マリア文庫への寄稿

「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。

2012年 6月 7月 9月
2012年 10月 11月

2012年6月

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「譲れないものを譲る」
●マリア文庫の中田輝次神父です。6月は、長崎のカトリック司祭たちは黙想会という修養会に参加する月です。長崎ではこれまで年に1回、全員が集合して黙想会を受けていたのですが、今年からははっきりと分散させるために2度黙想会を企画して、どちらかに参加するように選ばせています。わたしは、立山という小高い丘にある「黙想の家」という研修施設で行われる後半の部の黙想会に参加しました。
●参加者を分散させるのにはそれなりの理由があるようです。黙想会に参加する司祭が1度の日程に全員参加すると、大勢になってしまい、本来の修養の意味が失われてしまうという理由と、それぞれが抱えている教会で緊急事態が起こった場合に、全員が長崎に集結していると誰かに緊急の対応を要請することもできません。
●そうした事情を考慮して、明確に黙想会が2度設定され、どちらかに参加するようにということになったようです。わたしが後半の部に参加しようと決めた理由はもう1つあって、後半の部を指導してくださるのは、同級生の司祭です。
●わたしはこの同級生と、高校を卒業してから入学していた学校で、4年間ともに学びました。その後同級生のほうは籍を置いている所属先の意向でローマに留学し、たくさん勉強して、わたしよりも後に、司祭になりました。現在は留学の経験を生かして、ローマで発表されたカトリック教会の公式文書や書物の日本語訳などで日本のために存分に力を発揮してくれています。
●さて、黙想会中に月刊アヴェマリアの録音を作成するのは避けたいと思いまして、今回は黙想会に入る前にこの話を作りました。でも実際には、黙想会の間も少し時間を頂いて、今回の分を提出しています。考えてみたのは、「譲れないものを譲る」ということです。もしも必要に迫られたとき、もう一歩踏み込んだ態度を取る心構えについて、今週はお話を用意してみました。
●わたしたちは、正しいと思っているいろいろなことがあります。正しいと信じていると言ってもよいでしょう。それらは、客観的に見ても正しいことが多いと思います。たとえばそれは、自分の持っている意見です。ある場所で意見を求められ、自分が正しいと思っていることを言ったとします。ところが自分の意見に対して、それは違うのではないかと、反対意見が出たとしましょう。
●相手の意見が反対意見であることは聞けば分かりますが、どう考えても自分の意見のほうが正しい意見、筋の通った意見だと感じるときもあるのではないでしょうか。そして自分の意見に賛成してくれる人も現れたりして、どう考えても自分の意見のほうが正しい。そういうこともあると思います。
●ですが、反対の意見がある場合、意見をまとめるためにはどこかでお互いに譲り合わなければなりません。わたしの意見がどれだけ筋が通っていても、相手が反対を述べる中で意見をまとめるためには、いくらか自分の意見を相手に合わせなければなりません。そんなとき、皆さんはどういう納得のしかたをするでしょうか。それは、一切納得できないけれども、譲ったふりをするでしょうか。
●似たようなことで、これまで変わりなく続けてきた習慣や伝統について、あるとき変更や修正を求められたとしましょう。これはこういう事情で続けてきているもので、ちゃんとした理由があるのだから変えられないと皆さんは考えるかも知れません。それでももし、変更や修正が必要だという結論に達したら、皆さんは譲ることができるでしょうか。これまで通りできないならもう続けられないと、関わりをもたなくなってしまうでしょうか。
●こちらに十分な理由があるのに、意見や方針やこれまでの習慣伝統を変更せざるを得なくなる。譲れないことを譲らないといけないとき、うまく自分を譲るために、どのように考えたらよいでしょうか。何か、ヒントを与えてくれる実例があるでしょうか。
●次のように考えてみてはいかがでしょうか。わたしを超える何かが働きかけている。わたしを見守っているもっと大きな思いが、譲れないものを譲ってほしいと願っている。こんな考え方です。「譲れないものを譲ってほしいと願っているかた」このかたを中田神父の知っている言葉で言えば、それは「神」です。神が、人間的には譲れないと考えていることに、譲ってほしいと願っていると考えるなら、譲るための心構えができるかも知れません。
●聖書を1カ所引用したいと思います。新約聖書、マタイによる福音書の5章38節から45節です。まず読んでみます。
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
●ここに登場したのは、「悪人」「訴える人」「強要する人」「借りようとする人」です。借りようとする人はさまざまな事情があるので一概には言えませんが、少なくともそれ以外の人たちは自分より正しくない人たちで、譲れない人たちです。
このたとえ話で示されている人そのものでなくてもよいのですが、譲れない人たちに譲歩する理由が、たとえ話に入っていました。「あなたがたがの天の父の子となるためである。」天の父、つまり神に、子どもとして愛されるために譲れないと思っているだろうけれども譲ってほしいというのです。
●自分の正しさを物差しにすれば、わたしたちに譲る理由がないことは明らかです。悪人にどうして譲ることができましょうか。訴える人に、どうして訴えられるままにしておけるでしょうか。そのように、わたしの正しさを物差しにするかぎり、どうしても譲ることはできないのです。
●ところが、わたしに1つだけ譲る理由があるとすれば、わたしを超えるかたに譲ってほしいと頼まれたときです。このたとえ話を語ったのはイエス・キリストなのですが、イエスはわたしたちに譲ってほしいと頼むだけの十分な模範を残してくださいました。「もし、このイエスが譲れないと思っているものを譲ってくれないかと頼むのであれば、わたしは譲りましょう。」そういう気持ちにさせるだけの大きな愛を、わたしたちに残してくださいました。
●その模範とは、イエスが十字架にかかって最後を全うしたことです。イエスは人を完全に愛するという使命を全うするために、死に値する罪はなかったのに十字架の刑を受け取りました。十字架刑を言い渡される裁判の中で、さまざまに訴える人もいましたが、それらに反論しませんでした。また、十字架を背負って刑場まで歩くときも、むち打たれ、人々の好奇の目にさらされましたが、イエスは黙って耐え忍びました。十字架にはりつけにされてからも、かたわらで十字架にはりつけにされた罪人にゆるしのことばを残しました。
●あふれるほどの愛、すべての人をゆるし、包む愛。この豊かな愛を与えてくださったイエスが、「あなたにとって譲れないものを、譲ってくれませんか」と語りかけているとしたら。それは、もう一歩踏み込んで、譲れない思いを譲るきっかけが与えられるのではないでしょうか。
●すべての人にとってそれは、イエス・キリストではないかも知れません。イエスでなくても、たとえばあなたが信仰しているかた、あるいは、亡くなった家族の中でいちばん愛していた誰かが、「あなたの譲れないものを、譲ってくれませんか」と語りかけていると考えたらよいと思います。
●「このかたに頼まれたのだったら、まあ譲りましょう。このかたには、大きな愛を受けましたから。」そう理解して、譲れないものを譲るなら、その時大きな愛を人に示すことになるのではないでしょうか。そして、わたしたちのその愛は、人を動かし、違った場面ではわたしの愛に動かされて、誰かが譲れないものを譲ってくださるかも知れません。大きな愛は、人を大きく動かします。ぜひ、体験していただきたいものです。

2012年7月

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「生きる難しさを知った上で生きる」
●マリア文庫の中田輝次神父です。中学生が命を絶ったニュースが7月には何度も報道されました。本当に痛ましい事件です。「事故」ではなく、「事件」だと思いました。命の大切さについて、生きることの大切さについて、今月あえて取り上げてみたいと思います。
●思い詰めている人だけでなく、だれもが、生きることに困難を感じます。小さな悩みもあるでしょうし、人には言えないような大きな悩みもあるでしょう。そんな悩みを抱えながら、人はけんめいに生きているのだと思います。
●ただ、どこかでわたしたちは弱さのために生きようとすることに限界を感じたりします。「生きていたくない」とか、「生きていてもしかたがない」とかです。限界を感じるのは、その人が「弱いから」ではありません。だれもが「弱さ」を持っている。だから、限界を感じるのです。「弱い人」と、「弱さを持っている人」とは、違うと思います。
●なかには「強い人」もいるかも知れません。生きていく難しさを感じても、それをことごとくはね返し、バネにし、成長の糧にしてすべてをエネルギーに変えていく。そういう人がいないとは限りません。実際にはなかなかいないのでしょうが、もしそういう人が周りにいて、「困難なんか、はね返したらいいんだよ。バネにして、さらに高い場所に行くきっかけにするのさ」そう言われたら、多くの人は「そんなこと、わたしには無理だ」と感じるのではないでしょうか。
●人生全体の中でも、困難をバネにしたり跳ね返したりできる時期と、困難に沈んでしまいそうになる時期と、両方を経験するかもしれません。そして弱さを経験する時に、人はより多くのことを学ぶように思います。どんなことがあっても、人は生きていいということ。弱く苦しい経験を通ってようやく、人は命の本当の価値を学ぶように思うのです。
●わたしは自分の職業柄、多くの病人を見舞います。病院であれば入院患者を、施設であれば入所者を、あるいは在宅で寝たきりになったり外出できなくなっている人など、いろんな人を見舞います。そんな中で、多くの人がけんめいに生きようとしているのを見ます。健康を損ねている人が多いので、何をするのもつらそうですが、けんめいに生きています。
●体の自由がきかない人は、生きることのほうがつらいと思うのですが、そうした人を見舞っていると、人はただ生きているのではなくて、生かされている、生かされている命を、生きているのだと感じるのです。生きる意味について、わたしは自分から学ぶことよりも、見舞っている多くの人から学ぶことのほうがずっと多いと最近感じるようになりました。
●ちょっと説明が回りくどくなりましたが、たとえば体も力にみなぎっているとき、自分で自分の人生を生きていると感じるかもしれません。ところが、いったん弱さの中に放り込まれると、思うようにいかない体と付き合いながら生きていくことになるのです。弱っているとき、それは生きる意味を考えさせるチャンスです。実はわたしたちは、強いときも弱いときも、生かされている存在なのではないでしょうか。
●「生かされている」ということは、誰かがわたしを生かしてくださっているということです。元気なとき、体が強いときは見落としがちですが、生かされていると初めから考えて生きてみると、いろんなことが見えてきます。
●生かされているということは、わたしたちがここまで生きる、これ以上は生きる必要はないと決める自由は持っていないということになるでしょう。弱いときには、「なぜ生きるのか」と疑問に感じることが多いわけですが、それは生かされているから、大切に生きる必要があるということです。
●強さを感じているときは、もしかしたら自分のためだけではなく、誰かのためにも役立つために生きているのかもしれません。自分のためだけだったら、自分に与えられている力は有り余っていますが、他の人に役立つために生かされているとしたら、元気な人、力にみなぎっている人の生きる意味は、今までとは少し違ってくるのではないでしょうか。
●当然のことですが、健康な人、力にあふれている人よりも、弱っている人、また年齢を重ねて力が衰えている人のほうが生きる難しさを感じています。体が弱ってきた人だけでなく、判断力が弱ってきている人もいます。外出先から戻ってきて、履いていた靴を脱ぎましたが、その靴をどう片付ければよいか、すぐに思い浮かばない人がいます。
●また室内で履くための履き物が名札が貼られた靴箱に入っていますが、部屋履きのことを思い出せずにそのままはだしで室内に入り、部屋履きを履いていないために何か違和感を感じる。けれどもなぜ七日までは思い足らない。生きる難しさは、わたしたちにとって何か役に立つことがあるのでしょうか。生きる難しさをいつまでも経験しないほうが、充実した生き方ができるのではないでしょうか。
●やはり、生きる難しさを感じるほうが、自分が生かされているということを実感するはずです。なぜこんなに辛い思いをして生きているのか。生かされていることをどう受け止めるかで違ってくるのではないでしょうか。
●生かされているという生き方に対する受け止め方は大きく二つあると思います。生かされていることを喜べない人と、生かされて生きることを喜びに感じる人です。喜べない人は、生きる難しさ、生きる辛さが重荷になってしまい、どうしても喜べないのでしょう。
●一方で、生きる難しさ、生きる辛さはあるけれども、喜びながら生きる人もいます。しばしば、生きる難しさを抱えている人は、いろんな人と関わって生きていきます。生活を助けてくれる人、声をかけてくれる人、公共のサービス、いろんな人が関わってくれるので、生きるとはどういうことかをより考えさせられるのではないでしょうか。
●すべてを受け入れて、その上で生きようと決心すると、人は喜びを感じるようになるのだと思います。生きる難しさがある。けれども困難ななかでも関わってくれる人がいる。わたしは放置されているのではなく、生かされている。生かしてくださっているだれかが、わたしに関わるすべての人を通して、何かを気付かせようとしている。ここまで思い至ると、喜びを感じる人に変わるのだと思います。
●生きる辛さのない生活はまずありませんが、その中にあって喜びのない生活も実はないのです。生きる辛さを感じている人のなかに、確かに喜びを感じて生きている人がいる。それは、生かされていることを深く見つめるなかで見えてくるのだと思います。わたしたちの中で、一人でも二人でも、生きる難しさを感じていても、喜びもありますよと周りの人に態度で示すことができたらすばらしいと思います。
●わたしたちが喜びを周りの人に示すことができたら、きっと社会は変わります。生きる辛さを感じ、しかも喜びのない人がわたしたちと出会って変われるかもしれません。ぜひそのような体験を、周りの人と分かち合いたいものです。

2012年9月

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「物理的に何もできない時、何を思い出す?」
●マリア文庫の中田輝次神父です。五島列島にいる人にとって、台風16号は恐ろしいと感じるほどの暴風でした。雨は、台風がいちばん接近していた月曜日ではなく、それより少し前の土曜日に、記録的短時間大雨情報が発令されるほどの豪雨で、地域によっては浸水したり、家から一歩も出ることができなかったりしたそうです。ですから雨で動けず、そのあとの暴風で動けずで、何日間も家から出ることができなかった人もいたかも知れません。
●また、五島列島のあちこちで停電になり、台風が明け方最接近だったこともあって、真っ暗な状態で朝を迎えました。原因は電線の切断によるものだったようですが、山から山にまたがる場所で電線が切れたりすれば、現場に行って電線を繋ぐのは困難を極める作業だと思います。
●わたしは暴風にさらされた時間帯は、赴任している教会のうち巡回先の福見教会司祭館に日曜日から泊まって月曜日の朝を迎えました。まさか停電するとは思っていなかったので、懐中電気などの備えがなく、完全に真っ暗な中、手探りで朝の支度をしました。暴風の中石垣や住宅の壁をつたえ歩きのようにして福見修道院のシスターのもとに行き、早朝ミサをささげました。
●月曜日の朝、もちろん修道院も停電でしたので、懐中電灯やローソクの明かりを頼りに、ミサをささげました。生まれて始めて、イエス時代にはこうやって朝を迎え、イエスの復活の記念をおこなっていたのだろうかと思いながら、ミサをささげる体験をしました。
●停電は長いこと復旧しませんでした。わたしは電気が復旧したら巡回先の福見から少しでも早く浜串に戻って、被害の様子を確かめたいと思っていたのですが、12時になっても電気は復旧しませんでした。昼過ぎに暴風だけはおさまり、移動できそうでしたので、ふだん生活の拠点にしている浜串のほうに移動してみたのですが、浜串ではいろんなものが倒れ、瓦葺きの家の中には瓦が飛んだ家もありました。司祭館は幸いに目立った被害はないようでしたが、電気は昼を過ぎても復旧しません。冷蔵庫や、電化製品など、心配な物がたくさんありました。
●冷蔵庫に入っているものは、いざとなれば処分すれば済むことですが、たとえばパソコンでの作業とか、電気がなければまったく進めることのできない仕事があり、台風が通過してからも全くのお手上げ状態でした。結局、この日は夜6時になってようやく電気が復旧し、都合16時間停電での生活を強いられたことになります。
●停電になって、つくづく感じたことは、わたしたちはどれだけ電気のお世話になって毎日暮らしていることだろうかということです。照明器具に関しては、別に電気がなくても昼間は明るい場所を探せば明るいわけですが、情報を得る道具がわたしには痛手でした。テレビは見ることができない、パソコンを立ち上げることもできない。情報番組の中には定期的に予約して見ている番組もありますが、それらもいっさい作動しません。困り果てました。
●ほかにも、電子レンジやトースター、炊飯器もコーヒーメーカーも、言ってみれば生活を潤すほとんどの物が動かないわけです。今回台風直撃によってさまざまな不自由を味わって初めて、どれだけわたしたちが電気の世話になっているかが実感できました。
●電気のない生活を16時間させてもらったことで、別の思いも湧いてきました。それは、「電気のない生活も、それはそれで成り立つのだなぁ」ということです。もともと電気が発明されていない時代は、人間は火を使うことと、水を使うことで生活が成り立っていたわけです。火をおこし、水を確保できれば、食事を用意することは何とかなります。電気がないので苦労は多いですが、最初から電気などないのだと思えば、それなりに生活を組み立てることは可能だなと思いました。
●平常時であれば、電気がない生活は考えられないことでしょう。現代の生活に、電気を使う道具は必要不可欠です。ですからわざわざ電気のない生活を体験してくださいとは言いませんが、もし電気がなければ、それはそれで、別の暮らし方が成り立つように思います。要するに、絶対にこうでなければならないというものは、わたしたち人間の活動において存在しないのではないか、と思ったのです。
●また、暴風の恐怖の中、命を守ってくれるのはだれなのかについてあらためて考えました。家はきしみ、今にも吹き飛ばされそうです。そんな時、「家の中にいるからわたしは大丈夫」などとはとても思えません。人間の知恵を集めて作られた建物なのに、風速30メートル、40メートルの風の前には、まるで木の葉のようでした。
●中田神父は、この嵐の中で、自分の命を守ってくれるのは、自然を超えた存在に違いないと思いました。自然の猛威に翻弄されているか弱い命を、始めから終わりまで見守る方がいなければ、守ってくれることなど到底できない。そう思ったのです。それは、中田神父の知っている言葉で言えば、「神」ということになります。神がいて、30メートルを超える暴風の中おびえているちっぽけな命を、守ってくださる。そう信じ、そのように願いながら、嵐が過ぎ去るのを待ちました。
●暴風に晒されながら、神について聖書のさまざまな言葉が思い出されました。紹介する順番に特別な意味合いはありませんが、思い出す順に当時の思いを添えて話したいと思います。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(ルカ23・46)これはイエスの最期の場面での言葉ですが、イエスがすべてを御父にゆだねる言葉で、嵐の中にいたわたしは、自分を落ち着けるように、この言葉を繰り返してみました。まるで、イエスが信頼していた御父が、今わたしたちのそばにいて、その方に語り掛けるような気持ちで、口ずさみました。
●「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・34)電気がない、家は悲鳴を上げている。そんな中では、今この時が無事に過ぎ去ることしか考えることはできませんでした。その思いが間違いでないことを信じたくて、この言葉を繰り返してみました。わたしは暴風で家がきしむ中、この聖書の言葉がいちばんしっくりくると感じました。思い出す聖書のいろんな言葉の中で、いちばん安心させてくれました。
●「主はわたしの岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ/わたしの盾、救いの角、砦の塔。」(詩編18・3)ふだん司祭が唱える祈りの一節でもありますが、旧約聖書の詩編という書物の中に収められた言葉です。家にいても不安な中、主である神が守ってくださる。主である神のもとに逃れているから、大丈夫。そんな気持ちにさせてくれる言葉でした。
●電力が取り上げられ、何もすることがない中で、わたしにできることは自分を安心させる言葉を思い出すこと。それくらいしか思い付きませんでした。そしてわたしの心に浮かんだのは、聖書の言葉でした。木の葉のようにちっぽけな存在と感じた暴風の中で、皆さんだったら何を思いだし、何を口ずさむでしょうか。
●その、口ずさんだ言葉が、あなたにやすらぎや勇気を与えてくれるものであってほしいと願います。口にのぼるたびに、あなたにとって信頼できる言葉になってくれる。そういう言葉であって欲しいと思います。幸いにわたしは、唱えているうちに落ち着きを取り戻し、力が湧いてくる。そういう言葉を思い出すことができました。あらためて、何もできない時に力を与えてくれるものがあることに、感謝しました。

2012年10月

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「積み上げたものが台無しになったら」
●こんにちは。マリア文庫の中田輝次神父です。皆さんは、これまで積み上げてきたことが台無しになる瞬間を想像したことがあるでしょうか。または、そのような経験をしたことがあるでしょうか。
●わたしは、身近な体験として、何度かこれまで積み上げてきた物を失ったことがあります。パソコンを使っていた時のことですが、ある時ちょっとしたことで電源が落ちまして、それまで作業していた資料を一瞬で失ったことがあります。
●電源が落ちたのはさまざまな原因が重なった結果で、わたしは部屋で暖房だったか冷房だったか、エアコンを使いながらパソコンを使っている、台所では料理をしているお手伝いの信徒のかたが電子レンジを使い始める、それらすべてが同時に電気を奪い合って、ブレーカーの安全装置が作動して電源が落ちたのでした。
●資料は、保存していなかったためにすべて消えてなくなりました。今でしたらパソコンが危険を察知してバックアップを取るようになっていますが、それらも当時は備わっていませんでしたので、復旧することができませんでした。
●電源が落ちて困るのは、食事のお世話をしてくださる信徒のかたも同じことです。配電盤のある場所に2人が集まり、「電気が落ちちゃいましたね」と顔を見合わせました。
●料理は、少し時間が余計にかかるくらいの被害で済むでしょう。しかしわたしが失ったものは、何時間も積み上げて出来上がった資料でしたから、わたしの中でのショックは相当なものでした。内心わたしは怒りがこみ上げていたのですが、怒りをぶつけても仕方がありません。もう一度気持ちを切り替えて、机に向かうことにしました。
●誰でも、大変な目にあったりして不平不満をぶつけるのは仕方ないことかもしれません。けれども、もし働きを台無しにされても不平不満をぶつけない。ここを一つがまんできれば、その人は多くの人の中で特別な存在になるのではないでしょうか。
●中田神父が特別な存在なのだとか、そういうことはまったく考えておりません。ただ、働きを台無しにされても失望しない人、台無しにされても気落ちしない団体は、それだけでも輝いていると思うのです。
●「それは理想の話であって実際には無理だ」と思われるでしょうか。2人の人物を紹介したいと思います。1人は古代のキリスト教指導者で、イグナチオという司教です。彼はローマ帝国がまだキリスト教を迫害していた時代に捕らえられ、ローマの闘技場で野獣の餌食になって殺されました。教会は彼を、信仰のために迫害を受けて命をささげた殉教者としています。
●イグナチオは、生前自分が殉教者となることを周囲の人に次のように話していました。「皆さんにお願いいたします。時宜にかなわないご好意をわたしに示さないでください。獣の餌食にならせてください。獣を通してこそ、わたしは神に達することができるのです。わたしは神の穀物であり、キリストの清いパンとして認められるために、獣の牙で粉に引かれるのです。」
●イグナチオは自分のことを神の穀物であると言いました。ここでは小麦のことを指していますが、小麦はそのままではパンになりません。臼で挽いて、小麦粉にしてから、望みの料理に仕上げることができます。彼は臼で挽かれて粉々になる様を、自分の殉教と重ねていたのでした。
●司教という役職は、教会の中では多くの信徒を導く大切な役割を担っています。彼が生きて教会の信徒を導くことを望んでいたなら、殉教することはマイナスのはずです。けれどもイグナチオは、自分が小麦粉のように挽かれることは、神のためにプラスになると考え、進んで殉教を引き受けたのです。
●それは、一般の目から見れば、これまでの人生を台無しにする行為かもしれません。司教としての任務が遂行できなくなることを考えれば、取ってはいけない行為かもしれません。けれども、殉教を選んだイグナチオは、歴史の中で特別な司教となったのです。
●わたしたちも、自分が積み上げてきたものを誰かに妨害され、邪魔立てされた場合、怒りにまかせて仕返しをしそうになります。これまで積み上げてきたものは意味と価値があり、それを台無しにする人は自分にとって敵のような者だからです。けれども、だからといって台無しにしようとする相手を攻撃したり非難したりしては、わたしたちは特別な存在にはなれないということです。だれもが仕返ししたくなるような場面で仕返しをしないからこそ、その人は特別な存在になることができるのです。
●もう1人、アイザック・ニュートンを紹介したいと思います。ニュートンは自宅にダイアモンドという名前の1匹の犬を飼っていました。ある日ダイアモンドはニュートンの自宅で留守番をしていた時、照明に使われていたランプだったかローソクだったかを倒してしまいます。たちまち火は燃え広がり、自宅を全焼する火事となりました。自宅には、ニュートンがこれまで研究してためてきた20年間分の資料がありましたが、これらすべてが灰になりました。
●ニュートンが帰ってくると、自宅はなくなっていました。そこに、この事件の張本人であるダイアモンドが立っていました。ニュートンは、これまでの研究を台無しにした飼い犬ダイアモンドを即刻死なせてしまうこともできたのですが、ニュートンはいつも家に帰ってきた時にするように犬の頭をなで、「おお、ダイアモンド。お前はどんな悪さをしたか、何も知らないんだよなぁ」と言ったのだそうです。研究者は世界中にいますが、研究を台無しにされても怒りをぶつけなかったことで、ニュートンは特別な存在になりました。
●わたしたちも、この21世紀に生きる世代の中で特別な存在になることができます。驚異的な仕事の量をこなすとか、あっと驚く名声を手に入れて特別になるのではなく、仕事を台無しにされても、怒りをあらわにせず、もう一度根気強くやり直す。そうやってこの時代にあって特別な存在になるのです。
●驚異的な仕事をこなす人はこの世界に何百人もいます。ノーベル賞を受賞する人も毎年世界中から現れます。けれども、当然怒りを表せるような場面で怒りを決して表さない人は、もしかしたらどこにもいないかも知れません。わたしたちはそのような人物になれる可能性があるのです。
●もちろん、それはなかなか簡単なことではないと思います。けれども、もし今月の話に共感してくださる人がいらっしゃるなら、その方々はこの世界の中で、特別な存在になることができる。そのことをお伝えしたいと思います。
●驚異的な仕事をこなす人も、ノーベル賞を手にする人も、だれかがその人を発見してくれたり、自然と目に付いたりするでしょう。ところが、これまでの働きを台無しにされても怒りを表さない人は、もしかしたら誰にも見つけてもらえないかもしれません。
●誰も、そのような隠れた偉大な人を見つけることはないかも知れません。けれどもご安心ください。中田神父が信じている神は、誰の目にも留まらないような隠れた偉大な人を、誰一人漏らさずご覧になっておられます。イエスはそのことを語ってくれました。少し長いのですが、聖書の箇所を引用して今月の話を終わります。
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ6・1-6,16-18)

2012年11月

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「死後の世界はある?」
●こんにちは。マリア文庫の中田輝次神父です。皆さんは、この地上の命についてどのような理解を持っているでしょうか。まず、この命は寿命が来ますが、寿命が来て、お医者さんが「ご臨終です」と仮に宣告されたら、その後はどうなるとお考えでしょうか。
●大きく二通りの考えがあると思います。1つは、この命の寿命が来れば、それですべてが終わるという考え方です。他の言い方をすると、この世しかない。来世はない。そういう考え方です。
●この考え方に立つと、この命が尽きればそれで終わりですから、どのような埋葬の仕方をしてもらっても、具体的にはていねいに埋葬されても、乱暴に扱われても、その後何も続きは無いのですから、どんな扱いをされても問題にはならないということになります。
●果たしてそうだろうか、という疑問がありますが、人が信じていることにわたしたちは口を挟むことはできませんから、それはそれで、考え方を尊重したいと思います。ただしこの考え方に沿ってもう少し突き詰めて考えると、たとえば葬儀を出せない経済的事情にある人に、国が葬儀の費用を負担するというのは意味がないことになります。
●あるいは、お金を出してお墓を建てることも、お墓を守ることにも、何の意味もないことになります。骨しか存在していないとしたら、そんなに大金を払うのは不経済かもしれません。
●もう1つの考えは、死によってこの命が終わっても、すべてが終わるわけではないという考え方です。この命が終わってから、つまり死後に、どのような場所があり、どのような状態に置かれるのかは、各自の信じる所に従ってなのでさまざまですが、それでも皆共通していることは、死後の時間があり、何らかの形でこの世界と連続しているということです。
●2つめの考え方に従えば、人がどのように埋葬されるかは意味を持つ出来事になります。つまり、ていねいに扱われ、埋葬されるのか、乱暴に扱われるのかは亡くなった人にとって大切なことです。わたしたち人間が、ていねいな対応を受ければ喜び、雑な対応を受ければ感情を害するように、埋葬される人も、きっとその対応の仕方を見て喜んだり悲しんだりするのだと思います。
●わたしは、確実に後者の考えに立っています。実はそのことを思い知らされた出来事がありました。11月2日のことです。この日は、カトリック教会では死者のために特別に祈る日「死者の日」に当たっていました。その前の晩、つまり11月1日の晩に、そうとう疲れていたのでしょうか、布団に入ったきりすっかり寝入ってしまいまして、朝6時からのミサの礼拝の司式を寝坊してしまったのです。
●ミサは、司祭が聖堂に入堂する所から始まりますから、司祭がそこにいなければどんなに人が集まっていてもミサは始まりません。わたしが寝坊していることに気付いた修道女が、司祭の住んでいる「司祭館」の玄関のチャイムを鳴らしまして、ようやくわたしは状況を理解し、大変なことをしたのだと気付きました。
●申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、ミサの祭服を着て、ミサが始まる時の歌が始まり、わたしは小さくなりながら祭壇に出て来たのです。その際始まりに用いられた聖歌は、「神を敬う人の死は」という歌でした。少し歌って、歌詞を紹介します。「神を敬う人の死は、神の前に尊い。救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。」
●ご存じでないかたも多いかと思いますが、この聖歌(賛美歌)は、実はカトリック教会での葬儀ミサの際に、よく用いられるいわば定番の聖歌でして、この聖歌を聞くと、カトリック信者は「ああ、葬儀のミサだなぁ」と感じる歌なのです。
●実際わたしも、この聖歌を耳にたこができるほど聞いてきたのですが、この日11月2日に感じた印象はまったく違ったものになりました。わたしは完全に寝坊してこのミサに恥ずかしい思いをして出て来ています。言ってみればわたしはさっきまで布団の中で死んでいたわけで、その死んだ状態でミサを始めようとした所、「神を敬う人の死は、神の前に尊い」との歌詞が流れてきたというわけです。
●それはまるで、わたしの葬式が始まったような雰囲気でした。参列者は誰もそういうことは感じなかったでしょうが、わたしは、自分の葬式が始まったと錯覚するほど、雰囲気はぴったり当てはまっていました。
●その時同時に、こう思ったのです。「死後の世界はある。わたしはあたかも自分が死んだかのような状況を実感した。もし死後の世界、死んでからの連続した時間が存在していなければ、わたしがわたしの葬式を実感することなどできるはずがないと思ったのです。この世だけしか存在しないとしても習慣として葬儀は行われるかもしれません。けれども、「葬儀が行われている」と実感できたということは、一瞬でも死後の時間がなければ体験できないからです。
●もう一つ、人間の死後について考えさせられた出来事がありました。わたしは3年前に父を亡くしておりますが、父が今どうなっているだろうかとあまり深刻に考えたことはありませんでした。
●もちろん自分の信仰に照らして、亡くなった命日にはミサの中で祈り、思い出した時には心の中で手を合わせて祈ったりしていました。それでも、父が今どんな状態なのだろうか、幸せなのだろうか、苦しんでいるのではないだろうかと、そのようなことを真剣に想像することはなかったのです。
●ところが、思いがけない経験をしました。9月の初めに、父親の夢を見まして、わたしは夢の中で、父と何かしら話しをしていたのです。今となってはどんな会話だったのか、まったく思い出せないのですが、親子としてというよりは、それぞれ1人の大人として、何かを話していたようでした。
●それも、何か別世界の話ではなく、ごく普通に、「おう。元気してたか」といったような会話だったような気がします。少なくとも、「あの世はこんな場所だ」とか、「楽しいぞ」とか「苦しい助けてくれ」といったような会話ではなかったようです。ですからこの世界と死後の世界とは、そんなにかけ離れた世界ではないのかも知れません。
●さらに追い打ちを掛けるような出来事がありました。わたしはミサの時に聖書の朗読の内容に沿って説教をしているのですが、それを多くの人に届けようとの思いでメールマガジン、ブログ、ホームページに毎週掲載しています。そのおかげでたくさんの人がわたしの日曜日の説教を読んでくださっているのですが、わたしがここに来る前に赴任していた長崎市伊王島町のカトリック馬込教会の信徒の方から、「自分も中田神父のお父さまの夢を見て、わたしも夢の中で親しく話したのです。メールマガジンに中田神父さんが父親の夢を見たのだと書かれていて、同じ時期に何という不思議なことだろうと、驚いていた所でした。きっと幸せな時間を過ごしているから、楽しい会話ができたのだと思います。」
●わたしはこの人のことをよく知っていますが、嘘を言ったり冗談を言ったりするような人ではありません。むしろあまりに正直なために人からからかわれて騙されたりするタイプです。わたしは赴任中、よくその人に「きっと、オレオレ詐欺の電話が掛かったら騙されるだろうね」と言って笑ったことがありました。
●今話した前任地の恩人は、わたしと同じ信仰の持ち主です。それは横に置いたとしても、わたしは、だれかが亡くなった時、亡くなった人はその時点で消えてしまうのではなく、次の世界に移行していき、次の世界で何らかの状態で過ごしているのだと思います。
●わたしは、来世について特別な期待もマイナスのイメージも持っていませんし、幽霊も信じていないしたたりも信じませんが、今回の2つの体験は、明らかに自分に来世を信じさせる出来事となりました。ちなみに、その後父親が夢枕に立つことはありませんが、もしもう一度夢で会えるのならば、今幸せだろうか、そのことだけ確かめることができればなぁと思っています。


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