(編集後記)

2003年12月号

司祭の育成とは結びつかないが、福岡の神学院時代にフランス人の神学生と5年間文通をしていた▼自分はフランス語はできないので、英検四級の腕を駆使して、どちらも英語で文通していた▼相手もそう思っていただろうが、「レネの英語、へたくそだなあ〜」と読むたびに思ったものだ。どうも一般的にフランス人は英語の勉強に力を入れてないらしい▼最終的にレネ(彼)も司祭になったが、あまりに英語が下手同士だったので、司祭になってからは音信不通。

2003年11月号

巡礼の記事に書かなかったことでどうしても伝えたいことがある。天草のキリシタンの信仰のこと▼天草キリシタンの本当の特徴は、「まったく移動しなかった」ということ。迫害を逃れるためには、「その土地を離れる」ことがほとんどだが、彼らは一度も土地を離れていないという▼ということは、ある意味土地を離れるよりも数段知恵を使わないと信仰を継承することができないことになる▼資料館で、家の柱そのものに「隠れ引き戸」を組み込んだ柱を見つけた

2003年10月号

最近珍しい親子が訪ねてきた。長崎のシスターと、そのお父さん▼お父上とは初対面で、見た目よりも十歳も十五歳も若い感じがした。三菱重工でかつては働いておられたとか▼びっくりさせようと思って、お父さんのことは黙っていたそうだが、私のほうも驚いた▼シスターになる人もいろいろだが、ご家族の中で洗礼を受けているのはシスターのみで、よもやシスターになるとは思っていなかっただろう▼生まれて初めて司祭に出会ったお父上の印象はいかに。

2003年9月号

夏休み中に、中学生のキャンプを2度もおこなった。最初は話し合った日程通り、次は「もう一度お願いします」とせがまれてのことだった▼最初は4名、2回目は9名。中学生にもなると、頭ごなしに日程を決めてもダメで、連中の意見は無視できないと実感▼部活の友達だとかで、教会のキャンプに女子が一人参加した。これもまた中学生なりの「福音宣教」か▼自らの中学生時代に、友達だからといって教会の行事に引っ張ってきた経験はない。感心し、ただ脱帽

2003年8月号

マリア様の生まれたユダヤの国は夏は非常に暑い。汗をかけば流れる暇もなく蒸発していく▼そんな国で生まれたのだから、私の考えるマリア様は真っ白なお顔でなくて、よく日焼けして真っ黒なマリア様▼アフリカでは、マリア様は黒人と決まっている。よいではないか。ちっと、日焼けが過ぎれば、真っ黒になるのだから▼小学5・6年生のキャンプは良い刺激になった。なにより、真っ黒に日焼けした「チビ」マリア様がたくさん来ていたのが嬉しかった

2003年7月号

「いよいよのところまで来ても」神様に心を向けようとしない時代がそこまで来ているのかも知れない▼「困ったときの神頼み」これももはや「過去のことわざ」か。困っても神様に頼まない人は、一体何に・誰に頼むのだろう?▼さんざん期待を裏切られたこの世に頼むのだろうか、それとも何かほかの秘策でもあるのだろうか▼神父様は神様を疑ったことはないのですかと聞かれたことがある。私はこう答える。「最後まで疑うだけの確信はありません」と。

2003年6月号

「あんた、最近腫れとるなあ」。黙想会で面識のない先輩神父様に言われた挨拶。きつ〜い挨拶だった▼仕方ない。これだけ体によけいな物がつけば、それは「太っている」ではなくて「腫れている」ということになるのだろう▼悲しい反撃だが、「ええ、万年『おたふく』なんです」と言っておいた。ああ〜▼当然病気その他が気になってくる。糖尿病・高脂血症・・・数えているうちに怖くなった▼肥満に効く薬はない(と思う)。風船ははじけてからでは、直せないのだ。

2003年5月号

子どもの日に侍者と釣りに行った。最近は女子も侍者を教会学校の日にしているので、女子も来た▼いいところを見せようと力んだのか、男子は結果を出せず、帰りには女子のアラカブを恵んでもらう羽目に▼魚にも選ぶ権利がある。いかにもという男子の針でなく、警戒心のない女子の釣り針にかかったのだろう。▼小さくても男児には意地というものがある。今でも日曜日の侍者は男子がしているのだ▼プライドの回復のために、男子とだけまた行こうかなあ

2003年4月号

春先の「若葉マーク」には要注意。本当に「若葉」なので、経験者の思いもつかない行動をとることがある▼車の運転だけではない。新入生の「奇怪な」行動に、いちいち驚いてはいけない▼ある年、五月に五島に帰ってみると、四月に神学校に行ったはずの子供がそこにいた。てっきり続かなかったのだと思いこんだ▼「ひと月も持たなかったのか?ばか者」聞けば、今頃は一年生をいったん里帰りさせるらしい▼自分の物差しだけが正しいのではない。あの時そう思った。

2003年3月号

私の堅信式の思い出。三学年ずつが一クラスで、勉強が始まったのが五年生だった。三年後の中一で賢信という段取り▼だが予定が変わり、神学校に行くこととなった。それまで要理の本を暗記してきたのに、空振りに終わった▼神学校では中一の同級生十七人と当時なりたての里脇枢機卿様に授けてもらった。テストは形だけだった▼枢機卿様の記憶は、鼻の下が長かったことと、堅信名の「ルカ」という呼び方が特徴的だったこと▼試験問題、易しすぎたかなあ

2003年2月号

あまりうそをつかないほうが良いと思うが、ある保育園の年長さんに、「神父様は太田尾のバス停で、赤鬼さんを見たよ」と言ってしまった▼「赤鬼さん、どこに行くの?」「保育園」「え〜、悪い子なんていないよ」これ全部ひとり芝居。本当に赤鬼とそんな話をしたのかという顔で聞いている▼私も引くに引けなくて、いつまでも真顔で話した▼その子は今年の節分、「いつもの鬼より強かったから、今年は逃げた」と正直に話していた▼あー、黙想会も近いなあ

2003年1月号

ほのぼのとした話。長崎への途中、園児が道路を横断するところに出くわした▼とっても機嫌の良かった私は、「坊ちゃん嬢ちゃんどうぞ」とばかりに道を譲った▼ところが横断途中に、どこかで摘んだ花を一人のこどもが落とした。先生はあわてて道路の端に引っ張ったが、こどもは花を拾いに戻った▼実はこどもが花を拾うのは折り込み済みだった。ついでに花を拾った部分を避けて、反対車線を通って別れた▼こどもの目線が分かったような気がした

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