マリア文庫への寄稿

「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。

2002年3月 4月 5月 7月
9月 10月 11月 12月

2002年3月

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●初めまして。長崎県西彼杵郡大島町に住んでいます中田輝次神父と申します。マリア文庫を通して会員の皆さんとこれから交わることになりました。よろしくお願いいたします。
●シスター野崎に依頼されて、私はいつもの調子でほいほいと引き受けてしまいましたが、あとで届いた電子メールを読みますと、年11回、1回の録音が15分程度と、まことにていねいな説明が書かれており、ぎょっとしました。
●電話でお引き受けしたときには、年に4・5回、いや、2ヶ月に1回だったら多くても6回か・・・なーんて思っていたのですが、どうやらマリア様のようなシスターに丸め込まれたようです。神父が人を丸め込むよりも、丸め込まれたという話のほうが幸せな話のような気もしますが、いざ自分のこととなるとちょっと首を傾げてしまいます。
●今回はおそらく、私の活動を織り交ぜながらの自己紹介になるかと思います。今私がこうしてカトリックの司祭として生かしていただくことになった思い出の出来事などは、またいつか別の機会を作りたいと思います。
●こうして録音の便りを準備しながら、初めに分かり合いたいなあと思っていることがいろいろ浮かびます。先に、並べてみましょう。もしも、中田神父の話で分からない言葉や言い回しが現れたら、積極的に尋ねて解決していくのでしょうか?それとも、分からないままにしておくことが多いのでしょうか。それによっては、「聞き取り」では使わない方がいいかな?と感じた言葉は、なるべく使わないようにするつもりです。
●引っかかって理解できなかったところを積極的に尋ねて解決するようでしたら、何も意識せずに準備します。何か感じておられることがありましたら、マリア文庫を通してとか、あるいはじかに私にでもお知らせください。
●それから、何かを伝えようとするときに、どんな工夫をすれば伝えることができるのか、参考になることを教えていただければ幸いです。こうじ神父が話す内容は、ほとんど「見たこと」を話すことになるわけですから、こんな工夫をしてくださいとか、教えていただければ大変助かります。たとえば、テレビで見たことを伝えるときは、実際の場面を録音してから、説明に入って欲しいとか、そういうことです。
●ほかにも出てくるかも知れません。思い付いたとき、その時その時でありのまま皆さんに投げかけてみたいと思います。また、こういう言い方は感情を害する、社会的にも受け入れてもらえないよ、というようなことがありましたら、同じように教えていただきたいです。人生の先輩は、いつも皆さんですから。
●さて、カトリック司祭の大まかな活動は、前任者の三村神父様を通しておおよそ理解してくださっているかも知れません。司祭は長い準備のすえに目上である「司教」様から司祭にしていただきます。教会を活動の中心にするケースと、教会に縛られず、より幅広い活動に身を置く(たとえば、カトリック学校の教師とか、福祉施設付きの職員とか)場合と、大きく二つに別れると言っておきましょう。中田神父は、教会がおもな活動の土台になっている司祭です。
●「神父」と言ったり「司祭」と言ったり、果ては「牧師」と言ったり、これはどうなっているのか、私なりに説明しますと、おそらく「司祭」ということでは「神父」も「牧師」も司祭なのだと考えます。厳密なことを言えば、ちょっと問題があるかも知れませんが、司祭がキリストの代理者として、任せられた信徒をお世話するという意味では、「神父」も「牧師」も司祭といって良いでしょう。
●それから、カトリック教会の中では、「司祭」は「神父様」と普通呼びます。「様」まで自分で付けるのは良くないことかも知れませんが、人から呼ばれるときはほとんど「神父様」です。
●これが、プロテスタント教会の中では、「牧師」と呼ぶようです。「〜ようです」と言うのは、実はよく知らないのです。「神父」と呼ばない理由は、プロテスタント教会の中で司祭に任命される方は、男性ばかりではありません。女性も当然選ばれます。そうなると、「神父」、つまり「神様・お父さん」では困るわけですね。男性女性の別なく呼ぶのにふさわしい言い方として、「牧師」という言い方が通っているのではないでしょうか。
●さてこのカトリック教会の神父さんは、礼拝をおもに進めていきます。信徒の方は、神父様の進めていく礼拝儀式に、参加するという形になります。もちろん黙って座っているわけではなくて、信徒が引き受けることのできる部分を積極的に引き受けて、「行動的に」参加することになります。
●礼拝は、日曜日の礼拝が中心になります。カトリック教会では、日曜礼拝のことを「ミサ」と呼びます。今ちょっと感じたのですが、中田神父はひとまず原稿を書いてから録音しているわけですが、「ミサと呼びます」と言ったのはいいのですが、カタカナで文字に表した「ミサ」というものが、ちょっと言うと外国から来て日本でも定着した礼拝で・・・ということが「カタカナで表す」ことでおおまかに分かるわけですが、皆様にどのくらい伝わったか、とっても心配です。余計な心配しないでくださいと、叱られるくらいであればと願っています。
●このミサの中では、聖書の朗読と、キリストが留まっているとされるパンをいただく儀式が大きな柱です。そして、聖書の朗読には決まって説教があり、説教はカトリック教会では必ず司祭が、つまり神父様がすることになっています。
●先輩神父様方の話を聞いたり、また礼拝に参加する信徒の皆様の声を聞いたりしますと、「説教が大変だ〜」と仰る声を耳にします。もちろん毎週お説教を用意することは大変ではありますが、それが神父の仕事ですから、私個人としては当然担うべきことだと思っております。一般的にですが、カトリック教会での神父さんのお説教は、だいたい10分から15分くらいでしょうか。学生時代に参加したミサの説教で、最長でも25分くらいだったのではないかと思います。
●これはちょっとした宣伝になるかも知れませんが、中田神父は毎週のお説教を、インターネットで公開して、より多くの人に伝える努力をしております。インターネットって、何?と仰る方は仕方がありませんが、自分が伝えたいことを、新聞や本よりももっと多くの人に、NHKラジオのように伝えることのできる品物です。このインターネットに、私は毎週、文字のお説教と、礼拝の中で実際に話したものを録音した声のお説教の両方を、提供しております。もうすでに2年、もしかしたら3年になるでしょうか。
●このテープをお聴きになっておられる皆さんの中で、インターネットを利用できる環境におられる方がいらっしゃいましたら、ぜひ私が公開している場所を尋ねていただきたいと思います。声の説教を流しているサイト「ボイスウェブ」のURL(場所といいましょうか)と、3月17日のお説教の生の録音を紹介しておきます。

(ボイスウェブホームページ(現:話の森ホームページ)に録音説教はあります)

●どうぞこれからも、気楽におつきあいくださいませ。

2002年4月

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●こんにちは。中田神父です。今月は、耳の話から入ってみたいと思います。前置きも何もなしにこんなことを言い出すと、びっくりするかも知れませんね。
●3月11日、私は急に思い立って、東北地方に旅行に行きました。場所は、ちょっと事情があって控えさせていただきたいのですが、11日の午前中に飛行機に乗って、その日にはもう1千キロ以上離れた土地を歩き、翌12日には長崎に帰り着くという離れ業でした。
●観光という名目でしたので、観光バスに乗って、名所といわれるところをぐるっと回ったわけですが、私はその間こうバスの雰囲気を記録に取っておきたいと思い、録音機を手に持って、録音をし始めました。案内と言ってもガイドさんがいるわけではありませんで、タイミング良く運転手がテープを回しての案内です。
●「皆様、観光バスご利用いただきまして、まことにありがとうございます」あたりから始まって、よどみなく案内のテープがまわって案内してくれます。出かけるときに、よっぽどビデオカメラを持って行こうかとも思ったのですが、二つの理由で持って行きませんでした。
●一つは、私のビデオカメラが、バッテリーを使ってもせいぜい二時間しか動かないこと、もう一つは、たとえビデオを撮っても、誰に見せるわけでもないし、もしかしたら自分でも見ないかも知れない、自分はこの目で確かめたわけですから、見ない可能性が高い、と思ったからです。
●そういう事情で、録音機で観光バスの雰囲気を持って帰ろうと思い付きました。中田神父にとっては、録音したものを聞き直すほうが、よほど当時の情景を思い浮かべることができるだろう、イメージを膨らませることができるに違いない、そういう単純な思いからでした。
●さて、観光バスでおよそ一時間の観光、何も問題なく録音できて、長崎に帰ってから編集してCDに仕上げました。いざ録音したものから作ったCDを聞いてみると、これがまったく聞き取れないのです。帰る前にどんな録音状態か確かめなかったのも悪かったのかも知れませんが、その時までまったく予想もつかなかったことでした。まったく聞くに堪えない録音状態だったのです。
●原因ははっきりしていました。観光バスに乗り込んで、車内で録音をしたわけですから、ガイドをするテープも音を拾ってはいたのですが、それ以上に、エンジンの音がそのまま、忠実に録音されていたのです。「ブーン、ウン、ウン」と唸りながら動くバス。こんな状態で私は観光案内を聞いていたんだなと、録音したものを聞きながらあらためて考えたのでした。
●ここでようやく耳の話になるのですが、人間の耳は、音を聞き分けています。それも大胆にといいましょうか、ダイナミックに音を聞き分けます。録音機でその場の状態を録音して感じたのですが、人間の耳は不要と感じた音は聞いていないのです。大きなエンジン音を上げて走る観光バスの中で、ガイドするテープの音だけに集中して、唸りを上げるエンジンの音には耳を貸さない。そういう芸当が、人間の耳には可能なのです。
●そのあたりが機械とはわけが違います。機械は忠実ですが、ある意味では融通が利きません。聞き取って欲しい音も、気に留めないで欲しい音も、音は音。忠実に録音します。それも、大きい音は大きいなりに、小さい音は小さいなりに拾います。ですから、録音したものをあとで聞いてみると、実際の観光の場面が思い浮かぶのではなくて、うるさいとさえ感じるバスのエンジンだけが、やけに耳に付くのでした。
●それで思ったのです。あー、やっぱり神様が作ってくれた耳はすばらしいと。今こうして録音の準備を進めながら、まずは原稿を進めておりますが、原稿を打つために動かしているパソコンも、けっこうな音を出しております。集中しているときは気になりませんが、あえて聞こうと思えば、こんな静かな田舎にいながら、かなり環境の悪い中で物書きや録音をしているのかなあと思ってしまいます。これが鉛筆と紙で原稿を書いているのなら、鳥の鳴き声だけが耳に入ってくるのかも知れません。最も、今は朝の4時半なので、鳥も寝ていますが・・・
●神様の用意してくださった耳に、驚きながらも感謝しております。ある意味で、いのちの誕生の、最初の瞬間から活動していたのは、目でもない口でもない、他ならぬ耳だったのではないかと思っています。
●聞くところによると、胎児はお腹の中では、羊水と呼ばれる液体に浸かっているそうです。栄養はおへそでいただいているわけですから、お腹の中の十ヶ月間、目も口も鼻も用はありません。ただ耳だけが、外の様子を聞き、お母さんの語りかけを聞いて、安心して育ったのです。
●「耳のあるものは聞きなさい」。イエス様が福音書と呼ばれる聖書の書物の中で言われた言葉です。場所によっては、「聞く耳のあるものは聞きなさい」となっておりますが、いずれにしても、イエス様がこう言いながら人々に期待しているのは、ただ単に「聞きなさい」ということではありませんでした。むしろ「聞く耳のあるものになりなさい」ということに重点を置いていたのではないでしょうか。
●単に「聞きなさい」ということであれば、録音機のように聞けばよいわけです。録音機のような聞き方では、イエス様の恵み深い言葉に出会うことなく、「この人は何を言っているのだろう?言っている意味が分からない」(ヨハネ16:18参照)とつぶやくことになるでしょう。
●けれども、「よく聞きなさい」「聞く耳のあるものになりなさい」ということであれば、イエス・キリストの言葉には、細心の注意を払う必要があるでしょう。同じ場所で、同じことを見聞きしたのに、ある人は感情を害して、どうしてもイエスを殺さなければと思いました。また別の人は、その恵み深い言葉に、神をたたえたのです。それはひとえに、聞く耳があるかどうかにかかっていたのでした。
●私の耳も、相当にすばらしい耳に違いありません。ですが、これまで聞き逃してきたことがたくさんあったのではないかと、ふと思いました。人々との何気ない会話の中で、控えめに、けれども体を張って忠告してくれた方々の言葉の中に、また、たった一度きりの出会いの中でも、大切な言葉を気にも留めないで、聞き流してきたのではないか。そう思うと、生き方をあらためて考えさせられます。
●よく聞いて、自分のためになることだけではなくて、人様のお役に立てることがあれば、それを心に留め、分かち合っていく。そうした配慮が、これからは必要だなあと、あらためて思わされました。
●早足の旅行記を収めたCDをあらためて聞きながら、今月は神様が与えてくださったすばらしい耳に思いを馳せてみました。あのバスは今も、ぶーんぶーんとエンジン音を響かせながら、観光客に夢を与え続けているのでしょうか。

2002年5月

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●こんにちは、中田神父です。先月、「耳の話」をお届けして、その続きというわけではないのですが、今月は「手の話」をお届けしたいと思います。
●ついこの間、5月12日、日曜日の夕食時に、NHKの番組「ようこそ先輩」というのが流れており、見入っておりました。わたしのお気に入りの番組の一つなのですが、各界の著名な方にお願いして、母校の小学校で「特別授業」をしてもらうという趣旨のものです。この前は、名前忘れちゃいましたが、「書家」(書道)の先生が母校で特別授業をしておられました。
●書道の先生ですので、特別授業も書道ということなんですが、この先生は書道を芸術として展開しておられる方で、書こうとする文字から湧き出るイメージをぶつけるのが、自分のスタイルだと話しておられました。たとえば、その番組で小学生にリクエストされて、「命」という漢字を即興で書いてくださっていたのですが、まあいわゆる「書道」では考えられない、びっくりするような文字に仕上がりました。
●特別授業の中で、同じ事を子供たちに課題として与えます。お題は、「花」でしたが、先生はそれを、「目隠しして書いてみなさい」と仰るんです。「すごいこと仰るなあ」と、その時点で私も感心しましたが、確かに「目隠し」をして筆を走らせるなら、お手本なんて何の役にも立ちません。頼りは自分の中のイメージ、自分にとって花とはどういうものか、それを書にぶつけるということになります。
●最初は、誰も先生の期待に添う文字を書くことができませんでした。どの子も「お手本をイメージして、お手本をまねしたような」文字を書こうと一生懸命だったのです。先生の注文とはずいぶん離れていました。それでも、そのうちの何人かは、大胆に、びっくりするような「花」を書いた小学生がいまして、先生もそこでいい感触を得ることになります。
●私はそのあとの展開も見ながら、今回の「ようこそ先輩」は、私にとっては当たりだったなあと思いました。墨という、ただ一色の道具で、薄く、あるいは濃く筆を走らせると、文字はまるで違ったものに変わってきます。お手本にとらわれずに、筆を使って心の風景を描かせる。とても良い試みだと思いました。
●さて、今月のテーマ「手」のことなんですが、人間の手は、いまだにどんなロボットよりも繊細で、緻密、そして自在なんだと感心させられます。手の働きは、やはり偉大なのだとあらためて思わされるのですが、こうした手の働きに共通することを、中田神父なりに一点紹介しますと、それは、「手は、開かれているときこそ、力を発揮する・偉大な活動をする」ということです。
●ものを掴む、字を書く、握手する、手触りを感じる。どの場合も、手が開かれていることが大きな条件であることは明らかです。何か目標のものに手を出すとき、握り拳をしたまま手を出していくということは、普通では考えられないわけです。
●さて、そうであれば、「手が開かれていない」状態について考える必要があります。これまでの考えの流れに沿っていけば、手が「閉ざされている」ということは、活動していない状態、生産しない状態を意味するわけです。確かに握り拳のまま手を突き出すことは、たとえそれがケンカであっても、まったく非効率的、非生産的であります。
●ところで、ここまで言い切ったあとに中田神父の展開が控えているのですが、このように一般的には、非効率的・非生産的と思われている状態、手を閉じた姿で、一つ、自由に活動するチャンスがあります。チャンスというのでしょうか、そういう「場」というのでしょうか、とにかく、手を閉じて活動するときが私たちにはあるのです。
●それは、「手を合わせる」「祈る」ということであります。普通であれば、「閉ざされた状態」は活動が停止し、何も生み出さないわけですが、この「祈り」に限っていえば、人間は手を合わせ、手を閉ざすことで、逆に活動的になっていくのです。
●手をいっぱいに開けば、大きなものを抱えて動かすこともできます。もしも手を閉ざしていたら、普通であれば何も動かすことは叶わないのですが、見方を変えると、手を合わせて祈る人は、開いた手で動かすその何倍もの大きなものを、動かすことがあり得ます。
●例を挙げましょう。遠くにいる人が、ある人の幸せを心から願ったとしましょう。その願いが真実なものであり、願いが叶うことを決して疑わないなら、その願いはきっと叶えられ、願ったその相手に届きます。もし、一人の人の祈りによって、それまで八方手を尽くしても態度を変えなかった、心を動かされなかったある人の命を救うことになれば、動くはずのない人を動かした、ということになります。
●また、人間はものを動かし、時には人を動かすわけですが、手を合わせ祈る人は、ある意味で神様を動かす人です。それは、手を働かせてもどうにもできない偉大なお方を動かすという意味では、なにものよりも大きなものを動かしているということにならないでしょうか?
●こうして、人間の祈りは、手の働きとして考えられる中でも、最高の働きをするということが、不思議ではありますが、可能になってきます。いちばん非効率的、非生産的と考えられていた「閉ざされた手」が、実際にはいちばん大きな働きをするのです。
●問題は、このことを体験として感じておられるかどうか、身につけておられるかどうか、ということになります。こうして私はお話を準備しながら、まずは原稿作成のためにものすごい早さでパソコンのキーボードを打ち続けているわけですが(締め切りが迫っていて、急いでいるということも実はあるのですが・・・)ここまで手が動き出す前に、やはり落ち着いて内容の展開などをまとめる時間が必要です。
●それはしばしば、腕組みをした状態が多いのですが、たまには手を合わせて祈っている(必ずしも合わせなくてもいいのですが、少なくとも祈ることで手は活動休止の状態です)わけです。この時間、腕を組みながら、祈りながら考える時間がなければ、中田神父からは何事も生み出されないというのが正直なところです。
●これは小さな体験ですが、何かしら、祈りによって同じような体験をなさっておられる方がいらっしゃれば、ぜひそのことをほかのお友だちに知らせていただきたいと思います。あなたも、手を合わせて、祈ることで、いちばん大きな働きを果たしていく体験をしてみませんか?そういうお誘いができるなら、とってもすばらしいことだと思います。
●今日一日、まったく手を合わせることなく一日が過ぎていった。それは、中田神父に言わせてもらうならば、あなたの手を使ってできる、いちばん大きな活動を、今日一日体験しなかった。「一瞬にして神をも動かす」その体験に触れるチャンスを失ったと同じなのです。これは、大げさな話だとお思いになるでしょうか?
●皆さんも、もしよかったら、手を合わせてみてください。手を合わせ、祈ることで、人間に与えられた「手」の持つ可能性を、最大限引き出していただきたいと思います。特に、「私には何もたいしたことはできない」と、尻込みしている方に、ぜひお勧めしたいと思います。
●あなたの手を、祈るために使ってみてください。きっとこれまでとは違った、「活動する自分」「働き続ける自分」を発見することでしょう。

2002年7月

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●こんにちは。中田神父です。今日は、あれがなにするという話をしてみたいと思います。気楽に耳を傾けてくださいませ。
●中田神父の身近には、「あれがなにして」と話す癖のある人が何人かいます。二人紹介しますと、一人はおばあちゃんです。たとえばふだんの会話の中で、「だんだん年取ってくれば、あれけんねー」とか、「天気のなにすればよかばってん」といった調子です。申し訳ないけれども、3回に1回くらいしか分かりません。
●もう一人は、そんなにお年を召していないのですが、リラックスして話せば話すほど、「あれあれ、あれさ」な〜んて言っています。たいていは見当が付くのですが、私はその人と話しながら、「あれがなにしてって言っていることに、どれくらい意識がまわっているのだろうか、今この年齢でこの程度だったら、年を重ねっていったら、どうなるのだろう?」なんて余計な心配までしてしまいます。
●おそらく、ものすごく意識して言葉を選ぼうとすれば、その人たちも「あれがなにして」とは言わないのだろうと思いますが、おそらく必要に迫られていないということなのでしょう。
●でも、私はどうしても、そういう「慣れ」が受け入れられません。「なれ合いが我慢ならない」と言ったほうがいいかも知れません。それは、ある意味で中田神父の弱さ、人を寛大に受け入れることのできない欠点なのだと思います。虫の居所が悪いときなどは、「天気があれすればいいけどなあ」と言われたときに、「天気はあれするんじゃないの?」と言い返したりするのです。お恥ずかしい話です。
●そういうことで、ここからの話は、すごく慎重に書いて、録音したいと思っています。できるだけ的確に伝えるために、「あれがなにして」にならないように特に気をつけて入っていくことにします。
●実は、中田神父はこのマリア文庫の活動以前から、ろうあ者のお役に立てたらということで「手話」の活動に取り組んでいます。具体的には、月に一度、ろうあ者とともに手話ミサをおささげしています。
●行きがかり上、視覚障害者の皆さんと聴覚障害者の皆さんに巡り会いましたが、一方は見ることができなくて、一方は聞くことができない、なかなかお互いのコミュニケーションは取れないだろうと思います。私の頭の中でも、視覚障害者の方と聴覚障害者の方の接点は、まったく思い付きませんでした。
●ところが、もし興味を持ってくだされば、可能性がなくはないかなあ、なんて思い始めました。ろうあ者の皆さんへの提案はまだ固まっていないのですが、視覚障害者の皆さんが、もし手話に興味を持ってくださったら、これは両者が出会う突破口になるのかなあ、と思っています。
●つまり、ある程度の練習を積めば、手話表現は「形あるもの」なのですから、それが身に付けばたとえ相手が見えなくても十分にメッセージを伝えることができるわけです。「あなたのことをもっとよく知りたい」「あなたと友達になりたい」という手話ができるようになれば、また新たな対話の扉、交流の窓が開かれるのではないでしょうか?
●そういうことで、半ば強引なのですが、今回は手話表現を二つ紹介したいと思います。もしも手話に興味を持ってくださいましたら、その先はどなたか手話通訳者とお友だちになるとか、あるいはどなたかろうあ者と知り合って、世界を広げてくださったら幸いです。
●で、どんな手話表現を紹介するかですが、これまた行きがかり上、二つの表現を紹介したいと思います。次の二つはどうでしょうか?「私は、あなたと友達になりたい」「手話を私に教えてください」
●「私」「あなた」は、いちばん簡単です。人差し指で、自分の胸を差して「私」「あなた」は、そこにいるであろう相手を意識して、指差します。「友達」は、両手を、まるで握手するかのように自分で握って、時計回りに、水平に回します。
●「成る」というのは、まず胸の前で肘から先をまっすぐに立てます。手のひらは胸に向けて立ててください。両手をまっすぐに立てた状態から、その腕を胸の前で交差させて、×の形にします。この一連の動きで、水平にまっすぐ立ったものが×の形に「成る」「変わる」という意味になります。
●最後に、「〜したい」ですが、これは、右手の人差し指と親指を開いた状態であごをしっかり受け止め、その状態から指を狭めながら下ろします。これで、「〜したい」です。
●最終的には、これらを組み合わせて、「私は」「あなたと」「友達に」「なり」「たい」と表現するわけです。今回の話の最初で触れましたが、私の説明が独りよがり、ただの自己満足になっていないことを祈りたい気分です。「あれがなにして」というような、自分だけが分かっている説明になっていないことをただただ願っております。
●ここまで、うまくいきましたか?一生懸命やっていると、案外熱がこもって、「私の手話で言いたいことを伝えた〜い」という気分になるから不思議です。私自身、ふだんは自分の言いたいことを何不自由なく言えているのに、いざろうあ者に手話で伝えようとしてもがき苦しむのですが、その時ほど真剣にコミュニケーションを取ろうとしている瞬間はないなあとつくづく思います。
●皆さんも今この瞬間は、「私はあなたと友達になりたい!」と真剣に考えているのではないでしょうか?その勢いを買って、もう一つ練習してみましょう。「手話を私に教えてください」。
●「手話」という手話ですが、胸の前で、人差し指二本を使って、漢字の「二」を表現してみてください。その状態から、交互に、前方に指を回します。うーん、ここからが難しいのですが、たとえば音楽CDの円周に沿って回す感じと言ったらいいでしょうか?または、蚊取り線香の大きさくらいに前方にぐるぐる回すと言ったらいいでしょうか?
●「手話を私に」「私に」は「私」だけで通じます。「教えて」これは、「教えてもらう」「教わる」ほうです。人差し指を右前方に突き出して、その場所から人差し指を自分のほうに何度か寄せてきます。ポイントは、「教えてもらう」わけですから、少し右斜め上から指を少し下ろしながら自分に近づけるのがコツです。動かす距離は、前方30センチくらいのところから。自分に向けて何度か動かすといった感じでしょうか。
●「ください」は、右手の肘から先を垂直に立てた状態で、軽くお辞儀をすると良いでしょう。それこそ、「あれあれ」になってしまいますが、右手を立てた状態で、「おねがいします」とやるわけです。でも、「おねがいしますとやってください」では、説明になっていませんね。
●最後に、たとえ今回の手話に興味を持ったとしても、身の回りが手話を活かせるような環境にないという方も多いことでしょう。そのような方に一つのことをお勧めいたします。今日覚えた手話を、あなたの信じる神様に向けてなさってみてください。あなたの信じるお方に、「私は、あなたと友達になりたい」「私はあなたと友達になりたい」「私に手話を教えてください」と、手話を交えて祈ってみてはいかがでしょうか?あるいは神様は、あなたの願いに応えてくださるかも知れません。

2002年9月

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●こんにちは。中田神父です。8月31日、私たち長崎のカトリック教会の責任者であった島本要大司教様がお亡くなりになりました。今月は、私なりに、大司教様との思い出をお話しして、皆さんに分かち合いたいと思います。
●島本大司教様が長崎の大司教としておいでになったのは、12年前、1990年のことでした。当時は、私は司祭への道半ばにある学生でして、その先1・2年で司祭になれるなあという時期でした。司祭になったら、この司教様のもとで務めを全うしていくのだなあと、すぐ上の先輩を眺めながら、同時に、これからお仕えするこの島本大司教様は、どのようなお方なのだろうかと、少し観察するような見方をしていた記憶があります。
●具体的に、大司教様の人柄に触れることになったのは、叙階式と言って、司祭になるための教会上の儀式を受けたときです。式そのものは、荘厳に、そして決められた通りに進んでいったのですが、一つ、忘れられない会話のやりとりがありました。
●司祭になる人の誓いの言葉が、儀式の中で司教様に対して披露されるのですが、その中に、「私と、私の後継者に、尊敬と従順を約束しますか」「約束いたします」この間のやりとりは型どおりなのですが、大司教様は私の返事「約束いたします」に、「そうか。約束してくれるか」と、1500人の参列者には聞こえない小さな声で励ましてくださったのでした。今でもその声は私の心に響いています。
●実は、司祭にあげてもらう同級生が、長崎には私を含めて3人いました。そして、考えられる任地も、ほぼ決まっていました。一つは、五島列島の福江教会、一つは米軍基地のある佐世保市内の教会、もう一つは、有名な長崎市の浦上教会でした。3人は、それぞれの任地を前日に知らされたのですが、その瞬間まで「自分はどこそこじゃないかなあ」とお互いに話していたわけです。加えて、「自分は浦上教会じゃないだろう」とも言っていました。
●どうして浦上教会じゃないだろうとお互いに言っていたのか、それは実はお互いに牽制していたのです。浦上教会は責任重大な教会であり、またそこに当時おられた主任神父様は、評判の強面の神父様という話でした。いやあ、自分は遠慮したい、というのが3人の正直な気持ちだったのです。
●ついに、大司教様が3人に任地を通知する瞬間がやってきました。「Aさん、あなたは福江教会でがんばってください。はいこれが任命書です。Bさん、あなたは佐世保の三浦町教会です。はいこれが任命書。中田さん、あなたは浦上教会で働いてもらいます。はい、任命書」
●私は息を呑みました。一瞬、3人の目が合いまして、目が同じことを合図していたのです。「中田。がんばれよ…」。司祭になるまでの14年間の付き合いですから、目が合えば言いたいことは分かります。自分は浦上でなくてよかった。そして浦上に行くことになったお前には、悪いなあ、せいぜいがんばれよ。えへへ、みたいな意味なのです。
●その日は寝付けませんでした。結局、一日中床につくことなく、司祭叙階式のその日を迎えたのでした。6千人をゆうに抱える大教会、強面と評判の主任司祭、すべてが不安だらけの叙階式でした。結局、それらはすべてが杞憂、単なる思い込みだったのですが。
●「そうか、約束してくれるか」と励まされたその日から、大司教様のお住まいである大司教館のお膝元、浦上教会での司祭生活がスタートしました。それはもうはじめて体験する出来事の連続、毎週結婚式が2つとか3つ行われ、洗礼式も数知れず、また、つきに何度かのお葬式と、私の頭ではたまにあることが日常茶飯事という場所で五年間過ごさせていただきました。大司教様の公式のミサがあれば、当然浦上教会においでになり、いつも気持ちを新たにさせられたのでした。
●大司教様は頭が輝いておられましたが、そのことで私は一つ謝っておかなければいけないことがあります。それは、浦上教会時代に、先輩の神父様と一緒になって、大司教様のハゲを笑い話の種にしたことです。「大切なことを教えるから。朝、浦上教会の丘を散歩するときは、サングラスをして歩いたほうがいいぞ。丘の下にある大司教館の照り返しで、目を痛めるかも知れないからな」と言われて、私は一も二もなく笑い転げたのでした。今私の頭もはげかかってきて、あんなこと言わなきゃあ良かったなと深く反省しております。
●大司教様はとても温厚な性格で、いかにもお父さんというタイプの人でした。私たちはまだ経験の浅い司祭でしたので、多くのことを話したわけではありませんが、それでも、「どうですか中田神父様」と、いつも大司教様のほうからやさしく声をかけてもらっておりました。
●やはり指導者たるもの、あまり神経質であっては続かないのだと思います。あのおおらかさ、どんな難局にも、悲しい顔一つせず、前向きに取り組む性格であったからこそ、この長崎の教会をまとめ上げることができたのでしょう。それは、私たちに残してくださったわかりやすい教えだと思います。
●私は司祭六年目にして、二つ目の任地に転任となりました。そこでは分け合って一年間しかいませんでした。それは、主任司祭がその一念のあいだにお亡くなりになって、お仕えするべき神父様を失い、一年で次の任地へ赴かなければならなかったからです。けれども、この二番目の任地では、大司教様の深い洞察を学ばせていただいたと思います。
●私がお仕えしていた二番目の主任神父様は、肺炎がもとでお亡くなりになったのですが、すべてのことが片づいてから、大司教様に報告をしに行く機会を得ました。その際、私はもう少しこの二番目の任地に未練があって、「もう少しここにとどまれるように」、何とかならないかと大司教様にそれとなく伝えたのです。
●「大司教様、主を失ったあとで、この教会の信徒は悲しんでいます。私まで異動となったら、しばらく悲しみは癒されないでしょう。せめて、亡くなった主任神父様の思いを少しでも引き継ぐことのできる私は、そのままとどまらせて欲しい」そういう意味合いのことを申し述べたのでした。
●大司教様は、「はい、信徒の皆さんのことをよく汲んだ上で、すばらしい方を任命しましょう」と仰いました。結局、私はその教会にはとどまらず、現在の教会に、はじめての主任司祭として、一つの教会をまかせてもらったのでした。
●あの時そのまま二つ目の教会にとどまることは、神様の目からすると良くないことだったのかも知れません。新しい息吹が、その教会には必要なのだと感じて、大司教様はそのまま置かなかったのだと思います。今思うと、やはり正解だったと感じます。
●大司教様、今はゆっくりお休みください。すべての務めから解放されて、神様のもとで憩ってください。多少、魚釣りには未練があるかも知れませんが、その方面は私たちが代わりに、思う存分楽しんでおりますのでご心配なさらないでください。今年はイサキという魚を最高100匹釣りました。謹んでご報告いたします。
●感謝のうちに。

2002年10月

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●こんにちは。中田神父です。定期的なものを引き受けて作り始めると、次回の締め切りがあっという間にやってきます。それは、月に1回であれ、週に1回であれ、さほど変わりないような気がします。そして今月も、15日の締め切りを前に、今年の体育の日、14日に運動もせず机に向かっているのでした。
●さて今月は、詩の朗読を一つお届けいたします。もしもご存じであれば、わざわざ私から聞くこともないのになあとお思いかも知れませんが、カトリックの神父が朗読すると、それはまた違ったメッセージを届けるかも(かも)知れません。
●朗読する「詩」は絵本の形で出版されたものですが、詩のタイトルがそのまま本のタイトルにもなりました。作者は、埼玉県で産婦人科の副院長をしておられる鮫島浩二先生です。

わたしがあなたを選びました

おとうさん、おかあさん、あなたたちのことを、こう、呼ばせてください。

あなたたちが仲睦まじく結び合っている姿を見て、
わたしは地上におりる決心をしました。
きっと、わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。

汚れない世界から地上におりるのは、勇気がいります。
地上での生活に不安をおぼえ、途中で引き返した友もいます。
夫婦の契りに不安をおぼえ、引き返した友もいます。
拒絶され、泣く泣く帰ってきた友もいます。

あなたのあたたかいふところに抱かれ、今、わたしは幸せを感じています。

おとうさん、
わたしを受け入れた日のことを、あなたはもう思い出せないでしょうか?

いたわり合い、求め合い、結び合った日のことを。
永遠に続くと思われるほどの愛の強さで、わたしをいざなった日のことを。
新しい"いのち"のいぶきを、あなたがフッと予感した日のことを。
そうです、あの日、わたしがあなたを選びました。

おかあさん、
わたしを知った日のことをおぼえていますか?

あなたは戸惑いました。
あなたは不安に襲われました。
そしてあなたは、わたしを受け入れてくださいました。

あなたの一瞬の心のうつろいを、わたしはよーくおぼえています。
つわりのつらさの中でわたしに思いをむけて、自らを励ましたことを、
わたしをうとましく思い、もういらないとつぶやいたことを、
私の重さに耐えかねて、自分を情けないと責めたことを、
わたしはよーくおぼえています。

おかあさん、
あなたとわたしはひとつです。

あなたが笑い喜ぶときに、わたしは幸せに満たされます。
あなたが怒り悲しむときに、わたしは不安に襲われます。
あなたが憩いくつろぐときに、わたしは眠りに誘われます。
あなたの思いはわたしの思い、あなたとわたしは、ひとつです。

おかあさん、
わたしのためのあなたの努力を、わたしは決して忘れません。
お酒をやめ、タバコを避け、好きなコーヒーも減らしましたね。
たくさん食べたい誘惑と、本当によく闘いましたね。
わたしのために散歩をし、地上のすばらしさを教えてくれましたね。
すべての努力はわたしのため。あなたを誇りに思います。

おかあさん、
あなたの期待の大きさに、ちょっぴり不安を感じます。
初めての日に、わたしはどのように迎えられるのでしょうか?
わたしの顔はあなたをがっかりさせるでしょうか?
わたしの身体はあなたに軽蔑されるでしょうか?
わたしの性格にあなたはため息をつくでしょうか?

わたしのすべては、神様とあなたたちからのプレゼント。
わたしはこころよく受け入れました。
きっとこんなわたしが、いちばん愛されると信じたから。

おかあさん、
あなたにまみえる日はまもなくです。
その日を思うと、わたしは喜びに満たされます。

わたしといっしょにお産をしましょう。
わたしがあなたを励まします。
あなたの意志で回ります。
あなたのイメージでおりてきます。
わたしはあなたをこよなく愛し、信頼しています。

おとうさん、
あなたに抱かれる日はまもなくです。
その日を思うと、わたしの胸は高鳴ります。

わたしたちといっしょに、お産をしましょう。
あなたのやさしい声が、わたしたちに安らぎを与えてくれます。
あなたの力強い声が、わたしたちに力を与えてくれます。
あなたのあたたかいまなざしが、わたしたちに励ましを与えてくれます。
わたしたちはあなたをこよなく愛し、信頼しています。

おとうさん、おかあさん、あなたたちのことを、こう、呼ばせてください。

あなたたちが仲睦まじく結び合ってる姿を見て、
わたしは地上におりる決心をしました。
きっと、わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。

おとうさん、おかあさん、今、わたしは思っています。
わたしの選びは正しかった、と。

わたしがあなたたちを選びました。

●個人的には、鮫島浩二先生の、「浩二」というところにいたく共感を覚えるわけですが、それは置いておいて、この先生の命へのまなざしは、聖書の思想を色濃く反映していると思いました。二点紹介いたしますが、第一点は、「あなたとわたしはひとつです」という部分です。何気ない言い方ですが、もしもこれが、「あなたとわたしとは、完全に一つです」ということを言いたいのであれば、もしかしたら聖書の思想がヒントになっているかも知れません。
●ヨハネ福音書に次のような箇所があります。「わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである」(ヨハネ10章29-30節)。
●決定的なのは、「わたしがあなたたちを選びました」という繰り返しです。聖書には、そのまま、同じ言葉を見つけることができます。イエスが弟子たちに、自分たちが選ばれた根拠を説明する箇所です。
●ヨハネ15章16節、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」。
●弟子たちはイエス様によって選ばれ、任命されて、使命を託されました。思うに、この鮫島先生の心の中にも、これから命を育む夫婦に、「あなたたちは神様から『お父さん、お母さん』として選ばれ、使命を託されたのですよ。引き受けてくださいますか?」そういうメッセージをこの詩に込めたのではないでしょうか。
●本当のところ、この先生が何を信じておられる方かは分かりません。けれども、命を見つめ、どんな環境にあっても、一人ひとりの命はかけがえのないものですよと、新しい視点(ものの見方)でこの世に生まれてくる命を示してくださるこの先生に、私は心から拍手を送るものです。
●「わたしがあなたを選びました」。どうしてこの世に自分がいるのか。それは何よりもまず、「神が私を選んでくださったから」であり、また、自分にしかないものを与えられて、この世と、おとうさん、おかあさんを選んだからということです。あれこれ存在理由を探さなくても、神に選ばれたということ、それだけで、私たちはかけがえのない者なのではないでしょうか。

2002年11月

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●こんにちは。中田神父です。熊本の「恵楓園」訪問の直後に、以前からかなり気になっていた「メガネ」を新調いたしました。私の本業であるミサの礼拝を進めていく間、何度も何度もメガネがずれたり、あるいは儀式書が読みづらかったりしたものですから、思いきって新調することにしたわけです。
●特に男性は、だれでも似たような行動をとるのかも知れませんが、いったん「買う」と決めたら、お店のきれいなお姉さんに勧められるまま、高かろうが安かろうがお構いなしに買ってしまいます。今回のメガネもそうして買い求めたものですが、これが高い買い物であったかどうかは、これからのこうじ神父の活動如何にかかってくるだろうと思います。
●さて、今回のメガネ購入に関係して、二つの新鮮な驚きがありました。今月の話題の中心となるものです。ひとつは、メガネ購入を思い立った視力の不安は、どうやら別の事情だったということ、もう一つは、今回の買い物を通して、別のことが「見えるようになった」ということです。
●蛇ににらまれた蛙のようにと言いますよね、そのようにわたしも、何というメガネ屋さんだったのか知りませんが、とあるメガネ店に入りました。当然、視力検査と、現在のメガネの精密な測定から入ります。思った以上に検査に時間がかかるし、何度も「この表の、下まで見えているんですか?見えているんですね?」と聞くものですから、変だなあと思っていましたら、担当の方がこうおっしゃったのです。「お客様、大変申し上げにくいのですが、現在おかけになっているメガネで、ほぼきちんと見えているのではないでしょうか?」
●そんなバカな、私は文字が滲むことがあったり、長く掛けていて頭が痛かったりするから来たのに、メガネがちゃんと合っているとは何事だ。私は一瞬自分の目を疑いました。この場合、目を疑うという言い方は変なのですが、ほかに言いようがありません。もう一人のかわいいお姉さんと比べるとちょっとお高くとまっているようなその担当の方に、私は精一杯の抵抗をしました。「今のメガネは気に入らないので、新しく作ってください」。
●それからあとは、何を進められたのか、レンズの説明だと言ってどんなことを言われたのか覚えていませんが、私の考えていた予算の最高限度額いっぱいのメガネを買わされて、我が家に帰ったのでした。大島ではなく、佐世保市内で購入したので、後日郵送の送料付きという、大変な出費になってしまいました。滲みもなく、掛け心地も良く、ただ早朝のミサに来るおじちゃんおばちゃん、また修道女のだれも「メガネ変わったんですか」と言ってくれないのが残念ですが、かなりストレスは解消されました。でも視力検査にはっきりとした視力の低下が認められなかったのは、今でも納得がいきません。
●さてメガネがようやく届いて次の日が、このアベマリアの原稿締切を3日も過ぎた11月18日だったのですが、この日の聖書朗読が印象的な箇所でした。エリコという土地に向かう途中で出会った、イエス様と目の不自由な方とのあいだでなされた奇跡物語です。ちょっと読んでみます。
イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。
●メガネを新調したばかりの私にちょうど与えられたみことばだと思いました。ここ数ヶ月間、「何をして欲しいのか」とイエス様は心に呼びかけ、私は「主よ、目が見えるようになりたいのです」と願っていたのでした。
●私の場合、どうも肉体の眼は見えていたようなのですが、「見えるようになれ」という言葉をいただいて、ようやく何かが見えるようになったのだと思います。もしかしたら生活に何か重大な負担がかかっていて、見えなくなっていたのではないか、自分の身の丈を越える何事かをこれまで自分に命じていたのではないか。そういうことが少し見えるようになったのです。
●きっと、肉体の視力を取り戻したくて、聖書の登場人物はイエス様に叫びをあげたわけですが、イエス様の「見えるようになれ」は、叫びをあげるすべての人に与えられるのではないかと思います。長年連れ添ってきた配偶者のことがほとんど分かっていなかったとある時気がついたとか、自分が一生懸命やってきた仕事が、仕事を完成させるために多くの人を振り回していたのだとはじめて気がついた、心から許してあげていると思っていたことが、じつはそうではなかったと感じて力を落とすなど、見えていなかったことが少し見えるようになると、本当は、いろんなことが見えてなかったのではないかとはじめて考えるようになるわけです。
●気がつくことは大切です。叫びをあげるきっかけになるからです。謙虚に、けれども大声で、「主よ、見えるようになりたいのです」と、私たちは今も叫ぶ必要があるのではないでしょうか。そして大声で叫ぶ中で、これは、自分で癒すことはできなくて、イエス様にしか癒すことはできないのだと気付いていくのだと思います。もちろん中田神父なりの言い方なのですが。
●そうしてたくさんのことに、見えるようにしていただきながら、私たちは人生を歩き続けるのだと思います。ある事柄についてはわりあい早く見えるようになり、ある事柄については何年も、もしかすると何十年もかかって、見えるようになっていく。最後に私たちは神のもとに迎えられて、すべてのことが、曇りなく、見えるようにしていただくのだと思います。
●「恵楓園」訪問から考え続けていたもやもやが、メガネの新調と、ちょうどの時に出会った聖書のみことばに照らされて、今月は形になりました。神に感謝です。
●あと、このアベマリアをお聞きになっている皆様に、私事ですがお祈りをお願いしたいことがあります。じつは私が魚釣りで大変お世話になった方が、11月15日の夜にイカ釣りに出かけたまま行方不明になっております。名前は、高尾春市さんと言います。66歳で、定年後の楽しみでひんぱんに釣りに連れていってもらった方です。
●神父が、あまり悲観してはいけないのかも知れませんが、生きて見つかるというのはちょっと難しいと思います。それでも、早く発見されますように、それぞれの信ずるところに従ってお祈りいただければと思います。

2002年12月

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●こんにちは。中田神父です。この便りが届く頃には、年があけているのでしょうか?今回は、クリスマスの喜びについてお話ししたいと思います。
●おそらく、これまでの私でしたら、クリスマスを語るためにはできるだけクリスマスにふさわしい出来事を例にあげて話を進めていったことでしょう。ところが、今回は一見似ても似つかぬものを話のとっかかりにしていきたいと思っています。
●毎年年末になると、白黒のハガキが何通か届くことがあります。それは、年始のあいさつを控えさせていただきますというハガキです。年内に家族を送り出した、祖父母を送り出した、そのような事情から年賀状は差し控えさせていただきますというものです。
●さて、クリスマスとどう関わりがあるのか、どう結びつけていくのかということなのですが、1月1日元旦と、クリスマスは、どういうことかちょうど一週間離れていて、まったく別物でありながら教会の中ではちょっとした関連があるのです。
●それは、まずはクリスマスも新年のミサも、どちらも似たような時間を組んで捧げるということ。どちらも前の日に前夜祭を行い、そして当日のお祝いを迎えます。クリスマスのミサの時間を張り出すことで、教会の信徒は同時に、「あー、新年のミサはクリスマスの時間割からするとこうなるなあ」と、自然と考えてくれます。
●ここまでは、単に表面的な関連ですが、もっと意味深いものも見いだすことができます。どちらも、お祝い事であり、「おめでとうございます」とあいさつを交わします。なのに、新年のあいさつには「喪中に付き」というあいさつが成り立つのに、クリスマスはそうは言わないという、とても不思議な間柄なのです。
●ただ単に、「新年には喪中が通例として一般的だけれども、クリスマスに喪中というのは聞いたことがない」ただそれだけではないのではないか、と私は考えております。
●答えを長く引っ張っては申し訳ないので、簡潔にまとめますと、新年のお祝いは人間同士がめでたいめでたいと言っているわけですが、クリスマスは人間の中に神の子がおいでになってくださった、神が人となって私たちの救いのためにおいでくださったことに対して喜ばしい、すばらしいとたたえているわけです。この違いがあるので、「クリスマスは誰にとっても喜び」なのではないでしょうか。
●人間同士の祝い事であれば、一方はお祝い気分でも、一方は悲しみの中にあるということは十分に考えられます。「おめでとう」ということばが、気まずい雰囲気をもたらすこともあるでしょう。ところで、クリスマスは神が独り子を遣わして喜びを届けてくださる、神と人とのあいだで交換し合う喜びです。私たちにどんな深い悲しみや闇があっても、神は喜びの源、喜びそのものなのですから、私たちすべてに喜びを届けてくださるのです。悲しみの中にある人も、喜びいっぱいの人にも、互いに、「喜びをくださるイエス様がおいでくださったんだね。おめでとう」と言い合えるのではないでしょうか。
●私事になりますが、2002年は、ずいぶんお世話になった方、また、お世話になった方の身内がお亡くなりになり、白黒のハガキが私のところに届きました。すぐに返事の手紙を書こうと思ったのですが、しばらく考えた末に、少し間を開けてお返事することにしたのです。すぐ返事を出すのに、ためらったというのが本音でしょうか。
●親しい人を失ったそのうちの一人は、現在の教会に赴任してからつい最近まで、趣味の魚釣りにずいぶん連れていってもらったお父さんです。先月号で、お祈りくださいとお願いしたお父さんですが、残念ながら夜のイカ釣りに出かけたまま帰らず、50キロほど南に流されて、舟が発見されてから10日後に残念な姿で発見されました。
●このお父さんからは舟の扱い方のイロハから、潮(潮流)の読み方、どの場所が上げ潮のポイントで、どこが下げ潮のポイントであるとか、その他あらゆることをていねいに教えてもらったのでした。自分でそれらのことを身につけるには、かなりの時間と経験が必要ですが、その経験を惜しげもなく私に譲ってくださったのでした。
●また、自分自身の信仰の歩みについて、家族への思いについてなど、本当に親しい人でも、もしかしたら家族にも打ち明けたことのないような話にまで触れて、すべてを見せてくださったのでした。
●その後お葬式のミサに私も参加させていただき、お説教までつとめさせてもらいましたが、このお父さんの家族がしばらくして私を訪ねてくださいまして、今の心境を話してくださいました。ずいぶんさみしいだろうなあと、私にもその思いはよく伝わりました。
●こんな、愛する人を失った家族にも、クリスマスは喜びをもたらしてくださるのでしょうか。私は確信を持って、「はい、そうです」とお答えしたいと思います。新年を迎えても、おそらくこのご遺族の方々は「おめでとう」という気持ちにはなれないのではないかと思うのです。けれども、クリスマスは、イエス・キリストの誕生は、この家族にとっても「喜びの訪れ」となってくださるのではないか、私はそう思っていますし、そうであって欲しいと願うのです。
●私自身も五年ほど前に、クリスマスを前に自分がお仕えしていた主任神父様を肺炎で失った経験がありまして、その時はしばらく泣き暮らしました。けれども、クリスマスのお説教を考えながら最初に伝えたいと思ったメッセージは、「キリストの誕生はすべての人の喜びです」というものでした。
●はっきり覚えませんが、その時私は次のようなことを話したと思います。「この痛みを背負った私たちの教会にも、イエス様は喜びとしておいでくださるでしょうか?間違いなく、イエス様は私たちの喜びとしておいでくださいます。『闇に住む民は光を見た』との旧約聖書の言葉は、今日私たちの教会で実現したのです」。
●だれにも払うことのできない暗闇をかかえた人が、この世の中にはたしかにいらっしゃいます。戦争で家族を失った人、戦争の中で、目の前で家族がひどい目に遭わされてしまったのを見た子ども、また、日本では考えられないほどの深刻な環境で生まれ落ちた子どもなど。ほかにも、言葉では言い表せないような苦悩を心の奥にしまい込んでいる人もいらっしゃるはずです。
●そのようなすべての人に、イエス様はメッセージをたずさえて、言葉によらない語りかけをもって、おいでくださったのではないでしょうか。「わたしは、お産のために宿屋が見つからず、家畜小屋で生まれ、エサ箱に寝かされた。わたしのからだを温める毛布はなく、動物の吐く息で温めてもらった。わたしは、生まれてまもなくヘロデ王にいのちを狙われ、わたしのために、当時の2歳以下の多くのこどもたちが犠牲になった」。あのベツレヘムの片隅で起こった出来事から、私はこれらのことを思い巡らすのです。
●「プレゼントもなかった、サンタさんも来なかった。だからクリスマスなんていらない」。まあそう仰らずに、クリスマスの喜びが、そのような表面的なことにあるのではなくて、もっと人間の奥深いところとつながっている、闇を照らす光としておいでくださったことが、何よりの喜びであると、もしも共感いただければ、これからのクリスマスはもっともっと楽しみ多いクリスマスになるのではないでしょうか。

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