(以下、聖書の引用は日本聖書協会「新共同訳」より)
私が司祭に叙階されたのは1992年3月17日、長崎では信徒発見の記念日として知られている日でした。最初の赴任地の辞令をいただいたのは、前日の16日です。岩崎師、下窄師、それに私の三人で、島本大司教様のもとに出向きました。
もちろん、三人とも緊張した面もちです。その年に、新司祭が助任として入る可能性があったのは、浦上・佐世保の三浦町・五島の福江の三つしかありませんでしたから、そのうちのどこかにはいることはほぼ決まっていました。私たちは、恐らくだれそれがどこに入るだろう、そんなことを面白半分に予想しながら、大司教様の執務室に入りました。
例の調子で、司教様はにこやかに応対して下さりましたが、いざ辞令を手渡す段になると、私たちの緊張は一挙に頂点に達します。何かおみくじのあたりを引くような気分になり、まず岩崎師が福江教会の助任の辞令をいただきました。
この時点で、私と下窄師で、三浦町か浦上かに決まるのですが、お互い「自分は浦上ではないだろう」という安易な気持ちになっていました。「浦上であってほしくない」というのが、正直な気持ちだったかも知れません。
理由は二つあります。浦上教会がとてつもなく大きな教会であるということと、当時の主任神父様、川添神父様の迫力は、福岡の大神学校に尾ヒレ、背ヒレがついて伝わっていたということです。何よりも、川添神父様にびびっていたと言うべきでしょう。
その瞬間はすぐにやってきました。大司教様は、下窄師の辞令を手渡しながら、任地を声に出して言われました。ということは、残る私が自動的に浦上教会ということになります。「そして中田助祭さんには……」と仰ったとき、私は大司教様ではなく、二人の助祭の顔を見ていたのです。二人とも、「大変やろうけど、頑張れよ」と、同情とも安堵ともつかない目で私を見ていました。
うろたえたのは言うまでもありません。青天の霹靂、全く考えもしなかったことでした。今考えると、予想しない私に問題があるのですが、その時はほんとうに頭を抱えました。「あー、どうしよう。あんな大きな教会に行って、はたしてつとまるだろうか?」「だいたい、川添神父様って、恐ろしかっていう話やけど、大丈夫やろうか」。噂だけで話を聞いていたものですから、会う前からびびってしまっていました。
その日の晩は、どうしても眠れず、宿をとっていたカトリックセンターから、丘にそびえ立つ大聖堂を見て、いつ来るとも知れない眠気を待ち続けていました。ようやく眠くなり、時計を見るともう夜中の2時を過ぎています。いっしょに寝ていた二人は、考えすぎでしょうが幸せそうな顔をしています。さすがに目尻は下がっていませんでしたが、「お前たちはいいよなぁ」とこぼしつつ、床につきました。
その日、夢を見ました。明日の叙階式当日の情景が夢に出てきました。夢を見ながら、私は力が抜けて、呆然と立ちつくしていました。すでに叙階式は終わっていて、二人の新司祭が祝賀パーティーの壇上に立っていたのです。私はパジャマのまま、その場面を遠くから眺めていました。誰も私に気付かず、会場は喜びで溢れかえっていました。
「あーっ、ダメだったか」。今までの苦労が水泡に帰したことがじわじわと伝わってきて、自分で自分を慰めています。「そりゃあそうだよなぁ。自分は司祭にはふさわしくないもんなぁ。最後は、あっけない幕切れだよなぁ」。
夢は、そこで途切れました。朝の4時でした。ここ2・3日で先輩神父様が、「寝坊した夢を見る人もいるらしいぞ」と言われたことを思い出して、まんまと暗示に引っかかったのかと思うと、悔しくて、それからは一睡もできませんでした。やはり、司祭叙階という出来事は、ふつうでは考えられないようなプレッシャーがあるんだと、しみじみ感じたものです。
まず、そんなことはなかろう。そう思っていたことが起こる。その時の驚きは、皆さんにも体験があるかも知れません。今だから言いますが、私たちは川添神父様と聞いただけでびびっていたわけですから、あんまり当たりたくないなぁなんて思っていたわけです。
起こってほしくないことに限って起こる。当たりたくないなぁと思っている人に限って当たる。もしかしたらこれは法則なのかも知れません。
結局、心配していたことはすべて単なる思い過ごしでした。寝坊して、生涯最大の不覚をとった夢までも、祝賀会の笑い話の種にしてしまっていましたし、肝心要の川添神父様は、最初にご指導いただく神父様として、最高の神父様であったし、その浦上教会で五年も過ごせたことが、今の私につながっている。そんなことを考えたら、すべてが見えない糸で結ばれた織物のようだったのです。
人は一生涯に、何人かの大切な人と出会うのだと思いますが、私はもうすでに、萩原神父様、川添神父様、竹山神父様と、いずれもすばらしい神父様に巡り会って、幸せだったと思います。浦上にいた間、何度も若手の先輩神父様に聞かれたことの一つに、「どうや、川添神父様は。大変やろうなぁ」というのがありましたが、五年間一緒にいて、こんなにはっきりものを言って下さる、わかりやすい神父様はいないと思っています。
先ほど、起こってほしくないことに限って起こる、これは法則みたいなものだと言いましたが、ほんとうに法則なのではないかと、このごろさらに確信を持つようになっています。
この点を、聖書の箇所から探ってみましょう。ヨハネ福音書の20章から少し読んでみます。
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(Jn20:19-23)
今朗読した箇所で取り上げたいのは、いちばん最初の部分です。「その日、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あながたがに平和があるように』と言われた。」
見事に、誰とも会いたくないという様子が描かれています。ほんとうに、誰とも会いたくなかったのだろうと思います。家の戸に鍵をかけていたというのは、心の鍵をかけていたということを暗に著しているのです。心を堅く閉ざし、ユダヤ人を恐れているばかりか、イエス様さえも閉め出して、決して中に入れたくないと言わんばかりです。
そこへ、イエス様はやって来られます。まさに、「会いたくないときに限って、イエス様は会おうとされる」、あの法則です。もし、ほんの僅かでも、弟子たちが亡くなられたイエス様のことを気にかけていたという場面であれば、「あー、イエス様、ちょうどあなたのことを心配していたところだったんですよ」と言うこともできるでしょう。ですが、ヨハネ福音書にはそうしたことは一言も書かれていません。
最大限、弟子たちを尊敬して、多少イエス様のことが気に懸かっていたとしましょう。けれども、たとえそうであっても、心の大半はユダヤ人の仕打ちのことで占められていたのではないでしょうか。本来なら、ユダヤ人の仕打ちよりも、イエス様の無言の叱責を気にすべきだったのではないかと思います。
さらに、イエス様は弟子たちの心の中に分け入ります。次の言葉も見逃してはなりません。「そこへ、イエスが来て真ん中に立った」(v19参照)。
これは、「家の真ん中に立った」ということでしょうか。決してそうではないと思います。だいたい家の真ん中には食台なりテーブルなり置いてあるもので、そこに立つはずもありません。ここで言う「真ん中に立った」とは、弟子たちの心の中心に、いちばん奥底にイエスが来られたという意味です。今、この時点で、誰も受け入れたくない、いかなるイエス様でも来てほしくない。そんな心持ちであった弟子たちの中に、イエス様は迫ってきたのです。
私たちは、弟子たちを弁護すべきでしょうか。来てほしくないと思っているときにわざわざ来なくても良さそうなものを。どうしてイエス様はそんなに弟子たちの裏をかくようなことをなさるのだろうかと。
私たちに、イエス様のなさり方を批判する権利があるでしょうか。そんなものは何もありません。取るべき態度はむしろ、イエス様がそこまでして弟子たちの心に分け入ったのであれば、イエス様の心はどんな思いだったのだろうか、その点に目を向けるべきです。そこまでして、イエス様は何を、弟子たちに求めておられたのでしょうか。
私は、こう考えます。つまり、イエス様は弟子たちにさらに心を開くことを求めた、挑戦してみることを求めた、ということです。心を閉ざしているその時こそ、イエス様と真の出会いを果たす絶好のチャンスだと教えているのではないでしょうか。
現代の私たちにとって、あの弟子たちの体験は役に立つでしょうか。イエスのなさり方は、昔も今も少しも変わっていないと思います。会いたくないときに限って人が会いに来る。この法則そのままに、イエス様は私たちに会いに来られます。
たとえば、来るたびに私の心をかき乱す人がいるとしましょう。落ち着いてじっくり考え事をしたいときに限ってその人はやってきます。そういう人に限って、自分の用件だけを機関銃のように話します。せっかく調子に乗っていた仕事は中断され、また振り出しに戻ってしまいます。
来れば必ず、同じことを繰り返すその人。私たちは、その人の中に何を見ているのでしょうか。「ちょうどの時になって来やがって。いったい何て奴だ」「忌々しい。早く帰ればいいのに」そんなことを常日頃思っているのではないでしょうか。
この、避けたいけれども避けられない現実の中に、実はイエス様がおられるのではないでしょうか。今、この時だけは、この人の相手をしたくない。そう思っている時こそ、イエス様から努力すること、挑戦してみることを求められているのではないでしょうか。その時こそが、現代の私たちの生活に、真の意味でイエス様が出会おうとしている一瞬なのではないかと思います。
午前中だったら、いくらでも相手をしてあげる気持ちがあります。いくらでも手伝ってあげたいと思っています。でも、今、手が放せない午後の時間には御免蒙りたい。鬼と言われようが、冷酷だと言われようが、今は構ってあげられない。そこでもう一歩、イエス様は踏み込んでくるのです。わたしに免じて、心を開いてくれないかと。
ある時ある一言で、私たちみんなを苦しめた。拭いきれないほどの恥を被った。この人がどうしたことか、自分たちの仲間に入って手伝いたいと言っている。この人以外なら、どんなに気の合わない人であっても、受け入れる寛大さを持っています。
それでも、この人だけはどうしても受け入れられない。どうあっても、どう諭されても、仲間に入れるわけにはいかない。そんな場面で、イエス様は本当の意味で、ご自分がみなさんの心の中心に立てるように、心を開いてくれないかと、戦いを挑むのです。
ここまで来ると、イエス様が求めているのは、人間の言う寛大さとか、慈しみとか、そういった生易しいものではなくなっています。あえて言葉を選ぶなら、それはもう戦い、挑戦です。殉教と言ってよいかも知れません。「殉教の精神」ではなくて、殉教を求めてくるのです。
「それは、弟子たちに求めたのであって、一般信者の私たちに求めているわけではないでしょう。」はたしてそうでしょうか。現代起こりうることを例に考えたとき、少なからず、自分たちに今まさに起こっていることを言われた、そんな気がした人たちがいるのではないでしょうか。私は聖職者に向けて話しているつもりはありません。修道女にむけての講話をしているのでもありません。黙想会に与っている、みなさんに向けて話しています。少なくとも私はそのつもりです。
イエスもまた、逃げ出したいときに逃げずに挑戦することを、今日集まっている私たちみんなに求めているのです。それは、単なるしごきではありません。ご自身が、あなたと、真の出会いを果たしたいからです。通り一遍の信仰ではなくて、生きた信仰を持った信仰者になってほしいので、挑戦状を突きつけてくるのです。
どうぞ、イエスの挑戦を受けて立ってほしいと思います。
もう一つ、聖書の箇所からイエス様との出会いを考えてみましょう。イエス様が、汚れた霊に取りつかれた子どもをいやす場面です。マルコがいちばん詳しく書いていますので、マルコ福音書から取りたいと思います。
一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「できれば」と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。(Mk 9:14-29)
悪霊の研究は別の機会に譲るとして、ここでは、父親の息子に対する愛情について考えてみましょう。症状としては恐らくてんかんの症状ですが、苦しみもがく息子を前にして、何もしてあげられない父親が、藁をもすがる思いでイエス様に懇願します。
イエス様は、喜んで息子に取りついた霊を追い出してあげたいと思っていますが、一つだけ条件を求めます。もうすぐにお分かりかと思いますが、父親の信仰を求められました。何か揚げ足を取っているようにも聞こえる、父親とイエス様との会話を、もう一度聞くことにしましょう。
「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
父親は、12人ものお弟子さんを抱えるお偉い先生にものを頼むわけですから、非常に謙虚に、へりくだって息子のいやしを願ったのでしょう。それが、「おできになるなら」という言い方だったのだと思います。決して、イエス様を信用していないわけではありません。ただ、この時には、イエス様への信仰に動かされて願っていたのではありませんでした。それで、イエス様に「『できれば』と言うか」と、問い詰められたのです。
父親は立派でした。すぐに自分の取るべき態度を悟り、信仰心に動かされて願うべきであったと反省します。最後などは、息子をいやしていただくのではなく、自分の不信仰をいやしていただくよう願っています。「信仰のないわたしをお助けください。」
最後の言葉は、非常に大事だと思います。登場する父親は、目の前でイエス様を見、頼み事をしています。ところが、イエス様に言わせると、この父親はまだ、本当の意味でご自分と出会ってはいなかったのです。この父親が、真の意味でわたしと出会うことができるかどうか、そこまで心を開いてご自分に委ねる気があるか、信仰を試したのです。
ここにも、私たちの日常生活との深いつながりを見つけることができます。親が子を慈しみ、守り育てること。これは、どこの世界に行っても当然のことですが、この当たり前の出来事の中で、イエス様としっかり出会うこともできるし、挨拶だけに終わったり、気付かずに通り過ぎることもあり得るのです。
現代の父親・母親が確かにイエス様と出会う場所、それは、子どもの信仰教育の中でです。初聖体の子どもがいて、初聖体は幼稚園に任せておこう。そこで両親の務めを放棄したら、どんなに大きなお恵みが子どもに注がれても、そこで両親はイエスとの深い交わりの機会を失うことになります。この子が、物心が付いたとき、初聖体のお恵みを自分なりに感謝できるようになってほしい。そんなことを願いながら、両親も祈り続けるなら、見えない神との真の交わりを得るでしょう。
堅信組だから、教会に行きなさい。祈りも覚えなさい。通り一遍のことを言っただけで、もう一度信仰に根ざした家庭作りに努力しないなら、堅信を受ける子どもは大きな恵みを受けても、両親がイエスと真の出会いを果たすことは叶わないでしょう。こんな時、イエスはもう一歩、わたしとの絆を深めてほしい、挑戦してほしいと願っているのです。
イエスとの出会いには、時として法則めいたものがあります。ここでは会いたくない、こんな形では受け入れたくない。その時こそ、イエス様が挑戦状を突きつけ、戦いを挑んでいるのです。予期せぬ出会いで、より深く信仰生活に生きる者となれるよう、恵みを願ってまいりましょう。