マリア文庫への寄稿

「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。
2004年 4月 5月 6月
2004年 7月 9月 10月

2004年4月

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●こんにちは。中田神父です。伊王島町・馬込教会に転勤しました。こちらの様子と、前の任地といちばん環境が変わった「炊事」つまりご飯炊きについて、大変遅くなりましたが二回分レポート致します。結構楽しめると思いますので、ご飯を食べている人は喉に詰まらせないように、飲み物を口にされている方はひっかけないようにお願い致します。
●こちらに来て、以前の教会よりもますます海が近くなりました。それは距離という意味でも、また教会の信徒の方々が海から生活の糧を得ている人が多い、という意味でもそうです。海が近くにあると仕事が手に付かない中田神父としては、こんなに誘惑の多い教会に、どうして責任者の方は私を赴任させたのか、首をひねりながらも感謝感激の日々を送っております。
●4月23日金曜日に赴任したのですが、その次の日に、私はいてもたってもいられずに夜に街灯で明るく照らされた波止場に行きました。当然のことですが、釣り竿を持って、夜のイカ釣りに出かけたのです。出かけてみると先客が一人いまして、挨拶をして友達になれば、こちらの様子もすぐに分かるなあと思って声をかけました。
●「おばちゃん、釣れてるね」「うんにゃあ〜、今日はまだ釣れんねぇ」「ぼくもイカ釣りに来たとさね。いっしょによか?」「うん、よかよ。兄ちゃんは土日に旅行でホテルに泊まって夕涼みに釣りに来たとね?」「いやあ、おいは昨日来たばっかりの教会の神父よ」
●「えええ!ありゃ〜神父様っては知らずに、これは失礼しました。それなら神父様、こんな場所で何ですけれども、神父様に聞いて欲しか相談のあるとですたい。こうこうでですね、どがんしたらよかでしょか・・・」やはり神父はどこへ行っても神父です。身の上話を釣りの最中に聞いてあげて、心の悩みに答えてあげる。ここで私はまず最初の、主任司祭としての仕事をこなしたのでありました。
●日曜日は、当然ミサの礼拝が行われます。この礼拝の中で、私の第一声となる説教を行ったわけですが、皆さんとても熱心に聞いてくださり、あーこれで私は受け入れてもらえそうだなという感触を得たのでした。もしもよろしかったら、日曜日毎のミサの様子は収録してマリア文庫に届けておりますので、マリア文庫のほうにお尋ねください。
●明けて月曜日、伊王島町役場に出向いて、転入届を提出しに行きました。この島は、島全体で一つの町(行政の単位)になっていまして、この一つの行政単位の六割がカトリック信者という、非常に希な地域です。当然、役場にも六割はカトリック信者がいると考えてよろしいわけですが、何と町長、助役、町議会議長、ほとんどの要職がカトリック信者でした。
●日曜日の朝にミサに参列していたのでしょう、助役さんのほうから私に声をかけてくださいまして、「せっかくおいでですから、町長と面会していってください」と案内されました。町長は大変恰幅のよい方で、人間的にも豪快な方と言えば様子は伝わるかと思います。本当に気さくな面会時間を設けてもらい、あとでは町の三役を交えて夕食会の席までも用意していただきました。町長はじめ役職についておられる方から励ましのことばをいただいた中から一つ取り上げますと、「神父さん、どうぞ遠慮なさらずに、バリバリやってください。突っ走ってください」ということでした。これは心強いなあと思い、その思いで日々を過ごしております。
●伊王島町には、馬込教会と大明寺教会という二つの教会が建っています。それぞれの教会の雰囲気は、その地域性からまったく違う特色が出ています。今ここですべてを紹介するには時間が足りませんが、馬込教会のほうは漁師の多い教会、大明寺のほうは漁師でなくてそれぞれ何かの仕事をしている方の集まりといった感じでしょうか。それは、それぞれの信徒が建てた教会にも、色濃く反映されていると思いました。
●教会堂の建物についても、ビックリするほどの違いがあります。馬込教会は伝統的な教会の造りです。そそり立つ塔、中はコウモリ屋根、太くてがっちりした石柱(石の柱)が何本も教会の中にそそり立って、教会堂を支えています。
●一方、巡回教会である大明寺教会は、外観も中も、いわゆる現代風の建物で、伝統に縛られない、合理的に造られた教会です。この対照的な二つの建物からも、教会についての考え方が、その土地の雰囲気を色濃く反映しているなあ、と思いました。
●また、私が赴任してくる直前に、もう一つ沖に浮かぶ高島というところで共同体を作っている高島教会も、馬込教会の巡回教会に含まれることになりました。ですから私は、一つの島の中の二つの教会と、もう一つ離れた島にある三つ目の教会を掛け持ちすることになったわけです。
●ここで長崎市からの交通ということを話して、もう少し全体の様子を伝えようと思いますが、伊王島(馬込教会と大明寺教会のある島です)までは、今のところ船しか渡る方法がありません。将来的には伊王島までは橋が架かることになっているそうですが、今は高速船コバルトクイーン号で長崎港から20分です。いつも海は穏やかなことが多く、とても快適な船旅です。
●高島教会のある高島は、同じコバルトクイーン号が伊王島に船を着けてそのあと続けて高島まで通っているのですが、伊王島を出た途端に海の様子が変わります。もうそこは外海(そとうみ)になっていて、普通でも波が出ますし、天気が悪いときには弱い人はすぐに船酔いしそうなくらい海が荒れます。
●こちらに来てからまだ3週間くらいですが、その間にも伊王島まで来た船が悪天候のために高島には立ち寄りませんというアナウンスが何度も行われました。確かにその日強い風が吹いてはいたのですが、船が通わなくなることがあるくらい名のですから、結構に荒れるのだと思います。
●さてこの高島にも、私がお世話する高島教会があり、信徒の方がおられます。高島はまた高島独特の雰囲気があります。伊王島はどちらかというと長崎に近い島ですが、高島はある程度離れている島ですから、本当に島の暮らし、純粋な島に住む人の信仰を持っているなあと感じました。
●いちばん驚いたことが、小学生が少ないということです。伊王島のほうから言うと、島全体の六割、600人ほどがカトリック信者ではありますが、小学生はその中でたったの3人しかいないのです。本当なの?と疑いまして、しつこくシスターに聞いたところ、やはり、島で唯一の小学校の全校生徒が30人しかいないので、どこを探しても3人しかおりませんと、きっぱり言われてしまいました。高島にはカトリックの小学生は4年生の男の子1人でした。
●これは、私に課せられた一つの十字架・重荷だと思いました。実際に3人・または4人の子どもしか存在しないわけですから、その子どもたちがのびのびと信仰面でも育っていくように、精一杯のお世話をしてあげたいなあとあらためて思ったところです。
●子どもが少ないということは、それだけ高齢者が多い、ということです。実際に思うことですが、日々の礼拝に参加する人も、また日曜日の礼拝に集まる人も、年齢を重ねた方が多いのです。そこから導かれることは、私はこの方々に、より分かりやすい話を準備して、これから神の言葉をかみ砕いて届ける必要があるということを強く感じました。
●おそらく、今までの説教のスタイルでも十分伝わるだろうとは思っていますが、それでも念には念を押して、私が選んだ言葉は、本当におじいちゃんおばあちゃんの心まで届くだろうか、そういうことを考えながら説教に心を砕く必要があると感じました。
●こうした事情は、限られた小さな島ならではの独特の事情ではありますが、そこはもう机の上の話ではなくて、実際にそういう現実なのだと受け止めて、その中で可能なことは何か、妥当な宣教活動の方針は何か、そういうことを導き出していかなければならないと、あらためて気持ちを引き締めているところです。
●景色も美しく、すぐ向こうには長崎港の町並み、ちょっと前まで暮らしていた「いわゆる都会」が見える小さな島で、新たな生活が始まりました。これからどんなドラマが起こるのか、とても楽しみにしています。私の印象では、今は追い風を受けて、いっぱいに帆を広げればどこまでも前進しそうな、そんな雰囲気です。きっと、これまでの時間で刻んできた歴史の上に立って、さらに一時代を築いていくぞ、そんな意気込みですので、どうか皆さんも暖かく応援してください。
●では、次の号ではちょっと趣向を変えまして、38歳の独身男性が、どのような食生活をしながら今日までの3週間近くを過ごしてきたかを、克明に皆さんにレポートしたいと思います。お楽しみに!

2004年5月

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●こんにちは。中田神父です。皆さんは新しいことに挑戦してみようというとき、どれくらいまでだったらやってみようかなあと考えるのでしょうか。例えば、長い時間架かっても良いから、違う国の言葉を一つ覚えるぞ。そんな夢には挑戦することがあるでしょうか。あるいは、出かけると言ったら、県内くらいのものだったけれども、思い切って日本を飛び出して、一度でいいから海外の行きたい国に出かけてみたい。そこまででしたら、挑戦しようという気になるものなのでしょうか。
●中田神父にとっての現在の挑戦と言えば、それは間違いなく「自炊生活」ということになると思います。実はこれまで、司祭になって12年間というもの、いっさい台所に立ったことがありませんでした。それは、食事に関しては教会で奉仕してくれる修道女の中からどなたか一人が、司祭の食事の世話をしてくださっていたからです。
●ところが、今回赴任した教会は、事情がまったく違っていました。まず、修道女の方々にはお願いできない事情だということが分かりました。また、教会役員の方が思い当たる婦人会の方々に当たってみたのだそうですが、何人もの方が「神父様のお世話なんて、とんでもない。私には無理です」とていねいに断られて、これまでのところ行き詰まっているようです。
●実はそれ以前から私の耳に入ってきた情報から、どうやら自炊をしなければならないらしいということはうすうす感じていましたので、一念発起、まったく台所に立ったことのない38歳の神父ですが、いっちょうやってみるか、ということになりました。
●やってみるかというかけ声は勇ましいのですが、本当に料理の経験はありませんから、私にとってはすべてのことが始めての経験です。台所に用意されているものを一通り見回し、冷蔵庫や引き出しに置かれている材料を総合して、まず導いた結論は、これは一ヶ月ともたないに違いない、ということでした。
●経験は問いませんという職種がありますが、料理に関しては経験を問うと実感しています。例えば、野菜を切ろうにも、危なっかしい手つきです。基本的に「白いご飯」と「主食のおかず一品」それに「野菜」と頭では考えていますが、白いご飯がまともに食べられるようになったのは一週間を過ぎた頃でした。
●情報だけはこの年ですからたくさん入っています。ご飯は炊飯器よりも土鍋を使ってガスで炊いたほうが格段に美味しい。そう聞きかじっているわたしはできるかどうかも考えずに土鍋を購入しましてさっそく挑戦しました。最初のご飯は忘れもしませんが、何だか焦げ臭いなあと思ったら、お米の半分は土鍋の中で炭になっているではありませんか!お焦げが少しできるくらいが美味しいと言いますが、少しなんてものではありませんでした。泣く泣く2合の米のうち、炭になってしまった半分を捨てて、残りの半分をしょんぼりしながら食べたのでした。当然、美味しいはずもなく、何だか古墳時代の非常食を食べているような気分でした。
●ご飯は、時と場合によって固めが良かったり柔らかめが良かったりします。カレーライスを食べるときのご飯は少し固めがよいかも知れません。それは頭では分かっているのですが、できたご飯はおじやのようなご飯ができあがりまして、「カレーおじや」を食べざるを得ませんでした。チャーハンを作ろうというときも、もう少し固めのご飯を考えていたのにうまくいかず、「チャー・おかゆ」を食べたこともあります。今では固いも柔らかいも自由自在、お粥を炊いてヘルシー朝食もお手のものになりました。
●また、野菜の中には皮をむいて使う材料があります。ジャガイモがその代表ですが、ほかにもニンジン・キュウリなどです。それらを使いたいと思って皮をむき始めるのですが、これがなかなか終わりません。鍋に水を張って火をかけているうちに、鍋のほうが沸騰しているといった恥ずかしい話も二度や三度ではありませんでした。
●あるいはニンジンの皮をむいていたらニンジンが鉛筆になってしまったこともあり、そんなことがあったと婦人会の方に話したところ、台所を探して皮むきの道具を見つけてくださいました。最初から備え付けてあったようですが、何と無駄な時間を費やしたことかと、悔やんでおります。今はジャガイモとパスタを茹でてほかの野菜と合わせてサラダ風にアレンジして楽しむこともできるようになりました。
●料理のことばかりたくさん続いてしまいましたが、何かに挑戦するからには当然困難も待ち受けています。それでも、挑戦する気持ちがあれば、困難はあるとき解決の道が開ける、乗り越えるために思いがけない人が手伝ってくださる、そんな気がします。
反対に、できるはずがない、そのことばかりが私の心を支配していれば、どんなに人が励ましたとしても、傍目からは「やればできるのになあ」と思うようなことでも、おそらくできないのではないでしょうか。私は、挑戦する人を今月の話で応援したくて、このお話をまとめているつもりです。
●要は、私という器を、どのように準備していくかで、その後のことは変わってくるということです。特に、すべての人に公平に与えられるものについては、私という器を良い状態で準備しておけば、たくさんの喜びに出会うこともできる、自分で乗り越えられないと決めてしまっていた壁を乗り越えていける、そんなすばらしい体験をたくさんできるのではないでしょうか。
●私という器をいつも良い状態にしておくことが肝心ですよということを、聖書の話からまとめて、今月を結びたいと思います。聖書の中から二つの箇所を取り上げておきます。
●一つは、キリストが言い残された言葉から、これまでの内容をまとめたいと思います。次の言葉です。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」
●畑に種がまかれました。種は一定の間隔で平等にまかれていきます。これは神の恵みのことです。ある種は実を結びません。ある種は、実を結びますが、三十倍だったり百倍だったりします。これまで話してきた、「器の準備で、実りは変わる」ということを言っているのではないでしょうか。私にそんなことできっこない。そう言っているあいだは、平等に恵みが注がれていても、実を結べない、実を結んでも、少ししか実らないということだと思うのです。
●もう一つは、教会の季節に少し触れながら聖書の出来事を紹介したいと思います。今教会では、キリストの復活の出来事から五十日目を迎えています。この復活から五十日目には、すべての教会が「聖霊降臨祭」(ペンテコステ)を祝います。
●この聖霊降臨の祝いとは、復活したキリストが天に戻られ、かわりに神の霊「聖霊」が、祈っている弟子たちに注がれた、聖霊が注がれたその時、弟子たちは大胆にエルサレムの人々に神の救いの働きを宣教したことを思い起こす日となっています。海外ではしばしば復活祭から正確に五十日目に祝うのですが、日本ではその日が平日になってしまい、なかなか集まることができないので、直後の日曜日に祝っています。今年は5月30日です。
●新約聖書に残された話を読む限り、聖霊(神の霊)は、「炎のようで、話をする舌」の形であったとされています。大胆に語る力を象徴しているのだと思いますが、ここで人間の器という問題を考えてみたいのです。
●二つの可能性があります。大胆に語る霊の力が注がれたのですが、当然器である弟子たちの準備ができていれば、霊の力が十分に働いて、弟子たちは大胆に語り始めることになります。ただ、その準備は、どんな準備のことを言っていたのでしょうか。
●大胆に語るのですから、「弁論の技術・話術を磨いておく」これは器を準備しておく意味ではと手も役に立つことです。ところが、肝心の弟子たちは、どうもそんな準備をしたという形跡は見られません。彼らの多くはもともとイスラエル北部・ガリラヤの湖で働く漁師でした。漁師はもともと口数が少なく、黙々と働く人々です。大胆に語るためには、少々の練習では足りないと思いますが、彼らはそのような準備で器の用意をしたわけではなかったのです。
●ではどのような準備で聖霊を待ったのでしょうか。実際の朗読を読むとそれが分かります。ここでは割愛しますが、彼らは祈りながら聖霊を待ったのでした。「私を、キリストの証し人とならせてください」「私に、大胆に語る勇気をお与えください」どう祈ったか定かではありませんが、おそらくこのような熱い祈りを捧げて、聖霊が注ぎ込まれるその日を待ったのだと思います。
●結果、弟子たちは大胆に語りました。世界中からエルサレムに集まった人々に、いろいろな言葉で語ったとさえ言われています。聖霊は、信じるすべての人に平等に注がれるわけですが、心の中で何かの強い願いを持っている人は、その願いを何倍にも実らせてくださるために、神は働くということなのかも知れません。器の準備が、まったく包丁を握ったことのない人を変え、そんなこと無理だと思っている人のその後を変え、神を信じる人を大胆に変えてくださる。私たちは器の持ちようによって、これからももっともっとすばらしい体験をできるのではないかと思っています。

2004年6月

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●こんにちは。中田神父です。今月は「司祭館」について(司祭が寝泊まりする住まいのことですが)大きな動きがありますのでお話しに盛り込んでみたいと思います。
●現在の教会に赴任して間もなく、「まいったなあ〜これは」と思ったのが司祭館の雨漏りでした。私が特別迷惑をかけているのでもないのに、雨風が強い日は決まって二箇所雨漏りがしていました。それも、あとで調べて分かったのですが、屋根に特大の穴が開いていて、それが修理で戻ればよいのですが、どうやら根本的に、建物が朽ちてしまっているらしいという結論になりました。
●私は責任ある信徒の役員を集めて、私自身が困るというだけではなくて、のちのちの司祭の住まいがこんな状態ではいけないのではないか、大々的に改修するか、思い切って建て直すか、いずれにしても動いてもらえませんかとお願いしました。
●さっそく話し合いの場を持ち、これはどうも建て替えが必要だという結論になり、信徒全員の意見を取りまとめて一歩を踏み出しましょうというところまでこぎ着けまして、いつからということはまだ決まっていませんが、今お世話になっている司祭館はいったん取り壊し、新しく建て替えるということになりました。
●生まれて初めて、建物を建てるという経験をさせてもらうことになったのですが、当然全くのゼロからいろんな手続きを踏むことになります。今現在は、宗教法人として建物を取得するとき知っておかなければならない事柄を記した書類に目を通しながら、「難しいなあ・ややこしいなあ」とため息をついているところです。
●ついこの前の日曜日、6月20日に信徒の総会が開かれたのですが、総会にあたっての挨拶の言葉を主任司祭の私が述べた時点で、司会者が「それではこれから信徒の遠慮のない意見を聞きたいと思いますので、主任神父様は申し訳ありませんがご退席願います」と言われ、信徒会館から司祭館に戻りました。
●いちおうそのように言われていましたのでここまでは予定通りだったわけですが、私の考えでは司祭館建築という大きな問題を取りまとめるのだから、きっと長い時間話し合いをするものだと思って、司祭館では朝昼兼用の食事の支度を始め、トーストを口にくわえて、レギュラーコーヒーができるのを待ちながら、くつろぎのひとときを取ろうと思っていたのです。
●ところが、トーストが焼き上がり、一口食べ始めたときには電話が鳴りまして、先ほどから総会の司会を務めていた役員の方が携帯電話でこう話しているのです。「神父さん、みんな早く建て替えてあげなさい、という意見ばかりで、誰も反対の意見もないし、総会は終了です」ということでした。
●当然込み入った意見も噴出し、まとまらないであろうとたかをくくっていた私は、まだトーストも食べ終わらないまま、コーヒーなどは一口も飲むことなく、慌てて総会後の反省会の場に呼び出されました。こんなことなら、退席して下さいと言われたときに、信徒会館を一歩出てそこで少しだけ待っていれば良かったと思ったものです。
●信徒の皆さんの強い願いを肌で感じた総会でした。司祭が、本当に思いきって活動するために、基本になる生活の保障を私たちがしてあげないでどうする。そんな思いを一人も例外なく持っていたから、会議に少しも時間を必要としなかったのだと思います。ありがたいと思うと同時に、身の引き締まる思いがしました。
●さて建物を新築するのですから、部屋の間取りや、外観などを考えなければなりません。どうしたらいいのかなあと、半分任せたいという気持ちで尋ねたところ、役員の皆さんはここでは冷たくて、「神父さんの家だもん、神父さんが好きなようにデザインして頂戴」と言われ、これから十日間くらいのうちに、何かしらのデザインを組まなければならない羽目になりました。私は小学生の時から図工は2、風景画一つ描けなかった人間なのに、デザインを提出しなければならないのです。これは困りました。
●まあ、どちらにしても素人なのですから、いろんな細かいことは助けてもらうのでしょう。ところが、本当にこの司祭館建設で問題なのは、もっと別のところにあるのではないかなあということを、今月の記事をまとめながら思うようになったのです。それは、二つのことがきっかけでした。一つは私がお世話になっているうちに亡くなった主任神父様のアドバイス、一つは聖書の中のある言葉です。
●私が一年お世話になったある主任神父様が、私にたいへん味のある言葉を言い残して下さいました。ちょうどその教会も、教会と司祭館の建設という大問題と向き合わなければならない時期にさしかかっていたのですが、その神父様は役員のかたに声をかけるのとは別に、主任司祭を助けるもう一人の司祭である私に、次のようなことを言い残しました。「建物はね、祈りがなければ建たないんですよ」という言葉です。
●一般の家屋とか、公共の施設ではなくて、礼拝のために集まる場所、礼拝を執り行う司祭の住む家です。宗教に関わるこれらの建物は、見た目は一般の家屋・公共の建造物と同じでも、祈りに支えられなければ、本当の意味で良い建物を建てることはできない、ということだったのでしょう。
●その主任神父様は、私にこの言葉を残して、その後わずか数ヶ月のうちにこの世を去りました。私は先輩神父様からいろんな声をかけてもらったわけですが、今現実に司祭館を新築するに当たって、「建物はね、祈りがなければ建たないんですよ」というあの言葉が、ひしひしと迫ってくるのです。もっと印象に残る言葉もあったのですが、私を今動かしているのは、祈りが必要ですというその一言なのです。
●たとえ素人であっても、部屋の間取りは意見を出せばそれは形になるでしょう。ですが、今建てようとしている建物は、司祭が司祭として働く知恵を絞る家、司祭の働きに休息をもたらし、充電するための家です。それは、いつもそこに神がとどまって、働く司祭を導くような建物でなければならないのだと思います。
●また、この司祭館は、実質は信徒の皆さんが立ててくださるものです。信徒の皆さんが出してくださるものは、司祭が本当に安心して働くことを願ってのことです。そこには祈りが込められている、新しい家で頑張って欲しいという願いが込められていると思うのです。美しさとか、快適さとか、それらとはまったく違った「思い」、それが、祈りなのではないでしょうか。
●もう一つ、この度の建築に当たって、聖書が語る次の言葉を思い出しました。旧約聖書の、「詩編」という作品の中の一つで、ソロモン王が残したと言われる詩です。「主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい。」
●ここで私は二つのことを考えたのですが、一つは、建物は大工さんがまじめに建てればそこに建物が建つのは当たり前なのですが、問題は、神がその建物をいつまでも支えてくださるから、建物はそこにあるのだということです。大工さんがどれだけ技術の限りを尽くして建てても、地震がやってくればひとたまりもありません。そのような災難があったとしても、神がその建物にいつまでも関わってくださるなら、建物は本当の意味でそこに建つ、大工さんの努力も始めから終わりまで神様が関わって下さったときに本当の意味で報われるのだということです。
●もう一つ考えたことは、神の祝福と見守りが、建物には必要だということです。聖書はここで町を守る番人を例に挙げていますが、当時は町そのものも、城壁に囲まれた一つの建物でした。うっかりすると侵入者の侵入を許してしまい、町が滅ぼされるということも起こりえた時代です。そんな中で、片時も町のことを忘れず、見守り続ける神の助けがなければ、うっかり居眠りしてしまうかも知れない弱い人間の力では、町を守りきることはできないと言います。
●同じことは、新しく建てる司祭館にも当てはまるような気がします。今後司祭館ができあがれば、細心の注意を払って維持管理を続けることでしょう。ただし、本当の意味で建物を守り続けてくださるのは神なのだと思います。神が、建物を建てる最初から関わり、この建物のすべてに目を注ぎ、守り続けて下さることを心から願いたいと思いました。もちろん、この建物と言いましたが、まだ「この建物」は建ってないのですけれども。
●祈りのうちに建てられた司祭館。神がそのはじめから関わってくださった司祭館。まだ見ぬその建物に、私の心は喜びに弾んでいます。これでようやく、寝るときにカッパを着て寝ないですみます。部屋から部屋に移動するときに、傘をささずにすみます。きっと、これまで以上に多くの方々のためにこの身を捧げることができるでしょう。
●勘違いなさらないために、どれだけ大雨が降っても、雨漏りはしますがカッパを着て布団に入ったことはありませんので、誤解のないようにお願い致します。

2004年7月

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●こんにちは、中田神父です。蝉の鳴き声で、しまいには発狂しそうです。もしも狂人になったら、私は神父としてその後も受け入れてもらえるのでしょうかと、そんなことをふっと思うくらいに、狂ったように鳴いています。
●さて今回の話を用意しようと重い腰を上げた一週間のあいだに、大切な出会いといいますか、大事なチャンスにめぐり会いました。三つあるのですが、すべて紹介できるかどうか、できるだけ努力したいと思います。
●ひとつは、結婚の話です。私たちはどうしても先入観があって、結婚とは適齢期を迎えている方々がお互いの意志を確かめ合って決めるものだと思っているわけですが、今回、七十代の男性と五十代のナイスミドルの方との結婚式をお引き受けすることになりました。
●始まりは、一本の電話からでした。「結婚の相談がありますので、今週教会に伺ってもよろしいでしょうか」。こちら馬込教会に来てすでに三ヶ月、だんだんと人の声でそれが誰であるかわかるようになってきた時期でした。私の記憶に間違いがなければ、声の主は七十代の男性で、あーこれは、息子さんのどなたかが結婚するのだなあと「勝手に」判断しまして、どうぞどうぞ、今週の何曜日がよろしいですかと返事をして、日程を話し合ったのでした。
●「それでですね、相手の方が五十代の女性なんです」。「そーうですか・・・まあ、お会いしてからゆっくりお話を聞きましょう」。何か事情があって、きっと年上の女性を相手に選んだのだなあ、そう思って約束した日を待ちました。
●その日、七十代の男性は約束の時間の十五分前に訪ねてきました。時間前においでになったので、礼儀正しいお父さんだなあ、こんなお父さんの家の息子さんであれば、まず間違いない人だろうと思いました。それから約束の時間を少し廻って、ナイスミドルの女性がやってきました。二人を部屋に通し、相手と思われる息子さんが来るまでしばらく話を聞いてみようと、二・三質問をしていたのです。
●質問しているうちに、ようやく事情が呑み込めました。これは、息子さんの結婚の相談ではなくて、今向かい合っているこのお二人が、結婚するという話なのではないか。驚きましたが、よく考えてみると、それはそれでステキなことだなあと思ったのです。
●昔から受けつがれている旧約聖書の最初の物語に、神が天地を造られたという話がありますが、その最後に神は人間をお造りなったとされています。そして、神が男をお造りになった直後に、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と仰います。中田神父は生涯独身なので結婚する方の気持ちは十分汲み尽くせませんが、聖書で語られた「独り」という表現は、数を数える「一人・二人」というような一人ではなくて、「孤独」を表す漢字を使って「独り」と表現しています。
●ですから、神が心配したのは、人が、孤独のうちに暮らすのはよくないという意味だったのではないかと考えるわけです。人間の数が一人であっても、神との親しい交わりと、地域の方々との心の通う関わりの中で、司祭は孤独から来る不安を乗り越えていきます。ところが、たとえば一度結婚して配偶者を失った人は、先に述べた「孤独」という言葉が、身にしみるのではないでしょうか。
●もちろん、私が結婚する方の気持ちを知り尽くしているわけではありません。ですが、神が仰ったように、「人が孤独でいるのは良くない」と、私も思うわけです。何が何でも結婚し続けなさいということではありませんが、ある人にとっては見える形で「助け手」がそばにいてくれることが、何にも代え難い慰めになるのではないでしょうか。
●そういうことで、今回めったにないチャンスを与えられまして、年配の男性とナイスミドルの女性の結婚の準備に取りかかります。私にとってもおおいに刺激を受ける勉強会となりそうです。
●次に、ペーロン大会の話に移っていきたいと思います。長崎県内には、ペーロンという名前の舟を漕いで競争する勇壮な祭りの伝統が各地に残っています。実は私が赴任したここ伊王島町も、お隣の香焼町などと並んでペーロン競争が盛んな町のようです。
●それはそれとして、まさか私に参加の依頼が舞い込んでくるとは思ってもみませんでした。伊王島町の青年会(45歳まで)が、馬込地区のペーロン競争が人数が少し心配という話を聞きつけて、どうやら私に白羽の矢が立ったようです。私に断る理由もなく、何か地域との交わりのきっかけにでもなればと思って、お引き受けしました。
●三つ目の話とも関連するのですが、ペーロンの漕ぎ手はどの方も若い方で、馬込地区は馬込教会のお膝元だけあって、いわゆる青年団は全員顔見知りでした。この方々と一緒に櫂を漕ぐのかなあ、と心配していましたら、「神父様、神父様は銅鑼をたたいてください」というのです。
●私は、半分は拍子抜け、半分は不安になりました。何となく、ペーロンにかり出されたのは漕ぎ手が足りなくて声がかかったのだと思っていましたので、そのつもりで出かけたのですが、青年たちはずいぶん遠慮して、神父様が漕ぎ手になって、疲れ果てて本来の仕事に支障が出てはいけないと、気を遣ってのことだったようです。嬉しい反面、何だか申し訳ない気持ちになりました。
●ところが、いざ銅鑼をたたいてみると、それはそれで難しい仕事で、一生懸命こなしているときは気が付かなかったのですが、練習が終わって帰ってみると、軍手の人差し指が真っ赤に血で染まっていたのです。ビックリして軍手を外してみると、たたいていたときにはまったく気付かなかったのですが、指にまめができていたのでした。こんな調子で練習についていけるのだろうか、また実際の大会で、足を引っ張ってしまうのではないだろうか。ちらっと不安がよぎりました。
●ただし、スポーツの不安は練習さえ積めば克服できます。すべてのスポーツで、練習だけは嘘をつかないと言われます。銅鑼たたきも、生まれて初めてたたいたのですから、これから練習を積めば、きっと不安を乗り越えることができるだろうと思っています。機会がありましたら、結果も報告したいなあと思います。
●さて、このペーロン船の漕ぎ手のなかには、多くの十代の若者が混じっていました。この若者たち、話を聞けばカトリック信者と言うではありませんか。それを知った上でのことだったのですが、私は思いきって、こちらから先に声をかけてみました。「おーい、俺が誰かわかるね?」「分かりません」「えー?分かりませんで済むのは今のうちぞ。それは君たち、自分は教会に来たことがありませんと言っているようなもんだぞ」
●「え?」「だから、俺は今度来た教会の神父なんだよ。すぐその辺にいながら、顔も知らないって、おかしいよな。そうだよねぇ、青年の皆さん」青年のみんなは、声を出して笑い始めました。今度会ったが百年目、そういう言葉がありますが、中田神父に顔を見られたからには、ただでは終わらせないつもりです。せっかくこの機会に見つけ出した若者たちです。ぜひ教会にもう一度足を向けさせて、日曜日の礼拝に中学生高校生がたむろする、そんな日がやってくるように、この機会を生かしたいと思います。
●この話をまとめ上げた時間、私の燃えるようなやる気が勝ったのか、蝉の鳴き声はまったく聞こえなくなっていました。我に返ったその時、蝉が鳴いていることに気が付いた、それくらい中田神父は集中していました。

2004年9月

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●こんにちは、中田神父です。今回は予定の変更ということを少し考えてみたいと思います。お話しする、というよりも、一緒に考えてみる、という形になりそうです。
●中田神父は、ある時期までは予定の変更をとても嫌に思っていました。何月何日に旅行に出かける、何曜日の何時に一緒に集まる。そういう予定が変更になった時に、簡単に言えば腹を立てていました。その日のために都合を付けていたのに、その時間を空けていたのに、集まれなくなったとは何事だと、そういう気持ちだったかも知れません。
●そんな態度がすっかり変わったのは、やはり私が司祭になってからだと思います。たまたまいちばん忙しい教会から私の司祭生活はスタートしましたが、その中で多くの場面で、それも私のせいで、予定していた約束を守れなくなることが生じてきたのです。
●ほとんどの場合が、同時に二つの場所にいることができない、そんな事情でしたが、かつては約束をこわされることに腹を立てていた自分が今は私が約束を守れなくなって、こんなはずではなかったのになあと思ったものです。
●もちろん私にも言い分はありました。約束を破りたくて破る人はそんなにいないわけで、ある日に予定を組んでいても、その日に誰かが亡くなって通夜と葬儀の担当が自分に廻ってくることがあります。それは、私のほうでは避けられないのですから、私のせいじゃないと言いたい気持ちもあるわけです。
●そこまで仕方のない理由ばかりではありませんが、都合が悪くなった時はどうしても自分をかばいたがるもので、あれは仕方がなかったんだと、どうしても言いたくなるのです。私はそれでも、どうにもならない事情であったとしても、始めに約束したことや予定を変更しなければならなくなるたびに、あまり格好のいいものではないなあと思います。
●かつて「予定は何があっても守って欲しい、守るべきだ」と思っていましたが、今は「場合によっては、思い通りに行かないこともあるのだ」と思うようになりましたが、今は少し思うことがあります。それは、私は、すべての都合やすべての事情を知っているわけではない、ということです。たとえ三日後の予定や約束であっても、それまでの間にはちっぽけな人間では予想すらできないような複雑な事情が折り重なっているのかも知れないなあ、そう思えるようになりました。
●ついこの前のことでした。今お世話になっている伊王島という島には、女子の修道会が入ってくださっています。修道会もキリストの愛を広めるための一つの組織ですので、たくさんの支部が置かれ、全体をまとめる本部が存在し、シスターと呼ばれる修道女たちの中にも支部で奉仕してくださる方々、本部に留まって奉仕する方々、すべてに責任を負う代表が選ばれています。
●その、伊王島に入ってくださっている修道会の総責任者のシスターが、支部である伊王島の修道院を訪問する予定になっていることを聞きました。訪問する時には、あわせて馬込教会の主任司祭も表敬訪問してくださるということで、私にも総責任者のシスターがいつ訪問するのか予定を教えてもらっていたわけです。
●結局、その予定は二度にわたって変更されました。一度目は、最初の訪問日程では中田神父が出かけていてその場にいないため、訪問が延期になりました。めずらしいお客さんだからお昼の食事くらいはごちそうを差し入れしてあげようと思いまして、海の幸を届けてもらえるように手配をしたわけです。ですが結局、その日は台風が直撃して、長崎からの定期船が欠航してしまいました。
●最後に決まった日程が、二度の変更を通って巡ってきました。その日がやってくるまで、誰に責任があるというようなこともなかったわけですが、私たちも、修道会側も会える日を楽しみにしていたにもかかわらず、なかなかその日は巡ってこなかったのです。
●この経験を通して、私は一つの思いにたどり着きました。私たちは、何か約束事や予定を立ててはいても、それは私から見えている範囲を見渡して立てた予定で、もっと複雑な出来事を見通すことのできる神様にとっては、あなたの立てた予定は、残念だけれども変更せざるを得ませんよと、神様からはちゃんと見えているのだろうなあ、ということです。
●どんなに慎重に予定を立てても、予定を変更せざるを得ない時があります。悔しいけれども、予定を変更して欲しいことを相手方に伝えた時に、約束はちゃんと守って欲しいなあと小言を言われることもあります。さまざまな予定に目をつむって、自分の欲求のために組んだ予定がキャンセルになり、ガッカリすることもあります。
●そうしたことを何度も何度も重ねてくると、ひょっとしたら、予定が狂った困ったと大騒ぎしているのは私の目が行き届く中での話で、もっと広く深い出来事を見通しておられる神様の中では、人間の考えていた日程では果たせなくても、ちゃんと神様が考えた予定の中で、予定通りに事が進んでいるのかも知れないと思うようになったのです。
●確かにそうかも知れません。神様が立てた予定であれば、誰もその予定に邪魔を入れることなどできるはずがありません。人間が考えた予定は何かが入って狂うこともあるでしょうが、最高の神様がすべての事情を踏まえて予定されたことに、誰も異議を申し立てることはできないと思います。そしてこの考えは、私に二つの大切な心構えを与えてくださいました。一つは、神様をより深く信頼する気持ち、もう一つは、神様は身近なことだけではなくて、私の人生全体にももっと深く関わってくださっているのではないか、ということです。
●神様への更に深い信頼については、私はこうまとめてみたいと思います。一人の人間が見渡せる範囲なんてたかが知れています。そんな中で、たいていの予定はうまくいっています。これはつまり、ほんの少ししか見渡せない中で人間同士が約束を交わしている不確かさを、実は神様が支えてくださっているのではないでしょうか。そう思う時、私は自分の信じている神様にあらためて感謝の気持ちを持ちますし、更に信頼を深めて生きていきたいなあと思うのです。
●ある時人は学校を選び、仕事を選び、人生の伴侶を選びます。それは、その当時の精一杯考えて決めた未来への計画ですが、精一杯考えたとしても人間の計画は不確かで、当てのないものです。それでも神様は、予定や計画を支えてくださり、必要であれば照らしや直接の助けを差し延べたりして、私たちの暮らしを見守ってくださっているのではないでしょうか。明日のことさえ分からない私たちが、ある人を生涯の伴侶として選んだり、自分は生涯神様にお仕えすると決めたりするのですから、神様の支えがそこにあるに違いないと考えるのは、むしろ当然かも知れません。
●もう一つ考えたいことは、神様は私の人生に私が考えている以上に深く関わってくださっているのではないか、ということです。これまでの話の中では「私が立てた予定が変更された」ということを見てきたわけですが、生きている間には「私が立ててもいない予定を背負う羽目になった」ということもあるのではないでしょうか。思いがけない災難や、私には何の責任もない病気や怪我、重い障害など、なぜ、どうしてと思い悩むこともあるのではないかと思います。
●私は、そうした「立ててもいない予定」というものを、予定として考えていませんでしたが、もっと複雑な折り重なった出来事を見通す神様の中では、神様もそばにいて一緒に背負ってくださるという条件で、思いがけないことがやって来ることを神様はご存知でいらっしゃるのかも知れません。「私が予定したことが原因なら引き受けもしましょう。でも私に何も知らされていないことはまっぴらゴメンです」と、逃げ出したくなるかも知れません。ですがある場面では、神様が一緒にそばにいるという条件のもとで、思い悩む出来事が予定の中に組み込まれることもあるのだと思います。
●けれども、私の考えは最初から最後まで変わりません。それは、予定が変わるのは単純に誰かの都合なのではなくて、神様がそこには関わっている、それも深く関わっているということです。ですから、深刻な予定の変更にも、それだけになおさら神様が深く関わってくださっているに違いないと、私は信じたいと思います。
●予定はときどき変わります。人のせいにすることもできるでしょうし、自分を責めることもできるでしょう。ですが、もう一つの道、神様の不思議な計らいに目を留めるきっかけにもなるのではないかなあと思いました。

2004年10月

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●こんにちは、中田神父です。今住まわせてもらっている建物(司祭館と言いますが)も、11月3日に引っ越しをしまして、いったん解体され、新しく建て替えることになっています。八十年もの間、たくさんの司祭がここに寝泊まりし、信徒のことを思いやり、この土地に根付いた建物とも、もうすぐお別れすることになります。
さて、今月は、本当に受け入れてもらっている喜びということで話してみたいと思います。あえて「本当に」と念を押さなくても、こちらに転勤して早半年、土地の人から受け入れられてはいるのですが、ちょっとした会話が、私にとってはっきり変わったと感じた瞬間がありました。いくつかお話ししたいと思います。
●中田神父は根っからの釣り好きですが、ある夕方に船を持っている方から「太刀魚釣りに行ってみましょう」と誘ってもらいました。太刀魚釣りについて私は全くの素人だったのですが、この釣りは勝負が早くつく釣りで、日没後30分くらいの時間しか釣れないのだそうです。ここと決めた区間を、一定の速さで船を走らせ、長さ30メートルほどの仕掛けを引っ張って回ります。太刀魚は西洋の剣のような形をした魚で、引き回している仕掛けを小魚が回遊しているのだと思って食いついてくるわけです。こんなに速いスピードで引っ張っているのに食いつくのかと、感心しながらも、その日は6尾の太刀魚を釣り上げました。
●印象深い出来事はその後にやってきました。一緒に釣りを楽しんでくれた方と別れて、教会の司祭館に歩いて帰る途中のことです。まったく人の見分けがつかないほど暗くなっていたのに、あるお父さんが私に近寄ってきまして、「神父さん釣れたね」と親しげに声を掛けてきました。教会周辺の人であれば当然信徒に違いないので、暗がりで見分けもつかないのに、「釣れた釣れた。いやあ初めて船を引き回して太刀魚釣ったけど、あんなスピードで引っ張っている仕掛けに太刀魚もよく食いつくねぇ。太刀魚って、速いんだねぇ」と返事をしたのです。
●その時でした。「速かさぁ!」この時の声の調子をどれだけ伝えることができるか自信はありませんが、そのお父さんが私に「速かさぁ」と言っている時の顔は、自信に満ち、またいちばん得意なことに家の息子が驚いているのを喜ぶ父親のようでもあり、本当にこの一瞬、このひと言に、「あー私はこの土地の人間として、本音で話しかけてもらえるようになったんだなあ」と、そのお父さんと別れてからは釣れた魚よりもその会話のほうが嬉しかったのでした。ですが台所に着くと、やはり目の前の魚が嬉しかったのでしょう。こうして話を準備するまでは、先のお父さんとの会話は一度も思い出すことはありませんでした。
●二つ目の例も、強烈な印象を与える出来事でした。日曜日の礼拝(ミサと言いますが)の中で、自発的におこなっている献金があります。この献金の中に、コインを入れるためだけに使うような小さなサイフが混じっていました。はじめは、サイフは後で使うでしょうに、どうしてこんなことしたんだろうと思ったのです。ところがそうではありませんでした。
●私は基本的には楽天的な人間ですので、いつも何かの笑いを交えて話をする向きがあります。ある日曜日の礼拝説教の時にも、皆さんの心を掴むとっかかりとしてこんなことを話したことがありました。「10月に入って、急に風が強くなってきました。こんなにはっきり風が強くなっているのに、私の髪がなびかないのはなぜでしょうか。昔は風が吹けば髪がなびいていたような気がするのですが、近頃はなびくものも少なくなってきました」とちょっと言い方はくだけていますが一発かましてから、話にはいるのが一つの形になっています。
●その、献金の中に入っていた小銭専用のサイフも、結局はミサが終わった後に開いて献金として処理をするわけですが、中から何やらメモが出てきました。小さなメモ用紙に手書きで書かれた文字は、大変癖の強い文字だったのですが、こんなことが書かれていました。「ぼくは、船の座席に忘れられてしまったサイフです。ぼくはどこに行けばいいのか分かりません。教会の建築の足しになればうれしいな」。読み終えて私は、何のイタズラなんだろうと一瞬理解できなかったのですが、程なくしてこのメモの意味が分かりました。
●つまり、このサイフは長崎と伊王島を行き来する定期船の中に置いたままにしてあったサイフだったのです。このサイフを拾った人は交番に届けるのではなくて、洒落を効かせたメモを入れた上で、教会献金にと入れてくださったったのだと理解しました。拾ったものを交番に届けた経験のある人はご承知かと思いますが、たとえそれが300円ほどであってもたいへんな手続きに付き合わされることになります。それよりも、このサイフを拾った人は、ちょっとした洒落を思い付いて、おもしろいだろう、と私に投げかけてくださったのだと思います。
●だれでも一方的に言うばかりであれば難しいことなど何もありません。聞き手がどう思っているかを一切気にしないのであれば、そういう付き合いであれば何も気にすることはないでしょう。けれども、その土地に住み、キリストの愛を、キリストの憐れみを、肌で実感できる形で解き明かし続けるためには、つねに聞き手の側の反応を知っておく必要があるわけです。
●ある程度、好感を持って受け入れられていることは分かっていました。分かりやすい話で楽しいとか、身近な話題から入ってくれるので聞きやすいとか、そういったことです。ただ、今回のサイフを拾って献金に投げ込んだこの人は、私の洒落に、洒落で返してくださったような気がしてならないのです。一方的に洒落を笑って喜ぶだけではない、聞き手の側からも、どうだ、私たちはこれくらいの洒落はいつでも持ち合わせているぞ。お前さんが話す説教、投げたボールを、私たちはこのように打ち返したぞと、そういうメッセージに思えてなりませんでした。彼らは、ただ聞いて喜ぶだけではない、完全に捉えて打ち返すだけの力をもっている。そう理解したのです。それだけになおさら、身の引き締まる思いを持ったのでした。
●三つ目は、自分へのいましめを込めて並べておきたいと思います。それは、最近こちらの教会では初めて早朝のミサに寝坊してしまった時のことです。その日は木曜日で、巡回先の教会で早朝のミサを捧げる日でした。ミサは平日のいつもの5時50分ではなく、移動の時間が考慮された6時30分がミサ開始の時間になっています。いつも通りに目覚ましが5時になり、その瞬間に「あー。今日は木曜日だからまだ30分余計に寝ていい日だったのに。目覚ましいつも通りにかけちゃったよ。あと30分寝よおっと」。
●若さというものは素晴らしいもので、5時の目覚ましが鳴ったあと、5時半までと思ってもう一度布団をかぶったつもりが、はっとして布団から飛び起きてみると、あたりは白々と明け、目覚ましはミサの開始時間である6時30分をほんのちょっと過ぎているではありませんか。
●血の気が引きました。すでに遅刻なのですから、慌てても仕方ありません。うなだれて巡回先の教会に行ってみると、待って待って待って、首を長くしている高齢者の方々がそこにいました。ミサを捧げましたが、私の気持ちは申し訳なさでいっぱい、とても皆さんの顔を正面向いて見ることはできませんでした。
●当然それからは気を付けて同じ失敗を繰り返さないようにときがけているわけですが、まあそれにしてもちょうど布団の温かみが恋しい季節に変わり、二度寝したこともあって、よほど気持ちが良かったのかも知れません。これは本当に申し訳なく思いつつの振り返りなのですが、こうしたうっかりも、ようやくなじんできての気のゆるみと言えば言えなくもありません。もちろん、どんなに弁解しても、寝坊したことには変わりありませんが。
●最近、祈りの時間を過ごすあいだにふと思うのです。私は、祈る相手である神様と、本当の意味で、親しくなっているのだろうか。「そりゃあ太刀魚の泳ぐ速さが速いに決まっているさ」「目には目を、歯には歯を、洒落には洒落を」「寝坊するうちは幸せよ。私たちは一度起きたら眠れないんだから」。これほど、私と神様との親密さは進んでいるのでしょうか。私は最近、「ねぇ神様」と、本当に気軽な言葉で話しかけたことがあったのでしょうか。ちょっぴり考えさせられたのでした。

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