第一回:考えてみる、考え直してみる

 (以下、聖書の引用は、日本聖書協会「新共同訳」より)

滑石教会に最初に赴任した司祭は、何はともあれ黙想会の説教を果たさなければならない。そんなことをどこかでちらっと聞きました。断る理由もありませんので、今年の黙想会は自前で用意いたしました。

今回の黙想会のことを考え始めたのは、年が明けてまもなくの頃です。黙想会の説教師のことが気になって、いろいろ考えているときに、典礼部の新年会に呼ばれまして、「説教師は誰にしようか」と持ちかけました。

「そりゃぁ神父様、最初に来た年はその神父様と決まっているんですよ」と言われて、そんなものかなぁと思っていたら、心ある方がこんなふうに励まして下さいました。「神父様は日曜日ごとに説教されて、『もう何も思い残すことはない』と仰るのでしたらいいですが、まだ何かあれば、引き受けてよろしいんじゃないでしょうか」。なるほど、そう言われれば、日曜日の説教では十分に伝えることのできない話もあるし、引き受けてみようかなぁ、という気になったわけです。

できるだけ、この三日間の中で、考えられることはすべて取り組みたいと思います。何度かみなさんが腕を組んだり、これまでのことを振り返ったりできるような材料を提供するつもりです。

 

黙想会を迎えるまでに、私は一つのことを役員の方に提案しました。それは、黙想会の参加費のことです。これまでは、一律で集めていたと思いますが、私は、一つの試みとして、みなさん一人ひとりが考えて封筒に入れる、そんなことをやってみたいと思います。

決められたことを、決められた通りにする。私たちが、これまで慣れ親しんできたやり方なのですが、私はそれだけがいい方法だとは思いません。自分で考えて、自分で決める。そうしたことの訓練も、信仰生活を一歩も二歩も前進させるためには必要なことではないか。そう言う気がするのです。

そういうわけで、今年の黙想会の参加費は、例年一人千円でしたが、あと一歩踏み込んで、千円以上と決めさせていただきます。あとは、一人ひとり、よく考えて封筒に入れて下さい。何を考えるか、というと、今年の黙想会は、自分にとってどれくらいの価値があったか、ということです。これから四回、五回の説教を聞き、ゆるしの秘跡を受けるわけですが、この三日間のうち、どこかで「あー、今年の黙想会はためになったー」という時間があるかも知れません。それを自分で値踏みして、お献げしてほしいのです。

ある人にとっては、何千円かの価値があるかも知れません。ほんとうに救われた思いがすれば、それくらいは出しても惜しくないという人もいるでしょう。あるいは、「今年の黙想会はつまらなかった」ということでしたら、いつも通りの千円でもいっこうに構いません。ですが、せめて、中田神父を悲しませないために、それ以上は値切らないで下さい。いかなる私でも、今日までに費やした時間と労力を、五百円で持って行かれてはたまりませんので。

これは、ほんとうに小さな、一つの試みです。きっと、例年通りの決められた額にすれば、その通りきっちり集めることができるかも知れません。けれども、違った試み、違った働きかけをすれば、あるいは眠っていたものが目覚めるかもしれません。「押してもダメなら、引いてみな」と言うではありませんか。これまでの信仰生活を振り返るために、何か違った力を加えてみることは、大切な試みなのです。

一つの例を挙げましょう。2月15日に行われた、永久礼拝の件です。覚えている方も多いと思いますが、今年の永久礼拝には、ほんとうにたくさんの方が参加して下さいました。たぶん、ほかの教会にも自慢していいと思います。それだけたくさんの方が参加できた裏には、今まで取り組んでこなかった働きかけがあったわけです。

私は、14日の土曜日と、当日の日曜日、言い過ぎかなぁ、と思うくらいに口酸っぱく永久礼拝の大切さを話しました。実は、典礼部、その他の方々から、「毎年参加者が少ないんですよねぇ」ということを聞かされていたのです。「よーし、一丁しぼってみるか」そういう気になりまして、あの日の説教に思い当たったわけです。

もちろん、私に何の当てもなくて永久礼拝のことをきつく言ったわけではありません。この教会の信者さんだったら、きっと打てば響く。何と言っても滑石の信者だから。そういう自信みたいなものがあったから、あれだけのことを言ったわけです。自信も当てもなくて、どうしてあんなきついことが言えるでしょうか。

予想は見事に的中しました。近年まれにみる参加者で、ふさわしい永久礼拝の務めを果たすことができました。誰よりも先に、シスターが私のところに来まして、「やったねー、神父様。いっぱい来てるよ」。と大喜びです。私も、飛び上がりたいのを押し殺して、涼しい顔で言いました。「あったり前やかね。どこの信者と思うとるとね。滑石の信者よ」と言ったわけです。

「いやー、神父様にあそこまで言われたら、行かないわけにはいかないでしょう」。最初はそれでいいんです。今まではいろいろ都合が先になって、永久礼拝を脇に置いていたかも知れません。けれども、少々きつく言われたにせよ、今年は自分で考えて、礼拝に参加したのです。これは大きな進歩です。こうしたことの積み重ねがあって、本当の意味で教会は栄えるのだと思います。

永久礼拝自体は、毎年行われていることで、何ら変わりはありませんが、今年見せて下さったすばらしい努力を、来年もっと伸ばしていけば、誰が見ても恥ずかしくない教会に変わることは間違いありません。何と言っても、滑石教会ですから。そう思いませんか?

「そう言われてみれば」「考えてみれば、それもそうねぇ」そんなことが私たちのこの滑石教会にはいっぱいあるような気がします。いつだったか、ミサ前に祭服を着ていたら、飛び入りで申し訳ないけれども、ミサを預かってきましたと言って、届けてくれました。シスターは私が気が短いのを知ってか知らずか、「案外、この教会はミサをお願いする人が多いんですよ」と、聞く人が聞けばとりなしをしているようにも聞こえることを言い添えてきました。

「今頃になって」と思いもしたのですが、せっかくのミサの依頼ですから、シスターとは「おかげで、カップラーメンの生活をせずに済むよね」と、無難な会話でその場をやり過ごしました。ちょっとしたことで、短気な人間をその気にさせることも不可能ではありません。

 

ほかにもあります。日曜日のミサでは、お賽銭のことも気に懸かります。だいたい毎日曜日、一定の額のお賽銭を献金していただいているのですが、決まってお賽銭の額がぐっと減る日があります。考えたことがあるでしょうか。たいてい、その日曜日に教会の行事が重なると、お賽銭の額が目に見えて少なくなっているようです。お賽銭は毎週、すぐそこの長崎銀行に預けるので、通帳を見れば一目瞭然なのですが、皆さんお一人お一人考えてみて下さい。全体として、行事にばかり目を奪われて、喜びの気持ちを献げることを忘れてしまう。そんな日曜日とは、どんな行事の日でしょうか。

それは、堅信式と初聖体の日です。言われてみれば、なるほどと思い当たるかと思いますが、我が子のお祝いにばかり目を取られて、今日のこの日の感謝の気持ちを、献げものとして献げることはすっかり忘れてしまうのです。

堅信式で、それはもう保護者の方は立派に正装してミサに与っています。きちんとした身なりで、それなりの礼を尽くすことはもちろんですが、何か一つ忘れてはいないでしょうか。我が子が、今日の堅信式を通して大人の信者の仲間入りをする。有り難いことだと思って、普段の日曜日にもまして、賽銭箱に献金をした方がいいのではないでしょうか。

初聖体の喜びの日、みんなといっしょに御聖体をいただく記念すべき日です。この子は将来、自分で日曜日にミサに与り、聖体拝領をするようになります。今日はその最初の日だから、我が子に代わって、献げよう。そんなことを考えてみてはいかがでしょうか。

こう言ったことを話すと、ある人は「近頃の親はなってない」とか仰るかも知れませんが、問題はそればかりではないと思います。あの親、この親が良くないという前に、自分だったら、どうするだろうか、そんなことを考えて下さる方があまりにも少ない。それがもともとの原因ではないかと思います。

「お祝いの日だから、お賽銭はちゃんと入れようね」と、どれだけの方が声を掛け合ったのでしょうか。たとえば初聖体の保護者の皆さんで、初聖体のお孫さんを抱える家族の間で。こんなちょっとした努力が、ほかのことにも考えを巡らすきっかけになっていくのだと思います。

「まぁこの神父様は、若いくせにお金のことば言うて」。これを言われるとつらいのですが、こんな言いにくいことを、日曜日に言えますか?少なくとも私は言いきらんですね。よう言わんですよ。だから、黙想会で話しているわけです。年にいっぺんしか言いませんから、そこのところを汲んでほしいと思います。

考えることでは、私は新聞の「めぐみ」のことも気になっています。新年号で、私は初夢のことを書いたのですが、皆さん一月のうちにあの記事をお読みになったでしょうか。いつまでも教会の玄関口に置いてある新聞を見ながら、「いろいろ工夫して書いているんだけどなぁ」と、少し寂しい思いがします。二月号の初笑いなんて、自分で何度読んでもおかしいと思いますが、ちゃんとお読みになったでしょうか。

「めぐみ」の一面は、広報部の寛大な心に甘えて、いつものびのび書かせてもらっていますが、それはそれなりに含みを持たせて書いているつもりです。このひと月、また新たな気持ちで教会全体で進んで行こう。こんな願いを込めて書いているわけですから、その月のものはいち早く配布してほしいと思います。

これまた、あの人この人のせいにしないで下さい。一人ひとりが、どうやったらいち早く一ヶ月の流れを知って、一致して動いていけるか、考えてほしいのです。誰かのせいではありません。私たち滑石教会全部で取り組むことが大切なのです。言われた通り、言われたままにというのでは、進歩はおろか、現状維持も怪しくなってしまいます。一面の内容がつまらないのでしたら、その点は私が責任を持って改めていきます。

このような、目に留まったことを一人でも多くの人で考えていくことは、ひいては教会全体の盛り上がりや、お世話をする地区委員さん、役員さんの志気にもつながっていくのではないでしょうか。おおいに期待したいものです。

 

いよいよ、教会建設の積み立てが始まりました。積み立ては、実際は神の家を建てる動きが始まった、そのことを知らせる合図と考えた方がよいと思います。「よーい、ドン」という合図ですから、本当はこれからさらに勢いをつける何かが必要なのです。合図は二度三度鳴らす必要はありません。次は、加速をつけなければなりません。ゴールにたどり着くためには、加速をつけて、休まず前進しなければならないのです。

月初めの日曜日、教会の玄関先で、子どもたちが喜びそうなお菓子を用意しているのに目が留まった方がおられるでしょう。毎月お菓子の種類を変えて、玄関口に立って下さいます。ドーナツあり、マドレーヌあり、丸ボーロありで、ほんとうに毎月楽しみです。

あのお菓子、どういった目的で用意しているか、ご存じですか?実は、これも教会建設のために、有志の方が準備して下さっているものなのです。月々1万何千円の売り上げを、教会建設委員の方にお渡ししています。ところが、目の前で飛ぶように売れていくお菓子も、本当は採算度外視であれだけの売り上げになっているのです。材料に使う小麦粉、バター、砂糖など、ほんとうに作って下さる方々の善意の寄付があって初めて成り立っているんです。

たまに、お砂糖の寄付があったらどれだけ助かるでしょうか。こっそり、小麦粉を置いていってくれたら、どんなに有り難いでしょうか。聖書にも、「施しをするときは、右の手のすることを、左の手に知らせてはならない」(Mt 6:3)とあります。そうしたさりげない心がこの教会を包めば、天の父の報いはことのほか大きいことでしょう。

こうした知恵は、いったいどこから出るのでしょうか。私は、祈りからしか出てこないと思います。常日頃から、「滑石教会のために何かしたい」「何かお手伝いできることはないだろうか」そんなことを祈りの中で思い巡らす人でなければ、知恵は浮かばないのではないでしょうか。

たとえば、私がこうしてちくりちくりと刺しても、時間がたてばいつかは忘れてしまいます。人間が指摘しても、この程度のものです。ですが、祈りながら知恵を求める人には、神様が知恵を授けて下さいます。それも、絶えず与え続けて下さるのです。天地を造られただけでなく、これを保ち、治め続けて下さる神ですから、間違いがありません。神以外に、このような力を持った方が、ほかにおられるでしょうか。

飛ぶように売れるお菓子を前にして、私もちょっぴり考えさせられました。私はお菓子のように甘いものは用意できないけれども、この滑石に新しい神の家を建てるために、何かできないものか。それこそ、祈りながら考えました。

そうして考えたのが、この説教集です。私は司祭になる一年前から、折々の説教を原稿にして残してきました。もちろん、6・7年分の説教が完全に残っているわけではありませんが、だいたい残っております。説教だけでも、本棚の一区画が埋まる分量です。

一つには、自分自身が怠けないためでもありますが、福音から黙想できることは、その教会、自分の年齢、いろんなことで豊かになっていくものです。ですから、常に新しい何かを発見するために、私にとって毎週残していくことは、ぜひ必要なことなのです。

「ははーん、なるほどねぇ」。お菓子を売っているおばちゃんたちの様子は、とてもいいヒントになりました。「この滑石教会にお世話になってからのお説教を、一冊にまとめれば、もしかしたら教会建設のお役に立つかも知れない。滑石で説教したのだから、滑石の信者さんに味わってもらおうではないか」。そうしてできあがったのがこの一冊です。

ほとんどが、その日の日曜日にお話ししたときのお説教です。中には、どうしても用意できずに、別のところから持ってきたものもありますが、それはほんとうにわずかです。マドレーヌのように甘いとは言えません。どちらかというと、辛口ですが、どうぞあとで手に取ってみて下さい。

たいていの先輩神父様が、「日曜日の説教がねぇ」とこぼすほど、お説教の準備には悩まされているようです。私も変わりませんが、幸いに私は、司祭になる一年前、助祭という位にあったとき、郷里の神父様にずいぶん鍛えられまして、そんなにお説教を苦にならなくなりました。こんなお説教集を残せたのも、さかのぼると助祭の時代に鍛えられたおかげかも知れません。

当時、自分の郷里におられたのは、萩原神父様でした。神父様は、助祭になって休みにあいさつをしに伺ったと私に、「日曜日のお説教をして下さい。私は全然妬みませんから、すべてお願いします」と仰って、本教会の鯛ノ浦で一つ、あとは巡回教会を三つ抱えていましたから、毎日曜日、都合四回説教をし続けました。

同級生の中で、当時、毎日曜日四回も説教をするチャンスをいただいた助祭はいなかったと思います。そんな中で、確実にポイントをつかむことや、無駄なことを言わないようにするなど、貴重なことを学びまして、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。

私が司祭になったときも、鯛ノ浦の主任神父様は萩原神父様でしたので、私にとって尊敬する神父様の筆頭にあげなければならない神父様です。

 

せっかくですから、この神父様との出会いをお話ししておきましょう。最初赴任したときは、白のプレリュードに乗ってフェリーから出てこられまして、まさかこんなつっぱり兄ちゃんの乗る車に神父様が乗っているとは思わず、波止場で目の前を通り過ぎたのに、神父様を見失ってしまうという失態をやらかしました。

宿老さんが、「神父様の車はどれやろうか」と言って探していたら、だいぶん先に止まっているプレリュードから「ヤンギ」みたいにやせた神父様が出てきて、「ハゲワラです。よろしくお願いいたします」と言っています。私にはどうしても、「ハゲワラです」としか聞こえませんでしたが、それが、萩原神父様との最初の出会いでした。

生まれて初めて、五島の教会に来られたということで、最初は私が巡回教会の道案内をしたりしていました。助手席に座って、案内をするのですが、車が車ですから、公道でレースをしているようにびゅんびゅん飛ばすんですね。教会に着いたときは私は乗り物酔いして、具合が悪かったこともありました。

たいへん勉強熱心な神父様で、本棚は見たことのないような本であふれていました。けれども口癖のように言っていたことは、「せっかくここに来たんだから、この教会がいちばん自慢できる、そんな教会にしたい」ということでした。自分の赴任した教会をいちばん自慢したい。これは私の心の中にもはっきり残った言葉でした。

ちなみに私は、滑石教会に来て一ヶ月は、前にいた教会とうまく切り替えができませんでした。電話が鳴って、ぱっと取ったときに口をついて出てきた言葉が、「はい、浦上教会です」だったことがしょっちゅうありました。

「浦上教会です」と最後までは言わないにしても、「もしもし、浦……」と言ってしまったことは何度もありまして、「あいたー、どうしようかなー」と思って、とっさに「もしもし、浦、あっ、浦さーん」と叫んだこともありました。電話の向こうでは「はあ?」という声でしたので、「あ、いや、何でもありません」とごまかしたのを思い出しました。最近は知恵が付きまして、「はい、教会です」と言うようにしています。

ふつうの会話の中でも、「浦上では」と言ってしまったこともありました。三ヶ月くらいかかったでしょうか。滑石教会のことを、「うちの教会」と言えるようになるまで。皆さんはどうですか?滑石の助任として受け入れて下さるまで、何ヶ月かかったでしょうか。

私にも、やはり滑石教会が長崎市内でいちばん自慢できる教会になったらいいなぁと思ってきました。立地条件などの、外面的なことで言えば、こんなにすばらしい教会はほかにはないと思います。そういう意味では、ほんとうに幸せな毎日を過ごしています。

もちろん、皆さんはすでに気付いているでしょうが、問題は信徒の迫力です。「どうね、滑石教会は」と、先輩の神父様からよく声をかけてもらいますが、そんなときに尋ねておられるのは、住みやすいかどうかではなくて、滑石教会の信徒は、どれくらい頑張っているか、ということのはずです。そこで私が、「いやぁ、滑石はやっぱりすごい教会ですよ。何せ信者さんが頑張るもん」と、胸を張って言えるなら、私にとってこれ以上の幸せはありません。

何か、ちらっとでも気に懸かることがあれば、教会内で分裂や対立、争いがあるとすればどうでしょう。神父は寝ても覚めても、そのことばかりが気がかりなのです。

考える信者になりましょう。考えているつもりでも、祈りながら、改めて考え直してみましょう。祈りながら、というのがポイントです。必ず、まだたくさんのことができるはずです。聖霊の照らしを願いながら、どうやってこの滑石教会に自分をお献げできるか、知恵を願っていくことに致しましょう。