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25/1/1(No.1333)

▼2025年は「聖年」としてスタートした。五島市に四つの巡礼指定教会が指定された。たぶん巡礼者も相当数増えるだろう。教会が定める条件を果たして、免償(罪の償いの免除)をたくさんの人が受けてほしい。
▼免償は、他の人に譲ることもできる。亡くなった人に譲ることもできる。「聖徒の交わり(諸聖人の通功)」を体験で学ぶ良い機会だ。自分には、償いをしなければならない人が何人もいる。その人たちのために、2025年何度か指定教会の巡礼をしたい。



25/1/5(No.1334)

▼以前もどこかで書いたかと思うが、教会をいくつも回って気が付くのは「必要な登場人物が必ず居る」ということ。口出しをせず、忠実に教会を支える人。これまでの態度をあっさり捨てて、今の流れに乗る人。口は出すが、手は出さない人も。
▼蛇のような人も?蛇で何を例えるかは人それぞれだと思うが、音も立てず、しかし踵を噛むような「痛烈な一撃」を与える人。イエス様が選んだ弟子も十人十色だったので誰が登場人物でも構わないし、どの登場人物も愛らしい。そう思えるようになったは年の功。



25/1/12(No.1335)

▼東北地方の大雪を前に、何かが言えるとは思っていないが、長崎県に住めば長崎県なりの寒さがある。雪が降って、「うわ、寒い!」と素直に感じた。長崎市はマイナス1.2度、今年いちばんの寒さになった。
▼五島は周囲を海に囲まれているので、割合守られているわけだが、それでもいくつかの土地は芯から冷える。上五島では鯛ノ浦教会の巡回「佐野原教会集落」は盆地のような土地で、しっかり雪が積もっていた。
▼五島市で、行き来する場所の中では「井持浦教会」に向かう途中の峠が、雪に注意が必要になる。2023年度は早めに冬用タイヤに交換したが何も起こらなかった。しかし今年度は、タイヤ交換をした翌日、うっすら雪景色となり、交換してよかったと心底感じた。



25/1/19(No.1336)

▼堅信の秘跡を受けた皆さんおめでとうございます。聖霊の七つの賜物が、これからの人生を照らし、導いてくださいますように。堅信の秘跡を受けると、「消えないしるし」がもう一つ刻まれます。消えないしるし、それはイエス様との絆が消えないということです。
▼洗礼と堅信、それともう一つの「消えないしるし」を刻む秘跡があります。それは「叙階の秘跡」です。叙階の秘跡は「イエス様との絆が誰よりも深く刻まれる恵み」です。堅信の秘跡を受けた男性信徒の中に、神様がさらに深く絆を結ぶ人が現れますように。



25/1/26(No.1337)

▼言い訳じみているが、ロードワークに出ると用事人が訪ねてきてあらためて主任司祭が戻ってから対応するというようなことが去年は頻発したので、今年は時間をお金で買って済ませることにした。つまりウォーキングマシンを買った。
▼初めは速度と時間を少しずつ延ばしていってという読みがあったが、今年59歳になる身体は頭で考えるほどの対応能力が無く、結局時速6キロで、3度の傾斜をつけた形でじっくりトレーニングを積むという形に落ち着いた。まだ全然実感はないが、スマホのカレンダーには一日ずつ「実施した」印を付けている。



25/2/2(No.1338)

▼「祝福の祈り」という儀式書が、札幌教区から発行されていて、けっこう全国的に使われている(と思う)。最近では書店で入手できず、ネット上の古書店で探してようやく一冊手に入れたが、足もとを見る値段で二倍以上の値が付いていた。
▼その中に、「自動車の祝福」というのがある。今回「新船の祝福」を依頼されるも、札幌教区の儀式書には収録されていない。そこで適宜「自動車の祝福」を読み替えながら式を進めた。
▼しかしそれも限界がある。たとえば聖書の朗読箇所は、「自動車があれば、神の栄光をこうやって知らせることができる」と連想させるような箇所。「船があれば」という前提ではない。長崎教区は船の祝福式がときどきあるので、本腰入れて用意してほしい。



25/2/9(No.1339)

▼入院患者は、本当に会話が少ない中で過ごしている。知らない人ともすぐに友達になれる人は別だが。
▼そうなると、入院患者の家族のサポートは大きな慰めになる。今は便利なものがあり、入院している家族を励ます道具もいろいろある。



25/2/16(No.1340)

▼弟が福江にやって来て、希望する場所を回り、ファミリーレストランに午後1時過ぎに入った。唯一のファミリーレストランと言えば分かる人もいるだろう。50を過ぎた二人が注文したのはケーキセット。別にケーキが食べたかったのではなく、コーヒーが飲みたかっただけだ。
▼結局、コーヒーはドリンクバーでおかわり自由ですと説明され、「喫茶店と大違いやな」とこぼしつつ取りに行く。ケーキはと言うと、店員ではなくロボットが運んできた。「慣れた様子で」と言うべきか、スムーズに運んでくれた。こういう時代になったのだな。



25/2/23(No.1341)

▼過ぎた一週間は、助祭が司祭叙階準備黙想会に出かけて留守、司祭館で働くシスターも10日間の黙想会で留守、結構負担のかかる一週間だった。そういうときに限って「葬儀」が入りやすいが、それも無かったので本当に幸いだった。
▼内容は今は明かせないものもあるが、通常の主日の説教とは別に三つの説教原稿を書くことが出来た。それはもしかしたら、最初で最後になる原稿かもしれない。持っているものを出し切って書いたつもりだが、自己満足でないことを願いたい。



25/3/2(No.1342)

▼鷹ノ巣殉教地にはかつて木造の家があり、川沿いに伸びる道を通って訪ねていた時代があった。もちろん殉教の出来事など知らない頃のこと。
▼それでもこの家を訪ねると決まって殉教の話となった。「そんなに殉教に興味があるんだ」と不思議に思っていたが、その家にとっては生きた歴史だったわけだ。今回歴史を追憶する。



25/3/9(No.1343)

▼十数年ぶりに長崎教区で祈祷書が新調される。改訂版ではなく、新しい祈祷書が配られ、教区全体で口語の祈りを全面的に唱えることになる。高齢者からは「また覚えんばとですか」と苦情が来るに違いない。彼らは幼いときからずっと、「祈りは覚えて唱えるもの」だったからだ。
▼もしかしたら今回の新しい祈祷書も、覚えて唱えてくれるのかもしれない。しかしそれにしても、高齢者は祈りを覚えてくれるのに、次の世代、次の次の世代が祈りを覚えられなかったのはなぜなのだろうか。どこかに原因があるはずだ。



25/3/16(No.1344)

▼使用しているiPhoneが4年4ヶ月になり、そろそろかなと考えている。ただ、買い方で値段が全然違ってくるのでちゅうちょしてしまう。ショップに買いに行くのがいちばん高くて、ドコモオンライン(私はドコモを利用しているので)が妥当な値段で、アップルストアはつい飛びつきたくなるほどお安く買える。
▼しかし、以前の経験でアップルストアで購入してドコモのスマホとして使えるように設定を終えるのに何十時間もかかった苦い経験がある。それくらいならお金を出して設定してもらいたいと考える。今回変更するにあたり、4Gから5Gへの変更も含まれるので、慎重を期したい。



25/3/23(No.1345)

▼以前からこの話は取り上げていると思うが、私は幼い頃から「一度説明を受けて、それだけで何でも習得しなければならない」そういう環境で育ってきた。父親が遠洋漁業の船乗りだったので1ヶ月のうち3日しか家に居なくて、教えたいことは山ほどあっても時間が無い。だから一度だけ教えて、それを27日間練習する。その繰り返しだった。
▼すると、自分としてはすぐに何でも覚える才能が養われるが、反面、人に対しては「一度教えたのだから分かるはず」という、高い要求をすることになる。新年度の小教区の体制がまだ見えてこないが、少なくとも新司祭はこちらの助任司祭となる。「教えたのだからできるはず」と、高い要求で新司祭を困らせないようによくよく気をつけなければならない。




25/3/30(No.1346)

▼今年は3月30日が司祭の異動発表日。福江の司祭館内は実は知っているが、他のことについては知らない。知らないと言うより、私は「知りたくない派」なので耳に入れないようにしている。それを知ってか知らずか、下五島地区の誰も、地区長の私に耳打ちしない。
▼しかし大司教様は過酷な務めだ。運命を左右するような人事も、心を鬼にして決断しなければならない。主任司祭も大なり小なりそういう場面があるが、人の運命を左右するほどの決断をした記憶は無い。決断は下される。私たちは大司教様を支えるのみだ。



25/4/6(No.1347)

▼異動が決まり、後任の司祭が一度訪ねてきた。交代する司祭と福岡で同期だったらしく、引き継ぎも私がこれまで見たような光景とは違っていた。助任司祭としての引き継ぎなので、主任司祭同士の引き継ぎと違うのは当たり前か。
▼司祭館の中も少し変わる。助任の一人は福江で二年目に入り、もう一人が最初の年を迎え、主任司祭は三年目となる。ただ年齢的には、誰が年長者なのかあまり分からない組み合わせになった。こうなったら都合の悪いときは助任司祭に主任司祭のふりをしてもらおうか。



25/4/13(No.1348)

▼今年もこの週が来たか・・・ここ15年くらい、同じ思いを持っている。聖週間にすべて参加できない人のために、説教案を先に用意して配る取り組みを続けているので、「あー来たか」となる。
▼何も、前もって準備する必要は無い。その日のものをその日に準備すれば、もっと掘り下げることができるかもしれない。まぁ、メリットデメリットはどちらにもある。



25/4/17(No.1349)

▼最初の聖木曜日の説教は助任司祭時代の「聖時間」。主任神父様から「若い神父の説教を皆が楽しみにしている。最低でも20分説教しなさい。」それを真に受けた私は、その通りに説教したら聖時間のあとに主任司祭のカミナリが落ちた。
▼「誰が説教あんなに長くしろと言ったか!」言ったのは主任司祭だが、それが新人への「洗礼」であることをあとで知った。今は時代が変わり、同じことを私が助任司祭に指示したら、「冗談だったのに」と言ってもそれでは終わらないだろう。



25/4/18(No.1350)

▼「あなたはここにいて良いのだよ。」この思いにたどり着くまでに、どれだけの時間がかかっただろう。これまでどこかで「あなたはここにいるべきではない」「あなたはここから出て行ってほしい」と考えていたのだろう。
▼すべての人が、ドラマの登場人物。神様が用意してくださったすべての人が、人類の歴史の登場人物。それを理解すると、どんな人にも近づいて知り合いたいと考えることができる。



25/4/19(No.1351)

▼今年の聖週間はかなり遅い日程なので、復活徹夜祭はあまり暗くならなかった。ある教会で、「どうにかして聖堂を暗くしてほしい」とお願いした。お願いそのものは理解してもらえても、それを形にしなければならない人のことを考えてはいなかった。
▼もし今度、同じことを依頼するなら、自分が先頭に立って聖堂を暗くするために汗を流そうと思う。「共に担い、共に汗を流す」そうでなければ人の心は動かない。



25/4/20(No.1352)

▼「そう言えば、そうだったかな」小教区内にある修道会経営の病院から「主任神父様、御復活のミサを病院でささげてください」とお願いされた。去年、何かの都合で私が行かなかったので、この日に予定が入っているのを忘れていた。
▼復活の主日に浜脇小教区が信徒総会を開く。まるまる被ってしまった。こういうときこそ助祭が、司祭に叙階されて非常に助かっている。新司祭の報告を受けて、これからの浜脇小教区のあり方を考える必要がある。



25/4/27(No.1353)

▼「この度、2025年11月18日をもちまして、goo blogはサービスを終了することとなりました。」ずっと利用していたサービスの終了のお知らせ。ガッカリ。ビジネスの世界だから、デメリットがメリットを上回ればそうなるのは仕方がないが、残念この上ない。
▼こうなると、どこかに引っ越しをしなければならない。案内されていたのは「Amebaブログ」と「はてなブログ」だった。「はてなブログ」は、一時期ブログを立ち上げていたが、ブログをいくつも立ち上げることに意味を見いだせず、長期休止していた。
▼どうするか・・・。たぶん、「はてなブログ」を復旧させることになる。そこで準備のために「はてなブログ」を立ち上げようとすると、ログインのIDすら分からない。メールアドレスでもログインできることになっているが、それもできなかった。おそらく20年くらい前に使っていたメールアドレスなのだろう。
▼苦心惨憺(くしんさんたん)して、ようやくログイン。これから引っ越しの準備と、引っ越し時期を検討することになる。



25/5/4(No.1354)





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