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23/1/1(No.1215)

▼20歳の祝福式をミサの中で実施。この原稿を書いているのは12月31日だが、今や法律上は18歳で新成人となる。だから20歳は「成人式」ではなく、「祝福式」に変更となった。
▼政府の考えでは、18歳から責任ある行動を期待するのだろうが、中田神父は福岡サンパレスでの成人式で「20歳でも責任ある行動に責任が持てない」そんな気さえしている。18歳で本当に責任ある行動を期待できるものなのだろうか。
▼司祭として務め始めたとき、よく主任司祭が「おれが責任持つから、おまえがやってみろ」と背中を押してくれた。今は自分自身が、役員に「おれが責任持つから、おまえがやってみろ」と背中を押す年齢になった。一つのことを20年務めたら、責任ある行動ができるようになるのかも知れない。



23/1/8(No.1216)

▼1月1日、神の母聖マリアの祭日のミサで、リモートに回った人が10人ほどいた。後日談を聞いた。リモート会場に映像がうまく届かず、広いリモート会場を諦めて近い距離の案内所を急遽リモート会場としたそうだ。
▼室内用LANケーブルを屋外ではわせたことが原因だったのか、HDMI端子の問題だったのか、いまだに結論は出ていないが、まだまだ試してみる価値はあると思っている。たとえばWi-FiでHDMI信号を飛ばしてリモート会場で流す。このためにはひとまず機材を買って、実験する必要がある。
▼どの時代にも、「フロントランナー」は先行投資をしてきている。今でこそパソコンは10万円台で買えるが、NECがパソコンを出した頃は40万円を優に超えていた。そのパソコンを買い、誰よりも早く習熟したおかげで今があると思っている。今回のWi-Fi機材も、先行投資と思って買ってみようと思っている。



23/1/15(No.1217)

▼最近、「顔認証」という技術が社会に浸透してきた。スマホも他人に悪用されない技術として「顔認証」を取り入れている機種がある。ノートパソコンにしても然り。現在使用しているノートパソコンは、私が好んだのでもないのに「顔認証」で操作が可能になる。
▼今年の「初釣り」に行ってきた。3時間以上粘って「アラカブ」一匹だけという情けない釣果だったが、気分転換になった。ただ、日差しが思ったより強く、かなり日焼けしてしまった。日焼け止めは一年中必要のようだ。
▼司祭館に戻って、「すごく日焼けした」と賄い奉仕の人に言ったら、「後付けでも、美容液を染みこませたマスクをすると効果があります」と言われたのでその通りにした。この日は先月の会議の議事録をどうしても仕上げなければならず、時間がもったいないのでマスクをしたままノートパソコンを開いた。
▼すると、ノートパソコンが「顔認証」を受け付けてくれない。本人は「何でだよ」と怒っているが、賄い奉仕の人が郵便物を届けに来てその様子を見、腹を抱えて笑っていた。美容液たっぷりのマスクを付けていては、「顔認証」できるはずがない。



23/1/22(No.1218)

▼20歳の祝福式をミサの中で実施。この原稿を書いているのは12月31日だが、今や法律上は18歳で新成人となる。だから20歳は「成人式」ではなく、「祝福式」に変更となった。
▼政府の考えでは、18歳から責任ある行動を期待するのだろうが、中田神父は福岡サンパレスでの成人式で「20歳でも責任ある行動に責任が持てない」そんな気さえしている。18歳で本当に責任ある行動を期待できるものなのだろうか。
▼司祭として務め始めたとき、よく主任司祭が「おれが責任持つから、おまえがやってみろ」と背中を押してくれた。今は自分自身が、役員に「おれが責任持つから、おまえがやってみろ」と背中を押す年齢になった。一つのことを20年務めたら、責任ある行動ができるようになるのかも知れない。



23/1/29(No.1219)

▼「消臭力」の人が、また笑わせてくれた。小包が届いて、「小包です。福島師親子からです。福島神父様のお母さまが昨年10月亡くなられたので、お祈りへの感謝ですかね」と言って持って来た。差出人の住所は熊本県。
▼よくよく見ると、歴史の「史」「親」「子」と書いてあって、ていねいに「ふみこ」とふりがなも振ってあるではありませんか。福島違い、「福島史親子(ふくしまふみこ)」さんからのミサ依頼だった。いつも笑いのネタを提供してくれる。



23/2/5(No.1220)

▼ネジを巻き直すのは時間が経つにつれて難しくなってくる。堅信組の、堅信式前のテストを行ったが、以前であれば「祈りの試験」で祈りが唱えられないと、「この程度の祈りが唱えられなくて堅信を受けるのかい?」という強い口調だったが、「頑張ったんだなぁ」と思ってつい許してあげる気持ちが湧いてくる。
▼筆記試験でも、七つの秘跡の試験箇所の中で「堅信の秘跡」の項目に完成できなかった項目があると、以前であれば「堅信を受けるのに、ほかでもない堅信の秘跡の箇所が完成できないとはどういうことよ?」と言っていたのに、今や「よく頑張ったなぁ」とつい許してしまう。
▼ネジを巻き直すのが難しくなってきているとすれば、何も与えられなくなる危険もある。自分で巻けないネジは、強制的に人に巻いてもらう。それも有りだと思う。



23/2/12(No.1221)

▼長崎新聞のコラムに、LGBTの発言で更迭された総理秘書官のことが取り上げられていて、この秘書官が「総理に申し訳ない」と言ったそうだが、「誰を向いて申し訳ないのか」と厳しく質していた。もっともなことだ。
▼司祭もミサの中で説教する。思い上がった説教や理屈ばかりの説教は「誰を向いて話しているのか」そういうことになる。信徒に向けて話しているなら、上から目線の説教などできるはずがない。信徒の中にいるイエスに向かって説教しているならなおさらである。
▼誰に向かって説教しているのか。誰に、理解を得ようと話しているのか。「誰それ」ではないはずだ。説教はすべて、そこにおられるイエスに向けてである。「わたしはお前の説教を聞くためにここに来た。」



23/2/19(No.1222)

▼大司教様、田平小教区を公式訪問してくださりありがとうございます。大司教様が訪問してくださったことで、田平小教区は勇気を持って目の前の難題に正面から立ち向かうチャンスを頂きました。
▼大司教様が公式訪問する機会は数年に一度なので、次に訪問されるときには今回の課題とすでに取り組んで、新しい課題や目標を見つけていることでしょう。大司教様がともに歩んでくださる姿を見せてくださることで、小教区は安心できます。
▼どうかこれからもお体に気をつけられて、この長崎大司教区を導くイエス様の見えるしるしとなってください。いつも考えていることは、大司教様が取り組んでいきたいことに、長崎教区民は全力で協力する、ということです。



23/2/26(No.1223)

▼葬儀が入った。田平教会では葬儀の後に「七回のミサ」をお願いしてくる。かつては「七日連続のミサ」のことだったが、なかなか一週間ミサに続けて参加できなくなってきているので、「日曜日ごとに、七回」ミサを依頼する形になってきている。
▼ただ、復活の主日や、クリスマス(2022年は日曜日だった)、神の母聖マリアの祭日(2023年1月1日も日曜日)が途中に入ると、一週ずらすことになる。そうすると七週でおささげしているミサも八週かけておささげとなる。
▼亡くなった方のご遺族から七つのミサを依頼される。2月26日から開始したとして、七週目が復活の主日(今年は4月9日)になり、ここは一回休みとなる。すると八週目が4月16日。「間に合った。」



23/3/5(No.1224)

▼数日前、いくつもの教会の子供が私の前に行列をなして並んでいた夢を見た。その子どもたち一人一人の頭をなでながら、夢の中で私は自分自身に声を掛けていた「世話やなぁ。」この夢が何を意味しているのか、2週間後には分かるようになると思う。
▼小教区は教区の財産をある程度委託されている。財産管理について主任司祭・評議会役員は責任があるのだが、中でも主任司祭が「財産管理」に重い責任を持っている。しかし、すべての財産について把握しているのか怪しい。それは中田神父についても当てはまる。もっともっと、主任司祭として、管理責任者として、自覚と成長が必要だ。



23/3/12(No.1225)

▼当然この時期は「人事異動」が気になる。まぁそれでも、発表すべき人たちは発表すべき時に発表するだろう。あちこちで噂が飛び交う。中には人事を公然と予想する人がいて、「◯◯(人名)人事」なるものまで飛び交う。にぎやかな時期である。
▼どちらかと言うと、私は「誰がどこに行くか、どうでも良いではないか」と思っている。ただ、それも単なる異動についてだったら姿勢は変わらないが、「ここは重要な異動だ」となると気にはなる。たとえば、これから五年、十年を占う運命の分岐点になるような人事については、他人事とは思えない。
▼まぁ、それらも含めて大司教様の胸の内だ。神様がいてくださる。そう信じて前を向きたい。



23/3/19(No.1226)

▼いよいよ、この歌を歌うときが来た。それを察したのか、お付き合いのあった教会の方から当時の小教区新聞をスキャンしてもらった。「悟られたのだ」と思った。
▼同じことをしてきた。行く先行く先で「瀬戸の花嫁」を歌った。伊王島・馬込教会のときから「あの鐘を鳴らすのはあなた」も歌うようになった。ここでも歌うだろう。すべては繰り返される。しかし、単純な繰り返しではなく、繰り返すたびに厚みが増し、豊かになってきた。



23/3/26(No.1227)

▼結局こういう形に落ち着いた。太田尾教会の時からだったか、20年以上「聖週間の説教」を紙に印刷して受難の主日に用意していた。あるとき転勤後に前任地を何も告げずに訪ねて、中田神父が作った「聖週間の説教プリント」が置いてあるのを見た。「残った部数が置いたままか。そうなるよなぁ」とつくづく思った。
▼QRコードなら紙を失わない。どうしても紙が必要な人もいる。その人だけプリントして対応しよう。これまでは紙が残っていて届かない人がいたが、これからは無理なく届けられるようになるだろう。聖週間の説教案に、早速取りかからねば。



23/4/2(No.1228)

▼聖週間が始まった。「紙の説教案は作らない」と言ったが、28セット作った。こんなことなら「少し作る」と言っておけば良かったかな。
▼思いは二つに分かれる。田平教会と福江教会。次に託す思いと、新しい期待。あまり長い時間、この時間は過ごしたくない。
▼長崎は「船」での別れがある。船を見送る人も船から別れを告げる人も、長い時間手を振る。長い別れの時間も、なかなか辛いものだ。



23/4/6(No.1229)

▼洗足式を実施した。洗足式も、コロナ禍の影響で中止した年があった。それでも聖週間の典礼を祝えなかった年もあったので、まだましだが、洗足式は司祭にとっては「仕える」またとない機会なので、実施できて良かった。
▼かつて中田神父は「12人集めてきてください」とお願いしていたが、最近は12人集めるのが大変という声もあるし、また12人にこだわる確たる理由もないし、集められる人数で構わないと納得している。6人が選ばれた。前もって、足をきれいにしてくるのだろうか?



23/4/7(No.1230)

▼「私が気に入らないなら、いつでも大司教に主任司祭を替えてくださいと願い出なさい。」信徒たちと主任司祭の関係がギクシャクしてきて、主任司祭がこの発言をしたという話を聞いたことがある。
▼私は「いつでも大司教に願い出ていいよ」とはとても言えないが、思いが高じて信徒とぶつかる可能性はあると考えている。「理解してくれない信徒が引き下がるべきだ」と一方的に言うつもりはないが、説明を尽くせば通じるのではないだろうか。



23/4/8(No.1231)

▼「司祭館の中で揉めていたら、どうしてその小教区が立ちゆくでしょうか。」私は司祭館の中の統率を取る責任を託された。助任が二人。彼らが納得して協力し、互いに仕え合うことができる司祭館を模索しなければならない。
▼厳しく礼儀を教える司祭の話を聞いた。時代に合わないのではないかと疑問を感じた。しかし今になって、「礼儀」も司祭管内の統率を取る大切な様相だと感じ始めている。失礼なことをしていたら謝らなければならない。失礼を詫びる道を教えなければならない。



23/4/9(No.1232)

▼「郷に入っては郷に従え。」57歳にもなって、何かを変えたり従ったり、そんな必要があるのかと思うが、すでにやり方を変えなければならないと感じた。それを受け入れるために、きっと時間がかかるだろう。
▼変えたくないものもある。それを変えてまで新しい環境を受け入れなければならないのだろうか。変えてでも、捨ててでも、新しい環境に入る価値があるのだろうか。見させてもらおう。



23/4/16(No.1233)

▼木は、その成長に応じて植え替えたりする。わたしはもうすぐ神の手によって植え替えられ、新しい土地に根を下ろす。新しい土地の養分をいただいて、新しい芽を出し、皆に利用してもらうことになる。木の周りに集まる人々にとって、わたしの存在自体はたいしたことではない。大切なのは「キリストという木に繋がれている枝かどうか」ということだ。
▼こだわりがあるとすればこうだ。「日曜日のミサ説教が、キリストという木に繋がった枝としてキリストの養分を人々に届けているかどうか。」ただ一つのこだわり。ここがわたしの存在意義であり、新しい土地でもそのことを決して忘れずに精進しよう。



23/4/23(No.1234)

▼福江教会に着任した。親子ぐらい離れた助任司祭が二人も与えられて、親子関係を構築し始めているところ。親が変わった子どもたちは、どう思っているのだろう。
▼まずは、自分の荷物をほどかなければならない。自分の荷物じゃないものもちらほら見えるのがちと気になるが、荷物を少しずつほどくことで、福江に来たと実感できると思う。



23/4/25(No.1235)

▼いまだ、YouTubeのミサ動画を再開できていない。福江教会の信徒総会を経たら、何とか再開できるかも知れない。今週は福江教会ではなく、井持浦教会で主日のミサの司式をしている。三つの小教区の主任なので、せめて月に一度は、井持浦と浜脇の主日ミサの司式をしたい。
▼それにしても手が足りない。こまごまとした作業をいちいち助任司祭にさせるわけにもいかず、かと言って放っておくことのできる性分でもない。今すぐにでもアシスタントを雇いたいが、私の要望を叶えてくれるアシスタントは、そう簡単には見つからないのだ。



23/5/7(No.1236)

▼実家に連休で帰った。助任たちには留守をお願いした。妹とその子(甥っ子)が同じタイミングで帰省していた。今年はずっと雨。ちょっと不運だった。それでも一年で大きく成長した甥っ子を見ることができたのは良かった。
▼少し気持ちを緩めるために来たが、帰省している間にも福江教会で葬儀が入り、また、福江に戻ってみると教区司祭が命の危険にある状態という連絡が入った。本当にゆっくりするのはこの赴任地では難しいのかも知れない。



23/5/14(No.1237)

▼「声の奉仕会マリア文庫」というボランティア団体がある。朗読に支障をきたす方々に、録音をして情報を提供する活動をしている。依頼された本を読んだり、雑誌を読んだり、マリア文庫でまとめた定期的な録音物も発行している。
▼今回の人事異動で、中田神父がこの代表を今後も務めるのは困難だと判断した。今でも、目の前の状況について行くので必死になっている。これまで続けてきたこととは言え、小教区への配慮に割く時間は以前よりも多く、両立は難しそうだ。
▼代表を引き継ごうと考えているが、しかしこの「声の奉仕会マリア文庫」の今後の方針にも左右される。難しい判断を迫られている。難しいことばかりだ!



23/5/21(No.1238)

▼福江教会信徒のお世話で、船で釣りをすることができた。魚は修道院に。大漁だったのでかえって迷惑をかけたのではないかと思ったが、喜ばれたようだ。
▼散髪に行った。浜串教会でいちばん多い名前の理容院名だった。カタカナ名、「ヘアーサロン」とか「カットハウス」こういう名前の付かない条件で見つけた理容院。予想通り、ご主人は浜串出身の人で福江教会の信徒だった。これから散髪が楽しくなるぞ。



23/5/28(No.1239)

▼「お前なぁ、60歳にならんと言えんこともあるとぞ。」最初に師事した主任神父様が個人的に忠告してくれた言葉がこれだった。もう少ししたら60歳になる。「いつかあなたが父親母親になったときに分かるよ。そのとき聖霊が働いて、理解させてくれるよ。」これに通じるものがある。
▼似たようなことかも知れないが、話している主任神父様は、おそらく浦上で初めて助任司祭を抱える主任司祭になったと思う。「いつかあなたが、助任司祭を抱える主任司祭になったときに分かるよ。そのとき聖霊が働いて、理解させてくれるよ。」私が今、同じ立場になって分かってきたこととは、いったい何だろうか。



23/6/4(No.1240)

▼ここ福江に来て、木曜日に小学二年生の要理を手伝っている。「代用教員」をしている。小学二年生を受け持ったのは生涯初めてではないだろうか?中田神父にとっては「孫」のような存在なので可愛いのだが、二年生の生徒からはどのように見えているだろうか。
▼「小さな命」なのだが、先週は微笑ましい場面があった。一年生のクラスの横を通りかかると、担当のシスターが一年生の手帳か何かにシールを貼っていた。「自分たちが一年生の時は、シールとか貼ってもらえなかったよね。」
▼そうぼやいたのですかさず私が「もう二年生になったから、過去のことは忘れよう」と言うと「そうよね。私たちはもう二年生だし」そう言っていた。目を丸くするような応答だった。



23/6/11(No.1241)

▼近いうちにこのネタを声に出して言うかも知れない。本当に小さな、小さな巡回教会を、休暇の曜日にしている水曜日に訪ねた。その巡回教会を管轄する本教会が内堂拝観できなかったのでここもそうかなと思いつつサッシに手を掛けたらすんなり開いた。
▼さらに中の木製扉を開けると、20人座れるだろうかどうか、という小さな聖堂だった。この日は「毎日のミサ」の6月18日「年間第11主日」の頁を開き、思い巡らしながらしばらくお祈りをした。本当に静かな、祈りのひととき。
▼しばらくして、軽自動車の音が聞こえたかと思ったら、サッシの戸を開ける音がする。おそらくこの巡回教会の信徒、ふだん管理を任されている人かも知れない。おひげの、小柄ではあるが私よりもはるかに存在感のあるおじさんだった。
▼「暗くなかね?」「はい。大丈夫です。」「だいやろかと思うて。ビックリしたよ。」「どうもすみません。」ドラッグスターで乗り付けて、赤いチェックのシャツのおっさんでは、怪しまれても仕方がない。まだ私の存在感はかげろうのようなものだ。



23/6/18(No.1242)

▼お決まりの、台帳整理をしている。今回は写真を撮って、PDFファイルにまとめ、それから表計算データを作成するというちょっと面倒な作業。原本がだいぶ傷んでいるので印刷所に出そうと思っているが、これも思ったように作業が進まない。
▼台帳整理をしていて、どうしても決断が必要な場面が出てきた。同じ番号が存在するのである。このままだと、マイナンバーカードに他人の情報が紐付けされている問題と似たことが起こる。堅信証明書が届いて、他人の台帳にそれを記入する危険があるわけだ。
▼中田神父が決断し、区別を付けることにした。脇に「主任司祭の責任において番号に注記を付ける」こんな感じの添え書きをした。三つの教会の台帳を預かる身なので、似たようなことがこれからも出てくるかも知れない。全小教区、点検をしてもらいたい。



23/6/25(No.1243)

▼司祭の黙想会に参加した。新しく「地区長」という任命を受けた人たちが、司祭黙想会の中でのミサ主司式をした。初日は中田神父。「なぜこの役を引き受けることになったのか、いまいち分からないのです」と切り出した。
▼二日目、上五島地区の地区長に指名された先輩。「前日の司式者も言っておりましたが、小心者の私がなぜここに立っているのか分かりません。胃がキリキリ痛んでおります。けれども、自分にもできることがあるから、この役を依頼されたのだと考え直しました。」
▼三日目、平戸地区の地区長に指名された先輩。「初日の福音朗読、『天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。』このみことばのまえに、おののいています。不完全な私がこの大役を依頼されたのですから。」なんだか、初日の説教が尾を引いているような気がするのは私だけだろうか。



23/7/2(No.1244)

▼「あらいごごろ」と聞いて、皆さんは何を思い出すだろうか。平戸地区でたいへんお世話になった先輩司祭に、一度で良いから喜ばれる御礼がしたいと思い、ペトロの霊名の祝いに合わせて贈り物を探していたときのこと。
▼先輩は日本酒を日頃味わう。あるときその先輩が、「日本酒の中で、『得月』はおいしいね。覚えていて損はないよ」と言っていたのを思いだした。そこでショップで検索。検索していると、「洗心」という銘柄が。
▼この「洗心」と「得月」は、送って喜ばれるに違いないと考えた。ただし、読み方を間違えたのが「あらいごころ」である。



23/7/9(No.1245)

▼スマートフォンは電話料金とデータ料金の両方が請求書に含まれる。データ料金は何段階かに分かれ、最初の料金設定は1ギガ以下になる。この範囲内のデータ使用で一ヶ月を過ごすのは(携帯電話会社の思惑だろうが)なかなか難しい。
▼しばしば、月の20日くらいになると、「残りのデータ量が無くなりつつあります。制限を超えると、より高い料金の利用帯に移ります」みたいな案内が来る。先月は乱暴だが、残り一週間は「機内モード」に切り替えて乗り切った。迷惑を掛けた人もいたに違いない。




23/7/16(No.1246)

▼7月3日トマスの霊名のお祝いを2日に祝ってもらい、お祝いの花として鉢植えを頂いた。「長く楽しみたいから」ということで花束ではなく鉢植えをお願いした。当然、「長く維持する」必要が出てくる。
▼花に、無頓着だったがせっかくいただいたのだから少しは世話をしようと思い、人に尋ねた。土の乾燥を防ぐことと、葉っぱをティッシュで拭いてあげること。この二つをお願いされた。二ヶ月は楽しめそう。




23/7/23(No.1247)

▼広島カープが調子を上げてきた。オールスター前の前半戦ペナントレースは五連勝。最後の三連戦はこの時点で二位だったDeNAベイスターズ。三連勝して順位が変わり、広島カープが二位で後半戦に入る。
▼去年までは、当然のようにお休みをいただいてマツダスタジアムに応援に行っていたが、今年からは五島市の福江教会。野球観戦が実現するのか、見通せない。ほかにはしゃぐような趣味もないし、どうやって日々のテンションを保てば良いのか。
▼そんな時に、先発陣の柱となっている森下暢仁が、自身ホームランを打って試合を決定づけた日があった。すると球団は気前よく、「森下投手ホームラン記念Tシャツ」を作ってくれた。あっという間に売り切れるとは思ったが、いちおう申し込んだところ、何とか手に入って飾っている。しかし飾っているだけでは楽しくないので、今日は着て、応援したい。



23/7/30(No.1248)

▼地区全体での小中学生の黙想会が無事に終わった。一日黙想会という形で、小学生低学年・高学年・中学生の部に分かれて実施した。各小教区、その小教区の足跡をたどる学びを経てそれを模造紙にまとめるわけだが、福江教会の小学生低学年は「これまで18人の主任神父様が福江教会で働いてくれました。四月に19代目の主任神父様が来てくれました。顔と名前を覚えましょう。」この取り組みをした。
▼簡単に言うと似顔絵を描いた訳だが、その中に目を丸くするような絵を描いてくれた子がいた。聞けば、小学1年生だという。とても1年生の絵には見えない。県展に出品しても遜色ないのではないかというレベルだった。将来が楽しみだ。そして、いつまでも中田神父を描いてくれたことを忘れないでいてほしい。



23/8/6(No.1249)

▼記憶の無いこと、体験のないことをどのように話せば良いのだろうか。広島原爆の日、長崎原爆の日、または終戦記念日(聖母の被昇天)に特別な役割のある教会の主任司祭(教区長)は、どのように話を用意するのだろうか。
▼体験者の話に耳を傾ける。これは参考になると思う。ただどのようにそれを自分のものにするのか分からない。原爆記念の日を迎える広島の教会と長崎の教会、大きな責任を任された司祭たちに敬意を表したい。



23/8/13(No.1250)

▼高校生の黙想会を「山の日」に開催した。下五島地区はリモート参加。直接参加のカトリックセンターと全く同じとはいかないが、良い黙想の時間を過ごせたと思う。自分らしさを発揮しながらもカトリックの高校生として生きていく。そのための示唆をいただいたと思う。
▼「放蕩息子のたとえ」を使って、分かち合いも取り組んだ。高校生は大人よりもスムーズに分かち合いに溶け込んでいく。ここも新しい気づきだった。司祭も分かち合いに参加し。中田神父は(いつも指摘することだが)兄は弟のことを「あなたのあの弟は」と押し付けるが、父親は「お前のあの弟は」と押し戻しているところが緊張感ありますね、と分かち合った。



23/8/15(No.1251)

▼八月から、A4の用紙ギリギリに収まる内容に説教を抑えている。暑いということもあるが、聖書愛読(詩編)を実施しているので「ミサが長い」との不満が出ないように主任司祭も協力している。
▼奉献文も、司祭の練習も兼ねて主任司祭は第三奉献文を使っていたのをやめて、第二奉献文を使っている。全体で7分くらいは短くなる。と言っても助任二人にはかなわない。助任司祭たちはそもそも説教は短いし、奉献文を唱えるのもささっと唱えている。主任司祭が努力して45分で収めているところを40分で終わる。見事としか言いようがない。



23/8/20(No.1252)

▼甲子園大会真っ盛り。長崎県代表は負けてしまったが、17日の四試合は非常に見応えのある試合だった。応援しているのは(長崎県代表を除けば)岩手県代表。監督の子が強打者という触れ込みで、どこまでチームを引っ張ってくれるか楽しみにしている。ちなみに19日に行われる準々決勝では宮城県代表との東北対決だ。
▼今年は高校生と縁がある。地域の魅力を学びたいということで15日に男子高校生が福江教会についてインタビューにやって来た。19日にはスタンプラリーに井持浦教会を含めたいので協力をお願いしますとやって来る。高校生は熱気があり、輝いている。人生の貴重な経験として、出会いの時を活用してほしい。おじいさんも、喜んで協力する。



23/8/27(No.1253)

▼甲子園大会真っ盛り。長崎県代表は負けてしまったが、17日の四試合は非常に見応えのある試合だった。応援しているのは(長崎県代表を除けば)岩手県代表。監督の子が強打者という触れ込みで、どこまでチームを引っ張ってくれるか楽しみにしている。ちなみに19日に行われる準々決勝では宮城県代表との東北対決だ。
▼今年は高校生と縁がある。地域の魅力を学びたいということで15日に男子高校生が福江教会についてインタビューにやって来た。19日にはスタンプラリーに井持浦教会を含めたいので協力をお願いしますとやって来る。高校生は熱気があり、輝いている。人生の貴重な経験として、出会いの時を活用してほしい。おじいさんも、喜んで協力する。



23/9/3(No.1254)

▼YouTubeのショート動画を見たことがあるだろうか。それぞれ工夫を凝らして、たいてい10秒くらいで楽しめるように作られている。そこで中田神父も挑戦してみたが、最初の「短い動画」は「ショート動画」に区分されず、「通常の動画扱い」となった。
▼どうしてだろうと、そこからようやく調べ始めたのだが、そもそも「縦の動画(あるいは正方形)」でなければ「ショート動画」と認識しないらしい。失敗したので、次回は縦の動画を撮影して、ショート動画の練習としたい。それがうまくいったら、下五島のいろんな場所を題材にショート動画を用意できたらと考えている。



23/9/10(No.1255)

▼葬儀で送り出す人にかける言葉が無いこともある。20代で職場の高所から転落して長く植物状態に置かれたあとに亡くなった人。50歳で自宅の裏で刈った草を焼いている間に心臓発作を起こし、家族が気づかないまま亡くなった人。どちらも辛い葬式だった。
▼今回予定されている葬式も胸が締め付けられる思いだ。現役のカトリック医師が亡くなり、勤務していたカトリックの病院も沈痛の思い。教会では経済問題評議員をしてくださり、五島人とまた違った視点で教会運営に寄与してくれていた。どんな言葉をかければよいのだろうか。



23/9/17(No.1256)

▼とても親しくしてくれた修道会のシスターをこれまで二人見送ってきた。二人とも、私に対して「赦せない」と思っていることがあったシスターだと思う。ひょっとしたら私の考えを遙かに超えて徳の高い人で、「赦します」と思っていたかもしれないが。
▼結局、シスターが私に対して「赦せない」と思っていた部分を、生きている間に挽回できなかった。私がシスターたちの世界に行った時、果たして赦してもらえるのだろうか。赦してもらえるだけの人間になる猶予を、神はこの世で与えてくれるだろうか。



23/9/24(No.1257)

▼9月14日、九州視覚障害者情報提供施設の大会が長崎で開催されて、マリア文庫の代表として大会の主管施設の働きを務めた。大会の結びに、感謝の言葉を伝える役目だった。大会の中での研修は、視覚障害者にマンガをどのように伝えるかで、学びがあった。
▼9月19日から、出張を予定していた。教区の司祭評議会、顧問会議も含まれているが、その他の予定もあった。しかしそれらは、事情があってすべてキャンセルとなった。下五島の地区長として、下五島内の問題の対処のために待機する必要が生じたためだった。
▼この件で自分にも迷惑が及んだが、出張のために協力を願った人にも迷惑をかけた。二度とないことだとは思うが、地区長はつらいよ。



23/10/1(No.1258)

▼人の名前を覚えるのに、得意不得意があるのだろうか。記憶力が優れている人は、人の名前も難なく覚えることができるだろうか。そもそも、名前だを覚えようというのが虫が良すぎる話か。
▼いつも顔を合わせるのに名前を覚えない。「お名前なんとおっしゃいますか」と声を掛ける。しかし覚えられない。もう一度聞くわけにもいかない。ほとんどこうした繰り返しである。あ、手帳に書けば良いのか。
▼一つだけ、よく覚える方法がある。ミサを依頼してくる人は「あの人は・・・あ、◯◯さんだ」すごくよく覚える。もし可能なら、ミサをおささげすることで名前を覚えて、長くお付き合いさせていただきたい。先日も、「ほぼ毎日会うのに」と思っていた人からミサの依頼があり、「なるほど。◯◯という方だったのね」と分かった次第。赴任して半年となった。



23/10/8(No.1259)

▼内線の問題。記憶力が低下して、助任2人の内線番号を覚えることができない。最近も内線番号を間違え、「あ〜すまん。間違えたみたいだね」というケースがあった。こんな人は、よく使われる方法「冷蔵庫にメモを貼り付ける」という方法を試すべきかもしれない。
▼あちこちに貼り付けておけば、そもそも覚える必要など無いのかも知れない。しかし習慣的に記憶に頼る悪い癖は、簡単には直らない。手帳を買っても、1年間何も書かない年もある。手帳に確実にメモする人間にはとても変われそうにない。
▼実家に先月末に帰って驚いた。母親は、手帳を愛用していた。「感心だなぁ」と思ったのも束の間、手帳を引き出しにしまう様子を見て驚いた。今年の手帳と思われる物が10冊くらい並んでいた。今年10冊目に到達したのだと信じたい。



23/10/15(No.1260)

▼健康診断。内視鏡検査でポリープができていないか、毎年チェック。必要があればメスで切る。年に一度だが、しっかり診てもらう。それが5万円かかっても、健康診断は必要だ。肺がんで父を亡くしてから、ようやく人間ドックを受けることにした。
▼司祭団は小さな集団の割には重大な病気になる確率が高い。何と言っても検診。健康診断。命あっての物種である。絶対に過信してはいけない。あなたが先送りにしたことが引き金になって、命を落とすことになりかねない。



23/10/22(No.1261)

▼22日(日)は午後から牢屋の窄殉教祭のミサがある。打ち合わせもしっかりしたのに、私は殉教祭ミサの典礼を当日の朗読箇所と思い込んでいた。よく26聖人とか諸聖人とかで選ばれる「幸い」についての箇所だった。
▼年間第29主日の福音朗読に合わせてささっと原稿を書いて、Facebookにもアップしていたのだが、余裕の構えをしている時に限って何かが起こるものだ。慌てて修正を掛けること2時間。何とか、それらしく直した原稿ができあがった。神様は楽をしている人には厳しいのだとつくづく感じた。



23/10/29(No.1262)

▼上五島に「中ノ浦教会」という桐小教区の巡回教会がある。海辺の教会で、時折写真愛好家がシャッターチャンスを待つ姿を見かけることがあった。母親の顔を見に上五島に上陸し、奈良尾港から鯛ノ浦に弟の車で運んでもらう時だった。
▼その日は特別穏やかで、海面を揺らす風も吹かない。「これはもしかして、中ノ浦教会の『アレ』が見ることができるかも」と思いながら国道を走っていた。予想通りで、中ノ浦教会の「アレ」を見ることができた。それが「今週の1枚」。



23/11/5(No.1263)

▼転勤して半年過ぎたが、まだまだ訪ねたことのない場所がある。その中に、管轄の教会が一つあって、半年遅れの初赴任となる。それが玉之浦教会。信徒の皆さんには大変お待たせした。どんな人たちがいるのか、とても楽しみにしている。
▼玉之浦教会と同じく、「大瀬崎灯台」も訪ねたことのない場所だ。正確には玉之浦教会も大瀬崎灯台も訪ねたことはあるかもしれないが、自分の足で行くのは初めてのことになる。両方を訪ねてみて、下五島の魅力を感じることができた。



23/11/12(No.1264)

▼トマトジュース。「デコピン」じゃなく「リコピン」が含まれ、高めの血圧を下げてくれるらしい。民間療法みたいな話だが、しばらく飲んでみようということで箱買いした。メーカーは別にどこでも良かったのだが、購入した店で「箱」で売っていたのがたまたま「カゴメ」だったのでそれにした。
▼健康生活のために、少しお金をかける必要を感じてきた。健康な人は考えないかもしれないが、誰かのために長生きしたいなら、何かのために長生きしたいなら、多少お金を健康のために使うのも悪くはない。サプリとか、そういうものは嫌いだが、トマトジュースなら使っても良いかと思った。



23/11/19(No.1265)

▼「素で笑う。」これがなかなか難しい。自分自身がそうなのだから、誰かを「素で笑わせる」のはさらに難しい。大笑いできるようなネタができたらぜひショートムービーで使いたいが、果たしてその日はいつ来るだろうか。
▼ミサの式次第と奉献文が新しくなって一年が経とうとしている。堅信組に口頭試験で「栄光の賛歌」を唱えさせたことがある。すると中学生がこう提案してきた。「神父様、ぼくは歌でしか栄光の賛歌を唱えることができません。歌っても良いですか?」「あーもちろんいいよ」
▼「歌い出しは神父様がしてください。」この子のペースに乗せられて「天のいと高きところには神に栄光」と歌ってあげた。するとこの子はその続きを完コピして歌った。もちろん合格である。次に同じようなことがあれば、「天には神に栄光」と歌ってあげたい。



23/11/26(No.1266)

▼こちら福江に転勤して、ほぼ毎日皿洗いをしている。「働き方改革」と言えるかもしれないが、食事と掃除をお世話してくれる修道会のシスターの負担を軽くするためだ。そのひと手間が、働きやすい職場環境に貢献している。
▼火曜日、福岡で神学院の感謝祭に参加した。来年3月で閉校が決まっているため、楽しい感謝祭ではなく「終わるか・・・残念」という感傷に浸るミサだった。ただ、前を向いて方向を探っているようなので、きっと活用してくれると信じている。
▼飛行機で今回は行き帰りを選んだ。空からの五島の眺めは言葉では言い表せない美しさ。感動を覚えた。帰り着き、台所に立った瞬間である。洗い物が一つ残っていたのだが、無意識に腕まくりをして洗い物を手に取った。手に取った瞬間に、自分が笑えた。



23/12/3(No.1267)

▼司祭団マラソン大会のトレーニングが始まった。二週間過ぎて、疲労も溜まってきていると思うが、外に出るのは苦痛ではなくなった。戻ってきたときの気持ちよさがあって、「今日も出かけて良かった」と思えるくらいになってきた。
▼欲を言えば、見た目に変化が出て来たり、目標タイムを持ったり、ただ行って帰ってくるトレーニング、それ以上の効果があればと願っている。当日の大会は、今のレベルをどれだけ上げても表彰を受けることは叶わないので、せめて納得のいく結果になれば。



23/12/10(No.1268)

▼今年2023年もあと少し。今年自分にとっていちばん大きな変化は、主任司祭かつ地区長という「置かれた場所」の重みだった。与えられた使命を十分に果たせず、うつむく日々。引き受けたのだから向き合って過ごしてはいるが、今さらながら「果たせていないよなぁ」と弱音を吐いてしまう。
▼島本大司教様がいつも励ましの言葉にしていたのは「大工は大工をしながら大工になる」ということだった。しかし八ヶ月が過ぎたが、「地区長をしながら地区長に」なっている実感はない。初めてのことがこんなに重くのしかかるとは思いもしなかった。
▼それでも、前に進まなければならない。もし私が今引き受けていることが「自分の十字架」であるなら、必ず神はそれを見ていてくださる。今週の福音朗読に光を見つけた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。」この方が、私の思い煩いを吹き飛ばすほどの喜びを携えて、馬小屋においでくださる。



23/12/17(No.1269)

▼YouTubeにアップする動画をカメラ一台で作っていたが、今週からカメラを二台使うことにしている。祭壇上の撮影、カメラを動かして説教台の撮影、またカメラを戻して祭壇上の撮影。これは面倒だし、カメラの位置を間違う危険が増すことになる。カメラ二台でお金はかかるが、まぁ元は取れるだろう。



23/12/24(No.1270)

▼五島市では、車に「雪対策(冬対策)」が必要らしい。「◯◯自動車に、相談してみてください」と勧められた。考えると、井持浦教会までは何度か峠を越えるので、冬用タイヤは必要かもしれない。近いうちに電話かけなきゃ。



23/12/25(No.1271)

▼福江教会のイルミネーションはかなり派手だ。質素でも派手でも、メリットはあるだろうから特に意見はしない。マリア様のルルドで、お祈りができるかちょっと心配したが、天の大軍が賛美を唱えている姿と思うことにしよう。



23/12/25(No.1272)

▼日中のミサが「仕事で参加できません」と返事する人が増えてきたのはいつ頃からだろうか。少し前だと、クリスマスに参加できる化できないかを悩む人は少なかったのではないか。福江教会では日中のミサが6時と9時と二回あるので、ほぼ問題なさそう。



23/12/31(No.1273)

▼2023年は、まれに見る忙しい年を経験させてもらった。会議で言えば、「カテキスタ会議」「典礼委員会」「評議会役員会」「評議会」「地区評議会」「教区評議会役員会」「教区施設統廃合検討会議」「司祭評議会」「顧問会」など。これでもいくつか載せていない。
▼福江小教区・井持浦小教区・浜脇小教区、三つの小教区のこともある。まぁ簡単に言えば、私には背負いきれない、ということだ。助任司祭が助けてくれている。その助任司祭も、一人は4年目を過ごしていて、一人は3年目を過ごしている。






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