もしも私が生徒募集の案内を作るとしたら(2007年純心中学校黙想会原稿)

2007年純心中学校黙想会 「もし私が生徒募集の案内を作るとしたら」

(2回目)「純心中学校生徒募集」

●2回目の話は、純心中学校の3年生のためだけの話です。中学3年生というのは、中学生では最上級生です。中学生の中でいちばん勉強を積み、いちばん経験豊かですが、今皆さんが感じていることは、もっとたくさん学びたい、もっとたくさんの経験を積みたいということではないでしょうか。そう感じる理由はただ1つ、高校への進学を間近にひかえているからです。
●中田神父も、中学3年生ではまだまだ伝えたいことを伝える力が足りないなあと感じます。特に強烈に感じた体験がありました。一方では、中学の最上級生ですから、伝えようという勇気は誰よりも持っていました。そして、自分にできる精一杯の努力をした。それでも伝わらなかったという苦い経験があります。
●1回目の話でちょっと話しましたが、長崎の神学校では中学1年生から高校3年生までの期間を一緒に暮らして教育を受けます。中学生から高校生までの共同生活、勉強もスポーツも、寝たり起きたりすることも、食事もみな一緒でした。その中の食事の時に起こった事件です。
●私が長崎の神学校にいたとき、だいたい70人くらいの生徒が共同生活をしていました。食事は班別に分かれています。縦割りの班が決められていて、中学生から高校生までが均等に6人掛けしてテーブルに着いていました。一つのテーブルに中学1年生もいれば、高校3年生もいるわけです。
●私は当時中学3年生でした。私がいたテーブルの中学1年生は、残念ながら好き嫌いがありました。ワカメなどの海草類は特に苦手でした。ある日ワカメのスープが出て、全員食事が始まっても、その1年生の子はワカメスープを食べようとしません。高校3年生の先輩がそれを見つけてこう言いました。「おい、ちゃんと食べろ。お前が食べるまで今日の食事は終わらないからな」
●この事件が起こったのは夕食時の出来事です。実は夕食が終わると、みんなが楽しみにしていた自由時間でした。ミニバスケットをしたり、卓球をしたり、ミニサッカーをしたりして楽しむわけですが、テーブルの最上級生が食事の終わりを告げないと食事は終われないというのがルールだったんです。もしも中1の子がいつまでもワカメスープを食べなかったら、6時から始まった夕食が7時になっても7時半になっても終われないわけです。
●ほかの学生全員、高校3年生の先輩に何も言い返すことができませんでした。ワカメスープを残すことは良くないことだし、先輩に文句を言う理由が見つかりません。だからといって、「先輩、今日は勘弁してください」と声を出して言う勇気もありませんでした。それは私も同じことでした。
●けれども私は、勇気を振り絞って行動することにしました。先輩に口で言い返すことは怖くてできないけれども、自分はもう少しお腹に余裕があるから、ワカメスープを全部平らげてしまったら、きっと先輩は気付いてくれて、1年生の子を許してくれるに違いないと思ったわけです。中学1年生をかばってあげたかったのです。
●みんな凍りついて動けなくなっていた中で、私は黙々とワカメスープを飲み始めました。食欲旺盛な男子の学生が6人座るテーブルに用意されたワカメスープです。お代わりのことも考えて用意されているわけですから、たくさん入っていました。5杯、7杯、10杯と、苦しくなってもガマンして飲み続けました。
●13杯くらいお代わりしたときでしょうか。最上級生の先輩がやっと口を開いたんです。その先輩はこう言いました。「なかだ〜。お前よっぽどワカメスープが好きやなぁ」。先輩に口で言い返すことができなかったので、行動で分かってもらおうとしたのですが、中学3年生だった私のメッセージは、まったく届いてなかったのです。
●私は高校3年生の先輩とは、いつもずっと一緒だったわけではなかったとしても、長崎の神学校で3年間、一緒に暮らしたのです。3年間一緒にいる人とであっても、分かってもらうことは難しいのです。自分と違う誰かにメッセージを伝えるということは、本当に大変なことなのだと痛感しました。本当に心に響くもの、心を動かすものがなければ、メッセージは伝わらないのです。
●ここで、2回目の話の目標を思い出しましょう。「純心中学校生徒募集」ということでした。生徒募集の案内も、本当に心に響くもの、心を動かすものがなければ、伝わらないと思います。多くの場合、心に響くものは実際の体験から出てきたものです。机の上だけで考えたものではなくて、体験して「うん、それはわたしも分かる」とみんなが感じるものから出てきます。2回目の話が終わると作業が待っていますが、その中でぜひ、体験を活かした「生徒募集」を制作してほしいなと思っています。
●さて、「純心中学校に入ってみませんか」と声をかけるためには、最低、3つのことを自信を持って言える必要があります。「3本柱」というふうに考えましょう。柱は、2本ではしっかり立つことができないからです。3本が合わさったとき、どの方向から力を受けても、風が吹いてきても、倒れずにしっかり立つことができます。
●そのように、何かをよく調べるには、3つの方向から考えてみるとよいと思います。今回の3本柱、「純心中学校生徒募集」の3つの柱は次の通りです。@学校そのものを自信を持って推薦できることA学校の先生について自信を持って推薦できることB生徒のことを自信を持って推薦できること。この3つです。
●順番に考えてみましょう。第1の柱@学校そのものを、あなたは自信を持って推薦しますか。いくつかの点を挙げてみましょう。a.校舎について。私はある番組で、落書きされている学校の校舎を見たことがあります。とてもショックを受けました。これが学校の校舎だろうかと、本当に悲しい思いをしたのです。私たちの校舎は、小さな場所、隅っこのような場所でも、落書きや傷つけられていたりしていないでしょうか。もしそんな箇所があったら、すぐに直したりしているでしょうか。
●b.交通と周囲の環境。純心中学校は恵まれています。バスがひんぱんに学校の前を通っています。私は2月に、とある県を旅行していましたが、そこでバスを利用したくてバス停を捜しながら道路を歩きましたが、30分歩いてやっとバス停を見つけたという苦い経験があります。また、沖縄県での話ですが、戦闘機や旅客機が学校の真上を通過して、先生の話がまったく聞こえなくなる様子がテレビで放送されていました。あんなことを考えると、純心中学校はとても恵まれていると思います。
●c.授業の内容。これは私が卒業した南山中学校での話です。もう25年以上前のことなので正直に言います。理科の先生ですが、学校が使用していた問題集の問題を解くだけで、全然おもしろくも何ともありませんでした。試験の時はその問題集から出るので助かっていましたが、皆さんは教えてもらった科目について、十分に満足できたでしょうか。もっと教えてほしかったなーという授業はなかったでしょうか。
●d.部活。これは内緒にしてほしい話。伊王島中学校は、3学年で生徒が15人くらいしかいません。だから、部活はたくさん作れなくて、バトミントン部1つだけです。サッカーをしたい子もいるでしょう。もしかしたらバスケットをしたい人もいるかも知れません。けれども選ぶことはできないんですね。残念だけど。純心中学校は、満足できる部活動が行われていたでしょうか。
●部活動は、数が多ければよいというものではありません。伊王島のもう一つ向こうにある島の高島中学校も、生徒が少ないのでバトミントン部しかありませんが、長崎県でナンバー1の中学生選手がいるそうです。だから、本当に誇りに思える部活動が行われていれば、部活の数は大きな問題ではありませんね。自信を持って推薦できる部活動が行われているでしょうか。
●もう1つ、見逃してはいけないことがあります。純心中学校は私立の学校です。つまり、授業料を払って授業を受けているのです。公立の学校は授業料を払いません。それでもこの学校は推薦できる。この部分を自信を持って言えなければ不合格です。授業料を払ってもいいと保護者が考えている純心中学校のすばらしさはどこでしょうか。
●私は、人を育てている精神にあると思います。純心学園が持っている基本の心構えが、すばらしいのではないでしょうか。どの学校でも最低限必要なことはすべて教えてくれます。けれども、その上にさらに何かを教えてくれる、育ててくれるのが私立の学校ではないでしょうか。あなたは、純心学園がどんなすばらしさを持っているか、ちゃんと伝えることができるでしょうか。
●次に、第2の柱A学校の先生を、あなたは自信を持って推薦できますか。あの先生がいるから、純心はいいよって、みんなに言える先生がいますか(私は、三枝先生を推薦します)。たとえばある科目が得意になったのは、あの先生に教えてもらったからだと感じている生徒もいるでしょう。推薦できる先生を「純心中学校生徒募集」の目玉にしてあげてください。
●中田神父は長崎南山中学校時代のことを思い出してみると、何人かの先生の名前を思い出すことができます。まったく思い出せない先生もいます。何人か覚えている中で、国語の先生との思い出を話しておきましょう。
●この国語の先生は、部活では剣道の顧問をしていました。学校で部活の先生というと、指導はしているけれども自分は特別にそのスポーツの専門ではないという先生もいますね。けれども私がお世話になった国語の先生は、剣道も専門家で、教職員の剣道大会で全国2位にもなったことのある先生でした。
●国語の授業の時に、ときどき剣道の防具を身につけて来るときがありました。印象に残っています。実はあまり国語の授業で分かりやすかったとか特別に自信がついたということはなかったのですが、この先生に教えてもらったことが実はあとで実を結びました。
●この先生とは、あとで高校に上がってからも授業を受けることになったんです。高校1年生だったか2年生だったか思い出せませんが、ある学期の期末試験で97点を取りまして、学年で1番になりました。その当時はやったー!という気持ちだけでしたが、あとで考えると、中学校3年間教えてもらったおかげで、すごくよく理解できるようになっていたのだと思うのです。今も、中学生の時に国語の力を磨いてもらったことは感謝しています。日常生活の中で出会う「なぜ」「どうして」という疑問を解く力は、中学生の時代に養われたのだと私は思っています。
●第3の柱は生徒です。B生徒のことを自信を持って推薦できるか、ということです。そこでまず考えてほしいことは、生徒一人ひとりが、制服を着て外を歩いているとき、それは周りの人に学校を意識させるきっかけになっているということです。純心中学校の制服と紛らわしいような制服の中学校はどこにもいないはずです。ですから皆さんは、一人ひとりが純心中学校の顔なんですね。もしも、純心中学校の顔である皆さんのだれかが、警察のお世話になったりすれば、一人の生徒が起こした出来事が、純心中学校全体に響いてくると思います。
●反対に、とてもすばらしいことをして、例えば表彰されて新聞に載ったとしましょう。すると今度は、一人の人、または何人かで手に入れた表彰が、純心中学校全体の喜び、誇りになります。そして生徒一人ひとりが、自分のことのように喜び合うことができるのです。その、可能性が一番高いのは、スポーツと文化活動です。
●中学校の話ではないのですが、南山高校のテニス部が、全国大会で優勝したことがありました。私は中学生の時に、できたばかりの中学校テニス部に2年間いたので、高校生の活躍をすごく嬉しくなったことを覚えています。自分がちょっとでも体験できた部活動が、全国優勝をしたのですから、それは私にとっては誇りに思えることでした。監督もすばらしかったと思いますが、試合をするのは学生です。ですから、部活動の活躍は誇りに思える生徒がその学校にいるという分かりやすいしるしになると思います。
●もちろん、活躍して目立っている生徒ばかりではありません。部活はしていませんという生徒もいるでしょう。それでも、皆さん一人ひとりが純心中学校を誇りに思って卒業していくなら、学校にとっては最高の喜びです。全員が、学んだ学校のことを誇りに思っている、それは「純心中学校生徒募集」に大きな力となるからです。
●私は、「神学生」というだけで助けられたことがあります。その時私は中学生で、夏休みに実家に帰省していました。夏休みの終わり、8月31日、五島から神学校に帰る日のことです。前の日に私は荷物を準備し、明日いつものように神学校に帰る予定でした。ところが前の晩、8月30日の夜中に、弟がひどい熱を出して、病院に運ばれていきました。母もいっしょに病院に行きました。その時母は、「自分で何とか帰りなさい」と言って病院に行ったのです。
●けれども困ったことになりました。母は慌てて、私の交通費を準備せずに病院に行ったのです。私はお金を持っていませんでした。バス代も、船賃もありませんでした。悪いことは続きます。バス停に行ってみると、もうバスは出発していました。当時、港に着くためには、バスに2時間以上乗らなければなりませんでした。お金はもっていないので、もうほかに港に行く方法はありませんでした。
●悲しくなって、バス停からとぼとぼと帰っているときに、知らないおじさんが声をかけてきました。「あんたは、神学校に行きよる子やろ」「はい」「神学校に今日帰っとね」「はい、けれども、行けなくなりました」。私は前の日からのことを話して、もうバスもいないし、帰ることが出来なくなったことを話しました。話しながら泣きたい気持ちでした。
●すると、そのおじさんはポケットからお金を出して、私に握らせてくれました。見ると1万円でした。25年前の1万円です。おじさんは私に、「タクシーば見つけて、すぐに港に行かんね」と言ってくれました。私はお礼を言わなければいけないので、「おじさん、名前を教えてください」と言いました。するとそのおじさんは、「おじさんはおじさんたい。子どもは心配せんでよか。はやく行かんね」と言って、その場から立ち去ってしまったのです。
●今でも、そのおじさんの名前は分かりません。元気なのかどうかも分かりません。けれども、そのおじさんは神学生だった私に、大金をくれたのです。25年前の1万円を、神学生だというだけで与えてくれたです。
●そのおじさんのことを、私は決して忘れません。おじさんは、私が神学生だというだけでとても大きなことをしてくれました。神学校以外の学校の生徒では、声をかけてはくれなかったかも知れません。私が、あとで司祭になって、イエス・キリストの弟子になるから、助けてくれたのだと思います。あのおじさんは、私の心の中でいちばんかっこいい人、男の中の男です。おじさんが大金をくださるときに、私はおじさんに何も返すものを持っていませんでした。1万円と同じくらい高価なものを、私は持っていなかったのです。けれども、私がイエス・キリストのために長崎で勉強している、それだけで、大金を使ってくれたのです。
●これは南山中学校の話ではなくて、神学校という特殊な学校のことなのでそのまま当てはまるとは言い切れませんが、あなたが純心中学生としてどこかに立っているとき、純心中学生だからということで協力してくれたり助けてもらうことはきっとあると思います。バスに乗っているときや電車の中で、純心中学校の生徒は十分存在感があります。ぜひ、純心中学生としての誇りと自覚を持ってほしいと思います。その誇りと自覚が、学校にとっては大切な力です。「純心中学校生徒募集」の1枚のポスターよりも、本当は皆さん一人ひとりが、宣伝効果は抜群なのです。

●さて、2回目の話もそろそろ終わりに近づいています。講話が終わると、班別活動が待っています。班別活動では、ポスターを1枚制作してもらいます。もちろん、「純心中学校生徒募集」のポスターです。ちなみに、ここに1枚本物のポスターがあります。皆さんはじっくり生徒募集のポスターとか見たことがあるのでしょうか。
●ちなみにこの生徒募集のポスターは、伊王島にもう一つある教会「大明寺教会」の掲示板に貼られていました。この教会はほとんどが年金暮らしの高齢者の教会です。はっきり言うと、おじいさんおばあさんばかりの教会です。言いたいこと、分かりますか?
●これから制作する生徒募集は、実際のポスターにこだわる必要はないと思います。このポスターは、きっと大人の人に見てもらうものだと思います。むしろ、私は純心中学校の生徒募集だったら小学6年生が、純心女子高等学校だったら中学3年生、ちょうど皆さん一人ひとりが案内を見て「純心に行きたいな」と思うようなポスターが理想だと思うのです。入試のことが左端に説明されていますが、気にしなくていいです。この学校で学びたいな、この学校に興味あるな、そんな気持ちにさせるポスターを制作してみてください。
●発表のときには、ポスターを皆さんに見せて、作った生徒募集のポスターの特徴を聞かせてください。どんなところに力を入れて描いたのか、いちばん見てほしいところはどこか、こんなことがあるからおいで、とか。それぞれの班の生徒募集で工夫したことを皆さんに説明してあげてください。
●今日、2回にわたって話をしました。中田神父は皆さんに、「イエス・キリストをもっとよく知りたい生徒募集」をしました。一人でもいいから、生徒になってほしい。そしてすでに生徒になっている人は、もっともっとイエス・キリストを深く知るために、これからもずっと生徒でいてほしいと思っています。この学校を巣立っても、高校生になっても、大人になっても、結婚しても、「イエス・キリストをもっとよく知りたい生徒」であってほしいと思います。
●そして、皆さんには「純心中学校生徒募集」を考えてみてくださいと話しました。学校を薦めるためには3つの柱が必要です。3つとも、自信を持って薦められるくらいに、卒業していく学校に誇りを持ってください。先生も、誇りを持って巣立っていけるための十分なお世話をしてくださったと思っています。これからはあなたが、純心中学校生徒募集の生きたポスターのつもりで、純心で学んだことを大切にして生きてほしいと思います。

おわり。