マリア文庫への寄稿

「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。

2009年 10月 11月 12月
2010年 1月 2月 3月

2009年10月

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●こんにちは。中田神父です。マリア文庫の代表を務めておられるシスター野崎は、カトリックの修道女であることは十分ご承知のことと思います。シスター野崎が所属している修道女会については、もしかしたらご存じないかも知れません。実はシスター野崎が所属している女子修道会が、長崎に修道院を開いたのは今から50年前です。
●シスター野崎が所属している修道会は、日本語で「厳律至聖贖罪主女子修道会」と言います。あまりにも難しい名前なので、わたしたちはこの修道会の一般的な呼び名「レデンプトリスチン修道院」と呼んでいます。日本にレデンプトリスチンの修道院がいくつあって、そのうち長崎が何番目に開所されたのかは調べることができませんでしたが、10月12日には長崎に開所されたレデンプトリスチン修道院の50周年記念が祝われ、修道院内の礼拝堂に17年ぶりに入ってミサをささげることができました。
●17年ぶりといったのには訳があります。17年前、1992年の3月17日に、わたしは長崎でカトリック司祭になりました。ミサは、司祭でなければささげることのできないカトリックの祭儀です。司祭になったことで、わたしはいくつかの教会や修道会に、これまで支えていただいた方々への感謝も込めて、ミサをささげに行きました。赴任先は浦上教会と決まっていましたが、赴任するまで1ヶ月ほどありましたので、その間にあちこちの教会にいわばお礼参りに行ったのです。
●レデンプトリスチン修道院も、その1つでした。なぜレデンプトリスチン修道院にお世話になっていたかと言うと、ミサをささげる時司祭は祭服を着用しますが、その祭服を、年間を通して必要な4色の祭服をすべて、レデンプトリスチン修道院に依頼し、仕立ててもらっていたのです。
●司祭になった当時は、わたしとシスター野崎との接点は何もありませんでした。それが、17年経ってもう一度ミサに参加する時には、17年前の恩返しと、この7〜8年近く関わっているマリア文庫のシスター野崎にも、感謝の気持ちを持ってミサをささげることができました。本当にすばらしいミサのひとときでした。
●この日のミサは、長崎の教会、修道会の最高責任者である見三明大司教が式の中心をなさりながら、10人ほどの司祭が臨席してのミサとなりました。わたしもその中の1人でした。ミサの説教も、見大司教の説教でした。
●わたしは見大司教の説教の中で、50周年を迎えたレデンプトリスチン修道院のこれまでに果たしてきた使命に触れた部分が、とても感銘を覚えました。見大司教は、「50年前に長崎に根を下ろしたこの修道院は、『祈りの家』と呼ぶにふさわしい修道院である」というような指摘をなさったのです。「祈りの家」という表現は、わたしの心にも深く刻まれました。
●では見大司教は、どのような説教をしたかというと、これがお恥ずかしいことに、よく覚えていないのです。覚えていない理由は、ご想像におまかせします。そこで、わたしなりに、「祈りの家」として見たレデンプトリスチン修道院について話してみたいと思います。
●まず修道会には、外に向かって積極的に活動することを主な目的とするタイプと、ひたすら修道院内で、神のために、祈りと労働をささげることを主な目的とするタイプがあります。前者は、活動修道会と言って、教育や、福祉、医療といった専門分野で活動しています。後者は観想修道会と言って、シスター野崎が所属している修道会などが含まれています。
●観想修道会の「観想」という字は、学校の参観日とか劇を観に行くという場合の観劇などに使われる「観」という字と、「想像する」とか、何かを思い付く「発想」などに使われる「想」という字を組み合わせたものです。そこから考えられることは、心の目で、神を眺め、観る、そのためにすべての時間と労働をささげる修道会と言って良いかも知れません。
●わたしは実際にレデンプトリスチン修道院の生活を体験したことがないので分かりませんが、おそらく、祈りに大半の時間を費やし、あとは祭服作りや、クッキー作りなどで生計を立てているものだと理解しています。観想修道会の会員は基本的には修道院内で生涯を終えます。転勤もありませんし、旅行もしませんし、研修会でどこかに出かけることもありません。大げさかも知れませんが、いったん修道会に入会して正式な会員となったら、生涯修道院を離れず、人生のすべてを修道院内で全うするということです。
●ただし観想修道院の修道女の中で、観想修道女と外務修道女という役割分担があって、シスター野崎は外務修道女ということになると思います。観想修道会、特にレデンプトリスチン修道会を世に知らせる外交官・外務省職員ということになるでしょうか。ここでこのような表現をしてみましたが、正確な表現でないかも知れません。もし適切でなければお許しください。
●そのようなタイプの修道会が、50年前に長崎にも修道院を開所し、「祈りの家」としての働きをして今日を迎えたわけです。わたしはこの「祈りの家」という表現は、いろんな重みを持ったものだと思いました。おそらく、大司教さまもそのようなつもりでお話しなさったのではないかと思っています。
●まず、レデンプトリスチン修道院は、そこに住むすべての修道女がほとんどの時間を祈りに当てて過ごしています。わたしはかつて、男子の修道会で、同じような観想修道会の修道院に数日滞在したことがありますが、敷地に一歩入ると、祈りと静けさに満ちた別世界という印象でした。修道院が、祈りに満ちているのですから、この修道院は「祈りの家」という表現が当てはまります。
●次に、長崎にあって、レデンプトリスチン修道院はあらゆる時間に祈っています。長崎市民、長崎県民の中で、朝夕欠かさず祈っている人はいらっしゃるでしょう。それでも、朝から晩まで祈り続けているわけではありません。その、祈りが途切れる時間に、この修道院の姉妹たちは祈り続けているのです。ですから、長崎市民、長崎県民の中にあって、この修道院は「祈りの家」なのだと思います。
●さらに、社会の中で活動している司教・司祭・修道者にとっても、レデンプトリスチン修道院の存在は大きいと思っています。この人々の祈りと活動を見えない形で支えているのは、絶えず祈ってくれているレデンプトリスチン修道院の修道女たちなのです。
●司教や司祭たちは、それぞれのできる範囲で祈っていますが、それでも、支えてもらいたい、力を貸していただきたいという場面がたくさんあります。その、祈りの力を絶えず補給してくれるのが、絶えず祈ってくれている観想修道会の方々の祈りなのです。ですから観想修道会の修道者たちは、「祈りを必要としている人の祈りの家」と言えます。
●ちょっと、話に力が入ってしまいましたが、シスター野崎が所属している観想修道会、その中におられる姉妹たちは、「祈りの家」として大きな働きをしている人々です。さらにもう少し考えると、わたしたちにとっても、そのような人々がいることは大きな力、慰めになるのではないでしょうか。
●どういうことかと言いますと、わたしたちは、毎日の暮らしの中で自分のことで精一杯だとか、人のことまでお世話する余裕はないとか感じている人が多いに違いありません。そんな中にあって、自分のためにはいっさい時間を持たず、すべての人のために、すべての時間を使って祈ってくださっている人がいると知るならば、わたしたちの心は慰めを受けるのではないでしょうか。
●だれも、わたしのことなど気にしていない。だれも、わたしのことを心配してくれない。本当に、そう感じているかも知れません。そう思えるほど、つらい日々を送っているかも知れません。
●けれども、今日からは違います。だれも、気にしていないと思っていましたが、長崎のレデンプトリスチン修道院の修道女たちはずっと祈ってくれています。希望が持てないとあきらめかけている時、希望を失うことなくすべての人のために祈ってくれています。もうダメだとあきらめようとしている時、決してあきらめずに祈ってくれている人々がいます。これは大きな力、慰めになるのではないでしょうか。
●1つの、おもしろい話をして結びたいと思います。ある人が、今いちばん新しいニュースを探そうと思ったら、わたしは聖書を開くと言った人がいるそうです。聖書は、言ってみればこの世の中でいちばん古い書物です。その、いちばん古い書物の中に、この世界のいちばん新しいものを見つけるというのは興味深いと思いました。この話になぞらえるのですが、一瞬も途切れることなく祈り続けているレデンプトリスチン修道院の修道女たちは、わたしたちといちばん遠い世界にいて、わたしたちのためにいちばん近い人々かも知れません。

2009年11月

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●こんにちは。中田神父です。この前、「えー?うそー」というようなことが起こりまして、そのことから話を始めたいと思います。11月中旬でしたが、ある人がインターネット上のこうじ神父が用意した掲示板に、「○日に伊王島に行きます。昼食をホテルで食べ、温泉につかります。時間があったら、教会にも立ち寄りたいと思います」という書き込みが入っていたのです。
●わたしの記憶ではたぶん、この人とは初対面になるので、インターネットの掲示板ではときどき書き込みをしてくれているけれども、実際に会えるのは楽しみだなぁ。どんな人なんだろうと、結構期待をしてその日は待っていました。チャンスがあれば、コーヒーを沸かして、クッキーでも食べながら、お話しする時間があればいいなぁ。そんなことを思っていたのです。
●ところが、午前中もおいでにならないし、午後になっても来る気配がありません。ずっと司祭館を離れないように気を付けて一日を過ごしたのですが、とうとうお会いできませんでした。時間が無くなって、教会までは足を延ばせなかったのかな。そんなことを思ってあきらめていたのです。
●そんなことがあって、その日の晩に、インターネットの掲示板を何気なくチェックしてみたら、昼1時の時点で、「今日は風が強いので伊王島行きは中止しました」と当人の書き込みが入っているではありませんか。そうだったのかぁ。書き込みには気がつかなかったなぁ。もうちょっと分かりやすい連絡方法をとってくれたらよかったのになぁと、残念な気持ちになりました。
●あとで考えると、その日は確かに風が強くて、五島列島行きの船は、全便欠航していたのです。伊王島行きの船は全便運航したのですが、あの日船に乗って伊王島においでになっていたら、間違いなく船酔いしていたに違いありません。この、天気に対する受け止め方が、訪ねてくるその人と、わたしとでは違っていたのだなぁとあらためて感じました。
●こういうことです。長崎本土にいて、伊王島にお出かけしようかなという人は、海上が荒れていると聞けば、船酔いが心配だなぁ、気分悪くなるのは嫌だなぁ、延期しようか。そういう気持ちが働くと思います。もちろん、「掲示板に今日訪ねて行くと書いた手前、キャンセルするわけにはいかないなぁ」という判断も可能ではありますが、荒れた天気をおしてでも、今日行かなければ次に行く機会を失ってしまうという人以外は、またの機会でも構わないわけです。
●一方、伊王島にいる人は、海上が大荒れであっても、いったん出かけた先からは、何が何でも出てきた伊王島に戻る必要があります。伊王島が、その人が出て来て戻る場所であるか、単に出かける先の場所であるかで、間に横たわる荒れた海をどう受け止めるかは、大きく違ってくるわけです。わたしは、全面的に伊王島に住んでいる人間の立場に立って、何とかして来てくれるのだろうと判断してしまったのです。
●そこから思い付くことは、行き先が、出かける場所であるか、出て来て戻る場所であるかで、行き先に対する気持ちの強さは違ってくるということです。伊王島に立ち寄りますと明言したとしても、その人にとって伊王島は出かける場所ではあっても、出て来て戻る場所ではありません。辛い思いまでして行こうとは思わないというのはもっともな話です。
●わたしたちの生活の中にも、似たようなことはたくさんあるのではないでしょうか。病院に行くのが嫌い。そんな辛い思いまでして病院のお世話にはなりたくない。こんなに辛いのだったらもう家に帰りたい。病院を嫌う理由は探せばいくらでも出てくるでしょう。
●けれども、病院が、命をつなぐ場所だとしたらどうでしょう。ある人は、透析を受けていて、週に1回の透析を続けなければ、命を落としてしまいます。こんな人にとって病院は、単に出かける場所ではなくて、命をつなぐために、出て来て戻る場所なのではないでしょうか。病院が、透析患者の自宅という意味ではありませんが、自宅でもとの生活を取り戻すための、出て来た場所に戻るための、必ず必要な通り道なのです。
●もし病院嫌いのすべての人が、本来の健康な生活に戻るために、その通り道に病院があると考えるなら、これまでとは違った対応を考えるようになるでしょう。わたしも歯医者は大嫌いですが、本来の健康な歯を取り戻すために、途中立ち寄ってしっかりアドバイスを受ける場所と考えると、やはり嫌い一辺倒ではいられなくなることがよく分かります。
●近頃は、学校や会社に行けなくなっている人たちもいます。悪質な嫌がらせで、学校や会社に行くことが危険である場合は別として、何となく行きたくないから行かないと、面倒に思っている人も、次のように考えてみたらどうでしょうか。学校や会社は、本来出かけて戻ってくる家庭、自分の住まいへの、必ず通る通り道だという考えです。
●通り道を通らずにもと来た場所に戻ろうとすると、しばしば迷子になってしまいます。わたしたちが家庭や住まいという、本来の場所によりよい状態で戻るために、あるいはいろんなことを吸収してより向上して本来の場所に戻るために、学校や会社はどうしても必要だ。そう考える時、気分が乗らないから今日は行かないとか、そういった考えは乗り越えることができるのではないでしょうか。
●聖書の話を一つ取り上げましょう。イエスの教えをルカという人がまとめた「ルカによる福音書」の中にある、「見失った羊のたとえ」というお話しです。まず朗読します。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカ15章4-7節)
●どんな理由であったか、1匹の羊が群れからはぐれてしまいました。よそ見をしていて、別のものに興味を引かれ、そちらに行ってしまったのかも知れません。あるいは、歩く力が弱くて、みんなの歩く速さについて行けず、次第に離れてしまい、とうとう迷子になってしまったのかも知れません。いずれにしても、迷子になった羊は途方に暮れ、おびえて飼い主が探してくれることを待つことになります。
●飼い主は、すぐに見失った羊を探し出します。飼い主の喜ぶ姿が特徴的です。「喜んでその羊を担いで、家に帰り、友だちや近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」というのです。ここには、いろんな教訓が込められていると思います。羊は、迷子にならないほうがもちろんいいに決まっているのですが、迷子になったことでたくさん学ぶことがあったと思うのです。
●たとえば、この迷子になった羊は、1匹で震えていた間に、今自分がいる場所は、本来自分が戻るべき場所ではない。たまたま迷子になってここにいるけれども、本来の場所に戻る必要がある。本来の場所がどれだけ幸せな場所かをはっきり知るために、迷子になった経験は大きな財産だと思うのです。もちろん、羊がそんなことを思うわけではないのですが。
●この聖書のたとえは、わたしたちにそのまま当てはまります。わたしたちが自分の今いる場所を飛び出して、自由をつかみたい、誰からも縛られたくないと考えているとしましょう。けれども、わたしたちが今いる場所は、よく考えるとわたしたちが自分らしく生きていくのにいちばんふさわしい場所なのではないでしょうか。
●いったん外に出る経験は、確かに必要かも知れません。けれども、それは一人一人にあるはずの、出て来て、戻る場所を十分に知るために必要な経験なのだと思います。わたしたちにとって、「出て来て、本来戻る場所」こそが、何より大切な場所だと思うのです。
●もちろんすべての人に単純に当てはまる話ではないでしょう。わたしが知っている養護施設に入所していた子供たちは、早くこんな施設を出たいと、たまに面会に行くわたしにこぼすことがありました。ある子供は、理由があって施設から施設に転々と移っていきます。今いる施設があなたの戻るべき場所だと、そう簡単に言うつもりは決してありません。一人一人が、「出て来た場所に帰る旅路」を生活の中で見つけてほしいのです。
●「出て来た場所に帰る旅路」は、わたしは一人一人の人生そのものだと思っています。わたしたちは愛深いお方から命をいただいて、命を与えてくださった方のもとに戻るまで、地上の旅をしているのではないでしょうか。そして、この旅は命を与えてくださった方のもとに帰るためにどうしても必要な旅なのです。命を与えてくださった方がどれほど素晴らしい方か、どれほど愛深いかを、今この旅で知るためです。
●わたしの結論はこうです。この世の人生は、終着点ではありません。大切な命を与えてくださった方のもとが、終着点だと思います。風が強くて、そこにはもう行かないと言えるものではなく、どんな嵐でも、この人生の旅を全うして、永遠の命が用意されている戻るべき場所を見据えて、歩みを進めるべきだと思っています。誰も、歩みを止めるべきではありません。

2009年12月

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●こんにちは。中田神父です。過ぎた年の11月18日、マリア文庫の活動30周年を記念して、中田神父が赴任している馬込教会で感謝の集いが開かれました。内容は、教会の中でミサをささげ、それから第27期生の音訳者の養成講座終了を祝う式を行い、記念写真を撮ったあと、伊王島にある「やすらぎ伊王島」というホテルに会場を移動して昼食会をして終わりました。
●参加者は、ざっと50人ほどです。代表のシスター野崎をはじめマリア文庫のスタッフの方々、養成講座の修了者、そして東京から、ロゴス点字図書館の高橋館長と、前館長の橋本さん、他多くの関係者が集まってくれました。
●中田神父はこの30周年記念式典の中で、ミサをささげると同時に集まった皆さんにお祝いのことばを言う役目を仰せつかっておりました。説教の内容をかいつまんでお話しします。ミサの様子に関しては、マリア文庫が録音CDを持っていますので、必要があれば問い合わせてください。
●このミサの中の説教で、おおまか2つのことを話しました。1つは、このマリア文庫が30年も続いている理由、もう1つは、中田神父が考える、マリア文庫の存在意義みたいなことです。詳しくは録音CDを聞いてほしいのですが、ここでは30年続いている理由について話したことを紹介しておきます。
●マリア文庫が30年という長い働きができているのは、まず音訳養成者を早くから育ててきたからだと考えました。今年の修了生が第27期の生徒さんです。年に1度の養成講座ですから、30年で27期生ということは、活動が始まってすぐに次の世代の人を育てることに着手したことが分かります。そのことが、活力を失わずに今日まで奉仕してくることができた理由だと思うのです。
●次に、代表を務めているシスター野崎が、のんびりした方だったことが、息の長い活動につながっただろうと考えました。中田神父は短気な人間なので、わたしが代表を務めていたなら、こんなに長くは続いていないかも知れないと思っています。
●こういうことです。中田神父は短気なので、30年を30分であるかのようにものすごいスピードで走り抜けようとします。すると多くの人は、「こんな人には付いていけない」と感じ、活動から離れて行ってしまうかも知れません。
●ところが、のんびりした方が引っ張ってくれる場合、30年を300年であるかのように気長に引率してくれるわけですから、多くの人がついて行くことができて、結果的に長く活動が続くことになると思ったわけです。代表のシスター野崎がのんびりした方である根拠も、説教の中では話していますが、それは録音CDをお借りして、聞いてみてください。
●以上が、マリア文庫活動30周年を祝う記念行事の、わたしの役割分担からの話でした。他の方々からの声も、そのうちに聞こえてくるのではないかと思っておりますので、記念行事についてはこの辺で終わりたいと思います。
●話は変わりまして、ここからは、去年のクリスマスの少し前に、この世を旅立っていった1人のお父さんのことを思い起こしながら、話を進めたいと思います。そのお父さんは心臓に異常を感じて病院に運ばれていきましたが、異常を感じてから3時間くらいで旅立ったそうです。
●実は、そのお父さんはわたしにとって親戚にあたる人でした。親しい付き合いがあったわけではありませんが、機会が与えられて、お別れの言葉を述べる機会がありました。すぐに想像がつくことですが、長く看病して、見送った人と違って、あっという間に旅立った人のことを、残されたご家族に言葉をかけるのは大変難しいと感じます。
●今回も、会場に向かうまでの間、あれこれ言葉を探したのですが、どれもしっくり来なくて困っておりました。ところがある出来事と、今回のお父さんのことが重なりまして、自分が通ってきた体験に力を得て、何とか言葉をかけることができました。わたしが先に経験したこととは、12年前の出来事です。
●12年前、わたしは前の前の任地の教会で主任司祭の補佐をしておりました。ところが、わたしの上司である主任司祭が、重症の肺炎で旅立ってしまうのです。それも、今回のお父さんとまったく同じ、12月16日の出来事でした。
●12月16日といいましたが、この時期はキリスト教の教会ではクリスマスを直前にして浮き足立っている頃です。それが、大きな出来事が降ってきて、一瞬にして教会の雰囲気は変わってしまいました。うきうきした気分は消え去り、だれもが喜びを感じることができなくなっていたのです。
●それでも、わたしはその教会に1人残された神父ですから、何かクリスマスに語らなければなりません。イエス・キリストが、わたしたちのもとにもやってきた。それは、わたしたちに希望をもたらす出来事であると、語らなければならないのです。わたし以外には、希望を語る人がいないわけです。
●そこでわたしは、恐れることはないのだと語りました。イエス・キリストは絶望的な場面に希望をもたらすためにやって来た。希望に満ちあふれている人のためだけにやって来たのではなくて、すべての人のために、それはつまり、希望を持てない人のためにもやってきたのだ。そういう話を12年前のクリスマスの時に語りました。
●そして、わたしの親戚のお父さんのお別れの挨拶にも、この体験から話し始めたのです。今、お父さまとお別れしなければならない辛い場面で、絶望的な気分かも知れませんが、絶望のあるところに希望をもたらす方がおられます。それは、イエス・キリストです。誰も慰めることのできないほど深い淵に沈んでおられると思いますが、ただ1人、イエス・キリストだけは、皆さんを深い淵から引き上げて下さいます。
●ちょうど、わたしが12年前に経験したように、ご家族にも、もうすぐイエス・キリストの誕生、「クリスマス」がやってきます。このイエス・キリストが、希望のないところに希望をもたらしてくださるのです。どうぞ、この試練の時に、多くを奪われてしまったこの時に、唯一の希望であるイエス・キリストにより頼んでください。大まか、こんな話をしたのでした。
●新しい年、2010年を迎えました。平成22年を迎えました。多くの人が、希望を胸に新年を迎えたことでしょう。それでも、すべての人が、心安らかに新年を迎えたわけではないと思っています。昨年末に、わたしの親戚のような、辛い経験を経て年を越した方もきっといらっしゃると思います。
●そうした方々に、わたしは希望を語りたいと思います。わたしたちが待ち望む希望は、どんなことがわたしの上に降りかかっても、すべて奪われてしまうことはないと思っています。状況がどんなに絶望的であっても、あなたが希望していることに、心を留め、耳を傾けてくださっている方がおられるからです。
●それは、人によっては「神」という存在かも知れません。他の何かで表現できるかも知れません。いずれにしても、人は、何かを希望する時、目の前の絶望的な状況を乗り越えていくことができるのだと思います。わたし1人の力では無理かも知れませんが、あなたの希望することを、必ず耳を傾けて聞いてくださっている方がいるからです。わたしはそういう方がいるのだと、固く信じたいですし、その思いを皆さんに伝えたいと思っています。
●新しい年が始まりました。年を追うごとに厳しい経済情勢、社会情勢になっている気がします。そんな中でも、希望は生まれ続けています。わたしたちが希望することを諦めない限り、その希望に応えてくださる方が、希望は奪われることがないのだと、結果で証明してくださる。その思いを、今日皆さんにお伝えして、今月の話を終わりたいと思います。

2010年1月

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●こんにちは、中田神父です。年末年始、胸を痛めるような出来事がいろいろとありまして、考えさせられました。山では遭難事故があり、海では船の衝突や沈没事故があり、それでは町中は平穏無事かというと、町の中でも火事が発生したり地震で都市が丸ごと失われたりして犠牲者が出ました。人災は、もう少し打つべき手があったのではないかと考えることもありますが、いわゆる天災は、人間の努力や工夫では防ぎようがありません。
●そんなことを思えば思うほど、自然の厳しさを思い知らされます。地球にとっては、それがどんなに大きな地震でも、それはくしゃみを一回したようなものかもしれません。「うー寒い」と言って、身震いする。その程度かも知れません。それでも、人間にとっては大惨事を招く出来事となってしまいます。
●自然は、わたしたちに圧倒的な美しさを感じさせてくれる一方で、先に述べたような厳しい一面を見せます。わたしたちは自然の美しさは感じやすいのですが、厳しい面はあまり気に留めていないかも知れません。この美しくまた厳しい自然を、今月の話の出発点としたいと思います。
●わたしたちが自然を思い描く時、たいていの場合それは、自然を楽しむ場面なのだと思います。緑が生い茂っている時、花が咲き誇っている時、海が透き通って、海底まで見えそうな時など、わたしたちが自然に期待していることが、そのまま現れるのだと思います。
●反対に、猛烈な嵐や、爆発する火山や、荒れ狂う海といった姿は、自然を思い出す時に最初に浮かぶ情景ではないと思います。それらは、わたしたちが期待していない姿だからです。つまり、わたしたちにはある程度、自然に期待しているものがあり、その期待の範囲を超える姿を、いわゆる「自然」とは見ないということです。
●ところで、本来の「自然」とはどういうものでしょうか。わたしは、本来の自然は、美しさと厳しさを両方併せ持っているのだと今回あらためて思い知らされました。優しさや美しさを示すのも、荒々しさや激しさを示すのも、共に「自然の営み」「自然なこと」なのではないでしょうか。
●もちろんわたしは、災害につながるような自然の猛威を、「当たり前のこと」で済ませるつもりはありません。わたしたちは、自然が猛威を振るうのも「自然の一部」として、さらに調査研究をし、その仕組みをもっと解明しなければならないと思っております。自然の仕組みをより深く知ることで、わたしたちが期待していない方の自然の姿に的確に対処する。この方面の研究が、もっともっと進むことを願いたいです。
●大自然の両方の面を「自然の全体」として眺める時、神について考える姿勢にも目が向かいます。わたしたちは、神がおられるなら、その方はお優しい方で、いつも温かくわたしたちに接してくれるものだと考えます。確かに、神はそういうお方であるだろうと、期待してよいのですが、自然が「美しさと厳しさ」を兼ね備えているように、神にも「優しさと厳しさ」を備えていると、考えることもできるのではないでしょうか。
●中田神父の理解する範囲で、いくつか例を挙げたいと思います。旧約聖書という書物の中で、ヨブという人物を取り扱った書物「ヨブ記」があります。ヨブは神への忠実を貫いた人物とされ、人間的な弱さから神を恨んだりすることもありましたが、最終的には神への深い信頼を示すという物語です。その中で、ヨブが神から祝福されているしるしとして受け止められていた財産や家族を、一瞬にして奪い取られる事件が起こります。その時ヨブは、神への信頼を態度で示します。
●次のような部分です。「彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。『御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。』ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。『わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。』このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。」(ヨブ1・18-22)
●ヨブは、のちに「義人」とたたえられる人物ですが、「主は与え、主は奪う」ときっぱり言っています。なかなか、この心境には至れませんが、ヨブの態度には、神が自分自身に対してどのような態度を取ろうとも、それを甘んじて受け入れるという意志が読み取れます。
●次に、イエスが弟子たちに取った態度の中で、興味深いものを取り上げてみます。
●「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。』」(マルコ10・13-14)
●この場面で、弟子たちのイエスとでは、子供たちに対する接し方が違っています。弟子たちはイエスの手を煩わせたくないと先回りしてこどもたちを連れて来た人々を叱ったのですが、どうやらとんでもない勘違いだったようです。イエスが「憤られた」とあります。
●キリスト教の信仰の中では、イエスは神の子です。神の子であるイエスが、憤りの感情をあらわにすることは、人間からは想像できないことです。今月の話の流れで言うと、人間は神に、優しい姿は期待しても、厳しい姿は期待しないのです。ましてや、憤る神の姿など、とても考えられないと思っています。
●ところで、イエス・キリストの憤る姿は、なぜ聖書の中に記録として残ったのでしょうか。イエスの出来事を記した福音書の著者は、あえてイエスが憤ったと書かなくてもよかったはずです。言ってみれば、イエスのマイナスのイメージを、あえて書く必要はなかったはずです。
●ちなみに、同じ場面はほかに2人の著者が記録しています。それによると、子供たちをイエスのもとに連れて来た人々を弟子たちが叱ったことは確かに書き残していますが、イエスが憤られたことには一切触れていないのです。マルコ福音記者は、あえてイエスが憤られたと書きましたが、マタイとルカは、イエスのイメージを守りたかったのでしょうか、一切そのことに触れなかったのです。
●少し学問的になりますが、同じ出来事について三者三様の書き方をしている場合、いちばん厳しい表現をしている書き方が、本来の姿に近いと推測されるのだそうです。今回の場合、イエスが憤られたというのがもともとの出来事に近くて、そのことに一切触れていないのは、手を加えているだろうと考える必要があるわけです。
●そこから、わたしは次のように考えたいと思います。神は、「優しさ」も「厳しさ」も、両方備えているということです。決してそれは、気まぐれなお方という意味ではなく、神は優しい方でもあり、厳しい方でもあるということなのです。わたしたちが神の姿を一面的に見てしまうと、裏切られたような気持ちになる危険があります。神はお優しい方ですが、同時に憤りを示す厳しい方でもあるわけです。
●しばしばわたしたちは、神の優しい面ばかりを期待し、強調するわけですが、神は同時に、厳しい方でもあることを今回あらためて考えました。自然の本来の姿、「自然の自然な姿」をより深く知る必要があるように、わたしたちも、神をもしよりよく知りたいと思うなら、一面的に見ないで、あるがままに見る目を養う必要があるのだと思います。

2010年2月

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●こんにちは、中田神父です。今月は、2通りの言葉を比べて話したいと思います。何かの言葉を思い付いたら、その反対も並べてみて、考えを進めていきましょう。たとえば、「開く」という言葉に対して、「閉じる」という言葉が浮かびます。今挙げた「開く」と「閉じる」は、本来は単なる動作を表す言葉です。
●ところが、この言葉を使う場面によっては、単なる行為、単なる動作ではない意味が生まれてきます。「開く」という動作は、もちろん何かを開くということで、「門を開く」と言えば、今閉じられている門を開く、ただそれだけに過ぎません。けれども、開くものがまったく違う場合、まったく違う意味になります。
●試しに、「心」に当てはめてみましょう。「心を開く」「心を閉じる」。こういう使い方をすると、それは、単に状態が変わるというだけではなくなってきます。「心を開く」とは、心を打ち明けることですし、「心を閉ざす」とは、誰にも心を打ち明けなくなるという意味になります。そこには、単に状態の変化だけではなく、その人の積極的な態度、または消極的な態度まで表されるのです。
●「開く」「閉じる」という言葉に、「心」を組み合わせましたが、人間が心を開く、あるいは心を閉じる時、文字通り心の動きが見られるわけですから、どのような心の動きなのかを考えてみましょう。わたしたちが心を開く時、心を開く相手がいるはずです。反対に、わたしたちが心を閉ざす時、そこにも心を閉ざす相手がいるはずなのです。
●なぜ、人は相手によって心を開いたり、心を閉ざしたりするものなのでしょうか。わたしは、その人が、相手を信用しているか、信用していないか、そこにすべてがかかっていると思います。信用できる相手には心を開くし、信用できない相手には心を閉ざしてしまう。たとえその相手が、親であったり恋人であったり、兄弟姉妹であったとしても、信頼できなくなれば心を閉ざしてしまうのではないでしょうか。
●さらに踏み込んで考えましょう。相手が信用できる時、人は心を開くということが、ある程度当てはまるとしましょう。信頼関係が築き上げられ、心を開くことができるようになりました。もしその後に、信頼できていた人が信頼できなくなり、心を閉ざしてしまったとします。それでも信用してほしいと相手が言っているとして、その時人は、どうやって信じる気持ちを取り戻し、心を開くことができるのでしょうか。
●いったん築き上げたものが壊れてしまい、もう一度その関係を元に戻す。これは並大抵のことではないと思います。もう一度相手を信頼する。あるいは何度でも人を信頼し、心を開いていく。そのためにはものすごく大きなエネルギーが必要になります。人間は、そのための力を、どこから手に入れるのでしょうか。
●わたしは、複雑にこじれてしまった関係の中で信頼を取り戻すには、人間の力を超えた何かが必要だと考えています。カトリックの神父として言わせてもらえば、それは神の力です。神の導き、働きかけこそが、人間にどこまでも人を信頼し、信じて、相手に心を開く力の源を与えてくれるのではないかと思っています。
●ここで、イエスの物語を一つ紹介したいと思います。イエスはこの物語の中で、「開け」という言葉を力強く語り掛けます。さっそく読んでみます。「それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(マルコ7・31-37)
●今朗読した聖書の物語は、奇跡物語という分類に含まれる物語です。奇跡が実際に起こったのかどうか、また、奇跡は科学的に証明できるかどうか、そういったことはここでは横に置きたいと思います。ここでわたしが取り上げたいことは、イエスは向かい合ってその場にいる人に、「エッファタ(開け)」と言ったということです。
●なぜ、この「開け」という言葉が大事なのでしょうか。わたしは、「開け」という言葉は、相手の人が持っている積極的な部分を引き出す、最高の言葉だと思うからです。そして、誰かに対して絶対の自信を持って「開け」と言うことができるのは、単なる人間ではなく、人間を超えた方でなければ言うことができないのではないかと思っています。
●イエスは、向き合っている人に、「開け」と言いました。イエスと向き合っているこの人は、自身が抱えている障害のために、人に心を開くことができなくなっていたのだと思います。人に心を開くことができない、つまり人に心を閉ざしているということは、その人が相手を信頼できていないということです。
●誰も、信頼できなくなってしまっていたこの人が、イエスの前に連れて来られ、人々は、何が起こるかとその場面を見守っています。そこでイエスは、耳が聞こえず舌の回らないその人に、もしかしたら生まれて始めて人を信頼してみようと思えるようになる言葉をかけたのです。「エッファタ(開け)」。
●わたしはこう思います。人が、人に心を開く。それはとても積極的な動きです。そして人間は、この積極的な動きをいつもいつも続けることができればよいのですが、続けられない時もあると思います。どうしても心を開けない。そんな時、イエスはわたしの心の中で、「エッファタ(開け)」と言ってくださっているのではないでしょうか。つまり、人を積極的な方向に向かわせる力、閉ざしてしまっている心を「開け」と励ましてくれる力は、神から来るのではないかと思うのです。
●反対に、「心を閉ざす」動きは、神から来る動きではないと思っています。誰も信用できない。誰も近づけたくない、誰も近づいて欲しくない。そんな、とても消極的な心は、神から遠く離れた動きだと思います。
●そう考える時、今わたしたちが誰かに心を開いているとしたら、その人は今その時に、神と出会っているのではないでしょうか。神が心の中で働きかけ、「開け」と言ってくださり、あなたは誰かに対して信頼の心を持ち、心を開くことができているのではないか。そう思います。
●わたしたちのふだんのちょっとした出来事、「開く」時と「閉じる」時。そこに、神の働きかけが感じられ、ある時は神から遠く離れた心の状態にあるのでしょう。わたしたちの本当に身近な所で、わたしたちは神と出会い、神に触れる経験ができているのではないでしょうか。

2010年3月

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●こんにちは、中田神父です。人事異動が発表され、わたしは現在の伊王島・馬込教会から、上五島の浜串教会に転勤となりました。転勤は、今後も続きますし、今回が初めてのことでもありませんので、それほど驚いてはおりません。ただ、今年は転勤の辞令を受けてからの日々の中で、ちょっとした気づきがありましたので、みなさんと分かち合いたいと思います。
●転勤が決まれば、気持ちの整理が必要です。つまり、今の教会でわたしに残されている時間は何日間であるとか、後任の神父に、きちんと引き継げるように準備をするとかです。引っ越しは、その日が来れば自動的にやってきますが、自分が、新しい場所で働きはじめるという心の準備は、わたしが準備しなければ自動的には準備できません。
●心の準備ということで、面白い経験をしました。3月の上旬に、カトリック教会では伝統的に行われている「黙想会」というものを行いました。黙想会は、2日間とか3日間とか連続して、指導司祭の説教を聞き、心を養うという行事です。信徒の黙想会がよく知られていますが、司祭も、あるいは修道者も、同じような黙想会を受けます。復活祭を控えたこの時期は、黙想会にうってつけの時期です。
●わたしたちの馬込教会でも、黙想会を行いました。わたしよりもぐっと若い後輩司祭の、本田神父に信徒の黙想会の指導をお願いしました。黙想会の内容はここでは省略しますが、黙想会期間中に、後輩司祭と夜な夜な司祭だけの会話を重ねました。長崎の教会がどうあるべきか、など、真面目な話から、大きな声では言えない話まで、いろんな話題に花を咲かせました。
●黙想会の指導は、今紹介した本田神父にお願いしたわけですが、わたしも、黙想会の期間中のミサに出席しました。2人とも祭壇に上がってミサを捧げたのですが、本田神父に敬意を表してミサの司式をお願いし、わたしは本田神父の隣りに立って、一緒にミサを捧げたのです。
●4日間、このような立ち位置でミサを捧げたのですが、その初日から、ある思いがわたしの頭を巡っていました。わたしは、これまでほとんどの場合、祭壇の中央に立って、信徒全員の中心にあって、ミサを捧げていました。それが、今回本田神父が祭壇の中央に立ったことで、わたしは祭壇の中央からちょっと横に移動して、ミサを捧げ、ミサの様子を観察することになったのです。
●すぐに感じたことは、わたしは今まで祭壇の中央に立つこと、信徒の中心に立つことを、疑いもなく当然なことだと思っていたのです。けれども、いざ中心から少し離れてミサを捧げてみると、わたしが当たり前だと思っていたことが、実はそうでもないのだな、ということが分かってきたのです。
●こういうことです。祭壇の中央に立ち、信徒の中心にいるのを当然だと思うわたしの中の意識は、少し強い言い方ですが、わたしが中央にいなければミサは成り立たない、わたしが中央にいなければ、馬込教会は成り立たない。そういう意識だったと思うのです。6年間にわたり、懸命に馬込教会を引っ張ってきたつもりでしたので、わたしでなければという気持ちが無意識のうちに働いていたことは十分考えられることです。
●ところが、実際にはわたしが祭壇の中央に立たなくても、ミサは捧げられていくのです。わたしが信徒の中心に立っていなくても、馬込教会は成り立つのです。そのことを、瞬間的にですが、感じ取ったのです。
●「ああ、そうなんだなぁ」これが、ミサの時に感じたことを思い返した時の感想です。わたしは、これまで自分がミサの中心にいなければ、馬込教会の中心にいなければ、ミサも、馬込教会も成り立たないのだと本気で思っていたのかも知れません。実際はそんなことはなくて、祭壇の中央に別の司祭がいて、その別の司祭が信徒の中心に立って、わたしは、その別の司祭のそばで一緒にミサを捧げても、ミサは成り立つのです。
●何を今さら、と思われるかも知れませんが、馬込教会を離れることが決まったこの時期になってようやく、わたしという決まった人が中心にいなければミサが成り立たないわけではなく、ましてや、わたしという決まった人が馬込教会の中心にいなければ馬込教会が成り立たないのでもない。そのことを、はっきり知ることになったのです。
●新鮮な発見でした。どこかで、わたしがこのミサのためにどうしても必要だ、わたしが馬込教会にはどうしても必要だと、思っていたのです。思い込んでいたのかも知れません。それが、一歩自分の立つ位置を動かしてみることで、まったく違う答えにたどり着いたのです。中心に立つべき人は、必ずしもわたしでなくても良いのです。
●この答えに導かれながら、さらに2つのことを考えました。1つは、中心に誰が立つべきかということ、もう1つは、本当に中心に立つべき人は誰か、ということです。まず、中心に誰が立つべきか、ということですが、それは、馬込教会の主任司祭に選ばれた人が、馬込教会の中心に立つということです。
●当たり前のように聞こえるかも知れません。けれども、わたしは、次の任地が与えられたその時に至っても、あいかわらず馬込教会の中心に立とうとしていたわけです。中心に立つべきなのは、わたしではなくて、馬込教会の主任司祭に選ばれた人、この話を考えた時点では、後任に選ばれた主任司祭が、馬込教会の中心になるべき人です。中田神父という個人ではなくて、その時その時に選ばれた主任司祭が中心に立てば、それでよいのです。
●実際には、この考えもすぐに理解できたことでした。中心に、わたしが立っていなくても、ミサは成り立つし、馬込教会は成り立つ。具体的には、別の主任司祭が選ばれれば、その主任司祭に引き継ぐことで、新しい馬込教会、馬込教会でのミサが成り立つ。そこまで、最初の気づきの時点で感じ取っていたのです。
●ところが、頭でそのことを理解していても、実際に受け入れるのはそう簡単なことではありませんでした。6年間、当たり前のように味わっていた感覚でしたので、その考えを変えなさいと言われてもなかなか簡単ではありません。与えられた残り時間で、何とか受け入れ、気持ちを切り替えて、新しい任地に出発する必要があります。
●さてもう1つの、本当に中心に立つべき人は誰か、ということです。これはわたしの中では答えは決まっています。本当に中心に立つべきは、イエス・キリストです。あらゆる出来事の中心にあって、出来事を導いておられるイエス・キリストが、中心にいて初めて、物事の本当の意味が見えてくるからです。
●ミサに、別の司祭が中心に立ち、わたしがその横に並んで立った時、中心に立っているのは目の前の本田神父ではなく、イエス・キリストがそこに立っているような気がしました。このミサが、ミサとしての最高の意味と役割を持つためには、中心にイエス・キリストがいなければならない。じわじわと、その思いが高まってきたのです。
●本質的には、中心に、イエス・キリストが立つべきである。そのことに思いが向かった時、わたしの心は解放され、自由になりました。誰かが来て、わたしがどこかに追いやられるのではありません。わたしは、いろんな任命を受けて、いろんな教会に派遣されていきます。けれども、わたしがどこに行こうとも、中心にイエス・キリストがおられる。その思いがわたしを満たし、心は晴れ晴れとなったのでした。
●ちょっとした気づきでしたが、みなさんの生活を振り返るヒントになれば幸いです。わたしが、中心に立っていなければ、この集まりは成り立たないのだ。そう思っていた組織や集まりがあったかも知れません。当然のことだと思っていたそのような組織や集まりも、一歩引いて考えてみたら、実はそうでないのかも知れません。
●自分が中心にいなくても良いのだと気づいた時、悲しみや恐れ、絶望感に襲われるかも知れませんが、そんなに悲しむ必要はありません。なぜなら、もう1つ先のことを考えれば、本当に中心に立つべき人は、この世界のどんな人間でもなくて、出来事に本当の意味と価値を与える人です。「人」と言いましたが、正確には「人」と言わないほうがよいかも知れません。わたしはそれはイエス・キリストだと思っていますが、違う存在を当てはめても結構です。
●何も恐れる必要はありません。出来事の中心に立つ絶対的な存在など、この世界のどこにもいないのです。そうではなく、たった1人の、絶対的な存在が中心に立ってくださり、わたしがそばにいて一緒に活動する。その姿を受け入れることができるなら、わたしたちはどこにいても、どこに送られていっても安心です。この平安を、今味わっていることをお伝えして、今月の話としたいと思います。

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