主日の福音1993,,

年間第十四主日()

 

 今日の福音は、27節を中心に考えると、読みやすくなります。「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」(11:27)。このイエス様の自信に満ちた答えを考えながら、私たちに向けられている招きを自分の者とすることにいたしましょう。

 

 イエス様が人々の前でおっしゃった言葉は、御父とご自分との深い一致の中から生まれたものです。「すべてのことは父からわたしに任せられています。」イエス様はわざわざこのようにおっしゃいましたが、それは決して自分に言い聞かせるためではなく、イエス様の確信を人々に知らせて、ご自分に信頼を寄せることを期待しておられるのです。ご自分に信頼すれば、どんな人でも安心と新しい力をいただくことができるからです。

 

 こうして、私たちがイエス様に結ばれるとき、イエス様はその後のことをすべてお世話してくださいます。すなわち、私たちをイエス様と同じ「子」として御父に紹介し、私たちを神様の子ども、神に愛される者としてくださいます。そのうえ、私たちが毎日背負っている苦労を一緒に担ってくださり、私たちを休ませてくださるのです。

 

 昨日の子ども聖歌隊の聖歌の練習の後、一人の子から漢字の読みを教えてくれと言われました。「神父様、これ、なんて読むと?」尋ねていたのは、「聖書と典礼」の表紙についてある写真を説明した言葉です。「軛」という漢字でした。

 

 「うん、これはくびきと読むとよ、ここを開いてごらん、読み仮名が書いてあるやろ。」そのときはそれだけ答えたのですが、今になって考えると何の説明にもなっていないような気がしています。くびきはちょうど聖書と典礼の写真のように、二頭の牛やろばをつなぐ道具です。このくびきにつながれている動物は、それを扱う人に巧みに操られて、人間を助けます。

 

 一頭はイエス、一頭はわたし。イエスは柔和、謙遜を与え、わたしは重荷を担っていただく。