(編集後記)

2000年12月号 

今月号は第二十五号。あおれしおれしながら、三年目に突入した▼「石の上にも三年」と言うが、三年目には普通結果を求められる。「せいトマス」は結果を出せただろうか▼巡礼指定教会にお邪魔したとき、そこの経済評議員の方が「神父様の教会は、新聞を出しているでしょう。うちも奮起して、始めることにしました」と声を弾ませていた▼「編集には誰が携わっておられるのですか」と当の本人に尋ねられ、返事に困った。いまだに一人▼なら、呼びかけてみようかなあ

2000年11月号 

最近持ち物を大量に処分している。きっかけは、辰巳 渚著「『捨てる!』技術」という本▼どうすれば、「気持ちよく」捨てられるかが、この本の行き着くところ。確かに捨ててみると、一種快感がある▼「いつか使う」「思い出の品」そんな理由で、不法に部屋を占拠している物がたくさんある。「いつか」は結局やって来ないだろう▼あの人、この人の顔が浮かぶ時がある。心配ご無用。思い出した時点で、もうその品物は使命を全うしている▼ちなみに、引っ越しの予定はない

2000年10月号

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ十一・一)▼私たちは、実は聖書の言葉通りに生きている。届いてもいないのに、ポストに入れた瞬間に安心しているし、通販で先に振り込みを済ませたりする▼それなのに、なぜ神を全面的に信じようとしないのだろう▼自分のこと、家族のこと、先祖のことを祈った。だが祈りが届いたかどうか、心配している▼神は、郵便ポストよりも、信用ならないのだろうか。それほど頼りないのか。

2000年9月号

生まれて初めて、全力疾走をしているときにこけた。司祭団ソフトボールの練習中。「怖い」と正直に思った▼おかげで両肘、両膝にアザが出来てしまった。運動を怠ければ、いくら年は若くても体の中は錆び付いていくものらしい▼「年を重ねる」のと、「老いぼれる」のでは雲泥の差がある。鍛錬をいやがったり、苦労を避けるのは、「老いぼれ」の兆しではないか▼五島に行けば、地元ではあるし、いやでも周りは「若さ」を期待するだろう▼「なんばしよっとか」「あよー」のヤジは避けたい。

2000年8月号

「子供の権利条約」の活動に参加している南米の子供たちの取材番組を見た。メンバーはすべて小・中学生▼生活のために学校に行けない子供がいたり、子供が誘拐されたりと言った日常のなかで、自分たちの権利のために活動している▼意識の違いを、まざまざと見せつけられた思いがした。目の前にいる子供たちの頭のなかは、ゲームのことでいっぱいか▼番組のなかで、子供たちは大統領に、安心して学校に行ける環境がほしいと、嘆願書を書く▼彼らは、次のノーベル平和賞候補だという。

2000年7月号

聖地巡礼に出かけた五名の方が無事に帰ってきた。それぞれに、深い感銘を受けたようである▼よい計画はよいほうに転ぶらしく、二名の参加を考えていたが、思いがけず大勢となった▼帰国後は自分もそうだったが、話は山ほどあって、ぜひそのための「場」を準備したいと思っている▼「聖書の話は遠い土地の話と思っていましたが、今度は身近に感じました」これは直後に取材した声▼巡礼で得たものを、これからもまわりの人に伝えてまわる「旅」につなげてほしいと、心から願う

2000年6月号

最近ということでもないが、電話中によく「もしもし?」と言われることがある。「聞こえていますか?」ということらしい▼こちらはちゃんと聞いているのに、もしもしとは失礼な話だが、こちらが相づちを打たないものだから、不安なのだろう▼電話の応対は、接客マナーのうちなのだろうが、内容を吟味しながら真剣に聞いていると、つい相手にばかりしゃべらせてしまう▼一方的に話させて、痛いところだけグサッと返す。当然相手はグシャッとなる▼思い当たる方々には、深謝。

2000年5月号

小神学校からの同級生で、司祭になった仲間があと二人いるが、今年の四月、助任だった一人が早岐の主任となった▼大神学校で同級生になった仲間を含めても、修道会をのぞくすべてが主任司祭になったことになる▼同じ佐世保地区に同級生がやってくるのは心強い限りだ。何より張り合いがある▼太田尾に転勤した最初の日曜日、集会祈願はこうだった。「教会は新しい民を迎えて若返り、喜びに満たされています(略)」▼新米の主任司祭は、第四主日に何を思うか。説教を聞きたいものだ。

2000年4月号

「でべそ」という言い方があるらしい。いつ聞いたか、「あの人はでべそやけんねぇ」と言っていた▼しょっちゅう外出して、さっぱり家にいない人のことらしい。アハハと笑えない気がした。私もきっと「でべそ」の中に入っている▼致し方のない事情だと思いたいけれども、それでも「いつも共にいてくださる」イエスとはどこか違う気がする▼司祭の研修会で痛く心に響いた言葉がある。「築城三年、落城三日」▼「でべそ」返上のため、今年は「臍」に力を入れて、どっしり構えていきたい 

2000年3月号

以下は黒島の黙想会のために考えた「分かりづらいの祈り」▼「私の隣人愛は分かりづらい。同情するけれども、いろいろ理由を探して、すぐに手を差し延べない▼私の使徒職は分かりづらい。あれこれ言い訳をして、役員を引き受けようとしない。▼私の回心は分かりづらい。罪を心から嘆くけれども、赦しの秘跡は何年でも、何十年でも放っておいたままだ▼私は、とにかく分かりづらい人間なのです。どうかこんな私ですが、あなたの解放の恵みで、『分かりやすい』人間に変えてください」

2000年2月号

一月二十五日に長崎県五島の福江島で司祭団のマラソンがあった。まだ上位を狙えるつもりでいた▼いざ堂崎天主堂で「よーい、ドン」の合図が鳴ってみると、先頭集団に置き去りにされた▼町内の駅伝大会に出場できなかったとは言え、練習はしてきたし、昨年以上にコンディションも良かった。なのに昨年同様の五位▼傲慢なことを言うようだが、考えてみれば今まで引き立て役をした覚えがない。思いがけず、今年は入賞者の引き立て役になってしまった▼来年はそうは行かんぞ、と今は思う 

2000年1月号

 昨年暮に、一年あまり生かしていた鑑賞魚がついに事切れた。水替えをしていたわずかの隙に、洗面器から飛び降りた▼「木を見て森を見ず」と言うが、容器の掃除も終わって、さあこれでよしと思った矢先のことだった▼「あるじ」のいなくなった容器には、カルキを抜いた透明な水がまだ入れてある▼当たり前の話だが、水は全く濁らない。煩わしさからは開放されたが、いのちがない▼鑑賞魚一匹にも、かなりの世話と気配りが要る。早々に身の引き締まる思いがした

1999年12月号

 ただ今、駅伝に向けて走り込み中。と言っても、一昨日始めたばかり。それにしても、練習はなぜこんなにつらいのだろうか▼こう言われたことがある。「そこまでサボるから、いざ始めたときに辛いのよ。普段から練習してみたら」。ごもっとも▼走っている最中にも先の言葉がよぎる。それは上り坂になると、なおのことだ▼考え直してみた。練習しておけばとこぼすのは、過去に縛られているからだ▼幸い人間は忘れることができる。新たな年を前に、過去は忘れよう。

1999年11月号

 教会にはある目的に捧げられた月が五つある。聖ヨゼフ、聖母月、御心、ロザリオの月、死者の月▼子供たちの告解のおり。「償いの祈り」を、身近な死者を思い出しながら唱えるようにと前もって話すが、これが伝わらない▼同じことを手を変え品を変え、四回繰り返してようやく分かってくれた▼最初の説明で立派に答えた子に、「みんなよく聞きなさい」と言って三回目に答えさせたら、今度は首を横に振った▼これに懲りてはいけない。イエス様も、似たようなことを体験されたのである。

1999年10月号

 私が今乗っている車、一つだけ悩みがある。コンピューター制御のエアコンがうまく作動しない▼このエアコン、なんと真夏の最中に「外気マイナス二十五度」などと表示して、それに合わせて温度を上げようとする▼温度を二十度にセットすると、エアコンは車内に四十五度の熱風を送る。たまらず、窓を開けて走ることになる▼「すべて、自動制御」とは、裏を返せば、「こちらから絶対に操作できない」ということだ▼ということで、我が愛車は今のところ「夏は暖房・冬は冷房」。

1999年9月号

 インドのある聖者と、一人の村人の話。彼はどうしても、神と出会いたいと、昼も夜も聖者に願った▼聖者は、三日目に彼を川に連れて行き、そこで彼の頭を思いっきり水の中に浸けた▼あわてて彼は、「何をするんですか。息ができずに、危うく死ぬところだったではないですか」と腹を立てた▼聖者は涼しい顔で、「おまえが今感じたくらいに神を求めれば、たやすく神に会えるさ」と答えた▼神は私たちの願いをいつも聞いている。もし順番に叶えるとしたら、願う度合いではなかろうか

1999年8月号

 七月に川内神父様のお父様の葬儀ミサに参列した。父君を天国にお送りする神父様の姿は堂々としていた▼たくさんの信徒を送る司祭であっても、肉親を送る気持ちは特別だろう。それでも、神父様は心乱さず、ミサを捧げられた▼司祭は、教会の秘跡にたずさわりながら、信徒の「揺りかごから墓場まで」すべてに立ち会う。当然、本人と司祭だけが知る事柄もあり得る▼私は心乱さず、すべてのことをなし得るだろうか▼先輩司祭の中に、「神と人との仲介者、キリスト」を見る思いがした

1999年7月号

 新聞発行と同じ日、佐世保へ保育園の職員研修に講師として呼ばれた。何事も経験と、軽い気持ちで請け負った講話だった▼特に幼児教育に自信があるわけでもなく、ある教育学の先生の書物を頼りに、話をまとめた▼縁とは異なもので、本の著者とは年に一度お会いしている。今年も、研究のため東京から長崎に来られるそうだ▼穏和な顔立ちの教授だが、会う度に向学心をかき立てられる▼講話では、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」と話す予定だが、反応はいかに。

1999年6月号

 アオリイカ。通称「ミズイカ」。この釣りはなかなか奥が深い。このところ試行錯誤の連続である▼わりと簡単にアジに食いつくが、最後まで油断できない。ちょっとこちらが慌てると、パッと手を離してしまう▼もうこちらのものだと思っていただけに、逃げられると落胆も大きい。しまいには頭にも来る▼ばらさないように、そろりそろり引き寄せるさまは、司祭の司牧活動にたとえられないこともない▼きっと教会にも、二キロクラスのイカがいるに違いない。これもぜひ仕留めたい。

1999年5月号

 父が手術をするというので、見舞いに行ってみた。すると本人はけろっとしていて、「五月十日に胃ば切るけん」と言ってのけた。ガンも何も、怖くないらしい▼さらに驚いたことがある。「おいは神様に全部まかせとるけん」。初めて、そんな殊勝な言葉を聞いて、私は腰が抜けた。どうも本気らしい▼いっぺん死ぬ目に遭うと、何も怖くなくなるというが、そうさせるのは、信仰の賜物である▼自分はどうか。死ぬのは世の終わりよりも恐ろしい▼あらためて、信仰のすばらしさを知った休みだった。

1999年4月号

 三月の最後の日曜日。三名のシスターと志願者一人がおおぜいの見送りの中、新天地へと旅立った。船での見送りである▼紙テープの盛大な見送りは、それでなくても十分に涙を誘う。ベールをかぶっているので分からないが、後ろ髪を引かれる思いだったろう▼ある人が「船での見送りも、これが最後ですね」と、しみじみと眺めておられた。それを受けて別の一声。「今度は橋を渡って来いよ!」▼この船で迎えてもらった私も、丸一年になる▼大聖年に向けて、新たな気持ちで、今年度も舵を取りたい。

1999年3月号

 黙想会を終えることができた。信徒三百人の小教区で、百八十人の参加は、どのように考えたらよいのだろうか▼幸い、録音したテープは評判も上々、よい結果につながった。半分は、あずかれなかった人に届いただろう▼そこまで見積もっても、二百人ということになる。あとの何十人かは、どこにいるのか▼黙想会が明けたので、久しぶりに釣りに行ったら、チヌが一枚。あとにも先にも、それだけだった。▼イエス様は、太田尾の黙想会のなかで、「これは」という人を釣り上げたのだろうか。

1999年2月号

 ただいま年の黙想会の準備で頭を抱えている。「おもしろい」に越したことはないが、説教師は別のことを考えているかもしれない▼去年から実行し始めたが、黙想会の話をあらかじめテープにとって用意している。どうしてもあずかれない人のためだ▼日曜日の説教にしてもそうだが、主任司祭が公の場で話すことは、この大島にいるすべての信徒に伝えたいメッセージである▼寝たきりの人、長く座っていられない人、聞きたくても社会の仕組みに縛られている人もいる▼テープは用意する。あとは、それを届ける「収穫のための働き手」が必要だ。

1999年1月号

 過ぎた十二月からようやく教会新聞らしきものを始めたが、この「せいトマス」の反応が実にさまざま▼「結婚のときに洗礼を受け、はや二十年。わかりやすく、ためになります。こんな読者もいることを、心のすみに留めておいてください」▼有り難くない評判も。「神父様、新しく新聞を出したとって?うちには長崎新聞しかなかよ」子供の手に届かなかったのか、もともと家にないのか▼「新聞、読んだよ」子供たちがすぐに答えてくれたら、「じゃあ、あとで集金に行くからな」と言えたのに▼今年は、「本当の読者」を獲得する勝負の年だ

1998年12月号

 以前長崎の教会で勤めていた頃、主任神父様といっしょに魚釣りに出かけたときのこと▼自分は何度上げてもイトヨリばかり。主任神父様にはアマダイが、それもこちらが腹の立つほど大きなのを釣り上げるという日があった▼どうしてだろうと、不本意ながら尋ねてみたら、「ワシはイトヨリが来たらはずしよるもん」とうそぶいた▼涼しい顔をしてながらも、たぐる糸の先ではどうもひと工夫しているらしい▼「うきしたに仕掛けあり」。今日も波止場の天気をにらみながら、人と魚を釣り上げる工夫に余念がない。

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