マリア文庫への寄稿

「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。

2013年 7月 9月 10月
2013年 11月 12月 2014年1月

2013年7月

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●こんにちは、マリア文庫の中田輝次神父です。今月は、「2つの場所をつなぐ」ということから話を始めたいと思います。月刊アヴェ・マリアを利用される皆さんは、ある2つの場所がつながっているという場合、単にその2つの場所を結ぶ道路が結ばれていれば、2つの場所はつながっていると考えますか?
●中田神父は、2つの場所に通じる道路が引かれているだけでは、つながっているとは言えないと思っています。その道路を利用して、人が行き来したり、手紙のやり取りがあったり、物が届けられたりして、2つの場所は本当の意味でつながるのではないでしょうか。
●例を挙げましょう。わたしはカトリックの司祭ですので、カトリック教会に関係のある例にしたいと思います。京都と長崎、この2つの場所は、カトリック教会の歴史の中で、どのようなつながりがあるかご存知でしょうか。京都は、神社仏閣が所狭しと建っている場所です。
●1549年に、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えに鹿児島から日本に上陸しました。ところが、キリスト教が伝来してからわずか50年ほどで、京都にいた26人の司祭・修道者・一般信徒が捕らえられ、長崎に連行されて長崎の西坂で殉教しました。京都と長崎、それまでは文化も宗教もそれぞれ独自のものがあったわけですが、1597年に26人が京都から長崎まで連れて行かれ、殉教したことで、2つの場所はつながりをもったのです。
●京都から長崎、2つの場所には道があります。ですから、道は2つの場所をつなぐことは可能でした。けれども、京都から長崎まで、26人のキリシタンが道を歩いてくれたことで、2つの場所はつながることができたのです。2つの場所をつなぐものとは、単にその場所に引かれた道(道路)なのではなく、人の行き来があること、また人の行き来に似た動きである手紙のやり取りや、物を届けることなどが深く関わっているということです。
●2つの場所がつながる、もう1つの例を紹介します。長崎県には西彼杵半島という部分がありまして、五島灘に面した部分を「外の海」と漢字で書いて「外海地方」と呼びます。キリシタン迫害の時代、この外海地方からたくさんのキリシタンがふるさと外海を離れ、五島列島その他に移住しました。こうして、海を隔てて道すらもなかった2つの場所が、キリシタンの迫害がきっかけでつながることになりました。
●紹介したものは、ほんの一例に過ぎませんが、2つの場所がつながっていると言えるのは、多くは人の行き来があった時、手紙のやり取りを通して、物が届けられることで、ということに共感していただけるのではないかと思います。そしてこの考えは、マリア文庫の活動にも通じるものがあります。
●わたしたちマリア文庫の事務所と、月刊アヴェ・マリアの利用者の皆さまとは、この月刊アヴェ・マリアのテープ、CDが行き来することで、つながっていくのだと思います。最初は、わたしたちのほうからは利用者の皆さまのことを見つけ出すことは困難なのですが、皆さまが月刊アヴェ・マリアを利用してみたいと申し出てくださって、2つの場所がマリア文庫のテープ、CDによってつながることになります。わたしたちのほうから道を付けることはできなかったこのつながりが、皆さまの思いによって、道がつながり、今に至っています。
●余談ですが、「2つの場所がつながる」ということについて、「つながるまで」の部分と「つながってから」という部分とがあるように思います。「つながるまで」を言葉で表しますと、「道のり」ということができます。これまでの道のり、2つの場所がつながるまでの道のりです。
●そして「つながってから」を言葉で表すと、それは「あゆみ」という言葉になるかもしれません。これからのあゆみ、2つのつながっている場所がこれから積み重ねていくあゆみです。マリア文庫を例に挙げますと、マリア文庫の活動当初から約30年にわたり、さまざまな方々とのつながりに恵まれてきました。この30年は、まさにマリア文庫と利用者の皆さまとで築き上げてきた「道のり」だと思っています。
●この「道のり」を、これからも積み重ねていきたいと思っています。これから、さまざまな技術の進歩の恩恵をできるだけ取り入れながら、これまで以上に利用者の皆さまに愛されるマリア文庫となれるように、あゆみを続けていきたいと思っています。これからのあゆみは、次の世代、さらに次の次の世代のマリア文庫会員と利用者の皆さまに受け継がれていく歴史となっていくことでしょう。
●最後になりますが、ちょっと変わった2つの場所をつなぐことについて考えてみましょう。わたしたちが生活しているこの場所は、「地球」と言ったり「地」と言ったりします。この地上を片方の場所とすれば、もう片方はどのように呼べばよいでしょうか。もう片方は「天」と呼ぶのがよいと思います。ではこの「天」と「地」をつなぐものは何でしょうか。
●話を最初に戻しますと、2つの場所をつなぐのは「道」「道路」だろうかということから始まりました。ただ、「天」と「地」をつなぐ「道」「道路」は残念ながらありません。では一歩進めて、「人の行き来」「手紙のやり取り」「物の受け渡し」を考えると、わたしたちが天と地を行き来することはできませんし、手紙も、どのように送ればよいのか見当も付きません。もちろん、物を送り届ける方法も知りません。
●では、「天と地」をつなぐものは、何も無いのでしょうか。わたしが知る限り、1つだけあります。それは、「イエス・キリスト」です。キリスト教の教えによれば、イエス・キリストは天から来られて、おとめマリアによって人となられた方です。そしてイエスは、この地上での生涯を終えて、天に昇られたと信じております。つまり、天から来られて、天に昇った唯一の方イエス・キリストは、この天と地をつなぐ方だとわたしは思います。
●わたしたちは言葉の上では、「天と地」という言葉を使います。「天」という言葉も、日本酒の銘柄にもなっているくらいですから、わりあい身近に使用しています。ところが、「天」という言葉を使いながら、わたしたちは「天」に行ったことがないし、「天」がどのような場所であるかも知りません。それなのに、「天」に行ったことがあるかのように、「天」を知っているかのように、言葉の上では使っているのです。
●わたしは、「天と地」はつながりがあると思っています。「地」に住む人々はいつか、「天」に招かれると思っています。この「天と地」が、どのようにつながるのか。皆さんはどのように考えるでしょうか。カトリック司祭であるわたしは、「天と地をつなぐ方、イエス・キリスト」を皆さんに示したいと思います。

2013年9月

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●こんにちは、マリア文庫の中田輝次神父です。今月は「井戸を掘り当てる」ということで話したいと思っています。もし、以前に同じ話をしていたら申し訳ありません。今月の話のきっかけとして、ある若い夫婦の体験を紹介します。わたしが赴任していたある教会で、その土地の若い二人が結婚式の相談に来ました。
●カトリック教会が結婚式を引き受けると、結婚生活が実りあるものとなるよう、結婚する2人に準備の勉強会をするのが習わしです。その2人も、カトリック信者でないにもかかわらず、3ヶ月ほどの準備をしてカトリック教会で結婚式をしました。それぞれの職場からたくさんの人がお祝いに駆けつけ、わたしにとっても久しぶりの結婚式で、今でもその様子を思い出すことができます。
●しばらくしてからその夫婦に結婚生活の危機がやって来ていることを知りました。若い夫が職場で事件を起こし、警察が立ち入るほどの事件になったのです。これからのことをどうするか、夫婦の両親も入って話し合いを持ちました。わたしは内心、この夫婦は残念ながら続かないだろうと思っていたのです。妻にとって、夫が犯してしまった過ちは、乗り越えられないほど大きいと思ったからです。
●ところが、その若い夫婦をよく知る人から、ビックリする喜ばしい話が伝わってきたのです。この夫婦はなんと、結婚生活最大の危機を乗り越え、今も力を合わせて歩んでいると言うのです。「へぇ!すごいなぁ」と思いました。すると、話を聞かせてくれた人はこう言ったのです。「神父さんが2人に準備の勉強会をしたでしょう。どうやらその時の内容の1つが決定的な役割を果たしたそうですよ。
●奥さんが旦那さんにこう言ったそうです。『神父さんが結婚のための勉強会の時にこう言ったのを覚えてる?「どんなことがあっても、ありのままの姿を受け入れる勇気が必要です。ありのままを受け入れることから、新たな一歩が始まります」って。わたし、その言葉を今も忘れてなのいよ』旦那さんはこの奥さんの言葉を受け入れて、もう一度やり直す気になったそうです。」わたしはその話を聞いて、奥さん立派だなぁと思いました。
●この話にいちばん驚いたのは、他でもない結婚講座を引き受けたわたしです。2人が立ち直るきっかけになったという話の部分は、いつも、どんなカップルにも繰り返し話していることでして、「この若いカップルが将来問題を起こしそうだから、特別にこの話をした」というのではないのです。それなのに、この奥さんは自分たちのために言ってくれたのだと受け止めて、どんなにか受け入れがたかったはずの現実を受け入れて、出直したのです。
●わたしは、この夫婦は結婚生活に必要な深い地の底からの水を、掘り当てたのではないかなぁと思いました。結婚生活のために必要な水が涸れて無くならないように、深い井戸を掘り、その水の源を掘り当てたのだと思ったのです。
●わたしは、月刊アヴェ・マリアをお聞きになっている皆さんにも、井戸を掘り、地下からわき出る水を探り当てて欲しいと思っています。しばしば困難の連続である人生を生き抜くために、わたしの人生幸せだったと実感できるためには、決して涸れることのない地下水が必要だと思うのです。わたしたちが日々の生活に疲れ果てたりした時に、その水を飲んで元気を出し、歩み続ける力の源が必要だと思うのです。
●しかしながらその水は、表面的なもの、例えば水たまりの水ではいけません。今は参考になっても、来年になれば役に立たなくなるようなものではいけません。長く参考になり、長く役に立つものを掘り当てる必要があるのです。
●参考までに、新約聖書のヨハネ福音書4章を紹介いたします。この中で、とある女性が水汲みにやって来るのですが、そこでイエスと出会い、「生きた水」について考えさせられる場面です。中田神父は最終的に、引用した物語に登場する女性のように、自分の心の井戸を深く掘り、イエス・キリストという泉にたどり着きたいと思って生きています。ではヨハネ福音書第4章5節から14節をお聞きください。

4:5 (イエスは)シカルというサマリアの町に来られた。
4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
4:7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
4:8 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。
4:9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。
4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
4:11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
4:12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

2013年10月

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●こんにちは、マリア文庫の中田輝次神父です。今月は母方の祖母のちょっとした思い出話をしたいと思います。わたしの悪行も、その中で関わってきます。その部分はわたし自身は深く反省していますが、皆さんはさらっと聞き流してください。
●わたしが中学を卒業する頃までは、父方の祖母も母方の祖母も生きていたと記憶しています。祖父は、わりと早く亡くなっていました。父方の祖母の思い出もいつか話す機会があればと思っていますが、今月は母方の祖母の話をします。
●わたしの祖父母の時代というのは、大正昭和を生きた世代です。住んでいた家は建てた当時のお金で百円だったといいます。こういう場合、アラビア数字の100ではなく、漢数字の百が、ふさわしいと思います。そして、教育も現在とは比較にならないわけで、六年制の小学校を卒業していれば上等で、場合によっては小学校の途中までしか通っていない人もいたわけです。おそらくわたしの祖父母は、小学校止まり、もしかすると小学校も中退だったかもしれません。
●そんな祖母でしたから、漢字はまったく読み書きできませんでした。母方の祖母が読めたのはひらがなとカタカナだけで、ときどき母から母の母親である祖母に手紙を届けるように言い渡され、手紙を届けに行くことがありました。わたしは内容にはまったく興味が無かったのですが、母の手紙を祖母が読み終えると、わたしにお金を預けて母に届けるようにと言っていたのが不思議でした。
●手紙を渡すと、お金を受け取って母に渡す。これはいったいどういうことだろうと思いまして、ある時祖母が手紙を読んでいるそばで、盗み見をしたのです。すると手紙にはいろんなことが書いてありましたが、生活費に困っているのでお金を貸して欲しいという内容も含まれていました。要するに母は自分の母親に借金して、お金が回らなくなった時にやりくりしていたわけです。
●わたしは生まれつき悪知恵が働く少年だったので、すぐにとんでもないことを思い付きました。これは、カタカナで手紙を書けば、ばあちゃんからお小遣いをもらえるかもしれない。そう思ったのです。もう一度手紙の内容を確認し、手紙の書き方をまねて、カタカナで手紙を偽造しました。「ムスコガツリドウグヲカイタガッテイルケレドモ、カッテアゲルオカネガアリマセン。スコシオカネヲカシテモラエナイデショウカ。」
●今考えればゾッとするようなオレオレ詐欺ですが、当時は特に良心の呵責もなく、その手紙でお小遣いをせしめて、まんまと釣り道具を買ったこともありました。当時のことは本当に申し訳なかったと思っております。償いも十分できておりませんが、思い出すたびに赦しを乞うております。
●わたしたちが小学生の時代、今から35年から40年くらい前ですが、その頃は建設業というのが大変賑わっておりました。いわゆる「土方」の仕事がいくらでもあり、祖母はそうした辛い土方の仕事でお金には余裕があったのだと思います。その点、母は5人の子供を抱え、遠洋漁業の父からの給料だけではやりくりは難しかったのでしょう。ときどき、お金を貸して欲しいという手紙を持たせて、わたしを自分の母親のところに送り出していたわけです。
●わたしは、借金の橋渡しをすることもありましたが、その他のときにもよく母方の祖母のところに泊まりがけで遊びに行っていました。ときには親子で、ときには子供だけで、距離にして4キロくらいの山越えの道を歩いて行きました。特別に祖母が好きだったというわけではありませんが、祖母からはたくさんのことを教えてもらったのです。その中から2つ、紹介したいと思います。
●先にお話ししました通り、祖母は小学校の学力しか持ち合わせていませんでした。それなのに、信仰の面では目を丸くするほどの知識を持っていたのです。天地を創造された神さまがいらっしゃって、わたしたちをいつも見守っておられること。わたしたちが隠れてした行いも、神はすべて見ておられ、わたしたちは審判の日にそれらをすべて裁かれるということ。特にさまざまな祈りは、どうやって覚えたのか、すらすら口にのぼっていました。わたしは祖母から口づてに、祈りを教えてもらったと思っています。
●その中で、歩く時に唱える祈りがあると言って教えられた祈りがあります。それは今で言う「主の祈り」というものなのですが、わたしが山越えをして祖母の家に泊まりに行き、「山越えはとても辛い」と言うわけです。少し褒めてもらいたかったのですが、祖母は代わりにこう言いました。「では山を登る時に辛くならない祈りを教えてあげよう。「主の祈り」を唱えながら、右、左、右、左と足を交互に上げなさい。そうすれば、神さまがお前の足を助けてくれて、ちっとも辛くないから。」そう言ったのです。
●まったく予想外のことでした。頑張って山を越えてきたのだから、「おーよく頑張った。偉いなぁ」と言ってくれるものだと思っていたのですが、祖母は祈りながら歩くと、立派に山を越えることができるという自分の体験から来る知恵を与えてくれたのです。祖母にはそれが、とっておきの知恵で、わたしに特別に授けてくれたのかもしれません。
●こんなこともありました。祖母は大のプロレスファンでした。当時はジャイアント馬場全盛の時代で、わたしが「ばあちゃん遊びに来たよ」と声をかけたのも聞こえず、白黒テレビの前で熱狂して応援していていました。「馬場!危ない!後ろに来ているぞ!ほらー!よーしよけた。それー!十六文キック!」とうとうわたしは玄関に立ったまま、プロレスが終わってわたしに気付くまで待たされることもありました。
●そんな愉快な祖母でしたが、わたしたち孫に対しての信仰の伝達は特別なものがあり、少しの妥協もありませんでした。たとえプロレスの時間だろうが、祈りを一緒に唱えさせることは欠かしませんでした。「プロレスいっしょに観たいのになぁ」とぶつぶつつぶやきながら、祖母と一緒の祈りの時間が終わるまで、何も始まりませんでした。
●毎日土方作業でからだをヘトヘトに使い果たした祖母ですから、祈りの途中で居眠りすることもありました。わたしたちと一緒に祈っていたはずの祖母が、いつの間にか声が聞こえなくなり、見ると祈りの本を握ったままうつぶせに眠り込んでいるのです。わたしは死んだのではないかと思い、「ばあちゃん?大丈夫?」と声をかけますと、途中で言いかけて眠ってしまったちょうどその部分から祈りを続け、わたしは「どうしてちゃんと続きから祈りが言えるのだろう」と呆気にとられたものです。
●母方の祖母のすべてを知り得ているわけではありませんが、祖母はとても豊かな生き方をしていたのだと思います。生活は苦労の連続でした。娘である母から頼られ、悪知恵の働く孫からもお金をだまし取られ、それでもわたしたちに神の前に豊かになる生き方を教えてこの世を去りました。わたしの中で、今も祖母は生きていて、「あなたの手の中にあるものを、周りの人に手放してあげなさい。そして、あなたは神の前に豊かになる生き方を告げ知らせなさい」と教えているのだと思います。
●わたしたちが生きる現代は、あり余る豊かさの中にある時代です。富める者と貧しい者の著しい格差があり、だれもが幸せとは言いがたい時代です。けれども、こんな時代だから、本当の豊かさを考える必要があると思います。お金で計れない豊かさ、何も無くても与えることのできる豊かな生き方。物質的なことだけではない、もっと違う豊かさにわたしたちは目を向ける必要があると思うのです。祖母はずっと前に、そのことに気付かせてくれたのかなぁと思っています。

2013年11月

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「降りていく生き方」
●こんにちは。マリア文庫の中田輝次神父です。聖書の中に、ザアカイという人とイエスとの出会いの物語があります。ザアカイは徴税人の頭で、金持ちでした。徴税人とは、今で言う「税務署の職員」と言うわけではなくて、町の用心棒のようなものです。イエスが活動していたユダヤの国は当時すでにローマに支配されていて、ローマがユダヤ市民の安全を守ってやっているから、税金を払えと要求し、その徴収を請け負っていたユダヤ人たちが徴税人でした。中にはローマが求めていた以上のお金を徴収し、私腹を肥やしていた人もいました。そしてザアカイは、その徴税人の頭で、金持ちであったと紹介されています。まず、ザアカイの物語を紹介します。ルカによる福音書第19章1節から10節です。
●イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
●ザアカイが木の上に登ったのは、背が低くてイエスを見ることができなかったからですが、彼の生き方もここには現れていると思います。つまり彼は、見ることができなければ、どんなことをしても見ようと考えるタイプだったのです。諦めるとか、次の機会を待つとかではなく、他人を出し抜いてイエスを見るためにどうすればよいか、そういうことを日頃から考える人だったので、木に登ってイエスを見るということを思いついたわけです。
●ザアカイの生き方を、仮に「登り続ける生き方」としましょう。頂点を目指し、徴税人の頭にまで登り詰めた人ですから、仲間を出し抜くことも、場合によっては仲間を蹴落とすことも、これまでにあったかも知れません。頂点の椅子は限られているのですから、その椅子を争う人は手段を選んでいられないでしょう。
●そんな生き方をしてきたザアカイに、イエスはまったく思いもしなかった声を掛けたのです。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」イエスの言葉でとくに感じてほしいのは、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。」という部分です。本来の意味は、木に登っていたザアカイに降りてきなさいと声を掛けているのでしょうが、イエスの狙いはただそれだけではないと思っています。
●なぜなら、「ザアカイ、今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と言うだけでも、イエスとその弟子たちはザアカイの家に招いてもらえたからです。「降りてきなさい」と言わなくても、必然的に彼は降りてくるわけです。ですから、なぜイエスがあえて「ザアカイ、急いで降りてきなさい。」と言ったのか考えることには、十分意味があると思います。
●もしかしたらイエスは、別の意味でも「急いで降りてきなさい」と呼び掛けたのかもしれません。「登り続ける生き方」をしていたザアカイに、違う生き方に舵を切ってもらうために、「急いで降りてきなさい」と呼び掛けたのかもしれません。その生き方とは、「降りていく生き方」です。
●「登り続ける生き方」を貫いていると、だんだんその人が出会う人は限られた人になってくると思います。同じ、登り続ける生き方で、上を目指している人たちだけが、付き合いのある人になるでしょう。また、上を目指している人は、行く場所についても限られてくるかもしれません。「頂点を目指す人が、そんな場所にいつまでもいてはいけない」などと言われて、いろんな場所で時間を費やすことも許されなくなるかもしれません。
●一方「降りていく生き方」は、たくさんの人と出会うことになるでしょう。登り続ける生き方で振り落とされた人や、登り続ける生き方に疲れてしまった人や、もともと登り続ける生き方をしていない人、いろんな人との出会いがあるでしょう。
●さらには、自分が降りていかないと、出会うことのできない人もたくさんいます。例えば入院生活をしている人は、わたしが出向いていかない限り、その人と出会うことはできません。何かに心が傷ついておびえている人は、だれかが温かい手を差し伸べてくれなければ、出会うことができません。このように、わたしが「降りていく生き方」を選んだとき、一握りの限られた人との付き合いではなく、はるかに多くの、はるかに多種多様な人と出会う生き方に変わるのです。
●イエスはザアカイに「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と声を掛けました。ザアカイはこの声を聞いて、「降りていく生き方」を選びました。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
●もし「降りていく生き方」を選んでいなかったら、ザアカイはイエスに出会うことはなかったでしょう。イエスは当時の宗教指導者からのちに排斥され、十字架にはりつけにされる人物です。「登り続ける生き方」をする人にとって、まったく興味の無い人物です。けれども、ザアカイが「降りていく生き方」を選び、イエスと出会ったことで、自分の財産を使ってより多くの人と出会い、「救い」にも招かれていったのです。
●今月の話で、「降りていく生き方」を紹介しようとしていますが、第31期生の音訳奉仕者養成講座の修了式でも、「降りていく生き方」について次のように話をしました。「音訳の技術を教えるときに、講師の方々はだれかを出し抜いて音訳をする技術とか、そういうことを教えてもらったりはしていないと思います。むしろ、みなさんが音訳した情報を心待ちにしている人のもとに降りていって届けるつもりで音訳をする。そういう技術を身につけたはずです。修了生の皆さんは、『降りていく生き方』を選んでいくスタート地点に立ったのです。これからその生き方を選んで歩いてくださるかどうか、皆さんにかかっています。」
●ザアカイに「急いで降りてきなさい」と声を掛けたイエスも、ご自分に託された使命のためにあらゆる場所に降りていく一生涯でした。人々から罪人扱いされている徴税人のもとへ降りていく。二千年前の男性優位の社会の中で生きる手段も奪われ、罪深いとされる生活に追いやられた女性のもとへ降りていく。社会から切り離され、憐れみをこい求めるしかない生活を強いられている人のもとへ降りていく。それが、イエスの生涯のすべてでした。「降りていく生き方」を選んだ人は、いつかすべての人のもとへ降りて来られたイエスと、出会うのだと思います。

2013年12月

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「不可能を可能にする力」
●こんにちは。マリア文庫の中田輝次神父です。2013年は皆さまにとってどのような年になったでしょうか。新しく迎える2014年が皆さまにとって実り豊かな年でありますように、お祈り申し上げます。
●2013年最後の月刊アヴェ・マリアの宗教コーナーとしてこのお話を準備しておりますが、12月に、今年一年を振り返って忘れられない出来事となる大きな経験をしました。同じ上五島の教会で、先輩に当たる神父さまが、2014年の2月に長崎市内の大浦教会という所から、福岡県三井郡大刀洗町(みいぐん たちあらいまち)にある今村教会に向けて3日間の徒歩巡礼を計画していて、一緒に行かないかと誘われました。
●福岡の今村教会は、古くからカトリック信者が住み着いている土地です。かつて浦上のキリシタンが大浦にプチジャン神父を訪ねて信徒発見につながり、それから程なくして、浦上の4人の信徒が今村を訪ねて行って今村のキリシタンが発見されたという歴史があります。当時のことですから、浦上キリシタンは歩いて今村に行ったわけです。
●そこで先ほどの先輩神父さまが、「今村の信徒発見の出来事を再現する」そんな思いを込めてこの計画を立てました。わたしは最初尻込みしまして、「いやそれはちょっと」と思ったのですが、運悪くと言いましょうか、わたしよりも若い司祭たちは二つ返事で、「先輩やりましょう。ぼくたちついていきます」と参加を申し込んだのです。それでもわたしは、簡単に「行く」とは言えませんでした。何せ直線距離で135kmくらいありますから、勢いで「ぼくもわたしも」とは言えないわけです。
●そうこうしているうちに、「これから、巡礼に備えて歩きます。今回は青砂ヶ浦から、中ノ浦までです。次回は、青砂ヶ浦から頭ヶ島までです」と練習が始まりました。参加を名乗り出た後輩司祭と会うたびに、「先輩、練習に来ませんか?」と勧められ、「行きましょうよ」みたいな雰囲気になりまして、ついつい「じゃあ、行こうかな」となってしまったのです。
●さっそく12月16日(月)、今村巡礼に備える徒歩特訓の号令が掛かりました。曽根教会から、仲知教会までを往復してきました。往復20kmの行程ですが、実際の巡礼の時には1日30km歩くのだそうです。
●今回は後輩司祭3人と、発起人の先輩司祭1人とわたしで訓練に出発しました。折り返しの教会まで峠をいくつも越えていくのですが、わたしだけ登りで遅れてついていけなくなり、何度か頭がくらくらして座り込みそうになりました。これで本番に間に合うだろうか、迷惑をかけるのではないかと心配になりました。
●幸いに、往復20kmを何とか歩き通し、その日のゴール地点になっている温泉施設でゆっくりお湯に浸かることができました。ただし、服を脱いだときに気付いたのですが、股ずれを起こしていまして、温泉に浸かるときはかなり染みました。股が痛くなったり足が痛くなったら、それは練習を取りやめる合図です。なぜかと言うと、「股・足・痛→また明日」だからです。
●今回の20km徒歩訓練、歩数で言うと3万歩でした。人生で初めて、1日に3万歩も歩きました。一緒に歩いてくれる仲間がいたからなし遂げられたことです。1人で歩いても、とてもこんな距離は歩けなかったでしょう。特にわたしは、ずっと遅れ気味にみんなの後を追いかけ、迷惑を掛けていたからです。
●でも、みんなは文句一つ言わず、わたしを気遣いながら、最後まで歩き通してくれました。だれかが一緒にいてくれる。こんなに力強いのだなぁと、今年いちばん感じた日でした。まさに、「不可能を可能にする力」それは「共にいてくれる仲間の力」でした。
●「仲間の力」と書きましたが、ある人はこう受け取るかも知れません。「それは仲間がいる人の話であって、自分にはそういう気心の知れた仲間はいないから、わたしには当てはまらない。他人事のように聞こえる。」
●さまざまなコミュニケーションの道具が発明され、一瞬にして地球の裏側の人とも連絡が取れるようになったにもかかわらず、孤独を感じている人、孤立している人は少なくありません。実はわたしも、司祭団の中で友達が少ない司祭だと思います。たまたま徒歩巡礼に誘ってもらい、仲良くさせてもらえましたが、ふだんからひんぱんに連絡を取り合っている仲ではないのです。
●もしかしたら、多くの友に恵まれ、仲間に囲まれて人生を暮らす人はそれほど多くないのかも知れません。すると、多くの人は、仲間に助けられて「今まで不可能と思っていたけれども、今ならできるかもしれない」という体験はどのようにして手に入れることができるのでしょうか。わたしは、「不可能を可能にする力」「共にいてくれる仲間の力」はどんな人にも必要だと思っています。
●そこで、「いつも共にいてくれる」そういう人を知っておく必要があります。どんなときでも、「そばにいる」と感じられる存在が、わたしたちには必要です。「いつもそばにいてくれる人」のおかげで、わたしたちはさまざまな「不可能と思えること」を「可能」にしていくわけです。
●いくつか、「だれかがそばにいて欲しい場面」を考えてみましょう。まずは思い悩んでいるときです。物心両面で、悩み事は人を孤独にします。そんな時そばにいてくれる人は、心強い味方です。ただ、そばにいて力づけてくれる人も、すべての時間をわたしのために捧げてくれるわけではありません。できる範囲で、ということになります。
●さらに、思い悩んでいる人にあえて近寄ってくる人もいます。力になると言って、さらにその人を苦しめる結果になる人もいます。ですから、思い悩んでいるときにそばにいてくれる人も、完全な人を求めることはできないように見えます。
●打ちのめされたときも、わたしたちはそばにいてくれる人を必要とします。あまり体験する人はいないと思いますが、強盗に遭ったり、交通事故の加害者・被害者になったり、突然暴力を受けたりする人がいます。思い悩むのとは違い、突然の災難に、すぐに駆けつけてくれる人はどんなにありがたいことでしょうか。
●しかしながらこの場合も、すぐに駆けつけてくれる人はそんなに多くないかも知れません。よほど裕福な人で、24時間自分を守ってくれるように人を雇っている人は別ですが、ほとんどの人はそこまでのことを期待出来ないでしょう。思い悩む人、突然の災難に遭う人、どちらの場合もだれかがそばにいてくれたら、不可能と思える状況から立ち直ることができるかもしれません。
●本当に、いつもそばにいて、すぐに力を貸してくれる人は見つかるでしょうか。わたしなども毎月の締め切り、毎週の締め切りに追われながら、「誰か助けて」と思うことはしばしばですが、本当に助けてくれる人は見つかるでしょうか。その人が見つかったとして、その人は24時間、すべてをわたしのために捧げてくれるのでしょうか。
●わたしの経験からは、この世にそれを期待出来る人はいないと思います。ただ、あえてそれを言葉にするとしたら、それはあなたの心の中にいるのではないでしょうか。中田神父にとってそれは、イエス・キリストということになります。24時間すべて、わたしのために捧げてくれて、わたしの思い悩みも、突然の災難にも、いつもそばにいて助けてくれる。不可能と思える中から光を指し示し、出口へと導いてくれる。「もう原稿が準備出来ない。思い付かない」そんな崖っぷちにいるときに、「こんな切り口で用意してみたら」と助けてくれる。わたしのすべての思いに、すべて答えてくれるのはイエス・キリストということになります。
●「不可能を可能にする力」は信用出来るのでしょうか。わたしは、信用出来ると感じています。これまでさまざま「もう無理、こんなのできない」ということを乗り越えてきました。「やればできる」という程度のものでなく、「どう考えても、どう頭を捻っても無理」と思えることでも、わたしのそばでイエス・キリストは不可能を可能にする力を与えてくれました。
●12月に実施した20kmの徒歩訓練、人生でいちばん辛い訓練でした。言葉で言い表せない疲労感を覚えました。けれども、一緒に歩いてくれた仲間がいたので不可能が可能になりました。わたしは、「不可能を可能にする力」を信じています。そして来る2014年も「不可能を可能にする力」を信じて、歩みを進めていこうと思います。

2014年1月

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「やすらぎをどこから得ていますか」
●こんにちは。マリア文庫の中田輝次神父です。皆さんは休日の過ごし方、何か決まったものがあるでしょうか。わたしはどちらかと言うと、外に出て時間を使いたいと考えます。ですから休日に「あー、まとまった時間ができたから、気が済むまで布団で寝よう!」というようなことはなかなか思いつきません。
●もちろん、外に出るよりも家でゆっくり過ごすのが好きという方もいらっしゃるでしょう。「今日こそ睡眠で日頃の疲れを取るぞ」と考える人もいると思います。それは、「何をすることで休暇を意味あるものにできるか」その考え方によるわけです。どの過ごし方であれ、その人にとっての休暇になれば良いのだと思います。
●さて、休暇を取ることで何が得られるのでしょうか。たぶん、疲れた体に十分な休息が与えられ、精神もリフレッシュして、また新しい気持ちで今日を乗り切る力が与えられるのだと思います。でもよくよく考えると不思議ではないでしょうか。なぜ休暇を取ると、休息が与えられるのでしょうか。精神がリフレッシュして、気力が充実するのでしょうか。
●今までそんなことを考えたこともなかったかもしれません。それでもあえて、「なぜ休暇を取ると、休息が与えられるのでしょう」と問われて、皆さんは何とお答えしますか。「なぜと言われても、それは休暇を取ったのだから休息が与えられるのは当然ではないか」そう考えるでしょうか。
●わたしは、その考えにちょっと付け加えたいことがあります。休暇を取ると、自動的に休息が与えられるのでしょうか。休暇を取ったのに、休息が与えられなかった人も、なかにはいるのではないでしょうか。休暇を通して休息が与えられる人と、休暇を取ったのに休息にならなかった人の間には、何か違いがあるのではないでしょうか。
●ここで、「休息は与えられるものである」という見方で話を進めたいと思います。休息は自動的に手に入るものではなくて、「与えられて」手に入る。わたしはそう考えます。自動的に与えられるのでしたら、疲れが抜けない人はどこにもいないはずです。ですが実際にはそうではありません。休暇を通して休息が「与えられる」ものだとすると、どのようにして与えられるのかを、もう一度考えることが役に立つと思います。
●思い浮かぶのは、「与えられる」ものであるならば、それは誰かが、わたしたちに「与えている」ということです。「誰か」でなくてもかまいません。「何か」でもかまいませんが、「与えてもらったから手に入る」ということが休暇と休息の間にあるのではないでしょうか。ですからこう考えます。「休暇が取れたなら、その人は休息を与えてくれる誰かに会いに行くべきである」ということです。あるいは、「休息を与えてくれる何か」のもとに行くべきなのです。
●場所や行動は、人それぞれでしょう。外に向かう人も、家の中で過ごすことも、それが「休息を与えてくれる誰かに会う」という目的に叶っていれば、何でもありだと思います。外に出かけることで、休息を与えてくれる誰かに会えると考えることもできます。室内でくつろぐことで、休息を与えてくれる誰かに会えると考えることもできます。
●休暇を使ってしてはいけないことがあります。それは、「休息を与えてくれる誰かに会おうとしないこと」です。もし休息が、与えてもらうことで手に入るのであれば、その与えてくれる誰かに会おうとしないことは、休暇をいちばん無駄に使うことになります。休暇は、絶対に無駄にすべきではありません。
●さて、中田神父の立場から、1つの行為について見てみたいと思います。それは、「礼拝」という行為です。中田神父がその中にいるカトリック教会について話しますと、カトリック信者は日曜日には礼拝に参加しています。それはカトリック教会だけでなく、プロテスタント教会に所属する人々も同じだと思います。ただカトリック教会ではミサという形での礼拝、プロテスタント教会では聖書による礼拝という違いはあります。
●この礼拝に参加する人々について、一般の人々の反応は2通り考えられます。1つは、休暇の日曜日に礼拝に行くなんて、立派だなぁという見方です。もう1つは、せっかくの休暇なのに、どうしてわざわざ礼拝に行って時間を使ったりするのだろうかという見方です。わたしは、これに対する答えは簡単だと思います。それは、「休息を与えてくれる方のもとに、キリスト信者は集まっている」ということです。
●どういうことでしょうか。礼拝は、あくまでも神を礼拝するということで、休息にならないのではないでしょうか。礼拝は、個人の休息とどのような関係があるのでしょうか。わたしは、礼拝と個人の休息は、大いに関係があると思っています。むしろ礼拝することで、キリスト信者は積極的に休息を得ようとしているのです。キリスト信者は、自分たちの信じているイエス・キリストが、休息を与えてくれると信じているからです。
●イエス・キリストが休息を与えてくれることを、どのように証明すれば良いでしょうか。それは聖書です。もちろん聖書に書かれていることが真実であるかどうか、それは信じる人信じない人で差が出てきますが、少なくとも何が書かれているかは、信じている人も、信じない人も共に確認できるからです。
●いちばん確認しやすい箇所が、マタイ福音書のなかにあります。その11章28節から30節の中でイエス・キリストは次のように語っています。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
●はっきりと、「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」とあります。この言葉のゆえに、キリスト信者は教会に集まり、礼拝するわけです。ただし、キリスト信者で礼拝に参加している人がすべて、礼拝を通して休息を与えられていると実感できているか、それをわたしが保証することはできませんが。
●少なくとも中田神父は、礼拝を通して自分の中に充足感がみなぎるという実感があります。自分が生かされていること、自分の持ち物が実は与えられたものだということが礼拝のたびにますます理解できてきます。時間も、人との出会いも、自分の才能もそうです。ですから、礼拝によってすべてが与えられています。もちろん休息も与えられて、新しい一週間に入ることができるのです。
●同じようなことは、何かを信仰している人に共通の体験があるのではないでしょうか。人によって信仰の対象は異なると思いますが、その信仰している相手が、自分に何かを与えてくれていると感じて、朝晩祈りをささげたり、お供え物をしたり、境内をきれいにしたりするのだと思います。信仰の対象は違っても、信仰を持っている人は何かを与えられて生きていて、特に休みの日に祈りをささげる人は、休息を与えられているのだと思います。
●ここまで話を進めると、問題が1つ残ります。それは、いっさいの信仰に関わっていない人々のことです。やはり人間はそれぞれ考え方がありますから、何も信じていない、何も信仰を持たないという人もいらっしゃるでしょう。するとその人は、何かを与えてくれる人を信仰の対象に期待していないということになります。
●さらにその中で、他の人からも与えられることを期待しない人もいるかもしれません。するとその人は、何かを与えるとしたら自分で自分に与えると考えているのでしょうか。それとも、誰からも、何も与えられるということはないと考えているのでしょうか。
●もはやここまで突き詰めると、わたしには答えは見つかりません。最後まで、どこまで行っても誰からも与えられることはないとお考えの方がもしいるとしたら、わたしはその人に1つだけ言葉を贈りたいと思います。わたしの言いたいことを、4世紀から5世紀の北アフリカで活躍した教会指導者で、カトリック教会では聖人と呼ばれている聖アウグスティヌスの言葉を借りて表したいと思います。
●彼は、自らの生涯を振り返った「告白録」という書物の中で次のように言っています。「(神よ)あなたはわたしたちを、ご自分に向けてお造りになりました。ですから、わたしたちの心は、あなたのうちに憩うまで安らぎを得ることができないのです。」
●聖アウグスティヌスの言葉に沿って考えると、誰からも与えられることを期待しない人は、実は生涯をかけて、安らぎを探し求めて旅をしているのかもしれません。その人がいつか、安らぎを得られる場所にたどり着き、安らぎを与えられることを心から願いたいと思います。

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