三日目 大聖年をわかりやすく

大聖年は「あがない」「解放」の年

 

第四回 大聖年の聖書的・教会的な意味と取り組み

 

(本文中に引用した聖書は、すべて日本聖書協会発行の「聖書 新共同訳」です)

 

1 聖書の中の大聖年(レビ記の中で)

 

 今年の黙想会の中で、大聖年を集中的に取り扱いたいと思います。たくさん話しますが、原稿のコピーを用意していますので、途中、眠くなったら、どうぞ休んでください。通訳の方も、休んで結構です。

最初に、見出しだけ紹介しておきます。

 

「聖年」の由来となっている聖書の出来事

教会の歴史の中で聖年がどのように開かれてきたか

聖年としばしば一緒に取り上げられてきた「免償」とは何か

教皇様は今年の聖年に、どのような呼びかけをしておられるか

全教会が世界中の国々に働きかけている「債務取り消し運動」のこと

日本の教会の動き

 

 これら6点について考えていきたいと思います。

 

それでは早速入ります。原稿用紙から一歩も外れないで進みます。

 

 

25:1 主はシナイ山でモーセに仰せになった。

25:2 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。

25:3 六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、

25:4 七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。

25:5 休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めてはならない。土地に全き安息を与えねばならない。

25:6 安息の年に畑に生じたものはあなたたちの食物となる。あなたをはじめ、あなたの男女の奴隷、雇い人やあなたのもとに宿っている滞在者、

25:7 更にはあなたの家畜や野生の動物のために、地の産物はすべて食物となる。

 

この、レビ記25章によると、畑を六年使ったら、七年目は畑も休みの年にしなさい。主が六日のあいだ働いて、七日目に休まれたように、畑にも同じようにしてやりなさいということです。実はこれは、畑自体が疲れて、栄養がなくなってしまうのを防ぐ意味でも、とても理にかなったことだったんです。

続いて、25章の8節以下にはこう書いてあります。

 

25:8 あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。

25:9 その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、

25:10 この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。

25:11 五十年目はあなたたちのヨベルの年である。種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めることもしてはならない。

25:12 この年は聖なるヨベルの年だからである。あなたたちは野に生じたものを食物とする。

25:13 ヨベルの年には、おのおのその所有地の返却を受ける。

 

畑を六年使って、七年目は休ませる。このパターンで七回繰り返して、四十九年たったら、五十年目の年はまた休み。それも、ただの休みではなくて、全住民に解放を知らせる年にしなさいと命じます。この、四十九年から五十年目にかけての年を、「ヨベルの年」と名前を付けたのです。これを、「聖年」という形で教会は取り上げていくことになります。

聖書に書かれたヨベルの年は、宗教的な意味合いよりも、社会的・経済的な問題に深く関わっています。レビ記はそのことを教えてくれる。七年目は畑を耕さないで、今まであったもの、自然に野に生えているものを食べて、その一年を乗り切る。この一年、畑を休ませて、畑に力を取り戻させる、10節には、財産は、元の所有者にもう一度戻るということが定められています。自分の土地を売ったり、財産を手放したりした人たちも、五十年たったら最初の所有者のところに戻して、もう一度ゼロから出発するということです。

実は現在国際間で話し合われている「債務取り消し」の問題も、ここら辺に由来しているわけです。この「債務取り消し運動」は、もう少し後で話します。

同じように、奴隷がいましたら、この奴隷は解放されて、もとの家族のところに帰る。全部五十年たったら、もとの家族のところに帰ってくるわけです。

 

ルカ福音書の最初のところに、イエス様はカファルナウムの会堂に入って、イザヤの書物を開いて読んでみると、次のような箇所が目に留まったとあります。

 

「主がわたしを遣わされたのは、

捕らわれている人に解放を、

目の見えない人に視力の回復を告げ、

圧迫されている人を自由にし、

主の恵みの年を告げるためである」(4:18-19)。

 

 主の恵みの年とあるのは、あの「ヨベルの年」のことなんです。すべてが帳消しになって、ゼロになって戻ってくるということなんですね。

だから、大聖年の由来となっている「ヨベルの年」は、「宗教的な行事」と考えるよりは、非常に社会的・経済的な問題を考える年であると、旧約聖書は教えているんだということを知っておくと良いと思います。

今まで自分を縛っていた「枠」とか「鎖」とかから解放されて、全く自由になり、昔の状況になり、ゼロから歩み始める。だから、目で確かめることのできる「解放の年」であり、「恵みの年」であり、「出発の年」であった。神様は具体的に指示を出しました。売却された不動産が、もう一度元の所有者に戻ること、奴隷が自由の身になること、畑にとっては休耕の年であること、利子・利息が全部なくなることなどを細かく指示してくださったのです。

 

 こうした、半ば強制的に自由にしていくことは、人間同士の話し合いでは、実際はうまくいかないかも知れません。この点について、旧約聖書には、興味深いことが書いてあります。

 

25:23 土地を売らねばならないときにも、土地を買い戻す権利を放棄してはならない。土地はわたしのものであり、あなたたちはわたしの土地に寄留し、滞在する者にすぎない。

 

土地とか、財産というものは、もともと神様のものなんだ。ある少数の人の手の中にだけ、財産・土地があるというのは、神様のお望みではない。だから、ある時点まで来ると、神様が全部ゼロに返して、土地をみんなに分けてくださる。こういうものの見方をレビ記は紹介してくれます。

教会もまた、旧約聖書に従って、基本的には、すべての土地・すべての財産は全部神によって造られ、神から与えられたものであって、例えば50年たったら、与えてくれた神に返して、神からまた配ってもらうという考え方に賛成なんです。土地・財産を手放さないで、独り占めにしている人は、神様が大地を造ったことを認めない人、土地を分け与え、財産を与えてくれるのが神様だということを信じない人ということになるかも知れません。

ここまでをまとめますと、旧約聖書に書かれたヨベルの年は、五十年ですべての貸し借りがゼロに戻って、新しく生まれ変わり、もう一度最初から出発し直すときでした。そこで大聖年は、旧約聖書の出来事にならって、神様のものの見方で、今の社会に働きかけようとしているわけです。ですから、「聖年」は、旧約聖書に出てくる神様のものの考え方から出発しているということです。

 

 

2 教会歴史の中での大聖年、その問題点

 

教会の歴史の中では、1300年に、ボニファチウス8世という教皇様が、最初の荘厳な大聖年というものを計画しております。その大聖年で、ローマの巡礼ということを決めておりまして、ローマに巡礼にやってきて、ある条件を満たしたら、全免償が得られるということも決めました。

ローマへの巡礼でローマの街は、すごく熱心に燃えました。これを見て、教会は、「なかなか、いいものだな」と思いまして、全免償というのは悪くないということで、教会は免償の事例を付け加えていきます。

たとえば、教会の建築とか、教会の新築とか、これに、お金を寄付する。お金を寄付する人に、免償を与えることができると決めます。ただ、罪の許しを得て、必要な祈りを唱えたのちに、お金を寄付をするということを通して、この人が免償を得られるというような事例を付け加えていったんです。

だから実際は、ヨーロッパの教会、どれも壮麗な教会なんですが、いろんな教会が「免償」と関わりがあるんです。いろんな人が教会に寄付をしながら、自分の罪の償いをしていったという背景があったんです。

そして、教会の建築から始まって、ローマへの巡礼みたいに、教会の巡礼にも、免償がつくようになる。それから、十字軍に参加すると免償がつくようになる、巡礼に行くと免償がつくようになる。だからいつも、霊的なことと、免償がくっつくようになってきて、その免償にお金もくっつくようになる、寄付もセットになってくるというような習慣ができてきました。

特に大聖年の時には、全免償が与えられまして、この「聖年」を少しずつ多くしていくという傾向になってしまいます。たとえばボニファチウス8世が大聖年を定めまして、全免償が与えられますよと言って、それからは、クレメンス6世は、50年ごとに聖年を設けましょうということになり、それからウルバノ6世は、33年ごとに聖年を設けようということになり、パウロ3世は、25年ごとに聖年、それと100年目には「大聖年」ということになってきました。

それと並行してのことですが、「聖年」と「免償」ということはずっと関わっていまして、「免償」ということがよく分からないで、「お金」ということと置き換えられてしまって、あとで評判が悪くなるというような可能性が出てきます。

免償は、その人に、霊的なお恵みがたくさんあるようにというのが最初の意向だったわけです。でも、その目的が、「お金」と結びついたりするときに、何となく「あやしい」ものになる。教会が「免償」を発表したりすると、教会のある人、高位聖職者のある者は、それを安易に「お金」と結びつけてお金を手に入れようと考える人たちもあったみたいです。「寄付してくれたら免償をあげる」と言うのですから、高位聖職者たちは、「免償を出せば、お金が入る、免償を出せば、教会が建つ」そんなことに傾いてしまう危険があるわけです。

ある説教者たちは、よく準備がされてなくて、お金を集めるために免償を配って回るような話の仕方をしてしまいます。これは非常に反発を呼びます。特に、ローマの教会を建てる、イタリアの教会を建てていく,聖ペトロ大聖堂を建てていくというときに、ただでさえラテン系の人々に反感を持っているドイツとか、国王の城下に住んでいる人々は非常に反感を抱きます。何だ、違うじゃないか。そういう物の見方をしまして、それがカトリックとプロテスタントの別れていく土壌になっていくことになります。

こういった時代にマルチン・ルターという人が現れました。教会は聖ペトロ大聖堂を完成させるために、1507年と1514年に「全免償」というものを発布しております。罪の赦しを受けて、決まった祈りをして、聖ペトロ大聖堂の建築のために応分の寄付をすると、罪の償い、免償を与えることができると発表したんですね。

でもそれは、多くの人に、本当の意味が伝わらないまま「お金を集める手段じゃないか」という悪い印象を与えることになります。ドイツでは、マインツの司教であったアルベルタ大司教が、ヨハン・ケッペルという神父様を、ドイツ全体を回って、免償を人々に知らせ、お金を集める説教師として選びます。

まずいことにこのケッペル神父様は、なんとなくお金を集めさえすればいいというような印象を与える説教をしてしまいました。

これに対して、マルチン・ルターは1517年にあの有名な95ヶ条の抗議文をウィッテンベルグ大学の門に張り付け、その中には、「免償」についての質問状も入っていたわけです。この事件から、教会が時代時代に発布してきた「免償」の評判が悪くなっただけでなくて、カトリックとプロテスタント教会が分かれていくことになります。

 

 

3 免償とは何か(全免償について)

 

ここで「免償」について整理しておきましょう。今年の「聖年」の期間中、「免償」ということが頻繁に取り上げられますので、免償の意味がはっきり分かるようになればいいなと思っています。

残念ながら、教会の歴史の中では、「免償」を正しく理解しない人たちによって、評判が悪くなりましたが、私たちは、「免償」ということをきちっと理解したいと思います。この聖年は、私たちが「免償」をいただくために、定められた年ですから、ここではっきり理解しておきましょう。

免償は、「罪の赦し」ということと密接につながっていますが、罪は、まずは赦しの秘跡を受けて、赦していただくものです。この点はいつも変わりないのですが、免償は、すでに赦された罪の、残った罰について赦しがあるということです。分かりました?あまりよく分からないかも知れません。

 

たとえば赦しの秘跡を受けて、償いの祈りをしたら、急に息が苦しくなって、死んでしまったとしましょう。赦しの秘跡を受けたから、罪は消えたから、すぐに天国に行くかというと、私はたぶん、煉獄で待たされると思います。罪は確かに消えて、神父様の言った償いは果たしたんだけれども、それでも神様にとっては完全じゃないと思います。まだ何かが足りないと思うんですね。

もっとはっきり言いましょうか。罪の告白で、日曜日のミサにほとんど行きませんでしたと告白して、神父様が、「償いのお祈りは、『主の祈り』を三回唱えてください」と言ったとしますね。本当に、それで全部償うことができると思います?たぶん、何かが残ると思います。それは、もしも神父様が、「『主の祈り』を百回」と言っても、変わらないと思います。

この、「何かが残っている」「煉獄で待たされる」こういった「罪の罰」をなくしてくれるのが、免償ということになんです。この罪の償いとして、応分の寄付をすることもできる。私はこんな罪を犯した。それを償うために、自分の持っているものを差し出します。神父様から言われた「償いの祈り」とは別に、具体的な方法をとることが、「免償」というわけです。

ここにパンフレットを用意しています。大聖年の意義・歴史・過ごし方など、だいたいの内容について、ここに書いてありますので、役に立つかと思います。

 

 

4 ヨハネパウロ二世大聖年の大勅書の紹介と具体的な行動

 

次に移ります。教皇様は「受肉の秘義」という書簡を発表しまして、その中で「大聖年」について詳しく話しておられます。この本をしばらく紹介しながら、私たちは大聖年をどのように過ごしていったらよいか、考えてみましょう

まず考えたいのは、大聖年は、どこで、どのように迎えるのでしょうかということです。どこでと言われれば、何よりもまずは、「聖地」です。エルサレム、ローマなどがこれに当たります。それから、教区の司教座聖堂と、司教様が定めた指定教会です。これらの聖堂を訪れることで、私たちは大聖年を祝うことができるということになります。

もちろん、条件としては、罪の赦しを受けるということ、ある規定の祈りをするということ、これがあって全免償を受けることができます。クリスマスから始まったこの大聖年の歩みの中で、私たちは、自分たちが意識的に巡礼をする、それを通しながら赦しを得る、ということができます。

いつからか。もう昨年のクリスマスから始まっていますが、来年の1月6日、主の御公現の祭日までです。

どのように、全免償を得られるのでしょうか。ここに、長崎教区報の昨年11月号の切り抜きがありますので、これを参考にして確認していきたいと思います。おもに、祈りによってと、活動によって、この二つの方法で免償が得られると考えてください。

 

一 準  備

 

◎ 信者はすべて、ふさわしい準備をしたうえで、大聖年の全期間(1999年12月25日〜2001年1月6日)を通して、次に定める規定にあるとおり、免償を享受できます。

◎ 免償によって、わたしたちは、悔い改めた罪、過ちについてはすでに赦免を受けた罪のための一時の罰を免除されます。

◎ 聖年の免償は、代願の形で、亡くなった人々の霊魂に適用することができます。

◎ 全免償は大聖年といえども、一日に一度だけ得ることができます。

 

二 規  定

 

◎ ゆるしの秘跡を受けること。一度ゆるしの秘跡を受けた後、相応の期間内に、告白を繰り返さないでも、毎日でも、全免償を受け、あるいは適用することができます。

◎ ミサ聖祭にあずかること。どの免償を受ける場合でもミサ拝聴は必要です。規定された信心業、あるいは善行を行う当日のミサ拝聴が適当です。

◎ 教皇の意向に従って祈ること。

◎ 司教座聖堂および他の指定教会の一つに巡礼、そこでミサ、あるいは朝、または夕の祈りのような典礼儀式、あるいは信心業(十字架の道行き、ロザリオ、聖母を称える祈り)を行うこと。

◎ 団体、または個人で、指定教会の一つ訪れ、そこでしばらくの間、黙想し、「主の祈り」と公認された式文のいずれかの信仰宣言と聖母マリアを呼び求める祈りを加えること。

◎ あらゆるところで、適当な時間、貧困、あるいは困難の中にある兄弟姉妹(病人、囚人、独居老人、障害者など)を訪問し、免償を得るためにいつも前提となる霊的条件、秘跡について、また祈りについての条件を果たすならば、このような訪問をする人に、一日一度の全免償が与えられます。

◎ 大聖年の全免償は、悔い改めの精神を効果的に、また物惜しみせずに現実に生かす種々のイニシアティブを通しても得ることができます。たとえば、一日の間、タバコを吸わない、あるいはアルコール飲料を飲まない、または、大斎、小斎を実行し、それらに相応する金額を貧しい人、あるいは宗教的、または、社会福祉施設に寄付すること。

あるいは、自分の自由な時間の適当な部分を共同体に役立つ諸活動にささげること。または、他のこれに類する個人的犠牲をささげること。

◎ 「禁域を義務づけられている修道士と修道女、そして、理由はどうであれ、自分の住んでいるところから外出できる状態にないすべての人は、特定の教会を訪問する代わりに、自分の住んでいるところの礼拝堂を訪問すればよい。それも不可能であれば、通常のやり方で規定された業を果たす人々と心を合わせ、祈りと苦しみと困難を神にささげることによって、免償を得ることができます」。

島本大司教様「大聖年教書」(教報11月号より)

 

 

5 日本の教会の動き・ほか債務取り消し運動(JUBILEE2000)について

 

 

小教区における大聖年の取り組み

私たち太田尾小教区では、教区の取り組みに応える形での取り組みと、小教区独自での取り組みを考えました。

まず、長崎教区の取り組みについては、祈りのリレーに参加することと、聖地巡礼の希望者を募りました。祈りのリレーは、地区ごとに、一年を通して祈り続けるための取り組みです。佐世保地区では、ご存知のように、一年をだいたい4週間ずつに割って受け持つようにしました。この祈りのリレーで大事だなぁと思っているのは、「宣教への熱意を求めて祈り続けるということでしょう。

次に、長崎教区が企画した「聖地巡礼」の呼びかけに、私たちの小教区からも巡礼者を送り出すことにしました。年間に6回の巡礼を組んでいたと思いますが、その中の6月14日からの分に、太田尾教会2名、間瀬教会3名の、計5名が参加いたします。

さて、聖地巡礼といっても、見ず知らずの土地に出かけることですから、おいそれと簡単には参加者を集めることはできませんでした。幸いに、私は昨年の8月に、イスラエルに巡礼旅行に行っておりましたので、たとえばイスラエルの聖地巡礼に行くと、聖書の出来事が本当に身近になって、聖書に親しみがわいてくるとか、イエス様が生まれ、育ち、そして最後には命を捧げたその土地を、実際にこの目で見、歩いて、確かめることで、キリスト教そのものがもっと身近に感じられることなどを、一生懸命語りました。

聖地巡礼に関しては、もう一つクリアしなければならない問題があります。それは、現実問題、ただで巡礼に行けるわけではありませんので、費用をどうやって捻出するかは、大きな問題です。

最初は、教会から派遣するという形で、すべて教会持ちにしてはどうかと考えていたのですが、どうもそれは非現実的なので、基本的には各自の負担ということで、それに中田神父が本人たちの励みになるように、多少の援助をする。そういう形に落ち着きました。

私が援助すると言いましたが、今回の巡礼の基金は、実はこちらの教会の黙想会謝礼を当て込んでいるんですね。これも中浜神父様がいらっしゃると大きな声では言いにくいんですが、私はある意味で稼ぎにきたんですよ。要するに出稼ぎです。出稼ぎで得た収入を基金にして、巡礼者が一人であれば、それを全部握って巡礼に行く、二人であれば山分けしていく。どうですか、巡礼に行ってくれませんか?こんなふうに励まして、巡礼希望者を募ったんですね。

基金を作ったはいいけれど、誰も呼びかけに答えて巡礼に行ってくれる人がいなかったらどうしよう。私はすごく心配していたのですが、幸いに、5名の巡礼希望者が出てくれたので、本音を言うとほっとしているところです。もちろん、今回だれも行く人が出てなければ、黙想会の謝礼はそっくり私のポケットに入るわけで、それはそれで良かったのですが、私としてはいい体験を積ませてあげたかったので、本当に胸をなで下ろしています。

小教区独自の行事として、私は「聖書通読リレー」を提案しました。これはもともと日本聖書協会というところが今年2000年に合わせて盛んに宣伝していたことなんですが、カトリック教会は、なかなか、聖書に本腰入れて親しむという機会を持っていないように思います。

 それで、とにかく、旧約聖書と新約聖書のすべてのみ言葉に触れよう、一人ではできなくても、みんなの力を合わせ、延べの人数でやって見ようではないか、そう考えたわけです。

やり方は、前もって案内をし、参加者を募って、その人たちで1日2時間、朝の10時と夜の7時に教会に集まり、聖書の朗読に耳を傾け、それを毎日リレーして、旧約聖書の1ページ目から、新約聖書の最後のページまで、完全に読みつなごうという壮大な計画です。

この聖書通読リレー、最初は巡回教会の間瀬教会で、2月の13日からスタートしておりまして、計画では聖木曜日か、聖金曜日に完全に読了しまして、実りある復活祭を迎える予定になっております。

聖書の通読と言っても、参加する人がすべて生の声で読み上げるのではありません。本来はそれが筋なのですが、今回は専門的に録音されたCDを流して、参加者はそれに合わせて聖書に目を通すという形を取っております。もし良ければ、担当の方、CDを流していただけるでしょうか。(しばらく様子を見ます)

こんなふうに流して、自分たちは聖書を手に持ち、目で追うわけです。小教区の信者全員のリレーで、目と耳から、「神のみ言葉」のすべてに、とにかく触れようではないか。私のそういう願いが込められています。

 

この計画を、本教会・巡回教会の両方の教会学校で話してみました。

 

「お父さんお母さん・おじいちゃんおばあちゃんで聖書を全部読み上げようと思っています。録音したCDを聞いていくわけだけど、この『創世記』から始まって『黙示録』の最後のページまで、全部で2364ページあるんだけれども、全部読み上げることが出来ると思う人」

 

誰も、ただの一人も手を挙げませんでした。あまり聞きたくなかったけれども、「できない」と思う人と尋ねたら、ほぼ全員が、さっと手を挙げたんです。念を押して、「絶対できっこない」と思う人、冗談ぽく尋ねたら、これにも3・4人は手を挙げました。

 

「それはあんまりやろう。『絶対』できないってや」

「うん。『絶対』できん。賭けてもよかよ」

 

さすがにこれにはがっくり来たんですが、一方では闘志が湧いてきました。「よーし、見とれよ。ぎゃふんと言わせてやるからな」。それは、夕方の子供のミサにあずかっておられた大人の人たちも同じ思いだったはずです。

ただ今のところ、2月13日の開始から、まるまる4週間が経過したところですが、ちょうど半分くらい、詩編の第100編を読み終えたところです。延べ人数590名、ページ数にして、937ページ、ずいぶん読み進んだものです。

朝10時の部はだいたい10名程度、夜の部は7、8名といったところですが、おかげさまで一日も途切れることなく、今日まで続いております。実はこうしている間も、聖書の朗読会は続いておりまして、私はその祈りに支えられて、いまこの黙想会の説教をさせていただいているようなものです。

 

細かな内容については、三回目の話で話しましたが、この「聖書朗読リレー」で私が期待していることは、「自分たちで、意識して、時間を聖なるものにかえていくことができる」そういう体験を積んでほしいということです。

時間は、神様が用意したものですから、あれこれ考えなくても、もともと「聖なるもの」「尊いもの」だと思います。「大聖年」と名前を付けなくても、去年も今年も、時間は神様が与えてくださった聖なる恵みではないでしょうか。

ただ、この「聖なる時間」を、本当に、「尊い過ごし方」で過ごすことができるのは、やはり人間しかいないわけです。ほかの生き物に、「今年は『大聖年』だから、聖なる時間の過ごし方を考えてください」とお願いしても、それはできないことです。ですが、私たちはそれができます。意識して、自分たちの工夫で、今までと違った、聖なる取り組みができるわけです。

そこで、私が考えたのは、聖なる書物である私たちの聖書に、実はほとんどの人が、あまり手を着けていないのではないか、ということでした。だったら、思い切って、全巻朗読して見ようではないか。そこから始まったのがこの「聖書通読リレー」だったわけです。

ほかの何でも良かったんですが、私が思いついた「聖なる時間の過ごし方はこれでした。一生涯に一回くらい、みんなの力で、聖書を全部読み通して、この大聖年の期間中聖なる時間の使い方をしよう。こんな気持ちで呼びかけをしました。きっと今年は、大きな喜びの中で復活祭を迎えることができると思っています。

 

日本の教会の動き

 

債務帳消し運動(JUBILEE2000)について

 

 

6 大聖年とは何か

 

答えがあるとしたら、それは、「大聖年は再起の年である」と言うことができるかと思います。それから「回心と償いの年」、そして「刷新の年」、こういった言葉が当てはまるかと思います。

今まで教会が歩んできた二千年、また自分が生きてきた五十年、あるいは六十年について、誤ったところ、赦しを願わないといけないところを正直に認めて、そこから再出発することをまずは心がけてみたらよいと思います。

大聖年に、巡礼が勧められていますが、そのねらいは、巡礼を通して、私たちが父なる神に向かって歩む年にするんだ、その具体的な形です。その歩みの中で一緒に歩んでくださる同伴者、それはキリスト様、さらに、わたしを中から燃え立たせてくださるのは聖霊、二千年を迎えるために、父なる神、聖霊、御子キリストと準備してきましたが、今年は、この三位の深い交わりの中に生きていく。これが大聖年ということになります。

大聖年に当たって、自分の至らなさをはっきり分かって、そして神様に全部を委ねて、神様に全部をゼロにしてもらうというのが大聖年を過ごすにあたっての大きな特徴です。しかも、これに付け加えて教皇様は次のように言われます。旧約聖書のヨベルの年は、社会的な問題に積極的に踏み込んでいった。

ただ自分の罪が赦されたと言うだけではダメなんですよと、社会的な、それはある時期は、お金を寄付するという形にすり替わったこともあったけど、そのお金をより良きことに向ける、自分の持っているものをより良き社会づくりのために使おうと勧めるわけです。

 赦しを願うのは、自分の罪を神に対してということは大切なことですが、教会として、社会に赦しを願うとか、個人として、他者に赦しを願うとか、こういったことも含まれています。「再起」「刷新」という姿勢をはっきり示してこの一年を過ごす。大聖年中のすぐれた生き方です。

 

 

いろいろ話しましたが、大聖年の詳しい内容と、長崎教区の取り組み、また、ひとつの例ですが、太田尾小教区の取り組みについても触れてみました。みなさんも、改めてこの大聖年をふさわしく過ごすための、何かの工夫をされる一助となればと思っています。

 

 

ほんとに長い間、おつき合いくださり、ありがとうございました。