マリア文庫への寄稿

「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。

2010年 4月 5月 6月
2010年 7月 9月 10月

2010年4月

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●こんにちは、中田神父です。転勤直後で、荷物はごった返しの中で暮らしています。なかなか、探し出したいものが見つからず、困っていますが、それはそれで、「おー、ここにいたか」と見つかった時に喜びがあります。
●出発する直前に、何人かの人にはしばらく顔を見せられなくなるからと、お別れ会を開いてもらいました。お別れ会は、「寂しくなるねぇ」とか「向こうでも元気でね」とか、いろんな話を、浮かんだまま、順番も気にせず話し続けました。どちらも、離れることのつらさは隠したまま、語り明かし、飲み明かしました。
●いよいよ時間となり、送別会の席を離れるわけですが、わたしはある会合の終わりに、「それじゃあ、また」とだけ言って、その会を離れたことがありました。会食の場所を離れ、100mほど歩いていると、さきほど「それじゃあ、また」とだけ言って別れたことが妙に気になり出しました。
●つまりこういうことです。わたしは、出かけて行く身の人間なので、「じゃあ、行ってきます」で済むかも知れないけれども、わたしの恩人である食事会を設けてくれた人々にとっては、何かもっと違う言葉をかけてもらいたかったのではないか、ということです。
●たとえば、「長崎にいる間は、本当にお世話になりました。出かけた先でも、受けた恩は忘れません」とか、具体的に並べるのは難しいですが、とにかく、相手に取って言ってもらいたいなぁというような言葉が、何かあったのではないかと感じたのです。
●もちろん引き返して、「今このようなことに思い当たったので、あらためてお別れのあいさつをします」などということはできないのですから、返す返すも申し訳ないことをしたと、こちらに戻ってから悔やんでいます。悔やんでも、取り返しがつかないことなのですが。
●この経験から、わたしはふと、次のことにも思い当たりました。わたしは、ある日ある時、恩を受けたいろんな人に、言って欲しいなぁと思っている言葉があったのに言えなかった。もしかしたら、わたしは神に対しても、言ってほしいなぁと思っている言葉があるのに言えずに過ごしてきたのではないだろうか、ということです。
●人間が、神から言って欲しいなぁと思われている言葉とは何でしょうか。それは、人間が、神からどんな恩を受けているかを思い出せば自然と答えにたどり着ける言葉です。中田神父の理解では、人間は神によって造られ、神に命を与えてもらい、神に最終的に救ってもらう。そういう恩を受けていると理解しています。
●すると、わたしたちには自然に、神への感謝、神に対する愛を感じるのではないでしょうか。そこから考えて、「神さま、あなたに感謝します」とか、「神さま、あなたを愛します」とか、そういう言葉を神は言って欲しいのかなぁと思い至るでしょう。
●では実際には、わたしたちは神にどんな言葉を述べているのでしょうか。いくつかの可能性があります。まず、何も答えないという人です。一日のうち、朝目が覚めて、夜眠りに就くまで、一言も、神に向かって言葉を発しない人です。
●多くの人が、このタイプに当てはまるかも知れません。この人たちは、特に、神に向かって何かを語る必要を感じていない人たちです。もしかしたらこの人たちは、すでに受けている神からの恩恵を、当然のこと、当たり前のことと思っているために、感謝や愛の言葉が思い浮かばないのかも知れません。
●わたしたちが今日一日を無事に終えることができたこと、明日、何事もなく目が覚めること。それだけでも本当は、感謝できる材料なのに、悪意はないとしても、まったくそれを当たり前のことと思っていて、感謝の言葉が浮かばないのでしょう。
●けれどもこのタイプの人々は、当たり前と思っていたことに感謝する可能性がまだ残されています。病気やケガをして、入院したとしましょう。当たり前のように起きて寝ていた人が、病院のベッドに寝かされてみると、当たり前ではなかったのかな?と思い知らされます。ある人はここで、感謝や愛の心を呼び覚まされることでしょう。
●別のタイプの人もいます。神を恨む人です。神に言葉を述べますが、その言葉は攻撃的で、否定的です。たとえば、「自分がこうなったのは、もともと神が自分を助けてくれなかったからだ」とか、「神がいるのなら、なぜ自分はこんな目に遭わなければならないのか」といった返事です。
●つらい目に遭った人たちが、神に恨み言を言ったり神を呪ったりするのは、無理もないことです。その人にとって神とは、人間に幸福も与えるけれども、不幸も与えることができる、そういう神なのでしょう。
●中田神父は、神さまは人を不幸にすることができないお方だと信じています。ですから、自分にとって都合の悪い出来事でも、もう少しよく考えたら、わたしにとって何かの意味があると分かってくるのではないか、そう考えるようにしています。神は、人を幸せにするためにこの世に送り出したのですから、ご自分の意に沿わないことはおできにならないはずです。
●もう1つのタイプがあります。それは、神に対する感謝の気持ち、愛する気持ちを持っている人です。このタイプの人々は、素直に神に対して感謝や愛の心を表すことができるので、意識するとしないとに関わらず、神が言って欲しい言葉を知っている人です。「いつも、神に喜ばれている人」と言ってもよいでしょう。
●わたしの個人的な送別会ですら、「ああ、言葉を選んで言ってあげれば、もっと喜んだだろうに、どうして『じゃあ、またね』しか言えなかったのだろう?」とすごく後悔しました。もしも、わたしたちが神さまから言ってもらいたい言葉を一度も口にしないまま、この人生を終えてしまったとしたら、人との送別会で後悔した気持ちの、何倍もの後悔を、味わうのではないかと思うのです。
●人との送別も、取り返しのつかないものですが、神との間で、取り返しのつかないことをしてしまったら、それは永遠に悔いが残るわけですから、大変な問題です。ぜひ自分への言い聞かせとして、「わたしは、神から言って欲しいと期待されている言葉を、素直に言えているだろうか」と振り返りたいものだと思いました。
●もしかしたら、人と人との別れの中で、神はわたしたちに、相手が言って欲しい言葉をよくわきまえるように、訓練の場を与えて下さっているのかも知れません。人間同士で、時には失敗もあるだろうけれど、相手が言って欲しい言葉を敏感に感じ取る訓練を積む。それが、神から言って欲しい言葉を思い出し、口にするための準備になっていくわけです。
●今回の経験を通して、少なくとも、次のお別れの席が設けられた時には、「この人はどんな言葉を、わたしに期待しているのだろうか」相手の気持ちを汲み取ってあげることができるようになりたいと思います。そうして、わたし自身も、神さまから言って欲しい言葉を言いそびれて人生を終えることのないように、準備をしたいと思うのです。

2010年5月

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●こんにちは、中田神父です。赴任した教会に女子修道会が働いていて、老人ホームと、保育所を運営しています。保育所の子供たちとは、木曜日の夕方、ミサの礼拝の中で親しく話しかけるチャンスがあります。とある木曜日、次のようなクイズから、話を始めました。
●「クイズを出します。生まれた時は4本足で動き、途中からかなりの時間を2本足で活動し、あとでは3本足になる生き物は何だ?」わたしが期待していたのは「人です」という答えでした。生まれた時は4本足でハイハイをしながら移動しますが、立ち上がって歩きだすと、人生のほとんどの時間を2本足で歩きます。そして、高齢になり、杖が必要になった時が3本足です。
●保育所の子供たちが出した答えは傑作ぞろいでした。その中でも一番の傑作は、慎重に考えて、ほかの友達の答えをいくつも聞いたあとに、ようやく出した答えでした。その子は、「答えは、イカですか?」と返事をしたのです。イカは10本足ですから、正解に一番遠い答えでした。なぜそんな答えになるのか、こちらが聞いてみたいくらいです。
●それでも、賢い子供さんがちゃんと、「人間のことですか?」と答えてくれたのでほっとしました。あのまま、へんてこりんな答えばかりでは、夕方に始まったミサの説教は、夜中になっても終わることができなかったかもしれません。
●ひとまず先に進むことができました。人は、四つん這いから始まって、2本足で自立して歩行するようになり、あとでは杖の助けを必要とするようになります。この姿は、いろんなことを学ばせる姿ではないかと思いました。1つは、人間の生き方を教えていると思います。もう1つは、人間に対する神の働きかけの度合いを教えてくれていると思います。
●まず最初の、人間の生き方についてですが、人は誰も、1人では生きていけません。いろんな人の助けが必要です。その助けの度合いが、この4本足、2本足、3本足に表れているのではないでしょうか。つまり、生まれて間もないころは、たくさんの人の手助けがなければなりません。それを4という数で表しています。
●それが、自立して歩きだすようになると、時間がたてばたつほど、人の協力なしでも生きていけるようになります。どうかすると、「人の協力など必要ない。わたしは誰の助けがなくても生きていける」と、勘違いさえするようになるかもしれません。これは2本足に象徴されています。
●それが、晩年になると、どうしても介護とか、介助とか、いろんなことで最小限のお世話は、受けたくなくても受けなければならなくなります。人付き合いが面倒であっても、自分1人ではどうにもならなくなったりしますから、いくらかの助けは必要でしょう。それが、3本足にうまく表現されていると思います。
●こうして、クイズの答えから、人間が生きていくためにかかわりが必要な度合いを学ぶことができます。四つん這いの時はたくさんのお世話が必要で、自立して2本足で歩ける時期はほとんどその必要がなくなって、晩年の杖をつく時期には、助けてくれる人に寛大にお世話になりながら生きる。見事に人生の歩き方を言い当てているような気がしました。
●さて次に、子供たちに出したクイズは、神と人とのかかわりにも十分当てはまると思いました。人は四つん這いで歩いているときには、たくさんの神の助けが必要なはずです。ほとんど自分では何もできないのですから、神が、溢れるほどの恵みで幼子を守ってくれないと、無事に人生の始まりを過ごせないと思うのです。
●自立して歩けるようになる頃には、おそらく、神の助けもほんのわずかあれば足りるようになるでしょう。手取り足とり、手厚い神の助けがなくとも、生きていけるようになります。もしかしたら、神は生きておられ、わたしのそばにずっといてくださるという、存在感だけで十分なのかもしれません。事実、中田神父の今の生活の中で、神が目に見える姿で現れてくれなくても神を信じることができるし、神について人に話すこともできるからです。
●中には、自立して歩いている2本足の時代に、神を否定する人もいるかもしれません。こんなにつらい目に遭っているのに、神は何もしてくれないじゃないか。中田神父に言わせると、基本的に自立して生きている時代には、神は何もしないのです。何もしないというのは誤解を招くかもしれませんが、神が、手取り足とりしなくても、十分立派に生きていける時代なので、あえて手を出さないのです。
●この自立している時代には、たくさんの出会いもありますし、たくさん学ぶ機会があり、学ぶ手段も豊富です。神が、あっと驚くことをしてくれなくても、社会に求めるだけでもいろんな手助けが得られます。それを見越して、神は自立している時期に、あえておせっかいをしないということだとわたしは考えています。
●それでも晩年には、神は改めて人を助けてくださいます。心が弱り、肉体的にも衰弱し、物理的な杖だけ必要なのではなくて、精神的な支えが必要になる時期だからです。さらに言うと、この晩年こそ、神の助けを素直に受け入れることのできるまたとない時期だから、神は喜んで手を差し伸べるのです。
●神であっても、「余計なおせっかいをしないでほしい」とは言われたくないでしょうから、神の助けを素直に受け入れる年齢になった人に手を貸すだろうと考えるのは筋が通ります。素直になれるこの人生の晩年に、神は杖となってくださり、肩を貸してくださり、手を握って、一緒にゆっくりと歩いてくださるのです。
●いかがでしょうか?4が2になり、最後に3になる。そこに、人間のありのままの姿があり、周りの人からの助けの度合いが説明されていて、さらに人間に対する神の絶妙な関わり方の度合いまでが表現されているということです。いいところをつかんでいると思いませんか?

2010年6月

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●こんにちは、中田神父です。今日は、「富を積む」ということについて話してみたいと思います。お話を聞いているみなさんは「富を積む」という言い方をあまり聞いたことがないかもしれません。これは聖書の中に出てくる言い方です。今回は、聖書のどの引用なのかは最後の最後に回して、話をしたいと思います。
●つい最近、わたしは教会の功労者について話をする機会がありました。その人は、教会建設の時期に土地を提供してくださり、教会運営に関しても、教会会計の仕事を15年も務めてくださった方でした。そこでわたしは、このような挨拶をしたのです。
●「この方は、天に富を積んだ方でした。教会建設に当たっては、ご自分の土地を提供してくださり、土地という、この世のもので、神の国で価値のある富を天に積みました。また、教会会計を長く務めてくださったことで、お金という、最もこの世の性格の強いもので、天に富を積んだのでした。」
●ご本人は、どのような感想を持たれたかわかりませんが、わたしの思いとしては、この世での評価より、この人はカトリック信者であるから、カトリック信者としての評価を皆さんに知ってもらったほうが、喜ばれるのではないかなぁという思いで話してみたのです。ご本人の感想を、わたしは聞いておりません。
●このように、聖書の考え方には、「天に富を積む」という考え方があって、富を積み上げることに積極的な考え方を持っています。どうかするとわたしたち日本人の感じ方としては、富を蓄えることを直接的に言うと、「金の亡者だ」「金に目がくらんでいる」と思われがちですが、聖書の考え方はしばしば積極的なのです。
●さて、「富を積む」と言いましたが、わたしたちが知っている言葉では、「徳を積む」という言い方には慣れているかもしれません。「徳」は、「富」という直接的な言い方ではありませんから、日本人には好まれます。「徳を積む」という話をすれば、もっと入りやすいだろうにと思っている人もいるかもしれません。
●わたしはこう考えます。「徳」も、ある種の「富」ではないでしょうか。「富」は「徳」ではありませんが、「徳」は、「富の一種」ととらえてもかまわないと思います。ですから、「徳」も含めて、「富を積む」ということはすばらしいことだと思うのです。
●その際、「富をどこに積むか」ということをちょっと考えてほしいのです。ここでは大きく、「地上に富を積む」という考えと、「天に富を積む」という考えに分けてみたいと思います。
●「地上に富を積む」という考えは、どんな人にも受け入れられる考え方です。あらゆる財産、物質的な財産であれ、知的な財産であれ、そうしたものを豊富にそろえて、蓄えたものによって安心感が得られるでしょう。また、先ほど触れた「徳」を富として積む人も、人々に称賛され、多くの友を得ることになるでしょう。
●ただ、「地上に富を積む」人は、その富を失うかもしれない、ということを頭に置いておく必要があります。財産として手に入れたものは、いずれこの人生の終わりにはだれかに譲らなければなりません。自分の信頼している人に財産がゆだねられれば幸いですが、予想もしなかった人に財産が譲渡されるかもしれません。あるいは信頼して譲った相手が、その財産を無駄遣いしてしまうかもしれないのです。
●または徳によって得た称賛も、その人がいなくなれば忘れられるかもしれません。さらに言うと、「当時はすばらしかったかもしれないが、今となっては迷惑なものを残してくれたものだ」と酷評されるかもしれないのです。
●いろいろ考えると、「地上に富を積む」ことには、メリットもありますが、デメリットもあるようです。そこで、「天に富を積む」ことについて考えてみましょう。「天」と言いましたが、あなたの心にとっての特別な場所、というとらえ方でも結構です。
●「天に富を積む」場合、メリットがたくさん考えられます。ここに積みあげた富は、誰かに譲渡する必要がありません。誰かによって積みあげたものが無駄遣いされる心配もありません。あるいは、「こんなもの、今の時代に価値などない」と、不当な評価を下される心配もありません。考えてみれば、メリットばかりです。もし、デメリットがあるとしたら、この世では天に積みあげた富を積極的に評価してくれる人が少ない、ということくらいでしょう。
●そこでぜひ、せっかく富を積むなら、「天に富を積む」そのつもりで取り組んでいただきたいのです。今月の話の最初に触れましたが、この世界には、この世のものでありながら、「天に富を積む」使い方のできるものがいろいろあるのです。いやもしかしたら、すべてのものが、「天に富を積む」そんな使い方が可能なのかもしれません。
●非常に興味深い話を一つ挟みたいと思います。パソコンを少しでも利用している人なら、マイクロソフトウィンドウズという基本ソフトのことはご存じだと思います。世界中で、多くの人が利用している基本ソフトで、その利用料で会社は常に多額の利益を得ています。
●実は、パソコンの黎明期、基本ソフトはアメリカ人ビル・ゲイツ氏が開発した基本ソフトと、東京大学の坂村健教授が中心に開発した基本ソフトとが競争していました。ご承知のように、パソコン界ではマイクロソフトウィンドウズが席巻しましたが、板村教授のソフトは、パソコンの基本ソフト競争では負けましたが、違う分野では世界中の基本ソフトとして利用されることになったのです。
●板村教授たちで開発した基本ソフトは、ケータイ電話、家電製品の基本ソフトとして広がって行きました。今では世界中のほとんどのケータイ、家電製品が、板村教授を中心に開発した基本ソフトの上に成り立っているのです。
●しかも画期的なことは、板村教授は自分たちが開発した基本ソフトを利用するすべてのメーカーに、ただで技術を利用させたのです。これは当時としては考えられれないほど大胆な行動でした。けれどもその考えは的中したのです。
●わたしは、対価を求める考え方をどうこうは言いませんが、最初から、無料ですと宣言して使ってもらった板村教授の考え方もまた、「天に富を積む」という態度ではないかなぁと思います。本来受け取ることのできるはずのライセンス料を一切受け取らないというのですから、誰にでもできることではありません。
●そこで最後に、ずいぶんお待たせしましたが、聖書の中で紹介されている「天に富を積む」という教えについて、引用して紹介したいと思います。新約聖書の、マタイによる福音書、第6章からです。
●「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」こんな生き方に、皆さんはどんな感想を持つでしょうか。

2010年7月

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●こんにちは、中田神父です。今月は、わたしの同級生の話をしたいと思います。幸運にも、わたしはいろんな時代の同級生に恵まれ、そのうちのごくわずかですが、ずっと交流を持っている同級生もいます。五島列島の、故郷のすぐ隣に転勤してきたことで、小学生時代の同級生に何十年振りかに再会できました。
●または、中学・高校時代の学友とも、最近二十五年ぶりに同窓会に招待してもらい、懐かしい人たちと楽しい時間を過ごしました。いろんな同級生がいますが、今紹介したような同級生は、同級生ではありますが、違う道を目指す人ばかりです。わたしには、カトリックの司祭として、同じ道を歩む同級生もいます。
●今月紹介したいのは、その同じ道を歩む同級生の一人です。高校を卒業してから、司祭を目指す九州全域の学生たちは、福岡で育てられることになります。そこで、わたしを含む長崎からやってきた同級生たちは、新たに5人の同級生と巡り合ったのです。福岡育ちの同級生たちです。
●その中に、特別わたしの心をひきつけた人が2人いました。そのうちの1人を紹介します。もう1人も、次回あたりに紹介できればと思っています。今月紹介する同級生は、同級生とは言っても、わたしにとって同級生だったことがうれしいと言った方が良いような同級生です。たとえばそれは、学習院大学に通った学生が、皇太子殿下と同級生だったというようなことです。
●S神父さんと、仮に呼びたいと思います。S神父さん、当時はS君だったわけですが、彼は福岡の学校に入学したその日から、抜群の成績と模範的な態度で同級生の中でも際立っていました。「こんな頭のいい人が、世の中にいるのか」と、唸り声をあげたものです。
●そもそも、長崎の学生たちは、入学試験の結果を受験直後に長崎の校長から聞いたのですが、確か長崎から受験した生徒は最高で2番の成績で、1番は福岡の人だったと聞かされ、そいつはどんな奴だ?と思って入学したものでした。そしてその人は、聞きしに勝る秀才だったのです。
●長崎でもそうでしたが、司祭を目指す学生たちが育ててもらう学校は、起床時間も消灯時間も、きっちり決められていて、その中ですべてのことをこなさなければなりません。わたしも、そこそこできる人間だという自負はありましたが、この、福岡に来てから出現した秀才を前にしては、自分が平凡な能力の人間なのだということを思い知らされました。同じ時間勉強して、彼は平均90点台の成績をとるのに、わたしはどう背伸びしても、80点台しか取れなかったからです。
●それだけではありませんでした。彼の机の上は、いつ見ても、どんな時に見ても、塵ひとつ落ちていない机で、いつも完璧に整理整頓されていました。わたしの机はというと、今でもそうですが、領収証も置いたままだし、手紙も散らかった状態、資料も、どうかすると紙ごみさえも机の上に山積みしている有様です。
●彼の机は、いつ勉強しているのかさえ、気付かせないほど、整理整頓されていました。この点一つとってみても、いかにわたしたち凡人と違っているかが分かるというものです。ただ、わたしはなぜか、この彼からよい評価を受けていたようで、「俺さぁ、お前を買ってるんだよね」とはっきり言葉にして言ってもらったことがありました。それは、わたしにとっては光栄なことでした。
●福岡で生活を共にしたのは4年間だけで、彼は専門の勉強をローマで受けるために留学しました。留学という、華々しい道は、わたしたちには無縁のものです。何を勉強するのかは知りませんが、すごいなぁと畏敬の念に打たれたのでした。ただし、これもまた、彼の中では少し違った思いがあったようで、わたしがすでに司祭になって浦上教会に赴任しているときに、彼は留学生の状態で休暇をとって浦上教会にいるわたしを訪ねてくれて、「すでに司祭になって活躍しているお前を見ると、腹が立つなぁ」と言って羨ましがっていました。そんなことを思ってくれているとは、知る由もありませんでした。
●彼とは、司祭になるという道のりは同じでしたが、働く場所は全く違うものでした。中田神父ほか、多くの同級生は、教会に赴任して働く道が与えられましたが、今月話している彼は、いわばキャリア組で、いくつかの場所を経験するかもしれませんが、基本的に教会赴任ではなくて、世界をまたにかけての活躍を期待されていました。
●事実、彼は今、彼が所属しているメンバーの中で、ナンバー2の位置にいます。彼の活躍如何で、彼が所属している団体の運命が左右されると思います。それほど、彼にはわたしと同じ歳でありながら、思い重責が課せられているのです。本当に、頭が下がります。
●なぜ、今月彼の話をしようと思ったか、このあたりで種明かしをしようと思いますが、実は彼に、今年の10月に中田神父が赴任している浜串教会で会わないかと、誘いをかけていたのです。その返事が最近来まして、本当に忙しい日程を縫って、会いに来てくれることになったのです。わたしが飛び上がるほど喜んだのは言うまでもありません。
●彼は、長崎本土まで来る予定が決まっていました。それは、公開聖書講座と言って、誰もが自由に参加できる聖書講座を開くためでした。せっかく長崎で聖書講座を開くとなれば、訪ねたい人、この機会に面会を希望している人はたくさんいたはずです。それなのに、いろんな事情を横に置いて、五島列島の教会にいるわたしのもとにやってきてくれた。彼は本当の友人だと、そう思いました。
●聖書の言葉を思い出しました。ヨハネ福音書15章13節です。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」彼は、わたしを友と認めてくれて、自分が自由に使えるはずの時間も、自由に選べるはずの場所も、すべてを横に置いて、中田神父の誘いを受けてくれました。わたしは今回、彼から真の友がどうあるべきかを教わったような気がしています。
●わたしは、尊敬できる友、尊敬できる同級生を持つことができて、本当に幸せだと思います。相手を尊敬できるというのは、本人が相当にできた人か、相手が圧倒的に優れているかのどちらかです。わたしにとって彼は、圧倒的に優れている人なのです。
●なぜなら、単なる同級生の1人にすぎないわたしのために、2泊3日の予定をとってくれた。友のために、あらゆる予定を外して来てくれたからです。それは、先ほどの聖書の言葉の通り、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」ということを実行しているからです。
●本当に身分の高い人になって来ると、時間は命と変わらないくらい大切なものになってきます。その、命にも匹敵する時間を、彼はわたしのために提供してくれました。それは、「友のために命を捨てる」というイエスの言葉を実行しているのと何ら変わらないのです。
●わたしには、彼にお願いしたいことがあります。彼は教会に赴任する任務を持たずに、頂点に上り詰めていく運命にある人です。せっかく教会に赴任しているわたしのもとを訪ねてくれるのですから、日曜日のための礼拝、日曜日のミサを、主任司祭のわたしに成り代わって、務めてもらおうと思っています。言ってみれば、1日主任司祭です。彼の記憶の中に、主任司祭の経験が、たとえ1日でも、刻まれれば嬉しいなぁと思っています。
●ほかにも、彼が触れ合うタイプの教会信徒とは全く異質な、田舎の信徒というか、素朴な信徒との触れ合いも、持てたらいいなぁと思っています。方言も飛び出すでしょうし、わたしとの昔話も飛び出すかもしれません。本当にどうなるかわかりませんが、彼がここ浜串教会にやって来るのを、今から楽しみにしたいと思います。

2010年9月

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●こんにちは、中田神父です。先月、数少ない同級生の友人を紹介しましたが、今月はもう一人の友人を紹介したいと思います。おそらく、親友の中の親友と呼べる相手です。このお話の中では、N神父と呼んでみたいと思います。N神父と出会ったのも、九州一円の司祭を目指す学生が、高校を卒業して集まる福岡の神学院(司祭養成の上級の学校)でした。
●彼は生粋の北九州・小倉の育ちでしたので、言葉遣いも、ものの考え方も、長崎育ちのわたしとは違っていました。福岡の伝統や風習をたくさん教えてくれて、博多のお祭り、太宰府天満宮の行事、見るもの聞くもの初めてのものをたくさん教えてくれました。わたしも、自分の知っていることをN君に教えました。
●そのうちに、お互いに友情が芽生え、相手をよく理解できるようになっていきました。実は生まれや育ちが違うだけではなく、学校での成績も、運動能力も、話術なども、正反対と言えるような間柄でした。よくN君は、成績のことで学校の教授に呼び出され、諭されていました。
●ですから、周りの人はわたしとN君が友達になったことをとても不思議に思っていたようです。あるときわたしたちは、「凸凹コンビ」というあだ名を付けられてしまいました。それほど、正反対の特徴を持った2人だったのです。
●たとえ、「凸凹コンビ」と言われようとも、わたしたちの友情は変わりませんでした。むしろ、冷やかされていたからこそなおさら、友情を深めることになったのかもしれません。
●わたしは、学業で悩むN君の力になることができました。N君は、気の短いわたしをいつも受け止めてくれて、わたしをかばってくれたりもしました。そうして、福岡で育てられた8年間、助け合いながら卒業することができたわけです。
●さて、卒業を境に、2人の運命は変わりました。実は福岡の神学院を卒業する時点で、わたしは準備が整って司祭になりましたが、N君は準備が整ってなかったため、2年遅れて司祭になりました。余計にかかった2年間は、現場の教会に入って、いわば見習いとして過ごしたのです。
●わたしはその間も、先に司祭になった者として、温かく彼を見守り続けました。わたしの中では、いろんな意味で、N君を助けているつもりでした。N君はわたしに助けられている。そういう思いがありました。
●ところが、N君が晴れて司祭になり、同じスタートラインに立ってから数年したとき、わたしの考えは間違っていたのではないか?という思いが湧いてきました。わたしが彼を助けていると、一方的に思っていたのですが、もしかしたら、助けていると同時に、わたしも彼に助けられていたのかもしれない。そう思えるようになったのです。
●N神父は、長上の命により、ある教会に赴任しました。同級生ながら、「大丈夫かなぁ」と心配していたのですが、彼は立派に、人前に立つ司祭、人を導く司祭になっていました。人前に立つことが苦手なはずだったのに、雄弁に話すことが苦手なはずだったのに、彼は人を助ける司祭に、育っていたのです。
●人は、急に性格が変わったりするものではないと思います。もし、必要な姿に変わるとしたら、それなりの時間が必要でしょう。もしかしたら、彼はわたしが助けていたと思っている間にも、わたしが助ける人になるために助けていたのかもしれません。
●そこでわたしは、1つの聖書の個所を思い出しました。「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」(マタイ5・38-42)
●一緒に歩いて行くことを強要する人に、その人が望む距離の二倍の距離を、歩いてあげなさい。その意味は、求める人にその二倍を与えてあげるなら、あなたは神の前に完全な者となれるという意味だと思います。強いられているだけで終わらずに、そのチャンスを生かして、積極的な人に変わっていくのです。
●わたしの同級生N神父も、学生の間にわたしからさんざん愚痴を聞かされていました。その、強いられている間に彼は、積極的に人の話を聞いて吸収する人に変わっていたのかもしれません。わたしの話をただ聞いてくれている相手から、わたしの話を受け止め、わたしを育てて帰す人に成長していたのでしょう。そうなるとわたしは、学生時代からすでに、彼から助けられ、育てられていたのかもしれません。
●N神父とは、今も良好な関係を保っています。彼は今でも、わたしの愚痴を聞いて、わたしが一ミリオン行くように強いるときに、一緒に二ミリオン行ってくれる人です。前任地での話ですが、N神父が赴任している教会の信徒を連れてわたしの赴任している教会に一泊二日で訪ねて来てくれたことがありました。わたしは懐かしくて、信徒の皆さんに無理をお願いしたのです。
●「信徒の皆さん、わたしとN神父とは親友の間柄です。お願いがあるのですが、あと1日、余計に彼をこの教会に残していってください。わたしと、懐かしい話をもう1日語り明かしたいのです。」信徒の皆さんは喜んで協力してくださいました。
●この申し出に、N神父が驚いたのは言うまでもありません。それでも彼は、わたしの願いにこたえて、あと1日足をのばして、滞在してくれました。彼には、人が要求したことの2倍を受け止める心の広さがあって、わたしはそのおかげで、彼から助けられ、育てられたのだと思っています。
●イエスは、聖書の中で「友」についていろんな言葉と考え方を残してくれました。彼が「友」と呼んだ人の中に、特別な2人の人がいます。1人は、親戚のラザロです。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」(ヨハネ11・11)イエスがラザロと親交を温めたという様子は聖書の中に見つかりませんが、何か特別の友情があったのでしょう。
●また、イエスを裏切るイスカリオテのユダという弟子に、イエスは「友よ」と呼びかけたのです。「イエスは、『友よ、しようとしていることをするがよい』と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。」(マタイ26・50)イエスが弟子に選んだとはいえ、憎んでも不思議ではないユダを、深い愛で包んでくださいました。つまりイエスがわたしたちに示す「友」とは、わたしたちが理解する「友」という理解では説明できないほど深く大きな関係なのだと思います。
●わたしも、数少ないのですが、「友」と呼べる人と、イエスが関わったような深く大きな関係を、これからも築いていきたいと思いました。

2010年10月

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●こんにちは、中田神父です。今月は、わたしにとって忘れることがないだろうと思う3人の大先輩司祭について紹介して、お話としたいと思います。まず、わたしが初めて赴任した教会で出会った主任司祭、K神父さまです。
●わたしの中で、このK神父さまの姿が、いちばん身近な司祭のお手本だと考えています。5年間共に寝起きし、最初の3年間はほどんとK神父さまのお役に立てず、「学校では一体何を習って来たんだ」と叱られてばかりでした。それが、4年目からようやくお役にたてるようになり、4年目と5年目は、ほんの少し、K神父さまが見通しておられるものが見えるような気がしたものです。
●実を言うとわたしは、K神父さまを敬遠していました。噂で、おっかないと聞いていたからです。けれども、一緒に働くようになってみると、良いものは良いと認めてくれるし、悪いものは悪いと、はっきり仰ってくださるので、叱られることもありましたが、思ったことをどんどん実行しながら、学ばせていただきました。
●このK神父さまは現在司祭生活50周年目を過ごしておられるのですが、今でもお目にかかると親しく声をかけてもらいます。ありがたいことです。少し、思い出すことをつづってみたいと思います。
●わたしは司祭になって最初に、このK神父さまのもとで司祭生活を始めましたから、見るもの聞くもの、すべてが新しくて、何も疑うことなく吸収していこうと意気込んでいたのでした。1週間くらい経ったときでしょうか。わたしが少しも生活に慣れないのを見かねてか、肩に力が入りすぎているのをどうにかして力を抜かせようと考えたのでした。食事の時に、K主任神父さまはこう言いました。
●「うぅ!このおかずは傷んでいる。これを食べて中田神父がお腹をこわしたら大変だ。これは食べないでおきなさい。」わたしは、K主任神父さまが、まだ生活に慣れないわたしのことを思って、こんなに言ってくれているのだなぁと思って、本当にそのおかずを食べずに食事を終えたのです。
●食事が終わり、夜に食堂に行ってみると、先輩司祭がテレビを見ていました。その場で先輩がこう言いました。「中田。夕食の時、これは傷んでるって主任さんが言ったじゃん。あれ、ウソなんだよ。」「えぇー?」「お前がさ、なかなか肩の力が抜けないから、ひとつからかってやろうぜということで、みんな示し合わせてたんだ。あのおかずが、いちばんおいしかったはずだよ。」
●「そんなぁ・・・。」わたしはだまされたと知って、ガックリ力が抜けました。それと同時に、こんな状態ではまだ働かせてももらえないなぁと思い、その次からはもっと楽しんで食事しようと心に決めました。すると、結構からかっているのもわかるようになって、溶け込めるようになったのでした。
●似たようなことは、他にもあります。こんなことを言われたことがありました。「教会の信者さんたちは、若い司祭のはつらつとした説教をとても好んでいるから、次の説教の担当の時には20分くらい説教しなさい。」わたしはこの時も、そのまま真に受けまして、ちょうど20分になるように工夫して説教をしたのです。
●説教も終わり、礼拝が終わってから、K主任神父さまはカンカンになっています。「おいこらっ!誰が20分も説教する奴がいるか。おかげで次の予定が大幅に遅れたじゃないか。」わたしはこの時も、「そんなぁ・・・。」と心の中で呟きました。20分話せと言ったのは、K神父さまなのにと思ったのです。
●どうやら、からかって言っただけなので、言ったことも忘れていたのでしょう。ひっかかったのだと思った時には後の祭り。けれども先輩たちも、そうやってからかわれながら育てられたのだと聞かされまして、先輩たちはわたしたちの数段上をいっているなぁと舌を巻きました。
●このK神父さまは、実は若い時にさらに先輩の神父さまに育てられていまして、それがこれから紹介するN神父さまです。先月お話ししたN神父さまは同級生ですので、まったく別人です。このN神父さまは長崎教区の生き字引、そして繊細で豪快な司祭でした。わたしとは60歳以上年齢が離れていましたので、ほとんど面識がなかったのですが、K神父さまとは親子のような間柄でしたので、よくお目にかかるようになりました。
●わたしは名前すら覚えてもらえるのか不安でしたが、このN神父さまは大変記憶力が優れている方で、すでに引退しておられたにもかかわらず、わたしのことを「おい、こうじ神父」と呼んで、よく声をかけてくれたのです。
●晩年のことですが、わたしが教育していただいたもう一人のT神父さま、この方が急性肺炎でお亡くなりになった時、わたしは通夜の場で思いの丈を述べて、通夜の説教をしたのです。その通夜の後にN神父さまに声をかけられまして、お部屋に通されました。そこでこんな風に言ってくれたのです。
●「ご苦労さん。亡くなったT神父は、口が悪かっただろう?苦労したんじゃないか?でもね、彼は心はいい人なんだよ。」そう言って、ねぎらいの意味で、わたしに洋酒を1本プレゼントしてくださいました。こんなにやさしい面、人を思いやる面があるんだなぁと知って感激しました。結局、この時の出会いが思い出となり、後に天に召されて行きました。
●さて、N神父さまから「口が悪い」と言われたT神父さまですが、わたしがK神父さまに5年お仕えした後に1年お世話になった神父さまです。とにかく、最初の出会いが強烈でした。わたしが転勤の辞令を受け、行き先まではっきり決まり、次に行く教会の主任神父さまに近いうちにあいさつに行かなきゃいけないなぁと考えていた時期に、ある司祭の葬儀がありました。
●多くの司祭が葬儀ミサの教会に集まりました。そこに、次にお世話になる予定のT神父さまが来ておられたのです。これは都合がよいと思い、早速その神父さまに近寄り挨拶をしました。「中田神父です。3月からは、お世話になります。」
●すると、初対面のその神父さまは、わたしにこう言ったのです。「何だお前か。司祭になりたてのピチピチした神父が来るのかと思っていたのに。お前なら要らない。」わたしはもう気絶しそうになりました。後にこのT神父さまの性格や口調を知るようになってからは、「そう言わずにどうか使ってください。」とさらっと受け流せばよいのだと分かったのですが、初対面でこの答えですから、面喰ってしまいました。
●このT神父さまは、残念ながら急性肺炎でわたしが赴任して1年も経たないうちに天に召されたのですが、その短い間にも心配りをいただいて気を許すと、手厳しい言葉、時には辛らつな言葉で挑発を受けて、本当に気を緩めることのできない時間を過ごしました。
●夏の暑い盛り、「もうそろそろきつくなってきただろう。きついって言え。」と言われることもありました。本当は、暑い盛りに心配してくれているのですが、素直にやさしい言葉は帰ってこない先輩でした。それでもわたしはこのT神父さまの教えをいまだに忘れません。
●それは、教会建設の話が持ち上がった時のことでした。いろんな案が提示され、どのように資金を調達するかとか、話題になり始めていました。ある夜、わたしは主任司祭にこんな声をかけてもらったのです。「教会はなぁ。お金で建つのではないんだよ。教会は、祈らなければ建たないんだよ。」信仰に裏打ちされた活動でなければ、教会建設は本当の意味で完成しない。そんなことが言いたかったのかもしれません。わたしはのちに、司祭館の建設に携わりますが、その時、T神父さまが言ったことを思い出して、立派な司祭館が完成するように、真剣に祈ったのでした。
●3人の、忘れられない司祭のことを紹介しました。宗教は、教えとか、掟とかがありますが、そこには人がいなければ教えも掟も意味がありません。キリスト教という宗教に限っての話ですが、生き生きと生きた人物を通して、わたしは自分の受けたキリスト教の信仰を見なおしたりします。
●その人の中に身を結んだ1つの宗教の形が、周りの人に信じることの素晴らしさや尊さを、具体的に伝えていくのだと思います。宗教は教えだけが独り歩きするものではないと思います。それを生きた人、キリスト教で言えばマザー・テレサやヨハネ・パウロ2世など、人と結びついたときにもっとすばらしさが理解できるようになると思うのです。今月紹介した3人の先輩は、わたしにとってキリスト教を学ぶ教科書だったと思います。

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