マリア文庫への寄稿

「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。

2006年 5月 6月 7月
  8月 9月 10月

2006年5月

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●こんにちは、中田神父です。神父でありながらこんなことを公にするのはお恥ずかしいことですが、最近1月26日から初めて4月8日までの103日間で聖書を通して読み終わりました。何がお恥ずかしいことかと言いますと、やはりカトリックの神父が聖書全体を通して読んでなかったということが、恥ずかしいなあということです。
●弁解させてもらいますと、聖書全体を読んだことがないと言うことでは決してありません。ただ、はっきり意識して、例えば旧約聖書の第1頁から始まって、新約聖書の最後の頁まで、つまり聖書という一冊の本をいちばん右端からいちばん左端まで毎日必ず読み続けて読み終わったのは、たぶん今回が初めてじゃないかなあということなのです。
●聖書そのものはぼつぼつは読んできました。特に新約聖書に関しては、これは何度も読み通したことがあります。それでも、一日も欠かさずに聖書全体を読み終えたということには、また違った意味と思いがあります。今月は、その辺のお話をさせていただきます。
●きっかけは、一冊の本でした。下川友也先生の「聖書通読にチャレンジしよう」という小さなハンドブックです。すでにこの先生は聖書全体を500回も読んだことのある強者なのですが、そこまではとても及ばないとしても、こつを知っている先生の数々のアドバイスを参考にすれば、何度かチャレンジしてどうしても成し遂げられなかった「聖書を通して読み、読み終える通読」ができるのではないかと思ったのです。
●今振り返ると、何度も中断しそうになるピンチがありました。日ごとこなさなければならない勤めや祈り、毎日の仕事ではないけれども決まった日程でやってくる締め切りの付いた仕事。こうしたものをすべていつもどおりにこなしながら、さらに聖書を続けて読む時間を確保していくわけですから、ときには無理かなあと思いたくなるときもありました。
●それでもやり遂げることができたのは、何と言ったらよいのでしょうか、「やり遂げたらきっと何かすばらしい喜びを味わうことができる」そんな保証も何もない期待感でした。結局、最後の1頁を読み終えたときには、「あー終わったー。万歳!」という思いはありましたが、神さまの愛に触れたとか、神の言葉がより身近に感じられたとか、期待していたような喜びを味わうことはありませんでした。読み終えたというすがすがしさは感じましたが、正直言って、それ以上のものではなかったのです。
●それでも、私の中には成し遂げた人でなければ味わえない達成感とか満足感は残りました。それと、私の中で神さまの言葉は決して昔話のようなものではなくて、今の私と実は関わりがある、聖書の中に込められた神の語りかけは、私にも呼びかけられているということを感じることができました。そのことについては、たいへんありがたかったと感謝しています。
●またもう一つ、これは最近別の場所で行われた日曜日のミサの説教を聞いて、聖書通読の体験を重ねてみた感想ですが、人間にできる大きな仕事は、本当は人間一人で完成させることができるものではなくて、神さまとの共同作業、神さまとの合作なんだなということをつくづく感じました。この話に入るためには、先ほど少し話した日曜日のとあるミサの説教を少し話しておく必要があると思います。
●私が参加したその日曜日のミサとは、長崎県に雲仙という観光地があります。その雲仙で行われた殉教記念ミサというものです。かつてキリスト教が日本で迫害されていた時代、雲仙では雲仙地獄と言われる硫黄のたぎった温泉が、キリスト教迫害に用いられていました。何もすべての温泉が迫害に使われていたという意味ではありませんが、煮えたぎる湯が吹き出る場所に当時のキリスト教徒は突き落とされたり吊り下げられて何度も熱湯をくぐらされたりしたのでした。
●その中に勇敢なキリスト教徒がたくさんいまして、彼らは迫害をものともせずに信仰を貫いて殉教していきます。この殉教の歴史を後の人たちは決して忘れることなく、思い起こし、記念していたわけです。これが今の殉教記念ミサの由来ですが、このミサの中で説教をした神父様は、殉教は人間一人の力でなした業ではなくて、神の力と人間の力とが合わさった合作である、神の業でもあるし同時に人間の業でもあると話してくださいました。
●また、この話の中で一つのたとえを用いていました。人が歩くとき、右足と左足を交互に出して歩く。そのように、殉教者たちは、人間の力と神の支えてくださる力とを交互に用いて、殉教というすばらしい目標にたどり着いたのだというたとえです。本当に分かりやすいたとえで、誰にとってもよく伝わる話だなあと思いました。
●この殉教者の話と重ね合わせるには私の体験はちょっと不足していますが、今回聖書を通読することができて、また最近参加したミサの説教を聞きながら、そんなに大げさなことではないかもしれないけれども、人間が一つのことを成し遂げるためには、自分自身と、もう一つ何かの支えがあってできるものなのだという感じを強く持ちました。もう一つの支えというのは、中田神父にとってはそれは疑いもなく神の支えということになりますが、それぞれの体験や信条に合わせてお考えいただければ結構だと思います。
●いずれにしても、人間は一方ではほとんど無力と思えるときもあるのですが、ある時あっと驚くような業を成し遂げます。大きなことを思い描く、それだけでもほかの生き物には決してできない作業です。その大きな夢を形にするのは、しばしば人間一人の力とはとうてい思えないような力が働いています。それもすべて人間一人の力だと思えなくもないですが、私は素直に、それは大きな支える力を得ていたのだと考えるようにしています。
●今回の、聖書通読も、いろんな困難に何度か挫折しそうになりました。打ち明け話をすれば、布団に入ってから、考え直して聖書を読んでまた布団に潜り込んだり、夜中に目が覚めて思い出して聖書を読んでまた寝たり、そういうこともしながら読み続けたのでした。そこまでできたのは、私自身の力では決してないと断言できます。私はそこまでねばり強い人間ではありません。どちらかというと飽きっぽい人間なのです。その私が、何とか聖書を読み終えることができた、通読することができたのは、やはり何か力をいただいたのだと思います。
●最後に、たいへん不思議なことですが、聖書を読み終えてみて今強く感じていることは、また挑戦してみたい、いやむしろ、もう一度しなければならない、という招きを感じるということです。物事は一度やり遂げたら、そんなに同じことに執着はないのが普通だと思いますが、この聖書通読を経験してみると、もう一度欠かさず読んで完了したい、そういう気持ちになるのです。
●一日も休まずに読むこと。これは継続したということだけにとどまらず、毎日、何かしら神さまの声が聞こえるということにもつながっているように思います。神さまが毎日私に声をかけてくださり、今日の私とつながってくださる、関わってくださる。それが、聖書を書かさず読み続けるということなのかなあと思います。
●これは余談ですが、インターネットの中では中田神父が毎日聖書を読み続けた記録を公開しています。もちろん、今回の再挑戦も、インターネットで公開することにしています。また、回数を重ねて、例えば二桁に載せたりしたときには、このアヴェマリアの中で取り上げてみたいなあと思っています。根気と、神さまの暖かい支えがあって、今回この話をお届けすることができました。

●こんにちは、中田神父です。キリスト教の暦では復活のお祝いの季節に原稿をまとめています。今回準備した話は締め切りを十日以上遅れて提出したので本当にマリア文庫のみなさんには申し訳なく思っています。もしかしたらこの録音をお聞きくださっている方々にもご迷惑がかかっているのではないかと思うと穴があったら入りたいくらいです。
●中田神父は出かけたついでに外食するとき、ファミリーレストランや外食チェーン店に入るのですが、ある外食チェーン店に入ったときのことでした。近くのテーブルに親子連れが席を取っていて、私が店に入ったときから子どもの声が聞こえていました。たまたまその日は複数で食事に来ていたのですが、子どもの声がずいぶん気になったものですから、「声が大きいよね」と一緒に店に入った友達に言ったのです。
●「声、ずいぶん響いてるよね」と一緒に入った人も返事をしたのですが、噂していたその子どもが、店中に響く声で何かを叫んだのです。私の耳には、何を言ったのかまったく聞き取れませんでしたが、あまりの甲高い声に、私を含め一緒にいた人もムッとしていました。「あんな大きい声を出されると、私は我慢できないなあ。お母さんは一番近い距離であんな声を聞いているのだから、大したものだよね」と言ったのです。
●すると、一緒にいた人はこう言いました。「偉くなんかないさー。ここは公の場だから、あんな大きな声を出したときは、きちんと言い聞かせをしなくちゃ。ちっとも偉くなんかないよ。お母さんのしつけは不合格だよ」そんな感じのことを言っていました。
●キンキン声をがまんできるお母さんをどう評価するかは別にして、私の頭の中ではこの子が発した甲高い声、周囲の空気を切り裂くような声から思うところがあったのです。それは、「子どもの甲高い声は、お母さんを呼んでいる声だ」ということでした。
●同じようなことが、別の日、別の形で起こりました。バスの中での出来事です。中田神父は公共のバスを利用して移動しているところでした。この時も小さい子どもが自分の思い通りにならなかったのが面白くないのか、急に大声で鳴き始めました。
●バスと言えば、長さは8mから10m、限られた空間です。その中で子どもがその甲高い声で泣き出せばどうなるか、想像はつくだろうと思います。ものすごく響いて、バスの中の乗客の多くが、困ったなあという雰囲気になったと思います。私もそうでしたが、どうやらここまで話した二つの例を総合すると、中田神父は子どもは嫌いなのかも知れません。
●ちょっと話がそれてしまいました。さて子どもの甲高い声は、私にもう一つのことを考えさせてくれました。子どもに与えられたあの声は、自分がここにいることを母親に知らせるために、神さまに与えていただいた賜物ではないだろうか、ということです。
●実際には、聖書のどこにもそのようなことは書いていませんし、何かそのような宗教的な教え・解説があるわけではありませんが、私はファミリーレストランとバスの中での体験を総合して、母親がどこにいても、何をしていても子どもを見つけ出すために、神さまから子どもに与えられた賜物が、あの甲高い声なのではないかなあと思ったのです。
●もちろん宗教云々を持ち出してこなくても、生物学的にも十分説明のつくことだと思います。か弱い子どもが、いざというとき親に守ってもらうための唯一の手段は、大きな声を出すことです。そういう説明でも構わないわけですが、今回外食店に入って子どもの甲高い声でイヤだなあと感じたときに、とっさに感じたのは「この叫ぶ能力は、神さまに与えられたものだとしたら私たちはイヤな顔をしてはいけないよなあ」と思ったのです。まあ、マナーには反していたかも知れませんが。
●聖書の中に子どもの声が神さまの賜物だという教えは見あたらないと言いましたが(厳密に調べたわけでもありませんが)、ただ、これまで話したことと共通するような場面は取り上げられています。旧約聖書の一番目の書物、「創世記」の中で取り扱われています。旧約の民の偉大な先祖であるアブラハムの妻サラに仕える女性ハガルとその子についての話です。まずは読んでみます。
サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、アブラハムに訴えた。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」
このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。神はアブラハムに言われた。「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」
アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。
彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」
神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。
●この物語を読んでいると、たとえこの物語に学問的な裏付けや解説のようなものがなくても、子どもの泣き声が母親の心と神さまの心をどれだけ揺さぶるものであるかがよく伝わってきます。子どもとどれだけ距離を置いても、わが子の鳴き声が聞こえれば、居ても立ってもいられない。親とはそのようなものであるし、そのように神が作ってくださったのだと考えたいのです。
●さて、ここから一つのことを学びたいと思います。子どもは親の注意を呼び覚ましたりみずからの存在を周りに知らせたりするすばらしい道具を持っているわけですが、私にはそうした道具があるでしょうか。私がここにいて、私の叫びを聞いてもらうための何かしらの道具が、あるでしょうか。
●何か、子どもにとっての甲高い声のような、自分のことを周りの人や神さまに知らせる道具があればよいですね。もちろん神は、そんな道具がなくても私たち一人一人がどこにいてどのような状態にあるかを十分ご存知だとは思いますが、私たちの側からすると、叫びを上げたり呼びかけたりするための道具は、知っておきたいものだと思います。大人になった私たちに、何かそのようなものがないのでしょうか。
●私は、信仰心がその役割を果たすのではないかと考えております。みなさんのそれぞれの信仰でよいのですが、私はここにおります、私の願いはこれですと、はっきり物を言い、私の居場所を知らせるのは信仰ではないでしょうか。聖書の中で復活したキリストは、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と仰いました。いつも共にいてくださるのですが、「わたしはここよ」と呼びかける信仰の声も、忘れないようにしたいものです。

2006年6月

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●こんにちは、中田神父です。14年前に私が司祭の恵みをいただくに当たって、直前に用意した物があります。それは、司祭用の祭服です。司祭の祭服はその技術を長年培ってきた修道会に依頼するのですが、もしそのような段階に来たら長崎のレデンプトリスチンという女子修道会に祭服の制作を依頼しようと心に決めていました。使用する生地、また刺繍の見事さ、それらを一目見て、十年二十年使い続ける祭服は、やはりこの女子修道会にお願いしたいと思ったのです。
●さてこの女子修道会は、長崎市の小高い丘の上にあります。マリア文庫との関連で率直に言いますと、シスター野崎が所属している修道会です。修道会には活動の形でおもに祈りに専念する修道会と、教育や出版、福祉や社会活動に向かう修道会とがありますが、レデンプトリスチン修道会は、祈りに専念する修道会です。この修道会は祈りが活動の中心ですが、祭服を作ることで生計を立てています。ですから祭服作りは大切になってきます。
●さて、14年前に祭服を依頼するためにこのレデンプトリスチン修道会を訪ねていきましたが、当時は純粋に、自分にとって祭服が必要だから必要な場所にお願いに行ったという感覚でした。その後、14年たってこの6月に再び修道院を訪ねることになるのですが、14年ぶりに訪ねてみて、私が軽い気持ちで考えていたレデンプトリスチン修道会と自分自身との関係は、そんな軽いものではなく、とんでもなく重い絆であったことがようやく分かったのです。
●まず、14年ぶりにレデンプトリスチン修道会を訪ねていったいきさつからお話ししたいと思いますが、ちょうどその頃は、普通自動二輪(要するに中型のバイクです)の免許取得のために再度自動車学校に通っている時期でした。この自動車学校も、場所的にはレデンプトリスチン修道会とそんなに離れていない場所にあります。
●送迎バスに乗ったとき、コースによっては修道院のことをどうしても思い出すようなコースを通ることもあって、あんまり長引かせてはいけないなあ、いくら何でも一度行ったきりというのは良くないよなあと、だんだん苦しくなって、帰り道に修道院近くで送迎バスから降ろしてもらい、ようやく重い腰を上げて訪ねていったのです。
●祈りに専念する修道会の特徴は、住まいとしている修道院で祈りに専念するために、いっさい外の世界に出かけないということが原則になっています。つまり、いったんこの修道院の門をくぐったら、生涯この修道院の敷地の中で暮らし、外の世界に目を向けず、ひたすら自分を愛してくださるイエス・キリストに祈りを捧げる生活にはいるということです。そんな生活が可能なのだろうかという思いもちょっぴりありますが、実際にそのような修道女たちが住んでおられるのですから、納得せざるを得ません。
●機会があれば祈りに専念する修道会「観想修道会」(使用している漢字を説明すると、宗教的な建物を見学するときに使う「拝観」というときの「観」と、思想や言論の自由といったときの思想の「想」を組み合わせた字です)を訪ねてみるとよいと思います。ちなみに、修道院の敷地から一歩も出ないで生涯を神への祈りに捧げるためには、相当に心身の健康に恵まれていないと全うできないと思います。少なくとも、暗い性格の人や、怒りっぽい人や、快活さに恵まれていない人は、続かないと思います。
●こうして14年ぶりに修道院の玄関に立ったわけですが、気持ちとしては申し訳ない気持ち、訪ねようと思えばもっと早くに訪ねることができたのに、自分自身どうしてここまで怠ってきたのだろうかという自責の念でいっぱいでした。ところが修道院にいて14年間一度も顔を見なかったシスターたちが、何事もなかったかのように迎えてくださり、いつも話をしている間柄であるかのように楽しく談笑してくれたのです。シスターたちの寛大な心のもてなしに、涙が出る思いでした。
●レデンプトリスチン修道会は、いったんその修道院の敷地にはいると生涯そこから動かないわけですから、ある意味ではいつ行っても同じシスターにお会いできるというメリットがあります。例えば司祭は転勤があり、思い立って訪ねてみたらその司祭は転勤していて会うことができなかった、そういうこともままあるわけですが、ことこの修道院のシスターに関して言えば、生きてさえいれば同じシスターに10年後でも20年後でも会えるということになります。驚いたのですが、私のように忘れっぽい人間でも14年前に確かにおられたというシスターの顔がそこにありました。年齢は重ねてはいても、何も変わらずにそこで祈り続け、14年後も14年前と変わらないということに、ある種の驚きと畏敬の念に駆られたのでした。
●私は、この時の修道院訪問で次のようなことを考えました。この修道院に暮らすシスターたちは、一生涯何も変わらない生活を暮らしています。シスターたちがこよなく愛し、シスターたちも愛していただいていると信じているイエス・キリストに祈り続けるという単純明快な暮らしです。案外こうしたシスターたちの生き方の中に、神について、信仰について、深く考えさせる出来事があるのではないでしょうか。
●つまりこういうことです。神は、永遠の存在であるはずです。すべての宗教にあって、神がそこにいらっしゃるなら、神は滅びる神ではなくて、始めもなく終わりもなく、永遠に存在する方であるはずです。その神に、ある限られた時間の中で暮らす人間が神のすばらしさを知り、感謝の祈りや礼拝を捧げます。多くの場合、人間が捧げる礼拝は一日のうちのほんのわずかであり、生涯を通じてもその合計はそんなに驚くほどの時間ではないでしょう。
●ところが今回例に挙げた修道会のシスターたちは、永遠の神に一瞬祈るというのではなく、永遠に祈り続けているわけです。今日も、明日も、明後日も、特別変わったことを目指すわけでもなく、永遠に祈り続けるというこのたった一つのことを、シスターたちは継続しているわけです。
●私は彼女たちの姿を14年ぶりに確認して思ったのです。彼女たちは、確かに神を証ししている、ということです。私がこのような結論にたどり着いた理由は単純です。永遠に神が存在するのでなければ、どうして永遠に祈り続けることができるでしょうか。彼女たちの永遠に変わらない礼拝は、永遠に存在する神がいなければ報われないのではないでしょうか。
●もしも永遠に存在する神がいなかったとしたら、彼女たちは永遠に報われないことになってしまいます。彼女たちは何も変わらない祈りの生活を続けているというのに、失望や焦りの色もなく、むしろ喜びに充ち満ちているのを確認できたとき、あー、彼女たちこそ神の存在を強烈に証ししていると思ったのです。
●人をあっと驚かせる人物が、華々しい活動を通して神を証しするというのも一つの方法かも知れません。ですが、どの宗教にも見られるように、ただひたすら修行している姿、ただひたすら祈っている、念じている姿の中には、まことの神を感じさせる迫力があると思うのです。いつもスケジュールに終われてバタバタしている自分自身と比較して、何者にも動じないで祈り続けている姿に、ただ脱帽するばかりです。
●祭服を着て、今どこでどのように活躍しているのだろうか。14年前、司祭になりたての時はあどけなささえ残っていた一人の司祭が、今はどんな成長を遂げているのだろうか。そんないろんなことを思い巡らしながら、何年も会うことがなくても祭服を仕上げて届けた司祭たちのために祈っていたことでしょう。少なくとも私のよう祭服をもらいっぱなしで一度もお礼に来なかった人間のためにも寛大に祈り続けてくださったわけです。
●その場限りの関わりであるかのように軽く考えていたわたしの未熟さをつくづく思い知らされました。自分が親だったら、就職して14年間一度も連絡をくれない子どもがいたらどんな思いだろうかと、あらためて自分の取ってきた態度を反省した修道院訪問でした。

2006年7月

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●こんにちは、中田神父です。私は発行部数2万部の広報誌「よきおとずれ」の編集長を兼ねていますが、編集長とは言っても実際はデスクにでんと座っているわけではありませんで、取材をして記事を書いて、編集者をしながらの編集長です。ですから偉いか偉くないかというと、偉くないということになると思います。
●さて、今月はこの編集にたずさわる者の立場から一つの話をしてみたいと思います。編集作業に必要なことはまず最初の段階では2つのことが必要になってきます。1つは、記事を書くということで、もう1つは、写真を撮るということです。今月のお話しは、この2つのうちの1つ、「写真を撮る」ということについてお話ししたいと思います。
●写真撮影。幸いに中田神父は、高校を卒業したときから写真撮影に興味を持つようになりました。当時は写真を撮影するものと言えば、一般的なカメラが唯一の撮影する道具でした。現在はそうした一眼レフカメラと並行して、デジタルカメラも一般的になってきています。もっと言うと、編集部の立場からはデジタルカメラで撮影した写真のほうが重宝するというのが現状です。
●さて写真撮影の道具はあまり詳しく話すつもりはありません。詳しく話せばそれだけでも15分の枠を使い切ってしまいますが、むしろここでは、道具はどちらでも構いませんが、写真を撮影するということはいろいろ大変だということ、この点に絞って話してみたいと思っています。その中で、今が写真を撮る絶好の機会だという「シャッターチャンス」についての考え方も、お話しできたらいいなあと思っています。
●写真は本当に便利な道具です。旅行に出かけたとき、旅行先で撮った一枚の写真から、その旅行先のことを知らない人とも、または旅行地のことを知っている人とも、話をして楽しむことができます。また記録としての写真も、ある場合には事件や事故、また当時を切り取る決定的な写真を撮影した場合は、当時のことを思い出すだけではなく、その写真が後の時代の人々に当時のことを語り継いでくれたりします。いろんな楽しみ、いろんな大切な役割を、写真は担うことができると思います。
●さて、こうした写真を撮るためには、どうしてもカメラを構え、シャッターを切るということが必要になってきます。私は現在の広報活動にたずさわるまでは、カメラを構えてシャッターを切ることが時に大変難しいことがあるとは考えもしませんでした。広報誌に掲載する写真を何度か撮ってみて、いろんな感情が交錯することを、身をもって体験したのです。
●いくつか、例を挙げて話を進めましょう。この原稿は7月に書いたものですが、8月になると長崎では8月9日の原子爆弾が投下された日がやってきます。この日は投下された時間に平和を願う行事が行われます。平和公園という広い公園では、総理大臣を迎えての平和記念式典が行われますし、浦上教会では平和を願うミサが捧げられます。本当は朝早くからたくさんの祈りがこの日捧げられているのですが、例えば11時2分の投下された瞬間を振り返る式典に、取材する記者として参加するわけです。
●私は原子爆弾が投下されたことを直接知るものではありませんが、それでも当時大変な思いをした方々が、2度とあんなことを繰り返してはならないという思いで祈りを捧げている様子は、当時を知らない私たちにもひしひしと伝わります。当然、一緒に祈りを捧げ、平和を願います。ただ、この瞬間を新聞に掲載しなければならない記者の立場としては、熱心に祈るその場にいる人々の様子を、カメラに収め、シャッターを切らなければならないわけです。
●現代のカメラがどんなに高性能であるとしても、シャッターを切る瞬間「カシャッ」という音がするのを消すことはできません。例えどんなに小さなシャッター音であったとしても、写真に収めたい人物の正面に立って、またはすぐ近くに行って、大きなカメラを構えるということは、それだけで相手の人にも自分自身も緊張を強いられることなのです。
●これまでは趣味で写真を撮っていたに過ぎませんが、現在広報部に所属して、大切な場面を写真に収めて報道するという立場に立ってみると、大切な場面を逃したくないという思いと、その大切な瞬間を邪魔したくないという両方の気持ちが涌いてくるのです。本当にすばらしい瞬間は多くの人に伝えたいとは思いますが、そのためには誰かがカメラを構え、シャッターを切らなければならないのです。
●ほかにもあります。カトリック教会ではミサという礼拝の儀式がありますが、このミサの中でも、感動的な場面や残しておきたい大切な瞬間が訪れることがあります。私は司祭ですから、多くの場合ミサを捧げる側の人間としてミサに参加しています。ただしそういう場合でも、同時に編集部の記者として、カメラを構え、シャッターを切る必要も出てきます。
●これまではそのような場面もなかったから良かったのですが、最近は司祭の祭服を着た上にカメラを構えていると、何となく周囲の視線を感じることがあるのです。それは、レンズの向こうにいる人々の視線だけでなく、一緒にミサを捧げている同僚司祭の視線も、かなり感じることがあるのです。
●同僚司祭の気持ちは分からないでもありません。ミサという尊い礼拝を捧げている中で、大切な瞬間にシャッターを切るわけですから、ある程度気に障っているでしょうし、もしかしたら目障りと感じているかも知れません。ちょっとつらいなあと思います。けれども、大切な瞬間だからこそ、その場に参加できなかった多くの人、参加したくても参加できず、広報誌を通して様子を知ることを楽しみにしている多くの人のことを思うと、ひるんではいられないのです。
●よく、「シャッターチャンス」と言ったりします。出来事の決定的な瞬間、その出来事を一瞬でとらえている場面です。このようなシャッターチャンスはしばしば訪れるし、そうだと感じることがありますが、それがそのままカメラのシャッターを切るきっかけにならないことがあります。
●もちろんシャッターチャンスと思ってシャッターを切ることもありますが、その場面をカメラに収めるために本人の前に自分が出て行って、相手が祈っていようがシャッターを切る、沈黙して静けさの中にいる、その人の前に立ってシャッターを切り、音を立てることがどうしてもためらわれるということもあるわけです。こういう私は、もしかしたらカメラマンには向いてないのかも知れません。
●それでも今、かろうじて私にカメラを手に持たせ、シャッターを切らせてくれている力の源があります。それは聖書の次の言葉です。パウロという人が自分の弟子に語った言葉です。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(2テモテ4・2)。今私に委ねられているのは取材をすることで、そのためにはシャッターを切らなければならない。折りがよいときも悪いときも当然あるけれども、あなたがシャッターを切るときは、キリストの愛に駆られて働いているのだから、恐れてはならない。そんなキリストの呼びかけなのだと心に言い聞かせて、今日もシャッターチャンスを逃さないように、それでも内心は「ごめんなさい。申し訳ありません」と思いつつ、シャッターを切っているのです。

2006年8月

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●こんにちは、中田神父です。今年も8月9日に長崎市本土で平和を願う各種の行動が起こされました。そのうちカトリック教会としては長崎に原子爆弾が投下された11時2分に合わせて浦上教会で追悼のミサが行われました。同じ時間、平和公園では長崎市が主催する追悼行事が行われ、小泉総理大臣の出席のもと、長崎市長の平和宣言が響き渡りました。
●平和のための活動は各種の団体が8月9日いろんな時間で行われました。夕方、カトリック教会の平和アピールとして、浦上教会からたいまつ行列をして平和公園に集まり、平和祈願ミサをささげました。中田神父は取材ということもあって、この日一日長崎市本土にとどまって、追悼行事、平和を願う行事を取材して回りました。一日回っている中で、フッと心に浮かんだことを今月の話としたいと思います。
●一つの思いがふくらんだ伏線と言いましょうか、最初の最初のきっかけは、広島の原爆の日の放送でした。まだ日が昇る前の、薄明かりの時間から、ローソクの炎をともして平和を祈る人々の様子が映し出されていました。その日には特別に感じなかったのですが、長崎での追悼行事や平和祈願祭に参加するうちに、同じようにともされているローソクの炎から、「あー、もしかしたらこれが平和の原点なのかな」と感じたのです。ローソクの炎がともされているそのことだけでも、平和がそこにあると感じました。
●どうしてローソクの炎が平和を訴えかけてきたのでしょうか。中田神父はこう考えました。ローソクの炎がいつまでもともされ続けるためには、いくつかの条件が必要だと思います。ローソクは普通は平坦な場所に置かれます。つまりローソクを置くような平坦な場所があるということ、ローソクをいつでも設置できるスペースがあるということです。
●次に、ローソクは風が強いと消えてしまいます。ローソクが安定してともされ続けるためには風から守ってあげる必要があります。またローソクはしばしば夜の暗闇の中でともされるのですから、夜の静けさ、夜の安全が確保されている必要があります。こうした複数の条件が、ローソクの炎を安定してともし続けるために必要です。実はこれらの条件は、ただローソクのことだけを言っているのではなく、人間社会のことも言い当てているように思うのです。
●ローソクを置くための平坦な場所とは、暴力や破壊行為で家が壊され街が攻撃を受け、折り重なって家が倒れている状態とは正反対の状態です。生活の場にただ平坦な場所があるというだけでも、実は平和がそこに保たれているのです。
●毎日数百発のミサイルを撃ち合っている国があります。足の踏み場もないほどに地雷が敷き詰められたままの国があります。一見静かな場所でも、いつ飛行機が墜落し、バスが炎上するか分からない。それが、今の世界ではないでしょうか。
●ローソクが風から守られていること。強い風からローソクの炎を守のは建物であったり木豊かな自然であったりします。建物を失い、一本の木さえも無くなって荒れ果てた土地では、ローソクの炎をともし続けることは決してできないでしょう。私たちは砂漠の中にローソクがぽつんと立っている光景を想像することはできません。
●静けさが約束された夜。人の気配もない暗闇に、ローソクだけがともされるということがあるでしょうか。中田神父には考えられません。ローソクがともされ、その周りに人が集まり、静けさを味わっている。そういう光景こそが、ローソクの炎にはふさわしいのではないでしょうか。
●こうして考えると、ローソクの炎が安心してともされ続ける環境というのは、自然とそこに平和な環境が形づくられているような気がします。ローソクの炎は弱々しいものですが、その炎が安定してともされていることの中に、すでに平和な社会が実現しているのではないかなあと思うのです。
●また、もう一つのイメージがローソクからわいてきました。ローソクはみずからを燃やし続けながら炎をともすわけですから、いつかは燃え尽きてしまいます。燃え尽きる前に、次のローソクに炎を移してあげなければなりません。
●もし、うっかり次のローソクに移し替えずに燃えてしまえば、ある場合は炎が消えてそれで終わりになるかも知れませんが、ある場合は炎が次に自分を燃やし続けるものを探し出して、何かを燃やしてしまうかも知れません。燃え尽きようとしている炎が近くのものを燃やしてしまったら大変なことです。
●ローソクの炎は次のローソクに受け継がれる必要があります。これは単にローソクのことを言おうとしているのではありません。ローソクが安定して炎をともし続ける環境を、人間は次の世代に引き継がなければならないということです。平坦な場所を確保し、暴力の嵐から炎を遮り、静かで安心して眠れる夜を守ること。これが、ローソクの炎を次の世代に引き継いでいく人間に課せられた使命です。
●今年もたくさんのローソクが追悼のため、平和を願うため、ともされました。ほかにも家族の墓に行ってお供えをしたり、精霊(しょうろう)流しをしたり、あるいは花火で遊ぶときにもローソクが種火として用いられるかも知れません。それらも含めて、ローソクの火がともされている光景が、これからもずっと維持されていくように、のちの世代にも平和を考えてもらうきっかけになれば、と思います。

2006年10月

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●こんにちは、中田神父です。研修会のために10月16日から18日まで3日間東京に出かけておりました。この期間の研修を今月の話題にしていることから、もうすでに勘の鋭いみなさんはお分かりかと思いますが、今月の月刊アヴェマリアの録音も遅れに遅れてしまいました。大変申し訳ないことだと思っています。
●まずは、研修会の内容についてざっと紹介しておきたいと思います。もちろん、研修会の報告のようでありながら、中田神父の担当である宗教コーナーの前置きにもなっておりますので、そのつもりでお聞きになっていただきたいと思います。
●簡単にお話ししますと、「広報担当者として、広報誌の紙面はどのように作っていくべきか」という基本的な内容の研修でした。ここで言う広報誌とは、日本にある16のカトリック教会の区域ごとに置かれている教区報という新聞のことです。日本のカトリック教会は16の教区(教会の区域、という意味で教区という呼び方をします)に分かれていますが、この教区ごとに置かれている広報担当者が、自分たちの教区で出している教区報をよりよいものとするため、年に1回研修会を持つようにしているわけです。
●今年は、共同通信社の西出さんと毎日新聞社の内藤さんが講師になって下さって、教区の新聞作りに直接役に立つ点をたくさん教えてくださいました。ここでは、2人の講師のうちの西出先生の講義から少し話したいと思います。西出先生が受け持ったのは、新聞を作り上げる材料となる記事の書き方についてです。
●西出先生も駆け出しの頃は記事をまとめるのに大変苦労したそうです。新聞に初めて掲載してもらった記事は、記事に間違いのないようにと20回も確認のために電話をかけたと話していました。そこから学んで私たちに強調したことは、記事はあくまで正確であることが第一だから、もしも分からないことがあれば、分かるまで尋ねてください、ということでした。
●中田神父も、長崎の教区報の編集長を引き受けています。記事をお願いすることもあるし、記事を自分で書くこともあります。どちらの場合も、新聞に掲載するときは正確な情報として載せなければなりません。だれかに依頼した記事だから、内容に間違いがあれば書いて送ってきた人の責任だとは言えず、その記事を掲載した編集長である中田神父の責任になるわけです。
●本当にこの記事は間違っていないか。この内容で伝えたいことは正確に伝わるだろうか。もう一度、内容を確認してみてはどうか。西出先生の話を聞きながら、いろんな方法で記事の正確性を保つ必要を感じました。
●次に、記事を書く人は一方的な見方で記事を書いてはいけないということが教えられました。当然といえば当然のことですが、これが意外に難しいことが分かります。記事を書く人の気持ちの中でも、書いている記事について意見を持っているのが一般的です。記事の内容について、自分は賛成である、あるいは、反対である。たとえ、記事の内容について個人的に反対していても、記事は中立の立場で書く必要があります。反対しているからと言って、記事そのものに悪い印象を持たせるような誇張を入れたりしてはなりません。また個人的にも賛成している内容の記事について、その内容を誇張して伝えることもしてはいけません。あくまでも中立の立場で、記事を載せることに徹する。それが正しい記者のあり方です。
●もう1つ研修で学んだことを紹介させてください。それは、文章を書くときの大原則と言われる6つの点に、もう一つを加えて新聞の記事はまとめると伝わりやすいということでした。基本的な6つの点とは、「いつ」「どこで」「だれが」「何を」「どのように」「どうしたのか」という点ですが、この6つに加えて、「どんな意義があったのか」を加えてあげると伝わりやすいということでした。
●最初の6つは、記事の正確性に関わることですが、さらに付け加えられた1つは、記事になったその出来事が、どのような影響を及ぼすのか、どのような結果をもたらすのか、その出来事で何が変わるのかなど、単に正確な記事ということからは導き出されない多くのことを伝える働きを持ちます。このお話を通して、新聞記事には基本的な6つに加えて、さりげなく「意義」「価値」の一面を添えることでグッと内容が深まることが分かりました。
●さて、いつまでも研修会で学んだことの報告をお話しするわけではありません。この研修がどのように宗教コーナーとして結びつくかということに入っていきたいと思います。それは、中田神父が信じているキリスト教の教えにも、ある特定の記者が多くの人びとに伝えようとした記事があることに気が付いたのです。
●キリスト教が伝承してきた記事、それはイエス・キリストについての記事、つまり新約聖書のことです。新約聖書と言っても、ここでは特に、イエス・キリストの一生涯に関わる部分として、福音書について考えてみたいと思います。話をお聞きになっている皆さんは、それぞれの宗教の中で当てはまる書物があれば、当てはめて聞いていただきたいと思います。
●イエス・キリストについての記事、つまり福音書も、書き残した記者がいます。彼らのことを福音記者と言います。この福音記者について、彼らは現代の新聞記者のあり方を学んだことはなかったけれども、照らし合わせてみると驚くほど現代的なセンスがあったのではないかと思うのです。
●順を追って思い出してみましょう。第1の点は、記事の正確さということでした。古い時代だから、記事は嘘でも構わないということはありません。記事は正確、かつ信頼できるものでなければなりません。福音書はおよそ2千年前に書かれた記事ですが、福音記者はきっと、記事の正確性には万全を期していたのではないでしょうか。のちのち、この記事は嘘だと言われることのないように、正確な記事を心がけて書いたに違いありません。
●次に、中立の立場でものを見る、公平に記事を書くということですが、福音記者たちは全員がキリストを信じた人たちでした。ですからもしかしたら、キリストに都合の悪いことは隠して、都合のよいところだけを取り上げようとする、そういう思いがあればやろうと思えばできたと思います。
●けれども、福音記者たちはイエスにとって都合の悪いと思えるようなことも書き残しました。いちばんはっきりしているのはイエスが当時の指導者層に憎まれて、でっち上げの裁判のあげくに十字架の上で亡くなったという事実です。これは普通に考えればいちばん都合の悪い部分かも知れません。福音記者が公平中立な人物でなかったなら、これらの記事を削除することも可能だったでしょう。
●ところが、福音記者たちはこの事実を隠そうとはしませんでした。いくらイエスに都合が悪くても、人々の前に体裁が悪いと思えても、福音記者たちは事実を隠そうとはしなかったのです。
●同じようなことが、キリストの復活についても言えると思います。キリストの復活はにわかには信じがたいことです。そのまま伝えたことで、なんというばかげた話だと思われる可能性もあります。それでも、福音記者たちは公平中立な態度で、事実をありのまま伝えようとしたのではないでしょうか。
そして最後に、「いつ」「どこで」「だれが」「何を」「どのように」「どうしたのか」という点と、「どんな意義があったのか」ということも、福音記者たちは意識していたのではないでしょうか。
●イエスキリストが、いつ、どこで、何を、どのように、振る舞ったのか。そしてその行動にはどんな意義があったのか。この意義付けまで含めて、福音書の記事はまとめられたのだと思います。
●そうして福音書を読み進めていると、書かれている出来事は決して過去の記録ではなくなってきます。福音書の内容は、今の時代に、あるいは私にとって、どんな意味があるのか。そんなことをはっきり意識させる書物であるということです。古くて新しい、つねに現代に問いかける書物として福音書を残してくれた福音記者たちに、今年の研修会を終えてあらためて感謝の気持ちが涌いてきました。

2006年11月

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●こんにちは、中田神父です。ある日曜日、ちょっとした事故が起こりました。本人にとっては大きな事故だったと思いますが、私はかわいそうに思いながらもおかしさを隠しきれませんでした。
●その事故というのは、現在住まわせてもらっている司祭館にまつわる話です。司祭館の玄関には、新築祝いにプレゼントしていただいた郵便受けがあります。司祭館の茶色の煉瓦に合わせて、赤ワインのような色の郵便受けでした。この郵便受け、とてもおしゃれで似合っていたのですが、司祭館に届く郵便を入れるポストとしては大きさにやや不満がありました。
●辛抱していた賄いさんから、とうとう苦情が来ました。「神父様、今の郵便受けは小さくて大きな郵便物が届いたときに困ります。もっと大きな、会社で使うような郵便受けを見つけてきてください。これでは郵便局員も入らない郵便物で困るに違いありません。
●まあ、そう言われれば郵便局の配達員も何度も何度もやってきては本人がいるときに手渡しをしないと置いて帰ることもできず、困っていたようです。そこでいろいろ調べてみると、ありました。「どでかポスト」という名前の郵便受けを見つけたのです。早速注文して、待ちに待った大きな郵便受けが新たに玄関に据え付けられました。
●いちばん喜んだのは賄いさんです。料理の時や忙しいときに郵便の受け渡しに出る回数が減り、ずいぶん助かっているようです。今回の大きなポストにはうっかり中身を引き抜かれることのないように鍵まで付いていました。この鍵にも大変満足していたようで、しばらくは何事もなく過ごしていたのです。
●そこへ、事故が発生するその日曜日がやってきました。その日、朝から郵便物ではなくて宅配の荷物が届いていました。この宅配にたずさわる人はときどき荷物を玄関に置いて帰ることがあります。どうしても在宅の時に訪ねることができなかった場合に、仕方なく荷物を置いて帰ってしまうのです。
●この日も、巻き取り式の業務用コンセントが届いていました。玄関の隅に、邪魔にならないように置いていたのですが、その場所はちょうど、郵便受けの真下でした。事故は、ここで起こりました。「神父様、大きな荷物が届いていますよ、よっこいしょ、ガーン」。
●ものすごい音がして、何だろうと思って玄関に行ってみたら、痛い痛いと賄いさんが頭を押さえていました。何と、低い場所に置いてあった宅配の荷物を取ろうとかがんだら、頭の高さにあった郵便受けにまともに頭をぶつけたのだそうです。ステンレスの、銀色の郵便受けでした。
●「大丈夫ね〜?」本当だったらこう言ってあげるべきだったのでしょうが、私の口からとっさに出た言葉は、「賄いさんがぜひにといって注文した郵便受けでしょ。どうしてその郵便受けで頭を打ったりしたの」という言葉でした。
●お願いしてお願いして、ようやく取り付けてもらった郵便受け、確かに以前のものと比べたら厚みもずいぶん増して玄関にあってはずいぶん目立っていました。その、目立つ銀色のポストに、まともに頭をぶつけたのですから、痛かったことでしょう。
●「どうして郵便受けで頭を打ったりしたのかしら」。それは郵便受けを見てないからよ。用心しないからでしょ。のど元まで、そんな言葉が出かかったのですが、ちょっとかわいそうになって引っ込めました。本当に、何が起こったのかというくらいの大きな音がしましたから。
●聖書に、次のような言葉があります。「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」(マタイ7・1-5)。
●この中で出てくる人は、自分の目の中に丸太があるのに、兄弟の目にあるおが屑を見て、取らせてくださいと言いました。イエスはその例えを引いてから、「まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」と言います。
●確かに、私たちは他人の欠点や不足は目に入ってくるものですが、自分の中にある欠点にはなかなか気付かないものなのです。賄いさんは、どうしても大きな郵便受けが欲しい、ぜひ取り付けてくださいと願ったのですから、考えてみれば誰よりもその郵便受けを意識できるはずなのです。
●それなのに、賄いさんは郵便受けのことを全く忘れていて、郵便受けの下に置いてあった業務用コンセントにしか目がいかず、思いっきり頭をステンレスの郵便ポストにぶつける羽目になったのです。大事故にならず、また他のだれにも見られることなく、笑い話で終わったので良かったのですが、一歩間違えば脳しんとうを起こして病院に担がれるところでした。
●自分の欠点には気付かない。確かにそう言うことがあります。全く気付かないわけでもないのですが、気付いていても心を向けようとしなかったり、指摘されても認めようとしないなど、相当に人間は頑固なものです。私たち人間の頑固さのために、イエスがおいでになったときにイエスを通して気付くべきだった点に気が付かず、自分の取るべき態度に思い至らず、イエスを十字架にかけてしまったのかも知れません。
●中田神父は今月この反省に立ってあとわずかとなってしまった年末に心を向けています。私にとって年末とは、クリスマスです。イエスの誕生をお迎えする時期です。先の振り返りを重ねて考えるなら、イエスは欠点をなかなか認めたがらない人間を救うために、この世においでになり、十字架にかかって復活します。今年もそのためにイエスはおいでになるのですから、イエスに本当に申し訳なく、頭が下がりっぱなしです。
●皆さんも、良い年末と新年をお迎えください。

2006年12月

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●こんにちは、中田神父です。この号が届くのは1月でしょうか、2月でしょうか。ちょっとそんなことを気にしながら始めたいと思います。つい最近、中田神父が日曜日の礼拝でおこなっている説教の原稿がまた1冊の文庫本になりましたので、紹介したいと思います。
●その前にまず、11月の下旬でしたか、アヴェマリアのテープを楽しみに聴いてくださっていた方の1人が、お亡くなりになりました。ご冥福を心からお祈り申し上げます。今この時にもどこかで、アヴェマリアのテープを聴いてくださっているのではないかと期待しております。
●さて、説教集の話に入りましょう。日曜日のミサ説教集の出版は今回で3冊目です。中田神父は初めから3冊出す予定でいましたので、今回の出版でようやく目的を達成したことになります。なぜ3冊出す必要があるかといいますと、カトリック教会の日曜礼拝で読まれる福音書の朗読は、3年周期で組まれています。日曜日のミサをささげる司祭は、この3年周期の福音書の朗読箇所に沿って、毎週日曜日の説教を準備しているわけです。
つまり、聖書のお話は3年過ぎるとまた元に戻りますから、3年分が本になれば、朗読に沿った話をひととおり味わうことができます。中田神父もできるだけ多くの人にイエスのメッセージを届けたいと思い、努力して全3巻を完成させました。
●カトリック教会の司祭が日曜日のミサでおこなう説教について、少し付け加えて話しておきたいと思います。日曜日のミサにおいて、司祭は必ず朗読箇所に沿った説教をしなければならないことになっています。説教は必ずおこないますが、例えば原稿を準備して説教に臨むのかそうでないのかと言うと、もしかしたら原稿を準備して説教をしている司祭のほうが少ないかも知れません。
●もう少し言えば、最初の数年間は原稿を準備していたけれども、それから原稿は書かなくなったという方もいると思いますし、原稿を手元に置いて話すと、原稿に縛られてしまって生き生きとした説教ができないという理由で原稿をいっさい書かない方もいると思います。ある司祭は原稿がないとしっかりした説教ができないから必ず用意するという方もいます。
●中田神父は、原稿がないと順序立てて話すことができないと考えているので、いちばん最後のタイプの司祭に当てはまります。けれどもカトリックの司祭が説教するのは日曜日のミサだけではありません。結婚式と葬儀、またミサ以外の礼拝行事でも説教する場合があります。中には、すべての場合に原稿を準備なさる司祭もいるかも知れませんが、中田神父は、日曜日のミサだけ原稿を手元に置いて説教し、結婚式や葬式では頭の中で話の内容を整理しておいて、神が私を通して語らせるままに語っております。
●ついでになりますが、原稿を用意した説教と原稿なしの説教ではどんな違いがあるかと言いますと、中田神父の場合ですが、やはり原稿なしの説教のほうが訴えかける力は強いと感じます。つまり一度もうつむいたりしないで話すわけですから、よく内容を吟味した説教であれば、原稿のない方が数段まさっていると思います。
●ところが、原稿なしで話している場合、問題点もあります。1つは、「言葉を選ぶことができない」ということです。あとで考えるともっと適当な言葉遣いがあったのに、その場で思い付かなかった。そういうことが起こりえます。
●もう1つあげるなら、たとえ話を入れた場合、原稿を準備している説教であればいくつか考えられる可能性のうちの1つを選んでたとえ話を使うことができますが、原稿を持たずに臨んでいる説教は、その時に浮かんだたとえ話を使わなければならないということです。場合によっては、適当でないこともあり得ます。
●こうしたことを総合的に考えると、やはり原稿を用意して話したほうが、安全確実に伝えたいメッセージを伝えることができると考えます。さらに言うと、今回のように文庫本の形で出版されて、マリア文庫のスタッフがこの説教集を丹念に読み込んだ上で音訳してくださるなら、きっとその音訳がいちばんすぐれた説教なのではないかと思っています。
●なぜかと言うと、説教集を出版する際に中田神父は念入りに目を通していますし、それをさらに音訳者が著者の言いたいことを汲み取る努力をしたのちに朗読してくださっているわけですから、こんなにていねいな説教はないと思っています。実は音訳で中田神父の説教を聞いてくださる方が、最高の状態で説教を聞いておられる方なのかも知れませんね。
●第3集として今回の説教集を発行しましたが、明らかに頁数は今回の3冊目がいちばん多くなっています。これまで出した2冊よりも長めに話をしている、あるいは話が長くなっているということでしょうか。おそらく音訳するとどの説教も15分くらいになると思います。
●日曜日は52週あるわけですから、単純計算で約13時間の音訳ものになりそうです。もしも今回の説教集が音訳されるとしたら、いったいどなたが音訳してくださるのでしょうか。また、どなたか聴いてくださる方がいらっしゃるのでしょうか。
●最後に、少しだけ今回の説教集への思いを聞いてください。すべての司祭がご自分の説教を本にするわけではありません。本にするためにはそれなりの時間が必要です。多くの司祭が忙しい中で活動しておられます。その上にさらに本を出版するために時間を見つけ出し、400字の原稿用紙にして427枚の原稿に目を通し、多くの協力者と出版社のおかげで手元に届きます。私は男性ですが、あえて言うならわが子のようにかわいいのです。
●この説教集を通して目の前の信徒の方だけでなく、1人でも多くの人に神の愛が、キリストの思いが届いて欲しい。その一心で自分を奮い立たせてここまで来た次第です。
●宗教がいったいこの世の生活に何になる?そういう方もおられるかも知れませんが、一度この本を読んでもらって、宗教ってそんなにこの世とかけ離れてないんだな、むしろ生活と深く関わっているんだな。自分の宗教、もう一度見直してみよう。そんな気持ちになってもらう助けに、今回の文庫本が貢献してくれたらいいなあと思っています。

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