主日の説教 1991,08,18
年間第二十主日(Jn 6:51-59)
聖体に養われる
効果的な人生設計のために
今日イエズス様は、わたしたちの生活設計の中心となる教えを示されます。わたしたちが見定め、そのために積み重ねていくべき、効果的なプランは何か、イエズス様は具体的にされます。
人はだれでも、その一生が悔いの残らないものとなるように、自らの生活設計をし、そのプランを実現するために、あらゆる努力を払うものです。ところが、人間の立てる計画には限りがありますから、努力しがいのある計画もあるでしょうが、なかには無駄な努力に終わるものもあります。一生を左右する計画が、根本から狂っていれば、その人の人生はいったい何になるのでしょうか。
イエズス様は、わたしたちが信者として、「救い」という最高の目標に到達するために、確実な道を示してくださいました。それは、今日の福音によれば、「キリストという命のパンに養われて生きる」という道であります。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」。イエズス様が示される、この確実な道は、具体的にどのように歩んでいくことができるのでしょうか。
わたしたちは、これまで歩んできた年月に応じて、人生の実りが、日々の努力の積み重ねであることをよく知っています。一方で華々しい表舞台の時期があるのですが、そこにいたるためには、隠れた下積みの日々があるわけです。
信仰生活においても同じです。洗礼によって神の子とされたわたしたちは、キリストと同じ復活の栄光にあずかることを目標に、それぞれの人生を送るわけですが、この輝かしい恵みにあずかるためには、日々それにふさわしい生活が求められるのです。それが「キリストという命のパンに養われて生きる」道なのです。
ここではっきりと、「聖体に養われて生きるわたしたち」を目の前において、生活設計を立ててみましょう。ある人は次のように言うかも知れません。「自分の人生でしょうが。面白おかしく、好きなようにやってどこが悪いとですか。最後は立派な臨終をすれば、それでよかでしょう」。この人は、最後の聖体拝領ができれば大丈夫、と言うのでしょうが、えてしてこのような人はよい臨終を迎えることができません。あわてふためき、自分を見失うのです。
わたしたちはむしろ、日頃からご聖体に近づき、今味わっている幸せに臨終のときにもあづかれるように準備しましょう。しばしばご聖体に近づいていた人が、臨終のときだけこの恵みにあづかることを怠るとは、考えにくいからです。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」。永遠の命を得、復活の栄光にあづかるこの人とは、最後だけ帳尻を合わせようとする人とは思えないのです。実際はその反対で、聖体拝領によって「いつもわたしのうちにおり、わたしもまたいつもその人のうちにいる」その人が、イエズス様と同じ栄光にあづかるのではないでしょうか。
わたしたちが最後に受ける報いは、聖体拝領を通しての毎日の神との出会いの積み重ねなのです。このことを普段の生活から体験したある人が、次のような物語を紹介しています。
「わたしはよく動物園にいきました。動物園というところは不思議なところで、毎度行くたびに、この前は見落としていたという動物を必ず見つけます。生涯のうち、何度動物園に行ったかわかりません。それでもいつも、なぜか見落としていた動物に出会うのです。
人からはよく、『あなたはこの動物園の動物のことをよく知っておられる』と言われたりします。けれどもそう言われれば言われるほど、『見落としている動物がいるのでは』という気持ちに駆られ、また動物園に足を運ぶのです。すると案の定、考えもしなかった動物に出会うのでした。
けれどもそのなかで特に印象に残っている動物がいます。わたしが最後まで、目にとまることのなかった、可愛らしい動物です。その動物をはじめて意識したとき、『どうして今まで気がつかなかったのだろう』と不思議に思いました。その動物は、いつも入り口でわたしを待ち受け、わたしに見つけてもらうことを願っていたのですが、わたしがいつも、足早に奥のほうへ入ってしまうので、かわいそうに気づいてもらえなかったのです。それは、このあたりでは少しも珍しくない、一匹のウサギだったのでした」。
わたしたちも、最後の最後に出会う方が、日頃から親しくしているはずのお方であることは、あまり意識しないのではないでしょうか。イエズス様と一つになる、イエズス様を顔と顔を合わせるように親しく交わる。天国で味わうであろう、この終わりのない喜びに、わたしたちはすでに、この地上で、聖体拝領を通してあづかることができるのです。
最後に、聖体拝領によって出会うイエズス様とは、どんなイエズス様であるか、はっきりと意識することにしましょう。言うまでもなく、わたしたちが一致を熱望するこのイエズス様は、世の救いのために、ご自分を死にわたされた方です。死にわたされ、ご自分を無にすることによって、わたしたちにすべてを与えてくださった方です。わたしたちは今まさに、このイエズス様と出会おうとしています。より深く、より親密に出会うために、イエズス様と同じ心を準備して、聖体に近づきましょう。そうして、みずからを無にすることによって、隣人を豊かにする生き方を学びましょう。
イエズス様みずから用意され、確かな救いへの道として示された、「イエズスに養われて生きる」生き方を、まずはみことばと聖体を通して体験しましょう。