主日の福音1992,00,00

年間第二十二主日(Lk 14:1,7-14)

大宴会

イエス様がひとりひとり席を用意してくださる

 

今日のイエス様のたとえ話の中で、次の言葉に注目してみましょう。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。これらのことは、招かれた人よりも、客を注意深く見ている招いた人の振る舞いによって起こっています。ですから、宴会に招いてくださった人の態度をよく観察しなければなりません。

どこから、招いた人の態度を知ることができるでしょうか。それは、「……される」「低くされる」「高められる」というところです。すなわち、私たちを宴会に呼んでくださった人は、私たち一人ひとりに心を配り、声をかけてくださるということです。そこで、私たちも普通の宴会から出発して、イエス様が招いてくださる宴会の席では、イエス様は私たちにどんな声をかけてくださるのか、考えてみましょう。

 

まだ私が大神学生だったとき、従兄弟の人が正式にシスターになる「誓願式」に招かれたことがありました。シスターは前もって案内の手紙といっしょに、食事のことも知らせてくれていました。「誓願式の後の食事はごちそうがいっぱい並ぶから、楽しみにしていてネ」。

「ごちそうか。よーし、食べるぞー!」そう思って誓願式に参加しました。ですからシスターのお祝いのことはほとんど頭の中にありませんでしたが、ごちそうの時だけは、「シスターのおかげ。感謝感謝」と思いました。

 

その日、いよいよ私にとっていちばん大事な宴会が始まりました。お世話をしてくださる人が近づいてきて、「お名前は」と尋ねてきました。それで、「中田輝次です」と言いますと、すぐに私の名札をおいてあるところに案内してくれました。「これでひと安心」と思った私は、目の前のごちそうを見て、「すごいなー」と心の中で言いました。

長い長ーい挨拶のあと、食事が始まりました。ところが、食事が始まってまもなく、案内の人が私に声をかけてきました。「失礼ですが、大神学生様でしょうか?」「そうですけど」「大神学生様の席は、向こうの枢機卿様の近くに用意してありますので、どうぞあちらの方でおくつろぎください」。「えっ!光栄ですけど、でもこの名札も、私の名前ですよ」「だれかが一般のお客様と勘違いして用意したのでしょう。ほんとうに、失礼いたしました」。

 

それから私は、複雑な気持ちで偉い人たちがいる席に進みました。

 

これは、宴会をお世話している人が、一人ひとりに気を配って、案内をしていたから起こったことです。たまたま、私の名札は、「大神学生様」というものと、「中田輝次」とがあって、私は勧められるままに「中田輝次」の名札のところにすわっていました。けれども「大神学生様」という名札の席がいつまでも空いていたので、案内する人は声をかけたわけです。「もっと上席に進んでください」。

 

招待された食事の席では、招いた人が私たちの席を決めてくださいます。これはよく考えておくべきだと思います。「私はこの席がいい」と思っていても、いつもその通りになるとは限りません。招待する人には、招待する人の考えている席順があり、招かれた人は、その勧めを受け入れる必要があるのです。

ここから、一つのことを知ることができます。普通の宴会で、招かれた人は招いた人の考えに合わせなければならないのですから、イエス様が招いてくださる宴会に私たちが出席するときには、なおさら、イエス様の勧めに忠実でなければなりません。イエス様は宴会にやってきた人すべてに目を注ぎ、それぞれに必要な言葉をかけてくださいます。「あなたはもっと上席に進んでください」「あなたはこの人に席を譲ってください」。

 

イエス様が私たちの席を決めてくださる。これはとてもすばらしいことです。私たちの心の状態を知り、私たちにいちばんふさわしい席を用意してくださる。よく調えられた席で、イエス様といっしょに食事をする。これが私たちを招いてくださったイエス様のもてなしです。

ところが、私たちはしばしば、それとは知らずに乱暴な態度をとるのです。「私だったらこれくらいの扱いを受けて当然だ。この席にすわるのは当たり前だ」。本当にそうでしょうか。私たちは、自分自身を本当に正しく評価できるのでしょうか。自分で自分にいくらかの値をつける人にこそ、イエス様は近づいてきて、「その席はこの人に譲ってください」と言われるのではないでしょうか。

 

宴会の席で、いちばん隅の席につく用意のできている人は、この点で違っていると思います。自分で自分をひとかどの者と決めたりしません。むしろ、宴会に招かれたことをすなおに受け入れて、喜びに満ちています。招いた方は、すぐにその人と気付いて、「さあ、もっと上席に進んでください」と声をかけます。すべての客に目を注ぐ主人に、信頼していたこの人は、予想もしていなかった賞賛や、面目といったものを、すべて主人のおかげで得るわけです。

 

イエス様が招待し、イエス様がもてなす最高の宴会はなんでしょうか。それはミサ、神の子羊の食卓です。私たちはミサの宴に招かれて、いったいどんな振る舞いをするのでしょうか。あなたが心の中で自分のために用意している席は、どんな席でしょうか。

腰掛けている席は特等席ですか、いちばん隅っこの席ですか。特等席を自分のために用意している人には、イエス様がおいでになるのですから、「席を譲ってください」と言われ、すべての自尊心を砕かれることでしょう。けれどもあなたが心の中でイエス様の食卓につくことだけでもすばらしいことと思い、末席を用意してイエス様をお迎えしたのなら、イエス様から喜ばしい声を聞くでしょう。