(太田尾)小教区で、我流ですが新聞を発行しています。

2001年版 2002年版 2004年版

2003年12月
イエス様におまかせ 

 威勢のいい魚屋がいた。持ってきた魚は飛ぶように売れた。イワシを売るとき「いわーしこ」とかけ声かけると人が群がり、あっという間に売り切れる。
 同じ町内に、腕は立つが商売の下手な「カゴ屋」がいた。魚屋のそばで自分も、元気のない声でもって来たものを売り始めた。「いわーしこ」「ふるい」「いわーしこ!」「ふるい・・・」すると魚屋飛んできて、「てめえ!商売のじゃまするんじゃねぇ!イワシ売ってるそばで、『ふるい・ふるい』って言いやがって!」
 そこで仕方なく、カゴ屋はとなり町へ商売に行く。そこには金物を引き取る商売人がいた。そこで同じように「ふるい」を売ってみる。「ふるい」「ふるーい金物ございませんか?」「ふるい」「ふるーい・・・」今度は中古買い取り業者がたまらない。
 「いっしょじゃ困るなあ。うちは『古い金物』は引き取るけれど、『古い古〜い金物』は要らないんだよ」だがカゴ屋も困っている。何とか商売したいとすがったら、金物屋がこう言った。「おいらといっしょに魚屋のところで商売しよう」。
 そこで三人並んでこう言った。「いわーしこ!」「ふるい」「古カネ!」
 自分は向いてないと思っていても、いい具合に活かしてくれる人と出会えば、人生は変わる。イエス様におまかせあれ。

2003年11月
生者にとっての死者の月 

 十一月は死者の月です。毎年この時期には、すでに亡くなった身近な方々への追悼のミサをお願いする方が増えます。そうした姿を見るとき、死者のことを考えるのは、ほかならない「生きている私たち」なのだと実感します。
 月に2回、土曜日の朝に修道院でミサをしておりますが(第2・第4)、今朝のミサでこんなことを話してみました。「イエス様は小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実であると仰いました。与えられた人生のすべてが、救いという大きなことに忠実を尽くすための練習なのではないかと思います」。
 たとえば、神様を信じる気持ち、神様のいつくしみに包まれていたいという気持ちは、私たちが亡くなれば簡単に身に付くか、考えてみたらよいと思います。私自身は、人が亡くなったからといって、神様を神事、神様を愛する気持ちが簡単に手に入るとは思えません。むしろ、与えられた人生を、困難はあっても信じ続けた人こそが、死後に神様を愛することも忠実でいられるのではないか、と思うわけです。この世で神様を大切にできなかったのに、死後に簡単にそれができるようになるとはとても思えないのです。
 だからこそ、生者にとっての「死者の月」は大事なのです。

2003年10月
保険はかけてますか? 

 かつて「星セント・ルイス」という上方の漫才師がいまして、関西の「やすし・きよし」に並ぶ売れっ子漫才師でした。その漫才の中で、「人間の体は何でできているか」というのがありました。
 「人間の体は炭素と脂肪と鉄分とリンでできております。炭素から鉛筆の芯が9千本取れます。脂肪分から石鹸が7個取れます。鉄分から2寸釘が1本取れて、リンからはマッチの頭2千2百本取れます。これをお金に換算すると7千円ですが、私の相方はこの7千円の体に1千万の保険をかけているのです!このバカ者!」とやり合います。
 非常に考えさせられる漫才でした。7千円の体に、今でしたらもっと多額の保険をかけるのかも知れません。そしてほぼ間違いなく、かけた保険は自分のものにならないのです。
 保険とはそうしたものなのかも知れませんが、7千円の体に保険をかけるのでしたら、どうでしょうか、それ以上の価値がある(はずの)霊魂にも「保険」をかけてはいかがでしょう?私はそう思ったわけです。
 霊魂に対する保険、それは、霊魂の救いのために、生前に「祈り」を積み立てておくということです。祈りは掛け捨てになりませんし、受け取りを誰かに譲ることも自由です。
 ロザリオの月ですから、この祈りを積み立ててはいかが?

2003年9月
物書きのお仕事 

  さほど暑くもなかった八月、振り返るとわずかな人数の子どもたちとラジオ体操をして過ごした夏休みでした。何とかならないかなあと天を見上げながらの学期始めとなりました。
 ところで新聞を書き続けて思うことは、物書きには「ありのままに伝えること」のほかに、「希望を持たせる話題を拾うこと」「警鐘を鳴らすこと」といった使命があると考えています。
 そう考えますと、今年の夏休みで目に留まった「心配」と「希望」は何でしょうか。心配なのは、親子で毎日ミサに参加したという経験を、これからの子どもたちはますます経験できなくなるのではないか、ということです。かつて車の免許を取りに親戚の家に下宿しておりましたとき、夜明け前まで働く職業でしたが、神学生の私を連れて、下宿期間中毎日朝のミサに連れていってくれました。夏休みは家族で毎日ミサに行った。こんな思い出を何とか残してあげられないものでしょうか。
 楽しみもあります。毎日親子でミサに参加してくれた男の子に、思い切って待者をさせてみました。まだおどおどしておりますが、そのうちにきっと自信もつくでしょう。
 できれば自分より下の子を教えてあげるところまで見てみたいと思いました。

2003年8月
時間は止まらない 

 私たちは「時間」の中で生きています。不思議だなと思うのですが、未来に向かって歩いているのですが、一寸先も読むことが出来ません。5分先でよいから、未来のことが分かるなら、スピード出しすぎでお巡りさんのお世話になることもありませんし、駐車違反といって車を持ち去られることもないでしょう。
 また、考え事をしているうちにいっしょにベンチに座っていたお友達はバスに乗ってしまって、とり残されたということもありそうな話です。過去を振り返ることだけが神様に許されていて、「今」に立ち止まることも、未来を予見する力も与えられてはいないのです。
 それでも、私たちは前に進んでいかなければなりません。先の見えない未来へ、何が待っているか分からないところへ、歩を進めなければならないのです。何と頼りない道でしょう。
 一つだけ、私たちが未来に希望を託すとしたら、「未来をご存知の方」に頼るしかありません。それは私たちの信じる神、神の子キリストの言葉です。
 十字架のキリストは母マリアに愛する弟子のことをさして、「見なさい、あなたの子です」と言いました。マリアを信じる者すべての母になるという「未来」を述べた言葉です。キリストだけが、未来をご存知です。

2003年7月
梅雨と宣教師 

 文献や資料で確かめたわけではありませんが、日本の梅雨はアジア独特の気候でしょうから、かつての宣教師はとんでもないところに来たと思ったのではないでしょうか。
イスラエルに巡礼で出かけてみると、真夏の暑さは日本以上ですが、湿気に悩まされることはありませんでした。洗面台でざっと洗濯したものも、脱水しなくても次の日には乾いていました。
ヨーロッパも、「梅雨」はおそらくないと思います。そんな場所で暮らしてきた人が、たとえ宣教の熱意があったとはいえ、日本の梅雨で参った人はたくさんいたのではないでしょうか。
 聖パウロは「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした(以下省略)」と書き残しています。
 聖パウロの苦労はけた外れかも知れませんが、そう思うと私たちが信仰生活に感じる困難は、「当然の義務」と考えて良いものなのかも知れません。
 これから、あついあつ〜い夏がやってくるわけですが、対策を講じることとは別に、「私たちは、暑さを通して先人の苦労にあやかりましょう」そんなことを考えてみたらいかがでしょうか。

2003年6月
あとでじわじわ効く薬 

 みなさんにとって、一年間忘れずに残る話って、どんなものでしょうか?今年の司祭黙想会に参加して、そんなことを考えてみました。
 とても印象的な体験は、残りやすいかも知れません。ですが時間がたつと、新鮮な感動もだんだん薄れてくるのではないでしょうか。
 そう考えると、一年間覚えていられる話というのは、もうちょっと違ったところにあるのかも知れませんね。
 案外、「土台づくりに役立つ話」「基本中の基本になる話」というのが一年を通して残るものなのではないでしょうか。今年の黙想会の指導をしてくださった司教様の話を聞きながら、そう思ったのです。
 今月号に少しまとめてレポートしましたが、基本中の基本になる出来事は、いつどんな場面でも繰り返され、反復されていくうちにしっかり身についていくのだと思います。
 始め耳にするときにはそれほど強い印象はないけれども、あまりに何度も現れるので、「あー、あのとき話してもらった基本的なことが、こんなに大事だったのか」と感じるようになるわけです。
 あとでじわじわ効いてくる話って、いいですよね。そんな話をしていきたいものです。
命を見いだし 命を手放す 
 ちょっときれいな話ではないのですが、ある女性がある男性と結婚する際に、心の中でこんなことを考えたのだそうです。「私は、もしもこの人が介護を受けるようなことになったとき、この人のおむつを取り替えることができるだろうか?」そしてできるという確信を得て、その男性と結婚したのだそうです。もちろん、心の中で考えたこと話したりはしていないのですけれども。
似たようなことは、母親と新生児のあいだにも起こるかも知れません。新生児は食べ物を戻したりすることもあるでしょう。それを片づけたり、もしかしたら口移しで取り除いたりするかも知れない。そんなとき、母親は迷わず赤ちゃんのために何でもできるのだと思います。
 これは、相手に何を見いだすかに深く関わってくるのだと思います。結婚相手に「すばらしい命」を見いだした配偶者は、自分だけのために生きるのではなく、配偶者と共に、新しい命を生き始めます。新生児に自分の生き写しを、命を見いだした母親は、やはりその子と共に新しい命を生きるのです。
マリア様は神の御子に、マリア様自身だけでなく、すべての人の命を見いだしたのかも知れません。聖母月、ロザリオを唱えながら、この点を黙想してみましょう。
桜の花びらはとても可憐で 
 四月は新入生のまぶしい季節。昨年、ある女の子がランドセルをしょって顔を見せに来たとき、文字通り「ピカピカの一年生」だなあと思いました。
 かくいう私も、ピカピカの一年生だった時期もあったわけですが、今は影も形もありません。ただ、私を見てちょっぴりうらやましそうだった主任神父様のお話を、今月は紹介しておきます。
 その日は復活節の第三主日でした。たいてい、任地への赴任は復活祭があけて二週間後ですから、この日のことはよく覚えています。そして、その日の日曜日のミサ祈願文に、次のようなくだりがあったのです。
 「すべてを導かれる神よ、教会は新しい民を迎えて若返り、喜びに満たされています・・・」そのことに触れてこう仰いました。「あの祈りは引っかかるねぇ」。きっと嬉しかったのだと思いますが、まともに嬉しいと仰る方ではないので、そう返したのだと思っています。
 私たちの教会は、「新しい民を迎えて」となっているでしょうか?新しく誰かが入っただけではなくて、新たなことに挑戦したり、いつもおこなっていることだけれども、一から練り直したりということも含みます。
 今年の挑戦。昇天祭恒例の山登りの日に、野外ミサをしたいと思っています。
堅信式と初聖体の共通点 
 初聖体の保護者にちょっとしたお話をした際に、「初聖体を受けると、みなさまと何ら変わらない立場でミサにあずかることになります」という話をさせていただきした。
 まだ聖書を読むことも、説教に耳を傾けることも十分にはできないかもしれませんが、拝領前には食事を控え、定期的に赦しの秘跡にあずかり、ミサの中では聖体をいただく。何ら変わらないスタート地点に立ったと言えるでしょう。
 堅信を受ける子どもたちも、大人の仲間入りをして、さらにその意味合いを深めていきます。聖書も読むことができます。説教にも、耳を傾けることができるようになります。必要があれば共同祈願も、献金を集めることも、何でも大人と同じようにできます。これらは「堅信式」を受ける人と、「初聖体」を受ける子どもの共通点でしょう。
 違いもあります。堅信を受ける人は、聖霊のたまものをいただきます。「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛する恵み、神を敬う心」です。小さな子どもは理解するのに助けが必要でしょう。判断を仰がなければならないこともたくさんあると思います。
 すべて自分でできるとは言いませんが、自立するだけの恵みはいただいたのです。でしょ?
毎週確実に説教を書き続けて 
 社会の荒波にさらされ、もしや明日は仕事がないかもという不安を背負っておられるみなさまのお仕事に比べれば微々たるものです。ですが、昨年も一年間お説教を書き続けることができました。
 より多くの方に、お説教を届けるにはどうしたらよいか?これはここ数年間、ひとり頭を悩ませていることです。私のお説教がすぐれているからなんて、決して思っておりません。ただ、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」とのお言葉に、少しでも応えようとの思いからです。
ラジオ・テレビはその日のできごとを全国隅々まで伝える。なにか、似たような方法で、必要としている人に一人でも多く届けることはできないものかしら?そう考えているところに、「メールマガジン」という時代にかなった道具を見つけることができました。
 現在、パソコンとケータイ合わせて200人ほどの方が日曜日のお説教を直接受け取っています。中には、親子共に障害一級の方もおられます。難病と向き合っておられる方もいます。意外や意外、女子高生までも受け取っているのです。
 どんな場所からでもできる宣教活動として、私のライフワークと思って、続けていきたいと思います。

おかげさまで五十号を迎えました
 
 「ちりも積もれば山となる」と言いますが、教会新聞として始めました「せいトマス」も、おかげさまで第五十号を発行する運びとなりました。みなさまに支えられて、一つの節目を迎えることができたかなあと思っております。
 月に一回の発行ですから、四年と二ヶ月かかったことになります。本当に必要とされた部分は、いくらもなかったかも知れませんが、私にとってはたくさん勉強させてもらった作業でした。いつも、締め切りとの闘い、文字数との闘いでした。
 教会新聞は、その教会教会によって少しずつ性格が違ってくると思いますが、私自身が心がけていることは、何か一つのことをみなで心に留めておく(共有する)ということです。
一つの行事があれば、参加できる人もあるでしょうし、都合で参加できない人もいると思います。どの場合も、新聞を通して、その行事を「共に」することができればいいなあ、と思っています。
 どこまで続けられるのか、私にも分かりませんが、まあ無理をしない程度に、みなさんに「うちは『よきおとずれ』『言の波』があるから要らないよ」と言われない限り、続けてみたいと思います。

「話の森」トップに戻る