主日の福音1993,08,08

年間第十九主日(MT 14:22-33)

生きる

大きな力につつまれて生きよう

 

 今日の福音は私たちに、信仰を保って生きるためのコツを教えていると思います。ここでも、大切なことは、イエス様とどのようにおつきあいしていくか、ということです。福音の出来事を実際の生活に当てはめて考えることにいたしましょう。

 

 私たちは(神様から)信仰の恵みを受けて、神の子としての日々を過ごしているわけですが、それはちょうど、小舟に身を任せて海の上にいるようなものです。生活全体を見渡せば、信仰が私を支えているといっても、それはごく僅かなものであり、広い海を見渡すと、信仰以外の種々の事柄が生活のほとんどを占めている場合が多いと思います。そしてこれら生活の大半を占めることがらに僅かの揺らぎが起こると、船は揺れ、不安になるのです。

 

 こういう場合、船には舵があって、たいていの場合は舵取り次第でその場を乗り切ることができます。ところが大風が来たときには、舵取りもままなりません。同じように生活を脅かす大きな出来事は、持っている信仰も舵取りの役目を十分に果たせず、戸惑うことになります。こんな場面が、今日イエス様が私たちに語りかけようとする場面だと思います。

 

 イエス様はこんな私たちに、どのように振る舞われるのでしょうか。福音では向かい風にあって船を漕ぎ悩んでいた弟子たちに、イエス様は近づき、「言葉と動作」でもって、恐怖におびえている弟子たちを力づけてくださっています。同じようにイエス様は、私たちにも励ましと力を与えてくださるのです。

 

 ときおり私たちは、自分自身の無力さを感じることがあります。呼びかけをしたけれども、応じてくれる人が少なかったり、勇気を持って声を出したのに、誰も共鳴してくれなかったりしたときは、何のための行動だったのだろうかと疑ったりします。ちょっとした不安が平常心を失わせ、大声を出したり、誰かに不満をぶつけたり、当たり散らしたり、ふだんでは考えられない行動に出ることもあります。こんな時、イエス様は私を訪れ、「安心しなさい」と声をかけてくださるのです。

 

 ここで私たちは、思い切ってイエス様に身をゆだねることが大切だと思います。「大きな力につつまれて生きる」決心をすることが、今の私に求められています。福音の中でペトロが言ったように、イエス様に信頼してしか起こり得ない変化に、自分をゆだねる必要があると思います。実際、私を心の底から変える力は、イエス様に信頼しきったときに、初めて実を結ぶのです。

 

 今ここで、一人の作家を紹介いたします。ソルジェニーツィンという、ロシアの作家です。彼は1970年にノーベル文学賞を受賞したのですが、そのときの言葉として、次のような祈りを唱えています。

 

「あなたとともに生きるのは、主よ、私の神よ、なんと易しいことでしょう。

あなたを信じるのは、いとも容易なことです。

 

心さわぎ、疑いに苦しみ、私の魂が弱り果てるとき、

いかに賢い者でも、今宵以後に思いを馳せること難しく、明日の存在をも知り得ぬとき。

 

ああ主よ、そのときにこそ、あなたは明らかな確信をお与えになる。

あなたが現存され、善への道が全く閉ざされぬよう、あなたご自身が配慮されることを。

 

地上的名声の頂におかれて、私の導かれてきた希望なき道を驚嘆しつつ、思いめぐらします。

この私が、はるかな地の果てにまで、あなたの光栄の反映を伝えることができたとは。

 

必要ある限り、私に道を開いてくださるのはあなた。

そしてもはや、私がそれをなしえなくなるとき、あなたは、他の人に業を委ねられるでしょう。」

 

 共産主義体制のもとにあって、数知れない拷問を受けた彼は、亡命し、宗教の自由を得てから、作品が知られるようになりました。誰もが、神様の助けを疑い、明日への希望をもてないとき、そのときがむしろ神様を確かに感じることのできるときだと言っています。

 

 イエス様は、私たちの人生が様々な風にあおられて不安定であることをよく知っておられます。そして助けの手を延べるとき、イエス様はのんびりと腰を上げるのではなく、「すぐに」「すぐさま」助け起こしてくださいます。ソルジェニーツィンの祈りに学び、言葉と行いで弟子たちをすぐに助けたイエス様に信頼して、この一週間を新たな気持ちで過ごすようにいたしましょう。