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22/1/1(No.1157)
▼甥っ子を託されて実家に帰り、三泊四日の休暇を昨年末に過ごした。甥っ子は四年生。元気な盛りで、振り回されたというのが正直なところ。それもまた楽し。
▼"When in Rome, do as the Romans do." この諺を甥っ子に説明して実家で過ごした。実家では毎日朝5時過ぎに起き、朝ミサに参加する。甥っ子も強制的に起こされ、朝ミサに参加。洗礼を受けていないため、勝手も分からず、居場所がなさそうだった。
▼日中は教会巡礼。朝ミサで叔父の中田神父が祭壇に上がっていたのが新鮮だったようで、巡礼先の教会でも祭壇に特別な執着を持っていた。「○○くん。道のりは長いよ。きみは洗礼を受けていないから、まず洗礼を受けて、その後に司祭になったら、祭壇に堂々と上がりなさい。」どれくらい心に響いただろうか。
22/1/2(No.1158)
▼実家が古くて、トイレはため池のような方式。以前はこのトイレで問題なく用を足せていたのだが、最近は洋式トイレが多くなり、実家のトイレで用を足すのが難しくなった。トイレのためだけに、スーパーに出かける。
▼いわゆる「ポットントイレ」は衛生面だけではない。家グモがウロウロしたりヤモリがウロウロしたりしている。自分はそれはしかたないと諦めていたが、甥っ子にはそれも含めて耐えられなかったようだ。2年前に遊びに来たときはスーパーでトイレを借りていた。
▼それがどうだろう。甥っ子は成長し、実家のトイレですべての用を足せるようになっていた。家グモもウロウロしているというのに、それでも大も小もできたという。立派なもんだ。たくましく思えた。
22/1/9(No.1159)
▼穏やかな天気が続いている。まぁそれもわずかのうちか。まだ2月にも入っていない。寒さはこれからだ。いつも「今がいちばんキツいときではない」と考えて過ごさなければ。
▼寒いと暖かい場所に根が生えたようになり、動くのがおっくうになる。司祭館で玄関チャイムが鳴ると、ひとまず出る必要がある。さっき出て、またチャイムが鳴る。やれやれと用が済んだと思ってもまたチャイムが鳴る。
▼それでも、顔を作り、「何か良いことが待っている」と思って玄関に出る。その積み重ねだ。たまには玄関に出るまでにもう一度チャイムを鳴らす人がいたりして顔をしかめて出ることもあるが、できるだけ顔を作るように心がけている。
22/1/16(No.1160)
▼「ちょっと手順を変更するだけで、ブログ配信の効率が良くなった。「劇的に」と言っても過言ではない」と、ここまで先週のうちに書き留めておいたのだが、一週間経ってみるとどんな手順にしたことで効率が良くなったのか思い出せなくなった。
▼先週の時点では、カギ括弧の部分だけ書いておけば続きはかけると思ったのに、記憶力も相当衰えたものだ。残念だが、効率悪いままで今週もメルマガ、ブログ、ホームページの更新をすることになりそうだ。
22/1/23(No.1161)
▼第6波の影響でミサが中止になった。原因が何であれ、ミサを妨害されている。どんな妨害を被っても、神が共にいて導いてくださる確信を奪い去ることなどできない。
▼葬儀ミサが入った。主日のミサは中止になるが、できるだけ旅立つ人を葬儀ミサで送ってあげたい。信仰を得て旅立つ人は、見えないもの・見えない価値を持って旅立つ人である。
22/1/30(No.1162)
▼久しぶりに非公開のミサをささげて、活用出来るシーンがいろいろあることに気付いた。完全に一人でミサをすると、鈴(鐘)を鳴らしてもらえない。しかし音声だけだったら、以前のものから取り込める。そう言いながら、今週活用しなかった。非常に疲れたからだ。
▼活用と言えば、外部のマイク入力を活用して、場所全体の音を取るのではなく、祭壇の司祭の声に全集中で収録した方が非公開ミサの音声としてクリアになる。それは分かっていたのだがこれまで実行出来ていなかった。
▼このたび、眠っていた機器を掘り出して、外部マイク入力で祭壇の声を収録して動画を作成した。予想通り、クリアな音になった。非公開ミサの間は、これで続けていこうと思う。
22/2/6(No.1163)
▼オミクロン株の影響がいつ頃収まるのか、見通しが立たない。平戸地区の堅信式が20日に迫っている。現在13日までミサを中止しているが、20日(日)にミサが再開出来るのか、今日の時点では分かっていない。
▼聞くところによると堅信式のミサは主日のミサが中止になっている中でも長崎教区内でスケジュール通り実施されているらしい。すると、平戸地区も予定通り実施される可能性がある。現在堅信式が実施されている教会では、マスクは着用しているのだろうか。
▼両方の思いがある。「無事に堅信式が実施されて欲しい」「参加者が安心して秘跡を受けられるようになってから開催して欲しい」しかし感染の心配がいつ無くなるのか見通せないのだから、確実に感染対策をして実施するのが現実的だろう。
22/2/13(No.1164)
▼いよいよ、大司教様交代の時期が近づいてきた。その前に現在の大司教様が堅信の秘跡を平戸地区の中学生に授けてくださる。中学生も緊張すると思うが、お恵みの時をいつまでも忘れないで欲しい。
▼現在の大司教様が堅信式を司式して私が記憶に残っているのは、感謝式での受堅者代表あいさつを聞いて、そのあいさつの原稿をぜひ欲しいと言われることだ。大司教様の収集品の中で、もしかしたら大切なものの一つなのかも知れない。
▼今の大司教様の堅信式は、おそらく平戸地区が最後だろう。記録に残して、大司教様にも、また受堅者とその家族にも、DVDに残して残してあげようと考えた。これが思ったよりも難しく、何時間もテストして半日を費やした。うまく形に残せればと思う。
22/2/20(No.1165)
▼今年もコロナ禍の堅信式となった。子供たちはたくさんの祝福を受けるまたとない日なのに、ひっそりと秘跡を受けるのは申し訳この上ない。堅信のプレゼントに小生の説教集を一冊入れておいた。いつか目を通して、堅信のことを思い出してくれたら。
22/2/27(No.1166)
▼ポットを洗浄した。市販の薬品(大きさは、「パイン飴」くらい)を入れて、通常のように沸かす。するとステンレスのポットが見違えるようにきれいになる。水の入れ替えのたびに気になっていたので、これでおいしくコーヒーでも焼酎のお湯割りでも飲めるわけだ。
▼夜に「今日の仕事も終わったし、焼酎でも飲むか!」という気分になり、お湯を沸かして焼酎を割った。一口飲むときついレモンサワーの味がした。「サワーではないのに、どうして・・・」その時あっと思った。湧かした水は、洗浄した水ではなかったのか?
▼案の定そうだった。洗浄タブレットを入れた水で焼酎割りをしたわけだ。グイグイ飲まなくて良かった。飲んでいたら救急車で運ばれていたかも知れない。いや、この時期だと搬送先がいっぱいで放置され、「こんなことで救急隊の手を取らせないで!」とお灸を据えられていたかも知れない。
22/3/6(No.1167)
▼このすばらしい体験を話せるときがいつ来るのか分からない。先に、メルマガの読者と分かち合いたい。ある高齢者に洗礼を授けた。命の危険が迫っており、「緊急の洗礼」として入院している部屋で授けた。
▼この人にはカトリックの妻がいる。夫は「いつかは洗礼を受けて、同じ信仰のうちに人生を全うし、同じ墓に入りたい」と願っていたと言う。今はコロナ禍であり、家族以外の者が病室に入ることができるのか、大変気を揉んだ。
▼しかし、施設の責任者は制限付きでの入室を許可してくれた。「直接触れないでください」「時間は10分以内です」など、厳しい制約があったが、緊急の洗礼を授けることができた。もし家族しか入室できない場合も、家族に洗礼の授け方を伝えて授けてもらうつもりだった。(続く)
22/3/13(No.1168)
▼先週の続き。洗礼のために、額に三度、水を注いだ。直接接触しなくても授けることができて、神に心から感謝した。これが病者の塗油のように額に触れなければならないとしたら、たとえ緊急の洗礼でも授けることは叶わなかっただろう。
▼かつてのヨルダン川での洗礼のように、水に体を沈める洗礼は別として、ほんの少しの水によって、高齢のご主人は救いの恵みを受けた。ほんの少しの水を通して、神はその人のすべての罪を赦してくれた。自分が受けた洗礼の恵み、堅信の恵み、叙階の恵みの大きさを、あらためて知って恐れおののく体験であった。
22/3/20(No.1169)
▼黙想会をとある小教区主任司祭に依頼されて、本教会三日間、巡回教会二日間、連続五日間黙想会で講話をした。基本は本教会での三日間の中で話した四回分の講話だが、巡回教会ではそれを二日間で三回の講話に圧縮して話した。
▼正直に言うと、準備した内容をすべて盛ることができず、不十分な出来だったと思っている。それでも信徒の皆さんは熱心に耳を傾けてくれて、30分と指定されていた時間の枠は一度も守ることができず、40分、時には45分も話してしまった。
▼興味があれば、YouTubeで「ナカダコウジ」と入力して検索し、視聴して欲しい。そして感想などをコメントしていただけると嬉しい。その際、もし可能なら、チャンネル登録もお願いしたい。登録者の目標はでっかく1000人!!
22/3/27(No.1170)
▼なるほど。思わぬ落とし穴。YouTubeのチャンネル登録を促してもなかなか登録者数が増えない。その割には視聴者数は伸びている。どういうことだと思ったら、パソコンで動画を視聴している人がチャンネル登録するにはGoogleアカウントを取り、その上でログインが必要になる。この次点ですでに高いハードルになっている。
▼ここについては戦略を練らなければならない。たいていの人がスマホを所有しているのだから、スマホからのチャンネル登録をお願いするのが最も現実的だ。しかしだれもがスマホを持っているとは限らない。以前からのガラケーの人もまだおられるだろう。こうした人と、パソコン利用者のチャンネル登録を獲得するにはどうすればよいか。
22/4/3(No.1171)
▼エイプリルフールに夢を見た。脈絡も無いまま二つの「組」の事務所を訪ねていって「ナカダコウジと申します」と言ったかと思うと短刀を抜き、「グサッ」と組長を襲撃。組員が慌てふためく中を黙って歩いて帰ってきた。
▼あれは何だったのだろうか?実はその数日前にも面白い夢を見て、「少年ジャンプ」に出てくるようなヤンキーカップル二組が「よお神父さん。結婚さしてくれや」とやって来た。教会での結婚には、教会が考える結婚観を理解してもらうために勉強会が必要なことと、申込書を書いてくれと言って書かせているうちに私は司祭館の勝手口から逃げ出すという夢だった。
▼どちらも奇妙な夢だが、何か背景があるのかも知れない。どちらも二組だし、どちらも過激な人たちだ。何か思い当たることがあれば、後日書き加えたい。
22/4/10(No.1172)
▼聖なる一週間が始まった。説教を、復活の主日(日中)まですでに書き上げた。リンクが張られているのでどうぞ。すでに説教を書き上げているので中田神父の聖なる一週間は終わったようなものだが、もう一度一週間過ごしていく。そして見えていなかった部分を見つけ、拾い上げていこうと考えている。
▼今年も新しいシスターが入れ替わりで入ってきた。聖週間を終えておいでになるとバタバタしないわけだが、修道会には修道会なりの事情がある。致し方ないので、それを織り込んで聖週間のお手伝いをお願いすることになる。協力して、一年間典礼の充実を図りたい。人の入れ替わりは、必ず化学反応を起こすから、何が起こるか楽しみだ。
22/4/14(No.1173)
▼「センス・オブ・何だぁ?」という本を読んでいる。すぐに「センス・オブ・ワンダー」をもじったものかなと思って読み始めたが、これは日本版「センス・オブ・ワンダー」そのものだと思った。
▼驚きと発見、感動と喜び。こうした感覚が良く伝わってくる本だ。読み始めると、幼い頃に体験したことがよみがえってくる。裸足で走り回ったことがあるので、「足の裏のアンテナ」(15頁)はすぐに理解できた。
▼「雨を聞く」時間についても、自然豊かな敷地内に教会があるので、雨の中でも盛んに鳴き声を交わしている鳥たちに思いを馳せ、「鳥たちは、雨をどう思ってるのかな?」と、この本を読んでから考えるようになった。実に読み応えのある本なので、いろんな人にお勧めしようと思う。
22/4/15(No.1174)
▼「センス・オブ・何だぁ?」の続き。「感じて育つ」という副題からすると、「育つ世代」を抱えている人たちにこの本をお勧めしたいと思う。保育園とか、幼稚園とか。あるいは小学生中学生を抱えている保護者にも読んでもらいたい。
▼聖なる三日間の典礼が始まっている。実は聖木曜日の朝、司祭館が停電した。時々停電するのでまたかと思ったがどうも復旧の兆しはないし、周囲での停電も起こっていない。電気関係に評議会議長が詳しいので忙しい中調べてもらったら、外部に電気を引いている箇所(イルミネーション等の電源ボックス、トイレ)で障害が発生しているらしい。私一人だったら「まだ聖木曜日なのに復活徹夜祭のローソクの儀式」を強いられるところだった。
22/4/16(No.1175)
▼ウクライナを蹂躙しているロシア。ロシア兵の間の通信を傍受したとされる録音を聞いたとき、「こんな命令に従わないといけないのか?」と人間性を疑った。「指示をください」と確認を求める兵士に「ためらうことなく撃て。相手が誰であろうと撃つんだ」という上官の声が聞こえ、「はい分かりました」と返事をしていた。
▼しかし、どれだけ証拠が揃っても、ロシアの責任者たちを裁くことができるのか、はなはだ疑問である。日本でインタビューを受けているロシア人女性の言葉がとても胸を打った。「ロシアは犯したことの償いをこれから果たさなければなりません。どうか、ロシアを見捨てないでください。」復活したイエスは、誰も見捨てないために、十字架にかかられた。イエスは誰も見捨てたりしないのだから、私たちも同じ道を歩まなければ。
22/4/17(No.1176)
▼主の御復活おめでとうございます。早い時期の台風の影響か、聖週間の間強風続きでミサ参加者にも影響したかも知れない。荒れた天気の聖週間という記憶が無いので、これが何を意味するのか、警告を発しているのか、考えてしまった。
▼聖香油ミサで、叙階の節目を迎えた司祭のお祝いも行われた。銀祝を迎えた司祭のあいさつがとても印象深かった。三人の同期と話し合って、記念カードに「だれを捜しているのか」(ヨハネ18・4)という聖句を用いたそうだ。イエスを捜し求める司祭として生きていきたいということだろう。
▼その答えは驚くほど身近にあったというあいさつだった。助任司祭として浦上で務めていたとき、先輩の助任司祭のまっすぐな行動を見て、「私はこんな身近にお手本がいたのに、模範を遠くにあるものと思って捜していた」と考えたという。ここでは手短に書いているが、なかなかのあいさつをする後輩だった。
22/4/24(No.1177)
▼受難の主日から復活の主日(日中)までを一気に書き終えていたせいか、いざ通常のように説教案を準備しようとすると、使える時間が少ないことに驚く。さらにその上に、葬儀ミサが土曜日に入ってしまい、使える時間はいよいよ少なくなる。
▼「切迫する前に、金曜日までに書けば良いではないか。」そう考える人も多いだろう。それがそうも行かない。説教はある意味「降ってくる」もので、金曜日の余裕のある時間では説教は降ってこない。なんとも悩ましい。
▼昨晩(金曜日の晩)風呂に入って温まっていたら説教が降ってきた。ある程度、その降ってきた言葉を書いたのが今週の説教である。
22/5/1(No.1178)
▼五月になった。聖母月である。ロザリオの祈りにより親しむ月。信心深くない中田神父はロザリオの30分がいまだに長く感じる。当然のことだが、「長く感じない」という境地に達しなければ、ロザリオを語る人としては失格だろう。
▼五月連休はどうして過ごす?いちばん背を向けてきたことから始めるのが良いだろう。部屋の片付けもその一つ。部屋の片付けと関連するが、書類の整理整頓もだろう。部屋が片付いていれば、たいていの場合書類も片付いているに違いない。これから平戸地区で働くあの司祭に、部屋がきれいなうちに、どうか私のような「汚部屋」にならないでと願わずにはいられない。
22/5/8(No.1179)
▼ぐっと温かくなってきた。月初めの金曜日(初金)に病人訪問をしているが、家庭にいて聖体拝領をする方からも、「温かくなってきましたね」という会話から始まるようになってきた。季節に敏感なのは、「健康な人ではなくて病人である。」
▼田平教会信徒会館の裏が、かなり開けてきた。開けたことで何本か立っている背の高い木が、取り残された感じになっていたがこのたび伐採することになった。そうなるといよいよ広い土地が手に入り、教会としての活用方法が必要になってくる。
▼私の従来からの考えは「祈りの公園」だが、それよりも早く「耐震補強工事に伴う仮小屋の建設」が必要かも知れない。かつての主任司祭にも「祈りの公園」を願っていた人もいたのでぜひと思っているが、「種蒔く人」と「刈り取る人」が同じとは限らない。
22/5/15(No.1180)
▼耐震補強工事の話が少しずつ前に進み始めている。田平小教区ができることは具体的には「長崎大司教区のもと、所有者として」資金を準備することだ。積み立てをすることがまず考えられるが、それ以外にもあらゆることを考える必要がある。
▼ネットで調べればいろいろ出てくるかも知れないが、実現可能かどうかは別として、あらゆる方策を考えてみたい。「クラウドファンディング」はよく知られた方法だ。しかしそれだけでなく、知恵を絞ってみよう。頭から湯気が出そうである。それ以上に、また髪の毛が抜けそうである。
22/5/22(No.1181)
▼「聖書書名数え歌」ができあがった。できあがったと言っても「旧約聖書バージョン」は浅見定雄先生が「旧約聖書に強くなる本」の中で紹介していたもののパクりである。学問を盗んだとかそういうことではないので、寛大にご容赦願いたい。
▼さてYouTubeには「旧約聖書バージョン」のみアップされているが、近日中に「新約聖書バージョン」もアップする。これもまた、元ネタはお笑い芸人「三拍子」の「山手線漫才」をパクった。許してほしい。
▼YouTubeチャンネル名前を変更した。実名はいちばん使ってはいけないと別のユーチューバーから教えられたので、「こうじ神父」に変更。「神父」でヒット数が増えるのを期待している。
22/5/29(No.1182)
▼お気に入りの球団広島カープはセ・パ交流戦にめっぽう弱い。何年も、交流戦で負けが込んでペナントレース序盤で沈んできた。現在4試合終了時点で1勝3敗。今年も嫌な予感がする。
▼居ても立ってもいられず、応援に出かけたいがそれもなかなか難しく、テレビの前で第二第三の監督気取り。その頼みのテレビ観戦も、対戦カードによっては放送していなかったり、有料のチャンネルだったりする。実にもどかしい。
▼過ぎた週は貴重な交流の機会に多く恵まれた。3組の方々と楽しい時間を過ごすことができた。まだまだ制約を感じながらの生活が続くが、太陽は多くの研究者をも照らし、いつか新型コロナウィルスの脅威に怯えずに過ごせる日が来ると期待している。
22/6/5(No.1183)
▼99歳の女性が神様のもとに旅立った。その前の週には、55歳の男性が旅立った。お恥ずかしい話だが、55歳の男性の通夜と葬儀で考えられる限りのことを話し、知恵を振り絞ったので99歳の女性の通夜と葬儀には話す材料を持ち合わせていなかった。
▼しかし不思議なことに、百歳になろうとしていたこの女性のお顔を眺めたら、話すべきことが思い浮かんだ。幸いにコロナ以前には病人訪問をしていたので、思い出すことがあり、思うところを語ることができた。
▼もしかしたら、顔がすでにご自分を呼んでくださった神様を見ているので、私に語るべきことを教えていたのかも知れない。顔は心の鏡。すでに神を眺めている人の顔には、安心して委ねていることが表れているのだと思う。誰かの告別をするたびに、私のことを誰がどう話してくれるのだろうかと本気で考える。
22/6/12(No.1184)
▼水曜日に日曜日の福音朗読からヒントを得て文章を書く用事があり(それこそ「声の奉仕会マリア文庫」の用事)、「よし書けた!これで日曜日の説教もスイスイと書けそうだ」と思ったのだが神様はそう甘くない。
▼取り上げた日曜日は「キリストの聖体」の祭日で、19日の朗読箇所であった。ガッカリした。ガッカリしてはいけないのだろうが、それでも少し楽しみはある。来週のアイディアはすでに仕込んであるからだ。これで安心して黙想会に参加できるというものだ。
22/6/19(No.1185)
▼使徒言行録8章で、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が登場する物語がある。この高官は主から命じられて近づいたヤコブに、「読んでいることがお分かりになりますか」と聞かれ、宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言っている(8章31節)。
▼黙想会は、謙虚に「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と訴え、指導してくださる説教師や祈りの中での照らしを通して、今まで気付かなかったことを手引きしてもらう機会なのだと思う。
▼だからもし、黙想会に説教師はいるけれども「手引きしてくれる人」がいなければ、分かるはずのことも分からないということになる。これは自分自身への戒めで、もし私がどこかの黙想会の説教師に呼ばれた時に、「説教師はいるけれども手引きしてくれる人がいない」と非難されることになってはいけない。いつかまた黙想会を頼まれたなら、「手引きしてくれる人」として働けるか、考えてみるべきだ。
22/6/26(No.1186)
▼6月25日(土)大荒れの天気だった。朝方の予報では小雨だったが、朝ミサを終え、いまだに満足できないオムレツを食べて部屋に戻ると、雨が強めに降り出してきた。気にせず小教区報の原稿を仕上げて提出しようとした頃、部屋が暗くなり、外が騒がしくなった。
▼すると間もなく、「ドーン」とものすごい雷が落ちた。近くで落ちたのではないだろうか。家電品が心配になるほどの、地響きのする雷が落ちる。急いで原稿をGoogleドライブにアップし、ひとまずパソコンを閉じて嵐が去るのを待った。
▼すると、空があっという間に明るくなる。澄み切った空の何と対照的なこと。思わず写真を撮った。「写真を撮るなら、嵐の写真も撮っておけば良かったな」と思っていたら、お誂え向きの嵐がまたやって来た。今日は、新しく植えたゴーヤに水を撒く必要が無くなった。
22/7/3(No.1187)
▼7月3日は通常であれば聖トマスの祝日。しかし今年はカレンダーの都合で消されている。日曜日(今年は年間第14主日)が優先された結果だ。しかし心優しい田平教会役員は私の霊名聖トマスのお祝いをセットしてくれた。
▼ちょうど、司祭叙階30周年ということもあり、コロナ感染だけは出せないので敷地内でバーベキュー(焼肉)形式で開いてくれた。この原稿を書くのは土曜日なのでどんなお祝い会になったのかは分からないが、健康祈願祭(40歳・60歳)の対象者と合わせ、きっと賑わったはず。
▼場の賑わいになればと思い、この日に向けて「一期一会」という楽器の練習をした。「ウクレレ」のような楽器で、四本の弦が張られている。練習する気になった最大の理由は、「SONGS」で紹介され、「自分にもできそう」と思ったことだ。日曜日の動画で最後のほうに登場すると思うが、著作権申し立てが怖いので、その部分だけ音声はミュートしている。
22/7/10(No.1188)
▼長崎県は長崎市長が二人も銃撃された過去があるから、惨劇が繰り返されたことにショックを受けている人は多いと思う。本島市長銃撃事件の時は自分がどこに居たのか覚えていないが、2007年の伊東市長銃撃殺害事件の時は長崎市内にいた。
▼日本は銃を所持するのが世界でも困難な国の一つだと思っている。事件には手製の銃が使われたと報道されている。折しも参議院議員選挙と重なった。安心安全は、誰が、どの党が、保障してくれるのか?
22/7/17(No.1189)
▼全国で、豪雨の被害が出ている。「梅雨」が早く明けたと発表されても、こんな形で雨の被害が出てしまうと、予報が早すぎたのでは?と思ってしまう。今年は各地で起こっている災害や戦争など、心配が取り除かれるようにと祈ることが本当に多い。
▼一方で祈りは、「マリアは良い方を選んだ」にかなう働きなのかなとも思う。生活の中で時計(腕時計や壁掛け時計)を見て、「何をするか」と思ったとき、いくつかの選択肢の中から「祈ること」を選ぶのはすばらしいことだ。
22/7/24(No.1190)
▼田平教会近くに「お告げのマリア修道会田平修道院」が置かれている。歴史は古く、マトラ神父が紐差教会の田崎に「愛苦会」を設置して間もなく、田平教会の中田藤吉神父が田崎に愛苦会の教育を受ける子女を送り、教育を受けたメンバーが田平で「愛苦会」での生活を始めた。
▼「愛苦会」はのちに「聖婢姉妹会」となり、その後に「お告げのマリア修道会」となる。この田平修道院敷地内にいくつか果物の木が植えてあるが、修道院の正面入口付近に「リンゴの木」が植えてあった。いつの物か分からないが、立派な実がなっていて、修道院の歴史を見つめてきたのかも知れない。
▼「弱さを身に負うがゆえに」は原文の英語版がある。"Because beset by weakness"でネットを検索して欲しい。私も手に入れているが、今度日本語のコピーを純心のシスターから送ってもらったら、日本語訳と原文と、何回も何回も読み合わせて、どちらでも理解できるようにしておきたい。そしていつか、講話のために説教台に立ちたい。
22/7/31(No.1191)
▼一週間、ミサを中止した。私的なミサはもちろんささげたが、やはり目の前に信徒修道者がいない中でミサをささげると、「繋がり」の感覚がなく、淡白なミサになりがちだ。やはりミサは、会衆と共にささげるべきものだとつくづく思う。
▼6年間酷使してきたノートパソコンが突然「ブルー一色」になり、「エラーが発生しましたので、情報収集して報告後に自動的に再起動します」というメッセージを定期的に出すようになり、完全にいかれてしまう前にということでノートパソコンを購入した。いくつかの部分で以前よりもグレードを上げた。一つはメモリの搭載量を8GBから16GBに増やした。もう一つは画面の大きさを15インチから17インチにした。
▼17インチはさすがに大きいが、しばらく使用して慣れてくるととても便利だ。昔、デスクトップパソコンのモニターが17インチだったことを思い出す。隔世の感がある。全体的に文字の表示も大きめのフォントを用いて、目に優しいパソコン作業が可能になっている。その点は良いのだが、キーボードのレイアウトやデザインは、従来のものがはるかに良かったのでそこは少し不満である。
22/8/7(No.1192)
▼長崎県も新型コロナ感染者が2千人を超える日々が続くようになった。10万人当たりの新規感染者数の上位に九州がずらり並んでいて、いつ長崎がこの中に入るのかと冷や冷やしながら眺めている。
▼8月6日午前8時15分、長崎市ではサイレンが鳴り、黙祷が呼びかけられたという。しかし平戸市ではこの時間のサイレンは鳴らなかった。長崎県でも、対応が違うのだと改めて感じた。サイレンが鳴らなくても広島のことを片時も忘れたことはない。
22/8/14(No.1193)
▼「釣り道具」は父親が手ほどきしてくれたが、不思議と「釣り餌」は母親がよく知っていた。「塩サバ」「キビナ」「イカの足」などが磯釣りでは重宝するが、それを教えてくれたのは母親だ。
▼「道具」「餌」を整えてもらっても、釣れるとは限らない。小学生が適当に磯で糸を垂らしても、そこに魚がいるとは限らない。前任地、浜串教会で親子で港の中を移動しながら釣りをしている光景をよく見た。この経験が足りず、釣った魚を食卓に並べるまでにはかなりの時間を要した。その時にはもう父は他界していた。
22/8/15(No.1194)
▼長崎市では8月15日は「精霊流し」が盛大に行われる。カトリックの行事ではないが、カトリックの人もこの「行事」を利用していると感じる。「精霊船」に、「この船の依頼者はカトリックだろうな」と思わせる工夫を凝らしているときがあるからだ。
▼日本でカトリックが圧倒的に広がらなかったのはなぜか、いろいろ考えるが、日本人のお祭り好きを活用できなかったことが、一つの原因だと言ったら間違いだろうか。日本人は本当にお祭り好きで、この日のために会社を休み、故郷に帰り、ふだんでは考えられない犠牲を払う。そこをうまく取り込めたなら良かったのに。
22/8/21(No.1195)
▼どうも朗読される福音の箇所で説教が湧いてこなくて、過去の説教を当たってみた。良い内容の説教もあった。それを使うことも考えた。しかし、今の説教が思い当たらない苦しい思いをうまく反映できていないと思って使うのをやめた。
▼今回の内容は、皆さんの期待に添わないかもしれないが、自分自身が「お前たちがどこの者か知らない」とされることのないように、よく読み返しておきたい。
22/8/28(No.1196)
▼54勝61敗3分。8月25日時点でセ・リーグ五位。いつも浮かれていたリーグ三連覇の時からすると、寂しい成績である。テレビ観戦のために、J-Sportsまで契約した。勝った日の試合は録画を残し、スポーツニュースも最後の時間まで観る。
▼しかし負けた日は録画した番組を消し、スポーツニュースも全く観ない。今年は運よくファンクラブの単年会員まで手にしたのに、試合観戦は夢のまた夢。会員は先行予約と年間を通しての予約を押さえることができるのに、このままだと年会費は無駄になりそう。
22/9/4(No.1197)
▼長崎市にある「カトリックセンター」で教区典礼委員会主催のもと開かれた「新しいミサ式次第の変更箇所の確認と解説」という研修会がDVDで教区内の各小教区に配布され、直接参加した長崎三地区だけでなく、教区全体が研修の内容を共有できるようになった。
▼最初に配布されたDVDをさっそくHDDレコーダーで再生してみる。しかし再生できない。「なぜだ?」と思ったが原因がわからない。それで仕方なく発送元の典礼委員長S師のところに現物を送り、「HDDレコーダーで再生できません」と言葉を添えておいた。
▼早速対応してくださり、作り直したDVDが届いた。見た感じでは、「シルバーのディスク」が「ホワイトのディスク」に代わっていた。これだけの問題だったのかもしれない。まぁそれでも、すべての人が再生できるのでなければ、研修内容を共有できないのだから、今回の行動はお互いに学びがあったと感じている。
22/9/11(No.1198)
▼台風の前にはさまざまな対策を施す。小学生のころ、台風と聞けば木製の雨戸をすべて閉めて、その外から閂(かんぬき)のような棒を父親が雨戸に打ち付けていたものだ。当時は高級な電化製品などなかったので、この雨戸の対策が記憶に残っている。
▼今回の台風11号に備えて、雨戸を閉め、南向きの窓を中心に養生テープで×印をし、リース契約をしている複合機をブルーシートでがっちり覆った。複合機を雨にぬらした場合の補償はあるのか調べていないが、有る無しに関わらず一時的にも使えなくなるのは困る。
▼ほかには、飛ばされそうなものをしまったり、前もって倒しておいたりしてその日を迎えた。強風におびえ、一晩眠れずに過ごしたが、また台風12号が同じようなコースで向かってきている。何かテクノロジーで台風を消し去ることはできないのだろうか。もちろん台風がもたらす大きな枠組みでの働きを理解はしているが。
22/9/18(No.1199)
▼辛抱と、忍耐。平戸地区の八つの教会が集まって月に一度定例会を開いている。議題の中では新型コロナウィルスへの対応状況の分かち合いも含まれる。するとどの教会も、何かしらの事情があってミサを休止した時期があるようだった。
▼どの教会も、こんな状況にあって忍耐している。ミサをしたくてもできない状況は、誰が始めたわけでもない「迫害」の時期かもしれない。迫害を経て、日本の教会は復活した。この迫害に似た状況を乗り越えて、日本の教会が復活すると信じたい。
22/9/25(No.1200)
▼何が何でもこのネタでなければならないわけではないが、世の中「西九州新幹線」に関心が高まっているので今週はこのネタで。「平戸市」に新幹線がどれだけ恩恵をもたらすかは未知数。その証拠かもしれないが、当日身近で聞いた声は「ブルーインパルスが飛んだ」という話くらいだった。
▼正直、「乗ってみたいか?」と聞かれると限りなく疑問である。武雄温泉駅で降りて、新鳥栖まで乗り換え、新鳥栖からまた新幹線に乗る。または武雄温泉駅から博多まで新幹線以外で乗り継ぐ。これを不便と言わず何と呼ぶ?佐賀県に新幹線の恩恵と在来線のしわ寄せが来ないように「オール九州」でアイディアを出し、できれば大阪まで直通の便を通してほしい。
22/10/2(No.1201)
▼新しいものに伴い、関連グッズが出る。これは良くある話。このたびの「西九州新幹線」もまたしかり。その中に、ビールメーカーが出したものを発見。9月23日に手に入れたという人もいると思うが、私のように「別にその日でなくても」と思っている人は並んでまで手に入れようとは思わない。
▼帰省の機会があり、前日の長崎入りの夜に飲むものをスーパーで探そうと適当に店に入ったら、なんと新幹線かもめのデザインの入った缶ビールが目に留まった。限定販売と聞いていたが、意外とあちこち流通していたのかもしれない。飲んでみたが、まったく味は変わらなかった。
22/10/9(No.1202)
▼何かの的に当てるために、距離が近ければ的を直接狙うことができる。しかし距離が遠ければ、的を直接狙えばほとんど当たらなくなる。重力があるからだ。重力と言わなくても、風が邪魔したりいろんな要素が入るからだ。
▼ひょっとしたら、これまでの30年間、直接的を狙い続けてきたかも知れない。「なぜ的に当たらないのだろう」と考えることがあったが、狙い方が悪かったか。少し的の上を狙って(少し高めの目標設定にして)、本当に狙っている的に当てる考えがこれからは必要かも知れない。
22/10/16(No.1203)
▼後輩の司祭叙階25周年を祝ってあげることになるとは思いも寄らなかった。小神学校からずっと一緒にいたが、お祝いを受ける神父様の小神学生時代の記憶は「よく食べるなぁ」という記憶だった。
▼もしかしたら当時から、平戸地区がお米を届けていたのかも知れない。何せ校長神父様は「浜崎渡神父様」、つまり田平教会出身の神父様だったから、田平や紐差のお米が届いていた可能性は十分にある。神学校のお米が田平のお米だったのであれば、当該の神父様には「故郷の味」だったわけで、懐かしさもあってたくさん食べていたのかも知れない。
22/10/23(No.1204)
▼バイクに乗っている。ヤマハのドラッグスター250。バイクに乗るから当然ヘルメットを持っている。ヘルメットも長く使っているので、首回りを保護する部分が擦れて人工皮革の一部が剥がれ、小さなゴミとなって洋服に付着したり、部屋の中で散らかったりして迷惑がかかってきている。
▼そろそろ、ヘルメットの替え時か。広島カープの監督が、人気・実力とも申し分ない人物に交代することとなった。指導の経験が無いそうだが、コーチが監督を育ててくれるだろう。新しい監督を応援するためにも、ヘルメットを「アライ(Arai)」に買い換えよう。
22/10/30(No.1205)
▼今日は坂田さんのオンパレード。最後に面会した10月21日のこと。コロナ対策と称して面会人はマルコ園の外のテントに待機し、面会希望の人が園内の一室に招かれ、顔は窓越しに見て、声は電話で聞くという対応だった。まぁ、おしゃべりするだけならこれでも良かったが、握手はできない。
▼あまりの懐かしさに「あー神父様に会えてこれで思い残すことはない。死んでもいい」としきりに言うので、「死ぬ前に神父様にミサ100回分遺産分けをするって書いておくれ」と言ったら、都合の悪いことは聞き取れないらしく、「病気のせいで頭も耳も悪くなってしまってすみませ〜ん」と逃げられた。
22/11/6(No.1206)
▼11月、田平教会は毎年教会墓地に眠る人々のため、野外ミサを行う。最近は参加がより容易な「文化の日(夕方)」に実施している。40名ほど参加している。今年、墓地の敷地内でミサの準備をした。
▼準備は整い、ミサを始めたが、夕方の西日が直接参加した会衆に当たってしまった。私は対面なので、背中が西日で照らされている状態になった。どちらも大変だったが、私よりも信者の皆さんが大変だったろう。
22/11/13(No.1207)
▼法務大臣が辞任した。私の記憶では、前にもうっかり発言で法務大臣が辞任したと思う。「職責」が人を育てるものだと信じていたが、どうもそうではないらしい。人を育てるのは何なのだろうか。「職責」でなければ、何が人を育てるのだろう。
▼「司祭も、司祭をしながら司祭になるのだ」と先輩から言われたが、「職責」という意味では、司祭だからと言って育ててもらえるとも限らない。本当に育ててくれるのは神への信頼なのではないか。神が、信頼する人を必ず育ててくれる。
22/11/20(No.1208)
▼新しく届いた「ミサ儀式書」の修正箇所が教区本部事務局を通じて知らされてきた。二箇所、指摘があった。まっさらな儀式書に訂正を入れるのは気持ちの良いものではない。しかし訂正をしないと、間違った状態で唱えることになる。
▼しかし悔しさをバネに、このたび刊行された儀式書と共にミサをささげていこう。修正箇所が、よりこのたびの儀式書を定着させる契機になれば。そして五年後に、最終的な儀式書が刊行されて、未来に誇れるものになれば今回の修正も報われる。
22/11/27(No.1209)
▼ひとまず、「新しいミサの式次第と第一〜第四奉献文」の変更を取り入れたミサを終えた。この原稿の時点では終わっていないが、どのように感じるのだろうか。何度か「模擬ミサ」をしてきているので、特別変わったことはないのだろうか。
▼もし今回の刷新での気付きがあれば、ここで分かち合ってみたい。何か「目からうろこ」というような体験があるのかも知れない。これまで携わってこられた方々のご苦労をねぎらいたい。お疲れさまでした。乾杯!
22/12/4(No.1210)
▼急に寒くなった。体が硬く、体温を維持できない。暖房に頼り、洗濯物を外に干すのもおっくうになる。今年の冬は寒い冬となり、寒いクリスマスとなるのか。
▼最近、肌着などに「賞味期限・消費期限」があるかも知れないと思えるようになった。温かく保つ技術を施した肌着が、機能を発揮していないように思えるからだ。買い直すことに。買い直せば良いというものでもないだろうが、有意義な買い物だったと思う。
22/12/11(No.1211)
▼「新しいミサの式次第と奉献文」を使い始めてから2週間が経過した。相変わらず、気を緩めるとあちこちで間違って唱える。大司教が主司式をした平戸ザビエル祭、手もとに信徒用の冊子を持って共同司式をした。理想であれば、手もとに何も持たずにささげたい。
▼老人ホームでのミサとか、病人の聖体訪問とか、何より葬儀についても、一冊の本でまかなえないので司祭も信徒も苦労している。正式に儀式書が出るとき、当然葬儀の儀式書や結婚式の儀式書、ほかの儀式書も新しくする必要があったのに、その点についてどのように考えていたのかの意見も聞くことができない。もっと、風通しを良くしてもらいたい。
22/12/18(No.1212)
▼宮川神父様が上智大学時代の話。一緒に学んでいた学生に堤好治師(2022年没)がいた。堤学生は宮川学生にこう言った。「勉強ばかりしていたら体がもたない。わたしが『ラジオ体操』を教えるから毎日欠かさずしなさい。」宮川学生はこの教えを忠実に守り、毎日ラジオ体操をした。
▼のちに堤神父様が浜串小教区時代に学生時代の話を聞いた。「君たちは宮川神父様がどれだけ優秀かを知っているだろう。わしはその宮川神父様にラジオ体操を教えた。だからわたしは宮川神父様の先生と言える。」それを誇らしげに話していたことを懐かしく思いだした。中田神父もその意味では、パソコンを教えた「先生」と言えなくもない。
22/12/24(No.1213)
▼クリスマスカードを、覚えている範囲で2枚しか書いていない。1枚は、前任地の浜串からお告げのマリア修道会の志願者になっている高校生。もう1枚は、出津にある老人ホーム「マルコ園」。これだけしか書いていない。
▼もっと書くべき人はたくさんいるとは思うが、日本の習慣で年賀状の準備もしなければならない。中田神父は併せて田平に帰省する人のため、黙想会の準備もしなければならない。千手観音のように手があれば良いが、そうもいかないのである。
22/12/25(No.1214)
▼まれにしかない「日曜日に守るべき祭日」がやって来た。ちなみに一週間後の「神の母聖マリア」も日曜日。司祭にとっては「ありがたい巡り合わせ」なのだが、ただ一年後のことを考えるとそう単純に喜べない。
▼2023年12月25日は月曜日である。すると、12月24日の「主日のミサ」をして、夜に「主の降誕(夜半)」が来て、翌日に「主の降誕(日中)」が来る。三種類の違った説教が必要になる。同じように2024年1月1日は月曜日だから、23年12月31日の「主日のミサ説教」と、翌日の「神の母聖マリアの説教」が必要になる。これは頭が痛い。
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