主日の福音 1993,05,16

復活節第六主日(JN 14:15-21)

今日の福音から、イエス様が遣わしてくださる聖霊について、考えてみることにいたしましょう。イエス様は次のような言葉で、私たちに聖霊を約束してくださいました。「私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(14:16)。

イエス様が父にお願いする聖霊は、はっきりと「弁護者」という呼び名で紹介されています。この呼び名は、福音記者が福音書を書き記した当時の雰囲気を生き生きと伝えています。ヨハネの共同体をとりまく当時の社会状況は、すでにキリスト教徒との対立が表面に現れて、キリスト教徒であることを公に言い表す人は、会堂から追い出されていたのです(9:22参照)。

だから、神様に遣わしていただきたいのは、自分たちを弁護してくれるお方であったし、聖霊にそのような姿を期待していた訳です。ヨハネはそれを敏感に感じて、イエス様の口を通して、聖霊が「弁護者なんだ」ということをはっきりと示そうとしたのです。では、弁護者が与えられると、私たちにどのような変化が起こるのでしょうか。

弁護者、弁護人という言葉ですぐに思いつくのは、やはり裁判の席だと思います。自分たちの証言の正当性を強力に後ろだてするために、弁護者は招かれ、一緒に裁判の席で語ってくれます。本人が十分な証言をできない場合には、本人に代わってその証言の要点を語ってくれます。ですが勝手にやって来たのではなく、本人やそのほかの人から招かれ、呼ばれて来ています。ですから勝手に語ることはなく、本人を正しく支えることだけに力を注ぎます。

ところで、弁護者である聖霊も、私たちの社会で受け入れられている弁護人と、よく似た働きをするわけです。私たちは信仰を守り、それを人々の前で表しながら、毎日の生活を送り続けます。その中で何か問題が生じたとき、摩擦が起こったとき、聖霊は私たちの信仰生活の正しさを支えてくださいます。

また聖霊は、私たちが何を言うべきか知らないときに、「言うべきことを教えてくださる」(Mk 13:11参照)方でもあります。さらに言えば、信仰を強く表すときに語るのは、実は私たちではなく、聖霊が語るのだとイエス様は別の箇所で仰います(Mk 13:11参照)。その場合聖霊は自分勝手に話しておられるのではなく、イエス様から遣わされた方として、イエス様から聞いたことを語っておられる訳です(Jn 16:13参照)。ですから聖霊は私たちを守り、強力に後ろ押ししてくださるのです。

けれども、聖霊を通して私たちが受ける恩恵は、決してこのような類比にとどまりません。この程度ではなく、この上さらに、聖霊だけが与えてくださる恩恵が用意されています。私たちは、ここから先の恩恵にこそ、心を開くべきです。今の私は、聖霊のさらにまさった恩恵を、受け入れるだけの準備ができているでしょうか。

聖霊は、私たちに何が正しいことで、何が正しくないかを教えてくださいます。イエス様は前の週に、「私は道、真理、命」と仰いました。イエス様に従った弟子たちは、イエス様を通して何が真理かを学びました。聖霊も、私たちに永遠の真理を教えてくださいます。すなわちイエス様が喜んでくださることが真理であり、イエス様が喜ばないことが偽りなのです。こうして聖霊は、絶えずイエス様に従う道を選び取るよう、導いてくださいます。

一つの小さなたとえですが、昔、教会に対する迫害がまだ激しかった頃、一人の司教様を安全なところに非難させるために、信徒のグループが舟を仕立て、川づたいに司教様をお連れしていました。そこへ川の上流から追手が下ってきて、自分たちに司教様の居場所を問いただしたのです。

「お前たちは、司教を見なかったか」「嘘をつくと、ためにならないぞ」。信者たちはおびえながらも、次のように言ったそうです。「はい、見ました。急いで追いかければ、間に合うかもしれません」。司教様を殺そうとねらっている一味は、それを聞いてさらに舟の勢いを上げて去って行ったのでした。

本当に短いエピソードですが、私たちも見習うべき点が多いと思います。私たちは言うべきことを知らないときがしばしばあります。とっさに求められて、つい愚にもつかないことを言ってしまったり、自分の持っている知識だけでことを済ませたりすることが多いのです。けれども必要なことは、自分に信頼せず、神様が喜んでくださることは何かを、誠実に思いめぐらすべきです。聖霊はその時、あなたに強く働きかけ、語ってくださいます。

この、聖霊の確かな働きを感じるためには、日頃から聖霊が私たちの内にいて、神様の深い交わりに私たちを招いていることに気付く必要があります。聖霊はイエス様によって私たちのもとに招かれ、私たちは聖霊を通しておん父のもとに招かれているのです。それはときおりではなく、イエス様が復活した今日、すべてのキリスト信者の生活の中で起こっている出来事なのです。

聖霊である神様が、私たちと共におられる。私たちは信頼を持って、毎日の生活を過ごしましょう。共にいてくださるお方をよく知っている人は、助けを願い、照らされることができます。イエス様が「あなたたちを共と呼ぶ」と仰ったことを確かなものとしている聖霊です。さらに豊かに、さらに自由に聖霊の息吹きが私たちに吹き込むよう、ミサの中で祈って参りましょう。

それから皆さんご存知のように、今日は玄関で書籍の販売をしております。特にお孫さんや、お子さんのために、良書を手に取り、読ませてあげてください。神様との親しさを感じさせる、よい機会になると思います。