せいトマス一面記事

(太田尾)小教区で、我流ですが新聞を発行しています。

2002年版 2003年版 2004年版

わたしは、世の光です

 いよいよクリスマスを迎える待降節となりました。世の中でも、今か今かと誕生を待たれているお方もおられますが、大切なお方をお待ちする気持ちは、それ以上のものでありたいと思います。
 さて、タイトルに掲げたみことばは、ヨハネ8章12節からのものですが、もちろん幼子イエス様がこのような言葉をお語りになるわけではありません。とは言え、このみことばをお語りになることも確かです。
 そこで、おいでになるイエス様を、今このときから「世の光」としてお迎えしてみてはいかがでしょうか。いかがでしょうかではなく、ぜひお勧めいたします。
 今年一年、「テロ」という言葉が一番耳についたのだと思いますが、これは「人間の心の闇」が、見える形で、しかもはっきり現れた姿だったのではないでしょうか。闇の力が、人間を悲しみのどん底に落としたのだと思います。
 人間の力では払うことのできないこの闇を、イエス様はおいでになって照らしてくださいます。「わたしは世の光です」と言わなくとも、この世を照らすためにおいでになったことに疑う余地はないのです。
 光を受ける私達は、世にあって光となることは当然です。

七五三 おめでとう

 よいこのみなさん、おはようございます。七五三のお祝いに、ちょっとお話をします。よく聞いてね。
 今日のお祝いは、「大きくなった」ことをみんなにお祝いしてもらいます。ここに千歳飴があるでしょ。「よーい、ドン」で飴を取りに行ったら、大きい子は、一歳、二歳のおともだちよりも早く飴が取れますよね。
 でもね、神様は「わたしが、小さい子より早く飴を取れるように」大きく育てているんじゃないと思います。早く飴をつかんだら、もっと小さい子に、先に渡してあげる。そのために大きくなーれって、お恵みをくださっていると思います。
 ほかにも、ちょっと遠くに、困っているおともだちがいたら、今日お祝いを受けるまで大きくなったおともだちは、少し早めに困っているおともだちの所に行くことができます。先について、「どうしたの?」って声をかけてください。
 高いところにも、遠くにも、早くつくことができるようになってきました。もっと小さいおともだちのために、早く着いたら親切にしてあげてね。神様は、そんなやさしいおともだちを、お恵みでいっぱいにしてくださいます。
 今日は七五三、おめでとう。

イスラム教のこと、少し学びましょう

インターネット版「現代用語の基礎知識」を参照なさってください。

すべての町を 回り終わらないうちに

 最近パソコンが動かないので至急来てくださいという依頼がちょいちょい来ます。先日も、「生」を飲んだ直後に、長崎まで飛んでいきました。
 ある時は到着したのが午後9時で、ようやく帰り着いたのが夜中というときも。一度助けてもらった人には、やはり頼りたいという気持ちが働くのでしょうか。
 こうして原稿を書いているときにも、出津のとあるホームから電話があり、晩ご飯を食べた後に出かける羽目になりました。まだ様子を見ていないので何とも言えませんが、案外「かなり初歩的な」トラブルだったりします。
 けれども、頼ってもらっているのですから、悪い気はしません。たとえ、機械そのものにはたいした問題がないとしても、それがご縁でいつかは助けてもらうということがないとも限りません。そういうことでは、一芸に秀でていて良かったなあとつくづく思います。
 このことを考えさせるイエス様の言葉を引用しておきましょう。「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。」自分にできることで真心込めて奉仕すれば、いつか周り回ってくることでしょう。

夏に頑張った人は、必ず成功する

 別に聖書にこう書いてあるわけではないのですが、私のささやかな体験から、自信をもってそう言いたいと思います。
 お勉強のことで言うと、私は中学三年生の時に、とある英語の教材と出会い、あー、英語って、こんなふうに読み進めていくのか、はっきり分かったときがありました。その年の夏は、寝ても覚めてもその教材に張り付いて勉強した覚えがあります。
 今の司祭職のことで言うと、中学一年で神学校に入ったときの主任神父様から、「休み中は毎日、欠かさず聖体訪問に来なさい」と言われ、最初はいやいやながらでしたが、暑い夏の盛り、釣りに行っても泳ぎに行っても、どんなに疲れていても夕方五時の聖体訪問のために教会に行った思い出があります。
 中二になると、同じ郷里の葛嶋神父様が高校一年で神学校に入り、サボりたくてもサボれなくなったこともあって、とうとう最後までやり遂げました。
 目標のある人は、良かったら参考にしていただければ幸いです。夏に努力した人には、絶対にかないません。夏を乗り切った人は、その年の後半を乗り切ったようなものです。
 人それぞれに目標があります。夏が勝負。だから、朝のミサに来て欲しいなあ・・・

狭き門の考えと 奪い取る考え

 聖書の言葉を二つ拾うと、お互いぶつかるなあということがあります。
 マタイ七章十三節「狭い門から入りなさい。・・・」という箇所と、マタイ十一章十二節「・・・天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」とは、何だがぶつかる気がするのです。
 教会の教えは、ある程度「狭い門」だと思います。結婚についても、性についても、もしかしたら葬式についても、結構制約があったりしました。何でもかんでもホイホイとは引き受けないのも事実です。
 一方で、一生懸命お願いすれば、いろんなことに道が開けるという面もあります。片方では「狭い門」を説いておき、片方では「激しく襲う者が、それを奪い取る」というのは、何だかすっきりしないと感じるのではないでしょうか。
 けれども、こうした両面をイエス様がお認めになっておられるのは、ありがたいことです。かつて、子供のパン(ユダヤ人のためのもの)を取って子犬(外国人)に与えるのは良くないと仰ったイエス様に、フェニキアの女性(外国人)は食い下がりました。その時イエス様は、「それほど言うなら、よろしい」と応じてくださいました。

心が心に語りかける

 今月は「目」の働きから始めてみたいと思います。
 よく「相手の目を見てものを言いなさい」とか、「目は口ほどにものを言う」とかありますから、合図を送る「目」とは、相当に働き者なのだと感じます。
 「目」は、「目」に合図を送っています。当たり前じゃないか、と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、よく考えると、「ピンと来る人」と「鈍感な人」はいるわけで、その意味ではみなが十分に合図に敏感だとも限りません。
 よく見られる光景は、「ほら、早く言え」といった感じで、相手に目配せをする場面です。鈍感な人は、いくら合図を送っても、「え?どうしろって?」ということになりますよね。
 さて、「目」の話はもののたとえでした。6月は「イエス様のみ心の月」なのですが、「心」はどこに働きかけるのでしょうか?これまでの話の流れからすると、「心は心に働きかける」ということになります。また、言い方は不正確ですが、「敏感な心」「鈍感な心」も、どうやらありそうです。
 目と目が一瞬合っただけでも何かを感じるものです。イエス様のこころの合図に気付くためにも、わたしたちは各自の心をイエス様に向ける必要があるのではないでしょうか。

マリアに祈りし 願いはすべて

 おかげさまで、「せいトマス」、今月号で三十号になりました。二年と六ヶ月も一人でペンを握っていると(キーボードを叩いていると)、たいがいネタも尽きます。
 次回から「六月の一面」「七月の」と、一面記事を募集しますので、良かったら書いてみてください。わたしは「一面を取られた」などと思ったり、内容が優れているからと言って、妬んだりすることは決していたしませんので。
 私は五月の連休前後、集中的に「イカ釣り」に出かけたのですが、大型連休よろしく、大型連敗をしてしまいまして、かなり落ち込んでおります。今年はまだ「初日」が出ておりませんで、もしかしたらこのまま千秋楽を迎えるのではないかと、かなり焦っております。
 くだらない話をしているのは、ほんとにネタが尽きているからです。そして、こういう原稿で構いませんので、どうぞ、「神父様、来月の一面は、だれか引き受けました?」「良かったら、書かせてください」との申し出を期待してのことです。
 実は、十三日に侍者の子供と釣りに行くことになっております。中学生の運動会と重なって、参加が少ないのですが、ロザリオを唱えて、歌を歌うことにします。「♪マリアに祈りし願いはすべてー♪」

ふるさと選手を応援しよう!

 この場を借りてお知らせしなくても、じゅうぶん名前は知れ渡っていますが、大崎高校OBの島袋君が、サッカーのJ2リーグ入りしました(断りなく書いたこと、ここでお詫びしておきます)。ふるさと出身者に対する思いは、全国共通です。大いに活躍して欲しいものです。
 ふるさとということで今月は書いておりますが、教会のことで言えば私たちのふるさとには、一人の司祭と、数名の修道女の方々を輩出しております。これら先輩方も、言ってみれば宣教活動の第一線で働く「ふるさと選手」です。そうであれば、先輩方が健康でこれからも活躍されることを願い、何かの形にして気持ちを伝えることは、大いに薦められることではないでしょうか。
 これは一例ですが、地元出身者の集いを開いている小教区があります。聖職者がいらっしゃれば、その方にミサを捧げてもらい、何かの形であとに続く子供たちへの励ましをいただき、夕食を囲んで語り合うというものです。私の出身教会では、ある神父様にお仕えした「助任司祭の集い」というものがありました。
 十日から、上五島の仲知教会に黙想に出かけます。尊敬する先輩司祭方の出身地ですので、失礼のないよう話してきます。

はばたいて(太田尾保育園の来賓祝辞より)

 保育園を卒園するお二人に、今日は「はばたく」というお話しを贈ります。
 卵から孵ったヒナは、最初は羽がついていても飛べませんね。でも、お父さん、お母さんに育ててもらって、あとで飛べるようになります。巣の中から、少しだけ見えていたお外のことも、はばたいたら、たっくさん見えるようになるでしょ。たのしみだね。
 今、保育園を卒園して、羽ばたいていきます。小学校に行って、たくさんのお友達と出会って、初めてのことをいっぱい見ます。自分の羽で、飛んで回るって、とってもすばらしいことなんだよ。
 年中さんと年少さんは、もう少しかかるけれども、きっと、お兄さん、お姉さんのようにはばたいていきます。それまで、楽しみにして太田尾保育園で大きく育ててもらってください。
 保護者の皆様、先生方、地域の皆様、二名の卒園生は、胸を張って卒園していきます。ただ、どこを飛んだらいいのかは、まだまだよく分かっていないと思いますので、どうぞ、温かく見守ってあげてください。
 あそこを飛べ、ここを飛べも、良かったら最小限にとどめて、まずは思いっきり飛ばせてあげてほしいと思います。
 初めて飛ぶ楽しみを、十分に楽しませてあげてください。

大道具 小道具

 あ、別にタイトルに深い意味はありません。まだどこかの助任司祭だったときに、主任神父様が仰ったことを思い出しただけのことです。
 こう仰いました。「昔は○○神父様という人がいて、この人は道具一つ使わずに、子供たちを魅了したものだ。それからすれば、大道具・小道具に頼っているようでは、まだまだだな」。
 あらためてそう言われてみると、日本人は「寄席」というすばらしい芸能を知っています。噺家は扇子一つ、あるは手拭い一つしか持たず、しかもそれですべての場面を見事に演じきります。
 さらにわたしが注目するのは、彼ら噺家は、決して座布団から動いたりしません。飛んだり跳ねたりなどは以ての外です。それでいて、ちゃんと「芸」として、日本人の心に響いています。
 思うのですが、この「寄席」がこれから先五十年、もしかしたら百年生き続けるとしたら、キリスト教は何とかして、この「寄席」のスタイルを活かす道を考えたほうがいいのではないでしょうか。
 説教が「寄席」だと言うつもりはありませんが、座布団から一歩も出ないで、あれほど聴衆を魅了する話しぶりを、学ばない手はないと思うのです。

いつかは変えないといけないこと

 年が改まりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 今月号では、「刷新する勇気」について、お知らせのようになりますが、書いてみたいと思います。
 ご承知のように、昨年一年間を通して、「主の祈り」が全面的に新しくなりました。ミサの中でも、ようやく歌うことができるようになり、一部ちぐはぐだったところも改善されています。
 主の祈りの件は、私は教会が神の国に向かって旅をする中での「刷新する勇気」を身につけさせる出来事だったように思います。
 「どうして祈りを変えたのか」という質問に、「より親しみを込めて祈っていくために」、「私たち自身が常に新しいパン種となるために」変わる勇気を身につけさせてくれたのではないでしょうか。
 さて、いずれ変えていかないといけないものがありますので、ここでお知らせしておきます。葬儀ミサの共同祈願、以前は、「主よ、私たちの祈りを聞き入れてください」となっていましたが、これからは、規範版に従って、「神よ、私たちの祈りを聞き入れてください」に変更したいと思います。また、告別式の中でみんなが唱える部分も、言い回しが変わります。これも、規範版に忠実に唱えるようにいたします。

二十一世紀に書き残すことって?

 もし、みなさんに「今月号の一面を書いてみませんか」と勧められたら、一体何を書きますか?
 私は、実はぜひとも言い残すことはありません。たとえ二千年の最後の月であっても、大騒ぎするほどでもないと思っています。
 それでも、あんまり冷めていると、このあとの文章を読んでもらえないので、一つぐらいは書いておきたいと思います。
 一つ、と言われたら、やはり教会の近い将来のことを書くでしょう。少子化と、高齢化、財政問題がトリプルでやって来て、教会を担う若手は以前にも増して負担が大きくなるのではないか?なかには「何で俺だけや?もうやーめた」と言って、背を向ける人も出てくるかも知れません。
 どうしてこうなったのか?私の目に映るのは、よくよく考えると、私たちが物を信仰して、その次に神様を信仰してきたからではないか。そのツケが、次の二十年か、三十年は回ってくるに違いない。そんな感じがするのです。
 マルチン・ルターは、世の終わりについて尋ねられて、「私は、明日世の終わりが来るとしても、今植え付けようとしているリンゴの苗を植え続けるだろう」と言ったそうです。
 「まず神の国とその義を求める」世紀を迎えたいものです。(2000年12月号)

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