主日の福音 1993,06,13

キリストの聖体(JN 6:51-58)

 

今日は、イエス様が私たちのためにすばらしい食べ物を用意してくださったお祝いの日です。イエス様が準備してくださった食べ物、それは御聖体です。それで、みんなで御聖体を楽しみに待つ心を育てるようにしましょう。

 

初聖体の準備をしているみなさん、みなさんは初聖体式を終わっていないので、まだ御聖体を受けることができませんね。「まだかなぁ、まだかなぁ」と思っているかも知れません。楽しみにしている気持ちは、神父様もよく分かります。

本当のことを言うとね、初聖体を終わったお兄さん、お姉さんも、今でもミサの中で御聖体をいただくのを楽しみに待っているんですよ。「楽しみに待っている」というのは、初聖体を終わっていないみんなも、初聖体を終わっている人も同じですから、今日はみんなと同じ心を大きく膨らませて、お家に持って帰ることにしましょう。

 

さて、イエス様は白い小さなパンの中にとどまって、私たちに食べられてしまうことを考えました。食べられるとなくなっちゃうと思うかも知れないけど、イエス様は私たちの心の中にお家を立てて、そこにお住みになります。今日神父様が読んだ聖書の中には、こんなふうに書いています。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にいる」(6:56)。

 

それと、御聖体を受けているときの、お父さん、お母さん、おじいちゃんおばあちゃんの顔を見たことがありますか。とても落ち着いていて、生き生きとしているでしょう。どうしてなのかなあ。

それは、イエス様は私たちの心にお家を立てると、そこからみんなにいろんな喜びを与えているからなんです。たとえば、お友達があなたの顔を見ながら、にこっとすると、きっとみんなもにこっとするでしょう。「笑って、お願い」と言ったのではありませんね。けれどもその人は、私がどんなふうにされたらにこっとするかをよく知っていました。だから私のほほえみを引き出すことができたんです。どうしたら、うれしい心を見せてくれるか、知っていたんです。

 

この、一人ひとりの良いところを引き出す力を「生かす力」と言います。人は、誰でも「生かす力」を持っていて、それを使って、生き生きと暮らしています。そして「人を生かす力」を誰よりももっているのが、イエス様なんです。御聖体のイエス様は、誰よりも人を生かすことができて、私たちの良いところを全部引き出すことができるんです。

 

今日神父様は、オルゴールを持ってきています。オルゴールって、知ってますか?ゼンマイ仕掛けで音楽を楽しませてくれるおもちゃですね。このオルゴール、私たちを楽しませてくれる曲を演奏できるんだけど、自分ではそれができません。今日持ってきたオルゴールは、蓋を開けると音楽がなるはずなんだけど、今はなりません(蓋を開けてみる)。どうやったらいいんでしょうか。簡単ですね。誰かがネジを巻けばいいんです。じゃあ、ネジを巻いてみます。

 

(ネジを巻く音)

 

今、しっかりネジを巻きました。今度蓋を開けると、ベートーベンの「エリーゼのために」が聞こえてきますよ。じゃあ、蓋を開けます。

 

(「エリーゼのために」を演奏する)

 

どうですか。とてもすばらしい自動演奏ですね。オルゴールは、最初作った人が立派につくっているので、誰かにちょっとネジを巻いてもらうだけで、自分のもっている良いところを出すことができます。ほんのちょっと手伝ってもらうだけなんだけど、どうしても手伝ってもらう必要があります。このちょっとのお手伝いが、オルゴールを「生かす力」なんです。

 

オルゴールくらいだったら、神父様がネジを巻かなくても、いちばん前に座っているお友達も、ネジを巻いてくれたらならすことができます。オルゴールを「生かす力」くらいは、誰でも持っているんです。けれども人を生かすためには、一人ひとりの良いところを全部知っていて、それを引き出す良い方法も全部知っておられる方でないと生かせません。

 

誰が、そんなすばらしい「生かす力」を持っているんでしょうか。それを持っているのは、イエス様お一人です。イエス様はこう言ってます。「私が与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことである」(6:51)。御聖体にいらっしゃるイエス様だけが、世界中の人を「最高に生かす」力を持っておられます。だから食べてもらいたいんです。だからみんなが楽しみに待っていて、いただけば喜びでいっぱいになるんです。

 

こんなすばらしいお恵みを、初聖体式を受けた人すべてがいただいています。初聖体式を受けていないみなさんは、もうちょっと待っていてください。でも楽しみですね。イエス様がおいでになると、みんなの良いところをすっかり生かしてくださるんですから。

 

お友達といっしょに、そばについている先生やお姉さんといっしょに、またお父さん、お母さんといっしょに、御聖体をいただける日を楽しみに待つことにいたしましょう。