主日の福音1993,02,14

年間第六主日(MT 5:17-37)

完成された掟

キリストの精神で掟を見つめよう

 

今日の福音で、イエス様は、ご自分がこの世に来られたわけを次のように仰いました。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」。律法の精神を完成するためにこられたイエス様とは、どんな方なのでしょうか。

 

当時、人々に知られていた掟と言うのは、神がモーセを通じて示された「十戒」と、それに続くモーセの律法と言われるものでした。神様は、この掟を通して、人々と具体的に関わることを望まれました。ですからモーセを通して示された掟の数々は、本来、神様が人々の生活に少しでも近くいて、より具体的に勧め、励まし、照らすために用意したものでした。

ところが、イエス様が来られた頃には、神様が計画した律法の精神は忘れられて、ただ「守らなければならないもの」「守らなければ厳しい罰が待っている」そんなことばかりが強く打ち出されていました。いくつかの大きな点について、守るべきことを定め、それによって人々の近くで、勧めと励ましを与え続けておられる神様を感じさせるために与えられた律法でしたが、この頃には冷たい掟、神様の愛を感じさせない掟に変わりつつあったのでした。

 

イエス様はこの掟をもう一度見つめ直させます。特に「十戒」を意識して、この掟の本来の温かみを取り戻そうとされます。「わたしは律法を完成するために来た」。イエス様はもう一度、掟の中に神様の姿を感じさせ、いつも近くにいて、具体的に関わろうとしておられることを思い出させるのです。

 

福音で取り上げられている掟を、私たちも考えてみましょう。はじめに、「殺してはいけない」という十戒の第五戒が取り上げられています。この掟を聞くと、「ほとんど自分たちとは関係がない」という印象を受けるかもしれません。けれどもイエス様は、それをもっと広く捉えて、人を殺さなくても、「バカ」といったり、「愚か者」といったりすれば、「殺してはいけない」と言われた神様に反対することになりますよと教えます。

「殺してはいけない」。この掟はただそれだけでは、温かみは感じられません。けれども、こう命じられた神様は、この掟を通して、むしろ人を生かすこと、わたしが出会う人に、生きる喜びを示してあげなさいと願っているのではないでしょうか。それをよく考えるために、人にものを言うときに、「愚か者」扱いしては、その人は死んでしまうんだよと、実例を示されたのだと思います。

 

このように、イエス様は、一つ一つの掟を、冷たいものと受け取らないように、むしろその精神をよく汲み取るように、弟子たちに教えます。神様が与えられた掟は、実は温かみがあるんだということを、具体的に教えて下さいます。温かみを感じさせる掟、それは同時に、温かみを与えることのできる神様が、いろんな場面で近くにおられ、わたしたちを導いて下さるということです。冷たい掟は、神様との距離を広げてしまうばかりです。

では、私たちはどうでしょうか。神様の掟から、神様の心の温かみを感じるときを持っているでしょうか。すぐさま「持っている」と感じる方は多くはないかもしれませんが、考えてみて、体験を整理してみると、案外そのような経験を積み重ねて来ているかもしれません。

 

例えば今日の福音では、「姦淫してはいけない」という十戒の第六戒と、それとつながる第九戒「人の妻を恋い慕ってはいけない」についても触れています。神様はここでも、ご自分の思いやりを考えさせようとします。すなわち、このような罪は、自分の今の状態に感謝することを忘れて、他に目を移すことから始まります。自分が結婚しているとすれば、今の結婚を十分神様に感謝できないために、他の人の妻に心が動くのです。

 

神様は次のように考えているかもしれません。「わたしは、他の人には幸せを与え、あなたにはそれを与えないといった、依怙贔屓はしない。あなたにも、あなたが喜ぶような人生の伴侶を与えた」。ですから、「姦淫してはいけない」と命じた神様は、私たちに、与えられた今の生活は、つまらないものでも、人様より劣るものでもなくて、すばらしいものだよ、よく見つめて、感謝してほしいと願っていると思います。ここまで考えると、神様の暖かい思いやりが感じられるのではないでしょうか。

 

イエス様はすべての掟を完成すると明言されました(前半部分)。実際、イエス様はすべての掟に含まれる神の暖かい配慮をもう一度掘り起こし、私たちに感じさせようとしました。私たちも、イエス様の心からの願いを汲み取ることにしましょう。

例えば、「日曜日にはミサに与る」という掟も、冷たい見方をすれば、「きつかとに何で毎日曜日ミサに行かんばいかんとか」ということになりますが、イエス様の思いを汲むコツが分かれば、このような考え方もできます。「神様は、待ち合わせの場所と時間を決めて、私たちと会いたいと考えていらっしゃるんだなぁ」。こんなふうに、神様を近くに感じ、神様の暖かい思いを汲み取ることのできる方は、今日の福音に確かに触れた方だと思います。

 

イエス様は掟を完成されました。その思いを受け継ぐのは私たちです。逆戻りして、また掟を冷たいものにするのか、イエス様に倣って、掟の精神を暖かく受け入れるかは、私たち一人ひとりに任せられています。今日、どちらかを選び取ることにいたしましょう。