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16/01/01(No.805)

▼新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年はなんと、50歳になる年です。3月12日です。年が明け、3月の誕生日はあれよあれよと言ううちにやってくるでしょう。20歳の時、50歳は印象として「おじいさん」でした。「おじさん」は40代まで。いよいよ「おじいさん」の領域へ突入です。
▼あと4年もするとメルマガは1000号に到達する。「気が早い」と思われるかもしれないが、1000号はもう目の前の出来事、現実味を帯びてきたと思っている。それはメルマガ配信準備の型紙と、説教案を準備するMS-Wordのファイルを1000号ちょっとまで用意したことによるものだ。
▼1000号の配信予定日は、2019年4月28日になる。目印になる祝日は神のいつくしみの主日。目を皿のようにして連番に間違いがないか調べて、あくまでも現時点で番号を振り続けた結果だ。計算違いがあったり、臨時で特別号を出すかもしれない。
▼さて問題は、そのときどこにいるか、ということだ。その2年前、2017年には司祭叙階25年、銀祝を迎える。このこととも関係するが、どこにいるかは結構大きな問題だと思う。1000号については予想が立っても、2017年と2019年にどこにいるかは誰も知らない。ささやかでもお祝いできる場所にいたいと願うばかりである。
▼2015年は食事のお世話をしてくださるシスターが居ない年で、自炊には苦労させられた。最初はどの料理も作りすぎて無駄にしてしまった。肉じゃがを作るときにジャガイモを4個使い、できたのはいいが最後には見るのも嫌になり、食べなかったことも。お一人さまの肉じゃがにはジャガイモ2個で十分である。
▼野菜を食べるために、「水炊きもどき」も何度か作った。これも最初は作りすぎた。2リットルの水を鍋に用意していた。当然最後は食べるのも嫌になる。お一人さまの鍋に入れる水は、1リットル。それでも多いかもしれない。分量が分かってきて、水炊きそのままで食べるのがつらくなると、最後は味噌を入れて味噌汁にして食べたっけ。
▼自炊も悪くはない。しかし衛生面も問題だし、バランスの問題もある。やはり食事はサポートしてもらうのが一番だと思う。2016年はどうなっているだろうか。



16/01/03(No.806)

▼年賀状を元日に受け取り、眺めている。たぶん出し忘れた相手もいるし、わたしが一方的に出した相手もいると思う。例年だと照らし合わせて後で出すことが多いが、今年はあまりそういう気になれない。申し訳ないとは思うが、どうも気分が乗らない。
▼2日と3日は箱根駅伝。小一時間観ているころでこの記事を書いているが、もう遅れ始める大学もあるし、飛び出して他チームを振り切った大学も出ている。そんな中、ショートメールが入ってきた。差出人は去年35年ぶりに連絡を取ることができた小学校時代の恩師だった。
▼律儀な先生だな、と思った。丁寧なあいさつで、気にかけてくれていることがとてもよく伝わった。当時は警察沙汰を起こしたりして先生には本当に迷惑をかけてしまったが、こうして連絡をもらえるようになったのは本当にありがたいことだと思う。
▼「神の母聖マリア」のミサ説教を考えたのもつかの間、今日はもう切り替えて明日「御公現」のミサ説教を考えなければならない。御公現こそ福音朗読が同じなので、新しいものを見出すのはますます難しくなってきている。それでも自分が存在しているのはこの説教を用意し続けているからだと思っているので、何とか切り口を見つけたい。
▼元日のテレビの中で興味深いものがあった。BSプレミアムだったと思うが、瀬戸内寂聴さんを撮影し続け、それを編集して紹介した番組だった。ありのままの瀬戸内さんを見せてくれる内容で、93歳になって誰にもなにもはばかることなく思ったことを言う姿は痛快だった。
▼その中で、「どの作品も自分を超える何かに動かされて書いた作品が良い作品になる。」そんな言葉があって「そうそう。その通り」とうなずいて観ていた。説教案も、苦心して書いてみても、「何かが違う」と思って破棄してしまい、「消さなきゃよかったなぁ」と残り少ない時間でもがいていたら何かが降りてきて、さらっと書けた、そういう経験がある。得てしてそういう説教案は自分でも「なるほどなぁ」と感心するものである。
▼これは余談だが、瀬戸内さんの恋愛観はわたしには受け入れられないと思ったがそういうものなのかもしれないなぁ、とも思った。「恋愛は雷に打たれるようなもので、雷に打たれないよりも打たれるほうが人生を豊かにする。恋をしてはいけない相手はいないと思う」ということのようだ。



16/01/10(No.807)

▼人は死ぬと天国・煉獄・地獄のいずれかに置かれることになる。人は死ぬと最初の審判を受け、天国・煉獄・地獄の置かれる場所が決まる。わたしはこう考えてみた。最初の審判に九官鳥が立ち会っていて、ひとこと声をかける。「手ぶらでや?(手ぶらで来たのか?)。」
▼占星術の学者たちはイエスのもとを訪ねた時に贈り物を携えていた。黄金・乳香・没薬である。だから神の前に立つとき、何かを携えていなければならないとわたしも思っている。そして九官鳥の「手ぶらでや?(手ぶらで来たのか?)に答えを持っている人は天国に、答えに窮する人は煉獄に、持たない人は地獄に行く。
▼煉獄に行くと、ここは有限の罰を償う場所であり、またもや九官鳥が入り口に待っている。この九官鳥は「いらっしゃい」と言った。しかしいつまで償いの期間が続くのか、何も答えてくれない。だがいつかきっと有限の罰の償いは終わり、天国に迎えられる。今度こそ、「手ぶらでや?(手ぶらで来たのか?)」に即座に答えることができる。「わたしはすべてを償ってまいりました。」言い方はいろいろあるかもしれない。
▼地獄に決定づけられ、地獄の門まで来るとそこにも九官鳥がいた。この九官鳥はこう言う。「わたしはあなたのことを知らない。」だれも自分のことを知らないし、気にもかけてくれない。絶望の中に投げ込まれる。もはや何の希望もない。永遠に、「わたしはあなたのことを知らない」という宣告を受け続ける。
▼仮に、こういうことが起こるとするなら、わたしは生きているうちに神のもとまで届く「お土産」を用意したいと思う。祈りであるとか、隣人への愛であるとか、人に対するゆるしであるとか、神への信仰だとか。もしわたしの準備が足りなければ、わたしを弁護してくれる友に、この地上で巡り会っておきたい。
▼「彼はわたしにこのようにしてくれた人です」と、友人の弁護によって携えるものが見つかるかもしれない。少なくとも、「手ぶらでや?(手ぶらで来たのか?)」という声で迎えてもらえるような人生を送る必要がある。「わたしはあなたのことを知らない」はあってはならない声である。



16/01/17(No.808)

▼メルマガ配信の型紙に使っている資料が古いままになっていた。はじめ気付かずに説教案の準備に入ったが、すぐに朗読個所が今年の朗読配分表と合っていないことに気付いた。今週だけかと思ったら間違ったまま先の先まで用意されている。
▼これはすぐに修正しなければ。後先考えずに朗読配分をメルマガの型紙に当てはめていたのだが、あるところで間違いが無くなっていたり、何がどうなっているのか分からず頭がパニックになってしまった。
▼見る見るうちに時間が失われていく。土曜日午前中で終わるかと思った作業は昼を越え、午後2時になってしまった。今更のように、「今年前半くらいで型紙づくりは中断しよう」そう決めて説教案に戻ったが、どうしても頭が回らない。
▼致し方なく、6年前の説教案を開くこととなった。何度か読み返し、ニュース性が無くなった部分を削り、推敲してある。ほとんど以前のものは役に立たないことが多いが、今回の説教案に関しては自分で言うのもなんだがよくできていて「採用」できた。
▼ただ、机の上にはまだ片づけなければならないルーティンが散らかっている。今週のミサのお知らせが煩雑なのでメモを作ったが人数分コピーが必要だ。掲示板に貼る大きなお知らせもあと2部コピーが必要だ。わたしの「出張予定表」もあと2部必要だ。
▼ほかにも、信徒発見劇が2月20日(土)と21日(日)に上五島備蓄記念会館で上映されるが、整理券を配る関係上人数の正確な把握が必要で、申込用紙を作成して各教会で取りまとめが必要になる。あー、昼も食べずにこんな時間まで雑事に追われ、ついに説教案は目をつぶって6年前の焼き直しである。正直胸が痛い。
▼とは言え見直した際に誤変換が見つかった。「この出来事から、今週の糧をわたしたちも得ることにしましょう。」は正解だが、6年前は「わたしたち燃えることにしましょう」で配信し、ブログにアップしている。燃えていたのだろうか。



16/01/24(No.809)

▼黙想会の原稿が整った。小教区では4回話すが、違う小教区でも話すので都合5回分の原稿を整えた。説教案で紹介した通り、「信仰に生かされ・信仰を生き・信仰で次の世代を生かす」という信仰の伝承を念頭に話をまとめている。
▼いろいろ、黙想会の構想を練るにあたっての断片のようなものは思い付いたときにメモを残したりしていたのだが、実際に書き上げてみると、断片のメモの10分の1も利用できなかった。断片を拾い集めて一つにまとめるのはまた違う才能が必要なのかもしれない。
▼「福見教会とともに」という福見教会献堂百周年のために用意した歌があるが、ちょうどこの歌詞の内容を展開したような黙想会の内容になっている。「福見教会とともに」の歌詞はわたしが用意したものだが、「過去を告げ知らせる」「現在を告げ知らせる」「未来を告げ知らせる」この3つが歌詞に盛り込まれている。
▼信仰の伝達は、つまりこの「過去」「現在」「未来」を信仰の切り口で語るということだと思っている。過去を聞いた子供たち孫たちが、受け継いだ信仰の価値に気付き、実際に信仰を生きてみて追体験し、確信を持って次の世代に伝える。こういう営みが信仰の伝達ではなかろうか。
▼黙想会に参加した人たちも、本当は黙想の話を聞きっぱなしではなく、それぞれの話を受けて分かち合いをするとか、話を聞くたびに感想をメモしておくとか、何かをすれば話が定着すると思うのだが、そのあたりは今後の課題かもしれない。「黙想が終われば信者の務めを果たせる」この固定観念がまだまだあって、「黙想会を活用する」という立ち位置にいないのが実情である。
▼「黙想会原稿プリント」と「黙想会録音CD」が活用される場が広がればと思っている。何か活用のアイディアがあれば教えていただきたい。



16/01/31(No.810)

▼鼻水が出ている。火曜日になってから鼻水が出始めた。さかのぼってどういう生活をしていたか考える。思い当たる節があった。ただ時間はもとには戻らないので、今は鼻づまりに手を焼きながらの日々である。
▼頭もぼーっとするため、説教も新しいものを用意できず、古いものを引っ張り出して違うたとえを無理にはめてみた。不本意ではあるが、考える力が続かないので背に腹は代えられず、申し訳ないと思っている。
▼先週日曜日は雪の中を長靴で歩いて巡回教会に出向いた。巡回教会にはミサの時間を1時間遅らせてほしいと伝え、午前10時を目標に歩いた。深い雪を踏みしめながら、誰も歩いていない雪道を歩くのは大変ではあったが、巡回教会の信徒が待っていると思えば苦ではなかった。
▼この巡回教会では翌日もミサをするようになっている。そこで日曜日のミサをささげた後はもう帰らずに、そのまま巡回先の司祭館に滞在した。翌日のミサまで退屈だったが、大相撲は日本人力士の優勝で少し楽しませてもらった。
▼月曜日の朝、雪はまだまだ降り続いていて、誰も教会に来そうにないので修道院のチャペルでミサをした。シスターたちに教会まで歩いて来なさいと言うよりは、わたしが出向いたほうが簡単だと思ったのでそうすることにした。さすがシスターたち、出かけてみるといつもと変わりない。変化する社会の中で、変化しない聖域だと思った。
▼さて巡回先に長靴で歩いて出かけたわたしは、同じように歩いて帰らなければならない。昨日の距離をまた歩いて帰るのかと思うと歩く前からため息が出たが、まぁ帰ってから風呂で体を温めればいいやと、唯一それを楽しみにして出発した。
▼いざ浜串が眼下に見えるところまで歩いてきたとき、町内放送が流れる。「水道管の破裂で浜串地区、○○地区、○○地区などは断水しております。ご迷惑をおかけしております・・・。」それはあんまりだ。着ていたものはすべて取り換え、汗もできるだけ拭いたが、この日の過ごし方が悪かったのだろう。鼻水が止まらない。



16/02/07(No.811)

▼上五島地区で上演が予定されている信徒発見劇の出演者に選ばれ、練習に参加させてもらった。まずは、当時の浦上キリシタンが大浦のプチジャン神父に会うまでのいきさつを、よく頭に覚えこませることから始まる。
▼150年前、何が起こったのだろうか。どんな気持ちだっただろうか。思い巡らせることで「信仰の過去を知る」努力をした。役作りが始まると、配役になりきろうと考える。150年前の人物を、全身で表現して生き生きとよみがえらせたいと当然思う。
▼練習を重ねるうち、登場人物が劇を観に来てくれる信徒たちに共感できる人物となっていく。「この人たちは悩みながらも懸命に生きている自分たちと同じだ」そう思えるようになってくる。「信仰を現在化する」働きがそこにはある
▼ついに信徒発見劇を観終わった会衆が、「わたしたちが受け継いだ信仰は、次の世代に伝えなければならない。先祖が伝えてくれた信仰は、未来に遺してあげるだけの価値がある」と納得し、生活に戻っていく。自然な流れで「信仰を未来へ遺す」この気持ちが内から湧いてくる
▼練習に参加して感じたことは、「信徒発見劇は信仰の過去を振り返ることだけでなく、現在の信仰を刺激し、未来の信仰へと繋いでいく力を持っている」ということだ。その一つの形として、各地で上演した信徒発見劇を観た子供たちの中から、司祭修道者の召命が芽生えてくれればと願っている。



16/02/14(No.812)

▼どんな環境でもぐっすり眠れるというのは特別な恵みだと思う。かつては睡眠をとるのに苦労はなかったが、最近は眠れないこともある。それでも最終的には眠っているからまだ大丈夫だとは思うが、いまいち目覚めが良くない日をときおり迎える。年齢が関係しているのだろうか。
▼一方で、90分くらいで8時間も9時間も眠ったような感覚になるときがある。すぐに寝付いて、あーよく寝たと思ったら90分くらいしか経過していない。そんな時はなんだか得をした気分である。残りの時間はボーナスをもらったような睡眠時間だから、仮に眠れなくても朝はまだ数時間後だ。
▼眠りというのはとても複雑だなと思う。長い時間横になっても眠った気がしない時もあるが、短い時間で長く眠った感じになることもある。不思議だがわたしはどちらかというと一定の時間を使って眠りたい。この頃は長く起きているのも楽しく感じないのだ。
▼今までは考えもしなかったことだが、これからは起きている時間どのように過ごそうか、その場その場で考えながら選ぶようにしたいと思う。かつては無為に過ごす時間もそれはそれでありだったが、今は無為に過ごす時間があると、「今の時間は何だったのだろうか」と悔やむことが多くなっている。
▼無為に過ごす時間を回避するために、いくつかの選択肢を持っておこう。1時間失うことは昔も今も変わらないから、これは対象外として、2時間でできること、3時間でできること。この2種類があれば時間の使い方で悔やまなくて済むかもしれない。
▼2時間でできることと3時間でできること。何があるだろうか。場所にもよる。今なら3時間あればお魚を釣ってきて晩の刺身くらいは確保できるが、場所によっては同じことはできなくなるだろう。着替えて現地に向かい、帰ってきて自分の体を洗い、魚の下処理をする。そこまで3時間でできるのは目の前に海がある場所に限られてくる。
▼2時間の場合と3時間の場合の、いろんな選択肢を考えておこう。あと1ヶ月ほどで50歳になるから、おおよそ残りの時間は25年だ。その中で後半の人生の歴史を刻むことになる。若い頃はそうでもないが、これからは無為に過ごす時間はもったいない。



16/02/21(No.813)

▼「母と暮らせば」という映画を観た。長崎で原爆に遭った人々と、長崎の原爆で運命が変わった人々のドラマが取り扱われていたと受け止めた。主人公とその母親がほとんどの場面を構成していたが、映画が終わって疑問が残った。
▼「母と暮らせば、どうなるというのだろう?」この疑問が解決しないで映画館を出てきた。「母と暮らせば、母の悲しみを少しでもいやすことができる」ということなのだろうか。「母と暮らせば、母の考えがより深く理解できるようになった」ということなのだろうか。よく分からなかった。
▼映画のタイトルと映画がうまく重なると、「あー、だからこの映画のタイトルだったのか」と合点がいく。しかし今回の映画はそういうすっきりした答えが得られずに帰ってきた。わたしの頭が悪いのだとつくづく思った。
▼実はわたしも「こうじ」という名前である。映画の間、ずっと主演女優の吉永小百合さんが「こうじ」「こうちゃん」と言っていたのでくすぐったかったが、それにしても母と暮らせば何があるのか、よく分からなかった。
▼ここ6年ほど、母親と同じ上五島に住んだ。それは言ってみれば「母と暮らせば」という場面設定である。母と暮らせば、何が見えるのだろうか。何を感じることができるのだろうか。わたしがこの6年で感じたことと言えば、「わたしはこの母の子なのだなぁ」ということくらいだ。
▼今週は大変忙しい週になる。20日(土)と21日(日)が上五島石油備蓄記念会館で演劇、21日(日)夜から25日(木)までの黙想会。演技は全力でこなし、黙想会の指導は体をいたわりながらすることにしよう。



16/02/28(No.814)

▼黙想会を終えて一安心。6年間この小教区に赴任し、思うところもあるので黙想会は自分にとっても話す良い機会となった。黙想会を受ける多くの人に、「黙想会は新たな出発をするきっかけです。しっかりあずかりましょう」と促した。「エクゾドス」「出発」の良い機会となればと思っている。
▼黙想会中は午後の時間が空いている。だから心置きなく釣りに出かけようと早くから計画していた。黙想会の原稿を準備し始めた頃からずっと、「昼の時間には毎日魚を釣って、刺身を食べるぞ」と思っていたのだが、実際には精も根も尽き果て、昼間はずっと昼寝していた。布団に潜り込みながら、「こんなはずではないのに・・・」と思いつつ。
▼話すという作業は、意外に体力を使うもので、ささっと話を終えて釣りに・・・と思っていても体は正直である。「無理だよ。夜の部の体力を温存しないと、浜串→福見→高井旅の連続黙想会はもたないよ」とブレーキがかかるのである。50を目前に、体の声には逆らえなくなってきたことを実感した。
▼信徒発見劇上五島公演に出演させてもらい、多くの方から声をかけてもらうようになった。中にはわたしの知らない人からも、「与作は神父様が演じていたんですね。とても素晴らしい演技でしたよ」とお褒めの言葉をいただいた。大変ありがたいことである。
▼演技に大切なことは、「その役柄に入り込むこと」だと思う。演技がうまい下手だというのは二の次で、その人柄に入り込めば、観ている人は「その登場人物はこんな人柄なのだろう」と皆が受け止めてくれる。わたしはその意味では役に入り込めたのでひとまず成功だろう。
▼ただ悔しいことに、練習で一度も失敗しなかったのに、本番初日のセリフは間違ってしまった。「フランス寺(大浦天主堂)見物に行った人たちの間では、もっぱらの評判でござります」と言うべきところを、「長崎見物に行った人たちの間では、もっぱらの評判でござります」と言ってしまった。痛恨の極みである。



16/03/06(No.815)

▼長崎県は南北に長い県である。その長崎県内で長崎教区は統計上72の小教区を持ち、修道会と教区司祭とで司牧が続けられている。わたしもすべての小教区を訪ねたわけではないが、子供たちには長崎教区の広さ、多様さについて少し知ってもらいたいと思い、長崎県地図を持ち出して次の条件下で長崎教区全体を見渡すことにした。
▼その条件というのは、現在住んでいる南松浦郡新上五島町から、朝出発して何とか夜に帰り着く。その条件の下で長崎教区のどの小教区まで訪ねて行けるだろうか。こういう条件設定である。言うまでもなく新上五島町は五島列島の旧五ヶ町が合併した地域である。
▼まず、意外に思われるかもしれないが、上五島から下五島(五島市)を巡るのは結構難しい。この下五島だけを先に紹介すると、五島旅客船という船会社が運航している五島域内を巡る船に土井ノ浦港から乗船し、五島市内の各教会巡りが可能だ。最後は同じ船の最終便に乗って土井ノ浦港で下船し、自宅に戻る。このコースがまずある。
▼次に長崎県本土の小教区巡るコースだが、長崎本土には九州商船が奈良尾港から長崎へ、また有川港から佐世保へ運航している。同じように五島産業汽船が鯛之浦港から長崎へ、また有川港から佐世保へ運航しているが、ここでは九州商船の高速船で日帰り可能な場所、そして奈良尾港から長崎にわたってからの日帰り巡礼という設定に絞ってみる。
▼奈良尾港から長崎に向かういちばん早い便は午前8時5分。この時間の高速船が9時20分に長崎の大波止港に到着する。長崎本土に渡ると、すぐに移動するためレンタカーが必要である。まぁ適当な会社からお借りしたとして、およそ10時から出発。帰りの高速船でいちばん遅いのは16時30分。長崎の大波止港に16時に到着するとして、10時から16時までの6時間で回れる地域・訪ねていくことのできる小教区を考える。
▼じっくり巡礼地の教会で祈ることはできないが、島原半島の教会をさっと見て帰って来ることは可能だと思う。また、大村湾を囲むように一周し、周辺の小教区をチラ見して帰って来ることは可能だと思う。また佐世保市内の教会なら途中高速道路を利用すれば、いくつかに絞って巡礼可能だ。
▼問題は県北の教会である。わたしの計算では、平戸大橋を渡ったその向こうの小教区には、上五島からの日帰り巡礼は難しそうだ。16時30分の便に間に合わなければ他の方法がないのだから、平戸島、生月島は日帰り巡礼からは除外となる。そうすると県北の小教区巡りは、ギリギリ平戸大橋手前の小教区巡りまで、ということになるだろう。
▼子供たちと、このような話をしながら、君たちが大きくなった時、または家族で、日帰りの教会巡礼を計画したら、今日の話を参考にして最大限長崎教区のいろんな小教区に興味関心を持ってほしいと、教会学校でこういう話をした手前、なんとなく長崎教区の学びになるようなオチを付けて話を終わった。



16/03/13(No.816)

▼というわけで転勤となった。わたしの中では「マンションに住む」と言い聞かせている。マンションの名前は「リベルタ・ビラ(Liberta Villa)312号室」。分かる人は分かると思うが、分からない人は分からないまま放置しておこう。最近、分からない人のフォローをすることに少し疲れたので。
▼木鉢教会の黙想会は素晴らしい環境の中で行わせてもらった。金曜日の夜には、「大変お世話になりました」と、お礼のはがきを一枚用意し、土曜日に投函した。皆さんよく話を聞いてくれたし、ふだんすべりまくっているおじさんギャグも上々の反応だった。
▼何より、主任司祭の人柄が理解できたことが良かった。わたしと木鉢教会の主任司祭の接点と言っても、実際にはそんなに思い当たることがなかったのだが、黙想会中の食事のたびに、夜の部を終えたあとに、じっくり話を聞いたり質問に答えてもらったりした。気配りにも感心した。
▼バイクを処分することにした。ボートも、名義を変更して面倒を見てもらうことにした。新聞も今月いっぱいで止めるつもりだ。ほかにも、転勤にまつわるさまざまな案件を処理しなければならない。3月いっぱいで荷造りをして、引っ越し単身パックで引っ越しだ。
▼新しい任地で、どんなことが待っているだろうか。あちらが待っていることと、こちらが続けたいこととがある。よく考えながらということだろうが、いずれにしても環境を変えてもらうので、もう一度ねじを巻きなおしたい。移動するすべての人が、今同じことを思い、同じことをしているのだと思う。今年4月、上五島では3司祭の異動がある。



16/03/20(No.817)

▼聖週間が始まった。わたしの中では、始まった時点で終わっている。それはこの日までに、復活の主日(日中)までの説教が出来上がっているからだ(の予定だったが間に合わなかった)。例年通り、プリントを作ろうと思えば、受難の主日の今日には「聖週間の説教」という冊子を作ることができるのだが、今年は引っ越しのドタバタでそこまでの時間はない。
▼一応、ネット上には冊子になった時の状態の物をアップしている(予定だったが)。それが今年せめてものイースタープレゼント。必要があれば、プリントアウトしてご利用あれ。そんなもの好きな人がいるの?と思っているけれども、18日(金)の時点では非常に有難い声をいただいている。
▼「中田神父の説教を毎週楽しみに福見教会に来ていたのに、今度からはどうなるのだろうか?」有難い言葉だが、今度からの主任司祭もきっとみことばの食卓から食べさせてくださるに違いない。わたしは聞く人の力に応じて、聖霊が説教者の話を理解させてくれると思っている。
▼聖週間とは直接関係がないが、引っ越し準備で司祭館はてんやわんやである。大事故・災害などで同時に多数の患者が出た時に、手当ての緊急度に従って優先順をつけることを「トリアージ」と言うらしいが、まさに司祭館全域で「これは残す。これは捨てる。これは手放す。これは持って行く」と選択をしているところだ。
▼何とまぁ、どうでもよいものを持ち続けていたものか。どうでもよいものはすぐに処分できるが、「どっちにするか。救うか、救わないか?」この当落線上にあるものは初めのうちは「残す」にしていたが、途中から「ここで一線を引こう」という気持ちになり、「残さない。処分!」と方針を変えた。
▼たぶん、持っておけば存在価値はあると思う。しかし、存在価値を「残す残さない・救う救わない」の基準にすれば、かなりのものをまた持ち続けることになる。ここはひとつ、多少困るくらいの分量にしてから、再出発をしようということに決めた。



16/03/24(No.818)

▼聖金曜日、イエス・キリストはわたしたちのためにいのちをささげてくださった。説教でも話したが、キリスト者のどこかに「十字架のキリストを敬遠する」そんな意識があると思っている。それは教会を訪ねてきた人の中に「どうして十字架にはりつけにされているのですか」と尋ねる人が少なくないことからも伺える。
▼ここで自信をもって、「十字架のキリストは敗者ではなくて勝利者なのです。誰もイエスを死に追いやることはできませんでした。イエスは自ら進んで、すべての人の救いのために、十字架を受け取られたのです。」まぁこんな説明ができれば、中には心を動かされてもっと話を聞いてくれる人もいるのではないかと思う。
▼わたしたちが十字架のキリストを告げ知らせることにためらいがあるなら、十字架のキリスト像を怖がっている人に説明できるはずがない。そこを乗り越えることができずに、宣教が行き詰っているのではないだろうか。
▼今日は断食の日でもある。イエスがお亡くなりになったことを、断食を通して思い起こす。お腹が空くのはかなりこたえる。その空腹感の中で、イエスの苦しみ、犠牲をしのぶ。わたしたちもいつか死ぬ。その時に、イエスの死に倣うことができるように、聖金曜日の断食は遠い準備と言えるかもしれない。



16/03/25(No.819)

▼聖木曜日のわたしの忘れられない思い出は、病人に御聖体を運んだことだ。病人にはいつでも聖体を運ぶことが許されている。たとえ聖金曜日でもそれは変わらない。聖木曜日だということは病人本人は忘れていたが、「今日は聖木曜日です」と説明したら、「聖木曜日に御聖体を運んでもらえるなんて」と深く感謝された。
▼聖木曜日に兄弟愛を実践することは、福音的で素晴らしいことだと思う。何も病人訪問に限らなくても、施しをすることであったり、家族の中での助け合いだったり、近くにいる人に身の回りのお世話をしに行ったり、いろんなことで兄弟愛の実践をして、イエスが弟子たちを深く愛してくれた模範を人に示すなら、もっとカトリックの信仰は容易に広まるだろう。
▼今年は、病人訪問には行かないかもしれない。残念ながら、兄弟愛の実践は、目の前の引っ越しの荷物片付けによって脇に追いやられてしまっている。まぁこれも、後任の司祭へ気持ちよく引き継いでもらうための「兄弟愛」だと言えるかもしれないが。
▼気がかりなのは、病者の塗油を授けた人たちである。ここ数日で、病状が悪化したりするとわたしの片づけはストップするわけだから、それはちょっと困る。かと言って後任の司祭に丸投げというのも気が引ける。悩ましいところだ。できれば命の危険を脱して、健康を取り戻してほしい。



16/03/26(No.820)

▼復活の出来事は「空の墓」から始まった。そこで「空っぽ」の話を。転勤に伴う引っ越し作業でみるみるうちに部屋の中から荷物が、物が消えていく。机の上が見渡せるようになった時に「こんなに広かったんだぁ」と感動する。机の引き出しも空っぽになった。
▼引き出しが空になったのはよかったが、思わぬ落とし穴が待ち構えていた。ゆうちょ銀行の通帳、親和銀行の通帳、十八銀行の通帳などを無造作に箱に投げ込んだらしいのである。引き継ぎの通帳を後任の司祭が入った時にすぐ目に付くところに置こうと考えていた時、「はて、個人の通帳はどこに行った?」と不安になった。
▼いろいろ考えた挙句、どうやら別に取り分けたわけではなく、箱に投げ込んだらしいという結論になった。しかたなく、机の物をまとめて入れた箱を開けてみたら、本当に放り込まれていた。おそらく机を空にする作業中、集中力が切れてしまったのだろう。机を空にすることだけが頭にあって、大事なものを取り分けることまで頭が回らなかった。
▼もし通帳を発見できなかったら、すべての窓口に行って再発行を願わなければならなかったかもしれない。見つかって事なきを得たが、見つけた通帳を眺めながらゾッとした。
▼片付けと荷造りの中で、少なくとも2万円ほどの現金が見つかった。片づけを手伝ってくれる人たちに何か差し入れをしよう。要らないと言われるかな(笑)



16/03/27(No.821)

▼この復活の主日の時点では、引っ越しの荷造りはほぼ終わっていて、あとはあえて荷造りしなくても車に放り込んで車と一緒に引っ越せるものだけが残っている(ことになっている)。その中には釣り道具があって、これは最後まで手放せない。最後の一匹まで浜串の魚を釣って「さよなら」とあいさつして去っていくつもりだ。
▼今回の転勤は周りから「田平かぁ。いいなぁ」と言われる。引き継ぎを聞いた範囲では問題山積ということではなさそうだが、ただ「取り組むべきことが山積」という感じはしている。だから「取り組むべきこと」を知った上で「いいなぁ」と言うのであれば、もしお望みであれば代わってもよい。代わらないだろうけど。
▼さまざまな公共機関を利用するチャンスが出てきそうだ。たとえば田平から佐世保市内にやってくるときに、第三セクター(だったと思うが)の松浦鉄道を利用する場面も出てきそうだ。あるいは西肥バスで行くことも。同じように、長崎市内に出るときも、電車、バスを乗り継いで行く場面もあると思っている。いろいろ調べるのは楽しいものだ。
▼ただ、故郷の新上五島町鯛之浦に出ていく時が問題だ。可能性としては、田平から佐世保港に出てきてフェリーに乗る方法。これからは高速船ではなく、フェリーにバイク(もしくは車)を乗せてのんびり出ようと思っている。
▼もう一つは、思い切って博多港に出て、そこから夜11時45分のフェリーで五島に渡る。遠回りだが、朝6時に五島に上陸するメリットは魅力的だ。一日釣り三昧で時間を使って、実家で刺身を分け合って食べて一晩過ごし、帰りは佐世保経由で帰るという手もあると思う。
▼復活の主日と全く関係のない話ばかりで申し訳ない。しかし復活の主が行きなさいと言ったところでまた働く。この繰り返しの旅の中で、いくらかでもお役に立って、人生を全うしたい。



16/04/03(No.822)

▼ようやくこの文章を書く時が来た。今回の転勤で、陸続きのところに異動となった。これまで「大島→伊王島→五島列島」だったので、「瀬戸の花嫁」を歌ってお別れしていた。「島から島へと 渡って行くのよ」という歌詞が、うまくはまるからだ。今回はそうはいかない。何か、適当な歌が見つかるだろうか。
▼こだわりがあるわけではないが、歌うとやはり雰囲気を作ってくれる。いい歌があればいいが、なければ卒業の「蛍の光」ということになるのだろうか。今回もフェリーでのお別れになる。フェリーの別れは辛いものだ。長く姿が見えているし、それだけ別れもひとしおだから。
▼たった一つ気がかりと言えば、インターネットプロバイダーのこと。これまでは新上五島町が委託して民間のインターネットプロバイダーが利用できないへき地対策で立ち上げられた「つばきネット」を利用していたが、どうやら新しい土地には「フレッツ光」に当たるサービスは届いていないらしい。わたしは高速通信を利用したいが、これから数年のうちに環境が改善されるのだろうか。
▼あまり気分が乗らない中で原稿をまとめている。この原稿は3月いっぱいで準備されたものだ。本来ならば、4月に入ってからの気分で書きたいところだ。これが五島での最後の「ちょっとひとやすみ」だというのに、
▼木は、その成長に応じて植え替えたりする。わたしはもうすぐ神の手によって植え替えられ、新しい土地に根を下ろす。新しい土地の養分をいただいて、新しい芽を出し、皆に利用してもらうことになる。木の周りに集まる人々にとって、わたしの存在はそんなにたいしたことではない。大切なのは「キリストという木に繋がている枝かどうか」ということだ。
▼こだわりがあるとすればこうだ。「日曜日のミサ説教が、キリストという木に繋がった枝としてキリストの養分を人々に届けているかどうか。」ただ一つのこだわり。ここがわたしの存在意義であり、新しい土地でもそのことを決して忘れずに精進しよう。

【希望の聖母に今日を託す祈り】
(浜串教会の岬に立つ)希望の聖母よ、
わたしたちの一日の始まりに
そばにいて、見守ってください。
天候に左右され、危険と向き合う漁に出ます。
厳しい競争が待っている学校や職場に出ます。
肩を落としそうになるとき、励ましてください。
わたしたちの願いを、いつも取り次いでください。
あなたがわたしたちの願いをイエスに取り次ぎ、
イエスが必ず願いに応えてくださいます。
いつも、わたしたちの希望でいてください。
道に迷うとき、確かな道イエスを指し示してください。
そしてすべての務めを終え、眠りに就くとき、
明日も見守ってくださる母でいてください。アーメン。



16/04/10(No.823)

▼涙がうっすらにじんだ船出だった。見送りのうちの何人かに、心のうちを打ち明けずに旅立った。それが自分の中での心残り、もしかしたら見送ってくれたその人の心残りだったので、涙をそそったのかもしれない。
▼鐘を鳴らすつながりで、最後は大声で「浜串教会の鐘を鳴らすのはあなたです。福見教会の鐘を鳴らすのはあなたです。田平教会の鐘を鳴らすのは?」と叫んだら、ちゃんと「あなたです」と返事をもらうことが出来た。
▼だんだん船が有川港を離れていく。気持ちも離れていき、頭は切り替わる。これから田平町に住み、田平教会の主任司祭となる。佐世保港が見えてくると、いよいよその覚悟がついてきた。レンタカーを一台借りて、いざ田平へ。
▼ここからは迷うことのない道なりの旅。そう思っていたが、何度か道を間違え、車線変更のため隣の車にぺこぺこ頭を下げながら軌道修正しつつ田平教会へ。いよいよ近づくと、運転は付き添いをしてくれた信徒にお願いする。
▼嬉しい田平教会初上陸。生涯初ではないのだが、初めて旅行者としてではなく住人として田平教会の空気を吸った。ここでどれくらいの時間が与えられるかわからないが、与えられた務めを精一杯果たすつもりだ。よろしくね。
▼実感はあまりない。けれども赴任の日に自己紹介された人の顔と名前を覚えようと懸命に頭を回転させたので、ああ、なんとなく始まるのだなと、そういう思いは湧いてきた。ただ二度と忘れない名前と、何度聞いても覚えられない名前があるのはなぜだろう?



16/04/17(No.824)

▼「今週のネタにちょうど・・・」と思っていたネタも、このたびの熊本大地震で吹っ飛んでしまった。これは大震災とも呼べるほどの被害だ。専門家が14日のは前触れで、15日が本震だとの見解を出した。両方とも平戸市田平町まで揺れが届いた。
▼熊本であんな被害が出る地震に見舞われるのだから、もはやどこも安心ではない。わたしの思い過ごしかも知れないが、地震で教会の鐘が鳴ったのは生まれて初めてだ。聖堂にはこれといった影響は見られないが、あらためて「何があってもわたしたちは揺れない」という神への信仰を確認する必要を感じた。
▼地震は確かに怖いが、わたし個人の問題では引っ越し後にパソコンの調子が悪くて恐れている。トイレに行って戻る、その5分くらいの間にハードディスクが固まって、にっちもさっちもいかなくなることが多発している。仕方なく電源を無理やり落とす。
▼こんなことを繰り返していると必ずハードディスクが壊れる。その前にハードディスクのクローンを作っておきたい。そうは思うがなかなか行動に移さない。このままでは大量のパソコン資料を無駄にしてしまいかねない。どこで線を引いてパソコンを退役させるか。そこが問題である。
▼教会の下の浜、遠浅で五島の蛤海水浴場を思い出した。まだ具体的な計画はないが、十分釣りもできそうだ。まずは浜から投げ釣りをするか。



16/04/24(No.825)

▼教会学校小学1年生の代用教員として土曜日午後1時半の要理を受け持った。はじまりは一週間前で、保育園に務めるシスターが「たびら春祭り」に太鼓の演奏を保育園から出すということで、午後からの教会学校と重なり、要理はどうしましょうかと相談されたのがきっかけだ。
▼「ピンチヒッターしてもかまわないよ。」二つ返事で受けた。シスターは大喜びだ。いよいよ当日になってみると、雨が降り、太鼓の皮が痛むので演奏は中止になるらしかった。ただし「神父さま、きっと子供たちのけいこはしたいでしょ?わたしは今日は予定通りお休みさせていただきます」とちゃっかりけいこは回ってきた。
▼引っ越すと必ず体験することが3つあって、1つは町内放送がまだ慣れないせいか聞き取れないこと。2つめが個人で引いている固定電話に間違い電話がかかってくること。3つめが寝坊して迷惑をかけることだが、1つめと2つめはちゃんと経験したが、3つめはないなと高をくくっていた。なぜなら今回赴任した教会には巡回教会がなく、寝坊してもほぼ被害がないからだ。
▼ところがそこが落とし穴だった。今週の説教と午前中格闘して昼食後、ウトウトしてきたのでつい居眠りをしてしまった。気が付いたら午後1時35分ではないか。慌てて信徒会館に行ってみると、代用教員のルーズさに呆れ果てた小学1年生が玄関で待ち構えていた。
▼「はやく〜。」遅れたことを咎めることもなく、快く迎えてくれた子供たちに救われた。予定していたことをこなしたが45分の持ち時間のうち15分で終わってしまい、もしも時間が余ったらと思って用意していた「聖書かるた」を目一杯やって、こちらがメインのような感じになってしまった。



16/05/01(No.826)

▼教会には役場の「戸籍」にあたる大切な台帳がある。いくつかに分かれていて、それぞれを手書きで連動させる。まず「洗礼台帳」。ここに洗礼を受けたすべての信徒が記録される。次に「堅信台帳」。長崎教区では中学生の頃に堅信を受けるが、それを記録する。
▼堅信を受けると、さかのぼって洗礼台帳にも「この人は堅信を受けました」という証拠を追記する。人によっては転出していき、転出先の教会で受けた堅信証明書が届き、それを洗礼台帳に追記する。
▼さらに多くの人は結婚する。すると婚姻台帳にまず婚姻の内容を記録し、さらにさかのぼって洗礼台帳にも「この人は結婚しました」と追記する。面倒なのだが、記録はとても大切なのである。場合によっては違う教会で結婚式をするから、婚姻証明書が届いた時点で追記する。
▼もしもこの人が死亡した場合、死亡台帳に死亡した旨を記録する。場合によっては違う土地に住んでいてそちらの教会で葬儀を済ませ、「死亡しましたよ」と死亡通知書が届くので記録する。
▼さらに手順がある。これら一連の台帳記録を済ませたのちに、堅信証明書と婚姻証明書、死亡通知書は最終的に教区本部に転送する。こんなめんどくさいことをすべての司祭がちゃんと果たしているのだろうかと思うこともある。まぁきっとまじめにやっているのだろう。
▼ここからが本題だ。それぞれの台帳も歴史を重ねてくると古びてくる。教会によっては製本された台帳を100年以上保管するわけだから、当然傷みも激しい。赴任した田平教会の台帳も、手を打たなければ本がばらばらになって大切な記録も散逸してしまう恐れすらあった。長くなるので来週に続く。



16/05/08(No.827)

▼先週の続き。そこで平戸地区で印刷所がないか、コピー機を納入している業者に尋ねたところ、とある印刷所を紹介された。名前を聞いてギョッとした。前任地で福見教会百周年記念のためにパンフレットを制作してもらった印刷所ではないか。
▼ギョッとしたのにはわけがある。何度かやり取りをして完成した福見教会百周年記念ミサのパンフレットだったが、校正をやり取りしているうちに仕事のいい加減さに頭に来て、「あなたたちには金も払いたくない。もう二度とお世話にならない」と啖呵を切って終わった業者だったのである。
▼どんな仕事内容だったかは割愛するが、それでも印刷屋か、素人でもこんなミスはしないぞと、こてんぱんに言った記憶がある。その印刷所の代表取締役が、あいさつを兼ねて訪ねて来たいという話だった。ここは覚悟を決めて、わたしも謝って新しく付き合いを始めようと考えた。
▼その印刷所の社長は思いのほか若かった。雰囲気はマグロの初セリで毎年最高値で落札することで有名な回転寿司社長のようだった。「社長はわたしのことを知らないでしょうが、わたしはあなたの会社を知っています。以前依頼した仕事の出来に腹を立てて、二度と取引しないと言いました。こんな形でお世話になるとは思っていませんでした。当時のことは謝るので、これからよろしくお願いします。」
▼社長は何を言われているのかさっぱりわからない様子だった。わたしは前もって準備していた福見教会百周年記念ミサパンフレットと、当時数回やり取りした校正のゲラ刷りを示して、「こういうミスは、とてもじゃないが受け入れられなかったので、腹を立てたのです。すみませんでした」と説明した。社長は初めて事実を知ったのか、申し訳なさそうに謝ってくれた。
▼ここからようやく仕事の依頼である。背表紙が役目を果たしていない様子を実際の台帳を見せて説明し、状態の良いものを参考にして、同じように製本し直してほしいとお願いした。期間と、費用はこちらの希望を出し、教会の財産なので、立派に仕上げてほしいとお願いした。
▼まぁ人間のすることだから、腹を立ててきついことを言うこともある。しかし言われた相手もなぜ言われたのかを理解して、これからの付き合いで挽回しようという誠意を見せてもらった。2年後は田平教会の献堂百周年が待ち構えている。その時にはぜひ、立派なパンフレットを立派な仕事ぶりで作成してほしい。



16/05/15(No.828)

▼傑作な話が毎週毎週発生するが、こまめにメモを取らないものだからどういう話だったか忘れることが多い。一度体験したことは脳から直接データを取り出せるような発明をしてくれないだろうか。眠らせて夢を発生させてデータに取り込むとか、夢物語のように聞こえるかもしれないが、そんなことが出来たら、忘れる前に保管できるのにと思う。
▼大神学院の生徒たちを率いてA神父さま一行が田平教会を訪ねて来て、その日の晩信徒会館に宿泊した。5月の連休でもあり、巡礼をしていて、前任者との取り決めで宿を貸してもらうことになっていたらしい。翌朝のミサをA神父さまも一緒にささげてくださり、大神学生たちも参加した。
▼わたしは大神学生を念頭に置いて、次のような話をした。「司祭に求められる資質の一つとして、どこででもどんな状況でも、ぐっすり眠れることは大切だと思います。」赴任した教会の主任司祭と折り合いが悪くなって一言も口を利かなくなったとしても、それでもぐっすり眠ることが出来なければ、この先続かない。
▼あるいは、赴任した先にこれまでの積年の問題が山積していて、思わず逃げ出したくなるような状況になっているかもしれない。それでもぐっすり眠れなければ、先は長いのである。だから、どんな状況であっても眠れる。これは大切な資質だと思うと話したのだった。
▼ところでこの日、小学生の侍者が3人来ていた。5人兄弟の上から3人が来ていたわけだが、長男と次男に挟まれて侍者をしていた三男が、何と第一朗読中から居眠りしていたのである。当然説教中も寝ていたわけだが、ミサが終わった時に共同司式をしてくれたA神父さまがその子を呼び止めた。
▼「やあキミキミ。ミサ中神父さんが何を話していたか分かるかい?どんな場所でも、どんな場面でもぐっすり眠ることが出来るのは司祭に求められる資質だと言っていたよね。キミはどうやら司祭に必要な資質が備わっているようだね。神学校に来なさい。」



16/05/22(No.829)

▼以前書いたかもしれないが、「これ以上はないだろう」という想定は、結局書き換えられるので意味がない半面、いちおう、そういう想定は持っていたほうが良いとこのごろ思う。ある小教区にいた時、言い方はよくないが「歌が下手な」巡回教会があった。日曜日のミサをささげながら、「気が散るから、もう歌わなくてもいいのに」とさえ思うような状況だった。
▼ところが、違う小教区に赴任してみると、それを上回る「歌の下手な」巡回教会が待っていた。「まさかここより下手な教会があるとは」と初めのうちは思ったものだが、想定も書き換えられてみると楽しいもので、「この次、もっと歌の下手な教会に巡り会うのはいつだろう」と、変な期待を持ったりする。
▼今この時点でも、「これ以上ひどい状態はないだろう」という現実と向き合いながら日々を過ごしている。なぜここまで先延ばしにして、結局それを片付けないで時間だけが過ぎたのだろうか。なぜこんなひどい状態からわたしはスタートしなければならないのか。本当に驚き、腹立たしさで大声を出したくなる。
▼しかし、「これ以上はないだろう」という想定のもとに現実と向き合えば、それはそれで楽しくなる。きっとこれ以上のひどい体験はしないに違いない。ここで積んだ経験はこの先何倍にもなって帰って来るだろう。ただし、多くの場合「これ以上はないだろう」という想定は書き換えられ、さらにひどい状況に置かれることになるのだが。
▼それでもいいじゃないか。今は「これ以上ひどい状況は考えられない」と思って作業ができている。それに、どれだけあがいても50歳の私が残り担うことのできる時間は25年である。これ以上のひどい状況がこの先待っていたとしても、25年もすればすべて思い出に変わるのだから、楽しんでいこう。



16/05/29(No.830)

▼黙想会で思わぬ餌に引っ掛かり、釣り上げられてしまった。例えるなら、ふつうであればたやすく見破る疑似餌に引っ掛かった魚のような気分だ。日本カトリック神学院東京キャンパスに派遣されている後輩の長崎教区司祭N師が黙想会に参加していて、声をかけてきたのが始まりだった。
▼「東京の大神学生たちのために『月の静修(ミニ黙想会のようなもの)』を引き受けてくださってありがとうございます。」「はぁ?知らんぞ。」「またまたぁ(笑)指導をしてくれる神父さまの名前の欄に、ちゃんと先輩の名前書かれてましたよ。」
▼「何の話だ?俺は何も知らんぞ。」「だって先輩、神学院副院長である鹿児島教区のN師の電話依頼を引き受けてくれたんでしょ。快く引き受けてくれたって言ってましたよ。」わたしの頭はさらに混乱し、本当にそういうやり取りがあったのか確認してくれと念を押した。
▼翌日のことである。前任地である浜串教会に赴任したS師がわたしのそばに来て、神妙な顔でこういった。「先輩、落ち着いて聞いてください。実は最近、日本カトリック神学院東京キャンパスから浜串教会に電話がありまして、『月の静修を引き受けてくれ』という依頼があったんです。わたしは当然、自分に依頼されたものだと思い、よく考えた上で『わたしでよければ』と言って引き受けました。」
▼「東京キャンパスで働いている鹿児島教区のN師は、人事異動があったことを知らなかったようで、浜串に中田先輩がいるものだと思い込んで電話をしていたそうです。わたしに名前を聞いてくる雰囲気でもなかったので、まさか人違いで依頼しているとは思わず、引き受けたのです。」
▼「ところが今朝、長崎教区から東京キャンパスに派遣されているN師と月の静修の確認をしてみて、お互い間違いに気づいたんです。東京キャンパス側は中田先輩に依頼しているつもりでした。引き受けたのはわたしですが、東京キャンパス側としては中田先輩が受けてくれたことになっているんです。お分かりでしょうか?」
▼「知らん知らん。俺は知らん。」「先輩。そう言わずに、ぜひ東京に行って務めを果たして来てもらえませんか?」「お前が引き受けたんだろう?お前が行けよ。」この時点でわたしは笑いが止まらなくなっていた。一度も内容を聞かず、返事もしていないのにわたしは東京で講話をすることが決まった。父イサクから祝福をだまし取るヤコブの物語を思い出した。



16/06/05(No.831)

▼こちらに来てからナイターソフトの「アンジェラス」というチームに加わり、試合に出ている。レベルの高いチームもそうでないチームも混ざったリーグ戦だが、アンジェラスチームは勝ったり負けたりの普通レベルのチームだ。
▼今年のリーグが開幕してアンジェラスは3試合消化した。わたしは初戦と第3戦に参加。第2戦はコールド勝ちしたそうだが、あいにく教区司祭黙想会で不参加。参加した2戦で味わったことを分かち合いたい。
▼まず、ナイターゲームに生まれて初めて参加したということ。守備も攻撃も、ボールの距離感がいまいち分からない。特に打席。ボールが自分の打てるゾーンに来る前に思い切りスイングして、初戦の第一打席は空振り三振してしまった。
▼結局初戦は3打席回ってきて、残り2打席はボールの上をこすったボテボテのゴロ。しかし懸命に走ったおかげでセーフになり、3打数2安打の結果となった。この日は接戦だったが、あと少しのところで試合を落としてしまい、残念な結果に終わった。
▼第3戦目。この日は初回にどちらも点数が入り、乱打戦の雰囲気だったが、実際はコールドゲームで大敗してしまった。わたしは守備で外野フライを一つ取り損ね、一つ好捕した。わたしの守備は試合の大きな流れには影響なかったが、相手は強打のチームだったらしい。ランナーをためてはセンター方向にこれでもかと長打を打ち、大量失点になる。その繰り返しで5回表には10対3で、5回裏に1点取らなければコールドゲームで試合終了である。
▼5回裏、先頭バッターでわたしは打席に立つ。初球、絶好球だったのに見逃し。「しまった」と思いつつ3球目を打つ。一塁強襲。一塁手がボールをこぼしたのが見えたので懸命に走ってセーフ。次の打者のファウルフライで三塁手が触った後にボールが客席に入る。ルールはよく分からないが「テイクワンベース」と宣告され、自分は二塁に進塁。
▼次の打者が内野を越えるヒットを打った。わたしは「1点取らなければ次の回に進めない。あとの打者がわたしを返してくれるとは限らない。」そう判断して三塁で止まらずホームに突っ込んだ。三塁コーチの、今年新司祭になった人のお父さんには「ストップ!止まれ!」と言われたが無視してホームへ。
▼結局ボールはホームに戻らず、余裕でセーフ。この1点でかろうじて次の6回に進んだのだが、相手チームにさらに5点取られ、1点しか返すことができず、15対4で大敗した。



16/06/12(No.832)

▼メインのパソコンを支えているハードディスクが故障を抱えているという結論に達し、ハードディスクのクローンを作成して換装した。作業はそう難しいものではないが、「いよいよ換装する必要があるな」と断定するまで無駄な時間を消費したと反省している。
▼きっかけは先月に遡る。パソコンにいつものように電源を入れるがマウスが反応しない。パスワード入力の画面に移るワンクリックができない。マウスがだめならと、キーボードのエンターキーを押すがこれも反応なし。
▼滅多にしないことだが、電源スイッチを長押しして強制的に電源を落とし、再起動するといつものように動いた。だからハードディスクの異常を見落としてしまった。この時点でハードディスクを疑っておけば、無駄なストレスを感じなくてもよかっただろう。
▼次に問題が発生したのは説教作成中だった。司祭館のチャイムが鳴ったので玄関に行って対応して部屋に戻った。するとパソコンがフリーズしている。「何だこれは?」首をひねったが、保存するにもマウスが動かない。だがある程度書いた原稿を取り戻せなくなるのは悔しい。それでも背に腹は代えられず、電源スイッチの長押し。強制的に電源を落として再度立ち上げる。
▼今回はワード2013以上の標準機能でバックアップされたものを利用できた。だがこうした不審なトラブル・ちょっと目を離した隙のフリーズが頻発するようになり、だんだんパソコンの内部を疑い始める。まず考えられるのはハードディスクだ。だがここでも、だましだまし使うことを選んでしまう。
▼しかしだましだましでもハードディスクが言うことを聞かなくなってきた。そのたびに強制的に電源を落とす。何回も繰り返せば、ハードディスクに傷がついても不思議ではない。週に何度かだったトラブルは1日に何度か起こるようになり、しまいには1時間に2度3度パソコンが凍り付き、電源を落とすようになった。
▼ここまできてようやく、「ハードディスクを換装するか」と決心する。デスクトップパソコンの側面のカバーを取り外し、ハードディスクを取り出し、容量が同じでまっさらのハードディスク(なぜこんなものがあるかを説明する暇はない)にそっくりクローンコピーして換装した。
▼今のところ問題なく動いている。だが用心に越したことはない。このパソコンは少なくとも7年は酷使してきたのだから、そろそろ買い替え時である。次はオールインワンのタイプか、あるいは最新のノートパソコンを探しておこう。オールインワンが欲しいな。



16/06/19(No.833)

▼東京都知事が辞職した。辞職した知事を見て、ふと松坂慶子さんの歌で替え歌が浮かんだ。「これも公務、あれも公務、たぶん公務、きっと公務。」わたしはあの知事がしぶとく居座ってくれたらなぁと思っていた。そうすればわたしが週に3回釣りに行っても「これも公務、あれも公務、たぶん公務、きっと公務」と言い張ることができたのになぁと、残念でならない。もちろんこの通り実行するかは別だが。
▼「火事と喧嘩は江戸の華」だそうだが、これに「選挙」も加えていいかもしれない。都知事選挙はいつも全国民が見守る首長選挙になっている。お金も相当必要だろうが、話題性と、今後の活躍次第では、お金に見合う実を結んでくれることも考えられる。そうであるなら、たとえ急な選挙でも、日本中の注目を浴びて堂々と選挙を戦い抜いた人が職務を担ってほしい。
▼そろそろ、前任地の浜串に顔を出してみようかと考えているところ。理由は2つあって、1つは漁港に係留して出て行ったボートのこと。どうなったかなぁとちょっと気になっている。聞くところでは今は陸揚げされて使うことのないまま保管されているらしい。後任に名義変更をしたのでボートの所有者はわたしではないが、わたしが使わないと誰も使わないらしい。
▼もう1つは、積み残しになっていた仕事のこと。新しい聖櫃が無事に浜串教会聖堂に納められている。この聖櫃をわたしは見ることなく出発してしまったので、ぜひこの目で見たい。だいたいの想像はついているが、この目で見ないとやはり安心できない。それにこの聖櫃のために寄付してくださった方々もいて、写真を準備してもう一度報告をしたいからだ。
▼だがいざ出かけるとなると緊張する。もう2ヶ月も経ったのでよそ者なのだが、気恥ずかしいという思いもある。できればボートを利用できるタイミングで浜串にお邪魔したいが、この時期の天気は気まぐれだ。果たしてどうなることだろうか。



16/06/26(No.834)

▼ゆうちょダイレクト。利用している人もいるかもしれないが、送金機能が重宝する。直接郵便局に行く必要もないし、ATMに設定されているような送金限度額を気にする必要もない。最近ゆうちょダイレクトに頼りっきりなのでよく知らないが、ATMによる送金限度額は10万円程度ではないか。
▼少なくとも長崎教区では、「教区費」というものを小教区から振り込む必要がある。教区費は中規模の小教区ともなれば月額10万円はすぐに超える。通常は窓口からの送金になるわけだが、主任司祭は面倒くさがり屋が多いわけで、年間12回も窓口に送金のお願いに行きたくはない。
▼ほかにも教区への送金が必要なものがいろいろある。年に6回の特別献金(例えば「聖ペトロ使徒座への献金」)、厚生年金の掛け金、司祭年金、聖職者費。さまざまあってそれを定期的に窓口送金、ATM送金いずれかで処理するが、少なくともわたしは「面倒くさい」と感じる。
▼そこで「ゆうちょダイレクト」だ。パソコン上で処理が完了する。振り込み用紙のように毎回払い込み人の住所氏名を書く必要もない。「振り込みに行かなきゃ。しまった、もう午後4時過ぎた!」このように時間に縛られることもない。基本的に面倒くさがり屋の長崎教区司祭にはぴったりだと思っている。
▼実は「ゆうちょダイレクト」機能が、どんな通帳に付加できるのかを調べたり尋ねたりしたことがなかったので、これまでは個人の通帳に付加していたゆうちょダイレクトで送金し、適当なタイミングで送金した分を教会名義の通帳から引き出していた。
▼ところが近くの郵便局窓口で思い切って尋ねてみると、説明すらなく、「この申込用紙で申し込んでポストに投函してください」という返事だった。説明くらいしてくれてもいいのにと思ったが、結果的に「カトリック○○教会」名義の通帳でも問題なくゆうちょダイレクト機能が付加できることが分かった。
▼一つ問題があるとすれば、教会名義の通帳は数年経てば代表者が変更になるということだ。今はわたしが代表者になっているカトリック田平教会名義の通帳だが、代表者が代わったら、ゆうちょダイレクトの変更届が必要になるだろう。ずっと先だが。



16/07/03(No.835)

▼土曜日。一日のうちに面白いことがいくつも重なった。朝9時、太田尾(大島崎戸)時代の信徒からの電話があり、「どうしてる?観光バスの運転手をしていて、今日そっちに行くからね。船にはなかなか乗れてないだろう?」とねぎらってもらった。
▼その10分後、田平の信徒から「釣りが好きで、船に乗るなら、わたしの船を今日見に行かないか?」という電話。「渡りに船」とはこのことだ。「喜んで見せてもらいます」と返事をして、午後から船の視察に行く約束をした。
▼その10分後。前任地の浜串に今度はわたしから電話。「期日前投票を名目に釣りに行くので、○○さんにお願いして船を降ろしてもらってほしい。」「いいですよ。」これで選挙以外にも五島に行く楽しみが増えた。家族の顔を見て、浜串の人たちの顔を見ることにしよう。
▼7月3日が聖トマスの霊名の祝い。わたしは2日に子供たちから前祝いを受け、顔が緩みっぱなし。50歳にもなると小学生は孫のようなものだ。目に入れても痛くないと言うらしいが、さすがにそこまでは感じなかった。



16/07/10(No.836)

▼転勤して初めて前任地の教会に行った。期日前投票を名目にして、釣りも楽しむためである。浜串では喜んで会いに来てくれる人がいて、懐かしさと、人のやさしさに触れた。お土産ももらい、いつまでも覚えてくれて心にかけてくれる人たちがいるのだと感心した。
▼前もってお願いしていた人にボートを海に浮かべてもらっていたので、ギリギリまで釣りを楽しむことができた。勝手知ったる、という感じの海で、イメージ通りの釣りができたが、マダイを釣ることはかなわなかった。最終的にイトヨリを10匹くらいと、その他の魚を釣っただろうか。
▼「レンタカーを魚釣りに利用しないでください」と、貸主からきつく言われていたので、せめて臭いを極力残さないようにと、釣りを終えてからすぐに司祭館に立ち寄り、着替えさせてもらい、道具類も手早く水洗いして、臭いがこもらないように注意した。ローカルルールなのか、レンタカーを借りる条件に「魚釣りの使用禁止」という話は初めて聞いた。
▼前任地に行ったのはもちろん釣りだけではない。在任中に終わらせることができなかった「故障した聖櫃を新しいものに入れ替える」計画が無事に終えているかを確かめるためだった。聖櫃は立派なものが納入され、聖堂内に設置されていた。三か月前までここにいたわけだが、新しい聖櫃の前にひざまずいてみると、やはり違う土地からやってきたような気分になった。






16/07/17(No.837)

▼7月16日夜、地域の「夏祭り」が開催され、保育園は園児たちの太鼓の披露を依頼されているそうで、駆り出されるという。そのあおりを受けて、わたしは久しぶりに小学1年生の要理の代用教員を務めることになっている。どうなることやら。
▼「夏祭り」は天気が大いに影響する。16日の朝ミサの帰り、典礼委員長の男性とこの日の晩の天気の話になり、「どうせ雨だろうよ」とわたしが切り捨てたところ典礼委員長はとっさに顔色を変えた。
▼「だめですよ神父さま。そんなことを平気で言っちゃ。こんな時は『晴れるといいですね』とお世辞でも言うもんです」と言われた。しかも保育園に勤めるシスターのところに飛んで行って、「晴れるといいですね」とわたしに聞こえるくらいの声で言っていた。そんなごまをすっても、天気が変わるはずもないのに、と思う。
▼説教でも触れたが、ノートパソコンのLANケーブルを差し込むコネクタがショートしたらしい。なんと恐ろしい雷だろうか。無線LANでつながることはつながるが、速度が落ちるのではないかと心配している。ただでさえADSLの速度にへきえきしているのに、それ以上に速度が落ちるなら、もうネット上の宣教活動である音声のアップロードはできなくなる可能性がある。もちろんメルマガには影響ない。
▼どうやら雷で年に1度とか2度、被害の出る地域らしい。毎度毎度パソコンを破壊されていてはたまったものではない。電源につながないことで、おそらく被害は最小限に抑えられると思うから、仕事を後回しにしてでもパソコンを守ることにしよう。



16/07/24(No.838)

▼後日談。説教で出てきた「意地悪番長」は実は心優しい先輩だった。神学校は去ることになったが、ガソリンスタンドに就職し、最初にもらった給料をそっくり神学校に寄付してくれたそうだ。
▼そうやって恩を返すことはなかなか思いつかないものだ。最初にもらった給料だから、自分の夢のために使ってみたいはずだ。それを、育ててくれた神学校に寛大に寄付してくれた。わたしは、その一つのエピソードだけでこの先輩の過去は水に流していいと思う。
▼しかしながらあの時のわかめスープはきつかった。15杯は嘘でも何でもない。「早く気づいて、俺に免じて許してくれ。」そう思いながらひたすら流し込んだ。しかし他の先輩たちも、この怖い台長を心変わりさせるために何かできなかったのだろうか。少なくともわたしと一緒にわかめスープを飲んでくれていたら、わたしは15杯もお代わりする必要はなかったのに。
▼後になって、その人の本当の姿がわかるということはよくあるものだ。わたしは中学1年生の時に、規則違反を犯したという理由で、2時間以上正座させられたことがあった。高校3年生の生徒会長だった先輩が座らせたのだが、「自分の間違いを認めたら許してやる」と言われたが、身に覚えがないのに座らされたと思っているわたしは最後まで間違いを認めず、正座から解放してもらえなかった。
▼最後には先輩がしびれを切らし、「もう自習室に帰れ。強情な奴め。」と言われた。その先輩は福岡の大神学院に入学したが、わたしが入学した時にはもう辞めていて、いつか懐かしい人に会おうと面会に来た。大神学院の面会係は新入生の仕事で、わたしが玄関に行ってみるとかつての先輩が立っていて「おう。久しぶり。元気か」と声をかけてきた。
▼わたしはなぜか怒りがこみあげてきて、「気安くあいさつされる覚えはありません」と吐き捨てた。わたしは中学1年生の時の仕置きを忘れていなかったのである。自分で自分の醜さを見た思いだった。



16/07/31(No.839)

▼狐につままれたような気分である。使い物にならなくなった事務用のパソコンを廃棄処分して、代わりにノートパソコンを購入して仕事にとりかかることにした。まだすべてが軌道に乗っているわけではないが、いちおう文書作成と表計算のソフトが入っているので仕事は始めることができると思っていた。
▼パソコンをセットアップしたのが7月21日。ところが7月27日になって事態が急変した。文書作成ソフトと表計算ソフトが、「ライセンスのない製品」と表示され、ファイルを開いても何も操作できないのである。7月27日、朝9時にこの現象を確認し、それからあれこれ2時間、ネットを調べたり認証させるにはどうすればよいのかあちこちいじったが、解決できなかった。
▼呆れ果て、「オフィス製品付属のパソコンを買ったのは間違いだったのか」と、どこに怒りをぶつけてよいのかわからないまま数時間怒りをためていた。不本意ではあったが、互換性のあるソフトを入手し、2万円近くしたオフィスソフトを諦めることにした。
▼諦めたのだが、本心は諦めがつかない。そこでホームページ上で何度も見ては手を出さなかった「再インストール」の項目に沿って作業をすることにした。ADSL回線のため、この作業は避けたかったのだが、すでに何時間も時間を無駄にしているので、ダメでもいいやという気持ちでインストール用のファイルをダウンロードし始めた。
▼あちこちいじっているうちにもう一つの問題に気が付いた。Windows10の登録である。わたしはそう理解したが、Windows10も登録が必要なようなので、こちらの登録も済ませた。それと同時進行でオフィスの再インストールを進めたのだが、数時間後、あっさりライセンス登録も完了した。今日の労力は何だったのだろうか。何の意味があったのだろうか。



16/08/07(No.840)

▼今年の広島カープ、3連敗をしていなかったのがとうとう8月5日で3連敗を喫してしまった。前のカードで横浜戦1勝2連敗後に対巨人3連戦が始まり、初戦を落としてしまった。9回裏5対3で敗色濃厚となってからも1点を返し、抑えの澤村をずいぶん苦しめたのだが、あと1本が出なかった。
▼この原稿を書いている8月6日は、言わずと知れた広島原爆の日。当然広島市民と全てのカープファンは、この日のカープの勝利を亡くなった方々にささげたいと思っているはず。だから巨人よ。頼むから今日は負けてくれ。
▼昨日テレビ中継をしなかっただけでもテレビに当たり散らしていたのだから、中継が決まっている今日カープが負けて4連敗でもしようものなら、テレビは叩き割ってしまうかもしれない。カープが負ける試合を放送するテレビなんか必要ないのだから。
▼金曜日に、差し入れとミサの依頼を届けに来たご婦人が面白かった。「ゴーヤと、産みたての卵を持ってきました。賄さんにおいしい料理を作ってもらってくださいね。」わたしはまだよく名前も知らないのだが、このご婦人はいたくわたしを気に入っておられて、とても親しげである。そこで「この卵は産みたてなの?」ともう一度念を押した。
▼「そうです。産みたてです。」「お母さんが産んだの?」ちょっと間をおいて「そうです」と言い放った。そばにマリア像を修復に来ていた中田ザビエル公房の中田さんがいて思わず大爆笑。そのご婦人もとっさの冗談がウケて満足だったらしく、胸を張って帰っていった。



16/08/14(No.841)

▼田平教会の人は情に厚い人たちがいる。侍者旅行を計画して、8月29日(月)にいったん決まったが、長崎教区本部が29日に集まりなさいと司祭たちへの招集をかけた。「残念ながら29日の侍者旅行には行けない」と招集内容の書かれたFAXを示して担当のシスターに伝えておいた。
▼すると担当のシスターと保護者会は緊急会議を開き、「神父さまが参加できない侍者旅行は避けたい」ということになり、違う日にちを探すと言い出した。「無理しなくていいよ。はじめに決めた日程がベストなのだから。わたしは出発を見送るから行ってらっしゃい」と返事をするがそれでは申し訳ないと言う。
▼わたしが保護者なら「主任神父さまもああ言ってるし、29日に見送りしてもらって出発しましょう」と思うところだ。だが田平の人たちは、自分たちよりも神父さまを喜ばせたいらしい。こんなに情の厚い人たちに出会えたことを本当に感謝している。
▼時間がたった話題だが、コピー複合機をパソコンから利用できなくなって困っている。赴任してから箱を開けた浜串時代のパソコンにコピー複合機をつなぐため、ソフトを導入した。ところが浜串時代のパソコンはしばらくしないうちに使い物にならないほど故障が頻発し、廃品となった。
▼現在は司祭館据え置きとして新調したパソコンを使用していて、こちらにコピー複合機の操作をするソフトを導入したいのだが、うっかり廃止したパソコンに導入したままのソフトのライセンスが問題になった。
▼現在使用しているコピー複合機を操作するソフトは、ライセンスが必要な仕組みのようで、廃止にしたパソコンのライセンスが生きたままになっていて現在のライセンスでは導入できないと拒否される。困ったものだ。現在リース契約を結んでいる事務機器会社に連絡を取っているところだ。



16/08/15(No.842)

▼今年の聖母被昇天の説教は年間第20主日の説教の前に準備を終えた。日曜日の説教を準備してから月曜日の聖母被昇天の説教の準備では間に合わないと思ったからだ。一度説教を準備して集中を緩め、またネジを締めて説教を準備する必要があるが、日曜日は気持ちを緩めて締め直せる自信がないと判断した。
▼方針に沿っていざ聖母被昇天の説教を準備し始めるとなかなか進まない。7日と8日は事情を抱えた方の葬儀が入って何もできず、10日の夜に机に向かい始めたが、まとまらない上にオリンピックも気になる。広島カープも初回の裏に1点入れたまま、とうとう9回裏まで相手の2点を跳ね返すことができなかった。この時点でもう夜10時。かつてならまだまだ粘っていただろうが、今は気持ちがついてきてくれない。仕方なく寝る準備をして、明日うまくいくことを願って床に就いた。
▼朝起きてみると、金メダルラッシュの放送が入り、説教はそっちのけで映像を何度も見てしまう。「あー、今日もダメか。今日も準備できないのか。」そう思っていたら少し神の助けがあったようで「何か形になりそうだ」と思ってもう一度ネジを締め直す。11日午後3時。エアコンを利用していても外の直射日光が気になるような時間帯。少しでも先に進めて、できれば11日中に聖母被昇天のメルマガ配信の予約を入れたい。
▼しかしそれでも頭は回らない。こうなったら最後の手段。原稿の量を半分に減らそう。いつも話している日常の話題は、たぶん14日の説教に盛るのだろうから、2日連続する必要はどこにもない。これで準備は整った。説教を書いて、配信まで済ませよう。



16/08/21(No.843)

▼田平町の「かっぱ」と親しくなる機会を得た。7月9日「田平町がわっぱ祭」の様子を紹介する配布物の表紙に「かっぱ」が6匹写っていた。その中の「おじいさんかっぱ」と思われる生物と田平教会案内所で遭遇し、意気投合した。
▼案内所で遭遇したのも偶然だった。司祭館から案内所に届け物を持っていきたかったのだが、暑くて外に出たくなかったので明日にしようかなぁと迷っていた。だが翌日届けるよりも当日届けるほうが意味がある品物だったので、気乗りしないものの案内書を訪ねたのである。
▼そこに、「生涯学習だより」で掲載されていた「かっぱ」がいたのである。この日は仮の姿「地域おこし協力隊」の格好で案内所に来ていたが、まちがいなくあの「かっぱ」だった。どんなに人間と同じ格好をしていても、かっぱにはかっぱを識別できるものだ。
▼彼(と仮に呼ぶが)はカトリックに理解があった。誕生日の話になり、「ぼくはフランシスコ・ザビエルと同じ4月7日が誕生日なんですよ」と打ち明けた。誕生日をフランシスコ・ザビエルと重ねることなど、ふつうはしないものである。
▼しかもわたしが偶然案内所を訪ねたのは8月15日、フランシスコ・ザビエルが鹿児島県に上陸した日である。平戸はまたザビエルが宣教活動をした場所でもあり、これは単なる偶然ではないと思うようになった。
▼「彼」には家族がいる。家族皆でカトリックの信仰を受け入れていて、家族は2年ほど前に洗礼を受けたのだそうだ。お子さんが初聖体を受けた時に、「わたしの洗礼のためにもお祈りをお願いします」と宣言したそうなので、ひょっとするとわたしは近いうちに世界で初めて「田平町のがわっぱ」に洗礼を授ける司祭になるかもしれない。



16/08/28(No.844)

▼へたくそな聖歌を歌う場面に立ち会った。母親が長い闘病生活ののちに亡くなり、通夜と葬儀を執り行った時のことだった。遺族のたっての願いで葬祭場を借りて通夜も葬儀もおこなった。遺族のみの参列、教会での葬儀のように聖歌を歌う人もなく、淡々と進む中でのことだった。
▼葬儀のあとの告別式で、「献花をお願いいたします」と葬儀社の担当者が案内して、司式したわたしのあとを10人くらいの家族が献花し始めた。その時「主はわれらの牧者」だったか、喪主が聖歌を歌い始めた。
▼「主はわれらの牧者。わたしは乏しいことがない。神はわたしを緑のまきばに伏させ、いこいの水辺に伴われる。神はわたしを生き返らせ、いつくしみによって正しい道にみちびかれる。」
▼へたくそだったが、心を打った。「主はわれらの牧者。わたしは乏しいことがない。」確信を持っている様子が伝わる歌い方だった。同じ聖歌を歌っていても、主が自分たちの牧者と信じ切っていない人がなんと多いことだろうか。
▼主がおられるから乏しいことがないと歌いながら、この世の富を追い続けてまだ満たされないと嘆いている人がなんと多いことだろうか。そんな中で、母を送り出すこの息子は、母のこれからの運命にも不安がなく、主に委ねたから大丈夫なのだ。そんな思いが歌から伝わってきた。
▼なかなかこういう歌い方をする信徒には出会えないものだ。上手下手を超えたところで、心を打つ聖歌を久しぶりに聞くことができた。



16/09/04(No.845)

▼小学生のまっすぐな気持ちは眩しいくらいに感じる。8月31日朝のミサ。「夏休みの思い出の絵をあげる」と持ってきた。画用紙一杯に、わたしがミサをして、そばで本人が侍者をしている祭壇の様子が描かれていた。
▼「夏休みの宿題に出そうと思ったけど、別の絵を出すことにしたから、これはあげる。」そういうことだった。この絵を学校に提出しても、学校の先生は夏休みのどの部分を切り取った絵なのか分からないに違いない。確かに、別の絵を提出したのは賢明だと思う。
▼それにしても、「夏休みの思い出」がミサの場面というのは、わたしは名誉なことだが、ほかにないのだろうかと思ったりもする。もちろん、本人が「この場面が今年の夏休みの思い出の場面だ」と考えているのだからそれは尊重する。きっと、この夏のいちばん貴重な時間が、朝のミサで侍者をした日々だったのだろう。
▼ミサの時間を大切な瞬間ととらえる思いは、いつまでも大切にしてほしい。できればこの思いを、神様の呼びかけととらえて、祭壇近くで奉仕する生き方に招かれてほしい。田平教会はまぁまぁ子供がいるのに司祭や修道者の召命が途絶えてしまっている。この子が召命の糸を再びつなぐ子供であってくれたらどんなにうれしいことだろう。
▼イエスは、魚が何も獲れなかったシモンに声をかけ、不思議な大漁を経験させた。何か獲れていたなら、シモンには声をかけていなかったかもしれないと思っている。そう考えると、召命がゼロとなった田平教会には、今こそ声をかけてくださるのかもしれない。



16/09/11(No.846)

▼わたしの名前は「こうじ」と言う。なぜ「こうじ」かと言うと、父親がカープファン、その中でも「山本浩二」の大ファンだったそうだ。第一子が生まれたら、その子を膝に抱いて「こうじ頑張れ!」と言って声をかけたい。そのためにわたしは「こうじ」と名前を付けられたそうである。
▼漢字は「輝次」で、読みは「こうじ」。ふつうには読めない当て字である。「てるじ」とか「てるつぐ」とか、さんざん言われてきた。最近では「時間帯によって右折禁止」という区間を右折して取り締まりの警官につかまり、「てるつぐですか?」と言われた。「どうでもいいです」と返事した。
▼父親の名前が輝明(てるあき)で、「その次」という思いで「輝次」と付けたのかもしれない。漢字は自分の名前を一字使い、読みは大ファンであった「山本浩二」から取った。なんとも欲張ったものである。
▼父親の膝に抱かれて「こうじ頑張れ!」と言われ続けた少年は、いつしか広島カープの選手を見ながら野球を知るようになった。41年前に初めて優勝したそうだがその時の記憶はない。25年前は大神学院の最上級生で、テレビのチャンネル選択権があり、堂々と日本シリーズを応援した記憶がある。最後は大野が投げ、達川が捕球して日本一となった。
▼それ以外は日の目を見たことがない。よく言われる「キャンプで練習しすぎて、鯉のぼりをあげるころには失速する」というのは本当の話だ。カープファンはマナーが悪いとか、広島で屋台に入り、カープの悪口を言っていたらどこからともなく殴られたとか、いろいろあるらしい。
▼そんな辛酸をなめた時代があるから、25年ぶりの優勝は堪えられない。今日と明日、カープのセ・リーグ優勝を祝うために、夜の来客にはビールをごちそうする予定だ。今のうちに買い出しに行ってくるか。



16/09/18(No.847)

▼広島カープの優勝で、続々と便りが来た。北海道から、芦屋から、浜串から、伊王島から、他にもいっぱいあるが、つながりを感じた。「七度舞う 季節はずれの 鯉のぼり」次は10月のクライマックスシリーズだ。
▼クライマックスシリーズの負け組だったので全く知らなかったが、セカンドステージ(つまり日本シリーズへの最後の挑戦権)は、リーグ優勝したチームのホームグランドで6戦するらしい。4勝すれば勝ち抜きなので当然6戦目まで行われない可能性もあるが、ホーム球場で戦うなら今年のカープは4敗もしないだろう。
▼この原稿を書いた前日、カープは阪神との一戦だった。甲子園球場すら赤く染めるカープ党は、中盤逆転されても慌てない。3対1でリードしていた試合を3対4とひっくり返されてから、風呂に入りに行った。「まあ、風呂上がった頃には再逆転してるだろう。」
▼案の定、9回の時点で6対4と再逆転し、おいしいビールにありつけた。過去のすべての記録を知るわけではないが、現時点で83勝、貯金36はカープを応援していて見たことも聞いたこともない。わたしならとっくに舞い上がって「しくじり先生」になっているところだ。
▼ところが緒方監督は「勝って兜の緒を締めよ。」昨日の阪神戦でもエラーで逆転されたことをずいぶん気にしていた。こんな監督だから、いくらファンが浮かれていてもきっといい夢を見させてくれるだろう。
▼いよいよそこまで来たが、相手はどこだ?ソフトバンクホークスでなければ10月27日に試合を観戦する可能性はほぼゼロに近い。10月25日から27日までたまたま福岡で研修を受けている。だから27日にソフトバンクと日本シリーズ第5戦というシナリオであってほしいのだ。
▼10月27日の研修が終わって、飛行機で東京、電車で千葉?あるいは飛行機で札幌、ドーム?いやいや、どちらも無理だろう。だから、だから。ソフトバンクが上がってきてほしいのだ。



16/09/25(No.848)

▼広島教区司教として司教叙階を受けた白浜満新司教は、明確な目的を持っていると思ったし、きっと聡明な司教になると思う。機転の利いた挨拶をするし、新司教の見ている視点は弱い人の視線そのものだと感じた。
▼司教に叙階されると「様」になる人が多いと思う。それは司祭に叙階された人が「様」になるのと同じかもしれない。上から目線になり、仕えられることを気持ちよく感じ、そこから遠ざかろうとしない。次第にイエスの模範からも遠く離れていく。
▼新司教にはそんな懸念はみじんも感じられなかった。彼には弱い立場に置かれている人が居場所を感じる懐の深さがあった。「医者を必要とするのは病人」という自覚がそうさせるのだと思う。
▼大神学生時代に体調を崩して休学したことが、仕えられるよりも仕えることを、見失った羊を捜し回ることを学ぶ機会になったのかもしれない。「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」(マタイ18・14)きっと、新司教の中でこの声が響ているのだろう。
▼そんな尊敬に値する白浜新司教の話からすれば低いレベルの話になるが、最近ようやく聖書の一節一節は、実際に読んで見つけてこそ、喜びを感じることができると思えるようになった。本当に恥ずかしい話だが、聖句は検索ソフトで見つけるのが手っ取り早いし、わざわざ聖書を開いて見つけなくても同じ聖句に行き当たるのだから変わりはないと思っていた。ところが実際はそうでもないのである。
▼「時課の典礼」の「旧約の歌」の中に申命記が採用されているが、創世記から聖書を読み続け、申命記までたどり着いてみて「あ、ここが聖務日課の箇所だったか」と実感できた。引用箇所が示されているから聖書の開き方を知っていれば造作もないことだが、引用を見て聖書を開くのではなく、出会うまでわざわざ聖書を読んで見つけ出してみた。
▼パソコンの検索ソフトで探せば数秒もかからないことだが、1か月読み続けてようやく該当の箇所にたどり着いたとき、時間をかけてみないと感じることのできない「到達の喜び」を感じた。聖書の通読は地味だが、探していた個所に出会った時の喜びをたまに味わう。その喜びはたとえようがない。



16/10/02(No.849)

▼2008年の父の葬儀の時の説教をもう一度読み返してみた。何がきっかけで読み返したのか思い出せないが、読み返して1文字抜け落ちていたので補ってあげた。「ミサを拝んで生きた人でした」と書くべきところを、「ミサを拝んで生た人でした」と表記していた。
▼ふと思い出したのは、何かの知らせだと思う。何の知らせなのかは考えてみたいが、これに関連して前々から思っていることがあって、わたしには何かを知らせてもらう「天賦の才」があると思っている。わたしにとっての「からし種一粒ほどの信仰」である。
▼いつもそうなのだが、間に合うタイミングで何かが示され、間に合っている。何度もこの体験をした。そこで思ったのは「何か与えられたものがあるに違いない」ということだった。同じ天賦の才を与えられた人もいるだろう。どのように使うか、人それぞれだが、わたしは説教を考えるために使う。
▼説教はほとんどが「降りてきたものを書き留め」出来上がったものだ。ある司祭は「説教がいちばん苦労する」と言う。もしそれが、「書き上げる苦労(まとめあげる苦労)」だとしたら、わたしにはそれはない。「降ってくる」から、あとは書き留めれば完成する。
▼もし「苦労」が「降ってくるまでの苦労」だとしたら、わたしもこれ以上ないくらいに苦労してきた。たまには自分の努力と経験で準備して、済ませることもあった。だがそういう説教に限って、どうしてもしっくりこないのである。
▼何かが「降ってきた」ときは、わたしの経験や努力ではないので、納得できる。示されたものなので、わたしの経験を超えていることもある。たまに説教をほめてもらうことがあるが、それはきっと「降ってきたもの」「示されたもの」をうまく展開できたから信徒にも納得できるのだと思っている。説教はわたしの能力でどうこうできるものではない。
▼今週もある場面で語るべきことが「降ってきた」。しばしばハラハラするが、これを生涯続けていけたらと思う。わたしに種まかれた「からし種一粒ほどの信仰」を世に示すために。



16/10/09(No.850)

▼父の葬儀説教を読み返したと先週書いたが、父からの(あるいは神からの)知らせだったのだと合点がいった。先週火曜日の結婚準備講座で、毎回話の材料に使っている父の思い出話のいくつかの疑問が解き明かされる。そのことを教える予兆だったのだろう。
▼その日のテーマは、「将来生まれてくる子供に、いつまでも学び続ける姿勢を見せて、人生の教科書、お手本になってほしい」というものだった。2008年に亡くなったわたしの父がモデルになっている。
▼父はもともと中学卒業の学歴で、遠洋漁業船に乗って家族を養っていた。のちに船上の事故でけがをして船を降り、地元新上五島町の農協のお世話で牛を飼うことになる。全くの素人で、失敗も多く、しかも子牛を育てる畜産業でどうしても必要な、雌牛に受精させる免許を持たなかった。そのため毎度獣医師を呼んで手数料を払っていた。一年に20頭受精させると、成功したかどうかにかかわりなく、手数料を5千円ずつ払わなければならない。年間10万円の出費がまだ軌道に乗らない経営を圧迫した。
▼そこで父は、一念発起して資格を取るために県北の試験場近くで一ヶ月下宿し、参考書と問題集を買い集め、受験勉強を始める。当時45歳くらいか。年齢には逆らえず、参考書の内容もさっぱり理解できない。困った父は一計を案じ、近くにあった農業高校の生徒が時々ラーメン屋に立ち寄って帰るのを知り、ラーメン屋で待ち伏せしてだれかれ構わず声をかけ、今日のラーメンをおごるから勉強を教えろと言って勉強したそうだ。
▼その甲斐あってか、見事に必要な資格を取得して帰ってきた。意気揚々と帰った父は、最年長で試験に合格したのだと威張っていた。高校生だったわたしにとって、いつまでも学び続ける姿は立派な教科書となり、わたしは自分の勉強を頑張ることができたわけだ。
▼このように、結婚する二人も、生まれてくる子供に対して、いつまでも何かを学び続ける姿勢を見せてほしい。何かに磨きをかけ続ける姿勢を見せたら、目の前の宿題を教えてもらえないとしても、子供に対して立派な教師、立派な教科書になれる。このような話をしていた。来週に続く。



16/10/16(No.851)

▼父はずっと学ぶ姿勢をわたしたち子どもに示してくれた。この話を結婚講座の人々に話して聞かせるのだが、最近この話の内容に致命的な欠陥があることに気づいた。父からの話を基に話してはいるが、そもそも県北とはどこで、農業高校とはどの高校なのか、確かめたことがなかった。この致命的な欠陥に、先の結婚講座の中で答えが出たのである。よくよく考えると県北とは中田神父が今生活している平戸市田平町のことで、授業を受け、試験会場となったのは田平教会から200mも離れていない「長崎県肉用牛改良センター」だったのである。
▼さらに、農業高校というのはこの田平教会から500mしか離れていない北松農業高校のことで、ラーメン屋は田平教会のTさんの証言で、農業高校のすぐそばで弟が経営していたラーメン屋だろうと分かった。下宿した場所も推定できた。現在のサムソンホテルが建っている場所はかつて「田平荘」という町営の宿で、資格を取得しに多くの人が滞在していたそうだ。
▼今回の結婚講座に来たカップルが言った。「先生、先生はきっとお父さまが下宿して苦労されたその土地に、巡り巡って赴任してきたのではないでしょうか?」わたしは、雷に打たれたような衝撃を受けた。わたしは今、父が自慢げに話し、資格を取得するために苦労した土地に、30年後に住み着いているのだ。これまでは、父の話を結婚講座に来たカップルに単なる参考として話していたに過ぎなかったが、父の体験は、目の前の景色の中で繰り広げられていたのである。
▼そう考えるとき、話す内容は単に書物からの借り物とか、だれかの話の二番煎じとか、そういうものではなく、生きている話、まるで絵本から飛び出してきたような話となった。県北のどこかとか、県北のとある農業高校といったあいまいな話ではなく、生き生きと語ることのできる材料を、父は息子であるわたしに与えてくれていたのだ。
▼もちろん父には、そこまでの深い計画はなかっただろう。わたしに一生の宝物となる話を与えてくれたのは神なのだと思う。一介の人間が、このような深遠な計画を立てることなどできるはずがない。しかし神は永遠であり、神の計画は人間の知恵の及ばないものなのだ。本当に素晴らしい宝をいただいた。
▼最後にこの話を完成させるためには、わたしの父から声をかけられて、無理やり家庭教師をさせられた当時の農業高校の生徒を捜すことである。どこかにいて、この話を読んだなら、ぜひ声を上げてほしい。直接会って、話を聞きたい。



16/10/23(No.852)

▼今週日本シリーズだが、まだ結果を語れないのでこの話は来週に。今週は長崎教会管区の司祭研修会について。火曜日から木曜日まで、ぴったり日本シリーズのパ・リーグ主催ゲームと重なる日程で缶詰めになる。ソフトバンクが勝ち上がっていたらなぁ、いやこれは過ぎたことだから言わないでおこう。
▼長崎教会管区と言えば、わたしにとっては大神学院時代に共に学び、共に祈った仲間たちとの再会である。どの先輩後輩も、一言では語れない物語がある。その先輩後輩たちと久しぶりに会って、話に花を咲かせることができそうだ。
▼もちろん研修会だからそれなりの研修はしないといけない。だが管区の集まりなど滅多にあるものではない。一度も会ったことのない先輩もいる。後輩もいる。そんな中にいて、貴重な話を聞くことができたら、本題の研修にも負けない学びになると思う。
▼会場は福岡市の中心部。車で直接行きたいが、3日間車を停めると目の飛び出るような駐車料金を請求されそうだ。そこで一計を案じた。福岡教区の同級生の教会にいったん立ち寄り、そこで車を置いて、そこからは公共機関で会場入り。これで最小限の費用で済む。
▼今回訪ねて車を置かせてもらう同級生は福岡に行ってからのずっと親友である。腹を割って話せる親友はそうそういないが、彼はそういう親友である。実はほかの司祭から、もっと安く費用を上げる方法を聞いたのだが、同級生にお世話になるほうを選んだ。



16/10/30(No.853)

▼「この話は来週に」と引っ張った日本シリーズだったが、原稿を書いている時点では広島カープは崖っぷちの2勝3敗である。原稿を書いている土曜日夜に決定する可能性もあるが(それは見たくないが)、現時点では何とも言えない。ただ日本ハムが大谷を第6戦に投入しなかったのはどんな魂胆があるのだろうか。第7戦を覚悟しているのか。
▼長崎教会管区司祭集会に参加してきた。福岡教区の司祭はわたしが聞いた範囲では不満が噴出していた。長崎教区以外のほかの教区ではどこも似たような状況か。長崎は大いに期待されている教区なので、それに応えるべく、宣教のためにもっと教区間の協力に目を向けるべきだし、宣教する司祭でなければならないと思った。
▼しかし個性的な司祭を捜せとなると、長崎教区よりもほかの長崎教会管区の司祭・司教たちのほうがよほど個性的だと思った。了解は得ていないが、懇親会で手品を見せてくれた若い司祭を、長崎教区は持っていない。確かに長崎教区の出し物も面白かったが、侮れないと思った。
▼今、3つの個人的な予定を頭に描いている。1つは11月15日(火)に浜串教会の献堂五十周年が祝われ、その感謝ミサの説教を頼まれたということ。現在の主任司祭がすればいいものを、なぜわたしに振るのかわからないが、まぁ悪い気はしないので引き受けている。同時に浜串教会は鐘つきを自動化したそうで、その祝別式もあるそうだ。
▼2つ目は、これは未定だが、18年ほど前に当時の大司教様がリーダー育成の目玉として計画した青年たちとの聖地巡礼でお世話になった旅行会社の社長から、「来年1月上旬、7日間のイスラエル巡礼に行きませんか?」と誘われている。非常に興味深い。若いころに青年と行った土地の記憶は薄れてきている。もう一度確かめに行くのも悪くない。しかし日曜日のミサをどうするか、考える必要がある。
▼3つ目はこれはどこかで話したが、日本カトリック神学院東京キャンパスでの講話(月の静修)に出張することだ。説教の準備としては浜串教会が先にあるが、ぼちぼち考えておかなければならない。楽しい予定ばかりだが、気を緩めることはできない。



16/11/06(No.854)

▼先週の説教本文中に引用したラテン語の文章、単語を一つ間違えていた。<<hodie>>が<<hoide>>とタイプミスしていた。日常タイプミスはありがちで、その都度目を光らせているつもりだが、今回は説教中に気づいた。<<hodie>>ならば意味が通るが、<<hoide>>という綴りでは通じない。
▼試しにもう一度、該当する単語をキーボードで叩いてみた。そういうことかと分かったが、やはり間違いのほうのタイプをしていた。これはどうやら癖のようで、右手でタイプするキーのほうが左手でタイプするキーよりもやや早く打っている。そのためiがdよりも早く入力されたらしい。言い訳にはならないが。
▼最近まれにみるさんざんな日に遭遇した。教会信徒に誘われ、船で釣りに出かけた。通常「ほい来た」と二つ返事で出かけるが、翌日平戸地区の司祭会議があり、書記でありながら先月の議事録を準備してなかった。「大丈夫かなぁ」と思いながら出かけた。
▼魚は釣れた。一匹だけだが、収穫はむしろ釣るポイントをあちこち見せてもらったことだ。ただし、平戸瀬戸の流れの速さを甘く見るなよとばかりに、1個1000円はする釣りの道具を海底にひっかけ、10個失った。
▼船頭をしてくれたHさんが、「神父様、高い授業料でしたけど、魚がいることは分かったから、次挽回しましょう。」と慰められ、「どうです気分転換に、この魚を刺身にして司祭館で晩餐会でも」と提案してきた。もはや議事録のことは頭の隅にもなかった。
▼釣った魚と焼酎で、大騒ぎしてHさんは奥さんの迎えの車で帰った。勉強部屋に戻ると、書き残しのままの議事録。「この酔っ払った状態ではパソコンには向かえない・・・」ほんのちょっとと思って布団に。はっと気づいたら夜中の2時。しまった・・・
▼議事録を持たずに会議に出席するわけにもいかず、それから3時間、朝の5時まで議事録と格闘。朝ミサをしたあとフラフラになって会議に出席し、帰りには出かける時点で決めていた通り、田平教会のご婦人が開いている散髪屋に立ち寄った。
▼「おーい。いつもの通りに切って。ひょっとしたら居眠りするかもしれないけど。」すると散髪屋のKおばちゃんが目を丸くしてこう言う。「あらー神父様。神父様にうってつけの話を仕入れましたよ。」何だろうと思って話を聞くと、これこそ天の恵み。
▼「午前中に、Oさんが散髪に来たんです。Oさんの話では、『わしも八十歳になるし、腰も痛い。そろそろ持っている船を処分しようと思っている。しかし処分するのに20万円の費用がかかる。もらってくれる人がいれば、ただであげてもいいのだが、どうしたものか』と言ってました。」「本当の話なの?だったらその処分の話ちょっと待ってよ。応分の謝礼を払うから譲ってほしい。」「今から電話してみましょうか?」「頼む〜」
▼そこで電話をかけると、Oさんは明日にでも業者を呼んで船を引き渡すつもりだったらしい。散髪屋で言うのもなんだが、間一髪だった。散髪した帰り、心はスキップして帰ったのは言うまでもない。人生山あり谷あり。自分の落ち度でひどい一日のはずが、わたしに味方してくれる人を通して天の恵みを授けてもらった。来週に続く。



16/11/13(No.855)

▼先週の続き。散髪屋からスキップして帰ったのは午後2時半。前日からほとんど寝ていない。夜8時の結婚講座まで何もないし、今のうちに昼寝をしようと、布団に潜った。
▼布団に入るのが早いか、すぐに玄関のチャイムが鳴る。「なんてタイミングだ」と思いながら玄関に向かう。不機嫌な顔をしないようにと思って玄関に立つと、以前福岡の大名町教会での結婚式のため書類のお手伝いをした家のご家族がやって来て、お世話になりました、これは気持ちですと言って日本酒1本とお魚を運んできた。
▼喜んで受け取りましょう。そう言って受け取り、「お母さん、お孫さんが楽しみだね」とねぎらって見送った。受け取った品物を食堂に運んだあと、また布団に潜るとすぐにチャイム。「いったい誰だ?」今度は不機嫌な顔だったかもしれない。「宅急便です」とドアの向こうから呼んでいる。「はい。」印鑑を押して、また布団に戻る。
▼布団に入ろうとした。またチャイム。「いい加減にせいや〜。」佐川急便だった。どうでもいいから早く寝かせてほしい。そう思ってまた布団に手をかけると、今度はお隣の案内所から内線電話。「申し訳ありません。某教会の評議会議長がおいでになってまして、できれば面会を希望しているのですが・・・」
▼泣きたい気分だった。そこそこの服に着替えて面会に出向くと、その人は困った顔をしている。評議会議長として信徒と主任司祭の板挟みになり、苦しくて違う教会の神父様にすがりにきたのでだろうか。話を聞いた。
▼1時間、悩み事相談を傾聴。次の1時間、田平小教区で主任司祭と信徒はどんな関係かの質問攻め。もう帰りたい。そう思っていた時、「上五島、特に鯛之浦にはずいぶん思い出があります」と話し始めた。鯛之浦を知っているといっても、通り一遍の話だろうと思っていたが、全く違う方向に話が進んだ。
▼「わたしにはむかし婚約者がいました。Uという姓でした。」「ちょっと待て。鯛之浦にU姓でカトリック信者はそうはいないよ。」「鯛之浦のことをご存じなのですか?」「ご存じも何も、鯛之浦教会出身だから」「えー!」「同級生のU・Hは、カトリック信者の女の子3人の中で3番目に可愛かったね」「わたしの婚約者だった人は、そのU・Hさんのいちばん上のお姉さんです!」
▼「何と言った?えー!奇遇だね〜」そういう話から中田神父の仮眠時間は完全に取り上げられた。わたしも傾聴だけでは終われず、先週分と今週分の話をセットで夜8時の結婚講座のカップルに話し、ジェットコースターのような一日が終わった。



16/11/20(No.856)

▼久しぶり(と言っても2か月ぶり)に上五島に帰り、実家でも2泊して母親を喜ばせることができた。主な目的は「浜串教会献堂五十周年記念行事」だ。ついでに釣りにも行ったが、ある人からは「釣りが主目的で間違いないですね」と言われたが。
▼浜串教会での記念ミサが午前10時30分から予定されていた。少し早めに浜串に入り、現在の主任司祭に手伝いをお願いされたら応えようと思っていた。いくつか確認したいことを聞かれ、わかる範囲のことを答えた。
▼それでも少し時間があったので、聖堂に入り、懐かしい人を探す。司祭館の隣の敷地で「かんころ」をよく作っていたご婦人がいて、懐かしいなぁと思い近寄って、「やあやあ」と声をかけようとしたら向こうから先に言われた。「あらぁ。どの神父様じゃったかなぁ。」
▼「どの神父様」はないだろう。半年前まで浜串にいたじゃないか。がっかりしながらわたしは喉まで出かかっていた懐かしさいっぱいのあいさつを飲み込み、こう返した。「どの神父様はあんまりばい。茹でかんころを司祭館の隣でよく干してたでしょう。」
▼「かんころが出来上がったら、田平教会に2本送ってくれんね。わたしを忘れていたことはそれで勘弁してやるけん。」わたしが司祭館に戻ろうとその場を離れた時、周囲のご婦人たちが「あんた中田神父さんを本当に忘れとったとね?」と声をかけていた。忘れていたとしたら、お年頃なのかもしれない。
▼これは書いたかもしれないが、1ヶ月ほど前、田平で釣りに誘われて釣りに行った。その時「タイラバ」という仕掛けを10個くらい失って呆然とし、「ひょっとしたら俺は釣りが下手なのか?」と思ったことがあったが、今回の五島滞在中は昔取った杵柄、簡単に魚が釣れた。「あー、下手じゃなかった。」ひと安心だった。



16/11/27(No.857)

▼田平教会から500mのところに県立北松農業高校がある。ここから教会敷地に置いてもらえたらという提案でベンチをいただいた。四角いベンチだということだったのでコタツをイメージしていたのだが、中心に向かって向き合うようなベンチではなく、全員外に向かって座るので、会話を楽しむには少し工夫が必要かもしれない。
▼各家庭に配布した文庫本の説教集は、読んだかどうかは知らないが好評のようである。なぜだか田平教会出身の先輩神父様からも「一冊送ってください」と言われた。11年前に印刷したものだから、たぶん送っていると思うが、忘れているのだろうか。
▼今年はいろんなことがギリギリになって決まったりするものでとても苦労している。C年からA年への典礼暦年の移行で早めに必要な「教会暦と聖書朗読」という冊子も先週月曜日に手に入った。たまたま長崎に行く必要があったので直接持ち帰る手続きを取った。郵送を待っていたら、しびれを切らして電話で催促していたかもしれない。
▼田平教会は巡礼者がたくさん訪れてくれる。韓国からの巡礼団も多く、巡礼ミサも月に15回、もっと多いこともある。彼らはご丁寧に献金を取りまとめておいてくれるのだが、教区はそれに目を付け、「教区内の聖堂を維持する基金のために協力願いたい」と言われ、献金から送金するシステムになっている。
▼たしかに、巡礼団がささげた献金を教区すべての教会の維持に充てることは名案だと思う。説明会があり、その説明に同意もした。しかしこの前の期間の献金に対し、協力金の額は半分を超えていた。承服しかねず、かなり強い口調で文句を言った。
▼送金することに反対はしないが、誰でも「半分以上くれ」と言われたら面白くないものだ。折半だと言うならまだしも、半分以上送金せよという。わたしはマジックの太いほうで次のように書いてFAXした。「半分以上取るのは『協力金』ではなく、『上納金』だ。」
▼すぐ返事が来た。教区への送金はせいぜい半分くらいで折り合いをつけてほしいという意味で書いた返事だったが、そうは伝わらなかったらしい。今後は田平教会に韓国巡礼団のミサは来ないかもしれない。ちょっと舌足らずだったか。



16/12/04(No.858)

▼12月の病人訪問を終えて、何人かの見舞いの時に涙が出た。この人たちはおそらくクリスマスを病院で迎えなければならないのだ。わたしはこれまで決して、そのような状況に置かれたことがなかったので、そこまで深刻に考えなかったが、クリスマスを教会で迎えることができないのは相当に深刻な事態である。
▼もちろん病気や老齢のために教会に行けないのだと割り切ればそれまでだが、置かれている立場の人々の気持ちになってみれば、わたしは申し訳ありませんと言いたい気持ちになった。わたしは皆さんにクリスマスを教会で迎えさせてあげたいけれども、その力がりません。本当に力が及ばず、申し訳ありません。
▼ある人は、定期的な訪問より少し前に、口から食べ物を受けられなくなっていた。わたしはその人に「ごめんね。今日はご聖体を授けてあげられないみたい。それにとても苦しそうだから、念のため病者の塗油を授けておくね」と声をかけて病者の塗油を授けて帰った。
▼きっと、1週間前とかだったら、最後のご聖体を受けることができていたかもしれない。本人も、司祭が目の前にいながら、ご聖体を受けられないのはどれほど悔しいことだろう。そんなことを思いながら病者の塗油を授けていたら、本当に涙があふれてきた。
▼ご降誕の説教のどこかに、そのことを織り込んで説教しようと、その場で決意した。教会に来ることができた人々は、教会に行くことができず悔しい思いをしている人のことを思い出してほしい。知り合いにクリスマスに教会に行けない状態の人がいるなら、クリスマスの喜びを届けに行ってほしい。そのためにわたしができることがあれば、何でも言ってほしい。



16/12/11(No.859)

▼「ブルータス。お前もか。」司祭館の備え付けとして購入した〇ELL製パソコンが挙動不審な動きをする。しかも高い確率で土曜日にそういうことが起こっている気がする。土曜日は説教案を書いている。本当に腹立たしい。
▼メーカーの問題ではなく、わたしの使い方に問題があるのかもしれない。しかしながら、発生した挙動不審な動きは見逃せない。説教案をきっちり仕上げて、さあ「保存」をしようとしたら、調子悪いですよ〜と知らせる「小さな丸い輪」がグルグル回りだし、「応答していません」という様子。
▼しびれを切らして再起動しようとすると、「文書を保存せずに強制終了しますか」と言う。こちらはいくらなんでも自動保存で守られているだろうと思うから「強制終了」を選択し、パソコンは自分の仕事を淡々と続ける。実は説教案を書いている途中に、「アップデートしたので再起動してください」というメッセージが表示されていたのだが、構わず説教案を完成させるのを優先した。するとこの始末である。
▼恐れていたことが起こる。「たまっていたパソコンの更新作業を済ませたので再起動」パソコンが立ち上がり、説教案を開いてみると、まったく何も書かれていないその日の朝7時の状態のファイルが起動した。10時半まで書いた文章はどこに?
▼自動保存のうち、最新のものを開いてみる。すると最後の「言い聞かせ」みたいな部分が抜け落ちている。もう一回書き直せって言っているのか?一度完成させて、「言い聞かせも決まった」と思っているところで、もう一度言い聞かせを書けと?本当に腹立たしい。
▼しかたなく、その最後の4行か5行を書いてみる。「決まった」と思って終わった文章をもう一度書くのは、ヒーローが決めポーズをしたのに「はいもう一度お願いします」と言われているようなものだ。最初はカッコいいなぁと思っていたのに、いまとなってはカッコ悪いとしか思えない。



16/12/18(No.860)

▼今週の説教でも取り上げたが、夢でうなされた話。ある日結婚のためのカップルにショートメールで勉強の進め方を打ち合わせ。実はあまり勉強が進んでいないため、クリスマスに予定していた洗礼がとても間に合いそうにない。そこで次のような提案をした。
▼「○○さんですか?お勉強なかなか進みませんが、洗礼を受けてから結婚をしたいという願いを何とか叶えたいと思い、結婚式当日に洗礼・堅信を受けて、それから結婚式に望むというのはどうでしょう?」すると勉強がなかなか進んでいないことを当人たちも気にしていたので、「ではその方向でお願いします」ということになった。
▼「よかった。心配事が一つ減った。」それからほかの用事にとりかかった。この日はいつもよりも頑張って、夜中の1時半までパソコンとにらめっこして寝た。この時間に寝たのがまずかった。案の定、夢は毎度のごとく「急いでいるのに探し物が見つからない」「決まっている時間に間に合わない」そういうパターンの、今回まったく新しいバリエーションだった。
▼夢は結婚式。教会はあまり見覚えのない教会。結婚式を引き受けたカップルは、「今日は洗礼式から始まって、結婚式まで引き受けてくださり、感謝します」そう言って目に涙をためている。しかし起きているときに連絡を取ったカップルではなく、よく顔を知っている別のカップルだった。
▼「よくここまで頑張って勉強して準備してきたね。じゃあ式を始めようか。」そう言ってわたしは祭服に着かえるため香部屋に戻る。祭服を着るころには入道の聖歌が流れ始めた。「ここまでは順調」と思ったら儀式書が見つからない。
▼見慣れぬ教会のため、儀式書の場所が分からない。そうこうしているうちに入祭の歌は5番、6番、7番と進み、いつまでたってもわたしは入堂できずにいる。聖歌隊の不安そうな声が聖歌で伝わってくる。「仕方ないから、入堂しよう。」あきらめて入堂してみたが、やはり儀式が始められない。
▼香部屋に戻って儀式書を探したり、ミサ典礼書に結婚の頁があったかもと思って探すが、5分探しても10分探しても見つからない。「結婚式が台無しだぁ〜」そう思ったところで目が覚めた。わたしのうなされる夢は、いつも「見つからない、間に合わない。」テーマは同じでも、見る夢は毎回バリエーション豊か。だれか解説を!



16/12/24(No.861)

▼主の降誕おめでとうございます。クリスマスに必ずケーキを買ってくれる人がいた。「いらない」と強がっても、必ず手渡してくれる人だった。今はどこで、わたしがひとりクリスマスの夜を過ごしているのを眺めているのだろうか。
▼決して放ってくれないその人のことを思っているうち、神様こそがそのようなお方なのだなぁと思えてきた。「かまわないでくれ。」悪魔はそう言って、イエスを拒絶した。しかし悪魔にズタズタにされた人を憐れむ神は、決して放ってはおかなかった。
▼旅立ったご婦人を、わたしは今も思い出す。最後に訪問した時、力及ばなくてごめんなさいと、わたしは心の中で泣いていた。どうにかして、クリスマスの日にその人の魂を慰めたいと思った。今はどこかで、救い主がおいでになってくださって、慰めてくれているだろうか。
▼イスラエル巡礼が近づいている。イスラエル巡礼中に何かが変わるということはないのかもしれないが、巡礼から帰ってくると、何かが変わるかもしれない。イエスは歩いて、福音を宣べ伝えた。その大地を歩けば、何かを受け取ってくるのではないかと思っている。
▼準備もあたふたしているが、行った先で誰かと何かを話してみたいと英語をもう一度学んでいる。「聞くだけ」の勉強のような気もするが、それでも5年前、10年前に聞き取れなかった言葉が「あー、そう言っていたのね」と聞き取れている。
▼それに加えてハングルも学び始めている。何せ「インチョン空港」で最初の待ち合わせなので、看板を読み落としてイスラエルに行けなかったらたまったものではない。ハングルは入り口はたやすく入れるが、奥は迷路だ。なかなか「とらえた」というところまでいかない。英語と比べたら触れてきた時間に差があるから仕方がないか。でも楽しい。



16/12/25(No.862)

▼うすうす気づいているかもしれない。年末年始はイスラエル巡礼のことを考えると先の先まで説教原稿を用意しておかないと間に合わない。そこでまとめて原稿を書き上げている。どの時点でどこまで原稿をまとめ書きしたかは、読者の楽しみのためにとっておこう。
▼「中田神父と言ったらトレードマークは帽子だね。」これは大司教様の名言である。たしかにここ10年ほど、帽子をかぶっているような気がする。というか、わたしの帽子は司教様と違ってハゲ隠しだけれども。
▼その帽子で今悩んでいる。どの帽子をかぶってイスラエルに行こうか。わたしのお気に入りは2つあって、一つはフェルト生地の帽子。これはプレゼントしていただいたもので、ふだん愛用しているものだ。
▼もう一つは、広島カープの文字をあしらった帽子(野球帽ではない)。これは気に入って自分で買ったものだ。「イスラエルでフェルトの帽子をかぶった人はいても、広島カープの帽子をかぶった人は二人といないだろう。」そう思うと広島カープの帽子をかぶりたいが、これに関連して20年前の苦い思い出が自分の思い付きを躊躇させてしまう。
▼20年前、当時の島本大司教様の呼びかけで青年を30人イスラエル巡礼に連れて行ってくれた。そこに、各地区から1人ずつ司祭が同伴した。わたしは佐世保地区の同行司祭として行くわけだが、「イスラエルに行ったら、ガリラヤ湖で釣りでしょ〜」そう思って本気で釣竿をスーツケースに入れて出発した。
▼いざガリラヤ湖へ。朝食が始まるまで2時間、湖で竿を出した。もちろん簡単に釣れるはずもなく、「まぁ釣れないわな」と思いながら帰ってみると、朝食前に散歩している青年男子と出くわした。その青年は司祭であるわたしと、釣り竿とを交互に見ながらこう吐き捨てた。「神父さん。あんたは何をしに、このイスラエルに来たんですか。巡礼に来たんじゃないのですか?」
▼「巡礼に来たよ。来たけど、思い出に釣りぐらいいいじゃないか。」その青年は以後わたしを完全に無視し、わたしも声がかけられない気まずい雰囲気になった。このトラウマがあって、広島カープの帽子をかぶっていくか、控えるべきかと悩んでいるのである。






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