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17/01/01(No.863)

▼新年あけましておめでとうございます。本年は司祭叙階25周年(銀祝)の年です。皆様に使ってもらって、ここまでたどり着くことができました。感謝申し上げます。今年も、旧年度うようよろしくお願いいたします。
▼旅する教会、人生の長い旅、これらを象徴するかのように、今年の初め、聖地巡礼に行ってまいります。二度目のイスラエル訪問です。人が住む場所は当然時間とともに変化していきます。20年の月日が経ち、どのように変化しているでしょうか。
▼最近よく物を取り損ねて落としてしまう。薬を服用するとき、銀紙から破って薬を出したが、「あっ」と思ったら落としてしまった。腹立たしい。これも肉体の経年変化で、この体でこれからも旅をするんだよと、徐々に教えてくれているのだろうか。
▼田平教会はここ最近1月1日神の母聖マリアの祭日のミサは大晦日の深夜0時と、午前9時となっている。この頃は夜遅くに仕事をしたくない。ミサを「仕事」と言っては語弊があるが、おかげで今もまだ何となく眠ったような感じである。
▼よく言うわ、と思いながら書いている。だがおそらく、当日になればそういう感覚になっているだろう。通常でも12時を過ぎて床に就くと朝は相当きつい。年始の挨拶が済んだら、とっとと布団かぶって寝ようか。でも玄関は開けておかないとチャイムでかえって煩わされそうだ。
▼昨年の振り返り、わたしが赴任した教会は、みずからの小教区だけを考えておけばよい教会ではないと思った。近くの教会に応援に行ったり、平戸ザビエル教会の代わりに平戸地区の行事を迎えたり、周りへの配慮を忘れてはいけない小教区である。
▼今年の抱負。わたしは平戸地区の大切な核となる教会の主任司祭として、何ができるかを考えて歩いていく。手を差し伸べ、協力を申し出るところもあると思うし、田平教会がその役目を引き受けましょうと手を上げることもあるだろう。韓国の巡礼団を迎えるのもその一つかもしれない。そうだ。ハングルをもう少し覚えよう。



17/01/08(No.864)

▼予定では今イスラエルにいて、山上の説教の教会でミサをささげ、説教をしていることになっている。あくまで予定だが。この日の説教は1時間くらいで一気に出来上がった。ピント外れだと思われるならそれはお詫びする。しかしすぐに思い付いた。
▼思い付きで説教をしているとのご指摘もあるだろうが、わたしはある程度「説教は降ってくる」と思っている人間なので、「この切り口で福音を紐解いてみたい」というアイディアが降ってくれば、今回のように1時間で準備できることもあるし、何日かかっても進まないこともある。
▼イスラエルにいるということは、イスラエルに行く前に準備をして出かけたということだ。何を持って行ったか?その中のいくつかは紹介したい。衣類は当然として、まず日本の味「梅干し」を持って行くことにした。きっと当地の食べ物もおいしいとは思うが、やはり日本人は日本の味を恋しがる。
▼それから「正露丸」も持参する。これも「日本代表」みたいな薬だ。あとは適当な風邪薬。身支度をするためのシェーバーとか歯磨き歯ブラシ、衣類とミサセットと祈りのために聖書とか時課の典礼(聖務日課)など。それから書物。本は厳選しなければならない。調子に乗ってあれもこれもスーツケースに入れると置いてくるわけにもいかず泣く目に遭う。
▼何を持って行くか。考えた末に決めたのは洗礼の勉強をしている人に使っている教科書だった。実質5日間の旅で、どのみち読むことができるのは1〜2冊だ。後どうしても必要なものはPDF形式でiPhoneで持って行こう。これでおおよそ荷物は決まった。最後に迷っているものがある。ノートパソコンだ。これは最後の最後まで悩みそうだ。



17/1/15(No.865)

▼イスラエル巡礼から戻って「ちょっとひとやすみ」を書こうかと思ったが、説教案が書けそうだったのでこのコーナーも前もって書いておくことにした。イスラエル巡礼記はおいおい書いていくことにしたい。
▼ここ15年ほど、目の不自由な人、読書に支障を抱えている人のための情報提供ボランティア活動の一つ「声の奉仕会・マリア文庫」に関わっているが、今年からさらに新しい段階で関わることになった。マリア文庫のスタッフは、おもに「音訳」(本や情報の音読)を通して利用者に情報提供をしている。
▼音訳された情報は、「校正」と「編集」を通って利用者に届くが、「校正者」にはある程度のめどが立っているが、「編集者」の絶対数が足りず、活動に支障をきたしていた。「編集作業」は一般的な雑誌編集とかの編集作業ではなく、現在標準となっているデイジー図書編集基準に沿って「音訳された図書情報を整える」仕事である。
▼と言っても難しいと思うので、もう少し平たく言うと、音訳された音源は例えるなら材料から型抜きされた製品のようなもので、指先で触ると出っ張りがあってそれをヤスリでていねいに削ってケガをしないように整える。そういう作業がデイジー図書に関する「編集」である。
▼音訳者は音訳する図書や雑誌を一度ですべて録音するわけではない。言い間違えたり雑音が入ったりくしゃみをしたりすれば録り直しをする。そうした作業を何度もしていくと、つなぎとつなぎの部分で「プチッ」とか「ガサッ」とかいう音が入ったりする。それらをできるだけ取り除き、録音された状態もできるだけ平準化して利用者に届ける。そのための編集作業である。
▼昨年末に大まかな手ほどきを受け、今年から即実践ということになった。経験がないので今後もいろいろ指導を仰ぎながらのお手伝いになると思う。ただ困ったことに、この手の作業はわたし好みの作業であり、本業をそっちのけにしてものめり込みたくなりそうな魅力がある。うまく本業とのバランスを取りながら、続けていきたい。


17/01/22(No.866)

▼カトリック神学院東京キャンパスに「月の静修」の中の講話をするために東京に出張した。日本におけるカトリック司祭の養成は、かつては東京と福岡の二つの神学院が別々に養成をしていたのだが、現在はそれが統合され、両方での時間をすごしたのちに司祭に叙階され、巣立っていくことになっている。
▼東京キャンパスは、そのうち最初の二年間(哲学コース)と最終年度(助祭コース)を過ごす場所となっている。前もってどんな人たちがいるのか尋ねもしないで行ったが、行ってみるとイメージとは違った学生たちが神学生ライフを送っていた。
▼わたしたち長崎教区の神学生は、前提として「小神学院生活」あるいは「コレジオ生活」をしたのちに東京キャンパスに行くことになっている。だから神学生としての生活は通算で十年目、短くても四年目という状態で進んでいる。それは顔つきにも出るわけで、場所が変わっても落ち着きがある。
▼大神学院だから、そういう顔をイメージしていたが、そうではなかった。初めて神学生ライフを始めた人たちがいて、召命について悩み始めるのも初めてという学生たちがそこにはいた。わたしの講話は「将来の司祭に期待すること」という内容だったが、どこかに長崎スタイルの養成を受けた大神学院の神学生をイメージしていたかもしれない。
▼そう言えば、カトリック神学院東京キャンパスに行ったことを証しする写真を撮影してこなかった。武蔵関という駅から500mくらい歩いた場所で、上智大学神学部のそばである。聖堂は落ち着いた雰囲気で、山上の説教の教会、あるいは受胎告知の教会をイメージさせる造りだった。



17/01/29(No.867)

▼ハングルにはまっている。以前「ハングルを勉強する」という内容で「ちょっとひとやすみ」を書いたかもしれない。一般的なハングルの勉強はぼちぼちしながら、聖書の一節とかを「読み」「聞き」「書く」作業を通してハングルに親しもうとしている。
▼長続きするかが問題だが、幸いここ田平教会にはひっきりなしに韓国からの巡礼団が訪問してくれて、ミサをささげてくれている。彼らが田平教会を訪ねて来た時、少しでも話しかけたり話を聞いたりしたい。それが当面のモチベーションになっている。
▼何が正解かはよく分からないが、いろいろ試してみて、身に付きそうな方法を最後に選んで続けてみたい。できれば、この1年で、聞き取りと読み書きの両方ができればいいなと願っている。ハングルは系統立てて編み出された文字なので、慣れれば書物やメモを書き写すくらいはすぐにできるようになる。
▼もう一つありがたいことは、日本語と語順がよく似ている(らしい)ということだ。それは韓国人にとっても同じなのだと思うが、語順の違う英語やその他のヨーロッパ言語に比べれば、ハードルは相当低いと言える。
▼ハングルを覚えたいと思った理由はもう一つある。巡礼で田平教会を訪ねてくれる人たちが、ほとんど英語を話してくれないという点だ。英語が話せないのかもしれないが、同行する司祭に英語で話しかけてもたいていの司祭が英語を話そうとしないのである。少しは意思疎通を図りたいと思っているのに、これではどうにもならない。
▼それなら自分が汗をかいて、ハングルを覚えることにしよう。そう決意したわけだ。どこまでたどり着けるかは分からないが、長らく経験していない「今やっと分かった」「今はっきり分かった」そういう経験ができそうなので、大いに楽しみだ。


17/02/05(No.868)

▼大阪のユスト高山右近列福式に田平教会からの申し込みが6人いて、参加の手配をわたしが引き受けた。旅行会社の「フリープラン」を利用することにして、「列福式ミサ」と、翌日の「列福式感謝ミサ」を含めた「旅行のしおり」を作った。
▼わたしが参加すればそんな面倒なことをする必要もないのだが、あいにくわたしは列福式を失礼することにしているので、せめてもの償いに、参加者が迷子にならないように、「旅行のしおり」くらいは用意してあげようということになった次第。わたしは小教区の予定を優先して、今回列福式は見送った。
▼小教区に目をやると、今月第3日曜日は「平戸地区堅信式」、3月下旬は小学生の黙想会と大人の黙想会、おいそれと息を抜くこともできない。しかしそうした年度末の追い込みは、教会のいつもの風景。追われているけれども、気持ちよい日々でもある。
▼予定では、高山右近を学んで、それを黙想会に活かそうと思う。わたしが高山右近を語る資格などないのは百も承知だが、学んだことをかみ砕いて分かち合うのは、つねに司祭の務めだから、今回は高山右近を取り上げるということだ。
▼今年は自分で黙想会を引き受ける。来年からは誰か別の司祭にお願いしたいが、やはり最初と最後は責任があると思っている。もちろん最初は分かっているが最後はいつになるかは誰にも分からない。そういう意味では毎年黙想会の時期は自分の学びのためにも何かを準備して過ごしたいと思う。
▼田平教会で昨年末から今年の初めに取り組んできた「聖書愛読運動」は、わたしにはずいぶん勉強になった。詩編に取り組んでいるが、その週の朗読の前に、短い解説をわたしが用意して典礼係がそれを読み上げて実際の朗読に入ることになっている。
▼どんなスケジュールであっても毎週この解説が必要になる。準備を欠かさず続けたので、かなり自分を律する必要に迫られたし、それなりの勉強にもなった。こういう生活ばかりをしているといつかオーバーワークになる。どこかで息抜きが必要だ。



17/02/12(No.869)

▼田平教会から申し込みをした6人が大阪での高山右近列福式に参加してきた。わたしは大村空港へ送る役と、大村空港へ出迎える役を買って出た。先週たしか「旅のしおり」を用意して渡したと言った。それが役立つことを願って大村空港へ送った。
▼大村空港で駐車場に車を入れ、念のためチケットを受け取るところまで確認して田平に帰ろうと思っていた。ところが車を降りてまもなく、O先輩司祭と同行の信徒に出会った。かつて大変お世話になった同行の信徒に当時のお礼など声掛けをしていると、わたしが連れてきた6人は「あらぁ〜O神父様。懐かしい。」とそっちに飛んで行った。
▼それはまぁ、かつての主任司祭であれば無理もないので、それではご婦人たちのお世話はこの先輩神父様にお任せしましょうと思ってチケットを発券するところまでは確認せずに車に戻り、田平に帰った。
▼翌日の夜、6人が大村空港に帰り着く時間に合わせて出迎えに。無事6人が降りて来て、4人はお手洗いに。その場に残った2人に「列福式の翌日は、無事に玉造教会での列福式感謝のミサに参加してM大司教様にもお会いできたかな?」と尋ねると、「それが、ですね、実は」と口ごもる。
▼これは何かあったのだと思い、「残りは車で聞こう。そのほうが聞き取りやすい」とかなんとか言ってみんなを車に導いて家路についた。これからの話が傑作。直木賞か芥川賞がもらえそう。詳しくは次週。


17/02/19(No.870)

▼「それで、列福式の会場まではどうだったの?」「無事にたどり着きました。大村空港でO神父様に会ったところまでお話ししたと思いますが、その神父様は航空会社が違ったのか、わたしたちより早い便の飛行機に乗りました。でも運よくH神父様を見つけたので、列福式会場の大阪城ホールまでくっついて行くことができました。」
▼「旅のしおりは使ったの?」「ええ、もちろん。」そう言ってはくれたが、おそらくH神父様にくっついて行ったのであれば見てないに違いない。「伊丹空港から最初はバスに乗って、JRに乗り換えるとき『H神父様、こっちこっち』と乗せた車両が女性専用車両だったのよね。びっくりしたー。」H神父さまもずいぶん困ったことだろう。
▼大阪城ホールでの列福式が無事に終わると、今度は宿泊先のホテルまで、「旅のしおり」が力を発揮する。ところがご婦人たちの話では、1時間でたどり着くはずのホテルに何時間もかかって着いたそうだ。「あーでもない、こうでもない」と言いながら帰ったそうだが、「旅のしおり」には混乱しないように乗り換え方法は1種類しか載せなかった。間違えようがないはずだが。
▼「何とか着いたことは立派」と褒めて、肝心の翌日玉造教会でささげられた「列福式感謝のミサ」に話を向けた。大村空港で「その話ですが、実は」と言ったご婦人が切り出した。「『列福式で大画面のスクリーンにM大司教様は何度も映ったので、明日あえて行かなくても大丈夫よね』という話で落ち着きまして・・・」
▼「つまり、行かなかったわけ?」「神父様が目の前にカトリック北梅田教会のあるホテルを探してくれたので、ちゃんとミサには行きました」「でも玉造教会での列福式感謝のミサには行ってないんでしょ?」「はい・・・」何のために「旅のしおり」を作ったのだか。けっきょく一度も「旅のしおり」が活躍することなく、ご婦人方の肝の太さに驚いた列福式珍道中であった。



17/02/26(No.871)

▼最近の「え?そんなはずないのに」という話。1992年3月17日に司祭に叙階されて、まもなく25年になる。長崎教区本部からも「祝賀会を設けるので来賓に家族・親戚を10人招待してください」という案内を受けた。自分自身も25周年の記念に何かを残そうと考えている。
▼それで記念の一環として、25周年(銀祝)の記念カードを製作することにした。司祭に叙階されたとき、ある修道会から贈られた色紙を記念カードの版に使わせてもらった。このカードはしばらくは在庫があったが、田平教会に赴任した時、開いてもらった歓迎会の参加者にすべて配ってしまった。
▼今回銀祝の記念カードを作るにあたり、同じデザインを版に使おうと考えた。司祭叙階の恵みを受けた時から今に至るまで、一貫しているというメッセージを込めたつもりである。そこで印刷所に版を製作してもらうため、本物の色紙を実家から送ってもらい、また田平教会の信徒に声をかけて、歓迎会の時に配った叙階式当時の記念カードを貸してくれとお願いした。
▼実家からの色紙はすぐに届いた。ところが、田平教会の信徒は「そんな記念カードは見たことがない」と言うのである。「いや、歓迎会の帰りに持って帰ってもらうように、手配したよ」と言うが、ご婦人方も教会役員も「知らぬ存ぜぬ」の一点張り。わたしも心配になって、「本当に持たないの?」と聞いたが持たないという。
▼どうしても信じられず、当時の歓迎会で記念カードを託した人に問い合わせると「確かに預かって、『欲しい方は帰りに持ち帰ってください』と声をかけました」と言う。ずいぶん尋ねて回って、なるほど受け取った人もいるようだったが、たいていの人は「持ってない。配られたことも知らない」と言う。
▼残念だが、もはやわたしの手元には一枚も残っていない。持っているあてのある人に尋ねて、裏のメッセージを写真で送ってもらった。「今週の1枚」のように書かれた記念カードをお持ちの方は、よかったら教えてほしい。カードの表は後日、25周年の記念カードで公開する。



17/03/05(No.872)

▼小学5年生6年生の「代用教員」を3月4日(土)にお願いされた。内容は浦上キリシタンの総流配で受けた迫害、浦上に戻ってからの苦難と復活の歴史についてだった。子供たちはとてもよく話を聞いてくれるので、気持ちよく勉強会も進んでいった。
▼ところが、思わぬところに落とし穴はあるものである。追放された浦上キリシタンがようやく浦上に帰ると、踏み絵を強要された庄屋の屋敷を買い取り、教会の代わりにする。悲しい歴史を、喜びの歴史にするためである。すると男子がこう言った。「『庄屋』って、いろいろ食べられる庄屋ですか?」
▼一瞬怯んだが、これはからかわれているのだと感じた。「そうそう。その庄屋。ちが〜う。」ついついわたしも図に乗ってしまい、子供たちと真面目な話をちゃかしてしまった。子供たちに「庄屋」とか「庄屋屋敷」と言っても確かにピンと来るはずがない。ここは子供たちと記憶に残りそうな部分を共有することにした。
▼さらに子供たちの「代用教員からかい」は続く。庄屋屋敷跡にいよいよ洋風の聖堂が建設されることになった。陣頭指揮を執ったのはテオドール・フレノ神父。自らが汗をかき、教会建設に奔走した。聞くところによると、教会に据え付ける御像を石工に作らせようとしたが「西洋人の顔を知らない」と言って制作は進まなかった。
▼そこで自らがモデルになり、御像を造らせたそうだ。教会の完成のために、人肌もふた肌も脱いだ格好だ。「教会建設に先頭に立って働いた神父様は誰ですか?」子供たちに尋ねるとこう切り返された。「フラノ(富良野)神父です。」
▼そう。「あーあー、あああああー。じゃなくてフレノ神父です。」今日はかなり子供たちに振り回され、かき回され、汗をかいて授業した。子供たちが楽しんでいたのか、わたしが楽しんでいたのか。たまにする代用教員でさえこの調子なら、ふだん教えてくれている信徒の方はどれほど苦労していることだろう。頭の下がる思いである。



17/03/12(No.873)

▼今日が誕生日。51歳になった。51歳でハングル(韓国語)の勉強をして汗をかいている。べつに韓流スターにときめいてではなく、まずは頻繁にやってくる韓国からの巡礼者の応対をするためだ。
▼前にも言ったが、英語で話しかけても多くの場合返事がない。全く英語に興味がないのか、全く学んでいないのか、英語を嫌っているのか、いずれかであろうと思っていた。ところが、ハングルを学び始めて、「それだけではないかも」と思うようになった。
▼韓国では上下関係が厳格に守られていて、たとえば電話で「お父さんはいらっしゃいますか?」と尋ねたとする。日本人なら、「父は今自宅にいません」と言っても問題ない。ところが韓国の人たちは「父」は明確に「目上」であり、「お父様は今自宅にいらっしゃいません」と返事をする。
▼日本語だと違和感がある。しかし韓国では上下関係は相対的なものではなく、絶対的なものであり、徹底して目上に対する用語で話す必要がある。そこで連想したのだが、彼らに"Nice to meet you."と語りかけても、韓国人信徒からするとおそらく日本人司祭は目上なのだろう。
▼そのため「英語で目上の人にどのように答えればよいのだろうか?」と悩んでしまい、つい言葉を飲み込んでいるのではなかろうかと思うようになったのである。ハングルを勉強していて、そう思いたくなるほど、言語に上下関係を厳格に求めるのである。
▼英語はその点で言うととてもフランクである。目上に対してとか、同僚に対してとか、そんな区別は基本的にない。誰にでも"Nice to meet you."である。もちろん突っ込んで考えれば偉い人に「やぁ、元気?」とならないような英語表現はあるだろうが、それはよほどのことだろう。
▼かじったばかりのハングルを長々と偉そうに書いたが、51歳を全く感じないくらい、真剣にハングルを勉強している。気がついたら説教を韓国語でしているかもしれない。ミサを韓国語でしているかもしれない。近くて遠い国に、この一年で橋を架ける道具にできたらと思っている。


17/03/19(No.874)

▼19日(日)は長崎教区の司祭叙階式の日。上五島出身の受階者が1人司祭に叙階される。助祭に叙階される候補者はいないようだ。毎年続けて司祭を送り続けることも、召命の減少があって難しくなってきた。
▼最初の数年間は助任司祭として頑張ってほしい。初めは本当に時間に追われて、あっという間に時間が過ぎる。時間が逃げていく中で、どうやって自分を失わず、自分の時間を確保するか。わたしはそこまでの余裕はなかったが、自分を見失わないためにも、自分を取り戻す時間を持ってほしい。
▼環境が一変する。環境の変化にうまく乗っかるために、先輩の話はよく聞くこと。わたしはこう言われた。「司祭になった今日から、『白は白、黒も白』だぞ。」意味はご想像にお任せする。
▼すべきことが山積みになり、「その日のことをその日で果たす」これができなくなったら一度自分の生活を見直す。「本当に今の時間の使い方、今の過ごし方が自分に適合しているだろうか。」考えてみよう。
▼どこに自分のタレントが生かせそうか、3年くらいで見極める。そこを伸ばし、小教区のため、教区のため、日本の教会のために役立ててほしい。わたしはパソコンを早くから扱っていたので、現在インターネットを使って説教を配信している。
▼メモを取る習慣を。記憶に頼ると、次から次へと依頼される業務で忙殺され、忘れてしまう。納骨の依頼、特定のミサの依頼、新しい訪問先の病人。「分かりました」と返事したのにメモをしなかったことで迷惑をかけないように。
▼思わぬアイディアが浮かぶことがある。その時のためにもメモできる何かを持ち歩くべきだ。わたしはiPhoneをメモ帳代わりにしている。おかげでふっと湧いて浮かんで、すぐに消えるアイディアを少しは活かせるようになった。とにかく、楽しみに待っている。



17/03/26(No.875)

▼プロジェクターを購入。プロジェクターにとどまらず、スクリーンも購入。かなりの出費だった。プロジェクターは、もともとDVD鑑賞などに使うつもりで購入したが、プロジェクターが役に立ちそうな場面は外からも飛び込んできた。
▼典礼委員会で次の聖週間に向けての話し合いがもたれた。その中で、復活徹夜祭の初めに行われる「光の祭儀」(復活のローソクを祝福する典礼)が、典礼の行われている正面玄関近くの人には見えるけれども、最前列の子供たち、高齢者の方に見えないので、スクリーンに映すなど何かできないだろうかという意見が出た。
▼その時には「よし」と思ったが、「検討します」と答えた。ここで活用できれば、ほぼ自分のために買ったはずのプロジェクターとスクリーンが教会のために活きることになる。一石二鳥だ。
▼「求めなさい。そうすれば与えられる。」(マタイ7・7)いつもそうだ。初めての主任司祭の任命を受けて、船で上陸する途中で造船所の4万トンクラスの運搬船を眺めながら、「あんな船を祝別できたらいいなぁ」と思っていたら、その週のうちに造船所から打診が来た。
▼「司祭館の新築が、信徒の気持ちを一つにまとめるきっかけになればいいなぁ。」そうやって司祭館を建てることができた。賑わうきっかけが欲しいなぁと思ったときにも、そのたびにきっかけを与えてくださった。
▼前任地の百周年では「教会の歌」を作ってくださいと言われ、その時も与えていただいた。「音楽2」のわたしがである。今年も、「献堂百周年の祈り」を与えていただいた。



17/04/02(No.876)

▼大人の黙想会が終わった。いろんなことがあった。黙想会の最終日にゆるしの秘跡を受けるので、その導入になるような話をしてゆるしの秘跡に移った。「例年だと4人の司祭が待機してくだされば30〜40分くらいで終わります。」そういう説明だったので1時間充てていたのだが、なんとまぁ、1時間半もかかってしまった。
▼お手伝いしてくださった先輩司祭たちは辛抱強くゆるしの秘跡をしてくださったが、帰る頃には「長いぞ!あと一人雇うか、時間を二度組むか、方法を考えろ」というようなお顔をして帰って行かれた。わたしも簡単に考えていたが、先輩司祭たちには申し訳ないことをした。
▼2回目の話を短くして、残りの時間で「イスラエル巡礼報告会」を開いた。プロジェクターとスクリーンを購入し、聖堂内でみんなとイスラエル巡礼の様子を分かち合った。手短に説明したつもりだったが、これも相当長くかかった。
▼黙想会の間に何人かの人がこんな質問をしてきた。「自分の家族は黙想会に参加できません。黙想会費だけ払えばいいでしょうか?」ちょっとそれは乱暴なので、「黙想会の代わりになるものを用意するので、それを自宅で活用して黙想会の代わりにしてください」と答えた。「黙想会費だけ」と聞くよりは、「ゆるしの秘跡だけでも授けに来てください」と言ってほしかったのだが。
▼「黙想会は疲れるでしょう。これで疲れをいやしてください。」ありがたい声をかけてくれる人もいた。ご飯の差し入れもあった。説教師の司祭は、しばしばこうして励まされてその年の説教を完遂するのである。



17/04/09(No.877)

▼今年の聖週間が始まった。今年は聖週間の典礼のすべての説教を今日のうちに用意できなかった。一度こういうことになると、もはやなしくずしでいろいろ言い訳をして用意できなくなる可能性がある。残念な聖週間の幕開けとなった。
▼わたしの中では、「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハネ12・32)をイメージして今年の聖週間の説教をまとめようと思っている。ひょっとしたら、無理やりそうなるように導入する場面もあるかもしれないが、今年の聖週間を何かのテーマをもって過ごしていく助けになればと思っているので了承願いたい。
▼黙想会の感謝の言葉を何人かの方からいただいた。黙想会の録音を分けてほしいという話もいただいた。病気で自宅にとどまっていたりして、黙想会に参加できなかった方々の中には「お友達から黙想会の評判を聞きました」と教えてくれた人もいた。去年の焼き直しではあったが、黙想ができた黙想会であったならうれしい限りだ。
▼来年からは、どなたか説教師を呼ぶことにしよう。今年は黙想会で頭一杯になった。来年からは黙想会の時間も含めて、「田平教会献堂百周年」のために費やすつもりだ。来年2018年の5月20日あたりを希望しているが、お願いの手紙を出した後の返事を確認する必要がある。
▼自分自身の「司祭叙階銀祝(25周年)」の記念品が先ほど到着した。注文した通りの品物が届いているのだが、これが田平教会と出身教会と、赴任して回った教会であっという間になくなる。目の前には大量に積み上げられているのに、あっけないものだ。
▼赴任した教会ではないが、大神学院時代に実習に行った教会も2つあるのを思い出した。少なからず恩義がある。ただ覚えてくれているかどうかは定かではないが。まあ、それは横に置いて、感謝の気持ちが伝わるようにしようと思う。同期で他教区や修道会の司祭もいるなぁ。


17/04/13(No.878)

▼いいところあるじゃないか。長いこと貸したままになっていたお金を「返してくれ」と言ったら即刻入金してくれ、しかも5%の「迷惑料」まで付けてくれた。今回手紙を書いて請求したが、もっと早く請求すれば早く戻っていたのかな。
▼聖なる三日間が始まった。銀祝を迎えると今まで言わなかったようなことを口にしたりする。立派なダルメシアンを飼っている近所の人に「お父さん。今日は聖木曜日よ。ミサに来て、足を洗ってもらう列に加わったら?」
▼するとそのお父さんは「はーい、気にかけてくださってありがとうございます」と返事をくれた。彼は来るのだろうか。三日間見守ってみることにしよう。三日間連続来るのは無理でも、「来てくれたんだ」と分かれば、それだけでも今までにない変化だと思う。
▼今年は説教の準備に追われそうだ。これまでだと受難の主日にはすべての準備を終えているはずなのに、今年はうまくいかなかった。言い訳は見苦しい。やはり結果を出して、期待に応えるのがあるべき姿だ。
▼結果を出すと言えば、昨日町内の壮年ナイターソフトが始まった。120cmの長尺バットを購入し、ボチボチ素振りをしていたが、3打数2安打となり、結果につながった。2打席目までは大振りせず、当てにいったのでヒットになるのは当然だが、3打席目は自分の能力も考えずに大きいのを狙ってセカンドゴロに倒れた。
▼あわよくばあと1打席回ってきてほしかったのだが、最終回、自分の前の人が倒れて試合終了となった。しかも試合は、9点取ったのに12点取られて負けるという後味の悪い試合となった。聖週間を真面目に過ごして、楽しいナイターにつなげたい。



17/04/14(No.879)

▼春だからか。頭がぼーっとして準備が進まない。机に向かっていてもその姿勢のまま居眠りしたりしている。先ほど午後2時だったのに、うとうとして次に時計を見たら午後3時を指している。これでは聖なる三日間の実りが思いやられる。
▼この田平小教区に赴任して1年が過ぎた。4月8日に赴任してきたので、まるまる1年過ぎている。たくさんの人に助けられた。25周年を迎えたことでたくさんの人に声をかけてもらった。ありがたい限りだ。
▼一つ、悔いがあるとすれば、人に「このように進むとよいでしょう」と促したことに比べて、自分自身がそれに釣り合うだけ成長できていないことだろう。たとえば、「イエスは十字架にはりつけにされました。十字架にはりつけにされる生き方を不自由と思うなら、わたしたちはイエスの弟子ではありません。」そういう自分は、十字架にはりつけにされる生き方を選び取って来ただろうか。
▼ほかにも、「このように生きてみたらどうでしょう」と促したことがある。その促しを、自分自身も覚悟を持って伝えただろうか。うわべだけの、もし自分に命じられたら「お断りだ」と拒むような日々だったのではないだろうか。
▼わたしの知る限り、田平教会にも何人かこのメルマガを読んでいる人がいるようである。説教は別として、この「ちょっとひとやすみ」は遠くの人に向けて書いている。殴り書きのようなこの文章を読んで、なおかつ直接本人を見ているはずだが、書いていることと普段の生活とは釣り合っているだろうか。調子のいいことを書いておきながら、生活はかけ離れたものになっていないだろうか。



17/04/15(No.880)

▼ご復活おめでとうございます。ことしは、ありがたいことに洗礼式が復活徹夜祭と復活の主日日中と、両方組まれている。親子での洗礼であれば、同時によかったのだが、今回は分けて行うことにした。どちらのケースも、これで家族全員がカトリック教会の家族となった。
▼こちらに来て、事情はいろいろあって一概ではないが、洗礼式を何度も経験させてもらっている。前任者が残していってくれたのかもしれないが、勉強会も含め、働かさせているぞ。新たな年度は、どのようになっていくだろうか。
▼せっかくプロジェクターを買ったので、復活徹夜祭に光の儀式を撮影して離れている人にも見せてみようと思った。デジカメをカメラ代わりにして(ビデオカメラ持ってないので)、復活のローソクと、その周りを照らす明かりだけでプロジェクターから投影してみようと思っている。果たしてどうなるか。
▼プロジェクターで感じた人もいるだろう。赴任最初の年度は、いろいろと物入りである。思い切ったことをするということもあるし、前任地でいろんなものを捨てて新任地に行くということもある。
▼たとえば、お賽銭のうち硬貨を計算する機械を持っていたが、前任地に置いてきた。不要になったからではない。どう考えても必要なのだが、置いていけば後任の司祭も助かるだろうし、地区の活動(クリスマス街頭募金)にも重宝する。覚えてくれる人はいないかもしれないが、恩を売るわけだ。
▼硬貨を計算する機械も結構な値段。プロジェクターも結構な値段。いろいろ物入りの一年だっが、十分に活躍してくれた。プロジェクターなどは明確な使用目的を持たぬまま購入したが、考えれば使い道は出てくるものだ。さていそいで復活の主日日中のミサにとりかかろう。


17/04/16(No.881)

▼あらためてご復活おめでとうございます。車が趣味の人は、今はいい時代だろうか。3ナンバーの車だといろいろカッコいい車もあるようだし、少々維持費がかさんでも、納得いく車が選べそうだ。
▼わたしは、たぶん、一生涯3ナンバーには乗らない。理由はいろいろある。司祭が3ナンバーを乗るメリットは何かが分からない。さらに車を大切に扱う趣味がない。車は汚れていても、走ればいいと思っている。洗剤で洗うのは年に2度くらいか。
▼かつて、教区報の「ほしかげ」というコーナーに、「車に司祭が300万円も使う理由が分からない」みたいなことを書いた。このときわたしの中で、「わたしは3ナンバーは買わない」と決めた。300万円以下で納まる車を買って、50万円別のことに使えるほうがわたしにはお得感があると思っている。
▼3ナンバーというのは、どういうくくりか知らないが、そりゃあ、お金が出せるなら好みのものが選べるのは当然だ。わたしは、「制約がある中の一品」を選びたいと思う。道具はすべてそうだ。金に糸目をつけなければ、良いものが買えるのは当然だ。
▼だが使えるお金はここまで、という制約を決めて、その中で「これだ」という物を見つける。わたしの信念。そういうわけで、次の車はトヨタカローラと決めている。決め手は3ナンバーでなく、5ナンバーだということだ。
▼いつだったか一度だけ軽自動車でバイパスと高速を乗り継ぎ、田平から長崎に行ったことがある。このとき日産のAD(たぶん)という車と、トヨタカローラに何度も追い越された。「くそっ」と思ったが、ADにはイマイチ魅力を感じず、カローラにはなぜだか「ふーん」と興味を持って後ろからのスタイルを眺めた。まるで女性の後姿を眺めるようなものか。
▼「やはり間違いない。」わたしの感性はADではなくカローラを選んだ。



17/04/23(No.882)

▼じわじわと、来ている。復活徹夜祭に、光の祭儀(復活のローソクの儀式)をカメラ越しにスクリーンに投影してみた。これが大好評で、「初めて様子を見ることができた」とか、「神父様の言葉が、あのような動作と一緒に唱えられていたとは知らなかった」そのほかにもおおむね良い反応をいただいた。
▼プロジェクターを個人的に買ったのだが、個人的に買っただけでは面白くないので、何とか公のために働く場所ができないかと思っていたのだが、典礼のオルガンを弾いてくれるシスターからのひとことで今回のアイディアが具体化した。
▼何でも、自分のために買ったものが自分のために役に立つのは当たり前のことだ。それを超えて、誰かのために、多くの人のために役立ったときに「買ってよかったなぁ」ということになる。今回は本当に買ってよかった。
▼たまに失敗もある。しかし、自分のアイディアがそれほど的外れでもないのだなと感じさせる出来事だった。十字架の道行きのために、等身大の十字架を担がせるようにしたことも、アイディアとしては新しくもないのだが、喜んでくれた。何となく、「じわじわ、来ている」と感じる一年だった。
▼平戸地区から異動していく司祭の送別会に参加してきた。一人の先輩が、「経済的に困りだしたら、○○をやってみようと思います」と発言したが、わたしと同じ手法だったので、「ここでも突飛ではなかったのだ」と感じたのだった。次に迎える司祭たちとも、交わりを深め、刺激を受けてこの地区のために働きたい。



17/04/30(No.883)

▼スーツケース。長く使っているとキャスターに問題が生じる。「安物」だからなのかもしれないが、わたしのスーツケースのキャスターは摩耗して、まっすぐ引くことができなくなってしまった。
▼思う方向に素直に引けないスーツケースほど、旅行中に迷惑なものはない。それでネットで調べたら、案外修理キットも豊富に売られていて、自分でキャスターを付け替える強者もいることが分かった。
▼そこでわたしも修理キットを買い、自前でキャスターを付け替えることに。まずは摩耗したキャスターを取り外すために、キャスターを固定している金属棒を切断する。水道工事業者が塩化ビニールのパイプを切断するのに使うような金鋸を手に入れてギコギコし始める。
▼あまり実感はないが、それでも5分ほどするとストンと車軸が切断された。軸を引き抜き、キャスターも取り外す。もう片方も同じようにして取り外す。ここまで15分くらいか。
▼次に、新しく買ったキャスターをセット。大きさが心配だったが、大丈夫のようだ。説明書に沿って六角レンチでねじを締めると、おお、うまく付け替え完了!こうして裏返しにすると修理していないキャスターと不揃いな感じもするが、通常の持ち方になれば何も不自由はない。
▼しかし、勘のいい人はこう思うだろう。「キャスターの修理をするということは、どこかに行くということだろうか?」恐らくそういうことだろうねぇ(笑)


17/05/07(No.884)

▼4月29日に結婚式が行われた。最近は結婚式の勉強会にしても洗礼の勉強会にしても、考えさせられることが多い。時間をかけてできるだけの内容を学ばせたいと思っているけれども、「何回勉強すれば終了できますか」と聞かれる。
▼そう聞かれると「ただ終わらせたいだけなのだろうな」そういう印象を持ってしまう。しまいには、「どうしても勉強しないといけませんか?」とまで聞かれる。そうなるとお手上げで、いつの間にか勉強会にも顔を出さなくなり、せっかくの機会を逃してしまった人も。
▼わたしにも責任があると思う。だがどうしても、その人が自分で信仰の道を歩んでいくために、何かを学んでおく必要があると思っている。初めは家族や、配偶者や、周りの人がいて信仰の道案内をしてくれると思うが、その人たちがいつまでもいてくれるわけではない。
▼たとえば両親はしばしば自分よりも先に旅立つ。配偶者に頼りっぱなしの信仰も、配偶者がいつまでも共にいて、支えてくれるとは限らない。配偶者が寝たきりになったり、認知症になったり、自分の足でいただいた信仰を歩んでいくために、いくらかの勉強は必要だと思っているのだが。
▼自撮り棒を買って、自分の顔を写して、「意外と面白いな」と思った。自分に語りかける。「最後は自分が頼りだよな。だから自分の足で立って歩くために必要なものを示してあげようと思っているのに、なかなか分かってもらえないよな。」
▼もちろん、慰められるような勉強会もある。そのような勉強の人に、何度も救われた。一方で、勉強会に及び腰の人に、これからどのような導きが有効なのか考えてしまう。先輩たちも通ってきた道だと思うが、どのように乗り越えていったのだろうか。



17/05/14(No.885)

▼先週は韓国語の教科書を買って少しかじっただけで韓国に行った。肝心な場面では英語で話してしまったが、自分が勉強していた教科書の内容が、大げさな言い方かもしれないが、順番に役に立った。よく系統立てて組まれている教科書なのだなと感心した。
▼日本語のできる韓国人ガイドが日本語のできない韓国人ドライバーと韓国語で打ち合わせをしていて、それがわたしの耳にも会話として一部聞き取ることができた。それは驚きだった。「○○○○ラーニング」は試したことがないが、使い始めてすぐに役に立った・・・みたいな驚きはあった。
▼「ありがとう」「大丈夫です」これが今回の旅行でつかんだ「とっさの一言」かもしれない。意外とどこでも使えそうだった。噂では、韓国人はおせっかいな人が多いと聞いていた。歩道で困った顔をしてガイドの本と地域の案内板を見比べていたら、見知らぬ人が声をかけてきた。
▼当然、何を言っているのかはわからなかったが、行きたい店の名前を言ってみたら、熱心に説明してくれた。旅行者が平戸でうろたえていても、「がんばれ〜」とは思っても声まではかけないかもしれない。韓国では自分のことのように心配してくれる人と出会えた。
▼道を教えてくれたのだから、素直に「ありがとう」と言った。「大丈夫です」はここではふさわしくない。一方で店の中で熱心に商品を進める店員には「大丈夫です」と言った。日本語でしつこく声をかける店員には、面倒だから"I'm just looking."と言って遮った。この時は英語は返ってこなかった。
▼カローラフィールダーが納車されてきた。乗り心地に満足。15年は乗るだろうから、どんなに考えても乗り換えあと1回。最後に買い替えて、天国への置き土産にする車は何だろうか。



17/05/21(No.886)

▼黙想会から帰って、すぐに通夜が入った。昭和41年生まれ、わたしと同世代ということだけ聞いて会場に行ってみると、はっきりわかる人だったのでびっくりした。つい最近も車を購入したと言って祝別をお願いに来た。
▼感心な人だなぁという印象を持っただけに、本当に惜しい人を亡くしたと思う。保育園の園長の話では、こどもたちが公立の保育園に通ったために、初聖体の準備のために2人の子供を田平教会近くのカトリックの保育園に毎週連れて行き、親子で初聖体の勉強をしたそうである。
▼子供たちもそうだし、車も、いったん神さまにお預けしてそれから受け取る。その心がけは立派だと思う。わたしたちは洗礼によってこの世から取り分けられ、この世に属さない者となった。そのことをよく理解して50年の人生を駆け抜けていった。
▼わたしも、このお父さんの生きざまには頭が下がる。お手本であるべき自分の生き方は、このお父さんに届いていないかもしれない。持ち物も、与えられた役割も、いったん神さまにお預けしてそれから受け取る。謙虚さをもっと磨かなければならないと思う。
▼今回、黙想会の途中でいったん田平教会に戻った。葬儀を控えているお父さんの洗礼名を確実に確かめるため、台帳を見に行ったのだが、結果的に家族が記憶している通りの洗礼名で正しかった。
▼よく先輩たちが「葬式が入ったから黙想会失礼する」と言って途中で帰ったきり戻ってこないことがあり、「ずるいなぁ」と思うことがあった。しかし途中でいったん戻り、また黙想会に復帰して最終日にまた帰ると、次の主日のミサの時はどっと疲れが出てくることが分かった。先輩たちの行動は、ずるいのではなく、先を見ての判断であった。


17/05/28(No.887)

▼小教区で司祭叙階25周年の祝いを設けてもらった。5月28日のことなのでここで話すのは「おおよその予定」なのだが、ある意味、25周年をどこで迎えているだろうかというのは25年前に考えていたことだ。
▼田平教会で祝ってもらえるなどとは夢にも思わなかったわけだが、与えられた答えは申し分のないものだった。両親ともに健在で祝ってもらいたかったが、少なくとも母親は健在でミサと祝賀会に参加できる。5月31日に亡くなった父も、この日の祝いを喜んでくれているだろう。
▼25周年を迎えた先輩方は星の数ほどおられるが、やはりいちばん影響を受けたのはわたしが司祭に叙階された時の郷里の主任司祭萩原師だ。萩原師は田平教会出身であり、不思議な巡り合わせで、司祭職に導いていただいた先輩の50周年(金祝)をわたしが整えてあげることができた。
▼萩原師が25周年の時、福岡の大神学院で感謝のミサを共にささげ、その時説教をしたのを覚えている。わたしたちは神に託された手紙のようなもので、神が手紙の内容を書きつける。その内容をわたしたちは告げ知らせるのだと、そういう内容だったと思う。神に刻まれたみ言葉を生涯告げ知らせる姿は、わたしの中にも宿った。
▼説教の姿勢も、そのスタイルも、萩原師とは違う。ひょっとしたらお気に召さないかもしれない。けれども、師の精神はわたしの原動力だ。わたしもこれから生かされている間は説教を練り、積み重ねていくつもりである。



17/06/04(No.888)

▼メルマガが今週で888号となった。パチパチ。今週の福音朗読から、個人的には「聖霊を受けなさい」を彫り出したと思っている。25年目にして初めて、「聖霊を受けなさい」が弟子たちのためだけの言葉でなく、わたしたちのためでもあることを浮き彫りにできたからだ。
▼「このように彫刻してくれ」それが聞き取れるにはまだまだだと思うが、今週に限って言えば、「言いたいことを思い通りに話す」という説教を超えたと思う。わたしの中で「聖霊を受けなさい」が説教の軸になる予定ではなかったのだから。
▼教会で発行している「瀬戸山の風」これは編集委員がいて、広報委員長が全体を見渡しているわけだが、今月の記事は引っかかる記事があり、広報委員会にも小教区全体にも考えてもらおうと思っている。
▼記事を書く場合、「記名記事」「無記名記事」があるが、責任を持ってもらう必要のある記事は「記名記事」にすべきだと思う。問題を感じているのは「イニシャル」で書かれた記事だが、イニシャルは明らかにだれが書いたか分かる場合と責任逃れとみなされる場合とがある。
▼誰だか分からないイニシャルはいけない。内容の如何に関わらず、記事は最大限尊重する。しかし書いた人が責任を持てないならば、書くべきではない。掲載すべきではない。責任を持てるのであれば、記名記事でもよい。
▼だから、来月から、教会を訪ねた人の感想文以外は、原則記名記事で書いてもらおうと思う。どのように記名するかは広報委員に任せるが、無責任な記事は出来事をつづり記録を残すための小教区報をダメにしてしまう。



17/06/11(No.889)

▼切り離せないほど、一体のものは何か。考えているうちに行き詰ってしまい、「三位が一体である」という点にこだわらないことにした。3年かけて「父と子と聖霊」をよく学ぶ祭日になればいいなと思っている。
▼説教には直接出てこないが、結合双生児という言葉で検索して考えるヒントを探していた。記事がいくつも見つかった。わたしの知る結合双生児と言えば「ベトちゃんドクちゃん」だが、世界にはほかにもいろんな報告が上がっている。
▼人格は別だが、体は共有している。結合双生児についてのわたしの理解だ。ベトちゃんドクちゃんは分離手術を経て体を切り離した。足は片足ずつ分けた。2人のうち兄は長くは生きられなかったが、弟はその後生きて、家族を形成したと思う。
▼分離手術で切り離すのは、医学の進歩がそれを可能にしたからだが、それでも切り離せないものはあると思う。結合双生児が歩んだ人生や、彼らしか理解できない絆は、分離手術でも切り離せるものではない。
▼切り離せないもの。人間がたどり着ける「一体」という考えは、およそここまでではないだろうか。これは三位一体の神をたたえる所までたどり着けないので、直接的に触れないことにしたのである。
▼ところでわたしの机にも、もはや切り離せなくなったものがある。ラミネートしてはいけないもの。転勤する前のものだが、何とか剥がれないものかと試してみたが、とても手に負えず、あきらめて銀行に行こうと思っている。
▼はじめ、教会会計に「これ、見事に処理できたら会計に寄付するから」とお願いしてみたが、「本人でないと手続きできないと銀行に言われました」と断られた。仕方がないので、自分で行こうと思っている。


17/06/18(No.890)

▼引退した神父さまが田平小教区に住んでいる。田平教会出身の神父さまだ。田平小教区には赴任していないが、同じ時代を生きたたくさんの人が今も健在である。もちろんこの引退した神父さまも見たところ健在である。
▼ときどき、教会敷地内に設置されている案内書に立ち寄って、わたしとしばし会話を楽しむ。「何かニュースはないか?」引退してもいろんなアンテナを張り巡らせて、わたしたちと同じ時代を生きておられる。わたしも、名前しか知らない人の人となりを聞くことがあり、大変助かっている。
▼5月28日、赴任したことのある小教区の人に頼み込まれての結婚式を引き受けておられた。挙式の要件になっている「聖堂での挙行」でない依頼(結婚式場)だったため、大司教さまに手紙を書いて、挙式要件の欠如を補う許可までちゃんと取っての挙式をなさったそうである。
▼その神父さまが、「挙式のための祭服一式貸してくれてありがとう」とお礼を言いに来てくれた。わたしとしては「お礼なんてとんでもありません」という気持ちだったが、とてもうれしかった。また7月に依頼を受けているそうだ。今度も挙式の要件が欠けているが、7月の依頼に関しては所属する小教区の主任司祭が全て整えてくれるそうだ。
▼小教区内に居住している引退した神父さまは、かつて鯛之浦小教区在任中にわたしに洗礼を授けてくれた方だ。いくら感謝してもしきれない。今年85歳、わたしたちの通る道を指し示してくれていると思った。



17/06/25(No.891)

▼わたしが代表を務めるボランティアグループについて、わたしのメルマガと比べながら考えてみた。読書に支障のある方々のために音訳を通して情報提供の手助けをしている。会員は例外なく会費を納めて活動を続けている。自分たちの活動を維持するためだ。
▼今は会費の区分が緩和されたが、わたしの記憶によるといちばん活動している中心的な会員は月額600円の会費を払っていたと思う。その次のランクの会員が300円、そして名前を連ねて、つながりだけでも保っていたいという会員は100円だった。
▼わたしの中では「中心的に働いている会員こそ会費を100円に抑えたほうがよいのではないか」という考えがある。中心的な会員はその働きぶりで十分会費を補っていると思うからだ。むしろ中心的な働きができなくなった方々に、多めの会費で活動を負担してもらうのが合理的だと思っている。
▼ところが実際は、個人的な事情をかなり横に置いてまでボランティアを支えてくださっている中心的会員が最も活動資金を負担してきた。長年の伝統であるし、それなりの理由や事情もあるだろうから、責任者の座にいるというだけで仕組みをとやかく言うつもりはない。「働きも会費の納入も、よく頑張るなぁ」と感心するばかりだ。
▼そこで改めて考えてみた。わたしのメルマガ発行に対して、わたしは会費を払うことができるだろうか。自分の働きに対して、いくらかの費用を自分が払うことに意味とか価値を見いだせるだろうか。考えてみた。
▼自分の働きに自分で費用を支払うと、何か変化が起こるだろうか。ひょっとしたら、もっと自分の働きに責任を感じるようになるかもしれない。もっと内容を吟味したり、何度も読み返して対価に見合うメッセージを汲み取ろうとするかもしれない。
▼ということで、有料版(内容は無料メルマガと同じ)を発行し、自分が購読することにする。有料メルマガを自分で購読して、こりゃダメだと思ったら有料版は廃刊としたい。わたしは、このメルマガ配信に月額432円(税込)払う。無料版も継続するし、一切配信を受けず、ブログで読むこともできる。読者もどれかを選んでもらいたい。
▼有料版を購読してくださる方が納めてくださった購読料は定期的に報告します。関心のある方へ、URLはコチラ。http://www.mag2.com/m/0001627418.html 月途中の登録でも、月内に発行されたメルマガがすべて届きます。



17/07/02(No.892)

▼わたしが代表を務めるボランティアグループについて、わたしのメルマガと比べながら考えてみた。読書に支障のある方々のために音訳を通して情報提供の手助けをしている。会員は例外なく会費を納めて活動を続けている。自分たちの活動を維持するためだ。
▼今は会費の区分が緩和されたが、わたしの記憶によるといちばん活動している中心的な会員は月額600円の会費を払っていたと思う。その次のランクの会員が300円、そして名前を連ねて、つながりだけでも保っていたいという会員は100円だった。
▼わたしの中では「中心的に働いている会員こそ会費を100円に抑えたほうがよいのではないか」という考えがある。中心的な会員はその働きぶりで十分会費を補っていると思うからだ。むしろ中心的な働きができなくなった方々に、多めの会費で活動を負担してもらうのが合理的だと思っている。
▼ところが実際は、個人的な事情をかなり横に置いてまでボランティアを支えてくださっている中心的会員が最も活動資金を負担してきた。長年の伝統であるし、それなりの理由や事情もあるだろうから、責任者の座にいるというだけで仕組みをとやかく言うつもりはない。「働きも会費の納入も、よく頑張るなぁ」と感心するばかりだ。
▼そこで改めて考えてみた。わたしのメルマガ発行に対して、わたしは会費を払うことができるだろうか。自分の働きに対して、いくらかの費用を自分が払うことに意味とか価値を見いだせるだろうか。考えてみた。
▼自分の働きに自分で費用を支払うと、何か変化が起こるだろうか。ひょっとしたら、もっと自分の働きに責任を感じるようになるかもしれない。もっと内容を吟味したり、何度も読み返して対価に見合うメッセージを汲み取ろうとするかもしれない。
▼ということで、有料版(内容は無料メルマガと同じ)を発行し、自分が購読することにする。有料メルマガを自分で購読して、こりゃダメだと思ったら有料版は廃刊としたい。わたしは、このメルマガ配信に月額432円(税込)払う。無料版も継続するし、一切配信を受けず、ブログで読むこともできる。読者もどれかを選んでもらいたい。
▼有料版を購読してくださる方が納めてくださった購読料は定期的に報告します。関心のある方へ、URLはコチラ。http://www.mag2.com/m/0001627418.html 月途中の登録でも、月内に発行されたメルマガがすべて届きます。


17/07/09(No.893)

▼「来週に続く・・・」「水曜日9時55分に・・・」だいたい見当はつくと思うが、これはドラマの最後に出ることの多い字幕だ。日本語だと「来週に続く」「水曜日9時55分に」を辞書で引くことなどあり得ないわけだが、勉強中のハングルだとわけが違う。
▼「○○9○○55○○・・・(○○の部分は実際はハングル)」ムムム?いったいこれは何だ?録画したドラマを一時停止して、ハングルのメモを取り、辞書を引く。ありがたいことに最近はネットでも翻訳辞書が使える。しかも「文字順」を気にしなくてよい。
▼英語だと「r」で始まる単語の意味を調べるには「a」から辞書をめくっていくわけだが、ネット上では該当する単語を入力すれば一発で翻訳してくれる。辞書を引いて苦笑する。「来週9時55分に・・・そりゃぁそうだよな。」自嘲気味に笑う。最近はその繰り返しだ。
▼それでも半年前とは韓国人との応対にも勇気が出てきた。大したものだ。初めに来た頃は避けていたが、今は「一応話を聞いてみるか」と来たものだ。「チョヌン ナカダシンプ イムニダ」韓国人はこれだけで大喜びしてくれる。その輪に加わることができるようになっただけでもすごい変化だ。
▼最近「根の深い木」という韓国王朝ドラマを観て、ハングルを勉強する気持ちが高まった。ドラマの中では王政が道を踏み外さないように手綱を操作する人々こそ国の根幹であると信じる一派が王の周りで暗躍。しかし王は民の声を聞くために、漢字ではなく、ハングルをひそかに開発させる。28文字で自国民すべてが読み書きできるという優れものだった。
▼ドラマなので単なるハングルの成り立ちというわけにはいかないが、たとえば日本語のカタカナ、ひらがなに匹敵する画期的な文字であることはよく理解できた。わたしの祖母はカタカナしか理解できなかった。そのことを思う時、すべての民に理解できる文字を開発した勇気を学ぶことができた。
▼実は7月17日にこの「国民すべてに分かる表現を」ということに触発された講話をする予定である。だんだんと、自分が果たす役割は「言いっ放し」ではなく「歴史が正しかったかどうかを判断する」そういう重みをもつようになってきた。自分が話したことを理解し受けとめ、長い時間をかけて形にしてくれる人が現れると嬉しい。そうなるように話そうと思う。


17/07/16(No.894)

▼非常にありがたい。有料版メルマガの購読者が現れた。わたしと面識のある人かもしれないし、面識のない人かもしれない。有料版メルマガではないが、ネットでの宣教に共感してくださり、ご寄付もいただいた。非常にありがたい。
▼昔から懇意にしている人が2時間かけてわたしを訪ねてきた。わたしは事情があっても2時間かけて人を訪ねるのは慎重になる。だがその人は事情はあったとしてもわたしが聞きたい先輩の近況を携えて訪ねてくれた。非常にありがたい。
▼土曜日は本当に参った。数日前は珍しく便秘か?と思っていたら、今度は下痢だ。しかも一日に五回もトイレに駆け込んだ。「駆け込み寺」というのは聞いたことがあるが、「駆け込み厠」というのもあるのか。それでも倒れたわけでもないし、「用心しろよ」というきついお灸だと思えば非常にありがたい。
▼7月に入って急に教会行事が立て込んできた。お告げのマリア修道会四季の静修、子供たちとの食事会、平戸地区合同黙想会、新たに献堂百周年の実行委員会会議も入る。なかなか忙しくて、釣りに行く暇がない。ありがたくない。
▼体重が、79kgから78kgに移行した。「誤差の範囲」と言えなくもないが、誤差もいつ計っても78kgなら誤差ではなくなる。お医者さんの話では78kgなんてとんでもなくて、70kgに落としてくださいなどと言うが、そう簡単にはいかない。ただ、毎日できそうな運動が見つかったので、75kgくらいにはなれるかも。非常にありがたい。


17/07/23(No.895)

▼梅雨が明けて、じっとしていても汗が出てくる。しかも痒い。指の間とか、髪の生え際とか。生え際あるからね(笑)服が肌に触れる瞬間とか。子供のように皮膚がただれるまでかくことはないが、やはりかいてしまう。
▼最近は汗をだらだら流すほど汗をかいたことがない。やはり体の状態を入れ替えるためにも、いっぱい汗をかくことも必要ではないだろうか。冷や汗では、どうも体のリフレッシュにならないような気がする。
▼フィリピンから司祭20名、信徒50名の巡礼団がやってきた。12時到着予定だったが、途中免税店に立ち寄ったことが影響したらしく、大幅に到着が遅れた。わたしは「ああ、ありがちなこと」と流していたが、もう一つの教会はおカンムリだったらしい。
▼それはそうだ。到着に合わせて歓迎する人たちを待たせると、暑い中余計に待たされて具合が悪くなる。日本は秒単位で時間を守る国なので、文化をよく理解して「郷に入っては郷に従え」を実践してね。
▼思ったことを思った通りに言って、「しまった」ということ。木曜日の夜、典礼委員会があり、「夏の暑い盛りなので、体の弱い高齢者は亡くなったりします。身近な高齢者が夏を越せるように、見守りをお願いします」と言ったら、その晩遅くおばあちゃんが亡くなって土曜日通夜、日曜日葬儀ミサ。
▼経験上、そういうことが多いのでご注意を、という意味だったが、事実そうなってみると「しまった」と思う。これから通夜と葬儀を意識して、土日を過ごす。ほかにもいるご年配の皆さん、どうか暑さをうまくしのいでお過ごしください。


17/07/30(No.896)

▼7月31日雲仙で召命フェスティバルが開催され、十数名の子供たちを連れていくことにしている。2年に1回開かれていて、「言ってみれば」まったく同じことをしているだけである。ところが。
▼この召命フェスティバルは毎回盛況で、わたしが圧倒されるのは召命祈願ミサに持ち寄ってささげる献金である。記憶ははっきりしないが100万円とか相当な金額が報告されていた。
▼「言わば」毎年同じことを、同じようにしているのに、なぜ子供たちを惹きつけるのだろうか。プログラムに「靴飛ばし大会」があり、何の変哲もなく、毎回全く変わらない。ほかにも「ジャンケンコーナー」があり、「ジャンケンマン」と称するヒーロー戦隊まがいの若手司祭が登場するが、この人物も一度も変わったことがない。
▼それなのに、である。それなのに、いつも熱狂して子供たちがプログラムに参加する。わたしはここではたと思うのだが、この「召命フェスティバル」を企画している教区召命委員会(だったと思う)は、「高価な真珠」を見つけ、そこにすべてを注力しているのだ。
▼同じことを繰り返せば、ふつう子供たちは飽きてしまう。それがそうはならない。何か、子供たちに訴えかけるものを畑から掘り出し、手に入れているに違いない。だから子供たちをあそこまで熱狂させることができるのだろう。
▼要は、畑に隠されている宝を当てることである。いつ巡ってくるか分からない高価な真珠を見逃さないことである。どれが良いもので、どれが捨てるべきものかを瞬時に見分けることである。召命フェスティバルのプログラムは、本物を捉えているのだと感じた。


17/08/06(No.897)

▼病人訪問を月に一度のペースで実施している。その中に106歳のおばあちゃんがいて、すばらしいことに訪ねて行った時はいつも起きていてちゃんと祈りをして聖体拝領を受けている。健康状態も申し分なく、今のところは来月も会えると思っている。
▼聖体拝領のための式文は、おおよそミサの内容を要約したもので、「招き」「回心」「聖書朗読」「主の祈り」「聖体拝領」「拝領後の祈願」で成り立っている。ミサにあずかることができない病人のための、母なる教会の配慮なのだと思う。
▼そのおばあちゃんも、毎回主の祈りを聖体拝領前に唱える。8月4日(金)のお見舞いの時、いっしょに主の祈りを唱えながら、何かがわたしに降ってきた。この日のおばあちゃんとの祈りをわたしは決して忘れない。実際にその時感じたことをスマホにメモを取り、いつでも体験談として話せるようにまとめてみた。
▼聖職者がこんなことをいうのもなんだが、神は存在すると思う。わたしが106歳のおばあちゃんといっしょに祈って、何かのひらめきが降ってくるのは、わたしが超能力者だからではない。わたしが超能力者なのだとしたら、とっくに新しい宗教を作っている。
▼そうではなく、わたしを照らし、導く神が、わたしのひらめきではないれっきとした神が、存在すると感じさせるのだ。わたしが作り出した神であれば、わたしの思った時にいつでも呼び出すことができるだろう。
▼しかし、わたしが体験したのは、まことの神が、みずからわたしに思わぬタイミングで語り掛け、何かを教えてくれるということだった。主の祈りは珍しいことではない。106歳のおばあちゃんと主の祈りを唱えたのも今回が初めてではない。だが照らされて何かが降ってきたのは今回が初めてなのである。
▼神の働きに謙虚に耳を傾けたり、神の存在に謙虚に跪く。その心構えを決して忘れてはいけない。神が何かを教えてくださるその日、その時を、わたしたち人間は指定できないのだから。


17/08/13(No.898)

▼夏の甲子園が始まった。照り付ける日差しの中で白球を追う球児の全力プレーを、おじさんとなったわたしはエアコンの効いた部屋で観戦している。歳を取ったものだ。四日目の組み合わせは豪華な顔ぶれで、広島広陵が中京大中京を破り、熊本秀岳館が横浜高校を破った。第三試合第四試合も楽しみだ。
▼ところで第三試合に組まれた沖縄興南と対戦する智弁和歌山の高嶋仁監督について、思わず身を乗り出すような情報を見た。なんと高嶋監督は五島出身だったのである。目を疑った。そのほかの情報はネットを調べれば大体のことはわかるので割愛するが、五島出身のわたしにはちょっとした自慢が増えた。
▼興味があったので、タブレット端末を購入した。タブレット端末を大きく分けると、iPadかそうでないか、ということになる。iPadは新しさはないので、「そうでないほう」つまりAndroid端末を購入した。
▼使い始めは、すぐ立ち上がるし想定内の仕事ができているし、大変重宝していたのだが、二週間もすると態度が豹変した。日本語入力ができなくなり、いきなり両手を縛られたような状態になったのである。
▼生まれて初めて、「音声」でさまざまな機能を動かした。なかなか優秀、と思ったのもつかの間、ログインが必要なサイトに入るときにパスワードを音声で入力するのは超絶技巧が必要だった。最終的にこのパスワード入力で音声入力を断念することになる。
▼音声で入力できない文字があって、絶望的になった。何度言い直しても「t」を「d」としか認識してくれない。気が短いわたしは買って2週間もしないタブレットを破壊しようと何度思ったことか。
▼初めのころはできていたキーボード入力がタブレット端末で使用不可になった原因をパソコンからネットで検索する。あまり芳しい答えが見つからない中、「google日本語を入力すべし」という結論にたどり着いた。腹立たしい答えだったが、このアプリを入力した途端、ウソのように問題が解決した。


17/08/15(No.899)

▼ここ長崎では、あちこちで「平和学習」が行われる。修学旅行生が「平和学習」を積んで帰っていく。8月6日の広島原爆、8月9日の長崎原爆の歴史を学んでいく。あえて、もう一つ加えるなら、終戦記念日と重なる「聖母被昇天」の祭日を通して、平和について考えてもらえたらと思う。
▼説教にも触れたが、マリアは神のなさり方を「世の人々があこがれる者」を通り過ぎて、「取るに足らない者」のもとにおいでになる方ととらえた。平和を求める人々も、実は「世のあこがれる者」ではなく、「取るに足らない者」の立場に立つ人々ではないだろうか。
▼脚光を浴びている人々は、競争に打ち勝ち、多くの人や物の犠牲の上に立ち、今がある人々だと思う。そうした人々がいくら「平和な世界」と声を上げても、何か違うように感じる。平和は政治が作り出すものではないと思うし、力で築き上げるものでもないと思う。危うい緊張関係の上に成り立っている平和は、果たして安らぎと憩いを与えてくれるだろうか。
▼12日(土)朝ミサの前に、「病者の塗油を授けてほしい」と願いに来たおじいちゃんがいた。あとで聞くと、単に重い病気で不安を感じているだけではないそうだが、わたしはこのおじいちゃんを見ていて「神は低いとされている者、取るに足らない者のところへおいでになるのだ」とあらためて思った。
▼低くされている人を高く上げる神がわたしたちの信じる神であれば、わたしたちは何度も自分の姿勢を見つめなおし、謙虚さを忘れてはいけないと思う。責任とか、権限とかを預けられているうちに、知らず知らず「思い上がる者」「権力ある者」の立場に立ってしまう。そうなると神はわたしたちの脇を通り過ぎる。声をかけようとした人が自分の脇を通り過ぎていった経験のあるわたしにとって、それはあまりにもつらい場面である。


17/08/20(No.900)

▼暑さで頭が回らなかったか、それとも広島カープが立て続けに負けて血が上っていたか。録音ファイルに張り付けていたリンクが一か月前のままになっていた。ちょっとURLの間違いに気づく人なら自分で文字を書き換えて対応できたと思うが、大変申し訳なかった。
▼こう話してもわからない人のために。メルマガに、説教の録音を聞くためにクリックをうながす行があるはずだ。だがその行がうながす先が、7月19日のままになって配信され続けていたのである。
▼クリックする前に7月19日の部分を該当する日曜日に修正してクリックすれば実際には聞くことができたのだが、なかなかそこまで気づく人はいない。その点は申し訳なかったと思う。
▼ファイルリネームソフト。さまざまあると思うが、わたしは「お〜瑠璃ね〜む」というソフトを使っている。洒落の効いた名前が気に入っている。それはそうと、このソフトの思いがけない利用法を見つけた。
▼このソフトの「ファイル」の項目を見ると、「リストをCSV形式で保存」に関連した操作メニューが見つかる。すでにお分かりの方もいると思うが、ファイル名をリスト形式のテキストファイルでとることができたら、どんなにありがたいかと思っている人はいるに違いない。
▼少なくともわたしは、この操作ができるソフトを別に探したくらいだから、とても重宝している。膨大なファイルがパソコンに保存されていて、中には「どんな名前で保存したか」それすら思い出せないものもあるだろう。
▼探そうとしてパソコンの中をくまなく探すのも一苦労である。ときどきこの機能を利用してリストを作成しておけば、探すのも楽だし、不要なものを見つけて削除するときにも力を発揮するはずだ。
▼熱く語ったが、聖母被昇天を終えての話にしては、信心深くない話になってしまった。


17/08/27(No.901)

▼あー気が付いたら901号になっていた。900号もあと少し、と言っていた時には明確に意識していたのに、いざとなったら単なる通過点だった。次の区切りは1000号。あと2年くらいある。1000号はさすがに盛り上げて迎えたいものだ。
▼最近体の老化を実感することが多々ある。物を取り損ねて落とす。パソコンのキーボード入力で思うように指が動かない。連続したキーボード動作(半角72文字で改行し、メルマガ配信のための体裁に整える作業。100回くらい改行を入れる)。
▼メルマガ配信のための連続したキーボード操作は、機械的な作業なので、頭と手先の操作との連動が重要だ。半角72文字で改行。改行すると先頭にカーソルが移動するので「←キー」を押してカーソルを半角72文字の場所に戻す。
▼また改行。また戻す。場合によって半角74文字の場所が句読点ということがあるのでその場合は半角72文字ではなく74文字で改行。また72文字の場所に戻って改行。この一連の動作は3年前4年前は機械的に指先を動かせたのだが、今は作業速度を上げようとすると失敗する。
▼「改行・半角72文字の場所に戻る」の繰り返しなのに、速度を上げようとすると戻す動作が追い付かず、「改行さらに改行」となったりする。すると自分のミスに苛立ち、血圧が上がる。
▼この頃は速度を少し落とし、その分を頭の回転で補っている。頭を使わなくてよかった部分で頭を使うようになったので、メルマガ配信が終わると疲れてしまい、机にうつぶせになるか、畳に大の字になる。しばらく動けない。この繰り返し。
▼速度を落とさざるを得ないもどかしさ。これが老化との付き合いなのか。自分の現状と向き合いながら、これからまた1000号、その先の号へと進んでいく。


17/09/03(No.902)

▼上五島を子供たちはとても喜んでくれた。2泊3日で平日に侍者と先唱をしてくれる小中学生と巡礼した。教会をいくつも巡って、海水浴と花火のおまけつきだったが、中には「五島に住みたい」という子供すらいた。
▼もちろん、2泊3日なら楽しくて、住み続けるとなると気持ちも変わるかもしれないが、それでも上五島を高く評価してくれたのは、灯台下暗し、上五島で生まれ育った自分にとっては思いがけないことだった。
▼いくつか、上五島の教会と田平教会との違いにも気付いたと思うから、これからの生活で上五島で得た収穫を活かしてくれたらと思う。お世話になった鯛之浦教会は、田平教会の平日のミサよりもミサ参加数が多かったから、どうやったら今後田平教会の平日のミサ参加者が増えるだろうか、考えてくれたらうれしい。
▼上五島ならではのことだが、狭い中ですべてのことが完結するようになっている。本土の人たちは自分たちの生活圏内で足りないものがあれば車で足を延ばして用事を済ませることができる。五島の人たちはそれができないので、ひとまずすべてのものが五島の中にある。
▼あるいは、自分たちの生活県内ですべてが賄えるようになる工夫とか、そういうことにも思いが及べば、上五島を体験したことが地域の発展にも繋がるかもしれない。いろんな可能性に道を開く体験が詰まっていたから、うまく活用してほしいものだ。
▼11月にはもう一度鯛之浦教会にお邪魔することにしている。あと二ヵ月だが、何を話すか、今から考える必要がある。少なくともわたしの後輩司祭は鯛之浦教会に存在しない。それを考えると何か残る話をしてあげたいと思う。



17/09/10(No.903)

▼辛抱が足りなくなってきているかもしれない。若い頃は短気を起こして迷惑をかけることがあったが、50歳を過ぎて短気を起こすと血圧が上がるとか何とか、そんなことを本気で思うようになって短気を起こすことはめったになくなっていた。
▼ここ最近で二度、やかんが沸騰した。一度は召命フェスティバルの時に、帰り際に田平教会の子供たちの集合写真を撮って帰ろうとしていた。ほとんどの子供がさっと集まって写真撮影に協力してくれたが、一人ノロノロと近づいてくる。周りは会場の後片付けをしていて、わたしたちが居残っているのが申し訳ない雰囲気になっている。
▼早く集合写真を撮影して、迷惑をかけている状況を脱したい。わたしは焦っていた。それなのにその一人の子は遠くから、ゆっくり歩いてくる。二度ほど、「写真を撮るからおいで」と促したのに聞こうとしない。そこでしびれを切らして「早く!」と怒鳴ってしまった。
▼今一度は、評議会の時である。自分に任せられた務めの大変さをいろいろ並べている評議員がいて、そのうちの一つの務めは、わたしが所有している道具を貸してあげれば何の問題もない用件だった。「わたしのところに○○○○があるよ。それを使えば問題ないでしょ。」
▼しかしその人はその後も大変な作業をして務めを果たしていると説明する。わたしは面倒くさくなって、「さっきも言った通り、○○○○を貸すと言ってるじゃない!」明らかにわたしは自制心を欠いて、イライラしていた。そのあとの返事がまた引っかかった。「本当に貸してもらえると思ってなかったもので。」
▼どうも、うまく伝わらない。道具があるといった本人が「でも貸さないよ」と言うだろうか。貸すに決まっているのに「本当に貸してくれるのですか」と言われ、そのあとは腹を立てたまま会議の席に座っていた。二度にわたり、辛抱が足りなくなってきていると感じる場面だった。当然、自分に何かを言い聞かせる必要があると感じている。


17/09/17(No.904)

▼説教を準備するとき、パソコンに向かって準備を進めるわけだが、勉強部屋にはテレビも置かれていて、木曜日は本当に説教準備の難しい日だった。なにせ広島カープがマジック2でこの日を迎え、マジック対象チームの阪神は巨人が相手、しかも菅野が先発になっていた。
▼これはほぼほぼ、「広島勝利」「阪神負け」で優勝決定、という願ってもない状況に見えた。だからテレビを背に、ほんの少し音声が聞こえるようにして、説教を書き続けていたが、一球ごとに声援が地鳴りのように聞こえて、背中のテレビを振り向いては勇気を振り絞ってパソコンに向き直る、その連続だった。
▼説教原稿もほぼ見通しがついて(適当に終わってではない)、ようやくパソコンの電源を落とし、テレビを見る。息詰まる試合展開、3対3の同点になった時は「18日に甲子園球場に行く予定だから、負けてもいいか」と本気で思っていた。
▼その後、広島の助っ人外国人がホームランで4対3と逆転する。そうなると安定したリリーフ陣と抑えがいるから、「仕方がない。ナマで優勝を観ることができないけれども、テレビを見ながら祝杯をあげるか」気持ちは固まりつつあった。
▼ところがまた同点。引き分けでは困る。負けてもいいよ、と思ったところ、またもや助っ人外国人が勝ち越しの犠牲フライ。試合も抑えがピシャリ締めて、あとは阪神に負けてもらえば・・・ところが30分以上待った結果は引き分けだった。
▼優勝は土曜日以降になる。ただし、台風の影響で17日(日)は試合が中止になる可能性が高い。もはや、土曜日の優勝ではなく、敬老の日(月)に、肉眼で優勝を見届けたい気持ちが高まってきた。阪神。かかってこいや。



17/04/24(No.905)

▼危うく小教区報に穴を開けるところだった。田平小教区は月末の日曜日に小教区報を発行しているが、今月は24日が最終日曜日である。わたしはもう一度日曜日があるくらいに考えてのんびりしていたがよく考えると来週は10月1日が日曜日ではないか。
▼あわてて原稿作成に取り組む。主任司祭が用意するものは3つ。1つは主任司祭に割り当てられている毎月1頁のお話。1つは人物の動静。1つは主任司祭の来月の行動予定。分量としては1頁の話がいちばん多いが、作業としてはいちばん楽かもしれない。
▼むしろ人物の動静と、来月の日程表の提出が大変だったりする。来月の日程などはいつも「来月の分は早めに準備しておこう」と思うのだが、結局ギリギリになって予定を埋めていく。そうして、3つの責任が重なって重荷になる。
▼まあ、それでも仕事をしているのは楽しいものだ。今週の「ぶどう園の労働者」のたとえでも、主人が雇い人に最後まで仕事を与えるのは、人が労働をすることで人間らしさを回復することを知っているからである。毎日、時を無為に過ごせば、いつか人間としての誇りも失ってしまう。
▼それでも、同じ仕事をいつまで同じようにできるか、心配になることは多い。キーボード入力しているこの両手も、いつまで正常に動いてくれるかわからないし、声もいつまで失わずにいられるか分かったものではない。人間はいつまでも期待するが、それは期待しすぎである。
▼今週も、何とか説教も仕上がったし、締め切りの迫った小教区報の原稿も整った。大きな仕事としては、百周年記念誌の原稿が気がかりだ。無事に原稿が集まり、日の目を見ることを切に願っている。



17/10/01(No.906)

▼司祭団ソフトボール大会。第一試合は長崎(あ)チーム対五島チーム。互いに打ち合いで5対5の引き分け。第二試合、五島チーム対佐世保・平戸チーム。互いに打線に活気がなく、1対0で最終回に引き分けに。
▼この試合で佐世保・平戸チームの6番ライトで先発したが、捉えたと思った当たりはセンターフライ。あとひと伸びがないのは風のせいと言いたいが、力がない証拠。この試合でまずM・T神父に痛烈な二塁打を浴びる。明らかに狙われている。
▼第三試合は午後いちの試合。長崎(い)チーム対佐世保・平戸チーム。この試合は相手チームの打線が活発で、いいところに球が落ちた。その上にまたわたしの守備のライトを狙い打たれ、F・T神父のポテンヒットと二塁打、仕上げは浦上のK・Y神父に痛烈な二塁打を打たれた。K・Yとはよく言ったものだ。出身教会は田平教会なのだから、ちょっと遠慮してくれよ〜。
▼バッティングは当たってはいるのだが、最後の伸びがない。この試合でも捉えた、と思った球が外野を越えなかった。もはや力任せにバットを振っても、チームには貢献できないのだろうか。
▼そんな中、R・Y神父だけは、ホームランラインが何メートルだろうが、それをはるかに越えてホームランをかっ飛ばした。しかも一人で二本である。彼の打球はたとえたら大谷選手の打球である。あっけにとられた。


17/10/08(No.907)

▼記録は嘘をつかない。Facebookの関連アプリであるMessenngerに、Mさんとの会話が残っている。(中田)「ところで、今年もクライマックスシリーズ応援に行きたいです。今年は特に、銀祝なので思い出になります」
▼(M)「こんにちは。CSですが、全力で取りたいと思っています。取れたら、ぜひ一緒に応援しましょう」(M)「こんにちは。CSのチケットが確保できました。19日ですが、一緒に応援しませんか?」
▼(中田)「この日会議です。ずらせないか相談してからあらためて返事します。三連勝で日本シリーズに駆け上がりたいですね」(M)「決まり次第連絡ください。また一緒に応援したいですね。」
▼(中田)「参加でお願いしいます。司教様はお会いできるでしょうか」(M)「司教様も行かれます。神父様の司教館宿泊も確保しています」以上。この文面からすると、わたしがけしかけたのだったかもしれない。



17/10/15(No.908)

▼あとで聞いた話だが、やはり役割分担というのはあるようで、「校長先生」がおおらかな人であれば、「副校長」は厳しい人と組み合わせて釣り合いが保たれる。阿野神父様は当時の濱崎渡校長がおおらかな人だったので、あえて厳しい役回りを引き受けたのだろう。
▼阿野神父様の居室は1階だった。濱崎校長が2階だったので、そうなるのだと思うが、阿野師が1階にいることで反抗期真っ盛りの神学生にとってはかなり抑制効果があったのだと思う。たとえば規則違反をしようにも、神学校の外に出かけるには1階を通らなければならない。
▼もちろん、わたしたちの時代には豪傑もいて、二階のチャペル脇のドアから夜に無断で外出し、ゲームセンター(?)に行く先輩もいた。何も知らず、中学1年の時に「休憩時間に敷地の外に飛んで行ったサッカーボールを取りに行ってくる」と言われ、無断外出の手引きをしたこともあった。
▼晩年、上五島地区でご一緒した時、「さすが」と唸ったことがあった。地区の神父様たちで中学生の要理テキストの話題になり、どういったテキストを使っているかという話になった。わたしはある先輩のプリント教材を借用していたが、阿野師は「YOUCAT」を使っていると事も無げに答えたのである。
▼「YOUCAT」とは、「Catechism for Youth」という意味で、新たにローマから出された若者向けの要理書だった。当然、新しい教科書は予習復習が必要である。それが面倒で、昔から慣れたものを使い回している自分は、恥ずかしい思いだった。
▼小神学校時代に英語を教えてくれたのを思い出す。発音がアメリカ英語だったかどうかは定かではないが、懐かしい思い出だ。ギラギラ反射するメガネは、ちびまる子ちゃんで登場する学校の先生みたいで、上五島に赴任した時も変わらないメガネだったので思わず笑ってしまった。



17/10/22(No.909)

▼小神学生時代にお世話になった神父様を見送った。通夜、葬儀ミサを終えて長崎教区の聖職者が眠る赤城墓地まで行き、納骨を見届けた。いずれはわたしも眠る予定の場所である。広いとは言えない地下の納骨堂。できれば太陽の降り注ぐ場所に眠りたいが、死んだ後には言われたとおりに納骨されるしかない。
▼年齢を重ねた先輩は、「いずれは・・・」とは思っていないのか、「すぐそちらに行くから」そんな感じで遺影や遺骨に声をかけている司祭もいた。我々とは覚悟が違う。まだ死を身近なものとは思えない我々には、たどり着けない境地だ。
▼11月5日、鯛之浦教会でお世話になる時の説教と、11月12日、生月「黒瀬の辻」殉教祭ミサでの説教が出来上がった。誰と比較することもせず、わたしなりに区切りの説教としたつもりだ。この25周年が終わると、次に目立つのは50周年。まぁ、存在していればの話だ。そして最後は、前述した先輩司祭のように死んだ時だ。
▼マカオ。有りだな、と思った。海外は基本的に物価が安いから、同じ資金で日本以上のゆとり生活ができるのかもしれない。引退してからは、誰かに義理立てて働く必要もないはず。自分が納得できる生活ができる国を選ぶのも有りかもしれない。
▼そう言えば、最後の語学の勉強として、韓国語を勉強しているのだから、韓国で余生を暮らすというのも考えられる。いくら何でも引退するころには一通り話せるようになっているだろう。身についている予定の言語によっては、海外移住も有りなのかも。


17/10/29(No.910)

▼2週連続で台風が週末にやって来た。心配で船を見に行ったが、「台風のコースが東寄りなので、思ったよりは大丈夫だよ」と、お隣さんの漁師さんに声をかけてもらった。ただ、長く乗船していなかったツケが。
▼利用している船は「船内船外機」というタイプなのだが、プロペラ部分(いわゆる船外機)がチルトダウン(ボタン操作で海中に降ろす)できなくなっていた(泣)牡蠣がいっぱいついていたのでそのせいかと思ったが、結論から言うと違っていた。
▼不安材料が2つあったので、思い切ってエンジンを扱える人を紹介してもらった。オーバーヒートの問題、船外機部分のチルト操作の問題。すぐに機械屋さんが来てくれた。紹介してくれた教会の信徒もいっしょに見てくれて、診断と、これからの対処法を説明してもらった。
▼どうやら、処置を施せばまた海に出ることができるらしい。ありがたいことだ。また海の男になって、広い海原で次の一手を考える。そうして港に戻った時は新たなアイディアを引っ提げてみんなの舵取りができればと思っている。
▼診断とは別のこともその場で話題となった。船は停泊しているだけでは牡蠣がこびりつき、船は水の抵抗を受けて前に進みづらくなる。半年に一度とか、船を陸揚げして船底を洗い、ペンキを塗りなおす必要がある。この船は2年もその作業を怠っていて、「そんな船で海に出てるって?」と笑われた。



17/11/05(No.911)

▼メチャメチャうれしい出来事があった。お父さんたちの月例の集まり「木曜会」で、前日に行われた葬儀ミサについて感想を述べている場面での一コマ。この葬儀で送られていくおじいちゃんの孫にあたる若い司祭がわたしと一緒に葬儀ミサをささげてくださり、説教と告別式を引き受けてくれていた。
▼木曜会の参加者たちが「初めて見る参列者の数だった」とか「盛大な葬儀だった」という声のほかに、「孫にあたる2年目の神父さんに比べ、主任司祭は落ち着きも風格も違ったね。」「そりゃそうだろうよ。25年も司祭の務めを果たしてきたわけだから。」涙が出るほど嬉しいじゃありませんか。
▼やはり司祭を育てるのは信徒だとつくづく思った。このお父さんたちに納得してもらうような説教をするところまで来るのに、25年も育ててもらっていたわけだ。加えて言えば、「褒めて育てよ」ということか。
▼25年前のことを思い出す。主任司祭の説教は易しい言葉しか使われていない説教で、「簡単な説教をするなぁ」と思っていたが、あの易しい言葉に説教を落とし込むためには、長い経験に裏打ちされていなければならなかったのだと。
▼一生懸命説教しても、届いているのはごくわずかだ。力の抜けた、見た目には雑談でもしているような話し方の説教でなければ、信徒の心の底まで落ちていくことはないのだと25年たってみてつくづく思うのである。



17/11/12(No.912)

▼非常に意義深い上五島巡礼だった。鉄川與助の建てた教会を巡る旅でもあった。七ヶ月に迫った献堂百周年記念をどのように迎えればよいかという学びでもあった。人の温かさや人間関係を大切にする学びの日々でもあった。さまざまな学びを得て帰った。
▼いろんな百周年(小教区設立、献堂)を迎えた教会に、これから連絡を取って、何か参考になるものがあれば取り入れたいと思う。規模で言えば、青砂ヶ浦教会の(献堂?)百周年が参考になるだろう。
▼お世話になった旅館が、教会巡りのためにマイクロバスを出してくれた。付きっきりで面倒を見てくれた。お金を払ってレンタカーを考えていたけれども、「水くさいぞ」と親戚でもある旅館の経営者が車の提供と案内をかって出てくれた。つながりは大切だ。
▼メインイベントの銀祝ミサでは、とんでもないハプニングが起こった。いつもこうして原稿は出来上がっているわけだが、今回ミサの直前に説教のプリントを確認したら、三分の二くらいのところで「続きはあとで書く」と書かれたまま中断しているプリントだった。
▼真っ青になった。おそらく二ヶ月前に準備し始めたので、その時に書きかけたままの説教を完成原稿と思い込んで持って行ったのだろう。身の回りに何かないかと思ったら、すでにブログも出していたので、iPhoneを見ながら説教は何とかこなした。
▼それ以前に目の前が真っ暗になったのは、ICレコーダーを準備してなかったことだ。このメルマガと同時に、録音説教(ミサ全体を含む)もアップするのだが、今回は何も録音できなかった。
▼よく考えれば、iPhoneもあったし、誰かのレコーダーを借りることは不可能ではなかったと思うが、前晩に訪ねた教会の神父様にはお願いするのを忘れたし、当日は説教原稿がなかったのでiPhoneは塞がってしまった。
▼実を言うと、タブレット端末があったので、録音をしたつもりで銀祝ミサはささげたのだが、使用したアプリの制約で、録音時間は最大5分だったようだ。歌の練習のころに録音が始まり、ミサの開祭のころには録音は終わっていた。あとで確認して、笑うしかなかった。


17/11/19(No.913)

▼初めての助任としてお仕えした川添神父様が85歳で亡くなった。11月17日は長崎教区が発行する来年度からの祝日表に川添神父様の命日が掲載されることになる。まさかこんなに早く、お仕えした主任神父様を失うとは思わなかった。
▼すでに二度目にお仕えした神父様は亡くなっているので、まったく予想しなかったと言えばうそになるが、誰でも親には長生きしてほしいのと同じで、川添神父様には90歳になっても生きてくれるものだと勝手に思っていた。
▼たくさんの思い出がある。川添神父様は俳号を持つ俳句の先生だったので、ゴマするために俳句(のようなもの)を応募して点数稼ぎをした。あまり筋も良くなかった句を、「船ゆるる・四月末日・初赴任」と整えてもらった。生涯でただ一つ作って、それを整えてもらった中田神父の俳句である。
▼「毒にも薬にもならないことはするな。」これが川添神父様の口癖だった。薬になることはわかるが、「毒」になるほうは、二度と失敗しないための戒めだったのだろう。今でもわたしがアイディアを練る時の基本姿勢である。
▼「うっ!この食材は傷んでる。新司祭は食べないほうがいい。」何度かこう言われて遠慮した食材は、結局わたしが知らないだけで実はグルメも唸る高級食材だったりした。何度か食べ損ねて悔しい思いをした。今はわたしが「うっ!」と言っては賄さんをおどかしている。
▼「おい」何年かはこの呼び方だった。「中田神父様」と呼ばれるようになった時、本当にうれしかった。それはある意味主任神父様のもとを巣立って、助任司祭から主任司祭になっていく日が近づいているからだった。名前で呼ばれるようになって巣立っていった先輩助任神父様たちは、今はそれぞれ川添神父様自慢の主任司祭である。



17/11/26(No.914)

▼人と出会うということは、長く付き合うこともあるということでもある。長く付き合うことになるとは思わなかった人と、長く長く付き合うことは不思議な縁、不思議な摂理ではないだろうか。浦上時代から長くかかわってくださっている大恩人がいるが、今回は違う恩人のことをそっと触れてみる。
▼その人は意外なことに信仰の面ではあまり付き合いはない。と言ってもミサを依頼されたりは普通にあるわけだが、信仰の面で手を差し伸べたり教えられたりというかかわりではなかった。なにしろわたしもびっくりする信心深い人で、わたしが何かアドバイスするような人ではなかったからだ。
▼だからわたしも、信仰の面で力になれることはないのかなと思っていた。ところがチャンスが回ってきたので、ここでお世話してあげなければいつ力になれるか?と考えている。わたしたちは長い付き合いの中で、誰にも言えないことを司祭に打ち明けてもらったりする。
▼家族にも言えないことすら、司祭は知る立場にある。そういう場所に立たせてもらっていることを神に感謝したい。わたしの社会的な力などたかが知れている。だが信仰面では、かかわった人を救うお手伝いすらできる。
▼このすばらしさをどうやったら子供たちに伝えられるのか。子供たちの中に興味を示してくれる人がいれば、喜んでずっと支えてあげたいのに。



17/12/03(No.915)

▼どんなに恵まれているのだろうか。親子旅行の話をわがことのように思ってくれて、志をいただいた。ふだんから返せないほど恩を受けているが、いかに恵まれた環境に置いてもらっていることかと感謝の気持ちがあふれてきた。
▼「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」(使徒言行録3章6節)今の気持ちはそんな感じか。わたしは志をいただいて、この世の何かではお返しできないので、恩人のために祈りをささげる。祭壇の上で、教会の祈りの中で、もがきながら説教を用意することで。
▼最近パソコンの調子がひどい。ワードで作成した文書をクリックして開こうにも、忘れたころにならないと開いてくれない。じれったくなってもう一度クリックすると「すでに開こうとしています。さらに開きますか?」みたいなことを尋ねてくる。実際には最初にクリックした時点での文書も開ききってないのに、である。
▼昔はこんな時、「メモリの解放」とか、「背後で動作しているソフトを終了させる」など、分かりやすい対策があってそれで改善されたことが実感できた。今のOSは簡単にいじれない。ブラックボックス化されていて、小細工ができない。
▼それではと、パソコンを立ち上げずにiPadだけで仕事を続けるぞと宣言しても、これも三日坊主。残念ながらiPadオンリーでの司祭の働きは難しい。ホームページビルダーとか、それを補って余りあるものがあれば別だが、そうはいかない。
▼いよいよメインのパソコンはガラクタとなりつつある。2年しか働いていないのに!わたしにも原因がないわけではない。最初にパソコンの性能をケチったから。その時点での高性能パソコンを買わないと、向こう6年間の仕事には耐えられないことを身をもって知った。今度は予算に糸目をつけず、高性能パソコンを使い倒してやる。


17/12/10(No.916)

▼人生一寸先は闇。「闇」を使わずに同じたとえがあればと思うがわたしは知らない。95歳のおじいちゃんの葬式は感覚的に分かる。だが二日後に行われた50歳のお父さんの葬式は理解に苦しむ。わたしよりも年下の人が、なぜ送られていかなければならないのか。
▼12月3日にその電話は入った。Yさんの病者の塗油に来てほしい。出向いてみると、心筋梗塞だったようですでに心臓は止まって、お身体を拭いてあげる段階だった。病院側に説明し、少し時間をもらって病者の塗油を授ける。まだ温かい。
▼家族は先生の説明を聞いている。とても声をかける状況ではなく、その場を離れた。教会のために今後どんな働きをしてくれるだろうかと楽しみだっただけに、残念である。わたしは通夜で、「わたしに面と向かって物言う数少ない人でした。もう一度起き上がって、あれこれ忠告してほしいです」と言った。これがわたしからの弔辞のようなものだ。
▼子供さんはまっすぐに育ったいい子たちだ。この子供たちの成長を近くで見ることができないのだ。わたしは亡くなったお父さんとほぼ同じ歳だから、できるだけ見守って声をかけてあげたい。可能なら、今後の夢をかなえるために力を貸してあげたい。
▼じつはその三日前に、一人のおじいちゃんの病者の塗油を授けている。今必死に一寸先を生き続けている。授けてなかった人が先に旅立った。わたしもまた、一寸先はわからないのだと肝に銘じたい。



17/12/17(No.917)

▼このメルマガが発行される頃には旅行からの帰りか。ブログなどの兼ね合いもあるので詳しくは言えないが、母親の希望にできるだけ沿った旅行日程を組んだ。だが返す返すも、12月に旅行したのは失敗だったと悔やんでいる。
▼平戸市田平町でさえ、日中の気温が7度、旅行先はおおよそ10度低いのだから、想像したくなくなるというものだ。最悪外回りはやめて、建物の中での見物と体験に切り替える場合も起こりうる。風邪ひいたり、しもやけになったり、高齢者となった母親だから心配はきりがない。
▼おそらく珍道中になるのだろう。わたしが旅行を組むと、必ず何かが起こって予定の変更が起こる。まぁ旅はそういうものなのだろうが、旅行はもう懲り懲りということにならないでほしいと願うばかりだ。
▼旅行ガイドを何度も読み返している。同じことをするにしても時間が経過すれば前回と同じというわけにはいかない。ハプニングも楽しみながら、母親のガイドを務めることにする。子供を旅行に連れて行くとき、親はいろんなことを想定したり準備したりするのだろうなぁ。
▼最後の荷造りに、タブレットを入れることにした。写真整理と、ブログ・Facebookの更新のためだ。日中は旅先の日程を優先して更新は難しいと思うが、夕食後にはぜひ何かしらの更新をしたいと思っている。果たして現地気温マイナスの雰囲気が伝わるだろうか。


17/12/24(No.918)

▼巡回教会もない小教区で早1年半が過ぎた。振り返ると巡回教会がないのだからゆったり時間が過ぎるのかと思ったが、忙しい忙しい。何かかにか思い付いて、その実現のために走ってきた。仕事があるのは幸せとは言え、たまに海の上でぼーっとしたいものだ。
▼船には足が遠のいているが、今年は都合3回旅行ができた。イスラエルを学ぶ巡礼、韓国視察、韓国親子旅行。その間ありがたいことに緊急事態も発生せず、いったんいろんなことを横に置くことができた。田平教会の皆さんに感謝である。
▼年末年始にかけて、2018年をスムーズに迎える準備が必要になる。メルマガの型紙も一年分(せめて半年分)用意したいし、小教区報、マリア文庫、2月までの詩編を使った聖書愛読のための週ごとの解説、早めにと思うなら息つく暇もないほどだ。
▼新しい夢も出てきた。教会に隣接する土地を、教会のために使ってほしいと寄進してくれそうな流れになっている。そこが教会の土地になるなら、祈りの公園を設置したい。十字架の道行きの各留(station)を設置して、公園を歩きながら祈れたら素晴らしい。
▼たぶんそのためには、もはや個人的な趣味は断念せざるを得ないかもしれない。資金も必要だろうし、時間も投入しなければなるまい。わたしのいるうちに、と考えればいつまでも時間があるわけでもない。年が明けたら少し考えを整理したい。
▼黙想会の説教師のことが12月からちらちら頭に浮かんでは消えている。「この人に」という思いはあるのだが、果たして引き受けてくれるだろうか。とても二つ返事で引き受けてくれそうには見えない。こういう時は菓子折りか。その司祭がいちばん喜ぶものをわたしは知っている。


17/12/25(No.919)

▼仕事が山積みで、ホームページの更新がままならない。17日のデータ更新を21日の夜にした。こんなことでは楽しみにしている皆さんの足を引っ張ることになる。本当に影武者か、クローンがいたらと思うくらいだ。
▼ただ、仕事は思い通りにいっている。こんなに仕事が進んだ赴任地もないだろう。経験と、主任司祭についてきてくれる人の力がかみ合って、結果を伴うのが楽しいとさえ感じる。ここまで日々を楽しめる時代はそうはないだろう。
▼もちろん、腹立たしいことはある。だがそんなことは、どこに行っても、どこにいてもある。だから気にしない。前に進む喜びがあるので、その他の痛みは通過すれば終わる話だ。今前進する力は2018年5月13日の献堂百周年。聖堂内に垂れ幕が用意される。わたしたちの決意の表れだ。
▼ところで、田平教会の敷地に隣接する土地について、主任司祭には活用するアイディアがある。まだ決定ではないが、わたしが赴任している期間内に、動き出すつもりでいる。十字架の道行きのコースを作れたらと思っている。
▼それとの関連だが、賄さんのTさんと、話を増幅させて夢を語った。「祈りの公園の構想があって、完成したらそこで十字架の道行きをしたいと思っている」「そうですか。それは楽しみです」「実物を使って、十字架の道行きをすることで、『こけら落とし』といこうかな」
▼これには困惑の様子だったが、構わず続ける。「イエス役がいて、裁判を受けて鞭打たれて、十字架担いでいって、丘の上で磔になる」「え!!イエスさまは主任神父さまでしょうけど、鞭打ったり、代わりに十字架を担いだり、ベロニカが布を差し出したり、一緒に十字架に磔にされる人だったり、いろいろ必要ですよ」
▼「大丈夫。だいたいの配役は決まっている。まずベロニカは賄さんだ」「あははは!」「イエスを鞭打つのはMさんだ」「なるほど」「右と左に磔にされるのは・・・」「磔にされるのは?」「その人は・・・」「その人は?」
▼「左はKで決まりだろう」「では回心する右の罪人は?」「それが問題よ。Tはどうだ?」「いいんじゃないですか〜」あくまで適当にイニシャルを作ったので、実在する人を探さないように。


17/12/25(No.920)

▼最近自分のことを「わたしの長男と同じ年ですね」などと比較する話を耳にする。つまり自分の母親と同じくらいの年齢のご婦人の話だ。この手のご婦人を味方につけることには大いにメリットがある。その人の長男と同じ目線で、わたしの味方をしてくれるからだ。
▼わたしもそうしたご婦人に「お母さん」と平気で言う。すると貴重な意見を引き出すことができる。明らかにわたしのほうからは「お父さん」「お母さん」と呼びかけて甘えているわけだ。相手は「お父さん」「お母さん」と言われて悪い気はしないはずだ。
▼わたしの両親よりもちょっと若い人の場合は、さすがに「お兄さん」「お姉さん」とは言わないが、うまく付き合える年齢になってきた。年齢が50歳を過ぎるというのは、一概に悪いことばかりでもない。
▼ある時期は、道路に表示されている「50(速度表示)」が腹立たしかった。「言われなくても50はわかっている」そんな気持ちにさせられていた。今は50という数字に特に反応しなくなった。傲慢と言われそうだが、50歳だという意識はあまりない。
▼50代になると、案外見た目や内面の年齢は努力によって衰えを防ぐことができるもののようだ。今でもナイターソフトでは「あいつは足が速いから要注意ね」と必ずマークされている。50歳にはとても見えない足の速さだということだ。非常に気持ちがいい。
▼一方で、変えられない現実もある。新幹線の予約をネットで押さえたとき、50歳以上の割引があって、早割よりも安いことに気づいた。腹立たしかったが、50歳以上の「おとなび割り」の料金でチケットを押さえた。そういうことにはあっさり従うのである。


17/12/31(No.921)

▼田平教会には敷地の一角に「案内所」がある。平戸市の観光課だったか、あるいは観光協会だかが建てたものだ。「田平教会のガイド」を通じて平戸市内の観光につながるようにサポートするのが業務だと理解している(正確ではないかもしれない)。
▼田平教会を訪ねる人は案内所に一声かける決まりになっている。事前に申し込んだり、その場で申し出たりして、案内所職員が来訪者の統計を取る。どこから来たのか、何人なのか、男女の構成比など。月ごとの統計から、一年で何人訪問したかもわかる。おおよそ6万人が田平教会を訪れる。
▼もちろん一般の来訪者もあり、お祈りに来るカトリック信者もいる。韓国からの巡礼団や、国内のカトリック以外のキリスト者もちらほら見える。中には特定の宗教団体のグループがおいでになって、志を置いていったりもする。6万人も来訪する教会に赴任するとは思ってもみなかった。
▼ほとんどは案内所の職員が丁寧に応対して教会を拝観し(あるいはお祈りし)、また帰っていく。韓国巡礼団も同じだが、たまに、主任司祭を訪ねてくる韓国巡礼団もいる。ほとんど英語でしか話さないが、たまに巡礼団に同行する司祭と、通訳を交えて話すこともあり、「チョットだけ」韓国語を披露することがある。
▼巡礼団の司祭と会話するお決まりの韓国語はこうだ。「イルボネソ・ミサガ・チョウミエヨ?」(日本で・ミサは・初めてですか?)返事は「ネー(はい)」か「アニヨ(いいえ)」となる。いずれの返事でも、韓国語が通じた証拠になる。
▼広島だったか、大分だったかで働いたことのあるある韓国人司祭がこう言った。「神父さんが韓国語をあれこれ話すよりも、韓国語で巡礼の信者さんを祝福したりしてくれたほうが喜ぶと思います。」なるほどそうかもしれないと思った。そこで、「日本でのミサは初めてですか?」と、天候の挨拶などのありきたりの内容ではないことを尋ねるようにしたわけだ。
▼勉強も毎日しないので三歩進んで二歩下がり、会話も遅々としてはかどらないが、この一年、韓国語はわたしに新しい空気を送り込んでくれた。文字は、ずいぶん読み書きできるようになったので、ここにいる間に話が聞き取れるようになれたらと思う。


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