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20/1/1(No.1040)

▼いつ頃からだったか、結婚のために講座を受けに来るカップルに話をしていると、いつの間にか熱が入って「親が子に言い聞かせるように」話をするようになってしまった。「大丈夫なのか?そんな心構えで。」神様から余計な心配だと言われそうだ。
▼同じことで、新成人の皆さんに私はいかにも人生の先輩のような目線で話をしているのではないかと思った。それでも構わないとは思うが、問題は相手の心に響くかどうかだ。響くのであればそれは方法として正しいが、まったく響かなければ方法を変えなければならない。
▼市町村の成人式で、原稿を朗読している人にひどい言葉を浴びせる新成人の様子とかが報道され、市町村は対応を検討して、原稿の棒読みはやめて市長や町長が新成人の知っている流行の最先端を取り入れたり、涙ぐましい努力をしている姿も流れる。いかにして新成人の胸に響く式典にしようかと、努力している姿は一見の価値がある。
▼成人の年齢が18歳になれば、さらに対象年齢にあった対応が必要だろう。2018年(平成30年)6月13日、成人の年齢を20歳から18歳に引き下げることを柱とした改正民法と、それに関連する22の法律の見直しが可決・成立した。 2022年(令和4年)4月1日に施行される。教会も新成人の祝福式を心に響くものにする工夫が必要になる。



20/1/5(No.1041)

▼「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ7:13-14)1月2日の黙想会を終えて、あらためてこの聖書の言葉を考えている。
▼今年は黙想会の中で、「フランシスコ教皇のことを知る」というテーマで取り組もうと思っている。私が教皇様のことを知っているとか、そんな大それたことを言うつもりはもちろんない。「毛頭無い」と言いたいところだが、すでに毛はないので言わない。
▼一冊の本を手がかりに教皇フランシスコの人柄をたどっていく。だから私が参考にする本を繰り返していねいに読めば、黙想会に参加したようなものなのだが、コンパクトにまとめて話してもらうのを聞いたほうがつかみやすい。だから黙想会参加費を払って参考にする本からのエッセンスをもらって欲しい。
▼1月2日までにも真面目に読み返し、掘り下げてきたつもりだが、やはりそれでも足りない。何が足りないのか。それは「狭い門から入る」この部分である。教皇フランシスコの生き方や考え方は本の中に十分説明されている。だが本を10回読んでも、極端な話50回読んでも、足りないのである。
▼それは、教皇フランシスコが生きているように生きてみなければ、教皇フランシスコの人柄に「確かに触れた」とは言えないわけだ。身分の高い人が当然利用する権利を横に置いて貧しさに生きるとか、教会の教えから遠く離れて生きている人の声に耳を傾けるとか、罪に溺れそうになっている人に浮き輪だけ投げるのではなく、そばに行って手を差し出すとか、そうしないと教皇フランシスコの人柄に触れることは難しいのだ。
▼少なくともまだ3ヶ月ある。教皇フランシスコが体験したことを自分も体験して、黙想会に備えることにしよう。



20/1/12(No.1042)

▼こういうことを「弱り目に祟り目」と言うのだろう。「もう辛抱できん」と思って人払いをして、そのせいで自分でしなければならないことが増えて、いつもならしないようなヘマをして、がっかりした。
▼郷里の鯛ノ浦に帰省後、洗濯物を処理した。ところが司祭シャツの胸ポケットに、メモが入ったまま洗濯をしたらしい。洗濯物を取り出して、小さくちぎれた紙くずが、私を鼻で笑っているように感じた。
▼もはや思い描いている生活は無理だ。少しでもストレスを感じないで生活するためには、やはり身軽にならなければならない。手当たり次第ものを始末し、頭の中にため込んでいる予定も全部片付けて、頭に空間を作れば、少しはましになるだろう。
▼たくさんの人が関わる場所は、よどみが少ない。誰も入らせない、誰にも手を付けさせない方法を許してしまうと、気がつかないうちにその場所はよどんでいく。風通しの良い環境をたくさんの人に入ってもらって作ることにする。
▼最近ほとんど毎日夢を見ているらしい。初夢はとても夢見が悪かった。それ以降もたくさん夢を見て、思い出せないくらいだ。毎日夢を見てもどうやら普通のことのようで、起きる前には黒板消しのような作業が行われて、ほとんど思い出せないらしい。
▼実現できそうな夢を見てみたいものだ。信徒会館裏手の敷地で、野外ミサをささげているとか、田平教会が耐震補強工事に入ったときに、田平教会の恩人が寄付をしてくださってその人に感謝状を贈るとか。だが実現できそうな夢は、もはや夢とは言わないかも知れない。



20/1/19(No.1043)

▼「その日に必要な聖書の箇所が与えられた。」これには続きがある。「何という偶然!」最初はそんな気がしていた。当然この箇所をメモを取るなり、ミサで使用している冊子を病人訪問に持って行くなりして、準備が必要である。
▼ところが、病院に出発するときに「該当聖書箇所」を朗読するための冊子、あるいは福音書を持参しなかった。「何という偶然!」と一瞬でも思ったのが悪かったのかも知れない。「これは偶然ではないよ。私があなたにチャンスを与えたのに、あなたはそれを無駄にしようとしている。」そう言われている気さえした。
▼誰にも何も言っていないのであれば、儀式書から右にも左にも逸れずに執り行えば、話題にはできないけれども責任は果たせる。「責任を果たすだけで良いのか?」非常に悩んだ。車を走らせてすぐに気づいたので引き返せばまだ間に合う。
▼あるいは、聖書の箇所さえ思い出せるなら、今はネットの世の中。どこからか該当箇所を探し出せる。ちなみにTwitter(ツイッター)の「calendarium_bot」が定期的に朗読箇所をツイートしている。だが聖書の箇所が思い出せない!運転中していてネットの便利なサイトにも考えが及ばなかったなかった!
▼結果的に、聖書の箇所を無事に手に入れることができたのは神に感謝した。関係者の皆さんにも感謝。人間一人の力でできることなど、たかが知れている。人の助けを素直に受け入れ、神との交わりを証しできる司祭であり続けたい。



20/1/26(No.1044)

▼あー、マラソン大会。「あー」と言っている時点で勝負は付いている。今年も負け。ダメダメ。それでも参加し続けるのは、私の知るある先輩神学生だった人の「奇行」のせいかもしれない。その先輩とはいまだに会えていないが、私は先輩の「奇行」を受け継いだ。
▼その先輩は、神学生が休暇を終えて帰ってくると、必ず「名簿の確認」をしていた。つまり、「神学校を辞めた人」のチェックである。神学校を辞めた人を目ざとく見つけては、筆記用具で線を引くのだった。
▼どんな思いで線を引いていたのか分からないが、ひょっとしたら「自分は最後まで生き残るぞ」という覚悟だったのかも知れない。私はたまたまその作業を見て、「変わったことするなぁ」と思っていた。しばらくは見続けていたのだが、ある日、「その日」がやって来た。
▼辞めていく学生たちを名簿から削除するために線を引いていたその先輩が、なんと辞めてしまったのである。当然自分で自分に線を引くことはできない。どうなったか?実は私がその「奇行」を受け継いで、辞めていく先輩後輩の名前に線を引いていったのである。
▼私は生き残り、司祭となった。もはやその「奇行」は続けていないが、これはマラソン大会にちょっと繋がってくる。マラソン大会は非常に負担の大きい行事なので、年齢が重なれば当然出場は難しくなってくる。私もその一人で、同級生はもはや誰も参加していない。
▼あえて参加している先輩を挙げれば、思い出せるのはH師とM師だけだ。大先輩のT師はマルコ園にいるし、大先輩のH師はいくら何でもご老体を引きずっては来ないだろう。そうなると、思い出せる2人との「落伍者競争」になるわけだ。
▼私は今のところ走れば走ることができる。いつでも先輩二人に「消去線」を引くことができる。せっかくだから60まで走って、「シニアの部」を設定してもらい、表彰台に上がりたいものだ。



20/2/2(No.1045)

▼悔しくて、説教では触れなかった話題と、恥ずかしくてとてもではないが説教で触れることのできない話題。マラソン大会に大阪から「刺客」が送られてきていた。補佐司教様から情報を得たのか、それともこの説教メルマガ・説教ブログで目にしたのか。
▼二人の大阪教区の司祭がマラソン大会でそれぞれ脚光を浴びた。一人は成績2位。一人は最年長参加。成績2位は立派である。去年までの優勝者(平戸地区のK師)を押さえた人が二人も出て、そのうちの一人は誰も知らなかったのだからすごい。
▼参加者最年長の先輩は私の次、司祭の順位で14位だった。私がちょっとでも諦めれば、追い抜かれていたかも知れない。やはり「ようやく1時間を切る」というタイムではダメだ。50分を目標に、調子次第で45分でゴールできるようなタイムで走らないと楽しくない。
▼マラソン大会から帰って、田平教会でのミサ。この日はふだんよりも寒かった。「こんな日は格好付けずにパッチ(ももひき)を履こう。」そう思ってパッチを履いていった。しかしパッチを履いてもなお寒い。聖堂内はエアコンを入れて少し温めている。
▼「それなのに女子がスカートで過ごしているような・・・あ!」ようやくここで気づく。パッチは履いたけれどもズボンを履き忘れていたのだった。昨年そんなことがあって、司祭館玄関で気付いてズボンを履いて聖堂に入ったのだったが、今回はいよいよやってしまった。
▼しかし、偶然は重なるもので、この日子どもの侍者が来なかったために典礼委員長が侍者を務めてくれた。その典礼委員長がこう言った。「神父様、今日はスースーして寒いですから、香部屋と祭壇を区切っている木の扉を閉めてから入堂しますね。」私はてっきり、スータンの下にパッチしか履いていない私を見るに見かねてそう言ったのかとギョッとした。



20/2/9(No.1046)

▼10年ぶりくらいにラケットを新調した。ここ田平に来てから4月には5年目に入るが、10年間で実力も変わり、思うようにテニスを楽しめなくなっていた。そこで「ラケット」のせいにして、気分一新しようというわけだ。
▼佐世保のヤマダ電機のそばにあるスポーツ店でラケットを見渡し、「これいいな」と思った物を手に取って、女性店員に「これでガットを張って購入したいです」と申し出た。すると店員は受け取ってすぐにこう言った。「お客様、このラケットでは軽すぎませんか?」
▼聞けば、女性にお勧めするラケットが260gから270gくらいで、私が握ったのが265gだった。この店員は小さな大会に出るレベルのプレーヤーで、「ちなみに私が使用しているラケットが270gです。もう少し思い物をお選びになりませんか?」と言ってきた。
▼色合い(レモン色)が気に入ったので手に取ったのだが、店員に促されて選び直した。次に手に取ったのは「赤」のラケット。「ではこれで」と依頼すると今度は「お客様、これは少し重すぎませんか?」と言ってきた。面倒な店員だ。
▼「手に取られたラケットは300gです。男性の大柄な選手ですとこの重量でも振り回せますが、お客様はたまに友達とテニスをなさる程度だと伺いました。でしたら270gから290gくらいの物をおすすめします。」私も疲れてきて、「では店員さんがいくつか取り分けてください」と少々投げやりになってきた。
▼「そうですね・・・これとこれ、それにこれなどいかがですか?」どれも重量280gのラケットだった。確かに微妙だが軽すぎず、重くもない。取り分けた中で聞いたことのある唯一のラケットメーカーを選び、これから約10年、このラケットを使うことになる。



20/2/16(No.10470)

▼堅信組の筆記試験で珍回答があった。「○○○○補佐司教」という空欄に、選択肢の中に混ぜておいた「トマス中田輝次」を堂々と記入していた。後で考えてみたのだが、「パンチの効いたジョーク」だったのかもしれない。いくら何でも「補佐司教」の空欄に大真面目で主任司祭の名前を書かないだろう。そうだとしたら、肝が据わっているぞ。
▼「明治は遠くなりにけり。」昔こんな言葉を聞いたことがある。私にとっては「バレンタインは遠くなりにけり」となるだろうか。浦上教会の時はミカン箱を二つ用意して、お返しも150個とか、洋菓子店に頼みに行くのもちょっとしたイベントだった。今年はゼロか?と思いきや、土曜日15日に急展開となった。
▼ちなみにゼロでなかったことは念を押して言っておく。その上さらに、15日には引退した神父様が訪ねてこられ、「チョコレートよ(笑)」と言って箱を渡された。透明のフィルムに入っていたのですぐに物は分かった。まさかまさか、大先輩が「バレンタインプレゼント」を用意してくれていたのである。
▼志を同じくする者は、必要としているものも言わなくても理解できる。私がネット通販で「これ欲しいなぁ。でも買うほどでもないかなぁ」と思っていた部類の商品を、引退神父様が気前よく買ってくれた。まったく同じメーカー、シリーズのものではないが、「この手の品物があったらなぁ」と思っていたまさにそれを買ってくれていたのだ。
▼大先輩も今年は「ダイヤモンド祝」の年。何と言っても私に鯛ノ浦教会で洗礼を授けてくださった神父様だ。たとえ説教の準備で頭抱えている真っ最中でも、たとえ今日の面会人が何人も重なっていたとしても、たとえ「話しが長くなると時間が・・・」と頭をよぎったとしても、そんなことは問題ではない。



20/2/23(No.1048)

▼同級生はやはり意識するものだ。聖パウロ会の日本管区長になったことを横に置いても、「さすがだな」と思わせるたたずまいをしていた。言葉で表すなら、「香りが違う」ということだろうか。
▼小教区を巡り、主任司祭を歴任するうち、いつの間にか「古狸」になってしまっていた。同級生の「香り立つ」雰囲気を感じて「これが歩んできた道のりの違いか」とつくづく思ったのである。
▼彼はミサの説教で「共に哲学を学んだ仲です」と紹介してくれた。哲学を学んだとは自分の口からはとても言えない。「哲学思索への道」という本ですでに打ちのめされた感があった。彼はそこからさらに羽ばたいていった。
▼共に学んだのは確かだ。もっと長く、学び合っていたら、彼からたくさんのことを吸収したかも知れない。今や同級生の中で、同級生であることが誇らしいと思える存在になってくれた。できれば世界に羽ばたく人になって欲しい。



20/3/1(No.1049)

▼ホームページのサーバーを引っ越した。すでに引っ越した。それまでのサービスも良かったのだが、二週間ほど接続できなくなっていた。毎週更新する自分にとってはそれは耐えられないことだった。
▼調子の悪さを例えて言えば、毎週利用させてもらっているスポーツ施設で一つのロッカーを専用で使っていたが、鍵の調子が悪く、毎度スタッフを呼んでロッカーを開けてもらうような感じだろうか。
▼毎週スタッフにお世話になるくらいなら、使わせてもらっているロッカーを変える方がよほどストレスにならない。そういうことで、中田神父の私物(ホームページの素材)を置いているロッカー(サーバー)を引っ越すことにした(すでに引っ越し済み)。
▼案外、こういう作業を終えてみると、以前のサーバーが復旧していたりする。しかしそれでも、振り向かない。未練はあるが(月額200円と安かったから)、新しい未来を切り開くと決めたから、もう後戻りはしない。
▼いよいよ誕生日(3月12日)が近づいて、54歳になろうとしている。この歳になって失ったことを後悔するのは時間がもったいない。前に進んで、今この時からできること、お役に立てることに時間や労力や資源を向けるべきだ。
▼教区に住んでおられる諸先輩の50周年(金祝)、60周年(ダイヤモンド)、70周年(プラチナ)を迎えた感想を読んだ。たくさんのことがあったに違いない。振り返ればきりがないから、今を感謝するコメントが多い。それでも読み応え十分だ。
▼サーバーの引っ越しをすれば、引っ越したことに気づかず、「最近更新されないなぁ」とずっとその場で待ち続ける人が必ず出る。その人たちには連絡のしようが無い。この記事を読んでくれた人が知り合いに知らせてくれるかも知れない。私は前を向いていく。大事なのは過去を背負ってでも、前を向いて進むことだから。



20/3/8(No.1050)

▼公式のミサが中止になって、説教で述べたとおり人間の力に頼らず神の力に頼って乗り越え、糧にするのはもちろんだが、「ちょっとひとやすみ」ではこの機会にしか経験しないことを分かち合いたい。
▼平日のミサを、香部屋から略式祭服とホスチア、ぶどう酒を持ち込んで司祭館応接間でささげている。興味がある方は3月2日のミサを二分割でYouTubeにアップしたので「ひとりぼっちミサ(前半)https://youtu.be/2SGGHSJfDio」で視聴してみると良い。
▼誰一人返事のないミサ。本当にこれで良いのかと疑ってしまう。けれども公式のミサができない以上、一人で私的なミサをささげるしかない。引退したYY神父様はどんな思いで日々自宅でのミサをしておられるのだろうか。一緒にミサをしてみるまたとない機会とチラッと思ったが、私が何かを神父様に移して体調を崩させたりしても申し訳ないのでやめる。
▼来る日も来る日も、一人でミサ。意識は参加できるはずの人々を思い描いてささげている。それでも気分は晴れず、気分転換にと生向(いけむこ)漁港からボートで出船。気分が乗らないせいか、魚も針に乗らず。気分転換もうまくいかず落ち込んでいるところにいつの間にやって来たのか「平戸市海上保安署」の巡視艇が接近してきた!
▼私の4人乗りボートと比べると10倍くらい大きな船だが、音もなく近づいてきてスピーカーで「こんにちは。こちらは平戸市海上保安署です」と呼びかけてくる。生まれて初めてのことでギョギョッとした。特に不審な行動をしていたわけでもないのでこちらが動揺する必要も無い。聞かれたことに素直に返事をしよう。覚悟を決めた。
▼「釣れてますか?」はぁ?そんなことを聞くために接近してきたのか!「ここは通行船が多い海域ですから、見張りがおろそかにならないように注意をお願いします。」私が両腕で大きな○(まる)をして見せたら、巡視船は去って行った。おどかすのもいい加減にせえや。
▼朝、外が明るくなり始めて目覚ましもかけず自然に目が覚めてから顔を洗ってミサをしている。強制的に早起きをしないことだけが、公式のミサが中止になって感じる喜ばしい出来事だ。この前、初めて「鶏もも肉の照り焼き」を作った。火が通ってないのではと心配してもう一度皮を焼いたら皮が焦げてしまった。自炊生活、「焦げんこと」になるとは(笑)



20/3/15(No.1051)

▼ここまで新型コロナウィルスの影響を受けるとは思わなかった。期間が長く、範囲も広い。まだ予防法や封じ込め政策が行き届いていない時代ならまだしも、この最先端技術が浸透している時代に、こんなに長引くのが驚きだ。
▼ミサに会衆が参加しない中で、自身の司祭生活に役に立っていることもある。長崎教区の信徒は祈祷書のミサの頁を開くと「奉献文」という部分があって、その中に「第二奉献文」「第三奉献文」というのが見えると思う。
▼ちょっと考えれば分かることだが、「第二奉献文」というのがあるのであれば、「第一奉献文」が当然あるはずである。その通り、祈祷書には印刷されていないが、第一奉献文が存在する。また、第四奉献文というものもある。
▼平日、誰もいない司祭館の応接間で、「第一奉献文」「第四奉献文」を遣ってミサをささげている。第一奉献文から第四奉献文まで、興味がある人はホームページ「話の森」(http://ss104313.stars.ne.jp/index.html)の「カノン(表)」と「カノン(裏)」を開いてほしい。
▼叙階されて28年目に入ろうとしているが、お恥ずかしい話、「第一奉献文」はこれまで一度も使用してミサをささげたことがなかった。第三奉献文はいくらか一般信徒ともささげたことがある(特に大祝日・司教様主司式のミサ)。かろうじて第四奉献文は、過去に赴任した「馬込小教区」の「大明寺教会」でだけ、ささげたことがあるに過ぎない。
▼2週間目に、ようやく気づいた。「ここで第一奉献文、第四奉献文を唱えなかったら、生涯唱えずに人生を終えるかも知れない!」公式のミサが中止となる中、どれだけの司祭が同じことに目が向くだろうか。



20/3/22(No.1052)

▼「あごひげ」の威力か?交通ルール上は自分がルール違反だったのに相手が謝ってきた。カローラを運転していて、三叉路で右折をしようとした。反対車線に入るので優先である直進車に十分注意しなければならない。運転中は春の日差しを避けようとサングラスをかけ、紺色のキャップを被っていた。
▼あいにく、私の隣には清掃車が左折のタイミングを待っていた。清掃車が左折したとき、私も右折で対向車線に入ろうとした。そこへ軽自動車が清掃車の影から出てきた。「あっ!」と思ってブレーキを踏む。相手も止まってくれて、事故は避けることができた。当然私の不注意なので、「申し訳ない」と思い、運転席から少し右手をあげた。
▼ところが軽自動車の運転手は顔がこわばり、幽霊を見たかのような怯えかたをして「申し訳ありません。許してください」というような身振りを示した。完全にこちらが迷惑をかけている側なのだが、軽自動車は恐る恐る通過していった。
▼ひょっとしたら、あおり運転の罰則強化に繋がった事件を起こした人物と、ひげ面の私が重なり、「触らぬ神にたたりなし」と思ったのだろうか。一度だけ、ひげが相手を威圧した場面だった。相手には申し訳ないことをしたと思っている。



20/3/29(No.1053)

▼ICレコーダーが壊れた。スライドして、隠れているUSBコネクタを引き出し、充電するタイプなのだが、あらゆるUSBタイプの充電を試したがICレコーダーを認識しない。機器として認識しないので、パソコンでのデータの取り込みもできなくなってしまった。
▼しかもそれが、黙想会の直前にやって来た。黙想会の説教を録音すれば、CDに焼くことで、あるいは音声データをネットに上げることで、黙想会に参加できない人のお役に立てる。このままでは本当に周縁にいる信者たちの手に届かなくなる。
▼ひとまず古いICレコーダーを引っ張り出した。この手の危機は新しいものがどんどん出る。新しい物好きの自分としては「何か口実を見つけて」新しい物を買いたい。古いものがまだ使えるのに今回の物を買った理由は、「古いものがいちばん良い音質では3時間しか録音できないから」だった。これを口実に、容量が2倍のものを買った。
▼たとえば司祭の黙想会は、3泊4日にわたる。これが一台のICレコーダーに入りきれないとなると、「@パソコンに録音データを避難させて空にする必要があるA録音データを避難させるノートパソコンを持っていく必要があるB重たい荷物を抱えていきたくない」こういう思いが頭をもたげる。当然買い換える口実になる。しかも前より安いと来た。
▼田平小教区の黙想会は、ひとまず古いICレコーダーで乗り切ったが、不安は解消されない。これが今回さらにICレコーダーを買う「もっともらしい口実」となった。中古で買ったがどこにも中古を思わせる様子はない。技術の革新はめざましく。古かったICレコーダーからすると今回購入したものは容量が4倍になり、容量2倍だった壊れた物よりも安かった。



20/4/5(No.1054)

▼細かい話だが、2020年の初めに説教を残すワードファイルに連番を付けて型紙を作る。毎年同じことをしている。ただし集中力が必要になる。番号が続いていくわけだから、番号が飛んだり、同じ番号が振られたりして間違ってそのまま使用されれば、取り返しの付かないミスになる。
▼「取り返しが付かない」とは言ったが、命に関わるわけではない。ただそれでも、うっかり間違ってあとで気づいたら、その悔しさは半端ない。「どうして気づかなかったのだろう」とか、「そもそもこんな細かいことまで一人でこなしているから間違うのだ」とか、無い物ねだりの愚痴まで言ってしまう。
▼今回も、すぐに気づいたから良かったが連番を付けたワードファイルが実際のメルマガの番号とずれていて、危うくずれたままメルマガ配信、ブログ更新をするところだった。本音を言うと、今週は一週間で5回「ちょっとひとやすみ」を書くので、こんな細かい話で繋いでいるという面もある。
▼先週までのメルマガの番号はこうだ。3月29日号のメルマガが1053号、間違いが無ければ今週号が1054号となる。ところが説教を残しているワードファイルの連番は、先週が1053号、今週も1053号となっているのだ。これはおかしい。
▼ワードファイルの「ファイル名」から推理してみる。「202003291053.doc」というワードファイルがあり、続けて「202004051053.doc」というファイルがある。想像だが、「聖週間」については早くから番号を振っていて、後になって規則的な日曜日の型紙を作ってみたら、ずれが生じた。こういうことだったかも知れない。
▼とにかく、無事に今週号を1054号として発行することができた。



20/4/9(No.1055)

▼聖週間、説教の準備はふだんの日曜日よりもはるか前に始まっている。もちろんふだんの日曜日のような準備を、聖週間のためにはるか前から始めていると言っているのではない。もしそれができているのなら、その時点ですぐに文字に起こしているだろう。
▼そうではなく、「聖週間を貫く今年のテーマは何だろうか」そう考えながら長い時間過ごしているということである。たとえば今年は「イエスは私たちが考えるより前に、受難の一週間を準備しておられた」というのがテーマになっているが、それは教皇フランシスコが来日した去年の11月にさかのぼる。
▼教皇フランシスコが来日してから、恥ずかしながら教皇フランシスコについて書かれた書物を読み始めた。あの時点で何冊も教会の公の文書が発表されていたが、これまたお恥ずかしいことにまともに読んではいなかった。
▼来日してから本を読み始め、「このたびの教皇様は、少し毛並みが違うぞ」という強烈な印象を受け、「黙想会で教皇様のことをみんなで学ぼう」と考えるようになった。この黙想会の準備の中で、「神様が教皇フランシスコを準備してこられた。当然神様もご自分の救いの計画のために長い準備をされた。」ようやくテーマに繋がる見方にたどり着いた。
▼中心線が決まると、わりとたやすく説教はまとまる。中心線を見失わないように、思い浮かんだものを組み立てる。一気に組み立てることもあり、長い時間かかって、「あーでもないこーでもない」と唸りながら組み立てることもある。
▼今年は、良い準備を経て説教が誕生している。これを分かち合える田平教会の信徒は圧倒的に少ない。「メールマガジン」「ブログ」「Facebook」「ホームページ」さほど生活からかけ離れている道具ではないのだが、それを語ると固まってしまう相手が多い。
▼「毎年必ず聖週間が始まる時点で準備できている。」そんな約束はできないが、できるだけそうなるように努めている。この準備を神様にささげるだけ、というのが辛い。



20/4/10(No.1056)

▼今年、二つの貴重な体験をした。一つはポリープの除去手術、一つは黙想会の感謝のミサである。大腸検査をして、ポリープが4個見つかり、その場で除去手術をしてもらった。見事な施術で、気がついたら手術は終わり、日帰りで退院することができた。
▼もちろん多少の痛みは残った。その日一日、「チクチクした痛み」を感じたし、軟らかい食べ物を食べたのに「おなかを通過する感覚」が見事に伝わってきた。少し命が縮まったのかも知れないが、「命を長らえた」という思いのほうが強かった。
▼きっと大腸検査を放置していれば、ポリープはさらにいたずらをしていたに違いない。自然に治癒したりはしないのだろうから、検査を一年先延ばしにすればそれだけ、検査の所見に命の縮まる思いをしたことだろう。自分の命であっても自分自身の思い通りにならず、常に神の手の中にあるのだということを実感する出来事だった。
▼もう一つは、田平教会の黙想指導をして、たしか「夜の部」の感謝のミサの時だったと思う。「主はみなさんと共に」と招きながら、会衆と自分自身との間に「越えることのできない淵」があるような感覚に襲われた。
▼何しろ初めてのことで的確に表現しづらいが、「あの世とこの世」の隔たりくらいに感じる「淵」が私には見えた。あれは何だったのだろうか。二度と会えない別れのような、そんな隔たり。何を意味していたのか、いまだに分からない。
▼何を暗示していたのかは分からないが、十字架上のイエスも、地上から上げられてののしり叫ぶ群衆との隔たりを感じたかも知れない。イエスをはりつけにした群衆は、そこに集まってはいてもイエスとの間に越えることのできない「淵」がある。イエスも、どれだけ「十字架から降りよ」と言われても降りることのできない「淵」がある。そんなところだろうか。
▼初めて祭壇上のイエスと心一つにミサをささげたのかも知れない。イエスはミサに集まったすべての人の祈りを御父にささげてくださる。私が「見えない淵」を見たのであれば、何とかしてその淵を渡り、ミサに参加しているすべての人の祈りを神に取り次がなければならない。それは、これからささげる一つひとつのミサにかかっている。



20/4/11(No.1057)

▼主のご復活おめでとうございます。黙想会などが開催された小教区はそう多くはないと思う。平戸地区では紐差教会、田平教会、平戸ザビエル教会、上神崎教会が黙想会を開くことができた。その仕上げ、「赦しの秘跡」で笑うに笑えない出来事があった。
▼司祭と告白者がやりとりをする中で、告白者が司祭の声を聞き取りづらかったらしい。「よく聞こえません」と言って、接近したのが分かる。私も仕方なく接近して、少し声を大きくする。その状態で私が心の中で考えた。「これって、『濃厚接触者』の状態だよね。」
▼Instagram(インスタグラム)という道具(アプリ)がある。Twitter(ツイッター)とか、そういうたぐいのものだ。この「インスタグラム」は「インスタばえ」という言葉があるとおり、写真を投稿して楽しむ場所だ。
▼ところが、私は写真はあまり趣味ではない。「今週の一枚」も、文字だけではあまりに味気ないので写真を載せているだけで、写真の腕に覚えがあるわけでも何でもない。だから、正直言ってInstagram(インスタグラム)は苦手なのである。
▼ところが、このInstagram(インスタグラム)に、ときどきフォロワーが付く。いつ掲載したか分からない写真を見た人が、フォローしてくるのである。次にいつ写真を掲載するかも、その写真の出来栄えがどうなるかもまったく見通せないのに、フォローしてくる。写真を見たいなら見ても構わないが、フォローしなくても良いではないか。
▼そこで仕方なく、Instagram(インスタグラム)の使い方を考えてみた。まったく趣旨にそぐわないのだが、使い方を思い付いた。興味がある方は”thomas.k.nakada”という名前のインスタグラムユーザーを検索して欲しい。Instagram(インスタグラム)の効果的な使い方が理解できないおじさんが出した結論だ。



20/4/12(No.1058)

▼4月8日付の長崎教区の通達によって、「司祭は会衆なしのミサをささげてください」と明確に制限がかかった。修道院にミサをしに行くことも禁じられる。「司祭の対応がまちまちで、信徒が不安を感じている」という指摘もあったし、「教区の対応のあいまいさに問題がある」という反省も出たらしい。
▼声には出してなかったが、「ミサ参加の呼びかけはしませんが、司祭はミサはしています」みたいなお知らせをする教会もあったわけで、「それだと『来ていいよ』と言っているのと同じだなぁ」と思ったものだ。たとえ人数を限定しても、問題は残る。問題ある状態で続けるよりも、会衆なしでしたほうが良くないかなぁと感じていた。
▼教区の対応のあいまいさは私からは発言は控える。これで本当に、表現は俗っぽいが「無観客ミサ」になるわけだ。司祭はますます、「見えない神の民」を意識して、行動しなければならない。こんな時だからこそ、「そちらの教会ではどのような工夫をしていますか?」と情報共有をすべきだと思うのだが。
▼本部事務局に、一つ提案してみよう。「この聖なる三日間、誰の説教も聞くことなく、教区民は過ごすことになるのでしょうか?」私の番宣をするつもりは毛頭無いが(もともと毛もないが)、「誰かが説教を公開しているわけだし、大司教様の説教を公開する方法もまだ間に合うでしょ〜」それくらいは言ってもいいだろう。



20/4/19(No.1059)

▼ドラッグストアに行ってきた。入り口には「マスクは入荷未定です」と張り紙がしてあった。月に1億枚とか、2億枚とか生産していても、入荷しないらしい。私はその理由が分かるような気がする。
▼今の生活では、100歩進めば店がある。コンビニ、スーパー、小売店。そのどれもが「マスク」を100枚販売しようとしたら、店頭に必要な枚数は、10億枚も、20億枚も必要なのではないか。昔は町内に店は数軒しかなく、そういう時代であれば店頭に必要な枚数は数百万枚程度で、入荷しないなどということは無かったことだろう。
▼ちょっと歩けば似たような店がある。この状態が、1億枚生産しても店頭に並ばない原因ではないのか。だとすれば私たちが期待した今の生活の形が、マスク不足を引き起こしているのである。私は(効果のほどは別として)マスクは買わず、手作りの物を使用している。
▼また、ドラッグストアで目の飛び出るような商品を見た。2500円以上する歯磨き粉だ。私の198円の歯磨き粉が、ゆうに12個買えるではないか!こんな物を使う人がいるのか?用途が同じでも、「保険が利くもの」と「保険が利かないもの」との違いを見たような感じだった。
▼部屋が暗くてうんざりしていたので、思い切って部屋の明かりを取り替えた。はやりのLED照明だ。ついこの前蛍光灯照明の蛍光管を交換したのに。だが今の快適さを考えると、もっと早くから取り替えるべきであった。



20/4/26(No.1060)

▼不謹慎な話と思われるだろうが、釣りに行けなくて困っている。魚を確保して、お刺身、焼き魚、煮付けなど食べたいが、それができない。原因は春の嵐だ。月曜日が公休日の中田神父にとってその日は待ちに待った「漁に出る日」なのだが、このところずっと強風に邪魔されている。
▼平戸瀬戸は東西に平戸大橋が架けられていて、海水は南北に満ち干する。この状況で東風はわりあい私の漁場に影響しないが、西風、または南北の風は釣りを困難にする。この季節の風は南西の風、南南西の風。しかも5m以上だ。
▼5mまでなら、「行く!」と覚悟を決めて行く。しかし6mとか、7mになると、これはもう「命がけ」ということになる。さすがに命はかけられない。新型コロナウィルスの影響で命の危険なら同情してもらえるが、「釣りに行っていた」では笑われるのが関の山だ。
▼こうして説教を書きながらも強風が「ザワザワ〜」とか「ガサガサ〜」とか音を立てている。恨めしい。最近道路からのすべての進入口に「三角コーン」と「ポール」を設置して人の出入りが厳しく制限されているので、教会敷地内はあらゆる野鳥がなわばりを主張して一日中鳴いている。人間の出入りが極端に少なくなったことを鳥たちも理解しているらしい。
▼さらに始末が悪いのが野良猫だ。夜、パートナーを求めて「ニャオーンニャオーン!」と鳴く。最近は日中も鳴いている。迷惑なので、水をかけたり石を投げたりするが、「何するんだよ!」みたいに私のほうが睨まれる。世帯主は私なのに。



20/5/3(No.1061)

▼「洗礼を受けたいのです」という人がやって来た。現在、田平教会は県道に沿ってパイロンと柵で入場を制限している。観光の方々を含め、不要不急の人々は敷地内にも入れない。その状態の中で、ある人が「洗礼を受けたいのです」とやって来た。
▼真偽のほどは別として、「これはチャンス!」と素直には思えなかった。失礼にならないように親身になって話を聞いたが、同時に私の頭には「用心した方が良さそうだ」という気持ちもあった。田平教会よりも近い、本人が言う住所から管轄だと思われる教会に取り次いでその場を別れた。
▼入場を厳しく制限している中でも、カメラを構えて入ってくる人がいる。パイロンと柵をしているのに、カメラを構えて敷地内に立っている人の気持ちが理解できない。「入場できません。出てください」と少なくとも2回は注意した。
▼私のほかにも、自宅待機させられている案内所の職員が植物の世話をしに来たときにたまたま声をかけたケースや、教会役員が敷地内の清掃にやって来たときにたまたま声をかけたケースもある。柵をしているのを乗り越えてくる人が、今週の福音朗読と重なった。
▼田平教会の洗礼・堅信・婚姻・死亡それぞれの台帳は、説教で触れたようにデータ化されている。3年の歳月がかかっている。信頼しているチームでデータ化を進めたおかげである。個人的には、私の行く場所すべてで、同じ作業が必要になると考えている。私がしなければ誰もしないと言えば大袈裟かも知れないが、実際そうかも知れない。
▼クラウドに置かれているので外出先でも問合せに応対できる。もちろんクラウドデータを100%信頼はできない。だから最終的には紙の台帳の更新を怠ってはいけない。また自分自身の落ち度で、第三者にデータを盗まれたり、閲覧されてもいけない。取り扱いは慎重に。



20/5/10(No.1062)

▼録音説教を聞けば分かるが、赴任したことのある小教区の新聞に、「説教を聞きたい方はこちら」として私のホームページが掲載されていた。掲載に当たって許可願いの連絡も無かったし、もちろん掲載を許可した覚えもない。
▼今頃この「ちょっとひとやすみ」を読んだ某小教区の信徒が小教区の広報委員会に「本人の了解も得ずに掲載しちゃったの?」と問合せが殺到(?)しているだろう。このご時世、生の説教が聞きたい気持ちは十分理解できるが、権利者の権利保護とか、プライバシーとか、そういったことにちゃんと配慮することはおろそかにしてほしくない。
▼それにしても、いい宣伝にはなった。田平小教区の何倍も信徒が所属している小教区だから、宣伝効果はあるだろう。私も知らぬ間に掲載されて黙って見てはいない。これを機に、動きを起こそうと考えた。
▼この二ヶ月ほど、公式のミサが中止された。途中8日間ほど実施された期間もあったが、世の中の出来事同様、個人のミサの依頼もストップしたし、主日のミサの献金もゼロとなった。収入(と言ってよいのか分からないが)はゼロである。
▼しかしミサは続けている。誰もいなくても主日のミサの録音はしている。録音したデータをインターネットで利用して「自宅でミサ参加」している人もいるだろう。その人たちもひょっとしたら「献金」をしても構わないと考えているかも知れない。
▼ネットで調べたら、「投げ銭」のような仕組みがいくつかあって、おじいさんおばあさんには敷居が高いかも知れないが、「投げ銭」の仕掛けを用意すれば、公式ミサが中止されている間も支援を得られそうである。今後、ミサが再開されても、「こうじ神父を支援する」という人が存在するかも知れない。
▼そこで、投げ銭システムの中で、「OFUSE(オフセ)」というサイトを利用することにした。無料メルマガ(無料ブログ)を閲覧している人の中で、ネット上の決済ができそうな人は、「OFUSE」の中の虫眼鏡のようなアイコンをクリックしてほしい。
▼「クリエイター検索」という画面になるから、そこで「コウジハカープファン」という名前を入れる。すると私のTwitterの自己紹介が現れる。この画面をクリックすると、ブログでの活動履歴と「OFUSEする」というオレンジのバーが出るので、利用してもらえたら幸いだ。この説明で分からない人は、どこかで出会ったときに直に「投げ銭」を。



20/5/17(No.1063)

▼ご存知の方もおられると思うが、期間限定ではあるが「説教動画」を公開している。時間を与えられているから、何かの形で恩返しをしたいと思ったのが理由だ。映像で説教している中田神父を見ると興味を失ってしまう人もいるかも知れないが。
▼三脚をセットし、カメラを据えて、カメラの背景に拡大コピーした説教原稿を置く。それに目を通しながら撮影しているので、当然カメラから視線が外れていることが多い。どんなふうに映っているのか、メガネが乱反射しているのではないか、気になることを挙げればキリが無いが、恵みを受け取るチャンスを広げる糸口になれば幸いである。
▼この前、墓参に来た方々からの電話を受け取った。電話は墓の目の前からかけていたのだが、私はそれが誰か、途中で気がつくことになる。毎年5月の命日に墓参に来ている二つの会社の代表だった。
▼「お墓参りをさせていただきたいのですが。」「現在ごらんの通り規制をかけておりますが。」「自分たちで手を合わせて帰るだけで構いませんので、よろしくお願い致します。また例年通り、御ミサの奉納金をお預けしたいのですが。」
▼ここでようやく誰が来ているのかを理解した。私が赴任してから毎年5月の命日に墓参に来て、ミサを依頼していく亡くなった社員の親会社の人たちだった。墓参に来た時は欠かさず「墓前の祈り」を唱えてあげているグループだった。
▼ここで一気に事態を飲み込んだ。「急いで準備して、『墓前の祈り』を唱えに伺います。路上駐車を避けて、安全な場所に車を駐めてからおいでください。」それからしばらく墓前の祈りを唱え、今年も命日に関係者の方々と会えたことを喜び、ミサの依頼を無事に受け取って別れた。
▼ちなみにこの日は午前中釣りに出かけていた。ミサ奉納金がまったく当てにできないこの時期、司祭館に戻っていたのは神様の深い計らいに違いない。



20/5/24(No.1064)

▼イエスの宣教生活の背景には、四十日四十夜の断食がある。実際には40日は象徴的な数字で、旧約聖書のエジプト脱出の後にイスラエルの民が砂漠を40年さまよった、この出来事になぞらえているのかも知れない。
▼私は日数は問題ではなく、「飢えと渇きを実際に覚えられた」そういう日数の断食を経験されたということに意味があると考えている。十字架を経て、復活にいたることもそうだが、物理的にそれだけの「飢え」「渇き」「苦しみ」が必要なのだろうかとどうしても考える。
▼エジプト脱出を力強く導いてくれた神の僕モーセは、約束の地を目の前にして眠りについた。40年の間には一世代か、二世代は、「約束の地」を踏むことなくこの世を去っただろう。5月10日に書いた説教原稿にも繋がるが、「飢え」「渇き」「苦しみ」が、そのあとに来る「喜び」を深く理解させるものでなければ、とても耐えられないと私は思う。
▼そこで考えたのが、「緊急事態宣言解除」との関連である。これ以上無いと言うくらい、すべての人が試練にさらされた。心も身体も、限界まで「飢え」「渇き」「苦しみ」を味わった。これが「緊急事態宣言解除のそのあと」の喜びを深く理解させるものだったのだと考えたい。
▼司祭叙階式で当時「大崎教会」の主任であった先輩が、司祭叙階を受ける助祭にこう言ったのを忘れることができない。「司祭叙階までの準備は、ミサを献げるという尊い務めのためのものでした。たとえミサを一度献げただけで、叙階された新司祭がこの世を旅立ったとしても、それまでの長い準備は報われるのです。それほど、これから取り扱うミサは尊い務めなのです。」
▼だれもが、何かの務めに召されている。その務めが楽しいうちは悩みもないし、務めの重みもないだろう。しかしその務めがどうしても果たせなくなったとき、たとえば一年とか二年とか、務めから離れなければならなくなって、それから復帰したとする。
▼すると召された務めがただ楽しいだけではなくなり、務めに尊さがが増すことになる。この緊急事態宣言期間を、すべての人が、召されている務めの尊さを深く噛みしめる時期となることを願ってやまない。当然私も、ミサの尊さを噛みしめて、これから献げていくつもりである。



20/5/31(No.1065)

▼2008年6月2日(日)の説教は、赴任していた馬込教会の説教ではなく、郷里の鯛ノ浦教会で6月1日におこなったミサ説教を掲載している。この年の5月31日(金)に肺がんを患っていた父が亡くなり、当日通夜、6月1日(土)に葬儀ミサをおこなったのだった。
▼息を引き取る前から会話はできなくなっていたので、これといって遺言もなかった。テレビドラマで観るような最期は、通常は生じないのだとこの時実感した。ただ思い出されることはたくさんあり、最期が平凡であったとしても、波乱に満ちた生涯だった。
▼5月31日が日曜日と重なり、少し「父のことを説教で書こうかな」と思う気持ちもあったが、結果はそうはならなかった。説教は「風の吹くまま」である。聖霊の風が、説教を説教にしてくれる。だから司祭たちは、いつも聖霊に心の窓を開き、聖霊の導きを受け入れる。
▼ある司祭はそのことを「私は原稿を書いたりしない。聖霊の導きのままに話すからだ」と言っていた。私は原稿を用意していないと恐ろしくて説教台に立てない。準備しないで立つことはまずないが、原稿は私にとってはギリギリまで話したいことを確認する大切な道具だ。父の葬儀ミサ説教さえ、父と向き合いながら準備した原稿を手に握っていた。
▼もちろん、それでも「この説教は使えない。この話では伝わらない」と、直前に切り替えることもある。なぜそうなるのかは分からないが、実際に原稿を捨てて、降ってきた言葉を伝えた日もあった。原稿があってもなくても、聖霊は説教者に降るのである。
▼一度だけ、父が夢枕に立ったことがある。話がしたくて、私は懸命に話しかけたのだが、一言も返事はなかった。起きたときはがっかりしたが、夢枕に立ったことが嬉しかった。何が言いたかったのかは分からないが、次に現れたら教えてくれるかも知れない。あるいはいつも「一度だけだぞ」という人だったから、二度目はないのかも知れない。



20/6/7(No.1066)

▼6月に入った。「イエスのみ心」の月だ。イエスの心は、御父の心だ。「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」その心だ。この世界には同じ時間同じ機会が与えられても、人が理解する程度は違ってくる。更に言うと、理解するために与えられた賜物の違いは埋めようがない。
▼「逆立ちしても勝てない」と言える人を見てきた。だから自分の能力を使い切って用意できるものを神様の前に置く。それしかできることはない。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22・21)私はすべての能力を使っていただいたものを神にお返しするまでだ。
▼一万タラントン借金して返す当てのない僕という話がある。ひょっとするとこれは人間すべてのことではないだろうか。返済できない人間を、父なる神は赦してくださった。それなのに人間は、他の人間に「借金を返せ」と言う。自分が抱えている負債の大きさに気づかないので、人に返せと言うわけだ。
▼私もようやく、自分が神にどれだけ負債を抱えているかを考えるようになった。だからもはや他人にとやかく言ってはならない。一万タラントンに比べれば、腰を抜かすような金額も、たいした借金ではない。もうとやかく言うのはよそう。



20/6/14(No.1067)

▼とうとう九州北部も梅雨に入った。マスクが欠かせない生活の中で、梅雨の蒸し暑さはかなり影響する。ミサで考えると、司祭が唱える部分はかなり多い。説教もマスクをしたままだとメガネが曇り、聞く人も真っ白いメガネの説教師が気になって説教どころではないだろう。
▼そんなところに「アベノマスク」が届いた。小さいとは聞いていたが、子供用なのではないだろうか?洗濯をすればきっと更に縮むだろうから、木曜日に届いたマスクを日曜日のミサで使用する頃には、「ビキニマスク」になっているだろう。
▼冗談みたいな話だが、先輩は「これだとマスク二枚ずらして着用しないと使えないな」と言っておられた。二枚着用して上下にずらす。あり得る話だ。それとも二枚を縫い付けて一枚にして使うか?
▼夏用のマスクが出始めている。「アベノマスク」は夏を意識して作られていないから口元が暑く感じる。外出するときにはとてもではないが使えそうにない。司祭館での結婚講座とか、信徒会館での評議会や教会学校とか、室内であまり熱がこもらない場所限定で使うか。
▼室内と言えば、梅雨が始まって心配なのが湿気対策。カビが生えたり、食品をダメにしたり、いろいろと心配事が出てくる。ここで話すようなことではないなぁ。



20/6/21(No.1068)

▼身体が思うように動かないなと感じるのは、年齢を実感する場面だ。この前一人で食べる昼食に、めったに食べない「インスタントラーメン」を用意した。ネギ山盛りが私の好み。思う存分ネギを入れて、少し硬めに仕上げ、喜びつつ盆に載せて食堂に運んだ。
▼盆に載せたのはとても熱かったからで、そのままでは食べづらい。マナーにももとるかも知れない。それで盆からテーブルのシートに移動させようとした。その時どんぶりの底がどうやら盆のフチに当たったらしい。勢いよく中身がテーブルにこぼれ、床まで落ちた。
▼「あっ!」と言ったが覆水盆に返らず。一口も食べず、泣きながら床とテーブルを拭き、インスタントラーメンを口にすることなく勉強部屋に戻った。「ふて寝」して、気がついたら夕暮れになっていた。夕食を作る気力も無く、やや不自由な右手を恨めしそうに見つめた。怒りがこみ上げ、この日の晩はいったい何を食べたのか、記憶が無い。
▼それでも、食べる喜びが奪われることはなかった。木曜日に先輩の司祭を招いて、「キーマカレー」をご馳走した。たいした料理でもないが、先輩は無類のカレー好き。箱に書いてあったとおりに調理したカレーを完食し、満足そうに帰ってくれた。
▼自由が利かなくなりつつある右手を気にして、MRI検査まで受けた。結果に問題は無いそうで、様子を見ましょうとだけ言われた。宅急便が来てサインを求められるが右手がかすかに震える。
▼証明写真や集合写真で「動かないでください」と言われて待つ間に顔の右側が揺れる。腕を伸ばし、両手を合わせてスクワットすると右腕が震える。いろいろ心配なのだが、はっきりした原因が分からない。歳を取るとはこういうことなのか。



20/6/28(No.1069)

▼週末、九州北部に猛烈な雨が降った。田平教会聖堂でも雨漏りが散見され、初めてだそうだが「砂」の堆積も見られた。天気図や気象予報士の解説を見ながら、心は新上五島町の実家に向かっていた。新上五島町の実家には十分高齢と言える母親と、次男が住んでいる。
▼母の日になにがしかの物を送っていたが音沙汰なし。あまり世間の流行に関心が無いようだが、いちおう念押しのために電話をかけてみた。何のことはない。届いていたのを忘れていたそうだ。何かあっているのではなかろうかと、いちおう気にしたのに。
▼大雨の後、天気が回復する。災害が発生していなければ、大雨で山の恵みは川に流れ、海に下る。そうして自然は豊かになっていく。大自然の営みは、いつも神の深い配慮を思い出させ、尊敬の念が湧いてくる。人間ができるのは神の偉大な計らいをたたえることだけだ。
▼だが人間の知恵は、利害を伴ってしばしば自然の偉大さに逆らっている。物理学の成果を戦争に持ち込み、原子爆弾を作り、相手をねじ伏せる。誰が誰を押さえつけたか、歴史をとやかく言うつもりはないが、人間は人間を押さえつけるためにときに神の知恵を乱用するのである。
▼今年、被爆75周年。黙想会では小学生中学生と、戦争がもたらすもの、戦争してはいけない理由、いろいろ考える。紙芝居が長崎大司教から送られてきたのでそれを使う。登場する主人公には浦上教会助任時代に高校生がたいへんお世話になった。私も、当時の高校生も、決してその人のことを忘れない。



20/7/5(No.1070)

▼長い長い一日だった。朝6時に平日(土)のミサをささげ、食事を取り、朝9時に老人ホームの病人訪問に出る。戻ってきて10時から葬儀ミサを執り行う。昼食を済ませ、午後1時からミサを伴わない結婚式。それに続けて小学5・6年生の教会学校、締めは夕食を終えてから夜7時の主日前晩のミサ。「ぶっ倒れそう」とはこのことだ。
▼亡くなった神父様を思い出す。1年だけお仕えした助任司祭の時代、「暑くて今日は死にそうです」と言ったら「●ね」と言われた。当時はパワハラも何もなかった時代。言われれば意地を出してそれを乗り越えていく時代だった。次に同じような状況になって「今日も暑かなあ。死にそうですって言え」と言うので、「言いませんからね」と返したのが懐かしい。
▼ぐったり疲れた一日だったが、充実感はある。まるで30代の時のような働きぶりで一日を終えられることに心から感謝している。日曜日は二日過ぎたが「聖トマ使徒」の霊名のお祝いをしてもらうので、心置きなく祝ってもらえそうだ。
▼熊本県は大災害に見舞われた。12時のニュースを見て、言葉を失った。人吉市にはお世話になったことがあり、川沿いの町々が見る影もなく浸水しているのを見て、胸が張り裂ける思いだった。祈ることを通して、嘆く人、泣く人の心に寄り添いたい。



20/7/12(No.1071)

▼「弟子は取らない。」ここにはすでに「弟子にしてください」と言いに来た人がいる。「弟子は取らない。」言ってみたいものだ。少し形を変えるなら、「助任は取らない。」まぁ、助任司祭をつける教会と言えば、今は浦上教会しかないだろうが。
▼なぜ「弟子を取らない」のだろうか。せっかく自分が完成させた高い技術や理論を、学びたいという人が目の前に現れて、それを「弟子は取らない」と言って断る。なぜだろうか。弟子を取らなければ、その技術、技法は廃れてしまうのに。
▼イエスさえ弟子を取った。しかも12人いちどに受け入れた。もし「弟子になりたい」と言う人が目の前に現れたら、私は二つ返事で受け入れる。指導することができるか、ちゃんと一人前に育てることができるか、そんなことは気にしない。
▼弟子が与えられたら、私が与えられるものはすべて与えるだろう。弟子に追い越されるかも知れないが、そんなことは関係ない。弟子になりたいという人が私を選んだ。それだけで十分ではないか。説教もいくらでも真似してよい。考え方や癖や、欠点も見て構わない。その弟子が越えていく踏み台になることも。



20/7/19(No.1072)

▼手元に紙芝居が二つある。一つは長崎原爆に遭い、ご苦労された片岡さんという女性の半生を描いたもの。一つは平戸地区のカテキスタ委員会がかつて制作した「カミロ・コンスタンツォ神父福者殉教者」の生涯を描いたもの。どちらも興味深い。
▼紙芝居には当然「読み聞かせ」が必要になる。まずは読み聞かせる相手は「小学生・中学生」ということになるだろうから、子供達に伝わるような読み方を考える必要があるだろう。登場人物、特に主人公が男性なのか女性なのか、どのような背景があるのか、さまざまなことを知っておく必要があるだろう。
▼保育園で先生が読み聞かせをする姿を思い浮かべる。上手な先生のもとには園児たちが集まり、「これを読んで」「あれを読んで」とたくさん依頼されるかも知れない。なかなか、司祭はそのような「求められる読み手」にはなれそうもない。
▼少し話は逸れるが、NHK衛星放送で、「天地創造」が放送された。「イサクをいけにえにささげる」この場面が最も印象深かった。そのように、場面が映像として、「紙芝居」朗読で表現できたらすばらしい。
▼大げさな読み方や変に声を変えたりするのもどうかと思うが、聞き手、受け手が十分想像を働かせることができる。そういう朗読で紹介した二つの紙芝居を活かしたいものだ。



20/7/26(No.1073)

▼「PLCアダプター」という物を買った。コンセントに差すだけで、有線LANを用意できるというスグレモノ。田平教会の司祭館は建て増しをした結果東西に長いため、無線LANで東側の台所と西側の勉強部屋を接続できない。
▼そこで、まずは「無線LANの増設機器」を買って接続してみた。これで主任司祭の用事は済んだのだが、現状では台所に無線が届かないのは問題になる。台所でも無線Wi-Fiが必要になっている。だが、いろいろ増設機器の置き場所を工夫するが、確実に接続できない。
▼そこで、昔から目を付けていた「電力線インターネット」の原理を応用した「電力線室内LAN」の機器を購入。自分が目を付けた頃からしても進歩しているようなので、導入を決断。届いた商品は至って簡単で、親機と子機を適当な場所のコンセントに差すだけで準備ができた。
▼「おお!」と思わず声を上げる。これだと、コンセントのある場所であれば自由にLANを利用できる環境が用意できる。たまに、接続が不安定なことはあるが、無線と違って距離を気にせず、LANケーブルでインターネットを利用できる環境が整った。
▼今週の説教との兼ね合いで言えば、この「PLCアダプター」は「古くて新しい機器」だが、「天の国のことを知らせる道具」かと問われると疑問が残る。それでも、教会学校の子供達に、西側の勉強部屋でしか見せることのできない素材を見せることもあるのだから、良い買い物だったと考えよう。



20/8/2(No.1074)

▼ジャパンネット銀行の口座を持っている。この銀行は店舗を持たないネット銀行なので、入出金の際に他行の提携ATMを利用する必要がある。最近、提携ATMの利用手数料を取られ、がっかりした。
▼こういうことだ。思いがけない臨時収入があり、それを入金しようと、ゆうちょATMを利用した。提携ATMの一つであり、身近な場所にあるので、必然的にここから入金することになる。前回がいつだったか覚えていないが、前回までは手数料無料だった。
▼ところが今回は330円、手数料を取られている。何ということだ!一年で100円も利子が付かないのに、一回の手数料で330円取られた。これで三年分の利子が吹っ飛んだ。それにしても、手数料330円とはたいした度胸だ。振込用紙は使っていない。月に何度提携ATMを使ったか考えたが、2回目だったかな。
▼納得がいかず、ネットで調べてみた。ちゃんと書かれていた。「3万円以上の入出金はいつでも手数料無料。3万円未満はその月の2回目からゆうちょ330円、セブン銀行イオン銀行ローソンATM他165円。」なんだって?「ゆうちょ銀行」がいちばん高いではないか。
▼臨時収入は2万円だった。手数料引かれて入金するくらいなら、3万円になるまで入出金は控えよう。どうしても利用しなければならない時は、これからはセブン銀行のATMをお借りすることにしよう。



20/8/9(No.1075)

▼ちょっとした機材を買い込んだ。「リモート」を実現するための機材だ。これからもミサの参加に制限をかける必要があると想定して、「収容できなかった小教区信徒を別室でリモート参加してもらう」そういうイメージを実現するための機材だ。
▼おもな物は「HDMIエクステンダーセット」。今回は別室を大ホール一部屋と想定しているので、「ライブ映像を送信する機材」と「ライブ映像を受信する機材」の一対一の接続になる。考え方として、受信する場所を分けて、「泣き部屋」をさらに作ることも可能かも知れない。
▼ひとまず木曜日に機材が届いたので、「送信→受信」の流れに沿って機材を接続。初めは、「一眼レフ」をカメラとし、HDMIケーブルでライブ映像を「送信機」に送る。送信機まで届いた信号を、LANケーブル(今回はカテゴリー6のケーブル)で受信機側まで伝送。「受信機」に届いた信号を最後にHDMIケーブルで信徒会館のテレビ(モニター)に届ける。
▼二つの点で苦労した。まずは一眼レフカメラでライブ中継を届けようとしたところ映像は届いているのに音声が届かない。変だなぁと思っていろいろ試すがどれもうまくいかない。あきらめて「アクションカメラ」を接続。するとあっさりと映像と音声が伝送され、「ミサのライブ中継」のイメージが実現した。
▼二つ目の苦労はLANケーブル。10mとか20mの距離ではないので、必要な距離のケーブルを自分で作成する必要がある。コネクターとそれをケーブルに締め付ける道具、それに肝心の「自作用LANケーブル」を追加購入した。
▼LANケーブルはデリケート、繊細だ。「完成したぞ〜」と思って接続してもうまく伝送しないことがあった。10回以上ケーブルをカットしながら練習。ようやく納得のいく仕上がりとなった。



20/8/15(No.1076)

▼8月6日は広島原爆の日で典礼暦では「主の変容」の祝日、8月9日は長崎原爆の日、8月15日は終戦記念日で典礼暦は聖母の被昇天の祭日。ついでに言えば12月8日は日本が真珠湾攻撃に踏み切った日、典礼暦は無原罪の聖マリアの祭日。日本の戦争は聖母の祭日に始まって聖母の祭日に終戦を迎えている。
▼8月9日に原爆が投下された1945年の長崎教区民は、どのような聖母被昇天を迎えたのだろうか。クリスマスの様子は浦上を通った私は聞いたことがあるが、そう言われてみると聖母被昇天のお祝い日はどうだったのだろうか。誰かに聞けば、まだ証言が得られるだろうか。
▼現時点では8月15日、天気が見込まれている。聖母被昇天の典礼で二回ミサをささげる。一度は聖堂で、一度は五島ヶ原地区の墓地内にある土地で行う。田平教会の習慣になっている。瀬戸山墓地は死者の日(11月)に野外ミサを行っているが、五島ヶ原墓地はそれができないので8月15日となっているらしい。
▼今年は、墓参りも様変わりしている。「オンライン墓参り」というものまで現れてきた。どうか、声高らかに死者に祈りをささげ、神に感謝をささげる日が早く来て欲しい。



20/8/16(No.1077)

▼緊急の措置ではあるが、リモートの部屋を用意して収容できない人を案内することにした。いちおう、教区本部に問い合わせて、教区長の「暫定的な措置」としての許可を頂いている。説教にも書いた通り、収容しきれない人、具合が悪くなった人、乳幼児を抱えて肩身の狭い人などが恩恵を受けられれば、と考えている。
▼リモートは、ひょっとしたら典礼上、有効なミサ参加にはならないかも知れない。しかし私たちが教えられた「有効なミサ参加」のもとになっている定義は、いつのものだろうか?ひょっとしたら、トレント公会議のものかも知れない。
▼そうであるなら、現代の状況に即した定義をもう一度考える価値はあると思う。現場がいろんな試行錯誤をして、問合せをして、それが現代における「有効なミサ参加」の議論を産めば、取り組んだことは無駄にならないだろう。
▼さすがに、「オンラインミサ」「オンライン告白」その他「オンライン秘跡」は有効にはならないかも知れないが、「リモートでのミサ参加」はこの新型コロナウィルスの経験を経て、可能性として検討されてもよいのではないだろうか。



20/8/23(No.1078)

▼今頃?と言われそうだが、ゴーヤの日除けを作ろうと竹を切って蔓を伸ばし始めた。去年落ちたゴーヤが自然に地面を這っていたのだが、まだまだ日差しも強く、植物のカーテンに利用させてもらおうという魂胆だ。
▼幅2mくらいの用地に、5本竹を挿した。それに地面一杯に広がった苗を「この竹を利用してね」ときっかけだけ与えて朝晩水を撒く。日中の西日が強いのでどうなることかと思ったが、頑張って蔓を伸ばし始めている。
▼だが問題も発生した。自然の環境に問題を持ち込むのはいつも人間である。幅2mに挿した竹のうち、エアコンの室外機に近い竹には、何度蔓を這わせても巻き付いてくれない。しまいには葉っぱが腐れ始めた。人間の欲で、室内を冷やそうと熱風を排出する。それを嫌がって、ゴーヤの蔓が巻き付いてくれないのである。
▼「すまんのう。」私はゴーヤの蔓に謝る。これまで野菜を育てたことも生き物を個人的に飼ったこともないので、人間以外に声をかけたことなど一度も無かったが、朝と夕に水撒きをしながら、室外機に近い蔓に謝る日々である。



20/8/30(No.1079)

▼「ポケトーク」というヒット商品がある。自国語で話して、それを相手の言葉に翻訳してくれる翻訳機だ。翻訳機と聞くと、かつては「使い物にならないひどい誤訳」という印象だったが、さまざまな環境が整ったことで、使い物になるようだ。
▼大きさは、小型の空調リモコンくらいか。本来であればこの本体内に膨大なデータを取り込んで、場面に対応するわけで、無限に広がる状況や場面に対応できるものではない。
▼だから使い物にならなかったわけだが、現在はネット環境が充実して、本体内に翻訳辞書を置く必要がなくなっている。辞書はネット上にあり、無限とも言える場面に適した翻訳を、ネット上に繋がった無数のコンピューターが考えて答えを示してくれる。
▼便利な時代になったものだ。こうなれば、誰が外国語を勉強するのだろうか。外国語を勉強する人はいなくなるのではないだろうか。そんな心配すらしてしまう。私が教えられた「外国語を勉強する理由」は、「違う文化を学び、そこから戻って自国の文化を再認識する」ということだったが、さすがに「ポケトーク」頼みではここは達成できないか。
▼この前驚くべきものをテレビで見た。「翻訳するマスク」だった。まぁ要するに「ポケトーク」の原理を応用したものだろう。みながマスクをする時代、マスクに付加価値を付けて勝負に出た。出たあとに、「その手があったか」と気づくもので、開発者はさすがである。



20/9/6(No.1080)

▼いつの話?と目を丸めた。ホームページ「話の森」の表紙の中に「HP編集責任:こうじ神父(カトリック浜串教会主任司祭)という一文があったのだ。「よく指摘されなかったなぁ」と思う反面、「目をつぶっていたのかな?」とも思った。5年も過ぎてるのに。
▼一つの出来事がどのように映るのか、人によって違いがある。今回ほど考えさせられる場面はないだろう。台風10号は猛烈な勢いで近づいており、過去に無かったほどの災害をもたらそうとしている。けれどもそれは、「近づいている人」にとっての話しなのかも知れない。どんなに凶暴な台風でも、直接の被害を受けない人には響かないかも知れない。
▼しかし、九州に何かを依存しているなら(部品とか、材料とか、食材とか)経済はストップするわけだし、それは日本だけでなく海外にも繋がっていく。まさに「ともに暮らす家を大切に」と言うことだ。そうしてみると、私のアンテナはあまりにも鈍感だった。
▼北米でよく発生する「ハリケーン」は、恐ろしいとは言えやはり「北米のこと」と思っていた。ともに暮らす家なのだから、必要とあれば助け合うべきだ。インド洋でも暴風が起こる。大西洋でも発生する。人の痛みを、分かり合える人にならねば。



20/9/13(No.1081)

▼「命を落とすのみが、死だと言えましょうか。」先週の韓国ドラマは印象的な言葉を聞いた。生きながら、すでに死んでいる状態も、「死」と呼べるかも知れない。そこには社会的な「死」があり、政治的な「死」もあるだろう。もはや生きる意味を失っているのだから、本当にかわいそうである。
▼制裁によって「死」を味わった人は、どうすればこの世で再び生きる力を得られるだろうか。別の生き方で「生」を味わえる人はごくわずかで、もはやイエスによって、まったく新しい生き方を与えられる以外に道のない人もきっといる。
▼もし誰かが、死んだような生き方をしているのなら、そこに宣教のチャンスが確かに存在している。その人はほかの誰によっても「生」を味わえないのであり、まだ見たことのないイエス・キリストを待ち望んでいるのだから。こうした人を探すために、すべてのキリスト者は存在しているのではないか。
▼しかし単純に、「新しい生き方」のためにイエスを必要としている人ばかりではないだろう。これまでイエスを知らずに生きてきた人はまだよいが、ひょっとしたらイエスに土台を置いて生きている人(生きているはずの人)が、死んだような生き方をしているならどうなるか?その人にイエス・キリストを示しても、本当に「新しい生き方」を得られるのだろうか。このような人にどんな手を差し伸べれば良いのだろうか。



20/9/20(No.1082)

▼平戸地区は9月の第3日曜日に「福者カミロ・コンスタンツォ殉教祭」のミサを焼罪殉教公園で午後2時からささげている。台風や、強風、雨のために現地での開催を田平教会聖堂に変更することはあるが、「中止」(台風直撃は別として)にはできるだけしない。
▼それだけこの殉教祭を大切にしているが、今年は何とも残念な結果となった。天気も上々なのに、もちろん台風も接近していないのに、殉教祭ができないのである。田平教会聖堂での開催も、「三密を避ける」ことが難しく、断念することとなった。
▼浦上教会に助任として入った20代のころ、毎年のようにこの殉教祭にマイクロバスで巡礼団を組んで出かけた。当時は、「平戸」は「遠路はるばる出かける場所」で、平戸大橋をバックに記念写真を撮る。これがお決まりの流れだった。
▼他にも平戸地区には「平戸ザビエル祭」「黒瀬の辻殉教祭(生月)」などがあり、巡礼には事欠かなかったが、今年はどこまで開催できるのか、開催しても、どんな制限を設けることになるのか、楽しみが削られることばかり頭によぎる。
▼田平教会に赴任するなど考えもしてなかった時代、よく殉教祭の帰りに「田平教会」に立ち寄って帰っていた。記憶はなんとも曖昧なもので、教会の敷地に入ったこと、聖堂の二階から内堂を見学したこと。
▼墓地がすぐ近くにあり、なぜか名前が同じ「中田藤吉」という神父様の胸像があった(大変申し訳ない!)こと、石段があって、あくまで記憶だが、遠くに海が見えていた(ような)。まさか、主任司祭となって風貌まで似てきた藤吉神父様をまじまじと眺める日が来るとは。



20/9/27(No.1083)

▼配信を続けているメルマガの中に「ミニまぐ」という発行形態がある。文字数2000字以内で発行している。これまで十数年、「まぐまぐ!」を削って2000文字に収める作業をしてきたが、今週の原稿を2000字に収めようとすると、教皇様のメッセージはもはや教皇様のものではなくなってしまう。ただでさえ、無理して説教時間の制約の中に収めているから、これ以上無理はできない。
▼困ったと思っていたが、「待てよ」というアイディア(別の方法)が浮かんだ。たとえば(A)と(B)みたいに分けて配信すれば、全部を届けることができる。そうすることで、私が無理に無理を重ねて2800文字にもなるもとの原稿を短くする必要もなくなる。
▼ひとまず、この形で「ミニまぐ」は再スタートしようと思う。どうしても困るという声があれば、またその時考えよう。もとの原稿で表現したい内容を、体験談を削ったりして配信するのは不本意だったのだから、両方得をするはずだ。
▼毎日、体重計で体重を見ている。毎日点検することが大事。ライザップのように見違える体型にはならないけど、病院で体重計に乗って初めて体重を知るようなことではいけないと思っている。少し歩き始めてもいるし、そのうちに体重計に乗るのが楽しくなるだろう。
▼雨が降る日はどうしているか。15年くらい前に買った「Wii Fit」を引っ張り出した。台所の出窓くらいのボードに乗って、ゲームに釣られて体を動かしている。55に近づいているオジサンが、フラフープのゲームやスキーのスラロームを、ボードの上でしているのを想像すると、ちと気味が悪いが。



20/10/4(No.1084)

▼「ファインダーで覗いただけでは、人間の目が捉えている風景を捉えることはできない」のだそうだ。たまたま観ていたテレビの番組で、冬の厳しい時期に日本アルプスに登り、長年その景色を映像に収めてきた写真家の言葉だ。
▼私のような素人がどうこう言えないレベルだが、「どうして肉眼では見えているのに、カメラで収めると見えていた景色にならないのだろうか」と思うことはしばしばある。中秋の名月のこの時期にウォーキングを楽しんでいたら、月の左下に明るい星を一つ見つけた。
▼これは写真に撮っておこうと思い、撮った写真をあとで見たら、明るい星のはずなのにあまりきれいに写っていない。ガッカリしたと同時に「どうして人間には見えているのに、カメラでは同じように切り取れないのか?」と思ったものだ。
▼今週紹介している一枚の画像もそうだろう。季節外れの桜が、教会敷地の木に咲いていた。「ぜひ取り上げよう」そう思って、iPhoneと一眼レフ(EOS Kiss)で撮影してみた。何も問題なく撮影できているはずだが、なぜか写真を見ても桜の花びらを確認できない。肉眼では「あそこ」と指差されればすぐに分かるのに、である。
▼「人間の目で見て、感動した通りに切り取る。」素人はうまく撮れないが、プロはその極意を身につけている。田平にも腕のいい写真家がおられる。いつか、写真の手ほどきをしてもらいたいものだ。



20/10/11(No.1085)

▼過ぎた週の初め、葬儀が入り、月曜日に葬儀ミサをささげた。「田川ミツエ」という一般信徒。少し前から危険な状態だったので、「来るべき時が来たか」そう思って心を込めて葬儀ミサを執り行った。
▼そして金曜日、シスターが亡くなった。「田川ミツエ」と言う。一週間に二人、「タガワミツエ」を送った。この原稿を書いている時点でシスターの通夜も終わってないのでどんな葬儀を執り行うか神のみぞ知る。
▼ここからは洗礼台帳と照合して感じたこと。「タガワミツエ」は、二人とも結婚していない。だから洗礼台帳に当たる時「旧姓」を調べる必要も無かった。また田平教会の台帳でときどき見られる「養子縁組」もなく、ダイレクトに探せる「はず」だった。
▼一人目の「田川ミツエ」は問題なく見つかった。パソコンで検索できる態勢を2年かけて準備したので、カタカナ検索すればすぐにヒットする「はず」である。しかしシスター「田川ミツエ」がカタカナ検索「タガワミツエ」でヒットしない。なぜだ?
▼あることを思いだした。私が赴任してすぐに、修道会本部から田平修道院に籍を置くシスターの台帳整理のための問い合わせがあり、可能な限り答えたことがあった。当時の書類を調べた。するとシスター「田川ミツエ」は確かに田平教会で洗礼を受け、台帳番号も正確に記録されている。
▼そこで手作業で紙の台帳に当たってやっと分かった。紙の台帳には「田川ミツ」と記録されているではないか。しばしば起こることで、「ソノ」という女性名を「オソノ」と呼んでいたために葬儀では「オソノ」で葬儀に取りかかったが洗礼の台帳で慌てるというようなケースである。
▼ちなみに、ほぼ同年代で「ミツエ」は田平教会に三人いた。だから、シスター田川の両親は、88年前に「三・ミツエ」を避けて、「ミツ」という名前を付けたのかも知れない。



20/10/18(No.1086)

▼2019年5月に放送された「NHKこころの時代」が再放送されていた。9月27日再放送だったと思う。前田万葉枢機卿様がインタビューを受けていた。中学生、小学生高学年と一緒に観た。子供達の反応は、食い入るように、とはいかなかったが、田平教会にもいたことのある神父様が教皇様の相談を受けるような「枢機卿」になったということには興味を持ったようだ。
▼以前に、長崎教区司祭のインタビューも同じ番組で取り上げたことがある。置かれた立場も違うし、求められていることも違うので単純に比較はできないが、どちらもカメラを前に、使命を立派に果たしていたと思う。
▼運命は本当に不思議なものだ。「運命」と言ったが、神の導き、「摂理」と言ったほうが良いかも知れない。これまでに何度も感じてきたが、これからも、不思議な出会い、不思議な助けの手、いろんな「摂理」に驚かされることだろう。
▼「この努力をしておけば、あとで楽に同じ取り組みができる」こんな計算高い働き方をしてはいけないと、今回強く思った。後のことを考えながらの働きは、結局誰のためになるのか。誰のためにもならないのではないか。
▼「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・34)明日のことまで考えるのではなく、取り組んでいることが今、どのように役に立ちそうか、そのことだけに集中しよう。



20/10/25(No.1087)

▼「直リンクは禁止である。」しばらく悩んでいたことが納得できた。他のサーバーの画像をさまざまなブログで表示させる、しかも直接表示させるのは「禁止」だった。この数ヶ月、ひょっとしたら数年、それを理解していなかった。
▼それもそのはず、数ヶ月前までは、他社のサーバーの画像を無理して表示してくれていた。だから「これで良いのだ」と思っていたわけだ。それが表示されなくなって数ヶ月、悩んでいたのだがこれで重い腰を上げ、「ではどうすれば表示してくれるのか」を考えることになった。
▼答えは簡単なことで、自分のブログの中に画像をアップして、埋め込めばよいことだ。ただここには面倒なことがあって、ひとりでも多くの人にブログを見てもらおうと、片っ端からブログを借りまくっている。おそらくそれぞれに、該当する画像をアップしてあげなければならない。それはそれで面倒なことだ。
▼それぞれのブログに流儀もあるようで、それを理解できないブログは今後も写真が直接は閲覧できないかと思う。ご容赦願いたい。リンクのしかたが簡単なものは、対応しているつもりである。
▼今日、手話で子供達に「主の祈り」を教えた。教えるに当たり、「声が聞こえない人、声が出せない人たちもいるよね。そんな人たちと一緒にお祈りするには、何を知ってたらいいかな?」と聞いた。
▼分からないという顔だったので、ヒントを出してあげた。「ウルトラマンはその答えを知っているよ。ウルトラマンは空に飛んでいく時、何と言って飛ぶかな?」子供達はぽかんとしていた。答えは「シュワ!」



20/11/1(No.1088)

▼人間ドックを受診した。年に一度の検診もそう内容としては変わらないと思ったが、それよりも詳しい所見を聞いたので、やはり受けた甲斐はあったと思う。この病院では12年前、父が余命を告げられてまもなく受けて以来である。
▼どうにも解消できないのが「脂肪肝」。所見を述べた先生が、スキャンした画像の各部を見せながら、例として次のように述べた。「これが心臓です。12年前の画像と比較しましょう。心臓の形が、12年前と違っています。これは、脂肪によって心臓が押し上げられていることが考えられます。」
▼心臓が押し上げられるほど脂肪が邪魔している・・・これにはへこんだ。先生は続ける。「赤い文字で示されている数値も、要するに肥満が原因です。今より体重を1キロでも2キロでも減らしてください。そうすれば、どの数値も見事に通常の範囲に収まるでしょう。」
▼この勧めには救われた。実はここ一ヶ月の有酸素運動で、この10年79キロを切ったことが無かったのが現在78.0まで改善しているのだ。まだ求められる標準体重にははるかに及ばないが、ひとまず75キロにはなりたいと思っている。そして実現可能な目標だと考えている。
▼最近、代謝が良くなったのか、食べて太る日が減ってきた。食べたらそのまま体重になっていたのが、最近は食べても変わらないくらいに。ただ喜んでばかりはいられず、ひょっとしたら病気かも知れないし、用心は欠かさない。
▼WiiFitというゲーム機のお世話になっている。有酸素運動や、バランス運動、ヨガ、筋トレ、結構楽しめる。その中ではまっているのはゴルフとフープ。ゴルフはボードの上に乗って構え、コントローラーをクラブに見立てて振るだけ。
▼ゴルフしたことないから本当にできるかは分からないけど、100ヤードのアプローチショットはピタリ寄せることができている。カロリー消費の一助にしていて、右利き、左利き、どちらも同じレベル。実際のウォーキングと組み合わせて、これからも脂肪を燃やしていきたい。



20/11/8(No.1089)

▼司祭館西側に植えてある「藤の木」が垂れて季節には楽しめるように、「藤棚」が作られていたが、台風9号10号の際、棚が壊れてしまった。棚の土台がネジで留められていたため、「ねじ曲がり」、隣の槇の木に覆い被さって、槇の木も迷惑だったことだろう。
▼このたび教会役員にお願いして、ひとまず撤去してもらった。藤の木はまだ花を咲かせてくれるので、いたんだ部分を切り、残してもらった。これから枝がまた伸びてきたら、藤棚を整備してもらい、また鑑賞できるようになる日が来るかも知れない。
▼役員がせっせと働いてくれている間、私は何をしていたか?私は怠け者なので作業しているそばでウロウロして「作業しているふり」をしていた。役員もお見通しで、「おや神父さん、作業のふりは上手ですね」と一本取られてしまった。今田平小教区で陣頭指揮を執ってくれている役員とは、まぁこのような関係である。
▼台風の影響は、他にも残っていて、周囲を見渡した結果、他にも切り倒さないといけない木が見つかった。今まで以上に司祭館が外から見えるのではないかと気にはなるが、先でその危険な木がいたずらしないとも限らない。ここは決断をして、その木にはこの世とおさらばしてもらうことにする。



20/11/15(No.1090)

▼伊王島時代にお世話になった人の中に、メルマガを直接メールで送信していた人が数人いた。一人は介護施設に入ったが、一人は伊王島に今も住んでいる。この二人に転勤後も説教を聞かせたくて、メルマガのことを教え、転勤したのだった。
▼ところが、どうしてなのかうまくメルマガを発行スタンドから受け取れないで困っているという。まぁ、「お年頃」ということなのだろう。そこで直接メールで送るようになって、10年くらいになるかも知れない。ここで問題が発生した。
▼両方ともに、メールを送信できないのである。こちらから送信しようとすると、サーバーに拒否されたというような機械的な返事が送信されてくる。いろいろ試したが、どれもうまくいかず、数ヶ月困った状態が続いていた。
▼そこで、この時代にローテクではあるが、葉書で「メールが送れなくなっていて申し訳ない。受け取る皆さんのサーバーがパンクしている可能性があるので、ケータイに保存してあるメルマガを削除してみて欲しい」と連絡した。
▼一人は葉書の内容を理解できて、メールを削除してくれた。一人は内容が理解できなかった。それは仕方がないのだが、「これで送信できるようになる」と思ったのに、まだ送信できない。いよいよ困ってしまった。
▼そこで、やり方を一から考え直した。「タブレット」を準備してそれを渡し、それぞれで「ブログ」を読んでもらおう。少し費用はかかるが、これで全て解消できる。そう思った。ここからは時間差があるのだが、少し「話を脚色して」結末を紹介したい。
▼一人は、「タブレット」が功を奏し、これからは安心して毎週の説教を読み、録音を聞けるようになる「予定」だ。まだタブレットを送っていないので、あくまでも見込み。
▼もう一人はすでに届けに行ってきた。操作の仕方も一から教えてきた。その後、メールが届いた。「神父様、申し訳ありません。タブレットは操作が難しく、使うことができません。神父様と一緒に写った写真を、額縁のように立てかけています。ありがとうございました。」



20/11/22(No.1091)

▼思い切って髪を短くした。櫛で分けることができない。最近はやっているらしいから、髪を短くした。髪を短くしたらしたで、これからこの髪型を維持するためには毎月床屋に行かなければ。
▼短くして分かったが、横をバリカンで刈っているので横に目が行く。ハゲばかりに目が行っていたのが少しは緩和されるかも知れない。それはありがたい。もちろん、ハゲは変わらないので、この点については発毛剤育毛剤でなく、根本的な解消法が発明されるのを待ちたい。
▼床屋で面白いことがあった。私の前に一人客がいたが、その人は水戸黄門のようなヒゲだった。私がごま塩ヒゲ。私が出た後に、今度は立派なヒゲの人が!三連続ヒゲだ。何かに大当たりしたような気分だった。
▼私が言うことではないのかも知れないが、私が思い出した人はほぼ全員、その日のうちに連絡してくる。ちょっと前は造船所のある島の人だったが、今度はまちづくりの人をふと思い出したその日に、その人が司祭館を訪ねてきた。
▼「人を嗅ぎつける」というのか、「霊感がある」というのか、思い出したその日に、高い確率で連絡してくる。私がこの才能を自在に操れるならと思わないでもないが、そんなことを考えれば良くないことが起こりそうなので、この話はここで終わりとしよう。




20/11/29(No.1092)

▼また仕事が増えた。最近のことだが、ボランティア活動の延長線で繋がった人から「エッセーを毎月寄せてください」と頼まれた。長崎市内に拠点のある視覚障害者のための音訳ボランティア「声の奉仕会マリア文庫」が、最初のきっかけになっている。
▼私はこのグループの代表になっているため、本来なら定期的に顔を出し、たとえば朝礼をこなさなければならないのだが、何せ平戸市に住んでいるため、頻繁に顔を出すのは難しい。そこでずいぶん前から「朝礼動画」を作り、それを観てもらって朝礼に代えている。
▼他に、この音訳ボランティアが出している「月刊誌」(録音物)のような定期刊行物「月刊アヴェ・マリア」に約15分の宗教コーナーを録音で届けている。他にも音訳点訳図書館との繋がりから「図書情報」という書誌が発行されているので、そこにも原稿を出している。どうやらこの「図書情報」が目に留まったらしい。
▼内容は任せてもらったが、間隔は月に一度、その中に福音の芽生えのような、日常生活に福音を見いだすきっかけのようなものを、という意向だ。何かお役に立てればと思っているので、第一回は提出したところだから、次に向けて準備を開始する。
▼「今週の一枚」で「マジンガーZ」の話に触れているが、「マジンガーZ」と「グレートマジンガー」は小学生時代に観ていたアニメ番組。さらに「グレンダイザー」というアニメがあるが、これはあまり記憶が無い。ちなみに、「マジンガーZ」「グレートマジンガー」のテーマソング、何も見ず調べずに完コピできた。



20/12/6(No.1093)

▼病人訪問で訪ねていく家庭の人が、入院してしまった。入院すると、厳しい面会制限を強いられるので訪問は断念することになる。訪問しない期間が半年を超え、その間に三人も神様のもとに旅立った。
▼コロナ禍の中で、最後のお見舞いもできずに送り出した人たちを思うと、申し訳ないのと力不足とで自分の無力さを痛感する。社会活動・経済活動の再開を叫んでいるが、病人訪問再開も立派な社会活動だと思うが、再開できないでいる。
▼新型コロナウィルスの感染はまだ収まらないだろう。ワクチンの使用認可が始まったけれども、「勇気のある人が接種している」そんな状況では安心して接種はできない。むしろ年末年始にかけて、「緊急事態宣言」が発動されるのではないか、こちらの方が気になる。
▼離れている家族にさえ会いに行くのがはばかられるこの病。病人訪問で会った女性の言葉が今も耳に残っている。「全世界に神さまは罰をお与えになったのでしょうか。全世界に神さまは償いを命じておられるのでしょうか。」
▼私も帰り際にこう答えた。「神さまは試練を与えておられるのでしょう。試練は、耐えられないほど大きなものはやってきません。一人では耐えられないかも知れないけれど、互いに試練を担い、より大きな試練を担える人が誰かの一部分も担って、きっと乗り越えることができると思います。イエス様も、私たちと試練を担うために、もうすぐおいでになります。」慰めになったなら良いのだが。



20/12/13(No.1094)

▼長い年月を経たものはときに不思議な変遷を辿る。田平教会は正面に塔が一つ建つ鉄川与助氏が考える「教会らしい教会」の設計となっている。塔の先端部はお椀を逆さに載せたような形になっている。その上に十字架が載せられている。
▼12月8日、文化庁の審議官をお招きして耐震補強についての会合がもたれた。それ以前に文化財建造物保存技術協会(略して「文建協」)の方との準備会合をしてこの日に臨んだ。その中で、塔の先端部は、現在はコンクリート製で重量物が上にあるため、地震の際の危険が増しているが、創建時は木製であったことを聞かされた。
▼先端部が木製であったことは、もちろん私は知るはずもないが、集まった教会役員も詳しいことは知らない様子だった。これから資料を集め、「木製」であったことが証明されれば、耐震補強の中で木製に戻すことが望ましいと言われた。
▼相当な重量がかかっているものを軽くするから、確かに耐震補強の重要な補強点になるはずだ。しかし肝心の写真が、本当に集まるのか、これは甚だ疑問である。いつまでが木製で、いつどのような事情でコンクリート製になったのか。それを明確に答えられる教会役員はその場には居なかった。
▼ちょうど引退神父様が訪ねてきた。いい機会だと思って、「昔は木製でしたか?」と尋ねたら、「ああ。あそこには鳩が巣を作っていて、鳩の雛を盗んで食べたなぁ」と、違う話になって返ってきた。大きい声で聞いたのだが、聞こえなかったらしい。



20/12/20(No.1095)

▼東京の名誉大司教がお亡くなりになった。この時期に亡くなると、葬儀も大変だろう。お祈りし、これまでの働きを神が報いてくださることを願いたい。引退されていた司教様とは言え、影響は大きかっただろうから、東京大司教区のためにもお祈りしたい。
▼クリスマスはもう目の前。しかし、とても楽しみに待つ気分ではない。コロナ禍でのミサ参加者に対する配慮を思うと、無事にクリスマスと神の母聖マリアのミサが終わってくれれば、それでもう「御の字」である。
▼長崎県もジワジワと感染者が増加している。一人とか二人の感染者報告でもビビっていたが、18日は県内合計で18人の感染者が報告された。あと数日でクリスマスだが、最悪の場合公式のミサができなくなることも頭の隅にある。そうならないことを願うばかりだ。
▼急に寒くなった。長崎は豪雪地帯ではないが、先日の高速道路での立ち往生は、想定外の出来事とは言え、かわいそうでならなかった。30時間以上雪に閉じ込められ、どうにかならないのかと一人で気を揉み、責任追及を心の中でしてしまった。責任者も大変だったろう。
▼長崎教区の「教区報」で、新年から「わたしたちは何を目指すのか」という連載が二面で始まった。大変興味深い。新型コロナウィルスの影響をどう乗り越え、長崎教区がどう歩んでいくのか、依頼された方々の記事をみんなで分かち合いたい。



20/12/24(No.1096)

▼ご降誕おめでとうございます。コロナ禍で迎えたクリスマスは、生涯忘れないでしょう。この状況の中でも祝うことができたことを、まず神様に感謝します。弱り切った人類に、公平に喜びを届けてくださいました。神のあふれる愛に感謝しましょう。
▼先週の厳しい寒さが少し和らぎ、今週は日差しを楽しむことができている。もちろん朝晩はとても寒く、早朝ミサではマスクでメガネが曇り、ミサに支障を来している。釣りは中途半端な時期なのか、2.5キロの思いがけない鯛が釣れたかと思えば、塩焼きや吸い物程度の大きさの鯛しか釣れない日もある。
▼寒いと着る物が増えたり、重ねたりする必要があるので困る。早く冬を越して春になってほしい。その前に年賀状だ。今年の年賀状はぶっ飛んでいる。「ちょうど一年前・漁師から牛飼いに・昨日のことのように・今はっきりと思い出す」このセリフはちょっと前に話題になった補佐司教様の「教皇来日一周年ミサでの替え歌」の、「さらにパクり」だ。
▼本音を言うと、来年の干支が「牛」なので、さっきの替え歌を載せたのだが、漁師が牛飼いになるのはちょっと無理がある。私の父はそうなったが、私は牛飼いにはなれそうもない。飼っている牛を、少しずつ切り取りながら飼うことができるなら、牛飼いでも構わないが。



20/12/25(No.1097)

▼長崎教区内でミサが中止になった教会と、ミサを実施できた教会とに分かれてしまった。私たちはどちらの場合でも、「最も弱い立場にある人に救い主は先に出会ってくださっている」と信じている。ミサに参加できた人はそのメッセージを届けて欲しい。参加できなかった人は救い主が近くにいてくださることを固く信じて欲しい。
▼全国的にも、ミサが中止になった教会があると思う。クリスマスカード(ポスター形式)が大阪大司教区で面識のある神父様から届いた。希望にあふれた笑顔が印象的だった。どんな困難のときにも、救い主の到来は希望のメッセージである。今年、日本でそのことが少しでも伝わり、広まればコロナ禍でも宣教の実りはあったわけだ。
▼多くの人が、年末年始の帰省を控えることになった。ドイツのメルケル首相の圧倒的なメッセージを思い出す。「今年のクリスマスが、祖父母と会えた最後のクリスマスとならないように、あらゆる対策をしなければなりません。」こんな感じで、机を叩いて訴えていたと思う。もしも油断したり、ましてや軽率な行動のために、本当に会える人と会えなくなるなら、悔やんでも悔やみきれない。
▼新型コロナウィルスが無かったことにはならない。この体験が過去のものとして過ぎ去ることもおそらくない。クリスマス、神の母聖マリア、決して忘れない2020年2021年としたい。



20/12/27(No.1098)

▼田平教会「瀬戸山の風」という小教区報を毎月発行している。12月末には次の年の「1月号」を発行する。こちらに来て「そうなんだ」と思ったことの一つが、「年間の目標を立てる」ことだ。
▼十分想像できることだが、「年間の目標」を立てるのは主任司祭である。毎年、次の一年を想像しながら「年間目標」を示す。広報委員から「今年の年間目標も提出願います」と言われ、「しばらく待ってほしい」と時間を稼いで、考え始めた。
▼昔ちょっと流行した「ブレインストーミング」という方法でありったけの材料を出してから考える。今年流行したこと。そこから来年に繋がること。すぐに思い浮かんだ。今年の流行語大賞は「3密」だった。ここからヒントをもらおう。しかし教会用語で「密」はそんなに存在しない。
▼それなら枠を広げて「みつ」でくくることのできるものを。ここまで来ると答えにたどり着くのは難しくない。三つ並べて2020年田平教会信徒が蓄えるべき目標とした。「信望愛の充『満』」「恵みの甘い『蜜』」「救い主の栄『光』。これらを求め、力を合わせていきたい。



21/1/1(No.1099)

▼らしい。



21/1/3(No.1100)

▼らしい。





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