主日の福音1992,08,02
年間第十八主日(Lk 12:13-21)
この世の富
神に祝福される蓄え方もある

 今日の福音は、私たちに、神様の前に豊かになること、神様も喜ばれる富に心を向けることを勧めています。「用心しなさい」とイエス様が言われた貪欲と比べながら、私たちにできることを見つけることにしましょう。
 私たちには、たくさんもっているとその人の本当の心が現れてくるものがあります。それはお金と、やさしさです。やさしい心でいっぱいの人は、もっているやさしさを他の人にあげたいといつも思います。困っている人に出会ったり、苦労している人を見つけたりしたときはとくにそうです。そしてやさしさは、人に与えれば与えるほど、私の心の中で広がって、前よりもずっと大きくなります。
 やさしい心でいっぱいの人は、どんな人でも、それを人に喜んであげます。「もったいないなー」と思ったりすることはありません。もし「もったいない」と思う人がいれば、その人は本当にやさしい人とは言いません。だから、心のやさしい人と、そうでない人は、すぐに分かります。
 今度は、お金をたくさんもっている人を考えましょう。たくさんお金をもっている人は、困っている人に出会ったり、苦労している人を見つけると、喜んで助けてあげる人もいます。立派な行いですが、お金を出してみんなを助けると、その分お金は減ってしまいます。これは仕方がありません。
 お金をたくさんもっている人は、どんな人でも、それを使って困っている人を助けます……と言いたいけれども、みんながみんなそうではありません。本当にお金持ちなのに、もっているものを使って、困っている人を確かに助けることができるのに、「ちょっと、もったいない」と思って出そうとしない人がいます。だから、お金をたくさんもっている人の気持ちは、みんな同じということではありません。
 やさしさのときは、だれでも喜んで分けてあげられたのに、お金持ちの人がみんな同じように分けてあげられないのは、どうしてでしょうか。
 それは、お金持ちの人が、もっているお金のことを、「これは全部私のもの」と思っているときがあるからです。「全部自分のものだから、少し減るのももったいないこと」と思ってしまうのです。こんな人の心には、「これは私が使っていいお金、これは困っている人に使う分のお金、これは神様にお返しするお金」そんな違いを考えることができません。
 今日のごミサのために、お賽銭をもってきた人がいると思います。お賽銭は、「私のお金だけど、神様にあげる」と思ってもってきているお金ですか?多分、違うと思います。これまで神様に守ってもらったから、神様にお返しするためにお献げすると思います。お賽銭は、「神様に感謝するためのもの」です。「ぼくのものだけど、私のものだけど、しょうがないから神様あげるよ」ではダメです。
 「これは全部ぼくのもの」「これは全部わたしのもの」こんなふうに考えると、どんなことでも喜んで人にあげられなくなります。夏休みになって海水浴にいくことも多いでしょう。お友だちがうきわをもっていなくて、私一人もってきているときに、「これは私のだから、おうちに帰るときまで私がずっと使えるんだ」と考えますか?お友だちにちょっと貸してあげたら、あなたの心も、お友だちの心も、喜びでいっぱいになるはずです。
 夏休みの工作をするための道具、お友だちがもっていなかったら、あなたはどうしますか?「これはぼくのだから、貸すのはもったいない」と考えますか?もしイエス様にお願いされたら、貸してあげますか?お友だちに貸してあげられなかったのに、イエス様にできるなんてことは、多分ないだろうと思います。
 時間は大切ですね。お友だちが一緒に勉強にきていて、分からないところを教えてあげたりしますか?「分からないところは、他の人に聞いてよ。ぼくは自分の宿題で忙しいから」こんなふうに考えますか?
 イエス様が楽しみに待っていることは、広い心で「これはお友だちに使ってもらおう」「これは神様にお返ししよう」と考えてくれることです。そんなやさしさをいつも楽しみにしています。「全部私のもの、人にあげるのはもったいない」こんなふうに考える人は、時間も、お手伝いすることも、お金も、何でももったいないと考えてしまいます。本当は神様が与えたものなのに。
 本当は、神様が与えた一日、神様が与えた時間、神様が出会わせてくださったチャンスなのに、「私の一日、私の時間、私のチャンスだから、自分の好きなように、自分がしたくなければ、親切なんてしなくていい」と考えてしまいます。自分のものと勘違いしているから、だれにも感謝しなくていい、だれにもお返ししなくていいと、勘違いしてしまいます。神様は、そんなケチんぼ、心の狭い人を見て、残念だなーと思っているでしょうね。
 イエス様はこう言いました。「愚か者よ、今夜、お前の命は取り上げられる」。神様が自由に与えてくださった一日です。神様は自由に取り戻すことができます。けれどもやさしいイエス様は、今日の一日をみんなに喜んで与えてくださいました。イエス様はこうして、やさしい心が与えても減らない、反対にどんどん大きくなると教えています。あなたは今日、どこでやさしさを与え、神に倣いますか。