主日の福音 1993,05,23
主の昇天(MT 28:16-20)
今日私たちは、主のご昇天をお祝いしています。マタイ福音書は、イエス様の昇天そのものについては書き残しませんでしたが、ご昇天なさるにあたって、弟子たちに使命を残されたことに触れました。マタイが伝えようとする、ご昇天と私たちとの結びつきについて、黙想することにいたしましょう。
主のご昇天について、聖アウグスティヌスはすばらしい説教を残しています。その中でアウグスティヌス司教は、キリストは神秘体の頭であり、信者はキリストに結ばれた体の一部であるから、イエス様において示されたことは、すべてわたしたちの未来の姿を表わしているということを強調します。次のような言葉に、それがよく現れています。
「主は天に昇られましたが、わたしたちから遠く離れてしまったわけではないように、わたしたちに約束されていることは、体に関してまだ実現していないとしても、わたしたちはすでに主とともに天にいるのです。」
また、このことと同時に、わたしたちが地上で経験している困難、苦労について、天に昇られた今も、キリストはわたしたちと同じ苦労を地上で忍んでおられると言っています。
「キリストはすでに天の上に高められています。けれども、わたしたちがキリストの体の肢体として耐え忍んでいるすべてのことを、キリストは地上で忍んでおられます。主はこのことを、天からの叫びをもって言い表されたのです。『サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか』あるいは、『お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせてくれた』と。」
こうして、アウグスティヌス司教は、キリストのご昇天の出来事は、キリストに結ばれた体の一部であるわたしたちにとって、非常に意味深い出来事であったことを示しています。キリストが天に昇られたのだから、わたしたちの心もじつは昇ることができる。キリストに結ばれているのだから、彼もまた労苦してこの地上の生活を送るわたしたちと、いっしょに荷を担ってくださる。アウグスティヌス司教は、わたしたちを励ますために、次のようにまとめています。
「わたしたちも、信仰、希望、愛をもって主と結ばれ、すでに主とともに天の憩いを味わいながら、地上の苦労を耐えるようにしようではありませんか。主は天にあって、しかもわたしたちとともにおられ、わたしたちはここにいて、しかも主とともにいます。主は、その神性と力と愛によって、わたしたちとともにおられます。わたしたちは、主のように神性をもっていないので、神性によって主とともに天上にいるわけにはいきませんが、それでも愛をもってそこにいることはできるのです。」
わたしたちが、愛によって主とともに天にとどまることができるとすれば、イエス様がご自分の愛をもって、わたしたちとともに地上にとどまることはなおさら確かなことです。この確かな事実を拠り所にして、福音に記されている使徒たちの宣教の使命は行われていったのです。イエス様の最後の言葉が、弟子たちの活動のすべてを支えていたのです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:26)。
ではわたしたちも、主の昇天の意味をもう一度考えるべきです。すなわち、主が天に昇られたのは、わたしたちと無関係ではないということです。主が喜びのうちに天に昇られたのであれば、ぶどうの木の枝であるわたしたちも共に喜びをもって受けとめるべきです。頭が天におられるのですから、肢体も天に迎えられる希望をもち、毎日を過ごすべきです。
生活が息詰まり、難しいところにきている方もおられるでしょう。そんな人にも、キリストのご昇天は慰めと希望をもたらします。キリストにつながって労苦を担っているのですから、「共にいてくださるキリスト」も、同じ労苦を担おうとしておられるのです。
様々なアクション団体に加わり、目に見える成果を見ないまま、活動を続けておられる方もいるでしょう。どうぞ、信頼を保って続けてください。あなたの活動を支えているのは、めざましい成果ではなくて、「天と地の一切の権能を授かっている」キリストだからです。キリストにつながって続ける活動は、何よりもキリストに受け入れられるからです。
最後に、ご昇天はすぐに来られる聖霊を予感させます。神様は一瞬たりとも、わたしたちをみなしごにはなさらないからです。わたしたちのことをかたときも忘れない神様は、天に帰られると同時に聖霊をお遣わしになり、聖霊は使徒たち、弟子たち、わたしたちの中で働いて、キリストの業を続けさせてくださるのです。
わたしたちも、キリストの思いを多くの人に伝えましょう。洗礼によってキリストに結ばれている人の喜びを、生活の中で証ししましょう。わたしたちの一つ一つのよい行いは、聖霊が共にいて初めて実を結びます。主が昇られた今、主の思いを伝える使命は、わたしたちに託されています。そしてキリストを知らない多くの人は、わたしたちを見てそこに聖霊の働きを知るのです。
天に昇られるにあたって、力強い言葉でわたしたちを遣わそうとしておられるキリストの招きに応えるための恵みを、ミサの中で祈ってまいりましょう。