了します」という案内が届いた。
▼「めろんぱん」からわたしのメルマガの配信を受けている人は55人。全体の8分の1くらいだと思う。大変申し訳ないが、該当する方々は残る3社の発行スタンドから配信を受けることができるように、各自で手配をしてほしい。当メルマガの最後にある、他社の申し込み先のリンクを使うのが手っ取り早い。
▼厳密には「めろんぱん」からの配信停止と新しい発行スタンドからの配信の手配が必要だが、面倒な人は「めろんぱん」からの配信停止手続きはしなくてよいと思う。該当する発行スタンドはいずれにしても9月30日でサービスを停止するからである。
▼発行スタンド「めろんぱん」は、メルマガの発行者を募集した2001年から利用していたが、本当に残念なことだ。無料のメルマガで会社が成り立つためには広告収入が必要だと思うが、広告収入が思うように入らなくなったのだろうか。
▼廃止される発行スタンド「めろんぱん」には1つ素晴らしい特徴があった。利用しているメルマガを気に入ってくれた人が推薦文を書いてくれるというものだ。わたしのメルマガにも推薦文が2つ付いていた。せっかくなのでここで紹介したい。
▼(その1)「他スタンドで発行されていたものを1年以上前から拝読していましたが、最近めろんぱんに鞍替えしました。他作者の同様マガジンも数誌購読していましたが、個性の強さに戸惑い結局今でも読み続けているのはこの1誌だけとなりました。明るくユーモラスで思いやりにあふれ、言葉は不適切ですが毒気のないところがとてもありがたく救いを感じます。」
▼(その2)「日曜礼拝での神父様のお説教、というと、とてもとても難しいのでは。。と思ってしまいますが、読んでみると聖書の中のことばは、自らの日常にも重なり合うことがあり、雲が晴れる思いで胸にじーんと響きました。きっと心の栄養となる。そんなメルマガです。」
▼推薦文を寄せてくださった読者の了解を得ずに掲載することになり、読者の方には迷惑をかけてしまったが、推薦文にはこれまで何度も心を奮い立たせられた。新しい発行スタンドからも、これまで同様「こうじ神父今週の説教」を利用していただければ幸いである。
15/09/06(No.786)
▼今週10日(木)から11日(金)まで沖縄に行くことになっている。遅めの夏休みなのだが、単なる旅行ではない。「九州視覚障害者情報提供施設協議会」(九視情協)の年1度の大会が今年は沖縄で開催されるので、「視覚障害者情報提供施設の一員として」大会に参加するということだ。
▼だから観光の予定は特に組んでいないが、1つだけ確かめたいことがある。それはメールマガジン、またはブログの読者の中に、沖縄在住の読者がいるだろうかということだ。たかだか1000人くらいの読者だが、沖縄在住の人がいるのか知りたいと思っている。
▼大会プログラムを見ると初日は午後1時に間に合うように福岡から飛行機で沖縄入りし、夜の懇親会まで目いっぱい予定が入っている。だが2日目は12時で大会が終了し、18時5分の沖縄発福岡行きの飛行機の時間までゆっくりできる。
▼もし、沖縄在住で、メルマガ「こうじ神父今週の説教」または同じ名前のブログの読者がいて、9月11日(金)午後に時間が取れるなら、オフラインミーティングできたら素晴らしい。わたしもさほど社交的な人間ではないけれども、ふだん会うことのない人に会うのは十分意義深いと思っている。
▼もちろん時間の都合がつかなければ、メールでの連絡だけでも嬉しい。あわよくば4時間程度で回れる沖縄の訪問地を教えていただければ、そのお勧めに沿って訪ねてみたいと思っている。10日(木)から11日(金)の宿泊先は、「パシフィックホテル沖縄」。
15/09/13(No.787)
▼夏休みの思い出を2回に分けて。先週夏休みをいただいたが、前半は広島のマツダスタジアムと呉の大和ミュージアムを訪ねた。マツダスタジアムは野球観戦。なぜか自分が観戦に行くと、勝ち試合に当たる。昨年は野村先発で大勝した。今年はマエケン先発で5対0の勝利。しかも助っ人外国人のライナーでのホームランを見た。これは刺激になった。
▼お忍びで出かけたこともあって、「わたしはここに座って応援していますよ〜」と言えなかったのだが、十分試合は満喫した。ヒット以外のものも絡めて得点にしてしまう。これは9月最後の火曜日に予定されている「司祭団ソフトボール」に大いに参考になった。
▼呉の大和ミュージアムも勉強になった。交戦したアメリカが終戦後も日本に敬意を表しながら復興を見ていたことなどは、戦争をただの戦争に終わらせない長い目が必要なことを教えてくれた。戦艦大和の模型や、ゼロ戦の展示、「男たちのYAMATO」という映画を思い出しながらしみじみと見た。
▼実は大和ミュージアムは今回2日にまたがって訪ねる羽目になった。最初に行ってみると休館日と立札が掲げてある。がっかりしたが、港に沿って歩いて行くと、呉の町並みが眺められる公園にたどり着き、そこでは気さくにガイドしてくれる住民にも会った。思いがけない収穫となった。
▼「海軍のカレー」と銘打ったカレーを食べたが、正直これは名前負けかなと思った。五島で司祭館の奉仕をしているあちこちのシスターたちのカレーのおいしさを知っているので、海軍カレーに特に感銘を受けることはなかった。それはそれでぜいたくな話かも。
15/09/20(No.788)
▼先週の「休館日」は「休刊日」となっていたらしい。申し訳ない。9月第2週にいただいた夏休みの後半は、九州視覚障害者情報提供施設協議会(九視情協)沖縄大会への参加のために沖縄に出掛けていた。
▼沖縄は9月2週目でも夏。日差し、温度、湿度、どれも夏を感じる体感だった。そんな中で研修を受けてお疲れの人々もいたかもしれない。それでもわたしたちを出迎えてくれた主管施設の入念な準備と歓迎の気持ちが十分伝わって、実りある研修会となった。
▼沖縄には福岡空港から午前中の便で向かった。実は福岡空港に向かう時、都市高速道路に入った途端バスが動かなくなり、運転手に「都市高速はトラック横転事故で渋滞していますよー」と無線が入ったりして、「大丈夫かなぁ」とすぐ感じた。
▼運転手はすぐに先回りして「都市高速を降りて一般道を使います。到着予定時刻が遅れてしまうことをご理解ください」と案内をした。本来の到着予定時刻が飛行機の離陸1時間前だから、30分遅れても間に合うだろうという安易な考えを持っていた。
▼ところがバスの到着は50分近く遅れてしまい、慌てて搭乗窓口に飛び込んで事情を説明した時には5分前。「すでに機体のドアも閉められているので搭乗できません」と取り付く島もない。泣きそうな顔でいたら、次の便に空きがあり、振り替えてくれることになった。出発からハプニングに巻き込まれた。
▼沖縄での大会は二日目の正午で終わり、帰りの飛行機は18時。それまで時間があるのでツアーバスに乗って史跡めぐりを計画した。首里城ほか、いくつかの世界遺産が見学できた。ツアーバスの会社には前もって伝えていたが、18時の飛行機に間に合うようにツアーを外れ、モノレールで空港入り。今度は十分に余裕があった。
▼「沖縄に行ったら沖縄そば。」違う考えの人もいるだろうが、わたしはそう思っていたので、昼も飛行機搭乗前にも、ソーキそばを注文して食べ比べ。結論として、わたしにはどちらの店がおいしいかの差は分からなかった。どこも大差ないのかなと思った。
▼十分余裕を持って搭乗手続きをして、シークヮーサー味のジュースを飲みながら搭乗案内を待っていたが、「機体の整備のため、少々お時間をいただいています。機内へのご案内が遅れますこと、まことに申し訳ございません」と何度も時間を延期され、18時5分の便が18時40分まで待たされた。
▼福岡に移動したら23時45分発のフェリー太古で上五島に帰る。「時間があれば博多港すぐ近くの温泉施設で汗を流して」と思っていたのに時間がなくなってしまった。
15/09/27(No.789)
▼シルバーウィークも終わり、甥っ子も嵐のように去って行った。今は現実の9月10月に差し掛かる中で必要なことを一つ一つ追われながら作業している感じだ。最近耳に入って来た話を、個人を特定しない形で取り上げてみたい。
▼メルマガを通して知り合った人が、最近結婚し、今は母となる恵みをいただいているそうだ。これはめでたい。この人は言ってみればメルマガの活動でカトリック教会に導かれた貴重な一人と言える。元気な子が生まれることを心から願う。
▼「女は強し、されど母はより強し」ということわざがあったような気がするが、それにさらに一言「シスターはもっと強し」と加えたい。長崎教区のカトリック教報には司祭や修道者の訃報が掲載されるが、最近の号に40代で天国に旅立ったシスターの報告があった。
▼さぞ悔しいことだろうと思うと同時に、立派に旅立って行ったのであれば50歳になろうかという年齢で自分は覚悟なんて無理無理、と思っているのだから、シスターは本当に最強だと思う。わたしの身近でも、3年も意識が戻らないまま寝たきりのシスターがいるし、闘病生活にありながら見舞に行くわたしを笑わせるシスターもいる。やはり「シスターは強し」だ。
▼シスターがなぜこうも強くたくましいのか、それぞれ十人十色だとは思うが、まずはキリストのものとなっているからというのが最大の理由だと思う。自らの命はキリストのもので、キリストが生かし、キリストが命を取り去るのだと十分理解しているので、怖いものがないのだと思う。
▼加えて、シスターたちはある意味母となるので強いのではないかと考えた。わたしが病院に見舞ったシスターは、父と母を洗礼に導いた。洗礼は人を神の子に生まれさせる秘跡である。「子を産む」のは母である証拠だ。シスターは霊的な母となって、さらにたくましくなるのだと感じた。
15/10/04(No.790)
▼浜串教会に限らないと思うが、教会堂を美しく維持管理するために、教会女性部の方々には本当にお世話になっている。浜串教会女性部が毎週の教会掃除のために班分けを作り、各班が週替わりで教会清掃と花飾りを手伝ってくれている。
▼ところで、3年ほど前からは「教会は女性部だけで守っていくものではなくて、全世帯で守るべき建物。だから教会清掃も、各世帯から出すのが望ましい」という考えにたどり着き、男性女性分け隔てなく毎週の教会清掃を受け持つことが評議会で了承された。
▼ただそうは言っても、長椅子を拭いたり床を拭いたりするのに、男性が果たして協力してくれるのだろうか、という疑問が、主任司祭にはあった。残念ながらわたしは司祭館の清掃を教会女性部にまかせっきりにしていて、自分から掃除を手伝ったことがない。
▼そういうわけだから、「本当に男性が掃除を手伝ってくれるのだろうか」という疑念があったのだが、3日(土)に驚くべき光景を見た。教会正面の水汲み場からバケツに水を汲み、聖堂内ではモップ掛けをしている壮年の男性がいらっしゃるではないか。
▼この日の掃除の班を思い返してみたが、少なくとも1つの世帯は奥さんではなくご主人が掃除に出ていた。わたしの印象では、奥さんの方が掃除当番出席が想像できるような世帯だったので、この日は奥さんの出席が難しく、ご主人に頼んで出席してもらっていたのかもしれない。
▼あるいは、ご主人が積極的に掃除は引き受けるよと言って、いつもたくさんのことで教会のお手伝いに出ている奥さんを労わっているのかもしれない。当然すべきことをしているというような顔で取り組んでいる男性の方々に、心から敬意を表したい。
15/10/11(No.791)
▼毎日数え切れないほどの体の細胞が死に、新陳代謝が起こる。そして数年ですべての細胞が入れ替わるらしい。神が造られた人間の体は奇跡の被造物である。言わば人間は細胞レベルでは、これまでの自分を捨ててまた新たな自分を手に入れながら、神が計画された神秘を受け入れて生きているわけだ。
▼人間が作ったものは、どのような最先端の建築も、または伝統的な建築も、細胞が入れ替わるなどということは起こらない。建て替えるか、部分的に入れ替えるかしなければ、完成したその時から滅びへの道を歩んでいく。ここに神の被造物と人間の産物の決定的な違いがあるのかもしれない。
▼ところで、人間の細胞はこのように「死」のプログラムが埋め込まれていて、以前の細胞が死に、新しい細胞にとって代わられるというのに、例外的に死なない細胞がいる。それがガン細胞だ。この細胞は「死」のプログラムが欠けているために、死なないようにいつまでも体から栄養をもらい続け、悪さをし続ける。
▼「あなたも、死ななければならない。」だれかが、あるいは何かの指令が、ガン細胞にこのように理解させ納得させなければ、ガン細胞が消滅することはない。医学的にはわたしの説明は幼稚だろうが、なぜガンを克服できないのか、ということではわたしの意見で十分だろう。
▼ガン細胞が悲しみながら去っていく。そういう仕組みを早く確立してほしい。そうでないとわたしの周りでも、多くの人がこの世を去ったり去ろうとしていたり、辛い思いを繰り返している。ガン細胞に言いたい。あなたの持っているものをすべて売り払いなさい。その上で神が定められた細胞本来のプログラムに従いなさい。これで、言うことを聞かないガン細胞は悲しみながら立ち去るに違いない。
15/10/18(No.792)
▼木曜日、巡回教会での子どもミサのときだった。10月に「幼きイエスの聖テレジアおとめ教会博士」(1日)と「イエスの聖テレジアおとめ教会博士」(15日)が祝われるが、この両聖人に触れながらその日のミサの話を子どもたちに聞かせた。
▼「今月、2人の女性を『おとめ教会博士』として祝っています。たまたま2人共に『テレジア』という名前でした。『教会博士』という呼び名は、イエスさまのことをとても深く学んだ人で、わたしたちにイエスさまのことを詳しく説明してくださった方々のことです(わたしの説明は厳密には不十分だと思う)。
▼「ところで今日は『おとめ』という呼び名について考えたいです。『幼きイエスの聖テレジア』は24歳くらいで亡くなりました。『イエスの聖テレジア』は67歳で亡くなりました。ところで、『おとめ』ってどんな人のことを言うのでしょうか。」この質問をしながら、自分が少し意地悪な話をしようとしているという罪悪感があったが、もはや引き返せない状況にいた。
▼「○○君、どう思う?」小学5年生の男の子がすぐに「20歳から30歳くらいの女の人だと思います」と答えた。「○○君はそう思ったんだね。教会が考えている『おとめ』は、イエスさまのために結婚せずに一生涯をささげた人のことを言うんだよ。」
▼「後ろを見てごらん。シスターが3人いるでしょう。このシスターたちはイエスさまのために結婚せずに一生涯をささげているから『おとめ』なんだよ。おばあさんでも、おとめなの。」わたしは笑わないようにとがまんするのに必死だったが、わたしから指摘された2人のシスターは、おかしくて大笑いしていた。
▼教会は「おとめ」という称号を大変重んじている。「おとめマリア」がその最たるものだ。神にすべてをささげて生きた「おとめ」は、それだけで聖人としての称号に値する。自分のためだけに生きた人を「おとめ」と呼んでいるわけではない。教会が考える「おとめ」はイエスのためにまっすぐに生きた女性だ。「おとめ」の生き方をあらためて評価すべきではないだろうか。
15/10/25(No.793)
▼出張が入り、日曜午後から留守となる。遠方に出張だが、ただでは出張しない。この時期日本シリーズなのだから、どうにかして雰囲気でも味わいたい。そこで月曜日9時から2日間あるまじめな会議に遅刻することを重々承知で、日曜日夜は福岡に1泊することにした。
▼日曜日に出張先に行けば、月曜日朝9時からの会議には十分間に合う。しかし日曜日に出張先に行くためには、かなりの無理を強いられる。先ず五島列島を脱出することから始まるから、出張先に到着するのはおそらく夜10時だろう。
▼そこまでして、2日間あるまじめな会議だけ参加して帰って来るのは、高い交通費に対して非効率ではないか。会議のメンバーには小一時間迷惑をかけるが、前日は福岡でソフトバンク対ヤクルトの日本シリーズ第2戦を観戦することにした。翌朝早くに移動を開始し、会議には1時間遅れの午前10時に到着予定である。
▼非難を浴びるかもしれない。会議に遅れてまで日本シリーズを観る必要があるのか。だがわたしが今後日本シリーズを観戦できるか考えると、今年を外したらもう二度とチャンスは巡って来ないかもしれない。そういうまたとない「ついで」のチャンス。少々非難を浴びようが、観戦を決行することにしている。
▼話変わるが、長崎の教会群が世界遺産にいよいよ登録か?となって、五島列島への巡礼客はウナギ登りである。先日大阪の大司教さまご一行が五島列島の教会巡礼にやって来ていた。もともと上五島出身の大司教さまでもあり、どの教会に行っても歓迎を受け、またご自身もそれぞれの教会への思いを分かち合ったりして精力的に巡礼をこなしたようだ。
▼わが浜串小教区にも大司教さまご一行がおいでくださった。福見教会を訪問後に浜串教会を訪問してくださったのだが、大司教さまは愛用の帽子を忘れていったようで、主任司祭のところに届いていた。わたしがこの帽子をお借りしてかぶれば、「司教帽をかぶった」ことになるのだろうか。
15/11/01(No.794)
▼日本シリーズはソフトバンクの圧勝で終わった。ヤクルトもホームゲームの勝ち方を十分知っているはずだが、ソフトバンクの打線がそれを許さないほど破壊力があったということだろうか。そんな中でシリーズ第2戦をこの目に焼き付けることができた。一生の思い出になった。
▼出張先では日本シリーズの話はほとんど聞こえてこなかった。やはり巨人が日本シリーズに出ていないからだろうか。そもそも野球に関心がないのだろうか。懇親会の歓談の時は、それどころではないとばかり、司教空位の教区にどんな司教さまがどのタイミングで与えられるだろうか、そういう話題が活発に交わさた。基本的にまじめな人たちだ。
▼都会だなぁ、とつくづく思う。担当者の全国会議でカトリック中央協議会に出張していたが、交通手段が3通りも4通りもあったり、料金に1円単位の設定があったり、キメ細かさ選べる数の多さ、確かに都会は便利だと思う。
▼ところがいったん会議から帰ってみると、ぐったり疲れて帰ったその日は何も手につかなかった。飛行機で移動して疲れたのかもしれないが、東京にも飛行機で行ったわけだから、そのことばかりではないはずだ。何か田舎とは違う疲れの原因があるから、田舎に戻ってみると疲れが出るのではないだろうか。
▼そうしてみると田舎は本当に素晴らしい。不便を並べれば数え切れないが、疲れずに日々を暮らすことができている。それだけでもありがたいことだ。生産性は下がるかもしれないが、生産性の歯車に使われ弾き飛ばされて疲れることはまずない。人にやさしい環境は、いつかきっと生産性にも貢献するようになるだろう。
▼話は前後するが、中央協議会に叙階3年目の司祭が教区広報担当者として参加していて、直接話すことはなかったが「若いなぁ〜」と思った。それはそうだろう。自分は23年目で、20年の開きがあるからだ。全体のスケジュールの終わりに感謝のミサがあって、主司式をしていたこの神父さまの説教は、なかなか良くて響いた。
15/11/08(No.795)
▼ホームページ「話の森」を幅広のデザインからスマホで見やすいように幅を狭めたことに気付いただろうか。別に気がつかなくてもかまわないが、努力はしているから〜のポーズである。ホームページ制作ソフトとしては「ホームページビルダー」を使用し続けているが、本音では「WordPress」に切り替えたい。
▼実は切り替えようとした。切り替えようとはしたのだが、またもや自力で壁を乗り越えることができず、途中で断念してしまった。だれかよく分かるように、手取り足取り「WordPress」を教えてくれないだろうか。
▼どうしても「WordPress」でなければならないとは言わないが、外出先からちょこっと更新、そういうスマートな管理ができればなぁとますます思っていて、あと少しで断念したのは本当に悔しい。悔しい〜悔しい〜(泣)
▼もう1つ、Windowsパソコンで作ったテキストファイルがiPhoneで読めない(文字化けする)のも悔しい。なんだかんだといろいろアプリを試したが、そのたびに文字化けの壁に突き当たる。Appleの商品を使っていなかったからこの類の苦労は味わってなかったのだが、本当に悩まされている。
▼ところがこの文字化けが、つい最近うそのように解消された。決め手は有料アプリの「Pocketfiler」だった。有料無料のエディタをさまざま使ってみたが、どうもうまくいかず、ちまちまお金だけが減っていたのだが、今回のアプリは350円払った甲斐があった。Windows側で更新していたテキストファイルがすんなり読み込めた。1つ、イライラが減った。
15/11/15(No.796)
▼信徒発見150周年に長崎中地区が主体になって信徒発見劇が準備され、長崎はもちろん佐世保でも上演、好評を博している。この劇が来年2月21日に上五島でも上演されることになった。喜ばしいことですね〜と単純に歓迎の気持ちでいたのだが、ここ数日で変化があった。
▼信徒発見劇は本来浦上のキリシタンが大浦のプチジャン神父(のちに司教)を訪ねてキリシタンが250年の迫害を耐えしのんで復活したという物語の劇である。だが信徒は浦上だけにいたわけではなく、五島にも存在していた。五島には五島の信徒発見の物語がある。
▼14日(土)午前に1本の電話が入った。信徒発見劇の脚本・監督を手掛けている先輩司祭からだった。「信徒発見劇を上五島で上演するに当たり、配役を入れ替えて上五島の信徒発見物語を少し織り交ぜたい。そこで新しいメンバーとしてあなたに入ってもらいたい。」
▼え?という思いがよぎったが、先輩がわざわざ電話してくる用事は大事な用事と決まっている。だから引き受けることにした。五島の信徒発見を、何かの形で信徒発見150周年の年に刻むお役に立てるのだから、断る理由はない。
▼実は昔からわたしの中には演劇の血が流れている。高校卒業して進学した福岡の大神学院では卒業するまでの8年間、主演女優として謝恩会の劇には登場していた。もちろん男子学生だけで演ずる劇なので、女性の役が必要となればだれかが引き受けることになる。入学した年に引き受けてみたらこれが大ウケしたので、そのまま続けてしまった。
▼信徒発見劇はまじめな劇だし、アドリブも禁止だろう。するとわたしの持ち味は少し生きないかもしれないが、任せられた役割はきっちりこなしたい。ちなみにわたしの尊敬する俳優さんは大滝秀治である。「明日の記憶」での渡辺謙さんとの場面は秀逸で、わたしも丸暗記している。
15/11/22(No.797)
▼魚釣りは「魚の引きが楽しい」のは言うまでもないが、わたしの釣りの場合「何が釣れるか分からない」というのも楽しみの一つである。最近はずっとボートでの釣りなので、「この魚種を」と決めて出掛けるわけではない。
▼「このあたりで釣っていれば、何かしら食ってくる」そんな当たりをつけて釣りをしているから拍子抜けするような魚が喰って来たり思わぬ大物が掛かったりする。大きな魚で拍子抜けするのは学名「イラ」という魚だ。長崎(五島)では「ナベタ」と呼ぶ。
▼このナベタは引きは強いので「鯛か?」と期待させるが、途中で「いや、違うな」と分かる。頭が極端に大きいので見た目はグロテスクだ。身が柔らかくウロコを取るのが面倒だが、から揚げにするととてもおいしい。もともとはベラ科の仲間で、他にもコブダイなどが仲間。
▼最近釣っていてワクワクするのは根魚(ねざかな)のオオモンハタ。強烈な引きが魅力で、いきなりひったくっていく。本当はキジハタを釣りたいのだが、キジハタは浜串周辺に限らず個体数が少なく、めったにお目にかかれない。釣れているのはほとんどオオモンハタである。
▼キジハタもオオモンハタもスズキ目ハタ科の魚。見分けは付くが、キジハタは赤に近い褐色で全身に斑点があり、背びれの付け根中央部に大きな黒色斑がある。オオモンハタも全身に斑点があるが、見た目はこちらのほうが「キジ」に似ている。ハタ科の魚は種類が多く、ホウセキハタ、オオモンハタ、キジハタ、アオハタ、ノミノクチ、ほかにも数え切れないくらいだ。
▼こう言うと相当詳しいのかと思われるかもしれない。実は魚類図鑑を購入してその受け売りに過ぎない。今回購入した図鑑は発行年が古いが、当時の定価で25750円だったのをアマゾンと提携している古書店から9000円くらいで入手した。ときおり名前のわからない魚を釣ることがあるので、これからは持ち帰ってから調べる楽しみができた。
15/11/29(No.798)
▼もうすぐメルマガ800号なんだなぁ。よくまぁ800回も出したものだ。800回記念に、何か企画しようかな。うーん、何だろう。よく分からないけど。800回記念に、希望者にはメルマガのもとになった800回分の原稿を・・・って、要らないよね。もらっても、ね。
▼録音説教を希望者全員に無料で・・・というのはちょっと奮発しすぎなので、材料費とCD製作費で2千円いただいて提供するか。でも以前この手の企画をしたような気もするので、以前の録音説教を持っている人には2重になってメリットがない。
▼あー、悩ましい。どこかで同様の企画を打ったような気もするが、忘れてしまった。歳を取ると簡単に忘れてしまうので恐ろしい。でも思い出せないのも悔しいから調べてみたら368号でCD3枚に収めて用意したようだ。その当時は800円で用意したようだ。
▼するとおおよそそれ以降の分をCDに焼いて提供するなら、1000円で提供できそうである。もし説教の録音CDに興味があれば、郵便番号、住所、氏名を書いたメモと、82円切手12枚(984円)を同封して中田神父のところまで連絡(メール)ください。中田神父の住所は「〒853-3102 長崎県南松浦郡新上五島町岩瀬浦郷724番地 カトリック浜串教会」です。
▼大人げない、ばかばかしい話。車を運転中に2度、バカなことをした。1度はヤクルトを飲んでいて、途中でごみ箱を見つけたので車から投げ入れようと思い、手探りで車の窓の開閉スイッチを触り、窓が開いたと思ったのでヤクルトの空容器を投げた。するとごみ箱はおろか、車の中でヤクルトの容器が跳ね返り、ヤクルトの飲み残しが飛び散ってしまった。
▼窓を確認してみると助手席の窓のつもりが後部座席の窓を開いていた。腹が立ったが、自分の愚かさにも腹が立った。ごみをごみ箱に捨てたいなら、ちゃんと車を降りてごみ箱に捨てに行くべきである。
▼もう1度は、お告げのマリア修道会が関わっている「児童養護施設」のバザーの帰りのこと。おいしそうなたこ焼きを見つけ、お昼のつもりで買って帰った。10個入り200円。良心的な値段である。ところが浜串に帰ってから食べるつもりがお腹が空いて、車の中で手を出してしまった。
▼最初は問題なかったのだが、山道をくねくね走っているうちになんとたこ焼きを入れたパックが横転し、たこ焼きが助手席から床にダイブしてしまった。その時点で3分の2は食べてはいたが、何個か無駄になったし、車の中は信じられない異様なにおいが充満し、本当に自分で自分が腹立たしかった。食べ物は決して車の中で食べるべきではない。
15/12/06(No.799)
▼先週郷里の先輩司祭の叙階25周年記念ミサに出席し、その後の祝賀会にも出たが、写真を撮らなかった(><)これは大失敗。そもそも車で出かけて祝賀会を想定していたので車を実家において教会まで歩いていくときに、「プレゼントと、自分の祭服があればいいか」と、一切を車に残していったのが間違いだった。
▼祝賀会で「後輩司祭の中田神父さまに一言あいさつをお願いします」と言われて出番が回ってきた。「先輩はわたしにとって小学生の時からのあこがれの存在でした。小学校でのソフトボール大会の時、先輩が相手チームの球を見事に捉え、打球がグランドいちばん外を囲むブロック塀の上で跳ねて、その先の川に飛んで行ったのを見て、『かっこいいなぁ』と思った時からです。」
▼「先輩がずっとお手本でいてくれたので、わたしもここまで歩いてくることができました。25周年銀祝は、世の中で言えば銀メダルのようなものだと思います。これからも健康に留意して、50周年の金祝、金メダルを目指してください。」
▼「くれぐれも、健康には注意をお願いします。わたしは先輩が絶えず咳をしているのがいつも気になっています。薬などのお世話にならないで済むように、用心してください。ちなみにわたしはすでに2種類の薬のお世話になっています。認知症の薬と、これ以上髪が抜けない薬です。」まぁ最後は冗談だが、みんなを喜ばせる挨拶ができた。
▼先週の説教案の中で、福音書の引用になっているはずの部分が、わたしの読み落としで誤変換され、配信されてしまっていた。これも大失敗。高井旅教会の前晩のミサでも気付かず、ようやく翌朝の浜串教会のミサで気が付いた。しかしまぁ、なんとも「笑えない誤変換」だった。「放縦や深酒や生活の煩いで」の部分が「放銃」となっていた。つまり銃をぶっ放したわけである。
▼次回のメルマガで通算800号。前回368号でCD3枚に収めて用意したようだ。おおよそそれ以降の分をCDに焼いて提供するなら、1000円で提供できそうである。もし説教の録音CDに興味があれば、郵便番号、住所、氏名を書いたメモと、82円切手12枚(984円)を同封して中田神父のところまで連絡(メール)を。中田神父の住所は「〒853-3102 長崎県南松浦郡新上五島町岩瀬浦郷724番地 カトリック浜串教会」。
15/12/13(No.800)
▼先週の「ちょっとひとやすみ」のお詫び。「放縦」が「放銃」と誤変換されていたという部分。「放銃」とは、わたしが考えていた意味ではなく、専門的な意味があるというご指摘をいただいた。これは失礼しました。誤変換された漢字が意味を持たない誤変換だったのか、意味のある誤変換なのかを今一度チェックする慎重さが必要だった。
▼わたしはGoogle Chromeというブラウザを使っている。好みの問題だが、FirefoxとInternetExplorerを使い比べて、Google Chromeに落ち着いた。だがこのブラウザでブックマークをそっくり失ってしまい、危うく気を失いそうになった。
▼発端は眠ったままのノートパソコンを試しにWindows10に更新しようとしたことからだった。いちばんサイズの小さなB5サイズのノートパソコン、標準的なA5ノートパソコン、さらに眠っていた旧型のデスクトップと、片っ端からOSのアップデートを行った。
▼トラブルの原因になったのはB5ノートだった。このノートパソコンもChromeがメインのブラウザになっているが、作業を終えて(と言っても結局Win10に更新するところまでいかなかったが)メインのデスクトップパソコンに戻ってみると、ブックマークが重複している。
▼どうやらB5ノートのブックマークが統合されて、二重になってしまっているらしい。そこで何となく片っ端からブックマークを削除してしまったのだが、途中で大切なブックマークも勢いで削ってしまった。買い物のサイトとか、ネットバンキングのサイトとかだ。
▼後先考えずに削ってしまい、どうやって元に戻せばよいのだろうかと目の前が真っ白に。ネット上の書き込みを見てみると復元できると書かれていたが、最初の方法は全く役に立たず。幸いにブックマーク情報を保管しているファイルをあるサイトでhtml形式に変換し、Chromeにインポートしたところ、何とか元に戻って胸をなでおろした。
▼今回のメルマガで通算800号。368号でCD3枚に収めて用意したようだ。おおよそそれ以降の分をCDに焼いて提供するなら、1000円で提供できそうである。もし説教の録音CDに興味があれば、郵便番号、住所、氏名を書いたメモと、82円切手12枚(984円)を同封して中田神父のところまで連絡(メール)を。中田神父の住所は「〒853-3102 長崎県南松浦郡新上五島町岩瀬浦郷724番地 カトリック浜串教会」。
15/12/20(No.801)
▼カレンダーが必要な時期になってきた。カレンダーと言えば、亡くなったあるシスターがよくカレンダーを分けてくれていた。わたしは第一子長男なので、姉がいない。姉がいる人を見ると羨ましいと思う。自分にとっては姉のようによく面倒を見てくれたシスターだった。
▼前回のメルマガで通算800号。368号でCD3枚に収めて用意したようだ。おおよそそれ以降の分をCDに焼いて提供するなら、1000円で提供できそうである。もし説教の録音CDに興味があれば、郵便番号、住所、氏名を書いたメモと、82円切手12枚(984円)を同封して中田神父のところまで連絡(メール)を。中田神父の住所は「〒853-3102 長崎県南松浦郡新上五島町岩瀬浦郷724番地 カトリック浜串教会」。
▼メルマガ800号記念に当たる、先週の説教案は「いつくしみの特別聖年」に合わせて考えた説教だった。実は、午後1時からの上五島地区の特別聖年開年ミサの説教も頼まれていた。普通に考えれば、1日に2度目的の違う違うミサで説教するのだから2通り用意しなければならないわけだ。
▼とは言えわたしも超人ではない。だから同じ説教が使えるようにと、地区行事の開年ミサ用説教を、小教区の信徒にも聞かせた。どちらにも使えるように用意したのではなく、明らかに地区行事を意識して用意した説教案を、小教区の信徒にも聞いてもらったということである。
▼小教区の信徒は別段違和感もなかったかもしれない。しかしわたしには、よそ行きの説教のようでかなり違和感を感じながら小教区では説教していた。だがおかげで、上五島地区の特別聖年開年ミサの時点では同じ話をするのが4回目になっていたので、難しさを一切感じることなく説教を務めることができた。
15/12/24(No.802)
▼ご降誕のお喜びを申し上げます。12月21日(月)朝、わたしはこの世とこの世でない世界をさまよっていた。どちらかというとこの世でない世界にいたのだが、6時1分に現実世界に呼び戻された。スマートフォンに電話がかかったからである。「神父さま、もう6時になってます。すぐ福見教会に来てミサをしてください。」
▼「ごめん。寝過ごした。今から向かいます。」それから着替え、眠い目をこすりながら車を飛ばして福見教会についた時には6時20分。申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになりながら、20分以上待っていたシスター、信徒のためにミサをささげた。
▼この世とこの世でない世界との境目はそんなにはっきりしないと思った。この世でない世界にいる間も、少しこの世の音や声が聞こえる。それに反応できなければ、この世とおさらばだし、幸いに反応できればまだこの世に居続けることができるわけだ。
▼火の中水の中をくぐり抜けてとか、川を渡ってとか言うが、体験がわたしに教えてくれたのは、この世とこの世でない世界は距離はないということだ。三次元と違う世界を四次元と表現する人もいる。もし三次元と四次元が接しているのなら、この世でない世界は四次元と言えるかもしれない。
▼降誕の夜半はいつも一人。一人ケーキ、一人ワイン、一人フライドチキン。一人でローソクをともして電気を消し、一人でハッピバースデーを歌い、一人でローソクを消す。静かな食堂でケーキを頬張りながら、一人で夜更かし。さいわい降誕の日中のミサは浜串教会朝7時なので、仮に寝坊しても何とかなる。
▼こんなクリスマスをもう20年以上続けている。ただクリスマスおめでとうのメールも来るし、夜半のミサの振り返りもたくさんある。いずれにしても49歳の体はもう20年前の体ではないから、ほどほどにして、寝ることにしよう。メリークリスマス。
15/12/25(No.803)
▼「窮地に追い込まれると本性が出る。」ドラマ「下町ロケット」でサヤマ製作所の椎名(小泉孝太郎)が言ってたっけ。今回のドラマは最終回を何度も観た。繰り返し繰り返し観た。おかげでまず21日(月)の朝に寝坊した。それでも月曜日も火曜日も何度も観て、そうしていたら巡回教会高井旅の会計の人から「○○さんが亡くなりました。通夜と葬儀ミサの日程はどうしましょうか」と連絡が入った。
▼最初に浮かんだのは亡くなられた方のことではなかった。「うー、クリスマスの説教を考える時間が無くなる。どうしよう」だった。その次に浮かんだのが「クリスマスには葬儀ミサは避けたいなぁ。規則の問題というより、体がきついから」だった。窮地に追い込まれて、わたしが考えたことは自分の都合のことだった。これが本性なのだと思った。
▼しかし、結果的に、葬儀が入ったことで時間の制約が明確になり、「何としても残り時間で説教を準備しなければ」というスイッチが入った。プラスに考えることは大切だ。それでも考え方を変えてようやくできたというだけの話であって、自分の本性が変わったわけではない。理想としては、最初に「あ、これはピンチじゃなくてチャンスだ」と感じるような人間になることだ。
▼今年のクリスマス説教は、日中のミサの説教から書き上げ、あとで夜半のミサ(クリスマスイブ)の説教を書いた。最初からこの計画だったわけではない。最初は時間順に夜半のミサの説教に取り掛かったのだが行き詰まり、そのままにしておいて日中のミサの説教に取り掛かったのだった。
▼すると意外にも日中のミサの説教が先に出来上がったので、残りの時間で夜半のミサ説教を書くことができた。この経験で学んだことは、「行き詰ったら、無理に続けようとしない」ということだ。この意見には賛成できない人もいると思うが、わたしにはこの考えが合っているように思った。
15/12/27(No.804)
▼上五島地区の後輩司祭から急な電話がケータイに入った。「先輩、保存せずに終了したワードのデータを復旧する方法を知りませんか?」電話の内容を聞いて、急ぎでなければ様子を見に行ってもよいがと考えていたら、今晩の降誕夜半のミサの説教だと言う。
▼こちらも手いっぱいで、今駆けつけるのはちょっと、とためらってしまった。一般的な「バックアップ設定」がなされていれば問題ないのだろうが、電話の内容ではバックアップファイルを探すという用件ではなさそうである。「少し調べて返事する」と答えて電話を切った。
▼最近のマイクロソフトオフィス製品は保存しなかったファイルに関しても復旧できる道があることが分かった。わたしがネットで参照したのはワード2013の標準仕様として、一時ファイルを保管していることが分かり、すぐ電話を折り返してそのことを伝えた。
▼「あの〜、自分のはワード2007なんです。」一瞬、言葉を飲み込んでしまった。当然古いバージョンを使い続けている人もいるわけで、そのことには思い至らなかった。「残念ですけど、また書き直します。」わたしも力及ばずで申し訳なかった。念のため、何か方法がないかと調べ、それらしい情報を見つけたのでメールで流したのだが、「うまくいきませんでした」とだけ返事が来た。本当にお気の毒である。
▼次に会った時は、念のためバックアップファイルを5分ごとにとるような設定を勧めておこうと思う。わたしはそういう設定は煩わしいのでお断りだが、今回の後輩はそういう設定にしておけば助けになるかもしれない。
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