(以下、聖書の引用は、日本聖書協会「新共同訳」より)
いよいよ、最後の話となりました。最後の話は、マタイ福音書の一つの箇所を取り上げて、私たちの滑石教会を育てていく糧としていきましょう。
わたしが選んだのは、「天に富を積みなさい」という箇所です。天に積み上げることのできる富とは、どんなものなのかを描きながら、聖書の言葉に耳を傾けましょう。
「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(Mt6:19-21)
イエス様はこの世の富に警戒するように、しばしば注意を促しますが、富を軽んじたり、無視したりしているわけではありません。むしろ、富の効用について、誰よりもよく知っておられたと言っていいと思います。
問題は、ほんの少し、私たちがイエス様の考えに耳を傾けることです。私たちの地上での活動が、天に届くよう工夫することです。
この場合、取るべき道は二つあると思います。自分なりに考えてみるか、誰かに手ほどきを受けるかです。わたしは、迷わず、誰かの手ほどきを受けるべきだとはっきり言いたいと思います。それは、司祭であれ、信徒であれ、修道者であれ、いかなる例外もなしに、誰かに手ほどきを受けて、自分の形を作るほうが、どう考えても近道だと思うからです。
天に富を積む、天国に自分の居場所を思い描く。そのための生きたお手本が、わたしたちの身の回りには山ほどあるのです。これから、一つひとつ、例を追って考えてみましょう。
この一年間、ほとんど毎週と言っていいほど、近くの病院や自宅に伺って、病人訪問をしてきました。その中に、この人は、間違いなく天に富を積んでいる、そう断言できる方がおられます。高齢のおばあちゃんですが、この方の祈りは、神様の目からは、ひとことひとこと、値高い祈りに聞こえていると思えてなりませんでした。
「どうも遠いところをわざわざすみません。」こうしてあいさつが始まるのですが、病状を尋ね、励ましの言葉をかけて帰る頃に、必ず次のようなことを言い添えるのです。「滑石教会が栄えますように、いつもお祈りいたしております。」
これまで何百回と、病人訪問をしてまいりましたが、こんな祈りを、病の床から絶えず神に捧げている人に会ったのは初めてです。
一回目の説教で、「自分が赴任した教会を、いちばん自慢したい」というようなことを話しましたが、このおばあちゃんほどに、わたしは滑石教会を思っているだろうか、そう考えると、司祭であるか、信徒であるか関係なしに、完全に脱帽です。
自分の病状が少しでも快方に向かうように、そんな祈りを熱心に祈り求める方はたくさんおられます。ですが、このおばあちゃんは、寝ても覚めても、滑石教会が栄えますようにと、一人祈り続けています。わたしたちが頭で考えて、このおばあちゃんのたどり着いた境地に、果たしてたどり着くのでしょうか。甲を脱いで、教えを請うほうが、近道なのではないでしょうか。
祈りとは何か。それだったら、いろんな形で学び、知ることができます。主の祈りを詳細に学べば、神に受け入れられる祈りがどのようなものか、鮮明になることでしょう。けれども、実際にどう祈っているかとなると、話は別です。
「あのおばあちゃんの祈りは、個人の祈りにとどまらず、共同体のために祈っているからすばらしい。」「まず神の国と、その義を求めなさいというみ言葉にぴたり当てはまっている。」説明はいくらでもできるでしょう。けれども、どんなにくわしく解説できても、わたしの口から、「じゃあわたしも、滑石教会が栄えますように、今日から祈りましょう」という言葉が溢れない限り、滑石教会は栄えないのではないでしょうか。すばらしい祈りを唱えている人に手ほどきを願わない限り、わたしたちの祈りは変わらない、進歩しないと思います。
おばあちゃんの「栄えますように」は、今もわたしの耳にこびりついています。昔、「この木、何の木、気になる木」というコマーシャルが流れていました。巨大な大木に、数え切れないほどの枝を出し、葉が青々と茂っている。「栄えますように」という響きで、すぐにわたしの脳裏に浮かんだ様子です。
ちょうど、ぴったりこの教会を言い当てていると思います。小さな若枝もあり、それを支える太い枝もあります。それらが、同じ樹液でつながり、日の光を浴びて成長していく。若枝が何を表すか、太い枝は、日の光は?みなさん一人ひとり考えてください。きっと、どこかに自分がいると感じると思います。
もちろん、それぞれは、与えられた務めや、日々の暮らしに追われて、手一杯なのかもしれません。けれども、一つの樹液でつながっているどこかの枝が、「栄えますように。栄えますように」と祈ってくれていることを、忘れてはいけないでしょう。
毎日、あるいは日曜日ごとに、ミサに与っています。「滑石教会が栄えますように。」この気持ちで祈って、滑石教会が栄えないことがあるでしょうか。たとえ、その声が消え入るようなかすかな声であっても、神の前にははっきりと、大音量で聞こえているに違いありません。天に宝を積む祈り方、わたしの地上での活動が、天にまで届く具体例として、心に留めておいてほしいと思います。
次に、滑石教会の家庭環境について、考えてみましょう。この一年間で、何組かの(十組まではなかったと思いますが)結婚式を受け持ちましたが、その中で秘跡の結婚、つまり洗礼を受けた人同士の結婚の数は、たぶん一組だけだったろうと思います。そこから考えると、今後滑石教会で真剣に考えなければならないのは、宗教の異なる家庭を、どのように支えていくかということになるでしょう。
もちろん、その後洗礼を受けるとか、今結婚の勉強中で、同時に洗礼を受ける準備も進めている人を含めたとしても、おそらく信者同士の家庭と宗教の異なる家庭は、信者同士が七、宗教の異なる場合が三といったところでしょうか。
統計を取ったわけではありませんので、確かではありませんが、教会全体としても、似たり寄ったりの割合なのではないかと考えています。もしかすると、宗教の異なる家庭の割合は、それ以上かもしれません。これは、放っておけない数字ではないでしょうか。
すでに、何らかの問題が出ている部分を紹介すれば、実感が沸くかもしれません。たとえば、この一年間、堅信組を受け持ってきましたが、水曜日の勉強を怠りがちな家庭を詳細に見てみると、両方信者同士という家庭は希であります。すると異なる宗教の家庭には、子供の宗教教育に十分な協力を得られないケースも出てきているわけです。
堅信組のケースで、もっとはっきり言いましょうか。父親が信者の家庭と、母親が信者の家庭とでは、どちらの子供さんが、教会学校に来ていると思いますか?わたしから言ってもいいですが、胸に手を当てて考えれば、すぐにわかるのではありませんか?
小学生の時の土曜学校から、ずっと教会学校に通わせて、堅信組になってからも、続けて「教会に行きなさい」と、辛抱強く言い続けてくださるのは、どちらの家庭なのでしょうか?おおよそ、みなさんが心の中で感じている通りだと思います。
もうすでに、宗教教育が難しく感じる時代が来つつあります。教会が、信者同士の結婚を昔も今もかたくなに守り続けているのには、それなりの訳があるのです。子供という、何にも代え難い「宝」「富」を、両親があまりにも強く抱きしめすぎると、命が神の手の中にあるという真理が見えなくなるのです。あたかも、命は自分たちの手の中にあるかのように錯覚し、子供たちを神にゆだねようとしないのです。
仮に、百歩譲って、命が両親の手の中にあるとしましょう。それなら、手の中においているご両親が、全責任を負って子供さんの面倒を見てあげなければなりません。
たとえば、みなさんが夜眠っている間、お子さんに突発的な何かが起こらないように、見張っている必要があるでしょう。心臓が止まらないように、手足にけいれんが起きないように、たとえ眠っている間も、絶えず見張っていなければなりません。そうすると、きっとみなさんは眠れなくなって、ノイローゼになってしまうかもしれません。
けっきょく、命は両親に委ねられてはいても、完全に両親の手の中にあるのではないのです。委ねられた部分を見守ってあげるのであって、命に全責任を持っているのではないのです。幼くして命を呼び戻された。交通事故で我が子を失った。それらはすべて、両親が全責任を持っているのではなくて、神が全責任を引き受けるのです。
この点を、はっきり理解しておきましょう。わたしの命も含めて、命はすべて神の手の中にあるのです。目に入れても痛くない我が子。いくらかわいがっても惜しくない孫。目の前にいるこの「宝」「富」は、わたしの手の中にあるのではなくて、本来神の手の中にあるのです。それをはっきり悟らなければ、子育てを失敗するのです。自分の命が、神の手の中にあって、それを感謝し、絶えず賛美することを我が子に教えなければ、真の幸せはあり得ないのです。
そこで、家庭についても、この時間のテーマでまとめましょう。「あなたの富のあるところに、心もある。」わたしたちが、この人生の中で「富」と考えているものは、実は神の手の中にあるとき初めて、確かなものとなるのです。平和な家庭、何不自由ない生活、目の中に入れても痛くない我が子、孫。それらが神の手の中にあると自分で声を大にして言えるとき、安心できるのです。
平和な暮らしを、自分で築いたと考えている人は不幸です。何不自由ない生活を、当たり前のように考えている人は不幸です。我が子を手塩にかけて育てたと言いながら、神に感謝することを知らない両親も、不幸なのです。
むしろ、家庭の平和、今の生活、我が子の成長を、常に神に感謝できる人こそ、幸いな人たち、誠の富を手に入れた人たちです。具体的に、日曜日のミサで感謝の気持ちとしてお賽銭を入れ、喜びのうちにミサに与るとか、この一年の恵みを感謝して、年に一度くらいはミサを頼むとか、そういう形ではっきりと感謝している人は、絶対に富を失わないのです。
その人は、生活すべてを、手に入れたすべてを、天に蓄える知恵を知っているのですから。神がこうした人たちを祝福しないはずがありません。あなたの心は、天に富を蓄える方向に向いているでしょうか。
最後に、わたしたちの目から、うろこを取り除く時間をとることにいたしましょう。以下は、在りし日の竹山神父様と子供たちの関わりを伝える作文です。子供たちの純粋な心は、いつも天の国を向いています。わたしたちに、「天に富を積む」営みを態度で教えてくれることでしょう
竹山神父様の思い出
しんぶさまずっとだいすきでした。ぼくはおいのりをがんばります。たけやましんぶさま、いつも みまもってください。いつもありがとう。ぼくたちの、はつせいたいのときもいのってください。(初聖体組)
しんぷさま、なんでしんだの? なんにもゆわないでしんだらかなしいよ。バイバイもゆわないでいくなんてさびしいよ。なんかゆっていってくれればさびしくないのに、いつもこないけどこんどからいきます。いつもおいのりします。こころからおいのりしています。おねがい もういちどいっしょにおいのりしましょうね。(初聖体組)
しんぷさま、わたしははつせいたいぐみです。はつせいたいのときは きてください。まっています。(初聖体組)
このまえは、はなしてくれましたね。そのときはとてもうれしかったです。それが、さいごのこえでした。てんごくに、わたしのいもうとがいます、だぶん、わたしのいもうとがさびしかったから、竹山しんぷさまを、よんだんだとおもいます。わたしは あんまりきょうかいにいっていませんでしたから、これからはあんまりではなく、ときどきいくようにしようとおもいます。(一年生)
たけやましんぷさまのおそうしきは 学校でいけませんでした。さいごにはしゃしんでしかみられませんでした。よるねるときに、おかあさんと おねえちゃんとひろゆきとわたしでおいのりしています。天国にのぼっているから、かおはみえないから さびしくなります。(一年生)
たけやましんぷさま てんごくでもがんばってね。ぼくもがんばる。たけやましんぷさまぜったいしんでないよね いきていてよね。たけやましんぷさま ぼくはしんぷさまのことをすきだよ。しんぷさま いきてね、クリスマスになったらてんごくでもみててね。さようなら しんぷさま。(一年生)
こっかいのれんしゅうのとき、ぜんぜんわからなくって、こっかいのときになって、わからなくなったら おしえてくださってありがとう。おわったらほっとして よかったです。いえにかえったら、ときどきれんしゅうしました。竹山しんぷさまがいなくなっても、ちゃんとれんしゅうしてじょうずになるようにがんばります。こんどのこっかいいのとき、すらすらいえるといいです。
きょうかいのれんらくもうで、お母さんはびっくりしていました。わたしもびっくりしました。でも、おいのりをやさしくおしえてくれてよかったです。こんど、あたらしいおいのりがでたら、がんばりますからみていてください。(二年生)
たけやましんぷさま、いつもおせわになっていましたね。でも、はいえんっていうびょうきにかかって、ついになくなってしまいましたね。わたしは、しんぷさまのためにおいのりをしょうとおもっても たくさんなみだがでました。それと、ミサのとき、いろいろおしえてくれてありがとうございました。それと、さいごのおわかれができなくてごめんなさい。わたしは たけやましんぷさまがすきでした。なくなったときいてちっょっとねつがでました。しんぷさまは ぜったいてんごくにいけるとおもいます。
かみさまといっしょに しあわせにくらしてください。(二年生)
ぼくは、じしゃをやっていたときちゃんとやっていなかったから、おこられていました。だからちゃんとしょうとしました。そしたら ちゃんとできるようになりました。
そして、さいごにしんでてまったから すごくかなしかったです。けど 中田しんぷさまがいたからよかったです。しんぷさま、天国でゆっくりやすんでください。(二年生)
神父様にいろいろお祈りをおしえてもらって、とてもたのしかったけどもういなくなってさみしいです。神父様がいたら、にぎやかにべんきょうできるのに。でも神父様が天国ですごせるように祈っておきますので、神父様も天国でお祈りをしておいてくださいね。ぼくは三年生で神父様とあまりお話しをしたことがなかったので、今度の土曜日はお話しをしたいな、と思っていたられんらくがきてびっくりしました。「竹山神父様が亡くなった。」願いがかなわなかったので、悲しかったです。(三年生)
竹山しんぷ様、いままでありがとうございました。教会のミサを休まずにやってくれて、ありがとうございました。ほかにもいろいろ教えてくれたり、してくださったりしてほんとうにありがとうございました。私はうれしかったです。もっともっと竹山神父様に教えてもらいたかったです。(三年生)
竹山 凉神父様が亡くなった時は、とつぜんでした。だから私は、さようならがいえませんでした。電話があったとき、とてもびっくりしました。お母さんが「今から神父様のためにお祈りをしなさい。」と言ったので、一人でお祈りをしました。今まで私たちの教会のために、ありがとうございました。わたしはあまり教会には行けなかったので、神父様はたぶん悲しんでいたと思います。でも今度から、教会に行きたいと思います。今度から、なるべくたくさん教会にいくようにがんばります。竹山神父様、さようなら。(三年生)
ぼくは竹山神父様が、こんしゅうの火ようびになくなったなんて知りませんでした。そして木よう日くらい竹山神父様が亡くなったのを、初めて知りました。ぼくは3回か4回しか竹山神父様を見たことがありません。もちろんしゃべったこともありません。なのに、なのに、70才で亡くなるなんて。あと10年くらい生きればよかったのに、ざんねんです。もっと生きてくれれば、話せたかもしれないし、もうちょっと見たかもしれないのに、本当にざんねんです。(四年生)
竹山神父様はいろいろなことを分かりやすく話してくれたり、ミサのときにおもしろい話をしてくれて、みんなのわらいをとってくれたりして、楽しかったです。竹山神父様、けんしん式に参加できなくてざんねんでしたね。私たち4年生が中学生になってけんしん式をするときに、さんかしてもらえなくてざんねんです。竹山神父様はかぜをひいたそうですね。きっとむりをしてかぜをこじらせて、入院したんですね。ほんとうはもっともっと長生きしてこっかいやミサをしてほしかったです。前に何回かにゅういんしたことがあったけど、そのときはだいじょうぶでしたよね。でも今回はだめでしたね。ちょっとおこった時もあったけど、やさしくしてくれて、ありがとうございました。(四年生)
ぼくは竹山神父様みたいにやさしいくて、人がこまっていたら助けてあげられる人になりたいです。そして竹山神父様みたいに心強い人になりたいです。風や雨に負けないようにしたいです。ぼくは土曜学校に入ってよかったと思います。竹山神父様は心も強く、やさしい神父様だったと思います。ぼくはいろいろいそがしいけど、がんばりたいと思います。竹山神父様といっぱい話をしたかったです。天国に行っても、ぼくたちのことわすれないでください。(四年生)
私は ずっと前さがし物をしていたら、上から何か落ちてきたので、拾って開いてみたら、幼稚園のときのアルバムでした。ペラペラとめくっていたら、竹山神父様が私の頭の上に手をおいている写真がのっていました。でも今は神父様はこの地上にはいません。天国にいるのです。でも天国にいるってわかっても、この地上にはなはから少しさみしいです。元気で、いつもまじめで立派な神父様がもうここにいないので、今は悲しみでいっぱいです。「さようなら」って言いたいけど、別れがつらいので、ここでさようならを言います。(五年生)
とっても痛かったげんこつ。でも今は とってもなさかしくて さみしくて かなしいです。そして 思い出がうかんできます。教会に行ったときいつも笑顔でむかえてくれました。私はもうその顔が見れないと思うと とてもさみしいです。ほんとうに ずっと ずーっと会えないと思うと すごくかなしいです。でも きっと竹山神父様には幸いなことなのでしょうね。竹山神父様、ずーっと ずーっと私たちを見守ってください。(五年生)
竹山神父様、ぼくたちに長い間休まず勉強を教えてくださってありがとうございましてた。竹山神父様には「さようなら」という言葉を言えなくてとても残念です。竹山神父様はぼくたちにとって太陽のような人でした。でも、竹山神父様が亡くなられて、ちょっと教会が不景気になりました。ぼくも神父様が亡くなられて悲しいです。まだ竹山神父様がいてくれるならば、教会の中はとても明るいのに・・・ とても残念です。いままで神父様におせわになった分、今度はぼくたちが神父様から学んだことをやってみたいと思います。竹山神父様、これからも天国にいて幸せに暮らしてください。竹山神父様はぼくが一年生のとき、こころよくむかえてくれましたね。長い間本当にありがとうございました。(五年生)
私はあまり竹山神父様とお話しをしませんでした。なぜなら苦手だからです。はっきり言ってこわい人だなーと思いました。聖体拝領の時も神父様の列をさけていました。目が本当に真剣でこわいからです。竹山神父様の列た゜と、目をつぶって、目を合わせないようにしました。でも、告解のときも、できるだけ手短にすまそうとして、少し罪を減らしたこともありました。でも、そんな不真面目な私(もちろん他の信者さんもいますが)にも、真剣にミサをあげてくださり、ご聖体を配ってくださったり、たくさんの罪を赦したり、お祈りをしてくださったりしました。神父様の霊名日には、神父様への言葉を言ったりしたことかもありました。その時は「苦手たなー。こわいなー」と思いながら言っていました。でも、言い終わった後、神父様が「ありがとう」と言ってくださったとき、にっこり笑ってくれたことは今でも忘れません。今 この世に神父様がいないというのは、あまりにも信じられません。でもきっと天国で私たちのことを見守ってくれていると思います。竹山神父様 今まで私たちのためにいろいろとしてくださって、ありがとうございました。(六年生)
ミサの時もふだんも、とてもおもしろくて楽しい人でした。最初はこわそうだったけど、話しを聞いていると、おもしろくて、いい神父様と思っていました。お姉ちゃんに宮崎の志願院にいくと決めて、行って夏休みに帰って来たときに、お姉ちゃんに神父様がお金をくれましたよね。その時、お母さんもお姉ちゃんも喜んでいました。
ここの滑石教会に来る前、出津教会にいて、お母さんも出津教会出身で、お母さんも神父様のことをよく知っていていい神父様と聞いててました。夏の召命の集いの時は、病気で寝ていたのに、おせわになりました。おばあちゃんが死んで、約一か月たちます。おばあちゃんもきっと天国にいますのでよろしくお願いします。それでは 神父様が天国に行けますように。お祈りしています。(六年生)
竹山神父様の思い出といえば、よく頭をたたかれたことでした。これで いまでいう「愛情表現」だったと母から言われました。いまではそうだと思います。でも ぼくはその「愛情表現」を逃げていたので、心のこりでした。神父様はいまきっと天国でぼくたちのことを見守っていると思います。ほかにも思い出はたくさんあります。たとえば、神父様のおかげで、侍者はなれたし、きびしいことばもあるけど、それも愛情表現だと思います。ほかにもたーくさんあるけど、この紙が100枚いや1000枚あっても足りないとおもいます。とにかく、神父様はこの世でいろいろなことがあったけど、きっと永遠の命をもらって、幸せに暮らしていると思います。(六年生)
イエスは、「富」の効用について、誰よりもよく知っておられました。この子供たちの作文を読む限り、もしかしたら、大人のわたしたちよりも、何をもって「富」と受けとめるか、知っているのではないでしょうか。
以上で、今年度の黙想会を終わります。黙想会を通して、互いが互いを赦し合い、癒されていく体験を少しはできたでしょうか。また、神の恵みによって洗われていく、洗礼にも似た清めの体験ができたでしょうか。
全体を通して、わたしは一つのテーマを持って話してきたつもりです。わざと、話の中ではその言葉を使いませんでしたが、今年の黙想のテーマは、ひとことで言うと、「意表をつく神」ということでした。
神は、平凡なわたしたちの日常生活の中で、意表をついてやってきます。わたしたちは、その神の挑戦にうろたえることなく、正面から向き合って、わたしを変えようとしてくださる神に身を委ねていくべきなのです。
みなさんお一人お一人の中に、意表をつく神が現れ、信仰生活に一歩も二歩も前進しますように、心から願って、黙想会を終わります。
最後に、一言だけ、個人的なことを言わせてください。一年間、この滑石教会でお世話になりましたが、大司教様の意向により、転勤することとなりました。正式発表は、4月4日と5日のミサの中で行いますが、この教会で過ごした一年間、この一年で体験したすべてのことは、浦上の五年に勝るとも劣らない価値ある一年でした。
みなさまのほうは、また新しい神父様をお迎えして、新しい体制で船をこぎ出すことになり、わたしが先導をつとめることができないのが非常に残念ですが、きっと神様は、新しい神父様を通して働いてくださると思います。
わたしも、行った先でまた一泡吹かせるか、一花咲かせるかしますので、みなさんもどうか、滑石教会発展のために一肌脱いでいただきたいと思います。本当に、ありがとうございました。