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14/01/01(No.687)
▼大晦日にわたしは決まって一年を振り返り、手書きのメモのような「遺言状」を書くのが習慣になっている。書式を守っていないので遺言としての有効性がないが、わたしにもしものことがあったときは、このメモに沿って残った物を処分して欲しいと思っている。
▼2013年はいろんな出会いに恵まれた年だったと思う。また、苦手なことに挑戦することもできた。それもこれも人との出会いがあってのことだが、特に「歩くこと」に目を向けることができたのは大きな収穫だった。
▼昨年は人生で初めて、20kmという長距離を歩いたが、それは今年の3日間で100kmを歩き通す準備に過ぎない。去年歩くことの奥の深さみたいなものを考えさせられて、それが今年の計画に繋がっている。あと2ヶ月。来年2月と言っていたのが嘘のようだ。
▼合同自主トレをそんなにひんぱんに出来ない分、自主トレをできるだけ続けるよう努力している。去年12月28日に往復11kmあるき、30日の歩き納めとして12kmをこなした。歩くのがいちばん遅い移動手段だが、歩くのがいちばん収穫の多い移動手段でもある。
▼浜串の上にある「浜串入り口」というバス停から「神ノ浦」というバス停までを往復したとき、さまざまなゴミが道路脇に捨ててあるのが目に留まった。車で走っても、道路の崖下に捨てられたゴミは決して見ない。だが歩いてみると、美しい自然がいかに汚されているかがよく分かる。
▼空き缶や、生活ゴミがたくさん捨てられていたのは想定内だったが、赤白の工事現場で使用する三角のポールとか、お酒を運ぶケースとか、考えられないものまで捨てられていた。三角のポールは強風で飛ばされた可能性もあるから断定はしないが、お酒を運ぶ四角の大型ケースは捨てなければあんな場所にはないはずだ。
▼これからも、いちばん遅い移動手段でいちばん多くの情報を収集したい。いちばん苦労して移動して、いちばん苦労した時代の人たちの信仰に触れたい。時間はかなりかかるが、時間以上の収穫をいつも感じている。
14/01/05(No.688)
▼年が改まり、早速今年一年どんな年になるのだろうかと考える。去年を漢字一字で表すと「輪」ということだそうだが、今年はどんな漢字が当てはまる年になるのだろうか。言った者勝ちということで早くも予想すると、「歌」というのはどうだろうか。
▼別に根拠も何も無いが、歌を歌いたくなるような晴れやかな一年であって欲しいと思っている。政府は国民と少しも向き合わず、「憲法改正」「秘密保護法制定」「消費税増税」など、国民がガッカリするもののオンパレードだ。その中でも「秘密保護法」は、あれだけ多くの反対集会が開かれたのに、なぜ強行するのだろうか。
▼今のところ、軽やかに歌を歌える状況は見えてこない。だからこそ、歌って喜びを表せる社会にしたい。歌わない人も歌う。そんな社会に変わったなら、どんなにすばらしいことだろう。わたしもふだん、歌ったりはしない一人だ。
▼去年は、福見教会百周年を記念する歌を作詞した。今も、福見教会で折々に歌ってくれる。気恥ずかしい思いもあるが、歌い継がれていくかも知れないと思うと、誇らしい思いもある。なかなか引き継がれていくものをかたちにするのは難しいから、それはそれで大きな仕事をなし遂げたと思う。
▼今年、歌を歌うとしたら、どんな歌を歌うだろうか。「喜びの歌」か。「悲しみの歌」か。「感謝の歌」か「賛美の歌」か。人から借りた歌ではなくて、わたしの心の中から、腹の底からわき出てくる歌を、今年歌ってみたい。
14/1/12(No.689)
▼1月7日、これまでで最長の距離を歩いた。母校の東浦小学校から、江ノ浜というところにある「祈りの龍馬像」までを往復した。体が慣れてきたのか、往復24kmの道のりもスムーズにクリアできた。
▼1つ失敗だったのは、水分補給の認識不足という点だ。出発前、ポケットに150円入れて出発したが、飲み物2本分、300円持って行くべきだった。この日は暖かく、風もほとんど感じないほどだったが、次第に喉が乾き、水分補給に迫られた。小一時間歩いた頃に自動販売機を見つけ、スポーツドリンクを買った。
▼もうお金がないいことは分かっていたが、ドリンク1本で最後までもたないだろうかという甘い認識だった。2時間ちょっとで折り返し地点の銅像前まで来たが、ペットボトルの中身は3分の1しか残ってなかった。片道で半分減ったのだから、最低でも半分残っていなければ、当然足りない。
▼延べ時間が4時間に近づいた頃に有川港周辺まで来て、お金もないのにスーパーに入った。箱を開けただけの、冷やしていないスポーツドリンクが、89円で置いていた。ふだんは自動販売機で150円で売っているのに、89円でも利益が出るのか。今考えるようなことではないが、そんなことまで浮かんだ。
▼しかし、100円さえも手元にはなかった。しかたなく有川港のトイレまで引き返し、手洗いの水を飲み、トイレを済ませて出発地点の小学校前に帰り着いた。4時間40分、本当に長い特訓だったが、さまざまなことを学んだ実りある特訓だった。
▼こんな収穫があったと思う。4時間以上も苦手なことに時間を費やせたこと。ハーフマラソンくらいの距離を、4時間で完走できると分かったこと。これならフルマラソンの距離も、10時間もあれば完走できるかも知れない、そんな希望を持てたこと。
▼ほかにも、1日の時間のうち、4時間歩いてもまだ時間があると分かったこと。いろんな収穫があった。次も、本番に繋がるような徒歩訓練に挑戦するつもりだ。
14/01/19(No.690)
▼継続が認知されての嬉しい結果。gooブログで作成している「こうじ神父今週の説教」(http://blog.goo.ne.jp/knkouji)が、瞬間的にすべてのgooブログ(1974652ブログ)中、9976位になった。
▼ときどき訪問者数をチェックしていたが、1月11日(土)に重複なしで188人が訪問してくれていた。この訪問者のおかげで、一気に順位が跳ね上がり、ずっと破れなかった5桁の壁を破った。訪問者の皆さん、どうもありがとう。
▼体の強さは、いくつになっても助けになるものだ。何回か20kmを越える徒歩に出かけているが、次の日極端な痛みや体のだるさはない。丈夫な体を与えてもらったことにとても感謝している。
▼長距離の徒歩を支えてくれている最大の要因は、今回購入したジョギングシューズだ。20kmを歩いても疲れない。たまに、靴擦れを起こしたりしているが、それでも靴に守られているという実感がある。今回のシューズ選びで本当に良い靴にめぐり会ったと思う。
▼1月5日賞味期限の牛乳を温めて飲んだ。開封したものだから、もしかしたら昨年末から開封したままだったのかも知れない。1時間後に、トイレに直行する羽目に。おかげで、と言ってよいのか分からないが、お腹の中は空っぽになった。わたしのお腹はとても敏感だ。
▼成人の日、毎年恒例の「誓願式」。女性のどんなイベントよりも心洗われる儀式だと思う。正確に記憶していないが、誓願式の後の会食で近くに座った大先輩が、「シスターの貞潔の誓願は、匂い立つ清さがある」と言っておられた。たしかに、終生誓願を宣立する修道女を清さが包んでいると思った。
14/01/26(No.691)
▼うーん、パソコンでしくじった(泣)今年初めからパソコンの動作が不安定になっていて、困っていた。症状としては、パソコンを立ち上げてWindowsのロゴが表示された状態で固まってしまい、全く動かないという状況だった。
▼まぁ、たまにそういうことはあるので、通常の手順でリカバリーを試みた。電源ボタンを長押しして強制的にパソコンの電源を落とし、再度電源を入れる。すると「異常終了をしているから(1)修復するか(2)通常起動させるか」という指示が出る。
▼ここで(1)の修復を選ぶと、Windowsのロゴの表示までたどり着かずに真っ暗な画面のまま固まってしまう。ちなみに(2)を選択すると、たまにうまく起動することもあるが、Windowsのロゴで固まることが多い。
▼そうなると、別の方法を探ることになる。Windowsロゴが表示される前にF8ボタンを押すと、さらに条件を絞ってパソコンが起動できる。「(3)セーフモードでの立ち上げ(4)セーフモードとネットワークの立ち上げ」
▼ここで(3)を選択して、いったんパソコンを終了し、再度立ち上げると問題が解決していることもある。だが(3)も(4)も試して再度立ち上げても、パソコンが固まるようになった。
▼ここで、冷静さを失った。ネット上で十分情報を集めてから作業をするべきだったのだが、次のような結論を勝手に出した。「Windows7に見切りをつけて、Windows8にアップグレードしよう。」勝手にOSのせいにして、お金で解決しようとしたのである。
▼十分な予備知識なしに実行した付けがすぐに返ってきた。すんなりWindows8.1にアップグレードできたのだが、これまで使用していたソフトが一切見つからない。どういうことだ?唖然としていろいろネットで調べたら、どうやら「データ」は引き継いでも「ソフト」は引き継がないらしい。
▼パソコンは安定して動くようになった。だが代償として、かなりのソフトが葬られてしまった。パソコン内で動くソフトもそうだが、メールソフトとメールソフトが保管していたアドレス帳も消え去った。今後は相手からいったんメールが届かない限り、もはや誰とも連絡は取れない。ダメ押しになったのは、同じマイクロソフトのくせに、MSオフィスまで使えなくしてしまわれた。仲間まで見捨てる。さすがというか、呆れてしまった。
▼調べてあとで分かったのだが、OSのアップグレードのときもいわゆる「引っ越しソフト」は役に立つらしい。体験のない方のために、「引っ越しソフト」は次のような場合に使うソフトである。(a)既にお持ちのパソコンから新しいパソコンへの移行(b)同じパソコン上で旧OSからアップグレードした新OSへの移行(c)取り外したハードディスクから別のパソコンへ移行。
▼今回は(b)に該当する。上記の「引っ越しソフト」を前もって手に入れておけば、何も問題なかったはずだった。失ったソフト(動かなくなったソフト)は、実物があるものは再インストールすれば済むが、無いものは・・・無料の代替ソフトか、新規購入しかない。
▼今まで通りの環境に戻すのに、パソコンを買い直すくらいの費用がこれからかかりそうである。特にホームページビルダーはパッケージソフトを買っておくべきだった。今後2週間はホームページの更新はできなくなる。バカなことをした(号泣)
14/02/02(No.692)
▼最近あっと驚くことがあった。日曜日のミサに来ている人の中で、わたしが今村巡礼に行くことを知らない人がいたのである。2月の中旬に長い行程を3日かけて歩くのだと繰り返し話していたと思うが、「今村ってどこですか?」「いつ今村に行くのですか?」「そんなに遠くまで大丈夫ですか?」と聞かれた。ビックリしたのはわたしの方で、「大丈夫ですか?」と聞きたいくらいだった。
▼「歩くのは健康のためではなく、話題作りだ。」今でもそう思っているが、健康になれるならそれに越したことはない。「肝機能障害」も、脂肪肝ということだろうから、歩き続ければ内臓脂肪もいつかは少なくなり、肝臓の機能も回復するだろう。
▼「高脂血症」も、どうせ太り過ぎから来ているのだろう。過食気味だった食事の量を年齢相応に減らすことと、これまた歩き続ければ、サラサラの血になってくれると思う。問題は「高尿酸血症」だ。おいしいものを食べるからそうなると言われるが、おいしいものを食べるのはやはり楽しい。この誘惑とどう向き合うかが問題だ。
▼おいしいものが並ぶ。一通り食べたい。だが、その反動は必ず出る。悩ましい。これからも歩き続けると仮定して、歩いている間に考えてみよう。本当に自分の一生を悔いのないものにするために、何を選び、何を控えるか。何を優先させ、何を放棄するか。
▼これから巡礼が始まる2月17日までは、巡礼を優先させてあらゆることの優先度を下げなければならない。幸いに、巡礼が終われば、次第に暖かい春に近づいていく。そうするとボートでの釣りも再開できる。ボートでの釣りが運動になるか、と言われるとはなはだ疑問だが、わたしのストレス発散にはこれ以上のものはない。
▼3月中旬には黙想会が控えている。黙想会の説教師がもし、釣りをなさるなら、ボートでカサゴ釣りに連れて行ってあげよう。説教師を連れて行ってのボート釣りは「接待」であり「公務」である・・・ということにしよう。
14/02/09(No.693)
▼どこでもそのようなことは起こっているのかも知れないが、病院に紹介状を持って診察をしてもらいに行ったら、1時間半くらい待たされて、3分かからないで診察が終わった。3分かからないのなら、先にわたしのために3分先生が時間を割いてくれれば済むことではないのか。そう思うが、順番なのだから仕方がないのだろう。
▼1時間ちょっと過ぎた頃に眠くなり、うとうと眠っていた。すると女性の看護師が「ちょっとすみません。お名前を聞かせてください」と言ってわたしを起こした。わたしは名前を呼ばれているのに眠っていたのかと思ったのだが、どうもそうではなかったらしい。
▼だいたい、わたしは指示された番号の部屋の前に座っているのに、違う番号の部屋から看護師がわたしのところに来て起こすというのも理解に苦しむ。まぁ若い人がほとんど受診していないので、見渡してわたしがいたから決めつけてきたのかも知れない。
▼診察の結果はだいたい聞かされていた通りで、コレステロールの数値を下げる薬と、尿酸値を下げる薬を飲みなさいということになった。これでとうとう、病人である。薬を飲み続ける、薬を持って回る、どこででも薬を取り出す。これまでわたしが否定していたグループに、わたしも加わることになった。よろしくお願いします。
▼月に一度開かれる「食生活改善」の集会に参加した。体に優しい、カロリー控えめの、工夫を凝らした食事をいただいてきた。だが周囲を取り囲む高齢者たちは、「わたしはこれは食べないので、神父さん食べてください」と言って、一品譲ってくれる。結局、わたしはあれもこれも人の分まで食べて、カロリー控えめがカロリー過多である。
▼今月の「食事改善の集い」は最後に豆まきが計画されていた。「年男」という理由でわたしが豆まきをすることになった。それでわたしは、「ババは内、ジジも内」と言いながら豆をまいた。
14/02/16(No.694)
▼先進国の人々は、50人もの使用人に奉仕してもらって暮らしているようなものであると何かの記事を読んだことがある。たとえば台所の調理器具、蛇口をひねればすぐに出る水道、そんなことを取り上げただけでもかつては考えられなかった環境だと言える。
▼ガスコンロは火をおこす人がいつもいて、すぐに火が利用できるのと同じ。これで使用人1人。水道が完備されているのは、いつでも水を汲んで用意してくれる人がいるのと同じ。これで2人目の使用人。食材を切っているうちに炊飯器がご飯を炊きあげる。これで3人目。こうして数えると、本当に50人もの使用人に仕えてもらっていることになるかも知れない。
▼さて徒歩巡礼に行くが、いくつかの装備や道具を買った。18日(火)がすでに雨の予報になっているが、水は通さず、体の湿気は外に逃がす雨具を買った。今の雨具はここまで進歩しているのだなと感心した。
▼また、飲み水を素早く口に含み、歩き続けるために特殊なキャップの付いたボトルを持っていく。ありがたいことに、日頃からハーフマラソンなどで給水の大切さをよく知っている人から差し入れてもらった。最後の自主トレの日、このボトルを腰にセットして30キロ歩いた。30キロ歩けるのであれば、42.195キロも歩ける?
▼それと、これは当日使用するかまだ躊躇しているのだが、ノルディックスキーのポールのような物も買った。しかしこれは、使用すれば上り坂の時など電動アシストのような補助になってとても快適に歩けるのだが、はたしてこのような歩き方が「巡礼」にふさわしいかどうか、まだためらっている。少なくとも同僚司祭は使用しないので、抜け駆けのようでもあり、今回は難しいかも。
▼最後に、これは昔から使っていたのだが、おサイフケータイ機能。巡礼途中でコンビニに入ってトイレを借りるとき、まぁ飲み水か、ゼリー状の栄養補助食品などを買うことになると思うが、財布を取り出してまた収納するのはきっと面倒である。そんな時、「ピッ」とレジを済ませることができるのは非常にありがたい。ここも使用人が1人いるのと同じかも知れない。
14/02/23(No.695)
▼準備ができるとしても、これだけのことを準備してくれるものだろうか。今村教会に到着して、100人くらいの人が出迎え、わたしたち全員分の花束を用意してくれていた。ミサをともにささげたあと、茶話会を用意してくれていた。
▼今村教会周辺は米所のようで、お土産ですと言って一人10kgずつお米を差し入れしていただいた。ほかにも地域で売られているお菓子とか漬け物とか、とにかく両手に抱えきれないほどの差し入れをいただいて帰ってきた。
▼このもてなしは、浦上のキリシタンたちが今村から連れ帰ってきたキリシタンたちを手厚くもてなしたことを思い起こさせる。浦上のキリシタンたちは、自分たちと遠く離れた場所にも同じ信仰を奉じている人がいると初めて知り、できる限りのもてなしをしたのだそうだ。
▼同じ信仰を持つ、それだけで奉仕しあうことができる。信仰の友というのは本当にありがたいと思った。この点では、いろんな宗教が同じ実践をしていると思う。この体験を分かち合えば、何かお互いに理解し合える部分があるのかも知れない。
▼いやはや疲れた。帰ってきてすぐに通夜の予定が入っていたが、親戚になる後輩司祭に通夜を任せたところ、引き受けてくれたが、彼は正座ができない状態だったようで、ずっとひざまずいたまま式を進めていた。それを思えば、丈夫な体を与えてもらったことを感謝しなければならないと思った。
14/03/02(No.696)
▼恩人の司祭が肺炎で亡くなった。あっけない幕切れだった。最近は、お世話になった司祭と司教で食事会をして神父さまの労をねぎらうのが恒例で、今年はどこでいつしようかと一度だけ話を持ったことがあったのだが間に合わなかった。
▼わたしの記憶では、観葉植物をたくさん育てていた。狩猟が今ほど危険視されていない時代で、キジ撃ちにいって剥製にしたキジが来客用の応接間に飾ってあった。ガラスの戸棚には板チョコが積まれていたが、あれは今思うとパチンコの景品だったのかも知れない。
▼日曜日のミサの侍者をしていて、一つ疑問に思うことがあった。説教のときに、「チースリク神父」の名前の印刷物が置いてあって、どうやらそれをそのまま使っていたらしいのである。当時のことを確かめるためには、カトリック神学院の福岡キャンパスに出向いて資料を突き合わせるしかないが、今更調べてどうなるものでもないか。
▼さまざまな逸話がある。ここでは書けない。さまざまな武勇伝を聞かされたが、幼い頃は真に受けていたが、あとでは半信半疑だった。そんなことまでご自分の武勇伝にしていいのかなぁ、という内容もあったからだ。
▼それにしても、名物司祭がまた一人旅立ったことは間違いない。どの司祭も個性的だが、大先輩のような司祭はこれからは登場しないかも知れない。皆同じような個性で、まぁちょっと変わっている、その程度の差しかない時代だからだ。
▼神学校に送り出してくれた恩は一生忘れない。主任司祭の推薦がなければ、神学校入学は許可されないのだから。卒業間際に警察沙汰を起こしたわたしを寛大に受け入れてくれたのだから、その恩は一生かけて報いたいと思っている。
14/03/09(No.697)
▼昭和40年の4月から昭和41年の3月までの生まれの人は、わたしと同級生である。その中でも新上五島町の東浦小学校を卒業した人は、わたしを当然知っているはずである。だが、「当然」というのはどうやらそうでもないらしい。
▼わたしがいつもお世話になっている郵便局に、名前に見覚えのある局員が配置された。もう1年前のことである。そこで窓口で用事をお願いしている間に「わたしは東浦小学校卒業で、中野の出身です」と言ってみた。するとその人は「わたしも実は、東浦小学校卒なんですよ」と言う。
▼「同級生じゃないのかな」と思ってこっちは投げかけているのに、「奇遇ですねぇ」みたいに扱われた。仕方がないのでそのままにしていたら、この局員が1年経ってから「中田さん、わたしと同級生ですか?」と言う。
▼だから言ったじゃないか。「同級生だろう?」って。面倒くさいなとは思ったが、同級生の名前をずらっと並べて思い出すきっかけを与えてくれたら、嬉しそうに反応してくれた。だが肝心のわたしがクラスにいたことは思い出せないらしい。少なくともわたしは、小柄で華奢な体型の彼をおぼろげながら記憶しているというのに。
▼地元の上五島に残って、地域を支えてくれている同級生がたくさんいるはずである。わたしもどこに投げかけてよいのか分からないので、窓口を教えてほしい。あるいは、かつての同級生と直接出会える土地にいる間に、できるだけの人と会っておきたいから、何とかして名乗り出てきてほしい。
▼これだけ情報の時代にありながら、なぜ上五島にいて上五島の同級生と会う機会に恵まれないのだろうか。「ゆびとま」というサイトを見たことがあるが、同級生の名前はほとんど掲載されていない。ではfacebookか?これもまた、それらしい名前に当たったためしがない。
▼新上五島町でこのブログを閲覧している人は何人いるだろうか?そうした読者にも、できたら力を貸してほしい。かつては会いたいとも思っていなかったが、わたしもすでに赴任して4年が経過しているので、いつまでもここにいるわけではない。昭和40年4月から、昭和41年3月までの、東浦小学校卒業生。名乗り出てほしい。
14/03/16(No.698)
▼3月12日に48歳の誕生日を迎えた。45歳も48歳もたいして変わらないが、40代の時間があと2年と限られてきたことは実感する。もはや人生の折り返しも過ぎ、のこりは12.195kmだと思っているので、これからは何が起こってもおかしくない。
▼今月初めに処方箋に沿って出された1ヶ月分の薬を受け取った。これで2回目、服用も2ヶ月目に入ったことになる。薬は2種類、コレステロールの値を下げる薬と、尿酸値を下げる薬。これで立派な病人である。食事のあとに薬を並べていた人々を憐れんでいたものだが、それももう過去の話になった。
▼誕生日に「おめでとうございます」という声をたくさんかけてもらった。大変ありがたいことで、心にかけてもらえることを感謝して生きたいと思う。1件だけ、仕事を頼んでくる電話が入った。誕生日に仕事を入れようとするなんて、どこのどいつだと思ったら、修道会が経営している保育園からだった。
▼内容は、「保育園の職員研修で、講師を務めてもらいたい」というものだった。ざっくばらんな電話に、おおざっぱな依頼内容。こんなテキトーな依頼を引き受けるほうもテキトーだとつくづく思う。あとで詳細な依頼の書類が届くそうだが、電話で聞いた内容に、少し説明が加わる程度だと思うが、どうだろうか。
▼断ってもよかったのだが、ちょっと断りにくい事情があった。電話をかけてきた保育園の園長が、同じ郷里の出身で、いろいろたどると他人ではないシスターなのである。まぁわたしも人の子で、先ではあちこちの保育園を抱えた小教区にお世話になることだし、恩を売っておいても悪くないかなぁと思ったので断らなかった。
▼それにしても、漠然としたテーマに対して、どんな準備をすればよいのだろうか。毎年、どんな講師を依頼していて、どんな順番でわたしになったのだろうか。そういうことを考えながら、あと3ヶ月近くも講話を考えなければならないことになる。最後は、自分でこうと決めたものを持っていくしかないか。
14/03/23(No.699)
▼ときどき、黙想のアイディアになりそうなことをメモを取っている。日々のミサの短い説教の中で、「これだ」と思うことがあり、ミサが終わってすぐにメモを取るようにしている。そんな「ひらめき」があった平日のミサは、「話したことを忘れないようにしなければ」という意識でミサに集中できていない・・・かも知れない。
▼いろいろ思い付くことがある。これまでもいろいろあったのだが、メモを取っておけばと本当に後悔する。それでも、メモを取り始めたところがスタートだと思うようにしている。後ろを振り向いても過去には戻れないのだから。むしろ、今から過去への後悔を忘れるほど努力すればよいではないか。
▼高校生に向けて、一つのアイディアが浮かんだ。高校生を指導する立場になったときに話してみようと思っているネタである。わたしたちはどうしても真面目になりすぎて、「立派な高校生になるように」と指導しがちである。そんな指導はほかの人に任せればよい。わたしはこう言いたい。「親不孝をしなさい」と。
▼現代、親不孝な高校生とはどんな高校生だろうか。立派に高校卒業して、引きこもりになることだろうか。進学はひとまずしたけれども、大学や専門学校を中退することだろうか。保護者はその程度の行動でわが子に唖然とするだろうか。
▼わたしは、その程度で腰を抜かしたりはしないと思う。ある程度悲しむかも知れないが、仰天する結末ではないと思う。そうではない。あなたが身につけた高等教育をひっさげて、修道会の志願者になったり、司祭を目指す神学生になること。これこそが、現代にあって保護者が腰を抜かし、予想だにしなかった結末なのではないだろうか。
▼「こんな道を選んでもらうためにおまえに勉強させたのではない。」保護者はかんかんに怒るかも知れない。面白いではないか。その親不孝のために、決断した青年は勘当されるかも知れない。いよいよ面白い。だから、いつか話す機会があったら、わたしが考える「親不孝」をしてみないか?と誘ってみようと思う。
▼黙想会の効用とか、黙想会のとらえ方については説教で話をした(つもり)。ここは、ゆるしの秘跡の場でひらめいた。一人ひとりの告白のあとに、「黙想会という機会をとらえて、お一人お一人の信仰の畑を耕しましょう。そして・・・」と言い聞かせをした。これもわたしの中で「キター」と思ったアイディアである。
▼ほかにも、司祭がミサをささげる中で、単調にならないための一つのエピソードをある場面で与えてもらった。わたしはそのアイディアを自分に言い聞かせ、心ここにあらずというようなミサにならないように戒めている。これは司祭の黙想のためだが、これを活かす場所がないか。
14/03/30(No.700)
▼メルマガが700号になった。全く意識してなかったわけではないが、ちりも積もればここまで来るのだなぁと感慨深い思いだ。たくさんの方の支え、励ましでここまで来たと思う。
▼ときおり配信を忘れ、「今週のメルマガが届いていません(泣)」という連絡を受けたりして、必要とされていることを再認識することもあった。どうしてもメルマガの登録がうまくいかず、個人的にメールを転送している人も数人いる。この人たちもメルマガを待っている人たちだ。
▼これまでに、配信の道具が故障して作業が行き詰ったこともあった。特に昨年は、メインのデスクトップパソコンが深刻な障害に見舞われ、活動を諦めるか、というところまで追い込まれた。幸い作業を続けるだけのデータだけは保護できたが、本体を買い替えるくらいの時間と費用がかかった。
▼それでも待っている人のため、メルマガを続けてきた。これも、続けて購読してくれている人がいるからこそ。これからも多くの人に感謝しながら、このメルマガを続けていきたい。
▼できれば、この活動を理解してくれる人をもっと広げたい。何より、説教をしている同じ司祭たちからの認知度が低いので、そのへんを掘り起こしたい。「メルマガ?ふーん」としか返事の返ってこない司祭たちに、何をどう投げかければ認知してもらえるのかわからないが、やはり同じ立場の人に理解してもらうのは心強いものである。
14/04/06(No.701)
▼iPhoneに切り替えて重宝していることと不便に思うことと両方経験している。まずメールに関しては、Gmail(ウェブメールの一種)も従来のドコモのメールも受け取れるので、1台でほぼすべてのメールが確認できるようになった。
▼ただ、文字入力は圧倒的に従来のケータイのほうが正確に早く打てた。以前のものは押し下げる感覚があり、ボタン全体の配置も中央のボタンに突起があったために指先の感覚で正確に探すことができた。タッチ式のスマホではそうはいかない。
▼さまざまな絵文字が用意されているのは分かるが、デザインがいまいち。サイトを探せば、おしゃれなアイコンやいわゆるスタンプみたいなものが見つかるのだろうか。
▼ドコモメールはワンテンポずれが生じる。メールの着信の合図を受けてメールソフトを立ち上げると、立ち上げてから受信をしている。ウェブメールはメールソフトを立ち上げた時点ですでにメールは受信できている。
▼カレンダーも、従来のケータイでは音で知らせる項目が必ず含まれていた。iPhoneにはないようだ。リマインダーには音で知らせる機能があるが、カレンダーに入力し、リマインダーでも記入するというのは労力の無駄ではないか。
▼画像の大きさも違いがある。従来のケータイで撮影したいわゆる「写メ」とスマホで撮影した画像では縦横のサイズが違っている。以前のケータイで撮影したものの中には、ケータイで眺めるために撮影しておいたものがあるわけで、それらをiPhoneに移し替えて眺めてもサイズの問題で不満が残る。画像の保存形式も、ぜんぜん違う。
▼ほかにもさまざまあるが、それでもiPhone欲しさに機種変更したのだから、がまんしろよと自分に言い聞かせている。ホームボタンという命綱のボタンだが、頻繁に押すときっと壊れてしまうと思う。でもそのころには2年が経過して、新発売のiPhoneに乗り換えているのだろうか。
14/04/13(No.702)
▼「もしかしてだけど・もしかしてだけど・ちょっとひとやすみだけ読んでこれが説教ブログのおまけだってこと知られてないんじゃないの?」名前は知らないけど、お笑い芸人のまねをしてみた。
▼本当に、このコラムが「こうじ神父今週の説教」というカトリック教会のミサ説教メールマガジンの「おまけ」であることを知らない人がいるかもしれないと思い、今回呼びかけをすることにした。
▼さかのぼること12年前、2002年3月10日に、日曜日のミサ説教をメールマガジンで配信する活動を始め、今日まで配信702回を数えている。途中いろんな試行錯誤を経ているが、基本的には「ミサ説教」と「ちょっとひとやすみ(コラム)」の組み合わせで配信してきた。
▼一時期有料配信も手掛けていたが、有料配信を申し込む人の数に対して有料配信の手間のほうが負担が重く、有料はかなり前に廃刊にした。20人とか、30人有料配信に切り替えてくれるならそれはそれで考えるけれども、1人とか、2人の申し込みでは張り合いがなく、長くは続かなかった。
▼結果的に、無料配信は時代の流れとなり、多くの人に受け入れられ、今日を迎えている。そのメルマガ配信にあたっての、日々起こる出来事を綴ってきたのが「ちょっとひとやすみ」である。
▼このコラム欄は、思い浮かんだことを、思った通りに書いているので、わたしにとってのちょっとした息抜きになっている。もし、このコラムだけに目を通している人がいるなら、できれば本題の「こうじ神父今週の説教」に同時に目を通してほしい。
14/04/17(No.703)
▼聖木曜日、伝統的に聖香油のミサが行われることになっている。長崎教区では火曜日に聖香油のミサが行われている。確かに典礼儀式書の細則を読むと、「この日に教役者と信者が司教とともに集まることが困難な場合には、復活祭に近い他の日を選んで行うことができる」となっている。
▼ルール上は問題ないが、わたしはそれを心の底から賛成しているわけではない。現状は「教役者と信者が司教とともに集まることが困難な場合」に当てはまると思えない。わたしの見たところ、現状はルールの拡大解釈であって、できれば聖木曜日に実施してほしいと思っている。
▼しかしこれ以上声を荒げても、わたしに何のメリットもない。従うしかない。だから聖火曜日に聖香油のミサに行くのは行く。その後に控えている「司祭の日の集い」も、ダイヤモンド祝(60周年)、金祝(50周年)、銀祝(25周年)、新司祭ともに関わりのある司祭の祝いなのでできるだけいるつもりだが、帰りの船の時間を見ながら帰るつもりだ。
▼聖火曜日は聖香油のために集まっているのか、「司祭の日」なるイベントのために聖香油のミサをしているのか。わたしにはどちらにも見える。まぁどちらでもいいけど。さっさと頭を切り替えて、聖木曜日に集中しよう。
▼今年はたまたま、聖木曜日に病人訪問の日程が重なっている。典礼儀式書の細則には、「聖体はミサの中だけで授けられる。病者には一日中、いつでも授けに行くことができる」とある。これこそ、最大限に解釈して活用すべき細則だと思うが。
▼小教区の巡回教会の信者で、本当にお見舞いが必要な病者がいる。夫は脳梗塞の後遺症を抱えて生活し、妻は老老介護で疲れ、平日のミサの帰り道でつまづいて倒れ、けがをした状態で今も生活を続けている。
▼ご聖体を授けるのは当然だが、わたしがその場に5分でも居てあげることが、夫婦の安らぎになる。だから、もし規則が許さないと言っても、わたしは聖木曜日と重なった今回の病人訪問でこの夫婦を訪ねることにしている。
14/04/18(No.704)
▼聖金曜日に愚痴をこぼして申し訳ない。この部分は13日に書き込んでいる。聖週間を過ごす中で、典礼を行う時に不便に思うことがあって、記憶のためにここに書いておこうと思っている。
▼別に今年に限って感じた不便ではないのだが、儀式を進めるための「儀式書」に不備があると思っている。13日(日)で例を挙げると、枝の行列を進めるために、B5変形判の「聖週間の典礼」(青色の表紙)が1冊必要で、さらに福音書の朗読にA5版の「毎日のミサ・聖週間と復活の八日間」が必要である。
▼なぜそういうことになるかと言うと、B5変形判の儀式書には必要な聖書朗読が実は入れ込んであるのだが、昔からの儀式書を使用している場合、その聖書は現在の改定版以前のフランシスコ会聖書が載せられている。これでは信徒のパンフレットと整合性が取れず、先の「毎日のミサ」がどうしても必要になる。
▼さらにミサが進んでいくと、説教、信仰宣言の後に共同祈願を唱えるから、必然的に「聖書と典礼」のパンフレットも手元に用意しなければならない。すると、とっかえひっかえ、実に面倒くさいことが儀式中に発生するのである。
▼わたしの考えはこうだ。ぜひ、すべてを一冊にまとめたA5判の典礼書を用意してほしい。B5変型判でもよいのだが、これは実際に開いてみると大きすぎて邪魔になる。司教様のように本を持つ専用の係が必ず付いているなら話は別だが、われわれ下々は儀式書を持ってすべてを執り行っている。
▼つまり、片手に儀式書を持ち、枝を祝福したり聖水を振りかけたり香炉を振ったり、復活のローソクに文字を刻んだり、忙しいのである。こんなときにいかにも格式ばった大きな儀式書は邪魔になる。だからすべてを一冊に収納した、A5版の儀式書を要望する。
▼それが無理であれば、すべての文字をデータに落として、適宜プリントして使えるようにしてほしい。そうすれば、必要な人は印刷して自分の好みの大きさにするだろうし、必要ない人の分まで無駄に印刷する手間も省ける。わたしの場合、データがあるならタブレットにPDFデータとして置くかも知れない。
14/04/19(No.705)
▼主の復活、おめでとうございます。今年、わたしにとっての「復活」は、広島カープの復活です。この文章をまとめている13日(日)の時点で、9勝4敗でセ・リーグの首位に立っていました。13日(日)は雨で中日戦が中止。勢いがあるだけに、もったいないなぁと思ったものです。
▼嬉しくて、サンデースポーツを録画しました。雨で中止でも、録画する価値があります。それは、順位表で堂々の首位だったからです。嬉しくて、順位表の画面で一時停止にして、3時間くらいその画面をテレビに映したままでいました。
▼巨人ファン、阪神ファンには笑われるかもしれないけれど、今年は優勝してくれるのではないかと、本気で思っています。そうなると、クライマックスシリーズで巨人をひと捻りして、日本シリーズは東北楽天、向こうも広島が日本一から遠ざかっている事情を考慮してくれて、1984年以来30年ぶり?の日本一だ。もしかしてだけど。
▼広島カープファンは血の気が多い人が多いとか。真偽のほどはわからないけれども、自分にもそういう傾向があると思っています。去年広島の呉で1度、マツダスタジアムで1度試合観戦に行ったけれど、やはり現地での応援はいい。今年も行きます。
▼風邪からも復活したし、不調のパソコンも多少の出費はあったけれども復活したし、あとは夢の体の復活までこぎつけたいものです。たまたま長崎の大波止で高校時代の同級生が運転する個人タクシーに乗ったところ、わたしの名前を名乗ったら「昔はホリが深かったのに・・・名前を言われても全くわからなかった」と唖然とされました。
▼ちょっと悲しかったので、もっと自分の体と厳しく向きあって、タクシー運転手の同級生を納得させたいです。今は標準体重よりも15kgもオーバーしているから、無理もないです。みるみる・・・とはいかなくても、自分で妥協できるくらいにはなりたいです。
14/04/20(No.706)
▼聖週間の火曜日、この日は浜串教会のミサの日で、ミサの時間は朝6時。前日、実家に帰り、夜中の1時に浜串に帰り着いた。それから準備をしてベッドに入ったのだが、朝とんでもないことになっていた。朝目覚めたのは6時9分だったのである。
▼驚いてパジャマのまま祭服を着替える「香部屋」という部屋に向かった。だが信者が集まっているわけでもなく、ミサの準備もなされていない。どういうことだろうと頭が混乱しながらも、ひとまず着替えてもう一度香部屋を覗きに行った。やはり誰もいないし、その後司祭館のチャイムを鳴らす人もいなかった。
▼キツネに包まれた状態でフェリーターミナルに向かい、朝8時のジェットフォイルで長崎へ。長崎では聖香油のミサに参加し、年齢の近い司祭にこの日のことを話すと、「そりゃぁきっと、ぐっすり寝ているお前に遠慮して、声をかけなかったんだろう」と言う。
▼しかし、わたしの印象ではミサ前の教会の鐘も聞こえなかったし、ミサが始まる前の祈りも聞こえなかった。聖香油のミサを終え、夕方に浜串の司祭館に帰り着くと、まだ賄いのシスターが残っていたので、恐る恐る「今朝、何が起こったの?」と尋ねてみた。
▼するとシスターは、「わたしたちは福見修道院からミサのために浜串教会に来たんです。けれども、教会の電気はついてなかったし、祭壇もミサの準備はなされていませんでした。『火曜日の朝ミサはお休みです』って言ってたかもしれないなぁと思いつつ帰りましたよ」と答えてくれた。
▼最後の最後に思い出した。「聖週間のミサ日程」というのを早くに配布していた。よく見ると、「火曜日、聖香油のミサで長崎行き。浜串の朝ミサ休み」と書いてある。ようやく合点がいった。配布した日程表からまた変更になったことを知らせなかったから、日程表の通りに浜串教会の信者さんは休んだのである。朝ミサは可能だったので、大事な聖週間に、1日分のミサを取り上げてしまい、申し訳ないことをしたと思っている。
14/04/27(No.707)
▼書こうと思ったことを巡回教会で思い付き、忘れないうちに書いておこうと思って浜串教会に戻って机に座ったのに、何を書こうと思っていたのか思い出せない。情けないやら悔しいやら。タイムリーな内容を思いついたような気がしたが、消えてしまった。
▼広島カープ。首位にいるというのは本当に気持ちのいいものだ。テレビを見ていてスポーツコーナーに「首位の広島は・・・」と必ず大きく取り上げてもらえる。先日は野村謙二郎監督が二塁塁審に食ってかかり、遅延行為を働いたとして退場になった。
▼あの物静かな監督が飛び出したのだから、判定に明らかなミスがあったのだろう。ニュースダイジェストでしか見ることができなかったが、サンスポの興奮した監督の写真を見ていてこちらが興奮した。広島はかつてブラウン監督という名物監督もいたことだし、今年は大いに観客を沸かせてほしい。
▼広島のドラフト1位大瀬良大地投手が4月24日の登板で2勝目を挙げた。楽天のゴールデンルーキー松井は23日の登板も振るわず、1軍登録を抹消され、代わりに1軍登録された2年目の森投手が初勝利。楽天よ調子を上げてくれ。日本シリーズを広島と楽天でやろうじゃないか。
▼オバマ大統領が来日した。長崎は被ばく者との面会や、長崎訪問を期待していたが、厳しい日程のためか実現しなかった。わたしも、アメリカ大統領はいつか長崎・広島を訪問してほしいと思う。核兵器を持つということは、過去にも責任を持たなければならないと思う。
14/05/04(No.708)
▼先週なぜかアメリカ大統領を「クリントン」と書いていた。相当疲れがたまっているのだろう。本日4日からの教区代表者会議(教区シノドス)書記に選ばれたので、まずは務めを果たすために出張する。そのついでにリフレッシュの時間を取ろうと思う。
▼先週、本来何を書こうとしたかをやっと思い出した。「あーこれだった」と思い出した時に、「これは、忘れるかもね」と、自分なりに納得した。携帯電話各社が、絵文字を統一する方向で動いているそうである。これは素晴らしい協力体制だと思う。
▼わたし自身がすでに経験している例を挙げると、ある人から届くメールで「了解しました[絵文字]」のメールが来ているようなのだが、そのメールはわたしのキャリアでは「了解しました[警官]」と変換される。手袋をした警官が敬礼をしている絵文字は表示されない。
▼ほかにも、「おいしそうです[絵文字]」というメールをもらったが、それはうまく絵文字に表現されず、「おいしそうです?」と変換されていた。わたしの「初鯛ラバ釣果」に賛辞をいただいた時のものだが、「おいしそうに見えませんけど、おいしいのですか?」みたいな意味でこちらには届いたのである。
▼賛辞を送ったつもりが、誤変換のためにとんだ勘違いをきたすところだった。こうしたことを踏まえて、このたび絵文字が統一化する試みを歓迎する。意思疎通にかかわることだから、もっと早く取り組んでもよかったはずだが。
▼聖ヨハネ二十三世教皇、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の名が教会の歴史に刻まれることになった。詳細はカトリック新聞などで報道されると思うが、既にメディアでも取り上げられ、話題になっている。きっと誰か、洗礼の霊名に希望する人が現れるだろう。現代の教皇が聖人になる。これは、現代が聖人を必要としている時代であることの「しるし」なのだと思う。
14/05/11(No.709)
▼今NHK総合で広島カープ対中日ドラゴンズの試合が放送されている。NHKなのでコマーシャルも入らず、試合が終わるまでいつまででも放送すると思うが、中継を見てすぐわかるのは、「球場が真っ赤だ」ということだ。
▼幸いに、ファンである広島カープが7回の時点で9対4でリードしている。貧打に毎年泣かされているチームが、今年はまるでどこかの金万球団のような打力である。こういう試合を中継されると、見に行きたくなる。
▼今すぐ飛んでいきたいが、残念ながらここは長崎県の五島列島、長崎本土であれば車を飛ばしていくこともできるかもしれないが、それすら叶わない離島である。せめてテレビにかじりついて、試合を見守るしかない。
▼外国人助っ人のエルドレッドが別人のように打てるようになった。去年は大型扇風機、ブンブン音が聞こえてきそうな空振りの多い選手だったが、今年は違う。打ってくれそうな雰囲気があるし、実際にチャンスでホームランという最高の結果で応えてくれている。
▼いろいろ専門家の解説があるが、内角が打てるようになったのが最大のポイントだと思う。自分も内角の球は大好きなので、今年はエルドレッドの打撃フォームをじっくり観察して、秋の司祭団ソフトボール大会に活かしたいものだ。
▼あとは、多くの選手が若手で、怖いもの知らず。わたしのように50歳を目の前にしている者にとっては、親子ほど離れている選手たちだ。まさかこんな印象を野球選手に持つ日がやってくるとは思ってもみなかった。
▼今年も、何とかしてマツダスタジアムに真っ赤な景色を見に行きたい。去年初めて行ったとき、身震いするほどワクワクしたことが忘れられない。ここにやっと来ることができたという実感が、全身を駆け巡ったのだ。
▼今年こそ。23年ぶりの今年こそ。夢は日本シリーズ。日程が決まったらチケットを手に入れよう。そして、自分の中に流れている赤い血をたぎらせよう。
14/05/18(No.710)
▼集団的自衛権。限られた情報から考えるのだが、顔を真っ赤にして、どうしてもこの権利を行使したいとおっしゃる総理大臣が理解できない。憲法が「行使できない」と言っているのだから、行使できないまま構わないではないか。
▼そこまでして海外で「やられたらやり返す」姿勢をアピールしたいのか。悪人に手向かってはいけない。一緒になって反撃すれば、きっと誰かが死ぬことになる。人が死ぬかも知れない場面に飛んで行くのは「自衛」ではなくて「戦争」だ。
▼集団的自衛権を行使できるようにしても、行使できると決めた人たちが行使するわけではない。自分が出て行ってでも集団的自衛権を行使したいというのなら、勝手にしてくれたらいい。忘れていないか。実際に出かけて行って命を危険にさらすのは自衛隊だ。
▼記者会見を見た。「これこれの状況下で、自衛隊は何も手を出せないのです。それでいいのでしょうか。」本当に手を出せないのか?武器を持たなければ、自衛隊員は救出に行かないだろうか。武器を持たなくても、厳しい訓練を受けた自衛隊員は何とか救出しようとするのではないか。
▼「戦争はしません。」これも時代が変われば放棄するのだろうか。集団的自衛権は、国内の話ではなく海外に出かけて行って何かをするということだ。戦争はしないと決めた国だ。最後まで戦争まがいのこともしないで欲しい。
▼最後の最後、どうしても集団的自衛権の行使を必要とするなら、正々堂々と憲法を変えればよいではないか。国民を説得すればよいではないか。国民を説得できないのであれば、解釈の変更で集団的自衛権の行使を正当づけても、どのみち国民はついてこない。
14/05/25(No.711)
▼今年も、国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園(きくちけいふうえん)」を訪問する時期がやってきた。この施設で暮らしている方々は、日本の政策によって社会から隔離された生活を強いられてきた人々である。
▼訪問すると決まってこの施設が入所者に対して行った厳しい処置のことが職員によって説明される。規則(入所者を管理するための規則)に反したということで食事を与えなかったり、罰として独房に入れたりしたことを話してくれる。かつて独房に使われた場所も案内してもらう。
▼入所者に対する職員の行動は、間違っていたこともあったと思う。しかし、法律と、それに基づく政策が間違っていたのだから、間違いに気付かなかったかもしれない。隔離するということ自体が間違っているのに、隔離しようと熱心に行動すれば、間違いも起こるに違いない。
▼法律は廃止された。だから施設を出て生活する権利は回復された。けれども施設の外ではまだ十分な理解が得られていないと思う。わたしたちが「これは正しい」と思いこんだことが間違っていた場合、間違いを正すのは容易ではないのである。
▼施設の中に、目の不自由な方々がおられる。この方々とわたしが現在代表を務めている「声の奉仕会マリア文庫」は30年来の関わりを持ってきた。今年もこの方々を訪ねて、一年ぶりの再会を喜び合うつもりである。最後まで施設で暮らすことになる方々と、ぬくもりのある時間を持つ。それがこの訪問の最大の目的である。
14/06/01(No.712)
▼熊本の国立ハンセン病施設「菊池恵楓園」を訪問し、盲人会の会員の方々と面会してきた。2時間ほどだったが、時間の経過も忘れていろんな話に花が咲いた。わたしたちのほうで歌のプレゼントと手作り品のプレゼントを用意していった。
▼お会いした方々はすべて70歳以上、中には90歳を過ぎている方もいた。80歳前後の人だが、とても元気で、ずっと座布団に座っておられた。わたしのほうがかえって疲れてしまい、椅子に座りたいなぁと心の中でこぼしていた。
▼盲人会の方々の1人が、歌を披露してくださった。驚くほどの声量、そして歌詞も一度も間違えることなく歌いきった。わたしたちは喜んでもらおうと様々に工夫しで訪問したのに、かえってわたしたちが心満たされて帰ることになった。
▼バス会社に依頼しての移動で、高速道路では金立(きんりゅう)と広川(ひろかわ)サービスエリアで休憩をとった。行きの広川SAで、「チャソポソ」と書かれたのぼりが立った食事処に目が釘付けになった。
▼たぶん、「チャンポン」のことだろうが、わたしの目にはどう見ても「チャソポソ」に見える。一緒にいたマリア文庫のメンバーに、「チャソポソって、どんな料理だろうか」と尋ねたら、その人は真剣に考えたようで、「聞いたことないです・・・。注文してきましょうか?」と言うので、笑いをこらえるのが大変だった。
14/06/08(No.713)
▼いつもと反対のことをするというのは、よほど意識しないと難しいものだ。野球で右バッターボックスに入って打つ選手に、左バッターボックスに入って打ってみろと言われても、体の動きをすべて反対に使うのだから、簡単なことではない。
▼わたしは週に2回ミニバレー(ソフトバレー)をしているが、アタッカーのポジションに入った時、利き腕が左なのでセッターにトスをしてもらうと左手で打つことになる。だがすべての球を左で打ちやすくトスしてもらえるわけではないので、とっさに右で打つこともある。その場合は打った球はかろうじて相手コートに入るだけで、決定力はないからほとんど拾われてしまう。
▼反対のことをしろと言われると、ほとんどのことが難しいのだから面白いとは感じないだろう。だが、わたしが体験した中で、反対の動作がおもしろいというものに出会った。鯛ラバーでの釣りである。ふだんと正反対のことを意識するのがこれほど面白いとは、体験するまで分からなかった。
▼ほとんどの釣りは、「誘いをかけ、竿先に反応(当たり)があったら、タイミング良く合わせを入れる」というのが基本中の基本である。10年ほど前に出会った人からは、「コツっとアタリがあってから合わせるのでは間に合わない。『コ』と『ツ』の間で合わせなければ魚はかからない」と言われたことがあった。それほど、タイミング良く合わせることが本来は求められる。
▼ところが、鯛ラバーでの釣りは、この原則から完全に外れている。まず誘いをかけない。普通であれば竿で仕掛けを上下して誘いをかけるのだが、この鯛ラバー釣りでは誘いはいっさいかけない。海底に仕掛けが届いたら間をおかずに一定の速度で仕掛けを巻き続ける。途中で糸を止めることすらしない。
▼次に、もっとも違和感があるのが「当たり」を感じたときである。釣り人は、当たりがあると反射的に合わせを入れようとするものである。針掛かりをさせようと本能的に動くのである。ところが、鯛ラバーの釣りでは合わせは禁物。合わせを入れることがむしろ魚をばらす(逃がす)原因になりうるのである。
▼反射的に出る反応を意識して出さないようにする。口で言うのはやさしいが実行するのは難しい。犬をペットにしている人は、犬に「待て」を教え込む難しさをよく知っているはずだ。大好きなおやつを前に、「待て」と命令して30秒、1分と待たせる。簡単でないのは飼っている人ならよく分かるだろう。嫌いなことを我慢しているのではない。大好きなことを我慢するのである。これはかなりの訓練が必要である。
▼犬と同じではないが、魚の当たりを感じて、とっさに合わせようとするのを「待て」と頭に命じる。最後まで合わせてはいけない。向こうから針掛かりするまで、一定の速度で糸を巻き続ける。「釣ろうとしない難しさ」が、かえって面白い。釣れるから面白いというよりは、この「いつもと正反対の釣りの難しさ」に、今ははまっている。
14/06/15(No.714)
▼二ヶ月半の内に、すっかり一本釣り漁師になってしまった。大きな魚が釣れるものだから、調子に乗って何度も釣りに出掛け、大した釣果でもないのに見せびらかすようになってきた。そろそろ趣味の自慢は卒業しようと思う。そう言いながら今回も釣り自慢だが。
▼鯛が入居している集合住宅を見つけてしまったようである。それは偶然のめぐり合わせだったのだが、手ほどきをしてくれた浜串のお父さんがあちこち教えてくれた場所ではなく、去年まで自分の実績を積んだ場所に近いポイントで、最初の真鯛がヒットした。
▼人にはさんざんA級ポイントを教えてもらいながら、この場所はちょっと人には教えたくない。大きな真鯛を釣り上げたとき、真っ先にしたことは周りを見渡したことだった。自分のいる場所をおおよそ推測できるような距離に、他船がいないか。欲深いというか、この場所を一人占めしたくて、つい周囲の様子を見まわしてしまった。
▼「鯛の集合住宅なんて、大げさだ。」皆さんそう思うかもしれない。しかし、その場所では今のところほとんど釣り上がるのは鯛なのである。「鯛だけ」とは言わないが、上がってくるほとんどが真鯛なので、「集合住宅」のほかに適当な表現を思いつかない。
▼3kgの鯛を釣り上げたときに、恐ろしくなった。経験が浅いと言えばそれまでだが、こんな魚は釣り番組でしか見たことが無かったので、いざ釣り上げると自然の脅威というか、そら恐ろしくなったのである。この広い海原にはいったいどれだけの大きな魚がいるのだろうか。
▼ぜいたくな話かもしれないが、3kgもある鯛を釣っても、わたしが全部食べることはとてもできない。そうなると、大所帯の修道院に魚は回ることになる。せっかく釣っても自分は食べないのである。そうであれば、中くらいの大きさの鯛を複数枚釣ったほうがよほど自分にはメリットがある。
▼だが大きさはこちらで選べない。弱肉強食の世界なのだろうから、強いものが先に食い付く。「強い」とはつまり「大きい」ということだ。周囲に大小さまざまの鯛がいても、魚体の大きなものが先に食いつくのは仕方がないのだろう。今回もそういうことで、3.6kgの鯛が周囲を蹴散らし、わたしの鯛ラバーにヒットした。
14/06/22(No.715)
▼黙想会はいつも喜びを神に感謝する期間となっている。わたしたちは司祭として、しばしば多くの教会で黙想会の準備をしている。黙想会に参加する人が、何かを得て帰るのをこの目で見ている。
▼その中でも、回心してもう一度教会とのかかわり方を見直す人がいることは本当に喜ばしい。これまで、何年も教会から遠ざかり、無関係に生きてきたという人が、何かのきっかけを得て、もっと神の恵みに近い場所で生活することを選ぶようになる。それを見ることができるのは司祭冥利に尽きると言ってよい。
▼ただ、その光景を見るのは司祭が小教区などの黙想会にいるときの話だ。これから司祭同士で、黙想会をすることになる。そこには、教会から何年も遠ざかり、これからはもっと恵みに近づいて歩んでいきますという姿は見られるのだろうか。
▼ちょっと、表現が適切ではないかもしれない。けれども、司祭同士で黙想会の中で自分を省みるとき、そこには回心があり、放蕩息子の例えが当てはまってもよさそうな気がする。実際に、そういう恵みが与えられる人がいるかもしれない。
▼黙想会は、さまざまな人にとって、恵みの時だ。ミサの中でキリストの聖体をいただくのが恵みの頂点だと思うが、ある意味、黙想会は違った形でキリストの聖体をいただく期間かもしれない。
14/06/29(No.716)
▼黙想会で、「説教師は皆さんを変えることはできません。皆さんを変えることができるのは皆さん自身です。」こう言い切る説教師に初めて会ったかもしれない。確かにその通りで、わたしたちが変わっていくためには、外からの力ではなく、中から、自分自身が納得して自分を変えなければ、変わらないのだと思う。
▼もっとも印象に残ったのは、次の問いかけである。「聖フランシスコはたえず次の問いをしていました。『主よ、あなたはどなたですか。主よ、わたしは何者でしょうか。』皆さんも同じ問いを自分に投げかけてください。」わたしの中に、生涯問い続けるテーマが植えられたと思った。「主よ、あなたはどなたですか。主よ、わたしは何者でしょうか。」
▼なんだったら、このテーマ1つで黙想会を組み立ててもよいくらいの大きな問いだと思った。この問いには、きっと一人ひとり別々の答えが見つかると思う。その答えは、どれが正解というものではなくて、その人にとっての正解が見つかればそれでよいものなのだと思う。そして一人ひとりが見つけた答えに、自分の生き方が逸れないようにすればよい。
▼わたしたちが見つけた答えは、きっと譲れないものだと思う。「主よ、あなたは○○です。主よ、わたしはあなたの○○です。」その譲れないものを生き方の中で表現していくために、黙想会というまとまった思索の時間はとても意義がある。わたしたちがたどり着いた答えをなかなか生活の中で表現できなくなってきたら、それは一旦歩みを止めて、黙想する時である。
14/07/06(No.717)
▼そう言えば、今日のNHKのど自慢は、新上五島町が会場だった。どこかで歌う場面があり、「長崎の鐘」をうたったところ、「とても上手ですね。NHKのど自慢に出たら?」とおだてられたが、素性がばれるし、仮に歌わなければならなくなったときにピエロ役に抜擢されるかもしれないし、考えれば考えるほど応募する気になれなかった。
▼金曜日には、土曜日の予選会のことを盛んに町内の有線放送で流して、見学に来てくださいとお知らせしていた。きっと楽しいだろうなぁ。見学くらいだったら、行ってもいいかもなぁ。案外、司祭は応募していなくても、シスターは応募していたりして(笑)。
▼わたしの知っている人で、参加すればまず間違いなく合格するであろう女性を2人知っている。声量があり、歌を楽しんでいるのがよくわかる人だ。この2人のうちどちらかが予選に参加して、本線に出てきたら、上五島にもこんなに素敵な歌声の女性がいるんだときっと視聴者も感心してくれると思う。
▼さて、NHKの宣伝はこれくらいにして、わたしは安倍総理大臣に一言申し上げたい。総理大臣は、中国には「力による現状変更は許されない」と盛んに言っていますが、ご自分は「数の力」による現状変更を許すのですか?
▼武力も、数の力も強引なことをしようとすればそう変わりないでしょう。だとしたら、力による現状変更は許されないはずです。お願いですから、現状変更しないでください。国会周辺や、総理官邸周辺で頻繁に繰り返されているデモを、どのように聞いているのですか。蚊の鳴き声としか思っていませんか。
▼「あの時総理が解釈変更に舵を切ってくれて良かった」と、振り返った時に思うのでしょうか。わたしは「あの時舵を切っていなかったならどんなに良かっただろうか」と考えるであろうグループの一人であります。
14/07/13(No.718)
▼久しぶりに冷や汗をかいた。紙の金銭出納帳にプリントアウトするのが滞っていたのでしばらくぶりにプリントしてみると、出力した結果と銀行通帳の数字が合わない。紙の出納帳に記録する前に表計算ソフトで管理しているが、表計算ソフトの数字と銀行通帳とはピッタリ合っている。
▼これはどういうことだ。以前は紙に出力しても数字に狂いはなかったのに、ある時点から数字が合わない。台風襲来で司祭館から一歩も出ることができないし、思い切って原因を探ることにした。表計算ソフトの書式の、入出金を記録している書式と、紙に出力する書式を見比べているうちに原因が分かった。
▼単純な計算間違いだった。司祭が管理している金銭を表計算ソフトに記録するとき、月ごとに「今月の収入計」「今月の支出計」「今年度の収入累計」「今年度の収入累計」「今月の収支残高」「今年度の累計収支残高」これら6項目が分かるような仕組みにしているのだが、なぜか去年の12月に限って、「今月の収支残高」「今年度の累計収支残高」が間違っていた。
▼さきの6項目はわたしが電卓で計算しているわけではない。単純なsum関数を表計算ソフトに埋め込んでいて、その結果が見た目には数字となって表れるようになっている。毎月の集計結果は今に始まったことではなく、10年くらい前から利用している関数式だ。
▼ところがこの関数式が、去年の11月までは正常に埋め込まれているのに、12月に限って間違った関数式が埋め込まれていた。去年の12月の時点で4万7千4百4円のずれが生じ、それ以降はずっとこのずれを引きずったまま、計算を続けていたのである。約10カ月分のプリントアウトを済ませて最後の数字を眺めたときに、初めてどこかの時点で間違っていることに気付いた。印刷はやり直しだし、インクも紙も無駄である。
▼なぜ、関数の埋め込みを間違ったのかまったく分からない。わたしは算数も数学も「2」だったので分かろうというのが土台無理なのだが、人間のミスを人間が発見すること、しかも自分のミスを自分で発見することがこんなに難しいとは思いもしなかった。早速正しい結果をプリントし、銀行通帳にも47404円入金した。
14/07/20(No.719)
▼浜串小教区内を移動していて、日中も濃い霧がかかっている日に当たることがある。珍しいと思い、場所を決めて撮影しようと考えた。だが撮影のタイミングを失ってしまった。「あ、霧だ」と思った時にすぐに車を降りて撮影すればよかったのだが、引き返してみると全体が霧に包まれ、撮影に向かない状態になっていた。
▼霧ははっきり形のあるものではないから、陸地と海がはっきり見えて、しかも霧が確実に迫ってきているという複数の好条件を見たなら、それはすべてを横に置いてすぐさま撮影すべきだった。10分もたたないのに、思い返してその場所に戻ってみると景色は一変していたのである。残念だった。
▼そこから考えると、気象の変化はものすごく速いのだと感じる。10分で、景色がすっかり変わる。すると10分で、晴れから大雨になることもあり得るわけだ。それは人間の歩く速度ではなく、車の速度だと思ったほうがよい。だから、歩いて天気の急変を避けることはできないと考えるべきだろう。
▼納得はしていないが、かろうじて霧がかかり始めた状態と、霧に覆われた状態を同じ場所から撮影できた写真が撮れたので、facebookに掲載している(「中田こうじ」で検索)。「ちょっとひとやすみ」には、福見教会地区が霧にかかった状態をアップした。
▼福見の集落には、切り立った崖になっている岬がある。ここを霧が駆け上がることがある。すごいなぁ、と思うのだが、いつも写真を撮るのを忘れてしまう。見惚れて忘れるほど、すごいのだ。この集落の人たちは、あの崖を登る霧を見て、写真は撮らないのだろうか。もし写真があればぜひ掲載したいものである。
14/07/27(No.720)
▼養護施設に上五島地区司祭たちが訪問して交流会を持った。年に一度この機会を持つのだが、今年は二つの触れ合いのうちの一つしか実行できなかった。例年だと、野球の試合を組んで、そのあとにバーベキュー形式の食事会をしている。今年は野球ができなかった。
▼理由は、養護施設の子供たちのメンバー構成にある。今年の顔ぶれを見ると、高校生と思われる子どもたちが明らかに多い。野球チームを編成するとき、不公平にならないように小学生何人、中学生何人、高校生何人という割合があるそうで、今年は小学生が不足してチームを申請できなかったそうである。
▼わたしたちとの野球の試合というのは、養護施設対抗の野球大会に向けての練習試合を兼ねている。今年はチームを申請していないので、練習がてらの野球の試合も組まなかった。もし試合をしていたら、ほとんど高校生のチームだから、司祭チームはこてんぱんにやられていたに違いない。
▼残るは、バーベキュー形式の食事会での交流。こちらは天気も良くて、問題なく開催された。子供たちは大喜び、わたしたちもひと時賑やかな食事ができていやされた。子供たちがすくすくと成長し、社会に巣立って、社会の中でかけがえのない価値観を掘り当ててほしい。
14/08/03(No.721)
▼痛風に悩まされている人はご存知と思うが、その痛みは筆舌に尽くし難い。痛みを表現するならば、骨折の痛みと言えるだろう。しかも都合の悪い時に(夜中とか)発作が始まる。これほどたちの悪い痛みはないと思う。
▼去年の10月に痛風の発作を発症してから、痛風の薬とコレステロールの薬(これは別の原因だが)を毎日飲み続けている。おかげで発作は抑えられている。それなのに、とんでもないミスを犯してしまった。
▼処方された薬を、どこで忘れたのか、紛失してしまったのである。3日ほど真剣に探したが、どうしても見つからない。仕方なくそれから2日後に病院に行った。薬の再処方の時に、「今回は10割負担です」と言う。
▼冗談じゃないと言って、嫌だと抵抗してみたが、「痛みますよ」と言われて、それ以上は抵抗しなかった。どれほど痛いか知っているから、さすがにそれは避けねばならない。しぶしぶ再処方を受け入れ、処方箋を持って向かいの薬局に行った。
▼この薬局のじいさんは、わたしを全く記憶してくれない。もう何回も全く同じ薬を受け取っているのに、毎回完全にオウム返しで「この薬は痛風などの薬で、朝晩1錠ずつ」「この薬はコレステロール値を下げる薬で朝1錠」と平気な顔をして言う。
▼薬局のじいさんには正直イライラする。「へいへい」とうわべだけの相槌を打ち、薬をもらってきた。およそ1万円の「本来支払う必要のない」お金が飛んで行った。1万円を忘れるだけの価値あることをして、記憶を消し去りたい。
14/08/10(No.722)
▼最近負荷をかける運動をするたびに反動が来るようになった。負荷をかけるような運動の翌日、膝に違和感があったり、手首、肘、いろんな関節に違和感がある。直立した状態で膝がぐらつき、足が地面をしっかり踏みしめていないような気さえする。
▼ある朝わき腹を捻ったような痛みがあり、おやと思ったが原因を思い出せなかった。わき腹をさすりながら朝ミサを終え、昨日何をしたか考えてみた。特に思い当たることもなく、おかしいなぁと思いながら一日過ごした。
▼その翌日、「久しぶりに素振りでもしてみるか」と思ってソフトボールのバットを握った時に思い出した。二日前に確か素振りをしたんだった。素振りをしたことすら思い出せない、たかだか20スイングくらいしか振っていないのに、わき腹痛である。
▼ほかにも、小学生のドッヂボールの練習に付き合って、ダッシュを数本繰り返しただけで、翌日は膝の違和感である。情けないやら、腹立たしいやら。手首に痛みがあったり、肘に痛みがあったりした前日、ふだんとちょっと違うことをしただけなのである。
▼運動の理論も知らないし、どのようにすれば痛みが出ないで済むのかも分からないが、おそらく運動後のケアに時間をかけよということなのだろう。準備体操はしても、整理体操をしない。負荷のかかる運動をした後に、入念に体をほぐしておけば、痛い思いをしなくて済むかもしれない。
▼いくつかの思い当たることをを総合すれば、「年齢をわきまえよ」と言われている気がする。48歳にもなって35歳のつもりで運動していれば、当然あちこちにしわ寄せが来るはずだ。気持ちと実際の肉体との開きが、埋められなくなってきているのだ。
▼体のさまざまな部品の、あるはずの角が丸くなっていたり錆びていたり、少し曲がっていたり、そういうことが起こっているのをよく考えもせずに、無理をしていたのかもしれない。これからは運動後に十分時間をかけることにしよう。
14/08/15(No.723)
▼聖母被昇天近くに妹夫婦が甥っ子を連れて里帰りしてくれた。ふだんは茨城県に住んでいるので、鯛ノ浦の母や自分たちも妹夫婦と甥っ子の元気な姿を見ることができて嬉しかった。甥っ子はテレビのアニメを見たり、知っている生き物(魚・犬・ネコなど)をしきりに指さしては名前を呼んでいた。
▼その甥っ子は本来の茨木に住んでいる時はインターネットで家族に顔を見せて楽しませているらしい。ただその会話の中には、わたしはふだん登場しない。わたしを見て「知らないおじさん」と思うのではないかと心配していたが、杞憂に終わった。
▼お気に入りなのか、電車のおもちゃを片手に握りしめたままご飯を食べていた。ご飯に飽きると、今度は隣にいるわたしをつかまえて一緒に電車で遊べと要求する。どうやら手当たり次第周囲にいる人に近づき、自分の要求を通そうとするらしい。誰に似たのだろうか。
▼義理の弟(妹のご主人)と、職場の様子が分かるような会話を少し交わした。指示を出す責任ある立場のようで、なるほど妹も尊敬しているわけだ。途中、話が釣りで盛り上がり、翌日誘って鯛釣りに出かけた。うまく釣れていることを願う。今回の海釣りは新鮮な体験になると思う。
▼後日談。釣りの当日は、親子で浜串に到着。ばあちゃんもついでにくっついて来た。妹と甥っ子は船を陸揚げするスロープ付近で水遊びをさせ、その間に妹の旦那と釣りに出かけた。わたしの心配をよそに、1キロのマダイと500グラムのキジハタを釣って、ボート釣りを堪能して帰った。わたしは船頭としての責任は果たしたが、自分の釣果はフグの猛攻に会い、仕掛けをいくつも失った。
14/08/17(No.724)
▼夏の高校野球全国大会も大いににぎわっている。長崎の海星高校は西東京代表の高校と対戦。序盤圧倒されて6対1になり、「これはもう応援しても駄目だ」と諦め、チャンネルを変える。それでも長崎県民として完全に見捨てる気にもなれず、チャンネルを戻してみたら雲行きが怪しくなっていた。
▼相手のピッチャーが連続で四球、死球、さらに連打。あれよあれよという間に点が入り、ついに投手を交代するも押し出しのデッドボール。とうとう6対5まで迫った。これはもしかしたらもしかするのか?と思ったが相手も目が覚めたかピリッとなり、追加点を入れて7対5と突き放しにかかる。
▼こうなると田舎から出てきた高校は度胸が足りないのか、思い切りよくバットが振れなくなった。このまま負けると、「あー、やっぱりかぁ」で終わってしまう。何とかもう一度相手を慌てさせてほしい。慌てさせれば、また一挙に4点入れたときのようなことが起こるかもしれない。
▼海星にはいくつもの学校からスカウトが来た強打者がいる。H君は注目の打者。何度もチャンスに回ってきているから、どこかで「すごい打者だなぁ」というところを見せてくれ。バットは振らなければ当たらないぞ。選球眼がよくても打てなきゃ四番じゃないぞ。あー、空振りかいな。
▼相手チームは5回まで毎回得点。さあ6回裏。ゼロに抑えて、次の7回で追いつこうや(「や」は長崎の方言。「追いつこうぜ」の意味になる)。あー、負けたか。
14/08/24(No.725)
▼体は全身に血液が巡って活動できる状態を保っている。だから活動できているのは心臓が丈夫で、安定して血液を送ってくれているからだ。目で見ることのできる活動の部分だけ取り上げるのは、それこそ小手先のことに過ぎない。
▼長崎教区が信徒発見150周年を機に「この教区がどうあるべきか、どのように舵を切るべきか」を真剣に話し合い、模索している。それが教区シノドスだ。今年の11月にはすべての討議が終了して大司教に提言を提出することになっている。
▼提言が、小手先のものにならないために、必ずこの教区の心臓部がきちんと働いているかを把握しておく必要があると思う。さあこの方向性で舵を切るぞと意気込んでも、そこで心不全を引き起こしたり心筋梗塞になったりすれば、一巻の終わりである。
▼ところで長崎教区の心臓部はどこか。長崎教区に始まったことではないが、全身に血液を送り、よどんだ血をきれいに洗浄して酸素を再び届けてくれる部分はどこか。わたしは「祈る共同体のあるところ」が心臓部だと思っている。毎日毎瞬間、一切変わらないリズムで祈り続ける共同体。これがキリスト教共同体(教区であったり、小教区であったり、あるいは家庭も)の心臓部だと思う。
▼心臓はたまに働いたりたまに力を発揮したりする場所ではない。必ず同じリズムで働き、力を発揮しなければならない場所である。場合によってはふだんの何倍もの血液を送り出し、全身の激しい運動を支えなければならない。
▼長崎教区は、これから最終決定されるであろう提言を支えるだけの丈夫な心臓部を持っているのだろうか。教区民みなが、心臓の働きを思い出して、教区の活動に必要な酸素を送り出すために、毎日毎日全く同じリズムで欠かさず祈ってくれる心臓部を持っていると言えるだろうか。
▼幸いに、決してリズムを変えることなく祈り続けてくれている共同体が教区内にはある。たとえば女子修道会。だが本当にそれだけで、これからの教区全体の活動を支えるだけの酸素を末端にまで送り続けることができるのだろうか。
▼もう少し、決してリズムを変えることなく祈り続けている共同体があるかもしれない。だが、わたしはもっと、こうした心臓部を担ってくれる人々が長崎教区には必要だと思っている。だれにも何も告げなくて構わない。ただ決まった時間に祈ってくれる人がいてほしい。心臓だって、だれにも何も言わず、黙って働いているのだから。
14/08/31(No.726)
▼説教に書いた通り、司祭は「十字架を取る」姿で信徒に模範を示す存在だと思う。司祭にも個性があり、得意分野や苦手な分野、強いこだわりや人間的な欠点、さまざまあるが、どんな司祭も十字架を取ることで司祭としての姿を示すのだと思う。
▼どこに赴任するにしても、必ず何かは言われるわけで、そういう言葉が耳に入ることは避けられない。気にはなるだろうが、いちいち気にしていても仕方がない。日々の任務を遂行し、日々十字架を担って生きることで存在価値を示す以外に道はない。
▼さらに司祭は転勤する。納得いく形で十字架を背負ったとしても、転勤して新天地に行けば、また新たな十字架を背負うことになる。過去どのような経歴を積み上げたとしても、新しい場所ではまた一からやり直しになる。積み上げては取り上げられ、積み上げては取られ、この繰り返しに同意できなければ、この生き方は続かないと思う。
▼31日、青年だけのミサを予定している。上五島地区の青年たちがあちこちの地区に呼び掛けて高井旅でキャンプを計画し、その最後に感謝のミサをするために高井旅教会を管轄しているわたしに依頼してきたのである。青年たちにも、何らかの形で「十字架を選び取って命を得る道」を伝えたい。
▼巡り合わせというか神さまのいたずらなのか、わたしは青年会活動にほとんど関わったことが無い。かろうじて高校生会活動に浦上教会時代関わったが、それも15年以上も若い頃の話である。
▼今青年会、高校生会のメンバーを前にすると、何も言葉が浮かばない。世代間のギャップをひしひしと感じるだけである。何をどう伝えればよいのだろうか。土曜日から日曜日の時間を費やして、考えてみたい。
14/09/07(No.727)
▼九州視覚障害者情報提供施設(略して「九視情協」)の年に一度の大会が今年は9月4日5日の2日間、北九州市で行われた。会場は全体会に470人の参加者を収容できる会場という条件があるため、今年はリーがロイヤルホテル小倉が会場に選ばれた。
▼研修は、視覚障害者の事情に精通している講師が毎年選ばれている。本人が視覚障害者であったり、長年視覚障害者のために働いている人であったりするが、大会の運営を去年体験して分かったことは、講師選びもだんだん新しい人を捜すのが難しくなっているということだった。
▼専門的な知識や経験を分かち合える人にも高齢化の波が押し寄せてきているのである。そういう中で、今回講師を引き受けてくださった方はわたしと同じくらいかなと思う年代だったので、話もとても身近に感じた。
▼この年に一回の集まりは、研修であると同時に再会を喜び合う場ともなっている。九州一円のボランティア従事者が顔を合わせるから、それはもう賑やかである。懇親会が初日の最後に組まれているが、わたしは懇親会が終わるのを楽しみにしているタイプだが、ほとんどのご婦人がたは懇親会ではじけていた。
▼懇親会は毎年その開催地の特色が出る。今年も小倉で名の通った太鼓のグループが出演していた。またわたしは馴染みがなかったが、カントリーソングのファミリーバンドも盛り上げてくれた。
▼来年は持ち回りの順番では沖縄になっている。研修以上に沖縄に行くことが目的になるかもしれない。一度だけ行ったことがあるが、あちこち思い出の再確認もよいかもしれない。
14/09/14(No.728)
▼同じことかもしれないが、一つのことを同じようにずっと続ける。それは忍耐力とか、力とかいろんな要素を必要とすると思う。人によってはそこから何かの自信を身につけ、ほかのことにも挑戦する力のもとになるかもしれない。
▼同じことを長く続けていると、ほんのわずかの変化でも気付くことがある。向き合っているこの人が今必要としているものは何か、この人にどんな声をかけてあげれば立ち直れるのか、必要なことに気づくことができるのか、何か感じるものがあって声をかける。
▼携帯電話の主は、誰だったのだろうか。残念ながら声では特定できなかったが、後で考えると「あの人だったのかな」と思う人が複数いる。だが、その時に頭に浮かばなかったので、悔いが残っている。
▼その後どうなったのだろうか。島内の人の場合、もっとできることがあったのではないか。島外の人であれば、また連絡しておいでとか、そういうフォローができたのではないか。この一週間、思い出したり忘れたりしながら時間を過ごしている。
14/09/21(No.729)
▼「ビデオリサーチ社」というところから個人で引いている電話に電話がかかってきた。個人で引いた電話にはめったに電話はかかってこない。かかってくるのはほぼ2通りである。1つは、この電話番号が船会社の電話番号によく似ているものだから、ときおり船の予約が入ることがある。
▼「もしもし、船の予約をお願いします。」「予約を引き受けてもいいけど、船の切符は受け取れないかもしれませんよ。」「そちらは船会社じゃないのですか?」「ぜんぜん違います」船会社と間違って駆けて来た時は、たいていこうやってイタズラしている。
▼また、以前この電話番号を「オオタニ」という人が所有していた可能性があって、「オオタニさんですか?」という電話がかかってくる。わたしがここ浜串に引っ越してきた当初はしょっちゅう「オオタニさんですか?」とかかってきた。「オオタニだったら何の用ですか?」と返すと、「間違いました」と引き下がる。どんな人だったのだろうか。
▼「ビデオリサーチ社」だが、アンケートに協力してほしいという内容だった。珍しく船会社と間違えての電話でも、オオタニと間違えての電話でもないので、協力することにした。新聞をふだんどれくらい読んでいるかのアンケートだそうだ。だが電話アンケートだと思って話を聞き続けていたら、もっと込み入った内容だった。
▼「後でアンケート用紙が届きます。届いたアンケート用紙に、一週間にわたって質問にお答えください。」これは厄介な協力を引き受けたものだ。もう少し早めに断ればよかったと思ったが、途中では「もうどうでもいいや」という気持ちになっていて、「ハイハイ」と生返事をしていた。
▼どうでもいいやという心境になる、そこに至るまでの今日一日の過ごし方に問題があるだろう。一日を終えるまで投げやりな心境にならない、そんな過ごし方をしていれば、もっと結果は違っていただろう。もう一度、日常を見直す必要がある。
14/09/28(No.730)
▼月額使用料を払って利用しているサービスの1つを解約してでも利用したくなったサービスが見つかったので、そちらを解約して新しいサービスを追加した。「Radico.jp」というサービスを有料版に切り替えるためだ。
▼現在iPhone5Sを利用しているが、この「Radico.jp」は「らじる★らじる」と並んで重宝している。無料版のRadikoは、地域が限定されていて、長崎県内であれば民放ラジオ1局と、民放FMラジオ1局、ラジオ日経、放送大学までしか聞くことができない。
▼プロ野球のペナントレースがいよいよ終盤になり、この前秋分の日に広島カープのデーゲームを迎えていたのだが、テレビのチャンネルどこを回しても広島の試合を中継していない。何と試合終盤で6対0になっていた。ネットで途中経過を見ることはできるが、それでは辛抱できなくなった。
▼そこへRadikoの有料版の出番。月額350円を払うと全国のさまざまな放送が聴けるらしい。早速これまで利用料を払っていたあるサービスを解約し(残念だが)、Radikoの有料版にグレードアップしてRCC放送を聴く。試合は6対1になっていた。
▼ラジオの解説によると、神宮球場でありながら3分の2はカープファンで埋まっている。まぁ、このままスタジアムの雰囲気を楽しむことができれば上出来だと思っていたその時、「エルドレッド打った!ライナーでスタンドに飛び込んだ!第36号ホームラン!」結果広島が大勝。350円払った甲斐があった。
14/10/05(No.731)
▼司祭団ソフトボールの五島対長崎第二試合で、わたしは長打を打ったがホームでタッチアウトだった。確かにそうだが、ビデオを続けて観ていると後続は同じ回に2人内野フライでアウト、次の回の攻撃の先頭打者が四球を選び、その次の打者が外野フライで終わっている。
▼状況が変われば結果も変わっていたかもしれないが、わたしが三塁で自重していた場合、果たして帰ってくることができたかどうか。映像を見る限りでは疑問が残る。わたしは中継が乱れてわずかな望みがあると読んでいたが、そうはならなかった。いずれにしてもあの走塁は無茶だったのだろう。
▼この試合でもう一つわたしの走塁に賛否が分かれるケースがあった。最終回、わたしのセカンドゴロで二塁コースアウト、これでツーアウトとなり絶体絶命となる。後続のバッターのセカンドオーバーヒットでわたしは思い切って三塁まで走った。アウトになれば試合終了である。しかし三塁まで走れば、その次の打者が打つことで何かが起こるかもしれない。そう思って三塁を目指した。
▼三塁コーチャーは「先輩ナイスラン!」と喜んでくれたが、ビデオには審判の「中田さんあぶねぇ」の声が残っていた。危なかったのだろう。しかし、最後の打者がレフトフライを打って万事休すと思ったその時、一度もミスをしていなかったレフトの選手が落球し、すでにわたしがホームを駆け抜けていたことでサヨナラ勝ちを呼び込んだのである。
▼あの場面、わたしが二塁で自重していたら結果はどうなっていただろうか。ツーアウトだから二塁から全力でホームを目指したとして、レフトが落球した後にバックホームされれば、わたしは幻のランニングホームランの二の舞になっていたかもしれない。するとわたしは二度も笑い物になる可能性があったわけだ。あそこは三塁を狙って正解だったと、胸を張って言いたいと思う。
14/10/12(No.732)
▼司祭館には1本の「からしだねの木」がある。手入れが悪くてやせこけている苗木だが、わたしのひどい扱いにもけなげに背を伸ばそうとしている。どのように手に入れた苗木なのか、その辺りから話してみたい。
▼この苗木のもとは、イスラエル巡礼をしてきたシスターのお土産である。検疫の問題とかクリアしたのかどうか、詳しいことは聞かなかったが、お告げのマリアのとあるシスターが巡礼に行って、持ち帰った種を芽が出るまで育て、そのうちの一鉢を譲ってもらった。
▼最初から大切に育てなかったものだから、苗木が水が欲しいと要求しているのも、鉢が手狭になったので植え替えて欲しいと頼んでいることも、全く耳を貸さなかった。そのせいか、背が伸びて添え木も与えられず、根元がグニャッと曲がって伸びてしまった。
▼苗木はいくつもあって、大切に育ててもらったものはすくすく伸び、今では人間の身長よりも高くなっている。「お前がもらった苗木はどうなった?」と聞かれたが、恥ずかしくてありのままを言えなかった。
▼最近、ようやく大きな鉢に植え替えた。水も、てきとうだが与えるようにした。しかし若い苗木の時にグニャッと曲がったのはどうにもならず、痛々しい姿で生き続けている。そのからしだねの木に、最近大きな変化が現れた。
▼気温の変化なのか、わたしが土の栄養を気にしないからか、9月のはじめにかなりの葉を落としてしまい、今にも枯れそうになっていた。ところが10月に入ってよくよく見ると、古い葉を落とす代わりに、新しい葉が芽生えているではないか。
14/10/19(No.733)
▼物事を「おおよそ」理解しているという人と、「完全に」理解している人には違いがあるものだ。祭壇奉仕の話だが、浜串教会では曜日ごとにミサの準備をしてくれる担当者が割り振られている。些細なことかもしれないが、ある曜日だけはほかの曜日と準備が少し違っている。
▼水とぶどう酒を入れる容器(ウルセオルス)を1つ挙げる。浜串教会のウルセオルスはわざと大きさが互い違いにしてあり、ふだん大きいほうに水を、小さいほうにぶどう酒を入れて準備している。しかしある担当者だけは、これを逆に使用して準備している。
▼小さな違いなのでほかの曜日の人ももしかしたら気付いていないかもしれないが、使っているわたしは「この日だけは逆だなぁ」と思いながらミサを進めている。ただ、わたしは性格が素直でないので、それを本人に伝えることはしない。ちょっとの変化に気付くか気付かないか、わたしはここを出るまで黙って観察するだけで、結果的に気付かなくても、それでも最後まで言わない。
▼似たようなことをもう1つ。侍者の奉仕をしてくれている小学生たちがいる。朝眠いのに、また最近は寒くなっているのに、実によく頑張ってくれている。聖体拝領の時に小学生の1人は信徒の手の下に受け皿を添える手伝いをするが、聖体拝領が終わると司祭が受け皿に聖体のかすかなかけらが残っていないか確認してすすぎを済ませてからその受け皿を侍者が祭壇から引いて片づけることになっている。
▼聖体拝領後、侍者が手に持っていた聖体の受け皿を祭壇に置くわけだが、ほとんどの侍者は受け皿を無造作に祭壇に置いている。それは、「どのように置くのが最適か」を理解していないからである。もしかしたらわたしも、そこまで細かい説明をしなかったかもしれない。
▼だが1人だけ、わたしが手を伸ばしてスムーズに取れる状態に置いてくれる侍者がいる。この侍者は明らかに、「だれのために聖体の受け皿を祭壇に返しているのか」を理解している子である。他の子供たちは祭壇に受け皿を戻すことは理解しているが、「司祭の立場に立って」受け皿を置くことまでは考えが及んでいないわけだ。
▼教えなかった可能性もあるので、中田神父に責任があると言われるかもしれない。ただわたしは、これはセンスの問題だと思っている。取っ手の向きまで司祭が取りやすいように向け直して聖体受け皿を置く。仮に練習で説明したとしても、ほかの子供たちは「そう言われたからそうしている」で終わりだろう。だがこの子は、おそらく説明していない細やかな部分まで「こうしてあげたら親切だろうなぁ」と感じてそうしているわけだ。
▼「おおよそ」理解しているというのと、「完全に」理解しているということの間には違いがあると思っている。それは超えられないものではなく、観察力や、感性や、何のためにその動作をしているのかを考える思考力などが磨かれて超えていく。分かりやすく言えば「こうしてあげたらもっと喜ばれるのではないか」との気付きが超えさせるのだ。
14/10/26(No.734)
▼浦上教会の壮年部の人たちが巡礼団を組んで浜串教会に訪ねて来てくれた。わたしもあちこち羽根の生えたように出て回るのでなかなか訪問者と出会うことができないが、今回は何度も確認の電話が入った訪問者だった。
▼ところが、確認の電話のことは玄関のチャイムが鳴って浦上の信徒が一人知らせに来てくれるまでまったく覚えていなかった。電話で打ち合わせをしていた時は「あー、25日に訪ねてくる、訪ねてくるから席を外さないように」と心の中で念じていたのだが、とうとう最後まで覚えていなかった。
▼それでも土曜日のいちばん忙しい時間帯だったので席をはずすこともなく、いかにも待ってましたと言わんばかりに応対した。十年以上会ってない人も中にはいたので、懐かしい顔に、この場所が浜串教会であることをしばし忘れて時間を過ごした。
▼このメルマガも、「ちょっとひとやすみ」も、浦上の巡礼者の中に利用している人がいてとてもうれしくなった。当然、今回の「ちょっとひとやすみ」は恥を忍んで書いているわけで、メルマガを読んでくれているお父さんたちは巡礼していた他のお父さんたちには訪問予定を忘れていたことは内緒にしていてほしい。
▼「浦上にもいつか戻ってきてください。」有難い話だが、責任のある立場で舞い戻るのはわたしには荷が重すぎる。当時一緒に働いていた助任の中では、わたしのすぐ上の先輩が浦上をまとめるのには適しているのではないだろうか。わたしはちょっと、遠慮させてもらいたい。
▼日曜日にはソフトボール大会がある。浦上の巡礼者たちはきっとソフトボール大会も見学に来るだろうから、張り切ってプレーしたい。いろんな司祭の部分を見せることで、信徒との距離が近くなればと願っている。
14/11/02(No.735)
▼正しい例とは言えないかもしれない。だが面白かったし、よくできた話なので紹介する。木曜日の午後2時のことだった。机でパソコンに向かっていたがあまりにも眠く、そのまま机に伏してしまった。
▼それでも眠気が取れず、今度は頭を後ろに倒し気味に椅子で伸びをして眠った。どうすることもできず、午後3時の町内一斉チャイムが聞こえた。「神さま何か仕事をください」。夢うつつの状態でつぶやいた。
▼すると固定電話の着信音が鳴り、「わたしは○○県に住んでいます。あちこち住所を移しているうちに教会の台帳から名前が整理されて消されてしまいました。あらためて教会籍を所属の教会に作成してもらうために、出生地である福見教会から洗礼証明書を取り寄せるようにと主任司祭に言われました。それでこうして電話でお願いしています。」
▼「求めなさい。そうすれば、与えられる。」(マタイ7章7節)こういう使い方が正しいとは思わないが、寝言のように願ったことがすぐに実現して本当に驚いた。この電話の主はすぐに洗礼台帳の記録が見つかり、その日のうちに書類を郵送することができた。
▼わたしたちは、もっと神がわたしたちの願いを知り、求めれば与えてくださることを体験すべきだと思う。もちろん、ふさわしくない願いもあるかもしれない。「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」(ヤコブの手紙4章3節)だが願い求めれば、これが適切か適切でないかは経験を積むうちに分かってくると思う。
▼この日は幸いに眠い牢屋から解放された。だが最近は午前中は何をやっていても眠い。唯一眠くならない活動は釣りくらいのものだ。だからと言って「眠って時間を無駄にするよりは、毎日釣りに行ってください」と勧めてくれる人は誰もいない。わたしは週に八日釣りに行ってもかまわない人間なので、多くの人の願いがあれば、行きたいなとは思う。
14/11/09(No.736)
▼堅信の秘跡を受ける中学2年生に、筆記試験・口頭試験・祈りの試験の3つを課した。先では就職や進学で親から離れたところに放り出される。その時に教会のことを忘れないように、カトリック信者として自分がどんな教えを受けていて、どんなことを信じていて、どのようにしてキリストにつながって生きていくか、それを確かめるためのものだ。
▼信仰の面で、試験を受けるのはこれが最後になると思う。間違ってわたしが赴任している教会で将来結婚の秘跡にあずかるような生徒がいれば、その時はまたわたしから試験を受けるかもしれないが、それ以外ではもう試験されるようなことはないだろう。だから今回の試験でも、わたしは甘い態度は見せなかった。3人のうち2人は不合格だった。
▼しかし、厳しかったことが記憶に残り、今後は多少の苦しさでは音を上げないで済むと思っている。今は立ちはだかる壁になってくれる人がいない時代だから、主任司祭くらいは壁になってあげようと思う。
▼35年前、自分も堅信の秘跡を受ける前に試験を受けた。だが当時は特別勉強した覚えはない。合格不合格も聞かされなかったし、いくらか形式的なものだったのかもしれない。それでも試験を受けたことで、何かを通らなければ秘跡に近づくことはできないのだと感じたものだ。
▼長崎教区の信仰教育は、「今は理解できなくても後で分かるようになる」という姿勢なので、今は覚えるのも大変だし、本当に御苦労だと思う。それでも覚えたことはじわじわと効いてくる。教えられたことは生活の中でどのように役立っているのか、その時になると気付くことがあるからだ。
▼ことしも小教区から3人が堅信の秘跡を受けて大人の信者の仲間入りをする。身につけたことが社会の荒波を乗り越えていくのに要所要所で力になってくれることを、ぜひこれからの人生の中で経験してほしい。そして、鍛えられた信仰は必ず生きてくることを、年齢を重ね、次の世代にもバトンを渡してほしい。
14/11/16(No.737)
▼日本は冬のスポーツと言ったらラグビーということになるだろうか。もちろん他にもあるとは思うが、わたしが思い付いたのはラグビーである。だがテレビ中継はあまりない。サッカーは中継されているが、特に冬のスポーツという印象はない。
▼わたしにとっては冬のスポーツは「アメリカンフットボール」である。衛星放送を観るようになってから、格段にこのスポーツの面白さが分かってきた。だがほとんどの人から聞こえてくるのは、「ルールが難しい」ということだろう。
▼ラグビーのルールすら、難しくて分からないと言う人が多いが、アメリカンフットボールのルールはその比ではない。ラグビーは「前に投げてはいけない・ボールを持っていない人にタックルしてはいけない」それだけ分かっていれば試合を観ているうちに楽しめるようになると思うが、アメフトはそうはいかない。「何でもあり」のスポーツだからだ。
▼アメフトはだれにタックルしても構わないから、いろんなところでいろんなことが起こっている。試合を審判が止めるときに、黄色いハンカチのようなものをグランドに投げるが、どこで何が起こって試合を中断したのか分からないこともしばしばある。そのたびに、「これこれの理由で反則。何ヤード罰退」となる。「罰退」とは何ぞや?
▼分からないルールが多すぎて、最初は何が面白いのかすら分からなかったが、ルールが1つずつ分かってくると、「こんなルールもあったのか」と試合の楽しみとは違うところで興味をかき立てられる。守備と攻撃で選手がそっくり入れ替わる。スポーツ体型でない丸々と太った選手が現れて、攻撃側の選手に立ちはだかる。「分からないことだらけで面白い」といったところか。
▼おかげで、最近わたしのテレビはヨーロッパサッカーが中継されていようがNBAバスケットが中継されていようが、それらを観ることなくNFL中継専用という状態だ。それでも錦織圭選手のテニス中継は別。いつかユニクロのウエアを買い揃えて「なんちゃって錦織」になりたいなぁ。
14/11/23(No.738)
▼恐ろしいと思った。ある女性と過去に結婚した3人の男性、過去に交際した3人の男性、合計6人が次々と不審な死を遂げ、今回の逮捕容疑になった男性と2012年事故死した男性から青酸化合物の反応が出ている。しかもこれまでの男性の遺産が女性に入るように仕立てられていて、手に入れた遺産は8億とも10億とも噂され、すでに大半を投資で失っていると言う。
▼仮に不審死が事件でないとしても、この女性は受け取った遺産をなぜ投資につぎ込んで失ってしまったのだろうか。これまでに死んだ男性に、遺産の中からいくらかでも弔いのお金は支出したのだろうか。カトリック教会で言う追悼ミサとか、仏教で言う法事とか、そうしたことにお金は支出したのだろうか。そんなことも行わずに投資で投げ捨てたとしたら、亡くなった男性は浮かばれない。
▼わたしは男性だから、過去の男性たちに同情する。最後に結婚していた男性は、週4回通ってくる容疑者である妻に「新年を一緒に迎えよう」とメールしていたのだそうだ。この人たちすべて、かかわっている一人の女性に期待をかけ、将来を夢見て報われなかったのだとしたら、男性すべてに報いてくれるのは誰だろうか。不条理なまま人生に幕を下ろした人たちは、どのようにして報われるのだろうか。
▼ニュースで次々と事件の続報が流れる。もはやほとんど、わたしの耳には届かない。わたしは報道の間、神が悲しみと嘆きをいやしに変えてくださるようにと祈る。悲しみと嘆き、苦しみの叫びを喜びに代えてくれる救い主が人類に与えられなければ、この世界には希望がない。来週から待降節、主の降誕を心待ちにしたい。
14/11/30(No.739)
▼嫌な予感が的中した。毎年年賀状を用意する(手書きではなく、印刷)ころになると、プリンターが働きたくないと言って駄々をこねる。今使っているプリンターは2009年9月に購入したものだが、5年経ちましたと言わんばかりに「エラーが発生しました。操作説明書をご確認ください」とメッセージが出たっきり言うことを聞かなくなった。
▼使用しているのはキャノンのプリンター。6c10というエラーメッセージだったのだが、ネットで調べると有名なエラーメッセージのようで、ていねいに「これを試してみてください」という書き込みがいくつも見つかった。だがうまくいかない。修理に出したいのだが、年賀状の印刷ができなくなる。
▼仕方なく、年賀状の印刷のためにはキャノンのプリンターを新調し、故障のプリンターは修理に出して再就職先を考えることにしようと思っている。再就職は、たとえば巡回教会の司祭館に置いて簡易コピー機として使用するとか、その程度だろうか。
▼浜串教会には事務用のコピー機がある。しかしこれは年賀状印刷には向かない。これまで何回もだましだまし使用してみたが、インクが乗らない。インクが乗らない印刷をしてしまうと、今度はコピー機内部にインクのカスが残る。これがまた面倒を起こす。リース料も半端ないのだが、コピー用紙以外にはきれいにインクが乗らないのは困りものだ。
▼カラーコピー機の利用方法はさまざまあるのだが、今回こちらでお世話になっているコピー機のメーカーは、内心失敗だったと思っている。年賀状印刷のことを前もって話して、それが無理なら断ると、それくらいの態度で臨むべきだった。次に転勤した時は、今回のことを教訓にしたいと思う。
▼年賀状の印刷レイアウトは1種類は用意できた。だいたいいつも2種類用意する。1種類は大人に送るレイアウト、1種類は子供が単独で送ってきたときのレイアウトである。まれに親から言われた子供なのか、年賀状を書いてくるときがあり、大人用のレイアウトではつまらない時があるので、使い分けているわけだ。
▼今年は、ひょっとしたら早めに年賀状を投函できるかもしれない。何が幸いしてこういうことになったのか分からないが、いつもだったら忙しくて正月三日間で急いで返事を書いているところだが、去年までと生活のパターンが変わったのかもしれない。そう思って考えてみれば、今年はいろんなことに手を出さず、本当に必要なことしかしなくなっているような気もする。いや、それすらしていないから時間があるのかもしれないが。
14/12/07(No.740)
▼「この道しかない」と声高に言っている人たちに。あなたたちのおかげでわたしたちのクリスマス会が取りやめになった。700億円も国民の税金を散財して、予算5万円かそこらのささやかな楽しみを潰した。本当に腹が立つ。
▼「経済観」という言葉が適切かは分からないが、わたしの経済観ははっきりしている。「領収証(領収書)はもらえないことがあっても、請求書が無くなることはない。」ついこの前も2004年の請求書を盾に、注文した商品を発送してもらえなかった。
▼2004年と言えば、ちょうど転勤のごたごたの最中だったはず。転勤の荷物にまぎれて請求書を無くしたのかもしれないが、今回縁があって同じ会社に注文を入れたら丁寧に「2004年の未払い分を払ってくれたら今回の注文を発送します」ときた。
▼それで「うっかりしていたのだと思いますので、再度請求書を送ってください」と連絡したが、なかなか届かない。「請求書の再送をお願いしますという連絡は届きましたか?」と催促して、しばらくして「これから送ります」と言ってきた。
▼しかし、2日待っても届かない。4日経過したが来ない。5日目に届いた。そこでその日のうちに送金したのだが、送金後2日たってから「入金の確認が取れません。このままですと新規の注文はキャンセルさせていただきます」と言う。なぜ午前中に送金した通知がその日のうちに届かないのか。
▼「送金の確認は取れましたか?念のため明細書のコピーを添付します」ここまで念押ししてようやく「入金確認が取れましたので新規の注文の発送手続きに入らせていただきます。」めんどくせー。だが、「請求は決してなくならない」というわたしの体験はここでさらに固まった。
▼「言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出ることはできない。」(ルカ12・59)神さまもわたしたちに貸しがあり、請求すべきものについては必ず請求書を人間に提示する。その請求を支払わなければ、わたしたちはきっと天の国に迎えられないだろう。この世でも、天の国でも、請求された内容は必ず払わなければならない。
14/12/14(No.741)
▼とうとう選挙の日を迎えた。わたしはすでに期日前投票を済ませているが、選挙が決まった時からこの選挙に疑問を持っていた。しかし選挙が取りやめになるはずもなく、最低限投票所に行くという責任を果たしに行ってきた。
▼だからおそらく選挙速報も、どの政党がどれくらい得票するのかも見ないと思う。翌朝の新聞は見ないわけにはいかないが、ツイッターで一度書きこんだように、議員定数の大幅削減のような大胆な改革もしない政府や国会議員にはもう期待していない。
▼選挙の話はこれで終わり。国の行く末どこ吹く風、この前2kgの鯛を釣ったが、1kg前後の鯛とは明らかに引きが違った。実際に取り込み終わるまで、久しぶりの緊張を強いられた。「ライン切れるなよ」とか、「針外れるなよ」とか「針曲がるなよ」とか。
▼たまたまこの2kgの鯛を釣る直前に針を交換していたのは幸運だった。その直前に1kgのキジハタを釣り上げたのだが、その魚の口から針をはずしてみると、2本針仕掛けの針のうち、口元にかかっていた針は曲がって伸びていた。この針に気付かずにそのまま仕掛けを投入していたら、2kgの鯛は釣り逃がしていたことだろう。
▼今年は初めて、12月に入ってからも釣りをしている。寒がりのわたしは例年だと12月に入ればアウトドアの趣味はすべて休業なのだが、1kg2kgの魚がかかる期待があるものだから、海水で指先は濡れ、しびれるくらいに冷たくなるが、それでも海に出たいと思ってしまう。分かっちゃいるけどやめられない。
▼周りのお父さんたちの話を聞けば、これからは正月用の魚を手に入れる時期に入るので、値段も高騰し需要は伸びるそうだ。わたしは漁協に卸したりはしないのだけれども、今年、そして年明けてからも魚が釣れたら小教区の信徒に無料で行商して回る予定だ。
▼ついでの話だが、大きめの魚をさばいたあと指先がガサガサになって、iPhoneの指紋認証が使えず苦笑い。何回か試すも「指紋認証が使えません。パスコードを入力してください」と断られた。使い慣れていたものが使えないのはやはり不便なので、もう少ししてから再度指紋を登録し直そうと思っている。
14/12/21(No.742)
▼主任司祭が預かっている会計の中に、「長崎県信用漁業協同組合連合会」というところで金銭を管理しているお金がある。いわゆる「〜銀行」とか「ゆうちょ」ではない、組合が運営しているものだ。通称「信漁連」と言う。
▼浜串にはこの「信漁連」の支所があって、ATMが置かれている。そこまではよいのだが、このATMは入出金が千円単位になっている。それなのに、三つの教会から主任司祭に持ち込まれる関連する金銭は十円単位で持ち込まれてくる。月に一度とか、二か月に一度入金に行きたいのだが、何百何十円をATMが受け付けてくれない。
▼仕方なく、窓口入金ができる奈良尾支所まで車で25分かけて出向くことになる。面倒だなぁと思い続けてもう5年が経過した。その間一度も目の前の支所には行かなかった。歩いて十数歩の場所に行かず、車で25分の場所に行くことにかなり疑問を感じながらも、この連鎖から抜けることができなかった。
▼ある時、預かったお金が千円単位でうまくまとまった。そこで生まれて初めて、目の前の支所のATMを利用しに行くことができた。支所に勤めている人とも頻繁に顔を合わせていたのに、一度もATMを利用しなかったわたしのことを変人と思ったに違いない。
▼いざ目の前のATMを利用してみて、「あー、考えてみたらここでもまぁいいか」と思えるようになった。年度末はどうしても窓口で清算する必要があると思うが、それ以外は数百円の収支を次の月に回せば、それで済むなぁと思ったのである。
▼毎月何万円も収支が違えば問題だが、数百円の入金だけ来月に回すだけなら、説明は容易である。5年も費やしてしまったが、一歩引いてようやく学習した。
14/12/24(No.743)
▼主の降誕おめでとうございます。今年のクリスマス、だれにこの喜びを届けますか。身近な人、愛する人ですか。遠くにいる人、敵にですか。わたしは、「教会から遠ざけられている人」のところに御降誕の喜びを届けたいと思っています。
▼今この時に、教会に行ってクリスマスを祝いたいと心から願っていても、クリスマスミサに参加できない人がいます。わたしが思い付くのは病院などに入院している人です。もちろん、他の形で(施設に入所していて、そこから外出できないなど)ミサに参加できない人もいるでしょう。
▼この、「行きたいけれども行けない人々」に、何とかしてクリスマスの喜びを届けたいと思うのです。きっと、心は教会に何不自由なくいってミサに参加できる人と同じくらい、もしかしたらそれ以上に、御降誕を待ち望んでいる人たちだと思います。
▼そんな人に、どのように御降誕の雰囲気を届けたらよいのだろうか。わたしができる最初のことは、ミサをささげている様子を録音したCDをその人に聞いてもらうこと。まずはそこからだと思う。残念ながら同じ時間に届けることはできないけれども、できるだけ速やかに、届けてあげようと思う。
▼話変わって、この時期でも日焼けを気にする人は女性くらいかもしれない。だが海の上では状況は違ってくる。先日ボートで13時から15時まで2時間海上にいたが、帰ってきていざ事務作業をしようとしたら猛烈な眠気に襲われた。なぜ眠いのか分からなかったが、とても作業できる状態ではなかったので仮眠をとった。
▼仮眠から起き上がって考えた。これは日焼けをしたせいだ。そう思ってみると何となく顔がほてっている、顔面が疲れている。そんな感じだった。これからは一年中日焼け止めをする必要があるかもしれない。
14/12/25(No.744)
▼あらためて主の降誕おめでとうございます。この日をベッドの上で迎えている一人のお父さんのことを思い、祈りながら「ちょっとひとやすみ」を書いている。12月の初めだったか、浜串で海岸の清掃にあたった日、船で作業をしていた船長さんがロープを巻き上げる機械に巻き込まれ、大けがをした。
▼わたしはその日、老人ホームで予定されていたクリスマス会の出し物の練習のために巡回教会の信徒の家にいたが、話を聞いた範囲では命にかかわるけがをしたようだった。左腕はもはや使えないほど砕け、手術して切断したそうである。手術は全身に渡り、3度も繰り返されたそうだ。
▼クリスマス直前の23日、けがをしたお父さんの奥さんが浜串に戻ってくれて、様子を少し話してくれた。こちらから根掘り葉掘り聞くわけにはいかないので聞かせてもらった範囲の話だが、右腕にスプーンを持たせて、おかゆを食べることができるところまで回復したそうである。本当によかった。
▼この浜串集落には、けがをしたお父さんを慕う人が多い。それだけに心配している人もまた多い。豪快な人というイメージだが、今は何を思うだろうか。わたしは主任司祭として、クリスマスにミサに出席できないことを悔やんでいるだろうと推察する。朝昼晩お酒をおいしくいただく人である一方、浜串でミサがささげられる日は毎日ミサに出席する人でもあった。
▼お生まれになった救い主は、この世界で苦しみあえぐ人の立場に立つ人としておいでになった。決して権力者や、指導者の立場に立ったのではなかった。そういう意味で、おいでになった救い主はけがをしたお父さんのことを思いやってくださる方だし、今も何かの方法で慰めと励ましを与えてくれているに違いない。
14/12/28(No.745)
▼今年最後のネタが釣りだと聞いたら、お前はこの一年何をして過ごしたのかと悪い考えを起こすかもしれない。まぁいいではないか。想像にお任せする。困難を乗り越えて家族になった話もあるし、赤ちゃんをどれくらい欲しがっているか分かりますかと涙ながらに話すのを聞きもした。
▼だが書いて問題ない話と、書いたことでネット上に拡散し、問題の種をまく話とがある。だから、書いてもスキャンダルにならない話に落ち着く。ついこの前出会った青年の話など、人生48年でこれ以上ない出会いで、ユニークだが書けない。
▼さし障りのない釣りの話だが、2003年10月8日に2万円で購入したトレッキング用のGPSがとうとう使い物にならなくなった。何千回押したか分からないメニューボタンがどんな押しかたをしても反応しない。電源すら切ることができない。しかたなく電池を外し、入れ直して電源を入れると立ち上がるが、やはりメニューの操作ができない。
▼おまけに内部で接触不良を起こしているのか、押してもいない操作が勝手に進み、「現在地をNo.95として登録しますか?」という画面が現れ、しかたなくOKボタンを押すと登録するつもりもない海上の一地点が登録される。本来は20地点くらいしか登録していないはずなのに、今は100地点以上が勝手に登録されてしまっている。
▼それで背に腹は代えられず、ネット上でトレッキング用のGPSを11年ぶりに買うことにした。「魚群探知機を買えばよいではないか」と突っ込まれそうだが、魚群探知機は周囲に島も見えないような沖合に出てから威力を発揮する。沿岸500mとか、離れても1kmくらいしかボートを出さないわたしの漁場では宝の持ち腐れになってしまう。
▼11年前に2万円だったから、上限を3万円に設定して検索する。するとeTrex20(英語)とかeTrex10J(日本語)とかがヒットする。性能はeTrex20のほうが上。以前買ったのも英語版だったし、かまわず英語版のeTrex20に絞り、「このショップが説明も詳しく値段も申し分ない」と思い、2万3千円の商品の購入ボタンを押した。
▼購入完了直前まで気付かなかったが、なんと今回購入したショップも、11年前に購入したショップも、まったく同じショップになった。不思議な巡り合わせを感じた。11年前から変わらないお店の姿勢。満足な買い物になったと思っている。
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