マリア文庫への寄稿

「マリア文庫」とは、「目の見えない方々」へ録音テープを通して奉仕活動をしている団体です。概要については、マリア文庫紹介をご覧ください。

2003年1月 2月 3月 4月
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2003年1月

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●こんにちは、中田神父です。新しい年になりました。初夢などはいかがだったでしょうか。また、新年の抱負などはお決めになられたでしょうか。中田神父は、3時間にわたる(そう感じたのですが)長編初夢を見まして、何だったのか思い出すことができません。暮れに、3時間ものの長編映画を見たので、それがそのまま反映されたのかしら、とも考えました。
●また、今年度の個人的な目標は、「もう一歩踏み込んでみる」ということにしたいと思っています。すでに自分の中で固まっている価値観や世界観(ものの見方)、もう一歩踏み込んでみたら新しいものが見えるのではないか、そういう思いから決めた標語です。
●さて、今月は「その人の目線に立ってみる」ということを少しお話ししたいと思います。決して押しつけるつもりではなくて、身近な体験から、思うところを話したいと考えています。
●今年初め、長期入院をしておられた「竹山勇(たけやまいさむ)」神父様の葬儀・告別式が長崎の浦上天主堂で執り行われました。ここでお葬式のことを話すつもりではありませんで、出かけている途中で起こった、ちょっとしたほほえましいできごとを取り上げてみたいと思います。
●その日、いつになく私は機嫌が良く、車を運転しながら穏やかな気持ちを保ち続けていました。追い越しをかけられても「急いでいるのね。気をつけてね〜」と気持ちよく先を譲るほどでした。普段はこんな穏やかではないのですが。
●道のりの4分の1も来たところでしょうか。保育園の子どもさんたちが、先生に導かれて道路を横切るタイミングを見計らっていました。15名ほどの園児を安全に渡らせるために、十分な時間が必要でした。
●そこに私が出くわしたのですが、私はいわゆる「仏のような」精神状態でしたので、「どうぞどうぞ」と、車を停止させて、道を譲ったのでした。幸い、自分のうしろにも、対向車も、一台も見えませんでしたので、私が車を止めさえすれば、十分に安全を確保できたのでした。
●引率の先生はすぐにそれと理解し、「どうも」という会釈をして子供たちに道路を横切らせ始めます。どこで摘んできた花だったのか、子供たちはスイセンやそのほか、いろんな花を手に握っていました。ほぼ子供たちが渡り終え、私も車を始動させようとしたとき、最後のこどもが持っていた花を落としてしまったのです。繊細な花だったのでしょう。落ちた拍子に花びらも散ってしまいました。
●瞬間、私の脳裏には二つの思いが浮かびました。一つは引率の先生方の思い、一つは当事者のこどもの思いです。引率の先生方は、「車を先に通してあげなきゃ。落とした花はそれからでもいいし、何よりこどもを沿道に引き戻さなければ」そう思ったと思います。そして実際、そのように行動しました。
●こどもはどう動いたでしょうか。こどもには、せっかく摘んできた花を落としたことが、何よりも大きな事件です。すぐに落とした花を目指して道路の中央に出てしまいました。そして当然のように、散ってしまった花びらを集め始めたのです。
●私は、先生の思いも、そのこどもの思いも、両方とも瞬時に脳裏にひらめいたのでした。よほど精神状態が良かったのだと思います。先生はきっとこう思うに違いない。こどもは反射的にこのように行動するに違いない。冒頭でお話しした「もう一歩踏み込んで考える」ことに逆行するかも知れませんが、はたして状況はそのように進んでいったのでした。
●私は、どう対処したのでしょうか。私は、こどもが花びらを集め終わるのを待つことにしました。それもしぶしぶではなく、気持ちよく、喜んで待ったのです。さらに、今拾ったばかりの場所を車で乗り越えることのないように、反対車線を大回りしてそこを通り過ぎました。別れ際には子供たちに手まで振って、「気をつけてね〜」と声をかける念の入れようです。先生が驚きの目で見ていた光景を、今でも思い出すことができます。
●おそらく、あの時、私はこどもの目線を理解したのだと思います。先生が立場上、こどもの安全のためにとこどもを脇へ引き寄せたことも十分理解できましたが、それはそれとして、私はこどもの目線を理解し、こどもと協調できたことがうれしかったのです。その人の、この場合はこどものということですが、目線まで降りていくことができた、その人の見ているものが自分にも見えたことが、とってもうれしかったのです。
●あの時のことを私は、イエスキリストの誕生と重ね合わせて考えます。キリストは神でありながら、神であることに固執せず、人間と同じものになられました。これはパウロという人の言葉なのですが、絶対のお方である神としての目線ではなくて、人間の、愚かなこともしでかすし、人間同士で喜び合ったり泣いたり笑ったりする、この私たち人間の目線まで降りてきてくださった。神の目線ではなくて、人間となって、私たちの目線に立ってものを見てくださった。そのことに深く心が向いたのです。
●私はあの日、こどもの目線に立つことができたあの日に、大声でバンザイと言いたかった。やっと分かった、やっとこどもの目線に立つことができた、神様ありがとうと、叫びたかった。けれどもしばらくして、それはほんのわずかな時間のことで、私が心の底からこどもの目線を理解して、思いを分け合ったのではないことにも気がつきました。そのあと安全運転の車のあとを付き合わされて、延々1時間ものろのろ運転したのです。
●すぐに欠点だらけの中田神父の一面が顔をのぞかせました。「何やってんだよまったく。浦上教会の葬儀に間に合わないじゃないか。いい加減に気がついて、道を譲ってくれよ」もうあとの会話は言いませんが、あの時「仏のような」顔をしていた中田神父は、長崎市内にたどり着いた頃には「鬼のような」顔をしていたのでした。
●キリストはかつて、次のような言葉を残されました。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ18章3節)。天の国からおいでくださったお方がこう仰るのですから、間違いはないでしょう。子供の目線に立って、世界を見渡すことができなければ、天の国に受け入れられる心を育てることはできないと、注意を呼びかけているのだと思います。
●はいそうですか、それでは、となかなか心を入れ替えることのできない私。子供の目線を軽んじる私。たとえこどもの目線が理解できても、理解するだけで心からは受け入れていない私が、見え隠れするのです。
●方言で、あまりにも知恵が回りすぎることを「賢しい(さかしい)」「賢しか(さかしか)」と言うのですが、もう一歩踏み込むために、理解するだけではなくて、本当にこどものように世界を見渡すためには、こざかしさを捨てなければならないのかも知れません。今のままでは、私は「あいつは賢しか(さかしか)」とイエス様に指摘され、叱られそうな気がします。
●その人の目線に立つ。謙虚にその人と同じ見方で見渡してみる。考えさせられるできごとでした。

2003年2月

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●こんにちは、中田神父です。2月3日節分の日には、目の前のカトリック保育園から「鬼に変装してください」と頼まれまして、喜んで引き受けてまいりました。どれだけ気持ちよく赤鬼が暴れたか、54秒間の音声をお聞きになってください。
●とまあ、保育園の園児たちは恐ろしさのあまり豆を投げるのも忘れて右往左往するばかり。勇気を出して豆を投げたのは、わずか3名ほどでした。ちょっとやり過ぎたかな?
●さて今月は、私にとってはかなりハードな月になっております。長崎のカトリック教会では、復活祭という教会の大きな行事を前にして、一年に一度黙想会というものを行います。神様のことを普段にも増してよく思い巡らすためのひとときを取るわけです。
●こちら太田尾教会でも、3月の2日にその黙想会が計画されております。教会によって日程はさまざまですが、3月の初めというのは、かなり早いほうではないでしょうか。
●黙想会の中では、普段の短い説教とは違った長い説教を三日間に渡って合わせて5回ほど聞きます。テーマを絞って話すのが普通で、その教会の必要に応じて、あるいは説教師に一任してといった形でテーマが決められていきます。
●今年の太田尾教会は説教師をほかの神父様にお願いせず、私自らが行うことにいたしました。教会の一員としての自覚と使命を見直す、そんなテーマで5つの話をまとめようと奮闘中です。
●私には、教会で説教を聞いていただく大きな狙いがあります。いつも、どんなときでも、そのことを意識していると言っても良いのですが、それは、自分の思いを神に、または天に向かわせる、ということです。このことについて、しばらく話してみたいと思います。
●私は常々、人間の働き・活動には三つの動きがあるのではないかと考えております。一つは自分から外に向かっていく、誰かに向かっていく動きです。話しかける、手伝うとか、そう言うことです。二つ目は、外から自分に向かって、つまり聞くとか、助けてもらうとか、そう言うことになります。そして最後に、これはなかなか気付かないことかも知れませんが、心を天に向けて、天に向かう動きです。
●三つ目の働きは、ちょっと考えると外に向かっての動きのようにも受け取られますが、単純にそうとも言い切れないと思います。天とは、自分が信じる神とは、必ずしも外におられる、どこかの世界におられるとも限りません。それは中に、自分の心の奥深くに向かって心を開いていくときに、信じる神と出会うかも知れないからです。
●この神に向かう動きを促すのが、私たち宗教者の努め、使命なのではないかなあというのが、中田神父の現在の心境です。悲しみの中にある人、喜びの中にある人、人はそれぞれさまざまですが、何かのメッセージをお届けすることによって、その人が自ら天に向かって心を開く、神に語りかけ、神に祈るようになってもらうことに、私たちの使命はあるのかなと思っているわけです。
●しばしば、人間が見つけなければならない答えは、自分の中にあると言います。それは、もしかしたら不十分な答えなのかも知れません。中田神父なりに言わせてもらうなら、自分が、心を天に向けることができたときに初めて、自分で答えを見つけるということなのではないでしょうか。「自分で見つけなさいと言われても分かりません。先生教えてください」「自分で見つけなければ、本物の答えではない」このようなやりとりはよくあるわけですが、その、自分で答えを見つけるというのは、神と向き合うことに気付き、自分で神に打ち明け、神の声を探し求めるということだと思っています。
●こうした取り組みに、中田神父はどのように関わっているのか。まだまだ修業途中ですというのが正直なところですが、明らかなヒントを必要とする人と、何気ない一言でも突破口を見いだし、自分で答えにたどり着く人との区別は、掴めてきたかもね、そう思っています。
●この人は明らかにヒントを必要としている。具体的に、あるいは明示的に。そのような人もいらっしゃいます。当然です。すべての人が同じだけの才能を与えられているわけではありませんので、たとえば何かを話すときには、そのような具体例を必要としている人、明らかなヒントが必要な人を頭において話すべきです。
●そうは言いながら、これがまた難しい。何ごとも経験を豊富に積ませてもらうことで身についていくものなのでしょう。そういうことでは、黙想会は参加する方だけでなく、説教をする説教師の側にも大きな恵みのひとときなのだと思います。
●ちなみに、心を天に向けることが神に向かうことであれば、その反対の動きは悪に向かう動きと言えましょう。神に心を閉ざす、自分が神と対話して、自分の中にある答え(認めなければならない欠点や・果たすべき務め)から目を背けることは、悪であり、罪な動きだと思います。
●幸いに、カトリック教会では罪に対する癒しの恵みがありまして、それは一般に「罪の赦し」と言っています。罪を赦してくださるのはあくまでも神(キリスト)です。司祭が罪の赦しに立ち会うわけですが(懺悔といったり、告白と言ったりしているかと思います)、それは神の赦しの恵みの分配者として、キリストに成り代わってそこにいるのであって、司祭が罪を赦す人間、罪は司祭が赦すことができるということではないわけです。
●心を天に向ける動きと正反対の動き。そういえば私は保育園の園児に後日会いまして、「豆まきした?」と尋ねたのです。その園児は「うん。鬼がやってきたんだよ」と言いました。「そうかあ、神父様はね、豆まきの日に、バス停で鬼に会ったんだ。『鬼さん、どこに行くの?』と言ったら、『保育園!』と言ったからね、『鬼さん、あそこには悪い子は一人もいないから、あそこに行っちゃダメだよ』と言ったのね。『それでも行くのだ〜!』って、言ってたんだ」そんな、ありもしない話をまことしやかに話して聞かせたのです。
●あ〜やっぱり鬼は存在して、神父様はバス停で会ったんだ。子供は正直です。そのまま受け入れて、きっと家に帰ったら両親に話して聞かせたことでしょう。私は子供の目を、天に向けるのではなくて、罪な方向に向けさせたのかも知れません。私も、神の赦しを心から願いたいと思いました。

2003年3月

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●こんにちは、中田こうじ神父です。3月17日は、長崎のカトリック教会にとっては記念すべき1日でした。それは、信徒発見の記念日という名前で呼ばれています。大まかに言いますと、それまでひそかに信仰を守り続けていた信徒たちが、大浦に教会が建てられたといううわさを聞いて、これはもしかしたら、信仰を公に守ることのできる日がやってきたのだろうかと、おそれながらも喜んで出かけ、フランス人の神父様に名乗り出たという出来事でした。
●当時の感動や感激を汲みつくすことはできないとしても、宣教師が再び戻ってきてくれたことや、教会堂を公に建設できるようになったこと、何よりも、人前に出て信仰を言い表すことができるようになった喜びは、計り知れないものがあったのだと思います。
●フランス人の宣教師は、プチジャン神父様でした。のちに司教様と言って、広い区域を管轄する責任者に昇格する方です。国宝となっている大浦天主堂で、感動の出来事は繰り広げられます。勇気を出して現れたのは、杉本ユリという女性とその一行でした。彼女とその一行というのが、私は個人的に惹かれます。女性のほうが、勇気があったということでしょうか。
●かねてから大浦に教会が建てられているといううわさは、ひそかに信仰を守り続けているキリシタンの間にも広がっていました。「フランス寺があるらしい」「そこにはサンタ・マリア様がおいでになる」「サンタ・マリア様がおいでなら、フランス寺の異人さんは、パーデレ様に違いない」けれどもそれだけでは飛んでいくことはできません。厳しい迫害、もしかしたら捕らえられるかも知れないという恐怖は、キリシタンたちの心をしり込みさせたことでしょう。
●ただし杉本ユリは別でした。「パーデレ様に会えるなら、殺されてもかまいません。わたし一人でも行きます」これでみなの腹は決まったのでした。男女合わせて15人くらいの人々が、どっと押し寄せたのです。プチジャン神父は、いつもの見物客とは違う態度に気づいたのです。一行の中の一人が、次のような言葉をプチジャン神父にささやいたと言います。
●「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ。 サンタマリアのご像はどこ?」神父様は急いで彼らを聖母子像の前に案内します。プチジャン神父は、感動を交えながら当時のことを本部に報告したのだそうです。わたしは、個人的にはそのあと起こったであろう反応に興味があります。おそらく、集まった人々からは、次のような言葉が漏れたのではないでしょうか。「ほんとにサンタ・マリア様だよ。御子ゼズス様を抱いておられる」。
●230年もの間、キリスト教は厳しく禁じられていたのに、信仰のともし火は消えることはありませんでした。そして、ようやく信仰を表に現すことができるようになったときでも、誰を恨むでもなく、誰に自慢するでもなく、ただ、「マリア様がいらっしゃる、御子様を抱いていらっしゃる」と、安心したのではないかと思うのです。
●私たちはなかなか、事実そうある、ということに感動したり、感謝したりということがないのかもしれません。たとえば、神様がいらっしゃる、御仏がいらっしゃる、ただその事実に、尊敬の気持ちを起こすだろうか、ということなのです。神が奇跡を行い、わたしに不思議な業を成し遂げたなら、感動し、感謝も湧いてくるでしょうが、神がいらっしゃるというそのことだけでは、なかなか同じ思いを持つことは難しいのではないかと思うのです。
●キリシタン発見記念日の3月17日に、プチジャン神父はキリシタンが現れ、見物ではなく礼拝に来たことに、驚きと、感動を覚えたことと思います。ただしわたしは、そのキリシタンたちが、「ああここにマリア様が御子様を抱いておられるよ〜」と感嘆したことのほうに、感動を覚えるのです。もちろん、プチジャン神父様の心の奥底までは、知る由もありませんが。
●ただ、そこにそれがある。この事実に心動かされるところまで、中田神父の心はたどりつけていないと感じます。ただそこにあることに感謝できるのは、子供のように清らかな心がなければ難しいのではないかと思うのです。子どもは学校の帰りにでも、「あー、タンポポが咲いてる」と、その事実だけで感動し、立ち止まり、いつまででも花を眺め続けます。わたしは幾度となくタンポポの咲く道端を歩いているのだと思いますが、目を留めることなど考えもつかないのです。
●実はもうひとつ、3月17日はわたし個人にとって記念すべき日です。それは、11年前のこの日、私は浦上天主堂で司祭に上げてもらったのでした。司祭に選ばれるまでのことを長々書く時間は今回ありませんので、郷里の教会で直後に行われた祝賀式典に配ったパンフレットに、ちょっとした寄せ書きを載せましたので、それを紹介させていただきます。「波乱の父と波乱の召命」というタイトルで記事を寄せました。

●いつの頃からか、父の言いぐさが変わってきた。それまでは「つまらん、つまらん」と言っていたのが、この頃「家の宝」などと触れ回っている。父に「つまらん」と言われれば逆に胸を張っていられたが、「宝だ、宝だ」と言われると恥ずかしくてその場にいられなくなる。あんなに口の悪かった父のこの変わりよう。
●母も最近変にやさしい。母が得意としていた決まり文句は、「いつまでつづくやら」だったが、今ではそれも絶えて聞くことができない。それどころか、人に何を言われてもにこにこしている。父までもこうなるのではないかと思うと気が気でならない。父よ、母よ、いったい何が起こりつつあるのか。
●鯛之浦教会は、わりあい信徒がかたまって住んでいる。いわゆる「鯛之浦」に住んでいる信徒もいるが、地域的には「中野」と呼ぶ方が正しい。昔その地域一帯を鯛之浦と呼んでいたのかも知れない。教会の歴史も古いから、その当時の呼び名がそのまま教会名になったということも考えられる。信徒については、一般に真面目ということで通っているようである。
●私は何も教会を自慢しようというのではない。いやむしろ、聞く人の耳に痛い話をしようとしている。こんな教会にもちょっとした変わり種がいたのである。今でこそ町の農業指導員、一人の神学生の父と、ごく普通の鯛之浦の信徒の顔をしているが。
●召命のきっかけ、それをとりまく環境、どれをとってもごく普通の型にはまっていた。漁師の父と、畑仕事の母、そしてミサ応えをしていた息子と、神学生募集にこられた神父様の「神学校にきませんか」との誘いかけ。どこにでもありそうな組み合わせ、出会いだと思っていた。ところが、ところが。
●大神学絞に入学して間もない頃、たまたま巡回教会の信徒の方とお話する機会に恵まれた。自己紹介を求められて、ついでのつもりで父の名前も口にした。すると間髪を入れずに「え!あの輝明さんの息子ですか。輝明さんはバラかったもんね」という返事がかえってきた。その時は「そうですか」と答えておいたが、たくさんの人から父の話を聞くにつれ、若い頃の父の姿がほうふつとしてきた。父はよっぽど近所の人に迷惑をかけていたに違いない、そう考えずにはいられなかった。
●父についての話は単なる昔話以上のものが感じられたし、現実味があった。どこで聞いても話が酷似しているのにはさすがに驚いた。口裏を合わせているんじゃないかと疑いたくなった。「鯛之浦の三大恥というのがおって、そりゃあもう有名かったよ。○○とね、××とね、輝あんちの三人たい。あれっ、気にさわった?俺、何か悪いこと言ったっけ?」あるいは、「○○と××と輝ばんがそこらへんにいなかったら、何が起こるかと心配で、大騒動やったよ」。同じたぐいの話なら、枚挙に暇がない。
●小神学校に入る前に、父はその激しい気性と、波乱の人生について何も教えてくれなかった。この子にそのような生き方をさせたくない、それがせめてもの親心と思ったのかも知れない。結果はどうだったか?しょせん蛙の子は蛙である。当の本人は神学校に来てまで波乱づくめの生活をしている。父よ、なぜあのとき黙って神学校行きを許したのか。母よ、なぜ「やっばりね。この子も父親似ばい」などと、小学生には理解できない含みをこめて話したのか……。
●よくよく考えると、召命は家庭における小さな波乱であった。それから次々に波乱を巻き起こし、ついに、−−そう言っても過言ではない−一自分まで波乱を巻き起こした。もし司祭にでもたどりついたら‥‥‥、それこそ大波乱である。
●漁師から牛飼いという転職を見ても、父には波乱の人生が似合っているようだ。ならば自分も、父に恥じないよう、波乱の人生を送るとしよう。司祭職という、この波乱を、これからはお恵みとして受けとめて生きるわけだが、できれば今度はほかの家庭に、一世一代の大波乱を起こすことにしよう。

2003年5月

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●こんにちは。中田神父です。部屋にいると暖かすぎるし、かといって冷房を入れるほどでもない。机に座っていてなかなか集中できない、でも何もしないわけには行かないと、中途半端な季節のように感じます。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
●あまりに気が乗らないので、座椅子に座ってテレビを見ようとしたときでした。テレビの左奥に段ボール箱が見えたのですが、その箱を見て、思わず笑ってしまいました。箱の表面に、「投ゲナイデ下サイ」と書かれていたのです。
●当然、今までもそこにあった段ボール箱ですから、おそらくその文字は目に入っていたのかも知れません。けれども、今日に限って、集中できないで苦労している今このときに限って、「投ゲナイデ下サイ」という文字が目に入ったのは、単なる偶然とは思えませんでした。
●もともと、その箱に「投ゲナイデ下サイ」と書かれていたのは、最初にこの箱の中に入っていたものを、運搬の時にていねいに運んでもらうためだったと思います。この箱を手にした人たちは、おそらくていねいに運んだことでしょう。けれども、「投げ出さないで下さい」という意味では、誰もこの文字を読まなかったと思います。
●そう考えると、この箱は、いつか出会うべくしてわたしの部屋に置かれていたのではないかなあと思うようになりました。「ていねいに扱って下さい」という注意書きとしては、いろんな人と出会ったと思いますが、「あなたのしていることを投げないで」「やりかけたことを投げないで」または「あなたの人生を投げないで」という呼びかけのために、この箱はわたしのところに派遣されてきたのではないかなあと思ったのです。
●このごろ神様についてわたしが思うことですが、神様はご自分が出会わせようとお考えになれば、どんなに離れていても、特別なきっかけがなくても、その人をわたしに出会わせて下さる、そう思うことがあるのです。私はいろんな人と出会っている。時には、あの人にはどうしても会いたいのだがなあと思うけれども、なかなか会えないこともあります。
●けれども、思いがけず誰かと再会したり、私の力ではどうしても会えそうにない人と会うことができたりするたびに、これは人間の力だろうか?人間を越える、神様の働きではなかろうか?そう思うことがあるのです。
●例を二つ、みなさんに紹介したいと思います。その人の名前を仮にAさんとしたいと思います。Aさんは70歳、本人も高齢者ではあるのですが、この方にはお父さんがおられ、90歳になっておられます。このお二人は、たまたま私が毎週お届けしている日曜日の礼拝説教で出会った方で、毎週楽しみにして礼拝説教を読んでくださっているそうです。お二人とも健康上の理由で教会に通うことができず、お届けしている礼拝説教が役立っているという便りをいただきました。
●実はAさんは福島県在住の方です。私は長崎県にいるわけですから、普通に考えれば出会うはずのない土地の方だと思います。ところが神様は、メールマガジンを通してこのAさん親子を紹介して下さり、むしろ私が、「こんなに高齢の方でも楽しみにしておられるんだなあ」と励ましをいただいているわけです。どうしてもこの人と出会わせるために、神様は出会いの場を用意して下さったのではないかなあ、そう思いました。
●もう一つの例です。Bさんとは教会を転勤してから5年以上会っていません。ところが、ついこの前の五月連休に、ふらっと立ち寄って下さいました。私はその日、昼からは出かける予定をしていたのですが、午前中に立ち寄って下さったのです。よく話を聞くと、Bさん親子は午前中でないと時間的に難しかったようで、お互いにちょうどここしかないというタイミングだったのでした。お互い五年ぶりの再会を喜び、しばらく話に花を咲かせたのでした。
●どうしてもその人でなければ、というところまで行かない場合もあります。一つの話題について有意義な話をするためでしたら、どうしてもあの人でなければ、ということにはならないでしょう。そういう場合は、神様は適当な方を用意して下さるのだと思います。ただ、どうしてもAさんと出会わせたい、Bさんのもっているすばらしさを学ばせたい。神様がそうお考えになったときには、たとえその人たちが遠くにいても、縁もゆかりもなさそうであっても、そのAさんBさんに出会わせて下さるのではないでしょうか。
●旧約聖書の民数記という書物の中に、イスラエルの民と呼ばれる神の民を導いていたモーセと神との、次のような対話があります。
●「モーセは言った。「わたしの率いる民は男だけで六十万人います。それなのに、あなたは、『肉を彼らに与え、一か月の間食べさせよう』と言われます。しかし、彼らのために羊や牛の群れを屠れば、足りるのでしょうか。海の魚を全部集めれば、足りるのでしょうか。」主はモーセに言われた。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう(民数記11章21節−23節)。
●中田神父なりにひねって考えれば、神様の手が短かったら変だろうなあ、ということになりますが、私はこの聖書の言葉を読むときに、神様にできないことはないと改めて思うわけです。そして、神様のご計画であれば、どんなに遠いところにいても、人と人は出会ったり、思いを分け合ったりするのではないでしょうか。
●みなさんの体験から、何か思い当たることはあるでしょうか?この人と私が出会ったのは、このような体験を通ってきたのは、神様のお考えによればどうしても必要だったから、その体験や出会いを通して、何か伝えたかったから。そのように理解できる体験や出会いはないでしょうか。もし、そのようなことがあれば、今のこの分かち合いを通して共に感謝したいと思います。
●願い続けることで、思い続けることで願いは叶うと考えている人もいます。それは、もしかしたら、神様に願い続ける、神様に思いを訴え続けるということなのかもしれません。神様が計画しておられることであれば、神様の手はその願いに十分届くはず。私はそう信じています。
●また、どうしても会いたいと願っているのに会えない、そう思っていることがあるとしたら、神様はほかの人との出会いの中であなたの願いに答えてくださっているかも知れません。よくよく考えると、その人でなくても、ほかの人でもあなたの願いに十分に答えてくれるのではないでしょうか。神様のお考えになる「どうしてもこの人」という場合と、私たちの考える「絶対にこの人でなければ」ということが、違っている場合もあるかも知れませんね。
●先に話した段ボールの話に戻りますが、「投ゲナイデ下サイ」はどう考えても「大切に扱って下さい」以外の意味は込められていないはずです。なのに、私がその文字を見た瞬間に、最初に考えたことは「投げ出さないで下さい」「あきらめないで下さい」としか思えなかった、あれっ?と思って読み返したときに、「そうだよな、そんなはずないよなあ。これは、『大切に扱って下さい』という意味なのに、どうして違う意味にとったんだろう」と考えさせたのは、神様のちょっとしたいたずらだったのだと思います。
●テレビの前に置かれている座椅子から、今も段ボール箱は見えています。「投ゲナイデ下サイ」と、呼びかけています。段ボール箱がものを言うはずはありませんので、神様が、この段ボール箱の文字を使って、私に声をかけているのだと思うことにしています。努力がすぐに結果につながらなくても、信念を持って続けているのに、砂を噛むような味気なさに苦しんでいるとしても、投げてはいけない。投げ出してはいけない。
●私が投げ出さない限り、神様の手は短いはずはないのです。神様のご計画にかなっているなら、きっとうまくいく。そういう思いを新たにした一日でした。

2003年6月

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●こんにちは。中田神父です。いつでしたかボランティアの心得について、音訳者の養成を受けている方々にお話をしたことがありました。今月はここからかいつまんでお話ししてみたいと思います。
●幸いに自分が置かれているカトリック司祭の働きは、ボランティアの「心の部分」で通じるものがあるかなあ、という考えに思い当たりました。
●カトリック教会の司祭は、通常独身を守り、教会の奉仕職を行います。奉仕職と言いましたが、おもにミサと呼ばれる礼拝を行い、人々のために祈り、病人を見舞い、信徒の信仰生活に役立つ勉強会や集会を持ち、キリストを知らない人には、キリストの教えを伝える、こういったことが私の守備範囲・奉仕の務めということになります。
●幸いに、と言いましたが、本当に幸いなことに、中田神父が求められていることは、ボランティアの精神を考えさせてくれます。独身生活を守る、これは与えられている仕事をよりよく果たすため、そして地上での生活をしながら、天上での生活を考えてもらうための生き方と言われています。
●天上での生活と言いましたが、聖書の中では、「「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」(マタイ22:29-30)。めとることもと次ぐこともなく、天使のようになるのだと言われていまして、その姿の先取りと言われています。つまり、自分の必要からというよりも、奉仕の務めが求めているということです。
●ミサの礼拝の中では、説教を行います。プロテスタント教会の中で奉仕しておられる「牧師」と呼ばれる方々とは、説教に対する取り組みは少し違うかも知れません。カトリック教会では礼拝の中での説教は半分くらいの分担ですが、プロテスタント教会では礼拝のほぼすべての時間が説教に向けられているようです。
●司祭は祈りの時間も人のためです。人々のことを心に留めて、人の喜びや悲しみ、苦しみを神に取り次ぐつもりで祈りをします。もちろん自分の悩みや苦しみも祈りの中に含まれるわけですが、祈る姿のお手本は、人々のために祈られたキリストです。
●幸いに、どれをとっても自分の務めは「人々のため、教会の信徒のため」といった性格のものです。ボランティアに含まれる働きも、おおよそこのような性格をもっているのではないでしょうか。
●次に、私の考えるところ、ボランティアは祈りに通じるのではないかなあ、と思うことがあります。みなさんの考える祈りはどのようなものか分かりませんが、私が思い描くのは「手を合わせている」という姿です。
●この「手を合わせる」ということなのですが、基本的に人間は活動するというとき、両手を使い、両手を開いて活動するものです。手がふさがっていては、何もできない、というのが一般的です。
●ただし、一つだけ、手を閉じて、手を合わせて行う活動があります。いったいそれは何でしょう?ってみんなもう分かっていると思いますが、「祈り」だけは、手を閉じて、手を合わせて行う活動です。それは、一つの姿を現すのですが、つまり、自分のためには何もしないで、神様のために活動するという姿を表すものです。
●もう少し言いますと、祈りは、自分のための活動をいったん止めて、神様に心をあげ、神様のために時間を使います。手を閉じているというのは、自分のためには働きません、という気持ちが形に現れたものです。自分のための活動には手を使いませんという意思表示なのです。
●ボランティアも、ある意味そのような面が見られるのではないでしょうか。手を閉じて、手を合わせてボランティアするという意味ではなくて、自分のためには手を使いません時間を使いません。むしろ、人々のためにのみ自分の手を使い、時間を使いますということです。このような意味で、ボランティアは祈りに通じるのではないかなあ、と思うわけです。
●それは同時に、祈る心にも通じるものであれば、もっと意味合いは深まるだろうと思います。つまり、自分のために手を閉ざして働くだけでなく、祈りは神に向かう働きですから、ボランティアを通して神に心が向かうようになれば、深まりのあるボランティアになるのではないでしょうか。
●三つ目の考え方として、ボランティアはイエス・キリストのうちに完全に現れるのではないかなあと考えました。次の聖書のたとえ話からヒントを得たいと思います。イエス・キリストが羊と羊飼いを例に、人間への深い愛を示されたものです。

10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

●「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」。この言葉がとても印象的です。キリストは、自分の持ち物を捨てるというのではなくて、持ち物を捨てても普通は捨てられない、ご自分の命を任せられた羊のために捨てると仰います。
●命を投げ出すには、それなりの事情が必要です。それは、相手の中に、自分にとっての命が見つかってはじめて成り立つのではないでしょうか。
●私がこの人のために命を投げ出せば、この人は私によって生きるから。この人の中に私が生き続けるから。しばしばそれは、親と子の間で成り立つことがあり得ます。命を削っても、命を注いでも、この子が生きるなら、それでいい。こんな考え方です。
●ボランティアは、どこかそのような面を含んでいるのではないでしょうか。命を削ったり、命を注いだりして任せられた奉仕をまっとうします。祈りのところで話したことと繋がるのですが、ボランティアのあいだに私のためには何もできません。それは、自分の時間を寛大に手放すこと、乱暴な言い方かも知れませんが、ボランティアを受ける方々のために、自分の時間に死ぬことだと思うのです。「私は、羊のために命を捨てる」あの精神です。
●もしかしたら、何も返ってこないかも知れません。けれども、私が命を削ってまで費やした時間と労力は、きっとその作品の中で実を結ぶし、もしも信仰をお持ちであれば、その信じている神の中で、私の奉仕は生き続けるのではないかと思います。神はすべてをご存じであり、一つとして忘れることがありませんから、私が命を削ったこと、命を注いだことを、一つ一つ覚えていてくださると思うのです。
●少し、無理があったかも知れませんが、ボランティアの精神と、宗教のある面とを結びつけてお話ししてみました。皆様のお役に立てれば幸いです。

2003年7月

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●こんにちは。中田神父です。今月は「時間」「時」ということについて少し分かち合ってみたいと思います。実は今月の原稿はかなり苦労しまして、きちんとまとまってからではなく、考え考え進めていったことをお断りしておきたいと思います。
●「時間」について、私なりに考えてみたことですが、私たちは「過ぎた時間」についてはいろいろ知恵を巡らすことが出来ますが、「やってくる時間」については知ることが出来ません。そうでありながら、私たちは一人の例外もなく、「やってくる時間」の方へ進み、「過ぎた時間」の方へ歩いていくことはないのです。考えれば考えるほど、不思議な気がします。
●「やってくる時間」「未来」へと歩んでいく私たちが知り得るのが「過ぎた時間」「過去」に限られているとは、何という不思議でしょう。大げさに驚くことでないかも知れませんが、私には不思議に思えるのです。
●たとえば、些細な例なのですが、最近私の頭は目に見えて薄くなってきています。鏡を2枚使って頭のてっぺんを眺めるたびに、ため息をついているのです。10年前には考えもしなかった未来ですが、これは紛れもない現実となっています。教会に来る小学生に、「神父様、ちょっと私たちにおじぎをしてみて」と言われるたびに、私は小さな胸を痛めております。
●未来にこうなると分かっていたら、きっと何か対処したことでしょう。今になって考えると、頭皮(頭)の入念な手入れを怠っていたかも知れないなあと思うわけですが、過去を振り返ることはできても、未来を予見することは出来ないのが現実です。梅雨時に、しとしと降る雨が直接地肌に触れていると感じるあの一瞬は、何とも寂しいものです。
●ほかにも似たようなことはあるわけで、高校・大学を受験するときにどんな問題が出るか、はっきりしたことは誰も分かりません。未来を知りうる方法があれば別ですが、やはりどんな受験生も志望校の過去問題に当たったり、過去問題から予想される問題を解いてみたりするのだと思います。そういう努力をする受験生に「過去の問題を解いて何になる?」とは言わないと思うのです。
●この話を聞いておられる皆様にも、何かしらそのような経験はおありだと思います。喜ばしいこと、悲しいことの違いはあるかも知れませんが、こんなことが自分の未来にあるのだと知っていたら、前もって分かっていたなら、きっとこう振る舞ったに違いない、このように対処したに違いない。
●一方で、「そんなこと考えても」と思う反面、一度は考えて、自分なりの答えを見つけておくのも意味のあることではないかなと思うのです。たとえその答えが、「未来のことは分からないのだ」という答えであったとしても、自分で考え抜き、探し求めて得られた答えであれば、それは意味があるのではないでしょうか。
●たとえ答えが分かりきっているとしても(仮に、「未来のことは分からない」という答えだとしての話ですが)、そのことで「過ぎた時間から学ぶ」ことの意味が失われるわけではありません。先のことが分からないとしても、過ぎた時間や、人生の先輩が歩いてきた道には、未来につながる貴重なヒントがあると思います。
●私事になりますが、中田神父は、自分の与えられた務めの中に、日曜日の礼拝を司式し、礼拝の中で説教するという奉仕の務めがあります。説教のもととなるのは、その日に読まれる福音書、簡単に言うとイエスキリストの物語です。
●ここには一つの不思議が隠されていると思います。話す相手は今この時代に生きて信仰生活を保っている方々でありながら、話のもととなるのは決して変わることのない二千年前の出来事なのです。
●少なくとも、説教する私は、礼拝に集まった方々にこれからの一週間を平和のうちに生きる何かの糧を伝える必要があります。つまり未来に向かうメッセージを届けるのですが、未来に向けて話す材料は、二千年前の物語なのです。
●古い話を煙たいと感じる人が多い中で、教会は過去も現在も、そして未来にも、イエスキリストの生き様から、未来に向けてのメッセージを伝えようとするのです。
●そう考えると、イエス・キリストの物語の中に、未来に向かって語られた何かを拾う必要があります。もし未来に向けての希望の言葉を語ることなく、二千年前にこのようなことがあった、かつてキリストがこう語られたというだけでは、今を生きる私たちに、どれほどの意味があるでしょうか?
●ここから中田神父の「時間論」みたいなことに入るのですが、人間は誰一人として、未来のことを確実に知ることが出来ないとすれば、割り切って、単なる人間でなく、人間を超える方であれば、もしかしたら未来を知ることが出来るのではないでしょうか?
●人間は限られた時間の中に生きておりますが、もし、時間に縛られない方がおられるなら、もっと言うと、時間さえお作りになった方がおられるとしたら、その方は未来についても知っておられ、もしかすると私たち人間に未来をほんの少しくらいは知らせてくれたりするのではないでしょうか。
●と、そこまでは推理することが出来るわけですが、ここからは誰も答えを知ることは出来ません。「私がそうです」と仰らない限り、誰も探し当てることは出来ないわけです。
●ただ、中田神父にとって、その方が誰かははっきりしております。それはイエス・キリストです。このお話は宗教コーナーとして、一つの宗教に縛られずに話すべきだと思いますが、あえて中田神父の宗教に当てはめるとそうなる、というふうにお考えください。
●私には、キリストが未来に向かって歩むすべての人にメッセージを伝えたと考える理由があります。今、同じ時代に暮らす人に、先人たちの知恵を総合して有益な言葉を語る人は他にもいるでしょう。ですがキリストは、明らかに未来のことを語った部分があり、未来のことを踏まえた上で今を生きる人に語りかけたことが伺えます。
●例を挙げてみましょう。マタイ福音書というキリストの生涯をつづった一つの書物から、これはと思う箇所を並べてみたいと思います。
▼イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。
▼復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
▼「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
▼だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。
●明日の野球の結果さえ知り得ない私と違って、キリストはしばしば未来を見据えて話しました。そこに、二千年前の物語でありながら、常に新しいメッセージであり続ける力が隠されているのだと思います。私にとっては、キリストに耳を傾けることが、未来へのメッセージを語り得る唯一の方法となっているわけです。
●人間誰しも、未来を知りたいと思うわけですが、誰一人未来に手が届かないのも事実です。一つ発想を変えて、人間を超える方、時間に縛られない方がおられるとしたら、またその方に耳を傾けるなら、私たちは未来に何かを希望できるのではないか。こんなことを考えてみるのも人生を見つめ直す一つのきっかけになるのではないでしょうか。

2003年9月

●こんにちは。中田神父です。今月は「相手に耳を傾ける」ということで話してみたいと思います。話を聞く側に回るというのは苦手な方もいらっしゃるかも知れませんが、ここで大切なことは、「自分を忘れる」というこの一点に絞られてくるのではないかと思っています。
●私事で申し訳ありませんが、9月に入ってから陸上競技場に毎日走るために出かけております。お腹をかなり気にしながらの運動ですので、格好の良い練習とはとてもいえないのですが、今のところ考えているのは、運動不足で糖尿病になるくらいなら、諦めて病気の予防に努めようと、それくらいの気持ちで始めております。
●今はまったく見る影もないのですが、これでもかつては司祭団10キロマラソンで四年連続2位に食い込むなど、それなりの成績を残しておりました。当時のことを振り返って思うのですが、やはり成績上位を狙う位置にいると、自分が取り組んでいるスポーツから、何かしら学ぶものがある、ということです。
●私は今でもよく覚えているのですが、司祭になったその年に、先輩の神父様から、「長崎では司祭団マラソンというのが毎年おこなわれていて、新米司祭は必ず出場することになっているから、君もこれから練習を積んでおきなさい。出るからには上位を狙えるくらい準備しなくちゃいけない」とハッパをかけられ、練習に励んだものでした。
●じつは私は大の運動嫌いでして、さらに悪いことに大の「練習嫌い」でもあったのです。考えれば分かることですが、「嫌だなあ、嫌だなあ」と思いつつ練習をしても、実になるはずがありません。私は生来そういうタイプでしたので、父親とキャッチボールをしていても、父親のほうが嫌気が差して、「お前とキャッチボールしても一つも面白くない」と、よく言われたものでした。
●それでも、怪我はしたくありませんので、自己流で練習を積んで年明けの新年司祭団マラソン大会に出場したのでした。結果を先に申しますと、3年連続1位に輝いていたある先輩司祭に次いで2位の好成績を収めることになったのでした。じつはこれが、私にとっては痛い目に遭う始まりだったのかも知れません。
●いざ走ってみて、「何だこんなものか」と思ってしまいますと、練習なんてするはずもありません。あー、適当に準備しても大丈夫さと、2年目、3年目までは簡単に思っていたのです。ですが、4年目以降は様子ががらっと変わってきたのでした。
●1位を長年キープしている先輩司祭のことは話しましたが、じつは3位、4位もある2人の先輩司祭で順位を争っておりました。幸いに、その2人と、2位の私との差は1分以上開いておりましたので、3年間は影さえ踏ませることはなかったのですが、私にとっての3年目のレースが終わってからの慰労会の中で、「神父さん、今年はぐっとタイムを詰めたから、来年は勝負よ」と話しかけてきたのです。
●まさか、と思っていましたが、それは現実にやってきました。恵まれた才能だけでマラソンに出場し、結果だけ取り繕って3年間過ごしてきたのですが、4年目のレースに向けて運動場で走ってみると、これがまったく足があがらないのです。練習に行けども行けども調子が上がらない中で、虎視眈々と2位を狙う先輩の声が、耳元で聞こえる気がしたのでした。「来年はもらうからな」。
●その日はやってきました。4度目のマラソン大会、私は結果的に2位を死守したのですが、内容は惨憺たるものだったのです。レースの間中、私の背中には2位を脅かす先輩の息づかいがずっと聞こえていたのでした。過去3年間は、何とか貯金で走り、影におびえたり息づかいにおびえたりすることはなかったのですが、4年目は最初から最後まで、自分のレースをすることはかないませんでした。そして5年目以降は、その先輩の影を踏むことすらできないほど落ちぶれてしまって、すっかり立場が逆転することになります。
●3年目のレース終了後に、その先輩は確かに言いました。「来年は勝負よ」。私はその言葉に耳を傾けませんでした。「まさか。来年になればあの先輩も一年衰えるわけだし、追い抜かれるはずはない」。そう思ったのです。けれども、「勝負」と言ったその先輩には、それまでの積み重ねた練習から、確信を持って挑んできたのだと思います。私はそれを相手にせず、耳を傾けようともしなかったのでした。何気なく言われた言葉、うるさく繰り返し言われたわけではありませんでしたが、あのときが確かに「相手に耳を傾ける」その一瞬だったのだと思います。
●4度目のレース、最初から最後まで順位を脅かされながらのレースでした。足音が聞こえ、どうかすると息づかいが聞こえ、私は相手のことばかり気になって、まったく自分を見失ってしまったのでした。
●あのときの体験は、今でも強く印象に残っています。スポーツの中での出来事でしたが、「相手に耳を傾ける」とは、こういうことなのかも知れない、自分を完全に忘れるほど(今回の場合は自分を見牛ってということでしたが)、相手に心を傾ける、相手に全神経を集中する。これが、「相手に耳を傾ける」本来の姿なのかなあ、と思ったのです。
●5年目のレースで逆転することになる先輩司祭は、2・3年私に耳を傾けつつレースを続けていたのかも知れません。今年も影すら踏むことができなかった、足音も、息づかいも聞けなかった。今年は影を捉えた、足音が聞こえた、来年はきっと捉えることができるに違いない・・・そうして成績にあぐらをかいていた私の息づかいや仕草を一つも逃さず耳で感じながら、ついには逆転勝利を収めることに成功したのだと思います。
●ここで一つ聖書の話を紹介したいのですが、あるところに飛ぶ鳥を落とすほどの勢いで成功を収めた人がいまして、その人が突然神にそっぽを向かれるという話があります。彼には人生のどこかで神に耳を傾ける瞬間があったと思うのですが、みすみすそれを逃してしまうのでした。ちょっと朗読してみます。
●イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
●ここで考えてみたいことは、私たちは皆、今の自分をいったん横に置いて、果たして私はこれで良いのだろうか、悔いのない人生を送っているのだろうかと、考える必要があるのではないかなあと思うのです。聖書に登場する人物は、自分で自分に幸せを宣言しましたが、神様の目には愚かに映ったのです。きっと、蓄えた富を使って、貧しい人と喜びを分かち合いなさいとか、何かの勧めがあったのでしょうが、耳を傾けようとしなかったのだと思います。
●誰もが、人生のある時点で耳を傾ける必要があると思います。特に、私のことを一生懸命考えてくださる方々の声に耳を傾ける。あの人に言われても聞き入れたくない、そんなこと、言われなくてもできる、いつでもできる・・・耳を傾けるチャンスをいったん逃すと、次に回ってくるときは最初の時よりも分が悪くなっているかも知れませんね。私は、あのとき話を真剣に聞いておけばと思ったときには、体型がアザラシのようになってしまって、もうその先輩を追い越せなくなっていたわけです。
●どうすれば、そのときに耳を傾けることができるか?おそらく、自分を横に置く、自分を忘れて謙虚に聞く、ということだと思います。しばしば自分が邪魔をして、耳をふさいでしまうのです。あの人に言われたくない、それくらい言われなくてもできる。いつも、私が邪魔をしてしまう。誰のせいでもない、自分が最後のつまずきの石になっているのです。
●もう一つ考えるなら、私に声をかけてくださった人は、目の前にいるその人であると同時に、神様がその人を送ってくださったのかも知れません。そう考えるときに、私は最後の壁である自分を横に置いて、謙虚に耳を傾けることができるようになるのではないでしょうか。あー、神様は、この人を通して私に声をかけてくださったに違いない。そう思うことで、自分を捨て、語りかけられる声に耳を澄ますことができるのかも知れません。

2003年10月

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●こんにちは。中田神父です。今月は、ショッピングセンターのお買い物からひらめいたお話をお届けしたいと思います。何々商店という規模のお店ではなくて、ショッピングセンター、特に郊外のショッピングセンターに行くと、まとめ買いをしてレジに並ぶ人をよく見かけます。
●私もショッピングセンターを利用するわけですが、商品をレジで計算する様子を見ながら、あらためて感心することがあります。それは、商品をちょっとかざすだけで名前と値段が打ち込まれる、あの「バーコード」とか「タグ」とか言われる仕組みのことです。
●先ほどの商品タグ、バーコードを取り入れている店舗では、どんどん読み取り機の前に商品をかざして、代金の計算が進みます。たまに、読みとれないことがあって手で入力したり、持ち場の係員に尋ねたりすることもありますが、ほとんどは、あっという間に計算が終了します。本当に驚かされます。
●バーコードというのは、どう言ったらよいでしょうか、長さ1センチくらいで縦に引いた線を、30本ほどずらっと横に並べた模様です。最近はほとんどの商品につけられていて、この部分を機械にかざすと、ぱっと読みとってくれるわけです。考えてみると店舗のすべての商品がそのように自分の名前と値段を覚えられているわけで、やはり驚きを隠し切れません。
●商品が何千個、いや何万個あっても、すべては30本の短い線の中に記憶されていて、一つ残らず把握されている。今日雇われたアルバイトの人であっても、その商品が何に使われるものか、いっさい知らなくても、簡単に代金の計算、レジ打ちができる。今となっては当たり前のことなのに、あらためて考えると驚異とさえ感じられます。
●このような仕組みが目指していることはなんでしょうか。それは、詰まるところ「管理する」ということです。今日、何がどれだけ売れた、何時頃がいちばんレジを通過した、一人のお客さんが平均どれくらいお金を使った、たくさんレジを置いている店では、どのレジがいちばん利用された、などなどたくさんのことを「管理する」ということが最終の目的ではないかと思います。
●何気なく買い物をしていても、お店側はすべてのことを管理し、手の中に収めようと考えているわけです。それはお店の商品ですから、当然といえば当然でしょう。この流れはこれからもっともっと進んで行くでしょうし、そのうちに今までは考えられなかったものにまで商品タグが張り付けられることになるかも知れません。
●ところで、すべてが数えられているというお話、じつは聖書の中にも登場するのです。イエス様が弟子たちに話した、次のようなお話があります。
●「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」(ルカ福音書12章4節から7節)。
●「あなた方の髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな」。髪の毛、というところがちと気になりますが、まあとにかくすべてが数えられている、というのです。今風に言えば、遺伝子の一つまでも残らず数えられているということになるでしょうか。
●さてここで考えるべきことがあります。神が、人間一人ひとりを数えている、それは髪の毛の一本に至るまで残らず数えられているというのですが、それは何のためなのでしょうか。また、そのことは私たちにとってどういう意味があるのでしょうか。多いに考える必要があると思います。
●すべてが数えられているということは、ショッピングセンターのとき考えたような、「管理する」ということに繋がるのでしょうか。つまり、神は人間をすべて管理するために、すべてを数えておられるということです。私は、神に管理されているということなのでしょうか。
●そうは考えたくありません。神が人間を意のままに扱うために管理している、そんなことはご免こうむりたいものです。人生の長さとか、誰と出会うか、どんな体験をするか、果ては死後に報いがあるのかないのかなど、すべて管理されているなんてことは、考えるだけでもぞっとします。
●たぶん、神のお考えはそのようなところにはないと思います。はっきりそのことを教えてくれるのは、数えられていると言ったそのすぐ後に続く「恐れるな」という一言です。すべて数えられているから恐れるな。安心しなさいと仰るのです。
●すべて数えられていると聞いて、皆さんはすぐに「あーそれは安心だ」とお感じになるでしょうか。お恥ずかしい話ですが、中田神父はすぐにはそのような気持ちになれませんでした。やはりどこかに、すべてのことを見られているって、窮屈ではないかなあ、という思いがあるのです。
●けれども、いくつかの場面を考えることで、先に感じた不安を乗り越えることができました。たとえば海か山で遭難したとします。ほとんどの場合は見つけてもらえるわけですが、場合によっては見つけてもらえず、誰にも知られずに生涯を閉じなければならないこともあるでしょう。そうなると、誰も見つけることができない、いつまでたっても見つけることができないということになります。
●ですが、「神は髪の毛までも一本残らず数えてくださる」お方ですから、遭難したその人を見ておられることでしょう。人間には見つけてもらえませんでしたが、神はその人を助け起こし、ご自分の元へ引き寄せてくださるのではないでしょうか。
●中学生の頃、忘れられない遭難のニュースがありました。それは世界的に有名な登山家植村直巳(うえむらなおみ)さんがマッキンリー山登頂後、下山途中で遭難したというニュースです。私はこの登山家を取り上げた「南極物語」という映画を観て感動した人間でしたので、大変なショックを覚えたことがあります。その後必死の捜索をおこなったと思いますが、とうとう見つかりませんでした。
●今も、どこかに眠っているのかも知れません。もしかしたら、髪の毛一本だけしか残ってないかも知れません。そうした中で、神が人間一人ひとりをすべて数えておられるとしたら、何かしら希望がもてるのではないでしょうか。誰も希望のもてない状況にあって、髪の毛一本までも数えられているということは、こうしてみると安心に繋がるのではないか、と思ったのです。
●誰も気付いてくれない、誰も私を見つけて声をかけてくれない。そうした中で日々を送っている人がいるとしたら、私は今日のお話を届けたいと思います。あなたは神様に数えられています。髪の毛一本までも、すべて数えられています。希望を持ってください。そんな言葉をかけたいなあと思います。
●もちろん、そのような言葉も、私自身に偽りがあれば正しく伝えることはできません。言葉だけの、うわべだけの慰めに過ぎません。神様が人間を数えてくださっていることを実感できるような手を差し延べなければいけないと思います。そんな生き方を目指したい。心からそう思います。
●最後に、マザーテレサと呼ばれる一人のシスターを紹介して、今月の話を終わりたいと思います。彼女は生涯、インド・カルカッタの最も貧しい人を捜し出して最後のお世話をするという奉仕をまっとうしました。誰からも見捨てられた人を見つけてきて、傷を洗い、食べ物を用意し、最期を看取ってあげました。そうして一人の人を天国に送っては、また一人捜してきて、最後のお世話をしたのでした。
●彼女の態度は、お世話を受けたすべての人にとって、「私は人間として数えられている。髪の毛一本までもすべて数えられている」という実感を与えたのではないかと思います。そのシスターは、なんと10月19日、教会の聖人・聖女の列に加えられることになりました。

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