主日の福音 1993,05,30

聖霊降臨の主日(JN 20:19-23)

 

弟子たちはすべての国民の言葉で話しました。当時、このように聖霊を受けたものがすべての国民の言葉を口にすることによって聖霊の臨在を表すことを、神はお定めになったのです。愛する兄弟のみなさん、私たちの心に愛が注がれるのは聖霊によるということを理解しなければなりません。

将来、愛によって全世界に神の教会が集められることになっていたので、そのときには一人ひとりが聖霊を受けて、すべての国民の言葉で話すことのできたことを、聖霊によって集められ一致した教会は、今、すべての国民の言葉で話すのです。

したがって、私たちのうちの誰かが、「あなたは聖霊を受けたのに、なぜすべての国民の言葉が話せないのですか」と訪ねられる場合、次のように答えればよいのです。「私は、すべての国民の言葉を語ります。私はキリストの体に属しているからです。キリストの体とは教会のことで、教会はすべての国民の言葉を話します。あのとき、神が聖霊の臨在によってお示しになったことは、神が将来すべての国民の言葉で話すであろうということだったのです。」

主が「新しい葡萄酒を古い革袋に入れるものはいない。新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする」と言って約束されたことが、こうして実現したのです。

だから、弟子たちがすべての国民の言葉で語るのを聞いて、「あの人たちは、新しい葡萄酒に酔っているのだ」という者がいたのは当然です。弟子たちは聖性の恩恵によって新たにされ、新しい革袋となったのです。それが、新しい葡萄酒、すなわち聖霊で満たされて、すべての国民の言葉を話して発酵し、こうして、非常にはっきりとした奇跡によって、普遍的な教会が将来すべての国民の言葉にまで広まっていくことを、前もって示したのでした。

 

また、聖霊は一人ひとりに分かるようにも話してくださいます。一つの話を紹介いたします。ある小教区に二人の司祭がいました。一人は弁舌さわやか、説教ともなれば思わず拍手が出るくらいに聴衆を魅了し、聞く人に深い感銘を与える若手司祭。もう一人は彼とは正反対で、お世辞にもうまいとは言えない語り口で、わざわざこの司祭を選んでミサに与る人など一人もいないといった老司祭でした。

あるとき青年の一人がこの若手司祭にいたく感銘を受け、このような話を自分だけ聞くのはもったいないと思い、知り合いの学生を誘って、ミサに与らせようということになりました。心うきうき、内心すでに一人の信者を手にいれたという勝利感に酔いしれながら教会に向かいました。

いざミサが始まってみると、驚いたことに若手司祭は入堂せず、かわりに例の老司祭の司式でミサが始まりました。青年は気落ちし、「今日の説教ではキリスト教に興味を持つことすら期待できまい。かえって煙たがられるかも知れない」と考えたのでした。予想に違わず、老司祭は引っかかり引っかかり、何度も同じことを繰り言のように話し、説教を終えたのでした。

ミサが終わって、青年は友人に申し訳なさそうに、こう言いました。「ごめん。てっきりぼくは若い司祭の当番のミサだと思って、君を誘ったんだけど。悪いことしたね」。ところがこの友人は彼の予想とは裏腹に、ミサに来て本当によかったと答えました。信じられないといった様子の青年に、友人はその理由を教えてくれました。

「うん。君の言う通り、あの神父さんのはまずい説教だった。けれども彼がイエズスという言葉をていねいに、そして確信をもって声に出していたのは分かった。あの老司祭は、きっとイエズスという人を知っているに違いない」。聖霊はこの老司祭を奮い立たせ、ミサに誘った友人だけに分かる言葉で話したのでした。

今日のヨハネ福音書でイエス様は、聖霊について次のように説明してくださっています。「あなた方に平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなた方を遣わす。」

弟子たちはキリストと生活を共にしたとき、たくさんのことを見聞きしました。けれども多くのことが彼らには理解できなかったことでしょう。ところが約束された聖霊を受けて、今までのことがようやく分かるようになり、全世界に行って告げ知らせることができるようになったのです。彼らの宣教活動を、共にいてくださる聖霊が支えてくださいました。そのおかげで、彼らは数えきれないほどの人を神のもとに導いたのです。

 

キリストの体において一つに結ばれた者として、この日を祝いなさい。あなた方自身があなた方の祝っているものになっているなら、この祝いは意味深いものです。すなわち、主の聖霊で満たされる教会と一致した者になりなさい。主は世界に広まっていく教会をご自分の者と認めてくださり、また、主の教会は主を認めているのです。主は花婿としてご自分の花嫁を失うことはありません。誰も、その花嫁の代わりに別の人を置くことはできません。

諸国の民が集まっているあなた方はキリストの教会、キリストの諸肢体、キリストの体、キリストの花嫁です。そのあなた方に向かって使徒パウロは言っています。「愛をもって互いに忍耐し、平和の絆で結ばれて、例による一致を保つように努めなさい。」

パウロが互いに忍耐するようにと命じたところでは愛に言及し、一致という希望について述べているところでは、平和の絆について語っていることに注目しなさい。これは生きた石で建てられた神の家です。神は家の主人として喜んでそこに住まわれます。分裂によって廃虚となり、父の心を悲しませるようなことがあってはなりません。

私たちに分かるように、またすべての言葉で話してくださる聖霊を、今一度思い起こしましょう。私たちが心を開くとき、私たちと共にいて、イエス様のことを悟らせてくださる聖霊が、私たちにも与えられます。あらためて聖霊の力強い働きかけに信頼し、「聖霊来てください」「聖霊来てください」と祈ることにいたしましょう。