一日目 分かりやすいがいちばん
「分かりにくくしている」部分には、私たちも挑戦しましょう
第二回 「信仰生活」をもっと分かりやすく
(本文中に引用した聖書は、すべて日本聖書協会発行の「聖書 新共同訳」です)
1 「分からない」を放っておくな
初めて赴任した浦上教会では、何もかもが分からないことの連続で、主任神父様に相づちを打てるようになるまで三年かかりました。「うそー」と思うかも知れませんが、主任神父様が尋ねたいことは主任神父様の頭の中にはあっても、私の頭にはありませんから、何を聞かれているのかすらも分かりません。
「よーい、今日はあの人は来るかな」
「えーと、あの人って」
「もうよか」
たとえばこんな調子でして、本当は、会計の深堀さんが昼から訪ねてくる日で、用事があるから応接室に通しておいてくれという用件だったりするわけです。自分の任せられた仕事だけでなく、主任神父様のスケジュールについても、ほぼ完璧に頭に入れていないと、聞かれたことに返事ができないのです。もちろん、慣れればたいしたことはないのですが。
こんな場合、「分からない」からと言って、それをそのまま放っておくと、同じことが起こったときにまた同じ失敗を繰り返してしまいます。「新米」だから許される時期もありますが、浦上教会の忙しさの中では、そうそう暢気なことは言っておられません。ある程度、主任神父様の手足になれなければ、「助任司祭」として失格なのです。
三年かかりはしましたが、四年目、五年目は本当に楽しい時期でした。忙しくても、いろんなことが見えていますので、狼狽えることがありません。またこれまでの信徒とのつながりの中で、適材適所に人をお願いすることができるようになりました。もちろん私が知っている範囲の人を使うことになりますが、なんにも分からない中で仕事をするのとは能率が全然違ってきます。言われたことだけ、今必要なことだけこなして三年間過ごしていたら、これほど実りある四年目、五年目を過ごすことはできなかったでしょう。
同じことは、みなさん一人ひとりにも当てはまることだと思います。「告解の仕方の前と変わってしまって、よう分からん」。こんな方もおられるでしょう。どうして、「よう分からん」で済ましてしまうのでしょうか。祈祷書に、新しい赦しの秘跡の進め方が書いてありますが、「償いの祈り」のところには、「従来の『痛悔の祈り』を唱えても良い」と書いてあります。あとのことは、落ち着いて、ゆっくり目を通せば、そんなに狼狽えることはありません。
赦しの秘跡が出たので、ついでに話しますが、私は忘れられない出来事がありました。その人はまあ年輩の男性だったと思うのですが、「昔の仕方でお願いします」と言って告解を始めたんですね。
「神父様、昔の仕方でお願いします。
実際は、8年前に神父になった中田神父が、昔の告解の仕方を知っているはずもありませんが、まあ何とかなるだろうと思って、黙って聞いていました。
「父と子と聖霊とのみ名によって。アーメン。前の告解は○○月です。罪はこれこれです。終わりです」。
あら?もう終わったの?「昔の仕方」と言うからですね、「かく覚えたる罪と洗礼以来犯したる罪とをことごとく痛悔し、これが赦しと償いの恩典をこい求め奉る」と来るのかなぁと思っていたんですが、「終わりです」で本当に終わりだったみたいで、私が呆気にとられて言葉を継げないでいたら、「神父様、終わりです」とまた催促されまして、慌てて償いとしてこれこれの祈りをと続けました。
いやー驚きました。「昔の仕方でお願いします」と言ったのですから、きっと昔の仕方なのでしょうが、それにしても昔の仕方は進んでいます。なーんにも飾りはなくて、すぐに始まってすぐに終わるんですから。
昔の仕方とか、新しい仕方とか言っていますが、そのおじさんのことを考えあわせると、そんなに変わっちゃいませんよ。安心して告解を受けに来てください。とにかく、「分からない」を放っておいてはだめです。
変わったと感じるようでしたら(本当はそんなに狼狽えるほどのことはないんですが)、「どこがどう変わったのか」実際に確かめてみることです。難しいことはありません。告解場に行って、受けてみればいいんです。一回で分からなければ、もう一回行って確かめてみればいい。誰もとって食ったりはしませんから、安心して告白したらいいんです。
昔、「終油の秘跡」と言っていた秘跡があります。今、「病者の塗油」と言いますが、これは、呼び方が変わっただけではなくて、この秘跡が昔よりももっと深められて、意味が豊かになったので、呼び方を変えたと考えてください。
「終油の秘跡」と言っていた頃は、この秘跡は「臨終に際して、生涯に一度だけ授けるもの」と考えられ、神父様もまた同じように教えていたと思います。教会は、この秘跡が本当にそれだけの力しかないのか、臨終になるまで、この秘跡は役に立たない、「宝の持ち腐れ」のようなものか、もう一度研究しました。
今の「病者の塗油の秘跡」の儀式書がここにあります。拡大して大きくしたコピーも、10部ほど用意しています。あとでご覧になってその目で確かめてほしいのですが、「あー神よ、この人は臨終でもう駄目です。死ぬ前にこの病人に力を与えてください」なんてことはどこにも書いていません。
むしろ、「この病人に油を塗り、強め、励ます」ということを切々と書いてあるのがよくわかると思います。大きな手術を前にしてとか、命の危険が迫っているときには、生涯に一回だけなんてケチなことは言わないで、二度でも三度でも受けることができるんです。
しらみつぶしに、儀式書を読んで構いません。これは神父様だけが見るもので、信者は見てはいけないのだ、見たら目がつぶれるのだとか、そんなことは決してありませんから。今までよく分からずに、「あー今頃は『病者の塗油』って言うらしい」それで済ませていたかもしれませんが、この黙想会で、何回でも言いますし、やかましいくらいに言いますが、「よく分からない」をそのまま放っておかないでください。放っておかないでください。もう一回言いましょうか。「放っておかないでください」
なんで放っておいてはいけないか。放っておいたら、「病者の塗油の秘跡」が本当に必要になったとき、いよいよになったときに説明する暇がなくなってしまうからです。何なら、もっと「分かりやすく」説明しましょうか?
「はあー。『病者の塗油』ば授けんばやろうね」
「授けんばやろうねぇ」
「ばって本人が『うん』て言うやろうか」
「知らん」
「わいが言うてみろ」
「嫌ばい!何で俺が言わんばとや。わいが言え!」
「嫌ばい」
こんなふうになるんです。ちゃーんと、おりおりに「よく分からない」ことを「分かりやすく」しておく理由が、これでよく分かったと思います。
「大斎・小斎」はどうなったんでしょうか。祈祷書の18ページには、「公教会の六つの掟」が書いてあります。その中の第四と第五を読みますと、第四「定められたる期日には大斎を守るべし」、第五「定められたる期日には小斎を守るべし」とあります。
「定められたる期日」って、いつのことですか?それから、昔は金曜日は肉は食べなかった。今はどうなっているのか、「よく分からない」。「分からない」を放っておいてはいけません!放っておいてはいけません!放っておいてはいけないのです。
さっそく、「よく分かる」ようにしましょう。私の手元にあるこの本は、たいていの人がお世話になった「公教要理」です。その、372番を読んでみます。
問:教会の掟はいくつありますか。
答:教会の掟はたくさんありますが、信者一般に関するものは、次の六つあります。
一、 主日と守るべき祝日に労働を休み、ミサ聖祭に与ること
二、 少なくとも年に一度ゆるしの秘跡を受けること
三、 少なくとも年に一度、復活祭のころ聖体を拝領すること
四、 灰の水曜日と聖金曜日に、大斎小斎を守ること
五、 金曜日に小斎または償いの業をすること
六、 それぞれの分に応じて教会維持費を負担すること
第四、灰の水曜日と聖金曜日に、大斎を守ること。ここにちゃーんと指定してあります。灰の水曜日と、聖金曜日、この二つです。これら両方の日は、義務があります。念のため、大斎は、一日一食することで、朝は少量、晩は通常の半分くらい食べることができます。小斎は肉類を食べないことです。
毎週金曜日はどうなった?公教要理に書いてある教会の掟の第五に、「金曜日に小斎または償いの業をすること」とあります。金曜日の小斎はなくなっていませんが、義務ではありません。小斎の代わりに、償いの業を行うこともできます。
どうです?「よく分からない」ままで、これまで半信半疑で暮らしてはいませんでしたか?あるいは、初めて聞いたという人はいませんか。「よく分からない」で放っておくのと、「はっきり分かる」ようになるのとは、天と地ほどの違いがあるのです
2 中田神父が体験した「解放」
みなさんは、悲しくて泣くのではなくて、感激してとか、感極まって泣いたということがありますか?ちょっと目頭が熱くなるってことはちょいちょいあるかもしれませんが、なかなか感極まってというようなことはないかもしれません。
私は神父として、心の底から感情がこみ上げて、泣きはらしたことがあります。2年4ヶ月前の11月17日の、朝ミサの時です。事情を説明しないと「エー?」と思うかもしれません。私はその日、滑石教会の祭壇に立って、竹山 凉 神父様の遺体を目の前に置いて、ミサを捧げていました。
前の日の晩、重症肺炎のために神父様は亡くなられたのですが、私たちは臨終を看取り、遺体に祭服を着せて、棺におさめた後も、まだ信じられなくて、だまって棺桶を眺めるだけでした。
あるじを失って、皆が涙に暮れているときも、私は涙もどうやって流せばよいのか分からないくらい動揺していました。そんな中でも、「主任神父様が亡くなって、気を落としている今、助任神父の私が取り乱してはいけない!」そんな思いがあったものですから、できる限り毅然として、必要な指示を一つひとつ役員さんに飛ばして、その日一日が過ぎました。
明けて水曜日の朝、棺のもとに留まった信者さん、急報を聞いて駆けつけた信者さんと一緒に、その日のミサを行いました。大司教区としての葬儀ミサは、翌日になっていましたので、私たちは静かに、今は亡き竹山神父様と一緒に、11月17日のミサを静かに捧げたのでした。
ミサに与ったほとんどの人が、しくしく泣きながらミサに与っていました。私は、冷たいようですが、皆につられることもなく、しずしずとミサを進めていたのです。ところが、思いがけないところで、私の緊張の糸が切れることになります。
その日の福音朗読は、マルコ福音書の6章30節から34節でした。決められた通りの朗読箇所で、特別どこかを選んで朗読したわけではありません。次のような箇所です。
6:30 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちがおこな行ったことや教えたことを残らず報告した。
6:31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
6:32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
私は普段から毎日短い説教をしていましたので、その日もいつも通り、短い話をし始めました。「私たちは昨日から今日にかけて、つらく悲しい時間を共に過ごしてきました。あるじを失った私たちは、まさしく、今日の聖書朗読にあるような「飼い主のいない羊」のようです。
ですが、私は決して失望したりしません。飼い主のいない有様の群衆を見て、イエス様はどうされましたか?彼らをあわれみ、いろいろと話し始めたとあるではないですか。
今こそ、このお優しいイエス様を信じようではありませんか。天の神様が、私たち滑石小教区の信徒を、このままみなしごには決してなさいません。きっと、時を移さず、すばらしい羊飼いを送ってくださるはずです。神様が、私たちを見捨てるはずがありません。
あとは、もう涙で目の前は見えなくなりました。後にも先にも、あんなことはないのではと思うのですが、説教を何とか終えたあとも、私は涙が止まらず、「天にまします」も、聖体拝領の言葉も、「ミサ聖祭を終わります」という言葉も、ずっと涙が止まりませんでした。これは大袈裟でも何でもなくて、ずっと泣きはらして、ミサを続けたんです。
ミサが終わり、普段は玄関に出て信者を送るのですが、その日はそのまま自分の部屋に入りました。「ふう」と一息つくと、思い出してまた涙が出たんです。不思議ですね。泣いているのに、今度は笑っているんです。「あー、自分も思いっきり泣くことができた。あー、鳴きたい時に泣くって、こんなに気持ちいいことなんだ」そんなことを思いました。みなさんには不謹慎に映るでしょうか。
なんだか気持ちがスカッとしたと同時に、解放され、肩の荷が下りた気分でした。皆さんは、神父様って、トイレにも行かない、お尻からぷうっとやらかしたり決してしない、そう思っているでしょ。違いますか?
そうじゃないんですよ。やっぱり神父様もトイレに行くんです。泣きたい時もあるんです。神父様が最後に教えてくださったのは、「笑いたいときは笑え、泣きたいときは泣け」だったのかなぁと、今振り返って思います。
神父様死んでしまったから言いますが、もうたいがい口の悪い神父様でしたよ。心は最高にいいんですけど、口は悪かったぁ。「あーもう疲れた。死にそう」と言おうものなら、「死ねぇ」と平気で言い返す人でした。「かなわんなぁ」と思ったことは、一度や二度ではありません。
だいたいが赴任する前から「この神父様はきついなぁ」と思うようなことがあったんです。私が滑石教会の辞令をもらった直後でしたが、その滑石教会の主任神父様が、浦上の葬式のミサに顔を出したんです。ミサが始まる前に、司祭館に立ち寄ったので、私はここでまずゴマすろうと思ってですね、さっとスリッパを出しながら、「今度四月からお世話になります」と、さりげなく挨拶したんです。
何と言ったと思いますか?「お前か。今度来るっていう神父は。もっとピチピチしたとばもらわるって思うとったとに。お前ならいらん」。いやもう、これはやおいかんぞと思いましたよ。
誰も止めなければ、舅爺の悪口をいつまでも話すこともできるんですが、こんなこと言えるのも、私をどこまでも可愛がってくださった竹山神父様だからなんです。憎んでいる人の悪口は、気持ちにそれが伝わります。私は全然悪意はないんです。こうやって鍛われて、愛されましたということを皆さんに言いたいんです。
滑石には1年しかいませんでしたが、私は3年分くらいあそこで勉強させてもらいました。浦上の川添神父様もそうだったのですが、何より、「分かりやすい」主任神父様に育ててもらったのは、今でも私の財産です。人に「分かりやすくなれ」と説教するのですから、自分真っ先に、分かりやすい人間でないと駄目です。そういう意味では、皆さんの主任神父様はすっごく分かりやすい神父様ですから、最高の神父様なんです。
3 他人事と思っていないでしょうね
これまでいろいろ話してきたんですが、一つ心配事があります。それは、「今までの話、他人事だと思っていやしないだろうか」ということです。
ほうほう、なるほど、へぇー。頷くのにどんな声を出しても構いませんが、それで終わってしまって、他人事で済ませてもらっては、せっかく船に乗って(この言葉は橋の架かった人間にはちょっと優越感を感じますねぇ)ここまできた甲斐がありません。「誰か別の人の話」「私のことじゃない」と、まさか、まさか思っていないでしょうね。
それとも何ですか。「私は、頭のてっぺんから爪の先まで、分かりやすい人間です」そういう人がおられて、私の説教など、可笑しくて聞いていられないという方がおられるのでしょうか。
もし本当に、そういう分かりやすい人がいるとしても、あなた一人がそうであっても駄目なんです。あなたの家族、あなたが集うこの教会が、全体として分かりやすい神の家族にならなければ、完全とは言えないのです。
こういう時、自分とこの神父さんじゃなくて、よその神父さんは言い易いですねぇ。「おたくの教会、今のままで分かりやすいと言えるんですか」。もちろん、今年一年、太田尾教会でも同じテーマに取り組むわけですが、私が太田尾教会で同じことを言えば、真っ先に「そう言うあなたはどうなのよ」ということになってしまいます。ですが、こちらで話す分には、痛くも痒くもありません。
無責任に言っているんじゃないんですよ。外から言った方がいいこともあるでしょうから、出しゃばって言っているだけのことです。もし今のままで十分、私の家族、夫と妻、あるいは教会の活動、経済問題、子供の宗教教育など、すべて、みんなに自慢したいほど「分かりやすい」ですよと、胸を張って言えますか?
もしそうであれば、あと残りの時間、10分くらいあるでしょうか、この時間は休み時間に回しても結構です。神父さん失礼なことを言うな!私たちの小教区は、どこを取っても、どこから切っても、分かりやすい小教区だ。本当にそうお思いでしたら、遠慮はいりません。手を挙げてください。即座に二回目の話を終わります。いかがでしょうか。(しばらく様子を見ることにしましょう)
4 典礼・信仰養成・教会運営
どうやら、残りの時間も一緒に考えた方が良さそうですので、もう少し具体的に取り上げてみたいと思います。
典礼からいきましょう。ミサにまったく行かずに、「私は定期的に、神に礼拝を捧げている」と言い張るのは、誰にとっても分かりにくい。また、朝晩の祈りを唱えずに、「私は日々の生活の中に神を迎え入れている」ということを説明するのも難しい。ここら辺のことはもう言いましたので省きます。このあたりを問題にしている人は、問題外。
ミサに長いことご無沙汰していた人は(そんな人が今ここに座っているかどうかも問題ですが)、とにかくこの場所に座ってみればいいんです。何年も何十年も遠ざかっていた人に、やれ聖書を読め、共同祈願を言えと、最初から目敏く見つけてお願いにやって来るほど度胸のある人はいませんよ。割り切っていきましょう。ご無沙汰していた人は、とにかく終わるまでそこに座ることから始めてください。
祈りも、今まで全然やってこなかった人に、一から十まできちんと唱えなさいとは言いませんから、「天にまします」「めでたし」「願わくは」くらいから始めてはいかがでしょうか。これなら、何から生活を直していけばよいか分からない人にも「分かりやすい」でしょ。
「ミサ拝聴は、遠くにあって思うもの」ですか?とんでもない。神父様が背中を向けてミサを捧げていた時代はともかく、今は向き合ってミサを捧げていますから、本当は思い切って、祭壇を教会の中央部分に作ってもいいんです。周囲をぐるりと皆さんが取り囲んで、「キリストを囲んで一つになる」祭りを捧げていい。私はそう思っています。自分のところからは様子は見えないし、何をやっているのか、「よく分からない」。
「分からない」を放っておかないでください。私は、5年ほど前に、修道会の神父様の叙階式に与ったことがあります。その神父様は私の同級生でしたが、修道会での準備は、私たち教区司祭よりも長い長い準備をいたしますので、司祭になるのは、3年ほど後になってしまいました。
叙階式は、まぁどこでも同じようなことなのですが、叙階式を行った、東京の八王子市の修道院にある聖堂が、ちょっと変わった作りをしていました。先ほど言っていた、「祭壇が真ん中に据え付けてある」聖堂だったんです。信者さんは、ぐるっと周りを囲んで、ミサを捧げる様子はもちろん、同級生の澤田君が、司祭に叙階され、祭服を着る様子などが、前からも後ろからも、すべて余すところなく見ることができ、まあちょっと言ってみると、すべてを信者さんと分け合って儀式が進んでいったという印象を受けました。
従来の、祭壇をいちばん真ん前に置くやり方が、どのようにして定着してきたのか、私は詳しく調べておりませんが、実際に祭壇を中央に置いてある教会堂があるのですから、中央に置くことも許されるのだと思います。
私は、いろんな不都合は覚悟の上で言いますが、祭壇を中央に置くメリットはあるだろうなぁと思っています。要するに、「キリストを囲んで、一つになる」というメッセージを、「分かりやすく」形にすることができるからです。
試しに、私のこの黙想会の説教を、皆さんの中に入って、中央でやってみましょうか。きっと、皆さんは私がすぐ近くにいると感じると思います。もしかしたら、近すぎて困るという人もいるかもしれませんが。
そして、みんなに囲まれていると言うことは、司祭にとっては少しストレスが増えることになりますが、受け止め方によっては、皆さんとの一体感を、ものすごく「分かりやすく」感じる一つの方法だと思います。しょっちゅうとは言いませんが、たまには、みんなで祭壇を囲んで、みんなが一つになるという「一体感」を、こういう形で味わってみるのも、「ミサを身近に感じていく」一つの方法ではないでしょうか。
次に、信仰養成ということについて考えてみましょう。小学生・中学生に当てはめると、それは「教会学校」と言うことになりますし、大人に当てはめると、「大人の稽古」と言うことになるでしょうか。
うちの小学生は本当に「分かりやすい」子供たちです。それはもう、呆れるくらいと言ってもいいでしょう。「よく分かっている」「よく分かっていない」どちらの場合も、私の目で見て「よく分かる」子供たちです。
太田尾小教区は、本教会の太田尾教会と、巡回教会の間瀬教会とがありまして、太田尾に属している子供が15名、間瀬に属している子供が16名います。小学生のお勉強は、シスターたちが引き受けておりまして、賑やかにやっているようです。
時々、「こりぁどうもシスターの言うことを聞いてとらんなぁ」と思えるときがあって、「こらー!」と叫びに言ったりしますが、よく頑張ってくれています。
その日は、子供たちと夕方のミサをするのですが、説教の時間を使って、私なりの「稽古」をまたするわけです。たとえば、つい先ほどまで太田尾小教区に回ってきていた「祈りのリレー」について、祭壇に飾っている十字架や、ローソク、垂れ幕(バンナ)に、「当然気づくだろう」と思って話を始めます。
「良い子のみなさーん。この前の教会学校の時と、今日とでは、教会の中が何か違っていませんか」。
当然、「あっ!ローソクが置いてある」「垂れ幕が掛かっている」「十字架が置いてる」と目敏く見つけてくれるものと思って尋ねるわけですが、見事です。
「神父様、何も変わっとらん」
「嘘やろう。変わっとらんか?」「変わっとらん」
「本当に?」「うん」
ここまで言われると、もうズルッと滑ってしまいます。あるいは、穴があったら入りたい気分です。「親はどう思うだろうなぁ」と同時に思うのですが、そういう意味では、時々は教会学校も、授業参観日を作ってみても良いかもしれません。
子供の宗教教育は、シスターと神父様の専売特許だと思っているかもしれませんが、まずはご両親が、いちばん心配すべき事です。そういう意味で、皆さんのところでも、授業参観、どうですか。やってみませんか。
中学生。中学生はちっとはましかも知れませんね。14名いるうち、どうしても通わない生徒が1名、通信のレポートを受けている子供が2名、あと11名が実際に顔を出していますが、私が来た当初、こんな事がありました。それは、当時の中学3年生で、今は高校生になっている子供の一言から始まりました。
「神父様、質問があります」
「どうした」
「どうして、私たちの教会には、聖歌隊がないんですか」
「うーん、よく分からんけど。そんなら、中学生で聖歌隊を作るか」
「やったぁ!」
私は、これを奇跡と言わずに、何を奇跡と言うんだろうかと思うくらい、うれしくて飛び上がりたいくらいでした。ですが、私には手放しで喜べない事情がありました。この中学生は、教会学校には感心するほど来るのですが、ミサに来る子供は限られた子供しか来てなかったからです。
聞くのが怖かったのですが、念のため、聞いてみました。
「それで、ミサには来るとや?」
「ああ、そうっかあー」
「ああ、そうっかあー」ってお前、来ればいいことやんかと頭ごなしに言いたかったのですが、何とか、中学生のやる気を汲んであげたいと思っていましたから、思わせぶりに、こう言ったわけです。「それじゃあ、聖歌隊はなしだなぁ」。
そしたら、敵も然る者で、こう切り返してきました。「分かったぁ!クリスマス聖歌隊ってのはどう?クリスマスにはミサに行きますから。ねぇ、神父様、それでいいでしょう」
「バカタレ」と思いましたが、聖歌隊を作りましょうと言われて、悪い気はしませんから、待降節になったら、クリスマスに向けて聖歌隊を組むことにしました。中学生は、教会学校を一時間したあと、さらに一時間、大人と一緒に歌の練習です。
自分で決めたことには、今時の中学生も努力するんですねぇ。一言も文句言わずに、ずっとやり通しまして、クリスマスの聖歌は、それはもうすばらしいものになりました。
中学生は、夢とか理想はいっぱい持っているんです。それが現実問題と時々かみ合っていなかったりします。聖歌隊を作りましょうと言いますが、自分たちが日曜日のミサに来ていないことには気づいていません。
ですが、「あなた、肝心なところが分かっていないよ」と指摘すれば、すぐに切り替えができるのも、中学生の良いところです。今はやっと、中学生も日曜日のミサにきちんと来るようになりつつあります。「分かっていない」ということが、自分たちで「分かっている」分、小学生とは違います。黒島教会の中学生は、どんな様子でしょうか。
大人の稽古のことも話したかったのですが、ちょっと時間がないみたいですので、最後にもう一点だけ話しておきます。
これはみんなに分かってとは言いません。思い当たった人だけで結構です。思い当たる節をたどって、そこから、「自分たちは、どうすればいいだろうか」と考えて、取るべき態度を考えてみてください。
教会の使徒職活動には、見える活動の部分と、見えない活動の部分とがあるのではないでしょうか。一つの行事を例に取ると、計画を立てることは「見えない活動の部分」で、それをある日、実行に移すのが「見える活動」ということになります。「見える」部分はまぁいいのですが、「見えない」部分は、果たして「分かりやすく」なっているでしょうか。
計画は、誰が、どのように立てているのか、考えたことがありますか?神父様が一人で何でも計画していますか?今のご時世に、そんなことはあり得ないでしょう。何人かで、話し合っていると思います。
行事を振り返ってみて、「こんなことを考えておけば良かったなぁ」とか思うこともあるでしょう。気づいたことや、反省として残ったことを、具体的に取り上げていく何かの手段がありますか?
「昨年の反省として、こういうことが出ていました。今年は、それを踏まえて、こうしましょう」「昨年よりも今年、こういう所を改善しました」。ぜひこうした努力の積み重ねは、記録に残しておいたほうが良いと思います。
できれば、その記録はみんなが手に取って見ることができるように、総会の資料として用意しておくとか、この「見えない部分」を「分かりやすく」することは、これからの教会運営にとって、大切なことではないかと思っています。
教会運営に関わるあらゆる点を、この際振り返ってみてください。丸裸にする必要はないかも知れませんが、もし腹を割って話し合う、意見を出し合うと、「ここはもう少し分かりやすくしたほうがいい」「ここはこう出来るのではないか」いろいろと感じる点が出てくるかも知れません。
私はこれ以上は言いません。あとは、皆さんがどう判断するかです。教会運営を「分かりやすく」するためには、この時間に話したほかのどの点よりも、デリケートな問題でしょうから、慎重に考える必要があるかと思います。
何事も、「分かりやすく」できるはずです。聖霊の照らしを願いながら、「もっともっと分かりやすい」教会に生まれ変わっていくことができるよう、これからも祈っていくことにいたしましょう。