(編集後記)

2003年11月号

巡礼の記事に書かなかったことでどうしても伝えたいことがある。天草のキリシタンの信仰のこと▼天草キリシタンの本当の特徴は、「まったく移動しなかった」ということ。迫害を逃れるためには、「その土地を離れる」ことがほとんどだが、彼らは一度も土地を離れていないという▼ということは、ある意味土地を離れるよりも数段知恵を使わないと信仰を継承することができないことになる▼資料館で、家の柱そのものに「隠れ引き戸」を組み込んだ柱を見つけた

2003年10月号

最近珍しい親子が訪ねてきた。長崎のシスターと、そのお父さん▼お父上とは初対面で、見た目よりも十歳も十五歳も若い感じがした。三菱重工でかつては働いておられたとか▼びっくりさせようと思って、お父さんのことは黙っていたそうだが、私のほうも驚いた▼シスターになる人もいろいろだが、ご家族の中で洗礼を受けているのはシスターのみで、よもやシスターになるとは思っていなかっただろう▼生まれて初めて司祭に出会ったお父上の印象はいかに。

2003年9月号

夏休み中に、中学生のキャンプを2度もおこなった。最初は話し合った日程通り、次は「もう一度お願いします」とせがまれてのことだった▼最初は4名、2回目は9名。中学生にもなると、頭ごなしに日程を決めてもダメで、連中の意見は無視できないと実感▼部活の友達だとかで、教会のキャンプに女子が一人参加した。これもまた中学生なりの「福音宣教」か▼自らの中学生時代に、友達だからといって教会の行事に引っ張ってきた経験はない。感心し、ただ脱帽

2003年8月号

マリア様の生まれたユダヤの国は夏は非常に暑い。汗をかけば流れる暇もなく蒸発していく▼そんな国で生まれたのだから、私の考えるマリア様は真っ白なお顔でなくて、よく日焼けして真っ黒なマリア様▼アフリカでは、マリア様は黒人と決まっている。よいではないか。ちっと、日焼けが過ぎれば、真っ黒になるのだから▼小学5・6年生のキャンプは良い刺激になった。なにより、真っ黒に日焼けした「チビ」マリア様がたくさん来ていたのが嬉しかった

2003年7月号

「いよいよのところまで来ても」神様に心を向けようとしない時代がそこまで来ているのかも知れない▼「困ったときの神頼み」これももはや「過去のことわざ」か。困っても神様に頼まない人は、一体何に・誰に頼むのだろう?▼さんざん期待を裏切られたこの世に頼むのだろうか、それとも何かほかの秘策でもあるのだろうか▼神父様は神様を疑ったことはないのですかと聞かれたことがある。私はこう答える。「最後まで疑うだけの確信はありません」と。

2003年6月号

「あんた、最近腫れとるなあ」。黙想会で面識のない先輩神父様に言われた挨拶。きつ〜い挨拶だった▼仕方ない。これだけ体によけいな物がつけば、それは「太っている」ではなくて「腫れている」ということになるのだろう▼悲しい反撃だが、「ええ、万年『おたふく』なんです」と言っておいた。ああ〜▼当然病気その他が気になってくる。糖尿病・高脂血症・・・数えているうちに怖くなった▼肥満に効く薬はない(と思う)。風船ははじけてからでは、直せないのだ。

2003年5月号

子どもの日に侍者と釣りに行った。最近は女子も侍者を教会学校の日にしているので、女子も来た▼いいところを見せようと力んだのか、男子は結果を出せず、帰りには女子のアラカブを恵んでもらう羽目に▼魚にも選ぶ権利がある。いかにもという男子の針でなく、警戒心のない女子の釣り針にかかったのだろう。▼小さくても男児には意地というものがある。今でも日曜日の侍者は男子がしているのだ▼プライドの回復のために、男子とだけまた行こうかなあ

2003年4月号

春先の「若葉マーク」には要注意。本当に「若葉」なので、経験者の思いもつかない行動をとることがある▼車の運転だけではない。新入生の「奇怪な」行動に、いちいち驚いてはいけない▼ある年、五月に五島に帰ってみると、四月に神学校に行ったはずの子供がそこにいた。てっきり続かなかったのだと思いこんだ▼「ひと月も持たなかったのか?ばか者」聞けば、今頃は一年生をいったん里帰りさせるらしい▼自分の物差しだけが正しいのではない。あの時そう思った。

2003年3月号

私の堅信式の思い出。三学年ずつが一クラスで、勉強が始まったのが五年生だった。三年後の中一で賢信という段取り▼だが予定が変わり、神学校に行くこととなった。それまで要理の本を暗記してきたのに、空振りに終わった▼神学校では中一の同級生十七人と当時なりたての里脇枢機卿様に授けてもらった。テストは形だけだった▼枢機卿様の記憶は、鼻の下が長かったことと、堅信名の「ルカ」という呼び方が特徴的だったこと▼試験問題、易しすぎたかなあ

2003年2月号

あまりうそをつかないほうが良いと思うが、ある保育園の年長さんに、「神父様は太田尾のバス停で、赤鬼さんを見たよ」と言ってしまった▼「赤鬼さん、どこに行くの?」「保育園」「え〜、悪い子なんていないよ」これ全部ひとり芝居。本当に赤鬼とそんな話をしたのかという顔で聞いている▼私も引くに引けなくて、いつまでも真顔で話した▼その子は今年の節分、「いつもの鬼より強かったから、今年は逃げた」と正直に話していた▼あー、黙想会も近いなあ

2003年1月号

ほのぼのとした話。長崎への途中、園児が道路を横断するところに出くわした▼とっても機嫌の良かった私は、「坊ちゃん嬢ちゃんどうぞ」とばかりに道を譲った▼ところが横断途中に、どこかで摘んだ花を一人のこどもが落とした。先生はあわてて道路の端に引っ張ったが、こどもは花を拾いに戻った▼実はこどもが花を拾うのは折り込み済みだった。ついでに花を拾った部分を避けて、反対車線を通って別れた▼こどもの目線が分かったような気がした

2002年12月号

今年の流行語大賞が決まった話は、みなさんもご存じと思う。私の中では、「拉致」がいちばん響いている▼被害者の方々の気持ちを汲み尽くすことなどできないが、国民みなが心を痛め、被害者の方々のためにと、祈ったのではないだろうか▼「政府」のような大きな枠組みが動く前には、必ず「個人」が動いている▼大きな力よりも、小さな力が何かを変えるということはしばしばある▼キリストの誕生も、歴史の一点に過ぎないが、世界の歴史を動かす一点だった

2002年11月号

皆さんよくご存じ「さだまさし」さん。「関白宣言」は一時期よく流行りました▼じつはあの歌には「正反対の」バージョンがあり、あわれな亭主の赤裸々な様子を歌ったものがあります▼なかでも「おお」と思った一節。「それからあれだぞ、テレホンショッピング。買い物くらい、体動かせ」▼ひっくり返るくらい面白かったが、よく考えるとこれは自分のこと。ネットショッピングでは太るばかり▼「医者よ自分自身を治せ」(ルカ4章)心身共健康を忘れてはいけない

2002年10月号

数日前の激しい雨と雷に、肝を冷やした人も多いのではないだろうか。新聞制作中にパソコンの電源が落ち、力が抜けた▼また最初からと思うと頭に来たが、考えてみるともっと心配なところもあったはず▼商店の冷蔵・冷凍庫。病院は命に関わることもあるかも知れない。▼「早く電気がつかないかなあ」と思いながら、もっと切実な方々のことにも心が向いた▼人は痛い目に遭わないと、痛みが分からない。暗闇の中で、心を込めて人のために祈ることができた。

2002年9月号

長崎教区では、亡くなった司祭のために、通夜のあと翌日まで、連続ミサが上がる。私は夜十時からささげた。その時の説教▼「大司教様の頭をからかいました。たとえば、浦上教会時代、『あー、大司教館からの照り返しがまぶしい』と言ってごめんなさい」▼「大司教様司式のミサで、祈願文を唱えるときに引っかかったりしたのを、心の中で『何ばしよっとや』と思ってごめんなさい」▼自分も禿げはじめて、また朗読の時に引っかかったりし始めてぞっとした。ただ反省。

2002年8月号

ウキ流しという釣りは、当たると立て続けに釣れる。すごく面白い▼だが作戦がずれていれば、何度流しても一匹も当たらない。作戦の立て方が良くない船と出くわしてそう思った▼そんなときにいちばん確かなのは、当たっている人に聴くことだ。現場に答えあり▼月ごとの司祭の集まりに参加すると、どこもミサの参加や教会学校の出席で頭を悩めている▼だが全教会失敗なのではない。謙虚に、成功している例に耳を傾け、ここにあったものを活用したいものだ

2002年7月号

今年、小学生中学生の黙想会の中で、ふだんの祈りを見直してみることにした▼残念なことに、家で祈りをしている子供は、探さないと見つからないらしい。子供の返事が物語っている▼「学校から帰って寝るまでのことを詳しく話してみて」「宿題をして、友達と遊んで、ご飯を食べて、テレビを見て、最後はふとんで寝ます」▼「何か足りないよねぇ」と問いかけても、「ううんこれで全部」と涼しい顔▼神様と向かい合う時間はいったいどこへ?家族会議をして欲しい。

2002年6月号

保育園に通っている子どもたちもマリアさまに手紙を書いていた▼まりあさまいつもおいのりありがとう。このまえおおきなろざりおをもちました。はずかしかった
(あや)▼マリアさまいつもありがとう。ときどき、おいのりします。てんのおかあさんいつもありがとう(しんや)▼小さい子どもは、感じたままに書くから、とてもすがすがしい。まっすぐにものを見るちからは、大人以上だ▼こんな小さな時が、神様を心に刻む格好の時期。蒔いた種は、必ず実るはす。

2002年5月号

過ぎてみればあっという間もない大型連休。天気が安定せず、船外機での「海上保安」は最終日一日だけ、しかも侍者の大漁に影が薄かった▼正月に家に帰ってないから、連休にでも帰るか、なんて言っていたのに、これまた皮算用▼おまけに世の中はさらに何だかんだとせき立てる。五月の第二週は、「母の日」だそうだ。今年は何で済まそうか▼イエス様だったら、どんな母の日を計画するのだろう?▼母上様、お元気ですか。磯の香ロードレース以降、また太りました。

2002年4月号

神学校に入学して2・3年目。故郷の教会でミサの奉仕をしていたときのこと▼神父様が聖体拝領をし、信者が拝領する前に唱える祈りがあるが、間違えて司祭が唱えるところを言ってしまった▼「・・・私たちの主イエズス・キリストによって」「アーメン」気が付いて恥ずかしくなり、聖体拝領もせずに家に帰った▼もうあんな恥ずかしい思いはしたくない、私の中では、生涯消えないミスとなった▼歴史は繰り返す。復活の火曜日、同じ光景に出くわした。頑張れ!

2002年3月号

「ハズレ」の話。「当たり」同様、「はずれる」と「はずす」とは大いに違う▼今年の年賀状。見事にはずれている。一組違い、でもそのもうちょっとが大違い▼イエス様はこの世を救いに来られた。けれども民衆の期待する「この世の王」からはあまりにもはずれていた▼では「はずれ」だったのか?そうではない。神が「はずした」のである。地上の王が真の救い主ではない。だからあえてはずした▼神が裏をかいたのだと思えば、世の中納得できることが多々ある(かも?)

2002年2月号

司教様あれこれ。大神学校の受付嬢をしていたので、たくさんの司教様を拝むことが出来た▼「大阪の安田です。ラベル神父様にお会いしたいのですが」大阪の安田という神父様が面会ですと、そのままラベル神父様に伝えた▼「その方をどうしましたか」「まだ玄関にいます」「その方は大司教様です!」血の気が引いた▼「北海道の地主です」司教様なのに偉そうに、と思ったら本名だった▼今度の高見司教様、穏やかで上品(と思う)。どうか気さくであってください

2002年1月号

そろそろ大相撲が始まる。体型が似てきたせいか、最近はその日が待ち遠しかったりする▼力士さんの稽古は、実際見たことはないけれども、ものすごいと聞いている。気を失うとバケツの水を浴びせるらしい▼中でもぶつかり稽古。先輩からこれでもかと転がされ、泥まみれになってまたはい上がる▼苦しいはずだが、音を上げれば順番を後回しにされる。絶対にきついとは言えないし、言わない▼今年一年のテーマは「苦しむこと」。みずからに課してみたいと思う

2001年12月号

最近、無言電話がひんぱんに鳴る。教会目当てなのか、私に用事なのか▼無差別にかけているのかも知れないが、それにしても電話を受ける側は疲れる▼もし、イタズラでなく、必死な思い出の電話なら、せめて名前くらいは言ってほしい。無言で向き合う電話は気味が悪い▼先日も、夜中の三時に電話が鳴り、「もしもし」と言ったら切れた。電気をつけっぱなしにしていたのを教えてくれたのだろうか▼最近寝不足気味。電話の音にびくついている。早く落ち着いてほしい。

2001年11月号

十一月、死者の月を迎えた。「死者→お墓」ということで墓の思い出▼小学生の時のことなので、大目に見てほしい▼一つ目は、友達と墓所に行って肝試しをしたこと。近所に住む人が肝をつぶしたに違いない▼二つ目は、石塔を建てる手伝いをしたこと。石材店のおじさんから、法外なお小遣いをもらった。三つ目は墓掘りをする父を見に行ったこと▼葬式の後、掘った穴に、棺を入れ、周りの土を埋め戻した。どさっと、鈍い音がした。これは真剣に祈らねばと思った

2001年10月号

「当たる」と「当てる」は別物だ。宝くじに「当たる」ことはあっても、「当てる」ことはほとんど不可能。それでも人は買うわけだが▼どう違うのか。ここでは、「向こうからやって来る」ものと「自分から向かっていく」こととの違いと考えたい▼「向こうから」なら、待つことになる。心にゆとりがあれば、待つ楽しみにもつながる▼「向かっていく」場合、得てして追いかけすぎてしまい、かえって結果は良くない▼「当たる」前から「当て」にせず、楽しく待とう。「当たり前」か。

2001年9月号

好きなことをしている人に、ストレスのたまるはずはないが、誰もがそうはいかない▼本人たちから聞いたわけではないが、知らずにストレスを与えたかも知れない、と思う方々がおられる▼そもそも原因は、その方々にさあアラカブが釣れた、イトヨリが釣れたと、おすそ分けをしたからに違いない▼「いいなあ、神父様釣りに行けて」。心の健康のため、これはもう連れて行くしかない▼もしもその方々が、全員同じ服を着ていても、ビックリして気を失わないように。

2001年8月号

先月号でちらっと触れたが、三十五でラジオ体操のお兄さんはちと荷が重いと感じた▼中学生が、体操のお兄さんをしてくれたら、どんなに有り難いことだろう。そのためのニンジンが、ないこともない▼太田尾の子供だったら、片島に釣りに連れていく、間瀬の子供だったら、兜島近辺というのはどうだろう▼悔しいけれど、「からだ固い」と子供にやじられながら、体操していることは確かだ▼男女は問わない。釣りに目がない子供であれば、責任もってご案内します

2001年7月号

梅雨のうっとうしいさなか、一つひとつの祈りはていねいさを欠き、さっさと終わらせようと気も焦る▼子供のけいこの日のミサでは、子供は暑さでだれて、集中力も失せ、お説教も聞かない▼こちらは何とか一つでも学んで持ち帰ってもらおうと、もぞもぞする子供を前にますます話が長くなる。何という悪循環▼早く夏が来てほしいものだ。ラジオ体操に子供が来る日が待ち遠しい▼「ラジオ体操」の写真解説を見た。写真の通りにしたら、私の骨は折れる、と感じた

2001年6月号

血の出るような(実際出た)思いで、小型船舶四級免許を取った▼とは言っても、まだ免許は送されてはいないが付、気持ちはもう「釣りバカ日誌」の浜ちゃんか▼ひさしぶりに畑違いの勉強をして、緊張する中で試験を受けたが、今振り返ると「人命をあずかる船長」として、当然求められるあれこれだったと思う▼船でなくても命をあずかることはある。車などはそのいい例だ▼考えてみると、小教区民の命もあずかっているかも知れない。舵取りの大切さを感じた

2001年5月号 

御復活後、しばらくすると司祭の異動がある。佐世保地区でもお見送りとお出迎えをして、新しくなった▼転勤も生まれて初めてというときは思いも別だろうが、そのうちに計算高くなってくる▼今年の異動で、司祭団のソフトボールは、大幅な補強ができたぞとか、テニス仲間、釣り仲間が増えたぞとか▼伏魔殿のような計算はうごめいていないが、それぞれの思いを込めて「ようこそ」とごあいさつ▼自分自身は、「ああ、あいつが来た」と、言われないようにしたい

2001年4月号 

「北風と太陽」。これは、どちらがしっかりまとったコートを脱がせることができるかの物語だ▼たくさんの人が立ち寄るある場所で記帳のノートを置いたところ、驚くほどの方が書き込んでくださった▼ところが、ある特定の人が、猛烈に中傷する書き込みを続けた。「中傷する人は出て行きなさい」と注意をしても、収まらなかった▼結局、その人を温かく包む多くの人の言葉に促され、この非難はやんだ▼祈り。遠くからでも、とげとげしい人を穏やかにしてくれる薬

2001年3月号 

司祭生活と大きく切り出すほどのものでもないが、三月十七日が叙階を受けた日だから、まる九年になる▼こちらにお世話になって三年過ぎようとしている。3という数字は考えさせられる数字だ▼三年間の宣教、三日目の復活、三位一体の神、などなど。日本では三年寝太郎というものまである▼今からは、収穫のときと考えると、三年で蒔いた種は、どうなったのだろうか。あるものは三十倍になったのだろうか▼四月二十三日着任なので、まだ一ヶ月はあるけど。

2001年2月号 

三月八日から、黙想会が始まる。準備は進んでいない。そう考えると頭が痛い▼黙想会は何だろうか?神父のほうからこんな質問では身も蓋もない気もするが、疑問に思っている人も少なくないはず▼「少なくとも年に一度・・・」の掟を果たすのには、これはありがたい。だがそれだけでは、ちょっとさみしい気もする▼私は、「腰を据えて自分の信仰を考える」三日間と思っている。序論・本論・結論。三日間はあったほうがいい▼足を止めてこそ、沈思黙考できる

2001年1月号 

「忙しい」。私が選ぶ「前世紀を表す漢字」。当たっているのではないかと自画自賛▼ところが、ひさしぶりに漢和辞典を引いてみると、「忙」はもともと「忘」と同じらしく、忘れる原因となる「いそがしさ」というのが原意らしい▼お知らせの予定表や、手帳のカレンダーをいっぱいにする度に、「ただ忙しくしているだけではないか」との不安がよぎる▼その服は、あなたに似合っているか。その生活は、あなたに適当か?▼今年の目標。「モーレツ」ではなく「とことん」

2000年12月号 

今月号は第二十五号。あおれしおれしながら、三年目に突入した▼「石の上にも三年」と言うが、三年目には普通結果を求められる。「せいトマス」は結果を出せただろうか▼巡礼指定教会にお邪魔したとき、そこの経済評議員の方が「神父様の教会は、新聞を出しているでしょう。うちも奮起して、始めることにしました」と声を弾ませていた▼「編集には誰が携わっておられるのですか」と当の本人に尋ねられ、返事に困った。いまだに一人▼なら、呼びかけてみようかなあ

2000年11月号 

最近持ち物を大量に処分している。きっかけは、辰巳 渚著「『捨てる!』技術」という本▼どうすれば、「気持ちよく」捨てられるかが、この本の行き着くところ。確かに捨ててみると、一種快感がある▼「いつか使う」「思い出の品」そんな理由で、不法に部屋を占拠している物がたくさんある。「いつか」は結局やって来ないだろう▼あの人、この人の顔が浮かぶ時がある。心配ご無用。思い出した時点で、もうその品物は使命を全うしている▼ちなみに、引っ越しの予定はない

2000年10月号

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ十一・一)▼私たちは、実は聖書の言葉通りに生きている。届いてもいないのに、ポストに入れた瞬間に安心しているし、通販で先に振り込みを済ませたりする▼それなのに、なぜ神を全面的に信じようとしないのだろう▼自分のこと、家族のこと、先祖のことを祈った。だが祈りが届いたかどうか、心配している▼神は、郵便ポストよりも、信用ならないのだろうか。それほど頼りないのか。

2000年9月号

生まれて初めて、全力疾走をしているときにこけた。司祭団ソフトボールの練習中。「怖い」と正直に思った▼おかげで両肘、両膝にアザが出来てしまった。運動を怠ければ、いくら年は若くても体の中は錆び付いていくものらしい▼「年を重ねる」のと、「老いぼれる」のでは雲泥の差がある。鍛錬をいやがったり、苦労を避けるのは、「老いぼれ」の兆しではないか▼五島に行けば、地元ではあるし、いやでも周りは「若さ」を期待するだろう▼「なんばしよっとか」「あよー」のヤジは避けたい。

2000年8月号

「子供の権利条約」の活動に参加している南米の子供たちの取材番組を見た。メンバーはすべて小・中学生▼生活のために学校に行けない子供がいたり、子供が誘拐されたりと言った日常のなかで、自分たちの権利のために活動している▼意識の違いを、まざまざと見せつけられた思いがした。目の前にいる子供たちの頭のなかは、ゲームのことでいっぱいか▼番組のなかで、子供たちは大統領に、安心して学校に行ける環境がほしいと、嘆願書を書く▼彼らは、次のノーベル平和賞候補だという。

2000年7月号

聖地巡礼に出かけた五名の方が無事に帰ってきた。それぞれに、深い感銘を受けたようである▼よい計画はよいほうに転ぶらしく、二名の参加を考えていたが、思いがけず大勢となった▼帰国後は自分もそうだったが、話は山ほどあって、ぜひそのための「場」を準備したいと思っている▼「聖書の話は遠い土地の話と思っていましたが、今度は身近に感じました」これは直後に取材した声▼巡礼で得たものを、これからもまわりの人に伝えてまわる「旅」につなげてほしいと、心から願う

2000年6月号

最近ということでもないが、電話中によく「もしもし?」と言われることがある。「聞こえていますか?」ということらしい▼こちらはちゃんと聞いているのに、もしもしとは失礼な話だが、こちらが相づちを打たないものだから、不安なのだろう▼電話の応対は、接客マナーのうちなのだろうが、内容を吟味しながら真剣に聞いていると、つい相手にばかりしゃべらせてしまう▼一方的に話させて、痛いところだけグサッと返す。当然相手はグシャッとなる▼思い当たる方々には、深謝。

2000年5月号

小神学校からの同級生で、司祭になった仲間があと二人いるが、今年の四月、助任だった一人が早岐の主任となった▼大神学校で同級生になった仲間を含めても、修道会をのぞくすべてが主任司祭になったことになる▼同じ佐世保地区に同級生がやってくるのは心強い限りだ。何より張り合いがある▼太田尾に転勤した最初の日曜日、集会祈願はこうだった。「教会は新しい民を迎えて若返り、喜びに満たされています(略)」▼新米の主任司祭は、第四主日に何を思うか。説教を聞きたいものだ。

2000年4月号

「でべそ」という言い方があるらしい。いつ聞いたか、「あの人はでべそやけんねぇ」と言っていた▼しょっちゅう外出して、さっぱり家にいない人のことらしい。アハハと笑えない気がした。私もきっと「でべそ」の中に入っている▼致し方のない事情だと思いたいけれども、それでも「いつも共にいてくださる」イエスとはどこか違う気がする▼司祭の研修会で痛く心に響いた言葉がある。「築城三年、落城三日」▼「でべそ」返上のため、今年は「臍」に力を入れて、どっしり構えていきたい 

2000年3月号

以下は黒島の黙想会のために考えた「分かりづらいの祈り」▼「私の隣人愛は分かりづらい。同情するけれども、いろいろ理由を探して、すぐに手を差し延べない▼私の使徒職は分かりづらい。あれこれ言い訳をして、役員を引き受けようとしない。▼私の回心は分かりづらい。罪を心から嘆くけれども、赦しの秘跡は何年でも、何十年でも放っておいたままだ▼私は、とにかく分かりづらい人間なのです。どうかこんな私ですが、あなたの解放の恵みで、『分かりやすい』人間に変えてください」

2000年2月号

一月二十五日に長崎県五島の福江島で司祭団のマラソンがあった。まだ上位を狙えるつもりでいた▼いざ堂崎天主堂で「よーい、ドン」の合図が鳴ってみると、先頭集団に置き去りにされた▼町内の駅伝大会に出場できなかったとは言え、練習はしてきたし、昨年以上にコンディションも良かった。なのに昨年同様の五位▼傲慢なことを言うようだが、考えてみれば今まで引き立て役をした覚えがない。思いがけず、今年は入賞者の引き立て役になってしまった▼来年はそうは行かんぞ、と今は思う 

2000年1月号

 昨年暮に、一年あまり生かしていた鑑賞魚がついに事切れた。水替えをしていたわずかの隙に、洗面器から飛び降りた▼「木を見て森を見ず」と言うが、容器の掃除も終わって、さあこれでよしと思った矢先のことだった▼「あるじ」のいなくなった容器には、カルキを抜いた透明な水がまだ入れてある▼当たり前の話だが、水は全く濁らない。煩わしさからは開放されたが、いのちがない▼鑑賞魚一匹にも、かなりの世話と気配りが要る。早々に身の引き締まる思いがした

1999年12月号

 ただ今、駅伝に向けて走り込み中。と言っても、一昨日始めたばかり。それにしても、練習はなぜこんなにつらいのだろうか▼こう言われたことがある。「そこまでサボるから、いざ始めたときに辛いのよ。普段から練習してみたら」。ごもっとも▼走っている最中にも先の言葉がよぎる。それは上り坂になると、なおのことだ▼考え直してみた。練習しておけばとこぼすのは、過去に縛られているからだ▼幸い人間は忘れることができる。新たな年を前に、過去は忘れよう。

1999年11月号

 教会にはある目的に捧げられた月が五つある。聖ヨゼフ、聖母月、御心、ロザリオの月、死者の月▼子供たちの告解のおり。「償いの祈り」を、身近な死者を思い出しながら唱えるようにと前もって話すが、これが伝わらない▼同じことを手を変え品を変え、四回繰り返してようやく分かってくれた▼最初の説明で立派に答えた子に、「みんなよく聞きなさい」と言って三回目に答えさせたら、今度は首を横に振った▼これに懲りてはいけない。イエス様も、似たようなことを体験されたのである。

1999年10月号

 私が今乗っている車、一つだけ悩みがある。コンピューター制御のエアコンがうまく作動しない▼このエアコン、なんと真夏の最中に「外気マイナス二十五度」などと表示して、それに合わせて温度を上げようとする▼温度を二十度にセットすると、エアコンは車内に四十五度の熱風を送る。たまらず、窓を開けて走ることになる▼「すべて、自動制御」とは、裏を返せば、「こちらから絶対に操作できない」ということだ▼ということで、我が愛車は今のところ「夏は暖房・冬は冷房」。

1999年9月号

 インドのある聖者と、一人の村人の話。彼はどうしても、神と出会いたいと、昼も夜も聖者に願った▼聖者は、三日目に彼を川に連れて行き、そこで彼の頭を思いっきり水の中に浸けた▼あわてて彼は、「何をするんですか。息ができずに、危うく死ぬところだったではないですか」と腹を立てた▼聖者は涼しい顔で、「おまえが今感じたくらいに神を求めれば、たやすく神に会えるさ」と答えた▼神は私たちの願いをいつも聞いている。もし順番に叶えるとしたら、願う度合いではなかろうか

1999年8月号

 七月に川内神父様のお父様の葬儀ミサに参列した。父君を天国にお送りする神父様の姿は堂々としていた▼たくさんの信徒を送る司祭であっても、肉親を送る気持ちは特別だろう。それでも、神父様は心乱さず、ミサを捧げられた▼司祭は、教会の秘跡にたずさわりながら、信徒の「揺りかごから墓場まで」すべてに立ち会う。当然、本人と司祭だけが知る事柄もあり得る▼私は心乱さず、すべてのことをなし得るだろうか▼先輩司祭の中に、「神と人との仲介者、キリスト」を見る思いがした

1999年7月号

 新聞発行と同じ日、佐世保へ保育園の職員研修に講師として呼ばれた。何事も経験と、軽い気持ちで請け負った講話だった▼特に幼児教育に自信があるわけでもなく、ある教育学の先生の書物を頼りに、話をまとめた▼縁とは異なもので、本の著者とは年に一度お会いしている。今年も、研究のため東京から長崎に来られるそうだ▼穏和な顔立ちの教授だが、会う度に向学心をかき立てられる▼講話では、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」と話す予定だが、反応はいかに。

1999年6月号

 アオリイカ。通称「ミズイカ」。この釣りはなかなか奥が深い。このところ試行錯誤の連続である▼わりと簡単にアジに食いつくが、最後まで油断できない。ちょっとこちらが慌てると、パッと手を離してしまう▼もうこちらのものだと思っていただけに、逃げられると落胆も大きい。しまいには頭にも来る▼ばらさないように、そろりそろり引き寄せるさまは、司祭の司牧活動にたとえられないこともない▼きっと教会にも、二キロクラスのイカがいるに違いない。これもぜひ仕留めたい。

1999年5月号

 父が手術をするというので、見舞いに行ってみた。すると本人はけろっとしていて、「五月十日に胃ば切るけん」と言ってのけた。ガンも何も、怖くないらしい▼さらに驚いたことがある。「おいは神様に全部まかせとるけん」。初めて、そんな殊勝な言葉を聞いて、私は腰が抜けた。どうも本気らしい▼いっぺん死ぬ目に遭うと、何も怖くなくなるというが、そうさせるのは、信仰の賜物である▼自分はどうか。死ぬのは世の終わりよりも恐ろしい▼あらためて、信仰のすばらしさを知った休みだった。

1999年4月号

 三月の最後の日曜日。三名のシスターと志願者一人がおおぜいの見送りの中、新天地へと旅立った。船での見送りである▼紙テープの盛大な見送りは、それでなくても十分に涙を誘う。ベールをかぶっているので分からないが、後ろ髪を引かれる思いだったろう▼ある人が「船での見送りも、これが最後ですね」と、しみじみと眺めておられた。それを受けて別の一声。「今度は橋を渡って来いよ!」▼この船で迎えてもらった私も、丸一年になる▼大聖年に向けて、新たな気持ちで、今年度も舵を取りたい。

1999年3月号

 黙想会を終えることができた。信徒三百人の小教区で、百八十人の参加は、どのように考えたらよいのだろうか▼幸い、録音したテープは評判も上々、よい結果につながった。半分は、あずかれなかった人に届いただろう▼そこまで見積もっても、二百人ということになる。あとの何十人かは、どこにいるのか▼黙想会が明けたので、久しぶりに釣りに行ったら、チヌが一枚。あとにも先にも、それだけだった。▼イエス様は、太田尾の黙想会のなかで、「これは」という人を釣り上げたのだろうか。

1999年2月号

 ただいま年の黙想会の準備で頭を抱えている。「おもしろい」に越したことはないが、説教師は別のことを考えているかもしれない▼去年から実行し始めたが、黙想会の話をあらかじめテープにとって用意している。どうしてもあずかれない人のためだ▼日曜日の説教にしてもそうだが、主任司祭が公の場で話すことは、この大島にいるすべての信徒に伝えたいメッセージである▼寝たきりの人、長く座っていられない人、聞きたくても社会の仕組みに縛られている人もいる▼テープは用意する。あとは、それを届ける「収穫のための働き手」が必要だ。

1999年1月号

 過ぎた十二月からようやく教会新聞らしきものを始めたが、この「せいトマス」の反応が実にさまざま▼「結婚のときに洗礼を受け、はや二十年。わかりやすく、ためになります。こんな読者もいることを、心のすみに留めておいてください」▼有り難くない評判も。「神父様、新しく新聞を出したとって?うちには長崎新聞しかなかよ」子供の手に届かなかったのか、もともと家にないのか▼「新聞、読んだよ」子供たちがすぐに答えてくれたら、「じゃあ、あとで集金に行くからな」と言えたのに▼今年は、「本当の読者」を獲得する勝負の年だ

1998年12月号

 以前長崎の教会で勤めていた頃、主任神父様といっしょに魚釣りに出かけたときのこと▼自分は何度上げてもイトヨリばかり。主任神父様にはアマダイが、それもこちらが腹の立つほど大きなのを釣り上げるという日があった▼どうしてだろうと、不本意ながら尋ねてみたら、「ワシはイトヨリが来たらはずしよるもん」とうそぶいた▼涼しい顔をしてながらも、たぐる糸の先ではどうもひと工夫しているらしい▼「うきしたに仕掛けあり」。今日も波止場の天気をにらみながら、人と魚を釣り上げる工夫に余念がない。

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