マリア文庫への寄稿
「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。
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2005年11月
●こんにちは、中田神父です。長崎市の純心大学というカトリック系の大学に授業をしに行きました。もともと女子短期大学から出発した学校ですので、講義を受けた生徒は全員女子、しかも私が講義をした学年は1年生(フレッシュマンというらしいですが)でしたので、中には高校を卒業して間もない生徒もいたということになります。講義のテーマは、「命の時代を生きる」というものでした。今回は大学生の講義を皆さんにもお話しして、今月分に充てたいと思います。
●「命の時代を生きる」というテーマから大きく二つのことを取り上げました。一つは「命」の大切さ、もう一つは「生きることの大切さ」です。どちらも切っても切れないわけですが、おそらく命を大切にする心がなければ、生きる大切さにも心が向かないわけですから、切っても切れない内容ですし、どちらも考えるべき内容を含んでいると思います。
●命の大切さをなぜ呼びかけるかというと、21世紀を迎えた社会は、命を粗末に扱う風潮が広がっているからです。昭和の40年代50年代、私たちがすべてのものに命を見て、尊重するという雰囲気はどこにでも見られました。家で飼っている動物や家畜が襲われて死んだりすれば、穴を掘って埋めてあげることくらいはしたわけですが、今は生き物が死んだことを「これでおしまい」としか考えない子どもたちが現れてきていると思います。
●野山に出て一日中遊び回ることが普通だった時代から、ゲーム、特にコンピューターゲームがなければ遊べない子どもたちが増えています。どんぐりでコマ回しをしたり、クモを捕まえてきてケンカをさせたり、大きなバッタを捕まえてきてどこまで遠くに飛ぶか競ったり、生き物に触れて遊ぶ時代は過去のものとなって、今は機械と遊んでいる子どもたちばかりです。
●海の中ではプランクトンから始まってそれをエビやカニが食べ、それらを小魚が食べ、中型の魚が食べ、大型の魚が食べると、食物の連鎖も見られたのですが、人間はこの生き物のバランスに割って入って人間の都合で大量に目当ての魚をかき集め、いらないものは捨ててしまい、環境に相当な負担を掛けています。こんな時代に、生き物をいたわり合い、身近な命あるものに感謝し、自分の命のすばらしさを思う学生に育って欲しいと思いつつ、講義に臨みました。
●命の大切さを考えるポイントは二つあって、私の命は私の持ち物ではないということと、私の命は実は与えられたものですという点に絞られます。私の命が、あたかも自分の持ち物であるかのように考えている間は、持ち物であれば手放すことも取り戻すことも簡単にできるわけですが、命はもちろんそのようなものではありません。それなのに、自分の命は自分の勝手と、命を投げ出してしまう人が多いのです。手の中にあるものを手放すのであれば、その人自身は残ります。ですが、自分自身を消し去ることと、手の中にあるものを失うこととでは、意味がまったく違ってくるわけです。
●また、命を与えられたものだと考えるとき、私たちの物の見方はよりよい方向に変えられていきます。例えば私が人から本を借りたとき、その本を折り曲げたり線を引いたり、ましてや汚したり破いたりするならば、持ち主に対してたいへんな失礼を働くことになります。良識ある人間であれば、借りた本は最低でも借りたときの状態で戻すはずです。もし心ある人であれば、借りたことへの感謝のしるしを添えて、持ち主に返すことでしょう。
●同じことが、命についても当てはまります。命を、与えられたものだと考えるなら、そこには必ず与え主がいるはずです。与え主は、与えた命を大切に生きて欲しいと願っていることでしょう。また命が与えられたものであれば、人間は与えられた命をいつか返すときが来ます。その時に、与えられた命の価値を下げてお返しすることは与え主に対して失礼に当たります。むしろ、命の価値を高め、美しく装って、あるいは命のすばらしさを完成させようと努めたのちに、与え主に返すべきではないでしょうか。
●こうして、人間の命は、与えられたものだと考えることで、今の社会にあって命の尊さをいっしょに考え、人にも伝えていくきっかけがつかめるのではないかと呼びかけたわけです。自分の持ち物だと考える人と、与えられたものだと考える人とでは、たいへんな開きが出てきます。
●例えば幼い命について、自分の自由になると思っている人は、自分の都合や配偶者の都合などで命を排除することまで考えるようになります。一方与えられたと考える人たちは、何としても幼い命を守ってあげようという気持ちに向かうはずです。同じ一つの命が、この世に送り出そうとする人の価値観や考え方によって、排除されてしまうとしたら、本当に悲しいことです。
●次に、命が与えられたものだとして、与え主がいていつかお返しするものだという考え方に賛成していただけるなら、ではどのように生きていけばよいのかということに考えが向かいます。どのように生きるかもまた、人間にとって大切な問いかけです。この問いに対して、まず「生き方の基準」を見直すことから始めました。
●何を取り入れ、何を避けて、何に賛成し、何を非難すべきか。これらのことを決めるのは、あの人がこう言ったからではなくて、私の中にある物差しに照らし合わせて、これは賛成、あれには反対と決めていくに違いありません。その、人間一人ひとりの中にある物差しは何でしょうかと、この点から考えることにしました。
●「人生は山を登るようなものだ」例えばこうした教訓のようなものを人生を送る上での物差しにする人もいるでしょう。ある人の伝記を読んで、自分の生き方の羅針盤にしようと考える人もいるでしょう。理想としては、残した言葉も、残した生きざまも、両方とも自分の人生を決めていく揺るぎない道しるべになる人を見つけられるとすばらしいと思います。
●もちろん中田神父にとっては、生き方の基準となるのはイエス・キリスト、このキリストに言ってみれば意見を求めながら、どのように生きていけばよいのかを常に考えながら道を進んでいます。学生たちにとって、生き方の基準は見つかっているでしょうか、考えてもらいました。
●最終的に、理想としている生き方があることに触れて、講義を終わることにしました。それは、言葉はややこしいのですが、命が与えられたもので尊いものだとすれば、その尊さを人にも理解してもらえるように働きかけるならすばらしいということです。そこには三つのすばらしさがあって、人に命の尊さを気づいてもらうということがあり、自分が人を生き生きとさせる、人を生かす生き方に身を置くことになり、最終的には命を与えてくださった方の「命を与え、生き生きと生きていくように向けていくことはすばらしいのだよ」という、与えてくださった方の思いに触れることになるからです。
●ちょっと、ややこしかったかも知れません。もう一度整理すると、人を生かすことになるし、人を生かす生き方ができるし、命を与えてくださった方の思いに触れることができるというわけです。命を与えてくださった方、それは人間よりも劣るものではなく、きっと人間より優れた方に違いありません。それは中田神父にとっては信じる神ということになります。
●どうか、私たちの社会が、もう一度命の大切さを知り、みなが生きていこうという気持ちになりますようにと願います。生きている価値がないとか、生きていてもしょうがないとか言わず、この人生は生きるに値すると、みなが理解しますように。学生たちがそのことに気づいて、これからの学生生活に生かしていって欲しいと願うばかりです。
2005年12月
●こんにちは、中田神父です。11月14日、教会の隣にある保育園の依頼で七五三のお祝いをいたしました。本来は11月15日が七五三のお祝い日なのですが、11月15日、ちょっとお休みをいただきたくて無理を言って前日にお願いしたのでした。七五三の日程変更はまんまとうまくいったのですが、その直後に11月15日に中田神父が編集長をしているカトリック長崎大司教区の新聞「よきおとずれ」の関連でインタビューをしたい人がいるので、編集長も15日に同行してくださいと委員の方にお願いされました。
●人間の計画とはかくもはかない物で、休みを取って釣りに出かけようと思っていたら、ちょうど計ったかのように外せない仕事が舞い込んできます。今回もまざまざとその事実を知らされたのですが、こうしてみると人間の一生とは人間が計画できる部分はごくわずかで、あとは神さまの深いご計画の中で人間は生かされているのだとつくづく感じたのでした。ちなみにインタビューを試みた方はかなりの話し好きで、インタビューの仕事が入ってもなお、釣りの時間が残されていないだろうかと思っていたのですが、そのわずかな望みさえも消し去られてしまいました。本題に入る前の長い長い前置きが2時間、本題が10分という何ともバランスの悪いインタビューでした。
●また、この出来事でもう一つ学んだことは、忙しくてもうこれ以上仕事を入れる時間はないなあとどれだけ思っていても、神さまがご計画したことであれば、神さまは仕事を天から降らせてくださるだけではなく、仕事を達成するための時間も送ってくださるということでした。そんな時間なんてないよー、と思っていたのに、よく考えればあー、あの時間を割り当てればうまく仕事を成し遂げることができるなあと気が付いてしまうのです。気付かなければよいものを、どうしてか分かりませんが、こういうふうに工夫をすれば、ちゃんとその仕事もこなせるなあと、見通しが立ってしまうのです。神さまが計画されることは、なるほどうまくできているものだと、妙に感心してしまうのでした。
●さて、今月お話ししたいことは、七五三のお祝いでの出来事です。カトリックの司祭は結婚しませんので、小さな子どもに接する機会は、ある意味保育園の行事に参加するときくらいといって良いかも知れません。そういう貴重なふれあいの時間の中で、小さなことですが、一つの発見がありました。それは、七五三のお祝いプログラムの中の「共同祈願」という部分です。
●「共同祈願」そのものは七五三に特有の物ではありませんで、カトリックの儀式の中では頻繁に取り入れられる願いの形です。代表者が願った祈りを、共同で、父なる神に届けて願いを聞いてくださるようにと祈るものです。カトリックで頻繁にささげられている「ミサ」の中でも、また種々の儀式、例えば結婚式、葬儀や告別式、さまざまなものの祝福に際して、例えば墓の祝福や新しい家の祝福など、折々に用いられる自由な形の願いの祈りです。
●この、共同祈願を園児の代表の方が唱えるわけですが、準備した祈りの内容もほほえましいのですが、その唱えている様子がとてもかわいくて、あーこれなら神さまがどんなに忙しくても、今日のこの子どもたちの願いを必ず聞き入れてくださるのではないかなあ、そう思ったわけです。実際に唱えられた祈りは正確には覚えていませんが、例えば次のような内容を、子ども特有の甲高い声で唱えました。
●「かみさま、これからもぼくたちわたしたちが、げんきでほいくえんにかようことができますように」「かみさま、わたしたちのいのりをきいてください」中田神父の録音で園児たちのかわいい声がどの程度伝わったか分かりませんが、素直に聞き入れてあげたいと、中田神父でも考えそうな声でした。もちろんそれだけで話を終わらせることもできますが、もう少し考えてみたいと思います。
●七五三の中での祈りを唱えた園児たちの祈りは、もう少し踏み込んで考えると、「祈りの中に求められる姿勢」を、実に見事に取り込んでいるのではないかなあと思いました。基本的に祈りは、「礼拝・賛美・感謝・願い」の要素を含むわけですが、先の子どもたちの姿には、祈りを祈りとして成り立たせるもっとも大切な部分を本能的に備えていると感じたのです。
●こういうことです。いちおう、「礼拝の祈り」「賛美の祈り」「感謝の祈り」「願いの祈り」と区別することにします。実際の祈りの中ではこのような区別が本当に必要なのかという疑問もないわけではありませんが、こうした祈りの要素を純粋に保つことは、大人の私たちには実は難しい部分があります。それは大人と子どもの違いといっても良いのですが、大人は祈るときに、どうしても私心(ししん)が働くわけです。無心になって祈るということが、なかなかできないのです。
●ところが、子どもたちはその私心が芽生えていませんから、無心に祈ることができます。欲得もなく、「せっぱつまっているので叶えてもらえなかったら困る」ということさえもなく、すべてを委ねて祈るわけです。実はこのような態度が、「礼拝の祈り」を本来の礼拝の祈りにするわけです。「わたしは、こんなに礼拝していますよ」そういう心の動きがあると、やはりどこか、純粋な礼拝の祈りではなくなってしまいます。
●子どもたちにはこの心の動きがありません。無心で、甲高い声で祈ります。「叶えてくれても、叶えてくれなくてもいいよ」ということとは違うのですが、あえてたとえるなら、「叶えてくれるか叶えてくれないか」すらも神に委ねている純粋な祈りを、子どもたちは本能的に備えているように思います。むしろこのような姿勢が、神の心をとらえて放さないのではないでしょうか。
●もう一つ考えたことは、甲高い声そのものです。すでに私たちは失ってしまった特徴ですが、考えてみると子どもたちの甲高い声は、子どもというか弱い存在が社会の中で目に付くように、神さまが与えてくださった特徴なのかも知れません。大人であれば自分の存在をいろんな方法で知らせることができるでしょうが、子どもはそうした力を備えていません。一つだけ、その甲高い声で、例えばデパートの人混みの中で自分の居場所を母親に知らせたりするわけです。
●神は、か弱い命だからこそ、その叫びが人にも神にも届くように、甲高い声を与えてくださっているのでしょう。それは広く考えると、弱い立場に置かれているすべての人に、実は神が何らかの方法でその存在を人にも神にも知らせる方法を授けてくださっているのかも知れません。私にとって、神がお与え下さった私の存在を知らせる方法は何でしょうか?じっくり考えてみたいと思います。
●今月七五三の祝いの中で、子どもたちに秘められた能力を教えられる思いがしました。
2006年1月
●こんにちは、中田神父です。最近、一人の方が天に召されましたが、その方の生き方について今月はお話ししたいと思います。その方は教会につながる階段を何十年と美しく保ってくださっていた方でした。誰からもお願いされたわけでもなく、自発的にずっとずっと掃除をしてくださっていたのでした。
●この女性は、内向的な面があって、掃除をしているときに通りかかった人から声を掛けられてもひと言もあいさつを交わしたりはしない人でした。実際に中田神父もそのような事情を知らず、「いつもいつもご苦労様」と声を掛けたことがありましたが、最初は返事がもらえずに「どうして?」と思ったこともありました。
●さて、この方が突然お亡くなりになって、通夜の説教でいったいどんなふうに話をすればよいのか、ずいぶん考えました。中田神父がこの方について語るとすれば、教会の階段をずっと掃除してくださっていた、そのことくらいしか知らなかったからです。その場にふさわしく、話してあげたいと強く願っていました。
●そこで、次のようなことを考えました。まずは、馬込教会においでになるとき、誰もが必ずこの階段を登ってくるのだから、階段を登るたびに、この一段一段をていねいに掃除してくれた人がいたことを忘れないようにしたいと切り出しました。それから、新約聖書ルカによる福音書の第2章、神殿でイエスが献げられる場面に登場する「アンナ」という女預言者を取り上げて話しました。
●このアンナという女性は、非常に年を取っていて、神殿を離れず、断食したり祈ったりして、昼も夜も神に仕えていた女性でしたが、幼子イエスを腕に抱き、神を賛美するという幸運を得た女性でした。このアンナになぞらえて、教会をたえず離れず、一日も欠かさずに黙ってお仕えしていた女性が神に呼ばれたのであるから、今度は神の懐に抱かれるという幸いを得ているに違いありませんと話したのです。
●この社会に縛られて生きている私たちは、神殿に象徴される「信仰心」を離れずに暮らすということはたいへん困難ですが、彼女の心の中には、教会のことがたえずあったのです。たとえ玄関掃除が終わったとしても、彼女の心は教会のそばにあったに違いありません。たえず心を教会のそば、神のそばに置いていた女性が、神に取り上げてもらえないということがあるでしょうか。私は、間違いなく神に受け入れられ、今平安のうちにいると思っております。
●もう一つ、彼女の輝きを取り上げるとすれば、彼女が「小さなことに忠実であった」ということでしょう。聖書には、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16:10)とあるのですが、教会につながる階段掃除は、あるいは本当に小さな小さな仕事かも知れません。
●馬込教会は季節を問わず海から吹いてくる強い風を受けていますが、この風のおかげで教会の階段はどれだけ掃除してもまた散らかってしまうのが実情です。そうであれば、「毎日掃除するのは効率的ではない」とか仰る方も必ず出てくると思います。ところが彼女はそのような「効率・非効率」で物を考える女性ではありませんでしたので、雨が降ろうが槍が来ようが、掃除してくれたのです。
●これはつまり、「小さなことに忠実であった」ということです。そして、「小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実」とは、人間がそう言っているのではなくて、神であるキリストが、そのように判断しているわけです。ですから、この女性はごく小さなことに忠実であったわけですから、天の国の恵みという大きな物を与えても忠実に保つことができると思ってくださり、ご自分のもとにお呼びになったのではないでしょうか。
●この、「小さなことに忠実であった」ということは、もう一つのたとえ話につながっていきます。それは、最後の審判の様子と言われる物語です。審判の日、神は善人と悪人をそれぞれ右と左に分け、善人には「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
●実は善人は、いつそのような良いことをしたのか覚えがないというのですが、神は「生前もっとも小さな人にしてくれたお世話は、わたしにしてくれたことなのだ」と説明してくださいます。身の回りにいる助けを必要としている人、それもごく小さなお世話を神は取り上げてくださるというたとえ話です。
●教会の階段を掃除してくれた女性は、神から「小さな務めを果たしてくれたのは、わたしにしてくれたことだよ」と取り上げてもらって、神のもとで安らかに憩っているのではないかと考えて、参列した方にそのように話したのでした。ごくごく小さなことだったかも知れませんが、神はこの方のお世話を決して忘れておられないと考えています。
●私たちは一つのことを突き詰めていくと、その一つの分野を誰にも劣らぬ才能に磨き上げることができるわけですが、神はそのような生き方を必ず見ておられるのではないでしょうか。中には結婚してみたら姑さんの介護がその先40年も待っていたというようなこともあるかも知れません。
●ですが、その40年を、神はたとえその1日でも忘れてはおられない、「最も小さなその姑さんにしたことは、わたしにしてくれたことなんだよ」と取り上げてくださるのだと思います。神さまのもとにたびだった一人の女性が、私たちにそのことを教えてくれているような気がしてなりません。
●この世を去る人は、あの世に行く先輩だというのが、中田神父の考えです。つまり何かあの世に行くにあたって先輩として教えてくれると考えています。わたしは、今回一人の女性を神さまに送り届ける中で、この人が神さまのもとへ行くための道をどのように準備するのかを教えてくださったような気がします。
●彼女は、毎日神さまのおられる教会までの道を掃除しました。それは、小さなことに忠実な日々でした。また、最も小さなことのように思われる務めを果たして、神さまはそれを見ておられました。彼女が示した生き方や模範は、実は私たちがこの人生を全うした後にあの世に招かれ、幸福を得るための分かりやすいお手本だったのだと考えています。私たちも同じようにすれば、神の国への道が自ずと開けてくるのではないでしょうか。
●どこにも名前の残らないような一人の人の人生と思われるかも知れません。けれども神さまの前には特別に光り輝いている人生ですし、私も彼女の生きざまを見て、たくさんのことを紹介できました。生き方を神さまに向けている人の人生は、どんなに人目に付かないものであっても神さまの前には偉大なのですね。
2006年2月
●こんにちは、中田神父です。ふっと思い立って、自動二輪の免許を取りに行くことにしました。この話が届く頃にはすでに免許を取得しているかも知れませんが、今回の話を準備する時点では、前半部分の仕上げの実習を受けているところでした。中田神父は自動車の免許を持っているため、今回は自動二輪の実技だけを教わりに行ったということになります。
●自動車学校で受ける教習はおもに三種類の乗り物です。まずは普通乗用車、次に大型の自動車、そして自動二輪、つまりバイクということです。そして全国の統計を見ればはっきり分かるのですが、圧倒的に普通乗用車の免許を取りに来ている生徒さんたちが多くて、自動二輪の免許を受ける人は少ないのです。それなのに、先生は生徒にちょっと厳しくて、うーん、こんなものかなあと思ってしまうことがあります。今月はその辺から入っていきたいと思っています。
●さてこの自動二輪の教習、いちおう順調に時間をこなしてきていたのですが、前半の終了を見極める5時間目に、残念ながら合格できませんでした。この5時間目が合格の印鑑をもらえないと、後半の教習に参加することができないのです。実力がなかったのですから仕方ありませんが、どうしてこの日はうまくいかなかったのだろうと、ついつい原因探しをしてしまうのです。
●5時間目の見極めの日、注意を受けたことが2つと、良い評価を受けたことが1つありました。注意点は、まだまだ乗車姿勢が固くて、ゆとりがないということと、周囲の状況にまったく注意を払ってなくて、先生の指示を何も見ていなかったということでした。評価が良かったのは、低速で細い直線道路を通過する練習だけは、うまくできているということでした。
●乗車姿勢が固いという指摘は、たかだか5時間乗ったくらいでうまくなれと言う方が無茶な気もしますが、確かに体に力が入っていればバイクを的確に操作することはできませんし、何よりもケガにつながってしまいます。自分で危険な状況を作っているわけですから、指摘を受けるのも無理はありません。むしろ中田神父にとってショックだったのは、「先生の指示をまったく見ていない」ということでした。
●自慢して言うのではありませんが、中田神父は外出中たいていの場合顔見知りの人をこちらから見つけて声をかけます。または声をかけない方がいいなあという状況もこちらが先に見つけますので、声をかけない代わりにそばでどんなことをしているのか、どんな様子なのかを観察することができます。周りから先に見つけられている状況では、こんな芸当はできません。
●何が言いたいか。つまり、中田神父は割合周りに目を配って、素早く周りの状況をつかむ才能に恵まれていると思っていたということです。それが、今回のバイクの教習で見事に打ち砕かれてしまったのです。まったく周りが見えていない。自分に与えられた課題をこなすので精一杯だということを指摘されて、がっかりしたし、ショックを受けたのです。あーそんなに周りが見えてなかったんだと。
●「一を聞いて十を知る」というのでしょうか。的確な状況判断は何事においても大切なわけですが、今回の自動二輪教習ではそのような状況判断は何もできていなかったようなのです。まったく、自分がどういう状況にあるのかが分かっていませんでした。ただ、こちらの言い分もあるにはあるのですが。
●こちらの言い分とはこういうことです。この見極めの日に私の指導に当たってくれた教官は、ほとんどバイクに乗ることなく、一定の場所に仁王立ちになってただ「ああしろこうしろ」と指示を出すだけだったのです。何よりもあきれてしまったのは、坂道発進での場面です。「坂道発進の練習はしましたか?練習しなかった?では今日練習します。坂を下りきってから、登ってくるまでに5回坂道発進と停止を繰り返してきてください。要領は普通自動車と同じです。はいどうぞ」そう言っただけで、一度も坂道発進のお手本を見せてはくれなかったのです。
●先生に文句を言っても仕方ありませんが、「さあやってみなさい」と言うだけでお手本を見せてくれなかったら、生徒は戸惑うに決まっているではありませんか。どうやって正しい坂道発進を身につけろと言うのでしょうか?それでいて、「そんなことしていては課題をクリアできませんよ」と言わんばかりの態度で坂道の頂上で仁王立ちになっています。一度坂道発進の実演をして、さあこの通りにやってご覧なさいと言うのが、筋ではないでしょうか?
●ところが、そう文句を言っている中田神父自身が、同じ過ちに陥っていることに気付きました。私は何かを教えたり指導したりする立場にあるとき、ほとんど手出しをしないようにしています。教えてもらっている人が自分で気が付くまで、たいてい放っておくのです。なぜそうするかというと、手出しをして具体的な指摘をすれば、その人はその場では気が付くでしょうが、同じような場面を次に経験したときにまた困るだろうと思うからです。いつも私がそこにいるわけではないのですから、本人が気が付いて解決策にたどり着かなければ、身に付かないという理由から、いっさい手を出さないことにしているのです。
●たいていの場合は、そのようにしても問題を克服し、自分で何とかできるようになるのですが、いざ自分がそのような場面に放り込まれたときに、自分で這い上がろうとせず、「あの先生の教え方が悪い」と心の中で思ってしまったのです。実際は、自分がいつもしていることを人からされたに過ぎなかったのですが、そのことに気付くことができず、「はい、あなたは課題を克服できませんでしたので、今回の課題を次の教習の時にもう一度やり直します。先に進むことはできません」と言われてしまったのでした。ああこういうことかと、自分でこれまでの自分の振る舞いを思い返したのです。
●次の聖書の言葉を思い出しました。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」
●どこかで自分も、誰かに対して仁王立ちして「必要なことは自分で見つけ出しなさい。わたしからは決して教えないよ」と言っていたに違いありません。先ずは自分が模範を示して、手足を使い汗を流して教えてあげる。だんだんと面倒になってくる部分を決しておろそかにしてはいけない。いくつになっても、どのような地位に立つことになっても自分と向き合う努力を怠ってはいけないのだと、あらためて考えさせられました。
●そこで先生、先生にもう一度言いたい。坂道発進を教えるときは、せめて一度だけでいいから先生もバイクに乗り、そばに付いて、アクセルの開き方、クラッチのつなぎ方、後輪ブレーキの離し方、この三つのスムーズな連携を、面倒がらずに教えてください。そうすれば、見よう見まねで生徒は覚えますから。目の前で見せてくれるなら、私はバイクで逆立ちすることだって、まねをして見せましょう。無理だけど。
2006年3月
●こんにちは、中田神父です。自分では気付かないけれども人からそのことを指摘されたらようやく気が付くということはよくあることです。今回録音聖書というものを購入しまして、CDに録音された聖書を収めたケースの帯に、次のような推薦の言葉が書かれていました。
●「15世紀半ばグーテンベルクによって活版印刷が発明されるまで、聖書は多くの人にとって聞くものでした。それは、『七年ごとに全イスラエルに律法を読み聞かせよ』などの、聖書に記された戒めに起源します。現在日本で最も広く愛用されている『聖書 新共同訳』は、聞くだけで理解できることを考慮した翻訳です。聖書の言葉を、創造主なる神からの親しい語りかけとして『人の声の響き』を通して味わうことは、大きな喜びです。ただ聞くだけでも、また聖書の文字をじっくり追いながら聞いても、新たな発見があることでしょう」
●ああそうか、中田神父は思わずそんな声を漏らしました。この状況をもう少し説明すると、この原稿をまとめて録音しなければと、締め切りを一日過ぎた日に先のメッセージに出会って、「ああそうか。これで今回の録音はできるな」という思いと、日頃聖書を読み、語り聞かせることを任された司祭でありながら、聖書は多くの人にとって聞くものだったんだということがそれほどピンと来てなかった。今回ようやく、「ああそうか、そうだったったんだ」という実感が得られたということです。
●たしかに、神の言葉は書物に書き留められましたが、多くの人はそれを語り聞かせる人を通して耳で聞いたのでした。たとえばそれは、天地が創られた物語からイエスの誕生以前の時代である旧約時代において、律法の読み聞かせなどは集会の場に人々が集まって羊の皮で作られた巻物やパピルスという植物に書き記された巻物を開いて代表の人が読み聞かせ、それを民衆が聞いて先祖の偉大な過去を思い起こしたり、自分たちへの戒めとして心に刻んだりしたわけです。
●そのような箇所を聖書から拾ってみましょう。先に録音聖書の推薦の言葉で出て来た「聖書 新共同訳」から、引用してみたいと思います。先ずは詩編の第22編、のちに新約聖書の「ヘブライ人への手紙」の中でも引用されている次の言葉です。「わたしは兄弟たちに御名を語り伝え/集会の中であなたを賛美します。」
●実はこの引用は、別の見方からも大変重要な箇所です。引用した詩編第22編は、次のような言葉で始まる詩編です。「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか」。つまりこの言葉は、イエスが十字架上で最後に語られた言葉の一つで、イエスは絶望の中で息絶えたのではなく、詩編の続きには「わたしは兄弟たちに御名を語り伝え/集会の中であなたを賛美します」とあるのですから、希望のうちにこの詩篇を歌いながらこの世を離れたことになります。これはちょっと余談でした。
●横道にそれましたが、この詩編第22編の作者は「兄弟たちに御名を語り伝える」とあるのですから、明らかにこの作者は「語って」「聞かせる」ということを意識していたはずです。「兄弟たち皆が読んで味わう」ということではないはずです。巻物の聖書は現実問題そうたくさんはなかったわけですから、多くの人にとって神の言葉、聖書は聞いて学び、子孫にもそのように教えるたぐいのものだったのです。
●次に、これはカトリック教会のミサで用いられる賛美歌なのですが、詩編の第78編から取られたものです。もちろん新共同訳の引用でも構わないのですが、中田神父は賛美歌のほうで習い覚え、親しみを感じておりますので、賛美歌の歌詞に引用された詩編の日本語訳から紹介したいと思います。次のような詩です。
●「民よ、わたしの教えを聞け/わたしの語ることばに耳を傾けよ/わたしは口を開いてたとえを語り/過去のできごとの神秘を告げ知らせよう。」「耳で聞いて知ったこと/先祖がわたしたちに伝えたこと/神の誉れと力、その行われた不思議なわざを/わたしは子孫に隠さず、次の世代にかたりつげよう」。実に力強く、そして自信に満ちあふれた詩の内容です。こうしてイスラエルの民は自分たちの先祖に起こったこと、つまり聖書に書き記されたことを、子孫に語り継いだのです。読み継いだのではなく、語り継いだのです。
●歌はいつもへたくそなので恐縮ですが、典礼聖歌の中に収められている歌のうち、今紹介した部分だけ、ちょっと歌ってみたいと思います(典礼聖歌58番?「神のわざを思い起こそう」)。
●今月の話でお伝えしたいこと、そして同時に中田神父自身が考えなければならないことは、「聖書はいつも聞いて分かるように心がける必要がある」ということです。どういうことかと言うと、神の言葉は、何か机に座って筆記用具とノートを構えなければ理解できないものではなくて、聞いて分かる、聞くことで心に刻まれ、よく分かって実行もできるというものであるべきだということです。
●このためには二つの方向からの努力が必要になってきます。一つは、書き物として(印刷物としてと言ったほうがよいでしょうか)残されている書物としての聖書は、やはり文章として美しく、聞いたときに心によく響くものでなければならないということです。耳で聞いたときに耳障りの悪い文章では、従来聞いて理解するものであった聖書の古くからの姿を今に受け継ぐことができません。
●ひところ「読んで美しい日本語」とかそんなたぐいの本が流行りました。どうして流行ったかを考えるとそれぞれの国の言葉が、多くは聞いて美しい言葉であるから、本来の言葉の美しさを国民が再発見するように促す必要を感じ、その活動に国民が同じ思いを持つから本が売れるのだと思います。考えれば日本語は聞いて美しい言葉だと思います。他の国の言葉にしてもそうでしょう。
●書物としての聖書、たとえば新共同訳は、先に示したとおり「聞くだけで理解できることを考慮した翻訳である」と明言しています。そうするともう一つの方向からの努力が、おおいに問題となってくるわけです。もう一方の努力とは、みことばを伝える人の努力です。神の言葉を語る人の唇が、聞いて分かるだけのものにしているかどうか、この点からの努力が何より重大なのです。
●中田神父自身を考えてみましょう。私は毎日、聖書の中の福音書という箇所をミサに集まった方々に読んで聞かせます。果たして、聞いて分かるような朗読をいつも心がけてきただろうか。そう思って胸に手を当てると、やはり意識していないことのほうが多いと思います。さらに日曜日ともなると、朗読した福音書に沿って説教をしています。
●この説教、果たして聞いて分かるものになっているだろうか。聞いただけで分かるためには、手元に準備している説教案がまずは聞いて分かるような言葉で準備されている必要があるでしょうし、私の発音や声の調子、口調など、すべてが「聞いて分かるように」という心構えで整えられている必要があります。そこまで本当に、細やかな神経を配っていただろうか。
●もっともっと、日頃何気なく提供している説教案や何かの記事や連載物について、あくまでも聞いて分かることを目標に、気を配っていきたいと思います。そうした日頃からの努力が、中田神父のいちばんの務めである「神の言葉を聞いて分かるように伝える」ということにつながってくるのだと信じます。さて今月のお話は、聞いて分かる話だったでしょうか。
2006年4月
●こんにちは、中田神父です。人間には、誰もが抱えていることと、ある限られた人が抱えているものとがあります。誰もが抱えていることは、誰もが抱えていることに気付くことができれば、その人にとってそんなに重荷ではなくなります。けれども、みなが同じように抱えているわけではないもの、限られた人が抱えなければならないようなものについては、しばしば重荷と感じるのではないでしょうか。
●家庭で介護の必要な人を抱えている家族があります。家族みなが年齢に応じた健康に恵まれていれば幸いですが、ある家族では寝たきりの人を介護しなければなりません。体の健康は保たれていますが、家族の中に記憶の障害を抱えた家族がいることもあります。たとえば、ということで今挙げてみたわけですが、やはり、誰もが抱えていることではなくて、ある家庭、ある家族に限って起こることと言えるでしょう。こうしたお世話は、時として重荷と感じるのではないでしょうか。
●私は、誰もが抱えているわけではないもの、限られた人が抱えているものを、「犠牲」と受け止めたいと思います。「重荷」ではなくて「犠牲」です。なぜ「犠牲」と呼びたいのか、その辺をこれから考えてみましょう。
●「重荷」という言葉の印象は、「自分にのしかかってくるもの」といった印象を受けます。生活の労苦に、さらに上乗せして人を悩ませるもの、そんな印象が「重荷」という言葉から感じられます。では「犠牲」という言葉は何を感じさせるでしょうか。
●「犠牲」は、「いけにえ」とも共通する言葉ですから、「ささげもの」という意味合いが含まれています。私たちの持ち物の中から、または私たちの才能や時間から、いくらかのものを「おささげする」という意味を持っている言葉です。この「犠牲」という考え方を知っていたら、私たちの生活は少し変わっていくのではないでしょうか。
●限られた人が抱えているものがあります。他の人を見聞きすると、自分が抱えているものを抱えていないように感じます。その時「重荷」と感じるか、「犠牲」と考えるかでは、生活は相当違ってくるのではないでしょうか。
●「重荷」と感じるのであれば、もうそれは少しでも早く逃れたい、自分の肩から取り除きたいと切に願うことでしょう。もしも「犠牲」と考えるなら、見方は変わってくるかも知れません。「犠牲」はささげものです。ささげものであれば、ささげる相手がいる、受け取る相手がいるということになります。私が抱えている悩み苦しみは、もしもそれが「犠牲」であれば、その悩み苦しみを受け取ってくれる相手がいるということです。
●ここからは「犠牲」ということについて考えを進めていきましょう。「犠牲」がそこにあれば、受け取る人がいるはずです。犠牲を受け取るのは誰でしょうか。他の人にはない、その人だけが抱えているものを犠牲としてささげるのは、たとえば自分がお世話をしている目の前の人にささげるのでしょうか。
●私は違うと思います。犠牲を払っているのは確かに目の前のお世話をしている人かも知れません。けれども、その犠牲をささげている相手は、実は目に見えない方ではないでしょうか。カトリックの司祭の立場で言わせていただくと、その犠牲をささげている相手は神であるということです。犠牲は、目の前の人に対して払っていますが、その犠牲がささげものとして届く相手は、つねに神ということです。
●この点が理解できると、生活に変化が現れてくることでしょう。他の人には言えないその人だけの苦労や悩み、抱えているものが「犠牲」として受け止められるなら、その苦労や悩み、抱えているものは最後にはささげものとなり、神のもとへ届くということです。
●ささげものは、つねに尊いものです。ささげる相手が誰であれ、その相手が受け取ることのできる方、ささげものを受け取るにふさわしい方であれば、ささげものは値高いものです。ささげものにはいろいろあるでしょう。貴重品であったり収穫物であったり、収入の何分の一かをささげものとすることも考えられるでしょう。
●ですが、ある場合ささげものは涙のうちに差し出す場合もあります。これまで話してきたように、ある人に限って抱えている苦労や悩みは、貴重品でもなければ大地の実りでもありません。涙のうちにささげるものです。ささげものを受け取る方は、中田神父が言う神は、人間の労苦という犠牲を、受け取ってくださるのでしょうか。
●私は、受け取ってくださると思います。神は、人間がささげるささげものを差別なさいません。ささげものが涙のうちにささげられたものであっても、神にとってはこの上なく尊いものなのです。そのことを、イエス・キリストの十字架の場面に重ねて考えてみたいと思います。
●ご存知かも知れませんが、キリスト教の信仰によれば、イエス・キリストは人類の救いのために、十字架の上で命をささげ、苦しんでその最後を全うされました。イエスがこの最後の場面をどのように考えていたか、次のような場面が残されています。いよいよ最後が近づく中で、イエスはゲッセマネという場所でこう言われました。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
●イエス・キリストは「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と仰いました。これは、自分の最後の場面が明らかに「犠牲」であり、しかも、できれば避けて通りたい犠牲であったことを意味しています。苦しみを伴う十字架の最後は、決して喜ばしいものではありません。けれども、その犠牲を受け入れてくださる神は、苦しみのささげものとなった十字架での出来事を値の高いものとしてお受けになったのです。
●イエス・キリストが身をもって教えてくださっています。犠牲は、必ず神に受け入れられるのです。それがたとえ、自分にとって避けて通りたいものであっても、苦しみを伴うものであっても、神は私のささげものを値の高いものとして受け取ってくださるのです。
●最後に、ささげものが受け入れられたあとは何があるのでしょうか。ささげものが受け入れられた結果は、報いとして返ってきます。イエス・キリストご自身が十字架上での最後をささげた結果は、キリストの復活という出来事でした。私たちがささげる「犠牲」にも、神は報いを用意してくださいます。
●おそらく、ここがいちばん聞きたいところでしょう。「それではどんな報いがもらえるのでしょうか。」実は私にはどんな報いが用意されているのか分からないのです。答えをごまかすわけではありませんが、報いは神が与えるものですから、神がご存知ですとしか言えないのです。
●ちょっと、がっかりしたかも知れません。けれども神が私の犠牲を覚えておられ、神が報いを用意しておられる。そのことだけでも十分ではないでしょうか。私たちは人間のあいだでも願ったことが願ったとおりに叶えられることはめったにあるものではありません。何かお返しが返ってきただけで大喜びすることさえあります。ですから、神が忘れずに報いを用意しておられるのであれば、あとは心配しないことにしましょう。
●近いうちに報いが実感として感じられるかも知れません。あとで振り返って、あのときの犠牲の報いは、こういうことだったのだろうかと感じることもあるでしょう。いずれにしても、犠牲を受け入れる方は、報いをお忘れにはなりません。私が涙のうちに犠牲をささげたのであれば、私の犠牲は覚えられていて、報いも保証されています。今日、何か犠牲をささげたでしょうか。今日、人にはない労苦や悩みがあったでしょうか。神は常に、あなたのそばにいてくださいます。
2006年5月
●こんにちは、中田神父です。キリスト教の暦では復活のお祝いの季節に原稿をまとめています。今回準備した話は締め切りを十日以上遅れて提出したので本当にマリア文庫のみなさんには申し訳なく思っています。もしかしたらこの録音をお聞きくださっている方々にもご迷惑がかかっているのではないかと思うと穴があったら入りたいくらいです。
●中田神父は出かけたついでに外食するとき、ファミリーレストランや外食チェーン店に入るのですが、ある外食チェーン店に入ったときのことでした。近くのテーブルに親子連れが席を取っていて、私が店に入ったときから子どもの声が聞こえていました。たまたまその日は複数で食事に来ていたのですが、子どもの声がずいぶん気になったものですから、「声が大きいよね」と一緒に店に入った友達に言ったのです。
●「声、ずいぶん響いてるよね」と一緒に入った人も返事をしたのですが、噂していたその子どもが、店中に響く声で何かを叫んだのです。私の耳には、何を言ったのかまったく聞き取れませんでしたが、あまりの甲高い声に、私を含め一緒にいた人もムッとしていました。「あんな大きい声を出されると、私は我慢できないなあ。お母さんは一番近い距離であんな声を聞いているのだから、大したものだよね」と言ったのです。
●すると、一緒にいた人はこう言いました。「偉くなんかないさー。ここは公の場だから、あんな大きな声を出したときは、きちんと言い聞かせをしなくちゃ。ちっとも偉くなんかないよ。お母さんのしつけは不合格だよ」そんな感じのことを言っていました。
●キンキン声をがまんできるお母さんをどう評価するかは別にして、私の頭の中ではこの子が発した甲高い声、周囲の空気を切り裂くような声から思うところがあったのです。それは、「子どもの甲高い声は、お母さんを呼んでいる声だ」ということでした。
●同じようなことが、別の日、別の形で起こりました。バスの中での出来事です。中田神父は公共のバスを利用して移動しているところでした。この時も小さい子どもが自分の思い通りにならなかったのが面白くないのか、急に大声で鳴き始めました。
●バスと言えば、長さは8mから10m、限られた空間です。その中で子どもがその甲高い声で泣き出せばどうなるか、想像はつくだろうと思います。ものすごく響いて、バスの中の乗客の多くが、困ったなあという雰囲気になったと思います。私もそうでしたが、どうやらここまで話した二つの例を総合すると、中田神父は子どもは嫌いなのかも知れません。
●ちょっと話がそれてしまいました。さて子どもの甲高い声は、私にもう一つのことを考えさせてくれました。子どもに与えられたあの声は、自分がここにいることを母親に知らせるために、神さまに与えていただいた賜物ではないだろうか、ということです。
●実際には、聖書のどこにもそのようなことは書いていませんし、何かそのような宗教的な教え・解説があるわけではありませんが、私はファミリーレストランとバスの中での体験を総合して、母親がどこにいても、何をしていても子どもを見つけ出すために、神さまから子どもに与えられた賜物が、あの甲高い声なのではないかなあと思ったのです。
●もちろん宗教云々を持ち出してこなくても、生物学的にも十分説明のつくことだと思います。か弱い子どもが、いざというとき親に守ってもらうための唯一の手段は、大きな声を出すことです。そういう説明でも構わないわけですが、今回外食店に入って子どもの甲高い声でイヤだなあと感じたときに、とっさに感じたのは「この叫ぶ能力は、神さまに与えられたものだとしたら私たちはイヤな顔をしてはいけないよなあ」と思ったのです。まあ、マナーには反していたかも知れませんが。
●聖書の中に子どもの声が神さまの賜物だという教えは見あたらないと言いましたが(厳密に調べたわけでもありませんが)、ただ、これまで話したことと共通するような場面は取り上げられています。旧約聖書の一番目の書物、「創世記」の中で取り扱われています。旧約の民の偉大な先祖であるアブラハムの妻サラに仕える女性ハガルとその子についての話です。まずは読んでみます。
サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、アブラハムに訴えた。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」
このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。神はアブラハムに言われた。「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」
アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。
彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」
神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。
●この物語を読んでいると、たとえこの物語に学問的な裏付けや解説のようなものがなくても、子どもの泣き声が母親の心と神さまの心をどれだけ揺さぶるものであるかがよく伝わってきます。子どもとどれだけ距離を置いても、わが子の鳴き声が聞こえれば、居ても立ってもいられない。親とはそのようなものであるし、そのように神が作ってくださったのだと考えたいのです。
●さて、ここから一つのことを学びたいと思います。子どもは親の注意を呼び覚ましたりみずからの存在を周りに知らせたりするすばらしい道具を持っているわけですが、私にはそうした道具があるでしょうか。私がここにいて、私の叫びを聞いてもらうための何かしらの道具が、あるでしょうか。
●何か、子どもにとっての甲高い声のような、自分のことを周りの人や神さまに知らせる道具があればよいですね。もちろん神は、そんな道具がなくても私たち一人一人がどこにいてどのような状態にあるかを十分ご存知だとは思いますが、私たちの側からすると、叫びを上げたり呼びかけたりするための道具は、知っておきたいものだと思います。大人になった私たちに、何かそのようなものがないのでしょうか。
●私は、信仰心がその役割を果たすのではないかと考えております。みなさんのそれぞれの信仰でよいのですが、私はここにおります、私の願いはこれですと、はっきり物を言い、私の居場所を知らせるのは信仰ではないでしょうか。聖書の中で復活したキリストは、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と仰いました。いつも共にいてくださるのですが、「わたしはここよ」と呼びかける信仰の声も、忘れないようにしたいものです。