主日の福音1993,10,17
年間第二十九主日(MT 22:15-21)
納めるべきもの
神のものは神に返す
(ナイスの開会式ミサは、二十一日、午後二時からです。)
今日の福音ですぐに気がつくのは、イエス様に近づいたファリサイ派の人々とヘロデ派の人々が、イエス様に罠をかけようとしているという点です。その罠とは彼らがいつも気になっていたローマへの納税問題でした。この罠を見破り、さらに彼らの心を神への正しい道に導くイエス様を、今日は黙想いたしましょう。
当時の人々は、ローマ皇帝に税を納めるべきかどうかをめぐって意見が二つに分かれていました。一方にはローマへの協力と引き換えにローマからの支持を期待したヘロデ支持者(ヘロデ党)がいるかと思えば、もう一方には外国支配を力づくで排除しようと試みる熱心党もいました。
ファリサイ派は心情的には熱心党に近く、納税に消極的でしたが、ローマ支配の現実は無視することもできず、納税に不承不承応じていました。ヘロデ党にしても本心ではローマの支配を快くは思っていませんでした。いずれにしても、納税問題はイエス様を罠に陥れる格好の材料となりえたわけです。納税すべきだといえば、民衆の支持を冷ますことができるし、納税を断れば、ローマに訴える口実になります。イエス様を追放する、またとないチャンスでした。
イエス様はこの問題を真正面から取り上げようとはしませんでした。そのかわりに、彼らの生活態度と結び付けられました。彼らの日常は神から遠く離れ、自分中心で、損得勘定が先に立った生活でした。
蓄えを増やすためには、日頃にがにがしく思っているローマ皇帝の肖像が描かれた貨幣であっても、喜んで蓄えるのに、それを手放す納税の問題になると、律法を持ち出します。イエス様がデナリ銀貨を持ってこさせたのは、彼らに自分たちの日常を思い出させるためだったのです。彼らは、イエス様に断言されたように、言葉と生活が一致していない偽善者だったのです。
イエス様は彼ら自信に、「これは、誰の肖像と銘か」と尋ねて、確認を取ります。その上で、「では皇帝のものは皇帝に返して、少しもおかしいことはないじゃないか」と答えます。実はここには皮肉が込められています。日頃はローマ皇帝の肖像なとお構いなく生活しているのに、税を払うときになると敬虔なふりをする事を、鋭く指摘しているのです。本性は、「ローマ皇帝など何とも思っちゃいない」わけだから、税金も平気な顔で支払ったらいいではないか、それがあなたたちのやり方なのだろう、と言いたいのです。
イエス様の答は、彼らの罠を見破るだけにとどまりません。つけ加えて、「神のものは神に返しなさい」と言われます。もし納税だけが問題にされるなら、この付け加えは必要ありません。にもかかわらず「神のものは神へ」と言い足したのは、そこにイエス様が本当に言いたいことがあるからです。
実際、皇帝の肖像と銘がデナリ銀貨に刻まれているように、人間一人一人にも肖像と銘が刻まれています。神に直接刻まれた顔と、人間という名前があるのです。人は神にかたどって造られていますし、神の掟は心の中に刻まれています。そうであるなら、神のものである人間一人一人は、神に属すべきであり、神から離れた「偽善者」であってはならないのです。
確かに、神によって人間に刻まれ、神から与えられた故に貴いものがたくさんあります。私の命、私が今日まで生きてこられたと言うことも、人生の大切な場面でのこの出会い、あの共を与え、それによって支え、助けてくださったのも、すべて神から来ているのではないでしょうか。
そうであれば、私の持っているもので神から出ないものは何一つないことに気づきます。もう一度、キリストがつけ加えられた言葉を思い出しましょう。「神のものは神に返しなさい」。
本当は、神からいただいたものを、何一つ私たちは返すことができません。そこそこ使って、「神様、十分に使えなかった分は、おゆるしください」と言うのが、私たちにできる精いっぱいのことです。もっと、「今の私があるのは、神様のおかげ」ということをしっかりと理解し、感謝と賛美を絶やさないようにすべきではないでしょうか。
「神のものは神に」と言われても、返すすべを持たない私たちですから、感謝と賛美をもって、この与えられた一日を精いっぱい過ごすようにいたしましょう。
この家庭に、神様の祝福と支えが刻み込まれています。この夫婦の間に、この共同体の中に、「共にいてくださる」キリストの像が刻まれています。絶えずこの点に目を向け、神に喜ばれる生活へと整えていく毎日の積み重ねでもって、少しでも「神のものを神に返す」ことができるよう、恵みを願いましょう。
最後に、木曜日からはいよいよナイスが始まります。日本の教会のため、家庭の中で生き続けようとする日本の信者のために、開会式のミサに参加して、お祈りください。木曜日の昼二時から、開会のミサが始まります。都合のつかれる方は、ぜひご参加ください。