主日の説教   1992,4,18

復活の聖なる徹夜祭(Lk 24:1-12)

皆さん、主の復活おめでとうございます。今年は、ルカ福音書の記事を通して、復活徹夜祭をお祝いしています。その中で、二人の神の使いが、イエス様の世話をしに来た婦人たちに、意味深い言葉を語っておられます。そこで、この二人の語る言葉に耳を傾けながら、静かに広がっていく主の復活の喜びを共にいたしましょう。

神の使いの言葉は、大きく三つのことを婦人たちに気付かせようとして語られています。それらの教えを含む神の使いの言葉は、以下のものです。

「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」

「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」

それぞれについて、考えてみましょう。

はじめに神の使いは、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」と問いかけます。。このように言って、婦人たちが今からしようとしている行動の無意味さを示そうとします。生きておられる方に、死者に必要な世話をしてもむだである、むしろ新しい行動を始めなさい。主を捜し始めるようにしなさいと諭すのです。

神の使いのこの言葉は、私たちにも新しい心構えを求めています。「私はこんなに大きな悩みの中にいるから、神様は私が捜すところにいてくれるはずだ、いなければおかしい」。また、「私はこんなに一生懸命神の助けを求めているのに、神様は私の願いをいっこうに聞いてくださらない」と言った、私を中心とした信仰の歩みを、神中心の歩みに変えなさいと求めるのです。すなわち、イエス様との出会いを、人間の推理で導き出される場所、環境、時間の中で求めるのではなく、神が出会おうと望んでおられる場所に求めなさい、と諭すのです。福音に登場する婦人たちも、墓にいるはずだと思って行ったのに見あたらず、そのために途方に暮れたとあります(24:4)。

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」

「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」