主日の福音 1993,08,01
年間第十八主日(MT 14:13-21)
パンを増やす
神は必ず満たしてくださる
今日の福音は、イエス様が行ったパンの奇跡についてです。この福音を書いたマタイは、パンの奇跡を二回書き残しましたが、今日読まれたのは、その最初の分です。マタイはここで、イエス様のどんな心を描こうとしたのでしょうか。
はじめに、イエス様と弟子たちのあいだで繰り返し使われた言葉に注意を向けましょう。同じ場所に立っているのに、両方の話ぶりで場所の風景がすっかり変わってしまうことが分かります。
「ここは人里離れた所です」。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」。「それをここに持って来なさい」。弟子たちは、自分たちが立っている場所、置かれている立場に、ほとんど期待していません。全く望みがないとさえ思っているでしょう。ところがイエス様は、大きな希望を保っています。弟子たちが見落としている何かを、そこにいるすべての人に思い出させようとしているのです。
弟子たちにとっても、イエス様にとっても、集まっている群衆にお世話したいという気持ちには変わりがありません。ただ違うのは、ここではお世話ができないと考えるのか、ここで十分にお世話ができると考えるか、それだけです。
どこから、違いが出てくるのでしょうか。それは、「ここにイエス様がいる」とはっきり意識するか、意識しないか、その差だと思います。意識して「イエス様がいる」と思っている人は、それだけで力づけられます。希望のないように見えた場所が、イエス様がいることですっかり変えられます。何もない場所が、すべての人が「食べて満腹する」場所に変わるのです。マタイはこのことを、最初のパンの奇跡で描こうとしているわけです。
実際、どんなに考えても、目の前にいる大勢の人に食べ物を用意することなどできるはずがありません。誰でも、できるかできないかぐらいは分かるものです。それなのに、「あなたがたが、彼らに食べる物を与えなさい」と言われたときは、「そりゃぁないよ」と思ったことでしょう。
「自分たちには、絶対にできない」。ここからイエス様の働きが始まります。人間の力ではどうすることもできないと思うとき、イエス様の力が働くのです。何の足しにもならないと思う分量や、人数や、与えられた時間を、イエス様は考えられないくらい大きな恵みで満たしてくださるのです。
子どもたちは夏休みに入ってすぐ、黙想会に与りました。その中で浦上の先祖たちの姿を学んだのですが、その中にも、今日の福音につながるものがあります。浦上の信徒がすべて追放され、追放先で想像をはるかに超える迫害を受けたとき、浦上キリシタンたちには、自分たちを守るものが何一つありませんでした。けれども、役人や、迫害を加える人々から「信仰を捨てなさい」と言われたとき、何も持ってなかったはずなのに、信仰を守り続けました。宗教を奪い取ろうとするあらゆる暴力から、浦上キリシタンたちは信仰を守ったのです。
私たちは、こんなやりとりを想像することができます。「あなたたちが、彼らに信仰を証しなさい」「私たちの目の前には、迫害する人しかおりません」「いいから、その人たちに証しなさい」と。
もっと受け入れる心のある人の住む所なら、たくさんの人が信じたかも知れません。キリシタンが禁止されていないときに彼らが証をしたら、もっともっと信じたかも知れません。けれどもイエス様が使おうとされるのは、今ここにあるもの、今の置かれている立場なのです。
今ここにいるわたしは、「イエス様が一緒にいてくださる」ということをしっかり意識しているでしょうか。人間の知恵で人を満たすのではなく、神の知恵で人を豊かにするイエス様が、多くの群衆を前にして溜息が出そうになる私たちを励ましておられると、感じているでしょうか。もっとはっきり言うと、わたしの考えは、俗っぽいものが物差しになっているのでしょうか、人間を越える知恵が物差しなのでしょうか。
もう一度、わたしの身の回りを見直すことにしましょう。今まさに、あなたを使って働こうとしているイエス様に対して、私たちは知らず知らずのうちに、失礼なことを言っているかも知れません。イエス様がいることを忘れると私たちは無力ですが、イエス様がいると確信するとき、持っているものは限りなく生かされるのです。
最後に、イエス様が弟子たちにパンを配らせている姿を思い起こしましょう。イエス様は、ご自分が与えようとするものを、弟子たちを通してお与えになりました。それは今でも続いています。イエス様は現代社会の中で、教会を通してご自分の与えようとするものをお示しになります。教会がイエス様に豊かに養われるためには、私たちが持っているものを何倍にも増やしてもらう必要があるのです。
人に惜しまず与え、働きに協力し、それでも十分におつりがくる。そんな活力のあるわたしに変えていただけるよう、ミサの中で祈ってまいりましょう。